食物繊維がたっぷり入ったライ麦パンで
腸をきれいに
美と健康のカギは腸にあり! 腸から本気のアンチエイジング | 太陽笑顔fufufu
ライ麦パンを食べて
免疫力UP
便秘解消
美しい肌
肥満解消
盲腸・糖尿・乳がん・大腸がんの予防
知っている人だけが得をする
食べている人だけが得をする
なまけもののパン屋のライ麦パン
あなたのその美貌を維持するなら
なまけもののパン屋のライ麦パンは不可欠です
なまけもののパン屋のライ麦パンは
ただのライ麦パンではありません
一品50円から560円
パンは冷蔵ではなく
出来れば冷凍して保存してください
暑くなるとカビがすぐ生えるので
パンは冷凍して保存してください
無人販売になることもあるので
袋と小銭の用意お願いします
この店のパンは料理と合わせてこそのパンです
プレーンなパンに料理を合わせて食べてみてください
なまけもののパン屋のライ麦パンは
発酵食品との合性抜群
そしてライ麦の食物繊維
毎日食べて免疫力アップ!
おまけに肌もピカピカだ
いまの食事が
10年後20年後の
健康につながって生きます
ひとの顔をなかなか認識できない
だから顔よりも
体形、髪型、服装、眼鏡、
話し方、声、パンの買い方なんかで
その人を認識している気がする
町中ですれ違ったり見かけた人の中に
誰だかわからないのだけれど
「あれ、知っているひとかもしれないな」と
気にかかる人と遭遇することが
ときたまあるが
かなり時間が経ってから
いくつか集まったヒントの欠けらと欠けらが
組み合わさったときに
「あの人だったんだ」とようやく気がついて
何であの場で気がつかなかったんだろうと
悔しい思いをしたことが何度もある
最近でもあって
火曜日は1日で誰だか気がついたが
日曜日は2日かかった
今回もわかったときに
地団太を踏んで悔しがった
地団太を踏むなんて表現
初めて使うが
それくらい悔しかったということ
まあ 仕方がない
それが俺だ
記憶を司る箇所が発達し損ねたのだろう
新しいライ麦に変えてから
しばらくうまいこといかずに
お客さんを少し減らしてしまったが
人生はいつだってここからだ
生きるための一歩は
何度でも何度でも踏み出せばいい
そこだけが世界ではない
あっちにもこっちにも
いろんな世界がそこら中に散らばっている
いつでも
どこへでも
新しい世界へと踏み込んで行けばいい
怖くても勇気を振り絞って
エイヤァーと飛び込んでみればいい
見ていてくれる人や
思っていてくれる人は必ずいるから
ひとりでもひとりじゃないから
きょうの一曲は
あした
店を閉めてご飯を食べると
夜は近くの公園で体を動かす
一か月ちょっと前までは
10分くらい走って終わりだっのだけれど
少しずつ公園にいる時間が延びてきて
いまでは一時間以上公園にいることが多い
でも
どこからそんな時間を見つけてきたのだろう
時間は自分で作り出すものと
誰かが言っていたけれど
本当に望むものがあるときには
作り出せちゃうもののようだ
世界の音楽 9回目
きょうはインドのバンスリという横笛の演奏です
Pandit Hariprasad Chaurasia & Nitiranjan Biswas & Jean ...
今年初めてのモロヘイヤ
茄子との相性がとてもよかった
そうするつもりでなくても
ひとに生きる力を
与えているということはある
自分もずっと力をもらっていた
そんなことに気がついていないだろうけれど
毎夜毎夜
ありがとう
うれしかった
世界の音楽 8回目
きょうはペルシアの世界へご案内
Kayhan Kalhor & Kiya Tabassian à la Salle Gaveau à Paris
この時季に感じる木のありがたみ
近くに行くとよく休みに行くのが
大田原神社にある大きなクスノキの立つ場所
その下で座ったり寝転がって
風で揺れる葉っぱの音を聴いているのが好きだ
不得意なことがあると
どうすればできるようになるのか
ちょっとは頭で考えるのだけれど
それよりも
何度も何度もやってみて
感覚をつかみ取っていく
やっているうちに
不得意なことが
いつの間にか得意になっているということもよくある
パソコンの操作やひとの顔を覚えるのは
いつまでたっても不得意だけれど
世界の音楽 7回目
きょうはインド
艶やかな歌声の持ち主
Kaushiki Chakrabarty
Salona sajan by Kaushiki Chakrabarty
塩原の坂道を自転車で上っていると
一頭の鹿と出会った
鹿が軽快に岩を駆け上がる姿を見て
あ、あれは自分だと思った
近くの公園で大空を流れゆく雲を見て
あ、あれは自分だと思った
大きなクスノキの葉が
ざわざわと音をたてているのを見て
あ、あれは自分だと思った
いまこの瞬間も
鹿は山の中を歩き回っている
雲もやはり大空を流れているし
クスノキはざわざわと踊っている
そして自分はカチッカチッカチッと
時計の針が響き渡る世界で
踊らされ生きている
仕事を終えて
帰ってご飯を食べて
お風呂に入って布団に入ると
もう仕事に行く時間
そんなせかせかと生きている毎日の中でも
あの時見た鹿のことを思い出せば
自分は山の中を悠々と歩く鹿になれるし
あの日見た大空を思い起こせば
月明かりの夜空を流れゆく雲にもなれる
クスノキのざわざわという音を
思い浮かべてみれば
さんさんと降り注ぐお日様の光の下
懸命に身体をくねり踊るクスノキにもなれる
それは自分たち人間が
ほんの少し前まで
鹿や雲やクスノキたちと
同じ世界を生きていたからだ
だからおそらく
鹿や雲やクスノキのことを思い浮かべなくとも
ひとはいつでも
行こうとさえ思えば
あの世界に行くことができるんだ
生活の中での環境を変えるこが難しいのなら
その環境の中での日々に楽しみや喜びを
どう見出していくか
自分が変わっていくことでしか
世界は変えられない
自分が変われば
世界は確実に変わっていく
世界の音楽 6回目
ウイスキーをちびりちびりやりたくなる激渋の一曲
でもたまらなくカッコイイ
Dougie MacLean - Caledonia
きのうときょうは
ここ一か月半で
いちばん眠れた
だけども
頭が疲れと眠気を思い出してしまい
きのうの朝からフラフラ
頭の中もぽわーっとしている
世界の音楽 5回目
元気でやっていますか
ジメジメしてきて疲れる季節です
疲れた体と心には緩くて優しい曲を
歌もある曲ですが
きょうは山内雄喜のSlack Key Guitarでの演奏で
山内雄喜 "Pua Lilia'' / Yuki Alani Yamauchi
それからきょうは暑さ疲れに白熊ピースを
【日本初】ホッキョクグマの赤ちゃん「ピース」を自宅で育て ...
【奇跡の記録】もう自宅では育てられない…飼育係と ...
今日のピース
それではきょうはゆっくり休んで
明日からもうひとふた踏ん張り
きょうは会津辺りを
走ってこようかなという考えもあったのだが
布団から立ち上がれず
朝のランニングを終えてから
自転車で塩原方面に向かう
最近は隙があれば運動をしている
不眠でハイ状態になるのに便乗して
いまのうちに体力をつけてしまおうという魂胆だ
運動してもそこまで疲れを感じないし
脳がストップをかけないのでガンガンいけてしまう
いまのところ
うまくいっている
きょう行った温泉は塩原の上の方にある中の湯
ここは場所がわからなくて
何度か探したことがあるのだけれど
見つからなかったところで
でも何週間か前に寺の湯に行ったときに
先に湯に浸かっていた大阪から来ていた夫婦に教えてもらい
場所を知ることができた
浴槽は小さく
大人二人が入れるくらいの大きさしかないし
狭い空間なのだけれど
その分落ち着く
寺の湯は込み合うときが多いのだが
こちらはそれ程
人もこなそうなので
ゆったりした気分で
湯に浸かりたいときは
こっちの方がいいかもしれない
硫黄泉は出た後に
さっぱりとした気分になれるのがいいなあと
幸福感に浸っていたら
山を下るにしたがって
蒸し暑さが増してくる
自転車乗りは
この辺りで終了かな
世界の音楽 4回目
きょうはスウェーデンのFrifotというバンド
何度聴いても
このうねりがたまらない
Frifotは三度来日していて
一度目で虜になってしまったので
もちろん3度とも観に行った
コンサートにかかわっていたMさんとYさんに
頼まれてメンバーにパンを持って行ったこともある
もう一度三人の演奏が観てみたい
Polska2(Frifot)
2曲目 後半の曲が素敵!
前半の各自のソロは自分が勝手にイメージしている
北欧の世界にピッタリ
Frifot @EthnoFest - Swedish trad set
こんなに空は広かったんだなあと
久しぶりに空を見上げてみて
思い出した
この空の下で生きていたことを
忘れていた自分
気がつくと
呼吸がゆっくりと深くなっている
なんだか
すごく大事なことを
見失って生きている気がする
世界の音楽 第四回
本日はアイルランドのDervishというバンド
アイルランドには素晴らしい歌い手がごろごろと
いるけれど
聴きたくなるのは
この人の歌声
Cathy Jordan
Dervish plays "Welcome Poor Paddy Home" with Cathy ...
夕飯はパンを焼き終え
店番をしている合間合間に作るのだが
お客さんが続けざまに来たりすると
なかなか大変だ
きょうもお客さんとお客さんの間を
潜り抜け潜り抜けしながら
店と自宅を行ったり来たり
きょうの夕食は
人参の天ぷら
玉ねぎとしその天ぷら
きゅうりの酢漬け
ししゃも
厚揚げを焼いたもの
スナップエンドウを茹でたもの
納豆ご飯
ヨーグルトとレーズンと黄な粉のデザート
世界の音楽 3回目
昔々銀座の楽器屋さんにバクパイプのCDを買いに行くと
答えるとケルティックミュージックのコンサートチケットが
当たるよというようなアンケート用紙があったので
ケルティックミュージックがどういうものかわからなかったけれど
書き込んで回収BOXの中に放り込んだ
そのときのコンサートの衝撃
ノックアウトされて帰ってきた
その時自分に音楽のすばらしさを教えてくれて
音楽大好きの人間にさせてくれたのが
この映像の中でブズーキという楽器を弾いている髯の人
Donal Lunny, Coolfin & The Kodo Drummers (Celtic Groove)
今朝は体がぜんぜん動かない
心の方を体に合わせて
仕込みはゆっくりと進める
少しずつ体がほぐれてきて
動くようになってきたが
午後になると睡魔に襲われる
こっちはどうにもならないので
踏ん張ってパンを作る
夕方の窯出しの時に
ちょうど金曜日の夕方に居座って
しゃべってくMさんが来てしまい
丸パンの窯出しを忘れてしまい真っ黒こげ
2025年も半年が過ぎてしまった
今年も素敵な出会いの数々
生きていく力をくれた人
自分を変えていくきっかけになってくれた人
地球上に暮らす
ものすごい数の人々の中から
出会えたことの不思議
とても近くに感じる人もいるし
すぐに忘れてしまうひともいるけれど
とにかく今年も
出会いに感謝
本日の世界の音楽は
日本の文楽
しっかりと見たことがあるひとは少ないだろうけれど
太夫の声と三味の音色と人形の3つが
それぞれを引っ張り合いながら作り上げていく
素晴らしい世界
人形が人間よりも人間らしい
しぐさを見せてくれます
Sugimoto Bunraku
世界の音楽~楽器編
本日は店で音楽を流していると
お客さんからの反応が
いちばんあるウードという楽器の演奏です
何か日本人のこころに触れてくるものがあるのでしょうか
「光輝く街」 微分音の芳香~ウード奏者、常味裕司の芸術
新しいライ麦を変えたことで
パン作りにおける自分の弱点に気が付けた
ここからもう一段上げていける
自分は頭で考えてパンを作れる人間ではないので
どこかで大きく崩れることがなければ
物事に気づけない
だから二段飛ばし三段飛ばしで
器用に階段を駆け上がることはできない
どんくさいけれども
一段一段這い上がっていくことしか自分には出来ない
そんな自分のパンを買い続けてくれる人たちがいてくれる
手を合わせて頭を下げるしかない
少しでもいまより美味いパンを作りたい
だいぶ久しぶりに
きみのゆに行き
電気風呂と岩盤浴
トコトコ大田原で食材調達
野菜がいっぱい
それだけでハッピーになってしまう
雨が降り出す前に
近くの野球場でランニング
不動の滝のちょっと先にある
この野球場は
いまでは少年野球で使われるようになったので
さっぱりと整えられているが
昔はグラウンド全体が苔で覆われ
外野の周りは木々で囲まれていて
何か暖かいものに包み込まれているのを
感じるような素適な空間だった
それでも人がやってこないような
少し奥まったところにあるグラウンドなので
こころが落ちつく場所だ
ランニングをしていると
小さなたんぽぽの花に蝶が舞い降りる
その蝶が飛び立ったあと
別の蝶がやってきて蜜を吸っている
それまで蝶なんてまったく目に入っていなかったが
ちょっと見回してみると
そこかしこで蝶が舞っている
蝶を目で追っていると
蝶は米粒よりも小さな黄色い花に止まって蜜を吸い始める
蝶を追っていなければ
おそらく気が付かなかったであろう黄色い花
グァグァと烏の鳴き声が耳に入ってくる
鳴き声の聞こえた方に目をやると大きな木のてっぺんで
一匹のカラスが体全体を使ってグァグァと叫んでいる
すると別のところからもグァグァと叫び声が聞こえてくる
コミュニケーションをとっているのだろうか
烏はずっと鳴き続けていたであろうはずなのに
一時間近くここにいたのに
まったく聞こえていなかった
そんなことを考えていると
ウグイスやスズメなどの
別の鳥たちの声が聞こえてくる
騒がしいくらいにあちらこちらで
鳥たちが大きな鳴き声を上げている
こんなに大声で鳴いている鳥たちの声が
まったく耳に入っていなかったなんて
普段の生活の中で
おそらく人はこれっぽっちも
見ていないし聞いていない
毎日通勤で通る道なんて
わかっているつもりでも
全然見ていないから
たとえ見ていたり聞いていたりしていても
人は自分の都合のいいようにしかものごとを見てないし
生きてきた中で刷り込まれた常識や固定観念や価値観などで
ものごとを見ているだけだ
そして
自分の都合のいいようにしか聞いていない
人は狭い世界でしか生きていない
もっともっと世界は広がるのに
いま見えている世界とは
まったく別の世界があるのに
狭い世界の中で苦しんで生きている
きょうの一曲は
ひそやかなうた-浜田真理子
急激の気温上昇で
パン作りは対処できるだろうかと
ちょっと不安がよぎったけれど
今回はそう問題もなく対応できた
夏は高温と湿気で粉の劣化が進みやすくなるので
その辺は怖いが
何とか夏を乗り切りたい
まだ暑いのが始まったばかりで
元気が残っているから平気だが
後半はまたフラフラになるのだろうな
これだけ暑いとお客さん来ないだろうなあと思っていたのだが
多くのお客さんが来てくれた
ありがたい
良いパン作らなきゃな
きょうの一曲は
「待ち合わせ」ハンバートハンバート/フィドラーズ・ビド
パンを仕事だと思ってやっていたときは
ストレス一杯だった
しかしパン屋を始めて20年以上経った
あるとき
パン作りは自分にとって
自転車に乗って楽しんでいるときと同じくらい
楽しいものじゃなかったっけと気が付いた
そのときからパンは自分にとって仕事だから
作るものではなくなった
そうなると
長い時間働いても
肉体的疲れはでてくるが
精神的疲れはほぼなくなった
やっていることはいっしょなのに
仕事だという思いが消えた途端
見えてくる世界が変わってしまった
言葉の不思議
言葉の力
きょうの一曲は
「パーフェクト」中ムラサトコ、平井正也
学校を抜けだし
きょう一日をどうやって過ごそうか
部活をさぼって
きょう一日をどうやって過ごそうか
社会的適応力のない人間にとっては
こころが壊れてしまう前に
この居心地の良くない場所から
どうやって抜け出すかが
切実な問題だった
若いころは
そんな感じで
生き抜くために懸命に生きていた
あのころのような胃がキリキリとするような
懸命さをまた味わってみてもいいかなあと
最近は思っている
一か月くらい前から
また眠れなくなった
でももうそろそろ終わりだ
不眠症が始まると
ハイな状態が続くので
眠れなくても
疲れを感じない
しばらくして
少し眠れるようになってくると
一気に疲れと眠気が襲ってくる
いまはその状態で
あとはからだが眠り方を思い出すのを
待つだけだ
こころやからだが
疲れて疲れて
どうしよもなく疲れてしまったときは
思い切ってでも
思い切らなくてでも
休まなければ
こころやからだを壊してしまう
人間のこころとからだは
そこまで強くは作られていない
4時間半の睡眠でやっていたときは
始めは体力で押し切れていたが
最後は一日中頭がボーっとしていて
寝ても疲れがまったく取れなく
倦怠感が一日中続いていた
あの時
これはまずいなと思って
生活を改善させていなかったら
倒れるか鬱になるか大病を抱え込むか死んでいただろう
休むか
やり方を変えるか
環境を変えるか
もう無理はしないようにしようと思う
本日の一曲は
Humbert Humbert - Yokogao Shika Shiranai [Official Music ...
こうすれば美味いパンになるだろうと感じていた部分を
改良してみた
改良箇所がいくつのパンで共通していたので
いくつかのパンが数週間前とは
だいぶ変わってきたと思う
ライ麦パンの可能性
自分の可能性
信じてくれている人がいるから
これまで食べたことのないような
パンを必ず作る
気長にお待ちを
昨日の疲れが残っていて
まだ寝ていたかったのだが
気温がだいぶ高くなるそうなので
その前にランニング
日差しはすでに強くなってきているが
気持ちの良い風が吹いている
稲たちがそよそよと歌っている
朝のうちに運動して汗を流してしまうと
その日一日を気分良く過ごすことができる
家に帰ると庭に植えたワレモコウが花をつけていた
花の命ははかないが
花はその瞬間を懸命に生きている
永遠ではないと知っているからこそ
その時を大切に思う
永遠であって欲しいと願ってしまう
その執着が苦しみをもたらすとしても
きょうの一曲は
アーリー・タイムス・ストリングス・バンド/花から人へ
しばらく前にkさんが92歳で亡くられたことを聞いた
体調を崩しておられ
ここ数年はお会いできなかった
自分が作ったパンをいちばん食べてくれたのは
間違いなくKさんだ
Kさんがいてくれたからこそ
ここまで挫けずにパンを作ってこられた
きょうの一曲は
[泣ける歌] あいうた 唄 上間綾乃
ひとりひとりが懸命に生きているんだなあと
歳を重ね
少しだけ生きることに
余裕が出てきたからなのか
歳の分だけ
苦労を重ねてきたからなのか
それが見えるようになってきた
懸命に生きている人を見て
そこに自分を見る
自分と他の人
そんな区別なんてなくて
自分があの人であり
あの人が自分である
そんなふうに感じるようになっている
本日の一曲は
桑江知子☆うんじゅぬ島 (新曲)
明日から気温が上がってくるらしい
自転車での遠出も
きょう辺りで最後かな
午前5時出発
自転車をこぐにはちょうどよい気温
まずは黒羽町にある御亭山を上る
それ程高い山ではないけれど
眺めはなかなか良くて
冬の条件の良い日には富士山も眺めることができる
反対側の坂道を下り大山田を通り抜け
大子町へ入る
菖蒲の花をちょこちょこ見かけたので
何年か前に道に迷ったときに見つけた菖蒲園に行ってみるが
思っていたほど花が多くなかった
だいご小学校でディズニーのアニメにでも出てきそうな
素適な姿をした巨大欅に会いに行ってから
山に入る
月居山観音堂で鐘を叩いてから
男体山方面へ向かう
この山もそれ程
高くはないが歩くには良い山だ
第二展望台の少し先にある紅葉谷を滑り降り
主(巨大もみじ)の元へ行く
ここに来るのは2年ぶりくらいだろうか
そのときも感じたのだが
主はだいぶ弱っている
周りの木もいくつか倒れていて
周辺は荒れはじめている
ちょっとさびしい
ここは新緑の時期に来ると
白い花が一面に広がり別世界
主の曲がった幹に腰かけて
水の流れる音や鳥の声を聴きながら
ボーっとするのがお気に入りの時間
何年か前まで蔦が上から垂れさがり
天然のブランコを作っていた
きょうはちょっと挨拶しただけで
山を下りた
春に20種類の花を見つけるまで
山を下りないとルールを課して
この山に入ったことがあるが
この時期はさすがにそこまで咲いてはいない
それでも11種類の花を見つけることができた
山を下りるとちょうどお昼の鐘が鳴っている
教えてもらったピザを食べ
馬頭方面へ向かう
だいぶ日差しも強くなっていて
暑さと疲れでちょっとフラフラ
馬頭町にある女体山の急坂を気合で上り
水汲み場で水を汲んでから
しばらく冷水を頭からかぶって
顔を洗い水を飲む
生き返った
かましん馬頭店で食材を購入し家へ向かう
ちょっとずつちょっとずつ
運動量を増やしていけている
数か月前に比べたらいくらか
体が動くようになっている
体を動かして汗を流している時間が
いちばん好きなので
体が動くようになってきたのは
うれしいこと
怪我をしてしまうと
体がしばらく動かせなくなり
体力はあっという間に落ちてしまうので
気をつけたい
湿気が多くなってくると体がを痛めやすくなってくるので
マッサージとストレッチは念入りに
きょうの一曲は
沖縄の大工哲弘さん
大工さん、こんな歌を歌っている
でも大工さんの声がすごい合っている
花やから公演INてんぶす「ガジマルオジー」
たとえ一か月後にこの世が終わってしまうとわかっても
生き方は変えない
そんな生き方をしていきたい
自分にとっていちばん大切なものって何だろうと考えてみたら
いまこの瞬間だという答えが出た
お金やモノをどれだけ持っていようと
次の瞬間には命が尽きているかもしれないのだし
ひとからの評価も
もうどうでもいい
それなら命が尽きるその時まで
いまこの瞬間に起こる出来事に喜びを感じながら
瞬間瞬間に燃え上がり消滅するくらいの
気持ちでその一瞬を大切にして生きていこうと思う
自分の人生の先はまだまだ遠くにあると思い込んでいるひとが
多いだろうけれど
若かろうとも歳を取っていようとも
死はいつ訪れるかわからない
そのひとが産まれて落ちてから
死を迎えるまでの時間が
5年なのか50年なのか100年なのか
そんなことは誰にもわからないのだ
また次の機会にと思っていても
次の機会なんてやってくるとは限らない
今度会ったときにと思っていても
また会えるとは限らない
明日にやろうと思っていても
明日がやってくるとは限らない
そう思うと
やってくるかわからない未来になんて思いをはせているよりも
大切な
いまこの瞬間を
誤魔化すことなく
勇気を振り絞って本気で生きなければと決意のようなものが
湧いてくる
本日の一曲は
クラゲの二人 / 鈴木亜紀
平焼きレーズンは
久しぶりに
おっ いいんじゃねえのと思えるようなものが出来た
こうすれば少しは良くなるかもしれないと考えていたポイントは
外れていなかったと思う
でもポイントはそこだけではないので
まだまだ難しい
ひとは自分が変わっていくことをあまり望まない
近くにいるひとのこころが変わっていくことをあまり望まない
けれども
この世に変わらないものなんてないのだから
その変化を受け入れられなければ
そこからいつまでも動けなくなってしまう
そういうもんなんだと変化を受け入れられるひとならば
次の一歩を踏み出すことができる
わかっていても
受け入れることは
なかなか難しいものだね
きょうの一曲は
流転/浜田真理子/胡池マキコ/Borzoi record
人の目を意識せずに生きられたら
とても楽だろうし
面白く生きられると思う
ひとの評価なんて気にして生きていたら
疲れてしまう
那珂川町にある「もうひとつの美術館」が好きなのは
人の目を気にすることなく制作された作品に出合えるからだ
並べられているのは
そういう作品ばかりではないけれど
自分がこころをわしづかみされるのは
人の目を気にせずに制作された作品がほとんどだ
そういう作品は圧倒的なエネルギーを持っていて
その場から動けなくさせられてしまうので
いつも2時間か3時間は美術館から帰れなくなる
きょうの一曲は
あなたへ-浜田真理子
雨や暑さで
そろそろ自転車も乗れなくなりそうなので
きょうも自転車に乗ってきた
きょうはゴールデンコース
栃木県内で自分がいちばん好きな道をつないで走った
八方ヶ原まで長い坂道を上り
塩原方面に下って
スッカン沢を歩いてから
日塩もみじラインに出て新湯を通って400号へ
そこから旧道を通って帰ってきた
八方の上の方から始まる緑世界
もみじラインは紅葉の時期しか通ったことがなかったが
いまの時期も悪くない
今回は温泉にもしっかり浸かることができた
休日を充実させることで
一週間を乗り切る力が湧いてくる
きょうの一曲は
The Gloaming - The Sailor's Bonnet | Other Voices
パンを焼き上げ
外に出てみる
夕暮れ時
涼しい風
こころと体が緩んでいく
一日の中に
ほんのちょっでも
こういう時間取り入れることで
その日一日の充実度が上がってくるなあと思った
きょうの一曲は
パン作りはやればやる程どんどんわからなくなっていく
パン作りはわかったと思い込んだ途端に見えなくなってしまう
どこまでも深く広がっているパンの世界
わからないと自覚していればこそ
より深いところを見ることができる
だけれども
あと何年パンを作れるかわからないけれど
見られたとしても上辺のほんのちょっと下くらいまでだろう
昔と比べて動くかなくなってしまった体
昔の輝かしい日々
比べてしまえば
苦しみを味わうだけだ
どんなに過去の自分を羨んだところで
どうなるものではない
いま自分に
やれることはひとつしかない
いま生きていられる有難味を噛みしめながら
いまの自分を楽しむことだ
気を付けていないとすぐに忘れてしまうことだが
毎日毎日
数えきれない程の有難いことに支えられながら
自分は生かされている
パンを作ることだけを見ても
お日様があってくれて
空気があってくれて
水があってくれて
土があってくれて
虫や微生物がいてくれて
麦を作ってくれる人がいてくれて
麦を加工してくれる人がいてくれて
麦を運んでくれる人がいてくれて
窯を作ってくれる人がいてくれて
蛇口をひねれば水が出てきてくれて
パンを食べてくれる人がいてくれて
まだまだたくさんの有難いことに支えられて
毎日パンを作ることが出来ている
自分ひとりの力だけで生きていくことなんて
誰にだって不可能なんだ
これだけの有難いことに囲まれて生きているのに
何を羨むことがあるだろうか
きょうの一曲は
胡池マキコ「あなたがいたからここにいる」@京都磔磔
起きている時間の
ほとんどパンの仕事に使っている
でもやはり他のこともやりたいという思いは出てくる
その気持ちを無視して放置していると
モヤモヤがたまってしまうが
短時間でもやりたいと思うことをやってみると
モヤモヤが起こらないことに気が付いた
ランニングたった1km 読書5分
それだけの事で気分はだいぶ違ってくる
でも一日のうち16時間も17時間も
仕事をする生活なんて
自分の店だから出来るのであって
組織の中に入って
こんなことをやっていたら
身も心もボロボロになってしまうだろうな
ライ麦パンを食べてもらうようにするのは
そう簡単ではないけれど
食べてもらえようと
もらえなかろうと
種を蒔いておかなければ
芽は出てこない
きょうの一曲は
里花さん 鴨川自然王国収穫祭2014
からだは食べ物によって作られているということを
忘れている人が多い
食べ物によって免疫力を上げることもできるし
お通じだって良くなる
太りにくい
からだにだってなれる
その逆もある
先週あたりから
からだの調子が良くなった
ここ最近では覚えがないような体の軽さ
毎日ちょこっとの量だけど
運動を続けられたからかもしれない
毎日パンを作っているのだから
運動になっているだろうと言われるのだが
20数年やってきて
運動というような運動になっていない気がする
毎日手で生地をこねているけれど
いつの間にか腕の筋力がかなり低下していたし
他の部分も同じように弱まってしまっていると思う
逆に同じ姿勢で同じ個所ばかり使っているので
凝り固まってしまったり
炎症を起こしてしまったりで
あんまり体には良くないのかもしれない
それなので
ストレッチや筋トレ、マッサージは重要になってくる
腰を痛めるときはだいたい
疲れてが溜まってきて
ストレッチをする余裕がなくなって来たときだし
筋トレを怠ると筋を痛めやすくなるし
マッサージを怠けると
コリコリに固まってしまい痛みが出てくるし
パン作りはなかなか大変なのだ
疲れを取るのに体を休めながらも
体力をつけるためにトレーニングもしなければならないし
ストレッチやマッサージもまめにやってやらなければならない
といっても時間がそれ程取れないので
ストレッチは仕込みの合間合間にやるだけだし
マッサージも風呂に入ったときに軽くもんでやるだけだが
それだけでもだいぶ違う
午前4時に目が覚める
天気が良くなりそうなので
自転車で出かけることにした
5時には出かけたいと思ったが
昨夜の残り物を弁当箱に詰め込んだり
無人販売の準備をしていたら6時30分になってしまう
こぎ出しながらどっち向かおうか迷ってしまった
黒羽町の御亭山、大子町の八溝山と上って棚倉町に下ろうか
茨城の海の方へ向かおうか
白河方面に向かおうか
大子町に行こうか
でもなんとなく自転車は塩原方面に向かっている
坂を上り
がま石トンネルの左脇にある旧道を進む
緑いっぱいに囲まれたこの辺りが
塩原の中でもいちばん好きかもしれない
仙髯の滝はこじんまりとした滝だが良い滝だ
ガマ石トンネルの出口を突っ切って
そのまま塩原街道を進む
朝の静けさと澄んだ空気
塩原に来るなら朝がいい
いくつかの滝を眺めながら走っているうちに
塩原温泉街に出る
温泉街を抜けるとしばらく急な上りが続く
長めのトンネルを抜けると日光市に入る
そのまままっすぐ進み会津に抜けるか
左に曲がり日光市街地の方へ向かうか
しばらく考えたが
今回は左に曲がる道を選んだ
ここからは長い下りが続く
上三依水生植物園を覘いてみようかと
入口に向かうがオープンは30分後とスタッフに言われ
諦めてまた自転車にまたがった
道の駅湯西川で休憩しながら
周辺の案内地図を眺める
湯西川温泉街に向かうことにしたのだが
はたして道はあっているのか
自転車乗りには恐怖でしかないトンネルをいくつも抜けて
進んでいくが
いつまでたっても案内板の一つもない
またあのトンネル群を通って引き返さなければならないことを
考え来るんじゃなかったなあとちょっと後悔し始めたときに
ようやくどこかの温泉宿の看板があった
いくつものアパートや公営住宅のような建物が
なぜこんなところにと奇妙に映る
湯西川温泉街到着
平家落人伝説を売りにしているらしく
街のあちこちに設置されているスピーカーから
雅楽風の変な音楽が永遠と流れている
この音楽を聴きながら湯に浸かるのも嫌だなあと思ったので
街外れにあった足湯にだけ浸かって引き返してきた
川治温泉、鬼怒川温泉、矢板と抜けて帰ってきた
途中さくら市にあるこうと農産物直売所で
ナツハゼの木を購入
葉っぱが好きでナツハゼの木を探していたのだが
「栄養がとても高い実がいっぱいつくんだよ」と直売所の女性に
教わりちょっと得した気分
午後3時40分自宅に到着
足がパンパンになっている
きょうは昨日見つかった課題の解決に取り組んだ
新しい押し麦を使った三種類
生地を寝かしてる間にどれくらい押し麦が
生地から水を吸い取っていくのかがつかめていなかった
きょうは三種類とも加える水の量を変えて作ってみた
どれもうまくいかなければ
3種類パンが並べられない
もともとパンの種類が少ないので
大きな穴だ
どれか一種類を小麦のパンに変えて
保険をかけることもできたが
生きることを本気で楽しもうと思ったら
ダメだたら終わりになるかもしれないとういところで
思い切って
飛び込んでいけるかどうかだろう
自由になりたい自由になりたいと言いながら
自分を縛り付けているのは
ほとんどの場合自分自身なんだ
ひとからの評価を気にして行動したり
転ぶのを恐れてこころに蓋をしたり
3種類食べてみると
悪くない仕上がり具合だった
あとは今回の生地の硬さを手が
どれくらい記憶してくれているかどうかだ
自分だけがそうなのか
人間はみなそうなのかわからないが
手が触っていた生地の硬さ記憶はすぐに薄れてしまう
ひとの顔が覚えられなかったり
一度覚えてもすぐに忘れてしまったりというところがあるので
おそらく自分の性質なのだろう
まあでも
いままでよりはマシなパンが作れるだろう
平焼きレーズンも
もしかしたら
いままでよりマシなパンが作れるようになるかもしれない
平焼きレーズンは自分には難しすぎて
作るのが苦手だったが
数日前に
ピーンとひらめきがあった
どうなることか
こうご期待
いままでで一番美味い平焼きレーズンが出来たのは
四、五年前の春だったか
京都を旅行した時に持って行った平焼きレーズンが
興奮してしまうくらいに美味かった
あのときは
その辺歩いている人たちに
美味いから食べて食べてと配りたくなってしまった
あのくらいの味が普通に出せるように
持っていきたい
きょうはパンで課題が見つかった
もう少し早く見つけていればなと悔しく思うが
うまくいっていると思っているときというのは
何も見えていないとき
いや
何も見ていないとき
うまくいっているなあと思い始めたときが
おかしくなっていく始まりなのだと思う
まあ攻めた結果だから
良しとしよう
この課題
解決できるかな?
午前中は近くのグラウンドでランニング
昨日の自転車での山登で体が絞れていたので
100mダッシュをいつもより多く走れた
空き段ボールの整理をしてから
食材の調達へ
店を開ける日はなかなか買い物に出られないので
休みの日はスーパーや直売所を3,4件回り
一週間分の食材を集めるのだが
だいたい何か買い忘れる
きょうは酢とカレー粉を買い忘れた
ようやく野菜が出てきてくれた
きょうの夕食は
茄子と玉ねぎと豚肉の炒め物
ブロッコリーのサラダ
茹でたソラマメ
冷ややっこ
納豆ご飯
イチゴとヨーグルトと黄な粉のデザート
だいぶ長く生きてきて
いまでも思い出したくないことを
思い出してしまい
胸が痛むこともあるけれど
いまはね
なんだかんだあったけれども
いい人生だったなあと思えている
きょうは八方ヶ原に行ってきた
この山が大変すばらしく
栃木県内自転車でいろいろ走ってきたけれど
八方ヶ原まで行くこの道がいちばん好きかもしれない
上の方は思っていたより寒かった
ちょうどツツジの時期だったので
駐車場は満車状態
てっぺんまで行って塩原方面へ下る
おしらじの滝は今回はいまいち
スッカン沢の遊歩道を一時間くらい歩く
ここも素晴らしく素適なところで
大好きな場所なのだが
今回も誰とも会わなかった
素簾の滝付近がいちばんのお気に入り
体が冷えたので温泉に入っていこうと思ったのだが
三ヶ所にふられたので
諦めて帰ってきた
何かやりたいことを持っているひとに
「じゃあ やってみれば」と言ってみると
「うまくいかなかったらどうするんですか」という答えが
よく返ってくる
何かやり続けている限り
極めたり完結することなんてないのだから
何かをやっている限りはうまくいったり
いかなかったりの繰り返しだ
うまくいくことがいつまでも続いていくことなんてありえない
うまくいっていないときというのは
とても苦しいけれど
おそらく
うまくいっていなかった時のことも含めて
それをやれていたということが
うまくいっていたことだったんだと思える日が
いつか来るのじゃないかと思う
だいぶ昔NHKでやっていたドキュメンタリーシリーズ
「人間は何を食べてきたか」
これがすごく面白かった
人間が食べてきたものって
人間の知恵の結晶であり
人間の生きてきた結晶なんじゃないかと思う
人間は何を食べてきたか鯨編のファンイー
...何に惹かれてなのかはわからないが
今回のもうひとつの美術館の企画展に
行ってみようと思っていると言ってくるひとが
すごく多い
そして行ってみた方にどうだったと聞いてみると
ほとんどの方から
「すごかった!」というひとことが返ってくる
「良かった」ではなくて「すごかった」という言葉からは
どう解釈すればいいのだろう
「良かった」よりも更に良かったのか
それとももっと別の意味ですごかったのか
たしか自分も展示室を出てすぐに
美術館の館長に「すごかった!」と一声を発したと思う
自分の場合は「良かった」をはるかに超えて良かったので
そう発したのだ
きょうは「美術館に行ってきた」という小学生の男の子がいたので
どれが良かったかと聞いてみると
「レモンの絵が描かれていたパジャマ!」とうれしそうに答えていた
那珂川町 もうひとつの美術館企画展 「糸で描く。布に描く。」
6月15日 日曜日までやっています
もうひとつの美術館 (@mob_museum)
新しく使うことのなったライ麦で
作っている3種類のライ麦パンは
いい感じに焼けるようになってきた
ライ麦95%のパンは
材料を変える直前に
これはすげえぞというくらいのものになっていただけに
この材料ではたして
あのパンを超えるものが出来るだろうか
無理かもしれねえなという思いが頭をかすめていたけれど
昨日焼いた95%のパンを食べてみて
超えられると確信した
ライ麦の可能性
人生のおいて
とうの昔に光なんて見えなくなっていたけれど
ライ麦の中に光を見出すことが出来るかもしれない
昔ダンスをしていたという方がいたので
フレット・アステアのミュージカル映画を薦めたら
自分もまた観たくなってしまい
久しぶりにバンド・ワゴンを観る
中盤のシドとのダンスシーンは
たまらない
午前中にランニング済ませてから
薦められていた板室温泉幸の湯へ
昼時に行ったので貸し切り状態
立ち湯初体験
膝裏が痛んでいたので
マッサージ
カチカチに固まっている
時間をかけてほぐしていったら
痛みは取れてくれた
温泉近くの木の俣川の澄み切った水
夏になったら泳ぎに行こう
春になると観たくなる
知床で暮らす小学一年生の女の子を追ったドキュメンタリー
大草原の少女みゆきちゃん
パン屋の一日 (水曜日~日曜日)
午前4時~4時30分 起床 仕事開始
午後6時15分か30分頃まで パン作り 腹筋30秒
午後7時30分まで 店番&夕飯作り
午後8時20分頃まで パンの袋詰め
午後9時20分頃まで 夕食 ランニング1km 懸垂15回×3 サンドバック数分
午後10時か10時30分頃まで 洗い物 パンを並べる 酵母いじり
午前4時か4時30分頃まで 読書2~3ページ 睡眠
春になると観たくなる
知床で暮らす小学一年生の女の子を追ったドキュメンタリー
大草原の少女みゆきちゃん
久しぶりに聴いてみた
何度聴いて面白い
永久保存版の講演会映像
立花高校 斎藤校長講演1
立花高校 斎藤校長講演2
立花高校 斎藤校長講演3
立花高校 斎藤校長講演4
新しく使うことになったライ麦は
試作をするための時間も体力もなかったので
ぶっけ本番でゴールデンウィークに臨んだ
使ってみると食感がだいぶ硬く感じる
麵棒でつぶしてみたり
ミキサーを買ってきて砕いてみたり
生地の硬さを変えてみたり
毎日作り方を変えて作っていた
予測がつかないことをやる面白さ
どんなパンが出来上がるのか
ゴールデンウィークは
ワクワクしながらパン作りができた
実はゴールデンウィークに入ってから
使い始めたライ麦を使い切ったところで
仕入れておいた別のライ麦に切る変えたので
一からやり直しということにもなったのだが
昔使っていたライ麦とそっくりだったので
2日目(ゴールデンウィーク最終日)には
いい感じに焼き上がってくれた
那珂川町のもうひとつの美術館で
鹿児島にあるしょうぶ学園の方たちの
作品などの販売が始まったそうです
しょうぶ学園には
素晴らしい作品を作り出す人たちが
集まっています
時間がある方はこの映像をご覧になってください
一滴の向こう側『しょうぶ学園』
新しく使うことになったライ麦で
いろいろと遊んでいる
いくつかのパンにも使用しているので
試してみてください
面白い味になってきました
きょうは鹿沼市にある花木センターに行ってみる
新緑で染まった林
水が張られ海のようにキラキラ光る田んぼ
桜が散っていよいよ春本番
日本がいちばん美しく輝く時だ
3時間くらいで花木センターに到着
うれしくなってしまうくらいに
たくさんの鉢植えや花の苗が並んでいる
目当てのツツジを見つけた
来る前に通信販売を
やっているいくつかのお店のサイトを見てきたのだが
値段が全然違った
通信販売で買っていたら
4倍近い金額を払わなければならなかったはずだ
15000円から20000円くらい払えば
かなり大きなツツジを手に入れることができたが
自転車ではさすがに運べないので
4000円のツツジを買った
とはいえ
そう小さくもないので
自転車で持ち帰るのはそれなりに大変だった
いつのまにか
上半身が分厚くなっていた
筋肉がついたら体からいつものだるさが取れて
楽になった気がする
新しいライ麦での95%のパン試作一回目
新しいライ麦は
いままで使っていたライ麦のもうひとつ前に
使っていたライ麦に近い感じだったので
そのときのやり方で行けるかなと思ったのだが
使ってみると全然別ものだった
焼き上がったパンはかなり硬い
これは難しいぞと感じて
しばらく95%のパンは休みになるかもしれないなあと
覚悟したのだけれど
夜になってひらめきがあった
明日もう一種類のパンの方で試してみよう
今週の日曜日くらいまでは
いままで使っていたライ麦の在庫があるので
日曜日まではこれまでの95%のパンを販売できるかな
新しいライ麦で95%のパンが作れるようになったとしても
これまでとはまったく別ものとなるので
食べておきたい方は来てください
またライ麦95%のパンと
もう一種類のパンに使っているライ麦を
別のライ麦に変更することになった
需要のない種類のライ麦なので
取り扱っていた粉屋さんなどが
次々と販売を終了していっているので
もしかすると近いうちに
もう手に入れることは出来なくなるかもしれない
2年前から使い始めたライ麦はパンの材料としては
最低レベルの品だったけれど
ここに来て
ようやく使いこなせるようになって
ここ何週間は95%ともう一種パンは
過去最高にうまいものが出来ていただけに
変更となるのは残念だ
新しく使うライ麦はいままでのライ麦とは
吸水率がまったく違うので
使いこなせるようになるには
かなり時間がかかりそうだ
日立にあるお豆腐屋さんに
豆腐を買いに行
2週続けての茨城県行
豆腐を食おうと思うと
片道80㎞ある豆腐屋まで走らなければならない
田舎暮らしにあこがれる人も多いようだが
田舎に住むということはそういうことだ
今回は美和の村を通り抜けてみた
自転車で走るにはなかなか素適な道
地図をよく見てこなかったのでかなりの遠回りをして
日立市に到着
前の週にお客さんの話に出たので
豆腐屋近くの御岩神社から御岩山まで歩いてみる
思っていたより時間がかかったが
山歩きはやはり楽しい
寄せ豆腐をいくつか買って帰途へ
先週の遠出でいくらか体は慣れてきてはいたが
アップダウンの多い茨城往復は
やはりいキツイ
きょうはランニングもサンドバックうちも何も出来ずに
眠った
今週はものすごく疲れた
作りはじめの水曜日から
パンを作り終えた後の疲労感がひどかった
金曜日は焼き上げた時点でギブアップ
パンを並べる気力がなく
早めに店を閉めた
鼻が出てたので
風邪だったのかな
自転車での遠出は何か月かぶり
国道123を通り水戸市へ向かう
そこかしこに満開の梅
4時間くらいで茨城県立歴史館に到着
室町時代の絵師雪村の展覧会を観て
栃木県の馬頭町へ移動
久しぶりの長い距離しかもアップダウンのあるコース
美和村付近のトンネルの手前にある長い上りでは
疲労と空腹で
くじけそうになった
それでもなんとか馬頭町のもうひとつの美術館に到着
那珂川町 もうひとつの美術館
今年一発目の企画展
『糸で枝く。布に描く。』
今回の企画展はすごかった
光さえ当たれば話題になるであろう人たちの作品で
埋め尽くされている
毎年いろいろな展覧会に行っているが
これだけの素晴らしい展覧会にはなかなか巡り合えない
これまで自分が観たもうひとつの美術館の企画展のなかでも
ピカイチ
ここまでこころに刺さりまくった企画展は無かったと思う
この展覧会自体ももっと光さえ当たれば
話題になる展覧会だと思う
ファッション関係の仕事をしている人たちが見たら
みんな唸ってしまうんじゃないかな
さくら市付近を自転車でブラブラしていると
大きな公園があったので行ってみた公園に行くと
うんていや懸垂などが出来る器具が
いくつか設置されていたのでやってみた
思っていた以上に体力が落ちていた
うんていも懸垂もまったく出来ない
ショックだった
特に腕の筋力が落ちていたので
この2か月間リハビリをしていた
懸垂は15回は出来るようになり
うんていもなんとか出来るようになった
年齢による体力の衰えなのか
からだを使わないことで起こる体力低下なのか
その見極めは難しいところ
動かしてやりさえすれば
動くようになるところは
まだあるような気がする
体力の著しい低下に触れて
ここからしっかりとからだと向き合ってみたいという
思いが湧いてきた
運動だけではなくマッサージなんかも
時間があるときにはやっていきたい
クルミの在庫が残り少なくなってきていたので
帰ってきたら注文しようと思って
出かけたのだが
すっかり忘れてしまった
明日は祝日で問屋が休み
次の日の注文で届くのは金曜日
全然たりない
さあ、どうする?
さて、どうなる?
きょうは自転車で氏家駅周辺を探索
氏家は宇都宮のジムに行くときに
通っていたのだが
通り過ぎるだけだった
さくら市総合公園と看板があったので行ってみると
かなり広い敷地に
自由に遊べるサッカーコートやバスケットボールコート
ボルダリング壁、健康器具
子供用の滑り台は大人でも楽しめる作りになっている
こういう場所があると冬だろうがひとは外に出たくなる
横須賀の町をランニングしたときのことを思い出した
海沿いにはスケボーやBMXの練習場、バスケットコート
それから釣りを楽しむ人々
山の方へ行けばフィールドアスレチックや
大人も怖くなるくらいの滑り台と遊びの場がいっぱいあった
遊びを知っている大人が多いと
こんな町が出来上がっていくのだなあと思った
鬼怒川沿いにあるゆうゆパークにも行ってみた
ここも広い公園
2週間ぶりにランニングをしてみた
腰のあたりが重かったが
しばらく走っていると重さが抜けていった
気持ちがいい
こころがゆったりとした気分になってくる
良い場所を見つけた
家に帰ると疲れてグッタリ
このダッシュで
体力がアップしてくれたらと
ちょっとがんばった結果
体力アップどころか
腰を痛めて
2週間運動が出来ずで
体力ダウン
ものごとは思い通りにはいかないものだ
そう思って生きていく方がよいくらいに
ものごとが思い通りに行くことなんて
ないもんだ
そんなことに
いま頃気が付いた
でも思い通りにいかなかったときほど
ものごとは面白くなっていく
パワースポットだといわれている場所は
若い人たちであふれている
なまけもののパン屋も
この店のパンを食べていると
お通じが良くなるといわれているので
パワースポットとして売り出そうとしているのだが
若い人は全然やってこない
やはりパワースポットというものは
効果があるのかないのか
わからないというところがいいのであって
効果があるということが
しっかりわかってしまうのはダメなのだ
得体のしれないものは
なんだか怖いけれど
正体がわかってしまえばなんてことはない
そんなことはよくあること
わからないというものは
それだけでパワーを持っている
もちろん実際にパワーがあるわけではないけれど
思い込みのパワーかな
パンは何十年も作り続けているけれど
いまだにパンのことはまったくわからない
こういう味のパンを作りたいと
具体的にイメージされて作られたパンなんていうものは
たかが知れている
自分の頭の中にあるパンというもの
そんなものを遥かに超えたパン
作りたいと思っているのは
いつもそんなパン
パンを作っているときに
パンの材料が届いたり
お客さんが続けざまに来たりすると
リズムが狂ってしまう
昔はそれがいやだなあと思っていたのだが
いまは
そのときそのときおこってくることを
受け入れて
あるがままのパンでいいじゃないかと思っている
リズムが狂えば
窯に生地を入れるタイミングだとか
生地を寝かせる時間だとか
自分がこうではないかと思い込んでいるところを
狂わせてもらえて
自分の思い通りには作らせてもらえなくなる
そんなときの方が
爆発的にうまいパンが出来たりするんだ
第10回栃木県障害者芸術展
Viewing展2025
毎年楽しみにしている展覧会
今年はもうひとつの美術館ではなく
栃木県総合文化センターでの開催
今回はいつも以上に素晴らしいと思える作品が多かった
自分には絶対出来ないだろう表現の仕方に感動したり或いは
ホッとさせられたり
一つ一つの作品に見入ってしまい
なかなか進めない
作品数の多さと作品のエネルギーそれと
まだ治っていない腰の痛みもあり
半分くらい観終わったところでヘトヘトに疲れてしまった
生きている中で知らずし知らずのうちに
いろいろと刷り込まれてしまっている自分には難しいかもしれないが
今回見た作品のような表現が出来るようになりたいなあと思った
月曜日
ランニングを終えて馬頭町のスーパーかましんまで
魚と肉の買い出し
帰りにゆりがねの湯に立ち寄り
手足などをマッサージ
どこもかしこもコリコリカチカチ
長年放置したままだったので
積もりに積もってしまった
七輪で買ってきた肉と魚を焼いて夕食
火曜日
自転車で喜連川町の菖蒲沢公園まで行きランニング
筋トレや200mダッシュなどいつもより
少しだけ強めのトレーニング
これで一線超えられればいいのだが
夕飯はたらこを煮込んで食べた
水曜日
今週もパン作りが始まったが
いきなり腰を痛めた
いつものように肉がバリバリと剥がれていく感じ
今回は痛みが軽いので
そのまま作業を進められた
木曜日
腰の痛みが増してきた
出だしは昨日よりも痛みが軽くなっていたので
調子に乗って前屈運動などをしてしまったのが
いけなかったのかもしれない
夜は腰を氷で冷やして寝た
金曜日
腰の具合は昨日と変わらず
作業場の粉の残量が少ないので
朝いちばんで外の材料置き場から
25Kg入りの粉の袋を運ぶ
いつもなら1分で終わるのだが
10分くらいかかってしまった
朝からドッと疲れが押し寄せてきた
苦しい苦しいと思いながらパンを作っていると
きつくなってくるだけなので
からだを動かすことがいちばん好きなことだということを
思い出し
からだを動かせている歓びを噛みしめながら
パンを作れている歓びを噛みしめながら
パンを作った
頭の中では何千メートルもある山をフッフッフッと息を吐きながら
登っていく人に成りきっていた
大人になってからは
雨が降れば自転車に乗らなかったり
寒ければ出かけなかったり
心地の良い生活ばかりを求めすぎていて
心地の良くないものをあまりにも排除し過ぎて生きていた気がする
土曜日
ぎっくり腰は安静にしておくことが
いちばん治りが早いのだが
きょうは久々にお客さんがいっぱい来て
パンを作りながらパンの補充をしたりで
運動会のように動き回った
買い物に行けないので
家にあるものを漁って夕飯を作る
日曜日
昨日の天気予報では雪マークが消えていたので
パンを作りだしたのだが
いつの間にか雪が降り出していた
きょうも何とかパンを作り終えた
絶望的に長い一週間だった
きょうはゆっくり眠るぞ
第10回栃木県障害者芸術展
Viewing展 2025
栃木県総合文化センター
2月1日~2月6日
入場無料
なまけもののパン屋店主
一押しの展覧会です
第10回栃木県障害者芸術展「Viewing展2025」
栃木県立美術館で開催中の勝城蒼鳳展を観てくる
滝を表現した作品
川のせせらぎを表現した作品
海のキラキラを表現した作品
どの作品も竹という素材の持つ美しさを
見事に引き出している
ひとつの作品だけでも
いつまでも観ていられる
2025年絶対観ておいた方がいい展覧会です
3月23日まで
栃木県立美術館
どんな状況であれ
やることはひとつ
目の前にあることを
こなしていくこと
最近は目の前のどんな景色だろうと
楽しんでいる自分がいるし
洗い物や食事作りなど
以前は面倒だなあと思っていたようなことでも
楽しんでいる自分がいる
からだの機能が衰えてきて
昔のようには駆けまわったり
出かけたりすることが出来なくなってきたし
疲れやすくもなってきた
これからも少しずつ
からだの機能は衰えていくだろうし
人生の残り時間もわずかとなってきた
そんなこんなと年を取ってきて
こころの中も少しずつ変化してきた
いまこれを書いていて
ふと井上ひさしが書いた『ムサシ』という戯曲のセリフが
浮かんできた
この世に思いを残している亡霊たちのセリフ
「いったん死んでみると 生きていたころの どんなにつまらない一日でも」
「どんなに辛い一日でも」
「どんなに悲しい一日でも」
「どんなに淋しい一日でも」
「まばゆく まぶしく 輝いて見える」
だんだんと昔出来たことが出来なくなってきて
終わりも見えてきた いま
このセリフに近い気持ちが自分の中に
湧いてきているのだろう
一時一時を噛みしめながら生きている
正月休みは毎日
体力をつけようと動いていたのだが
思っていたようには体力がつかなかった
からだの機能の衰え感じるたびに
いままでよく動いてくれたなと
より愛おしく思えてくる
この一年半は
よく自転車をのった
かなり長い距離も走ったりしたが
どんなに長い道のりだろうと
ひとこぎひとこぎを続けていれば
いつかは必ず目的の場所に到着するということ
知ることができた
その真理は日常の要所要所で
役立ってくれている
目の前にやることが山積みになっていても
ひとつひとつ取り除いていけばいいんだと
思えるようになったので
焦ることや苛立つことがなくなって
いまはゆったりとした気持ちで過ごせている
昨年はいろいろなところに行くことができたが
まだまだ行きたいところばかり
でもここからだと行きづらいところばかり
熊野にも行きたいし
島根や鳥取にも行きたいし
九州の石橋も観てみたい
石橋って接着剤のようなものを使って
固めているのだと思っていたけれど
石を積んだだけなのだそうだ
肥後の石橋
白熊のピースにも会っておかねば
しろくまピース 命をめぐる25年の物語
きのうの坂道ダッシュで
足首周辺がかなり張っているので
きょうは自転車中心の運動にすることにして
八溝山を上ってみることに
きょうはきのうの疲れが残っているのか
何だか体が動かず大子町の上り口に着いた時点で
かなり疲れてしまっていた
上り口に着くまでに
何度か上るのやめようかなという気持ちが
湧いてきたのだが
上り口に着いてみたら
自然に覚悟が決まった
今回はこの前と違う
鳥居のある方の道を上ってみた
やはりこの山でいちばんきついのは
最後の五〇〇メートル
いつもここで
来なければよかったと
後悔の気持ちが湧いてくる
山頂に着くと気温は低いのに汗で
びちょびちょ
富士山の姿は観ることができなかったが
雪で覆われた那須の山や磐梯山が
ジャンプすれば届きそうな距離に立っていた
正月は近くの長い急坂で
よくダッシュをやっていたのだが
今年は体力が落ちているので
出来そうにないので
ゆっくり上り下りを繰り返す
それだけでも
だいぶきつかったのだが
やはりダッシュがやりたくなってきて
一本やってしまった
全然足が上がらないが何とかよろよろになりながら
てっぺんまで走り切った
そのあとはまた
ゆっくりと上り下りを繰り返していたのだが
またやりたくなってしまって
もう一本
結局三本やってしまった
昔は十五本もよくやれていたなあ
疲れて遠出は無理そうなので
喜連川町のグラウンドまで自転車を走らせ
ランニング
200メートルダッシュを3本
心臓が破裂するんじゃないかと恐怖感に襲われるくらい
心臓がバクバクいっているが
思いのほか体が動いてくれた
苦しいけれど気持ちがいい
2本終えた時点でダッシュは
やめにしようという気持ちにいったんなったのだが
1年後2年後に果たして
これだけ体が動いてくれているだろうかという思いが湧いてきて
体を動かすこの喜びは
いまのうちに十分味わっておこうと
もう一本楽しまさせてもらった
この3本だけできょう一日を
充実した気持ちで過ごすことができた
喜連川図書館に寄ってから家に帰り
サンドバックを叩いてから
風呂に入り昼寝
動いてもらうだけではなく
体にはしっかり休んでもらわないと
もう足も心臓も
太陽や空気と同じような存在になっている
自分の足自分の心臓と思っていたときは
おざなりな対応になってしまっていたけれど
誰のものでもなく
ひとつの尊い存在として
共に生きていこうと思う
週5日連続の最低16時間労働を1年間
さすがに疲れた
それに加え今年は休みの度に
遊びに出かけていたので
体がもう無理だと悲鳴を上げ出した
今年は一年間右腕が痛みっぱなしだったが
10月頃からは痛みが強くなり
パンをこねるのに難儀をした
残り一週間
今年後半は一週間がえらく長く感じた
正月は少し長めに休もう
用を済ませてから
きょうも自転車で出発
午前8時になってしまっていたので
近場を走るつもりでいたのだが
あまりにも気持ちの良い天気だったので
茨城県笠間市まで来てしまった
笠間市民球場の前の
石灰石で覆われている神社で
弁当を広げる
最近弁当を食べる時間が
自転車の旅での楽しみの一つになっている
檜の弁当箱は米を美味しいまま食べさせてくれる
食べ終えて出発しようとしたところで
ちょうど市民球場から正午を知らせる音楽が流れてきた
日動美術館へ寄っていこうと思ったが
自転車のライトを忘れてきてしまったので断念
笠間稲荷神社前の酒蔵でいつものように甘酒
自転車でアップダウンの続く道を
何十キロも走ってきた後に飲む甘酒なので
体じゅうの細胞が喜び出す
この店の甘酒は世界一うまいと思う
塩原や那須の場合は帰りはほぼ下りになり楽なのだが
茨城は山は低くても
アップダウンの連続となるところが多いので
行きも帰りもきびしい道中となってしまう
夕飯はレバーでも焼いて食べようかなと
烏山町の肉屋さんに寄る
生のレバーはなかったが
レバーの唐揚げがあったので購入
この時期の夕暮れ時の世界の美しさ
きょうも一日生きたぞと気分にさせられる
午後4時30分家に到着
ランニングを終えてから
きのうの残りを弁当箱に詰めて
板室温泉へ向かう 午前11時
2週間前よりもだいぶ気温が低くなっている
雪で覆われた那須の山の美しい姿に
ため息が出る
木俣川で昼飯
きれいな水だ
川沿いをしばらく散歩
午後2時 那須塩原市営の温泉 グリーングリーンに到着
トロリとした優しい湯
熱くないのでゆっくりと浸かってられる
平日だが結構な賑わい
肌がツルリとなる湯なのだが
若い客は全く見当たらない
今年はかなり無理して
からだに動いてもらったので
感謝を込めて
このところ休みになると
毎週のように温泉に来ているが
休みには結構な距離を自転車移動してしまうので
からだのダメージが大きすぎて
温泉に入った効果があったのかどうか
よくわからない
帰りは更に気温が下がっていたが
上下のウインドブレーカー二枚重ねとタイツも履いてきたので
からだを冷やすことなく
無事に家に到着
久しぶりに茨城へ
馬頭町から293に入る
茨城には高い山が無いのだけれど
アップダウンの連続だったり
急斜面が多かったりで
福島、日光、塩原方面を走るよりも
疲れるところが多い気がする
水戸の手前にある那珂町の小さな映画館
あまや座で『倭文(しづり)旅するガジの木』を観る
日本書紀にも登場する幻の織物『倭文』を
追っていくドキュメンタリー
パンをよく買いに来てくれる染織家の妹尾直子さんが
出演しているとのことで楽しみにしていたのだ
妹尾さんはちょっとしか出ていないと言っていたが
映りまくっていた
あんな面白いことをやっていたんだなあ
楽しい映画なので興味がある方は観に行ってください
あまや座では12月6日までの上映です
他の映画館にも回っていくようです
あまや座
月曜日
きょうは南会津の辺りを走ってみようと思い立ち
今週も塩原方面に向かう 午前7時出発
塩原は二つのトンネルを避けて
旧道を走るのがおすすめだ
いくつもの滝を見ることが出来たり
渓流を眺め走ることもできる
上の方まで上っていくと長めのトンネルがあり
そこを抜けると下りに入る
車はあまり走っていないので
気持ちよく走ることができる
雑木林が続いているので
新緑の時期に走るのもいいかもしれない
桧枝岐村と書かれた案内板がある
名前に惹かれて行ってみようかと考えたが
帰ってこれなくなる恐れもあるので
やめておいた
下郷町付近までずっと下りが続くが
なぜだか疲れる
大内宿の案内板があったが
がっかりしそうな気がするので
そちらには向かわず
通り過ぎる
それよりも前回は定休日に行ってしまい
観ることができなかった
はじまりの美術館へ行ってみようと思い立つ
午後1時30分会津若松駅に到着
電車の時間まで時間があったので
家から持ってきた弁当を広げる
だいぶ昔に郡山市のおわん屋さんで勧められた
檜の弁当箱
最近ようやく手に入れて今回が初使用
猪苗代で電車を降りてはじまりの美術館へ
福島県の公募展が開かれていた(~1月19日まで)
気になった作品を書いて投票してくださいと
用紙を渡されたが
いまの自分のこころに触れてくる作品になかなか出会えない
ようやくたくさんの方々の雑記帳の山の中から
すごいのを見つけ出すことができた
森陽香さんという方の作品で
雑記帳には写真を見ながら鉛筆で描かれた絵
それと使用した写真が貼り付けられている
すごいのはハニワやナマハゲの人形たちに
森さんが命を吹き込んでしまっていることだ
ハニワは踊りだし
ナマハゲは迫力満点に泣く子はいねえか~と叫んでいる
それから鉛筆で引かれた線が良い
この人の絵はもっと見てみたい
午後4時台の電車で帰る
奇跡的に乗り継ぎがスムーズにいき
ほとんど待ち時間なしに帰ることができた
はじまりの美術館|福島県耶麻郡猪苗代町
火曜日
朝起きてランニング
家でゆっくりしようかとも考えていたのだが
天気が良かったので
週末にお客さんに勧められた板室温泉に行って
きのうの疲れを取ってこようと自転車で出かける
やはり初めて走る道や
初めての場所に行くときはワクワクする
こんな場所があったんだと
楽しみながら自転車をこぐことができた
板室温泉到着
家からここまでほぼ上り
最後の数キロは思いのほか急な上りだった
温泉に入る前に板室温泉を勧められた人に
もう一つ勧められていた沼ッ原湿原に行ってみることにする
板室街道を更に上っていく
板室温泉からそれ程遠くないからと言っていので
3,4kmくらいの距離かなあと思っていたのだが
上っても上ってもなかなか着かない
ここ最近でいちばんキツイ上り
気温が少しずつ下がってきて
風も強くなってくる
10kmくらいの距離だったから遠いとは言えないけれども
10kmずっと上りじゃねえか
力出し尽くした
湿原をしばらく散歩して山を下り市営の温泉へ
冷え切った体が湯に入ってもなかなか温まらない
30分くらいしたらようやく汗が出だしたので
暗くなる前に家へと向かう
板室温泉から抜け出すための2つの上りが
ものすごくきつかった
足に力が入ってくれない
きょうは家に帰ってから
昼飯を食べるつもりだったので
何も食べるものを持ってこなかった
途中でおにぎり二つと羊羹を買って
エネルギー補給をしたら
かなり回復してくれた
そこから家まではほぼ下りだったので助かった
磐梯山
見た人見た人に
それぞれの磐梯山がある
磐梯山にある石の一つ一つ
木の一本一本
磐梯山の土の中に暮らす微生物に一個一個
誰も磐梯山のすべてを見ることはできない
磐梯山のどこか一部を見て
思ったり感じたり考えたり
磐梯山はそこにドーンと立っているように見えるけれど
本当は人々が作り出した
ただの幻なのかもしれない
あのひとはこういう気持ちなのだろう
あの人はこういうひとだ
どこか一部どこか一時を見ただけで
あの人のことをわかったつもりになっていても
あの人なんて本当はいなくて
あの人という幻を見ているだけなのかもしれない
磐梯山は自分であって
あのひとは自分であって
虫や鳥や犬や熊は自分であって
おしっこやうんちも自分である
美しいも可愛いも恐ろしいも汚いも
人々が作り出したもの
磐梯山もあの人も
虫や鳥や犬や熊も
おしっこやうんちも
やはりすべてが幻なのかもしれない
すべては移ろいゆくもの
物も思いも考えも
自分はこういう人間だ
あの人はこういう人間だ
そう思った瞬間に
自分は別の自分になっているし
あの人は別のあの人になっている
この世界のすべてのものは
フ~と息を吹きかければ
どこかに消え失せてしまうのかもしれない
木があるから生きられて
雨が降るから生きられて
お日様が照ってくれるから生きられて
空気があるから生きられて
虫がいるから生きられて
動物がいるから生きられて
花や草があるから生きられて
土があるから生きられて
微生物がいるから生きられて
それは人間に限ったことではなくて
木にとっても雨にとっても
虫にとっても草花にとっても
いえることで
それぞれがそれぞれを支えあって生きている
人間の社会だけを見ても
食べ物を育ててくれる人
物を運んでくれる人
建物を建ててくれる人
着るものを作ってくれる人
道具や機械を作ってくれる人
すべての人たちが
様々な人たちに支えられながら生きている
自分なんてものは初めからどこにもなくて
この世界のすべてのものは
ひとつに溶け合って
生きているのかもしれない
そう思うと
木の一本一本に
人間一人一人に
吹き抜けていく風に
手を合わせたくなってくる
三週連続で塩原温泉
風がかなり強い
今回は元湯に向かう
何度か話を聞いていた梶原の湯
木造作りの素敵なお風呂だった
一時間ひとりでのんびりと過ごした
もみじラインに出て
高原野菜を売っているテントに向かう
一軒だけ店を開けているところがあった
かぼちゃと大根をひとつずつ購入
今年はきょうで店じまいだそうだ
間に合ってよかった
せっかくなので
寺の湯にも寄ってみた
きょうはだいぶ賑やいでいた
一時間くらい湯に浸かり
外に出てみると雪が舞っている
下り坂あっという間に体が冷えてくるが
赤色黄色と星々が瞬いているような
美しい光景に興奮してしまう
午後4時自宅到着
午前6時すこし前
先週に続き塩原町へ向かう
たった一週間でガラッと色彩が変わっていた
今週はもみじラインを走ってみる
また川治に向かった時のように
少し上れば下りが続くのだろうと思っていたのだけれど
こっちの道はしっかりと山越えをするコース
思っていた以上に良い景色が広がっている
だいぶ上の方に奥塩原の温泉街があった
共同浴場(寺の湯)を見つけたので
300円を払って入ってみる
酸性の硫黄泉で白く濁ったお湯
30分くらい浸かっていたが
茨城から来たひとがひとり来ただけで
ゆったりと体を温めることができた
ここはまた来ることになるだろう
温泉を出てしばらく上っていくと
数軒の農家がテントを張って高原野菜を売っている
買って帰りたかったが鞄に入りそうにない
今度鞄の中身を少なくして買いに来よう
二つのスキー場と元スギー場跡の脇を通り抜けると
下りに入る
カーブが多くブレーキをかけ続けで
手が疲れてくる
下りはこげるくらいの斜面が走っていて
いちばん気持ちがいい
山の上の方は日陰に入ると寒いくらいに感じたが
下に降りてくると25度の暑さ
鬼怒川温泉を抜けて塩谷、矢板を通り
大田原へ午後2時5分自宅に到着
このくらいの時間に帰ってこれるなら
休みの日に気軽に行ってこれる
夜はランニングに出かける
自転車で長い距離を走った後は
血の流れが良くなっているからか
余計な肉が取れているのか
体が軽く足もよく動く
一か月前よりも
いくらか体力が付いてきたのを感じる
塩原町には自転車では
あまり走りたくないトンネルがあるので
足が向かないのだが
トンネルを回避できる道があることがわかったので
それを確認したくなって
塩原へと向かう
出発は午前6時30分
風がかなり強い
確かにトンネルを回避することができた
最近の塩原は大丈夫なのかと心配になってしまうくらい
人の姿が見られないのだが
紅葉シーズンとあって旅館やホテルの駐車場は
他県ナンバーの車が多く止まっている
もう少し坂道を上りたい気分だったので
400号を上っていく
11月に入ったのに紅葉はもうちょっとの感じ
体の調子が上がってきたので
このまま会津方面に行ってしまって
帰りは電車で帰ってこよう
自転車を入れる袋も持ってきたことだし
そんな思いが湧いてきて
トンネルを回避する道を確認しに来たのに
別のトンネルを潜り抜ける
しばらく走っていると左に曲がると
日光と川治に行けるという案内板
川治というまだ行ったことのない土地に惹かれて
方向転換
左折してからは
うれしくなってしまうような素適な景色
しかも川治までの18kmずっと下りだ
のどが渇いたので水筒を取り出そうと
鞄を開けてみたのだが水筒が入っていない
確かに鞄の中に入れた記憶はあるのだが
別の鞄に入れてしまったのだろか
川治温泉到着
さびれ具合は想像内
露天岩風呂と書かれた案内板があったので
行ってみた
とりあえず内風呂に入る
かなりぬるい
先に来ていた人に
岩風呂はもっとぬるいから
止めた方が良いと言われたので
素直にしたがった
さっと浸かって出ようと思っていたが
その人に日光へのショートカットの道などを
教わったりしていたら
だいぶ時間が経っていた
ぬるいお湯だが長い時間浸かっていると
からだがポカポカしてきた
まだまだ下りが続く
しばらく走り
トンネルを抜けると
左手に鬼怒川の温泉街が見えてきた
もっとずっと遠いところにあると思っていたのだが
こんなところにあったのか
頭の中にある地図がまた少し広がった
自分の頭はグーグルマップなど見ても
その場所がどのあたりにあるのかを
イメージすることができないようになっているので
実際に肌で感じることでしか
それを知っていくことができないのだ
次のトンネルがかなり怖かった
やはりトンネルは出来る限り避けたいものだ
あのトンネルはもう絶対に通らない
日光東照宮に到着
駐車場に入ろうとする車で渋滞している
結局日光市街に入る少し手前まで
下りが続いた
35kmくらいはずっと下りだったのではないだろうか
塩原の山をそんなに上ったのかなあ?
そのまま電車に乗って帰ってもよかったのだが
数日前に実家が中禅寺湖近くで店をやっていて
自身もそこで働いているというお客さんから
紅葉がピークだと聞いていたので
中禅寺湖にはまだ一度も行ったことがなかったし
せっかくだからと行ってみることにした
駐車場整理をしている男性に
中禅寺湖に行く道を聞いてみたが
また大雑把なひとに当たってしまった
「そこを曲がってそのまま上っていけば着きます」と
言っていたのだが
曲がってすぐに道は二股にわかれ
どっちに行っていいのかわからない
右に曲がってしばらく行くと東照宮美術館脇に
上りの道があったので
ここだろうと思って上り進んだ
お堂があったり
昔のお寺の石垣が残っていたりと
とても素敵な道で
「いろは坂を上らなくても
こんな素敵な道からも行けるんだ
良い道をおしえてもらったなあ」と
喜びながら上っていると
犬の散歩をしている外国人が
「がんばって」と声をかけてくれた
「この道を上って行けば中禅寺湖にいけますか」と
一応聞いてみたら
「行けない」と言って中禅寺湖への道を教えてくれた
いろは坂到着
川治温泉であった人は
5kmくらいずっと上りだよと言っていたが
倍近くあった
中禅寺湖まで残り5kmの辺りで
雨が強くなってくる
あっという間に服はびちょびちょ
雨雲のせいで暗いのか
夕暮れ時で暗いのか
何時頃だかわからない
中禅寺湖は人であふれていた
湖の周りに店がズラッと並んでいるのには驚いた
体が冷えてきて紅葉を楽しむ余裕なんてない
湖を少し眺めて駅へ向かう
下りは渋滞
上りは二車線だったが下りは一車線
雨はまだ降り続いている
路面は濡れていて落ち葉も落ちている
最近よく転ぶのでゆっくりと慎重に下る
ブレーキをかけっぱなしなので手が疲れてくるし
神経も疲れてくる
体はどんどん冷えていき
手や頭が震えだし歯がガクガクと音を立てる
ようやく賑やかな通りに出たときには
ホッとした
神橋前横断歩道で信号待ち
青になったので走りだそうとした瞬間
転倒
寒くて体が言うことを聞かない
膝をぶった
今年は体を痛めてばっかりだ
JR日光駅到着午後5時35分
電車が10分後くらいに出るところ
鞄に入れたはずの水筒が無かったので
自転車を入れる袋も無かったりしてなんて
冗談のようなことが頭に浮かぶ
確かに朝一番に鞄に入れた記憶があるので
まさかそんなことはないと確信して
鞄を開けて中を探すと
無い
どこにもない
5回くらい探したけれど
どこにもない
こんな絶望感はいつ以来だろう
自転車はあるけれど
暗い中知らない道を走るのは
気がのらない
しかも入れたはずの反射タスキも鞄に入っていなかった
自転車を包めるような袋か布を
ショッピングセンターで探してみようと思い立つが
周辺には見当たらないので
今市市まで下りることにした
幸い雨は止んでくれていた
体が冷えてしまったので
しばらくは自転車を押して
歩いたり走ったりして体を温めた
体は温まってきたが
杉並木通りは道幅が狭く
反射タスキ無しで自転車を走らせるのは怖いので
結局今市の市街地までほとんど自転車には乗らなかった
今市でもショッピングセンターが見つからなかったので
だんだん面倒くさくなってきて
もういいや自転車で帰っちまえと自転車をこぎだした
こぎだしてみると
きょうは下り坂ばかりを走っていたからか
足は余力充分
おまけに
またずっと下りなので
このまま朝まで
こいでいてもいいかなと思ってしまうほど
何だかものすごく心地がいい
塩谷から矢板と抜けて
大田原へ
思っていたよりも早く着いてしまった
午後9時5分自宅に到着
まだ体が興奮しているようなので
そのまま軽く1kmくらいランニング
興奮を沈めた
長い一日だった
家の自転車置き場に
水筒、反射タスキ、自転車を入れる袋が
3つ揃っておいてあった
鞄から手袋を取り出す時に
一度鞄から出して
そのまましまい忘れていたらしい
自転車ですこし遠出をしたい気分だったので
どの辺を走ろうか考えて
話に聞いていた
はじまりの美術館へ行ってみることにした
午前4時頃に出発しようかと考えていたのだが
だいぶ遅れてしまい午前6時30分
猪苗代湖目指して出発
帰りは電車なのでいつもなら
電車に乗せても邪魔にならない
16インチの自転車を使うのだが
きょうはビシッと走りたかったので
20インチの折り畳み自転車を選択
ウォーミングアップに坂の多い道を選んで
白河方面へ向かう
途中 芦野の吉の目湧水で水筒に水をくむ
白河に到着ここから先は
道がわからない
案内板があるだろうからと
地図をよく見てこなかったのだ
猪苗代への案内板はなかったが
会津若松を示す案内板があったので
その道(294)を進むことにする
車もそれ程走ってなく
田畑が広がる田舎道を
のんびりと気持ちよくペダルを回す
だいぶ走ってきたのだけれど
猪苗代を示す案内板がまったく出ていない
福島といったら猪苗代だろうと確信的に思っていたので
案内板なんてそこら中にあるだろうと出てきたが
そうではなかったのか
このまま進んだら会津若松まで行ってしまうんじゃないかと
不安になってきたので
天栄村の道の駅を少し過ぎたところで右折
しばらく走っていると須賀川市に出た
どちらに進めばいいの全く見当がつかない
磐梯山はスキーのコースがあるので
見ればすぐわかるのだけれど
どこにもそんな山が見当たらない
仕方ないので草むしりをしている人や
買い物帰りの人など
この土地の住民であろう人たちに道をたずねながら
進むのだけれど
みんながみんな大雑把
優しい人たちで
どこから来たのだとか
熊が出るから気をつけてねだとか言いながら
しっかり対応してくれるのだが
「この道をまっすぐ上っていけば猪苗代湖に出る」だとか
「次の信号を右に曲がってまっすぐ行けば猪苗代湖に出る」と言うので
その通りに行ってみると
必ず分かれ道にぶち当たる
最後に道をたずねたコンビニのスタッフからも
「その道をまっすぐ行けば猪苗代湖に出ます」と返ってきたので
またかよと半信半疑で行ってみると
今回は正しい道だったようで
三つ目のトンネルの手前にようやく現れた猪苗代湖の案内板
トンネルを抜けて道を下っていくと猪苗代湖が見えてきた
湖の大きさにちょっと驚いた
猪苗代湖に来たのは3回目なのだが
過去2回は全体を見回すことがなかったのかもしれない
水が思っていたよりきれいだ
湖の向こう側には磐梯山がそびえている
こんな美しい景色に出会えるとは
期待も想像もしていなかったので
感動してしまった
猪苗代市街まで湖を回って20km
一周回ったらどれくらいあるのだろうか
道の駅到着午後2時30分
午後1時には到着するだろうと考えていたのだが
かなり遠回りをしたようだ
道の駅ではじまりの美術館のチラシを探して
美術館の場所を確認
行ってみると思っていたよりだいぶ立派な建物
駐車場を抜けて入口の方に行ってみると
まさかの火曜定休日
ちょっとガクッときたが
湖からの磐梯山の眺めに感動した時点で
こころははとんど満たされていたので
そのまま駅へと向かう
道中は気持ち良く自転車に乗れたし
走ってきた道もよかった
そして道をたずねた人たちも
正しい道を教えてくれはしなかったけれど
楽しい人たちだった
素晴らしいい一日
生きていてよかった
朝から雨
止むのを待って自転車で出かける
このまま天気は回復していくのだろうと思っていたのだが
御亭山を上っていると
また雨が降り出してきた
山頂に着く頃には服がびちょびちょ
どこかでランニングもしていきたかったのだが
全然止まないので家へ帰る
風呂に入って本を読んで昼寝
雨が上がったので買い物と用事を済ませて夕食準備
サンドバックをたたいてから
ランニングに出る
100mダッシュ10本
まだまだ風を切って走れないが
息はもつようになってきた
体力がついてくれば
日々の疲れ具合も変わってくるはず
注文していたライ麦が来てくれるかわからないが
きょうは黒猫が荷物を
運んできてくれるであろう時間に合わせて
いつもより遅い午前7時30分から
パン作りスタート
きょうは店売りができないだろうから
いつもより少し多めに作って明日に備える
午前9時30分黒猫到着
荷物運びを手伝う
午後9時30分
パンが全部焼き上がる
いつもより2時間余計にかかった
14時間ほぼ休みなしで作っていたが
今週は睡眠時間が多めにとれていたからか
ここ最近のようにグッタリになることはなかった
これからパンの袋詰めと洗い物、酵母いじり
何時に眠れるのだろう
きょうには届くだろうと思っていた
ライ麦粉が届かない
きょうの朝の段階で
ライ麦粉の在庫がほとんどなかった
きょうはライ麦の割合が少ないパンだけは
作れたが
明日はどうなる???
夕飯を作っていたら
ライ麦30%の丸パンを窯から取り出すのを忘れる
窯入れまで良い感じに行っていたので
悔しい
きのうは首を寝違える
きょうも痛い
朝起きると一年ぶりくらいに
体の調子がいい
きのうはトレーニングの後に温泉に浸かってから
家で昼寝
いつもなら起きるとトレーニングの疲れが
ある程度抜けているのだが
きのうは疲れが全然抜けていなかったので
夜にもう一度風呂に入って眠った
きょうは東京へ行こうと準備をして
自転車にまたがったのだが
東京の街のガチャガチャ感と人の多さが
思い浮かび
げんなりしてしまったので
行くのをやめて
もう一度布団に入り
二時間後目が覚める
やはり東京に行ってこようということになり
もう一度着替えて出発
東京都渋谷公園通りギャラリー
行ってみたいなと思いながら半年
ようやく行くことができた
東京都現代美術館の分館のようなところだそうで
渋谷のど真ん中にあるのに
知っている人はそう多くないだろう
渋谷PARCOの道路をはさんで向こう側に
建っているのに渋谷の街のガチャガチャさに
埋もれてしまってぜんぜん目立たない
毎日建物の前を通っている人も
ほとんどの人が気が付いていないのではないだろうか
渋谷公園通りギャラリーは
専門的な美術教育を受けていない人たちの
作品を紹介しているところで
なんと無料で観覧することができる
専門的な教育を受けていないのでは
たいしたことがないだろうという偏見があるのか
そういう人たちの作品を展示しても
あまり人は集まらないみたいだ
大きな美術展に行っても
これはすごいという作品に出会えることは
そうあるものではないが
公園通りギャラリーと同じように
専門的な教育を受けていない人たちの作品を
展示している那珂川町にある
もうひとつの美術館なんかに行ってみると
唸ってしまうような作品がいくつも展示されている
公園通りギャラリーでも素晴らしい作品に出会えた
40点くらいのそれ程多くない展示だったが
一時間以上ギャラリーから出られなかった
渋谷に遊びに行くことがあったなら
ふらっと入ってみてください
東京都渋谷公園通りギャラリー
栃木県の那珂川町にあるもうひとつの美術館もおすすめです
なまけもののパン屋から車で20分くらいのところにあります
もうひとつの美術館
練馬区立美術館
野見山暁治 追悼展
野見山作品は今年だったか
昨年だったか
初めて実物を見た
名前だけは知っていたのだけれど
どんな絵を描いているのか知らなかった
ネットの画像や本なんかでも見たことがなかったので
実物とは頭と心が真っ白な状態で向き合うことができた
その分感動も大きかった
追悼展は前期と後期に分かれていて
画家人生の前半の作品は前期
後半の作品は後期となっているようだが
前期の方に何故か遺作が展示されていた
前期の展示の中ではこれがいちばんグッと来た
練馬区立美術館
一年前よりも
だいぶ眠る時間は増やしているはずなのだが
体の方はまだまだ足りないと行ってくる
きょうはまた蔵王温泉に行ってこようかと考えていたのだが
起きられず
それなのできょうの休みは体力作りに充てる
自転車とランニング
いまの自分にはちょっとハードな内容をこなす
やはり体を動かすのはいいね
充実感
体の錆がすこし取れた気がする
きょうは蔵王に行かなくて良かったのかもしれない
トレーニングを終え
喜連川温泉へ向かう
正月までにすこしずつ体力を上げていきたいところだが
最優先は疲れをとること
先週あたりから夏の疲れが
ようやく取れてきた
長かったあ~
お盆が過ぎてから
疲れが出てきて
9月後半には腰を痛めると同時に
風邪もひいてしまい
その中でパンを作っていたので
疲れがさらに上積みされて
ふらふら状態
頭も働かないので
ミスも多くなった
夏の疲れは取れたけれど
長時間の仕事と睡眠不足で
日々疲れる
体力も落ちているからなあ
おそらく産まれ落ちてから
いままでの人生の中で
いちばん体力がない状態だ
トレーニングをすれば
体力はつけられると思うが
トレーニングする時間がなかなか作れない
勘違いで
注文が遅れる
まだ残っていると思っていたライ麦が
もう残り少なくなっていた
やることいっぱいだし
疲れもあって
材料の残り具合なんて調べている余裕がないぜ
来週前半はパンがつくれないかなあ?
朝起きて作業場に行くと
小麦酵母を保管発酵させているケースが空っぽ
昨夜いじり忘れたらしい
仕方がないので
ライ麦酵母のパンだけを作る
からだが限界だったのかもしれない
きょう小麦酵母のパンも作っていたら
作り終えられたかわからない
東京都美術館 『大地に耳をすます』
田中一村展と同じ会場で面白そうな
展覧会をやっていたので行ってみた
自然に深くかかわり制作を続ける5人の
現代作家の作品が展示されている展覧会
最初の展示室にあった川村さんのエッセイが面白かった
写真や狩猟などをやっている人
本でも出していればもっと読んでみたい
いちばんこころを揺さぶられたのは
ミロコマチコの作品
もうひとつの美術館の館長から聞いていたので
名前だけは知っていたのだが
実際に作品を観るのは初めて
会場で流れていたライブペインティングの様子を
映したビデオを観ると
子供が衝動的に紙に絵具を塗りたくっているみたいで
観ていて楽しかった
そのとき描いていた絵も展示されていて
その絵と映像の中で出来上がっていく絵を比べながら
観ていたのだが
本当にこの絵に持っていけるのだろうかと疑問に思ってしまうくらいに
ただめちゃくちゃに絵具を塗りたくっているように見えた
でも最後の最後に絵の中に大きなライオンと大きな鳥が現れたときには
この人すげえと感動してしまった
絵だけではなくて布などを使って作った人形や鳥たちも良かった
会場で流れていた映像
Umimatou_SUN 9 January 2022
お盆過ぎから
夏の疲れが出始めた
いま必要なのは
眠ることだということは
わかっているのだけれど
休みになると
朝早くから遊びに出かけてしまっていたので
疲れが全然抜けてくれない
それなのに
いつもはパンを作らない月曜日に
祝日だからとパンを作ってしまい
疲れを増幅させてしまった
そしてバテバテのまま始まった三連休
朝から腰を痛めてしまった
腰を痛めてのパン作りは本当にきつい
きょうはエネルギーを使い果たした
明日はパンが作れるだろうか
年々パンを作ることがきつくなってきている
いまの種類を毎日作ることは
出来なくなってくるだろう
休みも増やさないと行けなくなるかもしれない
仕方ない
すべては移ろいゆくもの
使用期限の最終日
青春18切符に5個目のハンコを押してもらう
何とか使い切ることができた
夏の旅の締めに選んだ場所は
篠田桃江作品館
ここの存在を知ってから
ずっと行ってみたいと思っていたところ
この作品館に並ぶのは篠田桃江という人物と
彼女の作り出す作品に惚れた館長の松木さんが
高校教諭の給料でコツコツと買い集めた作品
篠田桃江との交流の中から
作り上げられていったコレクションは
他の人のはまねできない極上のものとなっている
午前6時50分西那須野発の電車に乗り込んで出発
磐梯山が見えてくる
ススキがそやそや揺らいでいる
秋の気配が濃くなってくる
大きな川
何という名の川だろう
いつまでも電車と並んで水が運ばれていく
新潟に入る
どこまでも広がっている田んぼは
黄金に輝く海を見ているよう
黒磯・新白河・郡山・会津若松・新津で乗り換え
午後12時40分新潟駅に到着
自転車を組み立てて日差しの下に出ると
強烈な暑さ
今夏の旅は行くところ行くところ暑かった
道路の温度表示板は35度を示している
駅前から延びる大きな道路を進み信濃川を渡る
しばらくくねくねと道を曲がりながら走っていると
魚屋さん(渡辺鮮魚店)があったので
真鯛の刺身、バイ貝の刺身、小鯛の湯引きを買って
近くの公園で食べる
半年ぶりくらいの刺身
しみじみ美味い
篠田桃江作品館到着
予約制だったそうだが入れてもらい
中へ入る
2階建ての素適な空間
松木さんの熱が伝わってくる
はじめに作品の簡単な説明を松木さんが
してくれて
そこから作品との一対一の対話が始まる
桃江さんの作品は
どんな風にも見ることができるので
いつまでも眺めていることができる
書かれている文字は元から自分には読めないけれど
桃江さんの作品は文字を文字として見ない方が
描かれているものの美しさを純粋に感じ取れるのかもしれない
いつまでも眺めていたかったが
予約もなし出来てしまったので
思いを切って切り上げる
ここにはまたいつか来るかもしれない
せっかく新潟に来たので日本海を眺めに行く
テトラポットだらけなので
景色を楽しむということは出来なかったが
水の中に入って火照っている体を冷やすことはできた
魚がちょこちょこと泳いでいた
町をブラブラしながら駅へ向かう
もうちょっとじっくり見て回れば
面白いところがいくつか見つかりそうだ
そんな空気をこの町に感じた
おにぎり屋(にぎり米)があったので
電車の中で食べるのにおにぎりを4つほど購入
午後5時7分の電車に乗り込み栃木へ向かう
在来線だけではきょう中に家にたどり着けないので
郡山から那須塩原までは新幹線に乗り換える
午後10時7分那須塩原駅到着
後はのんびり自転車で家まで帰る
今年の夏はいろいろなところに出かけることができた
日を置きながら仕事の合間に出かけたのだが
なんだか連続した夏休みを過ごしたような不思議な感覚だ
どれも日帰りの旅であったが
満足感はとても高いものになった
どの旅も知らない道を自転車で走りたいがために
出かけたところもあったので
日帰りでも十分に楽しめたというところもあるかもしれないが
自転車がなかったとしても
旅に出るという行為が
ただそれ自体で楽しいものではないかと
今夏の旅では感じることができた
篠田桃江 素適な人なので
この映像是非見てください
そして興味を持ったら
篠田桃江作品館にも行ってみてください
下の名前をクリック
篠田桃紅
今週も黒磯駅発午前5時40分の電車に乗る
6時46分に郡山駅に到着したが
7時6分発の福島行きの電車がやってこない
嫌な予感
22分遅れの8時15分に福島駅に到着
8時8分発の米沢行の電車は待っていてくれることもなく
米沢に向けて出発していた
掲示板を見ると
次の米沢行の電車は12時51分
この路線おっかな過ぎる
1500円を払って在来線とは
乗車時間が11分しか違わない山形新幹線で米沢へ
在来線に乗り換えて蔵王駅到着10時22分
先週に続き今週も山形県
先週電車の中から蔵王のスキー場を眺めていたら
久しぶりに行ってみようかなという気持ちになったのだ
電車を降りた瞬間に蒸し暑さが襲ってくる
気温33度 いつまで暑いんだ山形
蔵王温泉までは10kmちょっと
自転車で坂道を上がっていく
雲が多く風もあるので自転車を走らせていれば
それ程暑さを感じないが
汗はどんどん流れ落ちる
なかなか進んでいかない自転車
人間の持っている力なんてこんなものなんだ
ボタン一つで何でもできてしまい
人間の持っているエネルギー
それを遥かに超えているとてつもない大きなエネルギーを
日々当たり前に使って生きていれば
人間は勘違いしてしまう
様々なことで歯止めが利かなくなってしまう
そして
おそらく
いつか滅びていくのだろう
蔵王中央ロープウェイ到着午前11時40分
蔵王の匂いだ
子供の頃にはよく来ていたのだけれど
何十年かぶりにやってきた
とりあえず温泉街をブラブラする
雪があるときにしか来たことがなかったので
蔵王のようで蔵王でない感じ
大露天風呂の看板があったので
行ってみる
自分が来ていたころはまだなかったと思う
開放感のあるお風呂
そうだそうだこのお湯だ
蔵王のお湯だ
ちょうど山形ビエンナーレをやっていて
蔵王温泉にもいくつか作品が展示されていたので
すこし見て歩いた
雨が降ってきたが濡れながら歩いた
ジンギスカンを食べてから
共同浴場へ
料金大人200円は子供のころから変わっていない
いいお湯だ!
強い酸性の硫黄泉
大露天風呂と変わらないお湯なのだが
自分はなぜだか共同浴場の方が断然好きだ
来る前は3つある共同浴場を全部回ろうと考えていたのだが
湯から上がってもいつまでもポカポカで
からだが冷めないので
ひとつだけで止めた
また雨が降り出しそうなので駅へ向かう
途中で出会った沼(鴫ノ谷沼)が今日の天気と合わさって
神秘的な世界を作り出していた
温泉地の手前にあった気温表示機は
お昼前には28度と表示されていたのだが
午後4時過ぎたところでは
20度まで数字が下がっていた
ほぼ10km下りが続く
ひんやりした空気が温泉で火照った体の中を
通り過ぎていく
蔵王道の駅があったので寄ってみる
たくさんの種類の野菜とフルーツ
素晴らしい温泉があって
美味い食材があって
スキーができる
誰かあるひとにとったら
この町は天国だろう
5時10分
遅れて入ってきた電車に乗って栃木へ向かう
休日一日目
午前4時10分自転車で出発
日が短くなってきた
外はまだ真っ暗
今回はぎりぎりに氏家駅に到着
午前5時21分の電車
宇都宮・大宮・南浦和・西国分寺・高尾と乗り換え
大月駅に午前9時23分に到着
(高尾駅ホームでおにぎり3個購入)
自転車で出発
日差し強い 33度
ほぼ上り
午前11時20分 河口湖到着
結婚式か何かの建物前の自販機で飲料補給
ハーブガーデン無料で入場できますと書かれた看板があったので
少しブラブラ歩いてみる
入り口付近にいたスタッフがしばらくハーブの説明をしてくれた
一周して戻ってくると
うまい具合にカフェの前を通らなければ出口に出られないようになっている
カフェの前には先ほどのスタッフ
どうやら罠にかかってしまったようだ
とりあえず河口湖を一周してみる
富士山は下半分だけ姿を見せている
椅子を作ってもらった吉野さんの住宅兼工房前は
たくさんの観光客
河口湖を挟んで真正面に富士山がドカーンと立っている
写真を撮るベストポイントなのだろう
日陰に入るとだいぶ涼しい
大月付近とはだいぶ気温が違うようだ
車があまり走っていないので
気持ちよく自転車を走らせることができる
昼寝ができそうな場所もちょこちょこあるので
気候が良い時期にはゆったり過ごせそうだ
思っていたほど一周走るのに時間がかからなかったので
お盆休みのこの辺りに
遊びに来ていたひとから聞いた鳴沢氷穴という溶岩洞穴に
行ってみることにした
入口へ通じる階段を降りていくと
穴の中から漏れてくる冷気で
もう相当涼しさを感じてしまう
中は横幅が狭かったり
天井が低かったりするので
しゃがまなければ進めない場所なんかがあり
疲れている体にはちょっとこたえるが
火照っていた体が一気に冷えた
外に出るまでに3回頭をぶつけた
大月までの帰りはほぼ下り
道はガタガタで良くないのでちょっと神経を使う
富士吉田市では火祭りの初日
法被を着た人々が歩いている
見ていきたかったが
火を点火するのは夜になってからとのこと
大月駅まで残り10Kmのところで
久しぶりにすっころんだ
途中で買ったトウモロコシで
前方に取り付けた荷物が重くなり
ハンドルを持っていかれたのか
普通ならバランスを崩すはずのない曲がり方を
したはずなのだが豪快に転んだ
午後4時前に大月駅に到着
電車はうまい具合に乗り継ぎができ
午後10時ころ家に到着
休日2日目
午前4時25分 自転車で出発
黒磯駅には早めについたので
少し付近をぶらつく
青春18きっぷを買ったのだが使えていなかったので
2日連続での電車旅
きのうは寝つきが良くなかったので少し眠い
午前5時40分の電車
今日も乗り換え多し
新白河・郡山・福島・米沢・山形で乗り換え
東北方面は電車の本数が少ないので
電車の待ち時間がだいぶ長くなる
米沢では40分の待ち時間があったので
街をブラブラしようと自転車を準備していると
同じ電車に乗っていた峠駅の近くの温泉宿で
料理を作っているという方が
上杉神社の蓮がすごいと教えてくれたので行ってみた
帰ってくると後
数分で電車の発車時刻
40分という時間はじっと待つには長すぎるけれど
街をブラブラするには短すぎる
山形駅でも60分の待ち時間があったが
ようやく天童駅に到着 午前11時46分
早速自転車で出羽桜美術館へ向かうが
またしても転倒
今回は走っている時ではなく
道を間違えて自転車をUターンさせようとしたときに
つんのめっての転倒
疲れていたのかな
出羽桜美術館で斎藤真一の絵とご対面
彼の素描はいくつか見たことがあったのだが
油絵は見たことがなかったので
ずっと見たいと思っていた
瞽女や遊女、サーカスの絵など20点くらい見ることができた
10KMくらい先に山寺(立石寺)があったので行ってみる
饅頭屋の旦那が
「きょうあたりからだいぶすごしやすくなりましたねえ」と言っていたが
日差しがじりじり皮膚を焼いていく
きのうまではどんなだったんだ
道端にフルーツの無人販売所があったので寄ってみる
無人販売の文字を見かけると
どうしても足が向かってしまう
全品200円
ひとパックが200円ではあまりにも安すぎるから
一個の値段が200円なのだろうと
仕事途中に買いに寄ったのであろう作業服姿の夫婦に
訊ねてみるとひとパックで200円だという
モモ3個で200円 プラム5個で200円 なし2個で200円
ぶどうひと房200円
1000円分買って二つの袋がぎっしり
きのう山梨で桃を1個1000円で買ったのになあ
この無人販売所を知れただけで
うれしくて心がいっぱいになってしまった
今回の旅はここにこれただけで充分に満たされてしまった
山寺に到着
ここは名前だけしか知らなくて
あまり期待もなく来てみたのだが
門をくぐって階段を上り始めたら
ここは良いぞ
すごく良いぞと
一瞬で好きになった
汗だくになったが来てよかった
旅に出るとよく蛇に遭遇する
きょうも寺の石段をよいしょよいしょと
下りている子供のヤマカカシに出会った
山寺駅に着くとすぐに電車が到着
きのう、きょうとでかなり疲れたので
できれば早く帰りたかった
乗り継ぎがうまく運んでくれればいいのだがと祈りながら
電車に乗り込む
午後3時7分山寺出発
米沢まではうまい具合に進めたのだが
米沢から福島に向かう電車が出るのが1時間30分後
さすがにそこまで待てないので
1500円を払って山形新幹線で福島まで出ることに
米沢から福島まで在来線で行っても新幹線で行っても
かかる時間は数分しか変わらないのに
福島駅で30分新白河駅で40分待って
西那須野駅には午後9時ころ到着
きょうはとにかく電車移動が疲れた
待ち疲れ
でもまあ良い休日だった
東京ステーションギャラリーで
「空想案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン」展
ステーションギャラ―は観に行くたびに
何かしらうならされるので
できるだけチェックするようにしている
ジャン=ミッシェル・フォロン
名前も知らなかった人だけれど
今回もだいぶ楽しませてもらえた
夏を感じたくなったので
午前中は外に出て
自転車とランニング
やはり暑かろうが体を動かして
汗を流すのは気持ちがいい
走っているうちに
肉体も脳みそもとろけてきて
地球と一体になってしまったような感覚
体の中のエネルギーを
全部出し尽くしたいという気持ちになってきて
ダッシュなどを取り混ぜながら
黙々と走る
木陰や風の有難さ
水の美味さ
便利で快適な中で生きていれば
絶対に味わえない歓び
こんなささやかなものだけれど
苦しい思いをしているときには
もうこれだけで十分であって
それ以上のものは何もいらないと思えてしまうのだ
幸福を感じてしまうのだ
便利で快適な中で生きていれば
どんなことだって当たり前なことにしか思えなくなってしまう
苦しい思いをしているような
ささやかな歓びも感じることができなく
満たされるということがないので
欲が次から次へと湧いてきてしまうんだ
ダッシュをしたり自転車を一所懸命こがなくたって
自然の中に飛び出せば
もうそれだけで苦しさは伴われてくるものだから
出来る限り
外に出て過ごす時間を作ろうと思う
歳を重ねてくると
移ろいゆくものへと眼が向かってしまう
そんな機会が増えてくる
そんな時は
寂しい気持ちになったり
悲しい気持ちになったりすることが多いけれど
そこに美しさを感じてしまうこともある
枯れていくなかでも
生きていく姿
人間は産まれ落ちた瞬間から
枯れ始まっているのかもしれない
午後1時前に何とかパンが焼き上がったので
無人販売の準備をして
浜田真理子の宇都宮公演に向かった
明日はパン屋の20何周年かの記念日なので
パンを作りたいという思いもあったが
天からの贈り物だと受け取って
コンサートの方を選択した
これからペースを緩めていくことになるだろうから
その手始めにという思いもあったかな
予定通り会場(悠日)までの道のりで
迷子になったが迷子の達人にとってみれば
見つけ出すことは
そう難しいことではない
ここでコンサートがあると知らなければ
あまり中に入りたくないなあと躊躇してしまったであろう
怪しげな扉を開けて中に入る
雑然とした空間
自分の店と似た匂いを感じる
浜田真理子登場
彼女のコンサートに来たのは十数年ぶりか
音楽のコンサート自体かなり久しぶり
Idan Raichelのコンサートが最後だったから十年ぶりくらいか
ピアノが鳴り歌が始まる
ピアノを弾き歌を歌う昔と同じことをやっているし
同じ歌を歌っているけれど
すべては移ろいゆくもの
聞いている自分も
二曲目からサックスのMarinoが入る
真理子とMarinoが良い感じで絡み合い
大谷石で囲まれた空間を
美しく心地の良い空気で
満たしていく
素適なひと時をありがとう
今夜の一曲は
のこされし者のうたー浜田真理子/hamadamariko
もう一曲
流転/浜田真理子/胡池マキコ/Borzoi record
地元にらくりん座という
だいぶ古くからやっている劇団がある
通っていた小学校の体育館にやってきた
らくりん座の公演を観たのが
自分が生のお芝居に触れた最初の体験だった
あの時のワクワク感は忘れることなく
ずっと自分の心に残ることになり
高校を出て東京に出ると
空いている時間にお芝居を観に行くようになった
最初はストレイトプレイ
それからミュージカルも観るようになり
文楽や能楽の伝統芸能とすこしずつ開けてきた
伝統工芸に興味を持ったり
コンサートや美術館に行くようになったのも
その流れだろう
だから
らくりん座にはかなりの影響を受けていたことになる
初めての芝居体験から数十年
いま現在も自分はあのワクワク感を追い求めて
日々生きている気がする
ということは自分はらくりん座によって
生きていく道筋をつけられてしまったのかもしれないなあと
先日ちょくちょくパンを買いに来てくれる女性から
「らくりん座は私のおじいちゃんが作りました」と聞いたときに
これまでのことを思い返してみて
そう思った
子供の頃にどんなものに出会うか
それによって決まってしまう人生というものもあるんだなあと
改めて子供の時期の大切さを思った
午前3時30分起床
急いで無人販売の準備などをして
午前4時5分に自転車で出発
すごい湿気、気温27度
さわやかな朝の空気を期待していたのだが
全然気持ちよくない
午前5時10分氏家駅に到着
久しぶりに青春18きっぷを購入
午前5時21分の一番電車
乗り換えで新宿駅ホームに下りると
まだ午前7時45分だというのに
恐ろしい暑さ
電車を4回乗り換えて
午後12時11分長野県の茅野駅に到着
長野は涼しいだろうと思っていたのだが
強い日差しがガンガン迫ってくる
そうだ諏訪盆地じゃないか
小学校で教わった諏訪盆地という言葉が
パッと頭に浮かんできた
知識だけを頭に植え付けただけでは
何にもならないのだ
実際に自分の体で感じなければ
思っていた以上に長い上り坂
急ではないけれど
暑さで力を奪われる
茅野市尖石縄文考古館に到着
縄文のビーナスと仮面の女神に初対面
ようやく出会えた
実物を目の前にすると
いろいろなことを想像させられてしまう
もちろん想像するだけで何もわからないのだが
縄文の人々は
現代の日本に暮らす人々の中にはなくなっている
ものすごく広くて大きい何かを感じて生きていたのだと思う
外に出るとさらに気温が上がっている
茅野の市街地まではずっと下り
タイヤがどんどん回転してくれる
茅野市から隣の諏訪市へ移動
諏訪湖は想像していたよりもだいぶ小さかった
何人かの人に道を尋ねながら
諏訪大社下社春宮に到着
鳥居をくぐった瞬間に
来てよかったとうれしくなった
素晴らしい空間
御柱を眺めながら
次の御柱祭は絶対に行こうと心に決めた
水の流れる音が聞こえるので
涼みたくなり引き寄せられるように向かってみると
川では何人もの子供たちが水浴びをして遊んでいた
久しぶりに夏休みに子供たちが外で遊ぶ光景を見ることができ
高揚してきたので
自分もしばらく水浴びを楽しんだ
橋を渡ったところに万治の石仏があった
うれしくなってしまう姿
ここにも縄文があった!
下社秋宮もそれ程離れていなさそうなので
行ってみた
ここは池が素敵だった
いつまでもボーっと眺めていられる
下諏訪駅に行ってみると
東京方面へ向かう電車は一時間後の出発だったので
町をブラブラしていると
280円で入れる無人の温泉(矢木温泉)があった
汗を流すだけでもと入ってみたら
思っていた以上にさっぱりとした気分になれたし
疲れもとれたし頭痛も治まった
帰りの電車の中では50代後半くらいの女性が
席に座らずに立ったままずっとヨガをやっているし
向こうの方では60代くらいの女性が
やはり席に座らず立ったまま
カチカチカチカチとずっとけん玉をやっている
これも縄文か?
茅野・諏訪地域侮れないぞ!
帰りはずっと車窓からの風景を楽しんだ
栗や楢の雑木林がそこいら中に散らばっている
深く険しそうな山々が連なった美しい姿
小淵沢の辺りから見えた山は何て名前の山だろう?
いまこの瞬間もあの山を歩いている人がいるのだろうか?
電車に乗り込んでくる部活帰りの日に焼けた高校生たちの
まぶしさを眺めながら
自分もあのまぶしさを取り戻すぞと
静かにこころへと誓う
電車が東京へ入った途端
前を走る電車の不具合で電車が止まる
20分以上止まっていただろうか
西那須野駅までたどり着けるか
かなりギリギリのところだったが
いざというときは自転車があるから
何とかなるだろうと焦ることもなかった
宇都宮到着午後11時
10分の差で最終の黒磯行に間に合わなかった
自転車で帰るつもりでいたのだけれど
10分後の出る新幹線があったので
1720円を払って那須塩原まで帰ることに
新幹線の中で
下諏訪駅近くの総菜屋さん(デリカショップやまだ)で
購入した鶏ごぼうとお結びを食べる
海苔がべったりはられたおばあちゃんのお結びだ
鶏ごぼうもうまい
ホッとする味
諏訪に行くことがあったらまた寄りたいな
午前0時自宅に到着
那珂川町にあるもうひとつの美術館
企画展
「これは 文字? 記号? それとも 暗号?」
7月12日~11月24日
炎天下を蝉の声を聞きながら
田舎道を汗を流し自転車をこいでいると
子供時代の夏休みに戻っている
まったくあのころのままの夏をいまも生きている
廃校になった小学校の木造校舎を使った美術館が
更に自分を子供時代の深みへと押し戻す
今回の企画展は
文字が使われている作品を展示するということを
聞いていたので
いつもよりは地味目の展覧会かもしれないいなあと思いながら
展示室に入ったのだが
まったくそんなことにはなっていなくて
14人がそれぞれ色とりどりの花を咲かせていた
作品を眺めながら
自分の店をひとりひとりの作品でそれぞれ飾っていったら
14通りのまったく違った空間の店が出来上がっていくだろうなと
いろいろとその空間を想像してニヤニヤしていた
やはりこの美術館は楽しい
ここ何年かは毎週のようにどこかの美術館に
足を運んでいたのだが
だんだんと美術館に行く回数が減ってきた
ひとを意識しすぎて作られたものに接するということに
疲れてきたのかもしれない
もうひとつの美術館は
いろいろなものを観尽した人たちが
最後に行きつく美術館なのかもしれない
もうひとつの美術館
うまいだとかへたくそだとか
そんなところをこえたところで
いきていきたい
生かされているんだなあと
いまになって
それを強く感じられるようになってきた
パン屋を始めて
いつの間にかかなりの年月が経ったが
そこのところだけを見てみても
パンを食べてくれる人がいて
小麦やライ麦やドライフルーツなどを
作ってくれる人がいて
いろいろな命を食べることで自分は動き生きている
そして
作物を作ってくれるお日様、空気、雨、
微生物、昆虫や鳥
機械を動かしてくれる電気などなど
掘り下げていけば
あと10万個20万個くらいは思いつくけれど
とにかく多くのものの存在に支えられて
パン屋を続けることが出来ているんだ
パンを離れたところを見てもそれは言えるわけで
それを思えば
満たされていないなんてことは言えない
充分楽しく生きさせてもらった
こころがいっぱいになっていることに気がつくと
欲張ることもなくなって
いまという
その時その時を
焦ることもなく
楽しめるようになってきた
いまという時に
集中できるようになってきた
今年は空梅雨だろうか
梅雨入り宣言がされてからも雨が降らない
代わりに気温が高い日が続いている
きょうは行ったことがないところを走りたかったので
昨日聞いた雄飛の滝を見に行くことにした
午前9時20分出発
行く前に地図を見てみたが
クネクネクネクネ曲がらないとたどり着けないようだ
どこを曲がるかなんて覚えられそうもないので
とりあえず山を目指して走った
何度か来た道を戻ったりしながら
おそらくこの道を進めば
滝付近には着けるだろうという道に出ることができた
緩やかな上りが続いたが
すこしずつ傾斜が出てきた
この方が気合が入るので自転車をこぐのも楽になる
だいぶ坂道を登ったところで
県民の森に行く道と八方ヶ原に行く道に
わかれている場所に出た
これは難しい選択だぞとしばらく迷ったが
出かける前に眺めた地図に
県民の森ってあったなあと思い出し
そっちに行ってみることに
展望台があるところまで上ってみたが
こっちではなさそうだなという勘が働き
もう一度分かれ道に戻って
八方ヶ原方面の道を進む
ここまでずっと杉林が続き
気分が盛り上がってこなかったのだが
広葉樹の森に突然切り替わった
しかも素晴らしく良い山だ
ここは何度も来ることになりそうだ
うれしくなって八方ヶ原のてっぺんまで
走ってきた
お腹がすいたので八方ヶ原山の駅に寄り
チーズを購入
まだお昼前かなと感じていたが
時計を見ると午後1時30分
ここからは下りだ
おしらじの滝の看板があったので行ってみる
この滝の名前は何度か聞いたことがあった
水が岩肌をちょろちょろと滑り落ちているだけだったが
滝壺にはブルーの水が溜まっていた
更に下りが続く
一頭の雌鹿と遭遇
鹿とは本日二度目の遭遇
今日は狸も見たし
山に入っている間
鳥とセミの鳴き声が凄まじかった
自分の暮らす土地とは別世界に入り込んでしまった
雌鹿は近寄っても逃げることなく
草をムシャムシャ食べている
雄飛の滝の看板を見つける
自転車を降りて
スッカン沢に沿った遊歩道を進む
ラムネ色の水が流れていく
滝がいくつかあったが
滝よりも水の美しさにやられてしまった
舐めてみると片栗粉か何かを混ぜたような味がする
塩原の温泉街を抜け家へ向かう
午後5時30分家に到着
もうこんな時刻とちょっと驚き
午前4時10分出発
帰りは電車になるかもしれないので
16インチの折り畳み自転車を選択
馬頭町から国道294号に入って茨城方面へ
県境の山を越えると平坦の道が続くのだが
信号が増えるのでリズムが崩れて疲れてくる
大洗に入ると海が見えてきた
気分が上がる
鉾田市ではそこいらじゅうでメロンが売っていた
食べたくなってきたけれど
丸ごとひとつは食べられそうもないので断念
先週から寝つきが悪い日が続き
出かけるときにも眠気が残っていたのだが
だんだん頭がボーっとしてきた
足も少し疲れてきたので
鹿島灘海浜公園で一休み
売店で買ったトマトを眺めながら海を眺める
海は湘南や熱海、伊豆方面に行くことが多いので
横にどこまでも広がっている海は新鮮だ
午前11時10分鹿島神宮到着
にぎわっているが外国人がまったくいない
利根川を渡って千葉県に入る
香取市役所前の観光案内地図で
香取神宮の場所を探していると
伊能忠敬記念館の文字が眼に入り
ちょっと胸が躍る
これは行ってみたいと向かってみたが定休日
香取神宮着午後1時40分
周辺に古墳らしきものが点々とあった
平面の地図をながめているだけでは全然つかめなかったが
折り畳みの自転車を手に入れたことによって
少しずつ自分の中で日本の地図が形作られてきた
まだ余裕があったので
銚子まで行ってみることに
普段は一日中建物の中に
こもりっぱなしなので
休みの日には出来る限り
外で体を動かして過ごしたい
銚子の市街地に入る手前にある神社に
天保水滸伝と書かれたのぼりが立っていた
おお~笹川繁蔵だ!
きょうは伊能忠敬に続きまさかの出会い
銚子市街地着午後4時10分
どこかで刺身を買って食べようと
売っているところを探したが
見つからず
動き回る気力もあまり残っていないので
午後4時40分の電車で帰ってくる
午後11時自宅に到着
これだけ有難いことが
日々
起きているのに
あと何がいるというのだろうか
良い天気
自転車で出かける
家を出るのが遅かったので
ブラブラしてから
どこかでランニングをして
帰ってくるつもりだったのだが
しばらく走っていると
最近海に行っていないなあという思いが
パッと頭に浮かんできた
それで「
とりあえず海のある方向に
舵を切る
那須町の伊王野へ出てから
福島県の棚倉町に向かう
山越えの道は棚田が広がっていたりで
なかなか良い感じ
棚倉町に着くと
もう午前11時30分
海のあるだろう方角へを目を向けてみると
まだまだ遠そうだ
海に行ってしまえば
暗くなる前に家に帰ることは出来なくなるので
今回は諦めて引き返すことに
帰りの山越えは重いギアでも走り続けられる傾斜
ただただペダルをこぎ続ける
汗がしたたり落ちていく
体から心から
いろいろなものが削ぎ落ちていき
残ったのは幸福感
道を照らし続けてくれるお日様の有難さ
日陰を作って暑さを遮ってくれている木々の有難さ
しっかりと自転車をこぎ続けてくれている身体の有難さ
疲れを忘れさせてくれる美しい風景の有難さ
生きていることのありがたさ
産まれてこれたことの有難さ
幸福とは有難さを感じることなのかもしれない
午後3時前に棚倉町から家に到着
足が軽くなっている
ご飯を作ったり風呂に入ったり昼寝をしたりして
少し休んでから
午後7時30分ころランニングに出かける
良い風が吹いている
どんなに世の中や人間たちが変わっても
この風だけは変わらない
いつでも
僕をやさしく包み込んでくれる
朝飯は毎日買ってきた菓子パンをひとつ食べて
おしまい
そんな生活はちょっと味気ない
自分がシンプルな食事パンばかり作っているのは
食べる人に手を加える余地を残しておくためだ
創造や工夫やひと手間
自分の頭と体を使って生活することが
生きている歓びや充実感に結びついていく
そんなふうに思えるのだ
そのことに気づく人たちが増えて行けば
世界がちょっとは変わっていく気がする
気温が上がってきてから
ライ麦酵母で作るパン作りにだいぶ手間取ったが
土曜日、日曜日とかなり良いパンが出来た
なんでこうするとこうなるのか
頭で考えてもわからないところが
ライ麦パンにはある
試して試して試して試して
この繰り返しで
見つけていくしかないのだ
歳を重ねてきて
物事の見え方が変わってきた
いろいろなことが
どうでもよくなってきた
人にどう見られようと構わなくなってきたし
価値観なんかも変わってきた
欲もだんだん無くなってきた
手に入れたいものが手に入れられなかったり
こうなってほしいと思っていても
それが思い通りにならなかったり
手に入れたいものやこうなって欲しいことというのは
欲望というものが作り出した思いであって
もともと無かったものなのだから
手に入らなかろうが
思い通りにならなかろうが
平気なのだ
そんなふうに考えられるようになってきた
日々生きている中で
当たり前のように過ぎていくこと
それらひとつひとつのことに
有難みを忘れてしまって生きているから
物事を浅くしか見られなくなっているんだ
島田覚夫著 「私は魔境に生きた」を読んでいる
終戦を知らずにニューギニアの山奥で10年間を
生き抜いたひとたちの話
自分が今まで読んだ本のなかでも
10本の指に入る面白さ
豚のスペアリブとジャガイモのスープを作る
最近は午前2時か3時ころに
パンを作り始めることが多いので
早めに寝なければならない
5分か10分でもランニングをする時間を作るために
店番の合間に食事を作るようにしたのだが
あまり長い時間は使えない
短い時間で調理が済ませられるように
今春は新玉ねぎと切り干し大根が大活躍してくれた
このうま味と甘味のぎっしり詰まった二つの偉大な食材を
使い食べながら
こんなパンを作れたらなあと思うのである
このところ月曜日か火曜日か
両日か又はどちらかは必ず雨が降る
なかなか自転車で遠出が出来なかったが
久々に出かけられた
喜連川町、高根沢町を抜けて益子へ向かい
陶芸美術館で勝城碧鳳氏の竹芸作品を観る
やはりこの人の作品は良いんだよなあ
自分というものは
瞬間瞬間に変わっていく
一秒前の自分は
もういまの自分ではない
どんな失敗をしようが
次の瞬間には
別の自分になっているんだ
思いも考えも
次の瞬間には
別のものになっている
自分というものは
実体のないもののように
ぶらぶらと生きている
大人が子供の成長を
邪魔してしまっていることは
けっこう多くあると思う
子供が失敗する機会を
奪ってしまったり
危険なことから
遠ざけてしまったり
この子にはできないだろうと
やる前から決め付けてしまって
やらせなかったり
ずっと外に出なかったら
好奇心欠乏症で
魂が腐っていっただろう
胸躍らせながら
生きていなければ
好奇心なんて
湧き上がってこない
最近よく美術館に行っている
息抜きの場をいくつか持っていて
助かった
そういう場がなかったら
この世の中
生きていくのはきつかったと思う
山だったり
川だったり
劇場だったり
ジムだったり
そういう場を見つけることができる土壌を
作ってやることは
何よりも大切だと思う
学校と塾だけの生活だとか
狭い世界しか知らないでいれば
いつかパンクしてしまうだろう
暑さがやわらいだ頃から
パンを作っている最中は
いい感じで行っているぞという感覚は
ないのだけれど
食べてみると
ものすごく美味いということが
続いている
ちょっとモヤモヤしているが
おそらく自分が思っているベストな生地の状態と
美味いパンになるための実際のベストな生地の状態に
開きがあるのだと思う
きょうは天気が崩れそうなので
美術館に行ってきた
生誕120年記念 篁牛人展~昭和水墨画壇の鬼才~ | 大倉集古館
根津美術館でチラシを見たときの印象は
「へんてこりんな絵だな」といったものだったのだが
このひとの絵は実物を見てみないと
絶対にわからない
墨をつけてから乾かした筆で
擦り付けるように麻紙に描いかれた黒
ささくれ立った紙が絵を活き活きと輝かせている
カラスやカタツムリが良い味を出している
色使いも良かった
初期に描かれた絵に
ぐっと迫ってくる作品が多かった
12月12日 日曜日
NHK Eテレ 午後8時~
日曜美術館で牛人展の紹介されるそうです
長野県立美術館の 『唐招提寺障壁画展』へ
東山魁夷の絵は
まだ一度も見たことがなかったので
どんなものなんだろうと観に行ってみた
人気がある方のようで 結構な数のひとが入っていた
かなり異質な絵
これまで美術館で観る機会がなかったのは
他の人の絵を東山の絵の隣には
並べにくいかったからなのかもしれない
近くにある水野美術館にも寄ってみようかと
考えていたのだが
東山の絵に浸った後では
他の人の絵は入ってこなかっただろう
東山の絵は少し離れたところから
ひとりでボーッと眺めていたい絵であった
実際にそうしたのだが
ずっと眺めていると
このひとは空気を 描こうとしていたのかなという思いにいたった
東山は この風景に自分の孤独を見ていたのだなあ
障壁画だけではなく 白馬シリーズや山水図も
展示してあったので
かなりまとまった数の絵を見ることが出来た
こころが躍りだすと
好奇心もムズムズと目を覚ます
行きたいところが いっぱい出て来てしまったぞ
何をやるにしても 自信なんてないけれど
うまくいかなくてもいいやと
思いを気って やっている
午前中 少し気温が上がるのを待って ランニング
きょうはからだが重いけれど
少し長めの距離のダッシュを何本か入れる
なかなか前に進まないしキツイ
からだがバラバラに分解してしまいそう
守りに入ってしまいそうな心に
いつものように「ぶっ壊せ! ぶっ壊せ!」と
発破をかける
そのときそのときの
思いつきで生きている
計画を立てるのは苦手だし
好きでもない
目標達成とかいうのも
苦手だし その前に
そういう考えにいたらない
それでいいと思っている
それが自分には合っているし
楽しく生きられる
あそこに行こうと突然思いつき
出かけてしまうから 準備なんてできないし
前情報もほとんどないで出かけることになる
地図らしきものもパッと見ただけで 出かけてしまうので
そう簡単にはたどり着けない
山に行っても 山の中に入っただけで
すぐに満たされてしまうので
頂にはほとんど関心がない
東京に住んでいたときは
よく芝居やミュージカルを観にいっていた
何か面白そうなものがやっていたら久しぶりに
観にいってみようかなあと
ちょこちょこっと探していたら
「ウォーーー」と
こころを動かすものが出て来てしまった
シアタークリエ ミュージカル『リトルプリンス』 - 演劇|東宝 ..
よく観にいっていた音楽座という劇団の
音楽座ミュージカル
看板女優だった土居裕子が
音楽座のミュージカル「リトルプリンス」を
二十数年振りに演じるというもの
速攻でチケットを買いに行ったけれど
東京公演(Wキャスト 土居)は売り切れ
愛知公演の抽選に申し込んでしまった
20数年が過ぎて
いまの彼女がどんな王子を演じるのか
見てみたい
怖さに向かって
エイ、ヤァーと跳び込んでいく瞬間が好きだ
怖さの先には
自分がこころから望んでいることがある
跳んだ瞬間
そこには幸福しかない
その一瞬の幸福感を得られたのなら
その先
うまくいこうが
いかなかろうが
こころは満たされる
昔は飛ぶことが
なかなか出来なかった
でも
いまなら跳ぶ方法を知っている
ただ跳べばよかったんだ
その場でぴょんと跳び上がるように
跳べるのは
跳ぼうと思ったからだ
そう思わなければ絶対に跳べやしない
跳ぼうと思ってぴょんと跳んでみる
それだけのことだったんだ
これまでの
やれなかったでの後悔の数々
これから
その後悔が吹っ飛んでいってしまうくらい
やりたいと思ったことを次々とやっていこうと思う
忘れてしまいがちだけれど
死へのカウントダウンは始まっている
もしかしたら
もう秒読み段階に入っているかもしれない
今度だとか
もう少し経ってからだとか
もうそんな考えは
いらない
いまだ
いまやる
とにかく今日を
この今を
楽しんで生きること
それだけだ
効果だとか結果だとか
うまくいくかどうかだとか
そんなものは
もう頭にないなあ
いま
それをやっているということがすべて
走れているという喜び ありがたさ
ひとと会えているという喜び ありがたさ
パンを作れているという喜び ありがたさ
生きているという喜び
それを忘れないでいること
その喜びを感じながら生きること
それでも生きる
それでも作る
それでもやる
どんな状況であれ
どんな状態であれ
自分が本当に望んでいるものであれば
覚悟は出来る
気温が下がってきて
パンが美味しくなってきているなら
夏もどうにかすれば
もう少しうまいパンが作れるかもしれない
エアコンも冷蔵庫も製氷機も
低温で発酵させる機械もないけれど
そこはこれまでの失敗の数々で得た
引き出しで勝負だ
ものづくりは
機械の性能に頼るより
自分の知恵や勘や感覚を使って
つくる方が面白いのだ
気温が下がってきて
パンが美味しさを増してきた
特にライ麦の割合が少ないパンは
変化が大きく
旨味がぎっしり詰まっている
ライ麦の割合が多いパンも
いい味を出している
空洞のパンを食べてみたら
薄いのに
ものすごいモチモチ感
そして旨味と甘みと酸味が
バランスよく混ざり合っている
本日の夕飯
オリーブオイルでニンニク、鷹の爪、ヒラタケ、カブ、
青菜、鯖の水煮、生姜、きざみ昆布、ライ麦95%を炒める
味付け 味噌、、酒、酢
いろいろな人の話を聞いていて
子供の頃の体験というものは
からだに染み込みやすく
大人になってからも
その人に
なんらかの影響が与え続けるということが
わかった
山で遊んだり
釣りをしたり
キャンプをしたり
美術館へ行ったり
芝居を観たり
自家製の野菜を使った料理を毎日食べていたり
いろんな土地を体験したり
きょうは美術館
まずは根津美術館
円山応挙の保津川屏風
鈴木其一の夏秋渓流図屏風
保津川屏風が実物を見ると
すごくよかった絵なのに立体的に見えてしまう
屏風の面白さ
庭に出ると心地のよい風が吹いていて
素敵な空間で素敵な時を過ごせた
京王線に乗って
府中市美術館『動物の絵』展へ
乗る電車を間違えたり乗り過ごしたりで
青山から府中まで
距離以上に遠かった
あまり期待していなかったのだが
面白い絵がいっぱいあった
どんな絵があるのか
知らないでいったので
北斎の「河豚と大根」や「鷲図」
蕭白の「遊鯉図」に出くわしたときはこころが躍った
犬や猫などの絵がいっぱい
動物好きなら
なかなか美術館から出て来られないかもしれない
初めての美術館体験は
こういう展覧会もいいかもしれない
こんな美術館が住んでいるところにあったらいいなあ
おすすめです
朝6時出発
川霧がモワモワと立ち上り
太陽の七変化
幻想的な光景を眺めながら
自転車をこぐ
道路わきに立っている気温表示盤を見ると0度
昨年は風通し抜群高級軍手で出てきてしまって
痛い目にあったが
今回は防寒用の手袋と耳あて帽で万全
8時過ぎに袋田の滝に到着
少し滝を眺めてから山へ
このところ暖かかったせいか
もみじ以外の木は色づきがよくない
もみじも紅葉している木と
まったくしていない木が半分半分
もみじ谷を下って主(巨大もみじ)の元へ
まだまだ元気そうだ
観音堂の鐘を叩いて山を下りる
空気が美味しかった
だいご小学校で欅の巨木に挨拶をして帰宅
袋田の滝を眺めながら
こんな絵を見たことがあるなあと思いをめぐらしていた
下野黒髪山きりふりの滝 - アダチ版画研究所
袋田の滝編(大子町)平成27年1月9日放送 - 茨城県
体が動くようになってきた
ランニングもだいぶ楽になってきて
距離も走れるようになってきたし
呼吸も楽だ
昨年も11月になって
突然からだが動くようになった
運動量が少ないので
まだ昨年程には動けないが
徐々に上げていけると思う
今年の一月がピークだったのだが
その後トレーニング時間が取れなくなってきて
一気に落ちた
ある程度強めのトレーニングを
継続してこなしていれば
歳をとっても
からだはけっこう動いてくれるのではないかと思う
一度落ちてしまうと
強いトレーニングがきつくて
なかなか出来なくなってしまう
そうなれば落ちる一方
歳をとったから体力が落ちた訳ではなくて
トレーニング量が落ちたから
体力が落ちてしまうのだ
(歳をとれば徐々に体力は落ちていくとは思うが
一気に落ちるのはトレーニング量が大きな原因だと思う)
数週間前に京都にいったとき
平焼きのレーズンのパンを持っていった
ゴルゴンゾーラをつけてパクリ
飛び切りうまかった
奇跡の味だ
20年間平焼きレーズンの生地の硬さを
決めかねていたのだけれど
ようやく決まった
ずっと出かけないでいると
出かけるのが億劫になってくるのだけれど
思い切ってエイヤァーと出かけてみると
またすぐに出かけたくなる
その場所に留まって暮らすことで
良いこともあったのだろうけれど
今現在の大きな問題のほとんどすべてのことは
その場所に留まって暮らすことによって
起こってきたこと
その場所に留まって暮らすことを決めた時点で
滅びゆくことも決まっていたのかもしれない
あとは
そのときが来るのを
どれだけ延ばすことができるかなのだろう
ずっと、そこに留まっていることで
いろいろな問題が生じてくる
その問題を解決するには
ものすごい労力がいったり
困難なことがあったり
環境破壊やゴミの問題
争いごとややっかみ などなど
これだけ人口が増えてしまえば
解決不可能なことだって出てくるだろう
もう逃げ場だってないだろうし
土曜日に焼いて売れ残っていた
ライ麦15%のパンと小麦のパンを
焼いて食べてみたら
うれしくなっちゃうくらい美味しかった
もったいないので
買いに来てくれた人たちの袋に
おまけで入れておいた
気温が下がってきて
ライ麦比率の低いパンが美味しさを増してきた
ここ最近ライ麦30%の丸パンがとても美味しく感じて
よく食べている
昔は焼かないほうが美味しいかなあと思っていたのだが
焼いて食べても美味しいことがわかった
ゴルゴンゾーラをはさむだけでも極上の食べ物に大変身
今年はとにかく疲れた
定休日以外の毎日パンを焼くようになったことで
睡眠時間が減たのと
軟らかすぎて体に合わない敷布団を使っていたため
朝起きても疲れが取れない日が続き
毎日フラフラ
パンを作るだけで
いっぱいいっぱいのところに
閉店後にパンをビニールに入れる作業
昼間の無人販売の準備
合わない敷布団を止めたので
体の疲れ具合は
だいぶ違ってきたのだけれど
今年は天候の悪い日が多かったりで
出かけることがほとんどできなく
新しい空気を取り込むことができずに
こころの方の疲れがどんどん蓄積されていって
体を動かすことが億くうになってきて
休みの日は横になってばかり
これは良くないなあと思っていたところに
好きな絵師の展覧会があったので
思いきって
エイ、ヤァーと跳んだ
そこから萎んでいたこころに
栄養が流れ始め
三週連続で美術館
力が湧いてきた
生き返った~
もう一度
愛知県美術館「曽我蕭白展」へ
古い時代の日本の絵画が好きなのだが
そのなかでも曽我蕭白は
いちばん好きな絵師
もう見納めになる可能性もあるので
後悔しないように行ってきた
前回は冷房が効きすぎた館内
寒さで集中力を欠いたので
今回はしっかりと着込んで臨んだ
入り口を通るといちばん最初に目に
飛び込んでくるのは
いきなりの「群仙図屏風」
この絵を一番目に持ってくるなんて
うれしくなってしまう
曾我蕭白《群仙図屏風》狂気なる自我 「狩野博幸」 - アート ...
この絵が蕭白のいちばんの代表作といっても
いいのではないだろうか
どうしよもなくらいに
どぎつい絵なのだが誰もが見入っていた
そこからも次々すごい絵が並ぶ
広い美術館なので大きな襖絵や屏風がいくらでも
収まってしまう
今回は一通り絵をじっくり観てから
好きな絵をさらにじっくりと眺めた
この美術館は下から照明を当ててくれているので
絵の美しさが映える
曾我蕭白「富士三保松原図屏風」 | 青い日記帳
三重県立美術館 曾我蕭白 《竹林七賢図》 1764年頃 解説
林和靖図屏風 - SOGA Shohaku — Google Arts & Culture
夕方になると観覧者がグンと減って
少し離れたところからでも
人に邪魔されることなく絵を眺めることができる
とにかくでかい絵ばかりなので
距離をとらないと全体が目に入らない
夕方5時を過ぎると一つの展示室に
ほぼ自分と監視員の二人だけ
このときを待っていました
いちばん好きな林和靖図屏風と一時間
一対一で向かい合った
屏風絵や襖絵の不思議さは
リアルな風景ではないのに
ずっと眺めていると
その絵の中に入っていけることだ
今回は
「ああ、もっとあそこをよく観ておくんだった」という思いが
残らないくらいに曽我蕭白の世界に浸りこめたと思う
やはり行ってよかった
きのうは持って行ったチーズとパンそれから
錦市場商店街で買った白子や鱧と
うなぎの肝くらいしか食べずに
雨の中
一日中
京都を歩き回り
きょうはヨーグルトとバナナ1本で
8時間
美術館で絵と向きあった
美術館を出ると足はフラフラ
お腹はペコペコ
電車の乗り換え時に東京駅近くの
インド料理屋に駆け込んで温かい料理を
腹に収め
今回の旅は終了
泊まり旅行は3年ぶりくらいだったろうか
開放感が違うね
今週も美術館を回る
トーハクの総合文化展に向かうはずだったのだが
ゴッホ展の当日券が出ていたので
変更
期待していた以上に楽しめた
トーハクはいくら時間があっても足りない
唐津の大鉢が良かった
ステーションギャラリーで「小早川秋聲展」
あまり期待していなかったのだが
こっちもなかなか楽しめた
龍子記念館は好きでよく行く場所
いつもお客さんは一人か二人しかいないのだが
きょうは賑わっていた
いちばん好きな作品
「爆弾散花」が出ていた
【ズバリ解説】川端龍子《爆弾散華》1945年制作【大田区立 ...
疲れが出てきた
先週は大子町まで自転車で行き
山を歩いてきたのだが
終始
体のだるさが取れず
次の日もだるさは抜けず寝て過ごした
今年は仕事をしすぎた
魚を食べたくなってきたので
朝早くからエイヤアと布団を飛び出し駅へと向かう
半年近く離れていると
電車での長旅や人込みが億劫になってくる
家にいれば心地はいいけれど
この町に閉じこもっていれば
魂が腐っていく
昼飯は真鶴駅前の二藤商店で
鯛の塩焼きとアジの押し寿司を購入
熱海の高台にある梅園で食べる
MOA美術館で琳派展をやっていたので
行ってみる
俵屋宗達の犬を見て泣きそうになる
「この犬は俺だ」
がんばれよ!楽しく生きろよ!と声をかけて
美術館を出る
夕飯は村越魚店で
カマス、イナダ、カンパチの刺身を購入
ここから名古屋方面に向かうつもりだったのだが
無人販売にしてきた大量のパンを
そのままにしておく訳にはいかないので
いったん家に戻る
休日二日目
名古屋に向かう
愛知県美術館で
「曽我蕭白展」
午前10時に入って午後4時20分まで
大好きな蕭白の絵を堪能した
学校に行くと
排除されないようにと
いじめにあわないようにと
自分を装ったり ひとに合わせたり
ひとと同じように振舞いながら
大人に言われたとおりに ただ勉強や生活をこなす毎日
一つだけしかない正解を求めながら 敷かれている線路の上を
訳もわからず
みんなが歩いているからと いっしょになって歩いていく
そこには自分というものがまったくない
でもなんだか安心だ
楽しくはないけれど
そんな中で生きているから
いつのまにか自分というものが無くなっていき
自分が何をしたいのか どうしたいのか
こころに浮かばなくなっていく
たとえ やりたいことがあったとしても
それをやってもいいことだとは思うことができない
線路の上にあるものではないからね
会社に入ると
悪く言われたり
仲間外れにされないようにと
怒られたり
間違えを起こさないようにと
自分を抑えたり
自分を装ったり
人に合わせたり
人と同じように振舞いながら
無難に仕事をこなしていく毎日
輝きを失った私は
小中学校で訓練したように
みんなに合わせて 左 右 左
良い子ちゃんがいくよ
一つの閉じられた空間で
誰もが
排除されないように
いじめられないように
悪く言われないようにと
自分を抑えたり
自分を装ったり
人に合わせたり
人と同じように振舞いながら
毎日
楽しくもなく
びくびくと我慢とストレスのなか生きている
でもどんなにみんなが自分を抑えて
人と同じように振舞っていても
悪く言われるひとは出てくるし
排除される人は出てくるし
いじめられる人も出てくるのだ
びくびくと我慢とストレスが引き起こす悪循環
もしかしたら
みんなが人の目なんて気にすることをやめて
自分を装うことなく
ひとりひとりが自分のままを生き出したら
誰もがひとりひとりの違いを認め合って生きられるようになり
排除もいじめも少なくなっていき生きていて楽しい社会に
少しずつなっていきやしないか
人と同じようでないとダメだと思っているから
違いをなかなか認められない
どんなに同じように振舞おうとしても
違いは必ず出てくる
みんなひとりひとりが違うものなのに
どうやったって合わせることができないものなのに
それでも無理やり合わせようとするから
息苦しく陰湿な世界になっていくんだ
敷かれたレールの外に飛び出せば
見回す限り何もない世界が広がっていて
道なんてどこにもないけれど
自分が歩けば道ができる
どこにだって道ができる
朝起きて朝飯を食うまでは
美術館に行くつもりだったのだが
人込みがわずらわしく感じてきて
方向転換
自転車にのってブラブラと北の方へ
惹かれる道があれば
入っていって
城跡や巨木を見つければ自転車を降りて
見に行ったり
目的もないし
効率的でもないし
生産性もないのだけれど
自然の流れや
生き物たちのエネルギーを感じているうちに
幸福感に包まれてきた
地球との一体感なのだろうか
とても心地がいい
家に戻って一休みしてから
ランニング
蕎麦の花があまりにも美しいから
なにもかもが頭の中から吹き飛んだ
犬の臭いかぎの様に
蕎麦畑の周りを
いつまでもぐるぐる走り回った
家に戻る段には力がほとんど残っていなかった
それなのに家にたどり着いて
少し休んだらサンドバックを叩いていた
力を絞りきったら
からだの錆だけではなく
こころの錆も
いっしょに落ちていってくれたよう
次の日に起きると
からだもこころも軽くなっていて
気分もすっきり
いま それをやれているということ
それはとてもすごいことであって
すごい頑張り
もうそれが全てじゃないか
もっとできるだろう
それが出来たなら
次はこれを頑張れ
もう
いっぱいいっぱいに頑張っている
満足もしている
なぜ ひとはひとに対して
それ以上のことを求めるのか?
ひとはひとりでは生きていくことはできない
だから
自立して生きるということは
幾多の人たちに
支えられながら歩いていくということであって
けして
自分ひとりの足だけで
立ち
やっていくということではないのだ
大人だからやって当たり前
母親だから出来て当たり前
みんながんばってやっているのだから
あなたにだって出来ないはずはないじゃないの
やらないのは怠けているだけだ
出来ないのは努力が足りないからだ
やれないのは意志が弱いからだ
自分が出来るからといって
誰もが同じように物事がこなせるものだという考えは
人を苦しめる
行かないのではなくて
行けないんだ
やらないのではなくて
やれないんだ
自分はこの世界にただ立っているというだけでも
足がすくんでしまうような人間だ
ひとともうまくやっていけないことが多い
そんな自分がパン屋をやっている
他のことは何もできなくても
自分としては
それだけでよしだ
よくやっていると思う
誰が何を言おうと
そう思う
生きていればいろいろな厄介ごとが
起こってくるが
そんな中で
長く生き延びることができるのは
逃げることができる人なのではないだろうか
思えば自分も多くのことから逃げてきた
逃げることができたから
いまこうして生きていられるし
こころも
まあ何とかなっている
逃げることができたから
楽しい生き方を見つけることができた
ものごとには
立ち向かっていった方が良いときもあるけれど
逃げた方が良いときだってあるのだから
そういう選択を認める社会だったらいいのに
逃げずに歯を食いしばって我慢することが
美徳とされてきた社会では
逃げれば軽視される
ダメな人間とされてしまう
そんな空気があるので
逃げたくても逃げられないというひとは
いっぱいいる
閉じられた世界の中で窮屈な思い
我慢して生きていれば
いつかこころはズタズタになってしまうだろう
学校や会社のなかで
なんでもないように生活している人たちの中にも
こころを病んで苦しみで潰れかけている人もいるはずだ
幸せそうに見えても本当に幸せを感じているのかはわからない
大丈夫と言っていても本当に大丈夫なのかはわからない
そういう人たちを頑張って行ってこいと追い立てて
行ってくれたら
行ってくれたとホッとする
ちょい ちょい待てよ!
危険だぞ!
閉じられた世界の外には
広い広い世界がある
どんな生き方だってできるし
やってもいいんだ
嫌なことを我慢してこころがズタズタに
引き裂かれ潰れてしまうくらいなら
学校なんて行かなくてもいいんだ
そこまでして学校に行ったとしても
おそらく明るい未来なんて待っていない
道はひとつだけではないのだから
いろんな道を歩いてみればいいのではないだろうか
そこに喜びがあるなら
学校にこだわる必要なんてないだろう
そこが居場所
生きていく場所
いろんな生き方があっていい
こっちが良いひとはこっちをやればいい
あっちが良いひとはあっちをやればいい
いろいろな選択ができる社会
いまでもそうなのか
学校ではみんなが同じようにすることを
強要される
生徒の意思なんて入れられる余地がない
そんなんだから
子供達は自分がどうしたいのか
もうわからない
自分で考え判断し動くということができなくなっていき
卒業する頃にはロボット一丁上がり!だ
多様性多様性と叫ばれているけれど
どうやって
ここから多様性の社会へと持って行くのだろう
高校へ行って
大学へ行って
どこかの会社に入って
それだけが道ではない
もっともっと多くの道が
この世界にはあって
どの道を行こうと自由なんだ
高校に行きたいひとは行けばいいし
そうしたくない人は別の選択をすればいいのだけれども
別の道があることを知っている子が
いまはほとんどいないのではないだろうか
いろんな道が見えるようになればいいのに
そういう機会を作るのが大人の仕事なのかなあ
価値感を押し付けることが
大人の仕事ではないのだ
人が社会にあわせなければならないのではなくて
社会がひとにあわせなければならないんだ
昔から変わらない制度
昔から変わらない仕組み
昔から変わらない価値感
昔から変わらない風習
学校も会社も役所も政府も
人にあわせて変わっていかなければならないんだ
いま
みんなが疲れているように感じる
きゅうくつ過ぎるこの国の社会生活
ちょっと変だちょっと変だと思いながらも
社会に合わせなくてはと
ほとんどの人たちが
自分のこころを
誤魔化したり
無視したりして生きている
あるいは
そういうものなのだろう
そういうものなんだという思い込みに支配されて
この社会を生きているうちに
こころがボロボロになってしまった人たち
学校や会社、社会の制度、その他もろもろに
疲れはてた方は是非
「もうひとつの美術館」に行ってみてください
社会に合わせなければという考えや
既成概念を吹っ飛ばしてもらえます
近くに住んでいるのに行ったことがないなんて
もったいない
これだけ面白い場所はそうないと思うのだけどなあ
自分自身をなかなか生きることが出来ない、この社会で
あなたはあなたのままでいいんだよということを
教えてくれる貴重な場所
いまの日本社会に
いちばん必要な場所ではないだろうか
特に今回の企画展「ありのままがあるところ」は
ものすごいエネルギー
いろんなことを突きつけてきます
本日の映像は
世界が注目するアート集団
知的障害者支援施設
『しょうぶ学園』を紹介する番組です
一滴の向こう側『しょうぶ学園』 - YouTube
きょうはからだが軽いのでダッシュを繰り返した
もうダメだ
これ以上続けると
体がバラバラになってしまうんじゃないか
そんな思いを押し殺して
へロヘロになっても
走り続けてみた
終わってみれば
ピンピンした体と充実感
人間はなまじ思考なんてものがあるから
命を喜ばせ輝かせて生きることが
出来ないのではないだろうか
無駄か無駄じゃないかだとか
得か得じゃないかだとか
無理か無理じゃないかだとか
うまいからだとか下手だからだとか
そんなものなどを超えたところで
生きてみれば生命力はどんどん
増していくのではないだろうか
きょうは午前中から
ランニング
金木犀の香りにエネルギーをもらい
木陰の涼しさにホッとして
太陽の熱に負けるもんか~とダッシュして
自然は絶対に不自然には動かない
だから自然と対峙したときに
自然に逆らって動けば
必ず跳ね返させられる
これだけ不自然に生きていれば
これからも様々なウイルスが次々と近寄ってくるだろう
しかし
それに対抗できる免疫力は
やはり不自然な生き方によって
落ちている
自然からあまりにも遠のいてしまった人間
でも人間そのものは
いまでも自然そのものであって
人間の思考が
人間に不自然な行動を取らせているだけなのだ
だから
人間は不自然な生き方に耐えられない
からだもこころも衰弱していく
もっともっとの生き物である人間は
いつかは滅びることになるのだろうが
少しでも滅びるのを遅らせようとするならば
不自然な生き方を
自然な生き方に戻していくことしか
ないのだろう
表面だけきれいに整えられたもの
そういもので いまの世の中はいっぱいだ
そういうものって何の力も持っていない
だから
それを受け取る人に
受け取る力がなくても
受け取ることが出来る
多くの人がそういうものに
集まるというのは
そんな理由があるからなのではないだろうか
美しいさというものは
内側から湧いてきているもの
それなので
美しいものは
ものすごく大きなエネルギーを持っている
だから
それを受け止めるには
それなりのエネルギーが必要になってくる
しかし
いま現在そういう力を持ったひとが
育つ環境はほとんど失われている
自分が生まれ育った町もやはり
そんな状態だ
ひとが育つ土壌がない
絶望的な状態といってもいいと思う
でも 少数だが
土壌を作って 種を蒔いている人たちはいる
その種がわずかでも
その種を拾った人の中で芽生えたなら
その人がいつか花を咲かせて
種を蒔いてくれるだろう
200年後300年後
いや500年後1000年後には
もしかしたら
この町にも美しいものがあふれているなんてことが
あるかもしれないね
美しい山が削られ
ゴルフ場やリゾートホテルなどが建てられたりという現象も
町がチェーン店ばかりになってしまうという現象も
美しいものを受け止める力を
持った人がいなくなってしまったということの
現われなのではないだろうか
死ぬまで生きたというだけで
人生は成功なのではないだろうか
いや この世に生を受けた時点で
すでに人生は成功なんだ
そういうものだという思い込み
そういうものでひとは
がんじがらめ
そうしなければならない
そんなものなんて
そんなにあるものではないのに
勝手にそう思い込んで自由を失って
苦しんでいる
店に入って
店の人が挨拶しないといって
店の人に食いかかっていくのは筋違い
店の人は挨拶するものだと
勝手に思い込んでいるだけなのだ
思い込みというものは
使い方によって
良く働くときもあるし
悪く働くこともある
でも
もしかしたら
思い込みなんてものをなくしてしまった方が
生命を輝かせて
生きることが出来るのかもしれない
安心安全だという思い込んでしまうほど
危険なことはないのではないのだろうか
保険に入ったから安全安心だ
大きな堤防が出来たから安心安全だ
国が安心安全だといっているから安心安全だ
有機栽培と表示されているから安心安全だ
ようやくの秋晴れ
久しぶりに自転車を引っ張り出して
僕はプカプカと空を見上げながら
稲穂の海の上をただ漂う
もう間もなくで潮が引く
そうすれば
ここは
あっという間に冬枯れの風景
かすかに残る潮の香りが
こころに沁みて
泣きたくなるのだ
小学校の夏休み前日に配られた
夏休みの心得というプリント
そこには毎年
悪い友達とは遊ばないようにしましょうと書いてあった
プリントに書かれていることは
誰か生徒が読み上げさせられるのだが
その文を目にする度に
何だか違和感
モヤモヤするものがあった
いまになって気づいた
そうか
これって
いじめじゃん!
知らず知らずのうちに
自分たちはひとを排除するということを
うえつけられていたのかな
従順じゃない人間しか
やっていけないのが
学校という世界なのかもしれない
いつだって人生はここからだ
歳をとっていようがいなかろうが
男だろうが女だろうが
うまかろうがそうでなかろうが
金があろうがなかろうが
誰だってぶつかっていけばいいんだ
一歩足を踏み出して
飛び込んだとき
エネルギーは湧き上がってくる
小学校の夏休み前日に
夏休みの心得なるプリントが配られた
そこには毎年必ず
「悪い友達とは遊ばないようにしましょう」と書かれてあった
その文に出会うたびに
ここに書かれている悪い友達ってどんな人だろう?
そんな排除しちゃっていいの?
排除された人はさびしいじゃん
学校ってそんなところなんだ
ということが
頭の中をくるくるくるくる
いまでは関係者以外立ち入り禁止の看板
受け入れてもらえずに孤立した人のこころは・・・・
排除された人はどこに行けばいいの・・・・・
寄り添ってくれる人がいたら防げた犯罪や自殺は
少なくないはず
地域おこしだ!となると
人を呼び込め~みたいなことになっちゃうけれど
それよりも
そこに暮らす人たちが
素敵な所だと思えるような町にすることが
本当の地域おこしなのではと
自分は
思っちゃうんだなあ
そのひとがそのひとのまま
そのひととして生きられる町
そんなふうに生きられるチャンスがあって
チャレンジできる町
どんなひとでも排除されることなく
寄り添ってもらえる町
人が育つ土壌がある町
美しいものが残る町
そんな町にすることは難しいかもしれないが
そんな店になら出来るかな
個人を守るために作った組織も
いつか組織を維持するために
個人を切り捨てるようになる
人の幸福よりも
生産性を上げることを優先させる
じゃあ生産性を上げたその先に
何があるというのだろう
生産性を上げることは
目的ではなく
人を幸福にさせるための手段であったはず
でも
そもそも生産性を上げることで
人が幸福になれるという考えが
間違っていたのかもしれない
結果は自分にとって
それ程重要なことではなく
いまそれを
やれているということが全て
よく成功の~
成功者の~とかいう本が
出ているけれども
成功って何だろう
何をもって成功というのだろう
自分にとって
店にお客さんがいっぱい来てくれるようになっただとか
お金がいっぱい入ってきただとかは
成功とは違うんだよな~
自分にとって成功だったといえるときがあるとすれば
死ぬまで自分を誤魔化すことなく
通すことが出来たときかな
でも死ぬまで生きていたというだけでも成功なのかな
自分はこれからも
不完全で未完成のまま
悩み苦しみ
もがいて
落ち込んで
やるぞ~となったり
なまけもののまま
下手糞のまま
弱いまま
不器用に
非効率に
~のためにじゃなくて
そのときそのときの思いつきで
やりたいからやるだ
目的的には生きない
芯だけは決して曲げない
そうやって歩いていくのだろう
そっちの方がいい
まあ他の生き方は出来ないか
それなら
胸を張って生きてやろう
涼しくなってきて
パンの調子も上がってきた
捏ねていても
粉の粘り具合が違う
やはり夏はそれなりに粉の劣化は起こっているのだ
小麦のパン、ライ麦15%ライ麦量少な目がかなり美味い
ライ麦量多いパンは2月3月頃の作り方に戻してみた
えもいえぬ美味さ
自分で言う
やはりこのパン屋は
面白い
梅雨が明ければ
猛烈な暑さ
モワモワの空気の中
エイ、ヤーッと自転車をこぎ出す
18Kmの距離がきつい
那珂川町にあるもうひとつの美術館
先週から始まった企画展
「ありのままがあるところ しょうぶ学園」
今回のもうひとつの美術館は
自由があふれていた
刺繍を眺めると
針があっちにつき抜け
こっちにつき抜け
糸が何十にも重なり合って
ぐちゃぐちゃしているのだけれど
美しいんだよね
本当に自由なこころで作られたモノ
自由なこころって
簡単そうだけれど
そうなれるものではない
何もないところから作り出すことの難しさ
制約があった方が楽なのだ
自由なこころでやってみようと思っても
既成概念にとらわれたり
評価されるものをと思ってしまったり
枠の中に収めきらなければと考えてしまったり
誤魔化してしまったり
大人ぶってしまったり
表面だけきれいに整えただけのものって
何の力も持っていないし
すぐに飽きてしまう
でもそういうものに
ひとは集まる
今回の作品たちは
グングンとせまって来て
僕のこころをかき回し
自分の思い込みを撃ち砕いてくれた
そして自由というものの持つ力がどんなものか教えてくれた
自分もこの作品たちを超えるような力のあるパンをつくってやろう!
そうしたら、よけい食べてもらえなくなっちゃうかな?
そんなことはない
感じ取ってくれるひとは
必ず
いるはず
夏のパン作り
はじめて酵母の調子をおかしくすることもなく
粉をそれ程劣化させることもなく
ひと夏を通して
パンらしいパンを焼くことが出来た
試したいことが出てきた
それをすることによって
味に違いが出てくるのか?
酵母はどこまで耐えられるだろうか?
苦しいという心の叫びを
誤魔化したり
我慢したりしていれば
いつか必ずパンクしてしまう
会社に行くのが
苦しくて苦しくてしかたがない
学校に行くのが
苦しくて苦しくてしかたがない
そんなときは
休んでしまった方がいいときがあると思う
疲れたときや苦しいときには平気で休める社会
コロナ禍を機にそんなふうになっていけばいいね
生産性、生産性
なんでもかんでも
あそこでもここでも
生産性
学校も
生産性を上げられる(ロボットみたいな)人を
作るための場所でしかなくなってきているし
そんなところでまじめにやっていたら
そりゃあ子供達も疲弊するよ
耐え忍ぶことが美徳なんてされているけれど
こんなギスギスした社会で
ずっと耐え忍んでいたら
こころが潰れてしまわない方がおかしい
苦しいときは
まずその苦しみを
どうすれば取れるのかを考えてやることだろう
逃げるという方法ももちろんありだ
別の生きかたを見つければいい
時には人の助けも必要だ
必ずどこかに
助けてくれる場所
助けてくれる人はいる
これまで自分もどれだけ
人に助けられただろう
でも助けを求めなければ
助けを必要としていることは
なかなか見つけてはもらえないこともある
助けを求めることは
勇気がいるけれども
そこからしか始まれないこともある
もちろん苦しみに
浸り込んで
そこから何かを発見し
生命を輝かす
そういう生き方もある
火災や津波が起こったとき
多くの人が避難している方に
同じように避難すれば
安心だし安全だろうと
走りに走るひと
または誰も避難してないから
大丈夫なんだろうと
同じようにその場で過ごしているひと
そして自分の勘や感覚にしたがって
避難したひと
大多数の人たちに着いていくひとたちと
そうではないひとたち
これまでの人類の歴史の中で
生き残ってきたのは
どっちの方なのだろう
さびしさは
ぬくもりでしか
溶かされていかない
悲しみは
時間が流れなければ
薄れていかない
人によって痛められたこころは
人によってしか癒すことは出来ない
店をやっていなかったら
自分はどんなことになっていただろう
支えてくれた人たちが
素敵な人生を送れますようにと
毎朝
手を合わせている
ワクチンを打ったことによって
死んでしまったら
バカらしいよなあ
コロナに感染しても死なない自信はあるが
ワクチンを打って死なない自信はない
ある程度の犠牲者が出ても
ワクチンを大勢の人たちに打ってもらうという
国の考えも見えるだけに怖い
「大勢の命を救うために君、命を投げ出してくれ!」
何ヶ月か後には
ワクチンを打っても
あんまり効果ないよとなっている可能性もあるだけに
もう少し様子を見たい
ワクチンを打ったから安心安全だ!というのが
いちばん良くない気もする
本当にコロナウイルスが怖いなら
ワクチンを打ていようが
いなかろうが
免疫力を高める努力をしておくことを
わすれてはいけないのではないだろうか
自分は誰が作ったのだかわからないワクチンなんかよりも
自分のパンの方が信じられるんだけどなあ
もしコロナウイルスに感染して
死んでしまうようなことがあったとしても
いまの生活
(発酵食品や野菜をたくさん食べて
運動もしてなまけもして
ストレスもそれ程たまらないような)で
そうなったのなら
しゃあんめと納得できる
コロナウイルスよりも
日本という国の
いまの状況の方が
自分には恐ろしい
成果、成果、成果
生産性 生産性 生産性
合理化 合理化 合理化
絶対疲れるよね
俺たちは人間よ!
何もかも完璧にこなせる人なんていないし
そんな組織もないだろう
それぞれ
得意なこともあるし
不得意なこともある
出来ることもあるし
出来ないこともある
好きなこともあるし
嫌いなこともある
そもそも完璧って何だろう
ひとりひとり
考えも違うし
思いも違う
何が正しく
なにがダメなのか
何かあると
おまえ関係ねえだろというヤツまで
ああだこうだと言ってくる
そのひとはそのひとを生きているのだし
ほっとけと思う
嫌な風潮だ
誰も彼もが縮こまってしまって
思い切りジャンプ出来なくなっている
無難なところで誤魔化して背中を丸めて歩いている
多くのひとが
自分自身を生きられていないなんて
不幸な世界だ
この先
面白くもなんともない世界が待っていると思うと暗い
失敗しようが迷惑をかけようが
許される世界
完璧じゃない人たちが
そのままで生きられる世界
ダメだダメだダメだばかりの世界じゃなくて
それでいいんだよ
変わらないでいいんだよ
よくやっているねと見守ってもらえる世界
そっちの方が絶対に面白い世界が出来上がっていくと思う
いまの日本の異常さは
このところの異常気象以上に
危険な気がする
この窮屈な社会
子供だって
背を伸ばしていけないよ
大人なんだから
こうあらねばならない
親なんだから
こうあらねばならない
そんな固定概念から
完璧な大人や親になろうなんて考えたら
おそらく
こころがパンクしてしまう
誰も完璧な人間になんて
なれやしないのだから
仕事をしているのに
毎日毎日か家族の御飯なんて
作れないよ
人それぞれ
出来ること出来ないことはあるし
変われること変えられないこともある
出来ないからといって
後ろめたい気持ちになる必要はないし
完璧でなければという重圧で
こころが押しつぶされるくらいなら
変わる必要なんてないだと思う
パン作りがわかっていくこと
イコール
思い込みを壊していくことといっていいと思う
その思い込みにひびを入れてくれるのは
あれ、何でこうなっちゃうの?というような
うまくいかない出来事だ
どんなことでも
起こりうる
「まさか」なんて言葉は
いらないのかもしれない
人間誰の中にも
強さもあれば
弱さもあって
優しさもあれば
残酷さもあって
さまざまな
相反するものが
静まったり
騒ぎ出したり
だから人間は
矛盾だらけ
でも
しかし
人間の面白さは
そこのところにあるのだと思う
専門家は長く続けてる程
頭がガチガチになってくる
パン作りもこういうもんだという思い込みを
打ち壊すのは簡単なことではない
立ち位置を変えなければ見えてこないものがある
この芯のない風潮はなんだろう
何か言われれば
すぐに
ころころ
ころころと
変えていく
芯のないものには
何の力もないし
面白さもない
多くの人が
人の評価に臆病になっている
そんな社会が
面白くなっていくはずがない
ワクワクすること
世間の空気に合わせて
抑え込んでいきていれば
こころは干からびていって
生きようという力も失われていく
いまは多くの人が
誰かの評価で動いている
損するのが嫌だからやらない
損したくないから他人の評価が高いところを選ぶ
それが人生においてのいちばんの損だったりして
損することも覚悟の上で
行動しなければ
世界は広がらず
面白いことには出会えない
他人の評価は他人の評価だ
自分がどう感じるか
自分の感じ方は
他人の感じ方とは違うもの
危険なことを完全に取り除いた中で生きていたり
失敗することを恐れて行動しなかったり
そこには退屈な時間があるだけだ
人間はめんどくさい生き物なのだ
夏のパン作りは
気をつけないといけないことが
いろいろと出てくる
うまくいかないことも多くあるので
パン作りの力をつけるのには
よい時期だ
先週今週と
何でこんな味が出てきてしまうんだろうというようなパンが
出来てしまったことがあった
一瞬ガクッと来るのだけれど
次の日には
どうやって改善してやろうかと
ワクワクしてくる
よーしやってやるぞと燃えてくる
からだとこころが喜んでいる
素晴らしい世界というのは
喜びも
悲しみも
痛みも
苦しみも
全てがある世界だと思う
悲しみも痛みも苦しみもなくて
喜びだけの世界なんて
恐らく退屈なだけだろう
その前に
悲しみ、痛み、苦しみというものがなければ
そこには喜びというものもないのかもしれない
悲しみを知っているから
痛みを知っているから
苦しみを知っているから
喜びというものも知ることが出来るのだし
その逆も
それに
人間がいちばん輝いているときというのは
悲しみや痛みや苦しみを乗り越えようと
踏み出した瞬間なんじゃないだろうか
本当にやりたいことがあっても
将来、素敵な人生を送るためにと
いまという時を犠牲にして
受験勉強
でもね、いまを犠牲にしてしまうような人のところには
いつまで経っても
素敵な人生なんてやってこないと思う
高校や大学に行ったからといって
楽しいことがあるとは限らないし
その後
素敵な人生を送れるとは限らない
道はいくらでもあって
どの道を選ぼうが
楽しもうと決意さえすれば楽しめるし
決意しなければ楽しめない
素敵な人生を送ろうと決意して行動しさえすれば
素敵な人生になるし
決意して行動することなしには
素敵な人生なんてありえない
高校や大学に行っただけで
素敵な人生が待っているなんてことはないんだ
最近の国の打ち出す政策を見ていると
大学を出たかどうかや
どこの大学を出たのかなんてことを
いまだに企業が採用決定の判断材料にしているのが
おかしく思えてくるし
そんなことで踊らされている子供達が不憫だ
いま本当に自分がやりたいことを犠牲にしてまで
受験のためだけの勉強をする価値があるとは思えないんだよなあ
高校、大学と経験してきた大人たちは
そう思っていないのだろうか
なぜ変わらないのだろう
3ヵ月後に地球が滅びてしまうということになったとしても
自分の生き方は変わらない
そういう生き方をしている
三ヵ月後に地球が滅びてしまうことになっても
学生達は塾に行って勉強をするのだろうか
俺は明日パンを買ってくれる人がいなくても
パンを作っている
本日の昼飯は
美味しい茄子が手に入ったので
オリーブオイルでニンニク、鷹の爪、玉ねぎ
茄子、舞茸、しし唐、生姜、ライ麦95%のパン、いわしの水煮を
炒めたもの
(味付け 酢、塩、日本酒)
うまい、いくらでも腹に入る
いまがどんな状況におかれていようとも
やることは一つ
自分をおもいきり生きること
それなら自分にもできるし
そして
それしか自分には出来ない
コロナ渦だろうが
明日地球が滅びようが
パンが売れようが売れなかろうが
きょうもサンドバックを叩き
夜の町を走り
本を読んで
パンを焼く
うまくことが運ばないことを嘆いていても
何がどうなるものでもない
夏になっても
いまのところ酵母は絶好調
これまで夏は全然良いパンが作れなかった
2年前に夏の酵母の扱い方に気がつき
昨年は夏の小麦粉の劣化具合に気がつき
苦節20年
ここに来て
一気にステップアップ
そうはいっても
夏はちょっとでも気を抜くと
酵母の調子を狂わせてしまうので
いつまでこの良い状態を
続けることが出来ることか
休みの日に長い時間布団に入っていると
なんだか体が痛い(主に腰)という日が続いたので
軟らかい敷布団をやめて
ござを敷いて寝てみたら
起きたときの体の調子が全然違った
体のだるさがないし
疲れも取れている
美しさは内側から
湧き出てくるもの
どんなに表面だけをきれいに
飾り立てたって
誤魔化せはしない
いやいや
誤魔化せるのか
この世の中
そういうものに誤魔化されてしまう人たちで
いっぱいだ
この時期に
自分が作るようなライ麦パンを
からだが求めてくるということは
からだがしっかり機能している証
普段からしっかりとした食事を摂っていて
からだを動かし汗を流しているひとは
夏も強い
危険なものを排除したり
禁止するよりも
危険なことが起こったときに
どうするかを学ばせることの大切さ
海に巨大な堤防を作ったところで
自然の力には敵わない
そんなもので安心感を与えてしまうことの
危険
大きな地震があったときに
どうするか
川で流されたときにはどうするかを
子供のときから教え込んでいくこと
考えさせておくことの方が
命を守るのには良い方法だと思う
危険は常に近くにあるということを
ひとりひとりの頭の中に持たせておくこと
きょうも無人販売にして
美術館めぐり
といっても
きょうは美術館にどうしても行きたくて
行った訳ではなく
自転車で春を感じたかった
午前5時30分出発
まずは、茨城近代美術館で
志村ふくみ展
午前9時20分着
偕楽園に隣接する千波公園内にある美術館
この公園も素晴らしいし
この公園の中に美術館があるのも素晴らしい
水戸にはこの美術館の他に県立歴史館、水戸芸術館、
植物園、市立博物館などもあるし
茨城全体で見れば
文化施設はかなりの数がある
茨城県素晴らしい
展示されている着物は結構な数だが
前期と後期で総入れ替えしたそうだから
すごい
素敵な着物がいっぱいあった
こういうのなら
自分も着てみたいな
笠間市に移動して
日動美術館で
シンクロシニシティ展
笠間稲荷神社があったので
先にそちらの方に行ってみた
境内に入ると立派な藤棚
藤の花が香ることをはじめて知った
日動美術館の企画展はパッとしなかったが
常設の展示は楽しめた
高橋由一の鮭があったり
藤田嗣治やピカソの作品もいくつかあった
創設者と親交があった画家たちから
プレゼントされたという
パレットコレクションはすごかった
帰りは茂木を通り抜け烏山の島崎酒造で
東力士を買い込み293を北上し帰館午後6時10分
いまの時期の茂木は美しい
田んぼばっかり
田んぼしかない
そこが
清々しい
この時期に自転車に乗るなら最高だ
この時期に限れば
茂木は栃木でいちばん美しい場所かもしれない
ライ麦95%のパン
味噌にオリーブオイル、酢、七味唐辛子、新玉ねぎ、セロリを
混ぜ合わせ
パンに塗りこみ
オーブンで焼いて食べてみた
うまい
夏にはナスをのせてもうまいかもしれない
ゴールデンウィーク最終日は
無人販売にさせてもらって美術館めぐり
まずは国立博物館
「美を紡ぐ展」
狩野永徳の檜図屏風
本などではよく見ていたが
まったく惹かれることがなかった
だから、この絵に対しては
ほとんど期待していなかったのだが
実物と対面してみると
その場から動けなくなった
今回は常設展の方も充実していて
なかなか博物館から出られなかった
六本木に移動して国立新美術館で
ウィーンモダン展
国立新美術館はじめて行ったが
ここはとにかくでかい
ウィーンモダンの他に
トルコの至宝展もやっているし国展もやっている
ウィーンモダンはまったく予備知識なく行った
画家の名前も知っているのはクリムトひとり
クリムトだって
つい最近知ったくらいだ
素晴らしかった
かなり楽しんだ
作品数も充分過ぎる程あるし
作品内容もよかった
クリムトの作品もいっぱいあった
東京都美術館のクリムト展よりも
こっちのクリムト作品の方が
好きなものが多かった
オスカー・ココシュカの「眠る羊飼いと家畜たち」も好き
3時前に入って
終了時間の午後6時までいたが
出来ることなら
まだ浸っていたかった
図録を買って帰りの電車の中で
眺めながら来たが
図録では良さが伝わって来ない
やはり絵などは
実物と対面しなければ
わからないもの
昼飯はライ麦15%のパンに
オリーブオイルとチーズと鯖缶のオープンサンド
シンプルだけれど美味しい
チーズはチェダーチーズ
酸味と旨みのバランスが良いチーズで
なまけもののパン屋のどのパンとも合うので
常備している
美術館に行っても
解説などはほとんど読まない
レストランのメニュー、電化製品の説明書、
ボードゲームのルール説明
説明を読んだり聞いたりすることが
苦手で拒否反応が起こってしまうということもあるのだが
説明されてしまうと
どうしても自分の目で見れなくなる
一度、イヤホンガイドなるものを
どんなものなのだろうと
借りたことがあったのだが
邪魔くさくて
すぐに使うのを止めた
感じる力
そういうものが退化していきやすい世の中に
なってきている
子供の目なら
まっさらな状態で
作品と対峙できる
感じる力を育てるなら
子供のときだろう
う
きょうはパンを作らず
一日店番をしていようと思ったが
いつものことで
店番だけでは
どうしても眠くなる
昼寝中に来てくれた方
ありがとうございました
イチゴも
早速頂いています
産まれ落ちてから何十年
素晴らしい日々を送らせてもらったし
いまも楽しい毎日を送らせてもらっている
いま
すべてが
自分にある
足りてないものなんて
何もない
この世の中は
ほとんどが嘘ごとで
成り立っているのだが
ひとに嘘をつかれていることがわかると
とても応える
結果とか成果とか最近では
どうでもよくなってきた
うまくことが運べば
それはそれで嬉しいのだが
うまくことが運ばなくても
いまは、それを受け入れられる
起こることのすべては
当たり前に起こっているわけではない
何かがうまい具合にいくということは
奇跡であって
物事はそんなにうまくいくものではない
うまくいかなくても
なんでもないこと
これまでの人生
たくさんの奇跡が起こり
たくさんの素晴らしいことを体験させてもらった
恵まれた人生だった
すべては産まれてこれたからこそ出来たこと
これ以上望むことは
そうはない
産まれてこれた ありがたさ
生きていられる ありがたさ
何かをやれるだけ
ありがたいことだし
うれしいこと
あとは
命の灯火が消えてしまうまで
楽しませていただく
飾ったり
誤魔化したりして
ひとによく見られる必要なんてない
いまの自分のまま
こころのままに
おもいきり
ぶつかっていくんだ
たとえ病気になって死んでしまうことになったとしても
パン屋を終わりにすることになったとしても
身体を思うように動かすことが出来なくなったとしも
おそらく
受け入れられると思う
人がやりたくても出来ないことを
やることも出来たし
素晴らしい人生だった
いまの日本に生まれていなかったら
全然違った人生を送ることになっていただろう
パン屋なんて出来なかっただろうし
自分のやりたいことを
何一つ出来ないまま人生を終えることになったかもしれない
午前4時起床
酵母をいじり
無人販売の準備をして
4時40分出発
西那須野駅はゆっくり走って40分~45分
5時38分の上野行き
高校生多し
彼らはいったい何時に起きているのだろう
9時20分東京都美術館到着
クリムト展
500人くらい並んでいたが
10~15分で中に入れた
帰るときには5分も待たずに入場できそうな列になっていた
地下一階は少し混雑していたが
1階、2階はそれ程ではなく
目玉の作品はゆっくりと観られる
行くなら、いまか
11時50分府中市美術館着へ
そまがりな日本美術
やはり美術館がある町はいいな
何はなくとも美術館だけは作っておくべきだ
美術館があることで
様々なことにおいて
町の人たちの意識が作られていくのではないだろうか
14時30分うらわ美術館着
岸田劉生展
浦和の町ぶらぶらしてみると
何か面白いものに出会えそう
16時30分浦和会館のベンチで遅い昼飯
ライ麦15%のパンでサンドウィッチ
最近、このパンで感動する機会が多い
焼くとパリパリになって美味しいのだが
焼かないで食べると
また別の美味しさがある
e
ランニングをしてから
用事を済ませ
自転車で茨城県大子町へ向かう(9時40分)
田んぼに水が張られ
新緑と春の花
この辺りが
いちばん美しく輝く季節だ
風景を楽しみながら進んだが
久しぶりの遠出
暑さもあり
行きだけでバテバテになってしまった
(12時25分)月居山登山道入り口に自転車を止め
山に入る
新緑、間に合った
いちばん好きな季節
ゴールデンウィークは来られそうもないので
来るなら、きょうしかなかった
上だけではなく
下にもニチリンソウやヒトリシズカなど
いろいろな花が咲いている
もみじ谷の主(大もみじ)に会いに行き
そこで昼飯
きょうはチェダーチーズとライ麦30%の丸パンと小麦のパン
うまい
少しのんびりとしてから引き返す
いくつか買い物をして
(18時) 家に到着
明日は早起きをしないと
早めに寝よう
良い一日だった
きょうの夕食は
フライパンでヒラタケとセロリを軽く炒めてから
下ろした長芋を回しかけ
軽く焼いてからひっくり返し
その上に
ニラを振りまき
卵を落とし
蓋をして
焼き固めたものを(味付けは塩、酢、七味)
トーストしてちぎったライ麦95%にかけたもの
パンはプレーンなパンだけでもいいんじゃないのかと最近思う
プレーンなパンの方が料理と合わせやすいし
チーズをのせて食べるにしても
プレーンなパンで充分美味しい
自分の値段の付け方では
材料が増えれるほど
利益が減ってしまうので
プレーンなパンが多く売れてくれるようになると
とても助かる
気合を入れて料理と合わせて食べてもらえさえすれば
ライ麦パンの良さ、素晴らしさをわかってもらえるはず
桜の花が散って
春本番
緑が増え
外に目を向けると
眩しいくらいだ
田に水も張られ出したし
そろそろ自転車の季節
店の庭の利休梅はいまが
満開
今年はいっぱい花を付けたので
見に来て下さい
昼飯は食材が何もなかったので
ライ麦95%のパンに味噌を塗ってから
七味唐辛子を振りかけ焼いて食べた
なかなかの味
酒の友にも
子供のおやつにも
最適だと思う
今夜の音楽は
Orchestra Baobab - Specialist in all Styles (Full Album) - YouTube
きょうは何だか
聴きたくなって
店でずっと流していた
2003年の来日公演は
すごかった
彼らが次から次へと発するエネルギー
公演が終わったときには
へとへとになった
久々に腰痛
家でじっとしているのも退屈なので
きょうも美術館へ行く
武蔵小金井駅から府中市美術館まで3KMくらい
迷うのだから地図でも書いてくればいいものだが
それが出来ない
行く前の地図を眺めたら
簡単に行けそうに思えてしまうのだ
縮図の怖さだね
途中二人の方に道を尋ねたが
ふたりとも全然出鱈目
二人ともよくあれだけ自信を持ってて答えられるもんだ
武蔵野公園で最初に尋ねた女性は
「かなり先だけど、その道をずうーっと真っ直ぐ行くと右側にあるから」とのこと
尋ねてよかったと、その道を進んでいくと突き当たり
美術館は同じ方向に進んでから小金井街道にぶつかったら
左に折れて2.5kmのところにあった
突き当たってくれてよかった
小金井街道で尋ねた男性は
「この坂を下ったら右に曲がって
4Kmくらい進むと府中だから」とのこと
しかし、坂を下ったところにあった看板には
そのまま真っ直ぐ進めば府中とある
もちろん、躊躇なく真っ直ぐ進んだ
道に迷ったおかげで
いくつかの素敵な公園と出会えた
大きな木が残る公園や美術館
そういうものの重要性を感じている人が土地の行政機関に
いてくれるかどうか
これは運なのか、
土地の人たちが育っているかどうか
すなわち、その土地の歴史なのだろうか
企画展の内容はとても楽しかった
大好きな山雪や芦雪の絵も楽しめたし
徳川家光と家綱の親子は何故
こんなに絵を小さく描くのか?
その心理は興味深い
美術館もありゃあ良いってもんじゃなくて
面白くなるかどうかは
学芸員の力量も大きく関係してくるのだろうな
へそまがりな日本美術
このところ美術館ばかり行っている
その中で
いまの自分の心情に触れてくる絵に
いくつか出会うことができた
そのどれもに
なんとなく共通しているものがあり
それらの絵と向き合うことで
いまの自分
これから歩むべき自分が見えてきた
『もうひとつの美術館』で開催されている企画展でも
いくつか、そういう絵と出合うことが出来た
というよりも
ここの絵がいちばん
いまの自分のこころにぐさりと来た
うまく描いてやろうなんて気負うことなく
自分の内側をただ
そのままドーンと出している
うまいだけで何の面白みもない絵だけを
張り出す学校の先生がいたが
そんな絵はこころに何にも響いてこない
そんな絵を描かせないようにするのが
教師の務めなのではないだろうか
な~んてことは言わないが
ほとんどのひとが
年齢を重ねるごとに
こころの内側をそのまま
平気に
出すことが出来なくなっているのではないだろうか
絵描きさんは晩年になって来るにしたがって
面白い絵を描くようになってくることが多い気がする
それはうまく描いてやろうという気負いもなくなり
ひとに受けるよう絵じゃなくて
自分の内側をそのまま絵に表しているからではないだろうか
今回の『もうひとつの美術館』企画展は
新・北斎展や暁斎展、奇想の系譜展と並ぶくらい
面白いものだった
『もうひとつの美術館』は
なまけもののパン屋から車で20分くらいのところにあります
興味がある方は行ってみてください
きょうは福島県立美術館で
開催されている若冲展に行こうと考えていたのだが
起きられず
3月から定休日の月曜日火曜日は
朝4時起きで電車での長距離移動
さすがに体が疲れてきた
運動といっしょで
やらないでいると(行かないでいると)
やるのが億劫になってくるが
やってみると(行ってみると)
また行きたくなる
疲れはするし楽でもないが
やらないでいると
こころもからだも精神も錆付いてくる
だから、ちょっと休憩したら
また、やることになるだろう
そういうことで、きょうはゆっくりと眠ってから
ランニングに出かけ、風呂に入ってから
自転車で馬頭町のもうひとつの美術館に行ってきた
今回の企画展は素晴らしい作品がたくさんあって
三周もしてしまった
ここには何度か来ているのだが
「感動した」という作品にはこれまで出会えていなかったと思う
それは、おそらく自分が良さを感じられなかっただけで
素晴らしい作品はいっぱいあったのではないだろうか
自分が変わってきたことで
今回の作品たちと本当に出会うことが出来たのだと思う
きょうは、寒かった
もうひとつの美術館に向かう途中
雪が舞ってくる
セブンイレブンで手袋を買おうと寄ってみたが
売ってなく
「開いてりゃいいんだというものじゃねんだ」と毒づきながら
美術館を目指す
帰りは那珂川温泉旅館の湯で
温まっていこうと思っていたのだが
もうひとつの美術館で
予想外の時間を食ったので
黒羽町にある蕎麦屋『鎌倉』に向かう
5回連続で店が休みということがあり
しばらく、足が遠のいていたが
久しぶりに行ってみたら
良い味になっていた
昨年4回の手術をした大女将も
元気そうで良かった
大女将と蕎麦のセットで
鎌倉という店が成り立っているのだから
ずっと、元気でいて欲しい
開いてて良かったと
こころから思った
夏まで魚はお預けになるので
熱海にて魚の食べ収め
朝かばんにチーズは入れたのだが
朝飯のパンを忘れる
昨夜枕元に用意しておいた電車で読む本
今朝かばんに入れたのだが
読もうと思ってかばんを開けてみると
全然別の本が入っていた
しかも入っていたのは、まだ一ページも読んでいない
全5巻もの長編小説の3巻目
さすがに途中からは読む気になれず
開かずじまい
きょうは早めに帰途につくが
人身事故のため宇都宮線は東京でストップ
どうにもならないので
上野に出て奇想の系譜展
月曜日だが桜祭りのためやっていた
思ったとおり人は少なく
地方の美術館なみ
最後の30分は蕭白の群仙図屏風をほぼ独り占め
上野公園は桜満開
空洞パンに使う酵母が足りずに
半分しか作れず
計算機を使って計算したのに間違えたのか
連日のうっかり
ここまで続くのは人生ではじめて
大丈夫だろうか
この芝居は観てみたい
和の心を伝える企画プロデュース 響和堂 - 土佐源氏
東京から戻ると
パンが全然売れていない
まさかと思ってHPを確認してみると
更新したと思っていた
本日の営業時間は昨日のままになっていて
更新されていなかった
2月3月と何度同じことをやっただろう
このところ、うっかりミスは少なくなっていたのだが
反動なのか、ここに来て
すごいことになっている
昨夜は発酵器の電源を0時に止めるはずだったのだが
寝てしまって、起きたら0時30分
あわてて電源を消しに店に行ったのだが
今朝店に行ってみると
電源がつけっぱなし
問屋に材料の注文も忘れたので
今週は材料が間に合うかどうか
きょうは行ってみたかった東京の小岩にある
盆栽美術館『春花園』へ
小岩駅から約3500m
オープン1時間前に駅に到着
歩いていってもオープン時間には着ける
普通の人なら
勘違いで反対側の出口に出てしまう
縦に一キロ,横に一キロ進んだところで気づく
春花園まで5500メートル
仕方がないので走ったがなかなか見つからず
5人の方に尋ねて
ようやくたどり着いたときはオープン時間を30分過ぎていた
入ってみると働いているのはみんな外国人
すごい盆栽ばかりなのだが
あまり響いてこないのは何故だろう
それから、きのう観た岸田劉生の麗子像が素晴らしかったので
彼の他の作品も観てみたくなって
国立近代美術館へ
桃山時代に作られた信楽焼きの茶入たちが素晴らしく
くれるというなら貰いたかった
藤田嗣治の作品も良かった
今年夏には岸田劉生没後90年の展覧会があるそうだ
楽しみ
本日の無人販売
たくさんのお買い上げありがとうございました
きょうは天気が良かったので
箱根まで足を伸ばしてきました
ポーラ美術館
こころが揺すぶられるような絵には出合えなかったのですが
けっこう楽しむとが出来ました
絵の他にガレのガラス作品もいっぱい展示しています
明日もパンの販売行います
最近はけっこう良いパンが焼けているなあと思う
パンはタイミングが少しずれれば
まったく別の味になってしまうので
余裕を持ってやっているのか
余裕なんて持てていないのだか
自分でもわからないが
前よりも生地の状態を
見られるようになってきたとは思う
このまま夏を乗り切れるかどうかだ
夏のパン作りは
年々よい感じになってきている
夏を越す度に力を付けている感じだ
今年は不安はあるが
楽しみの方が大きい
このところ
最高にうまいライ麦80%を
続けざまに焼き上げている
窯に入れるタイミングを少し早めてみたら
味がかなり変わった
パンはまだまだ美味くなる余地がある
その余地を自分が埋めていけるかは
わからないが
余地があるということには
光がある
夢がある
空洞パンを食べているときに
これは餃子の皮の味に近いなと感じた
噛んだときの感じも似ているし
もしかしたら
ひき肉のような食感のライ麦95%のパンを挟んで
焼いてみたら餃子もどきになるんじゃないか
と
やってみた
ホットサンドメーカーに挟み
両面を軽く焦げ目が付くくらい焼いてから
醤油、酢、七味唐辛子を混ぜたタレに付けて
口の中へ
餃子だ!
ニンニクやニラなどを入れたら
もっと美味しくなるかもしれない
素晴らしい
餃子味になってしまうパンなんて
探しても
そうはないだろう
是非試してみてください
海産物は味覚を育てるに
もってこいだなと
なまこやからすみを食べながら思った
海の近くで育った人は
土台がしっかりしているひとが多い
それは何年もパン屋をやっていて感じたこと
からすみを食べたのは
はじめて
これ程うまいものだったとは
大変な手間暇をかけて
作られるものなのだろうな
この味は
どんなに技術が発達したとしても
食品添加物では出せない
添加物の味に慣れてしまった人の舌では
この味をうまいとは感じられないのかな
もったいない
加工食品やインスタント食品ばかりの食事で
子供の味覚を壊してしまうということは
こういうことだ
もったいない人生を送ることになる
自分の子供をそんなふうにしてしまっていいのかなあ~
ランニング後
店番をしている女性のあくびに誘われて
入った『くり原の珍味』というお店で購入した
からすみ、はばのりと昨夜食べ切れなかったイカ刺しで
昼飯、飲み物は泡盛
からすみはあぶって大根おろしと酢をぶっ掛ける
はばのりはあぶって熱々のごはんに混ぜて蒸らしてから
鰹節と醤油をかける
イカはツマといっしょにフライパンで炒め卸した生姜と
刻んだしその葉、醤油をかける
どれもうまい
本は京極夏彦
極楽極楽
またひとつ熱海に良い店を見つけた
最近は海産物が
自分にとっての極上の食べ物
いつか海の近くに暮らせる日がくるだろうか
きょうは熱海
昼飯はカンパチの刺身定食
MOA美術館 『うるし 伝統と革新』
明治から昭和初めにかけての
漆芸界のスーパースターたちの作品が揃っていたので
期待していた以上に楽しめた
明治時代の両巨頭、一朝と松哉の作品の
丁寧さと手間暇のかけ方にため息
権六さんの作品もやはり面白い
福島屋旅館は休み
村越魚店でカンパチ、マイカ(はらわた付き)、
カワハギ(肝付き)の刺身を購入
酒も買い込んで
帰りの電車で本を読みながら
食べて飲んで
至福の時間
パンの塩の量を少しずつ減らしている
気づいた人は
それ程いないだろうと思う
料理と共に食べるパンなので
塩味はそれ程必要では無いんじゃないのかと思って
お客さんの舌を慣らしながら
減らしていくことにした
きょうも東京
上野にある東京都美術館で
奇想の系譜展
きょうから新しい展示
牛前9時20分朗着
開門前で200人近く並んでいたが
すぐに入れた
混雑する前に
伊藤若冲はスルーして
今回の展示会でいちばん観たかった
曽我蕭白の『群仙図屏風』を目指す
これはすごい
これだけのエグイ絵を自分は知らない
このエグさは印刷や映像では
絶対に伝えられないだろう
このひとの絵には
とんでもなくエキセントリックな人物や生き物たちが登場するので
そちらの方にばかり目が行ってしまうが
このひとの技術(筆使い)は相当なものだと思う
一周して戻ってみるとこの絵の前にはひとが群がっていた
多くの人がこの絵にこころを揺さぶられているようだ
今回展示されている、8人の絵師の絵はどれも
強烈なものばかりだが
この絵は群を抜いている
この展覧会の後
少し国立博物館を歩いてきたが
奇想の系譜展を見てしまった目や頭には
どの絵もつまらなく映ってしまう
その後、鎌倉へ
『はま善』へは間に合わずに行けなかった
小町通りから少し入ったところにある『鏑木清方記念館』で
探していた資料を見つけることが出来た
月曜日、今朝も雨に降られた
雨男復活か
午前5時15分西那須野駅に向かう
朝飯はライ麦15%のパンとブリーチーズ
このパンがとんでもなくうまかった
最近はなかなか良いパンが焼けていると思う
レベルはかなり上がり
うまく出来たときの味は
そうとうなものだ
六本木『サントリー美術館』
河鍋暁斎の後半
やはり、このひとは面白い
月曜日でもお客さんが入っていた
自分が思っていた以上に人気があるようだ
せっかく六本木に来たので
近くの『森美術館』で新・北斎展の二回目
きょうは10分も待たずに入れたが
中は何故か込んでいた
入り口付近はかなり込んでいるので
出口から逆回りで見て回った
最初はみんな1点一点しっかり見ようと
意気込んでいるのだが
作品が多いので
ほとんどの人が途中から流してみるようになるので
後の展示ほど見やすくなる
並んでみようとすると疲れるので
空いたところ空いたところ
隙をみつけて見て行く方がいいと思う
単眼鏡があると離れたとことからも観られるので便利だ
『東京都美術館』奇想の系譜展と新・北斎展
両方観にいくのなら
少し安くなるセットチケットがあるので
先に買ってから行くといい
明日も東京、奇想の系譜展後半
時間に余裕があれば鎌倉まで脚を伸ばしてみよう
遅くとも21時までには戻らなければならないので
魚を堪能している時間は無いかな
熱海の村越魚店は
一年前に町の中をブラブラしていたときに
見つけたお店
店構え、建っている場所、品揃え、そこで働いている人たちなどなど
自分の中ではパーフェクトの魚屋さん
もし、どこか
いまとは別のところで
暮らすのなら
こんな魚屋さんがある町で
暮らしてみたい
明日に備えてなんてことを
考えることなく
自分を守ることなんて止めて
いまのいま
この瞬間だけに
全てをぶつけて生きられるような
そんな人間に
なろうと思う
職
島根に移住した女性その2
自分の娘のことだけではなく
何代も何代も
続いていく
先のことに
目が向いている
なんだか
大きくなって帰ってきたぞ
このひとには学校の勉強なんて
全然入ってはいない
学校のテストなんて受けても
0点だよ
だけれども
このひとには誰よりも世界が見えている
学校の勉強をしたからといって
素晴らしい人間になれるとは限らないし
彼女を見ていると
学校の勉強なんて
必要ないんじゃねえのとも
思えてくる
いったん死んでみると、生きていたころの、どんなにつまらない一日でも、まばゆく、まぶしく輝いて見える
井上ひさしの戯曲『ムサシ』より
生きているいまは
どれだけ長く生きたかじゃなくて
どう生きたかだとも思うけれど
いったん死んでみると
どんな思いになるのだろう
でも、生きているいまなら
自分はやりたいことを
思い切り楽しむことを選ぶだろう
受験勉強や大学に行くこと
一流といわれる会社に就職することに価値は見出せない
島根からのお客さん
4年ぶりに会えた
もともとはこっちのひとなのだが
いまは山の中で暮らし
子供も産まれた
環境が変われば
ひとは育っていくもののようだ
もともとよい感性を持ったひとだったのだが
島根に移住し
自然の中で暮らし
食料を育て
子供と共に生き
だんなさんの感性もきっと素晴らしいのだろう
感性が益々磨かれて来たようだ
こういうひとが地元に残ってくれていれば
とてつもない財産なのだろうが
いま、現在
ここは
こういう素晴らしいひとを留めておけるような魅力は
残念ながらない
昨日から雨
午前4時過ぎ小雨になったので
傘を差して駅まで走る
午前5時38分発
朝飯はパンとチーズ
午前10時28分熱海着
忘れるだろうなと思った傘をやはり
電車に忘れる
先週図書館で見ていた本にあったクスノキを見に行く
樹齢2000年
これだけデカイ木ははじめてみる
きのみや神社
木の周りを願い事をしながら一周すると願いが叶うそうだが
ただただ「ありがとう」という思いしか心に浮かばない
美術館へ行く前に早めの昼食
何度かいったことのある店で
金目の酒蒸、焼き白子を食べる
缶詰以外の魚を食べたのは昨年の夏以来かもしれない
MOA美術館へ向かっている途中雨が強くなってきたので
傘を見つけくる
昨年一週違いで観られなかった
尾形光琳
紅白梅図屏風と初対面
何だこの迫ってくるものは
圧倒的な美しさ
30分近く
離れたところからしゃがんで眺めていたが
それでも去りがたい
これまで自分が見た絵の中では
普賢菩薩像と並んでいちばん好きな作品となった
映像や写真では何度も見ていたが
実物は全然違った
実物と対峙することなしには
絶対に感じられないものが
この絵にはある
素晴らしい絵を見ることが出来た
生きていてよかった
産まれてこれてよかった
福島屋旅館で湯に浸かり
海を眺めてから駅へ
午後6時53分発黒磯行き
今朝もランニング途中に
最近のお気に入りである方府田の高台から
蛇尾川を眺める
ここからは大蛇がクネリクネリと行進している様子を見ることが出来る
赤く染まる川面
きょうは少し雲が出ているので
夕焼け空のような優しい赤だ
きょうは風が最高に気持ちいい
顔を撫でていく風に
うれしくなってくる
堪らないぜ
家に着くと休む間もなく
自転車に乗り込んだ
意識が変われば
人生が変わる
そんなことって
あると思う
きょうも心臓がドキドキと動いてくれている
朝からサンドバックを叩いた
運動後の酒はうまい
感謝
もっともっとが
人類を蝕んでいき
もっともっとが
いつか人類を滅ぼすのだろう
もっともっとを
人間から取り去ることは出来ないだろう
坊さんからだって取り去ることは出来ないのだから
でも
もっともっとの舵取りさえ間違わなければ
それによって
人類が滅ぶことも無くなるかもしれない
が
それは
ドラえもんがじゃんけんで勝つことよりも
難しいこと
原発再起動
経済優先
震災のとき
考えを改めたひとも多いはず
それでも
時が経てば
そんな考えも
湧き出してくるもっともっとの思いに
飲み込まれていく
もっともっとの思いに囚われている人間は
休み無く働いて疲れきり
ため息ばかりが多くなる
そんな生活をするために
小学生の頃から
塾に通い受験勉強
ゆっくりごはんを食べる時間も無ければ
仕事と勉強をする以外のことをする時間も無い
もっともっとゆっくりごはんが食べたい
もっと仕事や勉強以外のことをやる時間が欲しい
舵を切って
別のもっととっとへ
もっともっとを人間から
取り去ることは出来ないが
もっともっとも
進む方向を間違えなければ
豊かに生きることは出来るのではないか
もっともっとの思いに囚われている人間は
山を削って住宅地や道路を作り
仕事に行けば成果成果でストレスだらけ
朝夕は渋滞や満員電車
食べるご飯は添加物
夕焼けも満天の星も
眺めることを忘れて生きている
もう
人間として生きていける社会ではなくなっている気がする
科学者や国の
もっともっとで出来上がった
原子爆弾
もっともっとは
人のこころをも破壊できるのか
何十万ものひとの命を一瞬で奪い取ってしまうようなものを
同じ人間が使ってしまった
正当化するために
真珠湾は利用されたのか
それはそれで狂気だ
肌の色が違うということも
自分たちのこころを納得させるために
利用したのだろう
もっともっとの
抑えられない思いは
そこまでのことをさせてしまう
もっともっとは
成果を見せつけることも重要だから
原子爆弾を作っただけでは
終われないし
作ったものは使いたくなるものだ
そして
もっともっとは
とめどなく
もっと強力な爆弾を作りたくなる
そして作ったなら
持っているなら
使いたくなる
戦争で死んでも
国は回る
地球も回る
やりたかったことを
すべて奪われての無念の死
そんな
ひとつの命が終わっても
国はなんでもない顔をして
生き続ける
ひとつの死は
すまん
すまんのこころのない言葉だけで
済まされてしまう
もっともっとは
とめどなく
いつか人類を滅ぼすまで
止まることはないだろう
科学者も
政治家も
会社も
誰も彼もが
もっともっとを止めることは出来ないだろう
人間のさがだね
もっともっとによって
人類が滅んでも
地球は回る
いま、こうして心臓がドキドキ動いているのも奇跡だし
こうして身体を動かせていることも奇跡
時も身体も
ありがたく
そして大切に使わせていただく
山の熊たちの会話 1
「最近は、人間が増え過ぎてしまって困ったものだな」
「近頃は山にまで入ってきやがるから、落ち落ち食事も出来ねえぜ」
「あいつら、『人権だ人権だ』と騒いでいるけど
それなら俺たちの権利も認めやがれってんだ」
「山下りただけで、鉄砲で撃たれちぁ適わねえや」
山の熊たちの会話 2
「最近なんだか人間どもがいなくなったな」
「なんでも、あのでけぇ建物が爆発したときに
危険な物質が飛び散ったそうだ
それで、人間どもは逃げ出して行ったそうだ」
「いま、あの村には誰もいねえ」
「いまでも、その物質はこの辺を漂っているそうだ」
「俺たちは、大丈夫なのけぇ」
「知らねぇ」
「人間どもは逃げて行けば済むけれど、
俺たちは逃げる場所なんてねえ」
「向こうの山の熊たちも食料が無くてヒィヒィ言ってるようだもんな
俺たちが行っても食べるものなんてねえ」
「食料があったとしても向こうの山に行こうにも
山を下りれば鉄砲で撃たれちまうしな」
「あいつら、自分たちで大地や空気を汚しておいて
自分たちだけ、どこかに行っちまうんだから虫が良すぎるぜ」
「人間たちも、まさかこんなことになるなんて思っていなかったんだろうな」
「みんな、驚いた顔して逃げて行ったもんな」
「それに、怒っている人たちもいたな」
「村に住んでいた人たちも騙されていたんだろうな」
「でも、人間たちは虫が嫌だ嫌だ言ってるぜ
汚いからだってよ」
「自分たちは特別だと思っているんだよ」
「自然さえも制覇できると考えてやがるんだ」
「困ったもんだ」
人間は特別な存在じゃない
特別おろかな生物ではあるけれど
この世で起こっていること
すべてが奇跡なんだと思う
当たり前に起こっていることなんて
何にもない
自分が生まれてこれたことも奇跡だし
いまこうして生きていられることも奇跡
その中で
大好きなスポーツもいろいろ出来たし
素敵な人たちとも出会えたし
旅行にもいけたし
パン屋も出来たし
産まれてこれて
本当に儲けもの
産まれていなかったら
こんな経験は出来なかったんだから
これからの人生も
何かが出来れば
儲けもの
うまくいかなくたって
そんなことは
なんでもないこと
何かが出来ることが
奇跡的なことなんだから
もとから
何にもないんだよ
うまくいかないことを
受け入れられないのは
こころのどこかに
当然という思いが隠れているからだ
当然なんてものを
捨ててしまった方が
いっぱい喜べるし
いっぱい感動できるのではないだろうか
動物や蝿やゴキブリや土が
汚いというのなら
人間だって
汚いものだ
人間は特別な存在じゃない
久々に東京
美術館を廻ってきた
奇想の系譜展
河鍋暁斎展
新・北斎展
ひとクセも
ふたクセもある絵ばかりで
面白かった
こういう素晴らしいものに出会える環境にある地域では
ひとは育っていくだろう
東京にはひとをつまらなくしてしまうものも
いっぱいあるが
素晴らしいものにもいっぱい出会える
何を選ぶかはそのひと次第だが
素晴らしいものがそこになければ
素晴らしいものは選べない
ひとが育っていなければ
素晴らしいものは残っていかないし
生まれてもこない
悪循環
素晴らしい文化も
素晴らしい建造物だって
すばらしい森も
みんなぶっ壊しちゃう
新しいもの
流行りものにこそ
価値がある
ぶっ壊すのは
悪うはないと思うのだが
ぶっ壊したらそれを超えるようなものを
つくらなきゃいけない
ひとが育っていかなければ
どんどん貧しい町になっていくだろう
なまけもののパン屋のチラシが完成しました
お客さんである八木沢さんが
ある日
「チラシ作っちゃいました」ともってきたチラシは
ありがたいがイマイチ納得が出来なかったので
いろいろと要望を出して
改良を重ねてもらった
徹夜などもして作ってくれたそうで
自分の期待や想像を
大きく超えるような素晴らしいチラシを作り上げてくれた
自分でチラシを作ろうという思いもなかったので
八木沢さんがチラシを作って持ってきてくれなかったら
なまけもののパン屋のチラシは永遠に存在しなかっただろう
全然作るつもりもなかったのに
いざ、チラシを作って持ってきてもらったら
チラシ作りたいモードになっていった
チラシはラブレターのようなもので
自分の思いを伝えるものだと思う
その思いに共感してもらえれば
お客さんとなってもらえる
文が多すぎて
読むのが大変な
自分らしいチラシ
店のテーブルの上に置いてあるので
来たら手にとってみて下さい
読み終わったら誰かに手渡してもらえると
ありがたいです
モノを作っているので
モノに興味がある
しっかりと作られたモノを
見たり
集めたり
作っている人に会いに行ったりすることが好きで
自分が遠くへ出かけるときは
ほとんど
そういうモノや人に会いに行くときだ
明日は美術館に行きたい気持ちを
抑えられなくなってきたので
連休最終日だがパンを作らずに
出かけてこようと思う
ここ数年で
身体が急激に動かなくなった
100メートル全力で走っても
30秒くらいかかるのではないだろうか
息も100メートル持たなくなった
運動を続けていれば
ある程度体力は維持できるだろうと考えていたのだが
ここまで急激に体力が落ちるとは
こうなってみると
身体が動くときに
すべてをぶつけるくらいに
運動に打ち込んでいればよかったという思いが残る
誘惑や弱さに負けて
たくさんの貴重な時間を捨てるように費やしてしまったなあ
でもその貴重さを
その当時に感じることは
難しかっただろうな
大根がいっぱいあったので昨夜は
フライパンの上に大根をたっぷりおろして
豚肉を入れて軽く煮て食べたら美味しかったので
(味付けは焼酎、塩、醤油)
これはパンにも使えるかもしれないと思う
きょうの昼はパンを使って改良版にチャレンジしてみた
たっぷりの大根おろしと鯖缶、水少々、ライ麦95%のパンと醤油、酢を
フライパンに入れて
熱が通るまで軽き煮て出来上がり
けっこういける味なので
試してみてください
なんであれ
ひとつのものを
真剣に
誤魔化すことなく
突き詰めていけば
ひとは哲学者になれる
近くにあるゴルフ場が
いつのまにか
営業を止めていた
ここに木を植えたら
立派な林が出来ると思うのだが
やはり
太陽光パネルが並ぶのかな
身体を動かすことが好きだったのに
ずっと動かさずに過ごしていると
身体を動かすことが億劫になってくる
ずっと出かけない生活が続いてくると
出かけるのが億劫になってくる
いまの生活は心地がいい
刺激はないけれど楽チンだ
楽しくはないけど楽チンだ
旅行もエイヤァーと飛び出してみれば
またすぐに行きたくなる
跳びさえすれば
何かが動き出す
お客さんのMさんが
いま、この店のチラシを作ってくれている
素敵なチラシが出来上がりそう
出来上がったら
是非、回し読みしてください
ものごとなんて
意識をどこに持っていくかで
どうにでも見えてしまうんだ
きょうも気落ち良く晴れわたり
ランニング日和
もう速く走ろうとしても
速くは走ることが出来ないけれど
最高に気持ちよく
最高に楽しい
うまくことが運ばないことに思いがいってしまうと
そのことだけにしか目がいかなくなってしまうが
その闇の向こう側には
極上の喜びが輝き瞬いているのだ
うまくいことが運ばないことを嘆くのは
欲張りだろう
うまくいくとか
うまくいかないとか
そんなことより
もっともっと根っこの部分
やれるということの喜び
やれるというだけで
本当はとてもとても幸福なことなのだ
喜びの根源
もう、いつ死んでしまうことになっても
受け入れられるだろう
恵まれた人生だった
もちろんつらいことも苦しいことも
いっぱいあった
そっちの方に目を向けてしまえば
素晴らしく楽しい日々があったことが見えなくなってしまうが
間違いなく素晴らしく楽しい日々は
どうしよもないくらいに
たくさん存在した
素晴らしい人たちにも囲まれて
申し分がない人生だった
余生があるのは
儲けもの
そのときがくるまで
目一杯楽しもう
興味があることに
飛び込んでみると
そこから
どんどん自分の世界が広がっていく
最初は木で作られた椅子やテーブル、
写真立てなどに興味を持ったのだが
そういうものが展示している場所や
販売している場所などには
漆が塗られた製品なども置いてあったりして
そういうものを見ているうちに
漆の世界にも魅せられてしまい
漆器なども使うようになった
するとそこに施されている蒔絵や沈金にも興味をもった
その世界に入り込んでいくと
蒔絵や沈金は絵が生命線であることがわかってきた
どんなに蒔絵や沈金の技術があっても
絵がダメならお終いなのだ
そこから今度は絵画の世界へとのめり込むことに
なってしまった
音楽もそんな感じで
たまたまアンケートの答えて当選した
アイリッシュミュージックのコンサートの入場券
アイリッシュのCDはものすごい量買ったね
コンサートもいっぱい行った
そういうところにもいろいろと接点があって
イングランド、スコットランドと広がっていき
更に北欧、中東、東欧、アフリカ、日本と
どんどん広がっていった
今年はまだ強烈な寒さではないので
走っていても気持ちが良い
店の前の坂道を下りて
右の曲がると町
左に曲がると田畑や川や山
何かの用事がない限りは
左に曲がる
中途半端に中途半端なものがあるよりも
返って何もない方が魅力を感じる
この人のもとで学びたいとか
こういう勉強をしたいから
この大学に行きたいという強い思いは
なくて
名前だけで決めている人たちが多いのは
いまも昔も同じ
大学受験のためだけにする勉強って
もったいないと思う
時間は貴重だ
この大学で勉強したいなら
足し算はどうしても必要だから
それだけは習得して来て下さい
足し算を習得出来ていたなら
入学を許可します
そんなんでいいんじゃないかと思うのだけど
高校生の段階で
何の仕事をやりたいかなんて
なかなか見つけられないと思う
家と学校の行き来だけが
世界なのだから
もっといろんな世界
広い世界を見られるような
そんな環境が整えばいいのに
本当にやりたいことが見つかっているなら
学校なんて行かずに
その世界に入っていけるような
そんなふうに
世界が確立していけばいいのにな
大学へ行って
経営学を学んだ
実践的な勉強をするのかと思ったら違った
会社は誰のもか?
そんなことを一年かけて勉強するところだ
自分は何のこっちゃという感じで
それを二年間勉強することになったが
いまでも何のこっちゃで
理解出来ていない
社会に出て役立つこと
経営者になるにあたって役立つことなんて
経営学部では
何一つ学べなかった
図書館に行って
本を読んでいた方が
ましだったと思う
でも、やはり講義や本を読んで学んだ知識なんて
そんなに役に立たない
医療関係などは使えることもあるのだと思うが
変な知識があるのは
逆に邪魔だ
頭が固くなる
パン屋をはじめる前に
たくさんパン作りに関する本を読んだが
そこから得た知識なんて
何一つ役立たなかった
経験もないのに
本を読んだところで理解できないんだ
現場でしかわかることは出来ない
力を付けることはできない
大学を出たかどうかとか
どこの大学を出たか
そんなことを
選考基準にしている会社なんて
それだけのものでしかないだろう
そんなものじゃ
人ははかれない
しかし、そんな
いつの間にか作り上げられてしまった
ウソかマコトかのシステムの中で
いまも昔も
人々は翻弄されながら
恐々と生きている
それだけのものでしかない会社に入るために
貴重な時間をなげうって
こころからやりたいと思うことも
ほったらかしにして
セイカセイカセイカセイカと生きている
こういうシステムが
いまのこんな日本を作った
いまの日本を変えるのなら
まずは、こんなシステムを
どうにか
することだろう
食べることは生きていくことにおいて基本的なこと
だから味覚を整えておくことは基本中の基本
その基本ができてない人たちが町に集まれば
町は底の浅いつまらないものになるしかない
いまの時代は成果を求め過ぎな気がする
小学校、中学校の部活やクラブ活動で
そこまで勝敗にこだわる必要があるのだろうか
野球部に入ったのに
3年間野球の試合に出られないって
おかしいよな
三年間キャッチボールとバッティング練習で終わってしまう
うまくなけりゃあ試合に出られないと思い込んでしまう
それが当たり前になってしまう
うまかろうが
下手だろうが
平気で野球やればいいんじゃねえの
きのう、きょうもランニング
冬は冬で空気が澄んでいるので気持ちがいい
椅子のおかげで腰痛がなくなり
継続してトレーニングが出来ている
もう少し早く
この椅子に出会えていたらという思いもあるが
いま運動を出来ていることを喜ばなければ
欲張ってはいけない
好きなことが出来るということに感謝
パン焼き2日目
小麦酵母が更に元気になってきた
小麦のパンを試食
いい味
いつも年初めのパン焼きは
酵母をうまく良い状態へともっていくことができなく
出来の悪いパンしか焼けなかったのだが
今年は合格点をあげてもいいかなというパンが焼きあがった
小麦酵母の力がちょっと弱いような気もしていたのだが
焼きあがったパンを食べてみると
自分好みの味が出ていた
パンは食べてみるまでわからない
きょうは良いパンになったんじゃないのと
高まった気分で食べてみると
あんまり美味しいくなかったり
きょうのパンは自信がないなという場合でも
食べてみると感動してしまうような味であったりと
最上の味を求めて
可能性が見出せたなら
作り方もどんどん変えていく
誤魔化しや嘘をつくことなくやっていれば
必ず進化していける
何十年経とうが
どれだけ力がつけたとしても
やっている限りは
必ず進化していける
今年最後のパン焼きにしようかなと考えていたのだが
きのうの寒さで
窯の電源を切った途端
作業場の温度が急激に下がってしまい
そのことに気がづかずにいたので
酵母の発酵が進んでいないことにも気がづかず
ライ麦酵母は使用できず
締りのない終わり方
しかし寒い日の対処方が見つかって
また引き出しがひとつ増えてくれたので
良しとしよう
とても難しいパンだけれども
やるからには
最上の味を求めていきたい
3連休はたくさんのお客さんたちと
素敵な時間を過ごすことができた
パンもそれ程悪くないものができたと思う
毎日うまいパンが作れればいいのだが
パン作りは
毎回納得できるパンが出来るような簡単なものではない
室温や他の生地との兼ね合い、自分の調子、偶然性などなど
足を滑らせ谷底へ真っ逆さま
そこに偶然飛んできた一反木綿
運良くその背に着地して
一命を取り留めた
うまいパンは
それくらいの奇跡的なことが起こらなければ
出来上がらない
自分に出来ることは
いまの自分の力をすべて出し切ってパンを作ること
いまの自分をすべてぶつけて誤魔化しのないパンを作ること
それしか出来ない
本物のような味を目指すのではなくて
本物の味を追究していく
何とかという店の
何とかというパンのようなパンを目指すのではなくて
俺は俺のパンを作る
きょうは面白い味のパンになった
発酵というものの面白さ
パンというものの面白さ
感じてもらえるかはどうかわからないが
感じられる人には感じられると思うので
ためしに来て下さい
明日23日午前中から販売します
シンプルなパンだから出せる味
シンプルなパンだからわかってもらえる面白さ
味付けの濃い料理は素材を殺してしまうように
余計なものが入れば
余計な味が邪魔をして
粉の味も楽しめなくなるし
発酵の面白さも感じられなくなる
もちろん
そういう面白さを
わかってもらえるようなパンを作るには
作り手にも力がなくては出来ないが
本日も素敵なお客さんとの出会いがいっぱいあった
産まれてきたことパンという食べ物と出会えたこと
パンという食べ物が誕生したこと
店をやれているということ
自分が作るものを食べてくれる人がいるということ
そのほかの
もっともっと
いろいろなことに感謝
毎日が奇跡
すべての現象が奇跡
版画がどうやって作られるのか
そういうことがわかれば
また違った楽しみ方で版画を観られるようになるのかもしれない
知識でものを見るようになると
見えなくなる部分も出てくるので
それがいいことなのかどうかはわからないけど
でも版画は眺めるよりも
作る側の方が何億倍も楽しいのだろうな
年齢よりも若く見えてしまう要因のベスト3を
自分が感じているままに挙げると
食べているもの
生き方
遺伝
子供の頃に外で食べることが
少なかったことは
パン職人として生きる上では
幸いだった
きょうは
ほうれん草に酢と醤油と頂いたゆずをかけて食べた
ゆずを料理にかけることは
いままでほとんどやったことがなかったが
うまいね
このところ野菜とライ麦パンで
心身ともに絶好調
冬こそ
ライ麦パンなのだ
特に女性の方!
美しくありたいなら
この時期こそ
ライ麦パンですぞ
お客さんに鹿児島のお茶を頂いた
前にも同じお客さんに鹿児島のお茶を頂いたことがあるのだが
衝撃だった
お茶ってこんなに美味しくものなんだと教えてもらった
物事は実際に体験してみなければ
見えてこないし
何もつかめない
学校などでどれだけ知識を詰め込もうとも
なにひとつ
見えるものはないんだ
宮大工 西岡常一棟梁の言葉
「合理的なことを考えずに、時間がかかってもええから
本当の仕事をしてもらいたい
誤魔化しでなくて
ほんまの仕事をやってもらいたい」
このところの休みの日は
出かけることなく
体力の強化
若い頃のような成果は出ないが
それでも
負荷を増やせば
身体は動くようになる
自分は身体を動かしているときが
やはり
いちばん幸福感に浸れる
12月に入ってから
平日のお客さんがめっきり減ったが
パンは出来る限り作っている
パンを作る度に何かしらの学びがあり
日々、欠片を見つけながら
階段を上っている
パンを作れていることに感謝
恵まれ過ぎている人生に感謝
自分の作るパンは
自分でも面白いと思う
この店にパンを買いに来てくれる人たちは
この面白さを感じてくれているのだと思う
シンプルな材料で作るパンだからこそ
見えてくる発酵という働きの面白さ
バターの香りも
砂糖の甘さもないパンだけれども
そこには
深い
深い
味わいがある
調子が上がってきたので
きょうもパンを作りたかったのだが
売れ残ったパンが
作業場にもいっぱい
パンを作る場所がないので
朝からランニング
きょうは最高に気持ちがよかった
走っていてうれしくなってくる
走るほどに
身体からエネルギーが湧き起こってくる
こうして走れることに感謝
産まれて来られたことに感謝
生きていることに感謝
野菜がうまい
身体が野菜を求めている
ネギと春菊の炒め物にこころが弾む
オーブンに放り込んでおいた秋茄子を
裂いて塩をパラパラと散らしほうばると
旨み汁がジュワジュワーと垂れ出してくる
止められない止まらない
塩を振って焼いたしいたけのプルプル感と旨み
大自然の恵みに感謝
春菊の炒め物も味付けは塩と七味唐辛子だけだし
野菜は偉大だ
午前中にランニングやらサンドバックやら
トレーニングを終えて
昼飯は薄くスライスしたライ麦80%のパンを
フライパンに敷き詰めて
その上に鯖缶をドバッと落としてから
千きりの白菜もドバッと落として
更に大豆の水煮もドバッと落として
蓋をして中火で数分
味付けなし
こんなんでも美味しく食べられるライ麦パンの偉大さ
わかってない人はもったいないと思う
うまいライ麦料理があればビールがうまい
食後、本を2ページ読んだところで
身体の疲れと頭の疲れで
眠くなってきたので昼寝
読書は予想以上に脳みそを使っているようだ
目覚めたら絶好調
目も頭もバッチリ冴えて
身体も疲れがまったくない
超さわやか気分だったので
もう一度ランニングに出かけた
きのう、きょうと珍しく足が軽かったので
ダッシュを繰り返す
心臓は破裂しそうだし
手足がもぎれてバラバラになりそうだが
もう限界と思ったところで
もうひと踏ん張りして数メートルでも先に進んでみる
生きている中で自分がいちばん喜びを感じる瞬間だ
怖くても怖くても踏み込んでみる
自分を全て出し切れば出し切るほど
死に近づけば近づくほど
人間の喜びは大きくなる
この国に暮らすほとんどの人が
自分は死なないと思っている
いつかは死んでしまうだろうが
いまは死なないと思っている
それは死から最も離れたところで毎日を生きているから・・・
死が見えない
いまは命を懸けなくても生きられる
死を感じる瞬間に出くわす機会がないのだ
そこがいまの僕たちのが抱えている虚しさの根源なのではないだろうか
動物を捕って暮らしていた時代は
毎日が命懸けだっただろう
動物が捕らなければ生きてはいけない
医療がまだまだ未発達だった時代
怪我や病気で命を落としてしまうことも多かっただろう
動物を捕るにしたって銃なんてものはない時代だから命懸けだ
誰の中にも死がすぐそばにあった
自分の全てを出し切らなければ生きていけなかった
彼らには
いまという時しかなかった
いまを思いきり生きたし
いまをおもいきり楽しんだ
上手いだとか下手だとか関係なく
誰もが歌い
誰もが踊った
そこには大きな喜びがあったはず
現代では自分のエネルギーを使わなくとも
代わりのエネルギーが何もかもやってくれる
動物は誰かが用意してくれ
調理だって誰かがやってくれる
寝転がってテレビでも観ながら
チンとなるのを待っていればいい
電気やガソリンが自分たちをどこかに運んでくれる
自分がいったい何をやっているのか
何を作っているのかわからないくらいに
分業化が進み
ただ何かの一部となって生きている
自分が自分の力を発揮しなくても
誰かが
あるいは
何かが
代わりに
やってくれる時代だ
命燃やさなくても
生きていける
そんな時代だ
材料の注文を出すのを忘れていた
届くまで材料がもつかな
こういうことは
しょっちゅうあることなので
自分にとっては珍しいことではない
でも子供の頃はもっとすごかった
学校では毎日何かしら忘れ物をしていたし
宿題もほとんどやった例がない
子供の頃はいまの瞬間しかなかった
いまという時といまやっていることが全て
自分の中に過去も未来も存在していなかった
宿題なんて出された瞬間から過去のも
次の日にみんなが提出するまで
宿題が出されていたことなんて忘れている
笛やら教科書やら学校に持っていくものがあっても
使うのは先のこと
自分の頭の中には存在していない
その頃の方が生きることを楽しめていたのかな
はじめて、この店に来た人達に
ライ麦95%のパンは
スープや炒め物、カレー、煮物、酢の物なんかに
ちぎり入れて食べてくださいと説明すると
こんな返答がよくある
「じゃあ、これはもうほとんどパンではないですね」と
パンに対してもっているイメージは人それぞれ
自分はこのパンこそが
パンだろうと思っている
気温が低くなってくると
休みの日の
酵母の扱いが難しくなってくる
特に小麦酵母の管理が難しく
11月に入って3週続けて
酵母を弱めてしまったので
水曜日はいつも
酵母や生地を修正しながらの作業となるため
焼き上がりがオープン時間の60分後、90分後と
なってしまっていた
きょうは、しっかりと良い生地に仕上がってくれた
どうしてやれば良いのかがわかってきた
引き出しが増えてくれると
やはり、うれしい
その分良いパンが出来る確率が増えてくるからだ
出せるものなら
毎日うまいパンを店に並べたいもん
人間は慣れてしまう生き物だ
身体を動かすことをしていれば
それが習慣になってしまうし
身体を動かさなければ
それが習慣になってしまう
濃い味のものばかり食べていれば
それに慣れてしまうし
薄味のものばかり食べていれば
それに慣れてしまう
だから
何かが変わるだけで
180度違う人生を送り得ることだって
ある訳だ
時に、こころは脆くもあり
強くもある
でも
どんなことが起ころうが
それでも生きて生けるのだから
人間のこころは
基本、強く出来ているのかな
小麦酵母のパンがめちゃくちゃうまい
恐ろしいうまさ
きのう、きょうと
もしかしたら
これまでで一番のパンだったかもしれない
最高の状態の生地がどんなものなのかが
わかったのは大収穫
最高の状態の生地の発酵の見極めも方もつかむことができた
今年はすごかった
4段階5段階と
一気に駆け上がってしまった
これまでに
うまくいかないときに見つけ
拾い集めてきたパズルの欠片が
繋がり始めて
形が見えてきた
だいたいの形が見えてきたなら
足りない部分を想像するのは
易しくなる
いままでも目の前に存在していたのに
見えていなかったもの
それが
なんでもなく簡単に見えてしまう
いまの自分はそんな状態
午後三時満月
今回もお客さんがいっぱい来てくれた
きょうは大田原マラソンの日
県外からもたくさんの人がやってくる
毎回レース後にパンを買いに来てくれる方たちが5人いて
今年もその5人の人たちは来てくれた
これはね
うれしいよ
みんな30歳40歳越えている人達だが
それぞれの場所で
がんばって
そして、楽しんで生きているようだ
オープン当初から来てくれていて
自分のパンをいちばん食べてくれている
Kさんが長い病院暮らしから
自宅へ戻られたとのこと
病院でもトースターを持ち込んで
パンを食べていてたそうで
「このパンのおかげで生き延びられた」とのお言葉も頂いた
こういう人に支えられながら自分は生きている
年齢は80歳前後
これからもバリバリパンを食べ続けてください
今週も自転車で茨城県大子町へ
今回は大子町の3つの巨木を巡った
だいご小学校の欅
月居観音堂の銀杏
もみじ谷のモミジ
三つの木とも圧倒的な存在感
大子町には他にも大きい木はいくつかあるが
この三つの木の存在感には敵わない
山の中はもみじの紅葉がだいぶ進んでいた
月居山付近は圧巻
空が赤い色で埋め尽くされている少し山の中を走ってから
もみじ谷の大もみじに腰掛けてサンドウィッチの朝飯
自然木のブランコに寝転び風景を楽しんでから
もうひとっ走り
かなりきつかったが
身体がいくらか再稼動してくれた感じ
身体がだいぶ軽くなった
そろそろ寒くなってくるだろうし
風も吹き始まった
大子行きはあと一回くらいで終わりかな
うまい料理を追究していけば
素材の味を引き出すために
塩や醤油の量を減らしたりと
余計なものを取り除いていくということが
起こってくるのではないだろうか
逆に下手な料理人や味覚が出来ていない料理人は
余計な調味料やスパイスを加えていってしまう
(素材は台無しになってしまうのだが
そういう料理の方が地域によっては
お客さんがいっぱいやってきてしまうのだから
恐ろしい)
パン作りも料理といっしょで
うまいパンを追究していけば
余計なものは取り除いていくことになる
でもそういうパンが人気がないのは
料理といっしょ
外に出ると
突然目の中で星が瞬いた
見上げると素晴らしく美しい星空
久しぶりに夜空を眺めた
見上げれば、毎日そこに美しい夜空があるのに
そこに美しい夕焼けがあるのに
そのことを忘れて生きている自分
那珂川温泉旅館に行ってきた
お客さんに薦められていたのだが
なかなか行けなかった
ちょっと興味があるなあという気持ちから
ものすごくいってみたいなあという気持ちに変わってきたので
行ってきた
どの辺にあるのかつかめていなかったのだが
思っていたより近くにあった
馬頭町に行くときに必ず通る道
必ず止まる信号の真正面に
大きな看板があった
大きな目が二つも付いているのに
まったく見えていなかった
ひとはそんなにいろんなものを見ていない
見ているようで見ていない
見ているつもりで見ていない
素晴らしい温泉だった
朝から自転車
大子町に向かう
11月なのにこのところ暖かい日が続いている
大子の山でも黄葉が始まっている
もみじは少し遅いようで
一週間か二週間先だろうか
いつものように観音堂で鐘を突いてから
月居山から第一展望台、第二展望台を抜け
もみじ谷の主(大もみじ)のところへ
ここは麓の村に抜けるルートになっているのだが
滑って歩きづらいので
おそらく、このルートを歩く人は皆無だろう
通る人がいたとしても主は大きいわりに
なぜか目立たないので
現在この木の存在を知っている人は
地元の人でもほとんどいないのではないだろうか
山を降りると町は人で溢れていた
大子の町が一年でいちばん賑わう時期
ちょっと奥に入れば
もっと素晴らしい景色に出会うことができるのだが
みんな行くところはいっしょだ
いまは全部自分の代わりにやってくれる
スイッチ押せば誰かがバット振って
ボール投げてグラウンドを走り回ってくれるし
クリックすれば想像したり考えたりすることなく
答えにたどり着いてします
キーをまわして足を踏み込めば
猛スピードでどこかに行けてしまうし
チンとなれば調理をしなくても
食事が取れてしまう
評価、評価
人の評価で買うもの決めたり、行く場所決めたり
人の評価を気にして
気に入られるもの作ったり
やりたいことやらなかったり
人の評価で自分にとっての良い絵が決まめてしまったりと
人の評価を基準にして生きている
もう自分が自分でなくなっている
もしかしたら人間でもなくなっているのかもしれない
物事の深みも感じることができるだろう簡単で便利なことは
いいこともあるし
悪いこともある
簡単で便利なことを選択したことで
必ず
何かは失われる
人間の持っている能力であったり
人間としての喜びであったり
それは人間にとって
とても大きなもののことが多いので
新しいものが出てきたからとか
みんながやっているからと
容易に飛びついていたら
自分が自分でなくなっていくかもしれないし
もしかしたら人間でもなくなっていくのかもしれない
表面だけ綺麗に着飾ったものに騙されることなく
真の美しさというものをわかるようになれる生き方
美しいものを知らなければ美しいものがわからないし
自分自身が美しい生き方をしていなければ
美しいものを美しいとは感じられない
表面だけの浅い世界
モノを見る力がなければ
その表面だけの浅さに騙されてしまう
文明経済社会の思うつぼ
本日も快晴
まもなくやってくる冬の日を思えば
これだけ気持ちのいい日に
出かけないなんて選択はありえない
昨日たどり着けなかった県民休養公園へと
再チャレンジ
思っていたよりも近くだった
帰ってきて
押しライ麦のパンと丸パンを食べる
作り手として
うれしいうまさ
どちらのパンも出来が良ければ
二日経ってもおいしく食べられることがわかったのは
収穫だ
先週、烏山市へ行く途中に見かけた『県民休養公園』の看板
気になっていたので、きょうはそこでランニングをすることにして
自転車で出発
先週通った道を行けば着くだろうと考えていたのだが
気がつくと全く記憶にない道
でも、そのおかげで花の寺と掲げている東輪寺というお寺に出会うことができた
咲いている花は少なかったが夏にはたくさんの種類の蓮の花が開くそうだ
結局、県民休養公園は見つからず、先週に続き烏山市街地まで来てしまった
そしてここで、またおかげさま第二段
烏須山城跡の看板を発見
まさか、こんなところにあったとはと驚いた
そしてそこがなかなかのランニングコース
初っ端の階段は何段あったのだろうか
体力低下を痛感
足も上がらないが
息が持たない
キツイコースだったが土の上を楽しく走れた
方向音痴と記憶力の無さは
生きていくうえで
そんなに悪いものではない
昔、忘れ物ばかりしていて
学校でよく叩かれたり、罰を与えられたが
忘れ物をするのは気が緩んでるとか
そういうことじゃなくて
そういう脳なのだから
仕方がないことで
そういうことは教師をするなら
理解しておいてほしいと思う
このところ、隙あらば布団に潜り込んでいる
一ヶ月前に風邪をひいて
寝込んだ
そのとき身体が眠ることの心地よさを
知ってしまったのだろう
風邪を引く前までは
連日のようにパンをこねながら眠りに落ちていた
あっちで転がり
こっちで頭をぶつけ
フラフラとパンを作っていた
風邪をひいたのも寝不足が大きな要因だったのだろう
いまはとても調子がいい
頭がすっきりした状態なんて
すっかり忘れていた
きょうは出だしに
なんだなんだというくらい
お客さんがやってきた
もしかしたらと思って
外に出てみたら
やはり満月だった
何故だか満月の日には
お客さんがやってくることが多い
身体と月の影響
よくわからないけれども
何かあるのだろう
満月にひとが
ライ麦パンを求める理由も
何かあるのかな
土曜、日曜と空洞パンの出来が素晴らしかった
きょうのお昼は
その空洞パンもサンドウィッチ
青唐辛子とレンコンを炒めてから
卵と酢を落として目玉焼きを作り
火を止め
会津トマトとチェダーチーズを投入し
絡めたもの(味付けは塩)を挟んだら
うますぎて
二枚をぺろり
酒も飲みすぎた
今朝は自転車に乗り
烏山市へ
時間があるので
最短距離ではなく
気持ちの良さそうなコースを選びながら
ただ外に立っているだけで
幸せを感じてしまうくらい気持ち良いのだが
自転車はもっと気持ちよかった
秋の光、秋の空気、秋の色
朝の光、朝の空気、朝の色
早い時間に出かけてきてよかった
烏山の清水川公園でランニング(アップダウンがあって良い場所だった)を
してから山あげ会館へ行き有坂カラスコレクションを鑑賞
三期連続で来てしまった
よくこんなにカラスのものばかり集めたものだ
人生は世のため人のためなんて考えて生きるよりも
こんなバカバカしいことをやって生きる方が断然楽しいのだと思う
島崎酒造で東力士と酒粕を買い込んで帰館
うまい
うまい
トマトをいただいた
トマト農家になって2年目
冬はレストラン
夏から秋はトマト農家
南会津の山奥で暮らす夫婦と子供たちからの贈り物
甘みと酸味のバランスが素晴らしい
近年こういうトマトに出会う機会は滅多にない
甘いだけのトマト
のっぺらぼうのトマト
最近トマトの購入量が少なくなっていたのは
そのせいだったのだろう
うまいのでバクバク食べてしまったが
このトマトならなまけもののパン屋のライ麦パンにも
絶対合うはず
残りはサンドウィッチにして食べてみよう
高校や大学に行くためだけの
勉強なんてもったいない
人生はそれ程長くない
若いときにしかできないことって
あると思う
そういうふうに思う人って
あまりいないのか
そういうことを経験してきた人たちは
これは無駄なことだと思わないのか
毎年繰り返され終わることのない
受験勉強
何かを変えるなら
ここからじゃないのだろうか
4週続けて栃木を脱出
自転車で茨城県大子町へ
大子町の街中に入ったところで
クラクションを鳴らして
自分に手を振るトラックの運転手と遭遇
顔が良く見えなかったのだが
誰だっただろう
誰かと間違えられたのかな
二時間ばかり山を歩いてから
だいご小学校の巨大欅と再会して
帰ってきた
山の紅葉はあと2週間ちょっとだろうか
京都なんかに行くよりは
この山の紅葉を観た方が
絶対感動できるから
近くの人は行ってみてね
旅は迷子になってこそ面白くなる
思ってもいなかったこととの出会いが
旅を豊かなものにしてくれる
本日、木曜日から営業再開しました
水曜日の夜に旅から帰ってきて
同時に冷蔵庫で保存していた酵母も
活性化開始
次の日の夜には力を取り戻していた
これまで酵母を短い時間で回復させられるか不安で
泊まりの旅にはなかなか出られなかったのだが
休みの間の酵母の扱い方がわかったので
これからは気分転換の時間が取れそうだ
肩の力を抜いて生きられそう
京都に行きたくなってしまったので
仕方なく、店を休みにして京都に行ってきた
縁あって自分のところに廻ってきた一枚の絵
その絵を描いた狩野永敬というひとの襖絵を見ておきたかった
残された時間
やりたいことは『いま』
やっていかないと
一日目は
三年坂美術館で明治時代に作られた印籠
智積院で等伯の襖絵
養源院で俵屋宗達の板絵と襖絵
聖護院で永敬の襖絵
5年前に京都に来たときは
こういうものに全然興味がなかったのに
面白いものだ
いつものように昼飯は食べそびれた
夕食は宿の周辺に惹かれる店がなく
どうしようかと思っていたところに
スパイスの香りが漂ってきた
インド料理の店
なかなかいい味
二日目は
ランニングで京都を回った
朝6時宿を出て
まずは鴨川を走る
ここはやはり良いね
みんなに愛されている川は活き活きとしている
高野川にそれて岩倉方面へ
そこから鞍馬寺まで駆け登る
岩倉の実相院で永敬の襖絵と対面
京都府の植物園を少し歩いて
上賀茂神社と下鴨神社を巡る
さば寿司を買ったので
ランニングは終了
梨木神社で水を汲んだり
酒の肴を買い込みながら
四条大宮の宿までブラブラ歩く
京都満喫
旅行者は見ることがないであろう京都の景色にもいっぱい出会った
もう思い残すことはない
京都よ、ありがとう
昼飯抜きだったので
6時頃からビールと日本酒で
夕飯
いつの間にか眠っていた
3日目は三重県津市に移動
県立美術館で曾我蕭白の襖絵や屏風を観て
今回の旅は終了
しばらくは日常に集中できそうだ
自分の中に全ては揃っている
きょうはパンが残っていて
パンを作ることができないので
仕方なく、自転車を乗りに行った
白河方面
稲穂とススキと乾いた空気
目から鼻から皮膚からと
秋が入り込んでくる
気持ちが良すぎる
10月はからだを動かすのに
いちばん良い季節
南湖でランニングをして帰ってきた
来週の仕方なくは
どうしようかな
又自転車に乗ろうか
それとも山歩きに行こうか
木曜日 良いパンが焼けたがお客さん少な目
木曜日は週の中でいちばんお客さんが少ない日
残ったパンは明日販売
このパンからドラマは始まる
金曜日 埼玉、茨城 東京の三県からお客さん
きのう焼いたパンはあらかた売れる
県外からのお客さんがないと
やはり、まだ厳しいか
土曜日 体調の悪さはピーク、なんとかパンを焼き上げたが
もう力が残っていない
明日は台風接近だし、作るのは止めて身体を休めよう
雨降りで、土曜日の割りにお客さん少なし
お盆明けから雨が降らなかった日は3日くらいじゃないだろうか
日曜日 台風接近中なのに思いの外お客さんが来てくれた
パンもほぼ売れてくれた
きょうのお客さんはすべて栃木の人だと思う
最近、ライ麦量の多いパンが売れている
95%と空洞パンはこれまでにないくらいの売れ行き
ライ麦量の少ないパンの方が人気がない
胡桃などが入っているパンよりも
プレーンなパンの方が売れるようになってきたかも
自分には良いパンを作っていくことしかできない
そこにお客さんが付いて来てくれるかどうか
今週は少しだけ手応えを感じられた一週間
パンは悪くない
これ以上、レベルUPさせていけるかは未知の世界でわからないが
いまのパンならお客さんが付いてくれてもおかしくない
70年 80年 時間はかかるかもしれないが
ライ麦パンを売るのには日本で最も難関なこの土地で
ライ麦パンが売れるようになる日が来るかもしれない
火曜日、水曜日は体調が悪く
外に出かけられなかった
軽く身体を動かし
映画と読書と昼寝
このところ休みの日でも
あまり睡眠時間が取れていなかったので
疲れが溜まっていたようだ
休み明けのパン作り
身体はまだきついが
パンは最高の出来
涼しくなってきて
小麦酵母の膨らみ具合が
明らかに変わってきた
数日前までは自分が手を貸してやらなければ
力足らずだったのだが
いまでは勝手に力強く駆け回っている
少し休みたいが
元気すぎる酵母を見てしまうと
パンを作りたくなってしまう
うまいパンが出来るだろうという期待もあるのだが
酵母がいつまた調子を崩すかという怖さも常に抱えているので
酵母の調子がいいときには作っときたいんだ
寝る前に
外に出て空を見上げる
もうすぐ満月か
眩しき月の存在感
流れ行く雲
きらめく星座
ああ、戻ってゆく
戻ってゆく
宇宙のリズム
宇宙の息吹
ぼくが宇宙で
宇宙がぼくで
今夜の夕食空洞パンを使用(きょうは焼かず)
オリーブオイルで青唐辛子、セロリ、レンコン、アスパラを炒める 味付け塩のみ
別に焼いておいた鳥ササミ (オリーブオイル、塩)といっしょに
空洞パンに詰め込んで出来上がり
うまい!
蕎麦焼酎と供に
伸びたいように伸びて行けばいい
自分自身の命の力を使って
仮面なんてかぶらずに
自分の顔で歩くんだ
誰かにほめられるために生きているわけではないのだし
誰かの期待にこたえるために生きているわけでもないのだから
そのまんまの自分でぶつかっていけばいい
叫びたいように叫んで
踊りたいように踊る
好き放題やればいい
抵抗して抵抗して生きればいい
だって
そうじゃなくちゃ
楽しくないもん
教育の育は
人を育てるということじゃない
人は様々な困難に立ち向かいながら
自分の力で育っていくもの
自分自身でものごとをつかみとっていくことなしには
伸びていくことはできない
自分の中にある芯を曲げてしまえば
生きていることの喜びを感じられなくなるし
生きていく力が沸き起こってこない
子供だからといって
子供だましのものを与えていたら
子供は本当に騙されちゃうんだよ
作り手の思いがこもり、しっかりしたつくりのものは
それを使うひとのこころを育ててくれる
職人さんたちの技と手間隙が集結して作られた漆塗りの椀でもいいし
丁寧に削られ拭き漆で仕上げられた箸でもいい
何かひとつでも、そういうものを子供に与えておけば
そこから何かが芽生え、勝手に子供のこころを育ててくれるだろう
自分の場合は黒檀の箸と何焼きだかはわからなかったが
どっしりとした作りの飯碗を子供の頃から使っていた
物の良さは子供にもわかるし
良いものを使うことの良さも子供は感じてしまうものだ
だから自分はいまでも漆塗りの箸を使っている
プラスチックの箸は選べない
子供の頃にしっかりとした作りの良いものとの出会いは
自分の中に大きな影響をもたらしてくれている
物の深さや浅さ、良さや悪さ
そういうものを感じることができるこころを育ててくれた
自分が目指しているパンにもこういう土台がある
黒檀の箸との出会いがなかったら
いまのようなパンとはまったく違ったパンを作っていたはずだ
きっと文明に溺れまくったパンを作っていたのじゃないだろうか
文明を選ぶ人間になるか
文化を選ぶ人間になるかは
子供の頃の体験が大きく影響している気がする
本日の夕食用のパンはライ麦95%
青唐辛子、ごぼう、セロリを油を使って蒸炒め 味付け・塩
そこに卵いくつかを落とし、酢、ピーマン、水煮大豆、さばの水煮を
ばら撒いてから蓋をして、待つことしばらく
卵が固まってきたら、火を止め
酢をかけてオーブンで焼いておいたライ麦95%をちぎりいれる
ミョウガもあったので刻んで入れる
よくかき混ぜたら出来上がり
自分は
かなりの怖がりだしだし
気使いだし
それでいて頑固だ
だから起用には生きるということは出来ないが
それでいいと思っている
こんな人間になりたいという思いはない
いまのままの自分で
こころのままに
生きていければいいと思っている
文章を書くのは下手だ
だけど、それでいいと思っている
自分のいまの思いを
吐き出せれば
それでいい
福祉大二年の女子大生が
店を出て行く寸前に
意を決したように振り向いて
「この前の珈琲屋さんはまたきますか」と聞いてきた
自分から積極的に話をするようなタイプ方ではなかったので
店に来る前から
聞こう、聞こうと気合を入れていたのかもしれない
それくらい、珈琲を飲んで何か感じるものがあったのだろう
大学生が珈琲なんて関心ないだろうななんて思っていたので
ちょっと驚いてしまったが
考えてみれば
こんな一癖も二癖もある自分のパンを食べてくれるのだから
食に対する感覚がしっかりと育っているのだろう
大学生を甘く見ていた
福祉大の女学生は結構な人数、このパンを買いに来てくれるが
彼女たちと同年代の地元の女性で自分のパンを買いに来てくれる人は皆無といっていい
福祉大の女学生たちが特別なのか
それとも地元の女性たちが特別なのか
わからないけど
女学生たちは文明の中の珈琲やパンではなくて
文化を選んだということ
全国的に見てみれば
まだ可能性はあるのかもしれない
秋は本が読みたくなる
秋は音楽が聞きたくなる
秋は外を歩きたくなる
気温や湿度、空の青さ、虫の声が脳に及ぼす影響
午前中のちょっと遅めにランニング開始
この時間でも、もう熱さを感じない
秋風が心地ち良過ぎる
カラスが狩りをしているところに遭遇した
足を止めて観察
はじめて見た
道端をひょこひょこ歩くカラス姿は
手を後ろで組んで散歩をしているおじいさんのようでユーモラス
カラスが進んでいくと草むらのバッタが次々と飛び去っていく
カラスの進行方向から順々に飛び出していくので
バッタがウェーブを作っているようで
これも楽しい
その飛び出したバッタめがけてカラスがジャンプ
成功率はそれ程高くないが
捕まえるとムシャムシャ食べている
坂の天辺まで行くとバッタもいなくなってしまったので
Uターン
坂道を下ってくるがもうバッタはいない
頭の中がバッタでいっぱいで自分の姿が目に入らないのか
それとも人間なんてなんともおもちゃいないカラスなのか
ひょこひょこひょこひょこ自分の方にだんだん近づいてくる
どこまで近づいてくるんだろうと
こっちもドキドキしてくる
5mまで近づいて来たときに
車が来てしまった
残念
店を終えてのランニング
もう秋の空気の方が濃くなってきた
パン作りは季節の変わり目が難しい
18年目にしてようやく
夏を捕まえたところなのに
もう秋を追いかけなければならない
酵母のことをほんの少しはわかってきたので
今年は早めに捕まえられるのではないかと
思ってはいるのだが
パン作りはそんなに簡単なものではないかな
栃
江戸指物師の木村さん
自分が職人に対して持っていたイメージそのままのひと
江戸や明治時代の職人さんも
こんな感じのひとが多かったのではないだろうか
もうこんな職人さんらしい職人さんには出会うことはないだろう
80歳を何歳か過ぎているがいまも
喜びいっぱいにカンナでシュカシュカやっている
木村さんの作ったものもいつか触れてもらえる機会がくるかな
自分の中にある芯さえ折ることなく生きていれば
どんなに苦しい瞬間が訪れようとも
産まれてきて良かったという喜びが
沸き起こってきてくれるので
すぐに苦しみはどこかに飛んでいってしまう
漆が塗り重ねられた赤や黒のお椀
ふっくらと丸みのあるボディラインは蒔絵など施されていない方が美しさが際立つ
両手で包み込んだときのしっとりと吸い付くような肌触りと安心感
妖しく光るツヤと色気
漆器の良さもいつか伝えられたら
かなり久しぶりに酒を一日断った
脳に打ち勝った
違うのか?
脳のどこかの部分が脳の別のどこかの部分に打ち勝ったかな?
それとも脳の同じ部分どうしでの戦い仲間割れなのだろうか?
いまの脳の健康具合はどうなんだろう?
自分の一部なのに
人間は自分のことなんてそれ程わかっちゃいない
不思議なこと
なまけもののパン屋から車で20分くらいのところに
喜連川という地区がある
そこに住むSさん
たまにパンを買いに来てくれるひとで
店に置いてあった椅子にこころ動かされ
同じ椅子を購入したひと
話をしていると
Sさんの口から自分の知っている店の名前が出てきた
鎌倉に行くと必ず寄る『はま善』という地魚料理の店
小さい店だし
この辺に知っている人なんていないだろうと思っていたが
Sさんも鎌倉に行くと必ず寄るとのこと
それからある日
店に入ってきたSさんが
「なんで、ここにあるの?」と何かを指を刺して驚いている
木彫の道化師だった
長野県にある山水館という宿で飾ってあったのを見たことがあるらしい
愛知県蒲郡市で工房を持っている井崎さんが作った道化師だ
井崎正治の塩津村だより
一部の人には知られてはいるが
決して全国区という訳ではないので
この出会いはすごいことだと思う
Sさんはランニングや自転車もやるので
自分とは何かがあっているのだろうね
歳をとってくると
身体が求める食べ物が変わってきた
米は量を食べると苦しくなるようになってきたし
昼は身体が求めてくることがあるが夜はまったく求めてこなくなってきた
鶏肉、豚肉はよく食べるが牛肉は何故か食べるのが苦しくなってきた
ブリはよく食べていたのだが最近油っぽく感じられるようになってきて
食べられなくなってきた
メンチカツは胃にもたれる
自分より歳をとった人でも米や牛肉や脂っぽいものを
平気でバリバリ食べているのを見かけるから
人によって体が必要としている栄養分は違うのだろう
夏、長年にわたりパン酵母を良い状態に保ってやることが出来なかったのは
頻繁に酵母をいじってやれば暑くても
なんとか良い状態に持っていけるのではないかという思い込みが
捨てられなかったことが原因
暑さに対して耐久性がない小麦酵母は
40度を超えるところに置いておけば
短時間で力を弱めてしまう
そのことに気づくまでに18年かかった
酵母を涼しい場所に置いておくことで解決
気がついてみれば
簡単なことだったのだが
そこに行き着くまでには必要な時間だったのだろう
おかげで酵母のことを少しだけわかることができたし
パンを作る上での引き出しも増えた
どんなに当たり前のことであろうとも
人間は段階をしっかり踏むことでしか
見えてはこないものなのだろう
太陽のありがたみも
飲み水のありがたみも
苦しい思いをして
はじめて感じられるもの
ここに来てパンがグングン良くなってきた
うまくいかなかったことを
いっぱい経験したからこそ見えてきたもの
拾い集めてきた欠片が
繋がり始めた
パンのことがわかってくるほどに
手間隙をかけて面倒を見てやらなければ
良いパンが出来ないということがわかってくる
パン作りの年数を重ねるほどに
手間が増えるし
パンについていてやる時間も長くなる
休みの日でも出かけられない日が多くなってきて
泊まりの旅行もここ数年行くことができないでいた
しかし、酵母と毎日向き合うことができたおかげで
酵母のことをいくらかわかることができた
力が弱まってしまった酵母を
短い時間で回復させられるようになってきたので
これからは泊まりの旅行にも出かけられると思う
自分が世界一座り心地がいいであろうと思っている椅子がある
お客さんにゆったりとした時間を楽しんでもらいたく購入した椅子だ
いま店には置いていないが、ここ最近お客さん座ってもらう機会が何度かあった
座り心地をとことん追求した椅子で
毎日座っていると姿勢もよくなる
この椅子に出会うまで座り心地のいい椅子がどんなものなのか
わかっていなかった
この椅子に出会う前に購入した椅子がいま店に置いてある
座り心地がいい椅子だなあと思って購入した椅子なのだが
この椅子に出会ってしまってからは
座り心地がよくない椅子となってしまい
いまでは寝椅子となってしまった
でも寝椅子となってしまった椅子も
自分が世界一だと思っている椅子をまだ知らないお客さんにとっては
とても座り心地がいい椅子らしく
評価するお客さんが多い
きょうも世界一の椅子に座ってもらった
お客さんへの珈琲サービスに来てくれた
昨年の焙煎技術選手権で日本王座に輝いた竹林氏が
連れて来てくれた女性二人
この椅子を作った人と竹林氏には共通するところがあって
それはお客さん第一にモノを作っていることだ
効率を考えれば座る人の身体のサイズに合わせて作るよりも
全部同じ大きさに作ってしまった方がよい訳で
だから普段自分の身体に合った椅子に座っている人というのは少数だと思う
姿勢の悪い人や腰痛持ちの人が多いのはこんなことも要因のひとつなのではないだろうか
(でもこの椅子に出会ってしまったことは幸福なのか不幸なのか外で座る椅子、
食べ物屋さんや乗り物、映画館すごい疲れを感じてしまう)
竹林氏の珈琲も効率とは無縁のものだ
知っている人は少ないだろうがコーヒー豆はかなり汚れていて
お湯で洗うと濁った水が出現する
そのことを知らない珈琲屋さんも少なくないかもしれないが
知っているとしても豆を洗うという手間をかけている焙煎屋さんは限りなく少数だろう
珈琲の雑味は人間のからだに有害なもの多いらしく
竹林氏はその雑味を取り除くために
豆を洗う他にもうひと手間ひと工夫しているのだが
その珈琲を飲んで
そのすごさを感じられる人と感じられない人はやはりいる
世界一の椅子も同じで
良さを感じられない人はやはりいる
大量生産のものが溢れている世の中で
それは仕方がないことなのかもしれない竹林氏の珈琲の
良さを感じ取れたふたりは
椅子の良さも感じ取ったようで
しきりに感心していた
この椅子を作る人は木の状態(乾燥具合など)を見極めながら
作業を進めていくから
作り上げるのに時間はかかるが
製品になってから不具合が生じにくい長く使うことができる家具ができる
同じ家具を作る人の中には
木の乾燥具合や椅子のサイズなどには無頓着という方も少なくない
両者の違いは良いモノというものと
出会っているかということと(家具と限らず、別ジャンルのものも)
そしてその良いモノと出会ったときにそれが良いものだと感じられる力を
持っているかどうかかな?
椅子を購入する消費者だけではなく
椅子を作っている人も座り心地がどんなものか
わかっている人は多くないだろう
珈琲も購入する消費者だけでなく
焙煎したり淹れたりと売る側の人も
やはり身体に負担のかからない珈琲がどんなものかわかっている人は
多くないだろう
そして、これを書いている自分は
人が読んで理解できる文章とはどんなものなのか
まったくわかっていないみたいだ
きょうは素敵なお客さんばかりだったので
お客さんがたくさん来た気になっていたのだが
実際はそうでもなかったのかな
けっこうパンが残っている
きょう焼いたパンをいくつか試食
何だ。このうまさは
こころがザワザワ
感動興奮
この勢いで
突き進みたいが
きのう焼いたパンが残っていたので
きょう焼いたパンはほとんど店に並べられず
明日は焼けないかな
何だかこんなことばかりやっている
いつかは
この状況から抜け出すことができるのだろうか
でも、ここに来てパンがどんどん良くなっているし
お客さんもなんとか希望の明かりを見出せるくらいは来てくれている
行けそうで行けない
あとちょっと
あとちょっと流れがちょっと変わってくれれば
きょうみたいなパンなら
流れを
こちらに向かわせることができるのじゃないだろうか
期待
『本番~』の叫びと共にやってくる緊張感
そして
『ヨーイ スタート!』は魔法の言葉
掛かった瞬間
僕は僕であって僕でなくなる
大林組の人達それぞれの
映画への思いと熱さ
それぞれがそれぞれの仕事を
しっかりとこなしながら
それぞれの思いはひとつの方向へ
間違いなく
新作は素晴らしいものになるだろう
夢見ていれば
夢は叶うと言われているが
それはそこに努力や行動が伴ってくるからだ
夢を見られていれば
楽しいし
がんばれる
もちろん夢を見ていても
叶わないものだってある
それでも夢に向かっていくことはできるし
夢に近づくことはできる
そこに往生際の悪さが加われば
更に夢へと近づくこと出来るだろう
8月13日でなんだかんだと
18周年
はじめてお盆に店を休んだ
このまま3年5年と店を続けていくのを思うと
こころが疲れた疲れたと声を上げる
これからも店を続けていくには
こころに何かドスンというものが必要だった
ホップ、ステップが欲しかった
3度目の尾道、20年ぶりの尾道は
変わってもいたし
変わってもいなかった
大好きな大林宣彦監督が映画の中で見せてくれた風景は
まだしっかりと残っている
10代の頃から何十回と観た『さびしんぼう』
いつか大林監督の映画に出てみたいと
夢見ていた
俳優でもないのに
こうした方がいいのにという思いはあるが
それは自分の勝手な思い
自分の都合でものごとを見ているだけなのかもしれない
人がどう生きようと
その人の勝手だ
正しい答えなんて
やぱりないのだ
千葉の行き帰りの道中
目に付いたのが
超大型店の数の多さ
そこらじゅうに建っている
品数が多いということで
お客さんはやってくるだろうが
超大型店がこれからも
どんどん増えていけば
どうなるのだろう
千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館に連れて行ってもらう
広すぎる
展示物もすごい量なので
疲れるし消化できない
解説を読むのが苦手な自分には厳しい場所だったが
興味があるものや貴重なものはいっぱいあった
もっとしっかりと向き合えれば
かなり楽しく感じられるはずだ
帰りはなかなか利根川を渡ることができなく
苦労したが
初めて新4号線を体感することができた
どの車もおもいきり飛ばしていて
完全に高速道路化している
初心者マークをつけた車が100kmを超えるスピードで走っていたり
危険な割り込み運転を繰り返す車の多さ
暑いとお客さんは来ないが
いまの自分の気持ちとしては
夏の暑さに対処できるように
いまはどんどんパンを作って力をつけておきたい
それから夏なのにいいパンが焼け出してきたので
このパンを食べてもらいたい
だから、この暑さは嫌なのだが
夏はまだ過ぎて欲しくないのだ
続けている人のところには
ツキがめぐって来る
止めてしまえば
ツキはめぐって来ようがない
状態が悪い酵母で
いかにして
良いパンを作るという作業は
良い状態の酵母でパンを作ったときに
更に良いパンを作るということにも
繋がってくる
夏なのに
うまいパンが出来ている
きのうなんて
18年パンを作り続けた中では
夏の酵母としてはいちばん元気な姿を見せてくれた
夏のパン作りは自分の中でいちばんの課題だったので
道が見えてきたことは
大きな励みになる
今朝は出遅れ
9時からランニング開始
汗が流れ落ちていくのが気持ち良く感じるが
時折雲間から現れる太陽で
体力と気持ちが消耗していく
走っている最中は苦しい苦しいという気持ちの方が強くなってしまうが
そのもっともっと奥深いところには
それ以上の喜びが潜んでいるはずだ
家に着いてびしょびしょになった着ているものを
脱ぎ捨てたときの
開放感
これはこの苦しみを体感したひとにしか
知らないだろう
いま、悲しいという思いでいるということは
楽しいという思いを経験をしたということ
いま、さびしいという思いでいるということは
楽しいという経験をしたということ
いまはいまの苦しみしか見えないかもしれないけれど
生きてきた中で
苦しいことばかりではなかったということ
またこの苦しみがあるからこそ
人生が楽しいと思えることを忘れてはいけないと思う
食生活があまりにも乱れているときは
身体がどんな栄養を欲しているのか
身体が発しているその声を聞き取れなくなっている
明日も元気に営業予定です
風鈴パン屋
良い音色が響いています
涼みに来て下さい
一ヶ月経たないうちに
ウエストが10cmなくなっていた
食べる量は変わらず
ただライ麦比率の高いパンを多く食べるようになったかな
恐るべしなまけもののパン屋のライ麦パン
もう何度もやっているので
慎重になっていたのだが
かなり久しぶりに来たお客さん
かなり不自然なお腹の膨らみよう
これは100%おめでただろうと確信したのだが
違った
いろいろ聞いてみると
はじめから太りやすい体質なんてものはなくて
太りやすい生活を送っている人がほとんどなのではないかと思えてくる
パンは相変わらず売れないが
自分としては絶好調
どんな状況であれ
自分の思いをおもいきり生きることは自分にだって出来る
パン作りにおいても
身体つくりにおいても
生きていること全てにおいて
充実度100パーセント
思い通りに行かなくても
思いに向かってぶつかっていくことはできる
後悔って
結果に対して起こるものではなく
思いに向かっておもいきりぶつかっていけたかどうかじゃないか
きょう作った押しライ麦のパンが
最高にうまかった
これまでに自分が手に入れてきたものが
全部詰まっている
全てを出し切った
これが
いまの自分だ
23日 月曜日に販売します
毎年毎年夏になると挑み続け
挑むたびに壁に跳ね返された
停電になったとき
自分の無力さを感じた
パンが作れないのだ
残ったのは機械に頼らなくても
パンが作れるようになりたいという思い
冷蔵庫も製氷機もミキサーも使うのをやめた
春には春のパンを
夏には夏のパンを
秋には秋のパンを
冬には冬のパンを作ればいい
低温発酵なんてものが流行っているが
興味はなかった
自分の中では
それは機械が作り出したパンなのだ
夏が来た
自然の温度でパンが作りたかった
何度作っても
暑さで酵母が弱ってしまって
どうにもならなかった
夏が来る度それを繰り返した
力が付いてくることで見えてくるものがある
特別に暑い夏が始まって3週間目
あることを試してみて
自分の中で結論が出た
その日で挑むのをやめた
次の日の朝いつもの習慣通り
酵母の様子を見てみると
力強く膨らんでいる
壁が破れた
無理だったんだ
もう挑むのは終わりだと考えながらも
別の方法を試している自分
それでもその往生際の悪い挑みが
本当に最後の挑みになっていたはずだ
前日に冷温庫を送ってくれるよう頼んでおいたのだ
冷温庫に酵母を入れて終わり
酵母の仕組み
暑いときの対処方法
知ることなく
ただ機械任せにパンを作っていただろう
何年も何年も挑み続けたもの
本当に最後の最後に
壁の向こうにあるものを見せてくれた
何なんだろう
これは
機械を使うときに
起こって来る変化がどういうことなのかを知った上で使うのと
知らないで使うのでは大きな違いだ
やって来た冷温庫は休みの日に
しっかりと使わせてもらおう
休みの日まで酵母に付っきりでは
さすがに心がもたないし
どこにも出かけられない
夏は冷温庫かなにか機械を使わなければ
小麦酵母を最上の状態に持っていくのは無理だと
きのう自分の中で結論を出したところなのだが
出来てしまった
最上の状態の小麦酵母
この発見は自分にとってとても大きいこと
これでどれだけ苦しんだか
この発見が更に自分を上の階へと運び込んでくれるだろう
いまが人生でいちばんサンドバックを叩いている
ジャブというボクシングではいちばん基本のパンチがある
ボクシングを始めて26年
ようやくそのパンチの打ち方がつかめかけてきた
これはかなりうれしいこと
小麦酵母が奇跡的に?
なかなかいい感じに育ってくれた
きょうはライ麦酵母のパンをやめて
小麦酵母のパンを作ることに集中する
各工程で生地が最適になるように
手助けし見守っていたら
いつもより一時間三十分遅く焼きあがったが
なかなかのパンが焼きあがった
きょうはたまたまうまくいっただけで
この暑さは酵母にとっては良いことではないので
少しでも良い環境を作っていかなければならない
2種類の酵母は
外に置くことにした
さすがに40度を超えるところには置いてられない
ライ麦の酵母の方は暑さに対しての耐久性があるのだが
小麦酵母の方は駄目だ
外でも厳しいものがあるので
冷温庫を送ってもらうことにした
空洞パンの新しい食べ方を見つけた
オリーブオイルでニンニク、青唐辛子、しめじ、ちぎった空洞パンを
炒めて出来上がり
味付け塩
運動して汗を流して
水風呂に入り
にんにく三昧
もちろんライ麦パンも食べて
それから昼寝をして
水風呂に入り
又運動をして汗を流し
水風呂に入り
たっぷりの野菜とライ麦パン
夜になったら
不思議と疲労回復
夏の身体がライ麦パンを求めているのか
この時期にライ麦パンを食べると
他の季節よりも
体中にエネルギーがみなぎってくるのを感じる
ライ麦パンには
夏の身体に必要な
なんらかの栄養が入っているのだろうね
今夜はご飯を作る時間がほとんどないので
混ぜ合わせ料理
焼いた豚肉、焼いたライ麦95%のパン、大豆の水煮
誰かのお手製キムチ、オリーブオイル
うまい!
布団に横になれる時間は4時間半
このところの暑さで
残りの一時間は寝ることができない
毎日コクリコクリしながらのパン作り
夏のパン屋ってこんなに暑かったっけ
このところの寝不足と重なって
早くも夏バテ?
窯の電源を消してから
もうしばらく立っているはずなのに
室温が40度からなかなか下がらない
明日はいつもなら定休日なのだが
粉が悲劇的に溜まってしまったので
この暑さと湿度で悪くなってしまう前に
使ってしまわなければならない
祝日ということもあり
パンを焼こうと思っていたのだが
明日の準備に
なかなか身体とこころが作業場に向かわない
はたして明日はパンを開けられるだろうか
人間、年齢なんてそれ程意味がない
身体の若さと
こころの若さ
からだは更に絞れてきた
軽い運動とライ麦パンで
簡単にからだは絞れてくる
ライ麦パン料理で体質改善
今年の夏は30年ぶりに
あなたもハイレグ水着に挑戦だ!
夜になったらだいぶ涼しくなった
酵母をいじってからランニング
昼間のTVでストレッチ特集をやっているのを見ながら
いっしょにやっていたせいか
身体が軽い
ストレッチで筋力もつけられるし
心肺機能も向上する
真剣取り組めば
ストレッチだけでも
充分な運動になるのじゃないだろうか
知らなかった
きょうはパンが作れなかったので
店を開ける前にサンドバックを叩いた
二週間前から長めに叩いているのだが
いくらかスタミナがついてきた気がする
今日は休みなしで25分
いい汗がかけた
人生は攻めてこそ
面白くなってくる
暑いからこそ
積極的に身体を動かしていい汗をかこう
暑いからこそ
そうめんなんかじゃなく
栄養満点の料理とライ麦パン食べよう
また暑くなってきたが
ライ麦酵母は絶好調
小麦酵母も休みの間付きっ切りで面倒見ていたので
先週よりもいい感じになってくれた
室温が40度近くなってくると
小麦酵母の調子はおかしくなってくる
これは技術的なことで解決できる問題なのか
それとも粉の性質が変わってしまうのか
昨年までは酵母の調子が悪くなると
どうすることもできなかった
自分の手には負えなかったのだが
いまは酵母の調子がちょっと悪くても
時間と手間をかければ
良いパンに仕上がるようになってきた
パンを作るのには条件が悪いこの季節に
しっかりとパンと向き合うことで
パンのことをもっと理解して
更なるレベルUPを図りたい
運動量UPしてから
まだ2週間も経っていないが
腰周りの肉がすっかり取れた
ご飯はいつも通り食べているし
運動量UPといっても
10年前に比べて三分の一もやっていない
それでも手のひら2つ分くらいの肉が取れてしまうのは
日頃自分が作ったライ麦パンを食べているからだと思う
いつの間にか7月だ
パン作りの腕はだいぶ上がってきて
力はついてきたが
それに伴ってお客さんが付いてきた
ということは相変わらずない
今年はそのときに、そのときで
自分の持っている力は全て出し切れたと思う
うまいパンが出来たときもあるし
そうでないときもあったが
気分としては清々しい
思い切りぶつかっていけたなら
結果なんてどうなろうと
仕方がないこと
なるようにしかならないということ
今週は小麦酵母の調子が
いまひとつだったが
平焼きのレーズンパンはこれまでで最上の出来
どんなに悪い状態や状況でも
何かをどうかすれば
どうにかなる可能性もあることがわかった
諦めないこと
曽我蕭白の描いた実物の絵をはじめて観ることが出来た
この人の描く水墨画の筆捌きの素晴らしさ
立体を頭の中で作り出せる能力と
それをそのまま描き出せる手先の感覚
河鍋暁斎やピカソと共通する能力を持っているのを感じた
蕭白の絵を三重かどこかのお寺で観ることが出来るようなので
今度行ってみよう
夕飯は玉ねぎ、キャベツ、サヤインゲンを炒めたもの(味付け塩,酢)に
酢をかけて両面焼いたライ麦95%のパンとさばの水煮を絡ませたもの
このパンは本当にうまいと思う
一日に12枚しか焼けないが売れりゃいいんだと
甘ったるい食べ物や
粗悪な材料を使った
子供だましのものを作っているところはいっぱいあるが
ものって使う人、食べる人に何らかの影響を与えてしまうもの
子供だからこんなもんでいいやじゃなくて
子供だからこそしっかりとした体験をさせておくべきだと思う
子供の方が感じる力は強いのだから
自分は売れるとか売れないとかじゃなくて
粉の味、微生物の力を出来る限り活かしたパンを作っていきたい
そういうパンは作るのも難しいしが
誤魔化しのないパンを食べてもらいたいし
自分もそういうパンを作りたいと心がそう言っている
月曜日に作ったけんちん汁が
食べているうちに
美味しく感じられるようになってきた
うまく作れるようになったら
どんな味になるのだろう
本を見ただけでは
出汁もしっかりとれないし
そえぞれの食材の炒め加減もわからない
しっかり作れるようになれば
今回作ったけんちん汁より500億倍は美味しいものになるだろう
やりたいと思うなら
どんどんやっていく
結果も損得も見栄も
な~んにも考えないで
ただ突き進む
人生初のけんちん汁作り
煮干、昆布、干ししいたけから出汁をとって
本を見ながら作ってみたが
簡単ではない
何度も何度も作って
欠片を見つけながら
うまいけんちん汁にしていくしかなさそうだ
パン作りと同じ
きょうのけんちん汁は100点満点で3点くらい
人生初で包丁を研いだ
これもけんちん汁といっしょで
経験が必要
「難しそうだ」と思いがあって
やるのを避けていたが
やってみると
なんかいけそうだ
習得するには時間がかかるだろうが
研いでいる時間はなんだか楽しい
朝食べたパンがあまりにも美味しくて
パンを作りたいという思いを抑えきれなくなった
いつもより何時間も遅く
パン作り開始
きょう並べるのには間に合わないだろうが
明日の朝には販売できる
生きたい
溜め込むことなんて
もう必要ない
自分を搾り出して
搾り出して
ペラペラになるまで
搾り出して
終わりになりたい
このところパン作りの方が調子が良くて
うまいパンを連発している
暖かくなって
お客さんも少し増えてきてくれた
といっても全体数はまだまだ少ないので
パンが残るときはとにかく大量に残る
きょうは昼間良い感じにお客さんが来てくれていたので
きのういっぱい残っていたパンがどんどん無くなってくれていった
久しぶりに良い流れになってきたぞと感じていたら
本営業が始まったとたん
流れが止まった
きょう焼いたパンはほとんどそのまま残ってしまった
年に何回か出せるか出せないかというくらいの
素晴らしい味のパンが焼けていただけに
店番しながら
「食べてくれ~」とずっとこころのなかで叫んでいたが
祈り通じず
明日はパンどうしようかな
自分としては
パンが作りたくてしかたがない
もっとパンにのめり込める生活であって欲しい
本当にちょっとずつ、ちょっとずつだが
こういうシンプルなライ麦パンのよさを
わかってくれる人が
増えてきているのは感じられているので
しばらくは
辛抱だ
自分にいまできることは
パンをもっと良いものに作り上げていくこと
今回は病気に気持ちが負けてしまった
最近は日常のなかでも
攻めていけていないことが多い
残りわずかの人生
安定を求めるんじゃなくて
どんどんどんどん
やって
やって
やってで行かなきゃ
きっと後悔する
ようやく軽めの運動が出来るようになってきた
落ちた体力を戻すときというのがいちばん苦しい
とにかく身体が動かないし
呼吸が苦しい
元に戻ることなんてありえないんじゃないかという絶望感は
怪我や病気などで
体力が落ちるたびに感じてしまう
果たして
今回は戻すことが出来るだろうか
自分の焼いたパンを一番食べてくれていた人は
80代の男性なのだが
最近病気が見つかって
今度手術をするらしい
もう15年近く毎週のようにパンを買いに来てくれていた
元気になって
またパンを買いに来て欲しい
こころの支えになってくれた人
月曜日、火曜日の無人販売
パンはほぼ無くなってくれた
自分を元気にしてくれるのは
自分のパンを食べてくれる人達しかない
パン作りは自分にとって
それだけ大きいものになっている
感謝
きょうのライ麦30レーズンは上品な味に仕上がった
いままで品があるものなんては作れなかったが
最近そういうパンが出来てしまうときがある
自分自身が人間として成長しているのかもしれない
本当に良い物には品がある
品を出すのは技術じゃない
作り手の生き方が品となって出てくるんじゃないだろうか
それからきょうの空洞パンは豊かな味わい
手間隙かけて作るからこそ出せる
極上の味
まだまだこういう味を頻繁には出せないが
これだけの味が体験できるところは
探してもそうないと思うので
この店に通っても損はない
10回買いにくれば
一回くらいは極上パンに出会えると思うよ
前の日のパンよりも良いパンを出せるよう
調整しながら日々パンを作っている
毎日作っていても感じること気づくことは
毎日のようにある
きょうは酸味が出すぎたな
きょうは焼き込みが弱かったな
きょうは水が多すぎたな
こういうことが
自分に力をつけさせてくれ
自分とパンを進化させてくれる
だから大切なのは
誤魔化したり
隠したり
逃げたりせずに
今現在の自分をそのまま
出していくこと
出来ない自分も
わかっていない自分も
そうすれば
自然と乗り越えるべきものが目の前に現れてくる
作り手がどんな思いを込めてモノを作ろうが
それは作り手の勝手な思い
それを買って使う人、食べる人には
関係ないこと
使う人、買う人がどう感じようが
何にも感じなかろうが
それは自由
多くの人が日記を公開していて
それを誰でも簡単に見られる時代
日記を書いている人のほとんどは
うまくいかなかったや間違ったことは書かないで
うまくいっているぜ~
順調だぜ~と
そんな感じのことしか書いていないので
何だかうまくいってないなと感じているときに
そういう日記を読んでしまうと
落ち込みが更に深くなることはよくあること
でもそういうときは
自分が自分自身に素直に生きているという
とても素晴らしく
とても誇らしいことをやっていることを
忘れてしまっているときだったり
自分の中にはすべてがあって
足りないものなんて何もないということを
忘れてしまているとき
だからこれから
このことを毎日呪文のように称えながら生きていこうと思う
きっとそれだけのことで世界がガラッと変わってくるだろう
うまくいかないことや間違うことは
悪いことではないし駄目なことでもないと思う
そういうところをみんなが隠すことなく平気で見せ生きられる社会になれば
もっと生きやすく楽しい世界になっていくのではないだろうか
気持ちが落ち込んでいくときというのは
だいたい身体を動かしていないとき
いろいろ考えてしまって
不幸な自分をつくり出してしまう
落ち込み始めたときは
掃除でも庭いじりでもして
身体を動かし始めれば
不思議とすぐに納まってしまう
こころを病む人が多くなってきたことと
便利で快適な社会になってきたこととは
おそらく関係があるのだろう
一度思い込んでしまったものや習慣は
そう簡単に変えることは出来ないもの
ライ麦パンは料理といっしょに食べるとうまいと
いくら口で言ったところで
なかなか料理といっしょに食べてはもらえない
実際に料理といっしょに食べてもらって
おいしさを体験してもらうのが
一番なんだろう
とりあえず
いまのところチーズをのせて提供するくらいしか出来ないが
余裕があるときにお客さんに配って食べてもらおう
ライ麦パンは焼かずに食べた方がおいしいと
ずっといい続けてきたのだが
ライ麦パンは焼いてもおいしいということがわかってしまった
しかもカリカリに焼いても
ある朝、食べようとしたパンがギンギンに冷えていた
寒い日だったので
この冷たいのを口に入れるのは嫌だなあと思って
チェダーチーズをのせてオーブンに放り込んだ
少し暖めるつもりだったのが
放り込んでおいたことを忘れていて
気がついたときは
カリカリなっていた (ライ麦80%のパン)
しかし食べてみると驚く程の美味しさ
一度思い込んでしまったものを
自分自身で覆すことは難しいということがわかった
10数年かかったよ
でも、きっと覆すことが出来ないものの方が多いだ
ライ麦パンの可能性が
自分の中で更に広がった
そして、そのパンを食べて 自分の作ったパンはかなりうまいぞということを
改めて理解した
(自分が持つ力の可能性もけっこう大きいんじゃないのと確信)18.1.21
そして、もうひとつ
わかったことは
パン屋の言うことは簡単に信じるなということ
当たり前のことなんて
何にもなくて
奇跡のようなことが
日々
僕の前で起こっている
生きていること
自分の作ったパンを食べてくれるひとが
ひとりでもいるということ
僕の中には
全てがあって
足りないものなんて
何もないんだ
何かちょっとしたことがあると
不幸な人間になってしまう
でも
じっくり思い起こしてみると
素晴らしい人生送っているよな
毎日素敵なことがいっぱい起こっている
たくさんの人たちが
自分を支えてくれている
何かうまくいかないことがあると
そういうことは
すべてわすれてしまって
世界一不幸な人間になってしまう
パンを作れたこと
素敵なお客さんたちとの時間
うまい酒が飲めたこと
お風呂に入って気持ちよくなれたこと
おいしい空気がすえたこと
いい汗を流せたこと
素晴らしい音楽が聴けたこと
きょう一日だけで
素敵なことがいっぱいあった
生きていれば
嫌なこともあったりするけど
素敵なことは
もっと
もっといっぱいある
いつまでパン屋を続けられるかわからない
わからないけど
自分に出来ることは
その日一日をおもいきり生きるだけだ
生きていること
産まれてきたこと
感謝
僕の中には
幸福の果実が
たくさんあり
もう充分足りているんだ
久しぶりに夕焼けを眺めに行った
パンを作ることにおいては
自然のリズムに自分を合わせることが出きるようになってきたが
日常生活においてはまだまだ駄目だ
これからの人生
こころゆっくり生きたいと思い
午前中はランニング途中に川に行って遊んでみた
川はいじる必要があるのかというくらいガチャガチャになっていて
美しさなんてどこにもなかったが
水の流れや鳥たちを眺めていると
こころが和んだ
この町に何十年と暮らしていて
美しさにこころ震えさせられたものが
二つだけある
夜空の星と夕焼けだ
最近はそのどちらとも
ゆっくりと眺める時間も無いくらい
こころせかせか生きていたと思う
パン作りをするにあたって
待つという行為はなかなか難しい
営業開始時間がどんどん迫ってくるなかで
自然のリズムを
どうにか人間の都合のよいように持っていこうと焦ってしまう
しかし、何かしたところで
どうにもなるものではない
かえってパン生地の状態は悪くなるばかり
待つしかないんだ
それがわかるようになるのに十数年かかった
季節の変わり目は
パンを作る上で
とても難しいときだ
前の日の通りは
通用しなくなる
きょうのパンは
こうなってしまったから
明日はこうしてみようか
そんなことをして
日々調整しながら
季節に追いついていく
毎年その繰り返し
パン作りで大切なことは
微生物や酵素たちの活動をいかに邪魔をしないで進めていくかということ
そうすれば彼らがおいしいパンをつくり出してくれる
といっても微生物や酵素たちは
おいしいパンをつくり出すために生きている訳ではない
ただ生きようとして生きているだけなのだ
だから人間が少しばかり手を加えて
パンが出来上るように導いてやらねばならない
気持ちよく動き回っている彼らの機嫌を損ねないように
どのタイミングで手を加えてやればいいか
その見極めがとても難しい
そのタイミングひとつで
パンの味はガラッと変わってくる
パン作りは
知識で見てしまうんじゃなくて
感じること
想像すること
パン作りも
知識だけで見てしまえば
他は何も見えなくなる
そこに発展はない
ものごとを知識で見てしまうと
それだけで終わってしまって
感じるということが出来なくなってしまう
パン作りはもちろん
旅先で出会う建築物や美術品なども
こころを打たれたり
こころに何か迫ってくるのは
自分が何かを感じている状態なのだと思う
ものごとを知識で見てしまえば
知識を追うだけで終わってしまうから
感動なんて起こらない
小麦酵母が目覚めてくれた
なんとか、きょうの仕込みに間に合った
酵母の具合が悪いときは
とにかく
待つこと
人間の都合など通じない
自然のリズムに自分を合わせられるかどうか
ようやくそれができるようになってきた
今年はきょうからパンの販売
ライ麦酵母の方は準備万端で捏ねられるのを待っていたが
小麦酵母の方がまだ目覚めていなくて
種類少なめでの出発
小麦酵母は昨年の正月休みも力を弱めてしまっていて
その原因は突き止めることが出来ていたので
今年は気をつけていたのだが
休み中の作業場の室温が
自分の想像以上に冷えてしまっていたようだ
それでも今年は毎日いじってやっていたので
すぐ力を取り戻してくれそうだ
やはり自然の力は自分が考えつくところをはるかに超えている
パン作りは頭で考えるだけではつかめない
頭で考えたらとにかく
ぶつかっていくこと
ぶつかってぶつかって
自然に教えてもらうしかないのだ
損することやうまくいかないことも覚悟の上で
とにかくぶつかっていく
その覚悟なしでは
大切なことは何も
つかむことができないだろう
ライ麦パンをこれだけ安く売っている店は
探しても
あんまりないはずだ
その理由は簡単で
ライ麦は高いからだ
小麦に比べて
1.5~2倍の価格がする
ライ麦パンを
これだけ安く売っているのは
バカか気違いだけだろう
世の中が便利になっていくほど
人のこころはせわしくなっている気がする
新幹線の旅
新幹線がなかった頃の旅
電車や汽車がなかった頃の旅
東京大阪日帰りの旅だって可能になったが
せわしい せわしい
新幹線がなかった頃は
電車の中で
旅館の中で
ゆっくりせざるえなかった
人間がやっていた仕事を機械が代わってやってくれるようになって
時間はできた
それならばと
あれもこれも
あれこもれもと大忙し
会社でも
仕事を広げよう
仕事を広げようと大忙し
そろそろパンを焼き始めようかという気持ちにはなってきているのだが
酵母の状態はどうだろう
営業開始日は酵母の調子次第
昼飯は炒めた長ネギと目玉焼きにいわしの水煮缶をぶちかけたものに
空洞パンをちぎり入れて食べた
空洞パンは味がしみこみやすいので
中に具を詰め込むだけでなく
スープや炒め物や煮物の中にちぎり入れて食べてもとてもおいしい
ライ麦パンは料理といっしょに食べると本当においしい
自分の下手な料理でも
飲食店で食べる以上の満足感を得られることが多いので
最近は外でごはんを食べることがめっきり減った
青森の山の寿司は
残念ながら営業を終了してしまった
青森に足が向かなくなったのは
このことが原因だ
山の寿司の店主成田さんの息子さんのバンド
テレビアニメの主題歌を担当したことがあるので
知っている人がいるかな
マニ ラバ「幸せ」 - YouTube
近くの福祉大の2年生女性
自転車にはまって
授業の合間を見つけては
自転車に乗っているらしい
上り坂が好きとのことなので
青森県への旅を勧めてみた
何年か前にはじめていった青森県
素敵な場所だったので
その次の年
そのまた次の年も
出かけていった
そのときの日記がまだ残っていたので
UPしてみる
一回目の青森
青森に行った
本当は月曜日の朝に出かけるつもりでいたのだが
数日前に手に入れた25000:1の地図を眺めていたら
はやる気持ちを抑えることが出来なかった
日曜の夜
鞄に荷物を詰め込み
自転車に油をたっぷり注入し
宝の地図を握り締め
店を閉めて飛び出した
日常をちょっと離れて
気分一新帰ってこよう
電車が八戸駅に着いたのは23:00
はじめての青森だ
まずは真っ暗の中をホテル探しから始まった
ホテルがある繁華街は八戸駅周辺じゃなく
本八戸駅周辺らしい
駅前でコンビニのお兄ちゃんと
タクシーのおじさんが本八戸駅までの道を
ものすごく丁寧に教えてくれたのだが
さっぱりわからなかった
一時間自転車でさまよってようやく見つけた
コンビニのお兄ちゃんとタクシーのおじさんが揃って
「わかりづらいよ わかりづらいよ」と言うので
ややこしいところにあるのだろうと
ややこしい道を選んで進んだのだけど
大きな道を進んでいけばよかったようだ
2日目は5:00にホテルを出て陸奥湊駅前市場へ
ここはおそらく八戸でいちばん活気のある場所だろう
おばちゃんたちが朝から元気だ
青森に行くと決めてからは頭の中が海産物でいっぱいになっていたので
刺身を大量に買い込んだ
市場内には買ったものを食べられる場所があり
そこでご飯や味噌汁を買って朝から豪勢な食事だ
魚の味が普段栃木のスーパーで買って食べているものとは
明らかに違う
でもさすがに買いすぎた
どさっと盛られた刺身が5皿
最後はお茶といっしょに飲み込まなければ喉を通っていかなかった
ものにはなんでも適量 適度というものがある
それを越えればおいしいものもおいしくなくなったり
楽しいことも楽しくなくなったり
うまい具合にバランスが取れていたものが
バランスを取れなくなったりということが起こってくる
欲張り過ぎればろくなことがない
それにしてもこれだけ食べて1400円とは
イカ200円 タコ200円 サンマ200円
ヒラメ300円 エンガワ300円
ご飯100円 味噌汁100円
飯を食ったら八戸駅から電車に乗って蟹田駅へ
そこから自転車で津軽半島を回って弘前まで走る予定
輪行は今回が初めで
自転車の分解 組み立て 袋への詰め込み 電車での置き場所
不安なことはたくさんあったが
今回の旅で何度もそれらをやる機会があったので
だいぶスムーズに出来るようになった
大切なことは経験することだ
不安がって何もやらなければ
何も動いていかない
蟹田10:30発
スタートするとすぐに海が見えてきた
向こうに見えるのは下北半島か
国道280をずっと進めばいいので方向音痴のぼくにも迷わない
漁師のおじちゃんおばちゃんが網の修理や談笑をしている
おじさんがひとり堤防に座って海を見ている
道は広いし行きかう車もほとんどない
気温20度
気持ちがいい
ここは自転車天国だ
しかし「あと10周くらいしてもいいなあ」と余裕こいてるのも
ここまでだった
龍飛崎の手前から上り坂がはじまり
坂はどこまでも続いている
額から汗が滴り落ちる
力を搾り出してペダルをこぐ
底力というか
最後の踏ん張り
ボクシングをやっていても思うのだが
何をやるにもこれがいちばん大事なのではないだろうか
気持ちが負けてしまったらその時点で終わりだ
「やるぞ~」と決意した時点で怖さは喜びに変わり
エネルギーが沸き起こってくる
ようやくたどり着いた
標高478m眺瞰台展望台
喘いだ先には絶景が待っていた
360度の大パノラマ
八甲田山 権現崎、竜飛岬 北海道 日本海 陸奥湾
水筒の水を飲み干してしまっていたので
持って行ったレーズン入りのパン
(ライ麦40パーセント噛みごたえのある平焼きパン)を取り出して
食べたらからだを目一杯使った後ということもあったのかもしれないが
最高に美味かった
峠へと来れば後は下るだけだ
くねくねのきついカーブにバスも苦労している
バスを追い越さないように何度か止まりながら下った
小泊の道の駅でひとり車でドライブをしている弘前のお兄ちゃんから
話しかけられた
行く先々でぼくが自転車をこいでいる姿を見かけたので気になっていたそうだ
ぼくも立ち止まる先々でこのお兄ちゃんがイカ焼きを食べたり
アイスクリームを食べたりしている姿を見かけていた
小泊から弘前までが思っていた以上に距離があった
25000:1の地図ではすぐ隣の距離でも
実際にはその25000倍した距離
近くに思えていたものがぜんぜん近くないことがわかったときの
精神的ダメージはかなり大きい
自転車の旅には25000:1の地図は向かない
しかし遠くても
ひとり旅だ
のんびりいけばいい
どこまで行くかも 進む早さも 行く場所も自分で決められる
人生について考えることも出来る
そしてやったことのすべてが自分に返ってくる
こころ細さはあるけれど
気を使うことも せかせかすることもなく
こころのままに行動できるのがひとり旅
ひとりで何かをやる
ふたりで何かをやる
大勢で何かをやる
ひとりだからできること
ふたりだから出来ること
大勢だから出来ること
ひとりではできないこと
ふたりではできないこと
大勢では出来ないこと
ひとりだからこそ得られるもの
ふたりだからこそ得られるもの
大勢だからこそ得られるもの
岩木山のシルエットが見えてくる
美しくそして堂々とした姿
人々がこの山を御神体と崇めてきたのもわかる
21:00弘前着
3日目 弘前市内から岩木山へ
岩木山からもう一度弘前に戻って十和田湖へ
弘前初7:30
気温20度
数週間前まで40度を越えるなかで連日パンを焼いていたので
半分の気温の世界にいるのが不思議に思えてしまう
今年はとにかく暑かった
夜になっても熱がからだから抜けていかない
夏は強いつもりでいたけれど
梅雨の時期から眠れなくなり
毎日がフラフラだった
9月に入ってからも
気温が下がらず
朝の5:30でもすでに作業場は30度を越えている
温度だけなら何とかなったのだけど
ジメジメの重たい空気が
からだそしてこころにのしかかってくる
さすがにこれ以上続くとやばそうだなと思っていたら
熱中症
ダメージが大きくてなかなか抜けきらなかったのだが
この旅でなんとか回復できそうだ
弘前から岩木山までは約20KM
弘前も八戸も街なかは交通量が多くごみごみしていたが
ちょっと離れれば空気の味がまったく違う
岩木山を上り始めると道路の両側にりんご園が続く
赤いりんごが枝もたわわに実っている
それぞれの農園が道端に無人販売所を設置している
りんご4個100円 洋ナシ2個100円 野菜1袋100円
りんごや洋ナシをかじりながら自転車をこいでいると
今度はとうもろこし屋が並んでいる
獄温泉で足湯に使っていると
そこを管理しているネイチャーセンターのおじさんがやってきた
青森で生まれ青森で育ったそのひとは
「青森はいいところだよ」と言って笑った
自分が生まれ育った場所をそんなふうに言えるひとはそういないだろう
どうしても他と比較してしまって
自分のところに無いものは
良く見えてしまう
そういえば道の駅で話しかけてきた兄ちゃんも
青森は面白いところがいっぱいあるよと言っていた
とうもろこしを食べてみた
ものすごい甘さ
「獄きみ」といって朝夕の寒暖の差と火山灰による水はけの良さが
その甘さを作り出すそうだ
本当に甘くて
3本目になってくるとさすがにその甘さがきつくなってくる
「獄きみアイスクリーム」もとうもろこしの味が広がっておいしかった
上あごと舌で押さえ込むとコーンスターチを手で握ったときのように
グニュッとなる
弘前を過ぎてしばらくすると雨が降ってくる
そしてまた上り坂が始まった
上っても上っても坂が続く
「天国にでも連れて行ってくれるのか」と罵りながら上っていく
雨具の中は蒸し風呂状態だし視界も利かない
初めての山は
どこまで行けばてっぺんなのかわからない分
精神的にかなりきつい
永遠に続くのかと思えた上り坂もやっとこ終わり
1011m御鼻部山展望台に到着
そこから奥入瀬の入り口までの10数kmは下り坂だ
ブナのトンネルのなかを
風を切って走る
最高に気持ちがいい
苦労した分
喜びも大きい
十和田湖を一周してホテル到着16:30
温泉に入ってひと眠り
本を読んでまた温泉に入り
夜はゆったりくつろぐことが出来た
4日目は十和田湖を半周して奥入瀬渓流 八甲田山を抜けて
青森市三内丸山遺跡へ
ホテルから奥入瀬まではまた十和田湖を半周しなければならない
十和田湖一周約50kmだからけっこう大変だ
ブナの林の中を少し散歩をし
温泉に入ってから
坂道をぐいぐい上って鼻部山展望台を目指す 十和田湖発7:30
距離的には逆周りで行った方が近いし上りも少ないのだが
坂道をがんばって上ってしまえば後は奥入瀬まで下っていけるから
景色の良いこっちの道を選んでみた
からだがだいぶ上り坂に慣れたのか
温泉に入って疲れが取れたのか
きょうは上りがかなり楽に感じられる
太陽が出ているのできのうとは景色が違って見える
鼻部山展望台から下ってからも
14kmの下りが続く奥入瀬渓流
道路のすぐ脇を川が流れているので自転車でも十分楽しむことが出来る
途中途中に滝が流れ落ちていて飽きることがない
紅葉の季節はきっとひとだらけだろう
渓流を眺めながら気持ち良く坂道を下っていると
後ろでカラカラッと何かが転がる音がした
何か落としたかなと後ろを振り向いた瞬間
ハンドルが持っていかれた
立て直すことが出来ないまま
國母もビックリ3mある垂直の崖を
自転車に乗ったまま回転しながら
落ちていく
落ちながら
これまでに大きな怪我をしたことはなかったのだけど
今回ばかりはやばいなと思った
落ちた瞬間はあっという間だった気もするし
一瞬時間が止まった気もする
気がついたら水の中に落ちていた
頭の上からごぼごぼと水が落ちてくる
渦に巻き込まれたかと思って
必死になって自転車を陸に持ち上げ
自分も這い上がった
からだを手で触ってみたが
血が出ているところもなくたんこぶひとつと眼鏡をなくしただけで
なんとか無事のようだ
それでも寒さと恐怖でからだが震えてくる
落ちたのが水の上だったから良かったようだ
岩や石の上に落ちたらどうなっていたか
落ちた場所は道路の反対側の滝から流れ落ちる水を通し入れているところで
胸くらいまでの深さがある水の溜まり場だった
頭から落ちてきていたのはその水だった
直径は2mくらい
その周りは石ころが転がっている砂地
ひとの命なんて1cmや2cmの差でどうなるかわからない
着替えをするとだいぶ落ち着いてきた
鞄に雨よけのカバーをつけたままにしておいたので助かった
生きていれば一瞬先に何が起こるかわからない
どんなに気をつけていても
起こることは起こってしまう
それを乗り越えていくことが人生だし
そこに 生きていく醍醐味がある
奥入瀬渓流を抜け
しばらく山道を登っていくと
蔦温泉がある
昔ながらの温泉宿だ
誰もいない湯船で冷えたからだを温めた
からだが温まってきたら
生きていたことの喜びがじわじわと沸き起こってきた
ぼくにはまだまだやることがある
雨に濡れ
川に落ち
温泉に入ってと
水に入る度に
真っ黒だった靴の汚れも落ちて
真っ白になっていったが
こころもいっしょに浄化されていった気がする
もうカッコウつけることも
抑えることもしないで
泥だらけになろうが
水浸しになろうが
思ったままに生きていこう
失うものがあるとしても
身ひとつさえあればそれでいい
かなり上の方まで上ってきた
きょうは強風だ
上の方に行くにしたがって風は強くなる
飛ばされそうになりながら
踏ん張ってペダルをこぐ
八甲田山の上の方は少しだけ紅葉が始まっていた
標高1040m笠松峠ここからは青森市街近くまで20km近く下りが続く
途中千人風呂で有名な酸ヶ湯温泉に寄って入浴
ぼくのなかではいままでいった温泉の中でベスト1
お湯がいいし、この空間がいい
最高に気持ちいい気分になった後は
これまた気持ちの良い下り坂が待っている
14:30 三内丸山遺跡に到着
縄文土器や土偶ペンダントや矢じりの数々が並んでいる
便利で安心で安定した世界に生きていては得られない
喜びや力強さを感じる
便利で安心で安全で安定していることが本当に良いことなのかと思ってしまう
便利なものが揃っており容易に出来てしまう
危険を感じることなく容易に欲しいものが手に入ってしまう
そこに属してさえいればほぼ確実に収入があり生きていくことが出来てしまう
困難な思い怖い思いをしてをして手に入れるからこそ
相手に対して尊敬の念を持つことが出来て感謝する気持ちが生まれてくる
きっとその感謝の気持ちを忘れたらときひとはおかしな方向に向かってしまう
17:00青森駅到着
もう一泊する予定だったが行きたい思っていたところは
ぜんぶ回ってしまったし眼鏡を無くしたので
栃木に帰ることにした
青森期待以上に良いところだった
またいつか行くかもしれない
今回はよくこいだ
自分で作り出してしまっている限界という存在を
頭の中から完全に取り去ってしまうことは出来なかったが
やっている瞬間だけは限界を消すことが出来ていたと思う
2回目の青森
夏の旅のこと
日曜日
青森へ出発
店を終えて自転車で那須塩原駅に向かう
休みに備えての準備で忙しい一日だった
出発直前にお客さんが来てしまい
電車に間に合うか不安があったが
駅に着いてみるとまだだいぶ余裕があった
17:35那須塩原駅を出発
24:00ちょっと前に青森到着
東京からは新幹線一本で行けることになったのだが
栃木からだと一、二度乗換えをしなければならない
しかも「はやぶさ」が登場してからは
はやぶさ通過待ちなんてことも出てきた
これが資本主義というものだ
月曜日
目を覚ますと雨の音が聞こえる
お約束の雨
年に二回くらいしか旅に出ることはできないのだが
旅に出るとかならず雨や風にぶつかる
それも半端ものでない雨風
天気予報を見てみると
大雨注意報が出ている
降水確率午後午前ともに100%
まだ小降りだったので
宿近くの古川市場に朝飯を食べに行く
ここは観光客を引き寄せるのに成功して大変賑わっている市場
観光資源の豊富さでは青森は日本で最上位だろう
やる気さえあればいくらでもひとが呼べる
古川市場は少量から買えるのでひとりにはうれしい
のっけ丼なるものもやっているのだが
魚の味をしっかり味わいたいのでご飯なしでお皿に盛ってもらう
カンパチ イクラ ウニ 活けアワビ 煮アワビ サザエ シャコ
白魚 ホタテ もずく
極楽、極楽
あとは酒さえあれば文句なし
市場を歩いていると
売るのがうまいひと
うまくないひとというのがいる
若いひとの方が売るのはうまい
だけど買った後は味気なさが残る
おばちゃんたちは売るのは下手だけが
おまけをしてくれたり
笑顔をお見せてくれたり
買った後に喜びを残してくれる
宿に戻って自転車を組み立て出発しようとしたのだが
外はものすごい雨
しばらく躊躇していたが
治まりそうもないのでおもいきって飛び出した
雨粒がメガネに当たって視界がほとんど利かない
きょうは鯵ヶ沢で魚と焼きイカを食べて
日本海を下れるところまで下ってやろうという予定
青森は場所の行き先を示す標識がしっかり立っているし
郊外に出ると道路が少なくなるので
方向音痴の自分でも道に迷うことなく旅が出来る
壁に衝突し後輪が外れるアクシデントに見舞われながらもなんとか
13:00近くに鯵の沢に到着
『地魚屋 たきわ』で焼き魚を食べる
本当はきょう食堂の方は休みのようだったようだった
この時期土日くらいしか鯵ヶ沢に観光客が来ることはないのだろう
それに雨も降っているし
人口の少ない場所で飲食店をやっているひとたちの苦労
自転車で回っていると言ったら
女将さんが「ご苦労さん」と言って
途中で食べるようにすり身の揚げ物を渡してくれた
ひとり旅をしていると
ひとのちょっとした温かみが
こころに沁みる
ひとに接するとき打算的になってはいけない
商売でもそう
そのまんま
人間として
普通にぶつかっていけばいいだ
こころとこころのぶつかり合い
焼きイカ街道でおっちゃんから焼きイカを二つ買う
青森のひとはむすっとしていて
第一印象は良くないのだけが
話してみると温かいひとが多い
躊躇していて出だしが遅れたので
出発前に考えていたよりかなり進みが遅い
十二湖入り口に着いたときはもう薄暗くなっていた
沸壷の池と青池は見ておきたかったので急いで回ってこようと
自転車を走らせたが
上り坂でやがる
ヒィヒィ言いながら何とか上りきって
自転車を飛び降り
ブナの原生林の中を猛ダッシュ
沸壷の池 青池
自分の中にいままであった世界にはない世界
リゾート白神に乗って秋田市まで移動
昼間なら美しい海岸線が眺められただろうが
もう何も見えない
行きたかった居酒屋に向かったけどもう暖簾が下りていた
がっくり
別の居酒屋で地酒と共に真イカの刺身 〆鯖 ぶりカマの塩焼きを食べる
美味しかったので
これでよし
火曜
きょうは秋田市から田沢湖を通って宿泊予定地の乳頭温泉 鶴の湯まで行く予定
また雨だ
きのうに続き本日も大雨注意報が出されている
きのう大雨の中で自転車をこいだことで
もう怖いことなしにはなったが
やはり雨の中での自転車乗りは疲れる
覚悟はしていたけど上り坂が続く
距離的にはたいした距離ではないのだが
平坦な道、上りの道、下りの道
それからそのときの体調や気分によってもだが
5キロの道のりが長く感じたり短く感じたり
同じ5キロでもぜんぜん違うもの
予定していたより2時間半も遅れて鶴の湯に到着
最後2kmの道が凄かった
ここまで知られていたら秘湯も何もないだろうが
本当にに山の中
期待感が膨らんでいく
鶴の湯到着
早速風呂に入って温まる
大人気の広い露天風呂では会話は生まれないのだが
小さな内風呂では知らないひと同士会話が始まる
会話が始まるような距離というものがあるのだろう
夕食がとてもうまかったので
酒もうまく感じる
芋汁はどれくらい前からこの旅館にあったのだろう
できた頃から味は変わらないのだろうか
それとも進化し続けているのだろうか
部屋は何もなくてシンプルなのだがとても落ち着く
木と畳の部屋
ぼくはやはり日本人だ
広さもちょうどいい
洋式の部屋は広い方が落ち着くが
和式の部屋は狭い方が落ち着く気がする
こんな部屋で暮らしていたら
欲もそれほど出ないだろうし
悪いことも思い浮かばないんじゃないだろうか
水曜
夜明け前に露天風呂に入りに行く
月曜日が満月だったので
天気がよければきょうもほぼ満月だったのだろうが
月は見られなかった
しかし夜明けと共に空か輝いでいく
乳白色の湯がとても美しかった
2時間近くお風呂に浸かって
この風景を頭とこころに焼く付け
朝飯を食べて出発
きょうはもう一度新幹線で青森まで戻り
宿泊地黒石の青荷温泉へ
きのう必死になって上ってきた坂道を一気に下る
上りがあるなら必ず下りもあるのだ
空気を切ってずんずん進む
12:00ちょっと前に青森駅に到着
駅近くの市場でちょっと買い物してから
卸売り市場に移動
市場内の『山の寿司』へ
3千円のコースをお願いしたら
大間の大トロと霜降り 八甲田のマツタケ ウニ ワラサなどなど
かっぱ巻きなど出てこないのがいい
東京で食べたら一万円だしてもこれだけのものは食べられないだろう
もちろん5万10万出したところで鮮度が違う
さっとつまんでさっと店を出て山をちょっと歩こうと思っていたけのだが
大将の話が止まらない
山歩きは諦めて大将の話に耳を傾けることにした
せかせかしていてはおもしろいことがあっても逃してしまう
おかげで良い時間が過ごせた
ひとりできた客を大切にしない店や宿があるけれど
ひとりのお客さんほど大切にした方がいいのではないか
ふたり以上で来たひとは喜びがあっても
その場で喜び合って終わってしまうが
ひとりの場合はうれしいことがあっても喜びを分かち合うひとがいないから
旅を終えてから他のひとに喜びを伝え広めてくれる
八甲田をヒィヒィ言いながらこぎ上がるともう16:00を過ぎていた
黒石まではずっと下りだから
すぐ着くだろうと余裕しゃくしゃくでいたのだが
寝耳に水
最後の6KMから急な上り坂がはじまった
もうちょっとで到着だとホッとしたところで
いつ終わるともわからない上り坂
このショックわかるだるか
暗闇の中を目を凝らしながら進み
ようやく本日の宿 青荷温泉に到着
夕食の時間が18:00からだったらしく
宿のひとはなかなかやってこない客を心配していたようだ
夕食は小さなテーブルに知らないもの同士が
向き合って座って食べるようになっている
ひとりで来たひとは
ひとりで来たひとたちのかたまりの中で食べるよう配慮されている
自然と知らないひと同士会話が生まれて
食事もおいしくなってくる
ひとはみなさびしさで繋がっているんだ
この宿には電気がないので
ランプの明かりのなかで過ごすことになる
風呂も部屋も真っ暗だ
木曜
きょうは奥入瀬渓流を歩き八甲田をこぎ上り
今夜もう一泊する青荷温泉に帰る予定
はたして18:00までに帰ってこれるだろうか
まあ帰って来れなくてもいいや
おもいっきり楽しんでこよう
青荷温泉を脱出して国道102を進む
なんだか見覚えがあるなあと思ったら
ここは昨年大雨の中を泣きそうになりながら走った道だ
延々と続く上り坂
去年は泣きそうになったが
今年は天気が良かったので
苦しさも半減
周りの景色を楽しみながら上ることができた
左手に渓流右手にブナの林を眺めながら
グイグイと進んでいく
今回の旅で自転車のギアがあと二段も軽くなるんだということがわかったことと
頭が前輪を越えるくらい前傾姿勢になって立ちこぎをすれば
腰が痛まないことがわかったので上り坂も昨年ほど苦でなくなった
御鼻部峠から奥入瀬渓流入り口までは長い下りが続く
長い下りは長いブレーキングと緊張感で想像以上に疲れてくる
昨年3Mの崖から奥入瀬渓流に自転車ごと落ちてしまったのも
この坂を下り降りて
気力と集中力を切らせてしまったことにも原因があたのではないだろうか
きょうは渓流をじっくり見たいという思いはもちろんあったのだが
昨年の事故現場をもう一度見ておきたかった
道路の向こう側の水を塩ビ管を通して流し込んでいる場所で
直径3Mくらいの水溜りになっている
奥入瀬渓流の脇の道路を下っているときに
何かが落ちたような物音に振り向いた瞬間
ハンドルを持っていかれ
3M近くある崖から落下
落ちる瞬間は今回ばかりはもうダメだろうと思ったが
気がついたら水の中
頭を出そうとすると水が勢いよくぶつかってくる
流れに巻き込まれてしまったと思って
慌てて自転車をつかみ岸に上がってよくみると
頭にに当たっていたのは
塩ビ管から落ちてきていた水だったという漫画みたいな
そして恐ろしい体験だったのだが
後になって思うとその出来事が旅を深いものにしてくれていた
ゆっくりと下っていったののだが今回は残念ながら
見つけることができなかった
八甲田を少し上がり蔦温泉に到着
まずは腹ごしらえ
きのこの煮込みを食べながらビールを飲み
カレーライスを頼む
いい味だ
また青森に来ることがあったらここに泊まろう
若い女性従業員の対応も気持ちが良い
蔦温泉の周りを囲むようにある
ブナ林を散策
蔦沼が期待していた以上に美しかった
散策を終えて温泉で身体を温めリラックス
この温泉は昨年奥入瀬に落ちたときに
寒さと崖を落ちた恐怖でぶるぶる震えながら
入った温泉
だからこの温泉とその後に入った
もうすこしこし上ったところにある酸ヶ湯温泉はぼくにとっては生涯ベスト1の温泉なのだ
脱衣所で会った地元のおじちゃんもここがいちばん好きな温泉だと言っていた
温泉にお入って疲れも抜けた
快調に坂道を上る
初日に膝と足の付け根を痛め
今回の旅は続けられるのだろうかと不安に思っていたのだが
温泉に入ったら翌日には痛みなんてどこかに吹っ飛んでいた
今回の旅で温泉の力というものを始めて知った
昨年見逃してしまった睡蓮沼に到着
ここは良かった
どうやらぼくは湿原が好きらしい
国道394を通って青荷温泉に向かう途中に城ヶ倉大橋というのがある
ここからの眺めはちょっと恐怖だ
高いところは大の苦手なので
こんなもの作って落ちたらどうするんだよと吠えながら
なるべく中央線に寄って通り抜ける
きょうは夕食の30分前に宿に到着
風呂で一息ついて食堂に向かう
そういえばきのうほど暗さを感じない
慣れるものなんだ
便利さに慣れてしまうと
そこから抜け出すのは大変だが
やる気になりさえすれば抜け出すことはできるんじゃないだろうか
立ち止まることができるんじゃないだろうか
便利さなんてある程度取っ払ってしまった方が
豊かな人生を送れる気がする
きょうの夕食でも新たな出会いがあった
とても良い顔をしている奈良県から来ていたひと
ぜったい面白いひとに違いないと思ったけどその通りだった
渓流釣りが一にも二にも大好きで
仕事でどこかに出かけるときでも
釣りの道具は必ず持っていくそうだ
食事の後にSさんに誘われて
喫茶店でコーヒーをご馳走になっていたら
そこで談笑していた方たちとも自然と輪ができた
昔の日本はきっとこんな感じだったのだろう
いままでは旅に出ても
ビジネスホテルにしか泊まらなかったことがなかったので
こんな出会いは当然なかった
温泉宿はそういう世界がまだ残っている希少な場所
大切にしていかなければならない
だいぶ長く話し合っていたので
もう23:00頃にはなっているだろうと
壁にかかっている時計を見たら
まだ21:00だった
ここでは時間がゆっくりと進む
いまの社会では
電気(明かり)があるから
夜が夜でなくなっていて
みんな遅くまで仕事に追われているが
ここでは明かりがないから
夜はしっかり夜だ
ちゃんと
そこに夜がある
暗い中ではそうできることも少ないので
せかせか生きることもない
時間はゆっくり流れていく
そしてここでは
ひととひととの触れ合いがある
明治生まれのひとが書いたエッセーを読んでいると
あの時代はとても厳しい時代だったはずなのに
人々のこころには余裕があった
楽しんで生きていた
豊かに生きていた
人間として生きていた
便利な世の中に向かっているのに
時間が無い 時間が無いと
走り回っているのはどういう訳だ
こころの余裕もなくなって
いつもイライラして生きているのはどういう訳だ
金曜
きょうは歩く
酸ヶ湯から八甲田大岳そしてまた酸ヶ湯に
8km~9Kmのコース
8~9KMなんて平坦ならゆっくり走っても1時間かからない
たいして時間もかからずに帰ってこれるだろうと考えていたが
山道の1Kmがこんなに長いものとは
即製で作ったリュックのひもが肩に食い込んでくる
腹が減った
眠い
連日の自転車こぎで足が重たい
頂上付近はものすごい風
途中で引き返そうかなと何度も思ったけが
そんなことしてしまったら
きっとまた来年登りに来なければならなくなるから
気力を振り絞って歩いた
酸ヶ湯に着くと速攻で食堂に向かって
ビールをグビグビやりながらそばを食べた
しみじみうまい
今夜は酸ヶ湯に宿泊
チェックイン前に
旅館前にある湧き水を飲みに行くと
下山を始めてすぐに逆方向から登ってきて一言二言交わした女性とばったり
地元の方とのこと
青森のひとはみんな自然に寄り添って生きている
山できのこや山菜を採り
川で岩魚や山女を釣り
山を歩いたり
スキーをしたり
温泉に入ったり
自然のすばらしさ 価値をを知っているから
自然を大切にする
だからこれだけの自然が残っているし
人間も自然に
育てられているのではないだろうか
それから青森には美しいひとが多い
顔が整っているとかきれいだとかいうんじゃなくて
きりっとした
いい顔をしている
酸ヶ湯はやっぱりいいお湯だった
土曜日
雨が降りそうだけが
午前中は何とかもってくれそうだ
八甲田山をグルリと回って田代平湿原に向かう
途中ススキで覆いつくされた美しい場所があった
青森はなんて豊かなところなんだろう
木があり
水があり
温泉があり
うまい食べ物がある
宝がそこらじゅうに落ちている
花の盛りが過ぎているためか
時間が早いからなのか
田代平湿原にはひとが誰もいない
田代平湿原を独り占めだ
軽くランニングをしながら見て歩くと
入り口付近に龍神池という沼があり
その水の青色にはびっくり
どうしたら
こんな色が出来るのだろう
別の池には温帯性睡蓮という直径3cmくらいのかわいらしい睡蓮が咲いていた
今回は気づくことや感じることがとても多い旅となった
そのまんま生きていけばいいんだ
感じるままに
変わることは変わるし
変わらないものは変わらない
変えるべきものは変えればいいし
変えるべきでないものは変えなければいい
自由でありたいなら
他のひとも自由だということを忘れてはいけない
押し付けてはいけないんだ
他のエネルギーになんて頼ることなく
自分自身から沸き起こるエネルギーを使って生きていこう
原子炉になんて負けないくらい
輝きを放ってやるんだ
駅前で寿司を食べて
市場で塩ウニを買って新幹線に乗り込む
酵母は生きているだろうか
17:35那須塩原駅に到着
3回目の青森
夏の旅行 一日目 その1
前日に突然思いついて旅行に出かけることになった
行き先は盛岡
店に置くベンチや椅子を探しに
それが済んだら青森にも行くかどうか当日の朝まで迷った
青森に行くなら自転車を持っていくべきだろうけど
なにしろ突然の思いつきなので
準備がまったくできていない
雨具もないし自転車のチューブもない
迷いに迷ったけど
出かける一時間前に青森行きを決めた
いままでの経験で行くかどうか迷っているときは
行って間違いない
夏の旅行 1日目 その2
青森に行くことは決めたが
今回は自転車を持っていくのを止めた
準備ができていないという理由もあるけれど
祝日の出発なので電車が混雑していそうだし
山を歩きたいなという思いもあったからだ
家から最寄の駅までは歩いていくつもりだったのが
ちょうどバスがやってきた
幸先良し
夏の旅行 1日目 その3
盛岡の家具屋さんはすぐに見つかった
ここの家具を知ったのは東京に住んでいた頃だったか
店を始めてからだったか
東京の表参道で偶然入ったお店にここの家具が置いてあって
その木で作られた美しい家具に一目惚れ
その店にはそれからちょくちょく通っていたが
数年前店主のSさんが亡くなり無くなってしまった
自分より10歳くらいは年上だと思っていた店主が
自分と同じ歳だったことを知り
驚いたのと同時に時間の大切さを思った
いつかこの家具を使おうと思いながら
10数年
ようやくそのときが来た
表参道のお店で買うことは叶わなかったが
運命の家具との久しぶりのご対面
向こうもぼくを待っていてくれた
栓の木のベンチと栗の木のテーブル
一目で気に入った
盛岡の店のひとたちも温かいひとたちで
Sさんと重なった
この家具に魅せられるひとたちがそういうひとたちなのだろうか
それともこの家具といっしょにいるからそうなるのだろうか
夏の旅行 1日目 その4
青森に移動して
新青森駅から市街地まで5Kmの距離を歩くが
暑い
青森のくせして暑い
古川市場で遅い昼食(ホタテとイか刺し)をとり
街中をぶらぶらしてからホテルにチェックイン
シャワーで汗を流して
今回の青森行きでいちばん楽しみにしていた『山の寿司』へ
祝日だから休みかもと不安に思いながら
5Kmの道のりを歩いて青森の卸売り市場へ
「関係者以外立ち入り禁止」の門をくぐって店の方を見ると明かりがついてる
3000円のおまかせを頼むと
「きょうは最後のお客さんだから最上級のおもてなしをしちゃいますよ」と店主
本当に最上級のおもてなしで
次から次へとお寿司が出てくる
それといっしょにしゃべりも次から次へと飛び出してくるのだけど
それもまたおもてなしだ
会話は旅人への最高のもてなしなのだ
3000円のおまかせはお寿司8貫のはずなのだが
赤貝
エンガワ
イカ
ホタテ
真鯛
大間の霜降り
大間のカマ
ヒラメ
アワビ
こはだ
甘エビ
特級イクラ
ウニ
玉子
筋子の手巻き寿司
大間マグロの手巻き寿司などなど
いったい何個食べたのだろう
わんこそば食べているみたいだった
寿司屋でおまかせコースを頼んで
お腹いっぱいで苦しくなったのははじめてだ
しかもこんなにうまい寿司を食べたのは
産まれてはじめて
青森だからといって
どこで食べてもうまいというわけではない
これでビール2杯を飲んで4200円
さすがにそれでは悪いのでお釣りは置いてきた
大満足 もうこのまま栃木に帰ってもいいやと思った
お寿司が食べたくなったらまた来よう
行く前はお寿司を食べたら居酒屋にいこうとも考えていたのだが
(帰りに走っているうちにお腹にすこし余裕が出てきた)
もうこころが満足してしまっているので
これ以上食べてもなんの喜びもないだろうからやめた
青森に行ったなら
奥入瀬に行かなくとも
白神山地に行かなくとも
この寿司屋だけには行くべきだ
夏の旅2日目
朝は古川市場に行って
うにわさび漬け 子持ちヤリイカ ホヤの塩辛を白いご飯で食べる
酒が飲みたい
その後バスで蔦温泉へ行き周辺の沼めぐり
いちばん行きたかったのは赤沼
水深があたなら透明度は湖沼のなかでは日本一ではないかといわれているところ
しばらく前に
ある写真集で赤沼の写真を目にして
ここは行きたいぞ!と思ったのだ
道に迷い迷い
ヤブをかき分けかき分けやってきたので
赤沼との初のご対面には達成感と感動があった
このすばらしい景色の中に人間がだれひとりいない
このすばらしい景色を独り占めだ
朝 市場で買ったウニでうに丼を作り
この風景を楽しみながら
(お箸がなかったので)手づかみで食べた
なんだか鞄に酒も入っていたので酒も飲んだ
帰りは来た道を引き返す自信がなかったので
蔦トンネルの手前に抜ける道を選んだ
満足も満足大満足
もう一泊して奥入瀬渓流も歩いてこようかと考えてもいたのだが
もうこれ以上こころの器には何も入りそうもないので
これで今回の旅を終わりにすることにした
谷地温泉まで走って温泉で疲れと汗を流したら
ちょうどバスの時間
あと10分遅れていたら次のバスは2時間後
最終の新幹線にも間に合わなかっただろう
那須塩原から家までのバスもぼくを待っていてくれた
今回の旅は順調すぎるほど順調だった
そしてこんなことは初めてで
天気の崩れがまったくなかった
人生は積み重ねていくよりも
積んでは崩し
積んでは崩ししていく方が
面白いのかもしれない
いつだって0からのはじまりだ
本当に面白くなってくるのは
0になってからだ
そこからどう上っていくか
いや違うか
もっと面白いのは
ぶっ壊し始めるときかな
跳べ 跳べ
目の前のそれを
ぶっ壊して
舞い上がれ
変えられるものと
変えられないもの
変えるべきものと
変えるべきでないもの
変えたいと思うもの
変えたいとは思わないもの
HPが突然消滅して
新しくHPを作ったが
まだ新しいHPの存在を知ってもらえていないので
遠くからのお客さんがなかなか来てくれない
店は実在しているのだが
実在しているものや事実よりも
インターネットの情報の方が力を持ってしまうという危うさ
日本をもっと知りたいなあと思って
外に出て歩いても
日本にはなかなか出会えない
近所を歩いていても
もうここに栃木はない
マクドナルド、セブンイレブン、ユニクロ、吉野家、デニーズ
木々の中を歩きたいなあと思っても
近くには木がない
あっても杉の木ばかりだ
かえって東京に行った方が木にいっぱい触れられる
公園や庭園、ビル前の小庭園
自分の住む町では何かを造ったり建てたりするとき
とりあえず木を全部伐採してしまう
公園に行っても木なんてほとんどない
新しく出来る公共の場にはとりあえず桜の木が数本植えられるといった感じだ
もう数年すれば木よりも太陽光パネルの数の方が多くなってしまうかもしれない
天気がよかったので
店を無人販売にして
根津美術館まで行ってきた
江戸から明治時代に作られた刀装具のコレクション
あの時代の職人たちの技と根気は本当にすごいと思う
刀装具に施された細工はどれも細かすぎて
肉眼で観ていたのではなんだかよくわからないので
無料で貸し出されているギャラリースコープ(保証金5000円)を借りにいった
99。9%のひとがギャラリースコープ無しで鑑賞していたが
あれはもったいない
美術館のひとももっと薦めればいいのに
あると無いのでは
満足度がぜんぜん違うと思う
感動して帰ったひとは少なかったのではないだろうか
次に行った国立近代美術館工芸館では
ギャラリースコープがあればと思ってしまう作品がいくつかあった
これは購入しなくては
工芸品を鑑賞しに行くのは磨きぬかれた職人の技に触れたいから
眺めているだけで幸せな気分になれる
自分もこんなことが出来る職人になりたいという思いにはならないかな
惹かれるのは
自分にはない部分
(おそらく、求めてもない部分)
繊細さだったり、根気だったり、とてつもなく高い技術力
今年は一週間がとても速く過ぎていく
今週の休みも大子町で山歩き
暗くなる前に下山するには
早い時間に家を出ればいいんだということに気づき
きょうは午前6時30分に家を出発
しばらく走ってから
手と足の指先の冷たさで
かなり気温が低いことに気がつき
軍手で出て来たことを後悔
途中冷たさに我慢できなくなり
自転車を降りて
腕をグルグル回しながらランニング
大事なことに気がつくのは
いつも痛い目にあってからだ
道路の気温掲示板を見ると
氷点下じゃん
車の事故現場に遭遇して
重い気持ちと怖さから
ペダルをこぐスピードが鈍って
到着時間が遅れたが
山に入ると重い気持ちもどこかへ飛んでいって
楽しんでいた
山で飲む水はうまい!
きょうは先週とは違う登り口から月居山に入り
第二展望台の少し先にある
もみじ谷へ
一週間ですっかり色は失われていたが
やはり素敵な場所だ
『水根』がどんなところなのか
見てこようと考えていたのだが
先は杉林が続いていて面白くなさそうなので
引き返そうと歩いているときに
主に出会った
これほどデカイもみじの木を自分は知らない
これだけデカイ木なのに
先週来たときも
きょう谷を下っていたときも
気がつかなかったのはなぜだろう
夫婦のように寄り添って立っている二本の木
「なぜ、この二本のもみじだけこんなにでかいのだろう」
脇に木のブランコ(自然の)があったので
寝転んで眺めていたら
ある考えが思い浮かんだ
この木の周りにあるたくさんのもみじたちは
この二本の木の子供や孫たちではないのだろうか
この二本の木だけがこの場所に残ったのではなくて
鳥か何かによって
運び込まれた種からのはじまる物語
きょうはそれ程歩かなかったが
素敵な時間を過ごすことができた
ありとあらゆるものに感謝しながら
山を下った
たくさんのものたちや
たくさんのことによって
自分は生かされている
苦しいこともあったし
悲しいこともあったが
自分に起こったすべてのことが
いまの自分をつくってくれた
すべてのことに
ありがとう
きのうに続き
自転車で大子町へ
きのうの一時間ちょっとの山歩きで
山の中にいることの喜びを思い出してしまった
それなので
きのうのきょうでまた月居山に入る
やりたいときがそのときなのだ
大子の山はいまが一番美しい姿を見せてくれる時期
きょうはきのうより早く11時30分に袋田の滝に到着できたので
男体山まで行ってくることに
鐘を鳴らして出発だ
思ったよりも急斜面が多く
登頂する前にばててしまった
体力低下を痛感
水を忘れたのも痛かった
昼飯にパンとチーズを持っていったのだが
喉が渇いているときに
飲み物なしにパンを食べるのはキツイ
あまりに喉が渇いたので
帰りは飲み物を求めて
駆けて帰った
15時頃には戻れるだろうと走りながら考えていたのだが
暗くなってきているのがちょっと気になった
雲が多くなってきたのでそのせいだろうと楽観していたが
戻り着いたのが16時だった
喉が渇いてなかったら
降りてこられないところだったよ
教訓 山に行くときは水を持っていってはいけない
途中ものすごく美しい場所があった
『水根』に降りていく谷
ものすごい数のもみじ
この世のものとは思えない風景に
うっとりしてしまった
黒澤明の『夢』の世界がそこにあった
もみじを見るなら京都じゃなくて
大子町だ
数週間前だったら
ひとがいっぱい歩いていたのかな?
きょうは行きも帰りも誰にも会わなかった
茨城県大子町
今年になって
初めて訪れた場所
もう何回行っただろう
きょうは袋田の滝遊歩道から
月居山へ歩いた
月居観音堂にて鐘を
突いて帰るつもりだったが
先客がいたので
その先の月居城跡まで歩いてみた
もう紅葉は終わりだろうと思っていたのだが
城跡周辺はものすごい数のもみじが
美しく色を染めていた
先客が鐘を突いていなければ
この美しい風景に出会えていなかったのだから
人生なんてわからないものだ
あと数歩足を進めただけで
素晴らしい出会いが待っているかもしれない
その逆だってあるかもしれないが
いいものを手に入れようと思えば
損するも覚悟の上で進まなければならない
普段からあと数歩進むことを
心に決めた
そこであと数歩進んでから
観音堂に戻り
鐘を突いた
素晴らしい音色
素晴らしい倍音だった
鐘の中で聞くと
不思議な感覚
宇宙にでもいるみたいだ
観音堂の近くには大きなイチョウが
大子町には大きい木がたくさんあるが
このイチョウはだいご小学校の欅に
負けないくらいの存在感がある
帰りは茶屋の脇に出る道を下る
一本のモミの木の葉が美しく黄色に染まっている
モミも黄葉するのか?
遠くに滝が見える
自分には
ここからの滝の眺めがベストかな
月居トンネルは暗くて嫌いだが
月居山は気に入った
きょうは袋田の滝に到着したのが
午後2時
今度はもう少し早く来て
男体山くらいまで歩いてこよう
山歩きは楽しいかもしれない
自転車で那須塩原に向かうが
一分差で新幹線は行ってしまった
一分の差で東京到着が六十分遅れた
これが田舎に住むということ
上野公園はひとで溢れている
東京藝術大学美術館にて
『皇室の彩』
美術館に入るのに一時間並んだのは
はじめて
今年は美術館に行く機会が多かった
東京は美しくないものも多いのだが
美しいものに出会う機会もたくさんある
自分の住むところはどうかというと
美しいものが少ないところに
美しくないものがどんどん増えている
なまけもののパン屋店主の
日記のようなもの
下の方に
あります
なまけもののパン屋店主の
日記のようなもの
下の方に
あります
なまけもののパン屋店主の
日記のようなもの
下の方に
あります
なまけもののパン屋店主の
日記のようなもの
下の方に
あります
2017年11月25日より
なまけもののパン屋 店主
日記のようなもの
下の方にあり