梅雨になって
パン作りも
体調も
上がってきた
ここ2年
「きょうは良い生地ができたぞ~」と
カマに送り込んだパン生地(ライ麦40%)が
ことごとく悲惨な状態になってカマから出てきた
その度にずっと生地に問題があるのだろうと
落ち込み悩んできたのだけど
「あれ もしかして カマに問題があるんじゃないの」という思いが
二年たったいまふっと湧いてきた
ライ麦40%のパンは3段あるカマの一番下の段に縦3列横3列で入れるのだけど
前の一列がかなりの確立でぺしゃんこになっていた
いい生地が出来たと思って焼き上がりを待っていたときは
もう何がなんだかわからなくなって
頭の中ぐっちゃぐっちゃだった
いつもは前列にレーズンのパンを入れていたのだけど
カマに問題があるのかもという疑いが浮かんだので
前列にひまわりやナッツのパンを入れて焼いてみたら
いつもぺしゃんこになるレーズンのパンは無事で
前列に入れたひまわりやナッツのパンがぺしゃんこになっていた
蒸気が入るときの圧力が強すぎるのかもしれない
地震でカマがかなり動いているので具合が悪くなったのだろうか
もしそうだとしたらこの2年の苦しみはなんだったのだろうか
生地がうまく出来たと思っても
ちゃんとパンが焼けないなら
自分が間違っているんだろうと
ああでもない
こうでもない
ステップアップしたくても
足を持っていく場所がないのだから
でもごちゃごちゃ言っても始まらない
ここからだ
ここから踏ん張って
階段を上がっていこう
きょうは朝ランニングを済ませたのだけど
夕方犬と散歩をしていたら
ここ近年感じたのないからだの軽さを感じたので
なんだか走りたくなってきて
途中ダッシュを数本入れながら3kmくらい走ってきた
いくらか体力がついてきた気がする
あと一歩か二歩
長かったトンネルから抜け出せる予感がする
みんながみんな良いというパンは
それだけのパンでしかない
みんながみんな良いという映画は
それだけの映画でしかない
イナゴや芋虫 カエルやトカゲ
昆虫を食べさせてくれるレストラン
そんなところは日本にそうないだろう
食べたいと思う人も
日本の人口の1%くらいしかいないかもしれない
でもそういう店の数が少なければ商売は成り立つ
もちろん来てくれたお客さんを満足させられるような何かがなければダメだけれど
イタリアンレストラン
人気があるけど
店の数も多い
やっていくにはかなり大変だ
きっとかなりの努力とかなりの運そしてアイディアが必要になってくる
人気のある大学
人気のある会社
入りたいとひとが大勢集まってくるので
入るのはかなり大変だ
しかれたレールの上を進んでいくことは楽ではあるけど大変でもある
この大学でこんな勉強をしたい
この会社でこんな仕事をしたいという思いがなければ
時が虚しく過ぎていくだけだろう
どうなってもいいから
もうドーンと行って
自分のなかに浮き上がってくるすべてのものを吐き出してしまえ
階段でこけて滑り落ちようが
洋服を裏返しに着ていようとも
それを見たひとが自分のことをどう思おうとも
平気で親指立ててやれ
自分のこころに忠実に生きたなら
その結果
どんなことになろうとも
平気で歩いていればいいんだ
みんな死んでなくなってしまうなら
世間体だって
名声だって
消えてなくなってしまうんだ
どうせすべてがなくなってしまうなら
俺はいまこの瞬間瞬間
自分のこころだけは大切にして
生きていきたい
きょうはライ麦酵母のパンの出来が良かったので
一日中気分がハイだった
自分の中ではベストパフォーマンスだろう
いまの自分の力なら95点くらいはあげられると思う
人生最高のパンと言ってしまおう
偶然的な部分もあるけど
いままでのたくさんの失敗から集めとった欠片をよく見つめなおして
作ってみたらうまい具合に焼きあがってくれた
気温や湿度 粉の状態 日々変わってくるので
明日あさってもきょうみたいに良いパンを作るかどうかはわからないけど
これからもパン作りを続けていくなら
欠片はもっともっと見つけることができるだろう
だからいつかきょうよりも良いパンを作ることも出来ると思う
いつかは死んでなくなっちゃうのに
それを知りながらも
懸命に生きる姿の美しさ
窮屈なこの場所から
懸命に抜け出そうとしている姿の美しさ
人間はどんなときでも
顔を上げて歩いていけばいいんだ
パンを作り続ける限り
見つかるはずもない答えを探しながら
歩き続けなければならない
ああでもない
こうでもないと
考え
試し
すこしずつ欠片を拾い集めながらも
絶対に揃え集めることができないという未知へ向かって
最高に楽しい謎解きを繰り広げ
未完成ながらも
うまいという
不思議な現象が起こる世界をさ迷い続ける自分は
悲しい存在であると同時に
自分で言っちゃうけど
美しいとも思う
きょうは一種類
うまく行かなかないパンがあった
原因はいくつか思いついたけど
そのどれかかはまだわからないし
もしかしたらすべて違うかもしれない
うまく行かなかった悔しさと
どうすれば解決できるかという世界に入り込めた喜び
さあ
早く明日よ来い
ライ麦80%のパン
ようやく焼きに入るタイミングがわかった
ちょっと勘違いしていた
もしかしたら
パン作りは
自分の頭で考えるより
見て
触る方が大切なのかもしれない
指を切手から一週間とちょっと
指を曲げても痛みを感じなくなったので
サンドバックを叩いてみた
まったく問題なし
キズパワーバンドのおかけだろうか
やっぱりからだをおもいきり動かせることは
最高に気持ちがいい
きょうはランニングも絶好調
こんなにからだが動いたのは何年ぶりだろう
花々がここに来て
いっきに開いた
まだ株は小さいけど
それなりに楽しめる
苗と苗がくっつき過ぎていたり
隣の植物との相性が悪かったりと
いろいろ問題があるけれど
気長に庭をつくっていこう
店のトタン屋根に日除けシートを設置
いつものようにまったくの無計画
ホームセンターでの突然の思いつきで
日除けシートを購入
屋根の幅も知らなかったけど
自分がやったとは思えないようなすばらしい出来に大満足
夢はいまという時を最高に楽しく生きること
これから起こるであるかもしれないことへの期待というのはあまり持つことはない
ただとにかくいまの自分のこころをおもいきり生きること
希望は
いま
いまの自分
まだまだ体力が戻ってこない
ここ20年で最低の体力だ
すこし動いただけで
すぐに疲れてしまう
おもいきり自分に負けている
しっかりトレーニングさえできたらなんとかなると思う
なんとかここを超えたい
毎日ぶっ倒れるぐらいからだを動かしたい
後悔ないように精一杯がんばってみよう
失うものはなくもないけど
失うことで
あるいは失ってもいいやと思うことで
身軽になれるんじゃないだろうか
100Mダッシュ
速い動きにだいぶ筋肉がついてこられるようになってきた
でも走っていて苦しくなってくるのは
速い動きに心肺機能がついてこれないからなのだろうか
心肺機能が低下しているのか
それともどこかによけいな力が入っているのだろうか
休んでしまおうかとも思ったけど
やってよかった
困難は望んでも望まなくても
向こうからやってくる
その困難が身に降りかかってきてしまったことをしっかりと受け入れて
こっちからぶつかっていけば
自分が広がっていくんだなあ
それに
困難をどう乗り越えていこうかと考える作業
乗り越えていく過程も最高に面白い
手の怪我で作業スピード落ちる
そのぶん種類を減らしてカバー
すこし余裕が出たので
おもいきって作り方をすこし変
予測が当たったのか
かなり良い感じに仕上がった
本当にこれが使えるかどうか
明日が楽しみ
捏ねられるか心配だったけど
痛みもなく
なんとかなった
怪我が左手だったのも良かった
ただ手袋をしての作業なので
感覚がつかみづらいし
作業もしづらい
勢いよく手を振り下ろしたところに
パン生地を窯に挿入するときに使うステンレス製の器具
突起した部分にジャストミートで小指がグサリ
痛みは全然ないのに
ザックリ割れて
血がドクドクと吹き出してくる
これは縫うようかなと思ったけれど
セロテープでグルグル巻きにしたら血が止まってくれた
捏ね終わった後だったので助かった
水曜日は捏ねられるかな
休みは東京行き
きょうは座っている時間が長くなりそうなので
意識していっぱい歩いた
朝出かける前に犬と90分かけて散歩
東京へは早く着いたので築地市場を60分くらいぶらぶらする
新宿御苑に移動して90分くらい散歩
カラタネオガダマの香りにクラクラ
何十種類のバラの花
もう一週間早かったら
知り合いのご飯屋さんへ徒歩移動 初台へ(まるカフェ)
迷いながら到着
セブンイレブンを曲がったところと聞いていたけど
都会にはセブンイレブンが多すぎる
生まれて初めてフォーを食べる うまい
お芝居を観に新宿駅方面へ徒歩移動
相変わらず
会場を間違う
10分前に着いたところは
紀伊国屋書店新宿本店4F『紀伊国屋ホール』
きょうに会場は新宿駅南口にある新宿 タイムズスクエア5F『紀伊国屋サザンシアター』
パンの発送で鍛えられたので焦ることもなく移動
ダッシュ 通販には精神的にも肉体的にも鍛えられた
10分もあれば何でもできる
しばらく前までヤマト運輸大田原営業所内では
最終出荷時刻1分前の男と言われていたほどだ
観劇の後は渋谷にコンサートを聴きにいく
それまで本屋で120分ぶらぶら
書籍数冊購入
コンサートはさすがに疲れ
集中できず
座りすぎか
歩きすぎが
わからない
コンサートが予想より早く終わり
本日中に帰宅
子供はいったん眠ると
ちょっとやそっとの物音では目を覚まさない
そんな一心不乱に眠る姿を見ていると
子供は寝るから育つんじゃなくて
育っているから寝ているんだなということを感じる
これはダメ あれはダメ
こうしなさい ああしなさい
小さいときから大人たちに言われ続け
大人になったら
規則や世の中の習慣や価値観などでがんじがらめ
こんななかで育っていれば
何をやるか
どう生きるか
そんなことは自分で決めていいんだということを知らずに
目の前にあるレールの上を歩いていくことが
生きることだと勘違いしてしまうだろう
何をやるか
どういきるかなんてことは
自分で決めていいんだ
何が正しいかなんてことは誰にもわからない
だからなにをやってもいいんだ
どう生きてもいいんだ
自分がやりたいように
自分が生きたいように
みんなが携帯電話を持っているからといって
自分も同じように持つ必要はないし
中学を出たら高校に行くか専門学校に行くか
就職するか
そんな道しかないと思っているのは大間違いで
世界を放浪してもいいんだし
一生縄跳びを飛んで過ごしてもいいわけだ
みんながビートルズが好きだからといって
自分もビートルズを好きになる必要はないし
でんぐり返しが好きなら
朝から晩まででんぐり返しをやって
一生を過ごしてもいいわけだ
学校に行きたいなら行けばいいし
学校なんて行かずに本を読んで過ごしてもいいし
山に入って動物を捕ったり植物を採取して暮らしてもいいわけだ
いまはとにかく突っ走ろうと思う
ぶっ壊れたらぶっ壊れただ
走れなくなったら
歩けばいいんだし
歩けなくなったら
立ち止まって休んでもいいんだ
ここ数年
首が固まってしまってあまり回らなくなっていた
道路で車が来ないかを確認するにも首が動かないし
夜空を見上げるのにも一苦労だった
だからといって頓着せずにここまで来たけど
ここにきてこれはちょっとまずいかなという感じになってきたので
しばらく前から意識して首を動かすことをしていたら
だいぶ動かせるようになってきた
からだの悪いところは治そうと思わなければ治らないけど
治そうとすこし努力すれば
なんとかなるということを
いまさらながら理解した
今年のゴールデンウィークは
時間帯がばらけてお客さんが来てくれたので
ゆっくりと接客ができて楽しかった
毎年ゴールデンウィークは店を開けるので
出かけることはできないけど
素敵なお客さんがいっぱい来てくれるので
この出会いが僕にとっては旅のようなものであって
それもただの旅ではなくて
旅人をもてなすこともできるという
最高にたのしい旅なんだ
ひとと同じようにできないからといって
劣等感なんて持つ必要はなくて
それができたって
できなかくたって
どうっていうことないんだ
ひとと同じ必要はないんだし
どう生きなければならないなんてものはないんだから
ひとと同じことをやる必要だってないんだ
どう生きるか
何をやるかは
自分で決めていいんだ
転ぼうが
でんぐり返しをしようが
這いずろうが
それでいいんだ
どうにもならないことはどうにもならない
自分のせいなんかじゃないから
堂々と胸を張って歩いていけばいいんだ
暖かくなってきて
ハンモックで遊んでいくひとたちが増えてきた
丈夫なハンモックなので
大人も子供も自由に使ってね
先日の雨で庭の植物たちがグングン育っている
寒い寒い冬を土の中でよく耐え抜いて
今年もまた姿を現してくれた
土の中寒さにじっと耐え抜いたからこそ
いま春になってこれだけ力強く
君は育っていけているのかな
風で
花びらが吹き飛ばされたって
踏みつけられ
茎が折れたって
君は生きていたね
根っこをしっかり育てていたんだね
そうだ
根っこさえ育てていられたら
それでいいんだ
根っこさえ育っていれば
大丈夫なんだ
すこしずつ
すこしずつ
力をつけて
強く大きく育っていけ
僕から君へ
君から僕へ
http://www.youtube.com/watch?v=ArVd29wht_A
(花から人へ、人から花へ/今井 忍)
常緑の植物はいつもそこにいてくれて安心感をくれるけれど
落葉の植物と付き合っていると
この寒さに耐え抜いて来年も元気な姿を見せてくれるだろうかという不安が冬の間ずっと付きまとう
でもこの間がいいんだよね
想える時間
考えたり想像できる時間
そしてまた出会えたときの
喜び
いまは間がもてない
間てない
間抜けな世の中になっているけど
人生に間がなければぜんぜん面白くない
猫が店に入ってきた
人懐こい猫で
テーブルの上のパンよりも
ひとを求めてやってきた感じだ
お客さんたちの足元を
あっちこっち行き来している
そうだ
この猫はあのときの猫だ
何日か前に犬と散歩をしていると
何かがついてくる気配がある
後ろを振り向いてみると
子猫が犬の後をトコトコトコトコくっついてくる
そのうち犬もそのことに気がついて
猫に近づいていってうぅぅうぅぅと唸るのだけど
猫の方は全然平気
しゃがみ込んでリラックスしている
ここはおとぎの国か
それともムツゴロウ王国か
あんな不思議な猫ははじめてだったので
現実の世界のことなのか夢でも見ているのかわからなくなってしまったんだ
自分を犬だと思っている猫
犬といっしょに育てられたのだろうか
あるいは何らかの理由で犬として育てられたのだろうか
お客さんが差し出した手にお手をしているよ
良い結果を出すことばかりにとらわれていると大切なことを忘れてしまう
過程を楽しめなければ
たとえ良い結果が出たとしても満足は出来ない
三浦雄一郎がエベレストを登っているけど
ヘリコプターで頂上まで運んでもらったって
三浦氏は「ヤッホー」なんて喜べるはずもない
良い結果が出なかったとしても
過程が楽しめたなら
それはそれで
そのことに関しては満足が出来る
それでも悔しいときは
またやればいいんだ
実際にやってみて
難しさを知っているからこそ
わかるすごさ
興味があるなら
ごちゃごちゃ言っているより
実際に自分でやってしまった方が何千倍も楽しめる
うまくなんてできなくたって
才能なんてなくたって
やっちゃえばいいんだし
やっちゃっていいんだ
ひとの目
ひとの評価なんて
気にしていたらもったいない
人生なんて短いもんだ
後のことなんて考えないで
こころのすべてを
吐き出して
ぶつけてやればいいんだ
砕け散ったらどうしようじゃなくって
砕け散ってもいい
笑われたらどうしようじゃなくって
笑われたっていいだ
すべてを失ったのなら
またゼロから始めればいい
人間は弱い
だから自分は間違っていないと思って生きている必要がある
無意識だけどそうすることでこころのバランスを保っている
自分は間違っているという思いの中で人間は生きられない
だから自分のことをひとに否定されると
そのひとのことを否定し返さなければならない
人間はそういうややこしい生き物
歳をとったひとの方が情のあるひとが多いなと感じる
そうなっているのは
情は育っていくものだからだろうか
それとも情が失われていっているからだろうか
掘り下げていけば
もう絶望しかない
それでも
生きていかなければならない苦しさ
そんな中で
自分を貫き生きることで
なんとか立っていられる自分
自分を曲げてしまったら
即
奈落の底に振り落とされてしまうだろう
ひとはいつか死んでしまう
人類もいつか滅びるだろう
すべては消えてなくなってしまうけど
それでもそのときまで生き続けなければならない
人間の悲しさ
生きている間に自分を満足させることに力を注がなければならない
人間の悲しさ
いい大学に入り
いい会社に入り
お金をいっぱい稼いで豊かな生活を送る
そんな思いでがんばっても
その稼いだ金は
使う暇もなく
豊かな生活を送る暇もない
いまこの国を覆っている問題の数々
それらのほとんどはいつまでたっても解決されることはない
形や姿を変えて生き続ける
人間の持っている変わることのない性質がある
イマジン
想像力は千差万別
すべてがひとつの方に向かうことなんてない
仕込みをしているときは
ラジオを流している
きょうは朝から何度も何度も
通知表の記入ミスがあったことが
アナウンサーの口から読み上げられている
そんなこと全国放送のニュースで取り上げることかと
耳に入ってくるたびに悪態をついてしまう
いま自分が住んでいる国に流れている
ミスが許されない空気
それを吸い込みながら生きていることの息苦しさへの怒り
ひとがミスをすれば
自分もミスすることもあるのにそのことは棚にあげておいて
100年追い続けた敵にようやく出会えたのごとく
猛烈に攻撃してくる
学校の先生たちも大変だ
子供を育てることよりも
学校側に責任が降りかかってこないようにという対応に時間を取られ
毎日遅くまで本当にこんなことが必要なのかという仕事に追われ
心身ともにクタクタだ
先生たちは責任が降りかかってこないように
無難に型通りの教育をするようになり
型通りの教育を受けた生徒の多くは
型にはまった人間になる
学校だけじゃなくて
会社だって同じようなものなんじゃないだろうか
毎日をもっとこころ楽に生きられたのなら
目の輝きも変わってくるだろうに
世界も面白くなってくるだろうに
店の前にシモツケを数本植えてみた
なんだかいい感じ
だんだん形になってきた
カケラを見つけてはめ込んでいく作業が好きだ
ジグソーパズルはカケラをはめ込む場所が最初から決まっていて
そこひとつだけにしかはめ込むことができないから
好きではないけど
庭や店を作っていく場合には
カケラはどんなものでもいいし
どこにはめ込んでもいい
何をはめ込むか
どこにはめ込むかによって
表情が変わってくる
そこが面白い
ひととひとだって違っているから面白いんじゃないだろうか
店をやると
ひととの出会いも楽しいけど
店を作っていく楽しさもある
傷つけたり
傷ついたり
それがあるから人生が彩られ
豊かになっているということもあるのじゃないだろうか
脳みそが発達しすぎたおかげというかせいというか
人間は刺激がないと退屈を感じてしまう
刺激があるからこそ人間は成長したり
次のステージに自分を持っていくことができるんだ
傷つくようなことがないようにと純粋培養みたいな世界を作ってしまったら
その中で生きていてもやっぱり楽しくはないだろうし
その世界はつまらない人間であふれてしまうのではないだろうか
ようやくライ麦が送られてきた
頼んでおいたライ麦がなかなかやってこなくて
きのうはライ麦酵母のパンが作れなかった
粉がなくて酵母も活性化させられなかったので
きょうのパン焼きに間に合うようにきのうからつきっきりで酵母の面倒を見た
いつもより手間をかけたからだろうか
酵母はいつも以上に元気になって
きょう焼いたパンはすばらしい出来
酵母がしっかりしていると
こんなに良いパンが焼けるのかと感心した
良いパンを作るヒントを貰った
だけどひとりでパン屋をやっていると
さすがに今回のように手間隙かけていられない
酵母が元気になるような別の方法を考えてみよう
きょうのパンは本当にすばらしかった
生きていて
楽しいか
それとも虚しいか
それはどの道を選ぶかで決まってくるのだと思う
自分でどうにも出来るものなんだ
どう生きるか
どうすればいいか
自分で考え
自分で見つけていく
how to本になんて頼らないで
手探りで見つけていけばいいんだ
その方が生きていて面白いもん
それにそれを生きるって言うんじゃないか
答えなんてすぐに見つけ出さなくていいんだ
誰かの考えに従って生きたり敷かれたレールの上を進んでいくことは
楽だけどつまらない
自分の持っている力をフル稼働して生きた方が絶対絶対面白いじゃん
これはダメ
こうしなさい
ああしなさい
子供のころから自分で考えたり判断する能力を奪われているのだけら
生きていても虚しくてしかたがないのは当然なのかもしれない
物や道具と同じで
人間も使ってこそ輝いてくるんだ
考える余地のあるものの
面白さ
欲張り続けたら
いつまでたっても満たされない
欲張る必要のある部分と
欲張る必要がない部分があると思う
一日からだを使いまくった
からだは疲れ果てているのだけど眠れない
頭を全然使わなかったから
頭は元気いっぱい
だから本を読んでみたらグッスリ眠れた
誰かを金持ちにするために心身がボロボロになるまで働かされているというおかしな仕組み
国が作ってしまったふざけた仕組み
さまざまな組み込まれたくない仕組みの中にいつのまにか組み込まれてしまっている
抜け出したい
抜け出したい
なんだかとても窮屈だ
もっともっともっと経済的に豊かな生活を送りたい
そんな思いがいっぱい渦巻いているのだから
経済的に貧しいひとたちが増えるのは当然だ
誰かが金を得れば
誰かが苦しい思いをすることになる
もっともっともっと経済的に豊かになりたい
そういう思いがあるがために
仕事に時間を奪われるし
ストレスも増える
こころは豊かになることなく
虚しさが募るばかり
前向きな気持ちになって
生きていても
また突然痛みが襲ってきて
沈んでいく
そしてまた前向きになったら
また沈んでいく
その繰り返し
そうやって傷とは付き合っていくしかないんだ
そしてそれでいいんだ
きっと傷とは一生付き合っていかなければならないことなのだから
ゴールデンウィーク最終日
いつものコーヒー屋さんが
コーヒーを淹れに来てくれた
商売にはしないと言っていたけど
とうとう商売にしてしまったらしい
月に1回とからしいけど
商売を始めると
これが月に3回になり
週に1回になり
週に5回になってくるんだよな
このコーヒー屋さんはどこか行く度に物を貰っている
夜いっしょにご飯を食べに行った店ではコーヒー豆を貰い
きょうパン屋でいっしょになったお客さんからはトマトを貰っていた
もの欲しそうな顔をしているのだろうか
お金に困っているように映るのだろうか
きっとこれからはお金もいっぱい落として行ってくれることだろう
YO-RIさんこと森洋利さんの写真展が所沢であるそうです
お近くの方は行ってみてください
HPには動物 電車 植物 昆虫などなど
楽しい写真が一杯です
http://blog.livedoor.jp/ymp1/
森 洋利 写真展2013
2013年4月13日(土)~4月29日(祝)
※森さん情報によると
10月にフリーフォート(スウェーデン)のレーナが来日するそうです
こちらも是非
http://www.youtube.com/user/OTONAKAMAI (映像)
店の中がだんだん形になってきた
お客さんにゆったりしてもらえる空間作り
きょうはうれしいことに自分の部屋にいるように
コーヒーを淹れたり
おしゃべりをしたりと2時間くらい
くつろいでいってくれたお客さんたちがいた
九州に引っ越したIさんが
1年半ぶりに来てくれた
残念ながらパンは売り切れでなかったのだけど
暴風雨のなか自転車でわざわざ寄ってくれたのはうれしかった
新聞には
成功の秘訣
成功の理由とかいう本の広告が氾濫している
成功することが良いことで
成功しないことはダメなこと
こういう風潮は
なにかによってつくられ
なにかによって言われ続けた結果
出来上がっていったものなのだろう
なにかというのは
そうすることで利益を得たり
ひとを管理しやすくしようとするひとたちで
こうやって出来上がってきた風潮は
おそらくまだまだいっぱいあって
ぼくたちはそれらに操られ
つくられた世界のなかに組み込まれながら
疑問に思うこともなく
考えることもなく
生きている
そういうものを
全部ぶっ壊して生きてみたら
そこにはいったいどんな世界が広がっているんだろう
適応できないなら
無理することないんだ
自分のやり方で
やっていけばいいんじゃないか
政治家に世界は変えられない
世界を変えたいなら
自分が変わるしかないんだ
自分が変わることで
自分にとっての世界を変える
生きていても楽しくないと感じているなら
楽しく生きればいいいんだ
それだけだ
簡単なことなのか
難しいことなのかは
わからないけど
そう決意する以外に
そこから脱出する方法はないんじゃないだろうか
この世に変わらないものはない
ひとだって変わる
考え方
感じ方
思い
なにかをやっているならその技術
だから
なにごとも
やりながらだ
始めてみれば
けっこうなんとかなっていくものだ
一歩を踏み出す勇気
それさえあれば
こころはいつでも自分のそばで輝いてくれている
地位が高いか
大企業に勤めているか
出来るか出来ないかだけでひとを評価したり
品揃えが多いか悪いか
味がいいか悪いかだけで店を選んだり
味のない人生
味のない人間になってしまう
そんな気がする
どこかのメーカーの車を買うと
市から補助金がもらえる
従業員はいっぱい給料貰っているのに
その会社を市が援助する
回りには助けを必要としている会社や店がいっぱいあるだろうに
ギリギリの収入のなかからなんとか税金を納めたとしても
国や県や市は助けてはくれない
税金を多く納めているところが優遇される社会で
行政に頼って生きようなんてやっぱり思わないし
従いたいとも思えない
大震災
多くのひとが被災したひとびとに目を向けて
手を差し伸べようとしていた
けれども
そのとき
そしていまも
とても身近なところに
助けを必要としているひとはいたしいる
誰にも気づいてもらえず
苦しんでいるひと
テレビや新聞の報道で
東北地方に目を向けていたひとたちの多くは
NHKの大河ドラマの舞台になった地域と同じように
東北地方のことも忘れていく
天皇が何十年か前に訪れた場所に碑がたった
いろいろと思惑があるのか
なぜ今更昭和天皇なんだ
天皇が訪れただけで250万円はねえだろう
地球上のひとりひとりが懸命に
そして輝きを放ちながら
生きているし
生きていたんだ
これはそのひとたちへの侮辱なんじゃないかと思う
http://www.asahi.com/area/tochigi/articles/TKY201304040395.html
地位が高いひとは威張り散らし
地位が低いひとは地位が高いひとに敬語を使い頭を下げる
なんだか
そういう世界がバカらしく思え
そういう世界では
生きていけないので
ぼくはひとりでパンを焼いている
人間誰も威張れるようなことやってないよ
地位とか名誉とか
砂漠にひとりポンと放り投げられたら
そんなもの
何の役にも立たない
人間がやっていることは
すべて人間の勝手
世界一高いビルを建てようが
ノーベル賞をもらうような発明をしようが
国から勲章を貰おうが
人間の世界でしか通用しないこと
そんななかで
誰が偉いだの
収入が多いだの
どの学校出ただの
劣っていることが必ずしも不幸なことではない
どんな状況だろうと
そのひとが幸福だと思っているなら
幸福だし
不幸だと思っているなら
不幸なんじゃないか
科学技術が優れていたり経済的に
優れている国のひとだって
不幸だと思っているひとは
不幸なんだ
いまこの国は
ひとのために病が蔓延していて
自分より劣っているひとを見つけたり
つくったり出して
そのひとのお世話をしようとするひとが多いけど
余計なお世話だってこともけっこう多いんじゃないか
自分自身の問題は棚にあげて
ひとのために
ひとのためにと言っているひとが多い気がする
自分と向き合って生きることは
苦しいことだけど
その苦しさを知っているからこそ
ひとを支えられるんじゃないだろうか
銀河鉄道999という漫画があったけど
いまこの国はそれとまるっきり同じ世界になっている
ひとびとは機械の体を手に入れ
時速100KMを越すスピードで望みの場所に行くことができるし
何百KMも離れたひとと話すこともできる
そして機械のからだを求めた人々が
惑星を構成する一本のネジにされてしまったように
企業や国にこころを奪われ
それらを構成する一本のネジになってがんばっている
大田原は桜が満開
うちの雲竜桜も見事に開いた
庭では日々いろんな花が咲き始めている
自分で植えたのだけど
たくさん植えすぎて
何が何の花なのかわからなくなっているし
どこに植えたかも覚えていない
ある日突然にょきにょきっと現れて
こんにちはとご対面て感じなので
庭を歩き回ることが
朝起きてからの一番目の楽しみになっている
中途半端な気温で
パン作りは難しいのだけど
きょう金曜日ははまった
ここ何日かの様子を思い出しながら
調整して作ったところはあるのだけど
運に助けられたところが大きいかな
奇跡のパン
それでも力がついてきたから
出来たパンだ
力がなかったら運だって活かせない
どんなパンかは
食べてみてね
来なくていいのに
不愉快な思いにさせにやってくる
いい気分でやっているところに
俺もまだまだこころは広くないから
こころのなかで
毒づいて
相手をコテンパンに
叩きのめして
なんとかバランスとっている
なんだか
かぶっていた殻を
放り投げたい気分だ
ひとのことも傷つけるだろうし
攻撃的になることもあるかもしれない
気を使うのも
もやめだ
いい子になんて
なる必要ねえんだ
いくぜ
うぉりゃー
昔から受け継がれてきた価値観
男というものは
女というものは
大人というものは
こうあらなければならない
こういうものだ
こんなクソッタレの価値観にずっと苦しまされてきたけど
自分が違うと思うなら
そんな価値観蹴飛ばしてしまえばいいんだ
いつのまにか
流れの中に
入り込んで流されている悔しさ
中学を出たら
高校に行き
高校を出たら就職するか
大学行くか
専門学校に行くか
もっと別の選択もあっただろう
なんだか知らないうちに
組み込まれていることの
やるせなさ
何の説明もなしに
引き落とされている国民年金
何の了承もなしに
無駄なことに使われている税金
知らず知らずに組み込まられ
縛られているということに
クソッタレーと叫びたい気持ち
自分に対しても
クソッタレーと叫びたい気持ち
こういうのは
どうなの?
大田原何がやりたいんだ
http://www.asahi.com/area/tochigi/articles/TKY201304040395.html
記念碑250万
なんだ それは
天皇が訪れたからといってなんなんだ
店が更に狭くなってきた
もうお客さんに外で買ってもらうしかなくなってくるかもしれない
お店を始めるときも
つい最近までも
木の椅子やテーブルを店に置こうという考えは頭になかったのだけど
ここに来てバババッと店の中が木の椅子やテーブルだらけになってしまった
10数年前にたまたま入ったお店
いま店で使っている椅子やテーブルを作った家具屋さんの家具を扱っていて
とても素敵なお店だった
自分で店をはじめる前もはじめてからも
ちょこちょこと通っていたのだけど
その頃のことがどこかに刷り込まれて眠っていたのだろう
それがいまになってじわりじわりと目を覚まし
いま店の中はこんなふうになってしまった
そのお店の自分と同じ歳の店主はもう亡くなってしまって
もう店もないけど
ぼくの中でいまも生きている
古本屋で『花日記』という本を見つけた
いろいろな器に
さまざまな花を生けた写真が並んでいる
面白そうだったので
すこし前に店に持ってきておいた竹細工のカゴに
庭から取ってきた花を生けてみた
これが本当に面白くて
いまではカゴが3つになっている
店にもぴったり
カゴは何日か前に
家にあったものをこれいいなあと思い持ってきていたもので
中にランプを入れて使っていたのだけど
やりたいと思ったことを実行に移していると
いろいろとつながってしまうんだよな
まだかな
まだかなと毎年観察してきたソルダムの花がようやく開いてくれた
木の立ち姿
黄緑色がまぶしい葉
白くて可憐な花
とても美しい
今年は桜を観に行くより
この木をずっと眺めていたい
それにしても果物の木がいつの間にか増えてしまった
イチジク ビワ ザクロ キンカン 柿 イチゴの木などなど
ここは鳥たちの楽園だ
自分も栄養失調気味なので果物で栄養を補いたいと思っているのだけど
去年は初めて実った柿を3分の2くらい
鳥たちに食べられてしまったからなあ
今年は負けないで2分の1くらいは食べてやる
やりながら
何とかしていく
それでいいんだ
とにかく一歩踏み出すことだ
先に何が起こるかなんてわからないし
力だっていまはない
手探りで進みながら
一瞬一瞬を乗り越え
力をつけていけばいいんだ
林の中を犬と散歩
植物を意識しながら歩いていると
杉林の中にもたくさんの植物があった
カクレミノ イチイ ヤツデ ソテツ アオキなどなど
意識していないときはなんにも見えていなかった
きっとパン作りもそうなんだろう
見ようと思わなければ
見えてこないんだ
その仕事が
自分にとっての喜びになっているなら
儲けなんて少なくてもいいんじゃないか
もうそれが人生のかなりの部分を占めているのだから
ふたりあるいは複数だったら
喜びを分かち合うことはできるし
辛さも笑い合って薄めることができる
ひとりだとそれはできないけど
好きなときに
好きなことを
好きなように
することができる自由があるし
やったことがすべて
自分に返ってくるという面白さがある
ひとはみなそれぞれ
ひとりひとりにそのようにいたった理由がある訳で
だからそれを膳か悪かなんかで区別することはできないんだ
最近店でよくかかっているCDはこれです
http://www.youtube.com/watch?v=qzqjD-_OMHk
大きい会社に入って出世しようとも
政治家になって先生なんて呼ばれるようになったとしても
大金持ちになろうとも
国から勲章もらうようなことがあったとしても
ノーベル賞を貰うような大発明をしたとしても
世界一大きいビルを建てたとしても
ひとのために何かをしたとしても
自然に優しくなんて叫んだとしても
そんなことは人間の勝手だ
鳥や熊やトカゲ
樹木や雲にとってはなんでもないことだ
地球規模
宇宙規模でみたら
それがなんだだろう
もしかしたら他の人にとってもなんでもないことなのかもしれない
そんなことでいばれはしないんだ
脳みその発達してしまった人間としては
いろいろ考えたり
何かせずにはいられない
めんどくさい生き物だ
だから自分自身で価値を作って生きていくしかないんだろう
それは人間どう生きたっていいということだ
俺はどうせ生きるなら楽しく生きたい
背伸びもせずに見栄も張らず
世間の目も気にせずに
そのまんまの自分で
こころのままに生きていきたい
みんな
苦しみ
悩みながらも
必死に生きている
いま
この世の中で
生きていること
それだけで
すごいことなんじゃないだろうか
ダメな人間なんてこの世にいないんだよ
自ら命を絶った人間だって
真剣に生きることと向き合った結果が
絶望という形になってしまったんだ
絶望しても乗り越えられるひともいるけど
乗り越えられないひともいる
乗り越えてきたひとは
乗り越えられなかったひとをダメな人間としてしまうけど
そんなんじゃないんだ
なんだってそうだけど
自分ができたからといって
他のひともそれをできたり乗り越えられる訳ではないんだ
思っていれば
夢はかなう
よく聞く言葉だけど
当然思っているだけでは夢はかなわない
そこに行動が伴って
その言葉が活きてくるんだ
だからといって夢がすべてかなうわけではないけれど
夢を見て
その夢に向かって生きていられることが
夢のようなものなんじゃないだろうか
当然と思っていたことが実は当然のことではなかった
そういうことと同じで夢を持ってそれに向かって生き続けられることって
そう簡単なことではないんじゃないだろうか
それができる幸せを噛み締めながら毎日を大切に生きていこうと思う
できなかったらどうしよう
そんなこと考えていても
悪い思いがどんどん頭の中で膨らんでいって
いいことなんて何もない
そんなときは動いてしまうことなんだ
やってやろうじゃねえかとぶち当たっていけば
不思議と
力がわいてくる
ツキがあるひとというのは
続けられるひとのことをいうのではないだろうか
たとえばセールスマン
10回で諦めてしまったらそれで終わりだけど
20回30回とがんばっていればいつかつきは巡ってくる
野球選手は毎日400回500回とバットを振り続けることで
ツキを手に入れることができる
このパン屋もまだまだだけど
買い続けていれば
いつかとんでもなくうまいパンに出会うことができる
だって俺はとんでもなくうまいパンを必ず作るからね
ツキというものはそういうものだ
こうするんだ
こうなるんだ
思い続けること
それができるひとは
強いよ
努力すればするほど
そうなれる確立は高くなるんだから
なんだかやることがいっぱいだけど
焦らないで
ゆっくりでいいから
ひとつひとつこなしていこう
どんな時だって楽しむことを忘れてはいけない
自分にとっては楽しくなければ
苦痛以外の何ものでもない
どうせ生きるんならどんなときでも楽しくいきたい
どんなことでも楽しもうと思ってやれば楽しむことができるんだから
早く走る方法がようやくわかってきた
いま おそらく100Mくらいなら
人生でいちばん速く走ることができているのじゃないかな
でも全力で走ると筋力がついっていっていない感じがしているので
筋力をつければもうちょっと速く走れる気がする
小学校のとき100m走を女の子に負けたことがある
それが悔しくて悔しくて
いまでもダッシュをするときは
その子の後姿を追いかけている
庭の花が咲きはじめた
冬の次が春だからこんなにうれしいんだろうな
夏の次に春が来てもこんなに喜べないだろう
刑務所に入ること=罪を償うことにはならない
自分は学校の勉強もできなかったし
団体行動はできないし協調性もない
パンもまだまだしっかり作れないし
収入も少ないけど
ダメな人間ではない
この世にダメな人間なんていないんだよ
きょうのライ麦40%のパンは
史上最強
こんなパンが毎日焼けたらなあ
ライ麦40%はここ2年くらいいちばん情熱をかけてきたパン
ある時期から何がなんだかわからなくなってしまって
何でだ
何でだと唸りながら作ってきた
先週そういうことかとつかめたことがあって
それからいい感じで焼けているんだけど
本当につかまえられたかは
1年通してみないとわからない
まだまだわかっていなかったとしても
自分を成長させてくれたパンだから
最後までしっかり面倒は見るつもりだ
朝の寒さはからだにこたえる
動きもスローになって
作業が進まない
きょうはおまけに定休日明けだから
からだがまだ眠っていて
さらに進行が遅れる
それでも作業はしっかりとこなし
悪くないパンが焼けた
先週からいい感じでパンが焼けている
ちょっとつかめたところはあるのだけど
あとは気温の変化に対応できるかどうかだ
こういうふうにいい感じでパンが焼けてる期間というのは非常に短いので
いまが食べごろですよ
こういうひとが優れた人間
こういうひとがダメな人間
誰かによって作られた価値観に踊らされているぼくたちは
ダメな人間に見られたくないと自分を隠そうとする
自分が隠したい部分を持ったひとが現れると
鏡に映った自分を見ているようで
自分はそんなんじゃないダメな人間じゃない
あいつとは違うと叫びながら
自分はダメな人間ではないと自分に納得させるために
そのひとを差別する
きっとこれでいいんだよと自分のすべてを肯定して
これが俺だと胸を張って生きられるようにならないと
ひとを認めてやることはできないんじゃないだろうか
きょうはランニング途中にロングダッシュをやってみた
まだまだだけど悪くない手ごたえ
からだの錆がすこしずつ剥がれていく
自分は自分で気持ちを盛り上げていくタイプ
人間は人間が作った限界なんて余裕で超えてしまう力を持っている
だからどんどん気持ちを盛り上げていって
オリャーって感じで生きている
いいパンが焼けてるなあと思っていても
ある日突然感覚が狂い始める
すぐに修正できることもあるけど
なかなか修正できないでもがくこともある
でもそれはまだまだ自分のものになっていないということで
そこから抜け出せたときは
ひとつもふたつも大きくなっている
パンのことはまだまだわからない
明日はパンがうまく焼けるだろうかという怖さがあるからこそ
そこにぶつかっていける面白さがある
申告などがあり
しばらくトレーニングに集中できなかったけど
短めのダッシュ(100~200メートル)を一週間くらい続けていたら
からだが軽くなりだんだん調子が上がってきた
実感として年齢を重ねるほどに
トレーニングを怠ると体力の低下するスピードは早くなるけど
しっかりトレーニングしていれば自分ぐらいに年齢では
まだまだ体力が衰えるということはないと思う
プロのベテランスポーツ選手がちょっと成績が落ちると
新聞では年齢的衰えかとすぐ書きたてるけど
しっかりトレーニングできているならそんなことはないんだ
怪我でトレーニングができなくなることでの体力低下
疲れが抜けづらくなることでの気力の低下に伴うトレーニング量の低下
年齢が上がったときに力が発揮できないことの原因はこの二つが大きいと思う
だから年を重ねれば重ねるほどにトレーニングとは別に
体調を整えるということにも目を向けなけるべきなのかもしれない
自分の場合トレーニングも怠け気味にやってきたので
まだまだ上げていっていい気がする
オリンピックに出るような選手は無理して無理してからだがボロボロになるのも早いだろうけど
自分のからだなんてそういうひとたちに比べたら新品同様だもん
季節の変わり目
先週はいくつかのパンで気温の変化に対応できなかったことを感じたので
今週は先週の失敗を踏まえて調整しながら作った
きのうはかなりうまく出来たと思ったのだけど
きょうはそれを上回る出来だった
これから更に気温が高くなってくる
対応できるかいまのところ自信はないけど
何とかなるだろう
先のことは考えると不安になってしまうけど
不安なんて打ち消して
楽しんでいくことにしよう
出来なかったら
出来なかっただ
転んだり
つまずいたりしながらも
着実にステップアップはしている
きょうは東京のT夫妻が
コーヒーを淹れに来てくれた
コーヒーをカップに注いだ瞬間
店の中をコーヒーの香りが漂いだす
一瞬にしてあわただしいパン屋から休日のパン屋に早変わり
ふたりとも来る度にコーヒーの世界に深く深くのめりこんでいっている
最近では淹れるだけでは飽き足りず
東京都杉並区でフェアトレード方式で
コーヒー豆の輸入販売をしている102歳の安藤久蔵の手助けをしているそうだ
http://www.nhk.or.jp/r1-blog/050/125713.html
このふたりは持ち前の図々しさによって
出会いを出会いだけで終わらせることなく
一歩踏み込むことによって
人生を面白くして生きている
しばらく前にコーヒー栽培技師や
コーヒー豆の輸入販売をしている川島さんという方の書いた『コーヒーハンター』という本を貸してあげたら
さっそく会いに行ったそうでいまちょっとしたたくらみがあるようだ
現状を変えたいなら何かを変えなければならないんだ
考え方を変えるか
環境を変えるか
自分を変えるか
やり方を変えるか
視点を変えるか
俺もパンの現状を変えたいなら
おもいきって作り方を変えなければならないんだ
それがうまく行かなくたって
もともとダメなんだから
怖がることなんてないんだ
どうせなら笑って死んでいきたい
だからのけ者にされようとも
何を言われようとも
自分のこころを大切に生きていきたい
そのひとがそう思うなら
そうなんだ
そのひとがそうしたいなら
それでいいんだ
深刻になり過ぎなくてもいいときがあると思う
引きずっていても
いいことは何もない
軽く受け流して
とにかく動く
変わりたいなら
変わればいいし
変わりたくないなら
それでいい
どんなふうに生きていても
それでいいんだ
うまくなんて出来なくても
うまくなんて適応できなくても
それでいいんだ
考え方がひとと違っていても
それでいいんだ
何が正しく
何か正しくないかなんて
だれにもわからない
パンを買いに来てくれたひとが
ゆったりとした気分になってくれるような空間作り
パンを買うだけの場所ではなく
何か別のプラスα
料亭のようなパン屋にしたい
いまとりあえず店の改装中
しっかりとしたイメージがあるわけではないので
モヤモヤのままそのときそのときの思いつきで進めている
これはいつものこと
具体的にこうだというものを頭の中に描くことができない
いつも頭の中はモヤモヤで
進む方向だけはなんとなくわかっているので
のそのそっとその方向に歩いていく
具体化されてないので進む速度は遅いけど
偶然性にも左右され
自分を完全に超えた面白いところに出てしまうことが多い
店内も庭も少しずつ形になってきた
でもまだまだここから最終的にどんな形になっていくかは
わからないけど
いまより更に素敵なパン屋になることは間違いない
もちろんパンの方も日々進化中
きょうはランニングの途中途中に
がんばって短いダッシュを繰り返した
始めの頃はダッシュとはいえないくらいの鈍い動きだったのだけど
本数をこなすうちにスピードが出てきて
最後の方ではだいぶ久しぶりに風を切って走れた
家に帰ってシャドーボクシングをしたらこっちもひさしぶりにからだが軽い
これだ
自分に足りなかった練習は
このところダッシュをやっていなかったもんな
このところ寒さと自分に負けまくっていたなあ
苦しんでみて
苦しみの喜びを思い出した
サンドバックを叩くときの拳への衝撃が好き
パンチを叩き込むたびに
向こうから「いきてるぞ~」という叫びが返ってくる
調子が良いときはあまり感じないけど
ランニングをしているときに覆いかぶさってくる重力
それを跳ね返し跳ね返していることを感じられている瞬間が好き
その一歩一歩が僕の力になっている
青森のお寿司屋さん『山の寿司』でお寿司を摘んでいるときに
棚にCDケースが飾ってあったので
「それは何」と聞いてみたところ
「息子がバンドやっていたんですよ」という答えが返ってきた
高校生の頃何かのコンクールで最優秀賞をもらって
そのまま全国放送のアニメの主題歌でプロデビュー
youtubeに映像があったので聴いてみたら
どの曲も「直球勝負」っていう感じで
ストレートでどんどん攻めてくる
曲名(プロモーションビデオも)もおもいきりストレートだ
マニ☆ラバ という名前のバンドだ
『幸せ 』 http://www.youtube.com/watch?v=7LYAZzcXaCc
『負けるんじゃねぇ』 http://www.youtube.com/watch?v=rYRFV2zIyfo
『上野駅』 http://www.youtube.com/watch?v=_dsX0XfOrCE
『青森駅 』 http://www.youtube.com/watch?v=Bfob-4UJdYk
『ふるさとのうた』 http://www.youtube.com/watch?v=IoynTV4tTGM
彼らの曲を聴きながら
俺もこれからの人生 直球勝でいこうと思った
自分にとって良い音楽とはうまいとかじゃなくて
であったときに何か感じるものがあるものなんだと思う
庭に植物を植えるようになってから
町を歩くときやランニングのときは
他人の庭を眺めながらということが多くなった
自然のなかの木や花も良いけれど
人がつくった庭も面白い
いままで植物が植えられていない家というのは見たことがない
どの家もなにかしらの植物が植えられている
でも死んでいる庭もあるし
活き活きとしている庭もある
このあたりでは昔からの家が集まっている大田原城跡周辺にりっぱな庭が多い
植えられている木でいちばん多いのは
大田原の中では断トツでナンテンだ
お墓にだってそこらじゅうに植えられているからね
次に多いのはなんだろう梅や柿の木を抜かしたら
サルスベリかなあ
いまに季節は全然目立たないけど
花の季節になったらあの家にもこの家にもという感じで
町じゅうサルスベリだらけだ
ごくたまに
これはすごいという庭に出会えるときがある
最近では
この前東京に行ったとき映画の上映時刻までまだ間があったので
しばらく映画館周辺をブラブラしていているときに出会ったおそらく居酒屋さんの店先
わずかなスペースなんだけどそこにはジャングルが広がっていた
店のひとがそうとう植物が好きなんだろうな
松濤という場所柄もあるかもしれないけど
東京はちょっと都会的な木の植えられ方がしてあった
栃木とは植えられている木も違っていて
ナンテンはほとんど見かけなかったかな
栃木では寒くて育たないような木も多く植えられていた
効率最優先の世界のなかで
たくさんのすばらしい文化や自然
その他もろもろのすばらしいものがどんどん失われていっている
それに変わって新しい文化や何やらが生まれてきているけど
効率優先の世界の中で生まれてきたものは
やっはり深みというものがない
深みがないということは面白みがすくないということだ
自分としては
効率優先という時代の流れのなかで
逆らうべきものは逆らってやっていきたい
今年に入ってすでに3度の風邪
昨年から体調を崩すことをずっと繰り返し
体調が良いときの状態がどんなだったのか忘れてしまった
まったくからだが動かない
すこし動いただけで疲れてしまう
これが本当に俺のからだなのか
こんなにからだが動かないのは
三年前に金縛りにあったとき以来だ
その前にも後にもこんなに動かなかったことはなくて
赤ちゃんのときだってもっと動いていた
悔しいけど
これが俺の現状だ
だけどこの悔しさが俺の武器になる
このままでは終わらない
絶対動かしてやる
この状態から
どこまで持っていけるか
なんだか考えていたら楽しみになってきた
俺の人生いつだってここからだ
めざせ
人生最強のからだ
痛み
痛みを感じるなら
その痛みを
他の人だって持っていることを忘れてはいけない
その痛みは自分だけが感じるものではなくて
人間なら誰でも感じるものなんだ
人間はそれほど強くない
だから許しあって
助け合っていかなければ
立っていられないんだ
これだけ自殺者が多い社会ということは
もう社会構造自体がおかしくて
この社会構造のなかでまじめに生きていたら
ノイローゼにならない方がおかしいのではないだろうか
ひとをいじめるひとも
暴力を振るうひとも
みんな病んでいるんじゃないだろうか
義務感や競争は
自分の背中を押してくれたり
良いように作用することもあるけど
過度になりすぎると
息苦しくなってくる
親と子だろうと
兄と弟だろうと
価値観や考え方は違う
性格だって違う
ひとりひとりが違うからこそ
人間世界はなんとかいまも成り立っている
ものごとが単純化していくほど
そこに生き甲斐は見つけにくくなってくる
効率
効率は長い目で見れば非効率なんじゃないだろうか
力あるひとが力がないひとを助ける
それで世界が成り立っていた
でもいまは力があるひとが
力を行使して
力のないひとの犠牲の上にのしかかって
さらなる力を手に入れている
学校に行って授業の内容がわからなくても
そんなことにはお構いなしに
どんどん授業は進んでいく
置いてけぼりくった生徒は
授業中何すればいいのだろう
成果成果と求められれば
焦って結果を出そうと急いでしまう
急げば急ぐほどこころは行動に寄り添わなくなり
満たされない日々
余裕もなくなり
自分が壊れていく
そして
結局いつか切り捨てられる
そんななかで育ち生きている人々もまた
人を切り捨てることが平気な人間になるだろう
飛んで生きたいときに
飛んで生きたい方向に
飛んで行けることが
いちばんの幸せなんだ
飛んでいった結果どんなことになろうとも
自分の選んだ道だ
それはそれで納得がいくし
そうやってひとは成長していくんだ
大人がそれを抑えすぎてしまったら
子供はいつまでもちっちゃいままだ
子供は子供なりに考えている
わかりやすいとか
食べやすいとか
そういうのがあってもいいのだけど
そればっかりでは飽きてしまう
想像したり
考えたりできる部分が残してあれば
こころのなかの世界が広がり
歩きだしたくて
歩きだしたくて
ウズウズしてくる
ここまで生きると
もう未来に備えてなんて
言ってられない
死が目の前に口を開いて待っていたっておかしくない
そうじゃなくてひとは死に向かって歩いている
とにかく生きることだ
やりたいことはいまやる
いまを犠牲にして
未来未来なんていっていると
未来になっても
あるのは未来だけだ
お金をどう使うかは価値観の問題だ
どんな過ちを犯してしまったとしても
生きていていいんだ
泣いて
笑って
がんばって
歩いていけばいいんだ
東京へ その1
ここ何年か休みの日は早起きできなくなっている
普段酵母の醗酵・熟成時間の関係で
充分な睡眠時間が取れているとはいえないので
からだとこころがそうやってバランスをとっているのだろうから
それでいいかなと思う
きょうは何年かぶりの東京行き
興味はあったのだけど行かないだろうなと端に追いやっていたコンサート
いつもの突然の思いつきで行くことになった
きょうはずっと座りっぱなしになるので
ランニングと犬との散歩を済ませてゆっくりの出発
鈍行で行ったのだけどさすがにぐったり
もともと乗り物は苦手で
新幹線だって1時館以上乗っていると疲れてしまうのに
2時間40分は地獄の苦しみだ
東京へ その2
コンサート会場の近くでちょうど観たかった映画『スケッチオブミャーク』を上映したので
行ってみる
http://sketchesofmyahk.com/
アップリンクという渋谷の映画館はキャンバス地でできたリラックスチェアなどが並んでいて
この映画を観るにはピッタリの場所だった
映画は沖縄にまだかろうじて残っている『神歌』などを唄うひとたちを追ったドキュメンタリーで
その中に昔の沖縄そしていまの沖縄それからきっと昔の日本いまの日本がギゅーッと詰まっていた
沖縄は中央から距離的に離れていることと
アメリカの占領下にあったことそれから島民の気質もあるのだろうけど
かなり遅い時期まであまりヨーロッパなどから影響を受けた近代文化に冒されることなく
昔の風習や信仰が残っていた
そのなかで生きたひとたちがまだかろうじて残っていて
そしてそのひとたちの人生からぼくたちもかろうじて昔の沖縄・日本を知ることができる
沖縄には昔からその土地土地でたくさんの祭りがあって
祭りのいちばんの目的は神に感謝すること
(いまの祭りはそのいちばんの目的がどこかに置き去られていて
バカ騒ぎするだけのものになっている)
すべてのことは海の向こうにいる神がもららしてくれる
神に感謝するということはすべてのことに感謝するということ
食料 命 水 植物 動物
祭りは村の人々の共同作業になっていて
すべての村民が祭りの準備など行い参加することによって
村民ひとりひとりの結びつきを強めるという働きもあったのではないか
農作業なども村人同士で助け合って行っていたようだ
厳しい自然そして人頭税
村人同士助け合いながらでなければ生きてはいけなかったのだろう
そして歌は過酷な生活の中で村民たちの希望であったのではないだろうか
苦しくても楽しく生きることを忘れてはいけない
これの映画は沖縄が舞台ではあるけれど
日本全土にも沖縄と同じように風習や信仰が根付いていたはずだ
良いか悪いか答えは出せないけれど
昔の日本はすごかったなあと思う
東京へ その3
代官山に移動して「晴れたら空にマメ撒いて」にて
大工哲弘(唄 三線) 常味裕司(ウード)
久保田麻琴(ギター) 伊藤大地(ドラム)
ロケット・マツ(ピアノ アコーディオン)によるコンサート
一番手は常味さんのウード ソロ
これがすばらしすぎてこれで帰ってもいいやと思えたほどだ
ウードという楽器そしてアラブという世界にますます惹かれた
次は大工哲弘が登場ソロで2曲歌ったあとに
久保田さん伊藤さんロケット・マツさんが加わった
これがすごかった
このメンバーでレコーディングを行ったそうなので
それも楽しみだ
アンコールは常味さんも加わってさらに盛り上がる
至福の時間を過ごした
久保田麻琴はすごい
終電に間に合うように途中で帰ることも考えていたのだけど
このすご過ぎる演奏のなかそんなことはできるはずもなく
東京で長い夜を過ごした
今年早々にまた風邪をひいたのだけど
それでも気力体力がだいぶ戻ってきたので
半年振りくらいにジムに行ってみた
早速グローブをつけて2ラウンド軽くやらせてもらった
もうちょっと動けるだろうと思っていたのだけど
全然ダメだった
昔のように動けるようになるだろうかと不安になるくらい動けなかった
かなりがっくりときたのだけど
同時にこのまま終わってられねえやという気持ちも湧いてきた
もうひとつでっかく輝いてやろうじゃねえか
きょうジムに行っておいて良かった
ひとりでトレーニングをしていると現状がつかめない
現状が最悪だということがわかったので
トレーニングに身が入るし
どこをどう鍛えていくかも見えてきた
とにかくがんばろう
がんばれば何とかなるはず
自転車も久しぶりだったので
ものすごくきつかった
宇都宮往復もトレーニングの一環になっていたんだなと思った
背伸びなんてしたって
いまの自分以上の力を出すことなんてできない
いまはいまの自分でぶつかっていくしかないんだ
店の近くにイトヨの生息地というのがあって
すこし前にはじめて行って来たのだけど
イトヨの姿なんて全然なくそこには
何百匹というザリガニが
ぜったいこいつら食べてしまったよな
何かを目指して努力する権利は誰にでもある
できるかできないかや才能があるかないか
そんなことに関係なく
やりたいと思うことにぶつかっていく権利は誰にでもあるんだ
中学の頃将来やりたい職業はというアンケートがあって
ぼくはそこにプロのスポーツ選手と書いた
するとそのときの担任の先生は
みんなのに
「こいつにどんな職業があるのか教えてやれ」と笑いながら
発言した
教師という職業を選んだ以上
いちばんやってはいけないことをこのひとは犯した
その先生はやがて教頭になりおそらく校長にもなったのだろう
卒業してからのことは知らないけれど
その後成長したであろうことを思っている
教師だって人間である以上
絶対ではない
生徒は先生の言うこと
学校のやることすべてのことに従う必要はないし
すべてを鵜呑みにする必要もない
先生は先生で人間だから未熟なのは当然だけど
生徒を良くしたいと
がんばっている先生はいる
先生は生徒が良くなることを待ち
生徒も先生が良くなることを待つ
互いに我慢しないで言いことは言った方がいいんだ
中学の先生で
忘れ物や宿題を忘れると
観光地のおみやげ屋さんによく売っている
「渇」とか書いてある木の板で
本当におもいきりおしりを叩く先生がいた
その他の行動を見ても
その当時その先生はかなりイカレていたいたと思うけど
そこで生徒が言いたいことを言ってやるのが優しさだったのかもしれない
教師だって弱いんだ
満たされない思いを生徒にぶつけることだってある
先生に気づかせてやるのは生徒の役割
今回店にお目見えしたのは
栗の木で作ったベンチとテーブル
前からあった椅子を含めて座りやすい場所に設置できた気がする
きょうもオープン前にお客さんたちがいい感じに腰掛けていてくれたので
うれしかった
テーブルは輪切りにしたように見えるけど
縦に切断したものらしい
だからかなり幅のある木だったのだろう
(ベンチの方の原木の写真)
http://www.facebook.com/photo.php?pid=1051220&l=d8518880d1&id=178417302240611
この木がどんなベンチになっているかは
店に来てからのお楽しみ
店もすこしづつ形になってきたし
パンも良くなってきた
目指すはあなたの街のあなたのパン屋
そして観光のひとも来てくれ
また来たいなと思ってくれるような店
味覚の未発達は
生きる中でいろいろな影響を及ぼしている気がする
あくまで自分の周りのことだけのことだけど
たとえば酸味や苦味が苦手なひとは
酸味や苦味のない音楽を好む傾向にある気がする
音楽だけではなくて
その他のこともそれが当てはまっているような気がする
味覚の未発達は時間が来れば自然と解決されると思っている親がいるけれど
そんなことはないことを自分を見ればわかるだろう
味覚は鍛えなければ発達しないんだ
といってもスパルタ式にやるのもきっとよくなくて
薄味のものを食べさせたり
食べるからといって甘いものばかり食べさせることをやめたり
コンビニの弁当やスナック菓子をあまり食べさせないといった
ちょっとしたことが大切なんだと思う
自分の勝手な思い込みだけど
味覚は生きる基本だ
ついうっかりが
ぼくを超えたパンを作り出してくれる
ぼくの頭では考えつかないようなことを
うっかりはやってくれる
忘れ物や
物覚えの悪さ
ついうっかりで
罰として漢字の書き取りや
木の板でおもいきり叩かれたりしたけれど
これはいまのぼくにとっては宝物
自分の価値観を押し付けることには注意しなければならないということを
この歳になってはじめて理解した
物忘れや
物覚えの悪さ
ついうっかりは
どんなにしかってもどうにもならない
これは病気のようなものなんじゃないか
そのおかげで毎日のように怒られていた
ダントツの忘れ物チャンピオンのぼくから
宝物が消えていくことがなくて済んだ
きょうの小麦のパン(ひまわり)は
しっとり感
モチモチ感が絶妙
このパンは最近のお気に入りで
よく食べていたのだけど
こんな食感が出たのは初めて
すこし作り方を変えたのが
出てきたのだろうか
このパンはトーストしないで
食べてみてください
ライ麦15%のパンは
気泡がしっかり出せなかったのだけど
こうすればいいんだということがわかったので
いまかなりうまい
カマンベールチーズをはさむだけでも
更に1000倍くらい
うまくなるので試してみてください
ここのパンは何かと組み合わせて食べるようになっているので
決して単独では食べないでください
突然思いついて
すこしだけ店の模様替え
パンを窯に入れている間に
せっせと動き回り
何とか間に合った
窓を開けると作業場脇の蝋梅が一輪だけ咲いていた
次はヤブ椿か沈丁花あたりかな
これが俺だと
堂々と胸張って歩けばいいんだ
自分が自分のすべてを肯定してやれれば
怖いものなしだ
まともなパンになるまでに
時間がかかっているのは
自分が不器用だということもあるけど
それよりなにより
ものすごく難しいことをやっているからだ
教科書通りやっていたのでは絶対できない
ものすごく難しい特殊なパン
すこしずつそのパンのことがわかってきたのだけど
そのほとんどが窯入れが重なってしまって成形や窯入れができない
といったようなことや うっかりへんなことやってしまった中から
偶然わかったものだ
普通にやっていたら絶対わからなかったことばかり
ミスすることが多く
諦めが悪い自分だからこそできたパンともいえる
自分にしかできえないパンなのかもしれない
むかしからわすれものをしたり物覚えが悪くて怒られてばかりだったけど
このうっかりは才能といってもいいのかもしれない
待てるかどうか
何かを良くしたいいうときにはいちばん大切なこと
自分が自分を待てるか
先生が生徒を待てるか
生徒が先生を待てるかどうか
親が子供を待てるか
出来ないからといってすぐやめさせてしまったり
諦めてしまったり
結果を急ぎすぎては何も生まれてこない
場爆弾を落として相手をひれ伏せさせても
憎しみは生じてきても
他に何も生まれてこない
子供が転んだからといって
起こしにいっていたら
子供はいつまでたっても起き上がる力をつけることができない
職人は本やパソコンで知識を得たとしても
実際の経験なしには自分のものにはできない
夜にランニングをするときの掛け声は
1 2
1 2ではなくて
負けてたまるか
負けてたまるか
寒いし
腹減るし
冬は本当に負けそうになる
しばらく走ればハイになるから必要なくなるけどね
きょうのライ麦15%とライ麦30%の平焼き
そしてきのうの1917(山型の食パン)は素晴らしい
間違いなく
人生最高の出来
そしてこんなにうまいパンは
いままでの人生で食べたことがない
ここ数日抑えられないほどの成長度
そして超絶好調
いつまで続くかわからないけど
いまのうちにうかめるだけつかんでおこうと思う
やはり
悔しさは
自分にとっていちばんの生きる原動力だ
今年いちばん先に開いたのは
ピンクネコヤナギだった
蝋梅の蕾ももう爆発寸前なんだけど
なかなか
しぶとい
どんなときでも
ぼくはぼくのこころのまま歩いていくよ
ぼくはぼくのまま歩いていくよ
いつか消えて無くなるそのときまで
目の前に起こっている出来事は
当然のものなんかじゃなくて
すべてが奇跡のようなものだ
目の前に咲いているこの美しい花との出会い
パンを買いに来てくれるひとがひとりでもいてくれること
大好きなことが見つかったこと
からだがちょっとでも動いてくれること
お気に入りの椅子に座って本が読めること
当然なことだと思いがあるときは
自分の思い通りに事が進まないと
罵倒を上げていたのだけど
そう感じられるようになったらすべてのことに
感謝の気持ちが湧いてくる
生きていることの喜び
いつ
どんな一歩も
喜びの一歩
生きていることに感謝
パン作りでもスポーツでも何でもそうだと思うけど
うまくなりたい 上達したいと思いが芽生えて
そのためにはどうすればいいのか
自分で考え
自分から動けるようにならないと
一線は越えられない
やらされていると思ってやっているときは
ただのきついトレーニングや仕事だけでしかないけど
自分から動けるようになれば
きつくてもそれは喜びであり楽しさでもある
自分で考えことで対応力もできるし可能性も広がる
ランニング途中に寄った野球場に氷がはっている場所があったので
その上でシャドーボクシングをやってみた
重心を意識しないとしっかりしたパンチが撃てない
これはなかなかいい練習になった
右足出して
左足出して
右足出して
左足出して
考えていても
どうにもならないこともある
考えていても
意味のないこともある
右足出して
左足出して
ただそうするだけでいいときってあると思う
うまくいっていると思っているときは
落とし穴がある
うまくいっていないときは
これでいいのか?という疑問や不安があるから
よく観察し
注意してことに当たるけど
うまくいっていると思い込んでいるときは
あまりしっかりと見ていないし
注意力もなくなっている
おそらく自分の都合良くしか見ていない
見えていないし感じられないからから
ミスも多くなるし
ミスしてもなかなか気づかない
といってもうまくいっていないときもミスは多い
人間生きていればミスの連続だ
ミスから学びとり伸ばしつくられていくんだ
きのう寒さに対応できていないことに気がついたので
きょうはそのことを意識し注意して作った
どのパンもいまの自分の力のなかでは合格点が出せる出来
ミスすると悔しさがかけめくると同時に
伸ばせるところをみつけたうれしさもわいてくる
毎日同じように太陽が昇り沈んでいき
夜空に月が輝いていても
パン屋の成長は続いていく
何かのせいや誰かのせいにしていたら
伸びていかないし
前にも進めない
国会答弁を聴いていたらわかるだろう
いまの状況を恨んだりや環境のせいにしていても
なにも始まらない
大切なことは
ここからどうしていくかだ
ひさしぶりに
このひとのクリスマスアルバムを聴いたら
やっぱり可笑しかった
これぞわが道を行く
http://www.youtube.com/watch?v=u0EY3oum8js&feature=player_embedded#!
「テロには断固として立ち向かう」といって
武器を持って立ち向かっていくなら
それはテロと同じ次元だ
「子供の学力を世界トップレベルにする」
そんなことは大人が押し付けるもんじゃない
ひとにはそれぞれ歩きたい道がある
怖いのなら
その怖さにぶつかっていく
悲しいなら
その悲しみにぶつかっていく
苦しいなら
その苦しみにぶつかっていく
やりたいと思うなら
そのやりたいにぶつかっていく
いまが目の前にあるなら
そのいまにぶつかっていく
ひとの考えはいろいろだけど
ぼくにとってはこれが生きるということ
そう生きていくなかにこそ喜びがあると思っている
戦争とは
静かに生きたいと思って生きているひとたちが
一度も会ったこともない政治家やなにやらの
判断や意向によって
死んでいったり
同じような思いで生きている別の場所に住んでいるひとたちを殺すことだ
戦争とは
そのとき負ってしてしまった
病気やこころやからだのキズを背負ったままその後に人生を生きることだ
戦争とは
会ったこともないひとたちを殺すことだ
戦争とは
ひとの人生を断ち切ることだ
ひとりの人間が生きてきたことの重み
これからを生きようとするひとたちの思いの重さ
戦争とは自分の子供が死んでいくことだ
殺されていくショッカーたちにも家族がいるかもしれない
格さんや助さんたちに痛めつけられる下級武士たちにも夢はあるだろう
峰打ちだろうと当たり所が悪ければ死んでしまうんだ
トム クルーズに打ち落とされ死んでいった兵士にも
苦しみを乗り越えて生きたあの時があっただろう
アルジェリアの事件によって
憲法改正の方向に進むだろう
NHKなんかでもこの事件に対して
こんなのいいのかというという報道の仕方をしているもんな
男は武器なんて持たずに胸張って堂々と生きていればいいんだ
満たされない思いがあるとき
ひとに当たったり
ひとの邪魔をするのは
つまらない
こういうときは
きっと
突っ走っちゃた方がいいんだ
どうなるかなんて後のこと考えないで
まわりの評価や小言なんて気にせずに
自分の思いをおもいきり突っ走って
満たされる満たされないなんて関係ないところに
行ってしまえばいいんだ
昼間は春の日差しだったので
仕込みの合間に
庭いじり
庭を常緑樹で囲ってみた
ジンチョウゲ アオキ シャリンバイ キンバイカ
ビバーナムティヌス
シモツケ オタフクナンテン ヒイラギナンテン アセビ
よ~し だんだん森っぽくなってきたぞ~
星空にうっすらと雪雲がかかっていて
雪がふわふわと舞い降りてくる
今年は寒すぎる
店は隙間だらけなので
窯が冷めてくると
とても寒い
それでも夜の仕込があるので
23時頃には店に行かなければならない
今年はそれが苦痛で苦痛で
からだが拒否反応を示している
こんなのは初めてだ
早く暖かくなってくれ
がんばって
がんばって
できないのは
しかたがないもの
自分の場合
それでもやる
それがおもしろい
それが俺の人生
こころからやりたいと思うことは
できようができまいが
やれているだけで
おもしろい
正月ボケが抜けて
徐々にパンの調子も上がってきた
きょうもいいパンが焼けた
パンの出来は
数ヶ月前に比べたら雲泥の差
パンは作り手がたったひとつでも何かをつかんだところで
ガラッと変わってくることがある
パン屋をはじめた頃はこのぐらいのパン
1年くらい経てば作れるようになるだろうと考えていたけど
10数年もかかってしまった
こんなに長い間
自分の可能性を信じてパンを食べ続けてくれた方たちのお蔭で
なんとかここまでパン屋を続けてくることができた
可能性を信じて待つことの大切さを教えてもらった
まわりの人たちの可能性を信じることができれば
自分の可能性も信じることができる
自分の子供の可能性も信じることができる
逆にまわりのひとたちの可能性を信じることができなければ
自分の
そして子供の可能性を信じることはできないのではないだろうか
何かを形にしようと思えば
相当の時間が必要だ
それまで待ってやれるようになるには
なにが必要なのだろう
こころの余裕とこころの豊かさか
その余裕と豊かさはどうすれば手に入るのだろう
やはり苦しみの中からしか得ることはできないのだろうか
よくわからないけど
とにかくこれからも腕を磨いていく
待っていてくれるひとたちに
もっとうまいパンを食べてもらいたい
人間は数々の能力を秘めて生まれてくる
けれどその能力は使い鍛えることでしか引き出すことができない
考える力
判断する力
決断する力
危険を察知する力
感じる力
困難にぶつかったときそれを跳ね返そうとする力
味覚
手の感覚
からだを動かす力
そしてその能力を引き出して生きているとき
ぼくは最高の喜びを感じる
その喜びを
親が
学校の先生が奪ってどうするか
自分自身が捨て去ってどうするか
他の国々に爆弾をばら撒いて平気でいる大統領
自国の子供たちが銃で撃たれたことに涙する大統領
これが政治家というものだ
銃規制する前にやるべきことがあるだろう
国が助けてくれるなんて思っているのは
大間違いだ
国を維持するためには
弱いものは切り捨てられる
それが組織というものだ
足並みそろえてというのは
自分の頭を使わなくていいから楽だけど
国や企業 学校 管理する方としてみれば
コントロールしやすいんだ
いまのこの日本いつ戦争に参加しても
おかしくない状態だ
大切なことは
どの学校を出たかじゃなくて
何を得るかだろう
大田原市には立派な図書館がある
しかし活性化のために旧中心地に移転するらしい
大田原市に住み
大田原市をずっと見てきた市民には
そのことが意味あることにはどうしても思えない
そもそも図書館を利用していない方たちにはみえないことだ
大田原市どうなることか
こうなったら
個人が個人ががんばるしかないんじゃないか
まだまだ力はないけど
俺もがんばるぜ
めざせ!
最高のパン
俺の可能性を信じてみれや
店と庭はセットになるし
駅から店までの風景もセットになりうる
活性化だ活性化だといって
街並みを都会的なものにして騒いでいるけど
いまあるものの価値を認められないようなら
この街も人間ももう終わりだろう
この街から見る夕焼けの美しさ
市長
市議の人々
どう感じているか
雪の中を走るのは
やっぱりたのしい
きょうは公園や田んぼのなかを
犬といっしょに転がりまくった
ありがとう
ありがとうと
こころの中で唱えていれば
いい気分にはなってくるけど
その前にクソッタレという思いを
おもいきり吐き出してもいいのではないだろうか
人間そんなに単純にはできていないぜ
良いときも
悪いときも
いつだって
ぼくの人生
ここからだ
過去はどんなに悔やんでも
取り戻せない
過去を活かして
いまを最高のものとして
生きていく
自分の頭
自分のからだ
使えるのに使わなかったら
それが人生において最大の無駄使い
転んだって
起き上がれば
また動けるんだ
大昔から現在までずっと存在してきた
差別やいじめはなくなることがないだろう
差別することでひとはバランスをとっている
だいいちこの差別社会の中で育って
差別するなという方がおかしい
出来るものは受け入れ
出来ないものは排除する
入学試験しかり入社試験しかり
力の弱い人間おとなしい人間は
差別され排除される
そしてそういうものを見てきて排除されてきた人間には
学校で先生が言うような
みんな仲良く手をつなぎましょうなんて言葉は
受け入れられるはずもない
震災や領土問題 ミサイル発射
何かことが起こると
国はこれを利用する手はないと
国民に不安を煽ったりお涙頂戴で
国民感情を同調誘導させて
どさくさにまぎれて
自分たちのやってきたことの尻拭いや
ふざけた法案を通したり
メディアもなぜだかそれに同調して
国民感情を煽りたてる
原発事故から原爆のことを思い出して
平和へと向かうと思っていたけれど
なぜかまったく反対の方向に向かっている
これでいいのか
この国の政治に愛なんてあるのか
絆
思いやりという言葉はなんだったのか
最近ライ麦15%ばかりで30%のパンは何ヶ月か作っていなかったのだけど
きょう久しぶりに作ってみた
ライ麦15%での経験でつかんだことを30%にも使ってみたら
うまくいった
食べごろはまだ先だけど
いま食べた限りかなりいい出来だと思う
きょうはいっぱい売れ残ったので
明日も販売するから食べてみてね
お客さんが来る日もあれば
来ない日もあるけど
毎日を一歩一歩
歩いていくだけだ
輝くも
輝かないも
自分次第だ
できない自分や
ダメな自分を隠すことはない
いま現在のそのまんまの姿を生きればいい
そのまんまの自分を見せればいい
堂々と胸を張って平気に歩いていこうぜ
素っ裸になってしまえれば
こんなに楽なことはない
どうせみんな死んでしまうんだ
あのひとも
このひとも
そして自分だって
そうすれば恥ずかしいこともみんな消え去ってしまうんだ
そもそも懸命に生きていれば
恥ずかしいことなんて何にもないんだ
一度きりの人生
弾けなければもったいないぜ
ひとはそのまんまの姿がいちばん美しい
ブーツを忘れていったお客様
ブーツが見つかりました
きょうから仕事始め
当日告知だったのに
多くのお客さんが来てくれた
きょうからやることはきのうからほぼ決まっていたのだけど
起きられないことや
酵母の調子が悪かったときのことなどを考えると
そう簡単には告知ができない
でもそれらの心配事は心配事だけで終わり
5:30パッチリ目が開き
パンも良い調子
昨年の12月後半からきょうまで
パン屋を始めて10数年の中では
いちばん良いパンが焼けている
仕事納めギリギリにも気づいたこともあって
ライ麦80%のパンが一段階進歩した
やはり自分で気づかなければダメなんだ
自分で気づくことなしには自分のものにはならない
体験なきところに
成長なし
うまくいったりうまくいかなかったりを繰り返しながら
体感し気づいていくんだ
良いパンにはなってきたけど
ピークはまだまだ先
50歳60歳70歳になってからだろう
それに対応できるように
体力面もその頃にピークを持っていかなければならない
人間ダメだと思ってしまった時点で本当にダメになってしまう
やると決意さえすればけっこうやれちゃうもんだ
まだまだやりたいことがいっぱいある
こんなところでくたばっちゃいられない
正月休みの5日間はあっという間に過ぎてしまった
そのほとんどの時間を部屋の掃除に割いた
本の数があまりに多すぎてなかなか捗らない
どうにもならないので
修復不可能だった箪笥を分解して棚を作った
自分は何かに使えるかもと
モノを捨てられないタイプだけど
自分の場合は結構それらを別の形で利用している方だと思う
ボロボロになった羽毛入りのコートは羽毛布団になり
昔住んでいた家から持ってきた桐の箪笥にはCDが並んでいる
正月休み初日は坂道ダッシュ
意識的にか無意識的にか
あまりのきつさに避けてきたのだけど
2年ぶりくらいにやってみた
現場に行き着くまでは10本の予定だったけど
ことの始めは気持ちが高ぶっていけない
着いたときには15本やることになっていた
この坂道 距離は100メートルちょっとしかないのだけど
勾配がかなりあり
一本目の元気なときでも最後の30mは足がバタバタ呼吸がゼイゼイになってしまう
五本目ではやくも足が怪しくなってきて
やっぱり10本にしようかとこころが揺れる
10本目を超えるともう走っているのか歩いているのかわからない状態だったけど
なんとかやり遂げた
時間にしたら1時間もかかっていないけど
終わったあとは一日を目一杯生きたくらいの充実感
Makoto Kubota presents『島の風、砂漠の風』
日時:2013年2月5日(火) OPEN18:30 START19:30 ~ 22:00
場所:代官山 ”晴れたら空に豆まいて”
出演:大工哲弘 常味裕司 with 久保田麻琴 & ロケット・マツ
料金:前売り¥3000 当日¥3500 (共に1ドリンク代別)
<紹介文>
響きのマエストロ達がお送りする”島の風、砂漠の風”。
演奏と音響/ミックス/BGM選曲 で久保田麻琴参加。
大工哲弘 http://www.youtube.com/watch?v=St9TOzM3YYg (映像)
常味裕司 http://www.youtube.com/watch?v=tto9PrJenGU (映像)
二日続けて同じ店のメンチカツを貰う機会があったので
どのパンに合うか試してみたら
いちばん合わないんじゃないかと思っていたライ麦80%のパンといっしょに
食べたときがいちばんおいしかった
ライ麦80%のパンはやはり偉大だ
それからサンドウィッチにはビールだとばかり思っていたけれど
コーヒーも合うんだということもはじめて知った
怖さや弱さがあるからこそ
それに飛び込んでいったときに
人生は光り輝くんだ
その飛び込む瞬間が
ぼくのいちばん好きな瞬間であり
いちばん生を感じられる瞬間でもある
最近パンが3日目4日目あるいは5日目の方が
味がしっくりとしておいしくなるような気がする
焼きあがり当日はもちろん
翌日でもまだ味が落ち着いていない
これはパンが良くなってきた証拠なのかもしれない
クリスマスに焼き上げたバターケーキのようなブリオッシュは
きょうあたりから食べごろだろう
はたしてどんな味になっているだろう
先週は休みに盛岡に行った
用事を済ませてから寿司でも食って帰ろうということになったのだけど
見事に今年三度目の食あたり
腐った野菜
腐ったご飯と続き
気をつけてはいたのだけど
寿司にやられてしまった
店に入って一発目に頼んだのが
貝だった
一発撃沈
今年は的中率が抜群だ
体調面では散々だった一年
これだけ体調を崩した年はいままでなかった
その分力があり余っている
先週も食あたりで3日
クリスマスの準備で4日
からだを動かすことができなかったので
こころではなく
細胞ひとつひとつが弾けたくてウズウズしている
これからいっぱい弾けさせてやる
パンでもそうだけど
底を見たからこそ
まだ上にいけるという可能性を
自分の中に見ることができた
きょうのパンはすごいよ
ライ麦40%にライ麦15%ライ麦30%ライ麦80%
ここに来てパンの調子がかなり良い
長年うまくいったりうまくいかなかったりを繰り返しながら得たさまざまな材料が
さまざまな条件に対応できる力を与えてくれていることが大きいのじゃないだろうか
今年中にここまで持ってこれるとは思っていなかったので不思議な気分だ
いつの間にか魔法が使えるようになったって感じ
いま間違いなく
自分のパン人生の中でいちばんのパンを焼いている
自分でもこんなでたらめなパン屋はないなと思いながらも
歯を食いしばってパンを作り続けるしかなかった
こんなところでは止まってはいられない
俺のパン人生はまだまだここからだ
今年は祝日でも月曜日は休んでいたのだけど
クリスマスなので久々の月曜日営業
お客さんが来てくれるか心配だったけど
たくさんのお客さんが来てくれホッとした
ブリオッシュ
スコーン(初登場)
酵母を使ったバターケーキのようなパン(フランスのある地方で作られているブリオッシュ)
をクリスマス用に作ってみた
それからクリスマスなので食パンもいつもと違うものを作ろうと思い立ち
バターを入れて焼き上げてみた
10年ぶりのバター入りの食パンだったのでどれくらい入れるか思い出せなくて
かなり多く入れてしまった
(後で思い出したのだけど昔は今回の半分の量のバターしか入れていなかった)
もっと頻繁に作れればまだまだうまくできる余地はあるのを感じたけど
どうだっただろうか
パンの作り始めが築地の木村家ペストリーショップだったので
こういうパンやお菓子を作るのは嫌いじゃないのだけど
ひとりではやっぱりこなすことはできない
東京から最近コーヒーにのめり込んでいる自称自転車乗りのT夫妻がお客さんたちに
コーヒーを淹れてくれた
さすがに手際が良く
あれだけのお客さんにしっかりいき渡っていた
コーヒー屋さんをやっているわけではないけど
大阪のおばちゃんにも負けていない厚かましさで
本職のひとだろうと誰だろうと
押しかけて行ってコーヒーを淹れまくっているだけのことはある
人生一歩踏み出したものが勝ちだ
怖さや弱さは人間誰しも持っているし
消すことはできないけど
怖くても弱くても
その怖さや弱さにエイ ヤァと踏み込んでいけるか
人生を楽しめるかどうかはそれにかかっているのだと思う
今年は楽しいクリスマスだった
感謝
今年はブリオッシュがしっかりと膨らんでくれた
きのうの夜60分かけて手ごねして20時間くらい醗酵させて
今夜ようやくカマの中へ入った
これだけ手間隙かかったものなので
カマからその立派な姿をあらわしたときは本当にうれしかった
材料も高いんだ
バターやタマゴを問屋から買うとなると
ケース単位で買わなければならないので
スーパーに買いにいくのだけど
200グラムのバターが440円もするしタマゴもひとパック240円
儲けはあるのかな?
まあ 儲けがなくたって年に一回のことだからね
あしたはちょっとだけ販売して
本販売はあさってかな
雪が降らなければいいけど
きょうもライ麦40%は絶好調
きょうは全体的によく出来たと思う
最近作り始めたライ麦15%もだいぶわかってきたし
1917(山型食パン)もいい感じ
ライ麦30%の平焼きも安定性がでてきた
朝寝坊したけどやることはやるのだ
三連休初日
目を覚ましたら6:30なので驚いた
多くのパン屋やお菓子屋さんが徹夜でがんばっているときに
いつもより一時間も余計に寝てしまった
しかも熟睡最高に気持ちのいい目覚めだった
1時間遅れの仕込み開始だったけど
目一杯動いて
なんとか10分遅れでオープンできた
寝坊はしたけど
自分もきのうは店を閉めてからずっと仕込みをしていたんだ
スコーンと酵母で作るバターケーキそれとブリオッシュ
たまにこういうのを作るを作るのも楽しいや
久しぶりにカマから甘い香りが漂った
ライ麦40%のパン
きょうも絶好調
日々生涯最高の出来を更新している感じだ
ようやく長い長いトンネルから抜け出すことができるかもしれない
きつい日々だったけど
トンネルの中にいた時期のことは
パンの作り手としては
とてつもない財産だ
パンを作っていくならこれからも
何度となくトンネルをくぐらなければならないだろうけど
どんなことがあっても
自分を曲げることなく
懲りずに
自分の道を歩いていこう
人生を楽しむコツは
懲りないことだ
何かあるたびに
こころ入れ替えて方向転換なんてしていたら
面白いことには出会えない
そういうことだから
パンも懲りずに
買いに来てね~~
パンも懲りずに買いに行っていれば
いつかは
おいしいパンに出会えるかもしれないのだ
何か起こるたびに規制 規制
責任が自分のところに降りかかってこないように自己防衛なのかしらないけど
国民を子ども扱い
またしても
体調不良
きのうは何とか気合で乗り切ったのだけど
きょうはところどころで集中力が切れて
カマからパンを出し忘れるなどのミスが続いた
食欲もあまりなかったのだけど
蜜だらけのりんごを食べたら元気になった
ここ数日良いパンが焼けるようになってきたので
明日のパン焼きも楽しみだ
経験によって得たいろいろな材料が
ガッチッと音を立てて結びつき
いまぼくに何かを見せてくれている
近々ものすごいパンが焼けてしまう予感あり
まだ食べていないからわからないけど
きょうのパンもものすごいパンである可能性は充分ある
年末になってきてようやく調子が上がってきた
しばらく
なまけもののパン屋から目が離せないぜ!
良いパンができたときは
ほとんどは微生物の力
良くないパンができてしまったときは
作り手が悪い
良くできなかったのは
気持ちよく動きまわっている微生物の
邪魔してしまったからだ
ライ麦40%のパンは
一年前に作り方を変えてから
良いパンができたり
どうにもならないようなパンができたりで
全然安定しなかった
おまけに今年は粉の状態が最悪なのも重なって
作っていてかなりしんどかった
作り方を変える前は自分が作っているパンの中では
安定度がいちばん高いパンだった
だけど味に納得できなかったので
おもいきって作り方を変えた
思うようなパンが作れない日が続き
ぜんぜんわからなくなってしまい
もうパン屋続けられないんじゃないかと
弱気になってしまったこともあるけど
すこし光が見えてきた
行けると思う
いや行く
きょうのライ麦40%のパンは快心の焼き上がり
いままでにも同じくらいに焼き上げられたことはあったけど
そのときは偶然性の割合がかなり高かった
でもきょうはのパンはいままでの経験の上で
狙ってできたものだから
生涯いちばんのパンと言っていいかもしれない
きょうだけじゃなく
明日もあさってもこのくらいのパンが焼ければいいなあ
でも自分のパンはまだまだこれからよ
自分の中ではまだまだ行ける
更なるレベル アップ目指して
気合入れて生きていくぜ
店を終えて犬と散歩
一時間歩いて流れ星が6つ
8時の段階でこれだけ見えたのだから
夜遅くにはすばらしい天体ショーが見られるんじゃないだろうかな
きのう試してみてうまくいかなかったこと
何が悪いのか考えたり
昔の作り方や何やらを思い出していたら
生地を捏ねる上でとっても大切なことを忘れていたことに気がついた
それも昔失敗しながらつかんだことだったんだけど
醗酵に追い越されないようにと
はやく捏ねることばかりに気をとられて
いつの間にか忘れてしまっていた
きのう試してみたからこそ気がつくことができた
きのう試してみなかったらこれから先ずっと気がつかなかったかもしれない
動くことが引き金になって見えてくるもの
動いてみることの大切さ
わからないときこそ動いてみるべきなんだ
きょうそれを試してみたら
うまくいった
まだ一度だけなので
本当にそのためにうまくいったのかはわからないけど
もし違っていても
そのことが
大切なことは変わりはないので
ぼくはもうひとつ階段を上ることができるかもしれない
きょうはパン作りで試したいことがあったので
張り切ってやってみたんだけど
ひらめきはまったくかすりもせずに
撃沈
それでも「これは違う」という材料を
手に入れることができたので良しとしよう
こういうことは店が休みの日にやればいいのだろうけど
休みの日にはパンを捏ねる気にはどうしてもなれない
店に並べるパンは少なくなるけど
上達するには必要なことだから
ひらめきがあったら
これに懲りずにアタックしていこうと思う
今年二度目の積雪
今年の冬は早い段階から
空気が冷え冷えだ
今年の大田原は
重ね着なしではとても生きていけない
下はトレパンの上にウインドブレーカーを2枚
上はトレーナーの上にフリースのジャケットを2枚
このところ流れ星によく出くわす
きのうもランニングをしていると
南西の空に大きな流れ星
あっという間に遠くかなたに姿を消してしまう流れ星
願い事は短い言葉でテキパキと
たとえば「カネ」なんかだったら
流れている間に
5回は唱えられる
東京から5人組
いつも自転車でやってくるのだけど
きょうは車でやってきた
きのうは地震でお客さんがさっぱりで
パンがたくさん残っていたので
いっぱい買っていってもらえて助かった
あれだけのパンを車に積み込んだら
車の中にパンの匂いが充満してしてしまい
大変だったのじゃないだろうか
ライ麦細長いパンは小さいけど
3、4日経ってからの方がうまいと思う
すだれをやめて麻布にしようかなと思案中
むかし上半分だけを麻布で覆っていたことがあったけど
窓全体を覆ってしまったらおかしいだろうか
店 店まわりとすこしずつ
居心地の良い空間を作っていく
ようやく9月頃のからだに戻ってきた気がする
正月はバンバンからだをいじめてやろう
公園は自分でも作れるし
図書館だって自分で作れる
市や国に頼らなくても
自分で自分の作りたいものを自分が作りたいように
作っちゃえばいいんだ
子供たちの味覚や噛む力の未発達は
いまや悲惨な状態だ
この流れはもう止まらないだろうし
更に拡大していくのじゃないだろうか
味覚がでたらめな親に育てられれば
子供もそのでたらめな味覚を引き継ぐ可能性は高くなる
すっぱいのが苦手な親はすっぱい食べ物を作ったり買ったりはしない
文化や風習は一度崩れるとドミノ崩しのように
次々と崩れていき取り返しのつかないところまでいってしまう
ぼくたち人間がやってきたさまざまなこと
そのひとつひとつのひずみが
限界近くまで広がり
相互作用なんかも起こったりして
さまざまなところで爆発崩壊が始まっている
これはもう最後まで行くしかないだろう
人間のサガといおうか
人間の根の部分は変わらない
発明家は更なる発明を追求していくし
人間楽を覚えたらもうそこからはそう簡単に抜けられない
更なる楽を求めて日々を重ねる
企業は餌を求めて世界の隅々まで駆け巡り
もう餌なんてあらかたなくなってしまっても
始めてしまったことはやめられない
政治家は保身や名誉 欲望のために権力を利用する
ぼくだって自分のそこの部分は変えることはできない
破滅という形になるまで人間は進まなければならない
からだは動かしてやると
やっぱり喜びだす
細胞ひとつひとつが飛び跳ねながら踊っている
こころもやっぱり踊っている
ライ麦酵母完全復活
おめでとう!
土日はなかなかのパンができたと思う
売れ残ったパンをいくつか食べたら
恐ろしいほどうまかった
金曜日
ライ麦パンの醗酵がなかなか進まないから
ライ麦酵母はまだ回復途上なんだなと思っていたのだけど
できたパンを食べたら
すばらしくうまい
経験上
これだけ醗酵に時間がかかれば
酸味が強くなるはずなんだけど
パンはまだまだよくわからない
科学技術なんてものは
自然がフーッと息を吹きかければ
あっという間に吹き飛んでしまう
安全だと言われているコンクリートも鉄だって
何十年も経てば粉々だ
ライ麦酵母の回復がまだだったので
きょうは小麦酵母で作ったパンをすこしだけ作った
人間の都合よくはそうそう動いてくれない
そういう酵母たちと毎日付き合っているので
こっちは
酵母との関わりのときはもちろんそれ以外のときでも
すこしだけ
こころひろく
どっしりと構えられるようになった気がする
きのうきょうで40種近くの草花を植えただろうか
梅雨の時期から始まった植えたい病も
これでようやく落ち着いてきそうだ
植物を植える行為には中毒性があるんだなあと思っていたのだけど
よく考えたら興味があるものに出会うと
のめり込んでいってしまうのは自分の性格でいつものことだった
まだ小さくて目立たないけど
目を凝らすと
そこかしこに草花がいっぱい
http://www.youtube.com/watch?v=ArVd29wht_A
店の左側面とそれから駐車場を囲むように
何の花かは開いてからのお楽しみ
今年はアジサイも剪定したのですこしはきれいに咲くかなあ
来年は
どんなことになるのかとても楽しみ
朝起きて
酵母の具合を見ようと醗酵器を開けると
ものすごい熱気
慌てて酵母が入ったばんじゅうの蓋を開けると
酵母はドロドロ
きのうから醗酵器の調子がおかしかったので
もしかしたらとは思っていたのだけど
とりあえずきょうは店を開けられないので
店は休みにして
もうひと眠り
寒いのは苦手なのだ
酵母も死んではいなそうなので大丈夫そうだ
8:00頃起きて醗酵器をよく見てみたら
もしかしたら自分で直せるかもしれないと思って
ちょっとだけひと安心
ホッとしたところでとりあえず
庭いじり
お昼ご飯を食べてようやくとりかかれた
別に余裕があったわけではなくて
細かい作業になりそうだったったので
そういうのが好きではないから
なかなかとりかかれなかったんだ
ああでも
庭いじりをやりたい思いを抑えられなかったというのもあるかな
やってみたら不器用なりにも
何とか直すことができて
安堵した
なんだか知らないけど
もうだいぶ前から壊れていたところまで
直っていた
メーカーに頼まなくてよかった
頼んでいたら出張費や技術料もろもろで
6万円は取られてしまうんだから
あ~壊れてくれたおかけで
ゆっくりできた
やっぱり週休3日くらいじゃないとリフレッシュできない
きょうは半日かけて庭の整備をした
草花を大量に集めたので
それらを植えるところを作らなければならなかった
植えるところならいっぱいあるのだけど
パンを買いに来てくれたひとにも観て楽しんでもらえるところとなると
限られてくるからなかなか難しい
それならそんなに草花を集めなければいいのにと言われそうだけど
中途半端なことではぜったいにひとを喜ばせることはできない
金はあまり持っていないけど
どうせ使うならパンを買いにくれたひとと共有できるものに使いたい
服なんて穴ぼこだらけだけど
それでかまわない
来年は文字通り華やかなパン屋になるだろう
ちゃんと咲いてくれれば
あしたは筋肉痛かな
土や石を買うのにきのうきょうで家とホームセンター間をどれくらい往復したのだろう
15kgの土や石を自転車や駆け足で運ぶのはそうとうキツイ
たとえ軽石だろうと
15kg入りの軽石なら
15kgの重さがあるんだ
でもパン作っているより
土いじりや草をむしっている方が
仕事をしているなあという気分になれる
パン屋はへこたれている時間なんてない
明日はもうすぐそこだ
そのとき
そのときを全力投球していくしかないんだ
良くも悪くも期待を裏切りながら
明日も力いっぱいパンを焼く
でもその前にきょうはパーっと走りにいこう
よくパンを買いに来てくれるKさんから
ザワークラウトのつくり方を教わったので
早速作ってみた
といってもキャベツがなかったので
でか過ぎていつも使い道に困ってしまう白菜を使って
なかなか良い味になったので
きょうは生ハムといっしょにオープンサンド
まずい・・・・・
うま過ぎる
どんどん食が進んで
ひまわり入りの食パン半斤食べてしまった
きょうは一日からだを動かしてやった
ランニングの後に公園に行って
懸垂をやった
しばらく前に木の枝につかまってからだを持ち上げようとしたら
思いに反してからだがなかなか持ち上がらなかったことがあったので
これはまずいなと思ったのもあるのだけど
同時に技術の方だけではなく筋力やスタミナなど体力面でも
トレーニングの仕方しだいでまだまだ伸びしろがあるなとも思えたので
よし やるぞ~という気持ちが沸いてきてちょっと燃えている
あとは自分をぶっ壊してやるという気持ちにどれくらいなれるかだ
その気持ちに自分を持っていけるかどうかで成長具合も楽しさや喜びも
違ってくる
自分のからだを動かして遊ぶことが
ばくにとってはいちばんの遊び
木の椅子を置いてから
本を読む時間が増えた
この椅子に座るとこころがゆったりとする
身の回りにある物が
こんなにも自分へ影響を与えるんだな
物の持つ力
椅子はお客さんたちにも気に入ってもらえて
着席率が増えた
どうせ買うものなら
いま買っちゃえ
やりたいことがあるなら
できなくなる前に
いまやっちまえ
きょうは捏ねているときに
変なひねり方をしたのか
右の背筋を痛めたけど
周辺の筋肉がカバーしてくらたので問題なし
パンの方は絶好調
うっかりミスもなく
ここ最近(一ヶ月くらい)ではいちばんの出来ではないだろうか
1917のひまわり入りのカマ伸びはすごかった
切り口に惚れ惚れ
きょうはパンがすこし売れ残ったので
明日11月19日(月)
テーブルの上にパンを置いておくので
食べたい方は買いに来てください
お代は置いていってくれれば大丈夫です
(百円玉と五十円玉 まとめ買いの方は一万円札を用意してください)
朝6:00頃から開いています
もちろんいつもの通り割り引き価格です
なおつり銭の用意はありません
きょうは雨の中
思っていた以上にお客さんが来てくれた
いっぱい作っちゃっていたから助かった
きょうもなかなか良いパンが焼けたと思う
週末はうっかりミスが多くなるので
明日は気をつけて
あと一日
がんばって良いパンを焼こう!
人数が多くなるほど
人間としてではなく
数値で捉えなければならなくなる
人間じゃなく
数値だから切り捨てるのは平気だ
良いことだとは思えないけど
いまは効率化 効率化で
合併だ 統合だと
どんどん人間をひとまとめにしてしまう
合併や 統合で
街や建物は広くなったけど
俺たちは狭いゲージに押し込まれたニワトリたちと同じじゃないか
きょうは朝パンを作っているときから
ずっとハイ状態
こういうのはなんていうんだろう
生きてるハイかな
とにかく良い気分
パンもなかなか調子良し
あしたはもっと良いパン作るぞ~
公園を犬と散歩していると
街頭の明かりに照らされて
真っ赤に光る葉っぱがある
桜の葉も紅葉することをこの歳になって
はじめて知った
すばらしい赤
花が咲く頃しか
関心がなかったから気がつかなかった
普段目の前にあるのに見えていないものって
もっともっといっぱいあるのだろうな
つまずき
転びながらも
歩いていられる幸せ
熱中できることのある幸せ
自分を生きている幸せ
何かを追い求めようとするとき
自分に足りない部分があれば
それが必要となるところにでくわしたときには
そこでつまずくようになっている
そこでつまずくことによって
自分に足りないところがわかり
その足りない部分を考え工夫して
埋めていくことになる
それを何度も何度も繰り返しながら
すこしづつスムーズに進めるようになってくる
しかしだからといってつまずくことがなくなることは
決してない
つまずき
転んで
おめでとう
つまずいたことによって
見えてくるもの
足りないものがあるから
つまずくんだ
転ぶ必要があったから
転んだんだ
転ぶとガクッリくるけれど
転ぶことと引き換えに
足りなかった部分を手に入れ
ぼくは大きくなっていく
きょうはここ最近では
かなり良いパンが焼けた
冬を捕まえたかな?
学生の男の子が
喚鐘 五鈷鈴 備長炭の風鈴と順番に鳴らし
3つを鳴らし終わったと思ったら
また同じ順番で鳴らしている
ぼくが小田原のお店に喚鐘や五鈷鈴 や風鈴を買いにいったときと
まったく同じ反応 同じ行動をとっているのが可笑しかった
手放したくないんだよね
これだけこれらの音色にこころ動かされている子ははじめて
季節の変わり目は
本当に難しい
気温が低くなったのを気にしすぎて
捏ね上げ温度を高くしすぎてしまっていた
捏ね上げ温度を高くしても
パンの出来があまり良くならないので
まだ低いのかとまた捏ね上げ温度を高めてしまうことを繰り返してしまい
温度を上げるたびに出来が悪くなっているので
ようやく捏ね上げ温度が高すぎたんだということに気づいて
捏ね上げ温度を下げてみたら
良い感じになってきた
作り方がすこしずつ変わっているので
前の年と同じ感覚でいてもうまくいかない
季節を追いかけ捕まえるのが
パン職人の仕事だ
駆け足で追いかけけて捕まえられるものなら簡単なんだけど
パンのこころは人間と同じでそう簡単なものではない
周りから見ればただの失敗かもしれないけど
当人にとってみればそれは前進なんだ
歩いていくなら
必ずうまくいかないときというのは何度でも何度でもやってくる
そしてつまずく度に
新しい材料を手に入れて
ひとつずつ大きくなっていく
その成長があるから面白くなってやめられなくなる
成長することが生き甲斐になる
人間はめんどくさくできている
数値を見ると
わかったつもりになっちゃうけど
数値を見ただけでは見えないものがあるんだ
政治家や省庁 教育機関なんかは数値ばかり見て
ああだ こうだやっているけど
世の中には数値化できないものの方が圧倒的に多いし
数値化できないものにこそ大切なものはあるんだ
さびしいさびしいと思っていれば
世界はやっぱりさびしくなり
楽しい楽しいと思っていれば
世界はやっぱり楽しくなる
長い時間を生きてきて
残り時間もわずかになってきた
いま
勝つか
負けるか
うまくいくか
いかないかよりも
大切なものがあるということに
気がついた
それは
生きている中での一瞬一瞬
その一瞬間一瞬間に
自分のすべてを賭けてぶつかっていけるかどうか
決してやってはいけないことは
負けること
うまくいかないことを恐れ
自分がこころの底から望むことを
やらずに逃げてしまうこと
残りの人生
悔いを残すことなく
お腹いっぱい
胸いっぱい
こころいっぱい
満たしながら
送っていきたい
思い返してみると
かなり昔から
からだを動かすことで
心身の調整をしてきた気がする
心配事で胃が痛くなったときも
自分の空っぽの頭であれこれといくら考えたって
胃の痛みは飛んでいかないけど
走りにいったり
サンドバックを叩いたりと
からだを動かしはじめたとたん
胃の痛みなんてすぐに治まってしまう
そしてからだを動かしているうちに
気持ちがどんどん盛り上がっていき
結局いつも
「前進あるのみ」の結論に達して
心配事なんて薄れていってしまい
逆に目の前には希望というひかりがぶら下がっている
生きてやる
生きてやると気合を入れながら
生きたのが良かったのか
靴下を重ね履きしたのが良かったのか
今回は食欲が落ちずに栄養が取れたのが良かったのか
3日間滞在しただけで風邪は去っていってくれた
ようやく食あたりと風邪から立ち直って食欲が戻ってきたところで
また風邪を引いた
ものすごい冷え性なんだから
寒くなってきたらすぐに靴下を重ね履きすればいいんだけど
毎年重ね履き始めを誤ってしまう
誤ってしまうというより1年経って
重ね履きのことなんてすっかり忘れてる
いつも痛い目にあってから思い出すんだ
この前の風邪のときは寝ていてもまったく良くなる気配を感じなかったので
今回は気合で治す
この歳になると黙って寝ていても病気なんて治りやしないんだ
病気を退治する力が衰えてきているのだから
気合によって内からエネルギーを起こしてやり
退治する力を手助けしてやた方がいいんじゃないかと思うんだよね
まあ からだの声を聴きながらだろうね
きのうはランニングをした後もうすこし動くつもりだったのだけど
どうにも眠くてしかたがなかったので
店のベンチで横になったら一時間くらい眠っていた
それでいいんだと思う
自分を守ろうと思っているときほど
ぼくにとってぼくの命は
守らなければならないほど
価値のあるものではなくなっていて
傷つくことや
命のことなど考えることなく
チャレンジしているときほど
まだまだ生きたい
いまがずっと続いて欲しいと思う
ぼくにとっては
楽しむこと=チャレンジすること=生きること
園芸店に行くと
何年も売れずに残っていた鉢が
仕入れ当時の値段のまま売っていたりするのでありがたい
庭に植えてあるニシキギ500円や2mの利休梅2000円などは
売れ残りの中から見つけてきたものだ
店の脇にある最近植えた大きな蝋梅を見たことがあるひとは驚くかもしれないけど
あれも園芸店で3000円で買ってきたものだ
しばらく前にホームセンターで見かけた同じ種類の蝋梅は
あの1/3の大きさで3980円の値札がついていた
今年は梅雨時期からたくさんの木を植えた
あまりに多く植えたので
もうどの木が何の木なのかよくわからない状態だ
それも直感で植える場所を決めていったので
5年後10年後にどんな庭になっているのかまったく想像できない
まあそれも楽しいだろう
椿や蝋梅の蕾がだいぶ膨らんできた
5:30起床してランニング
こんなに早い時間に走るのは何年ぶりだろう
外はもう冬の空気だったけど
朝焼けがとても美しい
空のはユーラシア大陸のような大きい雲が広がっており
その雲がオレンジ色に染まりはじめ
朝なんだか夜なんだかわからない世界をつくっている
こんな美しい世界の中にいると気分が高まってくる
いつもの場所で久々のロングダッシュ
杉本テツさん
ぼくがこんな人間になりたいと思っている
理想のひとだ
http://gyao.yahoo.co.jp/p/00114/v12088/?sc_i=gym082
日本は
きちんと病が
大蔓延
なんだかとても息苦しいので
こんな世界から飛び出してやる
エイ
午前中これから自転車イベントに参加するため
山形に向かうという竹さん玉子さん夫妻たちが立ち寄ってくれた
相変わらず週末になると夫婦で遊びまくっている
整った環境じゃないと
子は育たないと思っている親が多いけど
子供ほったらかしで自分たちの好きなことをやって生きているこの夫婦を
見ているとそんなことはないんだということがよくわかる
子供たちは何もなければないで
自分の頭で考え判断し見つけ学んでいくもんなんだ
整った環境はその力や成長する機会を子供たちから奪ってしまいかねない
おふたりの娘さんはほったらかしにされてもなんのそので
自分の生きる道をちゃんと見つけ
たのしい毎日を送っているそうだ
良い子ね良い子ねの
親ばかは良くないけど
子供がある程度の年齢を過ぎてからは
馬鹿親で良いのではないだろうか
そういえばおふたりに
ブナの実はおいしいらしいから試しきてと言ってしまったけど
ブナの実じゃなくて別の実だったかな
でもまあ
熊が食べているのだから
食べても直ちに身体への影響ないだろう
帰ってくるまではもつんじゃないだろうか
夕方にはまた東京からの自転車乗りたちが6名やってきた
ノリさんたちだ
申し合わせたわけではないそうで
やっぱり
ノリとタマゴは引き合ってしまうのだろう
それにしても皆さんすごいエネルギーだ
毎週のようによくこんな遠出ができる
年齢じゃないんだな
こころの熱さだ
ことあるごとに「きみたちは21世紀を生きるんだ!」と言われながら育ったけど
俺らだけじゃなくてそう言っていた本人たちだって21世紀を生きるんだ
いま大好きなことは
大切に
大切に
将来の安定のために
大切なものを捨ててしまったら
経済的には安定したとしても
こころは安定してくれないだろう
なまけもののパン屋
いまが旬だぜ
なんでこんなにうまいんだ
苦しんだ分だけひとはでかくなる
苦しみぬいた男のパン
なまけもののパン屋
ライ麦パン
絶好調販売中!!
諦めない人間 しつこい人間は強いよ~
これからはスッポンのノリと呼んでくれ
1917(山型の食パン)のひまわりの種入りはうまいねえ
このパンはトーストせずにサンドウィッチにして食べた方がおいしいかな
ひまわりの種を食べると次の日が快調だよ
ライ麦15%入りのひまわり入りもおいしいよ
こっちはチーズとの相性が抜群だ
ぶつかりにいって
粉々に砕け散ったとしても
またそこから始めればいいんだ
転ぶことは恥ずかしいことではない
ゼロから始めるということも
新鮮な気持ちになれ
なかなかいいもんだ
ひとは去っていくかも知れないけど
支えてくれるひとは必ずいる
新しい出会いだってあるかもしれない
転ぶことを怖がるあまり
縮こまってしまって自分を出せなくなっているよりも
粉々に砕け散ってもいいから
全身全霊をかけて
おもいきりぶつかっていってやればいいんだ
すべてをなげうって飛び込んだとき
命の炎は最高潮に燃え上がり
太陽よりも明るく
太陽よりも暑く世界を照らす
冬は庭がさびしいので
冬でも葉を落とさない木を何本か植えてみた
ハクチョウゲ ヒメクチナシ メギ ヒメウヅキ シルバープリペットなどなど
もうこれで木は終わりだろう
あとは山野草を何種類か植えるだけ
これからどんな成長を見せてくれるだろうか
毎日の楽しみになりそうだ
こうなりたくないという恐怖心が
気持ちやからだを抑えてしまうのなら
そんなもの捨ててしまえばいいんだ
そうなったとしてもいいや
どうなってもいいやという気持ちになれば
踏み出していける
昔あった嫌な出来事だって
またそういう目に遭うなら
そうなれだ
下り調子のときは悪いことばかり見えてしまったり浮かんでくるけど
そんなときでも
いいことはいっぱいある
道端に美しい花が咲いていたり
バッタリ出くわしたひととの会話
大好きなことをやっているということ
幸福だと思えば何だって幸福になるし
不幸だと思えば何だって不幸になる
きょうは素敵なお客さんたちとの出会いに感謝
のりにのってるぜ~
ひとにはそう見えなくたって
自分がそう思い込めば
そうなんだ
ひとはみんな魔法使い
自分自身に対してはだれだって魔法を使えるんだ
店に入ってきた瞬間
「あ 風鈴だ!」と驚いていたけど
ぼくにはその驚きの方に驚きだ
風鈴を飾ってから
きょう入れて少なくとも
4回はパンを買いに来ているはずなのに
20個近くもぶら下がっている風鈴にも
チンチンいっている音にも
気づかないでいたなんて
見え方や聞こえ方というのは
本当にひとそれぞれなんだなあ
何が良のいか
何が悪のいか
それだって
ひとそれぞれ
そのひとの判断だ
良い暮らしというものがどういうものなのか
子育てはどうするべきなのか
どう生きるべきなのか
すべてのことに
正しい答えなんてない
こうしなければならないなんてものはなくて
なんでもありなんだ
どうしたっていいんだ
いい人間でもないし
できる人間でもないから
いい人間に見られる必要もないし
できる人間に見られる必要もない
着飾ることなく
自分自身をおもいきり生きて
そのままの自分を表現していく
上り調子のときも
下り調子のときも
やることはいっしょ
自分自身をおもいきり生きること
自分はからだも頭も不器用で
何をやるにも
うまくはできないけど
それなら自分にもできる
そしてそれしかできないから
思いきり行くだけだ
一瞬先にどんなことになるかなんてわからないけど
何もしないで砕けるよりも
ぼくは当たって砕けたい
力一杯体当たりして
死んじゃう前に
やりたいことは
どんどんやっておこうと思う
砕け散ってしてもいいから
言葉のマジック
環境税
響きはいいけど
環境のことなんて本気で考えていないひとたちがつくったのだから
これも大半はくだらない使われ方をするのだろう
金の流れは変わらない
政権が変わろうが何が変わろうが
政治家たちや官僚たちの根の部分は変わらない
金の流れだって変わらない
国家に寄りかかって生きようと思えば馬鹿を見るだけだ
国家に頼って生きようとしても
もうなのか
もともとなのかは
知らないけれど
この国にそんなちからはありません
自分たちの力で生きていくしかないんだ
学習塾の窓の向こうには
いっぱいの学生たち
その勉強は
本人にとって塾にまでいって学ぶほど
価値のあるものなのだろうか
興味のあるものなのだろうか
残された時間が無限でないことを知り
学校の勉強も体験してきたいまの自分には
本当にそれでいいのかと思えてしまうけど
塾で勉強している当人たちは
自分が何をしたいのか
どうしたいのか見えていないひとたちほとんどなのだろう
勉強することが進学するためや就職するための手段になっているようだけど
学校も会社も選考基準をもっと別なものに変えられないものだろうか
きのう きょうと
朝から夕方まで
思う存分
からだ動かした
いっぱい動かしてみて
からだを全然使っていなかったことに気づき
からだに申し訳ないと思った
使っていない筋肉があっちこっち
いっぱいだ
いい天気だ
休日の月曜日
きようも最高の一日にするぞ~
商売が苦手なひともいるし
ひとと話すのが苦手なひともいるし
料理が苦手なひともいる
からだやこころの調子が悪くて
気持ちが外に向かないひともいる
どんなにがんばっても
うまくできないひともいるし
どんなにがんばっても
うまくできないときもある
赤や青の尖がりがいっぱいぶら下がっている姿が好きで
ここ何年か毎年店の前に唐辛子を植えているのだけど
今年は暑かったからかいままででいちばんの豊作だった
今年は間違いなく人生でいちばん唐辛子を食べた
アフリカに住んでいたSさんによると
アフリカでも唐辛子がよく食べられていて
辛いものから甘いものまで
種類もいっぱいあって
あっちではものすごい辛い生の唐辛子をかじりながら
肉を食べるそうだ
唐辛子は話をしているだけで毛穴が開いてくる
(いろんな唐辛子の苗を販売しているお店)
http://www.rakuten.co.jp/cayenne/
それから辛くて我慢できないときは水を飲んじゃいけいそうだ
バターをたっぷりつけたパンを食べるのが効果的なんだって
せっかく店をやっているのだから
おもいきり楽しんじゃわなきゃもったいないね
どんな店にしたいかを考えてみたけど
思いつくのはただひとつだけ
来てくれたひとに楽しんでもらえる店
それだけでいい
それだけがぼくの望み
簡単なことではないけれど
そうできるように努力することが
ぼくの生き甲斐
なんだ
かんだと
あるけれど
やっぱり
生きていることは
すばらしいのだ
たのしいのだ
さあ
きょうも
がんばっていきましょう
とんでもない困難な状況に置かれることになっても
その困難を乗り越えてやろうという気持ちが芽生えたときから
その現象そのものが生き甲斐になる
もしかしたら自分の前で起こるすべてのことは
楽しいことに成りうるものなのではないだろうか
なにごとも真剣に立ち向かっていきさえすれば
楽しいものなんだ
きっとそうだ
どれだけ目の前にあることと真剣に向き合えるかで
人生の楽しさは決まってくる
生きていることを楽しめるかどうかは
自分次第なんだ
何かを学ぼう
身につけようとしている人間にとっては
すべてが整っていて
すべてが揃っていることが
良い条件とはいえないのではないだろうか
学校や親たちの間ではそういう条件をつくってやろうという方へ
どんどん向かっているようだけど
障害や難しさがあってこそ
人間は力をつけていく
整っていない揃っていない条件の中でも
本当に興味あるものならば
勝手に自分で身に着けようとするし
学ぼうとする
自分の頭で考えて
知恵を出して
何とかしていくのじゃないだろうか
それに
そうじゃないと
身につかなし
学べない
子育てとは
自分の生きる姿を見せることだと思う
子は親を見て育つもの
子供に合わせてばかりいる必要はないし
何かを押し付ける必要もなくて
自分自身真剣に生きる
それだけでいいんじゃないだろうか
『子育て入門』とか読むよりも
これから子供を産むすべての親は
『がんばれ 元気』を読むべきだ
やっぱり朝のランニングは気持ちがいい
店がある日はしかたなく夜走るんだけど
なかなか気合が入らない
だから定休日の朝はとにかくうれしい
きょうはからだの調子もかなり良くなったので
中くらいの距離のダッシュと短いやつを何本かやった
ダッシュはきついのだけど
一本終わるとまたすぐに走りたくなる
一度強い刺激を与えてしまうと
「燃えろ 燃えろ 燃焼だ」と細胞たちが騒ぎ出す
自分は起用じゃないから
何をやるにも
出来るようになるには
時間がかかり
すぐには出来ないけど
やりたいと思うものなら
出来ないからといって止めてしまうことはなく
出来るようになるように
繰り返し繰り返しあるいは別の方法を試しながら
諦めることなくそれを追いかけていく
泥臭くはあるけど
求めるものを見つけたら
スッポンのようにへばりついて離れない
時間をかけて
時間をかけて
思いを
形にしていく
それがオレだ
さっきそれを自覚したら
怖いものなしになった
パッとすぐに出来てしまわないのが自分なんだ
アンダンテ
歩く早さで一歩一歩努力して生きるのが自分なんだ
背伸びをした状態では長くはいられない
しっかりご飯を食べて
しっかり運動をして
しっかり睡眠をとれば
いつか背は伸びる
そうすればいつまでも歩いていける
さあ きょうも張り切って1! 2! 3! 4だ!
きょうの夕食は
きのう(土曜日)焼いたひまわり入りの1917(山型の食パン)と
きょうの(日曜)焼いたひまわり入りのライ麦15%の細長いパンとで
サンドウィッチ
うひょ~
このうまさはすごいよ
いまかなり調子が良いので
来てくれれば
「こんなうまいパン食べたことがない」というような
いいパンに出会える可能性が高いよ
うそじゃないよ
好みの問題もあるけど
全種類食べれば可能性はより高くなるから
お金いっぱい持ってきてね
身近にあるものや
自分のからだが壊れはじめるときは
いつもからだからエネルギーがあふれ出てきたとき
いま脱皮の最中だ
こういう現象が起きているときは
自分がものすごい成長している
ひと皮むけたオレを見にきてくれ
久しぶりに流れ星を見た
一年くらい見ていなかった気がする
真下に落ちていく星だ
区切り区切りでこの星に出会っている気がする
パン屋を続けられていられるのは
パンを食べてくれたひとりひとりの支えがあったからこそ
だからどうすればうまいパンが作れるかを考え努力することをやめてはいけない
それがぼくにとっての報いであり責任
どこまで良いパンが出来るかはわからないし
ときには失敗もするだろうけど
ぼくにはそれしかできないから
秋になってすこしずつお客さんが戻ってきてくれた
今年の夏は良いパンが作れなかったこともあり
平日のお客さんの数は悲惨なものだった
売り上げも何千円の世界をさまよい
このまま続けられるのかという危機感を持ちながらの毎日だったけど
パンの出来も良い感じになってきたので
なんとか踏ん張りたい
いま出しているパンのほとんどが教科書通りに作っても
100%うまくいかないパンなので
つかむまで長い時間がかかっているけど
いま作っているパンに関してはいくらか掴むことが出来たと思う
失敗しても失敗しても難しいパンにこだわり続けたのは
しっかり出来たときはとてつもないパンが出来るからだ
器用じゃないし
飲み込みも遅いし
感覚も鈍い
感もきかない方だけど
とにかくこれからも作っていく
すこしでも良いパンが作れるように
自分にとっては生きることが作ることであり
作ることが生きることだから
どんな環境であろうと
どんな状況であろうと
人間は生きていかなければならないし
生きていくためには何かが必要なんだ
下手くそでも
うまくできなくても
ひとに受け入れられなくても
ぼくは作り続けなければならないんだ
でもきっとこれはぼくだけではなく
生を持ったひとりひとりが
自分にとっての大事なものをいくつかもっていて
それはスポーツかもしれないし
学問かもしれない
あるいは
家族かもしれないし
恋人かもしれない
もしかしたら自分かもしれないけど
その大事なもののために
あるいは生きるために
ときにはもがき
ときには笑いながら
懸命に死というゴールに向かって歩んでいるんだ
この世のすべてのひとに幸あれ
と言いたいところだけど
そうやって生きていること自体が
もうすでに幸福なんだ
”この世のすべてのひとよ幸福だね”
きょうは1917(山型の食パン)にひまわりの種を入れてみた
レーズン入りと胡桃入りと3種類やってきたけど
ひまわり入りがいちばんしっくりきた
自分がひまわり入りのパンが好きだということもあるかもしれないけど
生地ウマミを殺さずに生地とひまわりの味両方がお互いを立てている
きょうは特別うまく焼けたようで
粉と水と塩とひまわりだけの材料でこんなにうまい食べ物ができてしまう
パンの世界
醗酵の世界
いったいどこまで深いのだろう
ランニング再開2日目
空気が重い
苦しいけど
この空気の重さがあってくれるからこそ
それを跳ね返そうとがんばれるんだ
負けるものかと気合を入れてがんばれるんだ
そしてこの空気の重さがあってくれるからこそ
力がついてくれるんだ
空気の重さに感謝して
一歩一歩
蝋梅を植えた
2mくらいある株たちの立派な木だ
作業場のすぐ脇に植えたので
窓を開けるとその木が見える
隣の家の壁しか見えなかったいままでとは
気分がまったく違う
木一本で人間はこれだけ救われるんだね
ランニング再開
からだが出来てきて
今月にはジムにいけるかなと思っていたのだけど
体調を崩してほぼ一ヶ月ほとんどからだを動かせなかったので
また作り直しだ
気負わず
焦らず
前だけは向いて
やっていこう
『絆』ということばが
世の中にあふれているけど
これだけ氾濫させたのは
マスメディアや企業あるいは政治家たちなんだろうな
出所は市民の中からかもしれないけど
なんらかのために
マスメディアや企業あるいは政治家たちが濫発しているのだろう
『エコ』 『節電』 『復興』
利権のために
莫大な金を使って
必要のない
ダムを作り
山を壊し
川を壊し
海を壊してきたひとたちが
どの顔をして
環境税なんて言えるのだろうか
このまま政治家や官僚に頼って
生きていて本当にいいのだろうか
政治家や官僚の指示に従って
生きていて本当にいいのだろうか
きょうはがんばっていっぱいパンを作った
今週は水曜日木曜日がかなり悲惨な状況で
金曜日も出だしがあまり良くなくて
「あ~ きょうもダメか」とちょっと沈みかけていたら
18:00過ぎにバタバタとお客さんが来てくれ助かった
きょうは良い感じにお客さんが来てくれた
作ったパンが大量に売れ残ったときは本当にガクッとくる
出来の良いパンを作ったときは尚更だ
でも腐らずにいかに気持ちを切り替えるか
自分の場合
必要ならば店を休んじゃうこともある
気持ちを引きずっていてもろくなことはない
嫌な気持ちはくちゃくちゃに丸めてポイしちゃえばいいんだ
これからも自分にはパンを作り続けるしかないのだから
いかに良いパンを作れるようにするかを考え努力すること
それがパン屋をやっていることへの自分なりの責任の取り方
パン屋を始めてパンが売れない辛さや悲しみを知ってからは
何か買うときや食べるときはお客さんが入っているお店よりも
あまりお客さんが入っていないお店に行くようになった
自分の出来なさを知ってからは簡単にひとを批判できなくなった
点だけしか見ないで批判なんてできない
こんな辛さや悲しみや自分の出来なさを知ることができて
良かった
生きていくうえで絶対にわすれてはいけないことだと思う
『絆』
あなたの街のあなたのパン屋
なまけもののパン屋をお忘れなく
ちゃんちゃん!
福島の農家の人たちは口惜しいだろうな
その怒りを国や東電にぶつけたところで
作物の汚染は止まるわけでもないもんな
それでも生きていかなければならない
ここ三週間一日の半分以上寝ていたので
さすがにもう寝疲れてきたし飽きてきた
運動もできなかったのでとても悔しかったけど
ようやく良い方向に向かい始めた
さあ 飛び出すぞ!
いまから最高の人生を送ってやろう
いままでの人生の中でいちばん
楽しく
そして輝いて
真っ白になるまで燃え尽きるぜ!
からだが別の生物に乗り移られてしまった
だるいし頭もぽわーんとしている
きょうはパン作りを休んじゃおうかとも思ったのだけど
おとなしくしていると完全にからだをのっとられてしまうので
がんばって作ることにした
店を開けるとものすごい数のお客さん
喉をやられていたのでこれだけのお客さんを続けて対応するのは
きついなと思っていたら
東京から来ていたノリ・タマ・タケさんたちが
お客さんにコーヒーを淹れて配ってくれたので助かった
早めに完売したのでノリ・タマ・タケさんたちに
白河のコーヒー豆屋さんへ連れて行ってもらったのだけど
飲んだコーヒーの味よりも店主の強烈な印象の方が頭から離れなかった
あれだけ喋り捲るひとに会ったのははじめて
このひとは喉から舌にかけて
別の生物にのっとられてしまったんだなあと思いながら眺めていると
だんだん眠くなってくる
息継ぎもそこそこに一定のリズムでしゃべり続けているので
子守唄を聴いているようないい気持ちになって
ぽわーーとしていた頭が更にぽわーんとしてきて目蓋が重たくなってくる
それにしてもあの喋りはすごかった
ちょうど読んでいた本に
頭と胴体を真っ二つにされてもくねくねと動き続ける蛇のはなしがあって
その蛇と店主が重なってしまい
『生命力』という言葉が頭にぽかーんと浮かんできた
後で年齢が60を超えているのに
5ヶ月と4歳のふたりの子供がいるということを聞いたときは
驚くよりも「そうだろうな」と納得できた
店主のしゃべりも含めて不思議な空間のお店だった
目が覚めると6:00
いつもより30分遅く起床
いつもなら挽回できる時間だが
きょうは逆に焼き上がりが1時間近く遅れる
でも30分余計に眠れた分回復した気がする
閉店後下仁田ネギと黒ニンニクと唐辛子の味噌汁を作り
飲んで寝る
良い汗をかいた
最近は寝てばかり
すぐに眠くなってやりたいこともできなくなるので
酒をしばらくやめているのだけど
これじゃあ意味がない
運動はできないけど本は読めている
野田知佑著『川の学校』
いまの小学校中学校とはまったく正反対のことをやる学校
年五回 とにかく遊ぶ
自分で判断し考え動く
子供たちにとっては人生を変えてしまう体験だろう
猪谷六合雄著『雪に生きた80年』
『雪に生きる』続編
人生を楽しむってこういうことだろう
やりたいと思うことをとことんやる
小屋 服 スキーの板 ジャンプ台 無いものは自分で作ってしまい
戦時中でも好きなスキーを楽しむことを忘れていない
人生=遊び
きょうのパンも最高
怖いくらいにうまくいってしまう
何かが乗り移っているようだ
パンの方は絶好調なんだけど
体調の方がよくない
きょうは一日ずっとからだがだるかった
熱ぽいので風邪だと思う
調子が良いときにドーンといきたいのだけど
このところ波に乗れない
一日か二日作って
一日休みとていう感じで
作りたくても作れない日が続いている
あすも作れないかもしれないけど
きょう焼いたパンがすこし残っているので
店は開けられると思います
良いパンなので買いに来てね
盛岡の家具屋さんで買ったベンチの座り心地がとてもよく
最近はずっと座って本を読んでいる
この時間がなんだかとてもよいんだよね
きょうは山型の食パンの生地に胡桃を入れてみた
いつも食パンに使っている粉がいまないので
ちょっと遊び
フリーフォート狂であり写真家のYO-RIさんに
http://blog.livedoor.jp/ymp1/
アレ・メッレル・バンドの新作アルバムを頂いた
アレ・メッレルまたとてつもないアルバムを作った
数回聴いただけではぜんぜん掴み切れない
きっとあと何十回と聴いたとき
このアルバムの本当のすごさがわかる気がする
彼らは別次元に行ってしまったよ
来年の来日のときは店を休んででも必ず
観に行かなければ
(アレ・メッレル・バンド映像)
http://www.youtube.com/watch?v=fLnJjOvfiw4&feature=relmfu
http://www.youtube.com/watch?v=CngJPzvbvVY&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=8JwnKgigp7Y
きょうもうっかりミスで
ライ麦酵母の培養時に
ライ麦の酵母を入れ忘れてしまった
憶えている限りでは今年3度目だ
それなので急遽小麦酵母で作るパンの種類を増やし
レーズン入りの山型の食パン(new)や
ライ麦15%とライ麦30%の長細いパンなどを店に並べた
普段は15%と30%のパンを同じ日に作ることはないので
せっかくの機会だからと食べ比べをしてみた
15%の違いでこれだけ違うんだと
今更ながら驚いた
15%の方は硬めでさっぱりした味
ワインに例えるなら運動後にゴクゴクっと飲みたい味
30%の方は上品な味で
ワインに例えるなら食事といっしょにゆっくりと楽しみたい味
どちらもいい味自分好みの味だった
今週は良いパンを連発
この夏を乗り越えて
二皮も三皮もむけたのが自分でも感じられる
状態の良い粉さえあれば
このぐらいの味なら頻繁に出せるのではないだろうか
ここからさらに上に行くには
どうすればいいか
それはいままったく見えていないけど
続けていれば必ずつかまえられると思う
二皮三皮むけるには
それだけの痛みを伴う
楽して得たも得たつもりになっているものは
それだけのものでしかない
二皮三皮分の苦しみを経ること無しには
絶対に自分の血肉とはならない
パン作りにとって
大切なのは知識なんかではなく
感覚だからだ
一週間ほとんど食べられなかったのだけど
体調が良くなってくると共に
食欲も戻ってきた
パンの方もいい感じだし
またバリバリ行くぞ~
それにしてもこの急激な気温の下がり具合はなんだろう
そりゃあ
体調も崩してしまうぜ
寒くなってきたので
風鈴はもう終わりかな
今夏は店に20個くらいのいろんな種類の風鈴を吊るし
扇風機で風を送って
チリンチリンやっていたのだけど
これが想像していた以上に良くて
毎日気持ちのいい音を響かせてくれていた
これからしばらくは虫の声があるから
それでいいかな
きょうのライ麦30%の細長いパン(プレーン)は
もう最高にうまい
噛み締めると旨みがジュワーッと滲み出てきて
口いっぱいに広がって
やがてそれが体中をめぐり
脳天を突き抜けていく
ごくごくまれに
こんなパンができてしまうときがある
でもこういう日に限ってお客さんが来ないんだな
この一週間は
体調を崩してほとんど布団の中
おかしな味がするご飯を食べたのがいけなかったようだ
そしてもっといけなかったのは
その次の日いくらか体調がよくなったのだけど
お腹がすいてまたそのご飯を食べてしまったことだ
きつい一週間だったけど
おかしい味のするものは食べてはいけないということを
改めて確認できた
夏の旅行 一日目 その1
前日に突然思いついて旅行に出かけることになった
行き先は盛岡
店に置くベンチや椅子を探しに
それが済んだら青森にも行くかどうか当日の朝まで迷った
青森に行くなら自転車を持っていくべきだろうけど
なにしろ突然の思いつきなので
準備がまったくできていない
雨具もないし自転車のチューブもない
迷いに迷ったけど
出かける一時間前に青森行きを決めた
いままでの経験で行くかどうか迷っているときは
行って間違いない
迷っているときは
行きたいという思いがこころの片隅にあるからだ
夏の旅行 1日目 その2
青森に行くことは決めたけど
今回は自転車を持っていくのを止めた
準備ができていないという理由もあるけれど
祝日の出発なので電車が混雑していそうなのと
山を歩きたいなという思いもあったからだ
家から最寄の駅まで歩いていくつもりだったのだけど
ちょうどバスがやってきた
幸先良し
夏の旅行 1日目 その3
盛岡の家具屋さんはすぐに見つかった
ここの家具を知ったのは東京に住んでいた頃だったかその後だったか
東京の表参道で偶然入ったお店にここの家具が置いてあったのだ
そしてその木の美しさに一目惚れ
その店にはちょくちょく行っていたのだけど
数年前店主のSさんが亡くなり無くなってしまった
自分より10歳くらいは年上だと思っていた店主が
自分と同じ歳だったことを知り
驚いたのと同時に時間の大切さを思った
いつかこの家具を使おうと思いながら
10数年ようやくそのときが来た
表参道のお店で買うことは叶わなかったけど
運命の家具との久しぶりのご対面
向こうもぼくを待っていてくれた
来週には店に置けると思う
盛岡の店のひとたちも温かいひとたちで
Sさんと重なった
この家具に魅せられるひとたちがそういうひとたちなのだろうか
それともこの家具といっしょにいるからそうなるのか
夏の旅行 1日目 その4
青森に移動して
新青森駅から市街地まで5Kmを歩くが
暑い青森のくせして暑い
市場で遅い昼食(ホタテとイか刺し)をとり
街中をぶらぶらしてからホテルにチェックイン
シャワーで汗を流してから青森行きでいちばん楽しみにしていた
『山の寿司』へ
祝日だから休みかもと不安に思いながら5Kmの道のりを歩いて青森の卸売り市場へ
「関係者以外立ち入り禁止」の門をくぐって店のほうを見ると明かりがついてる
3000円のおまかせを頼むと
「きょうは最後のお客さんだから最上級のおもてなしをしちゃいますよ」と
本当に最上級のおもてなしで
次から次へとお寿司が出てくる
それといっしょにしゃべりも次から次へと飛び出してくるのだけど
それもまたおもてなしだ
3000円のおまかせはお寿司8つのはずなのだけど
赤貝
エンガワ
イカ
ホタテ
真鯛
大間の霜降り
大間のカマ
ヒラメ
アワビ
こはだ
甘エビ
特級イクラ
ウニ
玉子
筋子の手巻き寿司
大間マグロの手巻き寿司などなど
いったい何個食べたのだろう
わんこそば食べているみたいだった
寿司屋でおまかせコースを頼んで
お腹いっぱいで苦しくなったのははじめてだ
しかもこんなにうまい寿司を食べたのは
まちがいなくこのお店がはじめてだ
青森だからどこで食べてもうまいというわけではない
これでビール2杯を飲んで4200円
さすがにそれでは悪いのでお釣りは置いてきた
大満足もうこのまま栃木に帰ってもいいやと思った
お寿司が食べたくなったらまた来よう
行く前はお寿司を食べたら居酒屋にいこうとも考えていたのだけど
(帰りに走っているうちにお腹にすこし余裕が出てきた)
もうこころが満足してしまっているので
これ以上食べてもなんの喜びもないだろうからやめた
青森に行ったなら
奥入瀬に行かなくとも
白神山地に行かなくとも
この寿司屋だけには行くべきだ
夏の旅2日目
朝は市場に行ってうにわさび漬け 子持ちヤリイカ ホヤの塩辛を白いご飯で食べる
ウ~酒が飲みたい
その後バスで蔦温泉へ行き周辺の沼めぐり
いちばん行きたかったのは赤沼
水深があたなら透明度は湖沼のなかでは日本一ではないかといわれているところ
(深さ18メートル透明度18メートル)
道に迷い迷い
ヤブをかき分けかき分けやってきたので
赤沼との初のご対面は達成感と感動があった
このすばらしい景色の中に人間がだれひとりいない
このすばらしい景色を独り占めだ
朝市場で買ったウニでうに丼をつくり
この風景を楽しみながら
(お箸がなかったので)手づかみで食べた
なんだか鞄に酒も入っていたので酒も飲んだ
帰りは来た道を引き返す自信がなかったので
蔦トンネルの手前に抜ける道を選んだ
大満足
もう一泊して奥入瀬渓流も歩いてこようかと考えてもいたのだけど
もうこれ以上こころの器にはなにも入りそうもないので
これで今回の旅を終わりにすることにした
谷地温泉まで走って温泉で疲れと汗を流したら
ちょうどバスの時間
あと10分遅れていたら次のバスは2時間後
最終の新幹線にも間に合わなかっただろう
那須塩原から家までのバスもぼくを待っていてくれた
今回の旅は順調すぎるほど順調だった
そしてこんなことは初めてで天気の崩れがまったくなかった
今年の夏は
とても
きつかったけど
よくここまで持ち直してこれたと思う
またここから
ひとつ
ひとつ
はじめればいい
自分のできなさ
苦しみ
悲しみ
大変さ
忘れないようにしようと思う
こころ広く
世の中が見られるように
きょうもきのうに続き
全体的に良いパンができた
光りが見えたところで
夏休み
粉の仕入れをすこしでも遅らせようという思いもあるのだけど
きのうの押しライ麦の食パンは
手ごたえありだったので
今朝食べてみたら
ちょっと強かった酸味も
まろやかに成り
良い感じ
粉がこのまま良い状態になってくれればいいな
早くパンが焼けたので
園芸店に行ってきた
前回行ったときに目をつけておいた
ニシキギを購入
かなりのお気に入り
何枚かの葉っぱがすでに赤くなっているんだけど
すばらしい赤色をしている
どこに植えようかな
きょうのライ麦40%のパンの姿かたちは
生涯ベスト3に入るすばらしい出来
荒々しさがたまらない
味の方もかなり良いはずだ
平焼きのモチモチ度も最高
すこし涼しくなってきて小麦粉の方も良い状態になってきた
新しく届いた袋を開け使ってみたところ
捏ね始めてからのまとまりの速さに驚いた
粉の状態が良いときの感覚なんて忘れていたよ
今年は悪い状態が長かったし
状態も特にひどかった
捏ね始まってすぐにグルテンが破壊されていくのだから
手に負えない
届いてすぐの粉の状態が悪いのだから
どうすることも出来ない
できるのは
クソッタレッとちゃぶ台ひっくり返すくらいだ
今夏もお客さんをかなり減らしただろう
来夏は焼き菓子屋さんにでもなろうかな
今夏は自身を無くしそうだった
粉の状態なんて関係なくて
自分の力不足だけのことじゃないか
いつまで経っても良いパンなんて作ることが出来ないんじゃないか
でも粉の状態が良くなってくるにつけて
光りが見えてきた
まっすぐ前を見られるようになってきた
「良い状態の粉さえあれば
いまのオレに怖いもんなし
このパンを食べなかったら後悔するぜ」
そんなことが明日も言えるといいけれど
最近ゴスペルにどっぷり浸かっているお客さんに
(アフリカ産まれアフリカ育ちの女子大生のお父さん)
ゴスペルのレクチャーを受けている
自分がイメージしていた世界とはだいぶ違っていて
かなり面白そうな世界
映像を観てもらうとわかると思うけど
垣根がないあらゆることの垣根がない
ひととひととの壁は全部取り払われ
そしてあらゆるものから
自分を解放している
http://www.youtube.com/watch?v=b8KnbjeCJJk
(最前列正面で帽子をかぶって歌っているのがお父さん
赤髪の女性が娘)
http://www.youtube.com/watch?v=TQn0MAUYGNk (いわき市で行われたゴスペルフェスティバル)
(前列右から6番目のオレンジの服のメガネの方がお父さん)
「好きなことやって勝手に生きている」とお父さん
それで良いのだと思う
親が勝手に生きていれば
子供は自分で自分の道を見つけ出すものだし
親が楽しんで生きていれば
子供も自分だってと楽しいことを見つけて生きる
親が子供に合わせて生きていれば
子供は親の機嫌取り自分を押し殺して
親の喜ぶであろう道を歩くようになってしまうんじゃないか
ゴスペル
興味ある方はアジア学園にて毎週火曜日夜練習をしているそうです
『自分を殺してしまうことがいちばんの罪だ』ーイエス・キリスト
それをやれているということがどれだけ恵まれているか
それをやれていることの喜び
ずっとやっていると
いつの間にか
忘れているけど
そのことを思い出せれば
うまくいっていないときでも
また上を向いて歩ける
苦しいときでも
楽しむことを
忘れてはいけない
きょうは新しいパンにチャレンジしてみた
粉の状態が悪くて良いパンが作れないなら
いましっかり作れるパンを作ればいい
新しいパン
いけるかな?
きょうは全体的に良いパンに仕上がったと思う
そろそろ夏休みに入るので
なんとか光りを見つけて
休日を楽しみたい
今朝は素敵な夢を見ていたのに
途中で目が覚めてしまった
素敵な夢を見ているときに
目が覚めないようにする方法はないのだろうか
オクラがあったので
卵といっしょに炒めて
パンにのせて食べた
卵はライ麦のパンとの相性が良いので
他に食材があまりなくても
あってくれると大助かりだ
パンは良くなってきている
良し良し
きょうもトレーニングが午前中で終わったので
午後は本を読んで過ごすことにした
休日の一日
本だけでは物足りないので
近くの酒屋に酒を買い行き
秋田の『天の戸』の生酒があったので購入
これが大当たりで
思わず飲むペースが速まってしまい
数ページ読んだだけで
眠りの世界へと入ってしまい
そのまま一日が終わってしまった
きょうはトレーニングが午前中で終わったので
塩原の温泉街をサイクリング
思っていたほど時間もかからず塩原まで行くことができ
大変かなと思っていた上り坂もたいしたことはなかった
1500メートルのトンネルだけが恐怖だったけど
(車の出す音が新幹線が通り過ぎるとき並の音をなり響かせる)
途中途中に散歩ができる森林もあり
もちろん温泉もあるので一日を十分楽しめる場所だった
未熟さや経験不足からの不透明さが
技術的なことでカバーできるんじゃないかという希望を持たさせてくれていたけど
今年になってようやく粉の状態が悪いときはどんなにがんばっても
良いパンができないということを理解することができた
もうすこし硬い生地なら何とかなるかもしれないけど
自分のパンのように水分が多いと
生地が耐えられないようだ
パン生地や酵母はどんな状況のときでも
素直に自分の動きたいように動く
だから人間の勝手な都合を押し付けることはできない
素直に動くことがわかっていても
その動きをとらえられないのは
作り手であるぼくのこころがねじれているからだろう
きょう焼いたパンは
この夏学習したことを
活かすことができたと思う
まだまだ
伸び代は
無限大
人間はそれほど強くはないけど
それほど弱くはない
やるときはやるけど
逃げるときは逃げる
それでいいんだと思う
やれるときは
びしっとやって
ちょっと嫌だなと思うときは
一度逃げて
またはじめればいいんだ
苦しみや悲しみの中にいるときでも喜びはあり
喜びの中にいるときでも苦しみや悲しさはある
だからぼくは歩く
苦しくても
悲しくても
楽しくても
足を引きづりながらでも
這いつくばりながらでも
ぼくは歩く
休み休みでもいいんだ
自分のこころが導くままに
進んでいるなら
この苦しみが
この悲しみが
この楽しさが
ぼくが生きている証であり
ぼくの生きている喜びなんだ
もともと
この世には
なーんにもないんだ
やらなきゃならないものも
生まれてきた意味も
あるのは
ただ
自分だけ
だから何かを手放したとしても
何かを失ったとしても
きっと大丈夫
重荷を取り払ったって
縛り付けていた鎖を引きちぎったって
きっと大丈夫
背負い込んでしまった多くのものから
自分を解放してやれば
そこには
こころが残るのかな
きょうは良い夢をみた
いつもより30分起きるのが遅れた
16:30
パンは間に合った
得した気分
学校に行って勉強する
それは人間の勝手
仕事をして収入を得る
それは人間の勝手
自分の土地を作って家を建てる
それは人間の勝手
ピカソの絵が好き
それは人間の勝手
だからその逆の勝手だってある
学校に行かない勝手
仕事に行かない勝手
自分の土地を作らない勝手
ピカソの絵が嫌いな勝手
何が偉くて
何が偉くないのか
なにが良くて
何が悪いのか
それを判断するのも
人間の勝手
この世には
なーんにもないんだ
やらなきゃならないものも
生まれてきた意味も
あるのは
ただ
自分だけ
パンが良くなっていく
予感と言うか
確信と言うか
まだ自分はわかっていないなというところが見つかって
ひかりと元気が湧いてきた
心身ともの絶好調
このまま
突き抜けるぜ~
庭の植物がどんどん増えていっている
2、3年後植物が成長したとき
どんな庭になっているだろう
新たに植えた木は
ヤブ椿 白い椿 ナツメの木 唐カエデ メグスリノキ 大山レンゲなどなど
パンを捏ねた前日に
残った酵母に粉と水を加え捏ねてやるのだけど
きのうもそうしたはずなのに
粉と水だけが混ぜられていて
酵母が混じっていなかった
先週はじめもまったく同じ現象が起こって
パンが焼けなかったのだけど
夏はこんな不思議な現象がよく起こる
今朝は歯ブラシに歯磨き粉をのせたはずなのに
シェービングジェルがのっていた
先日はスーパーのレジで500円玉を出したはずなのに
受け皿には1円玉がひとつ置いてあった
きょうも大きめのパン
ライ麦40% 60% 80%のパンが
良かった
久しぶりにうまいパンを食べた気がする
これからもこんなパンが毎日焼ければいいのだけど
パン作りはそんなに簡単なものではない
特に水分の多いパンはいまの自分の力では
運と感に力を借りなければならない
でも運と感と自分の力がうまく絡まってくれたときは
この世のものとは思えないようなデリシャスでデンジャラスなパンになる
1917(山型の食パン)は粉の状態がよくなく
どうにもならないので
その代わり別のパンを作ってみた
ライ麦15%のちびっこいパン
プレーン
レーズンと胡桃
ひまわり
胡桃の4種類
作り始めてから3日間はなかなかうまく作れていて
チーズと食べたら最高にうまかった
ひさしぶりにライ麦80%のパンが勢い良く醗酵してくれた
7月に入る頃からおかしくなりだして
どんなに試行錯誤しても
どうにもならなくて
ほかのライ麦40%
ライ麦60%のパンも
試行錯誤で
すこしは改善するのだけど
納得いくものができなくて
あと何をすればいいのか
思いつかなくて
きょうは作るのをやめようかと
こころが揺れていたけど
作ってよかった
きょうは2種類の粉が同時に切れて
新しく届いた袋の粉に取り替えたんだ
粉が変わっただけでこれだけ変わるのは
この2ヶ月悩み続けたのはなんだったんだとちょっと悔しいけど
(状態の悪い粉はこの粉だろうと思っていた粉じゃなくて
状態が悪かったのは別の粉だった
届いてからそれほど時間が経っていない粉だったので
ここに来た時点で粉の状態はおかしかったことになる
こうなるとどうすることもできない
来夏は考えよう)
80%のパンだけじゃなく40%60%のパンもだいぶ良くなった
まだ一日だけだから偶然うまくいっただけかもしれないけど
光りは見えてきた
明日から張り切っていくぞ~と
行きたいところだけど
きょうはパンがいっぱい残って
明日はパンが作れない
もうすこし涼しくなってからかな
いや来年の夏からかな
それまでちょっとのんびりと
それにしても今年の夏はきつかった
小麦の方は毎夏悪くなるのだけど
ライ麦の状態がこれほど悪くなるのははじめてだった
こんなこともあるということを
頭に入れておかなければならない
ひとがどんな風に生きていようとも
自分を蔑む必要はないし
焦る必要もない
自分は自分のこころを生き
ひとはそのひとのこころを生きる
生きていれば
動けなくなることもあるし
落ち込むこともあるし
逃げ出してしまうことだってあるだろう
それは悪いことでもないし
恥ずべきものではない
それでいいんだ
自分のこころを無視することなく
いまの自分を否定することなく
こころのなかに受け入れてやって
自分のこころに正直に生きているなら
どんなときだって
堂々と胸を張っていればいいんだ
もともと人間には生まれてきた意味や使命なんてないんだし
他の動物といっしょで
生まれそして死んでいく
ただそれだけだ
自分を縛り付けることなんてしなくていい
もっと楽に生きればいいんだ
うまくいかないこともあるけど
それがどうした
自分の思いを正直に生きているなら
どんなときだって
堂々と胸を張っていればいいんだ
どんなときでも
空を見上げればぼくを見てくれているひとがいる
どんなときでも
空を見上げればぼくの話を黙って聴いてくれるひとがいる
さびしいときは
空を見上げて
苦しいときは
空を見上げて
うれしいときは
空を見上げて
右足
左足
大地を踏みしめ
今日という日を歩いていこう
ひとりでいると
寂しくなってくるけど
ひとりじゃなくなると
ひとりになりたくなる
人間のこころは単純じゃない
過ちを責めたとしても
ひとは誰でも
同じような過ちを犯しているもの
だからひとは
許しあうことでしか生きていけない
でもね
許そうとこころに決めたとしても
ときどき悔しさや怒りが
沸々と湧き出してきてしまうんだ
ひとは誰でも孤独を感じながら生きている
自分の思いを突き進もうというときは
尚更だ
だから大丈夫
また明日という一日に向かって足を踏み出そう
孤独と喜びは対であって
ひとは喜びと寂しさの中を生きている
喜んだり
寂しくなったりの連続だ
だから
ひとはときに喜びを持ってきて
ときに寂しさを持ってくる
のかな
欲がなくなった瞬間
満足は生まれ
欲が出た瞬間
満足は消える
満足を持続させるのは難しい
どんなに満たされても
ほとんどの場合ほんの一瞬で消えていってしまう
欲を捨てればいいのじゃないかというけれど
欲があってこそ満足も得られるのじゃないだろうか
欲張りすぎはよくないけど
ほんのちょっとの欲はあっていいのではないか
大切なことは自分に必要なものか必要ないものかを判断する力
自分に残された時間はそう長くはないので
いまぼくにある大切なものを
目一杯生きられればそれでいい
何かを手放さなければ
何かは得られない
世界を広げるよりも
いまぼくにとって大切なものを深く深く探って行きたい
子供に合わせすぎる親が多いこと
食べ物だって子供に合わせて
子供の嫌いなものは買わない
親はある程度勝手に生きていけばいいのではないか
子供は親を見て育つ
広い世界を見て育つ
世界を狭めてしまったら
子供は
かわいそうだ
ものごとに意味なんてない
それなのに必死になって意味をつけようとがんばるのは
それが生きていくための支えや原動力になってくれるからだろう
はじめから意味なんてないんだ
自分の思ったように
自分のやりたいように
生きればいいんだ
でもその結果
自分に降りかかってくるすべてのものは
自分で払い落としながら生きていかなければならない
ひとの中に入っていけないひともいる
そのひとには手を差し伸ばしてやる
そんなことが自然にできるような人間を
学校では育てていかなければならないんじゃないのだろうか
義務教育なんてものをやっているのなら
「ひとりじゃない」
「思いやり」
「絆」
ことばは虚しく響いて消えていく
不特定多数のひとにことばを届けたいなら
物語だろう
浜田真理子の歌を聴いてそう思った
まったく正反対のことをやっているように見えるふたりの音楽
それでもお互いが惹かれあうのは同じ何かを感じるからか
たのしいコンサートだった
浜田真理子 新曲は死んだウサギが飼い主に語りかけている歌 かな?
http://www.youtube.com/watch?v=qrNohpjW2e4
http://www.youtube.com/watch?v=pJFs714RcxE&feature=related
大友良英 こんどじっくり体感したい
http://www.youtube.com/watch?v=cG8N2deKM8Y&feature=related
いじめをしたひとを
ボロクソ言って
排除して
いじめているマスコミや世間
小麦の酵母やっぱり弱っていた
日曜日の夕方ににいじってやったはずなのに
次の日にみたらいじっていなかった
最近こんな不思議なことばかり起こる
扇風機の電源を切ったはずなのに
朝起きるとまだ動いていたり
カマから取り出したはずのパンが
カマの中で真っ黒焦げになっていたり
京都の下加茂神社を特集している番組を観ていたら
何日か前の夢で見た風景がそっくりそのまま映し出されている
調べてみると末社の一言社だった
下鴨神社には一度行ったことがあるのだけど
早朝のランニング中にちょっと立ち寄っただけなので
見てはいないはずなんだけど
福島は東北といっても
秋田や青森とは違っていて
栃木とあまり変わらなく
親近感
ホッとできる
自転車で郡山へ向かう
4号線を進む予定だったけど
出だしの20分で迷ってしまい
そのおかげで空気の悪い4号線を通らずに
木々のトンネルをくぐりながら
白河まで行くことができた
でもよかったのはそこまでで
そこからは散々だった
郡山まで残り18KMのところでパンク
予備のチューブを持っていったので
取り替えようと思ったら古いチューブで劣化していたのか
穴ぼこだらけ
仕方ないのでパッチで修理しようと思ったら
ゴムのりが空っぽ
暑い中2KM先のホームセンターまで後輪を持ち上げながら
歩く破目に
この時点で精神的にかなり疲れていたのだけど
ようやく修理してホッとしてこいでいるとまたもパンク
早く到着したら駅前のスペースパークに行くのを楽しみにしていたのだけど
この時点で諦めた
タイヤを見るとさっき見過ごしたのか
それともいま刺さったものか
ぶっとい釘が根元まで突き刺さっている
4号線歩道に座り込んで修理
そして今度こそという気持ちこうでいると
また空気が抜けてくる
さすがにもう直す気力もないので
残り5KMを自転車を押しながら走った
(家に帰ってからタイヤを調べると内側に突起物)
コンサートが終わったらその日のうちに
自転車で帰ることも考えていたのだけど
駅近くのホテルにチェックイン
白河までは15:00には到着する予定だったのだけど
3時間余計にかかってしまった
シャワーを浴びてコンサート会場に向かうけど
それからも不運は続き
会場が見つからなく草履で一時間駆け回り
指は血だらけ
コンサートが終わってホテルに戻って寝ようとしたら
疲れ果てているのに陽を浴び続けた背中はほとんど焼けど状態で
痛くて眠れない
ホテルから駅まで
バス停から家まで重い自転車を担ぎながら炎天下の中歩き
ようやく帰還
酵母がダメになっていなければいいけど
封を切りたてのライ麦で作ってみたら
だいぶましなパンになった
ひとつのパンに何種類ものパンを使っているので
まだまだの部分もあるのだけど
つながりにくくなっていた小麦の方も封を切ったばかりのものを使ってみたら
ほんのすこしつながりが良くなった
今年は暑くなる前に粉をたくさん仕入れてしまったので
暑くなってからもそれらの粉を使い切れず
粉の状態は相当悪かったけど
その分パンとも相当向き合ったので
パン屋を始めてからの成長度は今夏がいちばんだろう
でもね
わかったことも多かったけど
深い深い暗闇も見えてしまった
秋田の大学に行っている女学生が
夏休みになって帰郷したのでと
パンを買いに来てくれた
なんと彼女は秋田から自転車で帰ってきたとのこと
橋の下などに泊まりながら
1日100KMくらい自転車をこいで
4泊で到着
途中危ないひとに出会っても
危ないひとが敬遠してくれるように
髪をまっかっかに染めていた
彼女は生まれたときから10数年アフリカに住んでいたのだけど
人間の性格やからだから湧き出してくるエネルギーは
遺伝なんかよりも育った環境に影響されるのかもしれない
冬はカンジキを履いて山を歩き回っているそうだし
卒業するまでに猟も学びたいとも言っている
ようやく頼んでおいた細引きのライ麦が届いた
これで変わってくれればいいのだけど
これでダメなら
今夏はお手上げかな
粉の状態の悪い場合は
技術では補えない部分も出でてくる
来年の夏はどうしようかな
そろそろ店を休みにして
旅にでも行きたいなという思いはあるのだけど
この時期は粉をどんどん使ってやらないと
劣化していくばかりなので
なかなか休めない
矢板のシャープで働くOさんが来ると
昔の癖で反射的に酒を出してしまう
Oさんは結婚して宇都宮に越してからは
車で来るようになったので
出す必要はなくなったのだが
出さなければ出さないで
機嫌が悪いのは昔と変わらない
きょうは寄ってくる蚊たちに
「蚊の野郎め~」とわめきながら
叩き潰して八つ当たりしていた
矢板工場縮小とのことで
Oさんはまた移動かな
なぜかこの店にはシャープで働くお客さんが多い
シャープは引越し貧乏なんじゃないかと思う
従業員を移動させたと思ったらまたすぐ戻して
そんなことばっかりやっていて
引越しの費用だって莫大なものだろう
引越しだけじゃなくて
そういう体質だから
これから金が入ってくる見込みなんてないのに
金はどんどん減っていく
大きくなればなるほど組織は盲目になってくる
大きくなればなるほど組織はひとりひとりの意思が働かなくなり
化け物となり独り歩きを始める
ひとの力でコントロール不可能になった化け物は
餌を食べながら巨大化していき
餌がなくなれば餌を求めて別の場所に移動していく
大きくなればなるほど餌の量は増えてくるのだけど
餌のありかはだんだんと減っていって
餌にはなかなかありつけなくなってくる
それでももう止まることはできない
大きくなったからだは多くの餌を求めている
わずかしか残っていない餌を求めて
歩き続けなければならない
今年はだいぶ神経を使ってパンを作るようになったので
一日の終わりにはかなり疲れている
(神経使っている割には
うまく作れないことが多いけど
神経使っていなかったら
もっとうまくいかない)
お盆期間中は
休まずやろうかなと考えていたのだけど
こころとからだが追いついていかない
1917(山型の食パン)は3日連続でまあまあパンらしくなった
夏に1917をどう作ればいいのかがすこしわかってきた気がする
といっても「最高」と言える1917は作れないと思うけど・・・
ちゃんとできれば「うまい」と言えるくらいにはなりそうだ
でもそれより何より夏は粉を劣化させないように気をつけること
今年はパン作りに苦戦している
といっても去年まではちゃんとできていないことがわからなかっただけかもしれないけど
でもしっかりと向き合っているから
それなりのものはつかめている
器用じゃないので時間はかかるけど
良い方には向かっている
いまは根っこを張っていくしかないんだ
いまだけじゃなく
これからもずっと
ずっと
きょうは久しぶりに1917(山型の食パン)を店に並べることができた
最高の出来とはさすがに言えないけれど
この粉でよくここまでのものが出来たと思う
といっても何がどうなってうまくできたのかわからないので
明日もうまくできるかは?だけど
出来なかったら
また挑戦すればいい
何度でも
何度でも
何かやろうという思いがあるなら
まずはなにより
動くことだ
お金が貯まったらとか
状況が良くなったらとか
時間ができたらなんて言っていたら
結局何もやれずに
人生は終わってしまうんだ
言葉にするのでもいい
世の中を見て回るのでもいい
一歩を踏み出すことだ
動き出せば
風が起こり
周囲を動かす
風は運だって運んでくる
何もなくたって
動き出せば
それが始まりだ
自分にはできないんじゃないか
無理なんではないかと思うなら
そのことについてのイメージを全部
頭の中から消し去って
どうすればできるようになるかを考えてみれば
きっと良いアイデアは浮かんでくる
やってみなきゃわからないことだっていっぱいある
何かやるには失敗は付き物だ
失敗なきところに成長なし
失敗を活かせればそれはとても大きな力となって
自分に返ってくるんだ
転んだら立ち上がって
また歩き出せばいいこと
堂々と歩いて
おもいきり転んでしりもちつけばいいんだ
きょうは暑いしからだも重いので
ゆっくり走ろうと思っていたのだけど
いつもロングダッシュをしている付近に来たとき
「久しぶりにやってみるかな」という気分になってきたので
1年ぶりくらいの2000メートダッシュ
ヨレヨレになりながらもなんとか走りきる
本気で体力を戻そうと思ったら
これくらいのダッシュを昔のようにバンバンやらないと無理だろう
いつの間にか練習量が落ちていてそれが普通になっていた
やっぱり粉の状態が良くない
40度を超えしかも高湿度の場所に数日置いておけば
悪くならない方がおかしいか
でも状態の悪さをどう補うかを
一生懸命考えて毎日パンを作ることは
たとえ売り物にならないパンばかりができたとしても
自分にとって
大きな力
大きな財産になる
うまくいっていないことが
わかるようになってきたことが成長の証
パンはどんなに外見が美しくできても
美味しくなくてはいけない
美味しくなくても
外見が美しくできることはあるから
外見だけではパンの良し悪しは判断できない
どうなったら良くないのか
どういうときが良くないのか
経験が教えてくれた
それでもまだまだ
わからないことだらけだから
これからも生地にまみれて
捏ね続けなければならない
東京の自転車野朗T夫妻はすこしはやめの夏休みで
一週間の旅
貧乏性なのか欲張りなのか
おそらく
せっかく青春18切符を使うのだから
いっぱい乗っていないともったいないという貧乏性的思いと
あそこにもあそこにもあそこにも行きたいという欲張った思いの両方の思いからだろう
一週間で大阪 香川 島根 広島 福岡などなどをまわるという
かなりぎゅうぎゅうのスケジュールでの電車と自転車を使った旅
もちろん目的は食べもの屋さんめぐり
朝飯のうどんを食べるだけのために香川に行くと言っているから
今回はかなり気合が入っているようだ
「旅にもコーヒーの道具持っていくのですか」と聞いたら
「持っていく なにかあったらまずいんで」と言っていた
はじめ何かあったときになぜコーヒーなんだと頭に?が浮かんだけど
おいしいコーヒーが飲めない事態が起きたときのことをいっているようだ
夫婦で相当コーヒーにのめり込んでいるようで
近頃はまずいコーヒーを出すお店に入ると
「これが美味しいコーヒーというものだよ」と店のひとにコーヒーを入れてやっているらしい
これだけ遠慮なしで生きられるようになったら人生楽しいんだろうな
でもきっと昔まだ貨幣が登場する前
売るひととお金を払うひととの垣根なんてない時代は
ひととの関係に遠慮というものがいまほどなくて
お互いが素直な思いと思い出ぶつかっていたのだろうな
思いやりというものもきっといまよりいっぱい感じられたのではないだろうか
T夫妻きっといま頃そば屋の座敷で
朝のコーヒーを飲んでいるころかな
ライ麦40%のナッツ入りの平焼きパンを久しぶりに食べたら
あまりのうまさにびっくり
ひとりで一枚平らげてしまった
徐々に調子が上がってきたかな
あとふたつどうしてもつかめないことがある
これさえつかめれば
来夏はいっぱい休めるのに
あまり機械に頼らないで
パンを作っているのは
パンのことをもっと知りたいからということもあるのだけど
それより何よりその方が断然おもしろいから
機械に頼っているときは
なぜだかわからないけど
たまたまうまくいっているということがけっこう多くて
その部分のことは理解する機会がなかなか得られないから
たまたまうまくいっていることなのに
わかっているつもりになっていて
ルンルルンルン♪という感じ
うまくいっているときというのは
ものごとがよく見えないときでもある
機械に頼らないで
パンを作ろうと思うと
自分の感覚と運や勘を頼りに作ることになるので
とても難しい
難しいからうまくいかないことも多い
うまくいかない部分については
考えたり試してみたりするから
その分わかることも多い
なんでもそうだと思うけど
うまくいかないことがないと
わかる機会が訪れないんだ
酵母の調子を狂わせてしまうと
立て直すのに2.、3日かかってしまうことがあるから厄介だ
毎日毎日一日という限られた時間の中で
酵母の調子を最高潮にまでもっていかなければならない
パン作りではいちばん大切な作業であるけど
いちばん難しい作業でもある
できないなら
できないを通り越さなければ
できるようにはならない
いつかじゃなくて
いまやればいい
どこかでじゃなくて
ここでやればいい
久しぶりに都会に出た
駅を歩いていると
人々が海の中のマグロのように
「止まったら死んじゃうんだかんね」っていう感じで
勢いよく歩いている
ぼくはそこを横切って向こうの階段まで行きたいんだけど
なかなか横切れない
『思いやり』とか『絆』とかいう言葉があっちこっちで聞こえてくるのだけど
「こまったなあ」と立ち止まってきょりょきょろしていても
だれひとり止まって「どうぞ」と声をかけてくれるひとはいない
『思いやり』『絆』
いったいどの口が言っているのだろう
ずっとこの場所に住んでいると慣れてしまってというか
麻痺してしまってというか
なんとも思わなくなってしまうのだろうけど
たまに行ってこういう場面に遭遇すると
とんでもなく異様な光景にみえる
集団になるとひとはひとでなくなり
ひとをひととも思えなくなるところがあるのかもしれない
言葉も氾濫しだすとその言葉の持つ力を失い
別のものに変わってしまうときがある
どちらも催眠術をかけるには好都合だけど
ぜんぜんつながりがないひとのことを誇りに思うより
自分が自分自身を誇りに思えるような生き方をした方が
絶対思うのだけど
突然
日本人になったり
栃木県民になったり
活躍したひとと同じ国民だろうと
県民だろうと
だからどうしただ
ライ麦80%のパンの調子がおかしくなり2週間くらい
店に並べられなかったのだけど
きょうはパンらしいパンが焼けた
酵母つくりに問題があったよう
少しずつ問題をクリアしながら
夏に対応できるようになってきた
あとは山型の食パンか
今年初製氷機の電源を入れた
できるだけ機械に頼らないパン作りをしようと思いがあるので
今年は使うつもりがなかったのだけど
酵母を使う段階で酵母がだれてしまってどろどろになっているので
冷たい水で捏ねなければダメかなと思ったのだ
でも製氷機を洗いながら使わなくて済みそうな方法を思いついた
酵母はいつも朝使えるように夜寝る前にいじっている(酵母に粉と水を加え捏ね醗酵熟成させる) のだけど
朝だれてしまった酵母を朝起きたらすぐもう一度いじってやって
2時間後くらいに使えるようにしてやれば何とかなるかもしれない
試してみる価値はある
機械に頼らないでやった方が
絶対パンのことをわかることができる
それはミキサーも冷蔵庫もドゥコンも使わずにやってきて
実証済み
突破口がなかなか見えてこなくて
悶々としていたけど
光が見えてくると人間
力がわいてくる
いまは見えなくたって
光りを見たいという思いがあれば
そんなに遠くないいつか必ず見ることができる
というより無理やり見ちゃえばいいんだ
今年は音楽を聴きに行くことはないかなと思っていたのだけど
近くにに浜田真理子が来るそうなので行ってみることにした
お盆休み明けだしそのまま旅行に出てもいいかな
大友良英×浜田真理子 ギターとピアノ
8月20日 18:30開場 19:30開演
ヤマハコンサートサロン(ヤマハミュージック東北 郡山店内)
http://www.youtube.com/watch?v=cBpq58W7_1s (映像)
郡山は距離的には近いのだけど
最終電車がかなり早い時間に出てしまうので
日帰りは無理そう
東北は近くて遠いのだ
_
半田沼のお菓子屋さんは先週から始まったそうだ
営業は週一日
週3日しか営業しない黒磯のカレー屋さんといい
このお菓子屋さんといい
この辺りの人たちはみんな正真正銘のなまけものだ
なんだか「なまけもの」なんてドーンと看板出しているのがはずかしくなってきた
『ぎんのふえ』
住所 栃木県大田原市羽田581
営業時間11:00~16:00
営業日 土曜日 (第5土曜は休み)
ひとの顔って突然変わるときがある
妊娠した女性がの顔がきゅうに輝くように
きょうのぎんのふえのオーナーの顔は眩しかった
いままで積み上げてきたものを
すべて失ったとしても
ぼくにはいまがある
良い結果が出なかったとしても
ぼくにはいまがある
試作をしたいと思ったときに
すぐに試作に取り掛かればいいのだけどだけど
酵母が使えるようになるまでには丸一日かかるし
今度の休みの日には試作をするぞと思うのだけど
いざ 休みの日になってみると
その気力がないし
この暑い中休みの日まで窯の電源をONにしたくない
セロリとシンクウサイとニンニクとたまねぎの炊き込みご飯
考え抜いて選んだ材料じゃなくて
たまたまあったものを全部ぶち込んだだけなんだけど
けっこう良い味が出た
試したいことがあったので
やってみたら
どれもうまくいかなかった
店に並べるパンがないのは困ったけど
収穫はあったので試してみてよかった
暑い時期にしか試せないことなので
いまがんばって
なんとか今夏までに何かがつかめたら
暑くなってきて
また問題点が出てきた
まだまだパンのこと全然わかっていないけど
ひとつひとつ問題を解決しながら行くしかない
どこまでいっても
終わりのない道だけど
怖くても進んでいけば
そこにいまがある
いまが感じられるなら
きっとひとは生きていける
パンの世界のことだけじゃなくて
いまを感じたいから
ひとびとは這いつくばりながらも
懸命に生きている
どこまでいっても終わりもなく
どこまでいっても答えのない道だととわかっていても
わずかばかりでも何かを見つけつかみとりたくて
前に進んでいく
傷つくことも
苦しいことも
疲れることもあるけど
それでも歩いていく
生きるっていうことは
そういうことなのだろう
絶対勝たなければ成功しなければ
負けたくない失敗したくないという思いが強すぎると
自分の場合はどうしても守りに入ってしまう
そうなると何かやっていても面白さがなくなってしまうし
余計なところに力が入って思うように動けなくなる
それに広がりもなくなってしまうので自分を伸ばすこともできなくなる
人間攻めていっているときがいちばん面白いし
成長もできるときだ
でも失敗が許されない社会になってしまったこの国では
多くのひとが
失敗すればつま弾きにされるからと
失敗を恐れて
息苦しくて
生き苦しい
ビクビクビクビク生きている
でも実は負けたって
失敗したって
人間立派に生きていけるんだ
負けや失敗は人生の肥やしのようなものだ
負けたって失敗したって
立ち上がってまた歩き出せばよいことだ
そのたびに大きく広く育っていける
敷かれたレールの上を進んでいけばその先に成功があり幸福があるのか
そんなことが嘘っぱちだということはいまこの行き詰まった国を見ればわかるだろう
もうレールから逸れて生きていってもいいんじゃないのか
国や学校や企業も社会も
いままでやってきたことを否定することになったとしても
もう変わっていかなければならないんじゃないか
自分の行きたい道を
自分の足で
転んだり
這いつくばりながらも
自由気ままに歩いていこうぜ
つま弾きにされたっていいじゃないか
幸福や成功の判断基準なんて
他人の評価なんかじゃなくて
自分が満足できているかどうかなんだし
人生の喜びなんて先にあるものなんかじゃなくて
いまここにあるものなんだ
夏がやってきてしまった
すっかり忘れていたあのつらさが徐々に蘇ってきた
夜になっても作業場に
熱がよどんでいるし
自分の部屋も
モワッとして空気がぜんぜん動いていない
今夜は眠れるのかな
いままでつかめなかった部分がだいぶ解明されてきた
あとひとつ大きなわからない部分がある
その部分はどうしても解きたい
パン屋をやっている身としては
出来るだけ早く解きたいところだけど
でもたとえパン屋がダメになったとしても
一生かけてでもつかむつもりだ
本当に自分が望むものならば
周囲や状況がどうであろうと
納得いくまでとことんやればいいんだ
ダメなものは排除されていく世の中だけど
そんなことに負けてはいけない
成功することがすべてではないんだ
いかに自分の中に芽生えた情熱を
大切にして生きられているかどうか
こうじゃなくてはならないなんてことはない
世の中に渦巻いている空気や価値観なんて
グチャングチャンに踏み潰してやればいい
できなくたって
生きればいいんだ
情熱燃やして生きればいいんだ
自分をおもいきり生きていれば
どんな状況に落ちいようとも
こころはいつだってハッピーでいられる
トレ」ーニングを終えてから
また園芸屋さんへ行ってきた
カラタネオガタマ(バナナの香りがする木) 500円
夏ハゼ 1000円
枝垂れエンジュ 1800円→1000円
を購入
(もともと安く売っているのにいつも上の方が枯れてしまったからとか
もう花が終わりだからと言って更に安くしてくれるんだけど
以前そういわれて植えた花が3ヶ月たったいまでも元気いっぱい咲いている)
だいぶくつろげる庭になってきたかな?
少なくとも戦闘的な気分になってしまうような庭ではないと思うので
休日の夕暮れ時
ナラの木の丸太にでも座って
ホッと一息二息していってください
基礎体力がガクッと落ちてしまった
なにをやってもすぐに疲れてしまう
ジムに行っても動けそうにないので
しばらくは自主練で土台をしっかり作ろうと思う
昔のように戻すだけじゃなくてそこに+αと欲ばってみる
今年は初めて梅に実がなったので
梅酒を作ってみた
材料がなかったので
飲みかけの芋焼酎と蜂蜜を使ったのだけど
飲んでみたら期待していた以上に
おいしいものになっていた
来年はもっと実が取れそうなので
他にもいろいろ作ってみたい
今年は柿も実りはじめたので秋がたのしみだ
最近頂き物が多く
きょうも宇都宮のKさんが
自ら育てた野菜で作った煮びたしなどをもってきてくれた
(さすがに酒飲みだけのことはあってみんな酒との相性が良かった)
「ビールをチビリチビリやりながら
食べるのにぴったりですよ」と言われたので
酒を買いに行かなくちゃと思っていたら
やっぱり宇都宮の酒好きのOさんが新婚旅行のお土産といって
タヒチのビールをもってきてくれた
(こっちに住んでいた頃は
毎回酒はどうしたと怖い目でにらまれるので
渋々酒を出していっしょに飲んでいたのだけど
宇都宮に移ってからは車で来るようになたのでホッとしている)
おとといは『キッチンカンナ』のオーナーがスタッフが作ったと
スパイスの効いたカレークッキーをもってきてくれた
(スパイスをいろいろ変えていろんな種類のカレークッキーを作って
薬膳クッキーとして売るのも面白いかもしれない)
それから花屋さんで働いているというお客さんから
梅もどきの鉢植えをいただき
(植物はすぐ枯らしてしまうので植物の頂き物は
ちょっと恐怖だ)
むかし靴を作っていたというお客さんからは
皮で作ったなまけもののパン屋のネームプレートを頂いた
(店の中に飾ってあるのだけどこれかわいいと特に女性のお客さんから好評だ)
岡本の『いなか』さんからは実家のおかし屋さんで作っているジャムを頂いた
(近々行ってみようと思っているのだけど行きつけるだろうか
岡本は迷路みたいで行く度に迷ってしまう)
そのほかにもたくさんのかたからいろいろと頂いていて
ありがたく利用させてもらっている
ハンダ沼の方で
知り合いの女性がおかしやさんをはじめると言っていたけど
そろそろはじまったかな
店をはじめる前というのは
あれこれ想像したり
準備したりで
毎日がたのしくてしかたがない
自分も毎日がきょうからオープンだという気持ちで
やっていこう
店の中もすこしずつ動かしていく
ライ麦40%のパン引き続き良い感じ
レーズン入りのパンは作るのが得意でなかったのだけど
こっちも良い感じに作れている
ライ麦60%もここ数日良い姿に焼きあがっている
それからライ麦30%のひまわり入りの平焼きがひとつ残っていたので
食べてみたら自分好みの食感
モチモチだけど
ほどよい硬さで
しっとりもしている
酸味がもうちょっとあってもいい気もするけど
しばらく追求していこう
パン作りの調子がだんだん上がってきた
調子が上がってきたというより
力がついてきたといった方がいいのかもしれない
ここ数日でわからなかったことがここに来て次々にわかってきた
パン作りをやっていると何年かに一回くらいそんなときがやってくる
力がついてくるということは
それだけパンがうまく作れていなかったということでもあるのだけど
何かを追求していくということはそんなことなのだと思う
いま良い感じに出来ていると思っていても
数年後に思い返してみれば
全然ダメだったなと苦笑することになる
一年前の自分といまの自分はまったく違う
一週間前の自分といまの自分もまったく違う
成長したい
成長しようという思いがあれば
きっと人間は日々変化していくものなのだ
怖くても突き進んでいけば
守りに入らず攻めていけば
できないときは
同じことをやっていても
出来ないままだ
そこから抜け出したいなら
勇気を出していままでとは違うようにやってみることだ
パン作りはまだまだわからないことがいっぱいだ
でもわからなくて難しい世界だからこそ
おもしろいしやりがいがある
わからないということは
まだまだ伸びしろがあるということだ
これからの自分に
自分は大いに期待する
毎年夏になると1917(山型の食パン)は膨らんでくれず
全然ダメだったのだけど
今年のぼくはちょっと違う
酸味はすこし強くなることがあるけど
パンらしいパンになっている
暑さや湿気で
小麦の組織のどこかがおかしくなってしまっているのかなと思っていたけど
やり方によればまだまだうまいパンになってくれるかもしれない
どんな状況にあろうとも
やることはいっしょだ
結局自分が見つけた道を進むしかないんだ
苦しみや悲しみで立ち止まったとしても
やっぱりそれしかないんだ
ひとに評価されたからって
ぼくは笑っては死んでいけない
自分が満足できたかどうか
死ぬときもそうだけど
生きている一瞬一瞬も
それがすべて
自分の中に
成長させたいものも持っているけど
このままでいいんだというものだっていっぱいある
立派な人間になろうという思いもないし
良いひとに見られたいという思いもない
国や学校や企業にとっては
ひとつの価値観を押し付ければ
都合よくコントロールしやすくなるけど
ひとにはそれぞれ思いがあって
それを踏みねじろうという行為は
結局破滅という形で自分たちに返ってくるんだ
この空の下
いろんな思いが自由に飛び交っているからこそ
バランスがとれるのであるし
平和な世界でありうるんじゃないか
がんばったからといって
すべてが良い結果に繋がる訳ではないけど
結果がどうなろうとも
どんな悪い状況の中だろうとも
良いときも
悪いときも
一歩一歩足を前に出し
歩いていけば
それがパラダイス
歩ける喜び
生きてる喜び
立ち向かうときもあれば
逃げるときもある
それで良いと思う
短い人生
我慢できないことを
やることはない
学校で言われたような
立派な人間になんて
なれなくていい
こころのままに
いつまでも
きょうのパンはいい感じ
このところの暑さと湿気状態の悪い粉があって
ここ数日うまく出来ないパンがあったのだけど
きょうはなんとか状態の悪さを知恵や経験で補い
パンらしいパンが焼けた
きょうはかなりパンが残りそうだけど
充実感あり
あとは走って
サンドバック叩いて
更なる充実感で
気持ちよく眠ろう
楽しんで
生きましょう
きのうよりさらに暑い一日
こんなことごときに負けてられるかと
午前中に50Lくらいの汗を流した
やっぱり夏は汗を流した方が調子が良くなる
シャワーを浴びてさっぱりとしたところで
犬と散歩
森の入り口にいる老犬はいつもだったら
50M先でも犬を発見するとぐるぐる回りながら
吠えまくるのだが
きょうは暑過ぎてて動きたくなかったのだろう
近づいて目が合っても
目をそらして
見なかったことにしている
森の中は涼しくて
3~4度気温が下がった気がした
店の前の庭はとても狭いのだけど
森の中にいるような錯覚を起こさせる空間が作れればと思っている
いや
いまそう思った
きょうは今年いちばんの暑さじゃないだろうか
なにかうまいものでも食べてこの暑い一日を乗り切ろうと
どこの店に行こうかあれこれ考えていたのだけど
思い立ったら祝日で
きょうが海の日であることを思い出し
混んでいそうなのでやめた
祝日の月曜日に店を休むのは何年ぶりだろう
せっかく出かけようという気持ちになったので
近くの園芸屋さんを二軒回って
桔梗 利休梅 十和田アシなどを購入
庭の雰囲気がいくらか変わった
パンがうまくいかないのは
温度や湿度などの条件よりも
知識不足が原因であるほうが断然多い
まだまだ失敗不足
もっともっとパンを作って
パンのことをわかりたい
店に設置した
鳴り物の評判がかなりいい
お客さんに楽しんでもらえるように
もう少し店の中は変わっていく予定
パンがおいしくなっていくのがいちばんだけど
それはゆっくりゆっくりと
お客さんたちが
騙されたと思って
あと50年くらい
ここのパンを食べ続けてくれたらなあ
50年後
きっと
いや
たぶん後悔させることはないんじゃないかなあ
ライ麦40%のパンきょうも絶好調
作り方を変えてから
なかなか掴み切れないところがあって
出来に波があったのだけど
大切なところを掴むことが出来たようだ
パンのことは
うまく出来たときと
うまく出来なかったの違いを比べてみることで
初めてわかってやれる
たまたまうまくいっているときや
全然うまくいかなくて失敗ばかりのときは
勘違いや全然わかっていないときだ
きょうは押しライ麦の食パンが
捏ねているときから変な感じで
何でだ? ? ?だった
今年になって初めてのこと
掴んだと思っていたパンだったので
「ありゃりゃ」だったけど
そんなに難しい問題じゃない気がする
解明できればまた一段階ステップアップできそうなので
解明していくのが楽しみだ
見当はついているのだけど
はたして当たっているかな
暑くなってきたら
うまく対処できるか心配だったけど
暑くなってきてからのほうが
かえって良いパンができている
でもこれは暑さや寒さに関係なくて
すこし前にわかったことによるもののような気がする
ぼくにとってはかなり大きいなものを掴むことができた
これでいけるぞといいたいところだけど
次の日にはまた別の壁にぶつかっているなんてことは
パン作りにはよくあること
まあ でも
とにかく
明日も楽しんでパンを作っていこう
護りに入った時点で
人生やものごとはつまらないものになってしまう
就職に有利だから
良い大学に入ろうと思った瞬間
その人生は終わる
そのことに気づかないまでは
正直でなくなった瞬間
ものごとの意味はなくなる
嘘をついた瞬間に
成長は止まってしまうし
そのとき出した言葉や行動は
まったく意味のないもので
時間だけが過ぎていく
受験や就職につまずいたとしても
仕事で何かミスったとしても
人間関係でうまくいかないことがあったとしても
そんなことはどうってことない
いまのこの瞬間の人生を最高にハッピーなものにしてしまえば
そんなものはすぐにどこかに吹き飛んでいってしまうんだ
人生はいつだってここからだ
現実なんていう言葉や妄想に
夢を潰されるな
やりたいことがあるなら
後先考えずに飛び込んでいけばいいんだ
現実なんてものは
後にも先にもなくて
いまこの瞬間自分が創り出していくものなのだから
人生なんてそんなに永いものじゃない
終わっちまう前に
楽しんじゃわなきゃ
もったいないぜ
自らが炎となって
燃え尽きなければ
笑って死んでいけないぜ
海の日は営業しようかどうか
気持ちが揺れていたのだけど
揺れてる間に
材料の注文をするのを忘れてしまい
材料が足りないので休まざるえなくなった
7月16日(月)海の日はお休みです
きのうはなかなか良いパンが焼けて
喜んでいたら
お客さんが全然来ず
きょうはすこしだけ焼いて
きのうの焼いたパンを中心に店に並べた
梅雨の時期は毎年お客さんが来ないのだけど
今年は良いパンがあまり焼けていなかったので
その影響もあるかな
でもオレもただじゃ転ばない
しっかりとつかんだものがあって
一段階二段階上に行けたと思う
いまにとどまることなく
パンはこれからどんどんうまくなっていくからね
価値観を押し付けることは
押し付けられた人間の翼をむしり取ってしまうことと同じことだ
翼をむしりとられた人間は好きなところに飛んでいくことも出来ないし
自分の中に芽生えたものを育てることも出来なくなる
ものごとはすべて
見る角度によって見え方が違ってくる
総理大臣や政治家の立場での見え方
会社や官僚の長の立場での見え方
親としての見え方
ひとは自分の都合の良いよう見ようとするところがあるし
自分の都合の良いように受けとろうとするところがある
自分に都合の悪いことは隠そうとするのも人間だ
総理大臣が言っていること
テレビが言っていること
学校の先生が言っていること
鵜呑みにしていたらバカを見るのは自分だ
いろんな方向からものごとを見て
自分でよく考え
自分で判断して
自分で決断して
自分で動く
目の前の現実という言葉に誤魔化されることなく
もっと広く
もっと深く
ものごとを見ていくこと
店の斜め後ろにクソババァがいて
路上駐車だ
パン焼く匂いが臭いだ
空気銃で撃たれただの
中学生の頃からあらゆるところに通報されて
クソめんどくさい
葬式のときには外で待っているひとのために火を焚いていると
火事だと消防署に通報だぜ
苦情の電話が入ると
ばかばかしいことだろうと
嫌がらせの通報だろうと
警察は自分たちに責任が降りかかってこないように
わざと目立つようにパトカーを見せ付けながらやってくる
状況なんて知らないで
いまこの点しか見ていなくて
勝手なことを言う
「路上駐車をしないようにと大きな看板を作って
店の周りにいっぱい貼り付けた方がいいんじゃないですか」
「警察の指導により」と書いてだとよ
出たぜ政治家や警察 権力者たちお得意の責任回避
狭い日本にこれだけ車があれば
路上に車を止めないでどうやって成り立っていくんだ
文句があるならエコポイントだと車の消費を促している政府に言え
車を量産している企業に言え
警察は嫌いだし
信用もしていない
職務質問されるたびに不愉快な思いをすることになる
勝手にひとの鞄を開けていいのか
なんではじめてあったひとに靴がだいぶ汚れてるねなんて言われなければならないんだ
なんで夜中の零時過ぎに店にやってきて何時に店が始まるのか聞かれなければならないのか
なんでこの道は車が飛ばすから自転車で通らない方がいいですよなんて言われなければならないのか
何で勝手に鞄開けられてレシート見せてくださいなんて言われなければならないんだ
職務質問されるたびに今度パン買いに行きますからと言われるけど
パンを買いに来た警官はいままでひとりもいない
嘘つきは泥棒の始まりだと言うけれど
確かにその通りだ
クソババァも警官もオレの貴重な時間を奪うんじゃねえ
やってくるなら真正面からやってきやがれ
制服脱いで
人間として
一対一で向かってきやがれ
時間がないから出来ないと言うけれど
時間があれば本当にやるのか
本当にやりたいものだったら
3分だって
5分だって
時間を作ってやればいいんだ
それが出来ないのは
自分にとって
それだけのものでしかないからだ
あそこに行ってみたいなあ
あそこであれをたべてみたいなという思いはよく頭に浮かぶのだけど
それをあまり行動には移さないのは
ぼくにとってはそれがそれだけのことだから
日々の生活
パンを作ったりからだを動かしたりする喜びを
犠牲にするだけの価値があるとは思えないからだ
本当にやりたいものなら
すべてを放り出してでもやってしまうものだ
昨夜茹でたものだからネバネバしていても大丈夫だろうと食べたブロッコリーで
体調最悪
大量に食べたのが悪かったようだ
だけどこの失敗で本来ネバネバするはずがないのにネバネバしている野菜は
量をあまり食べない方がいいということを知ることができたので
これは今後の人生に活かすことが出来るだろう
人生日々勉強なのだ
音楽がかかっていない
鳥のさえずりや
虫の声が聞こえてくるような静かな店をやりたいなという思いが
かなり昔からあったのだけど
それにすこしだけ近づけたかな?
もしかしたらCDの音よりもっとうるさくなっていたりして
うるさいのがダメなひとは耳栓を持ってきたほうが良いかも
何かをやろうと思ったら
思いきりよくやっちゃった方が
良い結果に結びつくことが多かった気がする
中途半端にやればずっと中途半端
ぼくに明日が来るのかどうかなんてわからない
確かなのはいまがあるということだけ
やりたいことがあるなら
いま
このとき
これを逃したらもう機会はないかもしれない
瞬間瞬間
いまこの瞬間を大切に生きて
きょうを満足できる一日にすること
だからといって
焦ることなく
魂に寄り添いながら
瞬間瞬間を楽しんで歩いていく
いまはどこの学校に行っても
『関係者以外立ち入り禁止』の看板がぶら下がっている
囲いがあったら囲いを取り除くよう教えるのが
学校の役割だったはずじゃないのか
排除されたひとの居場所を作ってやるのが学校がとるべき姿なのじゃないだろうか
なんだか最近
いろんなことが
逆の方へ
逆の方へ
居心地が悪い方へ居心地が悪い方へ
向かってしまっている気がする
NHK昔は良い番組がいっぱいあった
『手仕事にっぽん』
http://www.youtube.com/watch?v=J_UgdGQXxYo 和ろうそく編映像
http://www.youtube.com/watch?v=gMN5I-WFyOM 奈良漆器編映像
庭いじりをしていたら
店の中もいじりたくなってきた
パンを売るだけの店なんかじゃなくて
居心地が良くて
楽しんでもらえるような空間を作りたい
店に置いてお客さんに楽しんでもらおうと思い
磬を買うつもりでまた小田原のお店に行ったのだけど
記憶していたより大きく
値札の○もひとつ多かったので今回は買えなかったけど
別の素敵なものを仕入れてきたので
今度店に来たときのお楽しみ・・・・・・・
夏にかけてまだすこしずつ店の中を変えていく予定
もう少し店が広ければもっとゆっくりしてもらえるのだけど
(畳があって縁側があってが自分の理想)
それはいまのところ無理なので
庭と店の中をいじって気持ちいい空間を作ってみようと思う
東京の自転車野朗T夫妻が
黒磯の『あいかけん』にカレーを食べに行くというので
いっしょに連れていってもらい
オープンから1年ようやく行くことが出来た
カレーは文句なくおいしかったのだけど
お酒が置いてなくて
夕飯をお茶か水で食べなければならないというのは苦痛だった
Tさんたちは手でカレーをつかみはしゃいでいる
「子供たちを連れてきて手ですくって食べさせたら喜ぶぞ」と言っていたけど
自分たちがいちばん楽しそうだ
食事を手で食べているインドでは熱々の食べ物を食べることはないんだろうな
カレーうどんとか湯豆腐だとか
それとも熱さに手が慣れているのかな
http://d.hatena.ne.jp/taketchi/20120630
きのう夜ランニングをしていると
車道と歩道の境のブロックにつまずいて大転倒して
右のひじと手のひらにかなり深い切り傷を作ってしまった
手はパンを捏ねるときに大切な場所なので気をつけてはいるのだけど
どうも大田原市の歩道とは相性が悪いみたいで
しょっちゅう転んだり田んぼや用水路に落ちたり
花壇に突っ込んだりと大変な目にあっている
このあたりはみんなどこに行くにも車で移動なので
道を設計するひとも歩くひとのことをあまり考えないのか
歩道がやたらと歩きにくいんだ
きょうははじめ左手で捏ねてみたのだけど
生地の硬さが全然つかめないので
急遽指が通るよう穴を開けたビニール袋を右手にはめて捏ねた
右手も左手も同じ手なのに
神経や神経のつながっている場所が違うのか
人間というものは
使うのが本人であっても
使いこなすのは本当に難しい
でもそこが面白いところでもある
なんでもすぐに出来てしまったら面白くもなんともない
出来るようになるまでの過程が楽しいんだから
月曜日 火曜日と横浜だったので
店に飾りたいなと思っていた風鈴を買いに
近くの小田原まで足を伸ばした
台風が近づいているので大丈夫だろうかと心配だったけど
さっさと購入して
新幹線に飛び乗って逃げてしまえばどうにかなるだろうと
雨の中を走りながら店を見つけ出し入ってみた
店に入った瞬間
早く帰るのを諦めた
あまりにも惹かれる商品が多すぎる
風鈴以外にもいろんな形のシンバルやベル 鐘などが並んでいる
この店の風鈴の音はインターネットの動画サイトなどで聴いていたのだけど
生で聴くと比べ物にならないくらい良い音を鳴らしている
うれしくなって店のひとの話を聴きながら
他の商品の音を手当たり次第に鳴らしていると
残響がとんでもなく長く
美しい音を出す鐘があって
ひと音聴いただけでこころを持っていかれ思わず購入(さっそく店につるした)
新幹線は途中で止まってしまったけど
やっぱり何かを手に入れようとする場合直接その場所に足を運んだ方がいい
物語が生まれることで
その何かに価値が生じてくる
インターネットで買えば
とても便利だけどそれでおしまいだもん
いじった庭を見渡してみると
自分の性格がそのまま出ている
どれくらい大きくなるのかとか
花を咲かせるのかどうか
日なたに植えた方がいいのか日陰に植えた方がいいのか
そういう基本的な知識もないまま
(名前すら知らないんだから)
園芸店でピピピッときたものを買ってきて
まったく計算的なところもなく
「ここだ ここだ」と思いつきで植えているだけで
いまは問題なくいっているけど
一ヵ月後
二ヵ月後はきっと
めちゃくちゃになっちゃっているんだろうな
隅から隅まできちんときれいにという心もないので
いじったとことと
いじっていないところを境にしての対比が
くっきりしすぎで可笑しい
まさしくオレだ
こんな性格だから
なんとこいままで生きてこれたのかもしれない
苔は日なたに植えた方がいいということも
いまごろ気づいた
苔なんて普段気にしないと
目に付かないけど
気をつけてみていると
いろんなところでその姿を見ることが出来る
苔を気にしながら道路や山を歩いていると
苔がどんな場所を好むのかが
すこしずつわかってきた
説明書や本で知識を得るより
からだで感じて理解していく方が
自分には向いているし
無意識のうちにそっちの方を選び取っているところもあるのかもしれない
他の人がどんなに照らしてくれようと
世界は明るくならない
世界を光らせることが出来るのは
自分自身の明かりだけなんだ
ぼくが動けば
世界は動き出すし
ぼくが止まれば
世界も止まる
どんなに自分を光らせたくても
いつかは世界が止まる日がやってくる
それは思っているほど遠い日ではない
いまが永遠に続くことなんてなくて
いまは
いましかないんだ
いつ尽きるともわからない命
やりたいことがあるのなら
いまだよ
産まれてきたことの奇跡
生存していることの奇跡
生きていることの喜びをかみしめて
一瞬一瞬を生きていきたい
未来を心配して
いまを無駄にしてはいけない
いまがなければ未来はないし
いまがあっても未来はないかもしれないんだ
たしかなのは
いまがあるということ
たしかなのは
いまやっているということ
自分自身を光らせることができるのは
自分自身しかいないんだ
どんなさびれた商店街だろうと
客の来ない店だろうと
自分の納得いく生き方をしているひとは
光っているんだ
ぼくが光れば
世界も輝く
誰にだって世界を輝かせる力は備わっているんだ
ぼくが光り輝いた瞬間
世界はまぶしいくらいに輝きだす
ぼくの光が消えた瞬間
ぼくは闇の世界へ突き落とされる
大田原市の昔の中心地だった中央通りの拡張工事が進んでいる
両サイドにある店舗や住宅を壊し
新たに店舗や住宅を建てている
街の活性化ということが建前だけど
建物や道路は立派になっても
中身は変わっていないわけで
またお粗末な公共事業がひとつ
意味がないのは小学生だってわかるはずなのに・・・・・
いったいどれだけのお金が使われているのだろう
金がないない言ってるわりに
国はなんでこんなところに莫大な税金を投入しているのだろう
活性化活性化と流行り言葉のようにあっちでもこっちでも叫ばれているけど
ひとりひとりの人間と
ひとつひとつの商店が光らなければ
活性化なんてものは始まらないのに
そしてそれがすべてなのに
庭がすこしずつにぎやかになってきた
休みの日にまた苔を取りにいき
小さい花もちょっと植えてみた
パン作りを上達させたいと思うのなら
最初から最後までひとりで作るべきだと思う
パンのことはつながりの中でしか見えてこないからだ
材料の状態
捏ねているときの生地の状態
生地の硬さ
醗酵の状態
成形するときの生地の状態
焼成前の生地の状態
焼きあがったパンの状態
パンのこと
わからないことが多すぎる
というより
わかったことなんてほんのちょっと
だからパンはまだまだうまくなる
きのうはランニングの疲れがなかなか抜けなくて
ジムに行けなかった
ダッシュを始めたこともあるのだろうけど
20Kmそこそこでよれよれになってしまうのは悔しいことだ
きょうはランニングの後に風呂にゆっくり入ってから昼寝をしたので
疲れがだいぶ抜けてくれた
しかし風が強く
ジムに着いた時点で足腰ははガクガク
最近はサンドバックが二日連続でまともに叩けない
二日目は腕に力が入らなくなる
トレーニングの方法を変えるべきなのだろうか
ここで無理して叩いても
効果なんてほとんどなくて
逆に調子を崩してしまうのじゃなかろうか
疲れた筋肉は休ませて
別の筋肉を使ってやった方が良いのではないだろうか
年齢相応の練習をしていくべきじゃないだろうか
練習量を落とすわけでなく
練習の質を上げる
どうなるかはわからないけど
試してみるのもいいのじゃないか
まだまだ出来ない動きがいっぱいありすぎるので
ここで終わりにするわけにはいかないんだ
この世のすべての生命と同じように
産まれ生き死んでいく
ただそれだけだ
人間は特別な存在なんかじゃない
生まれてきた意味や使命なんてものは最初からないんだ
それが必要なら自分で作っていけばいい
だからこう生きなければならないなんて決まりはひとつもなくて
人間
どんな生き方をしてもいいんだ
何か情熱を傾けられるものがあったならそれにのめり込むのもありだし
一生酒を飲みながら暮らすのもありだ
刑務所に入ることだけが
罪を償うことではないだろう
刑務所に入ったからといって
罪を償えるわけではないだろう
自転車乗り改め
コーヒー飲みの夫婦にまた
コーヒーをご馳走になった
おふたりとも相変わらず休みの日を目一杯堪能している
どうやったら毎週毎週こんなに遊びまくれるのだろう
きょうは東京から雀野宮まで鈍行に乗ってきて
そこから食べ物屋を回りながら自転車で大田原に
コーヒー屋に変身してから鈍行で東京に帰っていった
明日は多摩の方に田植えに行くとのこと
月曜日から仕事のはずなのに体力は残っているのだろうか
http://d.hatena.ne.jp/taketchi/20120602
ゆったりとしたこころ
時間的なゆとりがないと
おいしいコーヒーは淹れられないだろう
それでもどこかに
せっかちなコーヒー屋さんなんているのだろうか
コーヒーの世界はかなり面白そう
はまってしまうひとが多いのもわかる
それなりの要因がある
きょうは1917(山型の食パン)をトーストしないで食べてみた
きのうと同じくチーズと生ハムをのせて食べてみたのだけど
なんだこのうまさは
なんだこのモチモチ感は
モチよりモチモチのパンなんてあっていいのだろうか
1917(山型の食パン)が半分残っていたので
久しぶりに食べてみた
軽くトーストしてチーズと生ハムをのせて食べたのだけど
なんだこのパリパリ感はクロワッサンじゃないんだから
きょうは庭に苔をはわせようと思って
店に買いに行ったのだけど
どこにも売っていなくて
自転車をこぎながらどうしようかと考えていたら
道端に苔が転がっていた
苔なんてそこらじゅうにあるんだった
なんでもかんでも金で解決することが身についてしまって
そんなことに気づかなかった
道路や裏山をちょっと歩いただけで
ポケットいっぱいの苔が集まった
3回くらいポケットをいっぱいにしただろうか
いい感じに苔を敷きつめることが出来た
根付いてくれればいいのだけど
喜連川から自転車での帰り雨に降られた
ちょうど雨宿りできそうな木があったので逃げ込んだのだけど
1時間に50ミリも降られたら
ふさふさの葉っぱの屋根も意味をなさない
ライチさんのカレーを久しぶりに食べた
スパイスはやっぱり偉大だ
いろんなスパイスを使えこなせたら楽しいだろうな
http://aikakendayori.blog101.fc2.com/
あいかけんは来月で一周年だそうで
めでたいけど
いったい何日間営業したのだろう
開いている日がほとんどないので
1年経ってもまだお店にはいけていない
自分は努力して怠けているところがあるけれど
彼女は天性の怠け者だ
栃木では美味しいカレーにありつくのが大変だ
shandi nivas caféの夫妻も子供が生まれたので
北海道に移住するらしい
shandi nivas caféのカレーを食べる機会がなかったので
いつか北海道まで食べに行くことにしよう
エラーをしたからといって
それで終わりではないんだ
エラーを恐れず
前へ踏み出していったのなら
たとえエラーしたとしても
その瞬間命は輝き
動き出すんだ
エラーを恐れて
動けなくなったときに
命もまた止まってしまうんだ
どんな状況のときでも
ぼくはぼくを生きる
ぼくにはそれしか出来ないから
こころから欲しているものならば
どんな厄介事が押し寄せてこようとも
それを貫き通さなければならない
もしそれを曲げるようなことがあるときは
もうぼくはぼくの生に価値を見出すことが出来ないだろう
まわりから泥水を引っかけられようが
罵声を浴びせられようが
無視をされようが
ぼくはぼくを歩き続ける
それならぼくにも出来るから
水木金曜日とまあまあのパンが出来た
偶然うまく出来ていたパンが
おかしく成りだしたのがここ数ヶ月
ああでもない
こうでもないと試してみたけど
なかなかうまくいかなかった
でもそのおかげで
そのパンのことをすこしわかってやることが出来て
いまではある程度狙って良いパンを仕上げることが出来るようになった
きょうはきのうの焼いたパンがだいぶ残っていたので
数種類しかパンを焼かなかったのだけど
これだけ時間的な余裕があれば
かなりの確立で良いパンを焼き上げることが出来るなと思った
数日前の自分だったらいくら時間があっても無理だったけど
きょうかかっていたCD
mozaik (アイルランドやらアメリカやらいろんな国)
http://www.youtube.com/watch?v=bAPepcWn5gg (映像)
http://www.youtube.com/watch?v=8uhM4GtNJR8 (映像)
http://www.youtube.com/watch?v=GrLr_PP4MME (映像)
ものすごいことをやっているのに
みんな力が抜けている
自分のパン作りもいつかこんなふうなれればいいな
ちなみにバンドの中心人物Donal Lunnyは自分を音楽の世界に引きずり込んだ
ひとだ
CD屋さんにあったアンケートに答えて当たったチケットで観にいった
Donal Lunny and Coolfinの映像
http://www.youtube.com/watch?v=8uhM4GtNJR8 (映像)
先週と同じ過ちを繰り返さないように
先週のミスでつかめたと思えたものを試してみた
勘違いなんかじゃなくて
本当につかめていたようで
良いパンに仕上がった
この前の失敗でつかんだものは
本当に大きなものだった
これであと10年くらいはパン屋が続けられそうだ
わかってみれば何てことないことだったと思えるのだけど
やっぱり段階を踏んでこなければ
気づくことが出来ないことだったのだろう
10年ちょっと毎日パンを作り続けて
やっとつかめたもの
パン作りは頭で考えるよりも
作って作って感覚をつかんでいかなければならないものなんだな
『大草原のみゆきちゃん』ただいまなまけもののパン屋内の図書館で大好評貸し出し中
マタギや熊を撃って生きているひとたちに惹かれた時期があって
そのとき読んだ『熊撃ち』という本
とても面白い本だったのだけど作者が
むかし観た『大草原のみゆきちゃん』というドキュメンタリー映像に
出ていたお父さんだということがわかり
もう一度そのドキュメンタリーを観てみたくなり購入したdvd
舞台は知床
小学校一年生になった女の子の一年を追いかけたドキュメンタリー
家から小学校まで道のり8km
クマと出遭ってもおかしくなくない山の中を
雨の日も雪の日もひとりで学校に通わせる父
雪に半分くらい埋まりながら
大きなランドセルを背負って学校へ向かうみゆきちゃん
この前お客さんに聞いて驚いたのだけど
いまは雨が降ると親が車で送り迎えをするだそうだ
その親たちや学校の先生そして子供たちがこのドキュメンタリーを観たら
どう感じるだろう
興味がある方は声を掛けてください
権力を得たものは
権力を自ら手放せなくなって
権力の座にしがみつく
でも権力の座にしがみつけばしかみつくほど
本人は腐っていくから手に負えない
旅にもジムにも
もっと気楽に行けるように
すぐに折りたためて
小さくなる折り畳みの自転車を買おうかと思った
そしたらやっぱりdahonだろうと調べていたら
dahonから巣立ったternというメーカーにぶち当たった
http://www.youtube.com/watch?v=TXpq9iI51kw
でも検討しているうちに小さくなるのとすぐに折りたためる以外は
いま持っている自分の自転車とかぶるような気もするので
しばらくはいまの自転車で行こうと思う
いまの自転車 khs p-20ra
http://www.khsjapan.com/product2012/product2012.html
写真でだけど
一目惚れした
家具がある
かなり根の張るものだけど
税金に持っていかれて
無駄に使われるのもバカバカしいので
買ってしまおうかなと思っている
きっとパンを買いにきたお客さんにも
喜んでもらえると思う
急に植物が恋しくなって
植物屋さんに行ってきた
買ってきてもいつもすぐに枯らしてしまうのだけど
枯らさないような余裕を持った暮らしをしようと決意して
いつもより多くの植物を買ってきた
店にも前の庭にも植物がちょっと増えているので
今度店に来るときにはちょっとだけ気に掛けてみてみてください
先週のスパーリングでも感じたのだけど
きょうのスパーリングでもパンチのスピードが全然なくなっている
パンチのスピードには自信があったのだけど
いまではパンチを出した拳にハエが止まったっとしても驚かないだろう
ジムで練習をすると課題がみつかるし出来ない悔しさも湧いてくる
それにプロとしてやっているひとプロを目指しているひと
そうでないひともジムに来ているいるひとはみんな
うまくなること 強くなることを目指して練習をしているのでので
行くとその気に感染させられてしまう
だからジムに行った後は気合が入り家でのトレーニングにも身が入ってくる
明日からスピード重視のトレーニングに切り替えて夏頃にはもう一度若い頃の
スピードを取り戻したい
そして出来ることなら若い頃のスピード上回るパンチを打てるようする
このところ自分に負けていた
日々のトレーニングで自分を壊してやろうというくらいの気持ちで望まないと
年齢の壁を超えられない
人間は変わろうという思いがあれば変われるものだということをボクシングを通して
知ることができた
ボクシングを始めて4年くらいは怖くて
相手と正面から打ち合うことが出来なかったのだけど
いまでは怖さを振り切って一歩前へ踏み出すことが出来るようになった
人間ひとのことを変えることはできないけど
自分のことなら変えられるんだ
変わりたいという意思があれば
すぐに諦めてしまうのは
自分の中に眠っている力を知らないからだ
始めからできるひとなんていない
磨くからこそ力は目を覚まし輝いていくんだ
石の上にも3年
それでもダメなら4年でも5年でも
石にかぶりついていればいいんだ
いま頭上まったく同じ場所から
蜘蛛が三匹続けて降りてきた
3匹目は子供の蜘蛛だった
何十年も生きてきてこんなことは初体験
何かいいことが起こる前兆だろ
普段からいいことは良く起こっているので
とてつもなくいいことが起こるのだろう
このところ完全な栄養失調なので
スーパーで麺類を買うときは
うどんやそうめんではなくそばを買うようにしている
そば屋のそばだったらそばつゆだけあれば充分だが
乾麺だとそうはいかない
工夫が必要になってくる
きょうは炒めたオイルサーディンと卵を絡めて食べた
この相性の良さを超えるそば乾麺を食べるときの組み合わせはないだろうと思えるほど
うまかった
ちなみにインスタントラーメンには炒めた茄子がとてもよく合う
組織は力のない個人の身を守るために生まれるものなのだけど
いつのまにか個人を犠牲にしてでも組織を守ることに必死になる
組織は平穏なときはうまく機能するけど
ちょっとでも歯車が狂えばどうすることも出来なくなる
組織に入っていれば安心だ安全だと
組織に寄りかかっているといつか痛い目に遭う
組織に寄りかかる前にまずは自分の生きる力を身につけることだ
小学校中学校高校大学と出てきて
本当にこんなこんな場所が必要だったのかといまは思う
学校に行っている間生き抜く力を教えてくれる場所なんてどこにもなかった
今日かかっていたCD
Karan Casey / Songlines (アイルランド)
http://www.youtube.com/watch?v=sJWRkCfq1K0 (映像)
http://www.youtube.com/watch?v=ctJiPEUTXAw&feature=related (映像2)
このひとの歌声を聴きたくて青春18切符を持って広島まで追いかけたことがある
今週はいくつか出来の悪いパンを作ってしまった
しかもそのパンを売ってしまったのでなおさらくやしい
醗酵の進みが早くなってきたので
他の作業と重ならないようにすることを意識しすぎて
先へ先へと焦ってしまったのが原因だ
もっと余裕を持って自身を持って堂々と構えていかなければ
この失敗で良いパンを作る上でとても大きなものを捕まえることが出来たけど
やっぱり悔しい
この悔しさは時間経過と自分が成長することでしか消えていってくれないものなので
いまはひたすら我慢して努力をしていくしかない
きょうかかっていたCD
Dolores Keane & John Faulkner / Broken hearted I'll wander(アイルランド)
http://www.youtube.com/watch?v=C_izA_a3z7w (映像
http://www.youtube.com/watch?v=ISqVCjLgKZY (映像)
人生はレールの上を最速で一直線に進むことはないんだ
速いだけが良いことではないし
完璧にやることだけが良いことではない
脱線したから見えてくることがある
停車したから出会えることがある
ゆっくり走るから余裕が生まれて楽しめるようになることがある
痛みや苦しみや悩みが
人生に深みや充実感を与えてくれる
失敗することや傷つくことから逃げることなく
やりたいことがあるなら勇気を出してやってみることだ
出来るか出来ないかは別にして
決意さえすればどんなことだってやりはじめることは出来るんだ
どんなに怖くても思い切ってエイ ヤァーと飛び込んでみれば
人生はいつだって動き出すんだ
これだけの税金を無駄に使ってきたことに対して
官僚のなかにも政治家なかにも
だれひとりとして
悪かったと思っているひとがいない
こんな状況では
「足りなかったら税金を上げればいいんだ」が繰り返されていくだけで
良い方向に進んでいくなんてことは絶対にありえない
それなのに税金をホイホイと納めていていいのだろうか
今日かかっていた曲 王心心 (中国 琵琶)
http://www.youtube.com/watch?v=iOsp0QRdgb8
きょうは全体的にまあまあのパンができた
一時醗酵から分割のタイミング
生地の固さ
焼き加減
いくらかわかってきたので
暖かくなってくるこれから
いちばん難しいのは
いかに他の作業とかぶらないように
生地の醗酵をコントロールするかということ
まだまだ経験が足りないので
いまはまだ感覚よりも勘に頼ることが多いけど
「きょうも良いパン作るぞ~」と
きょうも あしたも あさっても
捏ねて捏ねて捏ねまくるのだ
転んだ分は
しっかり掴まえてやる
暖かくなってきたからなのか
酒のせいか
こころが昂ぶってきた
「生きるぞ~ 目一杯生きるぞ~」」
狂言の生中継がyou tubeで観られるそうです
5月4日 14:00ころ~
茂山千五郎家
http://www.soja.gr.jp/schedule/item.php?id=3097
今週かかっていたCD
ゴールデンウィーク
軽いこころがさらに軽くなるように
自分の知る限り日本一ゆる~いひとの音楽をかけてみた
山内雄喜/Na Mele'O Hawai'i E 'Alani vol.2
http://www.youtube.com/watch?v=D__856Oup98 (映像)
一週間ぶりに
昼間の世界に飛び出すと
そとはもう一週間前とは別世界だった
花や新緑
麦や田んぼに張られた水が眩しすぎて
クラクラする
おとぎの世界へでも迷い込んでしまったみたいだ
突然思い立って佐久山の紅葉山公園へと足を向ける
思ったとおりもみじが陽の光を浴びて微笑んでいる
この季節のもみじがいちばん好きだ
傘を持ったおばあさんが散歩している
スキップするように歩いている後姿に
こころがほろりとする
すれ違いざま
「奈良さんですか?」と声をかけられドキリとする
「ああ~ どうも」と言いながら頭の中をグルグルかき回して
誰だったか思い出そうとしたけど思い出せない
しばらくして「奈良さんですか?」ではなくて
「マラソンですか」と言っていたことに気づいた
日本語は難しい
公園からの帰り際女性の歌声が聞こえてくる
さっきのおばあさんがブランコに座りながら
民謡なのか歌謡曲なのか昔の唄を歌っていた
その唄がズンズン胸に迫ってくる
何の唄なのか聞いておけばよかった
近いうちまたあの場所にいいってみよう
時間なんてものを作らなければ
時間に追われることなんてなかったのに
本を取り寄せると
送り主のことを
評価してくださいとメールが送られてくる
送り主は悪い評価をされては困ると
速攻本を送ってくる
評価評価評価
人の評価でしか
評価できない世界
ますます画一的な世界になってくるのだろうかと
暗い気持ちになってしまった
でも一方ではそういう世界が進んでいくだろうけど
もう一方ではそういう世界が窮屈でたまらなくなった人たちが
そんな世界から飛び出して別の世界を作っていくだろう
暑くなってきて
これからパン作りも難しくなってくる
昨年の失敗から
今年の夏は昨年のようなやり方では
だめだということがわかっているので
昨年よりは良いパンが作れる可能性は高いと思うのだけど
あの暑さにどう対応していけばいいのか
まだ見えてこない
まあ
何ごとも
やりながら捕まえていくしかないんだ
夏は醗酵の進みが早くなるから
このパンをいまカマに入れたいのだけど
あのパンもいま分割したいということが頻繁に起こってくる
そうならないように捏ね水の温度や生地を醗酵させる場所を調整したりするのだけど
そうそう人間の都合よく動いてはくれない
いくつかの作業が重なりそうになったとき
どう動くか
夏は判断や決断の連続だ
瞬時瞬時に判断して決断していかなければならない
とても大変だけど
その緊張感が
たまらなく楽しくもある
ゴールデンウィーク3日目
本日は1917の出来がいい
気象条件
自分の勘と感覚そして運
すべてがはまった
小麦の方も押しライ麦の方も
どちらもすごいモチモチ感
奇跡のパン
まだまだパンのことがわからなくて
うまいパンを連発して作ることは出来ないけど
自分の作り方ではまったときは
自分的にとてつもないパンができる
だからここのパン屋は
ちょいちょいと通っていると
ときたま
ガラクタの中から
とんでもないお宝が出てくるという
骨董品屋的パン屋だ
足しげく通ってくださいな
ゴールデンウィーク2日目の日曜日
麦ばたけの波おと40(ライ麦40%)の姿は
一週間前作った今年いちばんの美しさを越える出来ばえ
特にレーズン入りのパンの切り口は
過去最高の美しさではなかったか
自転車野朗夫婦は
福島三春に満開の滝桜を観に行って来たとのこと
ものすごい人で
車だと残り数kmのところからたどり着くまでに一時間近くかかったらしい
ふたりはさすがにしょっちゅう自転車で旅をしているだけのことはあって
渋滞を読んで郡山で自転車に乗り換えてスイスイと滝桜までの道のりを楽しんだそうだ
帰りに寄ってまたうまいコーヒーを淹れてくれた
http://www.coffeehunters.co.jp/top.html
最近は豆を買いにいったり
試飲会や講習会にいったり
コーヒー中心に動いているようだ
仕事用の鞄もコーヒーの道具入れに変わっている
それにしてもコーヒー豆によってこれだけ味が違うとは
「どっちのコーヒーが好き?」と尋ねられたけど
オレンジジュースとコーラくらい違うのでは答えられない
かなり面白そうな世界だ
先日ラジオに出演していたこの人の
http://www.faust-ag.jp/interview/interview009.php
http://eco.nikkeibp.co.jp/article/column/20090609/101588/
http://www.coffeehunters.co.jp/top.html
本を早速取り寄せてみた
面白そうな世界だけど
あそこまで手間をかけることは性格的に無理なので
絶対にはまることはないだろう
きょうの麦ばたけの波おと40(ライ麦40%)は
今年最高の姿
他のパンもまあまあ良い出来(姿は)
味もそんなに悪くないと思う
いまを摑まえた
ゴールデンウィーク
どうにかいま位の気温で来てくれればいいのだけど・・・
気温が高くなってくると
はたして対応できるか
いまは自身がない
でも 逃げはしない
いまを追いかけるだけだ
できないのは仕方がない
いま持っている自分の力以上のものは出せはしない
すこしづつ
すこしづつ
捕まえていくしかない
退職したら
旅行に行ったり
いろいろ楽しむぞと言っていた
お客さんが退職目の前に病気が見つかったらしい
将来に備えてとか
保険とか
そんなものはいらない
いまをおもいきり生きなくては
好きなことをおもいきりやって生きなくては
そう思った
いまを1000%生きてやる
今年5回目のジム行き
からだが重い
切れ無し
からだは正直
ここ一週間は腰に負担がかからないように抑えながらのトレーニング
おもいきり動きたい
本日は4人とグローブを交える
ボクシングは性格がそのままでるから面白い
グローブをつけて向き合えば
自分を覆い隠している余裕なんてなく
そのままの自分をさらけ出すしかなくなってしまう
その辺もボクシングを始めたひとがのめり込んでいってしまう理由のひとつかもしれない
社会に出てかぶってしまった仮面を脱ぎ捨てられるこころのありどころなのかもしれない
続けていれば社会のなかでだって仮面を脱ぎ捨てて生きられるようになる
ボクシングはいいよ
最高だよ
きょうかかっていたcd
Sandy denny / No More Sad Refrains (イングランド)
http://www.youtube.com/watch?v=0Rd_gMrmf6g (映像)
毎日同じ種類のパンを作り続けているのだけど
飽きるということはない
毎日気温や湿度 自分の状態といった条件は変わってくるから
それによって加える水の量や温度それに醗酵時間や焼き時間なんかも変わってくる
だから同じ種類のパンでも毎日違うパンを作っているようなもので
毎日が新鮮で
わくわく ドキドキの連続だ
パンのこともまだまだわからないことばかりだし
飽きることはないんだけど
遊びに行きたくなることはしょっちゅうだ
最近はグッスリと眠ることができるようになってきた
あしたは寝坊しないように起きなくてはなんて思ってしまうと
神経がか細いのでとたんに眠れなくなってしまうので
いまでは
寝坊しても良いやとおもいきり眠りに入っている
仕事でもそうだ
上手に作らなければとか
上手に立ち振るまわなければなんて思ってしまうと
こころもからだも縮こまってしまって
かえってうまくいかない
うまくいかなくてもいいやという気持ちでやった方が
思い切り良く動くことができるし
楽しい
うまく行かなかったらいかなかったで
しょうがない
それを活かしていけばいいんだ
http://www.youtube.com/watch?v=lYsI93hb9uQ (ニッポン無責任時代予告編)
また映画を観たくなってきた
キチンとキチンとのニッポン
平均のように生きられれば
病気のひとも減るんじゃないか
まわりにはゴールデンウィークに海外に行くひとが多くて
みんなすでにほっぺたが緩んでいる
じぶんはもう海外に行くことはないかな
飛行機には乗らないで済むなら
乗らないで済ませたい
飛行機で旅行する夢を見ると
必ず飛行機が落ちる
そんな夢を
何度も何度も見ていると
とても飛行機には乗れなくなる
きょうかかっていたCD
al-Mahi&al-Bura'i /Chants sacres de Nubie et de Kordofan (スーダン)
http://www.youtube.com/watch?v=hmPi3PTtdJU&feature=related (映像)
きょうの麦ばたけの波おと40(ライ麦40%)のパンは
久しぶりに惚れ惚れする姿をしている
きょうのは偶然じゃなくて狙ってやったもの
ここ数ヶ月の経験(あまり良くできなかった)を参考に
「おりゃー」と作ったら
手ごたえあり
窯から出てきたときはうれしかった
パンが残らなかったので味の方はどんなだったかわからないけど
切り口を見る限り
そんなに悪い味になってはいないと思う
今年の桜は見事
腰に違和感があったので
今週はジムを休んで
自転車で大田原じゅうの桜を見て回った
黒羽や湯津上 野崎と回ってきたけど
なまけもののパン屋脇の公園にある桜がいちばん好きだった
しかもいちばん手前にある桜が好きなので
自分のいちばん近くにある桜が
いちばん好きな桜なんだ
今日かかっていたCD 能楽囃子体系
http://www.youtube.com/watch?v=FWBZERf9WM4 (映像)
http://www.youtube.com/watch?v=OU2tZ2J-MoA (映像)
この8枚組のCDは本当にすばらしい
緊張感のある演奏なのに
目をつぶって聴いていると
こころがおだやかになってくる
日本人ならひとりに8枚だ
夏はパン作りが難しい
低温で醗酵できるような装置があれば別だけど
あっても無いような機械しかないパン屋にとっては
とにかく大変だ
でも難しいからこそ
挑んでみたい
そこには楽しさや歓びがいっぱい待っているはず
悪い条件の中でやればやるほど
うまくいかないという壁にぶつかるから
わかることも多い
夏が過ぎればまた一回りも二回りも大きくなった自分がいるはず
あの暑さと湿気は嫌だけど
今年の夏も突っ走るぜ
ボクシングで相手と殴りあうというのは
正直言ってとても怖い
でも瞬間瞬間に勇気を振り絞ってパンチを出していくときの瞬間の歓び
昔から勇気が出せなくて悔しい思いばかりしてきた自分にとって
ここは自分が自分になる場所
いちばん大切な場所
リングの上は恐怖と歓びを交互に繰り返す場所だけど
終わってしばらくすれば恐怖なんて忘れてしまうから最後は歓びだけしか残らない
人生はやったもの勝ちなんだ
日曜日と桜の満開日が重なってしまい
お客さんがまったく来ず
今年最大の残パン
翌日は定休日だったのだけど
急遽残ったパンを販売
営業時間内にひとりもお客さんが来なくて
「ありゃりゃ」と思っていたら
営業時間を過ぎてから
そして次の日にちょこちょことお客さんが来てくれたので
だいぶパンが減ってくれた
後は明日お客さんにおまけで配ればなくなってくれるだろう
このところパンが全然あまらなくて
自分の作ったパンが食べられなかったのだけど
久しぶりに食べたらしみじみとうまかった
いつもうまいそばやうまい米を食べると
こんなうまいものがあったらパンなんていらねえやと思ってしまうのだけど
きょうはこんなうまいパンがあったらそばも米もいらねえやと思った
きょうかかっていたCD
Music of Kyrgyzstan Folk Ensemble
(the world music libraru)
http://www.youtube.com/watch?v=TTQWoPiElM4 (映像)
このシリーズには「お~~ 素晴らしい」という一枚がちょこちょこある
このアルバムもその一枚
去年の夏は
全然ダメだったので
今年の夏は良いパンを作りたい
去年の失敗から学んだこともかなりあるので
すこしだけ光は見えている
華やかな舞台の上を歩くのではなく
叩きのめされ
壁にぶち当たりながらも
泥の中を這いつくばり
ボロボロになってもいいから
自分のこころに正直に
真っ裸で歩いていきたい
うまくいかなかろうが
転びまくろうが
見えている光を追い求めて
生きていく
無様さ
表面だけの格好なんて
どうでもいい
僕が欲しいのは
「生きているぞ~」とこころから思える充実感
人間は楽しもうと決意さえすれば
どんな状況だろうと楽しむことができるんだ
どんな一日だって
この短い生涯のなかの貴重な一日であることには変わりはない
塞ぎ込んでいるだけの一日なんてあまりにももったいない
だからといって焦ることは同じくらいにもったいない
楽しむことって
魂にどれだけ寄り添って生きられるかだと思う
焦っているときは
魂なのか自分なのか
どちらか
わからないけど
どちらかがどこかに行ってしまっているときだ
今年4回目のジム
一週間腰が痛くてほとんどトレーニングができなかったのに
動いてみると心拍機能が出来上がっていた
腰を痛める前にかなりハードに動いていたので
いつの間にか出来上がっていたのだろう
きのう長い距離自転車にのっていたからか
からだも軽い
これだけ動くのが楽なのも久しぶりな気がする
歳をとると怪我が多くなったり
疲れが取れにくくなってくるので
一度崩れると元に戻すのがとても大変になってくる
でもその困難さが生きていることに深みを与えてくれるんだけどね
からだが動くときと
動かないときの差はなんなんだろう
全然違う
人間のからだの
不思議さ
難しさ
そしてすごさ
先週に続き自転車野朗Tさんたちがやってきた
早速最近凝りだしたコーヒーを入れる道具を
テーブルの上に広げている
ひとに入れたくてしかたがないのだろう
お客さんにまで
「どうぞ どうぞ」と配っている
コーヒー入れながら
口やかましい店主のいるお店の話をいろいろしてくれたけど
店をはじめたら話している本人も
そうとうやかましい店主になりそうだ
観光シーズンが近づいてきたけど
いま あまりにも日常が楽しすぎるので
旅に出たいとか思わない
パンを作って
お客さんと会って
サンドバック打ったり
ランニングしたり
ジムに行ったり
とにかく毎日が楽しくてしかたがない
別に運が向いてきてるとか
何もかもうまくいっているからなんかじゃなくて
瞬間瞬間の出来事に
入り込んで
集中して
楽しんでいるからからだと思う
自分にできることは
歩いていくことだけだ
うまくいこうが
いかなかろうが
歩いていくだけだ
久々にパンが残ったけど
明日は土曜日だから捌けるだろう
きょうのライ麦20%はなかなかの味
腰はすこし痛いけど
絶好調だ
最近店でさわやかな音楽が流れていない
こんな音楽ばかりかけていていいのかな
今日かかっていたCD
Sheikh Ahmad Al-Tuni / the sultan of all munshidin (エジプト)
http://www.youtube.com/watch?v=NbzJhGjAAfE
今週は腰痛が出てトレーニングがほとんどできなかった
練習量増やしたので疲れが出たのだろう
明日羽ばたくためのちょうど良い休養かな
今日かかっていたCD
The House Music of Afghnistan (アフガニスタン)
http://www.youtube.com/watch?v=NZBlTuNVjdc (映像)
アフガニスタンの音楽を聴いていると
いろんな国の音楽が入り混じっていて
いま自分はどこの国の音楽を聴いているのか混乱してしまうときがある
パキスタンの音楽や
イランの音楽
ギリシャの音楽
インドの音楽
ひとの行き来は
文化の行き来でもあるんだ
この辺りの国々音楽のすばらしさや面白さは
さまざまの国の文化が影響しあってそして高めあって
できたものなのだろう
そんなことを思っていると
シルクロードのことが知りたくなった
また本が増えてしまう
閉店後やってきた自転車野朗のTさんに
うまいコーヒーを入れてもらった
Tさんはこのところコーヒーにのめり込んでいて
自転車で出かけるときも自転車にコーヒーを入れる道具を積み込んでいるらしい
自転車ののめり込みようを見ていると
行き着く先はコーヒーショップのオーナーか
きょうかかっていたCD
Fanfare Ciocarlia / Radio Pascani
http://www.youtube.com/watch?v=8R6lEytvMLo&feature=related (映像)
http://www.youtube.com/watch?v=aPbOC3A-Z70&feature=related (映像)
ジプシーのブラスバンドはとにかく楽しい
別のバンドだけど今夏日本にやってくる
http://plankton.co.jp/home.html
今年3回目のジム
温かくなってきたことと練習量も増えたことで
からだの動きが変わってきた
でももうちょっと練習量に物足りなさを感じているので
しばらく酒を控えてトレーニングに集中できる環境を整えていこうと思う
店の中に小さな図書館を作りたくて
古本を買い漁った
自分の趣味だけで選んだので
変な本ばかりなんだけど
興味を持ってくれるひとも結構いて
なかなかの盛況ぶり
こういう形でパンを買ってくれたお客さんに
すこしでも還元していきたい
楽しみの還元だ
かなり強い雨のなか
小川町から15KMの道のりを歩いてパンを買いに来た女の子がいた
彼女はアフリカで生まれ育ち
いまは秋田の大学に通っているのだけど
あっちでもカンジキを履いて山の中を歩き回っているそうだ
夏休みには秋田からキャンプしながら自転車で帰ってこようと思っていると言っていた
まだ人間力が失われずにしっかりと残っている
この辺りのひとも高校くらいまでは雨にも雪にも負けずに
毎日徒歩や自転車で学校に通い強く生きているけど
高校を出たとたん自分を守ることに躍起になって
人間力を失ってしまう
人間は砕け 叩きのめされることでしか
前には進めないんだ
きょうは風が強くて寒いけど
負けずにジムに行って来ることにしよう
きょうは勘が冴えたのと運で
まあまあのパンが焼けた
暑くなってくるとひとりでのパン作りはやっはり難しくなってくる
これから更に気温が高くなってきたら
対処していけるだろうか
醗酵のスピードに追いついていけるだろうか
毎年やってくる春夏秋冬を経験するたびに
問題点を発見するのだけど
解決する前にいつも季節は去って行ってしまう
こころが広くなるということは
自分のすべてを受け入れるということではないだろうか
いまの自分を肯定するということではないだろうか
だから自分以外のひとのことも
許せるし受け入れられるんだ
ここしばらく
パンを作っていて
なかなかうまくいかなかったところがあった
毎日毎日「これでどうだ」と
「これならどうだ」と
頭ひねってみたのだけど
どうしてもへんてこりんなパンになってしまう
でもいままでの経験をあれこれ思い出してみて
ようやくうまくいかなかった理由がわかった
パン作りをはじめてすぐのときに
パンがうまく作れていたとしても
それはたまたまうまくいっているだけで
ぜんぜんパンを理解できてはいないと思う
他のこともそうだと思うけど
パン作りはうまくいかないことを経験して
はじめてわかることが出来るのであって
うまくいかないことを通過しないと
次にはいけないんだ
だからうまくいかなくなることを
そんなに恐れることはないのだと思う
うまいパンを作れるようになるうえで
大切なのは隠したり嘘をつくことなく
いまの自分をそのまま出すことだ
うまくいかないことを通過しないと
次にはいけないということがわかってから
自分のこころが広くなった気がする
ひとのやることに腹が立たなくなってきた
こころが広くなってきたら
楽しいことに
いっぱい出会えるようになってきた
まずいパン屋でも
懲りずに通い続ければ
うまいパンに出会えることがあるかもしれないのだ
こころを広く生きていこう!
チャンチャン
平日なのに東京から自転車野朗の夫婦がやってきた
何があったのか
今年は200kmのブルベを数回など自転車に乗りまくっているらしい
来月も300kmのブルベに出るんだけどただ走るんじゃ面白くないから
8インチの自転車で走ると言っていた
夫婦でピンク色の自転車とピンク色の衣装を揃え気合が入っている
今年のふたりはちょっと違うのだ
来月のブルベも8インチの自転車だけでは面白くないと
ピンクのふんどし一丁で走ってくれるんじゃないだろうか
今年2回目のジム
早めに家を出て岡本の『キッチン カンナ』で弁当と小豆のパイを買って
鬼怒川の土手で食べた
ちゃんと手を加えてやれば
食べ物ってこんなに美味しくなるんだということを思い出させてくれた
このところの自分の食事といえば
ちぎった白菜をかじりながらご飯を食べたり
納豆と豆腐をかけたご飯を急いでかきこんだりで
まともなものを食べていなかった
久しぶりのうまい食事はあっという間になくなってしまった
ジムへ行くとデビュー戦間近のSくんがいたのでスパーリング
Sくんとのスパーリングははじめてだったのだけど
手数の多さにびっくりした
4ラウンド手を出しっぱなし
一呼吸する間も与えてくれない
スタミナには自信があったのだけど
このひとには適わないわと思った
3ラウンド目に自分も気合入れなきゃと
出たのだけど気合が長続きするだけのからだがまだできていなかった
後で聞いた話ではSくんは高校時代自転車競技をやっていて
一年生のときにすでに三年生を寄せ付けない走りをしていたそうだ
去年の宇都宮マラソンでは10KMの部で実業団の選手たちに混じって5位に入賞したらしい
そりゃあ
たたものでない心臓のはずだぜ
でもスタミナだけは自分も負けるわけはいかないので
もっとハードな練習をと気合が入った
うまくいかないことや自分の力のなさを感じると
目の前に明かりが灯る
どうやってその壁を乗り越えればいいのか
考えたられたり努力できたり
生きることが楽しくなってくる
悔しいことや悲しいことは
気持ちしだいで希望のひかりに変えられるんだ
このジムにはいろんなタイプの選手がいるので
自分を高めていくにはとても良い環境だ
いろんなタイプの選手とグローブを交えれば
それだけ自分の欠点が浮き出てくることになる
欠点がわからないことには動きようがない
まだまだ強くなれる
残りの人生は
強くなることを最優先に考え
からだを動かしまくる
とにかくどんどん
やることだ
動くことだ
うまくことが運ばなくたって
つまずいて転んで泥だらけになろうとも
どんなときだって
人間は自分を思いきり生きるしかないんだ
それに自分を思いきり生きることだったら
こんな不器用な自分にだって
そしてきっと誰にだって
できる
人生楽しむことを忘れてしまったら
生きてはいけない
季節の変わり目
パン作り難しくなってきた
暖かくなってきたので
醗酵の進みも速くなり
からだと頭を付いていかせるのが大変
毎日クタクタだ
YO-RIさんこと森洋利さんの写真展が近々あります
http://blog.livedoor.jp/ymp1/ (ブログ)
「自然からのメッセージ」 森 洋利写真展
2012.3.12(月)-3.24(土)
カフェぶるぅ
所沢市松葉町29-1 04-2985-5400
11:30~16:30 18:00~23:00(3.18休み)
https://twitter.com/#!/Cafeburuxu
西武新宿線 新所沢駅東口下車 徒歩5分
[期間内イベント]
♪3.16(金)19:30“ YO-RIのGood Music”
ジャズピアノの名曲名演をご紹介します/選曲と案内:YO-RI
参加無料、要オーダー。ご予約はぶるぅ、または森まで
きょうかかっていたCD
Mapia Anamatepoy / onoy aranas kai onoy rhs (ギリシャ)
http://www.youtube.com/watch?v=6mpWap9qvtU&feature=related (映像)
自分で作曲をしているというイギリスのお客さんが
「これどこの曲 面白いね 面白いね 」と感心していた
日本人より先にイギリス人がこの音楽に興味を示したのは以外だった
Mapia Anamatepoy がいまのすべてを注ぎ込んだアルバム
このアルバムを超えられる日がいつか来るだろうか
来て欲しい
宇都宮からのお客さんに
豆大福を頂いた
なぜぼくが豆大福を好きなことを知っているのか
いろんなひとからよく豆大福の差し入れがある
きょう頂いた豆大福は塩味の効いた生地で
餡子をくるりと巻いてある珍しいものだった
生地のモチモチ度がすごい
これだけモチモチした生地の大福ははじめて食べた
むかし宇都宮の中心地を歩いていたときに
急に饅頭が食べたくなりさまよったけど
饅頭が売っている店がなかなか見つけられなかったことがあった
よく探せば宇都宮にもおいしい饅頭屋さんがあるんだな
そういえばきのうはジムに行く前によった『きぬたや』で
饅頭を買ったら2つもおまけをしてくれたので
ジムの行き帰りで
8つも饅頭を食べてしまった
今年初めてのジムでの練習
腰を痛めたり
天気が悪かったり
寒さに負けたりで
2ヵ月半ぶりのジム
自転車に乗るのも今年初めてだったので
40数Kmの道のりですでに足の力を使い果たした
ジムに入るとアルティンが来ていたので
軽くグローブを交える
アルティングローブを交えるたびに強くなっている
オレが休んでいる間に試合をしたらしい
デビュー戦の結果は↓
http://www.youtube.com/watch?v=gBZHnt8EdqQ (試合の模様)
スタミナに難があるけどそれさえ克服できれば
日本チャンピオンになるくらいの力はあるんじゃないかな
体重が同じくらいならスパーリングももっと楽しめるのだけど
さすがにあのパンチをまともにもらったら16オンスのグローブでも
立っている自信はない
きょうのジム行きでわかったことは
まだまだ練習が足りないということそして
練習すればまだまだ強くなれるという感触を得た
何人かとグラブを交えたことで
ようやく正月ボケが抜けて
魂が目覚めた
田んぼの雪はまだ解けずに残っており
美しい風景の中走るのは気持ちがいい
田んぼの中を走っていると用水路に出くわした
何とか飛び越えられるだろうと判断したのだけど
久々に川に転落
何でランニングや自転車に乗っているときに
川に落ちなければならないのかわからないけど
とにかくよく落ちてしまう
落ちたことがあまりに悔しかったので
道路でジャンプの練習をしてから
もう一度同じ場所に戻ってチャレンジしたら
飛び越えられた
悔しさは生きる原動力
きのうの麦ばたけの波おと80(ライ麦80%)と
麦ばたけの波おと40(ライ麦40%)を食べてみたら
このうまさやば過ぎる
この奇跡のようなパンは
自分の感覚だけでは一生かかっても作れないだろう
パン作りには作り手の未熟度によって大きさは変わってくるけど
偶然性の占める部分がかなり大きい
そこが難しいところでもあるけれど
面白いところでもある
いまの自分を超えたパンが出来上がるときがあるんだ
店を終えて犬といっしょに中学校のグランドに行ってきた
道路の雪は解けたけど
グラウンドの雪は解けずにそのまま残っていた
真っ白のグラウンドに光が反射して普段と比べてかなり明るい
ぼくと犬とでザクザク感を独占した
ダッシュを繰り返し幸せな夜だった
朝起きると雪が積もっていた
雪のことなんて頭になかったので驚いた
昨年は大雪や大雨の予報のときにパンを作らなくて
失敗したのできょうは普段通り作り始めたが
なかなか雪が降り止まず大量に売れ残るのを覚悟したけど
お昼過ぎになんとか止んでくれた
パンはかなり売れ残ったけど
明日は日曜日だから捌けるだろう
きょうのカンザスへ20(ライ麦20%)の焼き上がり姿は美しかった
容姿が良いからといってうまいとは限らないのだけど
(容姿が悪くてもうまいときもある)
美しく焼きあがるとうれしくなる
このライ麦20%のパンとライ麦10%のパンは水分量が特に難しくて
いまのところ5回作って3回か4回は売り物にならない
水分を少なくして作れば見た目だけはパンらしく作れるのだけど
自分には美味しいと感じられない
水を生地が耐えられるぎりぎりのところまで入ったときに
自分の中で美味しいと感じられるパンになる
油脂や卵を使わず
粉と水だけでこれだけ水分量の多いパンを作ろうとしているのだから
どのパンもどのパンも難しく
そう簡単に良いパンは作らせてもらえない
でも良くできたときのパンはとてつもないものになるので
これからもモチモチのパンを追求していく
きょうかかっていたCD
Samar Kand&Beynd (中央アジア)
http://www.youtube.com/watch?v=j8gdz9tGCSY&feature=related (映像)
あの辺りにはこういうすごいひとたちがごろごろいるのだろうな
このところ仕事やら何やらで
トレーニングの時間を取れなくなってしまうことが多かった
でもたとえ時間が10分しかなかったとしても
その時間をトレーニングに当てれば
満足感が得られるし
気持ちを集中してしっかりやれば
かなりの負荷をからだに与えてやれることがわかった
いまの環境をぼやいていてもストレスが溜まるだけで
状況は何も変わらない
環境を変えるのは難しいかもしれないけど
決意さえすれば自分自身は変えることができるんだ
ここしばらく麦ばたけの波おと60(ライ麦60%)の出来が
あまり良くなかったのだけど原因がわかった
売れ残ってしまうことが多いパンだけど
自分の中ではこのパンがここのエースだと思っている
プレーンなパンがだいぶ美味しくなってきたきた
胡桃やらレーズンやらが入っているパンよりも
いまはプレーンなパンの方が美味しいと感じられるんじゃないだろうか
ひとりでパン屋をやっていると
その他のことに使える時間がわずかしかない
その貴重な時間を大切に使わないと
悔いることになると
残り少ない人生であることに気づいてから
思うようになってきた
だからメールの返事はほとんど返さなくなったし
雑誌の取材やらもあんまり受けなくなった
削るものは削っていかないと
望んでいる生き方は遠のいていくばかりだ
きょうかかっていたCD
Women of Egypt 1924-1931 (エジプト)
http://www.youtube.com/watch?v=LUrb_xwRONo
1924~1931年頃に
活躍していたエジプトの女性たちの音を集めた
かなり楽しめるアルバム
きょうはふたりのお客さんが
「これはどこの曲」と反応した
自然と対等に生きてこそ
自然のすごさを知り尊敬できるようになる
それは人間に対しても同じで
同じ土俵に立ってこそ
そのひとの苦しみ悲しみ喜び
そのひとのやっていることの難しさを知ることができる
ぼくたちは機械や数字やコンピューターや金や組織の奴隷ではない
人間であるということを忘れてはならない
幸福とは過去でも未来でもない
いまだ
暖かくなってきて
すこし動くと汗が流れるようになってきた
そのためかからだの調子も上がってきた
腰にあった違和感もなくなってきたので
そろそろジムに行けそうだ
今日かかっていたCd
Umut Akyurek / Baska Soz Soylemem (トルコ)
曲が進むにつれて頭もからだもトルコになっていく
不思議なアルバム
http://www.youtube.com/watch?v=OzQCVdtCJ88&feature=related (映像)
カザフスタン ウズベキスタン キルギスタンなどなど
中央アジア周辺の音楽に吸い寄せられてしまった
数年前まではあまり好きではないなと感じていたのだけど
耳になじんでくると離れられなくなる
伸びのある歌声やドンブラなどの楽器の音色
どこまでも続く空と草原
歌声と音色が空を突き抜けて一直線に駆けていく
これくらいのエネルギーで挑んでいかないと
あのでかいでかい大自然に負けてしまうのだろう
人間は大自然にとうてい敵うことはないけれど
それがわかっていても挑んでいかなければならないんだ
自然と共に生きるとはそういうことだ
常に対等でなければならない
チェーンソーやパワーシャベルでちょちょいのちょいでいい気になるな
自分自身(人間)の持っている能力をフルに使って挑んでこそ
自然と一体になれるんだ
対等になれるんだ
そして対等であるからこそ
自然のすごさを知り
自然を尊敬することが出来るんだ
しばらくこの音楽にのめり込んで行こうと思う
もうCDもあまり買うことないだろうと思っていたけど
聴いてみたい音源がいっぱい出てきた
興味があるものに出会ったら
飛び込んでいった方がいいということがこの歳になってだんだんわかってきた
明日仕事があるからとか
レールを踏み外したくないからなんていっていたら
真の喜びや楽しみなんて永遠に得られない
ぼくたちは人間であるということを忘れてはならない
痛いことや苦しいことを避けようと
やりたいことをやらないで
いい子に見られようと自分を誤魔化したり
演じたりでは
笑って死んでいけない
ひとに笑われようが
バカにされようが
自分のやりたいことをやりぬいてこそ
「生きているぞ~」ってこころから叫べるんだ
うまく出来なかろうが
ひとに評価されなかろうが
ひとに何言われようが
そんなことはやりたいことをやっている歓びに比べたら
なんのことはない
http://www.youtube.com/watch?v=ZXqX891cuXo&NR=1&feature=endscreen (映像)
http://www.youtube.com/watch?v=ATBNKmC_SG0&feature=related (映像)
イランの伝統音楽について詳しく書かれているサイトを見つけた
かなり楽しめる 音も聴けるよ
http://japanese.irib.ir/index.php?option=com_content&view=category&id=54&Itemid=134
今日かかっていたCD
Kazakh music today (カザフスタン)
1000円で売ってなかったら買わなかったであろうアルバム
全然期待していなかったのだけどこれがものすごく良かった
この周辺の中央アジアやアゼルバイジャンやアラブ音楽などを
もう一度見直してみるきっかけになった
この辺りはすばらしい音楽のすばらしい演奏家の宝庫だ
例えばこんな人たち
Salamat Sadikova (キルギス)
http://www.youtube.com/watch?v=6S_vr2hNpMo (映像)
muhammad qadri dalal (シリア)
http://www.youtube.com/watch?v=r9yzeY-uL3I&feature=related (映像)
Aicha Redouane (モロッコ)
http://www.youtube.com/watch?v=TdV-2jQ3D9c&feature=related (映像)
傷ついたり苦しむことから
自分を守る努力ばかりしていたら
何にもできやしない
虚しさが募るだけだ
本当に守らなきゃいけないのは
そんなものじゃない
自分はどうしたいという
打算も見栄も嘘もない
純粋な思いだ
うまく出来なかったことを悔やんでいても
歳をとったとぼやいていても
いまの状況や環境を憾んでみても
何かが変わるわけではない
時間だけが過ぎていく
何かを始めるのに遅すぎるということはない
転んだなら
立ち上がって
また歩き出せばいい
やりたいことがあるなら
いまからはじめればいい
どんな状況だろうと
どんな環境だろうと
やるか
やらないか
問題はそれだけだ
人生はいつだって
ここからだ
勇気を出して一歩踏み出しさえしてみれば
いつだって胸はときめき踊りだす
今日かかっていたCD
常味裕司 /光輝く街
http://www.youtube.com/watch?v=-VgMZjczdz0&feature=related (映像)
http://www.youtube.com/watch?v=VyZ5mUDxZus&feature=related (映像)
数年前に奈良の東大寺で『無形文化遺産の未来』というイベントがあり
そこにアゼルバイジャンのAlim Qasimovが出演するというので
http://www.youtube.com/watch?v=FzsV7xLuOtc (映像)
出かけたときに
ちょうど近くでライブをやっていたので聴きに行ったのが
常味さんとのはじめての出会いだった
頭の中がぐっちゃぐっちゃになってしまう音楽があの頃から
自分の中でしっくりとくるようになった
うまくなんて出来なくても
何歳になろうとも
やりたいことがあるなら
やればいいんだ
何かやるのに遅すぎるということはないし
下手なひとはやってはいけないなんてことは決まりはどこにもない
うまくできたかどうかなんてことじゃなく
ひとに認められたかどうかなんてことでもなく
短い人生
最後に満足できるかどうかは
人生楽しむことができたかどうかで決まるし
やりたいと思ったことをやることができたかどうかで決まるし
自分のこころを無視することなく
忠実に生きられたかということで決まるんだ
きょうかかっていたCD
Orchestra Baobab / A night at baobab (セネガル)
http://www.youtube.com/watch?v=aE6aCm41aPU
何年か前このひとたちが来日したとき
最前列で舞台にかじりついて観ていたのだけど
ライブ中は至福のときだった
曲と曲の間に話もなく
すばらし過ぎる曲がこれでもかもれでもかと
続けざまに投げかけられてくる
一曲一曲にものすごいエネルギーが込められていて
聴く方も大変なエネルギーがいり
スタンディングということもあり後半は聴いている方もフラフラだった
終わったときはもう何もしたくなかったのだけど
地方に住んでいる辛さ
余韻に浸りうっとりするなんてこともなく
最終の新幹線目指して猛ダッシュ
過去を引きずっていても
過去が変わることはないし
戻ってくることもない
結局いまを生きていくしかないのなら
嫌な出来事も
去っていったひとのことの
ぜんぶ忘れて
きょう
この瞬間を
おもいきり楽しんで
生きていこうぜ
いまを
作っていこうぜ
なんなんだ
この寒さは
夜のランニングはじめなんて
俺このまま凍りついて死んでしまうんじゃないかとちょっと怖くなる
この寒い中 カレー屋さん(shandi nivas cafe)夫婦は
毎週宇都宮二荒山神社前で開かれているマルシェに出店しているそうだ
太陽が沈んだ夕方5時~夜の9時まで
これはもう我慢大会だろう
自分も昼間だけど冬に外でパンを売っていた経験があるのだけど
冬じっと同じ場所に立っているのは本当に寒い
お客さんが来ないときなんてこころも冷えてくるから
尚更だ
人間はみんなひとりだ
孤独を感じないひとなんていない
だから心配しないで
何かで誤魔化すことなんてやめて
孤独といっしょに生きようぜ
孤独であるということは
自由であるということだ
怖くたって
からだ中に巻きついた重たいロープを断ち切って
自分の翼で飛び立ってみよう
行き先を決めるのはもちろん自分だ
自由であるということは
すべてが自分に跳ね返ってくるということ
そしてそれらをすべて受け入れなくてはいけないということ
一瞬先の世界は
しょう便ちびっちまいそうなくらい怖いけど
脳みそふっ飛んでしまうくらいの
歓びが待っていてくれるだろう
外に出ると空気がギンギンに冷えている
からだが凍りついて死んでしまうのではないかという恐怖に駆られたけど
エイヤァーと走りにいった
すこしずつからだが温まってきて
気持ちよくなってくる
やってよかったと走りながらこころはにっこり
からだを動かすことが何よりいちばん大好きな自分にとって
ランニングをしたりサンドバックを叩いたりしているときが
生きていることを感じられる唯一のときだ
寒くて寒くて走るのをやめて布団にもぐってしまうこともあったけど
自分を護ろうとしているときはやっぱり面白さがない
苦しみたくない
傷つきたくない
そういって自分のこころを無視して
やりたいことをやらなければ
虚しさを残して時間だけが過ぎていく
自分なんてぶっ壊してしまえという気持ちで
勇気を出して
自分のこころをおもいきりぶつけていけば
たとえ失敗したとしても
うまくいかなかったとしても
そこには必ず最高に楽しい時が待っていてくれる
苦しくても
痛くても
一歩一歩足を踏み出していれば
こころは満たされていく
自分がいちばん大好きなことは
やめてはいけないのだと思う
いつまでも いつまでも
大切にしていかなければならないのだと思う
青年海外協力隊員として
20年近くアフリカ(タンザニア マダガスカル エチオピア)で暮らしていたという方が
親指ピアノとCDを貸してくれた
アフリカのディスコではザイールの音楽がよくかかっているとのこと
そしてそれより何よりアフリカではレゲエの方が人気があるらしい
きょうかかっていたCD
Franco&le tpok jazz /FRACO phonic (コンゴ)
http://www.youtube.com/watch?v=7hiHo98hh3c&feature=related (映像)
薬師寺の五重塔をはじめて自分の目で見たとき
こんなすごいものが作れてしまうなんて
人間の持っている能力ってすごいと思った
その能力を使うことなく終わってしまうなんてもったいない
オレもそろそろ本気出すかな
宮大工 西岡常一の遺言
映画 『鬼に訊け』
http://www.youtube.com/watch?v=fydWcQLpVtE (予告映像)
http://www.oninikike.com/ (ホームページ)
きょうかかっていたCD
JOSE ANTONIO MENDE
You Tubeの映像を観て10秒で好きになった歌手
ラテン音楽でもブラジル音楽には惹かれないのだけど
キューバ音楽にはググッときてしまう
http://www.youtube.com/watch?v=1_0T4AX5kOk (映像)
経験すればするほど
難しさをからだで感じることが出来る
人生はすべてそう
だからひとは歳を重ねるほど
こころが広くなっていくのだろう
パン作り
冬の寒さに対応できるようになってきた
この冬のパンの出来はいまがピーク
季節が春に向かって行けば
また季節の後を追うことになる
ずっと季節と併走することはできないけど
年数を重ねれるほどピーク時を長く延ばすことが出来るようになると思う
ひとり黙々と走る時間が好きになってきた
いろいろとわかってきただろうか
歳をとって余裕が持てるようになったのか
ボクシングやパン作り ランニングなどをやることが
昔より楽しくなってきた
今年はパン作りでさっそく
「なるほど こういうことだったのか」という発見があった
かなり大きな発見をふたつ
続けていれば
上達がある
いまがダメでも諦めないこと
時期が来ないと見えてこないことがある
どんなに単純なことでも
どんなに簡単なことでも
ある時期が来ないと見えてこない
経験を積んでこそ見えてくるもの
最近すこし作る回数が減ってきたライ麦20%(カンザスへ20)に
冷えた無塩バターをたっぷりとのせ食べてみた
バターの偉大さ
うま過ぎる
油を食べるとウォッカみたいな強い酒が欲しくなる
ひとの目を気にして
やりたいことやらないで虚しくなるなんて
ただバカバカしいだけだ
いつだってぼくは満足できる道を歩いていく
胸張って歩いていく
自分のこころに従ってチャレンジしているなら
いつだって
どんな状況のときだって
胸張って歩いていける
失敗したときだって
うまくことが運ばないときだって
ひとにどんな評価されたって
胸張って歩いていける
ひとの目気にしていたら
いつまで経っても
場所を変えても
やること変えても
何も変わらない
ひとの目なんて
やっぱりグチャグチャに丸めてポイ
なによりまずそれが先だ
怖くても
その先を越えて行けるか行けないか
決意さえすれば
喜びはもうすぐそこだ
何歳になろうが
真の喜びを追い求めればいいんだ
我慢なんて
グチャグチャに丸めてポイだ
きょうかかっていたCD
liturgies musicales du pakistan
2曲目が強烈
http://www.youtube.com/watch?v=f8Gg8gBb7gY ←うたっているのはこの人(映像)
モチモチの平焼き(レーズン)がひとつだけ余ったので
久しぶりに食べて見たら
きょうは最高の出来
1917もきょうはまあまあの出来だった
店が終えてランニングをしていると
乗用車の男性から呼び止められた
『アトラス』という斎場の場所を尋ねられた
その辺りには斎場が2ヵ所あって
どっちがアトラスだったか確信できなかったのだけど
たしかあっちだったよなという方を教えたら
だいたいいつものごとく逆だった
大丈夫だったかな
ご焼香前に気づいてくれていればいいのだけど
でもまあ仕方がない
オレに場所を聞いたのが間違えだったんだ
10年くらい経った頃
ようやくカマを使いこなせるようになった
使いこなせるようになってわかったのだけど
パンを焼くには(特にハード系の大きいパンを焼くには)
最低のカマだ
性能を信じれば間違いなく焦げてしまうし皮もパリッとさせることができない
どうすれば焦げずに焼けるか
どうすれば中の蒸気が抜けるか
苦しみ考え続けた10年だった
でも最低のカマだって工夫さえすればどうにかなる
それがわかることができたのは大きな収穫だ
作業場にある機械のほとんどはしっかり機能していないんだから
冷蔵庫は冷却機能を完全に失っているし
ホイロは湿度調整機能喪失しているし
ミキサーは回らない
きょうかかっていたCD
Mesut Cemil / Early Recordings (トルコ)
http://www.youtube.com/watch?v=BbrjxgCp7Xg&feature=related
今夜の店のBGMにピッタリだった
隙間だらけの作業場なので
冬の朝は相当冷える
あんまり気温が低すぎると
パンがうまくいかないので
(昨年はこれでだいぶ失敗した)
夜10時頃から2時間ばかりカマの電源を入れている
良いパンを作ろうとすると
だんだん身動きが取れなくなってくる
今日かかっていたCD
Denis Cuniot / confidentiel klezmer
http://www.youtube.com/watch?v=jofyxu-F51s (映像)
クレズマー音楽ははじめて聴く曲でもクレズマーだとわかる
それは何か特徴があるからなんだろうけど
その特徴がなんなのかまだわからないし表現できない
もしかしたらそれがわからないから
聴いていて気持ちよくいられるのかもしれない
塩原温泉に湯めぐり手形なるものがあることを教えてもらった
http://www.siobara.or.jp/tegata.stm
それを持っていると最初の一軒目の温泉が無料になり
しかも1年間加入している25軒のホテル・旅館の入浴料が半額になるという
値段は900円
最初に入浴料金1000円のところに行ってしまえば元は取れてしまうという
恐ろしい手形だ
イカの三五八漬けを食べさせてもらった
三五八なんて言葉はじめて聞いたので
はじめはなんのことだかわからなかったのだけど
三(塩)・五(米麹)・八(米)の割合で混ぜ合わせてつくられる漬け床のことだそうだ
これが自分の好みの味でものすごくうまかった
こんなのがあったら酒が何本あっても足りないぜ
たまに甘いものが食べたくなったら
酒粕を買ってきて
酒粕に酒と蜂蜜をかけてから
すこし温めて軟らかくして
黄粉をかけて食べている
こういう野暮ったい食べ物が好き
正月に昔の使っていたパンの配合を書いたノートが出てきたので
10年ぶりくらいで蜂蜜と牛乳を使ったパン(プーのお気に入り)を作ってみた
生地を触った感覚や生地の硬さは覚えていなかったのだけど
昔と同じような味を出すことができた
今回もそうだしこの前のブリオッシュ(カリフォルニアの青い空)もそうなんだけど
作り方をまったく忘れてしまっていたので
昔作っていたパンをたまには作ってみようと思う
学生時代
東京築地の木村家ペストリーショップというパン屋でアルバイトをしていた
自分のパンを作りはじめてみて
先代の偉大さに気づいた
もう亡くなってしまったのだけど
あのひとのパンや菓子に対する発想力 センスには
これから死ぬまでパンを作り続けてもぜったい敵わない
パン作りは年数を重ねるほどに
難しいものだということがわかってくる
わかることも増えてくるのだけど
わからないことも増えてくる
なんだかわからないけどうまくいっちゃっている
始めはそんな感じでやっているんだけど
失敗して初めて分かっていなかったことに気づく
その後ようやく理解できるようになるんだけど
その繰り返しだ
この前うまく作ることができなかったので
軟らかめのブリオッシュにもう一度挑戦してみたけど
醗酵をとる時間がなくなってしまったので
ちょっとだけ醗酵させてクッキーにしてしまった
でも生地はかなり良くできていたと思う
きょうかかっていたCD
Om Kolthoum / Enta Omry (エジプト)
http://www.youtube.com/watch?v=hzRMbCuO_ts (視聴できます)
このひとの曲は前奏がものすごく長いのだけど
この曲の前奏はそれだけで終わってしまっても満足できるくらいカッコイイ
きょうも何種類かのパンをダメにしてしまった
注意力のなさは死ぬまで治らないだろう
もっと注意できればミスももうちょっと少なくできるのだけどなあ
オープン時にパンの種類が少ないときは
だいたい注意力のなさから判断を誤りダメにしてしまったときだ
そのほとんどは微妙な判断が必要なときに
全然考えることなしに
「何とかなるさ」とそのまま進めてしまった結果だ
何とかしようと思わなければ
何とかはならないんだ
それは理解できたけど
それができるかどうかは別問題だ
自転車野朗の夫婦がやってきた
からだを見ると相変わらず食べているようだ
戦時中や戦争直後でもないのに
この夫婦は
起きている間は一日中食べることを考えている
しかも食べ物に飢えているからじゃなくて
1日に4食も5食も食べているというのに
このふたりは
宮沢賢治の雨ニモマケズも風ニモマケズもとはまったく逆の暮らしをしている
雨の日や風の日は間違っても自転車には乗らないし
隣の部屋の犬がギャンギャン吠えれば
すぐさま飛び出して
隣の部屋のドアを叩いて「うるせぇ~」と怒鳴るし
1日に玄米四合と味噌とちょっとの野菜だけなんて笑わせるなという感じだし
大晦日は食って寝る前に除夜の鐘に耳を傾けて
煩悩を祓ってもらいましょう
ぼくも宮沢賢治の雨ニモマケズも風ニモマケズのような生き方は
御免だけど
正月休みは酒を飲み始めたら
止まらなくなり
朝も夜もずっと飲んでいた
朝の日本酒はつくづくうまいと思った
正月は腰を痛める前に
考えていたほどのトレーニングはこなせなかったけど
体力が落ちているなりに満足いくトレーニングができた
また懲りずにテレビの取材を受けてしまった
断っても断っても
「そこを何とか」と食い下がってくるので
地方TVの放送だけで見るひともいないだろうから
まあいいかと承諾したのだけど
放送終了3週間経ったいまも本当に何の反響もない
雑誌や新聞で取り上げられたときは
もう次の日から「読んだよ」というお客さんがやってくるのだけど
今回は3週間たったいまもひとりもそういうお客さんが現れない
金曜日の午後7時栃木TVでは観るひともいるまい
栃木TV以外でも三重滋賀埼玉千葉京都神奈川兵庫で放送されたそうだ
軟らかめのブリオッシュは2日目がとても美味しかった
思っていた味は出せなかったのだけど
面白い味になった
昔の味が思い出せないのだけど
近々もう一度挑戦してみようと思っている
捏ねるのに1時間
一時醗酵に13時間
最終醗酵に6時間
そうちょくちょく作る気にはなれないけど
たまに作るのは楽しいもんだ
固めのブリオッシュの方は思っていたような味を出せた
甘みがちょっと強い気もするので
今度作るときはもう少し砂糖の量を減らしてみてもよいかなと思っている
甘いなと感じる人はクリームチーズをのせて食べてください
今回は白い砂糖で作ったけど黒糖を使ってもまたちょっと違った美味しさになる
3連休最終日は朝仕込みを始めようと
ライ麦の酵母が入っている容器を明けたらびっくり
酵母に粉と水がかかった状態のままになっている
きのうの夜捏ねてやったつもりだったんだけど
捏ねられていなかった
粉と水までかけておいて捏ねるのを忘れて
醗酵室に入れてしまうなんて
普通のひとにはありえないことかもしれないけど
自分はこれで3度目だ
しばらく固まってしまったけど
あたふたしてもどうにもならないので
ライ麦酵母のパンは止めて
小麦酵母のパンだけを作った
ライ麦酵母のパンを作らない分時間ができたので
自転車でブラブラして酒屋で正月休みようの酒を買って帰ってきた
クリスマスサンタはいまぼくがいちばん望んでいたもの
『休息』と『酒』をプレゼントしてくれた
軟らかめのブリオッシュは
パンというより
軟らかめのクッキーのようになってしまった
でもそれはそれでうまかった
腰が痛くてトレーニングができないので
クリスマスも近いことだし
久しぶりにブリオッシュを仕込んでいる
もう何年も作っていないので
うまくできるかわからないけど
うまく作れたら24日に販売しようと思っている
軟らかめのブリオッシュと
硬めのブリオッシュ(バターケーキに近い)の2種類
インド料理屋「あいかけん」のライチさんは
店をはじめて半年もたっていないというのに
「2週間くらいインドに行ってきます」と言って
インドに旅立った
ちょうどチェンナイで『ミュージックシーズン』というイベントがあって
一ヶ月間インドのあっちこっちでコンサートが開かれているらしい
羨ましすぎるぜ
柿と牡蠣のイントネーションの違いがわからない
おそらく栃木の95%以上のひとはわかっていないと思う
どうすれば人の顔が憶えられるのだろう
お客さんの顔が全然憶えられない
今年は呪われているんじゃないかと思ってしまうくらい
次から次へと目の前に障害物が現れてきたけど
ひとつひとつ障害を乗り越えたりかわしたり
ぶつかって転倒しながら大きくなっていき
一年まえに比べたらひと回りもふた回りも大きくなった
懐中電灯のことを
きょうまでずっとかいちゅうでんとと言っていた
朝のランニングは短いダッシュをいっぱいやった
電柱から次の電柱へ全力で走ったら
次の電柱まではゆっくりと
まだまだ心臓は出来上がっていないけど
病気が治ってすぐの頃に比べたら
かなり回復している
ジムでは軽くマスボクシング
やはりひとり
イメージだけでのトレーニングでは限界がある
生のパンチ
生の動きはやはり違う
きょうは生の動きを体感できたので
イメージをすこしだけ現実に近づけることができる
なかなかジムへは行くことができないので
これを繰り返していくしかない
ジムの帰り自転車に鞄を取り付けていたら
腰に嫌な痛み
なんとか帰ることができたけど
明日は動けるだろうか
今年いっぱいもってくれればいいが
きのうは朝 計量しようと
はかりの電源を入れたら故障していた
びっくり
きょうはジムに行く途中自転車のライトをどこかで落としてしまった
近くのホームセンターで間に合わせで買ったそこのプライベートブランドの品なんだけど
自転車のライトには使わないでくださいと注意書きした方が良いくらいのライトだった
そのあと暗くなってきたのでライトが売っていそうな大きな店に入ったけど
自転車のライトが売っていなくて懐中電灯でまた間に合わせ
その懐中電灯がちょうど落としたライトのホルダーにぴったり合ったので
ホルダーにはめ込んで走っていたら突然落ちやがった
アスファルトにぶつかってバラバラ
今年はこんなことばっかりだ
練習がどんなもんだか思い出した
ここ数年「楽」を覚えてしまい
「楽」から抜け出せなくなっていた
ひとりトレーニングも楽しめるようになってきた
ひとりのときはある程度気合を入れてやらないと
楽しむことはできないんだ
1年後の自分はちょっと違うぞ
風邪で3週間寝込んで
体力があそこまで落ちていなければ
これから先もダラダラの練習を続けていたかもしれない
今日かかっていたCD
Groupa (スウェーデン)/ fjalar
http://www.youtube.com/watch?v=Wvlqjxx_HdQ&feature=related (映像)
久しぶりに聴いてみたらとても面白いアルバムだった
冬に寒い地方の音楽を聴くと気分がポカポカしてくるのはなぜだろう
腰 右腕の付け根 右手中指の爪と指の間を負傷
指以外は原因不明
パンを捏ね終わると
もうクタクタガクガクフラフラ
押しライ麦の食パンは焼かないで
サンドウィッチにして食べると美味しいと思っていたけど
トーストしてもいける
今日かかっていたCD
sagskara (スウェーデン) / apelgra
http://www.youtube.com/watch?v=_OXs5upHF48 (映像)
きょうはトレーニング休み
ジムから帰るときは熱が冷めず
「明日もからだを動かすぞ~」と思うのだけど
ジムに行った次の日はとてもからだを動かせる状態じゃなくなっている
特に久しぶりに行ったときは
きょうは店を終えてから
風呂に浸かって温まってから
本を読みながらゆっくりご飯を食べ
ひと眠り
もうちょっとゆっくりできるかなあと思っていたけど
思っていたより早く夜の仕込みの時間になってしまった
そのまま眠りにつければ最高なんだけど
バタン キューで眠れるには次の定休日まで待たなければならないのだ
3週間ぶりのジム
今年は全然ジムに行けなかったな
5ラウンド軽くグローブを交える
すこし走り込めるようになってきたので
もう少しうがけるかなと思っていたのだけど
2ラウンドの途中で息が上がってくる
だけどこのところずっと練習していたことが
すこしだけど出すことができた
手ごたえありだ
もっと練習すれば
まだまだ良くなる
できなかったことができるようになる喜び
これがあるからやめられない
腰が重くなってきて
機敏な動きをするのがきつくなってきたので
これも克服しなければ次にはいけない
正月休みはからだ動かして動かして
へロヘロになるまで動かし続けるぞ
生きようという思いがあれば
いつまで経とうが
どんなことになろうが
終わりにはならない
うまくいっているときだって
うまくいかないときだって
いつだって
どんなときだって
ここからなんだ
人生で
どんな過ちを犯そうが
それは恥ずかしいことじゃない
いつだって胸を張って歩いていけばいいんだ
きょうかかっていたCD
Hossein Alizadeh&Djivan Gasparyan (イラン)
http://www.youtube.com/watch?v=XnsK8pFIH0o (映像
いつも土日はカマだしやカマ入れを忘れてしまったり
水分を多くしすぎたりで一種類二種類パンをダメにしてしまうのだけど
きょうはすべてのパンを無事に焼き上げることができた
外に目をやると
今年いちばんの美しい夕焼け
坂を下りて山をバックに夕焼けを堪能したかったけど
お客さんが続けざまにやってくる
その分きょうは夜空を眺めた
きょうかかっていたCD
Paddy Glackinn & Micheal o Domhnail (アイルランド) / athchuait
http://www.youtube.com/watch?v=1T6jREgmQeg (映像)
Micheal o Domhnailはアイルランドの男性歌手のなかでは
いちばん好きなのだけどMick Hanlyとのアルバムは買い逃してしまった
ちょっとだけダッシュができるようになった
まだまだからだが重いけど
これで細胞の一つ一つが起きだしてくれれば
午前中の仕込み時
いちばん大事なところ
いちばん気を使うところで
郵便屋が来やがった
「税金のかかる荷物なんですけど」と店に入ってきたが
とても対応なんかしている余裕がないので
不在票を書いてもらって帰ってもらったのだけど
そこで完全に集中力が切れしまった
感覚がつかめない
数回深呼吸をして何とか集中力を取り戻したけど
午前中の仕込みのときだけでも邪魔が入ることなく
集中できればうれしいのだけどそうもいかない
いままでは問屋さんが直接材料を配達してくれたのだけど
数年前からガソリンの高騰やもろもろの理由で
クロネコが材料を持ってくるようになってしまった
それも代金引換だから困ってしまう
ただでさえ人一倍集中力がないのに
仕込み中人が来てしまうと
どうにもならなくなってしまう
勝たなくたっていい
ただ
いま
この人生を
おもいきり
楽しみたいんだ
こころのままに生きてみたいんだ
できるか
できないか
うまいか
うまくないか
それだけですべてが決まってしまう世界
これから先ぼくはそんな世界の中で絶対に生きていかない
ぼくだって
キャッチャーミットに向かって
おもいきり投げ込みたいんだ
バッターボックスに入って
おもいきりバットを振りたいんだ
へたくそだけど
野球がやりたいんだ
「がんばろう」って気合を入れるより
「たのしもう」って思ってことに当たった方が
力が湧いてくるような気がする
きょうかかっていたCD
Abida Parveen (パキスタン) / visl
http://www.youtube.com/watch?v=IH8BgubvXWM (映像)
鳥のささ身でオープンサンド
きょうもしみじみパンがうまい
自分で手間隙かけて作ったパンだから
うまさも50%増しだ
それなので他のパン屋のパンなんて食べられないんだ
受け入れたくないような
苦しみや悲しみも
少しずつ日々の喜びが薄めてくれる
とにかく歩き出すことだ
一歩一歩足を前に出して
歩き出すことだ
落ち込んだまま
何もしないでじっと止まったままでいれば
すぐに
爺さん
婆さんだ
どんなに苦しくても
どんなに悲しくても
生きていれば
喜べる日がやってくる
自分の足を踏み出す勇気
弾けちまえ
楽しんじまえ
ほっぺグイッと上げて
一歩足を踏み出せば
また世界は動き出す
きょうは30分の寝坊
ラジオをつけたら地震があったとのこと
ちょうど自分が起きた時刻だから
地震があってくれたおかげで起きられたのかもしれない
いつもより30分遅いスタートだけど
1時間で追いついた
いつもはじめの一時間くらいは半分寝ながらの作業だから
ちょっと気合を入れればなんとかなってしまうんだ
ひさしぶりに一度も目を覚まさずに5時間眠り続けることができた
きょうかかっていたCD
iran / musique persane (イラン)
http://www.youtube.com/watch?v=FofEqAYdHWw
http://www.youtube.com/watch?v=i5pcwnwuDUw&feature=related
ぼくの人生に
失敗はつきものだ
でも失敗は文字のように
失うものでも
敗れることでもないんだ
失敗はぼくにとって
材料であり
生への起爆剤
実は自分失敗コレクターだったのだ
失敗する秘訣は
とにかく挑戦することだ
パンは野菜つくりと同じで
出来上がるまで
どう転ぶかわからないというところが面白い
だから自分を完全に超えているパンができるときもある
自分の頭の中にあるパンの知識を超えているパン
自分がいままで食べてきたパンを超えたパン
おととい焼いたパンがそうだった
「条件さえ良ければこれだけうまいパンができるのか」という驚きと感動
これがあるからパン作りはやめられない
きのうのライ麦30%の平焼きパンは過去最高のもちもち感
これも自分を超えたパンだ
自分を超えたパンといっても
何もしないで超えられる訳ではないんじゃないか
失敗に失敗を重ねたからこそ得られることだと思う
そんなすごいパンは
また作ろうと思ってすぐできる訳ではないけど
そのパンが目標になって
いつか追いついての繰り返し
自分は転ぶことででかくなっていく男
)
雨が降り出す前に
走りに出た
冷たい北風がぴゅーぴゅー吹いていたけど
湿った空気だったので咳が出ることなく
快調 快調
銀杏並木から黄色く輝く葉っぱが
ドバドバドバという勢いで
舞い落ちてくる
歩道は一面黄色の世界
ザバーーザバーーと波打っている
ここのパンをスライスしないで
齧りついて食べていたという女性(年齢不詳30代後半~40代か?)が現れた
「この前買ったときに入れてくれた薄くスライスされたパンを食べて
スライスした方が美味しいことに気づいたんですよ」だって
よくライ麦40%(麦ばたけの波おと)やライ麦80%のパンを
噛み切れたと思う
むかしうちの犬が大きいままのライ麦40%のパンを
歯茎から血を流しながら齧りついている姿を思い出してしまった
店を終えて
走りに行ってきた
まだ5KMを走るのがやっと
3週間の風邪引きで体力が落ちたのと
ここ何日か走ったことによる筋肉痛と疲れ
そして風邪は抜けていったのだけど
慢性化してしまった冬の咳で
走るのが本当にきつい
だからといって走るのという行為を止めてしまったら
人生はそうとうつまらないものになるだろう
苦しさや痛みを排除して生きようと思えば
それはそれなりの人生にしかならない
やりたいと思うことをやるときには
苦しみや痛みが伴うものなんだ
うまくいっているときも
うまくいっていないときも
隠すことなんてなくて
すべてをさらけ出して
そのままの自分を生きればいいんだ
フラフラ
ヨレヨレになりながらも生きる姿は
格好悪いいことじゃない
これから起こるであろう苦しいことも
感じるであろう痛みも覚悟の上で
やりたいことに飛び込んでいって
傷つき苦しみながら楽しんで生きていければ
人生はいつだって最高だ
楽しもうと思ったものだけが
人生を楽しむことができるんだ
格好を気にして
やりたいことをやらないことは格好悪いと思うけど
うまくできなくても
のたうちまわりながらでも
そのまんまの自分を生きている姿をみて
ぼくは格好いいなと思う
ライ麦10%のパンを食べた
このパンにも名前があって
カンザスへ10と言う
映画『オズの魔法使い』で主人公のドロシーの住んでいるのが
カンザスでそこからとった(本は未読)
『オズの魔法使い』を観てない方はぜひ観てね
幸福も度胸も考える力もひとを思う気持ちも
与えられるものなんかじゃなくて
自分の中にあるものなんだということを
思い起こさせてくれる映画だ
いつかどこかで
なんかじゃなくて
カンザスなんだ
いまここになければ
いつかどこかにだって
ありはしないんだ
久しぶりにライ麦30%の平焼き(ひまわり)を
食べたらいい味だった
パン生地は勝手に美味く育っていくんだ
不味くなってしまったときは
人間が余計なことをしてしまっているんだ
それはわかっているけど
パン生地の醗酵や熟成のことは
ちっともわかっていないから
余計なことをやっちゃうんだな
山型の食パンの端っこを切って
軽くトーストしクリームチーズをのっけて食べた
バリバリの皮がうまい
なまけもののパン屋の山食の皮はパリパリではなくて
バリバリなのだ
このパンの名前は那須だけの高さからとった
1917と書いてヒクイナと呼ぶのだけど
いつの頃からかわからないが
1917メートルから2メートル縮んでしまい
1915メートルになってしまったので
1917改めバリバリ野郎と呼ぼうかと思っている
うまくいこうが
いかなかろうが
やってみないことには
何もつかめない
喜びも
感動も
気づきも
満足も
やってみりゃいいんだ
うまくいこうが
いかなかろうが
人生なんて
泥の中を
這いつくばって
進んでいくように
生きなければ
真の喜びなんて得られない
からだは正直だ
体力が落ちれば
動いてくれない
パン作り
お客さんへの対応
ランニング
ひとつこなすごとに
ぐったりと疲れる
頭もいつもよりぼーっとしている
きょうはライ麦40%の平たいパンをカマから出し忘れて
真っ黒けにしてしまった
2ヶ月前もまったく同じことをやっているんだけど
カマから出した映像はしっかりとあるのに
パンはカマの中
これってどういうことなんだろう
一日終わると
疲れて
フラフラになってしまうけど
決して嫌な疲れではない
三週間ぶりのジム
スパーリングはさすがに動けず
何もできないまま終わった
体力が戻るには
今年いっぱいかかるかな
焦らずに
楽しむ
スパーリングで
底を見て
スイッチが入った
またひとまわりでかくなるのだ
面白くなってきたぞ
きょうのライ麦10%のパンは最高~
旨みがギューッと詰まっている
野菜たっぷりのスクランブルエッグをのせて食べる
ライ麦80%のひまわり入りのパンもなかなかだった
クリームチーズをたっぷり塗って八戸沖秋さばの超高級さば缶をのせ
マヨネーズをちょこっとたらして食べた
ここのパンはそのまま食べてしまったら
一枚食べるのがやっとだけど
パンにピッタリのものをのせて食べると
10枚くらいぺろっといけてしまう
こういうパンはいまどきなかなか流行らないけど
自分はこういうパンを作り続ける
やっぱりひと手間ふた手間かけて
食べた方が人生が豊かになるもん
手間を省くことが必ずしも時間を無駄にしないということとイコールにはならない
もしかしたら手間をかけることの方が時間を無駄にしないことと
イコールの関係になることが多いはずだよ
ようやく風邪が抜けた
3週間もかかったので
もしかしたら風邪ではなくて
いまちょっとした流行の
なにたら肺炎だったのかもしれない
面白いことに
病気が抜けていったら
鏡で見る自分の顔が変化したこと
「そういえば こういう顔だったな」と懐かしく
自分の顔を眺めた
病気のときのときの顔ってあるんだな
病気のときは
気持ちが沈んでいく
焦らず
ゆっくりと過ごしていこうと思う
きょうも楽しくいい一日だった
美しさも
醜さも
愛も
憎しみも
喜びも
悲しみも
ありとあらゆるものすべてのものが
ひとりの人間の中に存在している
どんな人間の中にも
だからきっと人間は許し合いながらじゃないと生きてはいけない
汚いものや
できの悪いものを
切り捨てるような生き方は
自分自身の存在を否定することでもあるのではないか
ひとはひとりひとり
どんなひとでも
苦しみや悲しみ
重い重い何かを背負いながら
生きている
それだけで
尊敬できる存在ではないか
午前中時間ができたので
ランニングに出かけた
2週間まったくからだを動かさなかったので
ちょっと走っただけで苦しくなったけど
走れる喜びの方が大きく
ゆっくりだけど気持ちよく走ることができた
まだ風邪もしっかり治っていないので
しばらくは激しいトレーニングはできそうもないけど
それでも充分こころは満たされる
足りない足りないと思いながらやっていれば
いつまで経っても
何をやっても
楽しむことはできないし
満たされることはない
たった一滴の喜びだって
こころに通せば
器いっぱいに膨れ上がってくれる
だけど
どれだけ多くの喜びが
目の前にあったとしても
こころに通さなければ
器は空っぽのままなんだ
きょうかかっていたCD 今年もこのCDが聴きたくなる季節がやってきた
Maria Kalaniemi / 東京コンサート
http://www.youtube.com/watch?v=Ap-lOUCV3Gk&NR=1 (映像)
病気のときこそ
こころをゆったりしないといけない
人生楽しもうぜ~
一番なんかになんてならなくたって
人生は楽し~い~よ~
のんびり行こうや
完全復調ではないけど
ようやく軽い運動ができるようになってきた
2週間
店が終わった
速攻布団に入って
一生懸命眠ったのだけど
寝る前と起きた後で
ぜんぜん症状が変わっていないのはきつかった
ウィルスもこれからより強力化して
人類に襲いかかってくるのじゃないか
そんな予感を持ってしまうくらい
今回の風邪は強烈だった
でもただでは転ばないのだ
よりいっそう自分のからだを追求して
人生最強のからだを作ってやる
失敗したとしても
自分の力を使ってやったのなら
それは生きる力になっていくんだ
間の大切さ
間の面白さ
答えや先を急ぐ
つまらなさ
もったいなさ
結果は止めた時点で発生するもの
止めるまではいつだって間なんだ
間はたえず変化をしつづけている
時間があれば
高い機械を買わなくたって
自分の力で間に合わすことができる
時間があれば新幹線に乗らなくたって
目的の場所に行き着くことができる
時間があれば金も必要なくなるから
仕事もせかせかしなくて済む
時間があれば見えなかったいろんなものが見えてくる
時間があればこころがいつでも自分に寄り添ってくれる
時間があれば自分が喜ぶ
そしてひとも喜ぶ
毎日のひととの出会い
それがあるから
毎日パンを作り続けることができた
店をやるにあたってひとつだけ心がけていることは
パンを買いに来てくれたひとに
喜んで帰ってもらうこと
なかなか難しいことだけど
不器用なりにがんばってやっている
経済市場も
もう行き着くところまで行き着いてしまったいまこそ
自分にとって豊かさとはなんなのかしっかりと見つめてみる
良い機会なんじゃないか
自分にとっての豊かさを見つけてしまえば
たとえ収入や仕事が減ったとしても
もう恐れることもない
喜びがいつでも付き添ってくれる
自分の大好きなことをやる喜び
工夫して生きる喜び
自分の頭やからだを使う喜び
ひとや自然とのつながりを感じながら生きる喜び
金だってそれほど必要じゃないこともわかってくるんじゃないか
子供を塾になんて行かせなくてもよくなるかもしれないし
大きな家なんて必要なくなるかもしれないし
家電や衣類買うものも少なくなってくるかもしれない
何かやるときに
評価されることや
好かれることを考えて
自分を殺してしまったのでは
自分が広がっていかないし
何の喜びも得られない
後悔山積みで死んでいくことになってしまう
力がなくたって
怖くたって
いまの自分をそのまま表現していくことでしか
ひとは生きていけないんだ
ひとを育てようとするとき
いちばん重要なことは
待てるかどうかだと思う
たとえば子供を育てる場合でも
世間体なんかを気にしたり
親の都合で
親が手を貸してしまったり
煽ってしまったり
自我を抑えつけてしまっては
子供は育っていけない
親が思っている以上に
子供には
自分の思いもあるし
自分で考え
乗り切る力も備わっているんだ
結果だけを求めたり
結果が出るのを急いでも
子供は苦しいだけだ
喜びの伴わない苦しみなんて
戦争の苦しみといっしょだ
育っている過程が大事であって
その過程(間)が子供にとっては
喜びであって
豊かさなんだ
育てる側にもこころの余裕や広さがなければならないだろう
でもどんな酷い環境の中でも
育っていく子は育っていくもんだ
人間の持っている力
よくわからないけど
それはそうとうにすごいものだ
結局育つかどうかはどんな環境にあろうと
自分が素敵な道をみつけられるかどうかにかかっているのかな
出来るか
出来ないかが
評価基準にしかならないような世界では生きたくない
自分が楽しもうと思えば楽しめるし
楽しもうと思わなければ楽しめない
楽しめるか楽しめないかは自分次第なんだ
ようやくパン作りものってきたのだけど
粉の注文をし忘れてしまった
祝日は問屋が休みだから
粉が届くのにはそうとうの時間がかかる
きょうはなんとか焼く量を少なくして対処したけど
明日の午前中までに粉が来ないと
かなりまずいことになりそうだ
明日への光を見たいなら
日常を楽しんでやると決意するだけでいい
何かに頼ったところで光なんて見えてこない
光は自分のこころの中にあるんだから
自分自身の目でみつける意思がなければ
見ることはできないし
自分の足で歩く意思がなければ
見ることも追いかけることもできない
たとえ誰かや何かの助けがあったとしても
自分で見つけ
自分の足で歩く意思がなければ
それ以上進むことはできないだろう
気持ちは自分で盛り上げていくしかないんだ
自分自身に対してなんだから
張ったりかましたって
大げさになったって
かまいやしない
どんな手を使ったって
とにかく
盛り上げてしまえばいいんだ
盛り上げさえしてしまえばあとは
気持ちが運んでくれる
死はいつでも
目の前でパックリと口を広げて待っている
きょうでも
あしたでも
いまこの瞬間でも
死んでしまう可能性はあるんだ
災害に遭って死んでしまうことだって
別に特別なことではないんだ
いつ自分に訪れるかはわからないけど
命尽きるそのときまで
力いっぱい燃焼させて生きてやる
人間も
木や
鳥や
岩といっしょ
この地球を構成している自然の一員
でもなぜ人間だけが縛られて生きているのだろう
そしてなぜ縛り付けられているにもかかわらず
これだけ他の自然を破壊することができるのだろうか
もしかすると縛り付けているものに何か要因があるのかもしれない
傷つくことを避けて
すました顔して
生きるより
傷ついき
もがき
悩みながらも
自分のやりたいように
飛び跳ね
駆け回りながら
生きていきたい
うまくなくたっていいんだ
いまの自分をそのまま表現できれば
それができれば
もうそれ以上望むべきものはない
ランニングを終えてから
何年かぶりに野崎街道沿いにある『胡桃亭』に行ってきた
蕎麦がきと鴨焼きで酒を飲んでから
もりそばを食べて外に出ると
最高の天気
そのまま氏家の本屋まで走ることにした
やっぱりそばはうまい
それに酒に合うのがいい
きょうは早めにジムに行くことにした
いつもの時間に家を出るともう途中
氏家辺りで暗くなってしまう
暗い中での自転車は神経を使うので
疲れるしあまり気持ちのいいものではない
車のライトの数々が襲いかかってくるようだ
冬のジム行きは暗いし寒いしで
出かける前にかなりの気合が必要になってくる
今シーズンは毎週行けるようにがんばってみよう
やっぱりボクシングが好きだ
これ以上の喜びを与えてくれるものは
いまのぼくにはない
だから
後悔しないように
しっかりとやっておきたい
きのう売れ残った
ライ麦40%のレーズンを食べた
これぞ奇跡
なんでこんなすごいパンができちゃったのだろう
Oum Kalthoum すごいな~
観客のこの盛り上がりはなんだろう
どんなことを歌っているのだろう
http://www.youtube.com/watch?v=tAiYscbRQBU (映像)
「そうくるか」
「それなら これならはどうだ」
このところ毎日がパン生地とのぶつかり合いだ
パン生地とじゃれあいながら
日々パンを作っている
楽しむことを忘れたら
ぼくのパンは死んでしまうんだ
完璧に何かをこなすこともいいかもしれないけど
それよりかもっと
大切なものがある気がする
ボクシングの練習で
スパーリングをして
終わった後に満足感が残るのはどんなときかというと
技術的なことがうまくいったときも満足感は残るのだけど
それよりか
魂でぶつかっていけたときや
体力をすべて出し尽くしたとよというくらい
ぶつかっていけたといきには
エクスタシーを感じてしまう
パン作りもそうなのかな?
「完璧に完璧に」
そうしなければならない空気が
日本中を覆ってしまい
いまや人間を押しつぶしてしまう勢いだ
その空気に負けない唯一の手段は
「たのしむぞ~」と叫ぶこと
ここ数週間前から
パン作りでも生活面でも
肩の力が抜けた
24時間力が抜けて
こころがゆっくりで
いい気持ちだし
やることすべてが楽しくてしかたがない
寿命もすこし伸びたかもしれない
力が抜けているといったらこのひと
Gabby Pahinui (ハワイ)
http://www.youtube.com/watch?v=TlFOtAfczXM&feature=related (映像)
性格なのか
生まれ持った精神なのか
キチンと キチンとかキッチリ キッチリいうのが
ぼくにはどうしてもできない
人間には変われることと
変われないこととがあるけど
キチンとキチンとだけは
何十年経とうが何百年経とうが絶対変われないだろう
キチンとキッチリとがない分
バランスがとれて生きられているのだと思う
ぼくのパンにもそれが出ていると思う
アレ アレ?というときもあるけど
その代わりとんでもなくうまいときもある
そんなパン屋が一軒くらいあってもいいかもしれない
夜もすこしずつ距離を走れるようになってきた
やっぱりからだを動かすことが大好きだ
止めるときは死ぬときかな
ぼくが通っている宇都宮のボクシングジムには
ぼくより年上の方が何人かいる
なかでもパラグライダースクールの校長をやっている
Tさんは60歳を超えているはずなんだけど
スパーリングを見ていると
何でこんなにからだが軽いんだと羨ましく思ってしまうくらい
ふわり ふわりとリングの中を飛び回っている
ぼくもまだスタミナだけはジムの誰にも負けていないし
疲れがなかなか抜けないということがあるくらいで
体力も気力もまだまだ落ちていないから
がんばればあと20年はできるかもしれないと
Tさんを見ていて思うのである
きょうは県外からのお客さんが多かった
わかっているだけで
茨城からが3組
福島からが3組
埼玉からが1組
秋田からが1組
自分以外の
何かに期待すると
どうしても気持ちがはやってしまい
こころが「いま」から離れてしまう
期待をしないで
自分を生きることに集中するように
こころがけたというか
最近自然とそうなってきた
そうなるとこころもゆっくりになってきて
なんだか一瞬一瞬が楽しくてしかたがない
そしてそれが(あとちょっとした偶然が)
小麦の酵母のパン(ライ麦30%以下のパン)の
最大の課題だったことを解いてくれた
集中して見ること
待つこと
パン作りにとっては
大切なふたつの要素を身に着けて
いよいよ才能開花
かな?
きのう売れ残った山型の食パンを
軽くトーストして食べてみたら
あまりのうまさにびっくり
きょうは店に来たら
真っ先にきのうのパンのコーナーに行ってゲットだ
沖縄音楽のCDを聴こうとケースを開くと
ペルシア音楽ののCDが入っていた
久々に聴いてみたらすごくいい
購入した当時はピンとこなかったのか
あまり聴いていなかったのだけど
いまなっている音は
こころにズンズン迫ってくる
Fatemeh Parisa(イラン)
http://www.youtube.com/watch?v=M28z9asZYGc&feature=related (映像)
CDをかけているとさっそく引っかかってくる人がいた
車を使ってカレーの移動販売をしているSさんだ
ペルシアの古典音楽に引っかかってくるひとはいままでいなかったのだけど
さすがに世界中を旅しているだけにこういう音楽にも反応してくる
Sさんは夫婦で南インドのカレー屋さんをやっていて
店舗はまだないのだけど栃木県北部を中心に車を使って移動販売をしている
冬は寒いので週末イベントがあるときのみの営業になるそうだ
もう少し北の方でお店をやる計画もあるそうなので
いまのうちに食べておかないと
食べられなくなるかもしれません
見かけたら即ゲットしてください
店の名前は
shandi
nivas
cafe'
この辺りは個人で小さいお店をやっているひとが多い
それぞれのひとが一喜一憂しながら毎日自分の店を営んでいる
大型店ではけして味わえない
すてきな空気を味わいに来てくださいな
自分のこころを大切にできるひとは
他者のこころも大切にできる
自分の弱さやできなさを知っているひとは
他者にも弱さやできなさがあることを知っている
自分のすべてを認められれば
他者のすべても認めることができる
やるかどうかの判断基準は
やりたいかやりたくないか
できないからといってやらなければ
いつまで経ってもできやしない
人生なんてあっという間
後悔ないよう生きるだけだ
さあ きょうも新しい一日の始まりだ
過去のことも
明日のこと
全部忘れて
きょう一日をおもいきり楽しんじゃいましょう
疲れたのなら
堂々と胸張って休みましょう
後ろめたさ感じて我慢していたら
こころがパンクしてしまうぜ
仕事ができないときだってある
学校に行けないときだってある
仕事をしないひとや
学校に行かないひとはダメなひと
仕事をしてるひとや
学校に行っているひとは
偉いひと
そんなふうな空気がいつの頃からか知らないけど
存在してしまっているけど
偉いひとというのは
仕事をしていようがいまいが
学校に行っていようがいまいが
自分のこころを大切にしているひとのことをいうんだ
地球のことを考えたら
仕事なんてしない方が
よっぽどいいのかもしれない
ライ麦40%以上のパン(ライ麦の酵母)は作り方を変えてから
ようやく自分のものになってきた
作り方を変えようと思うと
野球の投球ホーム変えようとするときといっしょで
自分のものにするまでには半年や1年あるいは2年3年とかかってしまうけど
変える必要性を感じたならまたいつでも変えていくつもりだ
パンを作っている以上
よりうまいパンを作ることをやめてはいけない
それがいちばんのモチベーションになってくれる
微生物のことやら醗酵のことやら熟成のことやら
難しすぎて
どんなにがんばっても生きているうちにわかることができるのは
これっぽっちもないかもしれないけど
それでも立ち向かっていかなければならないんだ
電話で問い合わせがあった
「きょうかかっていたCDはなんですか」
パンのことじゃないんだけど
好きなアーティストに反応してもらえるとうれしいものだ
久しぶりに
きょうかかっていたCD
Sonny Chillingworht /endlessly
http://www.youtube.com/watch?v=Pt_7hfRL-gg (映像)
このひとのギターから出てくる優しい音色が好きだ
甘くとろけてしまいそうな歌声もいい
http://dancingcat.com/artists/sonny_chillingworth/recordings_01.html#album2
(視聴)
ライ麦30%の平焼きも
イチローの生涯打率を超えるのは
もう時間の問題だ
先週辺りから
つかみかけている
寒くなって工場の室温が下がったときに
対応できるはまだわからないけど
もう一段階上に行けそうだ
他のパンも一回り大きくなってきた(実際の大きさじゃない)
だんだん調子が上がってきたぞ~
諦めずに
取り組んでいれば
必ず形になる
とにかく回数をこなすことだ
何度も何度も何度も何度もやっていれば
あるときパッと何かがつかめるときがある
ボクシングやパン作りを長年やってきて
そのことを知った
だからきょうもあしたも
パンを焼き続ける
思いには行動が伴う
だから
思って
思って
思って
思って
思いを成し遂げたい
奇跡は自分で起こすものだ
ただ待っていたって
奇跡なんて起こらない
思いがスパークしたとき
奇跡は起こるんだ
人生はいつだって
今からなんだ
上っているときだって
落ちているときだって
器用でなくてよかった
できないことを
できるようにする
それがぼくにとっては
いちばんの生きる原動力になるし
生きる喜びでもある
だから不器用であることが
人生をより楽しませてくれている
ここのパンは
どのパンもそのまま食べるのはやめてほしい
レーズンのパンだってここのパンは水分が多いので
レーズンがパン生地の水分を吸い取ってぐっちゃりしてしまうから
そのまま食べてもそんなにうまさを感じない
そこにクリームチーズをのせるだけでも何百倍にもパンが引き立っていく
何かといっしょに食べて美味しくなるように作っているので
手間はかかるけど
ほんのちっとでも自分の手を加えて欲しい
豊かさってそんなところにあるんじゃないか
パン屋を始めたからこそ
いろんなひとにめぐり合えた
それぞれのひとに
言葉ではなく
姿でたくさんのことを教わった
自分はダメだダメだといっているひとにだって
いろんなことを教わっている
人間て生きているだけで
それだけで価値がある
最近はライ麦40%以上のパン(ライ麦の酵母)がいい感じ
いいパンができる確立はイチローの生涯打率よりも高くなっている
これはパン屋にしかわからないと思うけど
かなりすごいこと
1種類2種類を少量作るなら
いいパンができる確立は高くなるけど
たくさんの種類大量のパンを作るとなると
(しかもひとりで)
捏ね 醗酵・熟成 焼きそれぞれの状態に注意を向けているのは集中力がいるし
醗酵の進み具合も日によって違うから
いまこの生地をここで分割したいんだけど
あの生地をカマに入れなくちゃならないなんてことも起こってくる
でもいまは失敗を重ねてすこしだけパンのことが見えてきたので
いいパンができる確立が高くなっている
野球のバッターは10回に3回打てばなかなかやるなあと思われるけど
パン作りだって野球と同じくらい難しいものなんだ
スランプだったる
微生物のこと 醗酵熟成のことなんてそんな簡単にわかるもんじゃないぜ
人間は自分たちの力ですべてを変えられると思っているけど
それは傲慢というものだ
自然界のことなんて人間は一生かかってもこれっぽっちもわからないだろう
ライ麦30%以下のパン(小麦の酵母)はどうしても
他のパン生地との兼ね合いがあるのでいいパンができる確立はすこし下がってしまう
特にライ麦30%の平焼きはいちばん難しいパンなのに
他のパンの作業と重なってしまうことが多いので
奇跡が起こったときでないと感動できるようなパンができない感じだ
でもそれも経験を重ねればすこしずついいパンができる確立は上げられていくと思う
この夏でちょっとだけ見えてきたものもあるから
いいパンができる確立もちょっとだけ上がったと思う
でもいま自分が思っているいいパンを
超えるいいパンを作り出していくことが
ぼくが本当に望んでいること
いつだって進化の過程
あと10年20年生きられるものなら
あしたの自分を見てみたい
どんなパンを焼いているのだろう
守りに入ることなく
どんどん攻めていく
それが人間という未完成な生き物の
境遇なんだろう
ぼくはぼくのうたを歌う
ぼくはぼくのうたを歌いたいから歌う
生きている歓びを叫びたくて歌う
ぼくはぼくのうたを作って
ぼくの声でぼくのうたを歌う
自分の人生に立ち向かっていくこと
そう決意しなければ
人生は開かれてはいかない
ライ麦60%とライ麦40%のプレーンなパンがいい
このパンは売れ残ってしまう日が多いのだけど
最近完成度がかなり上がってきて
かなり
いやそうとう
うまい
地味なパンなんだけどあなどってはいけない
今年は雨が多すぎる
ぼくの作るパンは水分がかなり入っているので
湿度が高い日は
パン生地を寝かすときに使うキャンバス地に
パン生地がくっついてしまう
若いうちは
どんどん失敗をした方がいいと思っているから
これからもどんどん攻めていく
失敗を重ねないと見えてこないものがある
でもあと何十年たったとしても
ぼくは若いままだから
死ぬまで攻め続けて生きていくだろう
ここしばらく
山型の食パンに使う小麦の状態が良くなかったので
まだ袋には粉が残っていたのだけど
新しい袋を開けて使ってみたら
久しぶりにいい感じの山食ができた
悪い粉はどんなにがんばっても限界がある
パンもようやく調子が上がってきた
集中力さえあればオレもかなりのパン職人になれると思うんだけど
これから先集中力が下がっていくことはあっても
上がっていくことはないもんな
店を終えて
走りに行く
暗い中でのランニングはなかなか気分がのってこない
仕事の後で足は重いし
腹もすいてくるから
食べ物と酒で頭がいっぱいになってしまい
なかなか予定通りの時間走り通すことができない
きのうは秋田でここのパンを食べてくれていたひとが来てくれて
きょうは千葉から
そして宮城からもお客さんが来てくれた
それぞれの方が住んでいるところの空気を持ってきてくれて
楽しいひと時を過ごすことができた
最低のことは全部忘れて
きょうはいっしょに
最高だよ
最高 最高 最高 最高だよ♪♪♪松田美緒
「ここは無理だ」っていう場所はあると思う
大学を出て初めて就職した会社は
一ヶ月経たずに退職した
変えられること
変えられないこと
我慢できること
我慢できないことってあるんだ
辞めなければ人生が動き出さないことってある
あの時辞めたからこそ
いまの自分がある
今年も
「やってしまったぜ」ということが
いっぱいあったけど
攻めた結果のことだから悔いなし
俺というものは
ひとが作り出すものなんかじゃない
俺は俺だ
那須町から自転車で女の子がやってきた
おもしろいひとで
「自転車始めようかと思っているんですよ」と言っていた翌週には
もう自転車を買っていて
「家からこのお店まで20Kmくらいあるんですけど自転車で来れますかね」と
訊ねてきたので
「大丈夫 大丈夫 楽勝ですよ」と答えたら
まもなく自転車でやってきた
「青森いいですね 行ってみたくなっちゃいました」と言っていた翌週には
青森行きを決めていて
来週行ってくるそうだ
こんなふうにやりたいと思ったことを
即行動に移して生きていたら
人生楽しくてしかたがないだろう
準備が完全に整ってからなんて言っていたら
いつまでたっても始められやしない
始める前に気持ちがどこかへ行ってしまうだろう
飛んでみろ
やりたいならいますぐ飛んでみろ
考えるのは飛んでからすればいい
転びながら学んで
整えていけばいいんだ
ということを
言葉ではなく姿で教えてもらった
ジャム爺とジャム婆の作ったジャムを食べた
みかん&レモンのジャムは
酸味と苦味と甘みのバランスがちょうど良く
飽きずに食べられそう
熟成梅のジャムは刺激的な酸味がぼく好み
酸味を出しすぎたかなというパンにつけて食べたら
ものすごくおいしくなった
そのまま食べるにはかなりきついパンだったのだけど
これはすごい
偉大なジャムだ
レモンガードは癖があるけど癖になる味
お茶に入れても飲んでもいいかも
レモンの入ったお酒も美味しかった
グイグイと行きたくなるけど
基がウォッカなので
コップ半分くらいでいい気分になってくる
そろそろオープン予定だそうです
アレ どうしたんだろう
明日までからだが痛いはずなのに
痛いところもどこにもない
きのう一日からだを休ませたら
きょうは絶好調だ
体力が戻ってきたのだろうか
それともからだが若返ってきたのだろうか
このところ新しいお客さんがよく来てくれる
この店のお客さんは
転勤でこっちに来ているひとの割合がかなり高く
どうやってこの店を見つけるのかはわからないけど
ある時パッと現れて
時が来くるとまた別の地域へと去っていく
そのひとたちからクニの話を聴くのがとても楽しい
まだ見ぬ世界へ空想を膨らませることができる
同じ地域のひとでも見え方や思いが違っているのも面白い
ボクシングでは
殴りあった後
「こいつ やるな」と尊敬する気持ちが湧いてくる
憎しみなんてものはこれっぽっちも湧いてこない
ボクシングを始めたばかりの相手とやったときも同じだ
そこがすごいところ
そういう気持ちになれるのは
おそらく自分の弱さ
自分のできなさを知っているからなのと
相手の頑張りがわかるからなのだろう
ジム行き帰りの自転車はもう寒くなってきた
2週間ぶりのジム
練習相手がいるというのはやはりいいもんだ
拳を交じえるときのスリルや判断や工夫
最高に楽しい
きょうもいい汗をかいた
でも明日から3日間はからだ中が痛いんだな
きのうはパンがたくさん余ってしまったので
焼く種類と数を少なくしたんだけど
ライ麦40%のパンをミス
量を少なくしたことを忘れて
いつも通りの水を加えてしまって
修復不可能になってしまった
先週末もやっぱりライ麦40%のパンを
うっかりミスでダメにしてしまった
土曜日曜になってくると疲れてきて
集中力が落ちるので
ミスする確率が高くなってくるから気をつけないと
いつものことなんだけど
こんな日にはお客さんがいっぱい来る
ここ2週間お客さんがかなり少なかったのだけど
ミスしてパンの数が少ないときに
待ってましたとばかりに
ドバドバドバっとやってきた
でもこんなことにはめげずに
来週もひとりパンを焼くのだ
パンが焼けたと思ったら
もう夜だ
冬ももうすぐそこだ
夏ももう終わりかあ
そういえば今年はほとんど250円くらいのタンクトップで過ごしたなあ
最近は服もぜんぜん買わない
もういっぱいあるし
カッコイイ服で着飾るよりも
自分をもっと磨きたい
でもまだまだ人間磨けていないので
この前汚い格好で馬頭の温泉に行ったら
入浴を断られた
何十年生きようとも
恐怖というものはなくならないんだろう
恐怖が湧いてくる場面場面で
勇気を振り絞って
一歩踏み出すことができるかどうか
楽しい人生を送るかは
それに懸かっている
ぼくはとても臆病なんだけど
一息吐いて
怖さの中に飛び込んでいく瞬間が大好きだ
トレーニングウェアを着て立っている女性の
からだの美しさに
しばらく見とれてしまった
特に腰下の筋肉の盛り上がり方
はちきれそうな筋肉は
競走馬のそれとダブってしまった
訊いてみると
実業団で100mハードルをやっているとのこと
かなりのトレーニングを積まないと
これだけのからだにはなれない
トレーニング量だけでなく
年季も必要だ
ずいぶんと長い期間継続して厳しいトレーニング積み重ねてきたのだろう
頭が下がる
これだけのからだになるくらい
トレーニングを積んできたのなら
それなりの結果が出ているはず
あやつ
只者ではないぞ
ちょっと
いや
だいぶ刺激を受けた
俺もやるぞ~
ぼくにはこの道しかないから
この道を進む
大きな穴が開いていようと
大きな石が転がっていようと
ぼくにはこの道しかないから
この道を進む
時間がかかろうが
痛い目に遭おうが
ぼくにはこの道しかないから
この道を進む
朝 目が覚めると
ほっぺの体操
ほっぺをグイッグイッと上げてやる
パンを作っているときも
気がついたときはほっぺの体操
怒りが湧いてきたときも
ほっぺをグイッグイッと上げてやる
手を使って上げてやってもいいし
顔の筋肉を使ってグイグイやってもいい
効果があるから
騙されたと思って
やってみてね
どんなに結果が良かったとしても
自分の持っている力を出し切れなかったときは
悔しいもんだ
だから一瞬一瞬が勝負なのだ
結果だけを追えば
力が入ってしまったり
小細工をしてしまったりで
自分を出し切れない
一瞬一瞬を楽しみながら
自分をぶつけていく
勇気を振り絞って
その一瞬に飛び込んでいく
待つって行為は大切なことだけど
ときには待っているだけでは
いけないというときもある
自分から行かなければ
始まらないことってある
恵まれた環境
整った環境でも
ひとはしっかりと育っていくし
恵まれていない環境
整っていない環境だって
ひとはしっかりと育っていく
どっちがいいかなんてなくて
結局は
自分が自分の道をみつけられるかどうかではないか
大切なのは環境なんかじゃなくて
出会いなんじゃないだろうか
科学技術の発明は
ひとに幸福をもたらしもしたけど
不幸にもした
使い方なんだろうな
自分にとって必要なものなのか
必要でないものなのか
見極めて使うようにしないと
人間は人間でなくなってしまうだろう
自分を見つめていれば
ひとの批判なんてなかなかできない
もし批判をするのなら
そのひとととことん付き合う覚悟がなければならないと思う
このところ
いくつかのパンで
うまいパンを連発している
天才の片鱗を見た
3連休最終日
3連休だということを直前に知って
店を開けることを告知するのが遅くなったので
お客さんも来ないだろうなあと思っていたけど
思っていた以上に来てくれた
最近通販でパンを買ってくれていたひとたちがちょこちょこと来てくれるので
うれしい
きょうも素敵なお客さんたちが来てくれた
素敵なお客さんが多いというのが唯一
この店の自慢できるところ
パンは自然の摂理にそって
作ればうまいパンができるのはわかっていても
これだけ自然から遠ざかった生き方をしていると
自然の摂理なんてわからなくなっているから
本来ならなんでもないことなんだろうけど
いまの自分には難しすぎて
七転八倒の毎日
うまくいかないときやどん底まで落ち込んだとき
そこからだ
底から這い上がっていくときというのが
人間として生きている醍醐味だと思う
観察していて面白いのも
そういう状況にいるひとたちだ
プロスポーツの世界なんかを見ていると
よくわかるけど
うまくいっているときというのは
ひとが集まってくるけど
うまくいかなくなったとき
ひとはさーっとひいていく
去っていくひとたちは
いちばん面白いところを見逃してしまっているんだ
這い上がろうともがき苦しんでいるひとたちからはえられることも多い
うまくいっていないときというのは
とても孤独だ
でもその孤独感があるからこそ
強くなれる
まだまだ思うようなパンはできないけど
誤魔化したり逃げることなく
いまの自分をさらけ出さなければ
次には行けない
陽が短くなってきた
真っ暗の中に虫の鳴き声
こんなときにCDの音はいらない
風の音も聞こえてきた
うわぁ
また三連休だ
はじめて知ったよ
月曜日は店どうしようかな
できない理由をあれこれ考えだしてしまったら
今度は思いついたできない理由を一つ一つ消して行っちゃえ
やりたいことが見つかったなら
やっちゃえばいいんだ
何か新しいこと始めるときは
不安だし
怖い
それにいままでよりも大変になりそうだから
なかなか一歩が踏み出せない
傷だってつきたくないもん
でもいままで生きてきて思うのだけど
失敗なんていくらでもしていいんじゃないか
傷だってどんどんつくべきなんじゃないか
しっかりとできるかできないかなんてことは
生きているうえでそれほど重要なことじゃない
大切なことは
やったかやらなかったかということ
失敗しようが
傷つこうが
困難な目に遭おうが
こころからやりたいと思うことを
始めてしまったら
そんなことは
なんでもないこと
効率主義に慣らされてしまったぼくたちは
ほんのわずかな時間待たされただけで
イライライライラ
あっちでも
こっちでも
イライライライラ
豊かになりたい
豊かになりたいと
遊ぶ時間も
好きなことも捨て
ぼくたちは
学校や塾に通い必死に勉強し
そして働いた
この先に豊かさが待っていると
一生懸命がんばったけど
どんなにがんばっても
豊かさは手に入れられなかった
でも子供たちだけは知っている
豊かさは先にあるものなんかじゃなくて
いまにしかないことを
待っているこの時間の中に豊かさがあることを
結果だけがすべてになってしまったこの世界で
子供たちだけが
虚しさなんて感じることなく
いまを
おもいきり生きている
定休日(月 火)に二日続けて晴天というのは久しぶりじゃないだろうか
午前中でトレーニングを終えて
自転車で
黒羽
馬頭方面へ
帰ってくると
きのう以上に
そして今朝以上に
からだ中が痛い
いま(10月)頃が
からだを動かすには
いちばん気持ちがいい時季だ
今朝のランニングは
ダッシュを多めにやった
やはりからだをぶっ壊すくらいの気持ちで
臨んだ方ががいいトレーニングができるし
充実感がある
それをわかっていても
毎日そんな気持ちでトレーニングを持続させることはできないけど
でもそれでいいのかな
緊張と緩和
夕方はジムへ
青森秋田での坂道こぎで
からだが軽くなったおかげで
からだがよく動いてくれる
スパーリングも反応良く動いてくれた
ここ数年練習量が足りなすぎたことを実感
動かしてやらなければ
からだは動いてくれない
しばらくはボクシングに集中しようと思う
Tさんたちも青森に行ってくればいいのに
青森は自転車乗りにとっては天国のようなところだ
景色はいいし
うまい食べ物もある
そして疲れたからだを癒してくれる温泉がある
行けば5kgは痩せられる
でもうまいものだらけだから
たぶんTさんたちは自転車なんて乗る暇なく
食べまくるだろうから
逆に10kgくらい太ってしまう可能性の方が大きいかな
すだれごしに
外を見ると
駐車場で何かをバクバク喰っている物体が
動物のよう(牛か何か)に見えたので
ドキっとしたけど
外に出てよく見てみると
東京の自転車乗りTさんたちだった
やりたいことがいっぱいありすぎて
やりたくないことなんてやっている暇がない
死によって
すべてが消えてしまってもかまわない
だけど生きている間は充実した日々を送りたい
あっちからも
こっちからも
変われ変われ変われって
迫ってくるけど
何でもかんでも変わりゃあいいっていうもんじゃないし
変わる必要がないものだってある
変わるも変わらないも
自分で決めることだし
自分の価値観だ
やりたいんだけど
まだ眠っていたい
入っていきたいんだけど
怖くて逃げ出したい
この道も歩きたいのだけど
あっちの道も歩きたい
やってみたいんだけど
うまくいできないとはずかしい
ひとりのこころの中に
いろんな思いが渦巻いている
相反するものとの格闘なんてしょっちゅうある
でも
きっと
いろんな思いがあるから
ぼくは生きられる
いろんな思いがあるから
バランスが取れている
人間ひとりひとりを見てみても
違っているから
世の中はバランスが取れている
選択幅がなくて
みんな同じにしてしまったら
疲れるし
息苦しいし
退屈だし
それに
危険だ
どの方向かに傾いていってしまって
いつかは崩壊するだろう
誰かのこころのなかを変えようだとか
何かが変わらないかなと待っていても
変えられるもんじゃないし
変わるもんじゃない
そんなことして
時間を無駄にしているのだったら
自分が変わっちゃえばいいんだ
傷は完全に消え去ることはないけど
生きていれば
時間が傷口をすこしずつふさいでくれる
傷口がふさがってくればいまを生きられる
過去を引きずっていても何も始まらないし
どんなのあたふたとして動いても
もうどうにもならないことってある
いま目の前で起こっている出来事
いま現在の出会いを
大切に生きていくことで
未来はまた開いてくる
きのう顔をコツコツコツコツ叩かれたので
朝起きたら
鼻が真っ赤っか
肩周辺も筋肉痛でゴキゴキだ
足は何とか大丈夫そうだったので
店が終わってから
ゆっくり2時間くらい走ろうかと
走り出したら足もきていた
重い足を引っ張りあげながら
なんとか50分走ってきた
そういえばきょうも走り始めるときに
星が流れた
のっているときは
宇宙だって
ぼくのために動いてくれる
のっているっていうのは
平穏な毎日を送れているときのことをいうんじゃない
自分の人生に立ち向かおうと決意したとき
ひとはのっていけるんだ
荒波にもまれながらも
毎日充実した日々を送っている
ジャムおじさんとジャムおばさんが来た
今回もいっぱい頂いた
いろいろ試しているらしく
今回はレモンとウォッカを使ったお酒まで登場した
休みには車に乗って犬のさくらを連れて全国の農家を訪ね歩いているそうだ
近々工房を作る予定だそうだ? ? ? ? ?
近々みなさんも味わうことができるかもしれません ? ? ? ?
頂いても毎度
もったいなくてなかなか食べられない
感想は
忘れなかったら後ほど
一ヶ月ぶりにジムへ
マスボクシング10ラウンド
相手してくれたふたり
共に気合が入っていたのと若さ(勢い)とうまさで
楽をさせてもらえなかった
10ラウンド手を出しっぱなし
おかげで一か月分のさびが一日で取れた
先週の旅でいっぱい坂道を上っておいてよかった
才能あふれるふたり
うらやましいけど
ぼくは気持ちでがんばる
才能や技術がなくても
スタミナと気持ちがあれば
才能を打ち負かすことだってできるんだ
収穫ありのマスボクシング
ひとつつかめたことがあったのと
いくつかの克服できそうな課題が見つかった
やっぱりリングでいい汗を流すのは気持ちがいい
人生でいちばん好きな時間
ジムの帰り
大きな流れ星ひとつ
それから自転車のライトが壊れた
のっているときは
よく物が壊れる
壊しているのは自分が出しているエネルギーなのか
帰り道は大小合わせて10以上の上り坂があるのだけど
きょうはとても楽に上れた
この前の旅では自転車に乗っている時間の半分以上
坂道を上っていたのだけど
たった5日間でからだがこんなに違ってくるとは
ライ麦40%の平焼きをすこし厚めにしてみた
日がたってもおいしく食べられるように
焼き加減も調整完了
また好きなアーティストが来日する
リアム・オ・メンリィ 12月12日 東京 他
http://plankton.co.jp/liam/index.html
11月のマーティン・ヘイズ
でも今年は我慢して
パンとボクシングに集中しようと思う? ? ?
そして来年はもう一度青森に行ってこよう
今度は新緑の季節
今回の旅で青森の中でも
八甲田が好きなんだなということがわかったので
次回は八甲田をじっくりと探索してこよう
この辺りは開発の手が入りそうになったこともあったそうだけど
住民たちの反対によって開発されることなく
自然が残った日本では数少ない場所だ
ブナの木がこれだけ残っている場所は白神山地と
この辺りしかないんじゃないだろうか
白神山地は世界遺産になってしまったことによって
自然破壊が進んでしまったようだけど
この辺り特に南八甲田の辺りは山に整備された道がないので
荒らされることなく豊かな自然が残っている
八甲田付近は自然が残っているので水がとても豊富だ
あっちにもこっちにも美しい水がある
まだ自分は表面fだけしか見ていないけど
山の中に入れば飽きることのない世界が広がっているはずだ
山奥まで入っていく実力はないけど
ほんのちょっとでも山に触れてみたい
体力だけはつけておこう
パンの生地が乾燥しやすくなってきた
それから醗酵の進みもゆっくりになってきた
パンの生地は正直にしか生きられない
誤魔化そうと思っても
パン生地は誤魔化されてくれない
店に置いてくれと
チラシを持ってくるひとたちがときどきいる
観察していると
すぐにはけるチラシ
いつまでも残っているチラシがあって
だいたい持っていかれないチラシは
小さすぎるもの(大きさの問題ではなくて情報量が少なすぎるのが原因かもしれない)
大きすぎるもの(これは店に置くとかなり邪魔なのではけないときはすぐに撤去してしまう)
つまらなそうなイベントのチラシ
岡本の『キッチンカンナのチラシ』はあっという間になくなってしまう
大きさはパスポートくらいで
紙はわら半紙?だったか
4ページだったか6ページになっていて
スタッフや食材を卸しているひとが手書きでちょこちょこっと文章を書いている
チラシも作りゃあいいというものではなくて
考えて作らなければならないんだ
青森 秋田で上り坂をこぎまくっていたので
体重がここ数年でいちばん体重が落ちた
ふだんある程度絞って67kgくらいなんだけど
旅の途中に温泉の脱衣所で体重を量ってみると
65kgになっていた
帰ってきてからサンドバックを叩いてみると
からだが切れる切れる
ランニングをしてみても
一週間休んだから辛いだろうなと思っていたら
からだは軽いし
下半身はどっしりしているし
スタミナも旅行に行く前よりついているかもしれない
こんなトレーニング方法もあるんだなあ
夏の旅のこと
日曜日
青森へ出発
店を終えて自転車で那須塩原に向かう
休みに備えての準備で忙しい一日だった
出発直前にお客さんが来てしまい
電車に間に合うか不安があったけど
駅に着いてみるとまだだいぶ余裕があった
17:35出発
24:00ちょっと前に青森到着
東京からは新幹線一本で行けることになったけど
栃木からだと一、二度乗換えをしなければならない
しかも「はやぶさ」が登場してからは
はやぶさ通過待ちなんてことも出てきた
これが資本主義というものだ
月曜日
目を覚ますと雨の音が聞こえる
お約束の雨
年に二回くらいしか旅に出ることはできないのだけど
旅に出るとかならず雨や風にぶつかる
それも半端ものでない雨風
天気予報を見てみると
大雨注意報が出ている
降水確率午後午前ともに100%
まだ小降りだったので
宿近くの古川市場に朝飯を食べに行く
http://www.acci.or.jp/nokkedon/
ここは観光客を引き寄せるのに成功して大変賑わっている市場
観光資源の豊富さでは青森は日本で最上位だろう
やる気さえあればいくらでもひとが呼べる
古川市場は少量から買えるからひとりにはうれしい
のっけ丼なるものもやっているけど
魚の味をしっかり味わいたいのでご飯なしでお皿に盛ってもらう
カンパチ イクラ ウニ 活けアワビ 煮アワビ サザエ シャコ
白魚 ホタテ もずく
至福のとき
あとは酒さえあれば文句なし
市場を歩いていると
売るのがうまいひと
うまくないひとというのがいる
若いひとの方が売るのはうまい
だけど買った後は味気なさが残る
おばちゃんたちは売るのは下手だけど
おまけをしてくれたり
笑顔をお見せてくれたり
買った後に喜びを残してくれる
宿に戻って自転車を組み立て出発しようとしたけれど
外はものすごい雨
しばらく躊躇していたけれど
治まりそうもないのでおもいきって飛び出した
雨粒がメガネに当たって視界がほとんど利かない
きょうは鯵ヶ沢で魚と焼きイカを食べて
日本海を下れるところまで下ってやろうという予定
青森は場所の行き先を示す標識がしっかり立っていることと
郊外に出ると道路が少なくなるので
方向音痴の自分でも道に迷うことがほとんどない
壁に衝突し後輪が外れるアクシデントに見舞われながらもなんとか
13:00近くに鯵の沢に到着
『地魚屋 たきわ』で焼き魚を食べる
http://gazoo.com/g-blog/AJIGASAWA_MURA008/index.aspx
本当はきょう食堂の方は休みのようだったようだった
土日くらいしか鯵ヶ沢に観光客が来ることはないのだろう
それに雨も降っているし
ひとの少ない場所で飲食店をやっているひとたちの苦労
店を開けたくても開けられないことがあるんだ
自転車で回っていると言ったら
店の奥さんが「ご苦労さん」と言って
途中で食べるようにすり身の揚げ物を渡してくれた
ひとり旅をしていると
ひとのちょっとした温かみが
こころに沁みる
ひとに接するとき打算的になってはいけない
商売でもそう
そのまんま
人間として
普通にぶつかっていけばいいだ
こころとこころのぶつかり合い
焼きイカ街道でおっちゃんから焼きイカを二つ買う
青森のひとはむすっとしていて
第一印象は良くないのだけど
話してみると温かいひとが多い
躊躇していて出だしが遅れたので
出発前に考えていたよりかなり進みが遅い
十二湖入り口に着いたときはもう薄暗くなっていた
沸壷の池と青池は見ておきたかったので急いで回ってこようと
自転車を走らせたけど
上り坂でやがった
ヒィヒィ言いながら何とか上りきって
自転車を飛び降り
ブナの原生林の中を猛ダッシュ
沸壷の池 青池
自分の中にいままであった世界にはない世界が広がっていた
リゾート白神に乗って秋田市まで移動
行きたかった居酒屋に向かったけどもう暖簾が下りていた
がっくり
別の居酒屋で地酒と共に真イカの刺身 〆鯖 ぶりカマの塩焼きを食べる
ぼくも期待して店に来てくれたひとに悪いので
休むときはできるだけ早くお知らせが出せるようにしなくてはと思った
火曜
きょうは秋田市から田沢湖を通って宿泊予定地の乳頭温泉 鶴の湯まで行く予定
また雨だ
きのう大雨の中で自転車をこいだことで
もう怖いことなしになったけど
やはり雨の中での自転車乗りは疲れる
覚悟はしていたけど上り坂が続く
距離的にはたいした距離ではないのだけれど
平坦な道と上り道と下り道それからそのときの体調や気分によって
同じ5KMでもまったく違う
予定していたより2時間半も遅れて鶴の湯に到着
最後2kmの道が凄かった
まさに秘湯と呼ぶにふさわしい場所
期待感が膨らんでいく
早速風呂に入る
大人気の広い露天風呂では会話は生まれないけど
小さな内風呂では知らないひと同士会話が始まる
夕食がとてもうまかった
おかげで酒がうまい
名物の芋汁はどれくらい前からあったのだろう
できた頃から味は変わらないのだろうか
それとも進化し続けているのだろうか
部屋は何もなくてシンプルだけどとても落ち着く
木と畳
ぼくはやはり日本人だ
広さもちょうどいい
洋式は広い方が落ち着くけど
和式は狭い方が落ち着くのではないか
こんな部屋で暮らしていたら
欲もそれほど出ないだろうし
悪いことも思い浮かばないんじゃないだろうか
水曜
夜明け前に露天風呂に入りに行く
月曜日が満月だったので
天気がよければきょうもほぼ満月だったのだけど
月は見られなかった
でも夜明けと共にか輝いでいく乳白色の湯がとても美しかった
2時間近くお風呂に浸かって朝飯を食べて出発
きょうはもう一度新幹線で青森まで戻り宿泊地黒石の青荷温泉へ
きのう必死になって上ってきた坂道を一気に下る
上りもあれば下りもあるのだ
空気を切ってずんずん下る
12:00ちょっと前に青森駅に到着
市場でちょっと買い物して
卸売り市場の中にある『山の寿司』へ
3千円のコースをお願いしたら
大間の大トロと霜降り 八甲田のマツタケ ウニ ワラサなどなど
かっぱ巻きなど出てこないのがいい
東京で食べたら一万円だしても食べられないだろう
もちろん5万10万出したところで鮮度が違う
さっとつまんでさっと店を出て山をちょっと歩こうと思っていたけれど
大将の話が止まらない
山歩きは諦めて大将の話に耳を傾ける
せかせかしていてはおもしろいことがあっても逃してしまう
良い時間が過ごせた
ひとりできた客を大切にしない店や宿があるけれど
ひとりのお客さんほど大切にした方がいいのではないか
ふたり以上で来たひとは喜びがあってもそこで喜び合って終わってしまうけど
ひとりの場合はうれしいことがあっても喜びを分かち合うひとがいないから
旅を終えてから他のひとに喜びを伝えて広めてくれる
八甲田をゼーゼー言いながらこぎ上がるともう16:00を過ぎていた
黒石まではずっと下りだから
すぐ着くだろうと余裕しゃくしゃくでいたのだけど
最後の6KMから急な上り坂が続いていやがった
暗闇の中を目を凝らしながら進み
ようやく本日の宿青荷温泉に到着
http://www.yo.rim.or.jp/~aoni/index.htm
夕食の時間が18:00からだったらしく
宿のひとはなかなかやってこない客を心配していたようだ
夕食は小さなテーブルに知らないもの同士が
向き合って座って食べるようになっている
ひとりで来たひとは
ひとりで来たひとたちのかたまりの中で食べるよう配慮されている
自然と知らないひと同士会話が生まれて
食事もおいしくなってくる
ひとはみなさびしさで繋がっているんだ
ここには電気がないので
ランプの明かりのなかで過ごすことになる
風呂も部屋も真っ暗だ
木曜
きょうは奥入瀬渓流を歩き八甲田をこぎ上り
今夜もう一泊する青荷温泉に帰る予定
はたして18:00までに帰ってこれるだろうか
まあ帰って来れなくてもいいや
おもいっきり楽しんでこよう
青荷温泉を脱出して国道102を進む
なんだか見覚えがあるなあと思ったら
ここは昨年大雨の中を泣きそうになりながら走った道だ
延々と続く上り道
去年は泣きそうになったけど
今年は天気が良く
周りの景色を楽しみながら上ることができるので
苦しさも半減だ
左手に渓流右手にブナの林を眺めながら
突き進む
今回の旅でギアがあと二段も軽くなるんだということがわかったことと
頭が前輪を越えるくらい前傾姿勢になって立ちこぎをすれば
腰が痛まないことがわかったので上り坂も昨年ほど苦でなくなった
御鼻部峠から奥入瀬渓流入り口までは長い下りが続く
長い下りは長いブレーキングと緊張感で想像以上に疲れてくる
昨年3Mの崖から奥入瀬渓流に自転車ごと落ちたのも
この坂を下り降りて気力と集中力を切らせてしまったことにも原因があると思う
きょうは渓流をじっくり見たいという思いはもちろんあったのだけど
昨年の事故現場をもう一度見ておきたかった
道路の向こう側の水を塩ビ管を通して流し込んでいる場所で
直径3Mくらいの水溜りになっている
奥入瀬渓流の脇を通る道路を下っているときに
後ろで聞こえた何かが落ちた物音に振り向いた瞬間
ハンドルを持っていかれ
3M近くある崖から落下
落ちる瞬間今回ばかりはもうダメだろうと思ったけれど
気がついたら水の中
頭を出そうとすると水が勢いよくぶつかってくる
流れに巻き込まれてしまったと思って
慌てて自転車をつかみ岸に上がってよくみると
頭にに当たっていたのは塩ビ管から落ちてきていた水だったという漫画みたいな
出来事だったけど
後になって思うとその出来事が旅を深いものにしてくれていた
ゆっくりと下っていったのだけど今回は残念ながら
見つけることができなかった
八甲田を登っていくと蔦温泉に到着
http://www.thuta.co.jp/
まずは腹ごしらえ
きのこの煮込みを食べながらビールを飲み
カレーライスを頼む
いい味だ
今度青森に来ることがあったらここに泊まろう
若い女性従業員の対応も気持ちが良い
蔦温泉の周りを囲むようにある
ブナ林を散策
http://www.city.towada.lg.jp/koutsuu/tsuta/tsutanuma.htm
蔦沼が期待以上に美しかった
散策を終えて温泉に入る
この温泉は昨年奥入瀬に落ちたときに
寒さと崖を落ちた恐怖でぶるぶる震えながら
入った温泉
だからこの温泉とその後に入った
もうすこしこし上ったところにある酸ヶ湯温泉はぼくにとっては最高の温泉なのだ
脱衣所であった地元のおじちゃんもここがいちばん好きな温泉だと言っていた
温泉にお入って疲れも抜けた
快調に坂道を上る
初日に膝と足の付け根を痛め
今回の旅は続けられるのだろうかと不安に思ったけど
温泉に入ったら次の日痛みなんてどこかに吹っ飛んでいた
今回の旅で温泉の力というものを始めて知った
昨年見逃してしまった睡蓮沼に到着
ここは良い
どうやらぼくは湿原が好きらしい
国道394を通って青荷温泉に向かう途中に城ヶ倉大橋というのがある
ここからの眺めはちょっと恐怖だ
高いところが大の苦手なので
こんなもの作って落ちたらどうするんだよと罵りながら
なるべく中央線に寄って通り抜ける
きょうは夕食の30分前に宿に到着
風呂で一息ついて食堂に向かう
そういえばきのうほど暗さを感じない
慣れるものなんだ
便利さに慣れてしまうと
そこから抜け出すのは大変だけど
やる気になりさえすれば抜け出すことはできるんじゃないだろうか
立ち止まることができるんじゃないだろうか
便利さなんて取っ払ってしまった方が豊かな人生を送れるんだ
きょうの夕食でも新たな出会いがあった
ものすごくいい顔をしているひと
ぜったい面白いひとに違いないと思ったけどその通りだった
渓流釣りが一にも二にも大好きで
仕事でどこかに出かけるときでも
釣りの道具は必ず持っていくそうだ
コンサルタントの仕事をしているそうだけど
(話を聞いていてSさんの釣師としての生き方と
コンサルタントの仕事とのギャップを感じてしまうけど)
両方をやることでバランスが取れているのだろう
それにやっているすべてのこと
釣もコンサルタントの仕事も酒もたべることも
くくりなんてなくてなくて同じ線上にあるのではないだろうか
すべてを楽しんでいる
食事の後にSさんに誘われて
喫茶店でコーヒーをご馳走になっていたら
そこで談笑していた方たちとも自然と輪ができた
昔の日本はきっとこんな感じだったのではないか
いままで旅に出てもビジネスホテルにしか泊まらなかったから
こんな出会いは当然なかった
温泉宿はそういう世界がまだ残っている希少な場所
大切にしていかなければならない
だいぶ長く話していたので
もう23:00頃になっているだろうと壁にかかっている時計を見たら
まだ21:00だった
ここは時間がゆっくりと進む
いまの社会では
電気(明かり)があるから
夜が夜でなくなっていて
みんな遅くまで仕事に追われているけど
ここでは明かりがないから
夜がしっかり夜だ
暗い中ではそうできることも少ないので
せかせか生きることもなく
時間がゆっくり流れていく
そしてここでは
ひととひととの触れ合いがある
明治生まれのひとが書いたエッセーを読んでいると
あの時代はとても厳しい時代だったはずなのに
こころに余裕があった
楽しんで生きていた
豊かに生きていた
人間として生きていた
便利な世の中に向かっているのに
時間が無くなっているのはどういう訳だ
金曜
きょうは歩く
酸ヶ湯から八甲田大岳そしてまた酸ヶ湯に
8km~9Kmのコースだから
たいして時間もかからずに帰ってこれるだろうと考えていたけど
山道の1Kmがこんなに長いものとは
ぼくはどうしても平坦な道をランニングするときの感覚で距離を測ってしまう
8~9KMなんてゆっくり走っても1時間かからない距離だ
即製で作ったリュックのひもが肩に食い込んでくる
腹が減った
眠い
連日の自転車こぎで足が重たい
頂上付近はものすごい風だ
途中で引き返そうかなと何度も思ったけど
そんなことしてしまったら
また来年登りに来なければならなくなるから
気力を振り絞って歩いた
酸ヶ湯に着くと速攻食堂に向かって
ビールをグビグビやりながらそばを食べた
このそばがなかなかうまい
もうちょっと別の季節に食べたらもっとうまいはず
今夜は酸ヶ湯に宿泊
http://www.sukayu.jp/
チェックイン前に
旅館前にある湧き水を飲みに行くと
下山をし始めてすぐに逆方向から登ってきて一言二言交わした女性とばったり
地元の方とのこと
青森のひとはみんな自然に寄り添って生きている
山できのこや山菜を採り
川で岩魚や山女を釣り
山を歩いたり
スキーをしたり
温泉に入ったり
自然のすばらしさ 価値をを知っているから
自然を大切にする
だからこれだけの自然が残っているし育てられているのではないだろうか
それから青森には美しいひとが多い
顔が整っているとかきれいだとかいうんじゃなくて
きりっとした
いい顔をしている
酸ヶ湯はやっぱりいいお湯だった
土曜日
雨が降りそうだけど
午前中は何とかもってくれそうだ
八甲田山をグルリと回って田代平湿原に向かう
途中ススキで覆いつくされた場所があった
青森はなんて豊かなところなんだろう
木があり
水があり
温泉があり
うまい食べ物がある
宝がそこらじゅうに落ちている
花の盛りが過ぎているためか
時間が早いからなのか
田代平湿原にはひとが誰もいない
田代平湿原を独り占めだ
軽くランニングをしながら見て歩くと
入り口付近に青池(竜神池)があるのにはびっくり
それから別の池に温帯性睡蓮という直径3cmくらいのかわいらしい睡蓮が咲いていた
今回は気づくことや感じることがとても多い旅となった
そのまんま生きていけばいいんだ
感じるままに
変わることは変わるし
変わらないものは変わらない
変えるべきものは変えればいいし
変えるべきでないものは変えなければいい
自由でありたいなら
ひとも自由だということを忘れてはいけない
押し付けてはいけないんだ
他のエネルギーになんて頼ることなく
自分自身のエネルギーを使って生きていこう
そして原子炉になんて負けないくらい
輝きを放ってやる
駅前で寿司を食べて
市場で塩ウニを買って新幹線に乗り込む
酵母は生きているだろうか
17:35那須塩原駅に到着
今年はまだ行きたいコンサートがいくつかあるのだけど
都会にはしばらく行きたくないから
今年はもしかしたらもう音楽を聴きに行くことはないかもしれない
でも先月カウシキとアマジーグのコンサートを体感して
自分の人生から音楽を切り捨てることはできないなと思った
来年はどんな音楽と出会えるだろう
オーブンが壊れた
電源切っても
温度がどんどん上がっていく
これは恐怖だ
目の前で福島原発と同じことが起こっている
いったいどこまで上がっていくのだろう
今週は雨が降っても休まずにがんばって
来週の旅資金を稼ごうと思っていたのだけど
逆に修理費6万5千円持っていかれてしまった
電気機器は嫌いだ
できれば使わなくても済む暮らしをしたいと思っている
いますこしずつ周りから電気機器を減らしているところ
なんだかよくわからない原因で突然壊れて
複雑すぎて壊れても工夫して使う余地も自分の手で直すこともできないから
専門家に修理を頼めばショックで落ち込んでしまうくらいの金を持っていかれる
金を必要としない使わない生き方をしていこうと思ったら
電気機器は大敵なのだ
故障したのは三段あるうちの一段だけだったので
残りの二段でがんばって焼こうとしたのだけど
全種類の生地を捏ね終えたところで
故障の段 残り二段ともストップ
きょうは最低だ
6万5千円の内訳を見ると
技術料が6000円
まあこれはしょうがねえかと思ったけど
出張料4万円にびっくり
電話で6万5千円かかると聞いたときに
すでにガクッリとなっていたのだけど
これを見て更に沈んだ
東京からライトバンで来たのだけど
30分ちゃかちゃかっといじって帰って行こうとした
宿に泊まっていくわけでもなしに
これではあんまりだと思い追いかけて
他の悪いところを見てもらったのだけど
(ボタンを押しても電源のスイッチがなかなか入れられない
温度の設定も同じく 接触が悪い)
この部分は他の社に依頼して作っているところなので
直せないとのこと
単純な修理のような気がするけど
6000円も取れる技術で直して欲しかった
金額なんかよりもひとや企業のこころに気持ちが沈んだだ
しばらくガクッときていたのだけど
来てくれたお客さんたちと話しているうちに
こころが満たされていった
自分が望んでいるものをぼくはもう手に入れているじゃないか
東京からいつもの自転車乗りの夫婦
ここ何年自転車乗りと呼ぶほど自転車に乗っていないようだけど
一応自転車だけは持ってくる
そのおふたりとインド人のライチさんが本日初対面
http://aikakendayori.blog101.fc2.com/
ライチさんがカレーを持ってきてくれたので
奥のテーブルでカレーパーティに突入
きょう自転車乗りのふたりをみていて確信した
ふたりはすでに「わたくしたち人間辞めました」状態になっている
カレー食いながらどら焼き食べてるし
ここに来る前もふたりでカキ氷9杯も食べてきたという
ここのとこひとを誘わないのは
ひとを誘うとどうしても予定が狂い
食べようとしていたものすべてを
胃袋に納めることができないからとのこと
それから「岡本駅はダメだ エレベーターがないから階段を下りるのが大変」
なんて言ってやがる
20段にも満たない岡本駅の階段
おふたりと牧草をむしゃむしゃ食っている牛の姿とが重なってしまった
夜
犬と散歩
台風がかなり近づいてきたようだ
強めの風が吹き抜けていく
この風が好きなんだ
さらさらさらっと皮膚に触れながら通り過ぎていく
その一瞬で昼間の緊張がパーッと解きほぐれ
ぼくは空を見上げる
雲の切れ間から
ふたつ
みっつと
ほしが光っていた
きょうは大雨だ大雨だと
ラジオから流れてくるので
きょうは店を休みにして試作品を作った
大雨になれば
お客さんは来ない
お客さんが来なければ
パンがいっぱい残る
食べ物屋をやっていて
どんなときがいちばんガクッと来るかというと
作ったものがいっぱい残ってしまったときだ
パンなんて日持ちするものではないので
残ってしまったらどうにもならない
だからパンが残ってしまう可能性が高い日は
どうしても気分がのってこない
きょうは気分がのってこなかったことと
新しいパンを作りたいなという思いもあったのと
新しい配合が頭に浮かんだこともあったので
予告もなしに休むことにした
試作の生地は4種類作ったのだけど
それぞれ面白い味がでた
すこし癖が強いので一般受けするかどうかはわからないけど
でも癖があるものの方がまた食べたくなってしまうということだってあるもんな
きょう作ったパンを食べてみて
なんとなくこれからの方向性が見えてきた
自分はスパッとしたパンよりも
モサっとしていてそれでいてしっとりしているパンの方が
好きなんだということを思い出した
今年のうちにはいままでのパンから新しいパンにガラッと変わると思う
昼間から夕方にかけては時々強い雨が降ることもあったけど
晴れ間も出たりラジオで叫んでいたほど大雨にはならなかった
きょうはものすごく多くのお客さんが来てしまった
駐車場に次から次へと車が入ってくる
大地震以降
金曜日としては最高数のお客さんだったのではないだろうか
きょう来ていただいたお客さん
ごめんなさい
明日は開けられると思います???
このホームページの『本日の営業』のページにて確認してください
パンがいっぱい残ってしまった次の日は
またきょうもパンが残ってしまうだろうなと
弱気になってしまう
きょうはお客さんが来なかったから
明日はいっぱい来るだろうと思えるくらいにはなかなかなれない
でもこういう自分も気に入っている
商売を始めてみて
わかったことは
自分は商売人ではないということ
小さい頃からの夢は
スポーツ選手になること
いまでもそれは変わっていないけど
スポーツ選手が終わったら
商売でもやろうかと
高校では商業の勉強をした(簿記の一級とかも持っている)し
大学では経営学の勉強だ
でも商売っ気がまったくないし
経営努力もほとんど0だ
サンドウィッチのレシピを店に貼り付けようと思ってから
ようやく重い腰を上げたのは3年後だったか5年後だったか
ようやく店に本から切り抜いたサンドウィッチのレシピが貼り付けられた
あと何年生きられるかなんてわからない
後3,4年の命だということもありうるし
もっと早いことだってあるかもしれない
うまくいけばあと10年は生きられるかもしれないし
間違ってあと20年くらい生きちゃうかもしれない
でもどっちにしろ後の人生なんてそう長くはない
残りわずかな人生
将来の保険のために金を貯めこむよりも
ぼくはぼくの思いを突き詰めていきたい
誰がなんと言おうが
ぼくは毎日を懸命に生きているから
満足だ
通販をやめたのは
店売りをしっかりやりたかったからという理由と
パン作りに集中したかったからという理由から
通販をやっていた頃は
完全に自分の能力範囲を超えていた
顔が見える範囲
それがぼくにとっての適正範囲だと思う
それを超えてしまえば
無理が生じて
いつか亀裂や歪みが出てくる
これは何にでも言えること
いまの日本や世界の亀裂や歪みは
それぞれの分野や個人が
自分たちの適正範囲を超えてしまったことで
起きていること
景気が良くなったからといって
本当に喜べるのか
こころの底から喜べるのか
景気が良くなろうが
悪かろうが
本当のの喜びは
そんなところに左右されないところにあるんじゃないか
ひとのことはよくわからないけど
少なくともぼくはそうだ
インドのカウシキの歌声を聴いていると
「これは沖縄の音楽?」ときょうはじめて来たお客さん
「? ? ? いえ インドの音楽です」
「そう パンはインドで修行してきたの」
「? ? ?」
ジムでの練習を終えて帰ろうとしたら
自転車がパンク
家でパンクの修理をしたことはあるけど
路上では初めてだ
来月の青森行き前のいい体験となった
昨夜の疲れがあまり残っていないので
二日連続のジム行きだと張り切って出発しようとすると
自転車がパンク
タイヤを調べるとホッチキスの針のようなものが刺さっていた
きょうのジム行きは断念
きのうしっかり調べていれば・・・・・・・
成長するって
失敗を積み重ねることであり
痛い目に遭うことであり
経験することなんだ
できないんじゃない
やらないからできるようにならないんだ
やらないからわからないんだ
障害を乗り越えて
何かを達成することだけが
『生きること』なんかではではなくて
障害を乗り越えれいるときも
『生きている』んだ
むしろそのときの方が
輝いているのかもしれない
きのうのカウシキに続き本日は東京の代官山でアルジェリアのアマジーグ
最新アルバムはミュージック・マガジン誌2010年ワールド部門ベスト・アルバムNo.1に
選ばれたそうだがぼくにはなんだか物足りないアルバムに感じられた
きょう始めてアマジーグのライブを観てその物足りなさが何なのかがわかった
観客の熱気がないんだ
観客の熱気と一体になったときこのひとの音楽は完成する
観客の熱気がなければアマジーグの熱も上がってこないんだ
きのうときょうのコンサートでもうお腹いっぱい
金曜日にも行きたいコンサートがあったけどもう入りそうもない
来月の旅行までに消化させないと
なんだか気分がのってこない
http://www.youtube.com/watch?v=1k0_Y-xn2Tc&feature=related (映像)
最前列正面で観ていたらジワリジワッリと
攻め込んできたアルジェリア人観客たちに囲まれてしまった
アルジェリア人たちのノリは凄い
最初から飛ばす飛ばす
間違った場所に来てしまったかなと思ったよ
「ちょっとごめんね」とひとのからだを押しのけてカメラで映像を取りまくったり
「子供ひとりだからいいでしょ」と言いながら強引に割り込ませてきて
「こどもきをつけてね」と言いながら踊り狂うお母さん
最後にはお母さんが割り込んできていたけど
邪魔くさいところもあったけど
そんなに憎めなかった
彼らがいたからライブが盛り上がったというのもあるかな
本日東京の浅草でカウシキ・チャクラバルティ・デシカンのコンサート
インド声楽のCDはよく聴いていたのだけど
実際に聴くのは初めて
インドの声楽良いぞ!
すごく良い!
CDではここまでの良さはわからない
でもこれはカウシキだったからかな?
ものすごく近い距離で聴いていたので
からだの動きや使い方がよく見えた
下腹や鼻の使い方が義太夫を語るときの太夫さんと同じだ
だから声が遠くまで通る
カウシキとの始めての出会いは
何かの映像でだった
神が宿っていると思った
一瞬でこころが持っていかれた
今回始めてみたカウシキは神ではなく母になっていた
神なんかではなく母になったカウシキの方が
今後大いに面白くでかくなっていくであろうと感じた
でもいまのカウシキの魅力はいまだけのもの
できることなら近いうちにもう一度観てみたい
http://www.youtube.com/watch?v=mXdwaGPJ970&feature=related (映像)
初めて買ったカウシキのCDは3枚組のはずなのに2枚しか入っていなかったっけ
インドだからしかたがねえかと諦めていたけど
入っていなかった一枚を聴いてみたくなった
でもまた買うのもバカらしいな
TINARIWENの新しいアルバム『TASSILI』は素晴らしすぎる
聴いているとみぞうちの辺りで
何かが沸々沸々と湧き出してくる
胸の辺りがモゾモゾモゾモゾしてきて
心の中を浄化してくれる
生きていられれば何十年も何百年も聴きつけられるであろうアルバムだ
http://www.youtube.com/watch?v=r0AyA6-rKf8&feature=related (映像)
http://www.youtube.com/watch?v=EedEwLOUpsk&feature=related
きっちりきっちり
表面だけ整えようとしても
そこには
何の力も感じられないものがあるだけだ
何かを動かすものがあるなら
それは思いだ
こころのなかにある純粋な思いだ
このところ戦争関連の本を読んでいる
日本人の持つ残忍さに驚いてしまったけど
自分にもその血が流れている
自分の人生を振り返ってみると
確かにその血は流れているなと納得してしまう
気をつけないといけない
日本はもう戦争することないなんて思いは大きな間違い
ここのところの国や官僚を見ていても
やっていることは戦争時や戦争直後とまったく変わっていない
今年は岩木山に行けそうにないので
とうもろこしを送ってもらった(嶽きみ)
茹で立ては甘すぎてちょっときついなあと感じたけど
冷めたら程ほどの甘さになった
でも12本は多かった
実はちょっと手違いがあって
来週も嶽きみが届いてしまう
ここまできたら
鯵ヶ沢にも行けそうにないので
干しイカも送ってもらおうかな
http://www.youtube.com/watch?v=9ki53rejljA (鯵ヶ沢の焼きイカ映像)
9月の中頃に休みを取って
東北方面へ旅行することにした
昨年は移動するだけの旅になってしまったけど
今年は昨年自転車で通り過ぎたときに
もうすこし時間を取れたらなと思った
奥入瀬と八甲田山でのんびりしようと思っていたのだけど
乳頭温泉鶴の湯の宿が空いていたので思わず予約してしまった
後で調べてみたら奥入瀬まではかなり距離があるし
予約した日も出発日の月曜日じゃなくて火曜日だ
今回の旅もどうなることやら
阿波踊りを観ていて思ったことは
人間はあんなからだの動きをすることができるんだということ
ぼくはからだを動かすことが好きで毎日運動をしているけど
まだまだぜんぜん」からだを使いこなせていない
阿呆連 映像
http://www.youtube.com/watch?v=xW1VaqAidwI
きょうはからだがだるかったので店を休んだ
先週から休みなしでやっていたので疲れてしまったこともあるけれど
今回は湿度にやられた
ユーストリームで中継していた徳島の阿波踊りに見入ってしまった
阿波踊りは想像以上にすごかったし面白かったけど
この番組も面白かった
きちんきちんとしていないのがいい
いまの日本はきちんときちんとで
みんながんじがらめになっている
みんなきちんときちんとに慣れてしまっているので
きちんとではないものに出くわすと怒り出す
なんだかギスギスギスギス窮屈な世界だ
きちんときちんとになるように誤魔化したりして
帳尻を合わせなければならなくなる
その辺のところがこの頃ぼくは
面白く感じなくなっているし
物足りなくも感じてしまう
那須塩原のTさんがジェノバペーストとミニトマトを持ってきてくれたので
オープンサンドにして食べた
ジェノバペーストは胡桃パンとの相性が良かった
きのうはからだが火照って眠れなかったので
パンを捏ねながら眠ってしまった
きょうは自転車に乗った雷神様が雨雲を持って来てくれたので
今夜は涼しくなってくれるだろう
8月13日
なまけもののパン屋
何年目かに突入
きのうパンがうまくいかなかったので
きょうは気合が入った
きょうはいい感じ
きのうの失敗の原因もわかった
もう何年目だか忘れてしまったが
十何年目かの最後の日は
ライ麦40%入りのパンが全滅
自分らしい締まりのなさ
がんばって
もっとうまいパンをつくれ!ということか
思いつく原因は3つある
そのうちのどれが原因だったのか
それを知ることができたら
もう一段ステップアップができる
目覚めたら
またゼロから始めればいい
すっきりとした気持ちのいい朝を迎えよう
始めてやったあの日の歓びを思い出して
きょうも一日
力一杯輝いていこう
きょうはずっとシャドーボクシングをやっていた
からだが一瞬5年前の感覚を思い出してくれた
大きな組織になればなるほど
どうしたって
切捨ての社会になってしまう
「大きな組織に組み込まれているから安心だ」なんて言っている場合じゃない
政治家や官僚は
人間が人間としてみえていない
人間を人間として思っていない
ぼくは将棋の駒になんてなりたくない
人生は一回だけ
こころが腐ってしまったひとたちに振り回されるのはごめんこうむりたい
お願いだから余計なことはしないでくれ
顔も見たこともない多くのひとのために何かをやろうと思っても
人間そんなに大きな力は持っていないし
ひとはそれぞれだ
基本はいつだって
このひとのためになんだということをわすれてはいけない
頼るべきものは
国なんかじゃない
お隣のひとだ
そして自分だ
原爆によって苦しみ続けているひとたちがいる
日本人に拉致されて樺太に置き去りにされた朝鮮のひとたちは
まだ帰ることができないし
戦争孤児や
戦時中に朝鮮のひとと結婚したひとたち
戦争で大切なひとを奪われたひとたち
日本が戦争に負けても
これらのひとたちはまだ戦争を終えることができない
日本はこれらのひとたちに対してほとんど何もしてこなかったし
いまでもその気はない
これから福島の原子力発電所の事故による被害だって拡大していくだろう
病気や貧困や差別
政府や官僚が責任を取らないのはいまでも全然変わっていない
「平和な国に生まれてきてよかった」なんて言っているひとたちにだって
これから同じような苦しみに見舞われることだってあるんだ
日本は決して平和な国なんかじゃない
もう日本が戦争することなんてないのだろうと思っていたけれど
「わが国が有効に支配している。他国が侵略してきたら、
あらゆる犠牲を払ってでも自衛権を行使し、これを排除する」という
官房長官の言葉を聞いて
自分の思いが間違っていることを知った
長崎原爆の日の翌日のことだもん
日本が戦争の責任を回避してきたことが
この発言や
いまにつながっているんだろう
政治家や官僚にずっと
うけつながれてきたもの
民主主義だとか言っているけど
日本は民主主義なんかじゃないだろう
こころを突き進む
ぼくにはそんな生き方しかできないし
それでいいと思っている
その結果
どんなことになろうとも
それしかできないんだ
どんな困難なことが
起ころうが
乗り越えていけばいいんだ
器用ではないから
そう簡単に乗り越えることはできないけど
諦めなければ
乗り越えられることは経験で知っている
部屋を片付けていたら
『レ ミゼラブル 日本公演 』のCDがでてきたので
久しぶりに聴いてみた
本の方はあと5分の1のところで挫折してしまったけど
ミュージカルの方は10回は観ていると思う
場面場面の情景がはっきりと浮かび上がってくる
http://www.youtube.com/watch?v=3uZNoe2KOYE (映像)
小学生のときこのミュージカルを紹介するテレビ番組を観て
観てみたいなと思い続けていたのだけど
高校を卒業して東京に出てから
有楽町を歩いているときに帝国劇場でこのミュージカルの看板を見つけ
当日券を買って観たのが最初だった
久しぶりにCDを聴いてみてこの作品はやはりものすごいものだったということが
わかった
今日かかっていたcd
『ぞめき』 弐 徳島阿波踊り
http://www.ahora-tyo.com/html/zomeki/index.html
調整中のライ麦80%のパン
もう一歩のところまできた
パン生地に具(ナッツ 胡桃など)混ぜ込むと
具が水分を吸い取って
パサパサのパンになってしまうのだけど
もちもち感を出そうとして
水の量を増やしたら
今度は酵母の力では支えきれなくなってしまう
どうすれば良いのか
ずっと悩んでいたのだけど
ふっと頭に浮かんだことを試してみたら
いい感じになってきた
具の良を極端に減らして
水の量もその分減らしてみたんだけど
酵母も耐えられるし
パサパサ感もない
そして具を減らした分
ライ麦のうまさがしっかり感じられるようになった
でも微妙な生地の硬さを感じ取るのが難しそう
ちょっとでも水の量を間違えれば
全然違うものになってしまうだろう
突然昔作っていたパンを
作ってみたくなった
八チミツを使ったパンや
タマゴをいっぱい使ったパン
オートミールを使ったパン
雑穀を使ったパン
チーズを使ったパン
ジャガイモを使ったパン
ブリオッシュなどなど
手間隙かかるパンなので
毎日の作業には取り入れられないけど
いつのときも遊び心を忘れてはいけないと思う
いまの自分の力で
それらのパンが
どんなパンになるのか
興味がある
心身ともに絶好調
パンの方もいままでわからなかったことが
もう一歩で解決できそうだ
まったくの勘違いだった
何年も毎日毎日がんばってわからないのなら
逆のことをやってみることなんだ
勘違いに気づくことって難しい
知識を得れば得るほど
頭は固くなってしまうからだ
人類はいつか破滅する
それは止めることはできないけど
太陽の消滅や隕石の衝突なんかが原因でなければ
遅らせることはできるかもしれない
でもいまはもう
できることからはじめようなんて言っているレベルではなくて
破滅へのカウントダウンは
ぼくらの想像をはるかに超えるスピードで進んでいる
「できることからはじめよう」
そこを超えて
考えられるかどうか
行動できるかどうかだ
自分の頭で考え
自分のからだを使って生き
ひとを想い
ものごとへの感謝の気持ちを忘れない
人間が人間として生きる
そんな世界が創れれば
もしかしたら
破滅へのカウントダウンのスピードがすこしは緩んでくれるかもしれない
でもそれは
この世から戦争がなくならないことを見るだけでもわかるように
とんでもなく難しいこと
すべての人間がひとつの方向に向かうなんてことはできない
そして人間は良くも悪くも楽観的な生き物だ
復興のためには金が足りない
増税だと言っているわりには
いまだに
必要のないところに
新たな道路を作っている
これだけの原子力発電所が
日本中に
世界中に
あるということは
放射性物質による汚染は
増えることはあっても
減ることはない
きょうかかっていたCD
ali farka toure & toumani diabate (マリ)
http://www.youtube.com/watch?v=1PKdK_68r0A (映像)
今年に入って
ジムでの練習が月2回のペースになってしまった
ジムへ行く間隔が開いてしまうと
目が相手のパンチのスピードについていけなくなっているし
からだも感覚を忘れてしまっているから
感覚を取り戻すだけで練習が終わってしまう感じだ
だからなかなか次のステップに進むことができない
その分家での練習の質を上げるしかないだろう
いま現在ぼくのなかに
ボクシング以上に面白いと思えるものは存在しないので
誘惑や弱さに負けることなく
からだがいつまで動いてくれるかわからないけど
そのときまで力いっぱい生きてみよう
きのう作ったパンも最高にうまかった
いまはノリノリだぜ~
これがいつまで続くかわからない
あす突然パンがわからなくなって
苦しみ悩むことになるかもしれない
でも
明日もしうまくないパンができようとも
それは一年前のうまくないパンとは別のものなのだ
段階を上っていっている中でのうまくないパンだから
一段階上のうまくないパンなのだ
いままで自分の作るパンは
三振かホームラン
まずいかうまいかのどちらかだったけど
いまはホームランの数はわからないけど
三振の数は減って
その分ヒットが打てるようになった
そしてホームランの飛距離がちょっと伸びたのではないかと思う
自己分析だから
勝手な見解だけれど
でもまだまだあと何百倍何千倍もうまいパンになる余地はあるし
まだまだうまいパンを作れる自信はある
そうするためには
いまの自分を叩き壊して
もっと自由になることだ
毎日
ちょっとした判断ミスがあるけれど
いまはそれが見えるし
修正もできる
ひとつのミスが即自分の力になっている
こういうときこそ
おもいきり
ぶつかっていくべきなのだろう
こういうときこそ
せっかくだから
はったりかまそうがかまわない
気持ちをどんどん盛り上げて突き進んでいくべきなのだと思う
パンだけじゃなく
生活全般で
ぶつかって行きたい
いまはそんな心境
当たって砕け散ろうが
そんなことはどうでもいい
とにかく
いま
ピカピカに
輝いて
おもいきり
生きたい
いまが人生でいちばんの成長期
いまが人生でいちばん
輝いているぜ
きょうは新しい生地を作ってみた
朝になって突然作りたくなった
食パンの生地に押しライ麦を混ぜたもの
バケットに近い生地
2種類を食パン型に入れて焼こうと思ったのだけど
型が足りなかったので
小さい型に入れて焼いてみたら
けっこうおもしろいパンになったと思う
具が入っていないシンプルなパンであいしいもの
探してみたい
フジロックに行ってくるというひとが
ぼくの周りにいっぱいいる
こんな狭い世界にこれだけ行くというひとがいるということは
いったいどれくらい多くのひとたちがフジロックに集まるのだろう
出演アーティストを見てみたら
なるほど
これは行きたくなるわ
MANU CHAO
tinariwen
Marc Ribot
Amadou & Mariam
RonSexsmith
などなど
ライ麦80パーセントのパンは具の量を増やしたら
いい感じになってきたけれど
具の味がライ麦に勝ってしまっているかな?
パンはそれぞれいい感じになってきた
あとは
うっかりミスさえなくせればなあ
これがいちばんの問題かも
パンは日々進化している
うまいときもあるし
まずいときもあるけど
それらすべて含めて
進化の過程なんだ
ここ数ヶ月でパンの味が少しずつ変わってきた
1917(山型の食パン)は全粒粉を入れたら
もちもち感が出てきた
昨年まで夏になるとまったく膨らませることができなかったのだけど
何が悪かったのか分かり
いまではおすすめのパンになった
ライ麦30%の平焼きはここ数日ようやく生地の醗酵具合見極めができるようになり
もちもち感がUPした
水分が多いパンを作るのは難しい
でもしっかりと観察していれば
気づくことがあることに
最近気がついた
ライ麦40%と60%は基本的なことを思い出して
今週作り方を変えてみたら
見事なパンになった
きのうの40%のレーズンパンを食べてみたら
驚いた
あとはライ麦80%がもうちょいのところまでいっているのだけど
しっとりさせるまで水を加えてしまうと
生地が耐え切れなくなってしまうようだ
具がいっぱい入っているナッツとオレンジのパンだけは
いい感じでできている
いまちょっとした成長期に入っている
経験すること
観察することの大切さを理解することができた
うまくいかないことが
いっぱい集まって
いまのパンができた
いまの日本
うまくいかないとすぐ切り捨てられてしまうから
みんな
ビビッてしまって
無難な道を選んでしまいがちだけど
やっぱりそこに喜びのある世界は存在しない
これからも
生きて行こうと思う
パンの追求は死ぬまで終わらない
今日かかっていたCD
youssou n'dour / nothing's in vain
http://www.youtube.com/watch?v=uFxIBOVyKD4&feature=related (映像)
きのうは全滅覚悟で新しいやり方でパンを作ってみた
うまくいかないパンもあったけど
かなりのものはパンらしくなってくれた
きょう残ったパンを食べてみると
味が全然違っている
なかには奇跡のようなパンもあった
まだまだ調整が必要だけど
手応えあり
きょうかかっていたCD
maria del mar bonet / cavall de foc (スペイン)
http://www.youtube.com/watch?v=syXfAGbZbmQ&feature=related (映像)
ここ数年いちばん大きな問題点だったことの
解決策がわかりかけてきた
解決できるなんて思いはまったくなかった
死ぬまでわかんねえんだろうなと諦めていたんだけど
なんかわかっちゃった
やっぱりやり続けることなんだ
もしかしたらこれでもうひとつのパンも
改善できるかもしれない
作る手順などが変わってくるきて
時間もすこしかかるようになるから
はたしてひとりで対応できるものか
このところずっとわからなかったことが
立て続けにわかるようになってきた
それもかなり大きくて重要だったことが
暑さは体力を奪い取る
宇都宮まで自転車で行くだけで
かなりの消耗だ
それでもきょうはなぜかからだが良く動いたので
スパーリングは1ラウンド目から張り切ってバンバン行ってしまったら
すぐに失速
やっぱり暑さは体力を奪い取る
でもヨレヨレ フラフラになりながらも
おりゃーーーとパンチを出す
なんか生きてるねと
喜びで溢れてくる
今日かかっていたCD
karan casey *john doyle / Exiles Return (アイルランド)
http://www.youtube.com/watch?v=0HmNg5qpZ_8 (映像)
外に一歩踏み出すと
こんな中で走ったら
死んでしまってもおかしくないと思えてしまうような日差が
からだに突き刺さる
それでも走り出してみると気分がいい
からだの隅々から汗が噴出し
それといっしょにからだに溜まっていた悪いものも
流れ落ちていく
せせらぎの音は体感温度を3度は下げてくれ
たまに吹き付ける風は
これ以上の幸せはないということを
思い出させてくれる
脂肪が燃焼してきた
夕方からのジムワークのことを考えて一瞬躊躇したけど
600メートルのダッシュ
先のことなんて考えないで
おりゃーっと突っ込んでいく
瞬間瞬間に完全燃焼する
それがやっぱり面白い
きょうも暑い中パンを作る
季節の変わり目は
気温や湿度に
すぐに対処することはできないので
毎日少しずつ調整をしながら
作っていく
今年は経験を積んできたこともあるのか
かなり早く暑さに対応できた
それに昨年まで気づかなかったことを
かなり多く見つけていまのパン作りに取り入れることができている
夏は条件が悪い分
がんばって作っていれば気がつくことがいっぱいある
夏はどんどん醗酵が進み
他のパン生地と釜入れや生地の分割のタイミングが重なってしまう危険があり
たいへんスリリングだ
そのスリルをこのところようやく楽しめるようになってきた
きょうの1917(山型の食パン)とライ麦30%の平焼きモチモチ感は凄かった
ライ麦15%の胡桃のパンもいい感じ
数日前に福島菊次郎というひとを偶然知った
http://www.youtube.com/watch?v=kqbdjD0rVJA (映像)
自らの戦争体験を契機に権力と戦い続けた写真家だ
最近の著作を読んでみようと探してみたら
3冊も出していやがった
もう本を置く場所がないぜと罵りながら注文した本が
きのう届いた
『写らなかった戦後』という本で
写真だけでは伝えられなかったことを
文章で綴ったものだ
写真家の書く文章がおもしろいのは
写真家は良く観察しているのと
良く勉強しているのと
そして良く考えているからだと思う
この本もまだ一冊目の途中なんだけどかなり面白い
戦争のこと原爆のこと原発のこと戦争責任のこと政府や行政のこと
数年前
数十年前のことを書いた文章なんだけど
いまに繋がっている
その頃から日本は何も変わっていないということだ(悪い意味)
表紙に使われている被爆者の涙をなめる犬の写真には
見入ってしまうものがある
映像を観ているとかなりの変わり者のように見えてしまうけど
本当の変わり者は権力のバカな行いに
我慢して生きているぼくたちなのかもしれない
パラグライダーを10数年続けているという
お客さんがいて
来るたびにパラグライダーの話を聞かせてくれる
きょうは
「いま飛ぶのが面白くてしかたがない
飛ぶ度に面白くなっていく」と真っ赤な顔をほころばせて語っていた
自然を読み取れるようになっていく喜び
つまり人間力を取り戻したり獲得する喜び
自分という人間の持っている能力を最大限に使って生きる喜び
パラグライダーをやったことがないからわからないけど
そんなものがあるのかなあと思った
人間であることを置き去りにして進む先には虚しさがあるだけだ
ぼくがスポーツをするのも人間力を高めていきたいから
人間であることを感じていたいから
それともうひとつ苦しいときや怖いときに
一歩を踏み出す瞬間の気持ちを味わいたいから
腰周りの肉がいつの間にか
無くなっている
まだ夏が始まったばかりだというのに大丈夫だろうか
今日かかっていたCD
amazigh / marchez noir (アルジェリア) 今夏 来日
http://www.youtube.com/watch?v=OSPiaNKWqbo&feature=related (映像)
今朝のサンドウィッチは
1917(山型の食パン)を軽くトーストして
シンプルにカマンベールチーズと生ハムをはさむ
想像以上に結構いける
このところ1917には小麦の全粒粉をすこし混ぜて焼いている
ビールが飲みたくなったけど
昨夜全部飲んでしまったんだっけ
残念
今日かかっていたCD
various artists / rembetika (ギリシャ)
http://www.youtube.com/watch?v=1QMFA75WPoE&feature=related (映像)
きょうもサンドバックを目一杯叩いた
待っていたって
幸福なんてやってこない
自分を思い切り生きること
それが幸福なんだ
こうしたい
こうしようと思うようには
進んでいかない
必ず
思いもよらなかったことが
まっすぐ歩いていこうとするぼくの人生に
降りかかってくる
でも
きっと
それがあるから
世界は広がっていき
ぼくがぼくを超えられるんだ
命の炎が燃え上がるんだ
ギリシャのレべーティカのCDをかけていたら
お客さんが全然やってこないので
バリのガムランのCDをかけてみたら
お客さんがちょこちょこと来だした
そして岩手から帰ってきたTさんが
ガムランの音に飛びついてきたので
CDを貸してあげた
今度はアフリカのコラという楽器のCDをかけたら
埼玉から帰ってきたNさんがお店に入ってきた瞬間に
コラの音に飛びついたのでCDを貸してあげた
今夜は入れ食いかと思ったところで
閉店時間になってしまった
きょうはトレーニングを休みにしようと思っていたのだけど
50代のおじさんが二人並んでゼーゼー言いながら
自転車を一生懸命こいでいる姿を見て
やっぱりやることにした
この辺りは
いちばんからだが動く年齢(18~30歳前半)のひとたちは運動をしていなくて
幼稚園~高校生位のひとたちと50歳以上のひとたちが炎天下の中でも
なんのその
サッカーをしたり
ランニングをしたり
ゲートボールをしたりと
動きまわり
楽しんでいる
今日かかっていたCD
Sonny Chillingworth / endressly (ハワイ)
http://www.youtube.com/watch?v=Pt_7hfRL-gg (映像)
気づきは確実にあり
とてもゆっくりでわずかだけど
パンのことがわかってきている
失敗していることに気づくこと
それがいちばん大事
失敗に気づきさえすれば
それを克服するくらいの知恵は
けっこう持っているものだ
失敗に気づかない政治家ども
失敗を認めようとしない政治家ども
失敗を誤魔化そうとする政治家ども
国民を誤魔化して操ることはもうできなくなってきた
瞬時に情報が飛び交う中で誤魔化すことはできなくなってきたし
目先だけの政治はもう限界にきている
国に属している以上
苦しい目にあうのは
いつも金がないひとたち
もちもちしたパンを作りたいという思いがあるから
どうしても水を入れすぎてしまうことがある
でもやっぱり限度というものがある
その境がすこしだけわかってきた気がするけど
まだまだ時間はかかりそうだ
きょうはやけにお客さんが多いなと思っていたら
お客さんの中に福の神(Iさん)が混じっていた
今日かかっていたCD
Palya Bea / egyszalenek justonevoice (ハンガリー)
http://www.youtube.com/watch?v=_0t9_UMpT6k&feature=related (映像)
きょうは蛍を20匹近く見かけた
毎年数匹は見かけるところなんだけど
これだけ多くみかけたのは初めて
条件が良かったのか
それとも住みやすい環境になってきたのだろうか
今日かかっていたCD
Triakel / Ullkas minne (スウェーデン)
http://www.youtube.com/watch?v=4eEosaOIzxQ (映像)
今年の最高気温を記録した日
作業場の換気扇が壊れやがった
室温は6月だというのに44℃まで上昇
明日は気温が上がるということなので
店が終わってから換気扇を買いに行った
換気扇の取り付けなんて自分ができるのかなと思ったけど
なんでもなかった
ついでに調子が悪くて
冬からとめていた製氷機を清掃して
コンセントを入れてみた
音がなっているので明日には氷ができているかもしれない
もしダメだったら今年は製氷機なしかな
冷蔵庫
製氷機に
CDラジカセ
換気扇
東芝製品ばかり壊れやがる
今日かかっていたCD
Mor Karbasi / The Beauty And Sea (エルサレム)
http://www.youtube.com/watch?v=s-5yC_XbHV8 (映像)
大工さんの仕事を眺めていると
きっと昔の方がやりがいがあったんだろうなと思ってしまう
難しいことに立ち向かっていったり
難しいことを習得する
楽しみがあったのじゃないか
経済を潤すために効率重視で生きるか
生きる喜びを取るか
何かを得るには何かを捨てなければならない
どんなときでも何を取るかは自分で選ぶことができるんだ
きょうはジムに到着する前に
すでにフラフラになってしまった
ランニングと自転車で
こんなことになってしまうなんて情けない
こんなのは年齢的なものなんかじゃなくて
練習量
練習の質の問題
ようは気合なんだ
スパーリングはボロボロだった
もっと楽しまなければいけない
打たれてもいいから
思い切ってぶつかっていく
良くないのは
失敗することを恐れて
縮こまってしまうこと
ドカーンとぶつかっていって
いい汗かいて
気持ち良く帰ろう
悔しさはぼくにとって
いちばんの生きる原動力
うまくいかないときの方が
力が湧いてくる
自分にはボクシングとパンしかないんだから
これだけはしっかりがんばろう
『壁』という岡田昇さんの写真集がある
崖に這いつくばっているひとや
断崖から飛び降りるひと
60度を越える斜面をスキーで滑るひと
大自然を相手に生死を賭けて遊ぶクレイジーな奴らを
捕らえた写真集だ
きょうさくら市在住のカメラマンWさんがやって来て
店の本棚からその本を見つけ出し
「これおれだよ」と指差しているページには
雪の穂高を登るWさんがドカーンと写っていた
この写真集を見るひと見るひと
「こいつらアホだ」と叫ぶのだけど
こんな近くにアホのひとりがいたなんて
人間ドックを受けると偽って
来月スコットランドに行く
ゴルフ場従業員は
昼はゴルフの聖地セント・アンドリューズでゴルフ三昧
夜はシングルモルト三昧だぜと言っていた
こんな生活をしていれば病気になんてなりようがないから
人間ドックなんて受ける必要がないだろう
那須塩原市でカレー屋さんを始めたライチさんが
カレーを持ってきてくれた
ライチさんのカレーはとても優しい味だ
カレー屋さん特にインド人がやっているカレー屋さんは
男性の料理人が作っているところがほとんどだからか
力強いカレーがドーンと出てくるけど
もしかしたらインドの家庭で食べられているカレーは
ライチさんのカレーのように優しい味がするのかもしれない
このところ週末になるとミスを連発
釜からパンを出すのを忘れてしまったり
軽量ミス
おつりの間違いなどなど
一瞬意識がどこかに飛んでしまうんだ
いま新幹線が一日乗り放題で
一万円という企画をやっていると聞いて
これは出かけなければと思って調べてみたんだけど
栃木(那須塩原)からの出発だとあんまり甘みがない
普通に東京往復したって一万円だし
長野に行こうと思っても片道一万円だし
青森だって片道一万三千円だ
青森に行ってお昼を食べて温泉入って帰ってくるか
やる
とにかくやる
できようが
できまいが
やる
うまかろうが
うまくなかろうが
やる
笑われようが
笑われなかろうが
やる
何か言われようが
言われなかろうが
やる
やりたいならやる
それだけだ
風邪が治ってきたと思っていたら
また喉の辺りがおかしくなってきた
きょうは練習中止
このところ楽してばかり
楽は厭きる
ぼくがいちばん喜びを感じる瞬間は
苦しんで苦しんでもがきながら
その先にあるものを目指して
突き進んでいるときなんだ
楽ばっかりしていると
楽から抜け出せなくなってしまいそうで怖い
楽しているうちに気力も情熱も失って
ふにゃふにゃ人間になってしまうんじゃないか
人間が生きていこうとすれば
自然を破壊する必要がある
燃料や住居となる木を貰ったり
食料となる植物や動物を貰ったり
人間は人間の力だけでは生きてはいけない
さまざまなものに助けられながら
生かされているのだ
ぼくたちは生きていることへの感謝をわすれてしまった
ぼくたちは欲張りすぎた
必要以上に自然を破壊してしまったぼくらに
生きていく術は残されているのだろうか
自然界はまだぼくらを助けてくれるのだろうか
ぼくは
生きているだろうか
ぼくはぼくの頭を使って考えているだろうか
ぼくはぼくのからだをしっかりと使っているだろうか
ぼくはぼく以外の何かに生きる喜びを求めていないだろうか
こころは喜びにあふれているだろうか
虚しさはないだろうか
自然保護と叫ぶ前に
ぼくらは自然を知らなければならない
その中で生きている人たちのことを
わすれてはいけない
その中で生きる人たちの生活や思想を
奪ってはいけない
数年前
みんながみんな
外を歩くとき
マスクをしていたときがあったけど
そのとき
これは防護服を着なければ
外を歩けないときが来るかもしれないなと思ったけど
こんなに早くそのときがやってくるとは
もしかしたら
人類滅亡へのカウントダウンは
ぼくが思っているよりも
ずっと早いスピードでカウントされているのかもしれない
今回は津波で破壊された原発も
地震の揺れだけで大事故になりえる可能性だってかなり高いはずだ
自然の力は人間の想像力をはるかに超えたところにある
人間は欲張りすぎた
世界中いたるところ
無理だらけだ
その歪みはいつどんな形で出てきてもおかしくはない
人間は自然の力には到底かなわないけど
人間の科学技術によって作り出された
欲望いっぱい背負い込んだ怪物たちは
人間を滅ぼすくらいの力はじゅうぶん持っている
野菜への放射性物質の検査を
個人でやろうと思えば
一品の検査で7千円8千円くらいかかるという
とてもじゃないけど検査なんて出せないだろう
市場に出回っているものはすべて検査していますと
NHKのラジオで誰かが言っていたけど
ひとつひとつを検査するなんて事は不可能だし
国の出した基準なんてものを自分の基準になんてしていたら
命がいくつあっても足りないだろう
国は国で「大丈夫だ」と言っていなけりゃ
国や東電で補償できる範囲のことじゃないし
政府のへの怒りももっとすごいことになるだろうし
原発をこれだけ推し進めてきた以上
すぐに引っ込めることもできない
すこしの犠牲はしかたがないといったところだろう
農家や漁師はそういう理由もあって
補償してもらえないから
放射性物質がくっついていようが
野菜を売らなきゃ生きていけないし
魚を売らなきゃ生きていけない
どこもかしこも大変だ
ここまで手に負えないことになるということがわかっても
そしてひとの命を犠牲にしておいても
まだ原発を動かし続けるということは狂気の沙汰としかいいようがない
自分としては人間が汚しておいて
人間だけ逃げるというのは虫が良すぎるという思いがあるので
魚介類も野菜も食べるし牛乳も飲む
外にだって出かけるけど
日本中の誰もがが
「やってらんねえよ」という思いのなかで生きているのだろう
カレー研究者
ライチさん(那須塩原市在住 国籍不明)が
6月11日からカレーやさんをオープンさせるとのこと
営業日は金曜日と土曜日と日曜日のみ
この辺りはみんななまけものなので
どこのお店もこんな感じなのです
『あいかけん』
那須塩原市豊浦121-418
0287-64-2688
金曜 土曜 11:30~21:00
日曜 11:00~15:00
南インドのカレー屋さんです
うまいです
扁桃腺が腫れ上がり
なかなか寝付けない
きょうは店をを休もうか迷ったけど
何とか動けそうだったので
はじめてみたら
だんだんしんどくなってきた
頭が熱くなってきたので
熱を計ってみると
38.9度
自身の最高記録だ
パンは作り始めたら途中でやめることができないので
なんとか作りきったけど
かなりきつかった
明日はさすがに無理そうだ
朝ランニングに出ると調子があまり良くない
胸の辺りがムカムカする
調子が良くないのに速く走っていたら
更に調子が悪くなったので
早めに切り上げた
いつも店が休みの日は2時間くらい走るのだけど
そうするとこの頃はからだが回復するのに
5時間くらいかかってしまうのでその間はなかなか
外に出かけられないのだけど
きょうは40分しか走っていないので
ぴんぴんしている
すこし早めに家を出て
久しぶりに『キッチンカンナ』へ寄っていくことにした
外は太陽熱が想像以上に強くなっていた
皮膚がジリジリ焼けてあっという間に真っ赤になってしまった
初めての道を行ったので時間に間に合うか危うかったけど
何とか間に合い惣菜とケーキとご飯を買った
店でも食べられるのだけど
せっかく太陽が出ているので外で食べることにした
涼しそうなところを探しながら自転車をこいでいると
良さそうな神社があったので
軒下を借りてそこで食べることにした
手間隙かけた食べ物は生きる力を与えてくれる
きょうも一日がんばるぞ~と力が湧いてくる
そこはちょうど風の通り道だったらしく
気持ちの良い風が通り過ぎていく
あとは酒があれば言うことなしだったんだけど
練習があるので酒は我慢
食後は横になり本を読んだり
昼寝をしたりゆっくり過ごした
ジム入りはひとが集まる19時ごろなので
ちょっと本屋に寄って
また涼しさを求めて
今度は鬼怒川に出て昼寝をした
エアコンに頼らなくたって
探せば涼めるところはいっぱいあるんだなと感じた
きっと昔の人々の生活の中には
涼むための知恵がいっぱいあったのだろうな
ペパと久しぶりのスパーリング
ペパは自転車の鍵を忘れてきたらしく
宇都宮の駅から歩いきたので
スパーリングを始めたのが
練習開始から2時間後
さすがにちょっと疲れたし気持ちの張りもそんなに続くものではない
いまちょうど井上ひさしの『ムサシ』を読んでいるところで
巌流島の闘いを思い出した
武蔵が意識して遅れて行ったのなら
武蔵という奴ははそうとうずるい奴だ
スパーリング前半はペパのスピードについていけずだったけど
後半になって調子が上がってきたのと
間合いも自分の間合いになってきたので
パンチを出して出して出しまくった
攻撃の工夫や精神面課題はいっぱいあったけど
サンドバックでのトレーニングの成果が出ていたので
きょうのところはこれで良し
練習後の夜風
なんとも言えない瞬間だ
那須塩原の自転車野朗 Iさんと
東京の自転車野朗 T夫妻がやってきた
I さんが来るときはなぜかお客さんがいっぱいやってくる
きょうもこれだけお客さんが来たのは
地震以来はじめてだ
世の中には銭が向こうからやって来てしまうひとがいるんだ
I さんはわずか数年で一生遊んで暮らせうくらいのお金を稼いでしまって
いまでは毎日自転車に乗ってあっちに行ったりこっちに行ったり
いちばん最初の商売が学生時代に大学入試の日にサンドウィッチをいっぱい作って
校門の前で『合格サンド』だよ~と叫んで数千万円を売り上げたとのこと
一方 東京のT夫妻は毎回 どこからか蚊とブヨそれに雨雲を連れてくる
きょうもブヨに刺され「痛い痛い」と言いながら雨雲を連れてやってきやがった
ブヨは連れてきた本人が刺されるだけだからいいけど雨は困るのだ
ひとはそれぞれそういう何かを呼び寄せてしまうものを持っているのかもしれない
急に暑くなったので
からだと頭がついていけなかった
釜入れを忘れたり
微生物たちがずっと先に行ってしまったりで
店に出すパンが少なくなってしまった
夏にはあと10度も作業場の温度が高くなるというのに
いまからこれではどうなっちまうんだろう
今年の夏はよく休もみ
よく遊ぶことにしよう
サンドバックがだいぶ長い時間叩けるようになってきた
心拍機能とパワーはこのままいけば何とかなりそうだ
あとはからだの柔軟性とバネそして瞬発力
まずは雨でなかなか走ることができないこの梅雨を
どう乗り切るか
めざせ!人生最強のからだ
山の木を伐採して杉の木を植林したり
米を作れや作れやと推奨したり
ダムや原発
自分の地位や権力を守ることが最優先になっているから
経済を潤すことや経済的援助に一生懸命の政治家たち
だから目先の利益ばかり追いかけて
何十年先
何百年先のことを考えていない
そんな政治家たちを信じたり
寄りかかろうとしていれば
人生はめちゃくちゃだ
政治家が最優先にするべきことは
ひとひとりひとりの命や健康
そして
生きる喜びを守ることではないのかと自分は思うのだけれど
考え方はひとそれぞれだから
どうこう言う筋合いはないのだけど
国がどうしようとも
自分の芯の部分は変わらない
自分にとって大切なものは
何があろうと変わらない
どうするかは自分で決めるし
自分でやるべきことは
自分でやる
壁にぶち当たったときこそ
しっかりと向き合えば
見えてくるものがいっぱいある
自分で答えを見つけ出してこそ
生きているっていえるんだ
そしてそうすることなしに
力はついていかない
あんまり自分を抑えていると
自分が何をやりたいのか
わからなくなってしまう
囲いから抜け出したくなったなら
柵を蹴り破って外に飛び出せばいいんだ
小学校のとき
先生が
3人組になれ~
とか
5人組になれ~と言うと
みんなが相手を探して3人組になったり
5人組になったりするゲームがあった
何人かがあぶれることになるんだけど
あぶれるやつはだいたいいつも同じやつらで
ぼくもそのなかのひとりだった
小学生のときは
言いたいことが言い出せなくて
損してしまうやつだった
くそ~となってどうしよもないときは
脱走したり
腕力で解決したり
でもものすごい頑固
嫌のものは頑として拒んだ
それはいまでも変わらない
この頑固さは人間が生きていくうえで
とても大切なものだ
人間ひとりひとりの頑固さがなかったら
人類はあっという間に滅びていただろう
きょうは林の中を駆け土の感触を楽しみ
川原を駆けて日本の美しさを思った
ぼくは3日間も外で走れないと死んでしまうので
放射線が蔓延していようと
外で走らなければならない
そしてぼくのからだはほとんど牛乳でできているので
放射性物質が含まれていようと
牛乳を飲まなければ脱乳症状が出てくるので
ガブガブ飲まなければならない
魚だって
捕られて捨てられるんじゃ
何のために生まれてきたのかわからないから
おいしく食べる
みんなが同じ
考え方になる必要なんてないんだ
「みんながひとつになって」
というのはなんだか危険だ
昔みんながひとつになって(させられて?)
戦争に臨んだ
みんながひとつになって
経済発展を成し遂げた結果が・・・・・・
みんなと同じにしなくちゃいけないという教えというか
空気がひとの持っている判断する力を奪ったのではないか
国の「大丈夫」なんて言葉を信じて生きていたら
命がいくつあっても足りなくなるだろう
科学技術を駆使しても
自然には敵わない
こころを置き去りにしてまで
ぼくたちはどこへ行こうとしているのだろう
科学時術によって自らが作り出した怪物たちに翻ろうされながら
うまいパンは
技術書なんて眺めていても
できやしない
技術書に忠実に作っていても
パンをわかることはできないし
力は付かない
作って作って作りまくって
失敗して失敗して
自分の頭で考えて
自分の手のひらで感じて
自分のパンを作っていくしかないんだ
パン作りに一番大切なものは
一にも二にも感覚だ
パン作りにこうしなければいけないなんてものはない
どう作ったっていい
作ったパンがうまければ
あるいは
自分の目指しているパンだったら
あるいは
自分の頭の中にあるパンというものを超えるものだったら
結果を出すのを急ぎすぎてはいけない
何十年かけたとしても
わかることなんてほんのちょびっと
自分のパンは
一生かけてみつけていくもの
組織が大きくなればなるほど
組織はひとりひとりのことなんてかまっていられなくなる
いかに組織を維持するか
いかに自分の地位や存在を守るか
そんなことが優先されてくる
国だって同じ
ひとりひとりの命や健康なんて目を向けていられない
経済経済経済でやってきた結果
とんでもないことになっているのに
それでも経済経済経済
いったいその先に
何を見ているのだろう
人並みになろうとなんてしなくてもいい
普通になろとなんてしなくてもいい
大人になろうとなんてしなくてもいい
人並みっていったい何?
普通っていったい何?
大人っていったい何?
そんなもん誰も知らない
自分が自分であればいいんだ
ぜーんぶそのままさらけ出して平気に生きればいい
悲しくなったら悲しめばいいし
笑いたくなったら笑えばいい
駆け出したくなったら駆け出せばいい
歌いたくなったら歌えばいいんだ
怖かったら怖がればいい
やりたくなければやらなければいい
合わせたくなければ合わせなければいい
笑いたくないなら笑わなくていい
踊りだしたくなったら踊りだせばいい
こころしょんぼりしているなら
それもそれで良し
うまくなんてできなくてもいい
動けなくなったら休んじゃえばいい
無理して何かやる必要なんて全然ない
こころのままに
こころのままに
時にしか解決できないことがある
ひとが何を言おうと
ひとが何をしおうと
そんなものを越えたところで生きていれば
そんなものはなんでもないこと
ひとに悪く思われたくないからと
自分を偽っていても
何も始まらない
時間の無駄だ
そんなものを気にして
楽しめないのは
バカバカしい
こころの叫びにしたがって生きていけ
喜びあふれる世界
とにかく生きることを
やめないことだ
ひとと比べる必要なんてないし
競争する必要もない
焦らず力まず
いつだって自分のぺースで歩いていけばいいんだ
雨が続いている