ライ麦パンは美味しいだけじゃない

ドイツパンがダイエットに良い理由 - gooヘルスケア

日本焙煎技術普及協会の

竹林 利朗 | Facebook
きょうはオーガニック珈琲世界技術選手権大会決勝に出場したはずだが
どうだっただろう?
各地で予選を勝ち抜いてきた強豪相手に
どこまで迫ることができるだろうか
豆忘れていって
出場できなかったりして



夕食は青唐辛子、舞茸、蓮根、生姜の炒め物(味付け 塩)
その中にお酢を軽く染み込ませて塩を振ってから
両面焦げ目をつけたライ麦95%のパンをちぎり入れて食べた
青唐辛子を入れすぎたので
少し減らして
変わりにピーマンを入れたらいいかもしれない
ピーマンがこんなにライ麦パンに合うとは
知らなかった
ライ麦パンは苦いものとの合性がいいのかもしれない
ビールが合うのは知っているが
珈琲にも合うのかもしれない



2017年以下2年分日記消滅しました






二泊三日の旅は何年ぶりだろう
一日目
  自転車の鍵が見つからず
  駅まで10KMのランニング
  電車は出たばかりで1時間待ち
  旅行前に届くよう注文した材料が
  届いていなかったので
  問屋に電話
  担当者がいないのでわからないとのこと
  「クソ~」と公衆電話を窓から放り投げる
  築地で生牡蠣を食べて
  鯨の串揚げを5本 竜田揚げをひとカップ購入
  江戸指物をやっている木村さんのところへ
  いつの間にか2時間半
  急いで横浜に向かう
  失くしたチケットの席は座れないと係員が言うので
  「ふざけるな」とジャンピングニードロップをくらわせて
  席へ座る
  コンサート後中華街で麻婆豆腐を食べる
  麻婆豆腐は好きだったのだが
  これほど美味しいものだったとは知らなかった
  その後来た山椒の実が子供の茶碗一杯分くらい入った
  牛肉のスープは半分食べてギブアップ
  あれは絶対からだに悪い
  予約したホテルがなかなか見つからず
二日目
  電車で逗子へ
  葉山 一色海岸までランニング
  丘で昼寝と読書をして
  鎌倉までランニング
  久々に『はま善』で刺身定食
  ハイキングコースなどブラブラして
  東京へ
  東京に出てはじめて住んだ場所高円寺へ行ってみる
  商店街の店はほとんど変わっているが
  まだがんばっている店が何件かあった
  昔住んでいた家もまだ残っていた
  家の前の井戸も三平ストアーも
  隣の布団屋も
  コンサート後電車で横浜に戻る
  東海道線は関内には止まらず
  大船まで行き引き返す
  ホテルに戻ると暖房のスイッチがONになっている
  酵母大丈夫だろうか
三日目
  電車で久地駅まで行き
  生田緑地までランニング
  日本民家園を見て回る
  東京に出て
  木村さんに教えてもらった
  江戸下町伝統工芸館へ
  コンサート後ダッシュで駅へ
  21時台の新幹線に間に合った
  那須塩原の駅から家まで10kMのランニング
  24時少し前に到着
  酵母をいじって
  旅終了 布団へ
 



ある日勢いで
3日連ちゃんとなる
コンサートのチケット取ってしまったのだが
そのうち2日分のチケットを紛失してしまい
勢いは失速
でも気をとりなおして
もう一度勢いをつけて
チケットを買いなおした
そんな訳で月曜日から久しぶりに連休をとって出かけてくる
せっかくだから海にも行ってこようかと
宿は横浜に取った
帰ってきたらすぐに店を開けなければならないので
酵母を持っての旅だ
パーッとこころ開放して
こころゆったり
楽しんでこようと思う



こころはいつだって
いまの充実を求めている
きのうどんなにすばらしい一日を送ったとしても
きょうという日を満足しては送れない
オリンピックで一等になったとしても
それだけで残りの人生
その満足を持続させることはできない
満たされたという感じは
一瞬のうちに消えてしまう



酸っぱいのがダメな人でも
オープンサンドにして食べたり
料理の中にちぎり入れて食べれば
酸っぱいのを感じずに食べられる
酸っぱいのがダメな人ほど
料理といっしょに食べて欲しい



きょうはお昼ごろからランニング
湯津上方面へ
このあたりは坂道を探さなくても
走っていれば坂にぶつかるので
良いトレーニングになる
坂道にでくわすたびに
ダッシュ
きのうの夜
陸上をやっている青年が
陸上にかける思いを熱く語っていきやがったので
自分も熱く生きたくなっちゃったんだ
足がいうこときかなくなっても
ダッシュを繰り返す
「苦しいけど 最高だぜー」
これが自分がいちばん大好きなこと
至福のときだ



きょうはライ麦酵母のパンの最終発酵が
いつもより時間がかかった
酵母の力が弱かったのかなあと思いながらも
焼き上がりの姿は良かったので
店に並べることにした
水分がある程度抜けてからでないと
食べても味がわからないので
食べるまではドキドキだ
すでに売ってしまっているのだから
 お客さんの流れが止まったところで
味見をしてみて
ホッとした
うまい
いつもよりもうまい気もする
この辺のところが
理解が出来ないところ
順調にいってはいないのにうまいというのは
どういうことなのだろう

今朝はカブと長いもを蒸したものに味噌と酢と塩で味付け
ライ麦60%のパンをちぎっり入て食べる
ライ麦60%のパンは味噌との相性抜群なのだ



生き抜く力を身につけさせるということは
いまじゃなく
将来を見越してやることだ
     子供が喜ぶからといって
     「ハーイ 朝ごはんはイチゴのショートケーキですよ~」
     「ハーイ お昼ごはんはモンブランですよ~」
     「ハーイ 夕ごはんはちーずけーきですよ~」
     なんてやっていたら
     味覚も育たないし
     からだだってボロボロになっていくだろう
安心安全なんていって
危険なことから子供を遠ざけていたら
その子供は危険を回避する力を身につけることは出来ないだろうし
何かが起こったときに
その子供はそれに対処する力を持ち合わせていない
ナイフで指を切れば
指を切らないですむ方法を考えるだろう
    力を付けるのには時間がかかる
    それを余計な手出しをすることなしに
    辛抱強く見守れるかどうか
    生き抜く力は
    苦しい思いをしようが
    痛い思いをしようが自分自身で学びとるしかないんだ
    親になにか出来ることがあるとすれば
    それは学びとれるような場を与えてやることぐらいだ
子供は親が考えている以上に
すごい能力を持っている
やらせてみれば出来ることがいっぱいある

学校の都合や先生の都合や親の都合を押し付けられ
進みたい道があるのに抑え付けられ
進むべき道を決められてしまった子供は
いつか必ず後悔することになる
学校が言うこと
先生が言うこと
まわりの人が言うこと
何でもかんでも
ハイ ハイ聞いていたら
こころが病んでしまうよ
出来るだけ後悔のない人生を送らせたいなら
子供のときから
自分でどうするかを考える力
自分で答えを見つける力を
身につけさせておくべきだろう

生き抜く力を身につけさせるには
『自分でやること』
それ以外の方法はないだろう






 



きょうは午前中に
中央公園で上半身と下半身の強化
先週から新しい動きを取り入れたセット数も増やしてみたが
これがかなりきつい
でも出来る
いままでだいぶ楽してきたのかもしれない
歳をとってくると
からだが楽しようとしていけない



自分でやってみること
それなしには成長するということはありえない
自分でつかみ取っていくこと
苦しいことや痛みも伴うものだが
その苦しみや痛みの中でしか学び取れないものがある
甘えというものは必要なときもあるかもしれないが
成長を阻むものでもある
優しさというものは甘えさせるというものだけではなくて
厳しさが必要なときもある
親が子供にしてやるべきものがもし何かあるとすれば
それは生き抜く力を身につけさせることだと思う
それは厳しさなしには出来ないことだ
自分自身にも厳しくなければ
子供は育てられない
子供は親の姿を見て育っていくからだ
子供がいる方 子供が欲しいと思っている方
ぜひ見てください

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パン屋を始めてからはじめての
サンドウィッチブーム到来
ここからもっと広がっていって欲しい
自分に出来ることはまずは何よりうまいパンを作ること
そして料理といっしょに食べることのすばらしさを訴え続けること
料理といっしょに食べるということは美味しいだけではなく
楽しいのだ)
 サンドウィッチだけで終わらせないで
サラダやスープ 炒め物や煮物 カレーなどにちぎり入れて
食べる方法なども伝えてパンという世界を
もっと広げてもらうこと
枠をどう壊させるか




腰痛も風邪も治まったので
さっそくロングダッシュ
苦しい 苦しい
「でも やっほ~ 俺は生きてるぜ~」
苦しいけど 気持ちがいい 空気がうまい
止めちゃおうかと一二度頭をよぎるけど
止められない
もどしそうになりながらもなんとか走りきる
 まだ余力があったので100メートルダッシュを10本くらい
合間に夜空を眺める
澄んだ空気に星がいっぱい浮かんでいる
「ああ 自分は子供の頃から同じことやっているなあ
こころの芯の部分も変わっていないなあ」と思ってなんだか
うれしくなってしまった

玉葱がうまい
きのうはピーマンと玉葱とたまごの炒め物にライ麦15%のパンをちぎりいれ食べる
きょうは鍋で玉葱(大量)を軽く炒め火をつけたまま
大根(大量)長いも(大量)生姜の順におろしていき
最後にたまごを数個
(途中かき混ぜながら蓋をしてかき混ぜて蓋をする)
味付けは塩 醤油 酢 きょうもライ麦15%のパンをちぎりいれる
 こういうでたらめな料理が大好きだ
料理の本やサンドウィッチの本はいっぱい買って持っているのだが
ほぼ全部の本 1ページも読んでいない
((説明書が読めないのと(読みたくない)同じものだと思うが
レシピも苦手だ))
ここ10年の買い物は
自分が使うための買い物はほとんどなくて
誰かに役立てば 誰かが喜んでくれればというのが基準になっている



大学四年生あるいは六年生を見ていると
卒業してからどうするかを
決めかねているひとたちがいるようだ
悩むだろうなあ
やりたいことがあるならそれを追いかけるべきだ
ひとに何を言われようが
やらなかったことで
後悔するのは自分なんだから
やったか
やらなかったか
最後に残るのはそれだけだ
看護の勉強したからといって
必ずしも看護師にならなくてはいけないなんてことはないのだし
まだ仕事をしたくないというのなら
旅に出ることだってありなんだ
ぶらぶらして暮らしたいと思うならそれもありだ
作業療法の勉強を四年いや
五年間勉強したのに卒業したら
巫女さんになったという女性もいるし
法律の勉強をしていたのに
卒業したら洋服のデザイナーをやっているという男性もいる
その結果
どんなことになろうとも
自分が本当にやりたかったことを
やったのなているなら
自分の人生に文句はないだろう
ひとにみとめられたかとか
うまくいったかとか
そんなことは
たいしたことじゃない
大切なのは
情熱もって生きられているかどうかだ
ひとはボロボロになってでも
命燃やして
生きるべきだ

子供には何はともあれ
生き抜く力を身につけさせることだろう
味覚を育てる食事
偏った食事をさせないように習慣づける
自分の頭で考えさせる
判断力をつけさせる
からだで覚え 感じさせる

いま読んでいる本は
梅棹忠夫 『博物館の思想』
小川三夫 『棟梁』の二冊
たまたまいっしょに読むことになった二冊の本
それぞれの著者がまったく同じことを言っている
同じ日にその箇所を読むことになる不思議
『博物館の思想』
創造的な仕事というのは
まず 枠組みを壊すことでしょ
『棟梁』
ものづくりには
枠がないことが基礎や
枠を壊さなければ次には進めんからな
  パン作りもおんなじだ
  そして食べる側も枠を壊さないことには
  ライ麦パンの本当のすばらしさをわかることはできない
  いままでやってきたパンの食べ方という枠を壊してしまわなければ
  ライ麦パンには出会えないのだ
  小麦のパン 菓子パン 惣菜パンを食べてきたように
  ライ麦パンを食べても美味しくはないのだから

戦争中に規則を守ったことで
死ぬことになった多くのひとたち
戦後 規則を守らなかったことで
生き残ることができた多くのひとたち

パンの買い方で
このお客さんは料理といっしょに
食べてくれているのか
パンだけをパクパク食べているのか
ほぼ わかる
料理といっしょに食べてくれている人は
普段の食事もきちんとしている方が多いのだと思う
とてもうつくしい肌をしている
一方パンだけを菓子パン感覚でパクパク食べている人の中に
美しい肌を持った方はいない
聞くと
外食が多かったり
自分であまり料理を作らなかったり
偏った食事をしていたり
好き嫌いが多かったり
そんな感じの人たちばかりだ
     両者の肌の美しさには
     恐ろしいほどの差があるのを
     パクパクさんたちはおそらく気づいていないだろう
女の人は知らないだろうが
男は肌の美しい人に惹かれるのだ
なぜだかは知らない
健康な人を無意識に選んでしまっているのか
だからどんなのに着飾っても
男にはあんまり関係ないんだ

ライ麦パンはからだに良さそうだからと
買いに来てくれるお客さんは多い
だがライ麦パンだけをパクパク食べていても
からだに良いはずはなく
他の食材(野菜など)といっしょに食べてこそ
ライ麦パンは力を発揮するのだ
ライ麦パンはいろんな食材や料理と合わせやすいという特徴があって
和でも洋でも中華でも何でも来いなのだ
だから白いパンに比べたら
ライ麦パンは料理がおいしく食べられるという貴重な食べ物なのだ

若い人ほど食事と生活には気をつけた方が良いと思う
いま しっかりとした食事を取って
運動や睡眠といった生活面も気をつけていれば
のちのち大きな病気になる確率は少なくなるのではないだろうか
老けるスピードも違ってくるのではないだろうか
 オレがそう思うだけで実際のところはわからないが
病院の先生に聞いたら
おそらく「そうだ」と答えるだろう


刑務所に入ることは
罰にはなるかもしれないが
必ずしも罪を償うことにはならない
悪いという思いがなければ
ただの罰だ
もしかしたら
刑務所に入らない方が
罪を償えることってだってあるかもしれない
 責任を取って辞める
そしたらそれで終わってしまう
 罪ってそもそもなんだ

パワースポットめぐりというものが流行っているけれど
「おりゃ~ 生きてやるぜ~~」なんてものは
自分自身がつくり出すものだ
パワースポットなんてものは
自分の外になんて存在しなくて
自分の中しか存在しないのじゃないだろうか
パワースポットに頼ろうという生き方では
結局頼りっぱなしの人生で終わってしまうのではないだろうか
 癒し 癒しというのもそうで
癒されたら また癒しを求めて
癒し 癒しで終わってしまうんだ
ドカーンと人生にぶつかっていってこそ
こころはホッとしてくれるんじゃないだろうか

木のおもちゃをいっぱい置いているけど
最近 子供は外で遊ぶのがいちばんなんじゃないかと思うようになってきた
何にも無いところで自分が遊びを作っていく
でも親子のコミュニケーションにはいいのかな
 もともとはひとりで来たお客さんにも楽しんでもらえるように
置き始めたものなので
置いておくのはいいだろう
 子供向けにするなら子供にとって
ある程度リスクのある遊び場を提供した方がいいのかな

予備知識なしに
ドーンと対峙する
大切さ 面白さ
旅もガイドブックなぞるだけでは
行く前から半分終わっている
見えるものも見えなくなる
ドーンとぶつからなければ
ドーンと返ってこない
損したくない
損したくないという思いが強すぎれば
結局はそれだけのものにしか出会えない

自分の息子や娘よりも
子供のように生きているひとがいる
それはそのひとの魅力だと思う

今月はトレーニングの時間が作れているので
疲れていてもなんでも
とにかくからだを動かすことにしている
歳をとってもからだは動かすことで
より動いてくれる
苦しさを耐え
一線を越えられるかどうかだ
手首の痛みもようやく取れたので
先週から一ヶ月ぶりにサンドバックと
遊具を使った筋トレ再開
人間の持っている能力
使えるものは存分に使ってやらなければ
なにが人間ぞ
頭もからだも存分に使ってやる
それが生きることだと自分は思っている

規則なんてものは
規則を作る側の都合でしかないことが多い
なんでもかんでも規則は守らなければならないなんて思っていたら
人生の半分は終わっている
規則があろうとなかろうと
すべては自分の判断だと思っている
責任が振りかかって来ない様にと作られた規則なんてものは
100%無視だ

高校へ行くこと
大学へ行くこと
会社に入ること
そんな道しかないと思っているのは大間違いだと
言ってやるのが大人の役割ではないだろうか




風がなかなか切れなくなってきたのは
足の筋肉が落ちてきたこともあるのかなと
最近は頻繁に坂道ダッシュをやっている
最近はといってもここ2週間くらいなのだが
それでもからだが坂道用に変わってきたのか
すこし楽になってきた
体重も減ってきたようでからだが軽くなってきて
平坦の道を走るときも
日常生活でも動くのが楽になってきた




接客は難しいけど
楽しいそして重要だ



Hannariご飯に影響されて
きょうはからし菜の塩もみと
カブの蒸し炒め
Hannariご飯に
食べ物がからだを作っているんだという当然のことを
気がつかせてもらった

肌の美しさは
健康であるかの指標になると思う


 



国際医療福祉大学の4年生
この時期になると国家資格を取るために
寝ても覚めても勉強勉強になるのだが
新潟出身の彼女は
きょうはいままでバイトだった
明日はワイナリーの収穫祭に酒を飲みに行くとか言っている
店をはじめて15年
こういう大学4年生に出会ったことがなかったので
うれしくなってしまった
医療関係の仕事につく人間は
これくらいの余裕と
人生を楽しもうとするこころがなければ
ひとは命預けられない
知識をいくら詰め込んだところで
それ程役にはたたない
本当の勉強は現場に入ってからだ

昔から栃木とは相性がよくない
やりたいことをやっても
受け入れてはもらえなかった
自分が好きだと思うことがことごとく
まわりとは一致しない
でもね
やりたいと思うことは
たとえ受け入れられなくとも
やっていいんだと思う
受け入れられなくとも
そこにぶつかっていく
自分を変えてはいけない
そうすれば
どんなことになろうとも
そこに後悔は残らない
とてもとても孤独ではあるけれど
いつだって胸を張って生きられる



きょうはランニング日和
今年は11月になっても昼間暖かい日が多い気がする
きょうも短めのダッシュや坂道ダッシュを繰り返す
からだは重いが
それでも身をよじりながら
懸命に腕を振る
 抵抗しているときというのは
より生きていることを感じられる
こうしてダッシュしているときも
運命にあらがうときも
 守りに入っているときというのが
いちばん人間が輝きを失っているときだ
言い訳をして何もやらなかったときのことを
思い出してもそのときのことは後悔以外何も残っていない
時間だけが過ぎていったということなのだろうか

突き詰めていれば
力は付いてきてくれる
この一週間で
そのこと確信できるようになったのは
これからのパン人生にとってとても大きいことだと思う
もう少し先かそれとももっとずっと先
いままで食べたどんなパンよりうまいと思えるパンを
食べさせられることができると思う
そう確信できるくらい手ごたえのあるパンを
今週一週間は作ることができた
自分にとってはこの一週間に作ったパンも
すでにいままで食べたどんなパンよりもうまいのだが
突き詰めていけば
まだまだうまくできる
あとは
それを信じて
これからもパンを作って作って作りまくるだけだ



子供向けのパンというものがあるとしたら
それはどんなパンだろう
ふわふわのパンだろうか
ただ甘いだけのパンだろうか
子供向けとつけるのならば
少なくとも子供たちの成長を阻むものや
能力を奪い取るものであってはいけないと思う
できれば子供たちの成長を助けるもの
甘いパンを作るとしても
ただ甘いだけではなくて
その中に酸味や苦味なども加えられないだろうか

子供向けの○○
本当か 本当か 本当か
本当にそれは子供のためのものなのだろうか
子供の能力を奪っていないだろうか
子供の力をバカにしていないだろうか
金儲けの道具にしていないだろうか
子供の健康を損なうものではないだろうか
子供の生活や未来を狂わせるものではないだろうか


子供を産んだお母さんや
これから子供を産もうと思っているひとは
子供のためにも
自分自身が健康である努力をするべきだと思う
日々の食事や生活に気をかけるべきだ
義務教育なんてものはいらねえと思うけど
親が健康である義務というのはあってもいい

うまくことが運ばないときに
しょぼーんとなって
暗く過ごすのもありだが
思ったようにうまくいことが運ばないときこそ
そこにぶつかっていく
ひとがいちばん輝けるときって
そのときだと思う


この店のお客さんに肌がきれいな人が多いのは
ライ麦パンを食べていることもあるかもしれないが
やはり食事に気をかけている方たちが多いからだろう
それからそういう人たちに聞くと
運動をしている人たちが多い
運動すればストレスも発散できるので
腸は益々きれいになって
肌もきれいになるという訳だ
 
「気づいたときには遅かった」
そうならないためにも
日々の食事や生活には気をつけてね
若いと思っているあなた
そう あなたです



勇気をずっと追い求めていた気がする
これまで勇気が出せずに
悔しい思いをしたことがどれだけあったことか
だけど勇気をずっと追い求めて続けわかったことは
勇気はもともと自分の中にあったということ
それを出すか出さないか
それだけのことだった
     自分の中の恐怖に向かって
     エイッヤーと飛び込む瞬間が好き
     恐怖が喜びへと変わる瞬間だ


定休日の2日間は良く眠った
トレーニングを終えたら本を読む以外ほとんど寝ていた
そのおかげで眠ることの大切さをからだで感じることができた
細胞のひとつひとつが元気になって
頭もさえている
睡眠しっかりとらないと早死にするなと思った
休みの日だけでもしっかり眠ることにしようと思う

今朝は坂道ダッシュを数本
苦しいけど幸福
幸福だけど苦しい






ひとに何かを求めるんじゃなくて
自分を生きることだ
それによって起きる結果が
どうなろうと
自分がやりたいことをやれたのだから
それでOKだ

苦しいだけの苦しみはいらない
欲しいのは
幸福を伴う苦しみ



自分を良く見せようと
がんばるのは疲れてしまうし
そんな時間は
そんなに楽しくもない
オレらしくふにゃ~って感じで
日々歩いていきたい












今週は大学生女子の来店が多かった
近くに国際医療福祉大学という学校があって
そこの学生たちがちょこちょことこの店に来てくれる
一年生の頃から四年生又は六年生まで
ずっと買いに来てくれる学生たちも多いのだが
見ていると入学し立ての頃と
卒業する頃とでは
まったくの別人になっている(男子はあまり変わってないかな)
芯がしっかりと固まっているんだよね
顔立ちも学年が上がるにつれて美しくなってくる
3年生4年生になると肌はすべすべ眩しくて見られないくらいだ
みな中宮寺の菩薩半跏像※1のような顔になっている
これはライ麦パンのすごさだと思う
街を歩いている大学生女子なんて
みんな亀の子たわし※2に目ん玉つけたような顔してるからね
 人生における選択の重要性
どちらのパン屋を選ぶかのほんのちょっとの違いによって
菩薩半跏像になってしまったり
亀の子たわしになってしまったり
菩薩半跏像かいいか
亀の子たわしかがいいか
うん~~
迷うところだよね


  ※1中宮寺の菩薩半跏像
   考える像で有名な、思惟半跏のこの像は
   飛鳥時代の彫刻の最高傑作である
   国際美術史学者間では、この像の優しさを評して
   数少ない{古典的微笑」の典型として高く評価され
   スフィンクス、モナリザと並んで「世界の三つの微笑像」とも呼ばれている
   像高 132cm 
   材質 クスノキ

   ※2 亀の子たわし

  洗浄のために用いる繊維を固めたブラシに似た道具のことである。
  繊維の部分を対象物にこすり付けることで汚れを落とす。

  当初はシュロの繊維が使用されていたが、
  大正末期から昭和初期にかけて原料としてのシュロが不足し始めたため、
  より安価なヤシ繊維(パーム)が用いられるようになった。
  棒状のたわしを卵円形に曲げて固定した典型的なものは、
  一般的には亀の子束子亀の子たわし)と呼ばれることが多い。
  しかし、この名称は日本においては
  株式会社亀の子束子西尾商店登録商標(第393339号など)である。










不安というものは自分で作り出してしまっているもので
実際にはそこには何も存在などしていないのに
不安に思ってしまうから
不安というものが出てきてしまうとことがあるのではないだろうか
こうなったら嫌だなあじゃなくて
こうなってもいいやと思うことで
いまよりは少し
おもいきり生きられる
こころをむき出しにして
生きられたなら
きっと
もっともっと楽しい毎日を送れるのだろうな

空は真っ青
お昼頃ランニングにでかける
湯津上方面へ
Tシャツでちょうどいい暖かさ
後半足が重たくなってきたので
ダッシュをしてみる
腕も足もぜんぜん速く動いてくれない
それでもダッシュを繰り返す
苦しいときこそ腕を振り足を前へだ
これ以上やると
からだがどうにかなっちゃうんじゃないだろうか
あした動けなくなってしまうんじゃないだろうかという思いが頭をよぎるが
すぐにその思いを得意の右ストレートで打ち砕く
からだなんてバラバラになってもいいもんねとまたダッシュ
     こうなったら嫌だなあという不安や
     これからやってくるだろう痛みや苦しみへの怖さが
     頭をよぎった瞬間にそんなものは殴り飛ばしてしまって
     怖く思ったものや不安に思ったものへこっちから乗り込んでいってやる
     そんな生き方こそ
     人間は眩しいくらいの輝きを放つことができるのではないだろうか
うまくいかなくてもいいもんね~
損してもいいもんね~
笑われようが馬鹿にされようが恥なんかじゃないもんね~
    今夜の音楽はこの3曲

安住の地など
探す意味もない
ただ今を
こころから今を♪

クラゲの二人 / 鈴木亜紀 - YouTube


鈴木亜紀 20091216 - Tot-Channel



自分の中の何かを成長させたと思っているなら
『いま』はどんなにボロボロでもどんなにフラフラでも
いいんじゃないかと思う
そこを通過することなしに成長はありえないんじゃないだろうか
結局自分は死ぬまでボロボロ フラフラということかな

大好きなことを
おもいきりやっているなら
ひとから笑われようが罵られようが
関係ない
そのとき自分はそんなところとは別次元なところで生きている







 
粉の状態がいいので
このところかなり良いパンが焼けている
粉の状態がいいだけではなくて
自分自身の力がついているのも強く感じる
 粉の状態が悪いときに
この粉でどうパンを作ろうかと知恵を絞って絞って
苦しんだからこそついてきた力
 そのなかでもいちばんついてきたなと感じる部分は
パン生地の状態を見極める力
自分にいちばん足りなかった部分だ
 それからこのところ良いパンが焼けているのには
余裕ができたということも大きいと思う
夏前の数ヶ月 売れ残ることは覚悟して
力をつけるために意識してかなりの量のパンを焼いていたのだが
ここにきて焼くパンの種類や量をすこし減らしてみたら
こころに余裕ができて
落ち着いてゆったりとした気持ちで
パン生地を見てやることができるようになってきた



月 火曜日の定休日は
庭いじり
送ってもらった花の苗を植えたり
日が当たらなくなってしまっていた木の移動
大きくなった木の選定
すこしずつ面白い庭になってきたかな
来年の花の時期がちょっと楽しみ
 夕方 犬と散歩 
久しぶりに ちょっと遠出
秋の空気にうれしくなる
夕暮れ時
こころがいちばんゆったりしてくれる
外を歩くのにはこの時間帯がいちばん好きかな



今夜の音楽はAlim Qasimov(アゼルバイジャン)
このひとの歌声を
奈良県まで聴きに行ったことがある
東大寺大仏殿の前
このひとの声が昇り竜のごとく
空気を揺らしながら天へと突き抜けていく




20年30年とマックを食べて育ってきた女性が
数ヶ月前からがんばって毎日の食事を自分で作るようになったそうだ
一人暮らしをしているのに
包丁を持っていなかったというすごいひとなんだけど
この前久しぶりにマックを食べに行ったけど
おいしいと感じられなかったと言っていた
大人でもがんばってみれば
味覚をどうにかすることができるんじゃないだろうかと
期待していまその女性を観察しているところ
どうにかなるのだったら
このパン屋にとってちょっとした明かりだよね






お母さんのお腹の中でこの店のパンを食べていた子が
生まれ落ちてから7ヶ月して
初来店
白と黒の二匹の犬たちとじゃれ合いながら
天使の微笑み
この子は絶対に素敵な子に育っていくだろうなと思った

2歳くらいの子だろうか
お母さんの腕の中で眠っている顔があまりにも幸福そうで
こっちまでうれしくなってしまった
ここのパン初めて食べさせるのですけど
どういうパンがいいですかと聞かれたので
プレーンなパンの方がいいと思いますと答えておいた
レーズンやオレンジの入っていなくても
ここのパンはパン自体にほのかな甘みがある
(もちろん砂糖の甘みではない)
このくらいの子にはこのくらいの甘みで十分なんじゃないかと思う
俺が勝手にそう思っているだけだから
本当にいいことなのかどうかはわからないけど
どのパンがいいですかと俺に聞いてきたので
そう答えた


















 


お客さんに茄子を大量にいただいた
茄子は大好物
どうやって食べようか
 茄子を持ってきてくれたお客さんは
学校の先生になろうかと大学に行って勉強をしていたが
突然 農業がやりたくなって北海道へ
数年間向こうの農家で働いたのち
こっちに帰ってきて
茄子農家やイチゴ農家(だったかな?)などを渡り歩いて
今月からは小豆島のオリーブ農園に出稼ぎに行ってくるとのこと
いい顔している
人生の充実度というものは
やりたいと思うものに
どれだけ飛び込んでいけたかじゃないだろうかと
彼女の日焼けした顔を眺めながら思った





いつものうっかりミス
営業開始前にお客さんに電話で指摘されて気がついた
HPのきょうの営業時間を間違えて表示していた
でも変な間違いでよかった
営業開始時刻が午後10時からで
営業終了時刻が午後7時10分
「来られるもんなら来てみやがれ~」っという営業時間だ
これなら来たくても来られなかっただろう
きょうは午後4時30分からの営業だったから
午前10時からになっていたら大変だったよ



庭の甘柿とナツメが色づいてきたので
日頃の栄養不足を補おうと
いま必死に食べている
ナツメ美味しいので食べたことがない方は
試してみてね


変えられるものと変えられないもの
変えるべきものと変えるべきでないもの
変えたいものと変えたくないもの どうでもいいもの


相変わらずお客さんの顔が憶えられない
お客さんの顔が憶えられたら
物語と物語が繋がって面白いだろうなとも思うが
そう深刻になることでもない
おそらく自分の脳がそういう脳なのだ
どんなにがんばろうとも
憶えられないものは憶えられないのだから
仕方がない
何でもかんでもできるようにしなくてはいけないなんてことはないのだと思う
他の人と同じようになる必要はないんだから
あの人たちはそれが出来る
自分にはそれが出来ない
それでいいじゃん
 子供のころから物覚えが悪かった
 物を忘れることも多かった
 それでよく怒られた
 学校でも職場でも怒鳴られたり
 物投げつけられたり
 叩かれたり
 いまだからわかるけど
 何をされようができないものはできないのだ
 当時はうつむいて小さくなっていたけど
 いまだったら舌出して頭かいておわり







損をすることを避けて避けての人生ほど損なことはない



パン作りには見えない部分が多すぎる
パン生地のなかでどんなことが起こっているのか
そんなことはまったく見えないしわからない
パン生地の状態は
パン生地の表面だけで判断するしかない
作り手は
中のことは何もわからなくて
表面だけしか見えていないということだ
だからパン作りには経験
それと勘というものが大切になってくる
   パン生地のことは
   わからないことばかりだし
   人間の力が及ばない部分だらけ
   だから偶然性に頼らなければならないところもあるけれど
  そこがパン作りを面白くしているところでもあると
  思えるようになったのは最近だ
  ワイン好きの人たちが毎年毎年の味の違いを楽しんでいるように
  パンを食べる人たちも
  毎日毎日の味の違いを楽しんでもらえるようになってくれたらいいなあ

小学生の頃から
走っていた
ひとりで黙々と走る時間が好きだった
いつしか走ることが自分の土台となっていた
走ることが僕のからだとこころを支えてくれている
  何かことをはじめるときには
  走ることでついた体力があったので
  体力面のことは何も心配することなく飛び込むことができた
こころにポッカリ穴があいてしまったときでも
”走るということ”は僕のそばにいてくれた
”走るということ”という居場所が僕にあるという安心感が
こころを支えていてくれた
  "走るということ”がそのとき気分を変えてくれ
  「生きていこう」という思いにさせてくれる
”走るということ”がいまできないことでも
続けていればできるようになるということを教えてくれた
  

数日前に買いに来たばかりのお客さんが
また買いに来てくれた
「ああ 椅子に座りに来たんだな」
何度も何度も椅子を眺めては腰掛けている
いままで見たことないような
うれしそうな顔をしている
良いものを手に入れたぞという顔だ
先日椅子に座った後に
さっそく電話をかけたらしく
「来月あたり行ってこようかと思っているんだ」とのこと
置いてあるだけでこれだけひとをうれしそうな顔にしてしまう椅子
すごいと思う
こんなパンをいつか作れるようになりたいなあと思った
 きのうパンを買いに来た看護師さんが
きょうもまた買いに来た
この看護師さんもこの椅子にまた座りたくなってしまったらしい
 自分にぴったりで座り心地もいい椅子があると
毎日の生活がとても楽になる
家にお金をかけるよりもまずは椅子だろうと思うのだけど
建築関係のひとの話では
そういう考えの人はあまりいないらしい
 しっかりとした木でしっかりと作られた椅子は
大切に使えば何十年も使える
10万円する椅子だって
使うひとがあと20年生きられたとして
1年間に5000円払うだけで
心地よい毎日が手に入ってしまう
栃木から東京へ新幹線で行けば5000円をこえるお金を取られる
(あの座り心地の悪い椅子に座らされて5000円だ)
国民年金なんて月に5000円×3以上のお金をもっていかれる



起きると
すぐに作業場へ
朝の五時
季節によって違うが外は明るいときもあるし真っ暗のときもある
七時頃まではまだ半分眠っている
七時四十五分頃まで軽量や前捏ねなどの下準備
それから小麦酵母のパンの本捏ね
ライ麦酵母の本捏ねと続く
(種類もあるし量もあるので
からだはある程度疲れる)
その後生地の分割と成形と焼成
(ここは時間に追われる感じ
こころが疲労
たくさんの種類の生地があるので
それぞれの工程がちょっとでも遅れると
成形や窯入れなどが重なってしまいごちゃごちゃになる)
全部のパンが焼きあがるのが十六時二〇分から十六時四〇分頃
合間合間に店の掃除をしたり
パンを並べたり
(ここで急かされると機嫌が悪くなる)
十九時十分頃まで店番
二〇時頃まで店の片づけと酵母いじり
ここで一段落
24時頃酵母いじりをして睡眠
(通販をやめたことと
混ぜ物を少なめにして
プレーンなパンを増やした分
からだもこころもかなり楽になった)


きょうは子供連れのお客さんは3組
それぞれのお客さんが来たときに
お客さんの流れが止まってくれたので
ゆっくりと遊んでもらうことができた
 でもきょういちばん楽しんでいたのは大人の方だった
積み木に夢中になる夫婦と同じく積み木に夢中になる
子供ほったらかしのお母さん


良いパンが出来たとしても
大部分は微生物と自然の力
人間はその手助けをするくらいしか出来ない
それでもそこに人間がいなければパンにはならないし
ほんのちょっとの手助けだけど
タイミングの見極めや
水加減などなど
そこを間違えば絶対に良いパンにはならないという
とても重要な役目
パン職人て裏方なのだと思う
あくまで主役は微生物と熱や空気
 さいわいこの店には僕の知る限り
世界最高の微生物がいてくれる
あとは自分がどれだけがんばるかだ



発酵の力ってすごいんだぜ!
パンが最高にうまく出来たときは
三ツ星レストランの料理なんて目じゃないから


いまその食べ物の味が好きでなくても
その味を舌に触れさせ
記憶させておけば
大人になったときに
食べられるようになることもあるそうだ
 成長させるということは
いまではない
先のことを見越して取り組まなければならない
とても時間がかかるもの
いまがよければそれで良しというものではないんだ
うまくいかないことを体験し
もだえ苦しむことなしには
力はついていかないものなので
手出しをしないで
じっと見守っていなければならないときもある
なかなか我慢が要るものなのだ
危険なことに遭遇することもあるかもしれないから
それなりの覚悟はいるだろうが
こどもは何かひとつでも自分でつくった土台のようなものがあれば
そこをベースとしてなんだかんだと
生き抜いていけちゃうものではないだろうかと思う



手間ひまはそうとうかかっていると思う
でも他のパン屋さんがどれくらい手間ひまかけているかわからないから
大きい声では言えないが
もしかしたら他のパン屋さんに比べたらぜんぜん手間ひまかけてなかったりして
でも まあ 自分としてはかなりの手間ひまをかけていると思っちゃっている

『安いのには訳がある』そんなような題名の本を読んだことがあるが
この店のパンが安いのはただ単に利益が少ないというだけだ
オープンしたときから価格は上げていないし
消費税だって取っていない
オープンしたときの価格がそもそも安かった
原価計算なんかするとけち臭くなるので
自分の感覚でつけた(大田原という場所も考えて)
そんなんだから原価率300%くらいあったんじゃないかな
そんな恐ろしいパンも作っていたことがある
それでもそのパンを「このパン高いと思う」と言われてしまうのだから
大田原はもっと恐ろしいところだ
2Kg1万数千円のドライチェリーを使っていた自分も同じくらい恐ろしいかな
 消費税が上がっても円安になっても価格を上げないのは
政治に振り回されたくないという思いもあるが
大学生のお客さんが多いからだ
大学生以外にもこの店は
お金そんなに持っていないだろうというお客さんがほとんどだ
 この店のおそらく30%くらいは医療関係者
看護師 理学療法士 作業療法士 言語聴覚士 ケアーマネージャーなど
大学生だった彼ら彼女らが買いに来てくれるのだ
パンの通信販売を止めたいまこの人たちによって
この店は支えられているといっていい
 それから安くしているのにはそのほかにも理由があって
それは毎日食べてもらえるパンであって欲しいから



何かがつかめたとうい手ごたえ
良いパンができるときの
パン生地の状態がどんなものかが見えてきたのが大きいかな
良いパンが作れるようにならなければ
見つけられないものだから
全体的にレベルアップしているのだと思う
 そうとう難しいパンを作っている
むかしまだまだどうしよもないくらい力がないときに
偶然とてつもなくうまいパンができてしまったことがあった
いままで食べたどんなパンの味を遥かに超える
ものすごいパンだった
可能性をみてしまったんだ
そのパンの味を追いかける形で十数年
追いかけているその先に
とてつもなく明るく輝いているパンがあるから
どんなに壁にぶつかろうとも突き進むことができるんだ
追いかけているその先には
ほんのわずかなものでも明かりがなければダメなんだと思う
明かりが見えてさえいれば進むことができるんだ
 

磨いて磨いて磨き上げていく
そうして創られていくものが好きだ
文楽や能 音楽や家具そいううものに惹かれるのは
そういうためだと思う



からだがウズウズするので
夜もランニング
中央公園で下半身の強化と









自分の中で思い描いているお店の30%くらいが
形になってきた
今後も思いは変わってもくるだろうから
これからどんどん店は変化していくと思う
楽しみにしていてね

一升もちの変わりに一升ぱんを
子供に持たせたというお母さんが
来店
いままで小麦のパンしか食べさせてなかったのだが
ライ麦のパンもむしゃむしゃ食べてくれたとのこと
そう ライ麦のパンを好きな子供は多いのだ
親の持っている先入観が
子供の持っている能力をつぶしてしまうこともある
子供は固いものや酸味のあるものは食べないだろうという先入観を
持っている親は結構いるものだ
でもね 子供の持っている能力って親が思っている以上
何千倍ものすごい能力 可能性を持っているんだ
~~しやすいのなかで育って能力をつぶされた大人には
それがわからない
 ライ麦パンにかぼちゃのペーストや
じゃがいものペースト(茹でたじゃがいもを冷ましてから
しゃもじなどで練ると粘り気が出てくる)





仕事などの関係でこっちに住むことになった方たちに聞くと
「栃木はいいところですね」とほとんどの方がいう
 何年か前に青森を自転車で旅していたとき
青森で生まれ育ったという男のひと数人
別々の場所で
「青森はいいでしょ」と尋ねられた
「へ~~」と思った
自分は「栃木が好きか」と聞かれたら
「好き」とは答えられない
 でもここでこれからも暮らしていくなら
この土地を好きになった方が何百倍も楽しいだろうなと思う
まだ見ていない部分を見てみようかな
ひさしぶりに山にでも行ってみるか



管理しちゃえば
楽だ
能力がなければ
そうするしか仕方がないのかもしれない
管理管理
また管理
あっちも管理
こっちも管理
おそらく
そうなってくるだろう
国民に番号をつけるなんて
管理を使用とする人間にとってみれば
四次元ポケットを手に入れたみたいで
ワッ八ハッハだろう
どんなに反対されようが
番号使ってちちんぷいぷいのぷいだよ
受信料徴収だ
国民年金徴収だ
国民の生活が便利になるためなんかじゃなくて
政府が利用するために作ったもの
これからどんどんどんどん
これを使っての管理 支配が強まっていくんじゃないだろうか


国をつくるのは政治家や官僚じゃない
そこに住んで生活しているひとたちだ
政治家や官僚になってこの国を変えてやろうと考えることが
そもそも間違いなんじゃないか

町おこしだと
一時的にひとが集まるイベントを開催したり
道路を広くしたり
そんなことよりも
そこに住んでいるひとを育てることの方が先ではないだろうか
子供の味覚を育てたり
森や川での遊びを教えたり
生き抜く力を身につかせること

子供の味覚を育てることは大人の責任
食べ物を作って商売をしているものにも
その責任はあると勝手に思っている
だからパンに砂糖は入れないし
ふわふわのパンも作らない
もちろん添加物も使わない
それもこれも自分が勝手にやっていること
自分がどれだけ思っていようとも
親には親の思いや考えがあるし
子供には子供の思いがある
合わないと思えば
親も子供も
別のパン屋にいくまでだろう

お母さんを伝ってなまけもののパンを食べていた赤ちゃんが
今週ふたり誕生した
千葉と東京
共に元気な赤ちゃんのようだ
千葉の子は30分くらいでポトンん産まれ落ちてきたとのこと
東京の方は「いまから顔をみにいってくる」とおじいちゃんが
向こうに持っていくパンを買いにきた
半年前にも孫が産まれていたそうで
その子もここのパンを食べて産まれてきた子だ
 きょうも2ヵ月後に赤ちゃんが産まれるというお客さんが
パンを買いに来てくれた
大きいお腹できつそうだったが
店の椅子に座ってもらったら
「楽ーー」
「気持ちいいーー」
と感激していた









お父さんやお母さんのどちらかが酸っぱいものや苦いものが
苦手だと
その子供も酸っぱいものや苦いものが苦手という例がほとんどだ
親が子供に酸っぱいものや苦いものを与えないのだから
そうなってしまうのも仕方がないだろう

好き嫌いが治らないまま大人になってしまうひとは結構多いのだ

ほとんどの農家の人はなぜかレーズンのパンばかり買っていく
美味しい野菜があるのだからサンドウィッチにして食べればいいいのに

栃木県の飲食関係の方の多くははなぜかレーズンのパンや
ナッツのパンばかり買っていってプレーンなパンを買っていってくれない
こういうパンは
サンドウィッチにしたり
料理の中にちぎり入れたり
料理につけて食べてこそのパンなのに
これがちょっと怖いところ
もしかしたら酸っぱいのや苦いのが苦手の料理人が多いのかな
パンのことはあまり知らないのかなあ
これでいいのか!といつもモヤモヤしている

苦味や酸っぱいのが苦手な人が
絵を描けば何かが抜けた絵になってしまう
苦味や酸っぱさが苦手な人が音楽を作れば
どこか甘ったるい音楽になってしまう
苦味や酸っぱさが苦手な人が詩を書けば
どこか深みのない詩が出来上がる














きのう焼いたライ麦15%のパンを食べてみる
いい味に仕上がっている
粉と水と塩と菌と熱と
ちょっとばかりの人間の勘と経験と感覚が生み出す奇跡
この秋技術的に一皮剥けたことを感じながら
うまいパンを作るには年数が必要だということがいまになってようやく理解できた
一段抜き二段抜きで跳び走るということはありえなく
ひとつの段階を踏むことでしか見えてこないものがあって
それを見なないことには次の段階を踏むことは不可能という
根気のいる世界なのだ
うまくいかなかったことも
うまくいったことも
そのひとつひとつの欠けらが
パン作りをするものにとっては宝物
その宝をどれだけ集められるかどうか



人間のこころは脆いところがある
ちょっとした衝撃で粉々に砕け散ってしまう
だけれども
その砕け散ったこころの破片が
念力によって元の場所につなぎ合わされたときには
とてつもないエネルギーを発するんだ
脆さもあるけど人間のこころはとてつもなく強くもある
脆さがあるからこそ
何ものかを弾き飛ばそうとする
とてつもないエネルギーが発生するのかもしれない
ビビるクマ - YouTube

















  
ハワイの優しい風が吹き抜けていくような
そんなお店をつくってみたかった
気取ったお店は好きではない
子供も大人も笑顔になれて
ほんのひと時でもこころがゆったりとしてもらえるような空間
壁には空と海がどこまでも広がっている絵をかけよう
虫のこえ
風のおと
最高に心地良い椅子を置いて
きょうも一日の始まりだ

僕がいちばん好きな音は
お客さんの車が駐車場に入ってくるときの音
本を読みながらも
洗物をしながらも
いつもどこかで心待ちにしている音
ザザザザーッと聞こえると
こころが5センチくらい浮き上がる
こればかりは
何年経っても変わらない
お客さんの笑顔に支えられ
毎日毎日パンを焼き続けることができた
お客さんの笑顔が見たいから
どんなときでも毎日布団から出ることができた
こころとこころのぶつかり合い
そんなことができる店にしたい
そんなことができるひとになりたい




T夫妻がハーモニカを始めたそうなので
きょうの一曲はこれ

Power & Randall: THREE IRISH TUNES - YouTube



きょうは長めのランニング
アップダウン多く
足はフラフラ
最後のダッシュで力を使い果たした
もうこれ以上動きたくないと思ってしまうくらいの
トレーニングをした後の充実感とホッとした気分は
最高のひと時だ
こころからの喜びというものは
苦しんだ先にしかないのではないのだろうか
自分からその道に飛び込んで行き
それをやり遂げたときの達成感
立ちはだかるものが大きければ大きいほど
達成感は大きくなる
 でも待てよ
苦しんでいるときも楽しさはあるから
やるぞーと決意したときから
こころは喜んでいるのだろう
苦しみを知っているからこそ喜びがあり
喜びを知っているからこそ苦しみがある
緊張を知っているから緩和があり
緩和を知っているから緊張がある

苦しいことがあった後
危険なことにあった後
恐ろしいことにあった後
不安なことから開放された後にしか得られないもの
 自分のからだにぴったりの椅子に座ったときに沸き起こってくる喜びは
頭が重すぎるというからだの構造上の欠陥に耐えて
立ち続けていたからこそのもの


仙台でのカカオからチョコレートを作るワークショップを終え
T夫妻が店に立ち寄ってくれた
来る前に連絡があり
「何時になるかわかりません」とのことだったので
嫌な予感はしていたのだが
到着したのは0時過ぎ
仕事もほっぽって
寝る時間も削り
きょうは大阪
明日は香川と大好きなカカオのワークショップをやるために
全国を飛び回っているはずなのに
ぜんぜん疲れた顔をしていない
きょうだってワークショップを午前午後と二回こなし
車で仙台から帰ってきたというのに
なんなんだろうこの元気は
 このひとたちには
 僕のなかにある時間のなかや距離のなかに
 引いてしまった線のようなもの
 あらゆるものに引いてしまっている線のようなものが
 存在していない
 これから帰れば東京の家にたどり着くのは4時ごろだろうに
 なんとも思っていない
  午前中から仕事があるはずなのにメールが来るのはいつも午前3時や4時
  きょうは仙台 明日は九州 あさっては大阪
  かき氷を食べにいけば4杯も5杯も食べてしまう
  カカオのワークショップを始めるときもそうだったけど
 やろうと思ったら何の準備も始めていないうちにやってしまう
食べたくなったら食べ
寝たくなったら寝て
行きたい所があったらそこに行く
野生動物のような生き方をしている
神経の図太さなのかあるいは単純さなのか
いつでも どこでも どんなときもなんとかなるさで生きている
  人間はものごとを複雑に考えてしまったり
  世の中幅を利かせている価値観や常識に振り回されてしまったり
  自分の限界に線を引いてしまったり
  こうでなければならない
  こうしなければやっていけないと思い込んでしまったり
  時間というものを作ってしまったのも人間だ
   本当はそこにあるはずでないものを
  ほとんどの人間は頭で作り出してしまう
坊さんが必死な思いで修行して消し去ろうとしているものを
この夫婦ははじめから持っていない
 だからぼくはこのふたりはもしかしたら・・・・と思い
お越しになられるときはいつも手を合わせている








スリットドラムをいつもと違う場所に置いておいたら
たたいていくお客さんが結構な数いた
たたきやすい場所
たたきたくなる場所
目立つ場所
物を置く場所もいろいろ考えれば
物が活きてくるのかもしれない



粉も米と同じようにその年の気象状況
収穫時の気象状況
保管の仕方によって
質が変わってくる
パンを作るにおいて
技術的な問題なのか粉の質の問題なのか
判断できないところが
きついところ








「国民は国の支配下に置いておけばいいんじゃないの」ってな感じで
国は国民の管理と監視を強めだした
よちよち歩きの坊やに
赤ん坊扱いされているようで
可笑しくなってくる
24653って囚人番号じゃん
いつまでも過去を背負って生きなければならない
逃げ場がなくなってしまうかな
管理と監視政治の行き着く先には
どんな世界が待っているのだろう
戦争に駆り出されることだってあるかもしれないし
とても窮屈そうだ
権力を持てば勘違いも起こるだろうが
生きる邪魔だけはしてほしくない



先週の火曜日に久々に痛めた腰は
完全復調
トレーニング再開後の一週間は
いつも苦しまされる
もう元には戻らないんじゃないかと思いの中で
重いからだを一歩一歩と運んでいく
それでも人間のからだはすごいもので
数日経つと動き出してくれる
 何かやろうとすれば苦しいことは付きものだ
それなら苦しかろうが平気にその一瞬一瞬を楽しめばいい
絶対に苦しさは付いてくるのだから
落ち込む必要なんてないんじゃないか
パン屋をやっていれば
売れない日だってある
そんなときは
「よし あしただ あしただ」しかないだろう
パンのレベルを上げていくことと
お客さんにどう楽しんで帰ってもらうかを考えるのは
売れようが売れまいが日々当然のこと
 どんなにきついときでも
歩いていくことだ
ペースを落としても良いのだし
休んだっていいんだ
どうにもなりそうもないくらい
ぐちゃぐちゃで困難な状況だろうと
右足
左足
前に進めていけば
何かが変わっていくかもしれないし
何も変わらなくたって
そこには
生きているという証がある




大量生産されたものばかりの中で生活していていれば
ひとのこころ 
ひとのおもいが見えなくなってしまう
ひとのこころ
ひとのおもいが
じぶんのこころ
じぶんのおもいをつくってくれる

生きていくうえで必要なものは
知識よりも知恵そしてこころだと思う
仕事でもそうだ
知識があるだけでは
パンは作れないし
ひとに食べてはもらえない

今週もいろいろなお客さんがやってきて
とても濃い一週間だった
それぞれのひとがそれぞれの人生を
懸命に生きている
旅をするのも好きだけど
それよりもひとを迎え入れる側にいまは魅力を感じる
たくさんのひとたちと出会うことができるし
そのひとたちをどうすれば楽しませることができるか考えるのは面白い
いまはまだまだ力が足りないけど
10年経てばいまの100倍
20年経てばいまの1000倍
30年経てばいまの50000倍
楽しんでもらうことができると思う
自分がそれまで生きていられればの話だけど
人生には何が起こるかわからないからね

人間はすごい力を持っている
そう思えるときがあるけれども
それは人間世界の中でのこと
大自然を前にしたら人間の力なんかでは
どうにもできないことばかりだ

この世には絶対安全なんてものはなく
危険なことを回避したり潜り抜けたり観察したりしながら
そのなかで生き抜く知恵と力を身につけていかなければならないことの大切さ
いまそのことを多くのひとが忘れてしまっている
安全安心という言葉に安心しきってしまうほど
安全じゃないことはない
 警察官だから国家資格を持っているから
国が管理しているからというだけで
安心感を持ってしまうことの怖さ
みるべきものは
肩書きなんかじゃなくて
人間だろう
 騙されたり何も知らないまま
危険な場所に足を踏み入れてしまい
あれーーーって
死ななければならないことになってしまったら
死んでも死に切れないと思う
きっとこの世をいつまでもさまよい続けるであろう
曇りきってしまった目に
唐辛子でも振り掛けて
つまらないことで馬鹿をみないように
生きていこうと思う
いまはまだやりたいことがあるんだ

人間は変化を求める
いつの時代でも
いまとは違った世界を夢見るのだ
いつか人類は滅びるだろう
そのさがのために

オリンピックで金メダルを取ろうとも
世界一高いビルを建てようとも
そんなことは宇宙にとってどうでもいいことだし
森の動物たちにとってもだからどうしただ
人間が人間世界の中で勝手にやっているだけのこと
俺は先輩だ
俺は部長だ
俺は大臣だと威張っている姿は
人間からみてもだからなんだである
くだらない
何が正しくて
何が正しくないか
そんなことは誰にもわからない
人間はどんな生き方をしたっていいんだ
止められようと
罵られようと
馬鹿にされようとも
それを止められる絶対的な理由をもっているひとなんていない


みんな楽しい夏休みを過ごしたようで
いい顔している
それからひと夏越して
たくましくなっている気がする
もしかしたら小学校や中学校くらいの子供たちは
学校へ行っているときよりも
夏休み中の方が成長するのかもしれない












朝からいい風が吹いていたので
久しぶりに遠出
最高のランニング日和だ
湯津上のあたりは好きでよく走りに行くところ
梨園や酪農をしている家が多く
緑が多く広々としている
ちょっとした別世界に迷い込んだような気分になる
 ランニングのどこが好きかと聞かれたら
意識が半分くらいどこかに飛んでいってしまった状態になれるからと答える
自分が自分であって
自分でないような
宇宙と溶け合って
一体となれたような感覚
 きょうは小銭を忘れて水分補給が出来なかったので
半分くらい残った意識は冷蔵庫に冷やしてある桃を追いかけていた
朝飯はゴーヤーご飯を食べ
元気モリモリ
きょうも生きるぞ~


大人が子供に対してなにかやるべき責任があるとすれば
それは『生き抜く力』を身につけさせることではないだろうか

お金を使うのなら
ひとの思いやこころに対して使いたい

大田原市も大きなお店ばかりになってきた
つまらない街になってきたなあと口で言うのは簡単だ
スーパーに行けば何でもそろってしまって便利
でもちょっとめんどくさくても町の魚屋さんや肉屋さんで買い物することが
地域おこしや街の活性化の第一歩なのではないだろうか 
 大型チェーンのレストランの味や
コンビニの添加物だらけの食べ物の味に
慣れてしまった子供はまず自分の作ったパンは食べてくれないだろう
どうこのパンを子供たちに食べてもらえるようにするか
「クソ~ やってやるぞ~」と思う
この街に住んでいるひとりひとりが「生きるぞ~」と思えば
それが地域おこしだ
街の活性化だ
  地域おこしとか
町の活性化とか
政治家や市まかせにしたのでは
何も変わらないのじゃないだろうか

ライ麦パンを使ったオープンサンドと軽い運動
それさえあればそうは太らない
ここ20年体型はほとんど変わっていない
最近は玄米 玄米と騒がれているけど
ライ麦パンは玄米以上の健康食だと思っている

夕飯は空芯菜とピーマンとこんにゃくの卵とじ(味付け塩と味噌と酢)に
ライ麦40%の平焼きパンをちぎり入れる
夏はからだが野菜を求めてくるので
大量に買っておいた野菜がすぐになくなってしまう

眠っても眠っても
布団が恋しくなる
ちょっと前まで
布団に寝転ぶのが
苦痛で苦痛で仕方なかったのに
この涼しさはうれしくてうれしくて仕方がない
今朝も布団から抜け出すのが大変だった
夏の疲れも出てきているみたいなので
そろそろ起きられない日も出てくるかな



このあたりの料理人は
パンをまったく重要視していないようで
料理と共に出てくるのは
ほとんどのところで
トーストしたバゲットだ
もっといろんなパンを使えば料理の幅がグーンと広がると思うのだが
おそらく
パンの使い方をわからないのと
パンを知らないのだろう
パンをうまく使えば
料理は数倍うまくなる

黄門様「格さん助さんやっちゃいなさい!」
格さん「って相手 刀持ってるじゃん」
助さん「50人はいるよ」
夢や喜びを剥ぎ取られ
挙句に駒にさせられ
虫にさせられて
地獄に放り出されたひとりの人間
ひとりの人間が犠牲になったとしても
世界は何一つ変わらない
ひとりの人間の夢と喜びが命とともに消えていったという事実と
悲しみだけ残して
また朝が来て
春が来て
60年が経ち
70年が経ち
ひとりの人間が駒にさせられ
虫にさせられ
武力では何も変わらないという事実を
やはり人間は理解できなくて
また朝が来て
春が来て

今夜はあるもの総動員してスープを作る
鶏肉むね
ツルムラサキ
空芯菜
新ショウガ
オクラ
じゃがいも
豆腐
塩 酢 酒
スープにライ麦95%のパンをちぎり入れる
うまい
ライ麦パンはすぞい
料理の味をグーンと引き立ててくれる


お盆期間は95%が帰省されたお客さんだった
このパン屋のことを忘れずにいてくれて
感謝 感謝なのだ

自分にとって素敵なひとか
そうじゃないひとかの基準は
自分のパンを食べてくれるかどうか
だから店に来てパンを買ってきてくれるひとは
みんな素敵だ
みんな輝いている
女の人は美しい方が多い
男の人は優しい方が多い
これだけ素敵なお客さんがやってくるパン屋を
僕は知らない

お盆期間の今週はパンが絶好調
菌が勝手にパンを作ってくれる
酵母が調子の良いときには
こっちは何もやることがない
きのうから『なまけもののパン屋』16年目に突入
まだまだこれからおもしろいパン屋になっていくからね




筋肉はついてきているのに
腕を振っても力が腕に伝わらずふらふらふらふらという感じで
気合もあまり入らなかったのだが
ここに来てようやくからだに力が込められるようになってきた
筋肉がようやく自分のものになってきたみたいだ
続けることの大切さ
ダメかもしれないというところにいたとしても
続けていれば
人間のからだは変化していってくれる
人間のからだは自分が思っているよりも
ぜんぜん超えたものなんだ

流転(studio take)-浜田真理子 - YouTube



定休日はなかなか布団から抜け出せなくなっていたのだが
きょうは久しぶりに早く起きられたので涼しいうちに犬の散歩とランニング
空にはうろこ雲
天気が崩れてくるのかな
きのうからきょうにかけてなぜだかたくさんの知り合いとすれ違う
散歩やランニング 自転車に乗っているときは
できるだけひとのいない方いない方に
車が通らない方通らない方に道をとるのだが
なぜこんなところでという場所で
次々に知り合いとすれ違う
車の中なんて普段はほとんど目がいかないのだが
きのうきょうはなぜだか知り合いの姿が目に入ってくる
お盆休みは素敵な出会いがいっぱいあるのかな

マック中毒なるものがあることをはじめて知った
お客さんに野菜が大嫌いという方がいて
これまでの人生で食べた野菜の量はほんのわずかだというので
野菜を食べないなら何を食べて生きてきたのかと興味が沸いてきたので
たずねてみると
「ポテトチップスやマック それからチョコレート」と衝撃的な返事
年齢は自分と同じくらい
そんな食べ物だけで人間は何十年も生きてこられるのだ
最近体重が増え始め
それでようやく今になってマックは良くないということに
気がついたとのこと
一年前からマックはやめて野菜中心の食事にしているらしいが
野菜の味がまったくわからないとのこと
いまもマックがものすごく食べたいそうだ
それだけマックを食べてきたのに
マックのハンバーガーやポテトのようなこってりとはしていなく
さっぱりとした素敵なひとなのが可笑しい

子供たちが夏休みに入るとファミリーレストランや回転寿司のお店が大賑わい
子供のときこそしっかりとした味を体感させておくべきだと思うのだが
子育ても大量生産効率効率の中に組み込まされてしまっているようだ
大型チェーン店の味はチェーン店の味でしかない

店に半鐘や木の椅子 竹の花器など
作り手が手間ひまと思いを込めて作ったものを置いているのは
使い捨てのものに囲まれた生活のなかで
その良さと価値を知ってほしいから
使い捨てのものに囲まれた生活から抜け出してもらえたら
自分のパンも食べてもらえるようになると思う


ひさしぶりに夜風が吹きだしたので
公園に涼みに行く
夏にたまった疲れが全部吹き飛んでいった

盛岡の大学で獣医の勉強をしている女性が
電車を5,6本乗り継ぎながらパンを買いに来てくれた
彼女は長期休暇になると実家の会津に帰るついでにいつも寄っていってくれる
ぜんぜんついでになっていない気がするが
パンを買うと駅で借りた自転車に乗って帰っていく(駅まで5KM)
それからまた電車に乗って実家へと帰るのだ
今夏は北海道と九州で実習があるそうで
まさかと思って聞いてみると
九州にも青春18切符で向かうとのこと

暑さがたまらないので
30度ある黒糖焼酎を凍らせて飲む
それほど飲んだつもりがないのだが
あっという間にビンが空になっている
凍らせた黒糖焼酎を
アイスクリームにかけて食べるデザートは
病みつきになる

中学校脇のグランドでシャドーをしていると
花火が始まった
花火を眺めながらのシャドーは人生はじめて

店を終えてトレーニング
いくらか涼しくなっただろうか
いつも行く公園は祭り帰りの人たちが余韻にひたっている
足の付け根と指の付け根が痛むが
余分な肉が取れた分からだを動かすのがかなり楽だ
今夏は少しでもいいからなるべく毎日からだを動かすようにしよう

時計が鳴らす針の音に追い立てられながらの生活していると
時間は自分で作っていけるものだということをわすれてしまう
決意さえすえばいつだって追い立てられる生活からは抜け出すことは可能なのだ



だいぶ体がが絞れてきた
暑いときはじっとしているよりも
からだを動かして汗を流していた方が
楽だ
さすがにお日様の下での運動は避けているが
昼間は室内でシャドーとサンドバックとストレッチ
夜は外に出てランニングやダッシュや筋トレ
裸になってダッシュなんてやってると最高に心地いい
夜風が火照ったからだを冷ましてくれる




なんとかなるさ
なんとかするさ
この呪文があれば
人生けっこう楽しめると思う


損得だけで生きていたんじゃ
人間
息苦しいだけだ
やりたいからやる
そういうことがあってもいいと思う

やりたいと思っていること=やる
最後の限られた時間の中で
もう悔いは残したくない
うまくいくかいかないかは二の次三の次だ
失敗なんて何度でもやってやらぁ
ぶつかって
ぶつかって
ぶつかっていけるなら
もうこの世はパラダイスさ
何かやるのに
意味や理由なんて必要ないんじゃないのか
必要なものがあるなら
これから手に入れていけばいいんだ
整えるのは後でいい
出来ない理由なんて考える前にほっぽり出せ
最後に残るのは
やったかやらなかったか
それだけだ
悔い=やらなかったこと

店に並べるパンの種類が少ないので
ちょっとさびしい感じがする
生地でいえば4種類少なくなっている
お客さんのことを考えると(好みがあるので)かなりキツイのだが
仕込みの量が減ったので
この暑さの中からだの方は助かっている
眠れない日が続いているので
あれだけの量毎日作っていたら
からだだけではなく
こころも折れていたかもしれない
 小麦酵母の調子は良くないのだが
一時弱っていたライ麦酵母が復活してくれた
今週から
作り方にすこし変化を与えてみた
なかなか勇気が出なかったのだが
やはり変化を恐れて尻込みしていたのでは
殻を破ることは出来ない
うまいパンになってくれるかな
心配していたようにはならなかったので
ちょっとホッとしているのと同時に
可能性が広がたのでわくわくしている


きのう きょうはかなりからだを動かせた
100メートルダッシュも結構な数やったと思う
回復力がすこしついてきたみたいだ
 若い頃にもっとがんばることができたなという思いと
もっとがんばりたかったなという思いが
胸の中にずっとあった
だから
いまがんばる
人生はいつだってここからだ
後悔していることがあるのなら
その後悔をどこかに吹っ飛ばしてしまうくらい
動くだけだ

1917(山型食パン)とライ麦15%のパンは
しばらく休むことにする
ある日を境にバタッと出来なくなった
前日までまあまあ良いパンが出来ていたのだから
何日かにいっぺんでもまともなものが
焼けてくれてもいいようなものなのだが
その日以来ひどいものだ
小麦の質がはじめから悪いのか
小麦が暑さで劣化しているのか
捏ね水を低温にすればなんとかなるのか
いつもそうなのだが
出来るようになるときも
ある日を境にいままで何だったんだと思ってしまうくらいに
簡単にパンが膨らみはじめる


小さい店が田舎で生き残っていくには
他の店とどれだけ差別化出来るかだと思う
もちろんしっかりとした力を身につけるということは大前提
でも商品だけが良くればそれでいいかというと
そういう訳にもいかないもので
だがそこが田舎で店をやるということのおもしろさでもあるのである

これだけ暑いと
酵母の管理に気をつけなければならないのだが
店が休みの日にはどうしても気持ちが緩んでしまい
酵母の力を弱めてしまう
今週はしっかりと面倒見てやった
パン屋でもやってのんびり暮らそうと思っていたのだが
パン屋は大変だ

からだが頑丈になってきた
100メートルダッシュをしても
空中分解しそうにないので
きょうは100メートルダッシュ20本
50メートルダッシュ10本
25メートルダッシュ10本
余力はまだありそうだった
スタミナはどうにかなりそうなので
いまはスピードが欲しい
チーターのようなバネが欲しい
家に帰ると
店の裏にユリの花が咲いていた

いまの政治家は戦争を体験していない方ばかりかもしれないが
4年前の震災で家族を失ったひとたちの悲しみ
亡くなっていったひとたちの悲しみは見ただろう
戦争をやるということは
どこかで
同じような悲しみを経験しなければならないひとたちが出てくるということだ
それでも戦争をやるということは
震災で家族を失ったひとたちの悲しみも
亡くなっていったひとたちの悲しみも
なんとも思っていないということか
そんなひとたちに復興をどうこう論じる資格はない
 トム・クルーズが撃墜した飛行機のパイロットにも
恋人や家族 夢があっただろう
峰打ちでも当たり所が悪くて死んでいった下級武士たちは
上司が悪いことをしているなんて知らなかったかもしれないのに
黄門さまの『懲らしめてやりなさい』の一言で
夢や生きている喜びを断たれてしまったのだ

今年いちばんの暑さだろうか
何年かぶりに日光の手前にあるヤナ(船場停)へ
自転車で長い距離走るのも久しぶりだ
鮎の塩焼きとアイソのから揚げ 鳥の炭火焼
フラフラになりながら帰還
 しばらく休んでからサンドバックとランニング
100メートルダッシュ6日目
いくらかからだが慣れてきた
顔を覆う汗が心地よい
生きているぞ~という喜びか

サンドバックを叩いてから
ランニング
しばらくの間100メートルダッシュ10本を
やってみることにしたので
中学校脇のグランドへ
数年前にはなんでもなかったことなのだが
いまではそうとうきつく感じる
からだ全体が空中分解してしまいそうだ
 ダッシュをなんとか終えて中央公園へ移動
下半身強化と遊具を使っての筋トレ
大学生たちが花火をやっている
向こうでは高校生らしき女の子たちがダンスの練習をしている
夜の公園で若者たちが青春を謳歌している
この公園はいつでもサラサラーッと心地よい風が吹いているのと
空がとても広いのでこころが落ち着く
明日から仕事が休み
日曜日の夜がいちばんリラックスできるだろうか
暑さで眠れそうもないので強めのトレーニング
至福の時間


いくらか力が弱まっていたライ麦酵母を調整
元気になってきた
パン作りの難しいところは
目では見えないところがいっぱいあることだ



相手に非があるから
殺していいんだ
傷つけてもいいんだなんて言ったら
自分が通っていた小学校や中学校では
間違いなく怒られていただろう
そんな考えに同調して行動を起こしてしまったら
小学校とは何なんだ
中学校とは何なんだとなってきやしないだろうか
 この国に生まれ落ちたなら
嫌でも日本という組織に属しなければならない
ひとりの人間を救うためなら組織なんて崩壊してもかまわない
そんな組織ならいいが
組織を維持するために
弱い人間に犠牲になってもらおうなんて考えの組織の中で生きていると
やってらんねえよということばかりで息苦しい
そんな組織のために命を落とすなんて御免被りたい
 ひとりの人間の命の重さ
命がなくなるということは人生がそこで終わってしまうということだ
そして突然の死というものは本人だけではなく
その周りにいるひとの時間も止める
70年前日本は戦争に負け戦争は終わったことになっているけど
いまだに終えることが出来ない人々は大勢いる
悲しみと怒りとやるせなさを胸にいまも生きている
 4年前の大地震でいろんなことを経験したいま
さすがに『国際貢献』なんて言葉では誤魔化せない
本当に国際貢献をしようと思うなら
人間の命の重さを訴えて
武器を捨てることで戦争は止めようということを
身をもって示そうよ

本日後半 ふたりでやってきたお客さん
入ってきた瞬間に姉妹だなっとわかるくらいそっくりのふたり
パンを説明しているときの
「はい」「はい」 「はい」 「はい」の返事もまったく狂いなく
重なり合っている
「やっぱり姉妹だなあ 息がぴったり 
もしかしてふたごかなあ」という思いが頭に浮かんだのだが
聞いてみると姉妹ではなく 従兄弟でもなく
血のつながりはないとのこと
姉妹と間違えたのは今回だけでなく
これで3回目だから
やっぱり似ているのだと思う
お会計のときの返事もやっぱり重なってしまう
別々のパンを買っているのに金額までいっしょになってしまう怖さ
ひとりは大田原の方でもうひとりは横浜の方なのに
着てきた洋服は共に緑色
聞いてみるとこんなことがしょっちゅう起こるらしい
その日に持っていたハンカチが同じものだったなんて凄すぎる
出来ることなら
これからのふたりを観察してみたい


先週フキ煮を置いていったひとは誰だろう
美味しかったです
忘れ物だったら
ごめんなさい
ごはんにのせて食べました(食べてしまいました)
またよろしくお願いします(忘れ物には注意しましょう)

いまじゃがいもが美味しいので
毎日結構な量食べている
きょうのお昼は細切したじゃがいもと新ショウガ
の蒸し炒め味付けは塩のみ
いくらでも食べられてしまう
お供は黒糖焼酎大好きな『浜千鳥の詩』
夏は飲み口さっぱりの黒糖焼酎がうまいのだ

ぴったりの椅子と
ぴったりの枕で最近
からだの調子がいい
休みの日に食べる大量のニンニクも
効いているのかもしれない



トレーニングでの苦しさと充実度は
比例しているということがやっかいだ
そして過去どんなに苦しいトレーニングをしたところで
こころはいまというときを満たしたがっているようで
満足してくれない
だが歳をとるにしたがって
からだは動かなくなっていく
 からだが少し動くようになってきて
いけるかなと思っていたのだが
先週はからだが重たくて
動いてくれない
それでも前とはちょっと何かが違う感じがするので
その小さな明かりを糧に
明日も走りに行こう

何かを作る仕事に必要なものは
分析力と諦めの悪さと思いだと思う

産まれてからいままで
自分のからだにぴったりとくる枕に
出会うことがなかったのだが
ようやく見つかった
竹を半分に割ったもので
頭ではなくて首の下に置くと
なんの違和感もなく寝転がることができる
からだにぴったりの椅子と枕
そこにあってくれると本当に生活が楽になる
でも重要視しているひとってそれほどいない気がする
まずはそこからじゃないのと思うのだけど






きょうも子供連れのお客さんが何組か来てくれた
子供も夢中になって遊んでいるのだが
「もう帰るよ いい加減にしなさい」と言っていたお母さんが
子供以上に夢中になっていたのがおかしかった

今夜のご飯は
冷やしたカットトマトとモヤシと豆腐 オリーブオイルと塩を
混ぜてライ麦40%の平焼きパンをちぎりいれたもの
トマト じゃがいも タマゴは
ライ麦パンに合う食材のベスト3だと思う





10年近く宅急便の伝表に
宛名を書き続けてきたのが原因だと思うが
最近自分が出した手紙の大部分は
相手の名前に『様』を付け忘れているような気がする

大田原市は3日連続の大雨
雨が降る前にときょうは早朝にランニング
宇田川小学校脇にある池の睡蓮がもう開いていた
きょうもからだの調子はなかなか良い
腰に張りがないのがうれしい
体力が戻ってくるまでは
トレーニングでの負荷を徐々に強めてきながらも
しっかりとからだを休ませることにする
午後は風呂に入ってから
布団の上で寝転びながらストレッチと読書と昼寝
今週はけっこう眠れたと思う
睡眠時間が取れるようになると
髪の手触りが違ってくる

きょうは今年になっていちばんからだの調子が良かった
今年はからだが一ヶ月と持たず
故障の繰り返しで体力もかなり落ちた
トレーニング中はずっとからだの重さを感じながら
空気と格闘
ダッシュをしても風が切れない状態だった
 きょうは一年ぶりくらいのからだの軽さ
もうほんのちょっとで風が切れそうだった
午前中は外で4時間くらいトレーニングしたが
終わってからからだのだるさもない
午後はシャドーとサンドバックをたたく
それでもからだぴんぴんしている
 暑くなってきたからか
椅子のおかげか
きのうにんにくを食べたからか
草履に履き替えたからか
本当の原因はわからないが
日頃からもうすこしからだに注意していこうと思う
ストレッチもはじめよう
腰周辺の筋力強化
姿勢を意識
マッサージ
モデル歩きも取り入れてみよう

金曜土曜日は東京 群馬 福島 茨木 長野から
きょう日曜日は東京 茨城 山梨 新潟から
近場では那須塩原 宇都宮 喜連川 烏山からと
お客さんがやってきてくれた
でもいちばんの近場大田原市からは
最後の最後 営業時間が過ぎてから
山の手にある『ほのお』のおばちゃんおじちゃんが
やってきただけだた
 『ほのお』のおばちゃんとおじちゃん
お互いにお互いの話をちっとも聞いていやしない
おじちゃんが黒人の骨盤の話を僕に話しているのに
おばちゃんはブラジル人が作ってくれたという料理の話を
僕に向かって話し出す
僕はふたりそれぞれにうなずかなければならないから
大変なのである
お店にいた20分の間ずっとそんな調子なのだから
この夫婦はすごい
40年よくいっしょにいられたなあと思ったのだが
お互いにこんなんだからこそ
いっしょにいられたのかもしれない
 

20代30代の独身女性の来店がかなり少ない
20代30代でも結婚している女性の来店はかなり多い
結婚して旦那さんや子供が出来ると何かが変わってくるのだろうか
20代30代こそしっかりとした食事をすべきじゃないかと思うのだが
独身女性の多くの食生活はかなり乱れているのを感じる
でもそれはそのひとの勝手なことだからね

きのう きょう焼いたパンが美味しすぎて
唸ってしまった
このところパン作りの調子がかなり良くて
売り場にも気分良く立っていられる
自分のリズムといまの気候が
うまい具合にかみ合っているようだ
いつまでこの調子の良さが続いてくれるかはわからないけど
いまのうちにうまいパンが出来るときのパン生地の様子を
じっくりと観察しておこうと思う



五月に入ってから栃木は
夜になるともう秋の空気が漂っている
今年はどんな夏になってしまうのだろう



本日の夕食は鶏肉とトマトとチンゲンサイ ごぼう
名前を知らない青菜 生姜 塩 酒 の煮込み
火を止めてからライ麦95%のパンをちぎり入れて
数時間置いたら出来上がり
冷めたまま食べてもうまかった
どちらかというと
こういう具だくさんで田舎くさい料理が好きだ
豚汁なんてあったなら一ヶ月毎日だって大丈夫だ

好き嫌いが多いひとのほど
パンをそれだけで食べてしまうらしいことを
最近知った
すっぱいのが嫌いなら
サンドウィッチにして食べればいいのにと思うのだが
なぜなんだろう



朝起きてすぐパンを食べると
舌の状態が良すぎるのか
それとも悪すぎるのか
パンの味が変だなと感じるときがある
そんなときは出来が悪かったのかなと
気持ちがちょっと沈むのだけど
しばらく時間がたってから食べてみると
超~うまいのだ
沈んでいた気持ちが一気に駆け上がる
 このところパンを食べ始めると
止められなくなるときがよくある
酸味と旨みと塩気と粉の味のバランスが最高で
作った本人はうれしさで涙が出てきそうになる
パン屋を始めて15年いまがいちばん良いパンが焼けている
いまだって当然
うまく焼けたなあという日もあるし
うまく焼けなかったなあという日もあるけれど
やはりいまがいちばんパンのことがわかっている
わかっているといったって
ほんのこれっぽっちのことだけど
偶然性に助けてもらわなければ
うまいパンは出来ないけれど
パンのことをわかった分だけ
やはりうまいパンが出来る確立は高くなる
もっとパンのことがわかるようになれるように
どんどんパンを作って
いろんなことを試してみて
たくさんの失敗をしていこうと思う
守りに入ることなく
どんどんどんどんぶつかっていく
目指すは
世界一
おもしろいパン屋

小梅の収穫
今年は実がなり過ぎ
採るのも
加工するのも大変なので
ある程度木に残して
熟した順にそのまま食べていくことにする
熟した小梅はプラムと同じ味がして
うまいのだ
食べたいひとは自由に食べてね

銀盃草の花が咲いていた
数ヶ月前に植えたもので
実物の花は初めて見た
写真で観ていたより
何倍も美しく輝いていたので
10分くらい見とれてしまった
 他にもうすぐ開花しそうなものが
何種類かあった
エキナセアは来週くらいには開いてくるかもしれない
10種類くらいのエキナセアが植えてあるので
来週くらいからは庭が少しにぎやかになるだろう

日の草むしり
この時期はまだそれほど暑くないので
そう大変さはない
庭は枯葉のじゅうたん
這いつくばりながら草を抜いていく
手や膝に伝わってくる優しい感触にうれしくなる
自然の一部に戻った喜び

先週末また腰を痛める
腰を痛めているときは
用心して慎重に重いものを持ち上げるのだが
元気なときは無理な体勢でも腕力で
「おりゃー」と持ち上げてしまうので
いつもそれでやってしまう

久しぶりに直焼きの押しライ麦パンを作る
胡桃やナッツ類が勘弁して欲しいほど値上がりしているので
出来るだけうまいプレーンなパンを増やさなければならない
このままだと10年間で胡桃だけでも600万円買わなければならなくなる

近くのスーパーに
雪の中で熟成させたというじゃがいもが売っていたので
興味があったので買ってみた
でかい根っこがドン ドン ドンと出ているので
味を知らないひとはなかなか買わないだろうけど
これがうまかった
塩振って炒めただけなのだが
とても甘く
うまみも出ている
お箸が止まらなくなってしまい
4個のじゃがいもが5分くらいでなくなってしまった
15年前に自転車でパンを売っていたときに
自分が立っていたスーパーです
パンを買いに来るついでに寄ってみてください
お勧めします


東京のコーヒー屋さんが
仙台でのワークショップの帰りに寄ってくれた
竹林 利朗 | Facebook
最近は仕事そっちのけで
カカオからチョコレートを作るワークショップを開いて
全国を飛び回っているが
いそがし過ぎて
だいぶ不健康な生活を送っている
徹夜 暴食 運動不足
生きるために食べるではなく
食べるために生きている彼らは
遠方でのワークショップから帰ってくるたびに
からだが大きくなっており
でもきっと彼らには健康でいたいなんて思いは無いのだろう
糖尿だからといって食べることをやめない
睡眠 バランスの取れた食事 適度の運動という健康になるための
三大要素なんて蹴っ飛ばして
食べ歩き ワークショップと大好きなことをとことん楽しんでいる
   どんなとことを幸福と思うかは
   ひとそれぞれなんだ
   健康であることや長生きすることが
   誰にとってもの幸福だとは限らない
   幸福かどうかなんて
   ひとと比べられるものなんかではないんだと思う
損得だけで生きていたのでは
つまらない
やりたいからやる
そういうときがあってもいいんじゃないか
   自分のこころの中をおもいきり生きて 生きて 生きて
   うまくいくか たくさんのひとに受け入れられるか
   そんなことは二の次だ
生きていることは楽しい
庭に植えた花が冬を越して芽を出してくれたときの喜び
ランニングをしているときに
からだを通り過ぎていく優しい風との出会い
ささいなことかもしれないけど
そんなことでも生きていて良かったと思える
もっと生きたいと思える
ささいなことでも
喜びを感じられるようになってきたことで
いまもし死ぬことになっても納得して死んでいける気がする
楽しかったと死んでいける気がする
  たくさんのひとに食べてもらえなくても
  自分のパンを食べてくれるひとが
  ひとりでもいてくれるなら
  本当はそれで十分なんじゃないだろうか
自分の中の喜びの器って本当はもっとちっちゃいものなんじゃないだろうか
ちっちゃいものでも満足できるのじゃないだろうか
誰かと比べてしまっているから
もっと もっと
もっとでなければ満足できなくなっているのではないだろうか
自分は不幸だと思ってしまうのではないだろうか

日曜日は子供たちがいっぱいやってきた
単純なおもちゃばかりなんだけど
夢中になって遊んでいる
店に木のおもちゃを置いたのは間違いでなかったなと思えた
きょうはパンも良い感じで焼けたので
気持ち良く眠れそうだ

余裕があるときは
新しく来た椅子を
お客さんにも
試しに座ってもらっている
自分のからだに合わせて
作ってもらったものなので
足元に板を敷いたり
座面に敷き物を置いたりして調整はしているが
からだにぴったりというわけにはいってないことが多いと思う
それでも想像していた以上にお客さんの反応がいい
なかなか立ちたがらないお客さん
次の週に来たときも座っていくお客さん
背もたれの尖ったところで
ゴリゴリゴリゴリマッサージをやり続けているお客さん
自分もからだとこころがこの椅子を求めてしまう
パンをこねながら早く座りたいなーと思っているし
店番しているときも手が空けばこの椅子に座っている
座っていればいるほどからだになじんでくる椅子
自分のパンといっしょだと思った
菓子パンやふわふわのパンを食べているひとや
食が乱れているひとが
急にこのパンを食べても食べずらい思いをするだろうけど
食べ続けているとからだがこのパンを求めてくる
いつかこの椅子のすごさを
もっとたくさんのお客さんに
味わってもらいたいと思っている

久しぶりの一泊旅行
河口湖に行ったのち
東京で一泊
たのしい2日間だった
やはり旅に出ると
日々の緊張から開放される

グスクの森のガジマルは 僕らの秘密の隠れ家さ
緑のこずえの向こうには かわいいあの子の白い家
友だちげんかをはじめたら ガジマルオジーの声がする
意地ぬいじらー手引き 
手ぬいじらー意地引き
腹が立っても出しそうになった手を引っ込めなさい
手が出そうになったら怒りを静めなさい
怒りの連鎖を断ち切りなさい

にぎったゲンコツは自分の胸にあてなさい
はーい ガジマルオジー

グスクの森のガジマルは 僕らの秘密の隠れ家さ
見下ろす海の向こうには でっかい夢が待っている
小さな自分を嘆いたら ガジマルオジーの声がした
五ぬ指やゆぬ丈ーねーらん 
グスクぬ石んゆぬ石やねーらん
(五本の指は大きさも役割も違うもの 城の石垣だってみんな
大きさが違うように 人もみんなそれぞれだ 自分の夢を
大切に育てていきなさい
夢はみんな違うもの お前の心に咲いた花
はーい ガジマルオジー

グスクの森のガジマルは島を見つめて幾百年
みるく世の風にそよぎ戦世の嵐に泣いた
ガジマルオジーのユシグトゥは 命どぅ宝 命どぅ宝
木ジムナーも一緒に聞いていた 命どぅ宝 命どぅ宝



自分の夢の
ひとつはチーターのようなバネのある肉体を手に入れて
ゴムマリのように動き回ること
もうひとつの夢はもっともっとうまいパンを作れるようになって
お客さんに食べてもらうこと
それからもうひとつ
お客さんに(自分も)くつろいでもらえる空間を作ること
この三つの夢を追いかけることを楽しんで生きていこうと思う
きっと死ぬまで追いかけていくよ


パン屋はお客さんから元気をもらえる仕事
自分が作ったパンを買いに来てくれるということは
そりゃー もう うれしいことだ
仕事帰りで疲れているだろうに
眩しい笑顔を見せてくれる
作っているだけではきっとここまで
続けてこられなかっただろう
15年間お客さんの笑顔が自分を支えてきてくれた
だから
うまいパンが食べてもらいたい
もっと
もっと
うまいパンが食べてもらいたい
うまいパンが作れるようになれるよう精一杯努力することで
返していきたい
それからなぜかこの店は肉体労働者が多いので
そのひとたちがホッとできて
疲れたからだとこころを
ほんのひと時でも休ませることができるような空間を
作りたいと思っている

ようやく腰の痛みが取れて
きょうは思い切り走るぞ~と走り出したら
足の甲と足首が痛い
ランニングは取りやめて
公園へ
足に負担のがかからないようなトレーニング
やりたいことが出来ないことで
暗い気持ちで一日を過ごすよりも
瞬間瞬間をどう楽しみに変えていくかを考える方が
どれだけいいかということを最近になって実感できるようになってきた
思い描いていたとおりにはいかなかったし
トレーニング量も少なくなったけど
まあ 満足できる一日だった

スマートに生きることなんて望んでいない
ぶつかっていくことが生きることだと思っている
当たって砕けることがあっても
また立ち上がって生きていく
何とか出口を見つけ出そうと
もがいて
不器用なりに
懸命に生きる
ボロボロ
ドロドロになりながらも
ひかりを追い求めて
胸を張って
歩いていく

逃げていいときもあるし
逃げてはいけないときもある

ひと冬を越して
枯葉を押しのけ
姿を現す小さな芽に
大きな元気をもらい
きょうから明日へと
命を燃やし
どんな困難に出くわしても
乗り越えて
生き抜いていこうと
こころに誓う



ひとりでいるとさびしいときもあるけれど
誰かといるとめんどくさくもなる
辛い目にあわせるのは人間だけど
助けてくれるのも人間
人間とはめんどくさい
だけどもおもしろい

きょうはいいパンが焼けた
いい波に乗れたときのように
スイスイと運ばれていったような感じ
自分ではなにもしなかった
パン生地が勝手に動いて
パンになって
皿の上にのってくれた

何日か休みたいという思いはないわけではないのだけれど
それよりもいまは店を開けたいという気持ちの方が強いかな
自分が旅に出るよりも
いまはもてなす側の方に魅力を感じる
これから少しずつ
お客さんにゆったりとした気分を味わってもらえるように
店を作って行こう思う
自分の夢のひとつをかなえていくよ
お楽しみに

休みなしでやっていたら
さすがに疲れてきたので
明日はパンを焼かなくていいように
いっぱい焼いた
パンを作るだけなら
疲れるほどではないのだろうが
眠れないのがきつい
パンを焼く日はいつも4時間30から5時間しか寝られない
だから定休日にいくらか長く寝て
調子を取り戻すようにしているのだが
休みが取れない日が続くと
疲れが抜けなくなってくる
今朝も起きるとふくらはぎが張っていて
仕込み中に腰も痛み出してきた


足利から来てくれるお客さんが
車でしばらく走った後に
引き返してきた
おまけで入っていたパンが美味しかったので
引き返して買いに来たとのこと
ライ麦40%の平焼きパン(オレンジとナッツ入り)
自分もきのう食べてみて
これは危険だと思った
危険すぎるほどうまいのだ
かなり大きいパンなのに
一枚ペロリといけてしまう
 2日前にも引き返してきて
「おまけで入っていた小麦の食パンがあまりにも美味しかったので」と
言って食パンを買っていった
よく買いに来てくれるひとは
買うパンがだいたい決まってきてしまうし
初めて買いにくるひとは
小さいパンをちょこちょこっと買っていくことが多いので
おまけもいろいろ考えて入れている
きょうはおまけのパン一切れが
販売促進に一役かっているというお話でした

今夜はライ麦40%の平焼きパンでサンドウィッチ
具はヨーグルト オリーブオイル サニーレタス
缶詰トマト 塩
さっぱりとしていて
胃もたれしないサンドウィッチ
ヨーグルトがこんなにパンに合うとは
最近まで知らなかった

新潟から帰省してきたお客さんから
日本酒の差し入れ
イヌ型人間の自分は
目の前に食べ物や酒があると
それを「また 後で」と
とっておくということができない
閉店時間にはビンが空っぽになっていた

小学生2,3年生の女の子がふたり
はじめて来たという
このくらいの年齢の子がこのパンを食べてくれるのは
うれしいけど
ふたりともファンタの缶を持っておいしそうに飲んでいる
99%もうこの店には来ないと思う
酒を規制するよりも
清涼飲料を規制して欲しい
ファンタを飲ませるなら
日本酒を飲ませておいた方がいいんじゃないかなあ

子供がおっぱいからご飯を食べるようになったとたん
来なくなるお客さんもいるし
子供にこういうパンを食べさせたいといって
来てくれるお客さんもいる
しっかりした味覚をつけさせたいのなら
いろんな味に慣れさせていくこと
はじめは食べないかもしれないけど
すっぱいもの
苦いもの
経験させておくことが大切
食べられるようにならなくても
舌と脳に記憶させておくことが大切
これは子供には無理だろうなんて
勝手に思い込んでいる親が多いけど
人間の持っている力って
そんなものじゃないよ
味覚は人間形成の基本中の基本
学問を詰め込ませる前に
やるべきことがあると思う

ゴールデンウィークは
近くに住んでいるひとより
帰郷のお客さんが多い
帰郷のたびに遊びに来てくれるというのはうれしい
ふるさとの味みたいなものになれるかな

今年はバナナの香りがする花がいっぱい開いた
目を凝らすと地面にはたくさんの花が咲いている
自分で植えたものや
風や鳥たちが運んできたもの
花好きな方なら結構楽しめる庭になっています

いま雑誌やテレビの取材は断っている
ここにきてようやく
木のおもちゃで遊んでいく子供たちが増えてきてくれたので
一時的にお客さんがバーッとやってくることによって
子供たちが遊べなくなるのは嫌だからだ
パン作りも調子が上がってきたので
一期一会の心構えで
コツコツと積み上げていく
それがいちばんだと思う


本日5月1日より風鈴パン屋 はじまり はじまり~

辛すぎる食べ物はライ麦パンにはあまり合わないかな
味覚が麻痺してくるのか
パンが生きてこない気がする

店の開店時間が少しずつ遅くなっているけど
起きる時間が遅くなっているわけではない
発酵時間を長く取るようになったことと
いままで小さく作っていたライ麦15%のパンを大きくしたので
焼きあがるのに時間がかかるのだ
起きる時間は逆に30分早くなっている
パンが美味しくなるのなら睡眠時間が30分減るのなんてなんでもない
なんてことはなくて
できることならあと2時間くらいは眠りたい

肩 太もも 胸 部分部分筋肉はついてきているのだが
スタミナとスピードが落ちている
心肺機能は戻すことが出来ると思うけど
ダッシュの本数がこなせないのは
回復機能が衰えてきているからだろうか
これはトレーニングや食事で改善することが出来るのだろうか

久しぶりの坂道ダッシュ
このところのからだの動かなさのなかで
よく10本出来たと自分をほめた

急に暑くなってきた
このところ焼く量を増やしているので
この先発酵についていくことが出来るだろうか

植えておいた植物が姿を現しだした
何の花なのかは開花しないことには思い出せないが
昨年あたりから植える植物を暑さにも寒さにも
強い育てやすいものに切り替えたので
今年はかなり多くの種類の花が楽しめそうだ

自分の店をはじめて10数年
その間ずっとライ麦パンを食べてきたからだと思うけど
からだに肉がつきにくくなってきた

昔よりも子連れのお客さんが来てくれるようになってきた
子供たちの味覚が狂うことのないようなパンを
作っていこうという思いでずっとやってきたので
うれしいことである

この町を歩いていても
素敵なひとには出会わないのだけど
この店にはなぜが素敵なひとがいっぱいやってくる

ブラジルから来ているお客さん
ハワイアンがかかっていても何の反応も示さなかったのだけど
ルーマニアのブラスバンドの音楽が流れたとたん踊りだした

ライ麦95%の平焼きパンは
他の食材といっしょに炒めたり
蒸し焼きにしても美味しく食べられるし
サラダと合えても良し
他にもいろんなことをして食べられる偉大なパンだ
最近このパンとライ麦40%の平焼きとライ麦80%の平焼きを
リピートしてくれるお客さんが増えてきてくれた
料理といっしょに食べてくれさえすれば
こういうシンプルなパンの美味しさがわかってもらえる
だまされたと思って一度
パンを料理といっしょに食べて欲しい
サンドウィッチにしてもいいし
炒め物や煮物 スープの中にちぎり入れてもいい
料理の味も引き立つし
パンの味も引き立つ
毎日だって食べられる


このところほとんど外食をしなくなった要因のひとつは
パンが出てくるからだ

料理好きなひとや料理人が必ずしも
しっかりした味覚を持っているとは限らない







パン屋はお客さんから元気をもらえる仕事
自分が作ったパンを買いに来てくれるということは
そりゃー もう うれしいことだ
仕事帰りで疲れているだろうに
眩しい笑顔を見せてくれる
作っているだけではきっとここまで
続けてこられなかっただろう
15年間お客さんの笑顔が自分を支えてきてくれた
だから
うまいパンが食べてもらいたい
もっと
もっと
うまいパンが食べてもらいたい
うまいパンが作れるようになれるよう精一杯努力することで
返していきたい
それからなぜかこの店は肉体労働者が多いので
そのひとたちがホッとできて
疲れたからだとこころを
ほんのひと時でも休ませることができるような空間を
作りたいと思っている

ようやく腰の痛みが取れて
きょうは思い切り走るぞ~と走り出したら
足の甲と足首が痛い
ランニングは取りやめて
公園へ
足に負担のがかからないようなトレーニング
やりたいことが出来ないことで
暗い気持ちで一日を過ごすよりも
瞬間瞬間をどう楽しみに変えていくかを考える方が
どれだけいいかということを最近になって実感できるようになってきた
思い描いていたとおりにはいかなかったし
トレーニング量も少なくなったけど
まあ 満足できる一日だった

スマートに生きることなんて望んでいない
ぶつかっていくことが生きることだと思っている
当たって砕けることがあっても
また立ち上がって生きていく
何とか出口を見つけ出そうと
もがいて
不器用なりに
懸命に生きる
ボロボロ
ドロドロになりながらも
ひかりを追い求めて
胸を張って
歩いていく

逃げていいときもあるし
逃げてはいけないときもある

ひと冬を越して
枯葉を押しのけ
姿を現す小さな芽に
大きな元気をもらい
きょうから明日へと
命を燃やし
どんな困難に出くわしても
乗り越えて
生き抜いていこうと
こころに誓う

ここに来て植物たちが勢いよく育ちだし
庭がジャングル化してきてしまったので
庭の整理
いつの間にか芽を出し成長していた木やクマ笹の伐採
いくらかさっぱりとしてきたかな
夏ロウバイの蕾が膨らんでいた
今週末には開くかな

ひとりでいるとさびしいときもあるけれど
誰かといるとめんどくさくもなる
辛い目にあわせるのは人間だけど
助けてくれるのも人間
人間とはめんどくさい
だけどもおもしろい

きょうはいいパンが焼けた
いい波に乗れたときのように
スイスイと運ばれていったような感じ
自分ではなにもしなかった
パン生地が勝手に動いて
パンになって
皿の上にのってくれた

何日か休みたいという思いはないわけではないのだけれど
それよりもいまは店を開けたいという気持ちの方が強いかな
自分が旅に出るよりも
いまはもてなす側の方に魅力を感じる
これから少しずつ
お客さんにゆったりとした気分を味わってもらえるように
店を作って行こう思う
自分の夢のひとつをかなえていくよ
お楽しみに




足利から来てくれるお客さんが
車でしばらく走った後に
引き返してきた
おまけで入っていたパンが美味しかったので
引き返して買いに来たとのこと
ライ麦40%の平焼きパン(オレンジとナッツ入り)
自分もきのう食べてみて
これは危険だと思った
危険すぎるほどうまいのだ
かなり大きいパンなのに
一枚ペロリといけてしまう
 2日前にも引き返してきて
「おまけで入っていた小麦の食パンがあまりにも美味しかったので」と
言って食パンを買っていった
よく買いに来てくれるひとは
買うパンがだいたい決まってきてしまうし
初めて買いにくるひとは
小さいパンをちょこちょこっと買っていくことが多いので
おまけもいろいろ考えて入れている
きょうはおまけのパン一切れが
販売促進に一役かっているというお話でした

今夜はライ麦40%の平焼きパンでサンドウィッチ
具はヨーグルト オリーブオイル サニーレタス
缶詰トマト 塩
さっぱりとしていて
胃もたれしないサンドウィッチ
ヨーグルトがこんなにパンに合うとは
最近まで知らなかった

新潟から帰省してきたお客さんから
日本酒の差し入れ
イヌ型人間の自分は
目の前に食べ物や酒があると
それを「また 後で」と
とっておくということができない
閉店時間にはビンが空っぽになっていた

小学生2,3年生の女の子がふたり
はじめて来たという
このくらいの年齢の子がこのパンを食べてくれるのは
うれしいけど
ふたりともファンタの缶を持っておいしそうに飲んでいる
99%もうこの店には来ないと思う
酒を規制するよりも
清涼飲料を規制して欲しい
ファンタを飲ませるなら
日本酒を飲ませておいた方がいいんじゃないかなあ

子供がおっぱいからご飯を食べるようになったとたん
来なくなるお客さんもいるし
子供にこういうパンを食べさせたいといって
来てくれるお客さんもいる
しっかりした味覚をつけさせたいのなら
いろんな味に慣れさせていくこと
はじめは食べないかもしれないけど
すっぱいもの
苦いもの
経験させておくことが大切
食べられるようにならなくても
舌と脳に記憶させておくことが大切
これは子供には無理だろうなんて
勝手に思い込んでいる親が多いけど
人間の持っている力って
そんなものじゃないよ
味覚は人間形成の基本中の基本
学問を詰め込ませる前に
やるべきことがあると思う

ゴールデンウィークは
近くに住んでいるひとより
帰郷のお客さんが多い
帰郷のたびに遊びに来てくれるというのはうれしい
ふるさとの味みたいなものになれるかな

今年はバナナの香りがする花がいっぱい開いた
目を凝らすと地面にはたくさんの花が咲いている
自分で植えたものや
風や鳥たちが運んできたもの
花好きな方なら結構楽しめる庭になっています

いま雑誌やテレビの取材は断っている
ここにきてようやく
木のおもちゃで遊んでいく子供たちが増えてきてくれたので
一時的にお客さんがバーッとやってくることによって
子供たちが遊べなくなるのは嫌だからだ
パン作りも調子が上がってきたので
一期一会の心構えで
コツコツと積み上げていく
それがいちばんだと思う


本日5月1日より風鈴パン屋 はじまり はじまり~

辛すぎる食べ物はライ麦パンにはあまり合わないかな
味覚が麻痺してくるのか
パンが生きてこない気がする

店の開店時間が少しずつ遅くなっているけど
起きる時間が遅くなっているわけではない
発酵時間を長く取るようになったことと
いままで小さく作っていたライ麦15%のパンを大きくしたので
焼きあがるのに時間がかかるのだ
起きる時間は逆に30分早くなっている
パンが美味しくなるのなら睡眠時間が30分減るのなんてなんでもない
なんてことはなくて
できることならあと2時間くらいは眠りたい

肩 太もも 胸 部分部分筋肉はついてきているのだが
スタミナとスピードが落ちている
心肺機能は戻すことが出来ると思うけど
ダッシュの本数がこなせないのは
回復機能が衰えてきているからだろうか
これはトレーニングや食事で改善することが出来るのだろうか

久しぶりの坂道ダッシュ
このところのからだの動かなさのなかで
よく10本出来たと自分をほめた

急に暑くなってきた
このところ焼く量を増やしているので
この先発酵についていくことが出来るだろうか

植えておいた植物が姿を現しだした
何の花なのかは開花しないことには思い出せないが
昨年あたりから植える植物を暑さにも寒さにも
強い育てやすいものに切り替えたので
今年はかなり多くの種類の花が楽しめそうだ

自分の店をはじめて10数年
その間ずっとライ麦パンを食べてきたからだと思うけど
からだに肉がつきにくくなってきた

昔よりも子連れのお客さんが来てくれるようになってきた
子供たちの味覚が狂うことのないようなパンを
作っていこうという思いでずっとやってきたので
うれしいことである

この町を歩いていても
素敵なひとには出会わないのだけど
この店にはなぜが素敵なひとがいっぱいやってくる

ブラジルから来ているお客さん
ハワイアンがかかっていても何の反応も示さなかったのだけど
ルーマニアのブラスバンドの音楽が流れたとたん踊りだした

ライ麦95%の平焼きパンは
他の食材といっしょに炒めたり
蒸し焼きにしても美味しく食べられるし
サラダと合えても良し
他にもいろんなことをして食べられる偉大なパンだ
最近このパンとライ麦40%の平焼きとライ麦80%の平焼きを
リピートしてくれるお客さんが増えてきてくれた
料理といっしょに食べてくれさえすれば
こういうシンプルなパンの美味しさがわかってもらえる
だまされたと思って一度
パンを料理といっしょに食べて欲しい
サンドウィッチにしてもいいし
炒め物や煮物 スープの中にちぎり入れてもいい
料理の味も引き立つし
パンの味も引き立つ
毎日だって食べられる


このところほとんど外食をしなくなった要因のひとつは
パンが出てくるからだ

料理好きなひとや料理人が必ずしも
しっかりした味覚を持っているとは限らない






遊びにはある程度のスリルがあった方が面白いと思う
木登り スキー 川遊び
しくじったら怪我をしたり
痛い目にあったりというような
集中と判断と決断と筋力と柔軟性
自分の持っている頭とからだを目いっぱい使うことが出来る遊び
そんな遊びが出来る道具を店に置けたら楽しいだろうな

昼飯はちぎったライ麦95%の平焼きに
春菊とウド オリーブオイル ヨーグルト 塩をかけて食べる
うまさにびっくり





筋肉はついてきているのだが
まだからだは動いてくれない
きょうのランニングも
からだが重く
きつかったのだが
気合を入れて
ペースを上げる
苦しいときこそ
一歩
二歩と踏み込んでいけば
そこには最高にハッピーな瞬間が待っている
充実感
トレーニング後のご飯とお風呂
 制御バーを跳び越えなければ
からだは動くようになってくれないだろう
年をとるにしたがって
制御する力が強くなってきていて
トレーニング量 質とも
落ちてきていた気がする

一年の中で
この季節の早朝がいちばん
からだを動かすのが気持ちよいと思う
故障も治りようやくからだが動かせるようになってきた
仕込がない日は中央公園に走りに行く
ダッシュで体中の空気を吐き出すと
口から新鮮な春の空気が入ってきて
からだの隅々にまで染み込んでいく
生きていて良かったと思う瞬間
そして疲れたからだにライ麦パン
きょうも楽しい一日を送るぞと思えてくる


どんなときでも
やることは
いっしょ
自分をおもいきり生きること
きついときでも
つらいときでも
苦しいときでも
痛いときでも
さびしいときでも
生きてやる
生きてやる
負けてたまるか
負けてたまるかと
こころで叫びながら
ダッシュを繰り返していると
からだの中から力が湧き起こってくる
















辛い目にあっているときは
辛い
辛い
辛い
なんでだ
なんでだ
なんでだで
楽しかったときのことも
うれしかったときのことも
どこかに吹き飛んでしまう
でも結局いつかは前を向かなければならないんだ

過ぎたことは
もうどうにもならない
人生はいつだってここからだ
これまでにしてきた後悔なんて
どこかに
吹き飛ばしてしまうくらいに
いまをおもいきり生きてやる

今夜はお腹がすいて我慢できなかったので
ありあわせのものでサンドウィッチ
木綿豆腐とキムチとさばの水煮を混ぜて
ライ麦80の平焼きに詰めて食べる
調理時間30秒
こんなものでも美味しくなってしまうのは
ライ麦パンのすごさ
ライ麦パンは料理の味を引き立てるパン
ライ麦パンの良さは
料理といっしょに食べてはじめて
わかる

東京に行くと
朝はだいたい築地市場に行ってご飯を食べる
学生時代築地のパン屋で働いていたので
築地銀座周辺は東京でも何となくホッとする
行く場所はだいたい決まっていて
まず場内市場にある『高はし』で
刺身(ここの刺身はうまい)と魚の塩焼きを食べてから
『吉野家』の隣のお店で団子を買って
場外の魚屋さんで牡蠣を食べ
鯨の専門店で帰りの電車で食べる串カツと竜田揚げを買うというコースだ
(たまに鯨屋の隣の鶏肉屋さんか
魚の照り焼きを売っているお店で食料を調達)
 先週はなぜか場内の食堂のすべてのお店で行列が出来ていたので
鯨屋さんで朝食
鯨は赤身 舌 心臓 胃袋 小腸 尾羽 を食べる
酒好きだったらいくらでも酒が飲めるくらい
うまいのだ
食べると力がみなぎってくる食べ物
食べられるものなら毎日食べたい
「灼熱の海にクジラを追う ~インドネシア・ロンバタ島~」 1/3 - ニコニコ動画

スパイスは大地の香り ~カレー~ 1/3 ‐ ニコニコ動画:GINZA

きょうは販売用のパンは作らず
ライ麦95%のパンの試作
ライ麦は低温で長い時間かけて焼くと
ライ麦の中の何かがどのようにか変化して
甘みが出てくる
普段は他のパンが焼けなくなるので
出来なかったけのだが
いつも作ってみたいと思っていたパン
きょうは雨だし
きのう焼いたパンもいっぱい残っていたので
チャレンジしてみた
数年前に試したときは生地を柔らかくしすぎて失敗したので
今回はいくらか固めの生地で
どんな味になっているだろう
いつも通りの温度度時間で焼いたライ麦95は
かなりいい味だった
酵母はしっかりできているということ
明日の試作が楽しみ

江戸指物展に行ってきた
江戸指物の職人さん 自分にとってはとてもわくわくする世界
かなり興味がある
現物を見るとピカピカ輝いているけれど
本当のよさはきっと身近において
使ってみてこそわかるものなんじゃないだろうか
江戸指物師 戸田さんの映像
アーツ&クラフツ商会 #08「江戸指物」 - YouTube

江戸指物師 木村さんの映像
下町に息づく伝統の技 江戸指物木村) - YouTube
江戸指物をやっているのは現在10名ちょっと
他の指物師の映像も探してみるとあるので
見比べてみると面白いかもしれない
そのひとの性格や生きてきた時間 生き方が
ちらっと見えてくるのではないだろうか

きょうは半分くらいのパンの焼き上がりが
17:30を過ぎてしまった
またこんなときに限って
後半は客さんの来がピタリと止んだ
明日はこのパンたちさばけるかな?

暖かくなってきて
パン作りも調子が上がってきた
冬をのり越えて
すこし力がついたかな
いまは修行期間
パンのことは
作ることでしかわかることは出来ない
作って作って作りまくるしかない

最近はかなりの数のパンを焼いている
だから売れ残るときは大量に残る
平日はさばけない日が多いのだけど
この量を作るときの感覚を
からだに刻み込んでおきたいので
売れ残るのを覚悟で作っている

売れ残ったパンは
次の日安くして販売している
小さめのパンは50円引き
大き目のパンは100円引きで販売していたけど
材料の急激な高騰で
さすがに100円引きはやめた
粉の方はたいしたことはないけど
中に入れる具
レーズンやナッツ類の値上がり率には
勘弁して欲しいと思ってしまう
クルミとカシューナッツとアーモンドは
税込みでkg2000円
クルミとひまわりは1kgで300円ちょっと値上がりしているし
アーモンドはそれ以上だ
いったい他の店では
どれくらいの値段でパンを売っているのだろう
もしうちの店が人をひとを雇って土地代も払っていたら
いまの価格の1.5から2倍で販売しなければやっていけないだろう


何も事情を知らないひとから
悪い野郎だと言ってこられたり
疑われることからくる
やるせなさ
そのやるせなさを
どこかにぶつけて解消させようとする心理
それが学校での出来事だったら
授業を妨害することで
そのやるせなさを解消させようとするひともいるだろうし
誰かをいじめることで
そのやるせなさを解消させようとするひともいるだろう
もし何の事情も知らない警察官に
悪いやつだとこられたり
疑われたとしたら
誰かを殺しちゃうひとだって出てきちゃうだろうし
どこかに火をつけちゃうひとだって出てくるだろう
いじめ問題には警察を介入させようとか言い出す前に
いじめをしているひとも
どこかで助けを求めているのではないか
そのひとを包み込んでやることは出来ないだろうか
何も事情を知らない警察官が入ってくれば
やるせない気持ちは増すばかりだ
小学校や中学校に立っている
関係者以外立ち入り禁止という看板だって
どこかにポイしちゃえばいいんだ
みんな入っておいで!と包み込んでやればいいんだ

今春も庭に花の苗を植えた
冬に植えた苗と
昔植えた苗
今年はどんな顔を見せてくれるだろう

このひとは
どんなことがあっても絶対に
生き延べられるだろうなというたくましいひとたちに出会うときがある
カカオのワークショップをやっている夫婦なんかがそうだ
自分もそんな風にたくましく生きられたらと思う・・・・・
でもあのふたりは糖尿でいつかダウンかな

自然も好きだが
人間が作ったものも大好きだ
特に職人さんが作ったもの
そのなかには
作った方の
喜びや苦しみ
光や願い 祈りなどがいっぱい詰まっているから
最近は木を素材としたものに
魂を持っていかれているみたいだ
木を見たり
木に触れたときの
ホッとする気分
木の香り
木の表情
木のぬくもりが
木と共に生きてきた日本人の細胞のひとつひとつの中に
染み込んでいるのかもしれない

こだわりのないパン屋
そんなパン屋でいたい
広く広く広く広く
どこまでも広く
広がって行きたい
パンだけではなく
人間としても

きょうはお客さんが来たぞと
喜んだいたら
パトカーが到着
またいつものように隣の家の女性が
電話をしたのだ
車が一台横付けしたものなら
待ってましたとばかりに
電話をかける
やってきた若い警官は
何の事情も知らず
何も見ていないのに
ごちゃごちゃとわめき散らす
「渋滞が収まらない」と苦情があったと言っているが
渋滞が起きるほどこの道は車が走ってはいない
通報を信じてその度にごちゃごちゃ言われていたら
ばかばかしくなってくる
その警察官の頭を引っぱたきたくもなるし
警察官を見たら誰でも睨みつけたくもなる
世の中言ったもん勝ちじゃないか
その警察官は何も知らない
電話をかけたのが誰かも知らない
でも自分は誰が電話をかけたのか知っている
それは小学生の頃からもう30年
その女性にいたるところに電話をかけられ
その度にその対応をさせられてきたからだ
市役所
保健所
小学校
中学校
高校
自治会長
消防署
なぜか共産党那須支部長
道で会う度にわけのわからないことを怒鳴り散らかされ
その女性の息子には車で威嚇されたこともある
その女性の家に路上駐車の車がしょっちゅう止まっていることも
警察官は知らない
警察官は最後に「お客さんに近くの方は
出来るだけ歩いてくるようにさせてください」と言って帰っていったが
それを言うならあんたらだって歩いてやって来い
パトカー路上に止めてるじゃねえか
同じことだよ
お客さんがいる中でどかどかと入ってこられるのも
気にくわねえ
お客さんと話しているのに
ごちゃごちゃ言ってくるのも
ふざけるな
苦情言ったものがちなら
職務質問中に勝手にひとのカバン開け犯人も捕まえてもらうぜ


小さい頃からからだを動かすことが好きで
この歳まで毎日のようにからだを動かしてきたけど
いまがいちばんからだを動かしていて幸福感がある気がする
からだはいまがいちばん動かない
理想の動きには程遠い
走ってものろいし
ダッシュも数がこなせない
この先からだが動くようになってくれるかはわからないけど
それでも理想の動きを追い求めて
動き続ける
出来るかできないかは
わからなくても
光があれば人間は生きてける
光があるなら
ドブ川の中をもがきながらでも
人々の冷たい目の中でも
自分の思いを追い求めて進んでいける
いくつかの光を追い求めながら
歩いていこうと思う
そうしているなら
どんなときでも
胸を張って
顔を上げて進んでいけるから

先日到着した粉の封を開けて
ライ麦酵母に使ってみたら
このところの酵母とは別物のような力強さ
やはりこの冬は粉の状態が悪かったようだ
寒い場所に保管したからなのか
それとも店に来た時点で悪かったのか

12月になってから
どんなにどうやっても
うまく出来なくなっていたライ麦酵母のパンが
良い感じにできるようになってきた
やはりこの店はライ麦の多いパンがメインのパン
このパンが作れなかったのはきつかった
来週からバリバリ行くぜ~

5月にスウェーデンからLena Willemarkがやってきます
リアストゥライニ 東京 愛知 京都 福岡 沖縄と回るそうです
彼女の歌声はすごいです
映像

FRIFOT JAPAN TOUR 2007

詳しくはリアストゥライニ LYÖSTRAINI - Harmony Fields



そこにいるだけで
なんだか愉快になってしまう空間
店の中をそんな空気で満たしたい
こじゃれた店や気取った店は
自分には居心地が良くなくて好きではない
古道具屋さんやアメ横にあるお店のような
わくわくするようなものが
ごちゃごちゃガチャガチャと
おいてあるような空間
そんな店にしてみたい

一ヶ月が早々に過ぎていったが
今年もたくさんのお客さんとの出会いがあり
たのしい毎日を送っている
パンを作ることと販売とをひとりでこなすのは
なかなか大変だけど
作るだけに徹してしまったら
面白さは半減どころじゃないだろう
お客さんに力をもらわなければ
毎日毎日ひとり孤独にパンを焼くという作業は続けられないだろう
 お客さんの反応を直接感じられるということも
店をやる上では大切なことで
その反応から
どうすればお客さんにとって
魅力のある店に出来るのか考えることが出来る
これだけ多くのお店がある中で
自分の店をやっていくということは
それを考え続けることではないだろうか
 お店を作っていくということは
やっぱりおもしろい
作っていくということは
変わっていくこと
日々生きていく中に
わくわく
ドキドキがなかったら
歩いてはいけないのだ

明日は何だか起きられない予感がします
開店時間が遅くなるかもしれないので
来られる方は注意してください

まだまだ思うとおりにからだは動かないけど
きょうも気持ち良く
満足いくトレーニングができた
短い距離のダッシュでも心臓バクバク
息が上がる
「生きているぞ」
「生きているぞ」とこころの中で叫びながら
右足
左足
前に出す
顔はくちゃくちゃ
生きている喜びが湧き上がる
365日
どんなときだって
やることはいっしょ
きょうという贈り物を
目いっぱい楽しんで生きるだけだ
明日がまたやっくるなんていう保障はどこにもない
健康であろうが
若かろうが
そのことは誰でもいっしょ
ひとは一瞬一瞬確実に死に向かって生きている
将来に備えるよりも
いまを大切に生きることだ
やりたいと思うことはどんどんやっていく
生きていく中には正解なんてものはない
そんなものは誰も知らない
どんな生き方だってありなんだ
自分がこうだと思う道を進んでいけばいいんだ
いま自分がやりたいと思っていることは二つ
お客さんに楽しんでもらえる空間を作ることと
自分の頭とからだを目いっぱい使って生きること

初詣は毛越寺と中尊寺
あまり期待はしていなかったのだけど
自分としてはかなり面白かった
平安時代の工芸品は店に飾りたいなあと思うものがいっぱいあった
いつものように突然の思いつきで出かけたので
電車の時間とうまくかち合えなくて
いつものように走ることになってしまい
肉離れを起こした太ももはかなり痛かったけど
それでも自分お足でその土地を踏みしめることで
すこしだけ深くその土地の中に入っていけた気がする
 盛岡に寄ってから帰宅
今回も素敵な出会いがいっぱいあった
出かけてみてよかった
 自分が体験する以上にすばらしい世界なんてない
 このいまという時間以上にすばらしい世界なんてない
 自分はとんでもなくすばらしい世界の中で生きているんだ
 毎日が贈りもの
 楽しまなくちゃ もったいないよね

クリスマス 年末を前に
ライ麦酵母の調子が悪くなり
きょうはライ麦酵母のパン全滅
修復には時間がかかってしまうかな
逆に小麦酵母はいままで見たことがないくらいに
元気いっぱい
捏ねあがった生地も
元気でグングン膨らんでいく
いつもと状態が違うので
見極めに戸惑った
発酵行きすぎかなと感じたものもあったけど
食べてみると
あれあれ
うまいぞ
あそこまで生地の発酵を我慢してもいいのかと
偶然の発見
はたして大発見であってくれるか
これが活かせられれば
さらにパンはうまくなってくれる

生きているうちは
生きようと思う
うまくことが運ばなかったとしても
人に受け入れられなかったとしても
どんなときでも
自分を思い切り生きることさえしていれば
明日もまた生きられる
それならこれだけ不器用な自分でも
できる
やりたいことは
いまやる
先のことは
わからない
わからないことは
心配してもしかたがない
何かあったら
何とかしていくだけだ

「生きていたころは、生きているということを、
ずいぶん粗末に、乱暴に扱っておりました。
しかしながら、いったん死んでみると、生きていたころの、
どんなにつまらない一日でも、
どんなに辛い一日でも、
どんなに悲しい一日でも、
どんなに淋しい一日でも、
とにかくどんな一日でも、
まばゆく、輝いて見える。」
(井上ひさし『ムサシ』より)

「木のおもちゃがいっぱいあるパン屋」という噂が
少しずつ広がっているようで
子連れのお客さんが来てくれるようになってきた
こういうことは中途半端にやるよりも
ドカーンとやってしまったほうがいいんだ
「本がいっぱいあるお店」
「風鈴がいっぱいあるお店」
そんなふうに言ってもらえるくらいに

いっぱいおもちゃで遊んで
子供たちは笑顔で帰ってくれる
外で遊ぶのがいちばんだと思うけど
たまには大人たちの知恵の詰まったおもちゃで遊ぶのもありだろう

この冬の一推しは
ライ麦全粒粉15%のパンと
押しライ麦の山型食パンと
小麦の山型食パンだ

このところ
からだがぜんぜん動いてくれなかった
自分の人生の中でいちばん動いてくれなかった
ここであきらめたら終わりだったけど
いままで使っていなかった筋肉に助けてもらうことにしてみた
公園の遊具などを使い
いろんな動きをしていたら
本当に本当に久しぶりにからだが軽くなった
光が見えてきたので
がんばる気持ちがぐんぐん出てきた

この一ヶ月で自分のパンがガラッと変わった
十数年パン屋をやってきて
ようやく
これなら
いけると思えた
変化しだしたときに
いったんめちゃくちゃなパンになってしまった時期があったけど
器用でもなく天才でもない自分には
通らなければならなかった道
這い上がり
這い上がりながら
確実にでかくなっているのを感じる
自分の長所はあきらめの悪さ
どこまでも
どこまでも
這い上がっていってやる

なんだか最近
トレーニングでの苦しみが
快感になってきてしまった
ヘトヘトになりながらも
おりゃーと食いしばりながら
突っ走る陶酔感
何だろう
歳をとったのかな
人生がどこまでも続くことはないと
強く感じるようになってきた
体感することができるのは生きているときだけ
おもいきり生きなくちゃ

雪の予報だったので
店は休みにして
店の中を空色に染めてみた

THE GABBY PAHINUI HAWAIIAN BAND - IPO LEI MANU ...
こんなイメージで

なまけもののパン屋に飾ってある絵を描いた
笹尾さんの個展があります
ハワイが好きな方
沖縄や奄美が好きな方
Jazzが好きな方
空が好きな方
海が好きな方
是非いってみてください
詳しくはこちら
笹尾 としかず | Facebook


きょうはどうしてもいっておきたい場所があり
久しぶりに無人販売を決行
土曜日はお客さんが多く来てくれるので
決断するまでに時間がかかったけど
行ってよかった
からだがだんだん動かなくなってきたことで
人生に限りがあることを肌で感じられるようになってきたきょう
この一日をどう過ごすか
一瞬一瞬が本当に貴重なものになってきた
やったか
やらなかったか
人生の最後に残るものは
やはりそれだと思う


定休日明け
きょうは何とか早起きすることができた
きょうのパンのこのうまさは何だろう
こんなパンをまた作ることができるだろうかと
不安になってしまうくらい
良いパンだった
でもやっていく限りは
このパンを超えたパンを作る
このパンを自分の力だけで作れるほどの
すぐれた感覚は持ち合わせていないけど
それでもできる限り
自然を感じ取る力を身につけていくことにチャレンジしながら
勘を頼りに偶然性を味方につけながら
うまいパンを作っていきたい

本日はたくさんの方のお出向き
ありがとうございました
おかげさまで
350杯のコーヒーも早々になくなり
無事本日の営業を終えることができました

 疲れ気味のコーヒー屋さん
 最近いつも目は一点を見つめ
 口は半開き
 背中を丸めて座っている
 疲れ気味のコーヒー屋さん
 注文が入るとのそのそっと立ち上がり
 ため息つきながらコーヒーを淹れる

明日11月30日 東京杉並にある『疲れ気味のコーヒー屋』さんが
コーヒーを淹れに来てくれるそうです
先着350名です
コーヒーが飲みたい方はお早めにお越しください
美味しいコーヒーを飲んで明日も
元気いっぱーつ!

きょうもなかなかの良いパンができたと思う
ここ一ヶ月で大きく変わってきたのが
小麦酵母のパン(ライ麦30%以下のパン)
ぜひ食べて感じてみてください

発酵時間を長く取るようにして二週間
微調整しながら
かなりよい感じになってきた
夏から減っていたお客さんも
少しずつ増えてきてくれた
この勢いでドーンと行きたいところだったけど
腰が痛い
明日はいっぱい作れそうです

困難なことになりそうなことでも
自分には苦手なことでやるのが怖いことでも
興味があること
面白そうだと思うことがあれば
エイヤァーと飛び込んでいくべきだ
飛び込んで行こうと決意したときの高揚が
生きていく原動力になる
結果なんてどうなったっていいんだし
先のことなんてどうなるかなんてわからない
心配してた以上のことなんて
そうは起こらない
何とかなるさ
楽しくなりそうなことが
いっぱい出てきた
そこに向かって
ドカーンとぶつかっていこうと思う

偶然性が入る余地を残しておいた方が
パン作りは面白い

うまいパンを作るには
一にも二にも見極めだ
パン生地の発酵熟成を邪魔することなく
ちょうどいいタイミングで一つ一つの作業を進めていけるか

きょうはライ麦酵母のパンも
小麦酵母のパンも
優しい味のする
食べると
こころがホッとするものが焼きあがった
少しずつ少しずつ
目指すパンに近づいている
目指す場所があるのなら
そこまでの道は自分で
切り開いていかなければならないんだ
いまの良くない状況をごちゃごちゃごちゃごちゃ
ぼやいているだけでは何も変わらないし
だれかがいまの状況を変えてくれるわけではない
変えたいものがあるのなら
自分の力で変えていくしかないんだ
それはとても孤独で苦しい作業でもあるけど
そこにあるのはそれだけじゃないんだ
そこには生きていく力となってくれるワクワクがあり
そしてなにより
そこには自由がある

きょうもたくさんのお客さんが
おもちゃで遊んでいった
これだけ多くのおもちゃがあるパン屋は
大田原にもそうはないだろう
木に触れたときの
ホッとする気分
木に守られている感覚
気持ちが楽になるんだよなあ
これは触れてみないとわからない

発酵時間を延ばして3日目
16:30オープンでは絶対間に合わないようになってきた
きょうのパンは一種類だけ窯から出し忘れて焦がしてしまったけど
他のパンはかなり良くできたと思う
特に山型食パン二種類は見事な姿
見るからにうまそう
発酵時間を長く取るようにしてみたら
生地にたっぷりのうまみが染み込んだ

きのうから小麦酵母のパンの発酵時間を
少し長く取るようにしてみたら
焼き上がりがオープン時間ぎりぎりになってしまうようになった
オープン前にバタバタするのは疲れるなあと思って
一年前に営業開始時間を少し遅らせたのだけど
またバタバタの日々になりそうだ
 発酵を長く取ったことでパンにモチモチ感が出てきた気がする
まだ食べていないから味の方はわからないけど
美味しくなっていれば良いなあ

店に飾ってある絵を描いた笹尾としかずさんの作品展が
あります
12月5日~7日
東京都世田谷区瀬田
くわしくはこちらで
笹尾 としかず | Facebook

きのうはライ麦全粒粉15%のパンが
見事見事と感心してしまうくらい
美しく膨らんでくれた
改良に次ぐ改良
数週間前とはまったく違った作り方になっている
 きのうのパンがあまりにすばらしい出来だったので
ライ麦全粒粉15%を始める前に作っていた
全粒粉でないライ麦15%のパンも
きのうの方法で作ってみることにした
まだ食べてはいないけど
見た感じはなかなか良い
 昔このライ麦15%のパンで
ものすごいうまいパンを作ったことがある
噛みしめる度にジュワジュワーと
うまみとかすかな酸味そして
バターは使っていないのだけどバターの香りが
口いっぱいに広がっていく
いま自分が目指している味は
あのとき偶然出せたあの味

店にあるベンチや椅子を使って
木玉やビー玉転がしができることができることがわかった
座面が彫ってあることで
面白い動きになる
遊びはアイディアや工夫次第で無限に広がる
木の棒が一本あれば
こどもは一日中遊んでいられるよ
遊び方をたくさん考えて
楽しい空間を作っていくから
お楽しみに


木の玉610個追加
いまいちだなと思っていたものが
いい感じになってきた
おもちゃは
大好評
特に大人
喜び方が一段上
ああーよろこんでるなー
ではなくて
なんだ
なんだ
すごいよろこんでいるじゃんという感じ
 一日ひとりは無理やりでも
木玉のプールに寝てもらっている
まだまだまだまだ
おもちゃがあることが知られていないので
口コミで広がることを期待してのことだ
こう見えてもやり手の経営者
 パンがうまくなってきても
そのことは自分でアピールしなければならない
プロ野球の選手なら
しばらく打てない日が続いていたとしても
ホームランを打てばニュースで取り上げてもらえるけど
パン屋はまずければお客さんは離れていくし
パンがうまくなったとしても知ってもらえない
だからパンがうまくなってきたときはHPなどを使って
自分でアピールするしかないんだ
アピールしておけばHPを見たひとが
パンを食べてみて本当にうまかったら
「あそこのパンうまくなったね」と口コミで広げてくれる
のじゃないかな~???
 大学は経営学科
経営の勉強ができるのだと思っていたけど
講義の内容は
会社は誰のものだとか
経営の歴史だとか
店を経営しようと思ってもまったく役に立ちそうもないこと
本気で勉強したいと思うなら
経営学科とか行くだけ無駄だ
本でも読んでいた方がまだましだ
こういうことは
実際に体験してみないことには
身につかない
大切なのは経験とそこからくるひらめきそれと
耐えること
土台を固めながら耐えることじゃないだろうか


東京から自転車の集団
何人いたのだろう
5人かな
6人かな
それなのできょうは忙しく
おもちゃで遊んでいる暇がなかった
だから店が終わってから
ひとりで遊んだ
おもちゃ
独り占め

子供たちの遊びの空間
だいぶ形になってきたなあと思っていたけど
何かが足りない
なんだ
なんだ
足りないものは
なんだ
なんだ
考えていたら
ひらめいた
こういうことは勢いでやってしまったほうがいい
11月中にはそれを形にできると思う
子供たちよ
お楽しみに
たとえやっていることが受け入れられないとしたって
やってしまったほうがいいんだ
どんな状況だろうと
自分は自分を生きる
それさえできていれば
かなりのことは耐えられる

木のおもちゃの良さは
体感してみないとわからない
木の家具や木の家の良さは
体感してみないとわからない
木に囲まれて生活していると
とてもホッとする
木が自分のことを優しく包み込んでくれ
守ってくれている
そんなことを感じる

木に触れたときの感触
木の持っている香り
木目の美しさ
小さいときから
木が身近にあれば
感性はどれだけ育つだろう
でもいまは
そんなことを考える親や教育者は少なくて
学力優先
 子供や孫が喜ぶ顔を見たいからといって
味覚が育っていく大事な時期に
甘いものばかり与えてしまう
味覚がしっかりしているということは生きることの基本
どこの高校に行かせるか
どこの大学にいかせるか
そんなことには熱心になるけど
生きていくのにもっと大切なものには無関心

少しずつだけどお客さんがプレーンなパンを買いはじめてくれた
一回で終わるのではなくリピートしてくれるから
うれしい
プレーンなパンに料理をのせたりはさんだり
パンを料理に放り込んだりしたときにこそ
ライ麦のパンの本当の美味しさ
本当のすごさを感じることができる
そう思うから
いまは作るパンの半分以上はプレーンなパンだ
多くのひとに食べてもらえるようになるには
かなりの時間がかかるだろうけど
じっくり我慢でやって行くことにする
パンを毎日食べようと思えば
やはりプレーンなパンだ
この町で
パン屋を続けていこうと思えば
プレーンなパンを食べてもらえるようにするしか道はないと思う
パンはグングン良くなっているので
行けると思う
「こんなに美味しいパンを食べたことがない」という言葉を
ここ数週間で何人かのお客さんからいただいた
だけど
俺のパンはここからだぜ
こんなもんじゃないぜ
これからもっとうまいパンを食べさせてあげるからね
だまされたと思って
あと30年
40年付き合ってください
たとえだまされたとしても
それくらい長くだまされれば
気持ちいもんだ

木のおもちゃを置くスペースを広げて二週間
予想していた以上にお客さんたちが楽しそうに遊んでくれている
子供が遊ぶものだとバカにはできないよ
大人たちも遊び始めると夢中になっちゃって
遊んでいる姿を見ていると
大人だ
子供だと区別することができない
遊んでいるひとたちは
みんな同じ顔になっている
木の持つ力
日本の職人さんのこころと技と知恵
自由に遊べるようになっているので
ぜひ体感してみてください

明日は各地でイベントがいっぱい開催されるけど
どのイベントに行くよりもここに来てパンを買って食べた方が
満足度は高いと思う
満足できなかったというならお金を全額返してもいい
そのかわり
そんなことがあったら
その後
お客さんに不幸が起こるかもしれません
メラメラメ~ラ
そのことについては一切責任は持てません
           店主

パンをこねているとき
運送屋の女性がやってきた
「通れないから椅子動かしますね」
ギギギィーガガガァー
「やめてくれー」という間もなく
ベンチを引きずり始めた
床はザラザラのコンクリート
大切に使えば何百年と使える椅子
作ったひとのこころ
樹齢何百年の木の命
使い捨てのものに囲まれて生きていると
そういうことを感じるこころが育っていかないのかもしれない
これは怖いなあと思う
店にはできるだけ職人さんがこころで作ったものを置こうと思った
作ったひとの顔が見えるって大事なことなんだね

ライ麦全粒粉15%のパンを作り始めて二、三ヶ月
きょうがいちばんいい出来だった
これまで水の量が多すぎて失敗することが多かったけど
きょうはばっちり決まった
この感覚を記憶しておきたいけど
もうすでにうっすらとしか覚えていない
なんだか
どんどんパンが良くなっている

水分が少ないパンを作るのは簡単だ
そういうパンを無難に作っていく道あるけど
目指しているパンに向かって突き進む方が
苦しい思いはするけど
断然面白い
そこにたどり着くためになら
いまをズタズタに壊してしまって
一時的にでも何時的にでも
すごいまずいパンになってしまうことも覚悟の上だ
そこを超えなければ
絶対に目指すところにはたどり着けないもの
そして目指しているパンにたどり着けたなら
その先の世界を見てみたい
自分の頭の中にあるパンというもの
それを超えた世界

豆がどうで
焙煎がどうで
淹れ方がどうで
日本でもいまコーヒーそのものの味を
シンプルに味わおうというひとたちが大勢出てきているのに
パンの世界はどうして
砂糖やら
乳製品やら
油脂やらが入ったパンばかり食べられているのだろう
コーヒーと同じで粉と塩と水だけで作ったパンの方が
追いかけるには面白いと思うのだけど
まあ 
でもいまのコーヒーの世界のようにするためには
パン屋が粉と塩と水で作るパンの
可能性というものを見せていかなければならないのだろう



最近こういうパンを子供たちに食べさせたいと言って
やってくるお客さんが多くなってきた
意識が少しずつ変わってきているのを感じる
子供は固いものを食べないと思っている親がまだまだ多いし
子供の頃の食事が味覚を育てるのに
とても大切だということを知らない親が本当に多い
こういうことを義務教育中に教えていけばいいのに
味覚をしっかり作っておくということは生きる基本ではないだろうか
塾なんかに行かせる前にやるべきことがあるんじゃないか

今夜はじゃがいもとニラ
鶏肉と卵とゴマを炒めたもの(塩 酒)に
ライ麦95%のパンをちぎり入れ食べた
自分の中では卵とじゃがいもはパンに合わせやすい食材ベスト1と2

月曜日の臨時営業もお客さんが何人か来てくれた
きょうは大人ばかりだったけど
みんな子供と同じ顔になっておもちゃで遊んでいった
混雑していないときは
自分もいっしょに遊べるのでうれしい

大好きなことなら
たった5分しかなくても
やった方がおもしろい
5分間のランニング
5分間のサンドバック打ち
5分間の散歩
5分間の読書

つらいことがあっても
やめずに続けていれば
いいこともあるんだなあということを
感じさせてくれたきょう一日
つらいことは喜びへの序曲であり
喜びはつらいことへの序曲である
つらいことあって
よいことがあって
またつらいことがあって
人間が生きるということはその繰り返し
その繰り返しがあるから
人間は生きていけるのかもしれない
つらいことを耐えたから
喜びを感じることができるのだし
喜びを知っているから
つらいと感じることができる
人生に良いことだけしか起こらなかったら
それが当たり前なことになってしまって
それが良いことだとは思うことはできないだろう
それではやはり生きていても退屈だろうし
人生につらいことだけしか起こらなかったら
それもそれで生きる希望が沸いてこないだろう
つらいことと喜び
このふたつがあってくれるからこそ
人生は輝くのだ





どれだけ悪い条件の中にいたとしても
やりたいと思うことがあるなら
やってみたほうがいい
あきらめてしまったらそこで終わりだ
その条件の中でもできることはある
 せまい店だけど自分が作り出したいと思っている空間を
楽しみながら作っていこうと思っている
条件的に絶対無理な部分もあるけど
工夫しながら自分の思い描いている空間に近づけていければいい

街の活性化だといって
国や市は税金使って
大きい道路や建物を作っているけれど
街の活性の始まりは
そこに住んでいる人々が
日常をいかに楽しんで生きるかなんじゃないかと思う
毎日の食事
ひと手間でもふた手間でもいいから
自分自身で動いて作ってみる
弁当やパンを買ってきて
そのまま食べるより
確実にたのしく輝いた時間になる
毎日の登校
ただ一列に並んで黙々いそいそと学校に向かうより
道草をしながらふらふらふらふら
少しくらい登校時間に遅れようと
木々の美しさ空の広さ
生き物の世界を感じながら
歩いた方が
どれだけたのしく
そして得るものも大きいか





パン職人に必要なものは
この分析する力
感覚
そして勘だと思っている






きのうに続きライ麦全粒粉15%の改良
ようやく問題点を解決できた
  どんどんどんどん
  本当にこのパンを自分で作ったのかと思ってしまうような
  すごいパンになっていく
  粉と塩と水だけでなんでこれだけの味が出てくるのか
  粉と塩と水だけで作るパンの可能性の追求
  これからどんなことになっていくのか
  わくわくする

これから先どれだけいいパンが作れるようになってきたところで
このあたりではこういうパンの需要が多くないので
お客さんの数が増えるとは限らないけど
行けるところまで
パンの可能性を追求していく

 
おもちゃがかなり増えてきたので
店の中を配置変え
ようやくおもちゃ屋さんらしくなってきた

さっそく子供たちがやってきたが
「帰りたくない」と駄々をこねる子供たちが続出
まだまだできたばかりで
ほとんど知られていない店なので
いまなら遊び放題だよ
みんなには内緒でこっそり遊びに来よう
日本の方が作ったおもちゃがいっぱいあるよ
遊ぶのは無料だよ
店にはパンもすこしおいてあるよ
そっちは無料ではないけど
買い放題だよ


ライ麦全粒粉15%のパンを改良
少しずつ少しずつ調整しながら
形にしていく作業はおもしろい


何かをやろうとすると
必ず栃木という壁にぶち当たる

イダン・ライヒェル(イスラエル)
素晴らしすぎる
なんだこのカッコウヨイ音楽は
一曲目で持っていかれた
ワンステージが終わったときにはもうお腹がいっぱい
1時間30分の公演中ただただ至福の時間を過ごした

The Idan Raichel Project - Im Telech - YouTube


The Idan Raichel Project "She'eriot Shel Ha'Chaim" Live in ..

ライ麦40%の平焼きパンで鶏肉のトマト煮のサンドウィッチと
牛肉と玉ねぎの炒め物のサンドウィッチ
地味だけど毎日食べられるパン
ライ麦95%のパンが食べてもらえるようになってきたので
今度はこのパンを食べてもらえるようにがんばろう
プレーンなパンはなかなか買ってもらえないけど
一度サンドウィッチにして食べてもらえれば
プレーンなパンの良さがわかってもらえると思う
 粉と塩と水だけで作るパンなので
派手な味ではないけれど
他の食材の味を邪魔することながない
それどころか他の食材の味を引き立ててくれる




昔は甘いパンも作っていたけど
パン屋をやっているうちに
子供の味覚の異常さが気になってきて
作るのをやめた
ひとりのパン屋が甘いパンを作るのをやめたからといって
何がどうなるものではない
子供の母親が子供の味覚形成に無関心なら
別のパン屋に行くまでだろう
自分の作ったパンで子供たちの味覚を壊したくないという思いで
勝手にやっているだけだ
食べ物を作って提供する側にも責任というものはあると思う
甘いパンや柔らかいパンを作れば売り上げは伸びるだろうけど
そこで作ってしまっては
子供は金を得るための道具になってしまう
こんなんだから
絶対に金持ちにはなれないけど
それでいい
孫が喜ぶからといって
甘いものばかり食べさせている婆さんたち
まだ小学校にも上がっていない子供たちを連れて
スーパーの買い物カゴいっぱいにコカコーラや
スプライトの1.5Lペットボトルを詰め込んでいる母親たち
子供の味覚の悪さは大人の責任だ
子供たちにうまいパンを食べさせたい
そういう思いでやってきたけど
力不足で思い通りにはいかなかったけど
いまなら
「このパンならどうだ」と小さい声で言える
大きい声で言えるようになるには
まだまだ先だけど
二十年後
三十年後
見ていろ




目指すものがあるなら
そこにたどり着くまでは
下手くそだし
ちゃんとは出来ないことばかりだ
だけどもどんなことをしたって
何かをつかみ取ろうとするなら
その期間を取り除くことは出来ない
その期間に苦しみ悩むからこそ
その目指しているものは輝きを増していくのだと思う
自分のパンも
もっともっと輝かせるために
もっともっと
苦しんで
悩んで
のた打ち回りながら
向き合っていきたい

転んでも
立ち上がればいいんだ
立ち上がることが出来るんだということがわかったからこそ
いまは
どんなことでもあまり躊躇せずに
思い切って
エイッ ヤァーとぶつかっていくことができる
転んだときは痛いけど
そのときだけなんだ





今年は旅行に行くよりも
子供たちが遊ぶ広場を作る方に
お金を使おうかと思っていたのだけど
あまり休まずに働いた割には
お金が入ってこなかった
それでもやはり広場は作りたいので
少しずつ作っている
パンが良い感じに焼けるようになってきたので
お金はこれから入ってくるだろう
店が潰れるのが先か
お客さんが来るようになるのが先か
俺は自分の力に賭ける
もうしばらくすると
店に木の玉のプールが登場するかもしれません
お楽しみに


きのうはあまりにも天気が良すぎて
お客さんが来なかった
日曜日にあれだけパンが残ったのははじめて
すこしでもさばかなければならないので
月曜日も店を開けたのだけど
三時間くらいたっても誰一人来ない
HPを確認してみたら
月曜日は合っていたのだけど
日付がきのうになっていた
これはこのパン自分で食べるしかないなと
店を木曜日まで休みにして
ひたすら食べる決意をしていたところ
4時過ぎになってきょうはじめてのお客さん
きのうから暗い気持ちになっていたので
それはそれはうれしかった
気分が上がってきたら
その後もお客さんが来てくれて
いままでの臨時営業日に体験したことのないお客さん数
あれだけあったパンがほとんどなくなってしまった
これは日頃の行いの良さかな
でもきょうは本当に感謝感謝の一日
ひとのこころのありがたみをおもいきり感じた一日だった
ありがとう



ライ麦15%のライ麦を全粒粉に変えて4日目
きのうは水が多すぎて全滅させてしまったけど
初日 二日目 四日目とまあまあ良い感じにできている
 きょうはライ麦30%平焼きを改善
焼くと上の部分が膨らんで空洞になってしまうことが多かったので
焼く前に切込みを入れてみた
 きょうのパン焼きは全体的にうまくいったんじゃないかな
ライ麦80%のパンはこれまで経験したことのない窯伸び
窯伸びしたからといって美味しくなっているのかはわからないけど
少し売れ残ったので明日試してみてください
ライ麦40%のパンも先週の土曜日から絶好調
他のパンも悪くなかったと思う


きのうはまったくお客さんが来なかった
何年かぶりのお客さん4人
あるお客さんによると
この店は給料日の25日にはお客さんが少ないので
その日を狙ってくると言っていた
そのことは気がついていなかったけど
連休明けの週はお客さんが少ない
きのうのお客さんの少なさは
二週続けての祝日と給料日が重なってのことだったのだろう
9月末は毎年夏休みをとっていたので
9月25日はここ数年営業したことがなかった
来年はパンを作らないようにしよう



短期間に祝日が2回あったせいか
頼んでおいたライ麦が2週間近くたっても
やってこず
この前の金曜日で在庫が切れてしまった
そのライ麦はライ麦80%と
ライ麦15%のパンの2種類に使っていて
この2種類のパンがないと
ただでさえパンの種類が少ないパン屋の店内は
パンよりもおもちゃや風鈴の数の方が多くなってしまうので
ライ麦15%のパンだけ別のライ麦で代用することにした
作ってみるとこれがうまい
優しい味になった
この方が自分の味かもしれない
使った粉はライ麦の全粒粉
水をいっぱい吸い取るので
捏ねているときはものすごく柔らかい生地になる
そのため生地の硬さを判断するのが難しい
硬い生地なら持ったときにある程度の抵抗を感じることができるけど
柔らかい生地は持ったときにほとんど抵抗を感じないから
ほとんど空気の硬さを探っているようなものだ
難しいことだけど
できっこないとあきらめてしまえば
そこで成長はストップだ
やることは
野性的感覚を取り戻すこと

絶対できる

やってみること
いろいろやってみることでしか生まれてこないものがあると思う
何とか行けるだろうという余裕
生き抜いていくために必要な根性
苦しい思いをしながら成しとげたからこそ身につくもの
パンの発送をやっていた頃
雨の日も雪の日も強風の日も
毎日毎日
段ボウル4つ5つ抱えて
自転車や自分の足で
運送会社まで走った日々
きつかったけど
それが
どんなときにでも
何とか行けるだろうという思いを持たさせてくれている
山からの吹き降ろしに耐えながら
自転車でパンを売り歩き
お客さんが来るのを待って立ち続けた日々があったから
生き抜く力を持つことができた

これからも
いろいろやってみる
やってみることで
生きる力は沸いてくる
そしてなにより
やってみるということが
生きることなんだと思う


『フレームのなかに風があふれた』を読み始めた
『大草原の少女みゆきちゃん』を撮影したカメラマンが
テレビ・ドキュメンタリーの世界で生きた30年の軌跡を綴った本で
「大草原の少女みゆきちゃん」を撮影した当時のことも少し書いてある
テレビ・ドキュメンタリー「大草原の少女みゆきちゃん」は
北海道知床山麓で牧場を営む久保さん一家の生活と長女みゆきちゃんを
追った作品
小学校入学式の数日前の父と娘の会話
「みゆき、学校への行き帰りは歩いていくんだよ・・・
バスも歩けど、なんのためにもならんからな、わかったな」
「はーい」
入学式前日
お父さんは家から学校までの道をみゆきちゃんに教えるため
いっしょに学校までの道を歩いた
学校まではおよそ4キロ
原野を横切り 深い森を抜け 最後に
急な崖をおりて行かなければならない
そのときの会話
「野良犬だとかさ、熊なんていたって・・・
 普通にしてればいいんだからね」
「はーい」
「バスと歩くのどっちがいい」
「バス」
「なして?」
「だってバスのほうが・・・バスのほうが早いもん」
「早いからか・・・うーん、こっちのほうが面白いべ、
鳥の声は聞こえるし、鹿はいるし、
お前、いろいろなこと覚えるんだぞ。
バスで行けば時間が早すぎて、何も考えられないっしょ」
学校への道のりはひとり
熊笹を掻き分け
深い雪の中を必死に進むみゆきちゃん
「親が子にしてやるべきことは、
何も子供が欲しがるおもちゃを買い与えることでもないし、
旅行やドライブに連れて行くことでもないんでないかな。
ほんとうに大事なことは、子供がこれからの
長い人生を生きていくうえで、いざという場面に直面したとき、
なにもなくてもさ、自分ひとりの力で生き抜くための知恵と
強い精神力を子供のうちにきちんと教えておく、
これが親の勤めだと思うんですよ」

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8月31日 きょうのパンは良いね
今年いちばんのパン
ということはいまのところ生涯いちばんのパン
今年は夏にしっかりと良いパンを焼こうという目標で
がんばってきたけど
自分が期待していた以上のパンが焼けたと思う
そして最後の最後に最高に良いパンを焼くことができて
良い形で夏を終えることができた
最後にこのパンが食べてもらえれば言うことなしだ


夏も終わりに近い涼しい風と静かな一日
気分はハワイアン
きょうのBGMは山内雄喜のスティールギター
店の雰囲気にぴったりだった

山内雄喜 Yuki"Alani" Yamauchi @THUMBS UP 20/11/2012 ...


予定通り きょうは良いパンができた
良いパンだったけど
自分が想定していたよりも良いパンが焼けた
1917(山型の食パン)は作っている段階から
きょうは良いパンになるぞと感じていたが
閉店後食べてみたらその通り
すごいパンになっていた
それなのにきょうは売れたのが一斤だけ
きのうの食パンが4斤半あまっていたから仕方ないけど
打っている段階では本当にうまいかどうかわからなかったので
これ買ってくれと思いながらも
強く勧められなかった
明日は日曜日で次のから定休日になるので
明日はパンを残したくないのだけど
のっているときは
どんどん行こうぜ
いっぱい残ってはいるけれど
明日も最高にうまい食パン焼いてやるぜ
作りたいなら
作る
店は潰れようとも
こころは潰さない

8月30日 きょうも良いパンが焼ける予定です
ぜひお越しください
本日 いつもより少なめですが先着210名に
パンの切れ端をプレゼントさせていただきます
切れ端ご希望の方はお早目のご来店をお勧めします

きのう きょうで大量に買い込んだレバーやハツを食べきった
味付けは塩 味噌 酒 卸生姜
トマトで煮詰めて食べた
いつも朝起きるとからだのどこかがだるいのだけど
食べ物のせいだろうか
今朝は何年かぶりにからだが楽
歳をとればとるほど
しっかりと栄養を取るべきなのかもしれない

きょうは
なんだなんだというくらい
お客さんが来なくて
目の前はパンの山
きのうのパンだって大量に残っているんだもん
明日はパンが作れないなと
悔しい気分に浸っていたら
6:00少し前から
バタバタバタとお客さんが来てくれて
きのうのパンはある程度なくなり
きょうのパンも明日何とかなりそうな量になってくれた
食べ物を作る仕事をやっていると
こういう気苦労は覚悟しなければならないのだけど
いつまでたっても慣れるものではないと思う

大田原にあるパン屋なのに
大田原のお客さんがあまりいないのは
どうしてなんだろう
夕方の二時間しかやっていない店なので
とにかく近くの人が来てくれないことには
きびしいものがある
このパンを大田原の人にどう食べてもらうか
その辺がこれからの課題

本日の夕食はライ麦95%のパンに納豆と刻んだ新ショウガを
たっぷりかけて
うますぎる
らいむぎ95%
俺は
このパンだけあればいいや

機械を使っていて作っていては
見えないことがある
その見えないところを
自分はわかりたい
偶然うまくできることがあっても
それで良しとはしないで
どういうことなのか
時間がかかっても良いから
少しでも多くパンのことをわかりたい
機械を使って作っていては
見えないところを
自分の感覚で掴み取りたい
長い長い時間がかかるかもしれないけど
パンのことをわかった分だけ
それが味に加算されていく
それを信じて
自分は自分のパン作りをしていく
いまはまだまだでも
十年後二十年後
成果として現れてくれればいいと思っている
でもこれは遠回りなんかではなくて
パンをわかりたいなら
きっとこの道しかないんだ








きょうは一日雨
夜小雨になったので
犬と散歩して
軽いランニング
ひんやりの風が気持ちいい
夏の疲れを取り除いてくれる天からのご褒美だ
一年中この風が吹いていたら
ありはたみを感じることはなかなかできないけど
夏を乗り切ったからこそ
夏をがんばったからこそ
この風をこころから喜ぶことができる

久しぶりに坂道ダッシュ
きのう陸上をやっているお客さんに
この急坂のことを教えたら
どんな感じだったか気になって
一本やってみることにしたのだが
一本が三本になり
三本が十本になってしまった
走りながら
あー自分はまだ闘う灯火
生きようとする灯火が
消えていないんだなあと思った



パン作り絶好!

なにかやるのに
理由なんていらない
物事に
意味なんてなくてもいい
ただ
バーンと生きてやれ

うまく行かないときや
悲しみの中にいるとき
何でこんなに不幸なんだと
嫌になってしまう
そんなときは不幸不幸不幸で
こころも頭もいっぱいになり
自分の存在しか見えなくなってしまう
でもそんなときでも
世界中の多くの人々が何かを背負いながらも
懸命に生きている

危険が取り除かれた社会
危険に近づけさせない社会
安心安全という言葉は人間を目暗にさせ
危険はいつでもすぐそこに口を開いて待っていることを
忘れさせてしまう
実はこれこそ危険なことなのではないだろうか
人間に備わっているはずの野性は失われていくだろうし
痛い思いをして学んでいくということもできない
自分で判断するという能力も育っていかないだろう

そろそろ夏休みに入るかもしれません
突然休みに入ることもあるので
来るときは確認お願いします

今年の夏のパン作りは
これまでにないくらいうまく行っている
昨年の夏はパンがぜんぜんうまく焼き上がらなくて
ぼろぼろだった
やはり冷蔵庫と製氷機がないとダメなのかなと思い始めていたのだけど
今年の夏 
どんなに暑い日でも冷蔵庫 製氷機は
必要ないということを確認することができた
頭でっかちになっていて
夏は捏ね上げ温度をかなり低くしなければならないものと
思い込んでしまっていた
このパン屋のように硬いパンだけしか焼かないのなら
生地を冷やしすぎるのは逆に良くないようだ
いまの自分を超えようと思うなら
いま自分がこうだと思っていることとは別のことや逆のことを
やってみるべきなのかもしれない

自分がやりたいと思うなら
自分が大好きなことなら
やればいいんだ
才能があるひとでないと
やってはいけないなんてことはないのだから
人間がやっていることなんて
みんな勝手なこと
どんなにみんながすごいだとか偉いだとか褒めたてようとも
やっぱりそれも人間の勝手なこと
どんなにひとのためになることをしようとも
やはりそれも人間の勝手なこと
オリンピックで金メダルを取ろうが
それは金メダルを取った本人やそれに係ったひとたちの満足でしかない
何が正しいか
そんな答えはこの世に存在しない
なんでもありなんだ
産まれたからには
自分のやりたいようにやってみればいいんだ
何が正しいか
そんなことは誰にもわかりはしないのだから
自分がやりたいと思っていることを止める権利なんて
自分以外の誰にもありはしないんだ

年末 ゴールデンウィーク お盆
帰郷するたびに店に来てくれる方たちがいてくれる 
とてもうれしいことであり
ぼくに力をくれる    
  
  
  あなたがどこにいても変わらないから
  風に乗る鳥のように
  いつでも島にお帰り

  いつの日か ヒナは巣立ち
  羽ばたいていくけれど
  
  

きのう きょうはビシッと決まった
全種類のパンが並べられたのは
2週間ぶり
いままでにない
美味しさ
ライ麦15パーセントのプレーンなパンは
絶品だった
ガリガリと皮を突き破って
更に噛み続けると
ひと噛みごとに
酸味と旨みがじゅわじゅわあーと
舌の上に広がっていく
発酵の偉大さ
粉と水と塩が発酵の作用によって
こんなことになってしまう
しっかりつかめているので
今年はこのまま夏を乗り切れるのじゃないだろうか


東京に住んでいた頃
よく音楽座のミュージカルを観にいった
こころをポッと暖めてくれる作品ばかりだった
仕事を終えてから
芝居を観に行けたり
音楽を聴きにいけたり
そんな環境であったらなと
たまに思うときがある
音楽座ミュージカル 『シャボン玉とんだ宇宙までとんだ』より
   たとえば 流れ星 見つからなくても
   いつの日か 夢はかなう 輝くこころあれ
   あきらめることなど 誰にでもできる
   つらくても 捨てないで 微笑を忘れずに
   虹色のシャボン玉 空まで飛ばそう

   どんな魔法より もすばらしい奇跡
   僕がいま 生きている 流れるときの中に
   一度限りの すばらしいチャンス
   逃げないで 求めよう 輝く夢があるなら
   虹色のシャボン玉屋根まで飛ばそう

   忘れかけていた 幼い頃の
   透き通る憧れが いま夢によみがえる
   遠い空のかなた 悲しみ超えて
   どこまで飛んでいこう 輝く夢があるなら
   虹色のシャボン玉 空まで飛ばそう
宇宙ソラまでとんだ 2.と3で別れた歌の部分ドリーム

音楽座ミュージカル 『坊ちゃん』より
  眩しいきらめきが あふれている世界
  開いて こころを うつして ひかりを
  もとれているもの さがしているもの
  いつでも 見つかる
  素直な気持ちになれば
  星は瞬き いのちは輝き
  ときのかなたへ 流れていく いつまでも

bocchan_(2/2) - YouTube 19分40秒あたり から



本日定休日明けの水曜日
13日お盆初日
10数年前のこの日にパンを売り始めたんだっけ
そんな日だから
良いパンを作りたいと思っていたのだけど
ライ麦酵母のパンは塩を入れ忘れて全滅
この前のように酵母を弱らせてしまって
パンが焼けないようなときは
そのおかげで酵母の力が弱まってしまったときの対処法などを
見つけることができるけど
こういううっかりミスはどうにもならないから
くやしいだけで
それだけで終わってしまう
夏なんてお盆前後にしかお客さんが来ないのに
売れるパンがない
いつもここっていうときにしくじってしまう
井上ひさしが作り出す物語の登場人物みたいだ
昨夜の酵母の状態がこれまでにない力強さだったので
どんなパンができるのか見てみたかった
良いパンが作れるようになってきたところなのに
なかなか波に乗れない
仕方ねえ
少しずつ
少しずつ
食べてもらえるように
あわてない
あわてない
ひきずらない
ひきずらない

お盆休み初日の9日土曜日
きょうはまとめ買いのお客さんが多い
東京から車で来た5人組が
帰るともうパンが半分くらいしか残っていない
その後のお客さんも
大量に買っていく方が多く
17:00には売り切れ
10人くらいのお客さんで終わってしまったのじゃないだろうか
夏の間の平日なんて
5、6人のお客さんしか来なくて
パンが半分以上売れ残ってしまう日がざらなのに
なかなかうまい具合にはいかないものだ

腰を痛めて店を休みにした日
小麦酵母の力を弱めてしまった
前日の夜は
腰が痛くてもやっちゃうかとこころ動かされてしまいそうになるくらい元気だったのに
たった何十時間でまったく別物になってしまった
休みの日も酵母はいじっていてやったのだけど
夏の暑さをちょっとバカにしていたか
きのう きょうはライ麦の酵母のパンだけの販売
小麦酵母のパンが良くなっていただけに悔しい二日間だった
一度狂いだすとなかなか機嫌を直してくれない酵母だけど
いくらか良くなってきているので
明日からのお盆休みまでにはいままでの経験を活かしてなんとか
復活させてやりたい

店を開ける直前は
パンを焼いた直後でふらふらになっているので
音楽を聴いて気持ちを盛り上げている
最近は昔観にいったことがあるミュージカルの曲

だれでも
持っている
ひとつ
大切なものを
この空に輝く星
僕もひとつ
きみも・・・
さよならなんかじゃない
悲しいことじゃないのさ
出会えたことがすべてさ
さびしいときは空を見上げて

the little prince - Video: ~ Frequency

いつも ひとり 夜空見上げ
夢を見てた 遠いあの日
知らない間に 時は流れ
さまよい 旅して
いまもひとり
何かを求めて空を飛んだ
こころ許せる 誰かを探して
風の音が胸に響く
石原慎一 音楽座ミュージカル 「星の王子さま」より 「星空と砂の間」

きのうまでの悲しみ飛ばして
まだ見ぬ自分に会うため
どこまでも追いかけ
音に乗り 風を受け 飛んでいこう
伸びやかに翼広げ旅が始まる
つらくても踏み出して羽ばたいていけば
きっと会える さわやかな優しい笑顔

マドモアゼルモーツァルト「朝焼け」プロモーション・ビデオ ...


今夜は茄子と生姜 しし唐 にんにく オクラの炒め物
1917(山型の食パンと押しライ麦の食パンをトーストして細かくちぎって
絡めて食べる
山型の食パンはバター塗って食べるだけじゃなくて
こんな食べ方だってある

休日 一日目の朝 きょうもバリバリからだ動かすぞーと
集積場に持っていくためにゴミ袋を持ち上げた瞬間
嫌な痛み
腰の肉がバリバリバリと音を立てて崩れていく感じ
やっとの思いでゴミを出し終えてきたけど
後はもう動けない
一日本を読んで過ごすことになった
消化不良の休日になりそうだったけど
間違えたのか知らなかったのか
4組の方がパンを買いに来てくれたので
楽しい休日にすることができた
明日からパンが作れるかどうかわからないので
ホームページの「本日の営業」で確認してください


Idan Raichel  10月来日  これは観にいきたい 
 

Idan Raichel Project - "Im Telech" music video - YouTube


The Idan Raichel Project
 - Yesh Bi Od Koach - YouTube


Official Website:ビルボードライブ



きのう土曜日は大田原の祭り
それだけではなく
このところの暑さでお客さんの数は少なかったけど
パンの方は絶好調
金曜日に売れ残った1917(山型の食パン)と
きょう売れ残ったライ麦15%のプレーンのパンを食べてみた
あきらかに自分のパンが変化している
ぞくぞくしてしまうくらい自分のパンが変化している
1917は今期いちばんの良い味だと思う
ライ麦15%も良い味だ
  本日 日曜日は売れ残った押しライ麦のパンと1917を食べる
  押しライ麦はもちもち感とほのかな酸味がたまらない
  今年いちばんの味か
  いや生涯いちばんの味かもしれない
  1917は作りたかったような味 食感にはならなかったけど
  これはこれで良い味だ
  もちもち感はないけど酸味が絶妙
  金曜日の1917と甲乙つけがたい出来だと思う
  作りたかったパンにならなかったからといって
  必ずしもダメなパンではない
  自分の思っているところや知識を超えたところに
  自分を超えるパンはあるのではないか
    夏のパン作りはいちばん苦手だったけど
    生涯いちばんの味を出せたいまなら
    夏のパン作りがいちばん得意だといえるのではないだろうか
    でもすぐに秋のパン作りがいちばん得意だといえるようにするつもりだけどね
上達したことが実感できたときというのはやはりうれしいもの
そんなうれしさと
うまく出来ないときの苦しさが
パンを作る原動力になっている
良いパンを作りたいなら
続けること
どうすれば続けられるのか
それはやはり続けることで続けられるようになるのだと思う
それしかないんだ
続けていくには休んでもいいけどやめないこと
続けていれば
うまくいくことも
うまくいかないことも
必ず起こってくる
そのときの沸いてくる力を借りて
きょうも 明日も続けていける

子供だからまだできないだろう
子供だからまだわからないだろうと親たちは言うけれど
それは違う
人間は産まれ落ちたときから
そうとうな能力を持っているんだ
本来なら産まれたときから
その能力を全快にして生きていくのだろうけど
いまはそういう環境ではなくなっていて
ほとんどの人間が
産まれたときから
その能力を失い始めることになる
子供だって硬いものは食えるし
雨風だってへっちゃらだ


変わるには
ある程度の苦しさがいる
足を速くしたいなら
ホームを直すなり
筋力をつけるなり
体重を落とすなりしなければならない
人前で歌えるようになりたいなら
勇気を振り絞らなくてはならない
でもその苦しみは
けっして
嫌な苦しみではない
ひとをいい顔にしてくれる苦しみだ

モーニング娘。のひょっこりひょうたん島 PV - YouTube



いよいよ茄子の季節だ
今夜は茄子とピーマンとシメジとゴマの炒め物
味付けは塩 酢  醤油
これはいくらでも食べられるね
パンにも合いそうだ

夏になると
日によっては
お客さんが
まったく来ないときがある
きのうなんて
開店したときと
閉店のときの皿の上の様子が
ほとんど変わっていないんだから
でも
その分パン作りではいろいろと試すことができる
いまちょうど上昇気流に乗っているときなので
この時間はうれしい

日に日に調子が上がってきている
これまで
パンがまったく見えていなかった夏に
パンと呼んでもいいかなと思えるようなパンが焼けているのは
かなりうれしいことだ
こういうことだったのかと
わかってみれば
なんてことはないことなんだけど
それを見させてくれない何か

粉が足りなくなってしまったので
ライ麦15%のパンを別の粉で作ってみた
いくらか硬くなるけど
これも捨てがたい

夏休みになったので
子供連れのお客さんが多くなってきた
きょうもいっぱい魔法を披露してやったので
もうあまり力が残っていない
明日は開店遅れるかもしれないので
HPで確認してから来てください

生きていればいろいろある
そのたびのいろいろ考えていたら
時間がいくらあっても足りなくなる
考えることが必要なこともあるけど
考え込むだけ時間の無駄なときもある
そんなとき自分は
外に出て「おりゃー」と全力疾走だ
そんなときじゃなくても
外に出て「おりゃー」ってやっているんだけど
どんなときでも
やることはひとつ
自分をおもいきり生きるだけ
パンを作って
トレーニングをやって
本を読む
まわりに振り回されることなく
こころはいつでも乱すことなく目の前を見つめ
瞬間瞬間を生き抜いていくこと
自分は自分のパンを焼くだけだし
誰がなんと言おうがどう思おうが
受け入れてもらえなかろうが
評価されなかろうが
ひとがどんなパンを作っていようが
どんな生き方をしていようが
そんなこととは関係ないところで
自分がこうしたい
こうしようと思うことを
ただやっていくだけ

休みの日はランニングしてシャドーボクシングをして
サンドバックを叩いて
庭の草むしりをして本を読んで犬と散歩をして
昼寝をしたらあっという間に終わってしまう
一日のなんて短いことか
でもいい一日

今夜はライ麦95%の平焼きとライ麦80%のひまわり入りのパンを
細かくちぎって
エリンギ ピーマン しし唐 たまごを炒めたものに加えて食べる
卵はライ麦のパンによく合うと思う

おとといのパンの試作は
思った通り
良い味が出た
発酵時間が延びたり
変化がいくつかあるので
他のパンの窯入れなどとどう重ならないようにするか
良いパンになっているので
きょうは気合が入って
眠気と戦いながらも
魂注入したパンを作った
山型の食パンとライ麦15%のパン食べてみたら
ガッツポーズしたくなるようなうまいパンになっていた
良し良しとうれしく店番していたけど
暑さと大雨もありまったくさばけず
それなので明日月曜日は店を開けます
午前九時からの販売なので
お昼にサンドウィッチを食べたいと思っている方
夜に酒を飲みながらうまい料理が食べたいという方
ご来店お持ちしております


野菜をいっぱい食べられるようになってきたからか
こころの中で波風が立たなくなったからか
熟睡できるようになってきたからか
少しずつからだが動かせる状態になってきたからか
きょう 明日と やりたいことが持てているからだろうか
自分のパンが原因か
体調が良く
肌もつやつや
きょうは
空芯菜とピーマン 山芋 生姜 にんにく 卵を炒めたものに
小さくちぎったライ麦40%のひまわりとライ麦80%のひまわりのパンを
からめて食べた
ホッとする味
自分がよく食べるパンはプレーンなパンかひまわりの種のパン
ひまわりの種はどんな料理と合わせても
料理の味を邪魔しないから好きだ

この暑さの中
きょうもまあまあ良い感じのパンを作ることができた
木曜日はお客さんが来ない日なんだけど
のっているときはリズムを崩したくないので
いつも通りの量を作った
大量に売れ残ってしまったけど
やることはやったという充実感
明日はさすがにいつも通りは作れないので
試したかったことを試してみることにする
ここ数日も試してはいたのだけど
他のパンとの兼ね合いもあり
中途半端な形のお試しだった
それでも良い結果が出ていたので
そのパンだけに集中して作る今回は
更に良いパンになるかもしれないという期待がある
あるひとつのきっかけから
ぱぱぱぱぱっと
いろんなものが見えてきた
いままでにない手ごたえ
これから少しずつ
機械にあまり頼らないで作るパンのすごさを
出していけると思う
やっていることは
あまりにも難しく
そして習得するのに長い長い時間を必要とするものだけど
その分
力もつけることができる


休み明けの水曜日の仕込みは
からだの動きは鈍いし
頭の動きも鈍い
昼近くになってようやく両方とも
目覚めてくる
きょうは酵母の出来が良かったようで
ライ麦80%
ライ麦40%
ライ麦15%のパンは
間違いなく今年いちばんの出来
先週の修正箇所もうまくいき
こんなパンがいつでも作れるようになれればと思いはするけど
気温が更に上がってきたときに
対処できるかどうか
なんとか今年は
食らいついていきたい

おそらく
ひとは
本人が思っている以上の力やエネルギーを
内に秘めていて
気の持ちようで
それが出せたり
出せなかったり
きょうのランニングは
足が重たく
きつかったのだけど
(からだなんて)ぶっ壊してしまえ
ぶっ壊してしまえと唱えながら
ダッシュを繰り返していたら
風を切って走れるようになってきた

オープンサンドにして食べてくれるひとが増えてきてくれた
自分の作るパンは料理といっしょに食べて
はじめて活きる
めんどくさがらずに
たくさんの具をパンの上にのせてみれば
子供だって大喜び

今年は長芋の美味しさに出会った
いままで食べたことがなかったのかな
今年はもう何十本食べただろう
青森産長芋320円
青森には何でこんなに自分の好きな食べものがいっぱいあるのだろう
青森に呼ばれているかな

きのう きょうと子供たちがいっぱい
いっしょにおもちゃ遊びをしたり
魔法を見せてやったりで
大忙し
疲れたけど
楽しい2日間だった

『やれる』と思い込んでぶつかっていくときは
気が入るから
本当にやれてしまうことが多いのだと思う
自信がないでやるときは
気が入らないから
うまくいかない


ライ麦95%のパンにはトマトが合うことがわかった
トマトをそのままのせてもいいし
トマトを使った料理にからめて食べてもいい

水曜日は完売
木曜日は大量にパンが売れ残り
金曜日はパンが作れず
夏は毎年良いパンが作れないでいるので
今年こそは
何かをつかんでやろうという思いが強くある
だからなまけもののくせに
きのうはパンが作れなくて
ちょっとくやしかった
きょうはその思いをぶつけて
パンを作った
気になっていたところ3箇所
改善できた
パンは全体的にかなり良くできたと思う
しっかり集中さえすれば
俺もけっこうやれちゃうもんなんだよなあと
野球やボクシング
パン作りのときの経験を思い出しながら
思った
変えたいという熱い思いは
強大な力になる
集中力と熱い思いで
これから益々磨きをかけて
良いパンを焼いていくぞ~

『やれる』と思い込んでしまって
ぶつかっていくと
かなりの確立で
本当にやれてしまう
野球では打てば良い当たりになったし
投げれば抑えることができた
ボクシングではパンチを当てることができたし
パン作りもうまくいった
逆に
やれないかもしれないという思いがあるときは
ほぼ100%うまくやれてなかった気がする
気持ちって大切なものなんだなあと思う
自分という存在は同じなのに
持ち方しだいでできたりできなかったり

今年は草むしりが順調に進んでいる
毎週一回だけの草むしりだけど
一週ごとに草が減っていき
作業時間も一週ごとに短くなっている
今年の庭は一味違う
すっきりとした庭は眺めているだけで
こころが静まってくれる
植えた花もそこかしこに顔を出している
暑さ寒さに耐えられなくて
消えてしまった花も多いけど
どういう花がこの土地にあっているのかが
わかってきたので
秋になったら花の苗植え再開だ
一気にやってしまうのじゃなくて
すこしずつ形にしていくのって
楽しい
日々の生活にほんの少しの変化があるだけでも
それが生きるエネルギーとなってくれる
店のほうも
パン作りのほうも
すこしずつ形にしていこうと思う

足首の痛みがようやくとれ
一週間ぶりのランニング
どんなに良いことでも
それがずっと続けば
当たり前のことになってくる
そこに胸踊りだすということはない
悪いことが起こってくれるから
また胸のときめきを思い出す

Fanfare Ciocărlia - YouTube

10月来日

久しぶりにDVD 『大草原の少女みゆきちゃん』を観る
このDVD全国すべての小学校や中学校の入学式で鑑賞して欲しい
校長や来賓の挨拶なんてうっちゃいといていいから
新入生とその親 そして先生方にこのDVDを見せて欲しい
大草原の少女みゆきちゃん DVD化決定! - HBC 北海道放送
パン買うのを3週間くらい我慢すれば買える値段
ぜひ一家に一枚
店にも置いてあるので
観たい方は声をかけてください

今夜はライ麦95パーセントの平焼きに
ラタトゥイユをからめて食べてみた
予想通り
相性抜群

『大工一代』を読む
数奇屋大工 平田雅哉さんの半生記
めちゃくちゃなことをやるひとなんだけど
情が厚く魅力的なひと
明治生まれの方の話は
おもしろいものが多い
自分の知らない空気を感じることができるからだろうか

きょうも楽しい出会いがいっぱいあって
すばらしい一日だった
自分と同じ年齢くらいの公務員に比べたら
収入は
2分の1以下か
あるいは3分の1とか4分の1くらいかもしれないけど
一日の中での喜び量だったら
相当なものだと思う

クルミがさらに値上がりしている
店をはじめた当時からだとどれくらい値上がりしているだろう
それからきょう始めて押しライ麦の値段を知ったのだけど
何種類か使っているライ麦の中でダントツに高かった
20Kgで3000円近く差がある
消費税も店をはじめた当時は3%
当時も消費税サービスだったけど
いまも消費税サービスでやっている
お金が貯まらないのは当然か
この頃はさすがにパンの値段が高いと言われることはなくなった
高いと思っているひとが来ないだけかもしれないけど
でもまあ
この店のお客さんは金はないけど情はあるというひとたちばかりだから
こっちも情で返していく
自分の心臓が動いているうちは
『主婦の味方 なまけもののパン屋』でやっていく
売り上げだって(そんなにないけど)
おもちゃや木の家具などの形でお客さんに還元しちゃうよ
20代30代の独身女性のお客さんは少ないし
子供たちの味覚はかなり悲惨な状態だし
こういうパンを作ってやっていくのは
絶望的な状況で
いつまでパン屋を続けられるかはわからないけど
自分は自分を通していく
それで生きられないのなら
仕方ないや

おもちゃは大きくなったら
使わなくなるし
子供がいるとそんなにお金も使えるものではないだろうから
自分みたいな独り者がお金を出して
ひとの集まる場所におもちゃを置いていくのもありだろう
血はつながっていないけど
子供たちが何代にも渡って
使っていける
木の家具だって
こころで作られた椅子やテーブルに
出会って
ほんのわずかな時間でも触れる瞬間があったなら
それがじわじわっとこころの中で育っていくのではないだろうか
いまこの世のすべてのことを覆い尽くされようとしている
効率や金優先の考え方から身を守る芽が育っていくのじゃないだろうか
利益出せ
利益出せの世界で
生きていても
面白くないじゃん
技術を身につけなくても
頭を使わなくても
できてしまう仕事なんて
面白くないじゃん
職人の世界だって
例外ではなく
頭を使わなくて
技術が身につかなくても
できてしまう
そんな仕事がほとんどを占めている
職人も面白くないだろうけど
そんな中でできたものも面白みがないだろう
すべてがすっぱっと直線
そんな感じで
人間の温か味が感じられないもの
だから自分は
子供たちのこころに何かが芽生えてくれればと
勝手に期待をして
こころで作られた家具を店に勝手に置いている

この暑さの中で
これだけまともなパンが焼けるのは
十数年パン屋をやっていて
初めての経験
やってきたことが
少しずつ少しずつ身になっているのかもしれない
今年こそは
芽を出してから初めての花を
一輪でも咲かせることができるだろうか
このパンをぜひ自分の子供に食べさせたいと思ってもらえるようなパンが
作れるようになるだろうか


7月12日
本日 良いパンが焼けました
こういうことはめったにないので
ぜひ来てね~

どれだけ楽しんで接客できるか
接客でお客さんに満足してもらうための
いちばんのポイントはこれなんじゃないかと最近思うようになった
おもちゃ遊びや下手な手品でも
笑顔で帰ってもらえる



きょうも素敵なお客さんたちが来てくれたので
手品もいっぱい披露してしまった
手品を見るときには
手品を見るときの心得というものがあって
それは種や仕掛けがわかってしまっても
気づいていない振りをして
「わー すごい」とおどろいてやること
これはとても大事だよ

山を歩いているときに
突然なまはげが現れるのと
突然熊が現れるのとでは
どちらがびっくりするだろう

お客さんにパンの説明をしていると
何か気配を感じたので
ふと外に目を向けると
階段のところで僧衣姿のお坊さんが
店に携帯電話を向けて写真を撮っている
その姿を見て可笑しくなってしまったのは
自分の目が曇ってしまっていた証拠だろう
坊さんはこういうものと知らず知らずのうちに
刷り込まれてしまっていたんだ
お坊さんはすごい
毎日毎日厳しい修行を乗り越えてきただけのことはある
語らずとも
ひとに大切なことを伝えてしまうんだ
店はこうでなくてはならないなんてものはないし
パン屋はこうあるべきだなんてものもないんだ

きょうは
パン屋さんも
コーヒー屋さんも大忙し
何かの間違いが起こり
お客さんが次々やってくる
パンを買いに来てくれることが
自分にとって精神的な助けになっていることは間違いなく
生きる原動力になっている
店をはじめて良かった
コーヒー屋さんも
使用料はちょっと高いそうだけど
良い物件が見つかったみたいなので
近いうちに店をはじめることになるのかな

喜びも
悔しさも
生きる原動力になているということは
行動することで
生きる力が沸いてくるということかな
行動すれば
良いときもあるし
悪いときもある
喜びを知っているから
悔しさも起こるし
悔しさを知っているから
喜びも起こる
良いときと悪いときがあるからこそ
人生を輝かせることが出来るのではないだろうか


なまけもののパン屋の人気者
『道化師のまさ』の製作者井崎さんの展示会が
東京日本橋丸善であるそうです
7月2日(水)~7月8日(火)
東京にお住まいの方是非足を運んでみてください

井崎正治の塩津村だより 7月丸善日本橋店での展示会

今週は一週間
1917(山型食パン)がここ最近ない出来
ほかのパンもそれほど悪くはなかったと思う
いまくらいの気温がちょうど自分の得意なところで
技術的なところだけでなくからだの調子も
この時期がいちばんうまい具合だ
これから暑くなると
いまのところ自分にとっていちばん苦手な季節
からだの調子も
パン作りも
この時期はずっと苦戦してきた
だけどそのうち
夏が自分にとっていちばん得意な季節にするつもりだ
苦手なものこそ
それを克服できれば
自分にとっては大きな武器になる
苦手なものほど克服しがいがある
たとえ克服できなくとも
見える景色は変わってくるから
世界を広げることが出来ると思う

うわぁ~~
うっかりミス
明日はライ麦酵母のパン作れず
でも
明日もしっかり楽しんでやるわ
こういうときだからこそ見えるものもあるかもしれないし

きのう きょうと1917(山型の食パン)が良い感じに焼けている
これまで偶然にうまく焼けたことはあるし
きょう以上に美味しいものができたこともあるかもしれないけど
きのうときょうのパンは
パンを作る工程のひとつで
つかめたものがあって
その結果がからんでのものだから
自分にとってはものすごくうれしいこと
まだまだ偶然性は絡んでいるといっても
ちょっとだけ偶然性を排除して作れたパンだから
自分にとってはいままでのパン人生でいちばんのパン
偶然性を排除できたのに
つかめたのは偶然
(ずっとパンを作り続けてきた結果に見つけたものなのなので
偶然とはいわないのかな)
その日はからだがとても重くて
からだがまったく動かなかった
作業がいつもよりかなり遅れてしまった
生地の分割もいつもよりかなり遅れてしまって
発酵に追い越されてしまったなあとしぼんでいたのだけど
その後生地を成形してからの発酵の様子を見ていると
生地はいつも以上に元気で
焼き上がりの姿もすばらしかったので
自分のこころも復活
いままで生地の分割が早すぎたんだな
いつも通りにこなしていると
見えないものがある
だいたい物事は
自分の見たいようにしか見ない
自分の都合のいいようにしか見ないものなのだと思う
毎日毎日同じ道を歩いていても
見ているものはいつも同じもの
ものすごく落ち込んでいるときや
木の根っこなどにつまずいて転んで
立ち上がるときに
いままでまったく気づかなかったものが
ふっと目に入ってくるときがあるけれど
今回はそれと同じ
自分の意思ではない力が働いて
自分の物を見る角度を変えてくれた
まだまだつかまえなければならない
工程のひとつひとつが残っている
自分の最高傑作の更新を何度も何度も繰り返しながら
そこまで行けるか

だれが上で
だれが下か
そんなことは
バカくさい
どうでもいいじゃん
何も持たず
産まれてきて
何も持たずに
死んでいくみんな同じ人間という生きものだ
どんなに偉そうにふんぞり返っていても
高がひとりの人間だ
総理大臣だろうが
大きな会社の社長だろうが
大金持ちだろうが
人間国宝だろうが
天皇だろうが
宇宙空間に放り出されたら
何の力もない
ただの人間

出会っても
つながることができないひとはいるし
切れることになるひともいる
それはそれで
しかたがないこと
いま目の前にある世界が
自分の世界
いま目の前にいるひとが
自分の人生
目の前の一瞬一瞬を生きること
それが自分にできる唯一のこと

自分の人生は
政治家や官僚が作るものではないし
そうであってもいけない
自分の人生は
自分で作っていくもの
物事がうまくいかないのは
周りのひとが悪いんじゃない
うまくいかせたいなら
自分でうまくいくようにするしかないんだ
うまくいかなくたって
自分で気分を変えていくことはできる
気分が変われば
世界も変わる
生きていてもつまらない
そんなふうに思っているだけでは
なにも変わりはしない
どうにかしたいと思うなら
自分でそういう状況を
変えていくしかないんだ
周りが悪いんじゃない
自分の人生は
周りのひとが作るものではない
自分で作っていくものなんだ
自分の人生は
政治家のものでも
官僚のものでも
周りのひとたちのものではない
自分自身のものなんだ


すこしずつ
子供にここのパンを食べさせてくれる親が増えてきてくれた
少し癖はあるかもしれないけど
おかあさんの手づくり料理といっしょに食べれば
三ツ星レストランの出す料理にも勝る感動が味わえることだって
あるかもしれない
酸っぱいものが苦手な母親は
自分の子供がそうならないようにしようと思って
あれこれするものだろうと思っていたけど
どうもそうでもないようだ
  自分の周りのひとだけでいえば
  にがさやすっぱさが苦手なひとは
  読む本も聴く音楽も
  にがさややすっぱさがあるものは苦手のようだ
  にがさやすっぱさが苦手なひとが
  書く本も作り出す音楽も
  ひと味ふた味足りないものが多い気がする
味覚を育てるということは
人間を育てるということでもあるのではないだろうか
  店には岩手の家具屋さんに
  作ってもらった栗の木でできたロッキングチェアがおいてある
  あるおかあさんが
  「子供の遊び道具になってしまうのにもったいない」と言っていたけど
  子供だからこそ良いものに触れさせるべきなのではないかと
  自分は思っている
表面だけを飾ったものではなく
しっかりと芯のあるものを作っていきたい

ライ麦95%のパンが少しずつ売れるようになってきた
このパンが売れるようにならなければ
この店に未来はないと思っている
こういうパンが食べてもらいたくて
パン屋を始めたんだ
このパンからパンを料理といっしょに
食べるという楽しみを知ってもらい
パンの世界を広げてもらえたらと思っている
買ってきたパンをそれだけで食べて終わりではなくて
パンをいろいろな料理と合わせて食べてみる
きっと楽しみは広がるだろう
パンの世界が広がることは=
毎日の生活にも広がりが出てくる
になるような気がする
パンを食べるというときだけじゃなくて
もっといろんな面で
広がりが出てくるのではないだろうか
その手始めになれるパンが
さまざまな食事と合わせられる
”ライ麦パン”だ
ライ麦95%のパンをもっと食べてもらえるようにすることが
当面のたのしみ

きょうはライ麦95%の平焼きと
モツ煮込みを合わせてみた
予想以上に相性良し
ライ麦95%なんて食べづらいのじゃないだろうかと思って
敬遠するお客さんが多いけど
料理と合わせて食べるなら
このパンほど食べやすいパンはない

気温が上がってきた割には
良いパンがちょこちょこ出来ている
経験がちょっとだけ活きているのかな
これからも
まだまだパン作りで
うまくいかないことはたくさん起こるだろうけど
いまは誠実に毎日パンを作る続けること
10年20年
作り続けることでしか
見えてこないものがあるのだと思う
だからいまは
うまくいかなくても
焦ることなく
毎日毎日を生きていこう
喜びも
苦しみも
悲しみも
みんないっしょに生きていこう


想像力だけでは
見えないものがある
想像力だけでは
感じられないものがある
想像力だけでは
つかめないものがある
中に入ることでしか
見えないもの
感じられないもの
つかめないもの
それらはすべて自分となって
ときには充実感を
ときには無力感を
ときには喪失感を与えられたりするけれども
そのすべては生きている喜び


本が読める余裕が出てきた
読み始めたのは
翔べイカロスの翼草鹿宏著
ドキュメント綾さん 小沢昭一著
2冊とも面白すぎる
やはり本はいい
もっと時間が欲しい

お昼はライ麦95%のパンに
カマンベールチーズ
酒盗
わさび
うまみとうまみが絡み合って
酒はもっともっとすすむ

ライ麦酵母を使ったパンの作り方を変えて
そろそろ一年
一年のデータがある程度頭に入ったので
すこしは良いパンが作れるようになりそうだ
地震で窯の調子がおかしくなって
それに気づくまでの3年間は
作り方が悪いのだろうと
試行錯誤
まともなパンが出来なかった
蒸気の圧力が強すぎるのに気づき
生地作りを昔に近い形に戻しての一年間は
作りながらデータを取っていく形
(データを取るといっても温度計を使ったりするのではなく
自分の感覚でつかんでいく)
だからうまくいかないことも多かった
キツイ4年間だった
自分にとっては呪われた4年間といってもいいくらいのものだけど
この4年間のなかでつかんだものも多くある
人間には見る角度を変えなければ見えてこないものがあって
でもそれは自分から見る位置を変えてみようということには
なかなかならなくて
生きている流れの中で見る位置が変えられていくのだと思う
だからなんでも来いだ
厄介ごとも
困難なことも
理不尽なことも
なんであろうと自分のすべてで受け止めてやる
人間は弱さも持っているけど
決意さえすれば
ある程度のことは
踏ん張ることが出来るんだ
自分のパン人生はまだまだこれから
どんどんどんどんどんどんどんどん
レベルアップさせていくぜ

今朝はライ麦95%の平焼きパンに
まぐろの酒盗を合わせてみた
酒が
すすむ すすむ
ライ麦95%のパン
自分が思っていた以上にすごいパンかもしれない

今夜はライ麦95%の平焼きパンに
納豆を合わせてみた
細かくちぎったパンを皿に盛り
醤油とわさびをで味付けした納豆を流しかける
黒っぽい色と黒っぽい色で見た目がパッとしないので
大根おろしをかけて彩り添えてみた
直感が当たり
納豆とライ麦95の合性は抜群で
納豆4パックと平焼きパン一枚
小さめの大根半分をぺろりと平らげてしまった
ライ麦95%はそれだけで食べると
もちもちとして玄米のような食感
麻婆豆腐やモツ煮込みなんかも合うかもしれない

先週の突然の暑さで
弱らせてしまった小麦酵母がようやく回復してくれた
小麦酵母は一度調子を崩すとなかなか調子を取り戻してくれない
酵母が良い出来であることが
良いパンをつくるときの大前提
酵母の出来が悪ければ
良いパンが出来ることは100%ないけれど
酵母が良く出来さえすれば
間違ってとんでもなくうまいパンが出来てしまうことだってある

ひとりトレーニングの日々
自分に負けてしまうことは多い
一線を越えるには
勇気
そして
踏ん張り
これからも自分に負けてしまうことはあるだろうけど
明日はがんばるぞーと気持ちを高めて
次の日はがんばってみる
その繰り返しでもいいんじゃないかと思う
続けていくにはそれくらいの余裕をこころに持っていなければ
こころはまいってしまうし
こころから日々を楽しむということは
できないのではないだろうか

ここ2週間くらい
歯車が噛み合っていない
うまくことが運ばないことが何日か続いて
明日はがんばるぞ
来週はがんばるぞと気合を入れてやるのだけど
天候その他もろもろが
次々と襲いかかってくる
でもいままでの経験で
ここで焦ってあたふた動いても
余計空回りするだけなので
いま自分でやるべきことは
いままでやってきたこと
いまやっていることを信じて
日々を重ねていくこと
生きていれば
いいときもあるし
悪いときもある
そのどちらも特別なことではなくて
普通に受け入れていくべきものなんだと思う
いつまで続く人生かはわからないけど
死が訪れるまでは続けていくことになるので
うまくいかないことが起こるたびに
感情を沈ませていたら疲れてしまう

自分自身で抑え付けてしまっているもの
いろいろあるけど
それらのものを
エイヤーッと
どこかに放り投げてしまって
こうなりたいと思っていたけど
なれなかった自分を
深い深い闇の中から
救い出してやろうと思う
過去の人生に
ごめんなと謝って
残りの人生を
自分のこころを大切にし生きていこうと思う

どんなに落ち込んだとしても
最後に行き着くところはいつでも同じ
目の前にはその道しかないんだ
自分をおもいきり生きる
器用ではないし
なにをやってもうまくはできないけど
それだけは自分にだってできる
自分の人生の満足できているかと考えるとき
あるいは人生の最後に満足いく人生だったかと考えるとき
その基準となるのは
結果なんかじゃなくて
やったか
やらなかったか
それだけなのではないだろうか
何十年か生きてきて
これまでの人生を振り返ると
後悔だらけだ
それを気づいたいま
人生はいつだってここからだ
いままでの後悔を
忘れ去らせてくれるくらいの
最高にイカした人生を
送ってやろうとこころに誓う

急に暑くなりだし
パン屋にはいろいろ大変な季節になってきた
店の中も太陽熱と窯の熱で熱気ムンムン
こんな中にできればパンを置いておきたくはないのだけれど
これが日本に生きるということ
避けることはできない
覚悟を決めてやり過ごすしかない
きょうは出前コーヒーの竹林 利朗 氏が予告なしの訪問で
パンを買いに来てくれたお客さんにアイスコーヒーを振舞ってくれた
せっかくの美味しいコーヒーなので
もうすこしゆっくりとコーヒーを楽しんでもらえるような空間を
どうにか工夫して作りたい

5月31日(土)東京代官山蔦屋書店にて
パンのイベントがあります

『パンの漫画』発売記念
『やっぱりパン屋さんが大好き 池田浩明×堀道広 トークショー』
パン屋を巡る旅の映像を観ながらのトーク
なまけもののパン屋の映像も流れるかもしれません
『パンの漫画』には最後の数ページに
なまけもののパン屋が描かれています
トークショー時になまけもののパン屋のパンが
ほんのちょっと試食できるそうです
お申し込みは
http://tsite.jp/daikanyama/ec/tsutaya/103/33714/
パンの研究所 『パンラボ


ひとはみんなさびしさで繋がっているんだ
人間嫌いで通っているひとでも
どんなに強そうに見えるひとでも
心のどこかでひとはひとを求めている
椅子職人たちは
座るひとと繋がりたいから
毎日木を削っているんじゃないだろうか
パン職人は食べるひとが
楽しい時間を過ごせますようにと
毎日せっせとパンをこねる
クラウン達はさびしさや悲しみを知っているから
さびしそうにしているひとや
かなしそうにしているひとを見ると
ほんのひと時でも愉快な気分になってもらえたらと
がんばるんじゃないだろうか
ホスピタルクラウン大棟耕介 - YouTube

ぼくは何歳になっても
このままひとから笑われる存在でありたい
やりたいことが見つかったり
興味があることに出会えば
片っ端から
エイヤーッと飛び込んでいって
ずっこけながら
きょうも
明日もやっていきたい
道化師のソネット - YouTube

子供の頃が味覚の形成には大切な時期だそうです
離乳食の頃から薄味をこころがけ
甘いものはよく食べるからといって
甘いものばかり与えるのは良くないそうです
酸っぱいものや苦いものははじめは食べないそうですが
食べさせているうちに慣れてきて食べるようになるそうです
小さい頃からいろんな味を経験させておく方が良いそうです
そこでパン屋からはオープンサンドをおすすめいたします
工夫次第でいろいろな味が体験できるし
栄養もバランスよく取れる
噛み噛みもできてしまう
そしてなによりうまいしたのしい
オープンサンドにすると良いことがいっぱいあるのだ

シンプルなパンにこだわるのは
買ってきたパンをそのまま食べるのではなく
食べる前に
ひと工夫とひと手間を加えてもらいたいから
ちょっとばかりのひと工夫とひと手間が加わっただけで
生活に楽しさが加わるし
自分で作ったものは何割か増しに美味しく感じるものだ

人間も他の動物と同じように
産まれ
そして死んでいくのみ
何も残すことなく
人間は特別だなんていうのはただの傲慢な考え
ただ人間は他の動物に比べて
脳みそが異常に発達してしまったがために
考え込んだり
悩みこんだり
めんどくさい生き物になってしまったので
産まれて死ぬまでの間に
自分自身で価値を作って
その価値観にしたがって生きていかなければ
生きていけなくなってしまった
だから人間が産まれて死ぬまでの間にやっていることの
すべては人間の勝手のこと
当人が価値があると思い込んでいるだけで
他人や別の生物からみたら何の価値もなくて
ノーベル賞をとろうが
世界一高いビルを建てようが
とてつもなくうまいパンを作ろうが
そんなことは
それに係っているひとが勝手に
価値があると思い込んでいること
    何が正しくて
    何が正しくないか
    そんな答えは存在しないんだ
    何でもありなんだと思う
    ひとに批判されようが
    否定されようが
    馬鹿にされようが
    無視されようが
    何を言われようが
    そんなものはポイッとどこかに
    投げ捨ててしまったっていいんだ
    自分がやりたいようにやっていけばいいん
    ひとからよく見られたい
    格好良く見られたい
    評価されたいと思ったり
    欲張ったり
    自分で苦しくなる方へ持っていっているんだ
人間社会の中で生きていれば
嫌な思いをすることだってあるし
やってらんねえーよってことだってある
でもそんなことを引きずって生きていていても
あっという間に終わってしまう短い人生の貴重な時間を
無駄にすることになるだけだ
人生が短いものだからといっても焦る必要はないのだけれど
きっと焦れば焦るほど自分の望むところと自分との距離は
どんどん離れてしまうだろう
    もし変えたいことがあるなら
    自分自身で変えるしかないんだ
    他人のこころを変えることはできないけど
    自分自身のこころなら変えることができる
    嫌なら気持ちを切り替えるしかないんだ
    過去の囚われなんてどこかに
    ポイッと放り投げてしまって
    焦らずに
    ちょっとずつちょっとずつ進んでいけばいいんだ
    諦めることなく
    「最低のことは全部忘れて
    きょうはたのしく人生は最高だよ」だ
忘れようと努力しても
嫌なことはふと思い出してしまうことがあるけど
思い出してしまったら
また気持ちを切り替えたり
たのしいことを思って忘れてしまえばいい
そう繰り返しながら
こころの傷とは
愛おしく付き合っていくのもありなんじゃないだろうか
    生きるのが辛く 苦しいときもあるけれど
    苦しいなら苦しくないように
    気持ちを変えていくしかない
    自分を変えられるのは自分だけなんだ
    自分の世界に閉じこもったまま
    こころを開かなければ
    何も動き出さない
    苦しめるのもひとだけど
    支えてくれるのもひとなんだ
    大丈夫
    何とかなるさ
とにかく自分を思い切り生きるだけだ
自分にはそれしかできないし
それでいいのだと思う
    苦手なことがあっても
    苦手なことを
    否定する必要なんてないんだと思う
    その癖をを克服しようとするのもありだし
    癖を持ったまま生きていくのもありだし
    生きていくということは
    なんでもありなんだ
逃げるのもあり
ぶつかっていくのもあり
癖に合わせて生きていくのもあり
    規格品のように一ミリの狂いもなく
    みんな同じ形で生きていくのもあり
    自分の癖を持ったままひとりひとりが
    それぞれの形で生きていくのもあり
生きていれば
いろいろある
凍えるような寒さを知らなければ
太陽のありがたみを感じることはできないだろう
苦しみを知らなければ
楽しいとはどんなことかわからない
苦だけではダメだし
楽だけでもダメなんだ
苦もあって
楽もあるから人生は豊かなものになるんだ
     気づかずに落としてしまったハンカチを
     誰かが拾って渡してくれる
     欲張りさえしなければ
     そんなひとつのことだけでも
     生きるって最高だと思えるだろう
     小さい一瞬一瞬を生きる
人間はいろいろとめんどくさいけど
そのめんどくささも含めて
生きることは面白い
     やるべきものが見つかったとき
     人間は輝きだす
     『きょうは良いパン焼くぞ~』
     『きょうは一日楽しく生きるぞ~』
     そんな小さなことでも
     僕は輝いていられる
Mio Matsuda"SAIKO" Associacao Caboverdiana em Lisboa
     

ここ数年
木の魅力に取り憑かれてしまっている
触り心地
温かさ
木目の美しさ
表情を引き立ててくれる入り皮や節
春は東京 山梨 滋賀 静岡 愛知と
材木店 家具店 工房 木工家の個展を
いろいろと見て歩いた
重点的に見たのがテーブル用の板と椅子
栗の木が好きなので
テーブル用の板は栗の少し大きめのものを探していた
栗の大きい板はいまほとんど出回っていないはずなのだけど
ずっと念じ続けていたからだろうか
板を探しに行った三件の店にそれぞれ大きい板
それも自分好みの板が置いてあった
その中からちょっとだけ考えてみて選んだのが
東京南千住泪橋近くの小さな材木屋さんで見つけた
少なくとも20年以上前(先代のころ)から
ずっと売れずに置いてあったという大きな栗の木
玉杢が出ていてしかも虫穴もなしの完全乾燥材
この木が20年以上も売れずに残っていたなんて奇跡だ
しかも価格は当時のまま
いつかお客さんにも使ってもらえると思います
使い捨てのものに囲まれて育った子と
長く使えるものに囲まれて育った子には
違いが生じてくるのじゃないだろうかと思っている
パン屋にパンを買いに来て
木の良さ
日本のもの作り文化を知ってもらうのもありだと思う
 椅子探しの旅も面白かった
職人さんそれぞれがそれぞれの考えを持って
椅子を作っている
職人さんからそういう考えを聞いてから座ってみると
その考えが形となって表現されているので
なるほどなるほどと感心する
いくつか椅子を購入したのだけど
ものは作った方に直接会いに行って買った方がぜったいにいいと思う
作ったひとの顔とこころを知ったら
粗末には扱えないし
買いに行ったときの出来事や出会いというすばらしい物語が買ったものに
加わりより大切なものにしてくれるだろう
 今回の旅でたくさんの椅子に座ってみて
自分にとっての座り心地の良い椅子とはどんなものかということが知ることができた
1.サイズが合っていること
  (膝下の高さ 座面の縦の長さ 腰を支える部分の高さ)
2.背もたれの角度
  (傾きがあるものよりも90度に近い方が
   骨盤が頭 首 背中 腰としっかり支えてくれるので座っているのが楽)
3.腰を支える部分の位置と角度
  (位置と角度が悪いと猫背になってしまったり
   頭が後ろに持っていかれてしまい座っているのが疲れる)

本当に本当に本当にすばらしい文化
本当に本当に本当にすばらしかった文化
効率効率効率の世界とはまったく正反対の世界
いまの日本で生き残っていくには
奇跡が3回くらい続けて起きなくては無理なのだろう
文化も職人も消えていき
のっぺらぼうになったこの国
おそらくひとの顔もこころものっぺらぼうになっていくのだろう
きょうのなまけもののパン屋開店前のBGMは『日本の放浪芸』(小沢昭一)

職人さんから話を聞いたり
職人さんの本を読むのが好きだ
同業にはあまり興味がわかない
自分とは別の世界で生きているひとのはなしが好きだ

庭の草むしり
今年は草の生長が速い気がする
それからどんぐりの発芽率が異常に高い
今年も暑くなりそうなので
蚊が少なく涼しい時期にできるだけ多くの草を抜いておこうと思う
この作業はけっこう好きだ

東京でメアリー・ブラック(アイルランド)のコンサート
Mary Black-Transatlantic Sessions - YouTube
せっかく向こうまで出るので
時間まで静岡で富士山を眺めながらランニング
竹の植物園やクレマチスガーデンがあったのですこし寄ってみた
からだとこころに良い空気を取り込んで
東京へ
会場は東京駅前のCotton Club
30分前に着いたのだけど中はすでに観客でいっぱい
自分より若いひとはほとんどいなかった
客どうしの会話やコンサート中の反応からすると
このほとんどがメアリー・ブラック大好きというひとたちのようだった
このひとが日本でこんなに人気があるなんて知らなかった
生のメアリー・ブラック初体験の第一印象は
『このひとすごい』だった
この第一印象はコンサート終了まで変わらなかった
これまでそれほど多くの歌い手さんを見てきたとはいえないけど
これほどすごい歌い手さんに出会ったことはなかったと思う
人間には見えなかった
何千年もの長い年月立ち続けている大木
あるいは仏像や法隆寺の五重塔と対峙したときと似たものを感じた
すばらしいものを見せてもらった




ひとはみんなさびしさで繋がっているんだ
人間嫌いで通っているひとでも
どんなに強そうに見えるひとでも
心のどこかひとはひとを求めている
椅子職人たちは
座るひとと繋がりたいから
毎日木を削っているんじゃないだろうか
パン職人は食べるひとが
楽しい時間を過ごせますようにと
毎日せっせとパンをこねる
クラウン達はさびしさや悲しみを知っているから
さびしそうにしているひとや
かなしそうにしているひとを見ると
ほんのひと時でも愉快な気分になってもらえたらと
がんばるんじゃないだろうか
ホスピタルクラウン大棟耕介 - YouTube

ぼくは何歳になっても
このままひとから笑われる存在でありたい
やりたいことが見つかったり
興味があることに出会えば
片っ端から
エイヤーッと飛び込んでいって
ずっこけながら
きょうも
明日もやっていきたい
道化師のソネット - YouTube

子供の頃が味覚の形成には大切な時期だそうです
離乳食の頃から薄味をこころがけ
甘いものはよく食べるからといって
甘いものばかり与えるのは良くないそうです
酸っぱいものや苦いものははじめは食べないそうですが
食べさせているうちに慣れてきて食べるようになるそうです
小さい頃からいろんな味を経験させておく方が良いそうです
そこでパン屋からはオープンサンドをおすすめいたします
工夫次第でいろいろな味が体験できるし
栄養もバランスよく取れる
噛み噛みもできてしまう
そしてなによりうまいしたのしい
オープンサンドは良いこといっぱいなのだ

シンプルなパンにこだわるのは
買ってきたパンをそのまま食べるのではなく
食べる前に
ひと工夫とひと手間を加えてもらいたいから
ちょっとばかりのひと工夫とひと手間が加わっただけで
生活に楽しさが加わるし
自分で作ったものは何割か増しに美味しく感じるものだ

人間も他の動物と同じように
産まれ
そして死んでいくのみ
何も残すことなく
人間は特別だなんていうのはただの傲慢な考え
ただ人間は他の動物に比べて
脳みそが異常に発達してしまったがために
考え込んだり
悩みこんだり
めんどくさい生き物になってしまったので
産まれて死ぬまでの間に
自分自身で価値を作って
その価値観にしたがって生きていかなければ
生きていけなくなってしまった
だから人間が産まれて死ぬまでの間にやっていることの
すべては人間の勝手のこと
当人が価値があると思い込んでいるだけで
他人や別の生物からみたら何の価値もなくて
ノーベル賞をとろうが
世界一高いビルを建てようが
とてつもなくうまいパンを作ろうが
そんなことは
それに係っているひとが勝手に
価値があると思い込んでいること
    何が正しくて
    何が正しくないか
    そんな答えは存在しないんだ
    何でもありなんだと思う
    ひとに批判されようが
    否定されようが
    馬鹿にされようが
    無視されようが
    何を言われようが
    そんなものはポイッとどこかに
    投げ捨ててしまったっていいんだ
    自分がやりたいようにやっていけばいいん
    ひとからよく見られたい
    格好良く見られたい
    評価されたいと思ったり
    欲張ったり
    自分で苦しくなる方へ持っていっているんだ
人間社会の中で生きていれば
嫌な思いをすることだってあるし
やってらんねえーよってことだってある
でもそんなことを引きずって生きていていても
あっという間に終わってしまう短い人生の貴重な時間を
無駄にすることになるだけだ
人生が短いものだからといっても焦る必要はないのだけれど
きっと焦れば焦るほど自分の望むところと自分との距離は
どんどん離れてしまうだろう
    もし変えたいことがあるなら
    自分自身で変えるしかないんだ
    他人のこころを変えることはできないけど
    自分自身のこころなら変えることができる
    嫌なら気持ちを切り替えるしかないんだ
    過去の囚われなんてどこかに
    ポイッと放り投げてしまって
    焦らずに
    ちょっとずつちょっとずつ進んでいけばいいんだ
    諦めることなく
    「最低のことは全部忘れて
    きょうはたのしく人生は最高だよ」だ
忘れようと努力しても
嫌なことはふと思い出してしまうことがあるけど
思い出してしまったら
また気持ちを切り替えたり
たのしいことを思って忘れてしまえばいい
そう繰り返しながら
こころの傷とは
愛おしく付き合っていくのもありなんじゃないだろうか
    生きるのが辛く 苦しいときもあるけれど
    苦しいなら苦しくないように
    気持ちを変えていくしかない
    自分を変えられるのは自分だけなんだ
    自分の世界に閉じこもったまま
    こころを開かなければ
    何も動き出さない
    苦しめるのもひとだけど
    支えてくれるのもひとなんだ
    大丈夫
    何とかなるさ
とにかく自分を思い切り生きるだけだ
自分にはそれしかできないし
それでいいのだと思う
    苦手なことがあっても
    苦手なことを
    否定する必要なんてないんだと思う
    その癖をを克服しようとするのもありだし
    癖を持ったまま生きていくのもありだし
    生きていくということは
    なんでもありなんだ
逃げるのもあり
ぶつかっていくのもあり
癖に合わせて生きていくのもあり
    規格品のように一ミリの狂いもなく
    みんな同じ形で生きていくのもあり
    自分の癖を持ったままひとりひとりが
    それぞれの形で生きていくのもあり
生きていれば
いろいろある
凍えるような寒さを知らなければ
太陽のありがたみを感じることはできないだろう
苦しみを知らなければ
楽しいとはどんなことかわからない
苦だけではダメだし
楽だけでもダメなんだ
苦もあって
楽もあるから人生は豊かなものになるんだ
     気づかずに落としてしまったハンカチを
     誰かが拾って渡してくれる
     欲張りさえしなければ
     そんなひとつのことだけでも
     生きるって最高だと思えるだろう
     小さい一瞬一瞬を生きる
人間はいろいろとめんどくさいけど
そのめんどくささも含めて
生きることは面白い
     やるべきものが見つかったとき
     人間は輝きだす
     『きょうは良いパン焼くぞ~』
     『きょうは一日楽しく生きるぞ~』
     そんな小さなことでも
     僕は輝いていられる
Mio Matsuda"SAIKO" Associacao Caboverdiana em Lisboa
     

ここ数年
木の魅力に取り憑かれてしまっている
触り心地
温かさ
木目の美しさ
表情を引き立ててくれる入り皮や節
春は東京 山梨 滋賀 静岡 愛知と
材木店 家具店 工房 木工家の個展を
いろいろと見て歩いた
重点的に見たのがテーブル用の板と椅子
栗の木が好きなので
テーブル用の板は栗の少し大きめのものを探していた
栗の大きい板はいまほとんど出回っていないはずなのだけど
ずっと念じ続けていたからだろうか
板を探しに行った三件の店にそれぞれ大きい板
それも自分好みの板が置いてあった
その中からちょっとだけ考えてみて選んだのが
東京南千住泪橋近くの小さな材木屋さんで見つけた
少なくとも20年以上前(先代のころ)から
ずっと売れずに置いてあったという大きな栗の木
玉杢が出ていてしかも虫穴もなしの完全乾燥材
この木が20年以上も売れずに残っていたなんて奇跡だ
しかも価格は当時のまま
いつかお客さんにも使ってもらえると思います
使い捨てのものに囲まれて育った子と
長く使えるものに囲まれて育った子には
違いが生じてくるのじゃないだろうかと思っている
パン屋にパンを買いに来て
木の良さ
日本のもの作り文化を知ってもらうのもありだと思う
 椅子探しの旅も面白かった
職人さんそれぞれがそれぞれの考えを持って
椅子を作っている
職人さんからそういう考えを聞いてから座ってみると
その考えが形となって表現されているので
なるほどなるほどと感心する
いくつか椅子を購入したのだけど
ものは作った方に直接会いに行って買った方がぜったいにいいと思う
作ったひとの顔とこころを知ったら
粗末には扱えないし
買いに行ったときの出来事や出会いというすばらしい物語が買ったものに
加わりより大切なものにしてくれるだろう
 今回の旅でたくさんの椅子に座ってみて
自分にとっての座り心地の良い椅子とはどんなものかということが知ることができた
1.サイズが合っていること
  (膝下の高さ 座面の縦の長さ 腰を支える部分の高さ)
2.背もたれの角度
  (傾きがあるものよりも90度に近い方が
   骨盤が頭 首 背中 腰としっかり支えてくれるので座っているのが楽)
3.腰を支える部分の位置と角度
  (位置と角度が悪いと猫背になってしまったり
   頭が後ろに持っていかれてしまい座っているのが疲れる)

本当に本当に本当にすばらしい文化
本当に本当に本当にすばらしかった文化
効率効率効率の世界とはまったく正反対の世界
いまの日本で生き残っていくには
奇跡が3回くらい続けて起きなくては無理なのだろう
文化も職人も消えていき
のっぺらぼうになったこの国
おそらくひとの顔もこころものっぺらぼうになっていくのだろう
きょうのなまけもののパン屋開店前のBGMは『日本の放浪芸』(小沢昭一)

職人さんから話を聞いたり
職人さんの本を読むのが好きだ
同業にはあまり興味がわかない
自分とは別の世界で生きているひとのはなしが好きだ

庭の草むしり
今年は草の生長が速い気がする
それからどんぐりの発芽率が異常に高い
今年も暑くなりそうなので
蚊が少なく涼しい時期にできるだけ多くの草を抜いておこうと思う
この作業はけっこう好きだ

東京でメアリー・ブラック(アイルランド)のコンサート
Mary Black-Transatlantic Sessions - YouTube
せっかく向こうまで出るので
時間まで静岡で富士山を眺めながらランニング
竹の植物園やクレマチスガーデンがあったのですこし寄ってみた
からだとこころに良い空気を取り込んで
東京へ
会場は東京駅前のCotton Club
30分前に着いたのだけど中はすでに観客でいっぱい
自分より若いひとはほとんどいなかった
客どうしの会話やコンサート中の反応からすると
このほとんどがメアリー・ブラック大好きというひとたちのようだった
このひとが日本でこんなに人気があるなんて知らなかった
生のメアリー・ブラック初体験の第一印象は
『このひとすごい』だった
この第一印象はコンサート終了まで変わらなかった
これまでそれほど多くの歌い手さんを見てきたとはいえないけど
これほどすごい歌い手さんに出会ったことはなかったと思う
人間には見えなかった
何千年もの長い年月立ち続けている大木
あるいは仏像や法隆寺の五重塔と対峙したときと似たものを感じた
すばらしいものを見せてもらった


パン作りで大切なことは技術よりも見極めだと思う
作り手の技術がなくても
酵母菌は自分で勝手に動き回ってくれる
動き回っている中でパンにする場合に
いちばんうまい瞬間というものがあって(作り手の好みだけど)
そこを作り手が見極められるかどうか
その見極めを一生かけて身につけることが
パン職人のすべてなのではないだろうか

スマートな生き方よりも
泥の中
足をとられて
転んだり
這いつくばりながら
やっとの思いで前に進んでいくような生き方がしたい
そういう中で生きた方がより生を感じられる気がする

傷つきたくないと思えば
飛び込めなくなるけど
どんどん傷ついてやろうじゃねえかとこころに決めれば
どんなところにも飛び込んでいける
  失敗したくないと思えば
  硬くなっていつものように振舞えなくなるけど
  どんどん失敗してやろうじゃねえかとこころに決めれば
  おもいきって動くことができる
明日時間通りに起きられるかなと心配したまま布団に入れば
なかなか寝付けなかったり
何度も目が覚めてしまったりと良い眠りが取れないことが多いけど
寝坊してもいいやとこころに決めて布団に入れば
寝坊はするかもしれないけど
ぐっすりと眠ることができる
 森で出会った熊に
 「逃げろ」と言われたとき
 熊は逃げると追いかけてくる習性があるから嫌だなあと思いながらも
 怖いから逃げてしまえばやはり追いかけられることになるけど
 怖くても喰いたきゃ喰いやがれと立ち止まって熊をにらみつければ
 熊はつまんねえナーとつぶやいて行ってしまい
 命が助かることもあるかもしれない

ヒグマに追われる釣り人 - YouTube


失敗ごときで
やりたいことやめられっかよ
うまくできないからこそ
できるようにしたくなるんだ

夏はパンがうまくできないことの方が多い
でもだからこそ
夏を克服したいと思って
夏休みもとらず
汗を流しフラフラになりながらも
毎日パンを作るんだ
パン作りははやればやるほど
わからなくなってくる
やればやるほど難しくなってくる
だからこそ
作り続けられるんだ


無理に世の中に合わせなくたっていいんじゃないだろうか
やりたいのならやればいいし
やりたくないのならやらなくていいんじゃないか
できないならできないでもいいのだし
できるようにしたいならできるようにすればいい
それでいいじゃん
小学と中学の通信簿には協調性がないと書かれ続けたけど
自分には協調性が大切なものとは思えないし
これからも協調性のある人間になるつもりはない
同じく通信簿には積極性がないと書かれ続けたけど
そんなのは余計なお世話だ
それから忘れ物が多いとも書かれ続けたけれども
俺だって治せるもんなら治したいよ
直すべきものと直さなくてもいいものがあるし
直したいものと直したくないものもある
直せるものと直せないものだってあるんだ
力のある人間できる人間だけが甘汁吸えて
力のない人間できない人間は排除されてしまういまのこの国で
ずっと排除され続けてきた人間が『絆』だと言われて
はいそうですねと言えるだろうか
みんな仲良く手をつなぎましょうと言われて
いまさら手をつなぐことができるだろうか
この世の中に自分のやっていることが正しいことだと言い切れる人がいるのだろうか
それなのに右左右左足並みそろえて1 2 3でいいのだろうか

重いものを持とうとして
腰を痛めた
パン作りはきついのだけど
なぜかこういうときの方が良いパンが焼けてしまう
そして良いパンが焼けたときほど
お客さんが来ないのだ
だから良いパンはお客さんじゃなく
いつも自分が食べるはめになってしまう

今朝はいただいた缶詰マグロを
1917(山型食パン)に挟んで食べた
ほんのひと手間かけただけで
パンが活きてくる
自分が思うパン
自分が作りたいパンは
こんなパン

ゴールデンウィークはお客さんが来る日と来ない日で波があるのだけど
今年は11日間ほとんど波が無くたくさんのお客さんと出会いがあった
相変わらず自分はお客さんの顔を覚えていないのだけど
毎日がすばらしく楽しい夢のような日々だった
この感謝の気持ちをうまいパンを作ることで返していきたいのだけど
それにはまだまだ長い月日がかかりそうなので
その前に
ホッとできて
ゆったりとできて
愉快になれる空間を作ることで恩返しをしていこうと思っている
まずは自分が出会った良いものがドーンと置いてある空間をつくってみようと思う
長い時間座っていたくなってしまう座り心地の良い椅子も
思わずほっぺが緩んでしまう木のおもちゃも
どんどん読み進めたくなってしまう面白い本も
世界中にある素敵な音楽も
良いものはひとりで楽しんでいるよりも
みんなで楽しんだ方がいいに決まっているもんね
店をはじめてからは物を選ぶときの判断基準がほとんど
店におけるだろうか
お客さんが喜ぶだろうかになっていたので
10数年で面白いものがかなりの数集まったと思う
これからすこしずつ登場させていくので
ご期待を

パンの通販をやめたのは
名前しか知らないひとにパンを送り続けるという行為にむなしさを感じたこと
パンは手渡しをしたいなと思ったこと
販売をしながら荷作りをしなければならないから
宅急便の集荷時間が気になって
お客さんとの対応がおろそかになること
店にしっかりパンを並べておきたいと思ったこと
目指しているのはあなたの街のあなたのパン屋であるから
それをこれからすこしづつ形にしていきたい

ナッツやフルーツなど新しい素材を付け加えながら
パンを進化させていくのではなくて
いまあるパンからそぎ落とせるものをそぎ落としながら
パンを進化させていきたい
それから酵母菌が気持ちよく動くという行為を
作り手である自分がまだまだ邪魔をしているところがあると思うので
そのあたりも削り取っていければと思っている



仕事が終わった後のランニングがだんだん苦しくなってきた
からだが重いし
足が動いてくれない
暗くて気分も上がってこない
布団に入って横になりたいという思いが頭の中とこころの中を
ぐるぐるぐるぐる回りだす
だから『ぶっ壊せ』『ぶっ壊せ』と呪文を唱えながら
なんとか毎日走っているよ

自分で作ったものなのか
もともとあるものなのか
目の前にある扉は
ぶっ壊してしまわなければ
新しい風は入ってこないし
自分の中にある澱んでしまった空気は出て行かない
自分自身だってそこから前へは進めない
目の前に障害物があるなら
自分自身でどけなければ
なにも動き出しはしない
ただ立ち止まって考えているだけでは
命だけが削られていくだけだ
なにかやろうと思ったなら
とにかく動くだけだ
動きながら
判断して
決断して
道を進むだけだ
転んでも
崖から落ちても
立ち上がり
這い上がりながら
何かを掴み取って
道を進むだけだ

きょうは朝早くからランニング
だいぶ気温が上がってきたようで
朝でも長袖長ズボンではからだが熱く感じた
その後犬と散歩した頃には疲れを感じるくらいに暑くなっていた
栃木県は名前に木が入っているというのに
木が少ない
木陰がないので犬といっしょにフラフラになりながら歩いた
家に着いて緑の葉っぱたちが揺らめいているのを見たときはホッとした
ハンモックでしばしの休憩
やっぱり朝から行動すると
その流れでその日は行動の日となって
一日を充実感を持って終えることができる

駐車場から店までのアプローチは10mもないのだけど
森を抜けたらパン屋があったみたいにしたかったので
数年前からせっせと木や花を植えていた
そこが今年の春になってようやく森っぽくなってきたかな

CDはもうほぼ一生分買ってしまったし
本もほぼ一生分買ってしまった
植物も一生分買ってしまった
服も体型さえ変わらなければほぼ一生分ある
興味があるととにかく満足するまでバーッと買ってしまう性格で
女性から見たら理解できない買い方をしているかもしれないけど
底なしではなくて満足できるような底のある器は持っている
CDも本も植物も
もういいや
もう十分っていう感じになっている
あと3年くらいすれば買いたいと思うものは
ほぼ無いくらいの状態になってくるのじゃないだろうか
あとは店で履いている靴が真っ黒なので
靴が一足と
穴あきのズボンばかりなので
ズボンが2、3本
思い描いている空間を作るために
椅子が数個と
小さい木の玉が数千個
そんなところだと思う
車の免許はこれから先も取るつもりはないから車を買うこともないし
飛行機に乗るのは怖いから海外旅行に行くこともないし
家を建てるほどのお金をこれから先どれだけ働いても
稼ぐことはできないから家を建てることもない





夢は道化師になること
子供でもあり
大人でもあり
男性でもあり
女性でもある
さびしさや悲しみを抱えたひとを
ただ存在しているだけでほんのひと時でも
愉快にしてしまう
そんな道化師になりたいと思っていたら
目の前に道化師が現れて
ぼくに愉快なひと時をプレゼントしてくれた
井崎正治の塩津村だより 顔たち
いつもあっちこっち動き回っていて
どこにいるかわからない奴だけど
なまけもののパン屋に来れば
会えるときがあるかもしれません
名前は産みの親から一字いただいて
おっちょこちょいの正といいます
会いに来てね

河口湖でようやく見つけた営業している食べ物屋さん
少し離れたお隣には観光客が喜びそうな
洒落た店構えのパン屋さんがあったけど
この店は観光に来た若者の99%は
素通りしてしまうだろうくたびれた建物
80歳前後の夫婦ふたりで切り盛りしている
注文してから料理が出てくるまで
30分以上はかかってしまう店なんだけど
出てくる料理もものすごく地味なんだけど
皿もコップもまったく洒落てはいないのだけど
出された料理を口にすると
そんなことは全部どうでもいいことなんだと思えてしまう
ホッとする味
ふたりの何十年もの歴史がこの建物に
この料理に詰まっているんだな
自分も大好きなパン屋の仕事を
やれているんだという幸せを日々噛み締めながら
長く長くこの仕事を続けていこうと思った 
ホッとする味
いつか自分も到達してみたい
スローライフということがどういうことなのか
この店に来てはじめてわかった気がする
アンダンテ [short ver.]-浜田真理子 - YouTube

こころで仕事をしているひとには
情がある
損得抜きのところを持っている
きっとそういうひとのところには
良い縁がめぐってくるから
幸福感を持ちながら生きていけるのではないだろうか
その前に
こころで仕事をしている段階で幸福か

商売でも
ひとと接するときでも
打算的であってはいけないんだ
そのまんま
人間として
普通にぶつかっていけばいいんだ
こころと
こころのぶつかり合い
あなたへ - 浜田 真理子 - YouTube

いつだって
どんなときだって
人生はここからだ
何か始めるのに
遅すぎるということなし
すべてのひとがチャンピオンや金メダルを目指すことはないんだ
やれている喜びを噛み締めながら
日々を生きていけばいい
うまくいかないことがあったって
いつだって
どんなときだって
またゼロからはじめればいいんだ
何度でも何度でも
ぶつかっていって
ぶつかっていって
たとえぺっちゃんこになったとしても
それでも這いつくばってでも
ぶつかっていってやる
はためいて-浜田真理子 - YouTube

河口湖駅から湖に向かう途中にあったコロッケ屋さん
気になったけどまだ走り始めて3分
目的の場所があるのでまだ走らなければならないので
そのまま通り過ぎた
用事を済ませて駅へと向かっているとき
こころがしつこく行け行け言うので
お店を見つけて暖簾をくぐった
これが大当たり
おっちゃんが良かった
注文とってから揚げてくれるコロッケ屋さんなんだけど
「パンクしちゃったから」と言って
新聞紙でくるんだ揚げ立てコロッケをひとつ渡してくれたが
パンクしているようには見えない
うまかったのでむしゃむしゃ食べていると
「揚げ立てはうまいでしょ」と嬉しそうに聞いてくる
この声とこのおっちゃんの顔を見て
絶対パンクしたコロッケじゃないな
揚げ立てを食べさせたかったんだなと確信した
こういう損得抜きの場所で生きているひとには魅かれてしまう
コロッケ一個 70円
アジフライ一個110円
白身魚のフライ一個110円
なんかどこかのパン屋みたいだ
しかも商品を経木で包んでいる
店の壁にはおっちゃんのお父さんが取ったという富士山の写真と
コロッケばあちゃんいつもありがとう 
○○中学校音楽部という賞状が掛けられている
なんかいいなあ
目指すはこういうお店だと思った
コロッケを買って店を出たところで
コロッケばあちゃんとすれ違った
コロッケばあちゃんという顔をしていたのでうれしかった

ずっと行ってみたかった東京おもちゃ美術館に行ってきた
東京おもちゃ美術館 - 日本グッド・トイ委員会
子供たちが遊んでいるおもちゃを奪い取るわけにもいかないので
大人の男性ひとりで行っても
そんなに遊べないだろうなと思っていたが
美術館スタッフの皆さんがいろいろ面倒を見てくれたので
楽しい時間を過ごすことができた
おもちゃ美術館に行きたかったいちばんの理由は
『木の砂場』を体感したかったから
イベントなどに行くと
プールの中にゴムボールがいっぱい入っている遊び場があるけど
『木の砂場』はゴムボールの替りに球状の木がいっぱい入っている
美術館スタッフに促されて子供たちといっしょに囲いの中に入ってみると
想像していた以上の心地よさ
木に埋もれていると
とても安心する
木が「大丈夫だよ」と包み込んで守ってくれているように感じた


新宿から高速バスで1時間45分
本を読んでいたらあっという間に着いてしまった
河口湖は思っていたよりもだいぶ近かった
桜は満開
分厚い雲がかかって富士山のすその部分しか見えなかったけど
3組の素敵な人たちに出会えた
走りながら立ち寄った場所は3箇所
そのそれぞれのところで素敵なひとたちに出会えたのは
河口湖には素敵なひとばかりが住み着いているのか
それとも自分の運が良かったのか
いつかまたこの3組のすてきなひとたちに会いに行ってみたい

感謝の気持ちを忘れずにいることは難しいことだけど
多くの物事に
ありがとうと
感謝できるようになれれば
ありがとうの分だけ大切なものができてくる
ありがとうと思えているときは
時間も
人生も
ひとのことも
植物のことも
動物のことも
太陽のことも
大切に思い生きることができる
その大切なものが多ければ多いほど
人生は豊かになっていくのじゃないだろうか


京都の帰り蒲郡にある家具工房に寄った
井崎正治の塩津村だより
奥さんに
お茶をご馳走になり
コーヒーをご馳走になりながら
2時間近く長居してしまった
井崎さんは50年近く木の仕事をしてきたそうで
木の仕事をしている幸福感 喜びががからだがらあふれ出ていた
たくさんの話を聞いた後に井崎さんの作った家具や木彫りを眺めてみると
何年も何年も物を作っていくうちにいろんなものがそぎ落とされてきて
作ったひとの人間そのものが形となって産み落とされていくようになるのかなと思った
自分もいつかそんなパンが作れるようになるかなあ
井崎さんのところには現在4人の塾生がいて
それぞれが井崎さんの作った家具との出会いがきっかけとなって
井崎さんに木工を教わるようになったそうだ
塾にいられる期間は2年間そこで必死になって勉強して
独立することになっている
それを聞いたときに出会いが人生を変えてしまうことがあるんだなあと思ったけど
正確にはさまざまな出会いがひとを人生を作っていくのではないだろうか
親方と時間を共にし親方の姿を見て芽生えたものが
独立してやっていくうちにすこしずつ花を開かせていき
いっしょに学んだ仲間たちががんばっている姿をこころの支えにしながら
やがて一本の大きな木へと育っていくのだろうな
旅の最後に最高に楽しいひと時をいただいた
工房をお邪魔してから
工房から1kmちょっとのところにある竹島に行ってきた
竹島には何年か前に行ったことがあって
そのときの日記にまた行くことがあったら
ここでもっとゆっくりと過ごしてみたいと書いた記憶があるのだけど
おそらくもう行くことはないだろうとも思っていた
でも呼ばれてしまったんだなあ
この島に
この海に
ここで暮らす人々に
沈み行く夕日をうっとりと眺めてから
島を一周して戻る間に
若者が3人
それぞれの場所に立ち海を眺め
ひとりの世界に浸っていた
自分も含めて4人の男が
このそう広くはない島で同じ時間に
同じ海を見ながらひとりの世界に浸っていたことになる
竹島から眺める海と夕日はひとをそうさせてしまう美しさを持っている

寄り道をしながらだったので
京都に着いたのは夕方の5時頃
まだ陽があったので
京都御苑 梨木神社 賀茂川 下賀茂神社 上賀茂神社とランニングでまわってみた
はじめての道 よく知らない道を走るときは
ワクワクしていくらでも走れてしまう
京都にはたくさんの花や大きな木があり
気持ちの良いランニングができた
二日目は嵯峨野へ
このあたりは京都でもホッとできる場所
昔読んだ『桜のいのち 庭のこころ』という本で知った佐野藤右衛門さんの庭を見学
こんなに桜には種類があるんだとびっくり
二日間だけだったけど思う存分走ることができた
いつものことで
道にはよく迷ったけど
京都へ行ったら道に迷うべきだ
京都は迷えば迷うほどすてきな風景に出会える場所だ

野球ですべての打席でヒットが打てないように
パンも毎回毎回良いパンを作ることはできない
陶芸のように窯から出てきたものを見て
すぐに良いか悪いか判断できるものではなく
天然酵母のパン特にライ麦のパンは
少し時間がたってから食べてみてはじめて良し悪しがわかるものだから
売ってしまってから変なもの売ってしまったなあということが良くある
それでもまた買いに来てくれるお客さんに
良いパンを作らなくちゃと思う
その思いが自分のパン作りを成長させてくれるのだけど
だからといって急激に成長させることなんてできなくて
思いは強けれど
その強さに見合うほどの成長はしてくれない
それはそれでこころ苦しいことではあるのだけど
なかなかうまくはいかなくても
パンがよりうまくなることを目指してやっていくだけだし
それしかないんだ

大雪で停電になった日
窯が使えなくなってパンを焼くことができない自分に
人間としての小ささを感じた
電気がなければパンが作れない自分に
人間として力が備わっていないことを感じた

機械に頼って作っているときには見えないものってあると思う
暑い夏に機械を使って低温で発酵させて良いパンが作れたとしても
パンのことをわかったということにならない
この暑さの中でパン生地がどれくらいの生地温度で
どれくらいの時間耐えられるのか
そういうことをすこしずつでも知りながら
自分はパンを作っていきたい

電車の中で「名古屋はまだですか」と70代くらいの女性に尋ねられた
名古屋から新幹線に乗ることになっているそうなのだけど
その電車は名古屋行きとは逆方向に進んでいる電車だった
女性は次の駅で降りて駅員に事情を話したら
どこかの駅まで行くか戻るかするように
駅員に言われてそうすることにしたのだけど
駅員はいま降りた駅までの乗り越し賃とこれから向かう駅までの
料金を払えと言っている
切符を買いに行った女性が「いくらの切符買えばいいんでしたっけ」という尋ねに
めんどくさそうに答える駅員
その様子を見ていて
JRを利用して嫌な思いをした数々を思い出してしまった
「ああ お金はいいよ」で済まされる社会ではもうなくなってきてしまった
この国全体があまりにもキッチリ キッチリの社会になりすぎてしまった
ちょっとでもキッチリから外れれば許されない社会
からだだけでなくこころまで機械になりかかっている
宅配の荷物がキッチリ時間通りに届くことが
当たり前と思い込んでしまっている社会
道がしっかりと整備されていて
大雨が降っても靴が汚れることなく歩けることが
当たり前と思い込んでいる社会
インターネットの中では評価 評価 評価でいっぱいだ

今夜はライ麦80%のパン(ひまわり)に
つぶしたゆで卵とセロリ(味付けは塩 ブラックペッパー)をのせて食べる
予想外の不思議な食感

来週は京都
再来週は河口湖
気分転換に場所を変えて走ってこようと思う
植藤造園
京都ではまだ桜が咲いているところがあるようなので楽しみだ
来週は木曜日か金曜日あたりには店を開けられそうです

きょうは最高のランニング日和
親園の川の土手を走っていたら
少し前にすれ違った対岸から追ってきたのでまいてやった
どうしてもパトカーや警察官を見ると目が釣りあがってしまうので
トラブル回避だ
今週は月曜日火曜日水曜日と長い距離走れたので
からだが軽い
軽くなったらからだがおもしろいように動いてくれる
これだけ動いてくれるのは久しぶりなのでうれしくなって
トレーニングがなかなかやめられない
夜やろうと思っていたシャドーボクシングとサンドバック打ち
ぴょんぴょんジャンプ スクワット
絶好調~
昼は菜花とゴマと生姜を炒め塩パラパラ
ライ麦80%の平焼きに生ハムといっしょにはさんで食べる
ここ数年ぜんぜん太らないのはライ麦パンのせいだろうか


昨日の朝はライ麦95%に目玉焼きとキムチを合わせ
昼はライ麦95%に炒めた菜花を合わせ
夜はライ麦95%にクリームチーズと焼いた鶏肉をのせて食べた
今朝はライ麦80%を御わんにちぎり入れレーズンとレモンの皮を散らして
蜂蜜少々と牛乳をかけて食べた
からだの調子良好

今夜はレンコンとこんにゃくのきんぴらをライ麦95%のパンに合わせてみた
かなり幅広い料理や食材と合わせられるのがライ麦パンのすごさ

パンを作るときに使っている機械はカマとホイロのふたつ
ミキサーも冷蔵庫もドゥコンディショナーも製氷機も無し
いまこれだけ機械を使わないでやっているパン屋は
いまの日本にそれほどないだろう
この条件で一年間を通してパンを作ることは
非常難しいことだけど
その分困難な問題をひとつひとつクリアしていく面白さがある
ここまできたら最後までこれで行ってみようと思う
カマもマキで焚けばもっと面白いだろうけど
マキのカマを使いこなすには
あと一生あっても足りそうもないので
やめておこう

きょうはライ麦95%のパンを味噌と合わせてみた
発酵食品と発酵食品の組み合わせって相性がいいものが多いと思う
ライ麦パンと味噌の組み合わせももちろんうまかった
鶏肉と長ネギ 茄子とゴマ しょうがを油でいためて
調味料は味噌 しょうゆ オイスターソース 塩 七味唐辛子
最後にちょっととろみをつける
今回はオープンサンドではなくて
お椀にパンをちぎり入れて
その上に肉茄子味噌炒めを流し入れて食べてみた
こういう食べ方の方が具をポロポロ落とすことなく食べられるし
パンの上ではすこししか乗せられない料理を大量に食べることができる
それから水分の多い料理とでもいっしょに食べられる
オープンサンドよりも入りやすいかもしれない
こういう食べ方をもあるということをお客さんに伝えていくことにしよう

これから先
職人という生き物は急激に減っていくのだろう
機械やコンピューターに仕事を奪われ
人間は機械やコンピューターの補助役だ
生きがいというものもなくなってくるだろう
人間として持っている能力を使いながら
困難に立ち向かい
技を高めていくということが
職人という生き物の生きがいなんじゃないかと思う
それを奪われたら職人は職人でなくなってしまうだろう
工事が始まったと思ったら
数日後には家が建っていて人が住んでいるという
最近の大工仕事を見るたびに
この国のすばらしい大工仕事の技術が
これから先
受け継がれることなく
消え去ってしまうことの悲しさを感じてしまう
人間が生きていくうえでいちばん大切な生きがいというものを
奪われてしまった人間はどこに向かえばいいのだろうか

自分の頭で考え
自分のからだを使って動く
それが人間として生きているものの喜びではないかと思う
だからパンはできるだけシンプルなものにして
その喜びが感じられる余地を残しておくべきだというのが自分の考え
食べるひと自身がどう食べるかを考え工夫し
ひと手間加えて食べてみた方が人生は楽しくなるし
食事もうまい

新しいおもちゃがやってきた
今回のおもちゃは
大人にも子供にも受けがよく
みんな夢中になって遊んでいる
遊んでいるひとの顔を見ると
木のおもちゃの力ってすごいと思う
金土日となかなか良いパンが焼けた
今週は遠方のお客さんが多かった
遠くからの方も
近くの方も
おかげさまで
今週も楽しいひと時を過ごすことができました
感謝
4月14日(月)からすこし休むことになるかもしれません

ライ麦95%のパンは
思っていたより好評だ
クリームチーズとキムチの組み合わせなんかでも食べられてしまう
すごいパンだ
お通じもよくなるありがたいパン
名づけて
『便秘知らず』
好評発売中です

自分は空間が作りたいんだなあということがわかってきた
来てくれたひとが楽しんでもらえる空間というのがベースで
気取ったとこがなくのんびりとくつろいでもらえる空間
ひとりできてもくつろげ落ち着ける空間
木に囲まれた空間
椅子がいっぱいある空間
おもちゃのある空間
本がいっぱいある空間
庭は花や樹木で覆われた空間
パンが売られている空間
食事ができほんの少しお酒が飲める空間
お茶が飲める空間
少しずつ形にしていこうと思う

このあたりでは
買ってきたパンをひと手間かけて
サンドウィッチにして食べるという習慣はあまりないし
ライ麦のパンもあまり売っていない
レストランやカフェに行けば出てくるのは
決まって焼き直ししたバゲットだ
なかなか売れないとしても
シンプルなライ麦パンを作り続けていかなければならないと思う
味覚の狂ったひとに合わせてお子様ランチのようなパンを作ったり
買ったパンをそのまま食べてしまうひとに合わせて
そのまま食べられるようなパンを作ってしまっては
お互いに成長できない
お客さんに育てられながらお客さんを育てる
育てると育てられるの関係は
育てるだけでは終わらないし
育てられただけでは終わらないものだと思う
育てられ育つという関係を築いていくことが
職人が生き延びていくため絶対の条件ではないだろうか
やることが難しいことでも
挑み続けなければならないんだ

なるべく機械に頼らないパン作りをしたいと思っている
夏には夏を感じながら
冬には冬を感じながら
機械を使って低温で発酵させる方法は生地もしっかり繋がるし
寝てる間に発酵させられたりと便利ではあるけど
こころまで機械に変えてしまうような感じがあるので
やろうとは思わない
便利便利に浸っていれば
生きていくおもしろさを失ってしまうし
人間の持っている能力を失うことになるだろう
機械のように
きっちり
きっちりの仕事はできないけど
人間味あふれるパンを作りたいんだ
機械任せでは知ることができない
パンのことをもっともっともっと知りたい
星野哲郎みたいなパンが焼きたいんだ
くたばれプロメシューム!

999 : 惑星メーテル - YouTube

おもちゃがなぜか増えてきているので
気持ちがのっている勢いで
おもちゃ広場を作ってみた
ただでさえ
椅子やテーブルが増えて
人間がいる場所がなくなっているのに
そこに広場なんて
と思われるかもしれないが
はたして
どんなことになっているでしょうか
来てからのお楽しみなのだ

きょうはパンの値札を作ってみた
仕事に関する限り
パンを作るじょと以外のことは
やろうと思っても
重い腰がなかなか動かなくて
思い立っても1年2年
なんてことはざらなんだけど
腰が上げられたということは
こころの方が
のっている証拠だろう
たしかにいま
ちょっと行動的になっている
気候もいいし
旅行にでも行ってこようかな

庭の花が少しずつ
開き出した
今週末頃には
利休梅も咲き出すかもしれない
桜が散ってからが
春本番
今年の庭はどんな姿を見せてくれるだろう

腰痛や疲れでしばらくの間
あまり運動することができなく
体力が落ちていたので
きのう
きょうと
しっかり走ってきた
世界が春に一変していた
彩りの眩しさ
甘い香り
超ロングダッシュをやったので
気持ち悪くなったこともあるけれど
まあまあ気持ち良いランニングだった
夜は菜花丼ぶり
菜花の蕾を生姜と塩で炒めたものを
ご飯にのせただけのものだけど
まあまあうまかった

人間にとって挑戦するということが
気持ちを高めていくためのいちばんの特効薬
だから人間が生きていくうえで特効薬はなくてはならないもので
大切なものだ
なにかに挑戦することで生きがいをつくりだしていった
挑戦するということが
科学者に原子爆弾を作らせたし
すばらしい文化を葬っていったりということもあるけれど
人間から挑戦するという行為を取り去ることはできないだろう
上を上をと目指すのが発達した脳を手に入れてしまった人間のサガ
人類は挑戦することによって
いつか滅びる運命にあるかもしれないけど
愚かさや弱さも含めて
完璧でないから
人間という生き物はおもしろいのではないだろうか
人間らしさというものがあるから
その中で生きているから
人間はその日その日を生きていけるのではないだろうか
毎日毎日コンピューターや機械と対峙するしかなかったら
人間狂ってしまうよ
ボタンを押しさえすれば
遠くにいるひとと話すことができるし
時速100KMを超える速さで走ることもできる
人間は機械のからだを手に入れたけど
人類が滅びることになってもいいから
すべてのひとが
こころまで機械になってしまうことなく
最後まで
人間らしさを失わずにあることを願う

成功しているときより
ギリギリのところで生きているときの方が
充実感があるのは
自分の持っている能力を出し切って生きているからだろう

パンに成り得るギリギリの線というものがあって
いまのところその線上で作り上げたものが
自分にとって理想にいちばん近いパンだと思う
だがその線の見極め
線上にあるパンの扱い方はそうとう難しく
偶然性にも手伝ってもらわなければならないから
うまくいったときは
本当に奇跡だ
でも挑むことでしか
奇跡は呼ぶことはできない
うまくいかないことを恐れずに
これからも毎日おもいきって
ぶつかっていこう
当たって砕けろベストを尽くせ
砕けても
砕けても
ぶつかっていけばいいんだ












きょうはライ麦40%のパン全滅
カマ入れ直前まではいい感じできていたのだけど
このところの睡眠不足で
集中力もそこまで
カマ入れを失敗して生地がつぶれてしまった

今朝はパンを作りたいという思いが沸いてこなかったので
いつもと違うパンを作ることにした
レーズンやナッツ類の混ぜ物のパンも少なくして
プレーンなパン中心の構成
そうすると
楽しくなってきて
いつもよりたくさんの種類を作ってしまった
いま自分はこういうパンを作りたいんだなあ
十年後でも二十年後でもいいけど
いつかパンに合う料理が食べられる店をやってみよう
でもその前にパンをいまの100倍くらいはレベルアップさせることが
いま自分がやるべきこと

力をつけたいなら
チャレンジしていくしかないんだ
安全安心安定クソくらえ
行きたい道を突き進め
失敗すること
損することを
恐れて
やりたいこと避けて通っていたら
人生はつまらなくなる
とにかくやってみる
どんどんやってみる
後のこと考えないでやってみる
チャレンジチャレンジ
チャレンジすることで
どこまでも広がっていけるんだ

季節の変わり目は
パンに酸味が出てしまうことが多い
パンをそのまま食べているひとにはきついかも知れないけど
具をはさんだり
のせたりして食べれば
あまり酸味は感じなくなる
そしてなにより
何かをのせたりはさんだりすることで
何万倍もおいしい食事にありつける
とにかくひと手間ふた手間かけて
パンを食べて欲しいというのが僕の願い
そう願いながらいつもお客さんにパンを手渡している

パンというものの面白さを知ってもらいたい
粉と塩と水だけで
どれだけのものができるか
それを追求していきたい
そしてパンの持つすごさを知って楽しんでもらいたい
バターや砂糖や卵を入れたパンもおいしいと思うけど
粉と塩と水だけで作るパンには
宇宙的な大きな大きな力を持てるだけの
可能性がある
生きている間にパンの力をどこまで引き出してやることができるだろう


木のおもちゃ 映像
このおもちゃたちはどんな作りになっているのだろう
オレの頭ではわからない

スキージャンプ.MPG - YouTube

蓮渓円誠さんカエル.MPG - YouTube

第12回丹波の森ウッドクラフト展グランプリ「小さな木の下で・・・」.

第22回丹波の森ウッドクラフト展 木のおもちゃ大賞展... - YouTube



旅行から帰ってきた小川町のSさんにお土産をいただいた
キプロスに留学している娘さんのところに家族で遊びに行ってきたとのこと
アフリカ生まれアフリカ育ちのこの娘さんがすごいんだ
エネルギーの塊のようなひとで
興味があるものに出会うと
とにかく自分でやってみたくなっちゃって
実際にやってみちゃうんだけど
彼女の思考回路には
やってみたいという思いになってから
やり始めるまでの間に
躊躇というものが存在していないような気がする
おそらくほとんどのひとは
ここで後ろ向きなことを考えてしまうのじゃないかと思うのだけど
彼女の考えることはどうすればそれができるか
考えるより行動のひとだ
大学がある秋田から実家のある小川町まで
野宿しながら自転車で帰ってきたり
雪山をかんじきはいてひとり探検したり
なぜキプロでムエイタイ?と突っ込みたくなるようなことをはじめてみたり
彼女のいちばんすごいところは
やりたいことをはじめてからの集中力
まだキプロスに行って数ヶ月なのに
ギリシャ語をかなり話せるそうだ
あっちの絵本を使って一生懸命勉強したらしい
からだの方もプロテインを飲み始めたらしく
かなりがっしりとなっていたそうだ
オレもこんなふうになるぞ~

最近は店の中でお客さんと
コマ遊びばかりしている
子供よりも大人と遊んでいる方が多いかもしれない
コマで遊んでいるときは
大人も子供もおんなじ顔をしている
きょうは店が終わってから
投げゴマの特訓
子供の頃ベーゴマが回せなくて
悔しい思いをした
それから何十年たったいまも
コマを回せるようにしたいという憧れが頭の中にあるのだから
なんと執念深い人間なのだろうか
特訓のかいあって
ちょっとだけコツがわかってきて
回せるようになってきた
できないことができるようになるうれしさは
子供も大人も変わらない
飛び上がってしまうほど
すごくすごくうれしいんだな

まわせるうになってきた
できないことができるようになるうれしさは
子供も大人も変わらない
こどものころベイゴマができなかった
くやしい思い
できるようになる憧れを何十年も持ち続けた
執念深い

きょうは店の中に一日中
コーヒーの良い香が漂っていた
東京からコーヒー屋さんがやってきて
一日カフェ
このコーヒー屋さんたまにやってきて
コーヒーを入れてくれくれるのだけど
来るたびに道具が増えていて
だんだん身動きが取れなくなってきている
昔は自転車で来ていて
自転車野郎とも呼ばれていたのだけど
いまはまったくその頃の面影なく
車に乗って楽だ楽だとやってくる
今度来たときは除夜の鐘を聞かせてやろう
最近はカカオからチョコレートを作るというワークショップも開いているそうだ
竹林 利朗 | Facebook


みんな同じ人間だ
年齢が上だから偉い
役職が高いから偉い
金を持っているから偉い
学校の勉強ができるから偉い
野球がうまいから偉い
金儲けがうまいから偉い
そんな偉い偉いを
自分の頭の中から
ほっぽり出しまった方が
素っ裸の人間になれて
いままでとはまったく違う世界が見られるのじゃないだろうか

今年の冬は
寒い寒いということにとらわれ過ぎて
パン生地の捏ね上げ温度を高め過ぎていたところがあった
パン生地は人間ほど寒がりではなかったようだ
それがわかったことがこの冬の大きな収穫
こうやってこつことと材料を集めていくことでしか
上達していく方法はないので
毎日を
ふんばって
ふんばって
やっていくしかないんだ

ドジで不器用で失敗ばかりしている自分の周りには
こころの広いひとだけが
残ってくれる
ドジで不器用だからといって
悪いことばかりではないんだよな
ドジで不器用だったから
恵まれたなかにいられるというのはおもしろいや
こころの広いひとたちの中で
生活していれば
自分もこころ広くならざる得なくて
20代の頃に比べればほんのちょっとだけど
こころは広くなったと思う
ひとがひとを育てるということはこういうことなんだろうな
これが縁というものなのかな
ひとに去られるさびしさを知っているから
ひとのやさしさに触れたとき
その思いのありがたさに気づき
変わっていけるのだろう
苦だけじゃダメで
楽だけでもダメなんだろう
苦と楽が出会うことで
人生は深いものになっていくのだろう
輝く瞬間に出会えるのだろう

いつもと同じことをやっていたら
見えてこないものがある
いつもと違うことをやってみると
見えてくるものがある
新しいパンを何種類か作り出してから
何かがみえてきそうな気がする
何かが変わりそうな気がする
近いうち脱皮するかもしれない
そんな予感
いまいちばん面白いパン屋はどこかと聞かれたら
「ここだ」と答えるだろう
それはなぜか
だってこの店しか
知らねえもん

きょうもパン作りは好調
今年いちばんの良いパンが焼けているのじゃないだろうか
この好調がどれくらい続くだろうか
これからだんだん暖かくなってくるから
気温の変化にどうついていくかだろう
きのうの95%型焼きパンの試作を食べてみた
味は最高にうまかった
停電のときのパンよりもうまかったと思うけど
切るとボロボロに崩れてしまう
生地が軟らかすぎたのか
もうすこしカマの中に入れておいた方が良かったのか
あのしっとり感であのうまさ
あとはしっかりつながってくれれば文句なし
これが完成したら
作るのはこのパン一種類だけでも良い
そう思えるくらい自分にとっては良い味のパン
でも完成させるのはかなり難しく
時間がかかることだと思う

きょうはライ麦80%の平焼きパンを
カレーにつけて食べてみた
いままで食べたどのカレー屋のナンやチャパティ プリーより
カレーにピッタリだと思った

きょうは雨でお客さんが来さそうもないので
ライ麦95%型焼き版の試作
雪で停電になったときに焼いたやつがうまかったので
それを再現するか
それ以上にうまいものを作ってみたかった
停電だったのでカマの中の温度がどのくらいだったのかわからないけど
低温で長い時間焼いた方がライ麦は味に深みが出るようだ
生地の型さ
カマの温度
焼き時間
まだまだわからないことばかりだけど
ものすごく可能性のあるパンだと思う

4

パンは正直だ
作り手が
やったことがそのまま形として現れてしまう
でもだからこそ絶望することなく
パンを作り続けられるのかもしれない
対人間ということになってくれば
どこかでどうしても絶望とか諦めとかいうことが
出てきてしまう
人間は対人間だけではいきていけないのじゃないだろうか
対人間じゃないじゃないことを持っていることで
なんとかこの人生に踏みとどまっていられるのじゃないだろうか

調子がよくなってきたからなのか
たまたまなのか
先週末からなかなか良い感じにパンが焼けている
きょうはライ麦80%の平焼きパンが売れ残っていたので
クリームチーズと八戸沖秋さばの缶詰をはさんで食べたら
期待していた以上にうまかった
一枚ぺろりと平らげてしまった
日本酒にもピッタリだった
手答えあり
やり方に次第で
プレーンなパン主体の店にしても大丈夫かもしれない
ライ麦95%の平焼きもあるし(このパンはもうすこしわかってくれば
店で一番人気のパンになるかもしれない俺の腕次第だ)
自分のパンはやっぱり食べ方次第だ
買ったパンそのまま食べていたのじゃ
おいしくもなんともない
でも工夫次第で何十倍何百倍にもおいしくなる
そしていちばん美味しく成り得るパンはクルミやレーズンが入っていないプレーンなパンだ

自分の作ったパンを自分で食べてそのうまさに感動するとハイになっちゃう

今週もたくさんの素敵なお客さんとの出会いがあった
お客さんとの出会いが自分の元気の源であったことを最近になってようやく気がつけた
まだまだ自分ではパンと呼ぶのを躊躇してしまうような代物を
何度も買いに来てくれるお客さんたちに
励まされ
力をもらい
なんとかここまでやってこれたんだ
なんとかそのひとたちにパンと呼べるような代物を食べてもらえるよういままで以上に
パンのことを考えて過ごしたい
それからパンを買いに来てくれたひとが楽しんでもらえる空間もこれから作っていきたい

新しく作った何種類かの平焼きパン
すこしずつ改良しながら良い感じになってきた
消費税UPまえにナッツ類の価格がいままでにない上昇幅
生産地の干ばつ
健康に良いとの研究結果の発表による世界的な消費の拡大
供給量の低さと需要の高さによって投機対象になっていること
円安
プレーンなパンを食べえもらえるように
良いパンを作ってしのいでいきたい

パン作りは野球やフィギュアスケートなどと同じで
一度狂いだすとなかなか狂いを戻すことができない
寒くなってきてから出来が狂い出してきたパンが一種類あって
しばらく苦しんできたのだけど
すこし前にようやく抜け出すことができた
いまのところの経験では時間が長くかかることはあっても
いつか必ず見えるときがくる
パンがうまく焼けないときはかなり悔しいけれど
パン作りに近道はなくて
必ず通らなければならない道
うまくいかなくなって
何か見つけて
またうまくいかなくなって
何か見つけて
それを繰り返しながら
パンを理解していかなければならないんだ






店のミシン台にのせてあった栓の木の板を
ようやく頼んでいた家具屋さんが引き取りに来てくれた
どんな姿になって帰ってくるのか
ものすごく楽しみだ

ライ麦95% 販売始めました
クリームチーズと生ハムで食べてみてください

これからプレーンなパンをもっと増やしていこうと思う
うまいパンなら
フルーツやナッツ類を入れなくても充分食べられるし
本当に良いパンを作れば
フルーツやナッツ類が入っているパンを何十倍も凌いでしまう可能性を持っていると思う
プレーンなパンの持っているすごさを見てみたい
いま自分の頭の中にあるパンというものを余裕で超えてしまうくらいのパン
そんなものに出会ってみたい
自分にとっては
自分の作るパンにはいろいろ思い入れがあるけど
パンはただのパンであって
それ以上のものではないんだ
パンはそういうものでなくてはいけないのではないだろうか

ボクシングを始めた頃の練習ノートが出てきた
読んでみると
その頃の課題が
いまの課題とまったく同じだった
自分ではかなり上達したように思っていたけど
もしかしたら
まったく上達していなかったのかもしれないなあ
まあ自分にそれほど高い運動能力が備わっていないことはわかっている
でもそれはそれでしかたがないことだし
どうだっていい
能力がなくても楽しんでいいのがスポーツだし
人生だと思っている
これからもバリバリ行くのだ
1㎜でも高いレベルに行けるように
パンも同じ
1㎜でも多くパンのことをわかることができるように
これからも毎日パンを焼き続ける
それが自分の楽しみだから

「何はともあれ」の使い方がよくわからない
日本語は本当に難しいと思う

2週続けてのジム
道路の雪が怖いので電車で行ってみた
家から駅まで5キロ
駅からジムまで3キロ往復16キロのランニングは
ジムでの練習がある日にはちょうど良い距離
こういう方法もありかな
ジムでの練習は家でやるひとりトレーニングとは
やはり何かが違っていて
疲れる量も違うし疲れる場所も違う
きょうのスパーリングは心臓の方は全然平気で余裕があるのだけど
途中で腕と足がいうことを利かなくなった
これをひとりトレーニングでどう克服していくか
他にも課題がいっぱい
ジムに行く度に必ず課題が見つかる
ボクシングの奥深いところと言いたいところだけど
本当は自分に能力がないだけなんだなあ
でも課題が見つかれば練習も楽しくなってくる
ひとりだけのトレーニングでは課題を見つけるのはなかなか大変だ
ジムを出るときは足腰に力が入らずフラフラ
ここまで足腰に来たのは20数年のうちではじめてだと思う
歳をとればとるほど気合を入れてトレーニングをして
土台を固めていかなければならないのだと思う
これだけフラフラになっても
帰りのランニングでハイになってしまうのだから
人間というものはすごいしおもしろい
ハイになったら早く走りたくなってしまうのが
スポーツバカ人間の性
この分が明日あさってに返ってきちゃうんだよな
でも何はともあれジムに行った日の充実感は
他のことではなかなか味わえない
だから他にやりたいことってあまりないんだよね
ボクシングができて
パンが作れて
お客さんとの出会いがあって
本が読めて
音楽が聴けて
たまに酒が飲めて
旅に出られたら
それでいい
きょうの気分は
こんな感じかな
サイコー / テレジーニャ Saiko / Terezinha 松田美緒 - YouTube

親とパンを買いに来た子どもたちが
手持ち無沙汰にならないように木のおもちゃを集めてみた
今週は土日を休みにしたこともあって子供が全然来なかったけど
大人たちが夢中になっていたので良しとしよう
だんだん店が狭くなってきた
もう少し店が広ければお客さんも
ゆったりしてもらえるのにという思いはあるけれど
そこは工夫をすればいいことだ
いまの世は工夫する必要なんてないくらい何でもかんでも揃いすぎているけれど
工夫することの楽しみ喜びは生きる原動力になるし
工夫は個性になる
画一的な社会や店はあんまりおもしろくないのだ

雪のため土曜日曜と店は休み
その間試作品を作った
パンの場合数個のパンを作るにも
半日かかってしまうので大変だ
作ったのはオートミールを使ったパンとライ麦95%の押しライ麦入りのパンの二種
それから最近遊びで
ライ麦40%と80%と95%の平焼きパンを焼いている
ライ麦30%のようにモチモチではなくてしっかり焼きこんだやつ
サンドウィッチにピッタリだと思う
味の方もライ麦の味がストレートに感じられ
しっかりできたときはそれといっしょにウマミが口の中に広がり大変うまい
いつの日か店売りもしてみたい
こういうパンが売れるかどうかはわからないけど
何はともあれ
いまはしっかりと土台を作っておくことにしよう

久々のジム
半年ちょっと間が開いただろうか
思い出した
ここがぼくの居場所
ようやく生き返れた
帰りの宇都宮からの自転車とスパーリングは
泣きそうなくらい苦しかったけど
その苦しみは苦しいだけの苦しさではなく
ハッピーな苦しみ

いまをおもいきり楽しんで生きて
また次のいまをおもいきり楽しんで生きて
その次のいまもおもいきり楽しんで生きて
そうやってそのときそのときのいまを
おもいきり楽しんでい生きているうちに
人生なんて終わってしまうさ
人生恐れることなし
カッコウつけたり
良い人間に見せようとか
出来ない自分を隠そうとしたり誤魔化したり
そんなことは
もうやめて
いつだって
いまの自分でぶつかっていけばいいんだ
ただ苦しいだけの苦しみなんていらない
俺はハッピーな苦しみを求める
地位とか名声とか世間体とか
持っていても邪魔なだけだ
たとえ出来なかろうが
転ぶことになろうが
平気で飛び込んでいける自分でいたい
平気で立ち上がってまた歩いていける自分でいたい
生まれてくるときも手ぶらだったのだし
死んでいくときも手ぶらなんだ
何かを失ったとしても
何かを手放したとしても
一歩さえ踏み出せば
また次のいまがやってくるんだ


なんでこの国はこんなに
みんなが忙しい忙しいと言って生きているのだろうか
本当はこんなに忙しくしなくても生きていけるのじゃないだろうか
一息つくことだって
立ち止まることだって
本当はできるのじゃないか
  国民全体が感染してしまった
  不安という病に
  いまこの国は動かされている
  権力者たちはその不安という病をうまく利用して
  国民を支配する
  不安をいっぱい抱えた国民たちは止まったら置いていかれてしまうと
  ひとを押し退けてでも前へ前へと何かを目指して突き進む
  幻想目指して突き進む
そんな世に疲れ果てた国民がひとり
ふたりと現れ出した
その中のひとりがおもいきって立ち止まってみた
やってみれば
なんてことはない
そこにはこれまでずっと不安に思っていたことなんて何にもなかった
そこには美しい夕焼けがあり
美しい花があった
そのときそのひとは悟った
追いかけていたものが幻想であったことを
不安という病が見せていた
この先に待っているであろうすばらしい世界
そんなものはどんなに追いかけても捕まえることができないということを
だってそのすばらしい世界はいまここにあるんだもん
優しい風がからだを包み
小鳥たちがピイピイ鳴きながらじゃれ合っている
「おーい 不安を断ち切る呪文を見つけたよ」
『なんとかなるさ』



古くなったライ麦パンは蜂蜜と牛乳をかけてから
レーズンやオレンジなどを散らしてシリアル代わりに食べたりしている

効率効率と
身になることだけをやって生きていても
人生はきっとつまらない
身にならないことがあるからこころがほんわりと軟らかくなってくれる
身にならないことがあるから身になるものの大切さを知ることができるのではないだろうか

バカなことやって
痛い目にあい
失敗して
そうしないと見えてこないものもある
きっとそういうことがないとひとはひとを認めてやることができない
自分の弱い部分
自分の出来なさ
それを知っているから
ひとはひとに優しくなれるのだと思う

不安は不安に思えば思うほど膨らんでいくもの
だけどそのときになれば
ほとんどの場合
不安は不安でしかなかったことに気がつく
どんなことになろうと
なんとかなっちゃうものなんだ
 欲は生きる原動力になることもあるけど
 欲張りすぎれば生きることの邪魔にもなる
何かにとらわれてしまうと
そこから抜け出したいという思いがあっても
なかなか抜け出すことができなくて
前に進むこともできず
重い気持ちのままそこに停滞することになってしまう
 そんな不安も欲望も執着もそこから逃げ出したいのなら
 自分で切るしか方法はないんだ

何かやろうとするときに
考えることは
どうせ
うまくいかないかもしれない
うまく行かなかったらどうしようといったこと
うまくいかなかったらうまくいかなったで
それだけのこと
どうせ人間のやることなんて
すべては人間の勝手なものでしかないのだし
何かを失おうと
どうせ死ぬときは何にも持っていくことはできないんだ
とりあえずあんまり考えすぎずに動いてみる
これからはそうやって生きていこうと思う
考えることはどうのりこえていくかということだけでいい

ひとはひとりで立っているだけでは
こころの音を響かせることはできない
動き出して何かとぶつかり合うことによってのみ
こころの音を響かせることができるんだ
そしてその音を響かさせることが生きることなんだと思う
動いてみれば
何かが始まる
何かに出会える

ひと言葉や行動によって冷たくなってしまったこころ
そのこころを温めてくれるのもひとの言葉や行動
ふんばって
生きてやろう

痛みや悩みを抱えたままでもいまを懸命に生きることは可能だし
そういうふうに生きたっていいんだ
身に降りかかってきたすべてのことが解決できるものでもないのだから

自分は神ではないし
そんなものになりたくもない
間違うこともあるし
何でもかんでもうまくやることなんてことはできない
それが人間なんだ
だから
どんなときでも
胸を張って歩いていればいいんだ

情報に操られやすい環境がどんどん出来上がっている中で
自分の目で見て
感じることの大切さを忘れないこと

そんなに着飾らなくても
人間は太陽に光を浴びれば
ピカピカに輝くことができる
人間はそのまんまでも充分美しい存在であり得るのじゃないだろうか








パン焼き再開4日目
きょうはなかなかいい感じ
休み明け
一週間
けっこう疲れた
でもお客さんとの再開がうれしい
感謝

パン焼き再開3日目
きのうはパンがたくさん売れ残ったので
きょうは2種類だけの焼き上げ
気合が入らず
でき悪し

パン焼き再開2日目
きょうも絶好調
カマの電源も調子良し

きょうからパン焼き再開
長く休んでいたけど
酵母が良い感じに育ってくれたのでひと安心
さあ始めるぞ~とカマの電源スイッチを押すが
前から接触が悪く電源が付きづらかった三段あるカマのうちの一段が
まったく反応なし
包丁の柄でゴシゴシこすっていたらスイッチが根元から折れる
どんなに押してもダメなので
二段でもなんとかなるだろうとほかの二段の電源を入れて作業を進める
やっているうちに作業の手順を思い出していき
全然どうにもならないことがわかる
どこをどうしてもカマ入れが重なってしまう
そのとき目に入った壁の画鋲に何かを感じて
「奇跡の画鋲」とスイッチの根元の部分に画鋲を当ててみたら簡単に電源がつく
数年前別の部分が壊れたときに
メーカーから故障を直しに来た高額の技術料を取る技術者に
電源が付きづらいことを言ったのだけど
その工学の技術料をとる技術者は基盤を変えなければダメだと言っていた
そうなのかと暗い気持ちになっていたが
画鋲一本で解決してしまうとは
基盤変えていたら何十万かかっていただろう
画鋲のおかげもあって
きょうは最高にすばらしいパンが焼けた

正月休み九日間
運動もしたけど
睡眠もよくとった
頭の中がすっきりしている
いつも頭の中がボーっとしていたのは
睡眠不足のせいだったみたいだ

正月休みはかなりからだを動かせた
からだのサビが取れて
筋肉もワサワサいい出した
自分の場合は軽くからだを動かす程度では
調子が上がってこない
ある程度の運動が必要なようだ

テレビで井上ひさしの 『イーハトーボの劇列車』がやっていた
本では読んだことがあって
そのときはモワーッという感じで終わってしまったのだけど
映像で観たらモヤモヤがとれた
これが演劇の力というものなのだろう

この時期は毎年肌がカサカサになっているのだけど
今年は生姜を食べているためか
温かい格好をするようになったためか
30年使ってぺちゃんこになっていた羽毛布団を買い変えたためか
クリームを塗らなくても肌がすべすべしている
そういえば去年から風邪もひいていないや




このところ魚介類が恋しくなって
よく食べている
そして食べていて思ったことがある
魚や貝 海草の味の豊かさ
こういうのを小さいことから食べて育った海沿いに住むひとたちは
内陸に住んでいるひとたちよりしっかりした味覚を持っているのではないだろうか
パン屋をやっていてわかったのは
食べるからといって甘いものばかり食べさせている親が多いこと
それから子供の頃に味覚をしっかり作っておかないと
改善することはなかなか難しくて大人になってもそれを引きずっていくことになること
小さいときからおそらく1歳2歳3歳のころから
苦さ酸っぱさ美味さいろんな味を体験させておいた方がいいのではないだろうか
最初食べないものでも食べさせているうちに平気になってくるものじゃないだろうか

粉と水だけの材料でこれだけ軟らかい生地
この生地でパンを作るのはとにかく難しい
そのなかでいちばん難しいところは
醗酵状態の見極め
おそらく本職の方でもこれだけ軟らかい生地の醗酵状態をきっちり見極められるひとは
それ程いないだろう
自分なんて十数年毎日のように生地を見てきているのに
いまだに感覚よりも勘で動いている
はたして勘よりも感覚で動けるときが来るのだろうか
人間にそれだけの能力がそれだけの能力が備わっているのだろうか
そこは神の領域ではないのだろうか
わからない
わからないけど
これからもそれができるようになるになることを目指してやっていくだろう
人間はいつか死ぬ
死ぬことがわかっていても
そのときが来るときまで
生きなければならないように

きのう焼いた1917(山型の食パン)のおいしさにうれしくなると同時に
まだまだ偶然性が大きく占めていることへの無力感
俺のパンだけど
俺のパンじゃない
力はついてきているのだけど
進むべき世界のあまりの大きさ

今年は夏を捕まえ損ねてしまった小麦酵母のパンが
ようやく先週あたりに季節を捕らえてくれた

魚が食べたくなってきたので
築地に行ってきた
朝飯にキンキの煮付けを食べ
アン肝
白子
カワハギの切り身と肝を買う
木村屋ペストリーショップにパンを置いてくる
からだに力が湧いてきた

なんだか
踊らされている
この世界から抜け出したい
踊りたくなったら
自分から踊り出すし
自分の踊りを踊る

ひとにどう思われようが
何を言われようが
自分の進みたい道を行くなら
そこは極楽
たとえうまくものごとが運ばなくても
悔しさはあるかもしれないけど
自分が選んだ道を歩いているという喜び
そして山あり谷あり 
スリル満点の中で生きている   
たのしさがあり
やはり極楽

残された時間は
後どれくらいあるのだろうか
歳をとるにしたがい
加速していく時間のなかで
残された時間を
どう過ごすか

産まれてきて良かったと思えるような人生を送ることが
この世に産み落としてもらえたことへの僕ができるただひとつの感謝のしるし

先祖からの
魂のバトンを
受け継ぎ
いま僕は生きている
この生は
僕を形づくっているすべての先祖たちの生なんだ
大切に
懸命に
生きなければならないと思う

満たされないという気持ちを抱え込みながら
毎日を生き
その満たされなさを何かで誤魔化す
でも残るのは虚しさだけだった
日々の生活のなかでは
何もかもが当たり前のことのように思えてしまう
だけどそれが本当に当たり前のことなのか
本当は毎日毎日僕の目の前で繰り広げられていることのすべては
奇跡なのではないだろうか
いま
ここで起こっているすばらしい奇跡を感じられないのなら
いつまでたっても
どこかに行っても
満たされるはずがない
すばらしい日々が
いま
ここにすでにある
そのことを忘れてしまえば
また
ちょっとものごとがうまくならなかっただけで
目が曇ってしまうだろう
欲張りすぎれば欲は膨らむばかり
いま
ここが
僕の生きる場所
日々の奇跡に感謝



見栄や世間体
権力や地位や名誉
そんなものをすべて捨ててしまえば
この大空を飛ぶ
あの鳥のようになれるかな
見栄や世間体
権力や地位や名誉
そんなものをすべて捨ててしまえば
間違えても
うまくできなくても
うまくことが運ばなくても
そんなことはなんてことはないと
また歩いていけるかな
見栄や世間体
権力や地位や名誉
そんなものをすべて捨ててしまえば
魂だけが残る
威張ることもなく
ひとを蔑むこともなく
欲張りすぎることもなく
もっと優しくなれるかな
見栄や世間体
権力や地位や名誉
そんなものをすべて捨ててしまえば
もっと楽に生きられるかな

きょうの夜
4年ぶりにLena Willemarkの歌声が聴ける
きのうは芝居を観に行って終電を逃してしまった
それなので今朝東京から帰ってきて
酵母をいじって犬と散歩をしたら
おそらく世界一のフリーフォート狂であろう
森さんと山田さんに頼まれていたLena Willemarkへ食べさせるパンを持って
また東京へ出発だ
コンサートの会場は下北沢の築80年という小さな教会
中はとても素敵な空間で
この場所でLena Willemarkの歌声が聴けるのかと
期待が高まってくる
祭壇をバックに三人の演者が現れる
ベーシスト Anders Jormin
25絃奏者 中川果林
うたとヴァイオリンのLena Willemark
自分も含めておそらくここに来ているほとんどの人が
この三人がどんな演奏をするのか想像もできないでいるだろう
CDはまだ出ていないしインターネットで探してみても
音を聞くことができない
きのうはマンガ喫茶泊まりで一睡もできなかったので
睡魔に襲われなければいいがと思っていたけど
一曲目が始まるともううれしさと興奮で
睡魔に襲われている余裕なんてなかった
高い天井と木材と狭さという建物の構造が更にこの音楽を高めていく
観客は三人の演奏に見入って聴き入ってほとんど頭が動かない
Anders Jormin
中川果林の演奏がLena Willemarkのうたを引き立てていく
Lena Willemarkはぼくの中で世界一美しい声の持ち主だ
短い時間だったけど
中身は大変濃厚だった
この一回で終わって欲しくない
二回三回と重ねるうちに
僕たちをもっと別の場所に連れて行ってくれるだろう
開演前に山田さんがおおしまゆたかさんを紹介してくれた
ものすごい突然だったので困ってしまったけど
おおしまさんが昔書いていた日記で
ぼくはフリーフォートの存在を知ったんだ
大島教授の[暖蘭亭日記] - tcp-ip
もしあの日記を読んでいなかったら
ぼくはいまこの場所にはいないだろうし
フリーフォートのコンサートにも行くことはなかっただろう
森さんにも山田さんにも出会うことがなかっただろうし
Photo by YO-RI 日々雑食」 - ライブドアブログ - Livedoor

音楽を聴く仲間の会 - Goo ブログ
Lena Willemarkにパンを食べてもらうこともなかっただろう
あるきっかけが
ひととひととのつなげ
縁が
円となって繋がった

直感を信じられるかどうか
これは生きていくうえで
かなり大事なことなんじゃないかと
最近思えてきた
直感は大事なものだと
直感したんだ

パン作りでは
かなりの頻度でで勘にたよることになる
勘といっても
ある程度いままでの経験に基づいてのものだから
国語や社会の三択問題を解くときに使う勘よりはよく当たる

きょうはいい感じにパンが作れた
水の量も
生地を分割して丸めるタイミングも
カマに入れるタイミングも
ビシッビシッと決まった
と言っても天然の酵母で作るパンは
食べてみないと
美味しいのか
美味しくないのかはわからないから
実際はどんなものだかわからないけど
食べるにしてもまだきょうはパンの中で味が暴れまくっているので
どんな具合だかわかるのは
明日かあさってになるだろう
パン屋はパンを売ってから出ないと
味見ができないという
恐ろしい商売なんだ


きのう作った1917(山型の食パン)のくるみ入り
うまい
ようやく
まあ納得できるかなという味がでた
このパンがなかなか思うような味が出せなくて
ずっと試行錯誤中なんだけど
これでどこかをどうかすれば
うまいものが作れるという可能性があることがわかった
この材料の組み合わせでは無理なんじゃないかとも思っていたところなので
自分の中で気分が盛り上がってくる

出来なくたって
小さくなる必要はないし
間違ったって
下を向く必要もない
堂々と
胸張って
バンバン
行ってみよう!

死の淵に立ったとき
やり残したことがあったのなら
どんなに悲しかった一日も
どんなに苦しかった一日も
どんなにさびしかった一日も
眩く
輝いて
映るだろう
死んでしまったら
もう次の一日はないのだから
そう気づいたときには
もう手遅れだ
一日という重みを感じながら
生きて
生きて
生きて
這ってでも
生き抜いてやる
ムサシ ロンドンNYバージョンDVD発売英語字幕なし - YouTube

がんばって
がんばって
がんばったのなら
パンが売れなくても
それはもう仕方ないことだし
どうすることもできないこと
それよりも
自分には
パンを作ったということ
すなわち
自分を生きられたということの方が重要だ

ランニング
きょうはからだが重い
ゆっくり走っても
こころとからだが苦しいと言っている
でも知っているんだ
苦しくて苦しくてしかたがないときに
もう一歩踏み出して
全力疾走してみれば
その一歩の先に
最高にハッピーな時間が待っていることを

パンを一種類か二種類かしか作らない日は
待ち時間
止まっている時間が多すぎて
リズムに乗れないし
集中力もなくなってしまうし
判断も誤りやすくなってしまう
動きの中での方が
リズムに乗れるし
集中もできる
良い判断もできる

「どうしてこんないやすく売れるのですか」とよく聞かれるけど
別に安い材料を仕入れたりといった工夫をしているわけではない
ただ単に利益が少ないというだけのことだ

夢や思いが叶ったとしても
叶わなかったとしても
輝きの明るさは変わらない
悲しいときでも
うまく行かないときでも
さびしいときでも
苦しいときでも
眩しいくらいに
輝いている

子供たちの味覚を壊したくないから
これからもこのパンを作っていく
毎日食べてもらいたいから
安い価格で売っていく
いまはまだ
それほど子供たちが食べてはくれないし
毎日自分のパンを食べてくれているひともそれほどいないけど
ここからだ
すこしずつだけど
いいパンが焼けるようになってきている
いまの栃木の状況でこういうパンを食べてもらうことは
そう簡単なことではないけれど
よろこんで自分のパン人生をこの町に捧げよう

日曜日
久しぶりにナッツ入りのライ麦80%のパンを作ってみた
翌日の月曜日に食べてみたら
味がいまいち
すこし水分が少なかったかなあと思ったのだけど
水曜日に食べてみたら
最高にうまいし
パンもしっとりしている
いったいパンの中で何が起こっているんだ

天気が良かったので
スライスしたパンを持ってお出かけ
デパートで惣菜を数種類買って
お昼は公園でオープンサンドをつくって食べる
あまりのうまさにびっくり
ライ麦パンは偉大だ
なまけもの屋のライ麦パンはしっとりとしているので
無塩バターやクリームチーズを塗らなくても
そのままおかずをのせて食べればいい
食べられるお皿だと思っておかずといっしょに食べてみてね
(おかずは食べる直前にのせてね)
パン自体にも油脂を使っていないので
からだの脂肪が気になる方にも楽しく食べられる
パン自体に甘みがついていないので
子供たちの味覚を損なわない
おかずをのせて食べれば栄養もばっちりとれる
そしてなにより最高にうまい
いいこと尽くしのパンなのだ


一日前に焼いた1917(山型の食パン)を食べたら
香りがあまりよくなった
何が原因だろうと考えながら次の日食べてみたら
良い香りに変わっていた
カマに入れるタイミングをすこしはやめてみたしたからだろうか
それとも水分が多かったためだろうか
気温が下がると味の変化も遅くなるのだろうか
本当にパンというものはつかみ所がない
そこが魅力でもあるのだけど

15年ぶりくらいだろうか
もやしを食べた
15年間もやしの存在を忘れていたよ
こんなうまいものだったんだっけと感動
スーパーに行ったらまだ売ってるよ
一袋25円だって
そんなに安くちゃ
もやしもやってられないし
作っているひとだって
やってられないぜ
3袋買ってエリンギとえのきだけと焼き豚といっしょに塩を振って炒めて食べた
もやしとはこれから自分が死ぬまで友達でいたいと思った

いつもの突然の思いつきで
埼玉芸術劇場で行われている『ムサシ』を観に行くことにした
彩の国さいたま芸術劇場/『ムサシ』ロンドン・NYバージョン
ほぼ満員のなか当日券でもかなり良い席で見られた
予想以上のおもしろさにからだがウズウズして
今朝かなり走ったにもかかわらず観演後与野の街を駆け回った
芝居は作家が頭を絞り
演出家も頭を絞り
役者も頭を絞り
美術や衣装も頭を絞り
たくさんの頭が寄り集まって出来ている
でもそれぞれの頭がみな同じ方へ向かっているのではなくて
それぞれの思う方へと向かっているので
作家や演出家を超えた作品が出来上がるからおもしろい


この歌を聴いていたら
音楽座のことが気になって
まだやっているのかなと思ってHPを探してみた
宇宙ソラまでとんだ 2.と3で別れた歌の部分ドリーム) - YouTube
やっているかどうか確認するだけのつもりだったのだけど
悪い癖?で次回作のチケットを取っていた
音楽座ミュージカル/Rカンパニー

何かをやるのに
意味なんてある必要はないんじゃないか
人間は大空を飛ぶ鳥たちと何も変わらない
どんな生き方をしてもいいんだ
何が正しいかなんて誰もわからない
自分の進む道を自分の頭で考え選んで進むだけだ
決まりごとや
いつまでも消えることなく存在し続けているこの世に空気のように漂っている価値観
物ごとに意味づけするという行為
あったらあったで楽なところもあるけれど
それらとどう付き合おうかは自分で決めることだ
無視するのもありだし
寄り添って生きるのもありだし
残された人生
自分は
鳥のように生きようと思う
こころのままに
あっちに行ったり
戻ってきたり
深刻に考えたって何がどうなるわけではないことは
だんだんとわかってきた
深刻に考える前にやっちゃちまうことだ
あれこれ考えるのは
やりながらすればいい
やりたいことがあるなら
やっちまうことだ
うまく行かなかったら
また0から始めればいいんだ
気楽に行こうぜ
転んでも
転んでも
立ち上がってまた歩き出せばいいんだ
歩けなくなったら這いつくばってでも進んで行けばいい
名誉や地位
金なんて死んだら残りやしないし
生きているうちだって
そんなものでこころの底から満足は出来ないだろう
自分の進みたい道に向かって歩けたかどうか
望んだ方向に進んだ結果がどうであれ
そこがいちばん重要な部分だと自分は思う
やりたい道を進まなかった後悔はきっと死ぬまで付きまとうだろう
自分を縛り付けてしまっているのは
自分自身なんだ
まわりのひとの目を気にしている自分
出来ないと思ってしまっている自分
出来ない理由を必死で考えている自分
傷つきたくない
苦しみたくな
疲れたくない
大変な思いをしたくないと思っている自分
明日のことを心配してしまっている自分
人生はいつだってここからだ
過去を悔やんでいても
何がどうなるものでもない
未来が来ればと思っていても
次の瞬間がやってくるとは限らない
いまこの瞬間を
こころの底から楽しむこと
釣りが好きなら朝釣りをしてから
会社に行けばいい
リフト代がないならば
スキーを担いで自分の足で登ればいい
道具がないなら自分で作ったっていいのだし
代用になるものを使ってやってもいいんだ
「5分しかないからやらない」なんて言っているよりも
5分間だけでもやった方が絶対に面白い
知恵と工夫があれば
ある程度のことはできてしまうんじゃないだろうか
やるか
やらないか
そのどちらを選ぶか
たったそれだけのことで
自分の人生は決まってしまうんだ
こころの準備なんて
電車に乗り込んでからすればいいんだ
時間なんていつまでもあると思うな


立派だといわれているような人間にならなくちゃならないと
無理をしたり
自分を誤魔化したり
そんなことで苦しむことはないんだ
そんなところを目指す必要はないんだ
学校に行きたくないなら行かなくてもいいんだし
会社を辞めたいなら辞めてもいいんだ
この世の中に染み付いている価値観を基準に考えて
いまの自分を否定することない
価値観なんてものは誰のものでもない自分だけのものなんだ
ドラマや小説ではではずっと学校を休んでた生徒が学校に来るようになって
めでたしめでたしで終わることが多いけど
学校にしっかり通うことが良いことで
学校に通わないことは
ダメなことだという価値観
疑ってもいいんじゃないか
一歩足を踏み出すこともありだし
踏み出さない人生だってありなんじゃないか
別の方向に足を踏み出したっていいんだ
すべては自分で決めること
ひとや社会に合わせて生きることが大切なことだとは思わない
自分が自分であるということ
そして結果がどうあれ
自分をやりぬくということ
それがぼくが大切だと思うていること
いま
自分で自分にオマエ格好良いぜ
それでいいんだと言ってやりたい
あなたへ - 浜田 真理子 - YouTube

なにクソ~
あんなに苦しい思いしてきたんだ
こんなところで負けてたまるか
こんなところで終わってたまるか
過去の嫌な思いは
いまを邪魔するような使い方じゃなくて
いまを生きるために使えば
自分を動かすエネルギーになってくれる

パンはほんのわずかな違いで
まったく別物になってしまう
判断ミス
勘違い
他のパンとの兼ね合い(生地の丸めや釜入れのタイミング)
パンは世界で一番難しい料理じゃないかと思う

惹かれるものがあったら
明日のことなんて考えないで
飛び込んでいける自分でいたい
やれなかった後悔を引きずって生きるよりも
這いづくばりながらでも楽しく生きていきたい
いつか来るであろう最後の瞬間を
最高の気分で迎えたい
クラゲの二人 / 鈴木亜紀 - YouTube

寝ても寝ても
眠くてしかたがない
最近お釣りの渡し忘れがいつもよりだいぶ多くなっている

青春十八切符最後の一回分
どこに行くかなかなか思いつかなかったのだけど
福島に行ってランニングをすることにした
猪苗代周辺で走るか
会津若松まで行くか
電車に乗ってからもどこで降りるか決めかねていたが
会津若松はまだ行ったことがなかったので
会津若松に決めた
駅に着いて街並みを見回した瞬間
ここじゃない方が良かったかなあとちょっとの時間後悔したけど
走ってみたらかなり面白い場所だった
空襲の被害があまりなかったのか
古い建物がかなり残っている
大龍寺の花いっぱいの庭
鶴ヶ城周辺の空間
楽しそうなお店もいっぱい
飯盛山の長い階段
東山温泉へ続く上り坂
目にも
心臓や肺にもうれしい街だった
気がついたらあっという間の2時間半
何度か通えばお気に入りの場所になるかもしれない

泣きたくなるくらいうまいパンを
きょう始めて食べた
ここのパンはそのまま食べてたら
パッとしないしうまくもない
でも何かをのせて食べると
大きく化けることがある
だから買ってそのまま食べるのではなく
せめてチーズくらいはのせて食べて欲しい



 


悲しみ
嘆く瞬間も大切だ
涙流して流して
流しきったら
いつか
きっと
一歩踏み出すことができるだろう
ニコッと微笑んだ
そんな瞬間に
向こうに
素敵な世界が見えるだろう
GANGA ZUMBA 足跡のない道 Live - YouTube

焦らなくてもいいんだと思う
一生をかけて解決していけばいいんだ
末永く末永く
付き合っていこうや
の~んびりと
仲良くやっていこうや
どんなときでも
楽しむことを忘れないで
深刻に考えすぎたって
何かが変わるわけでもないんだ
いつだって
ほうを上げて
自分のうたを歌っていこう
桑江知子うんじゅぬ島 (新曲) - YouTube

むしょうに本が読みたくなってきた
むしょうに音楽を聴きに行きたくなってきた
不思議だけど
秋になるといつもこうなる
ちょっと前までなぜだか物語が読みたくて家の本を読み漁っていたのだけど
いまは民俗学の本がなぜか読みたくなってきた
自宅の本棚から選び出したのはこれ
『日本人の魂の原郷 沖縄久高島』 比嘉康雄
『沖縄 その危機と神々』 谷川健一
『古代研究Ⅰー祭りの発生』 折口信夫
『トリックスター』 ラディン ケレーニイ ユング
『道化の民俗学』 山口昌男
『学問の春』 山口昌男
読み終わりがいつになるかわからないけど
次はイスラムの本を読みたい
生きているうちに買い集めた本のどれくらいを読むことができるだろう

きょうは朝の気温が下がらなかったので
小麦の1917(山型の食パン)はやめて
押しライ麦の1917のみ
それからライ麦15%のパンをやめて変わりにライ麦30%のパンをつくる
本日はすべてのパンで
言うことなし
文句なしのパンだ

最近「このやろう!」っていう車の運転をする奴らが多い
この前は俺の自転車を追い越していった乗用車が
追い越してから3~4mのところで左折しやがった
それから店の前の坂道を降りて右に曲がってすぐのT字路ではしょっちゅうあるのだけど
Tの下のほうをすでに横断しているのに左折してきたり右折してきくる車
それ程広くない道路なのでそういう車と出会うとカチンとくる
自分は抑えすぎているところがあって
そういうのはやはりストレスがたまるので
これからはそういう車に出会ったら突撃していってもいいんじゃないかと思っている
これからの人生
喧嘩をいっぱいするぞ~
生まれ変わるのだ
こういうときは5,6発どついてもいいって教科書に書いてあった
[アニメ] じゃりン子チエ 第42話 「テツが主催の同窓会」 (640×480 WMV

いまはみんながみんな批評家になっている
批評家というより批判家かな
演劇を観に行っても
食べ物を食べに行っても
スポーツを観に行っても
そういう目で観ていても
楽しめないだろうし
こころもせまくなっちゃうんじゃないだろうか
ギスギス
ギスギス

意味なんて考えなくて
何かを得てやろうなんて考えないで
とにかく楽しむ
そんな瞬間も必要なときがある

いろんなパン屋があっていいんだ
みんなそれぞれが思いを形にしていく
考えはみんなそれぞれ違うのだから
自分でパン屋を始める前はよくパン屋めぐりをしていたけど
いまはほかのお店にまったく興味がない
自分は自分のパンを作るだけだ

ここ二週間は軽くからだを動かす程度のトレーニング
青春18切符が2回分残っていたので
定休日はどこかに出かけようかと思っていたのだけど
からだを動かしたくなってきたので
出かけるのをやめて
トレーニング
すこし強めにやってみたのだけど
思っていたほど体力は落ちてなく
良いトレーニングができた
からだをしっかり動かすと
気持ちがしゃっきりとする
からだの方もしゃっきりとした
この二日で心身ともに絶好調になってしまった
からだを動かすことが良いことなのか
それとも自分の大好きなことを思い切りやることが良いことなのか


金曜日 土曜日は久々に2日連続の完売
日曜日は雷雨もあったかもしれないけど
1/3くらいは残っただろうか
地震による窯の故障
2年半してようやく解決したけど
いまでも尾を引いている
自然現象
自分にはどうすることもできなかったけど
人間として生きている以上
受け入れて
生きていくしかないんだ
自分にとっての世界一うまいパン絶対作ってやる

売れ残ったライ麦40%のパン3種類とライ麦60%のパンを食べた
これはすごいパンだ
これからもっとうまいパンにするつもりはあるけど
いま自分が持っている力を考えれば
100点をあげてもいいかもしれない
これでダメならしかたがない
ダメなときはそう諦めがつくほどのパンだと思う

ライ麦40%の平焼きパンに
クリームチーズと安売りで買った三元豚のソーセージを
のせて食べる
このパンを食べるのは久しぶりだ
うまいじゃん
いまは一日2枚しか作っていないけど
もうすこし作ってもいいかもしれない
しかしこれだけナッツをいっぱい入れて
400円
利益は出ているのだろうか

ドイツやフランスでは
子供にどんなパンを食べさせているのだろう
子供が食べやすいパンはどれですかと言ってくるのは
日本の親だけなのだろうか
それともドイツやフランスでもそうなのだろうか

きょうは出張Cafeの日
東京からいつものコーヒー屋さんが来てくれ
アイスコーヒーを振舞ってくれた
いままでアイスコーヒーはそんなにうまいものではないのだと
割り切って飲んでいたけど
このコーヒーはその考えを吹き飛ばしてくれた
うまいアイスコーヒーは存在するのだ
これだけの種類おそらく世界一の種類を誇る日本の缶コーヒー
これだけの種類があってもおいしい缶コーヒーが存在しないのは
売れる缶コーヒーを作らなければならないからだろう
いま日本のかなりの人間の味覚はバカになっている
うまいコーヒーを作っても売れはしないのだ
大手のメーカーに売れないコーヒーは作れない
コーヒーだけじゃなくて他の食べ物も
味覚がおかしくなっているひとにも受け入れられるようなものが氾濫しているから
人間の味覚は正常に戻ることはなく
悪循環だ

Lena willemark(スウェーデン)が来日するのは知っていたのだけど
公演が金曜日でしかも場所が神戸
これは行けないなとがっかり
それでも追加公演を期待しながら
毎日招聘する会社のHPを開いていたら
願いが通じて(チケット取れなかったりして)
東京公演決定
10月22日(火曜日)
富士見ヶ丘教会(世田谷)
http://www.harmony-fields.com/a-lyostraini/index.html
Lena Willemarkの声を教会でなんてすごい
アップ      (遠くに行った羊を呼び集めるクゥーラ)
夜の賛美歌  (こんな声です)

大工哲弘■9/20(金)開催決定!『Makoto Kubota presents 大工哲弘BLUE YAIMA SHOW feat.大工苗子 ~レコ発ライブ@晴れたら空に豆まいて~』
これも観たい ライブはCDの何百倍もすごかった 今回が2回目 これは期待大
Tuff Beats Channel■大工哲弘 × 久保田麻琴 スペシャルインタビュー ~『BLUE YAIMA』を語る~



明日金曜日から
パン屋再開予定です

舞台に立たなければわからないこと
眺めているだけでは見えないもの
舞台に立って始めてわかる
難しさ
苦しさ
大変さ
そして喜び 
おもしろさ

挑戦すること
それが生きる原動力になっている
挑戦しようとするとき
からだの底から力が沸き起こってくる
そのとき崖から転げ落ちたとしても
挑戦したことに対する
後悔はない
這い上がって
また歩き出す
それだけのことだ
うまくいっていないときの方が
苦しさはあるかもしれないけど
実はおもしろいんだということをぼくは知っている

青春18切符が4回分もあまっていたので
鎌倉に行ってきた
久しぶりの『はま膳』で刺身を食べて
由比ガ浜で海水浴
楽しかったけど
やはり電車は疲れる
切符を買ってくれるひとがいたら
売ってしまおう
明日は火曜日は東京に出て
アフリカのスーパースター
『オリヴァー・ムトゥクジ』のステージを観てくることにした
novusaxis.com/st13day1.html  
それなので水曜日は店が休みになりそうです
すばらしい声の持ち主です
近所の方は観ておいた方がいいですよ

ライ麦40%のレーズン入りのパンが残っていたので
食べてみた
奇跡の出来き
奇跡のうまさ
これだけの出来のパンはそう簡単に作れない
今度いつこれくらい
あるいはこれを超えるパンを作れるかわからないのだけど
このパンがきのうはいっぱい売れ残った
今年はなかなかことがうまく運ばない
6月頃に窯の具合の悪いことに気がついてから
(大地震のときからおかしくなっていたのに気がつかなかった)
パンの調子がすこしずつ上がってきたのだけど
きょうは全体的に良いパンが出来たというときに限って
お客さんが来ないし
きょうのこのパンは最高の出来だというときに限って
そのパンが売れない
泣きたくなる日の連続だ
でも
光が見えているから
踏ん張れる
明日もパンを焼いていける
いまにとてつもなくうまいパン作るからね!

涼しくなってきて酵母の調子もよくなってきた
ライ麦の酵母は暑さにそれ程弱くないのだけど
小麦の酵母は温度が低い方が調子が良いようだ
酵母の菌が暑さに弱いわけではなくて(50℃とか超えれば死んでしまうけど)
小麦が暑さに耐えられないのだと思う
今年は捏ねるときの室温が25度を超えると
ライ麦量の少ないパン(小麦のパン ライ麦15%のパン)をうまく作ることができなかった
製氷機なしでうまくできることができるのかどうか
わからいけど
来年の夏への課題の繰越だ

うまくいかないことがあればあるほど
とてつもなくうまいパンに近づける
うまくいかないことを恐れて安全策をとっていても
おもしろくもないし得るものもない
うまくいかなくてもいいからおもいきりドカーンとぶつかっていくこと
失敗が許されない風潮になっているけど
この国の元気のなさは
これが大きな要因なんじゃないだろうか

今年の夏はお客さんが来なくて苦戦しているけど
根っこはしっかりと作っているよ

一週間暑い中がんばりすぎて
休日はだらーん
酵母をいじるのがすこし遅れてしまった
去年まではこのくらい平気だったのに
酵母がだらーん
そうだ 今年は製氷機を使ってなかったんだ

製氷機と冷蔵庫を使わずにどこまでパンが作れるか
機械に頼りすぎているときには
見えないも
知ることができないこと
低温で醗酵させる装置の中に捏ねた生地を放り込んでおいて
良いパンが焼けているとしても
それはたまたま良いパンが焼けているだけで
自分の力でもなんでもないということはあると思う
自分はパンのことをもっと知りたい
こうしたらこうなってしまう
こうしたらこうなる
そんな材料をいっぱい集めて
さまざまな状況に対応できる力をつけたい
整いすぎている環境下ではそういう力は
つけにくい

いろんな状況を自分の持っている力を出し切って
乗り切っていく面白さ

お客さんから日本酒と手作りのピクルスの差し入れ
ピクルスはサンドウィッチに使ってみた

東京からの5人組
いつもは自転車で来るのだけど
きょうは自動車
よくあんな小さな車に5人も乗ってきたものだ
5人が去るとお皿の上がスカスカになっていた
5人できょう焼いたパンの4/5くらい買っていってくれたようだ

『頭痛 肩こり 樋口一葉』のなかで
花蛍という幽霊の役をやった若村麻由美さんの演技を観ていて
すごいと思ったことのひとつがからだの動きだ
絶対難しいであろう動きを見事にこなしていた
人間のからだは
こう動こうと思ったところで
そう思った通りには動いてくれない
あれだけの動きをするにはかなりの努力が必要だろう
それもいまだけの努力じゃなくて
何年も何年もかけて築いてきた土台があるからこそできた動きだと思う
俺ももっともっとしっかりとした土台を築いて強くなるぞ~

日曜日の仕込み中にまた背中が痛み出してしまい
しばらくトレーニングもできそうもないので
お芝居を観てきた
こまつ座の『頭痛 肩こり 樋口一葉』
http://www.komatsuza.co.jp/
すばらしかった
お芝居ってこんなにおもしろい世界なんだ
日本人として産まれてきたなら一度は見ておいた方がいいお芝居だ
前売りは完売だけど
当日券が出るから
日本人として生まれてきた方は是非
道化役として出ていた若村麻由美さん
この人すごいと思った
家に帰って早速『若村麻由美の劇世界』のチケットを頼んじゃったよ
http://www.tristone.co.jp/news/?id=1371704769


きょうは平焼きをいつもの倍作ったのだけど
ありゃりゃってくらいお客さんが来なく
撃沈
パンが調子良いために
うれしくなって
たくさんつくってしまうのだけど
夏はどんなにがんばっても
売れるものではないので
なまけものくらいがちょうどいい

きょうは訳あって
押しライ麦のパンを型に入れないで焼いてみた
予想していたより良い味になった
鶏肉とピーマンの生姜炒めをはさんで食べてみた
サンドウィッチにぴったりのパンだと思う

このまえ
背中を痛めてしばらく休んでみて
人間は週休5日くらいがちょうどいいんじゃないかと思った

人間的に成長したいなんて思いはこれっぽっちもないのだけど
パン作りとボクシングだけはもっともっと成長したい

昼飯は鶏肉と茄子 ズッキーニ 獅子唐を味噌といためたものを
ライ麦60%のパンにのせて食べた
このうまさに
まいった
この暑い夏にピッタリ
このライ麦60%のパンは
味噌炒めといっしょに食べるために生まれてきたのかもしれない
世界広しといえども
このパンよりも鶏肉と野菜の味噌炒めを美味しく食べられるパンはない
これさえあれば
この夏を乗り切っていけると思う


ひとりでのトレーニングは
高まった気持ちを維持させることや
集中力を維持させることが難しい
ダラダラ長い時間やるより
短期集中型のトレーニングの方が合っていると思う

定休日の月火は売れ残ったパンを食べて過ごす
今回はライ麦40%のクルミ入りパンがいい出来だった
これ以上のパンを作りたいという思いはあるけれど
これはこれでかなりすごいんじゃないだろうか
自分の力だけではまだまだとてもここまでのパンは作れない
偶然性の力がかなり大きく作用してくれたんだけど
運が向いてきてくれるのは
実力がついてきた証でもある
どれだけ力がついてきているかはわからないけど
ちょっとずつでも
力がついてきているならうえしいことだ

きょうはリハビリ
きのうすこしだけ強めに動いたら
きょうはからだのあっちこっちが痛い
五日間休んだだけでも
筋肉は落ちてしまうものなんだなと実感
からだは動かせば動かすほど動いてくれる

甘さ抑え目で
酸味いっぱいの梅酒
トレーニング後ヨレヨレになっていたからだが
一口の梅酒で生き返る
今年はこれでもかってくらい梅の実を入れ
糖分を減らして作ってみた
自分好みの味になってくれた

ひとが何を言おうが
どう評価しようが
そんなことお構いなしに
自分のこころに
忠実にズンズンズンズンと歩いていきたい
ひとなんてほとんどは
表面だけしか見ていない
点しか見ていない
そんなひとの言うことを
いちいち気にしているのは
人生を無駄にしていることと同じことだと思う
自分のこころに忠実に生きた結果
どんなことになろうと
それはそれで
納得できる
いい人生だ
最高の人生だと
こころの中で叫びながら生きていけるんじゃないだろうか

トレーニングも5日休んだ
店を終えてから軽くサンドバックとランニング
思っていたよりもからだが動いてくれた

復帰2日目
きょうは久々のお客さんが多かった
知った顔が来てくれると
やっぱりうれしいものだ

朝の工場の室温が25度以上なければ
いまだったら良いパンが焼ける自信がある
今月になってようやく季節をつかんだ
だけど
これから暑くなってくるから
また季節を追いかけなければならない

5日間休んでパン屋復帰
数々の失敗を繰り返してきた結果だと思うけど
最近こころに余裕がある
どっしりと構えていられる
その余裕が良いほうに働いて
久々だというのにきょうはなかなかのパンが焼けた
良いパンが焼けたときは気持ちよく店を開けられる
よっしゃ きょうも行くぞ!と張り切っていたら
オープンの30分前から土砂降り
今年はなんだかすごいや
俺が動きと雨が動き出すといっていいくらい
俺の後を雨がついてくる
でもそんななかお客さんがいっぱい来てくれた
まだまだ
踏ん張ればなんとかやっていけるかもしれない

きょうはパンを作れると思ったのだけど
仕込みの準備をしていると
背中に激痛
きょうも本読みと
散歩
この休みはいっぱい本を読んだ
人生でいちばん本を読んだ4日間だったかもしれない
池上永一 芥川龍之介 井上ひさし 太宰治

背中の痛みとれず
店休み
きのうよりは楽な気がするので散歩に出てみる
行き先も決めずぶらぶらぶらぶら
車の走らない静かな場所を歩いていると
開放感がやってきた
そんな開放感が
自分は毎日毎日
時間に追われながらせかせかと生きていているんだなあという思いを
浮かび上がらせる
何を求めて自分は時間に追われてまでせかせかと生きているのだろう
時間に追われてせかせかと生きた先に何があるのだろうか
本当に望んであるものって本当はもうここにあるんじゃないだろうか

背中の痛みとれず
店休み
一日中雨
本を読んで過ごす

午前中
背中が痛い
筋肉がつる寸前のような
ぎっくり腰をやったときのような
肋骨を折ったときのような痛み
ジム行きは断念
本を読んで過ごす

きょうはひとりトレーニング
ここ何年かでいちばんの納得いくひとりトレーニングができた
からだは思ったように動かないことはあるけど
益々ボクシングをやることが面白くなってきた
いままで以上に頭を使ってやらなければならなくなったからかもしれない
スピードが落ちた分どうパンチを撃てばいいのかとか
トレーニングの方法だとか
考えることがいっぱいある

もう20年ちょっとボクシングをやっているけど
ひとよりちょっとだけ優れていたのは
エンジン部分
そのほかに優れた部分はまったくないけど
優れたエンジンさえあれば
そのエンジンがほかのことを補ってくれる
でもまだまだこのエンジンを上手に使いこなせていないので
このエンジンを使ってどうやっていくか
可能性はまだまだいっぱい残っている

店がある日のトレーニング
疲れてしまってこのところあまり身が入っていなかったので
どうするか課題だったのだけど
克服できそうだ
学校で出された宿題はあまりやって行ったことはなかったし
やっても実にならなかったけど
自分で作った課題なら解決する気になってくるし
血肉にもなってくる
何かを伸ばそうと思うならば
自分でどうすればいいのか考えるべきで
強制されるべきものであってはならないのではないだろうか

損得考えないで
そのときやりたいと思ったことを
おりゃーっとやってしまった方が
例え損をしたとしても
満足してその日一日を終えられることがわかった

パンがうまく焼けているときは
パンが焼きたくてウズウズする
パンがあまりうまく焼けていないときも
やっぱりパンを焼きたくてウズウズする

粉と塩と水だけでパンを作るとなると
誤魔化しがきかないから
そうそう食べるひとを満足させられるものではないけれど
その難しさがやり甲斐へとつながっていく

ひとりパン屋の良いところは
1から10まですべての工程を自分ひとりでできること
1から10まですべての工程の生地の状態を
すべて把握できているということは
パンを作るうえではとても大切なことだと思う
分業制にしてしまうとそれはできない
ひとりでパン屋をやっていれば
すべてを自分ひとりで背負い込めば良いだけだから
製造方法を突然変えたりといった
おもいきったことができる
失敗も多いけど得るものも多い
転んでも転んでもめげずに歩いていけるなら
ひとりパン屋は
とんでもなくうまいパンを作る可能性を秘めているんだ

1917(山型食パン 白いのと押しライ麦2種)
ひらめきがあって成形のやり方変えてみたら
想像以上にガラッと変わった

7月21日(月)は無人販売をやります

きのう大量に売れ残ったパンは
売れてくれたのだけど
きょう作ったパンが残ってしまった
朝作業場に行くと室温が低かったので
これなら良いパンが焼けると調子にのって
いっぱい作ってしまった
でもきょうは作るのがとても楽しかったし
良いパンも焼けた
素敵なお客さんもいっぱい来てくれ
すばらしい時間を過ごすことができた
大満足の日曜日
あとはからだ動かして汗を流して
ビールを飲んでサンドウィッチを食べて
ぐっすり眠ろう
明日も素敵な一日になりますように

大好きなミュージシャンがツアーをやっていても
なぜか栃木だけ素通りされてしまう
埼玉 群馬 茨城と来ているのに
次は栃木を通り越して福島
これはいったい
どういう訳だ

きのうに続き
きょうも良いパンが焼けた
なんだかすごい良い調子だからあしたも焼きたくて焼きたくて仕方がないのだけど
きょうはいっぱいパンが残ってしまった
明日は作らなくていいんじゃないかというくらいパンが残ってしまったのだけど
明日も作っちゃおう~と
だって
作りたいんだもん
あしたはきっとパン日和
うまいパンを食って最高の日曜日を送ろうぜ!

ウクレレピクニック
8月3日 4日
横浜赤レンガ倉庫  入場無料
https://hawaii.jp/event_up2013.html 
風を感じながら空の下音楽を聴きたいな
でも外でやるイベントはほとんどが土日なので行くことができない
フラなんて観られちゃったら最高!
sandiiさんのイベント
http://sandii.s168.xrea.com/studio/modules/news/article.php?storyid=842

生きていると
苦しいこともいっぱいあるけど
そんなときだからこそ
ひとのやさしさが身に沁みるのです
ひとの優しさに気がつくのです
生きているっていいなあと思うのです
自分もこころひろく生きようと思うのです
もうすこしがんばってみようと思うのです

またパンの秘密をひとつ垣間見てしまった
もしかしてこうなんじゃないかなあと思っていたことがあって
それは
1917(山型食パン)の成形の仕方なのだけど
ちょっと試してみたら
自分が考えていたよりかなり良い結果が出た
食べてみても結構イケル
パンを作っている限り
終わりはなくて
うまいパンを追い求めなければならない
別に絶対追い求めなければならないというものでは
ないのだけど
追い求めるから面白い
面白いから続けていける
だからそうする

黒磯のラーメン屋さんが
爆音とともに現れた
前から見ても
横から見ても
後ろから見ても格好良いハーレー
エンジン音がまた良くて
聴いているだけでも
うれしくなってくる
俺はこんなハーレーパンが作りたい

お客さんに
「まだ20代ですよね」と聞かれてしまった
たしかに最近ぼく若返っているからなあ
「まあ そんなところです」と答えておいた

きょうは自分に負けてしまったなあと思うことはしょっちゅうあるけど
負けたからといってそれで終わりではないんだ
歩き続けているならば
いつまでも終わらない
俺は這いつくばってでも
大好きなことやり続けていく
いつのときも
そしていつまでも

製氷機はやはり壊れているようだけど
きのうは気温がかなり低くなっていたので
もしかしてらとちょっとの期待を持ちながら
1917(山型食パン)を作ってみた
いい感じにこねあがり
このところ型に入れてからほとんど膨らんでくれなかった生地が
グングンと膨らんでいく
きょうも作業場の朝の室温22度
これはいけるときのうの倍の数を作った
きのうは半信半疑で作っていたけど
きょうはしっかり作ればできるんだという確信を得たので
気合が入ると同時に集中もできた
ここ何年か失敗などをしながら掴んできた材料のすべてが頭の中に集まって
きょうの気象条件を撃破
渾身会心の作
ここ数年のすべてがつまったパン
味は食べてないからわからない
もしかしたら酸味が強いパンになっていることもあるかもしれない
でもいま自分が持っているすべてを出して作ることができたパンだから
満足だ
これがいまの自分

ジム行き三週目
といっても週一日しかいけないので三回目
相手のパンチと動きがすこしづつ見られるようになってきた
その動きに合わせてパンチを出すことはまだできず
でも今回はこんなもので良いだろう
先週のジム行き後練習していた左フックが
良い感じに撃てている
きのうのロングダッシュが効いたのか
スパーリング後息の乱れほとんどなし
手もいくらでも出せる
きょうもランニング休み
足が動く動く
もっと強気にパンチを出していけば
(自信持って出していけば)
もっとパンチは当たると感じた
ここ2年くらい
ジムの帰りは
ビールとおにぎりになっていたけど
ビールはやめて
昔のように飲むヨーグルト500MLと
プロテイン入りゼリー
それとおにぎりひとつに戻してみた
練習を終えて自転車をこいでいると
細胞ひとつひとつが若返えっているのを感じる
自転車もきつくなくなってきた
行けると思う
未知の世界

夜眠ろうと思ったら
からだ中が痒い
からだのあっちこっちに
ぶつぶつができている
熱中症か
お昼に茹で切れてないパスタを大量に食べたためか
原因は不明だけど
朝には治ったので良かった

ジムに行こうと思っていたのだけど
午前中那珂川水遊園に行ったら
人込みに疲れてダウン
ジム行きは明日へ繰越
その代わり夕方
長めのダッシュを繰り返せたのは良かったかもしれない
この時期夕暮れ時の大田原は最高に美しい
どこまでもどこまでも続いている稲が光り輝き
薄いピンクに染まったもくもくの雲
そして蝉の鳴き声
きょうは祝日なので車もなく
こんな世界を独り占め
風が最高に気持ち良い
走って走って走りまくった

梅雨明けと同時に
1917(山型の食パン)がうまく焼けなくなったので
しばらく1917は休んでいる
数日前に調整して良いパンが焼けるようになっていたので
残念だ
去年のように捏ねてる段階で生地がおかしくなることはないので
低温で醗酵させるか
氷水で捏ね上げるかすれば
可能性はすこしあるかな
低温で醗酵させる装置はないので
氷水で試してみようかなと思っているけど
製氷機が故障したかも

いつも東京から
コーヒーを淹れに来てくれているT夫妻からコーヒー豆を買っているKさんが
「あのコーヒー屋さんはまだ30代だよな」と言っていた
俺より若く見られていることが悔しくて
「言動を見ているとそうは見えないかもしれませんが
もう50代ですよ」と強く否定しておいた

何年か前に『クルール』というフリーペーパーの取材を受けたことがあって
そのとき取材に来てくれた方が立ち寄ってくれた
ママたちが活き活きと生きられるようにという思いを込めたフリーペーパーなのだけど
読者や誰よりもその方がいちばん活き活きと生きているなあと感じた
親が活き活きと生きている
それだけで良いんじゃないだろうか
究極の子育てだ
https://www.facebook.com/couleur.projet
(オレが撮った写真が一枚載っています)

宇都宮からの帰り
氏家あたりで自転車をこぐのがもういっぱいいっぱいだったのだけど
気持ちを盛り上げていったら
からだが誤魔化されてくれて
なんとか家までたどり着くことができた

二週続けてのジム行き
夕方4時頃まで待って出かけたのに
まだまだ日差しがガンガン迫ってくる
いつも自転車で2時間30分かけて行っているところを
きょうは3時間かかった
意識してゆっくりこいだわけではなくて
ゆっくりしかこげないんだ
きょうはスパーリング4ラウンド
スタミナは大丈夫なことはわかった
練習量はまだ上げられるので
スタミナは更に上がっていくと思う
課題はまだまだいっぱいあるけれど
ひとつひとつ解決していけるし調子もこれからまだまだ上げていける
そんな手応えを感じたスパリングだった
それからきょうはランニングを休みにしてジムに行ってみたら
足がよく動く
15KM~20KMのランニングと自転車ではさすがに力が残っていなかったのだろう
自分てこんなに動けるんだとうれしくなると同時に
昔よりも強くなれると確信できた
なんだか力が湧いてきた
こころとからだはやっぱり繋がっているんだ
からだが動いてくれれば
こころが盛り上がってくれる
こころを盛り上げれば
からだが動いてくれる
残りわずかとなった人生
いま自分が大好きなこと
目いっぱいやってやってやりまくろうと思う


定休日
ランニングをしていると雨が降り出し
ジムに行こうと自転車をこぎだすと雨が降り出し
しかたがないから庭の草むしりを始めると
また雨が降り出した
それからきょうは足の指を3度もぶつけた

また東京からT夫妻がコーヒーを淹れに来てくれた
本業を持ちながらのコーヒーの焙煎や淹れ方の講座と豆の販売
それだけでも忙しいはずなのに
それだけでは飽き足らず
カカオの焙煎やチョコレート作りにも手を出してしまい
ヒーヒー言っている
でもチョコレートの世界は大手菓子メーカーが研究に力を入れているためか
科学的にかなりのところまで分析されていて
いろいろ調べてみるとかなり面白い
日本チョコレート ココア協会HP
http://www.chocolate-cocoa.com/symposium/symposium13.html

急激に気温が上がり
作業場の温度も急上昇
いままでどおり昼間酵母をほったらかしにしていたら
酵母が弱ってしまった
この時期は半日で酵母が弱ってしまう
もうすこし頻繁に面倒見てやらなければならない
酵母は愛情持って接してやらないと
すぐにぶすくれる
反省

ひとつの感謝の気持ちを持つだけで
世界が変わって見えてくる
でも実際は世界が変わったのじゃなくて
自分が変わったのだろうけど
ひとに助けられながら生きていることを知ることで
世の中そんなに悪いものじゃないなと思えてきた
世界はバラ色
そんな素敵な風景を見させてくれた出会いにありがとう

facebookになまけもののパン屋が存在するけど
これはオレが作ったものではない
なまけもののパン屋になりすまして作っちゃったひとがいるんだ
こんななりすまし野郎たちがfacebookにもっと増殖すると面白くなるね
谷川俊太郎になりすまして自作の詩を発表しちゃったり
北原照久になりすまして
「叶」えるという字は「口」に「十」と書きますよねとか語りはじめちゃったり

普段 平日はそれほどお客さんが来ないのだけど
たまに定休日明けの水曜日になんだなんだ
どうしたどうしたというくらいお客さんが来てくれるときがある
きょうも雨の中想像していた以上のお客さんが近くから遠くから来てくれた
本当にありがたく
そしてうれしく
もういつ終わっても後悔なしというくらいの充実感と幸福感に包まれている
明日も精一杯生きてみよう

おじさんたちのパン屋と言われてるくらい
男性のお客さんが多い店だったのだけど
このところ若い女性がよく来てくれる
何が起こったのかわからないけど
良いことだ
このところパンも良い感じで焼けているので
お客さんの数もこのまま盛り返してくれれば良いのだけど

5 6ヶ月ぶりにジムに行ってきた
グローブをつけて3ラウンド軽く相手をしてもらう
反応や感覚は全然ダメだったけど
スタミナは思っていたよりも良い感じだった
これならなんとかいけそうだ
この前ジムに行ったときも
かなり久しぶりの訪問で
そのときはからだも動かないしスタミナもないしで
全然話にならないといった感じだったのだけど
今回よくここまで持ち直せたと思う
でもようやくスタートラインに立てたというところ
ここからだ

近くに国際医療福祉大学という学校があって
そこの学生たちが結構来てくれる
いろんな地方からやってきて
4年から6年という長い時間を
大田原という小さな田舎町で過ごすことになり
そういうひとたちがパンを買いに来てくれる
それだけでもうれしいことなんだけど
きょうは6年間大田原で過ごし
パンもよく買いに来てくれていた女性が
1年数ヶ月ぶりに勤務地の神奈川県から訪ねてきてくれた
パン屋をやっていて本当に良かったとつくづく思った

なぜか最近店を開ける時間になると
雨が降り出す
きょうも一時ものすごい雨が降ってきたのだけど
雨の中
たくさんのお客さんが来てくれた
普段忘れてしまうけど
ひとりでも自分の作ったパンを求めて来てくれるということは
奇跡といっていいこと
本当にありがたい

重力があるから
歩くことができる
重力があるから
力をつけることができる
抵抗物があるから
おもいきりぶつかっていくことができるんだ
どんどんどんどんやってこい
オレはおもいきり炎を燃やし生きていきたいんだ

飛行機嫌いで南の島にはいけないけど
気分は南国
牧岡奈美
http://www.youtube.com/watch?v=-XhWEZ9lYEI
大工哲弘
http://www.youtube.com/watch?v=4a0uLjVqDwA
武下和平
http://www.youtube.com/watch?v=TY3DksOb4jg
浅野咲千絵
http://www.youtube.com/watch?v=_IO7up1ve78&feature=related

きょうもパンは絶好調~
きょうははじめてのお客さんが多かった
梅雨だけど
梅雨になんて負けないパンを作っているからね
お客さんの数もだんだん戻ってきた
2年前にカマの故障に気がついていれば
もっと早く良いパンを焼けるようになっていただろうけど
この2年の大変な苦悩の中で技術的なものだけじゃなくて
別のものが手に入れられたと思う
もっともっと重いもの
もっともっと力強いもの
もっともっと熱いもの
これを何というのかはわからない
『魂』という言葉がいちばんピッタリくる気もする
そんないまのオレが作ったパン
どんなパンかな?
  あしたのあなたはどんなあなた
  あしたのあなたはどんなあなた
  憧れを胸に
  愛の歌唇に
  歩く速さで
  進むの
  会ってみたいな
  あしたのあなた
  秋の明るい青空の下    (浜田真理子  アンダンテより)
http://www.youtube.com/watch?v=X4R21dt1i94

最近の休日は
トレーニングと草むしりと読書で終わってしまう
ほかのことをする余力が残っていない
トレーニングも一気にやることができなくて
ランニングが終わったら数時間休んでから
シャドーボクシング
またしばらく休んでサンドバックといった感じで
間 間に数時間の休みが入る
それでもかなり体力が戻ってきたようで
それ程疲れなくなってきた
  昨年は一年間ほとんど体調を崩していて
  体力が急激に落ちてしまった
  体力を戻そう戻そうとがんばったのだけど
  動くとすぐ疲れてしまい
  なかなか強いトレーニングができず
  体力を戻すことができなかった
  半年かかってようやくスタートラインに立てたかなといった感じ
  パンの方も調子が上がってきたので
  明日も張り切って生きていこう!
  諦めが悪い男で良かった

お客さんに
「きょうはなんか良いことあったんですか」と言われたけど
きょうはうっかりミスの連続
最後にはライ麦15%のパン生地をカマに入れる寸前に落としてしまい全滅
醗酵器から出したときにピチピチに膨らんでいてくれていたので
どんなパンが出来上がるだろうと焼き上がりを楽しみにしていただけに
かなりショックが大きかった
だけどひとりパン屋はいつまでも落ち込んでいるわけにはいかないのだ
降りかかってくるもの
すべて受け入れ
前に進んでいかなければならない
「これはなにかの間違いだ~」なんて言っていても
何がどうなるわけでもないのである

休日はなかなか起きられない
本当は朝にランニングをしたいのだけど
起きたときにはもう日差しが強くなっている
ランニングがてらホタルを観てきた
大田原市と字のごとく
田んぼはいっぱいあるのだけど
いまはホタルを見つけるのが本当に大変になった
こんなんだから
この大田原市でもホタルを見たことがないというひとが多くなっている
今夜は2匹だけ見つけることができた
来年も見られたらいいなあ

きょうも良い感じにパンが焼けた
この好調がいつまで続くかはわからないけど
自分のやることは
いつでも
どんなときでも
自分をおもいきり生きるだけだ
調子が良いときも
悪いときも
ものごとがうまくいっているときも
いっていないときも
顔を上げて歩いていこう
その道がどこに続いているかはわからないけど
きょうも明日も
ぼくはパンを作り続ける
生きている限り
さびしさや苦しさは
付きまとってくるけれど
時間がかかってもいいから
その道を歩いていこう
いまというそのときを
しっかりと掴み取りながら

生き抜くためなら
ハッタリだってなんだって使っていく
最高の一日を
送るために
自分の気持ちを盛り上げていくためには
ハッタリがいちばんだと思う

きょうは一日限定で世界一のパン屋を開いた

テレビで流れている街角インタビューなんて
たくさん撮ったインタビューの中から
番組を面白くするのに都合の良いものだけを選んで流しているものなんだ
いかに観ているひとを誤魔化すか
テレビに映っているものがすべて真実ではない
最近のテレビのつまらなさは製作者がやる前から番組を作り上げてしまっているからだと思う
自分を超えたところに面白さはあるんだと思う
パン作りもそうだ
自分を超えたところに
とんでもないパンがある
俺は作るよ
とんでもないパン
自分の頭の中を超えたものだから
どんなパンだかわからないけど
いつか絶対作ってやる

きのうひらめいたことを試してみたら
ドンピシャリ
小麦酵母のパンも良い感じに焼き上がった
気温が高くなってきて調整に手間取っていたのだけど
ようやく季節に追いつけた
これからさらに気温が高くなってくるけど
なんとかくらいついていきたい
きょうはライ麦酵母のパンもうまく出来たので
自分としては大満足
朝仕込みの前にきのうの残りのパンを食べたら
ものすごく美味しかったので
きょうはこころ躍りながらパンを作った

ひらめいた!
数日後
おそらくもう一段二段ステップアップしているんじゃないだろうか
自分はパン作りの才能はないけど
あと3年くらいしたらとんでもないパンを作っている気がする
そしてその更に3年後にはもっととんでもないパンを作っている気がする
パン作りの才能はないけど
自分にはそういうことを考えられる才能がある
そういうことを思い続けられる才能を持っている

この時季はライ麦のパンより
小麦のパンの方が酸味が強くなってしまうことが多い
作り方にも問題あるかもしれないけど
他のことにも問題があるような気がする
酸味がダメなひとでも
パンに何かのせてオープンサンドにして食べれば
酸味をほとんど感じることないから
天然酵母のパンも
ライ麦のパンも
チャレンジしてみてね

やばい
きょうも絶好調だ
土日はなぜかミスることが多いけど
明日もうまいパン作っちゃうぜ

春夏秋冬
パン作りは
季節季節で
それぞれ難しい
いまのこの梅雨の時季は
なんといっても湿気が大敵だ
粉がいっぱい水を吸い込んでいるので
いつもの調子で水を加えてしまうと
べちゃべちゃの生地になってしまう
だからその調整がかなり難しい
それと作っている自分
湿気が肩から背中にドッドドットと圧し掛かってくるから
集中力を保つことが水の調整以上に難しい

半年かけて夏目漱石の本を4冊読んだ
小学校時代と高校時代『坊ちゃん』は
5回くらい挑戦しているんだけど
毎回4ページ以上進めたことがなく
いまだに終読できていないから
夏目漱石にしっかり触れたのは今回が初めてだた
頭を使わないとわからない部分
頭を使ってもわからない部分がかなりあったけど
そのあたりが自分にとっては心地よく
リラックスできた
いつもと違ったものが頭にぶつかってくる刺激
わかったようなわからいような頭の中がモヤモヤした状態
わかりやすい本もときには良いけど
こういう本の方が頭の中の世界が宇宙のように広がっていく
物語は作者が何を言いたいのかを読み解く必要なんてなくて
自分が感じたままに受け取り広げていけばいいんだと思う
昔の人が書いた本の方が自分にしっくりくる気がするので
古本屋でまた本を探してこよう

すべてのパンが良くできるときもあるし
何種類かうまくいかないときもあるし
たまにかなりのパンがうまくいかないときもあるけど
いい感じにいっているって言えるかな
これから更なるステップアップもしていくけど
とりあえずいまのパンを食べて欲しい
かなりのパンになっていることがあると思うから
ちょっと手を加えてオープンサンドにして食べれば
何千円も出して食べる一皿より
感動できるおいしさに出会えるかもしれないよ

酒をチョビチョビしながら
ゆっくりとご飯を食べ
本を読む
朝起きてから夕方まで
息つく暇もなく
パンを作っているので
夜のほんのわずかな時間だけど
いちばん精神がゆっくりできるときであり
至福のとき
今夜の友は新潟のお客さんから頂いたお酒

自転車で走っているとき
それからランニングをしているとき
花壇に突っ込んだこと8,9回
用水路にダイブしたこと3,4回
田んぼに落ちたこと4,5回
車道と歩道の境にあるブロックに突っ込んだこと3,4回
大田原市はデンジャラスゾーンだ
構造が絶対おかしい
他の市や県を走っているときはこんなことに出会うことは滅多にないもん
青森県の奥入瀬渓流を自転車で走っているときに
三メートルの垂直の崖から落ちたのと
やっはり青森で大雨警報が出ている中
自転車で走行中にガードレールに思い切り突っ込んだのと
宇都宮で自転車走行中
坂道を上るときに滑って顔面を強打したくらいだ
東京の自転車乗りは花壇に突っ込んだり田んぼに落ちるのは
あんたぐらいだよ大田原が悪いわけじゃないんだよと言っているけど
いま秋田の大学に行っている女の子も
こっちでブロックに突っ込んで自転車をお釈迦にしてしまったと言っているから
やはり大田原市は自転車を乗るひとやランニングをやるひとにとってはデンジャラスゾーンなんだ
みなさん気をつけよう

頼んでおいたロッキングチェアが出来上がったという知らせが届いた
どのくらいの大きさかはわからないけど
店の中が更に狭くなるのは確実だ
無理言って栗の木を使って作ってもらったロッキングチェア
果たしてどんな座り心地だろうか(近々入店予定)
夏になって店の中の風鈴も美しい音色を響かせている
庭の花々も見頃を向かえ
パンの方も絶好調
お近くの方も
観光の方も遊びに来てくださいませませ

梅雨に入り
お客さんの入りが悪くなった
ここからどう這い上がっていくか
落ちたとこから上がっていく作業
人間として生きている醍醐味だ
心身ともに絶好調
パンの方も絶好調のいま
なんだか楽しくてしかたがない
パンがうまく出来なかった原因がわかったいま
「これがライ麦パンだ」
「これがオレの」パンだ
というパンををこれからバンバン作っていっちゃうよ

去年は体調を崩してばかりだったけど
今年は初めの頃体調を崩していたことはあったが
暖かくなってきたせいか
生姜を食べるようになったせいかわからないけど
このところ体調を崩すことがない

少しずつすこしずつ
ハードなトレーニングが出来るようになってきた
「もうダメだ」というところからどう踏み込めるか
歳をとってくるとずるくなってくるから
若いときよりも早い段階で「もうダメだ」と思ってしまう
だからさらに伸ばそうと思うなら
「もうダメだ」と思ってからあと一歩二歩足を出せるかどうか
踏ん張れるかどうかだ

きょうは仕込みなしなので
朝からランニング
やはりランニングは朝がいちばん
600~800mのインターバル10本
良いトレーニングができ
良い汗をかいた
だいぶ湿度が高くなってきたけど
このジトジトには汗で対抗するのがいちばん気持ちが良い
そして良いトレーニングをした後は冷たいビールがいちばん

きょうのライ麦40%も昨日に続き
良い出来だ
いつもは生地をカマにいいれる前に一度蒸気を入れ
生地を入れた後にもう一度蒸気を入れるのだけど
カマの具合が悪く
蒸気が入るときの圧力が強すぎて
生地がつぶれてしまうので
生地を入れる前に蒸気をたっぷり入れて
二度目の蒸気挿入を止めたら
良い感じに焼けるようになった
いつもそうなんだけど
良いパンが焼けているときに限って
お客さんが来ない
きょうはここ数年で最低の来店数
ライ麦40%のパンはここ数年で最高の出来だったので
食べてもらいたかったのだけど
こんなものだろう
これだけパンが残るとさすがに明日はパンを作れないし
作る気も起こらない
今夜は徹夜でからだを動かしまくろうかな

山型の食パン(1917)でオープンサンドを作った
やっぱり自分のパンは何かといっしょに食べてこそのパン
そのまま食べるなら
山崎のパンの方がうまいだろう

梅雨になって
パン作りも
体調も
上がってきた

ここ2年
「きょうは良い生地ができたぞ~」と
カマに送り込んだパン生地(ライ麦40%)が
ことごとく悲惨な状態になってカマから出てきた
その度にずっと生地に問題があるのだろうと
落ち込み悩んできたのだけど
「あれ もしかして カマに問題があるんじゃないの」という思いが
二年たったいまふっと湧いてきた
ライ麦40%のパンは3段あるカマの一番下の段に縦3列横3列で入れるのだけど
前の一列がかなりの確立でぺしゃんこになっていた
いい生地が出来たと思って焼き上がりを待っていたときは
もう何がなんだかわからなくなって
頭の中ぐっちゃぐっちゃだった
いつもは前列にレーズンのパンを入れていたのだけど
カマに問題があるのかもという疑いが浮かんだので
前列にひまわりやナッツのパンを入れて焼いてみたら
いつもぺしゃんこになるレーズンのパンは無事で
前列に入れたひまわりやナッツのパンがぺしゃんこになっていた
蒸気が入るときの圧力が強すぎるのかもしれない
地震でカマがかなり動いているので具合が悪くなったのだろうか
もしそうだとしたらこの2年の苦しみはなんだったのだろうか
生地がうまく出来たと思っても
ちゃんとパンが焼けないなら
自分が間違っているんだろうと
ああでもない
こうでもない
ステップアップしたくても
足を持っていく場所がないのだから
でもごちゃごちゃ言っても始まらない
ここからだ
ここから踏ん張って
階段を上がっていこう

きょうは朝ランニングを済ませたのだけど
夕方犬と散歩をしていたら
ここ近年感じたのないからだの軽さを感じたので
なんだか走りたくなってきて
途中ダッシュを数本入れながら3kmくらい走ってきた
いくらか体力がついてきた気がする
あと一歩か二歩
長かったトンネルから抜け出せる予感がする

  みんながみんな良いというパンは
  それだけのパンでしかない
  みんながみんな良いという映画は
  それだけの映画でしかない
イナゴや芋虫 カエルやトカゲ
昆虫を食べさせてくれるレストラン
そんなところは日本にそうないだろう
食べたいと思う人も
日本の人口の1%くらいしかいないかもしれない
でもそういう店の数が少なければ商売は成り立つ
もちろん来てくれたお客さんを満足させられるような何かがなければダメだけれど
  イタリアンレストラン
  人気があるけど
  店の数も多い
  やっていくにはかなり大変だ
  きっとかなりの努力とかなりの運そしてアイディアが必要になってくる
人気のある大学
人気のある会社
入りたいとひとが大勢集まってくるので
入るのはかなり大変だ
しかれたレールの上を進んでいくことは楽ではあるけど大変でもある
この大学でこんな勉強をしたい
この会社でこんな仕事をしたいという思いがなければ
時が虚しく過ぎていくだけだろう
  

どうなってもいいから
もうドーンと行って
自分のなかに浮き上がってくるすべてのものを吐き出してしまえ
階段でこけて滑り落ちようが
洋服を裏返しに着ていようとも
それを見たひとが自分のことをどう思おうとも
平気で親指立ててやれ
自分のこころに忠実に生きたなら
その結果
どんなことになろうとも
平気で歩いていればいいんだ
みんな死んでなくなってしまうなら
世間体だって
名声だって
消えてなくなってしまうんだ
どうせすべてがなくなってしまうなら
俺はいまこの瞬間瞬間
自分のこころだけは大切にして
生きていきたい

きょうはライ麦酵母のパンの出来が良かったので
一日中気分がハイだった
自分の中ではベストパフォーマンスだろう
いまの自分の力なら95点くらいはあげられると思う
人生最高のパンと言ってしまおう
偶然的な部分もあるけど
いままでのたくさんの失敗から集めとった欠片をよく見つめなおして
作ってみたらうまい具合に焼きあがってくれた
気温や湿度 粉の状態 日々変わってくるので
明日あさってもきょうみたいに良いパンを作るかどうかはわからないけど
これからもパン作りを続けていくなら
欠片はもっともっと見つけることができるだろう
だからいつかきょうよりも良いパンを作ることも出来ると思う

いつかは死んでなくなっちゃうのに
それを知りながらも
懸命に生きる姿の美しさ
窮屈なこの場所から
懸命に抜け出そうとしている姿の美しさ
人間はどんなときでも
顔を上げて歩いていけばいいんだ

パンを作り続ける限り
見つかるはずもない答えを探しながら
歩き続けなければならない
ああでもない
こうでもないと
考え
試し
すこしずつ欠片を拾い集めながらも
絶対に揃え集めることができないという未知へ向かって
最高に楽しい謎解きを繰り広げ
未完成ながらも
うまいという
不思議な現象が起こる世界をさ迷い続ける自分は
悲しい存在であると同時に
自分で言っちゃうけど
美しいとも思う

きょうは一種類
うまく行かなかないパンがあった
原因はいくつか思いついたけど
そのどれかかはまだわからないし
もしかしたらすべて違うかもしれない
うまく行かなかった悔しさと
どうすれば解決できるかという世界に入り込めた喜び
さあ
早く明日よ来い

ライ麦80%のパン
ようやく焼きに入るタイミングがわかった
ちょっと勘違いしていた
もしかしたら
パン作りは
自分の頭で考えるより
見て
触る方が大切なのかもしれない

指を切手から一週間とちょっと
指を曲げても痛みを感じなくなったので
サンドバックを叩いてみた
まったく問題なし
キズパワーバンドのおかけだろうか
やっぱりからだをおもいきり動かせることは
最高に気持ちがいい
きょうはランニングも絶好調
こんなにからだが動いたのは何年ぶりだろう

花々がここに来て
いっきに開いた
まだ株は小さいけど
それなりに楽しめる
苗と苗がくっつき過ぎていたり
隣の植物との相性が悪かったりと
いろいろ問題があるけれど
気長に庭をつくっていこう

店のトタン屋根に日除けシートを設置
いつものようにまったくの無計画
ホームセンターでの突然の思いつきで
日除けシートを購入
屋根の幅も知らなかったけど
自分がやったとは思えないようなすばらしい出来に大満足

夢はいまという時を最高に楽しく生きること
これから起こるであるかもしれないことへの期待というのはあまり持つことはない
ただとにかくいまの自分のこころをおもいきり生きること
希望は
いま
いまの自分

まだまだ体力が戻ってこない
ここ20年で最低の体力だ
すこし動いただけで
すぐに疲れてしまう
おもいきり自分に負けている
しっかりトレーニングさえできたらなんとかなると思う
なんとかここを超えたい
毎日ぶっ倒れるぐらいからだを動かしたい
後悔ないように精一杯がんばってみよう
失うものはなくもないけど
失うことで
あるいは失ってもいいやと思うことで
身軽になれるんじゃないだろうか

100Mダッシュ
速い動きにだいぶ筋肉がついてこられるようになってきた
でも走っていて苦しくなってくるのは
速い動きに心肺機能がついてこれないからなのだろうか
心肺機能が低下しているのか
それともどこかによけいな力が入っているのだろうか

休んでしまおうかとも思ったけど
やってよかった
困難は望んでも望まなくても
向こうからやってくる
その困難が身に降りかかってきてしまったことをしっかりと受け入れて
こっちからぶつかっていけば
自分が広がっていくんだなあ
それに
困難をどう乗り越えていこうかと考える作業
乗り越えていく過程も最高に面白い

手の怪我で作業スピード落ちる
そのぶん種類を減らしてカバー
すこし余裕が出たので
おもいきって作り方をすこし変
予測が当たったのか
かなり良い感じに仕上がった
本当にこれが使えるかどうか
明日が楽しみ

捏ねられるか心配だったけど
痛みもなく
なんとかなった
怪我が左手だったのも良かった
ただ手袋をしての作業なので
感覚がつかみづらいし
作業もしづらい

勢いよく手を振り下ろしたところに
パン生地を窯に挿入するときに使うステンレス製の器具
突起した部分にジャストミートで小指がグサリ
痛みは全然ないのに
ザックリ割れて
血がドクドクと吹き出してくる
これは縫うようかなと思ったけれど
セロテープでグルグル巻きにしたら血が止まってくれた
捏ね終わった後だったので助かった
水曜日は捏ねられるかな

休みは東京行き
きょうは座っている時間が長くなりそうなので
意識していっぱい歩いた
朝出かける前に犬と90分かけて散歩
東京へは早く着いたので築地市場を60分くらいぶらぶらする
新宿御苑に移動して90分くらい散歩
カラタネオガダマの香りにクラクラ
何十種類のバラの花
もう一週間早かったら
知り合いのご飯屋さんへ徒歩移動 初台へ(まるカフェ)
迷いながら到着
セブンイレブンを曲がったところと聞いていたけど
都会にはセブンイレブンが多すぎる
生まれて初めてフォーを食べる うまい
お芝居を観に新宿駅方面へ徒歩移動
相変わらず
会場を間違う
10分前に着いたところは
紀伊国屋書店新宿本店4F『紀伊国屋ホール』
きょうに会場は新宿駅南口にある新宿 タイムズスクエア5F『紀伊国屋サザンシアター』
パンの発送で鍛えられたので焦ることもなく移動
ダッシュ 通販には精神的にも肉体的にも鍛えられた
10分もあれば何でもできる
しばらく前までヤマト運輸大田原営業所内では
最終出荷時刻1分前の男と言われていたほどだ
観劇の後は渋谷にコンサートを聴きにいく
それまで本屋で120分ぶらぶら
書籍数冊購入
コンサートはさすがに疲れ
集中できず
座りすぎか
歩きすぎが
わからない
コンサートが予想より早く終わり
本日中に帰宅

子供はいったん眠ると
ちょっとやそっとの物音では目を覚まさない
そんな一心不乱に眠る姿を見ていると
子供は寝るから育つんじゃなくて
育っているから寝ているんだなということを感じる

これはダメ あれはダメ
こうしなさい ああしなさい
小さいときから大人たちに言われ続け
大人になったら
規則や世の中の習慣や価値観などでがんじがらめ
こんななかで育っていれば
何をやるか
どう生きるか
そんなことは自分で決めていいんだということを知らずに
目の前にあるレールの上を歩いていくことが
生きることだと勘違いしてしまうだろう
何をやるか
どういきるかなんてことは
自分で決めていいんだ
何が正しいかなんてことは誰にもわからない
だからなにをやってもいいんだ
どう生きてもいいんだ
自分がやりたいように
自分が生きたいように
みんなが携帯電話を持っているからといって
自分も同じように持つ必要はないし
中学を出たら高校に行くか専門学校に行くか
就職するか
そんな道しかないと思っているのは大間違いで
世界を放浪してもいいんだし
一生縄跳びを飛んで過ごしてもいいわけだ
みんながビートルズが好きだからといって
自分もビートルズを好きになる必要はないし
でんぐり返しが好きなら
朝から晩まででんぐり返しをやって
一生を過ごしてもいいわけだ
学校に行きたいなら行けばいいし
学校なんて行かずに本を読んで過ごしてもいいし
山に入って動物を捕ったり植物を採取して暮らしてもいいわけだ

いまはとにかく突っ走ろうと思う
ぶっ壊れたらぶっ壊れただ
走れなくなったら
歩けばいいんだし
歩けなくなったら
立ち止まって休んでもいいんだ

ここ数年
首が固まってしまってあまり回らなくなっていた
道路で車が来ないかを確認するにも首が動かないし
夜空を見上げるのにも一苦労だった
だからといって頓着せずにここまで来たけど
ここにきてこれはちょっとまずいかなという感じになってきたので
しばらく前から意識して首を動かすことをしていたら
だいぶ動かせるようになってきた
からだの悪いところは治そうと思わなければ治らないけど
治そうとすこし努力すれば
なんとかなるということを
いまさらながら理解した

今年のゴールデンウィークは
時間帯がばらけてお客さんが来てくれたので
ゆっくりと接客ができて楽しかった
毎年ゴールデンウィークは店を開けるので
出かけることはできないけど
素敵なお客さんがいっぱい来てくれるので
この出会いが僕にとっては旅のようなものであって
それもただの旅ではなくて
旅人をもてなすこともできるという
最高にたのしい旅なんだ

ひとと同じようにできないからといって
劣等感なんて持つ必要はなくて
それができたって
できなかくたって
どうっていうことないんだ
ひとと同じ必要はないんだし
どう生きなければならないなんてものはないんだから
ひとと同じことをやる必要だってないんだ
どう生きるか
何をやるかは
自分で決めていいんだ
転ぼうが
でんぐり返しをしようが
這いずろうが
それでいいんだ
どうにもならないことはどうにもならない
自分のせいなんかじゃないから
堂々と胸を張って歩いていけばいいんだ

暖かくなってきて
ハンモックで遊んでいくひとたちが増えてきた
丈夫なハンモックなので
大人も子供も自由に使ってね

先日の雨で庭の植物たちがグングン育っている
寒い寒い冬を土の中でよく耐え抜いて
今年もまた姿を現してくれた
土の中寒さにじっと耐え抜いたからこそ
いま春になってこれだけ力強く
君は育っていけているのかな
風で
花びらが吹き飛ばされたって
踏みつけられ
茎が折れたって
君は生きていたね
根っこをしっかり育てていたんだね
そうだ
根っこさえ育てていられたら
それでいいんだ
根っこさえ育っていれば
大丈夫なんだ
すこしずつ
すこしずつ
力をつけて
強く大きく育っていけ
僕から君へ
君から僕へ
http://www.youtube.com/watch?v=ArVd29wht_A
(花から人へ、人から花へ/今井 忍

常緑の植物はいつもそこにいてくれて安心感をくれるけれど
落葉の植物と付き合っていると
この寒さに耐え抜いて来年も元気な姿を見せてくれるだろうかという不安が冬の間ずっと付きまとう
でもこの間がいいんだよね
想える時間
考えたり想像できる時間
そしてまた出会えたときの
喜び
いまは間がもてない
間てない
間抜けな世の中になっているけど
人生に間がなければぜんぜん面白くない

猫が店に入ってきた
人懐こい猫で
テーブルの上のパンよりも
ひとを求めてやってきた感じだ
お客さんたちの足元を
あっちこっち行き来している
そうだ
この猫はあのときの猫だ
何日か前に犬と散歩をしていると
何かがついてくる気配がある
後ろを振り向いてみると
子猫が犬の後をトコトコトコトコくっついてくる
そのうち犬もそのことに気がついて
猫に近づいていってうぅぅうぅぅと唸るのだけど
猫の方は全然平気
しゃがみ込んでリラックスしている
ここはおとぎの国か
それともムツゴロウ王国か
あんな不思議な猫ははじめてだったので
現実の世界のことなのか夢でも見ているのかわからなくなってしまったんだ
自分を犬だと思っている猫
犬といっしょに育てられたのだろうか
あるいは何らかの理由で犬として育てられたのだろうか
お客さんが差し出した手にお手をしているよ

良い結果を出すことばかりにとらわれていると大切なことを忘れてしまう
過程を楽しめなければ
たとえ良い結果が出たとしても満足は出来ない
三浦雄一郎がエベレストを登っているけど
ヘリコプターで頂上まで運んでもらったって
三浦氏は「ヤッホー」なんて喜べるはずもない
良い結果が出なかったとしても
過程が楽しめたなら
それはそれで
そのことに関しては満足が出来る
それでも悔しいときは
またやればいいんだ

実際にやってみて
難しさを知っているからこそ
わかるすごさ

興味があるなら
ごちゃごちゃ言っているより
実際に自分でやってしまった方が何千倍も楽しめる
うまくなんてできなくたって
才能なんてなくたって
やっちゃえばいいんだし
やっちゃっていいんだ
ひとの目
ひとの評価なんて
気にしていたらもったいない
人生なんて短いもんだ
後のことなんて考えないで
こころのすべてを
吐き出して
ぶつけてやればいいんだ
砕け散ったらどうしようじゃなくって
砕け散ってもいい
笑われたらどうしようじゃなくって
笑われたっていいだ
すべてを失ったのなら
またゼロから始めればいい

人間は弱い
だから自分は間違っていないと思って生きている必要がある
無意識だけどそうすることでこころのバランスを保っている
自分は間違っているという思いの中で人間は生きられない
だから自分のことをひとに否定されると
そのひとのことを否定し返さなければならない
人間はそういうややこしい生き物

歳をとったひとの方が情のあるひとが多いなと感じる
そうなっているのは
情は育っていくものだからだろうか
それとも情が失われていっているからだろうか

掘り下げていけば
もう絶望しかない
それでも
生きていかなければならない苦しさ
そんな中で
自分を貫き生きることで
なんとか立っていられる自分
自分を曲げてしまったら

奈落の底に振り落とされてしまうだろう

ひとはいつか死んでしまう
人類もいつか滅びるだろう
すべては消えてなくなってしまうけど
それでもそのときまで生き続けなければならない
人間の悲しさ
生きている間に自分を満足させることに力を注がなければならない
人間の悲しさ

いい大学に入り
いい会社に入り
お金をいっぱい稼いで豊かな生活を送る
そんな思いでがんばっても
その稼いだ金は
使う暇もなく
豊かな生活を送る暇もない

いまこの国を覆っている問題の数々
それらのほとんどはいつまでたっても解決されることはない
形や姿を変えて生き続ける
人間の持っている変わることのない性質がある

イマジン
想像力は千差万別
すべてがひとつの方に向かうことなんてない

仕込みをしているときは
ラジオを流している
きょうは朝から何度も何度も
通知表の記入ミスがあったことが
アナウンサーの口から読み上げられている
そんなこと全国放送のニュースで取り上げることかと
耳に入ってくるたびに悪態をついてしまう
いま自分が住んでいる国に流れている
ミスが許されない空気
それを吸い込みながら生きていることの息苦しさへの怒り
ひとがミスをすれば
自分もミスすることもあるのにそのことは棚にあげておいて
100年追い続けた敵にようやく出会えたのごとく
猛烈に攻撃してくる
学校の先生たちも大変だ
子供を育てることよりも
学校側に責任が降りかかってこないようにという対応に時間を取られ
毎日遅くまで本当にこんなことが必要なのかという仕事に追われ
心身ともにクタクタだ
先生たちは責任が降りかかってこないように
無難に型通りの教育をするようになり
型通りの教育を受けた生徒の多くは
型にはまった人間になる
学校だけじゃなくて
会社だって同じようなものなんじゃないだろうか
毎日をもっとこころ楽に生きられたのなら
目の輝きも変わってくるだろうに
世界も面白くなってくるだろうに

店の前にシモツケを数本植えてみた
なんだかいい感じ
だんだん形になってきた
カケラを見つけてはめ込んでいく作業が好きだ
ジグソーパズルはカケラをはめ込む場所が最初から決まっていて
そこひとつだけにしかはめ込むことができないから
好きではないけど
庭や店を作っていく場合には
カケラはどんなものでもいいし
どこにはめ込んでもいい
何をはめ込むか
どこにはめ込むかによって
表情が変わってくる
そこが面白い
ひととひとだって違っているから面白いんじゃないだろうか

店をやると
ひととの出会いも楽しいけど
店を作っていく楽しさもある

傷つけたり
傷ついたり
それがあるから人生が彩られ
豊かになっているということもあるのじゃないだろうか
脳みそが発達しすぎたおかげというかせいというか
人間は刺激がないと退屈を感じてしまう
刺激があるからこそ人間は成長したり
次のステージに自分を持っていくことができるんだ
傷つくようなことがないようにと純粋培養みたいな世界を作ってしまったら
その中で生きていてもやっぱり楽しくはないだろうし
その世界はつまらない人間であふれてしまうのではないだろうか

ようやくライ麦が送られてきた
頼んでおいたライ麦がなかなかやってこなくて
きのうはライ麦酵母のパンが作れなかった
粉がなくて酵母も活性化させられなかったので
きょうのパン焼きに間に合うようにきのうからつきっきりで酵母の面倒を見た
いつもより手間をかけたからだろうか
酵母はいつも以上に元気になって
きょう焼いたパンはすばらしい出来
酵母がしっかりしていると
こんなに良いパンが焼けるのかと感心した
良いパンを作るヒントを貰った
だけどひとりでパン屋をやっていると
さすがに今回のように手間隙かけていられない
酵母が元気になるような別の方法を考えてみよう
きょうのパンは本当にすばらしかった

生きていて
楽しいか
それとも虚しいか
それはどの道を選ぶかで決まってくるのだと思う
自分でどうにも出来るものなんだ

どう生きるか
どうすればいいか
自分で考え
自分で見つけていく
how to本になんて頼らないで
手探りで見つけていけばいいんだ
その方が生きていて面白いもん
それにそれを生きるって言うんじゃないか
答えなんてすぐに見つけ出さなくていいんだ
誰かの考えに従って生きたり敷かれたレールの上を進んでいくことは
楽だけどつまらない
自分の持っている力をフル稼働して生きた方が絶対絶対面白いじゃん

これはダメ
こうしなさい
ああしなさい
子供のころから自分で考えたり判断する能力を奪われているのだけら
生きていても虚しくてしかたがないのは当然なのかもしれない
物や道具と同じで
人間も使ってこそ輝いてくるんだ

考える余地のあるものの
面白さ

欲張り続けたら
いつまでたっても満たされない
欲張る必要のある部分と
欲張る必要がない部分があると思う

一日からだを使いまくった
からだは疲れ果てているのだけど眠れない
頭を全然使わなかったから
頭は元気いっぱい
だから本を読んでみたらグッスリ眠れた

誰かを金持ちにするために心身がボロボロになるまで働かされているというおかしな仕組み
国が作ってしまったふざけた仕組み
さまざまな組み込まれたくない仕組みの中にいつのまにか組み込まれてしまっている
抜け出したい
抜け出したい
なんだかとても窮屈だ

もっともっともっと経済的に豊かな生活を送りたい
そんな思いがいっぱい渦巻いているのだから
経済的に貧しいひとたちが増えるのは当然だ
誰かが金を得れば
誰かが苦しい思いをすることになる

もっともっともっと経済的に豊かになりたい
そういう思いがあるがために
仕事に時間を奪われるし
ストレスも増える
こころは豊かになることなく
虚しさが募るばかり

前向きな気持ちになって
生きていても
また突然痛みが襲ってきて
沈んでいく
そしてまた前向きになったら
また沈んでいく
その繰り返し
そうやって傷とは付き合っていくしかないんだ
そしてそれでいいんだ
きっと傷とは一生付き合っていかなければならないことなのだから

ゴールデンウィーク最終日
いつものコーヒー屋さんが
コーヒーを淹れに来てくれた
商売にはしないと言っていたけど
とうとう商売にしてしまったらしい
月に1回とからしいけど
商売を始めると
これが月に3回になり
週に1回になり
週に5回になってくるんだよな
このコーヒー屋さんはどこか行く度に物を貰っている
夜いっしょにご飯を食べに行った店ではコーヒー豆を貰い
きょうパン屋でいっしょになったお客さんからはトマトを貰っていた
もの欲しそうな顔をしているのだろうか
お金に困っているように映るのだろうか
きっとこれからはお金もいっぱい落として行ってくれることだろう

YO-RIさんこと森洋利さんの写真展が所沢であるそうです
お近くの方は行ってみてください
HPには動物 電車 植物 昆虫などなど
楽しい写真が一杯です
http://blog.livedoor.jp/ymp1/
森 洋利 写真展2013
2013年4月13日(土)~4月29日(祝)
※森さん情報によると
10月にフリーフォート(スウェーデン)のレーナが来日するそうです
こちらも是非
http://www.youtube.com/user/OTONAKAMAI    (映像)

店の中がだんだん形になってきた
お客さんにゆったりしてもらえる空間作り
きょうはうれしいことに自分の部屋にいるように
コーヒーを淹れたり
おしゃべりをしたりと2時間くらい
くつろいでいってくれたお客さんたちがいた

九州に引っ越したIさんが
1年半ぶりに来てくれた
残念ながらパンは売り切れでなかったのだけど
暴風雨のなか自転車でわざわざ寄ってくれたのはうれしかった

新聞には
成功の秘訣
成功の理由とかいう本の広告が氾濫している
成功することが良いことで
成功しないことはダメなこと
こういう風潮は
なにかによってつくられ
なにかによって言われ続けた結果
出来上がっていったものなのだろう
なにかというのは
そうすることで利益を得たり
ひとを管理しやすくしようとするひとたちで
こうやって出来上がってきた風潮は
おそらくまだまだいっぱいあって
ぼくたちはそれらに操られ
つくられた世界のなかに組み込まれながら
疑問に思うこともなく
考えることもなく
生きている
そういうものを
全部ぶっ壊して生きてみたら
そこにはいったいどんな世界が広がっているんだろう

適応できないなら
無理することないんだ
自分のやり方で
やっていけばいいんじゃないか

政治家に世界は変えられない
世界を変えたいなら
自分が変わるしかないんだ
自分が変わることで
自分にとっての世界を変える
生きていても楽しくないと感じているなら
楽しく生きればいいいんだ
それだけだ
簡単なことなのか
難しいことなのかは
わからないけど
そう決意する以外に
そこから脱出する方法はないんじゃないだろうか

この世に変わらないものはない
ひとだって変わる
考え方
感じ方
思い
なにかをやっているならその技術
だから
なにごとも
やりながらだ
始めてみれば
けっこうなんとかなっていくものだ
一歩を踏み出す勇気
それさえあれば
こころはいつでも自分のそばで輝いてくれている

地位が高いか
大企業に勤めているか
出来るか出来ないかだけでひとを評価したり
品揃えが多いか悪いか
味がいいか悪いかだけで店を選んだり
味のない人生
味のない人間になってしまう
そんな気がする

どこかのメーカーの車を買うと
市から補助金がもらえる
従業員はいっぱい給料貰っているのに
その会社を市が援助する
回りには助けを必要としている会社や店がいっぱいあるだろうに
ギリギリの収入のなかからなんとか税金を納めたとしても
国や県や市は助けてはくれない
税金を多く納めているところが優遇される社会で
行政に頼って生きようなんてやっぱり思わないし
従いたいとも思えない

大震災
多くのひとが被災したひとびとに目を向けて
手を差し伸べようとしていた
けれども
そのとき
そしていまも
とても身近なところに
助けを必要としているひとはいたしいる
誰にも気づいてもらえず
苦しんでいるひと
  テレビや新聞の報道で
  東北地方に目を向けていたひとたちの多くは
  NHKの大河ドラマの舞台になった地域と同じように
  東北地方のことも忘れていく

天皇が何十年か前に訪れた場所に碑がたった
いろいろと思惑があるのか
なぜ今更昭和天皇なんだ
天皇が訪れただけで250万円はねえだろう
地球上のひとりひとりが懸命に
そして輝きを放ちながら
生きているし
生きていたんだ
これはそのひとたちへの侮辱なんじゃないかと思う
http://www.asahi.com/area/tochigi/articles/TKY201304040395.html

地位が高いひとは威張り散らし
地位が低いひとは地位が高いひとに敬語を使い頭を下げる
なんだか
そういう世界がバカらしく思え
そういう世界では
生きていけないので
ぼくはひとりでパンを焼いている
人間誰も威張れるようなことやってないよ

地位とか名誉とか
砂漠にひとりポンと放り投げられたら
そんなもの
何の役にも立たない

人間がやっていることは
すべて人間の勝手
世界一高いビルを建てようが
ノーベル賞をもらうような発明をしようが
国から勲章を貰おうが
人間の世界でしか通用しないこと
そんななかで
誰が偉いだの
収入が多いだの
どの学校出ただの

劣っていることが必ずしも不幸なことではない
どんな状況だろうと
そのひとが幸福だと思っているなら
幸福だし
不幸だと思っているなら
不幸なんじゃないか
科学技術が優れていたり経済的に
優れている国のひとだって
不幸だと思っているひとは
不幸なんだ
いまこの国は
ひとのために病が蔓延していて
自分より劣っているひとを見つけたり
つくったり出して
そのひとのお世話をしようとするひとが多いけど
余計なお世話だってこともけっこう多いんじゃないか

自分自身の問題は棚にあげて
ひとのために
ひとのためにと言っているひとが多い気がする
自分と向き合って生きることは
苦しいことだけど
その苦しさを知っているからこそ
ひとを支えられるんじゃないだろうか

銀河鉄道999という漫画があったけど
いまこの国はそれとまるっきり同じ世界になっている
ひとびとは機械の体を手に入れ
時速100KMを越すスピードで望みの場所に行くことができるし
何百KMも離れたひとと話すこともできる
そして機械のからだを求めた人々が
惑星を構成する一本のネジにされてしまったように
企業や国にこころを奪われ
それらを構成する一本のネジになってがんばっている

大田原は桜が満開
うちの雲竜桜も見事に開いた
庭では日々いろんな花が咲き始めている
自分で植えたのだけど
たくさん植えすぎて
何が何の花なのかわからなくなっているし
どこに植えたかも覚えていない
ある日突然にょきにょきっと現れて
こんにちはとご対面て感じなので
庭を歩き回ることが
朝起きてからの一番目の楽しみになっている

中途半端な気温で
パン作りは難しいのだけど
きょう金曜日ははまった
ここ何日かの様子を思い出しながら
調整して作ったところはあるのだけど
運に助けられたところが大きいかな
奇跡のパン
それでも力がついてきたから
出来たパンだ
力がなかったら運だって活かせない
どんなパンかは
食べてみてね

来なくていいのに
不愉快な思いにさせにやってくる
いい気分でやっているところに
俺もまだまだこころは広くないから
こころのなかで
毒づいて
相手をコテンパンに
叩きのめして
なんとかバランスとっている

なんだか
かぶっていた殻を
放り投げたい気分だ
ひとのことも傷つけるだろうし
攻撃的になることもあるかもしれない
気を使うのも
もやめだ
いい子になんて
なる必要ねえんだ
いくぜ
うぉりゃー

昔から受け継がれてきた価値観
男というものは
女というものは
大人というものは
こうあらなければならない
こういうものだ
こんなクソッタレの価値観にずっと苦しまされてきたけど
自分が違うと思うなら
そんな価値観蹴飛ばしてしまえばいいんだ

いつのまにか
流れの中に
入り込んで流されている悔しさ
中学を出たら
高校に行き
高校を出たら就職するか
大学行くか
専門学校に行くか
もっと別の選択もあっただろう

なんだか知らないうちに
組み込まれていることの
やるせなさ
何の説明もなしに
引き落とされている国民年金
何の了承もなしに
無駄なことに使われている税金
知らず知らずに組み込まられ
縛られているということに
クソッタレーと叫びたい気持ち
自分に対しても
クソッタレーと叫びたい気持ち

こういうのは
どうなの?
大田原何がやりたいんだ
http://www.asahi.com/area/tochigi/articles/TKY201304040395.html
記念碑250万
なんだ それは
天皇が訪れたからといってなんなんだ

店が更に狭くなってきた
もうお客さんに外で買ってもらうしかなくなってくるかもしれない
お店を始めるときも
つい最近までも
木の椅子やテーブルを店に置こうという考えは頭になかったのだけど
ここに来てバババッと店の中が木の椅子やテーブルだらけになってしまった
10数年前にたまたま入ったお店
いま店で使っている椅子やテーブルを作った家具屋さんの家具を扱っていて
とても素敵なお店だった
自分で店をはじめる前もはじめてからも
ちょこちょこと通っていたのだけど
その頃のことがどこかに刷り込まれて眠っていたのだろう
それがいまになってじわりじわりと目を覚まし
いま店の中はこんなふうになってしまった
そのお店の自分と同じ歳の店主はもう亡くなってしまって
もう店もないけど
ぼくの中でいまも生きている

古本屋で『花日記』という本を見つけた
いろいろな器に
さまざまな花を生けた写真が並んでいる
面白そうだったので
すこし前に店に持ってきておいた竹細工のカゴに
庭から取ってきた花を生けてみた
これが本当に面白くて
いまではカゴが3つになっている
店にもぴったり
カゴは何日か前に
家にあったものをこれいいなあと思い持ってきていたもので
中にランプを入れて使っていたのだけど
やりたいと思ったことを実行に移していると
いろいろとつながってしまうんだよな

まだかな
まだかなと毎年観察してきたソルダムの花がようやく開いてくれた
木の立ち姿
黄緑色がまぶしい葉
白くて可憐な花
とても美しい
今年は桜を観に行くより
この木をずっと眺めていたい
それにしても果物の木がいつの間にか増えてしまった
イチジク ビワ ザクロ キンカン 柿 イチゴの木などなど
ここは鳥たちの楽園だ
自分も栄養失調気味なので果物で栄養を補いたいと思っているのだけど
去年は初めて実った柿を3分の2くらい
鳥たちに食べられてしまったからなあ
今年は負けないで2分の1くらいは食べてやる

やりながら
何とかしていく
それでいいんだ
とにかく一歩踏み出すことだ
先に何が起こるかなんてわからないし
力だっていまはない
手探りで進みながら
一瞬一瞬を乗り越え
力をつけていけばいいんだ

林の中を犬と散歩
植物を意識しながら歩いていると
杉林の中にもたくさんの植物があった
カクレミノ イチイ ヤツデ ソテツ アオキなどなど
意識していないときはなんにも見えていなかった
きっとパン作りもそうなんだろう
見ようと思わなければ
見えてこないんだ

その仕事が
自分にとっての喜びになっているなら
儲けなんて少なくてもいいんじゃないか
もうそれが人生のかなりの部分を占めているのだから

ふたりあるいは複数だったら
喜びを分かち合うことはできるし
辛さも笑い合って薄めることができる
ひとりだとそれはできないけど
好きなときに
好きなことを
好きなように
することができる自由があるし
やったことがすべて
自分に返ってくるという面白さがある

ひとはみなそれぞれ
ひとりひとりにそのようにいたった理由がある訳で
だからそれを膳か悪かなんかで区別することはできないんだ

最近店でよくかかっているCDはこれです
http://www.youtube.com/watch?v=qzqjD-_OMHk

大きい会社に入って出世しようとも
政治家になって先生なんて呼ばれるようになったとしても
大金持ちになろうとも
国から勲章もらうようなことがあったとしても
ノーベル賞を貰うような大発明をしたとしても
世界一大きいビルを建てたとしても
ひとのために何かをしたとしても
自然に優しくなんて叫んだとしても
そんなことは人間の勝手だ
鳥や熊やトカゲ
樹木や雲にとってはなんでもないことだ
地球規模
宇宙規模でみたら
それがなんだだろう
もしかしたら他の人にとってもなんでもないことなのかもしれない
そんなことでいばれはしないんだ
脳みその発達してしまった人間としては
いろいろ考えたり
何かせずにはいられない
めんどくさい生き物だ
だから自分自身で価値を作って生きていくしかないんだろう
それは人間どう生きたっていいということだ
俺はどうせ生きるなら楽しく生きたい
背伸びもせずに見栄も張らず
世間の目も気にせずに
そのまんまの自分で
こころのままに生きていきたい

みんな
苦しみ
悩みながらも
必死に生きている
いま
この世の中で
生きていること
それだけで
すごいことなんじゃないだろうか
ダメな人間なんてこの世にいないんだよ
自ら命を絶った人間だって
真剣に生きることと向き合った結果が
絶望という形になってしまったんだ
絶望しても乗り越えられるひともいるけど
乗り越えられないひともいる
乗り越えてきたひとは
乗り越えられなかったひとをダメな人間としてしまうけど
そんなんじゃないんだ
なんだってそうだけど
自分ができたからといって
他のひともそれをできたり乗り越えられる訳ではないんだ

思っていれば
夢はかなう
よく聞く言葉だけど
当然思っているだけでは夢はかなわない
そこに行動が伴って
その言葉が活きてくるんだ
だからといって夢がすべてかなうわけではないけれど
夢を見て
その夢に向かって生きていられることが
夢のようなものなんじゃないだろうか
当然と思っていたことが実は当然のことではなかった
そういうことと同じで夢を持ってそれに向かって生き続けられることって
そう簡単なことではないんじゃないだろうか
それができる幸せを噛み締めながら毎日を大切に生きていこうと思う

できなかったらどうしよう
そんなこと考えていても
悪い思いがどんどん頭の中で膨らんでいって
いいことなんて何もない
そんなときは動いてしまうことなんだ
やってやろうじゃねえかとぶち当たっていけば
不思議と
力がわいてくる

ツキがあるひとというのは
続けられるひとのことをいうのではないだろうか
たとえばセールスマン
10回で諦めてしまったらそれで終わりだけど
20回30回とがんばっていればいつかつきは巡ってくる
野球選手は毎日400回500回とバットを振り続けることで
ツキを手に入れることができる
このパン屋もまだまだだけど
買い続けていれば
いつかとんでもなくうまいパンに出会うことができる
だって俺はとんでもなくうまいパンを必ず作るからね
ツキというものはそういうものだ

こうするんだ
こうなるんだ
思い続けること
それができるひとは
強いよ
努力すればするほど
そうなれる確立は高くなるんだから

なんだかやることがいっぱいだけど
焦らないで
ゆっくりでいいから
ひとつひとつこなしていこう
どんな時だって楽しむことを忘れてはいけない
自分にとっては楽しくなければ
苦痛以外の何ものでもない
どうせ生きるんならどんなときでも楽しくいきたい
どんなことでも楽しもうと思ってやれば楽しむことができるんだから

早く走る方法がようやくわかってきた
いま おそらく100Mくらいなら
人生でいちばん速く走ることができているのじゃないかな
でも全力で走ると筋力がついっていっていない感じがしているので
筋力をつければもうちょっと速く走れる気がする
小学校のとき100m走を女の子に負けたことがある
それが悔しくて悔しくて
いまでもダッシュをするときは
その子の後姿を追いかけている

庭の花が咲きはじめた
冬の次が春だからこんなにうれしいんだろうな
夏の次に春が来てもこんなに喜べないだろう

刑務所に入ること=罪を償うことにはならない

自分は学校の勉強もできなかったし
団体行動はできないし協調性もない
パンもまだまだしっかり作れないし
収入も少ないけど
ダメな人間ではない
この世にダメな人間なんていないんだよ

きょうのライ麦40%のパンは
史上最強
こんなパンが毎日焼けたらなあ
ライ麦40%はここ2年くらいいちばん情熱をかけてきたパン
ある時期から何がなんだかわからなくなってしまって
何でだ
何でだと唸りながら作ってきた
先週そういうことかとつかめたことがあって
それからいい感じで焼けているんだけど
本当につかまえられたかは
1年通してみないとわからない
まだまだわかっていなかったとしても
自分を成長させてくれたパンだから
最後までしっかり面倒は見るつもりだ

朝の寒さはからだにこたえる
動きもスローになって
作業が進まない
きょうはおまけに定休日明けだから
からだがまだ眠っていて
さらに進行が遅れる
それでも作業はしっかりとこなし
悪くないパンが焼けた
先週からいい感じでパンが焼けている
ちょっとつかめたところはあるのだけど
あとは気温の変化に対応できるかどうかだ
こういうふうにいい感じでパンが焼けてる期間というのは非常に短いので
いまが食べごろですよ

こういうひとが優れた人間
こういうひとがダメな人間
誰かによって作られた価値観に踊らされているぼくたちは
ダメな人間に見られたくないと自分を隠そうとする
自分が隠したい部分を持ったひとが現れると
鏡に映った自分を見ているようで
自分はそんなんじゃないダメな人間じゃない
あいつとは違うと叫びながら
自分はダメな人間ではないと自分に納得させるために
そのひとを差別する
きっとこれでいいんだよと自分のすべてを肯定して
これが俺だと胸を張って生きられるようにならないと
ひとを認めてやることはできないんじゃないだろうか

きょうはランニング途中にロングダッシュをやってみた
まだまだだけど悪くない手ごたえ
からだの錆がすこしずつ剥がれていく

自分は自分で気持ちを盛り上げていくタイプ
人間は人間が作った限界なんて余裕で超えてしまう力を持っている
だからどんどん気持ちを盛り上げていって
オリャーって感じで生きている

いいパンが焼けてるなあと思っていても
ある日突然感覚が狂い始める
すぐに修正できることもあるけど
なかなか修正できないでもがくこともある
でもそれはまだまだ自分のものになっていないということで
そこから抜け出せたときは
ひとつもふたつも大きくなっている

パンのことはまだまだわからない
明日はパンがうまく焼けるだろうかという怖さがあるからこそ
そこにぶつかっていける面白さがある

申告などがあり
しばらくトレーニングに集中できなかったけど
短めのダッシュ(100~200メートル)を一週間くらい続けていたら
からだが軽くなりだんだん調子が上がってきた
実感として年齢を重ねるほどに
トレーニングを怠ると体力の低下するスピードは早くなるけど
しっかりトレーニングしていれば自分ぐらいに年齢では
まだまだ体力が衰えるということはないと思う
プロのベテランスポーツ選手がちょっと成績が落ちると
新聞では年齢的衰えかとすぐ書きたてるけど
しっかりトレーニングできているならそんなことはないんだ
怪我でトレーニングができなくなることでの体力低下
疲れが抜けづらくなることでの気力の低下に伴うトレーニング量の低下
年齢が上がったときに力が発揮できないことの原因はこの二つが大きいと思う
だから年を重ねれば重ねるほどにトレーニングとは別に
体調を整えるということにも目を向けなけるべきなのかもしれない
自分の場合トレーニングも怠け気味にやってきたので
まだまだ上げていっていい気がする
オリンピックに出るような選手は無理して無理してからだがボロボロになるのも早いだろうけど
自分のからだなんてそういうひとたちに比べたら新品同様だもん

季節の変わり目
先週はいくつかのパンで気温の変化に対応できなかったことを感じたので
今週は先週の失敗を踏まえて調整しながら作った
きのうはかなりうまく出来たと思ったのだけど
きょうはそれを上回る出来だった
これから更に気温が高くなってくる
対応できるかいまのところ自信はないけど
何とかなるだろう
先のことは考えると不安になってしまうけど
不安なんて打ち消して
楽しんでいくことにしよう
出来なかったら
出来なかっただ
転んだり
つまずいたりしながらも
着実にステップアップはしている

きょうは東京のT夫妻が
コーヒーを淹れに来てくれた
コーヒーをカップに注いだ瞬間
店の中をコーヒーの香りが漂いだす
一瞬にしてあわただしいパン屋から休日のパン屋に早変わり
ふたりとも来る度にコーヒーの世界に深く深くのめりこんでいっている
最近では淹れるだけでは飽き足りず
東京都杉並区でフェアトレード方式で
コーヒー豆の輸入販売をしている102歳の安藤久蔵の手助けをしているそうだ
http://www.nhk.or.jp/r1-blog/050/125713.html
このふたりは持ち前の図々しさによって
出会いを出会いだけで終わらせることなく
一歩踏み込むことによって
人生を面白くして生きている
しばらく前にコーヒー栽培技師や
コーヒー豆の輸入販売をしている川島さんという方の書いた『コーヒーハンター』という本を貸してあげたら
さっそく会いに行ったそうでいまちょっとしたたくらみがあるようだ
現状を変えたいなら何かを変えなければならないんだ
考え方を変えるか
環境を変えるか
自分を変えるか
やり方を変えるか
視点を変えるか
俺もパンの現状を変えたいなら
おもいきって作り方を変えなければならないんだ
それがうまく行かなくたって
もともとダメなんだから
怖がることなんてないんだ

どうせなら笑って死んでいきたい
だからのけ者にされようとも
何を言われようとも
自分のこころを大切に生きていきたい

そのひとがそう思うなら
そうなんだ
そのひとがそうしたいなら
それでいいんだ

深刻になり過ぎなくてもいいときがあると思う
引きずっていても
いいことは何もない
軽く受け流して
とにかく動く
変わりたいなら
変わればいいし
変わりたくないなら
それでいい

どんなふうに生きていても
それでいいんだ
うまくなんて出来なくても
うまくなんて適応できなくても
それでいいんだ
考え方がひとと違っていても
それでいいんだ
何が正しく
何か正しくないかなんて
だれにもわからない

パンを買いに来てくれたひとが
ゆったりとした気分になってくれるような空間作り
パンを買うだけの場所ではなく
何か別のプラスα
料亭のようなパン屋にしたい
いまとりあえず店の改装中
しっかりとしたイメージがあるわけではないので
モヤモヤのままそのときそのときの思いつきで進めている
これはいつものこと
具体的にこうだというものを頭の中に描くことができない
いつも頭の中はモヤモヤで
進む方向だけはなんとなくわかっているので
のそのそっとその方向に歩いていく
具体化されてないので進む速度は遅いけど
偶然性にも左右され
自分を完全に超えた面白いところに出てしまうことが多い
店内も庭も少しずつ形になってきた
でもまだまだここから最終的にどんな形になっていくかは
わからないけど
いまより更に素敵なパン屋になることは間違いない
もちろんパンの方も日々進化中

きょうはランニングの途中途中に
がんばって短いダッシュを繰り返した
始めの頃はダッシュとはいえないくらいの鈍い動きだったのだけど
本数をこなすうちにスピードが出てきて
最後の方ではだいぶ久しぶりに風を切って走れた
家に帰ってシャドーボクシングをしたらこっちもひさしぶりにからだが軽い
これだ
自分に足りなかった練習は
このところダッシュをやっていなかったもんな
このところ寒さと自分に負けまくっていたなあ
苦しんでみて
苦しみの喜びを思い出した

サンドバックを叩くときの拳への衝撃が好き
パンチを叩き込むたびに
向こうから「いきてるぞ~」という叫びが返ってくる
調子が良いときはあまり感じないけど
ランニングをしているときに覆いかぶさってくる重力
それを跳ね返し跳ね返していることを感じられている瞬間が好き
その一歩一歩が僕の力になっている

青森のお寿司屋さん『山の寿司』でお寿司を摘んでいるときに
棚にCDケースが飾ってあったので
「それは何」と聞いてみたところ
「息子がバンドやっていたんですよ」という答えが返ってきた
高校生の頃何かのコンクールで最優秀賞をもらって
そのまま全国放送のアニメの主題歌でプロデビュー
youtubeに映像があったので聴いてみたら
どの曲も「直球勝負」っていう感じで
ストレートでどんどん攻めてくる
曲名(プロモーションビデオも)もおもいきりストレートだ
マニ☆ラバ 
庭に植物を植えるようになってから
町を歩くときやランニングのときは
他人の庭を眺めながらということが多くなった
自然のなかの木や花も良いけれど
人がつくった庭も面白い
いままで植物が植えられていない家というのは見たことがない
どの家もなにかしらの植物が植えられている
でも死んでいる庭もあるし
活き活きとしている庭もある
このあたりでは昔からの家が集まっている大田原城跡周辺にりっぱな庭が多い
植えられている木でいちばん多いのは
大田原の中では断トツでナンテンだ
お墓にだってそこらじゅうに植えられているからね
次に多いのはなんだろう梅や柿の木を抜かしたら
サルスベリかなあ
いまに季節は全然目立たないけど
花の季節になったらあの家にもこの家にもという感じで
町じゅうサルスベリだらけだ
ごくたまに
これはすごいという庭に出会えるときがある
最近では
この前東京に行ったとき映画の上映時刻までまだ間があったので
しばらく映画館周辺をブラブラしていているときに出会ったおそらく居酒屋さんの店先
わずかなスペースなんだけどそこにはジャングルが広がっていた
店のひとがそうとう植物が好きなんだろうな
松濤という場所柄もあるかもしれないけど
東京はちょっと都会的な木の植えられ方がしてあった
栃木とは植えられている木も違っていて
ナンテンはほとんど見かけなかったかな
栃木では寒くて育たないような木も多く植えられていた

効率最優先の世界のなかで
たくさんのすばらしい文化や自然
その他もろもろのすばらしいものがどんどん失われていっている
それに変わって新しい文化や何やらが生まれてきているけど
効率優先の世界の中で生まれてきたものは
やっはり深みというものがない
深みがないということは面白みがすくないということだ
自分としては
効率優先という時代の流れのなかで
逆らうべきものは逆らってやっていきたい

今年に入ってすでに3度の風邪
昨年から体調を崩すことをずっと繰り返し
体調が良いときの状態がどんなだったのか忘れてしまった
まったくからだが動かない
すこし動いただけで疲れてしまう
これが本当に俺のからだなのか
こんなにからだが動かないのは
三年前に金縛りにあったとき以来だ
その前にも後にもこんなに動かなかったことはなくて
赤ちゃんのときだってもっと動いていた
悔しいけど
これが俺の現状だ
だけどこの悔しさが俺の武器になる
このままでは終わらない
絶対動かしてやる
この状態から
どこまで持っていけるか
なんだか考えていたら楽しみになってきた
俺の人生いつだってここからだ
めざせ 
人生最強のからだ

痛み
痛みを感じるなら
その痛みを
他の人だって持っていることを忘れてはいけない
その痛みは自分だけが感じるものではなくて
人間なら誰でも感じるものなんだ
人間はそれほど強くない
だから許しあって
助け合っていかなければ
立っていられないんだ

これだけ自殺者が多い社会ということは
もう社会構造自体がおかしくて
この社会構造のなかでまじめに生きていたら
ノイローゼにならない方がおかしいのではないだろうか

ひとをいじめるひとも
暴力を振るうひとも
みんな病んでいるんじゃないだろうか

義務感や競争は
自分の背中を押してくれたり
良いように作用することもあるけど
過度になりすぎると
息苦しくなってくる

親と子だろうと
兄と弟だろうと
価値観や考え方は違う
性格だって違う
ひとりひとりが違うからこそ
人間世界はなんとかいまも成り立っている

ものごとが単純化していくほど
そこに生き甲斐は見つけにくくなってくる
効率
効率は長い目で見れば非効率なんじゃないだろうか

力あるひとが力がないひとを助ける
それで世界が成り立っていた
でもいまは力があるひとが
力を行使して
力のないひとの犠牲の上にのしかかって
さらなる力を手に入れている

学校に行って授業の内容がわからなくても
そんなことにはお構いなしに
どんどん授業は進んでいく
置いてけぼりくった生徒は
授業中何すればいいのだろう

成果成果と求められれば
焦って結果を出そうと急いでしまう
急げば急ぐほどこころは行動に寄り添わなくなり
満たされない日々
余裕もなくなり
自分が壊れていく
そして
結局いつか切り捨てられる
そんななかで育ち生きている人々もまた
人を切り捨てることが平気な人間になるだろう

飛んで生きたいときに
飛んで生きたい方向に
飛んで行けることが
いちばんの幸せなんだ
飛んでいった結果どんなことになろうとも
自分の選んだ道だ
それはそれで納得がいくし
そうやってひとは成長していくんだ
大人がそれを抑えすぎてしまったら
子供はいつまでもちっちゃいままだ
子供は子供なりに考えている

わかりやすいとか
食べやすいとか
そういうのがあってもいいのだけど
そればっかりでは飽きてしまう
想像したり
考えたりできる部分が残してあれば
こころのなかの世界が広がり
歩きだしたくて
歩きだしたくて
ウズウズしてくる

ここまで生きると
もう未来に備えてなんて
言ってられない
死が目の前に口を開いて待っていたっておかしくない
そうじゃなくてひとは死に向かって歩いている
とにかく生きることだ
やりたいことはいまやる
いまを犠牲にして
未来未来なんていっていると
未来になっても
あるのは未来だけだ

お金をどう使うかは価値観の問題だ

どんな過ちを犯してしまったとしても
生きていていいんだ
泣いて
笑って
がんばって
歩いていけばいいんだ

   東京へ  その1
ここ何年か休みの日は早起きできなくなっている
普段酵母の醗酵・熟成時間の関係で
充分な睡眠時間が取れているとはいえないので
からだとこころがそうやってバランスをとっているのだろうから
それでいいかなと思う
きょうは何年かぶりの東京行き
興味はあったのだけど行かないだろうなと端に追いやっていたコンサート
いつもの突然の思いつきで行くことになった
きょうはずっと座りっぱなしになるので
ランニングと犬との散歩を済ませてゆっくりの出発
鈍行で行ったのだけどさすがにぐったり
もともと乗り物は苦手で
新幹線だって1時館以上乗っていると疲れてしまうのに
2時間40分は地獄の苦しみだ
    東京へ  その2
コンサート会場の近くでちょうど観たかった映画『スケッチオブミャーク』を上映したので
行ってみる
http://sketchesofmyahk.com/
アップリンクという渋谷の映画館はキャンバス地でできたリラックスチェアなどが並んでいて
この映画を観るにはピッタリの場所だった
映画は沖縄にまだかろうじて残っている『神歌』などを唄うひとたちを追ったドキュメンタリーで
その中に昔の沖縄そしていまの沖縄それからきっと昔の日本いまの日本がギゅーッと詰まっていた
沖縄は中央から距離的に離れていることと
アメリカの占領下にあったことそれから島民の気質もあるのだろうけど
かなり遅い時期まであまりヨーロッパなどから影響を受けた近代文化に冒されることなく
昔の風習や信仰が残っていた
そのなかで生きたひとたちがまだかろうじて残っていて
そしてそのひとたちの人生からぼくたちもかろうじて昔の沖縄・日本を知ることができる
沖縄には昔からその土地土地でたくさんの祭りがあって
祭りのいちばんの目的は神に感謝すること
(いまの祭りはそのいちばんの目的がどこかに置き去られていて
バカ騒ぎするだけのものになっている)
すべてのことは海の向こうにいる神がもららしてくれる
神に感謝するということはすべてのことに感謝するということ
食料 命 水 植物 動物
祭りは村の人々の共同作業になっていて
すべての村民が祭りの準備など行い参加することによって
村民ひとりひとりの結びつきを強めるという働きもあったのではないか
農作業なども村人同士で助け合って行っていたようだ
厳しい自然そして人頭税
村人同士助け合いながらでなければ生きてはいけなかったのだろう
そして歌は過酷な生活の中で村民たちの希望であったのではないだろうか
苦しくても楽しく生きることを忘れてはいけない
これの映画は沖縄が舞台ではあるけれど
日本全土にも沖縄と同じように風習や信仰が根付いていたはずだ
良いか悪いか答えは出せないけれど
昔の日本はすごかったなあと思う
     東京へ その3
代官山に移動して「晴れたら空にマメ撒いて」にて
大工哲弘(唄 三線) 常味裕司(ウード)
久保田麻琴(ギター) 伊藤大地(ドラム)
ロケット・マツ(ピアノ アコーディオン)によるコンサート 
一番手は常味さんのウード ソロ
これがすばらしすぎてこれで帰ってもいいやと思えたほどだ
ウードという楽器そしてアラブという世界にますます惹かれた
次は大工哲弘が登場ソロで2曲歌ったあとに
久保田さん伊藤さんロケット・マツさんが加わった
これがすごかった
このメンバーでレコーディングを行ったそうなので
それも楽しみだ
アンコールは常味さんも加わってさらに盛り上がる
至福の時間を過ごした
久保田麻琴はすごい
終電に間に合うように途中で帰ることも考えていたのだけど
このすご過ぎる演奏のなかそんなことはできるはずもなく
東京で長い夜を過ごした

今年早々にまた風邪をひいたのだけど
それでも気力体力がだいぶ戻ってきたので
半年振りくらいにジムに行ってみた
早速グローブをつけて2ラウンド軽くやらせてもらった
もうちょっと動けるだろうと思っていたのだけど
全然ダメだった
昔のように動けるようになるだろうかと不安になるくらい動けなかった
かなりがっくりときたのだけど
同時にこのまま終わってられねえやという気持ちも湧いてきた
もうひとつでっかく輝いてやろうじゃねえか
きょうジムに行っておいて良かった
ひとりでトレーニングをしていると現状がつかめない
現状が最悪だということがわかったので
トレーニングに身が入るし
どこをどう鍛えていくかも見えてきた
とにかくがんばろう
がんばれば何とかなるはず
自転車も久しぶりだったので
ものすごくきつかった
宇都宮往復もトレーニングの一環になっていたんだなと思った

背伸びなんてしたって
いまの自分以上の力を出すことなんてできない
いまはいまの自分でぶつかっていくしかないんだ

店の近くにイトヨの生息地というのがあって
すこし前にはじめて行って来たのだけど
イトヨの姿なんて全然なくそこには
何百匹というザリガニが
ぜったいこいつら食べてしまったよな

何かを目指して努力する権利は誰にでもある
できるかできないかや才能があるかないか
そんなことに関係なく
やりたいと思うことにぶつかっていく権利は誰にでもあるんだ
中学の頃将来やりたい職業はというアンケートがあって
ぼくはそこにプロのスポーツ選手と書いた
するとそのときの担任の先生は
みんなのに
「こいつにどんな職業があるのか教えてやれ」と笑いながら
発言した
教師という職業を選んだ以上
いちばんやってはいけないことをこのひとは犯した
その先生はやがて教頭になりおそらく校長にもなったのだろう
卒業してからのことは知らないけれど
その後成長したであろうことを思っている
教師だって人間である以上
絶対ではない
生徒は先生の言うこと
学校のやることすべてのことに従う必要はないし
すべてを鵜呑みにする必要もない
先生は先生で人間だから未熟なのは当然だけど
生徒を良くしたいと
がんばっている先生はいる
先生は生徒が良くなることを待ち
生徒も先生が良くなることを待つ
互いに我慢しないで言いことは言った方がいいんだ

中学の先生で
忘れ物や宿題を忘れると
観光地のおみやげ屋さんによく売っている
「渇」とか書いてある木の板で
本当におもいきりおしりを叩く先生がいた
その他の行動を見ても
その当時その先生はかなりイカレていたいたと思うけど
そこで生徒が言いたいことを言ってやるのが優しさだったのかもしれない
教師だって弱いんだ
満たされない思いを生徒にぶつけることだってある
先生に気づかせてやるのは生徒の役割

今回店にお目見えしたのは
栗の木で作ったベンチとテーブル
前からあった椅子を含めて座りやすい場所に設置できた気がする
きょうもオープン前にお客さんたちがいい感じに腰掛けていてくれたので
うれしかった
テーブルは輪切りにしたように見えるけど
縦に切断したものらしい
だからかなり幅のある木だったのだろう
(ベンチの方の原木の写真)
http://www.facebook.com/photo.php?pid=1051220&l=d8518880d1&id=178417302240611
この木がどんなベンチになっているかは
店に来てからのお楽しみ
店もすこしづつ形になってきたし
パンも良くなってきた
目指すはあなたの街のあなたのパン屋
そして観光のひとも来てくれ
また来たいなと思ってくれるような店

味覚の未発達は
生きる中でいろいろな影響を及ぼしている気がする
あくまで自分の周りのことだけのことだけど
たとえば酸味や苦味が苦手なひとは
酸味や苦味のない音楽を好む傾向にある気がする
音楽だけではなくて
その他のこともそれが当てはまっているような気がする
味覚の未発達は時間が来れば自然と解決されると思っている親がいるけれど
そんなことはないことを自分を見ればわかるだろう
味覚は鍛えなければ発達しないんだ
といってもスパルタ式にやるのもきっとよくなくて
薄味のものを食べさせたり
食べるからといって甘いものばかり食べさせることをやめたり
コンビニの弁当やスナック菓子をあまり食べさせないといった
ちょっとしたことが大切なんだと思う
自分の勝手な思い込みだけど
味覚は生きる基本だ

ついうっかりが
ぼくを超えたパンを作り出してくれる
ぼくの頭では考えつかないようなことを
うっかりはやってくれる
忘れ物や
物覚えの悪さ
ついうっかりで
罰として漢字の書き取りや
木の板でおもいきり叩かれたりしたけれど
これはいまのぼくにとっては宝物
自分の価値観を押し付けることには注意しなければならないということを
この歳になってはじめて理解した
物忘れや
物覚えの悪さ
ついうっかりは
どんなにしかってもどうにもならない
これは病気のようなものなんじゃないか
そのおかげで毎日のように怒られていた
ダントツの忘れ物チャンピオンのぼくから
宝物が消えていくことがなくて済んだ

きょうの小麦のパン(ひまわり)は
しっとり感
モチモチ感が絶妙
このパンは最近のお気に入りで
よく食べていたのだけど
こんな食感が出たのは初めて
すこし作り方を変えたのが
出てきたのだろうか
このパンはトーストしないで
食べてみてください

ライ麦15%のパンは
気泡がしっかり出せなかったのだけど
こうすればいいんだということがわかったので
いまかなりうまい
カマンベールチーズをはさむだけでも
更に1000倍くらい
うまくなるので試してみてください
ここのパンは何かと組み合わせて食べるようになっているので
決して単独では食べないでください

突然思いついて
すこしだけ店の模様替え
パンを窯に入れている間に
せっせと動き回り
何とか間に合った

窓を開けると作業場脇の蝋梅が一輪だけ咲いていた
次はヤブ椿か沈丁花あたりかな

これが俺だと
堂々と胸張って歩けばいいんだ
自分が自分のすべてを肯定してやれれば
怖いものなしだ

まともなパンになるまでに
時間がかかっているのは
自分が不器用だということもあるけど
それよりなにより
ものすごく難しいことをやっているからだ
教科書通りやっていたのでは絶対できない
ものすごく難しい特殊なパン
すこしずつそのパンのことがわかってきたのだけど
そのほとんどが窯入れが重なってしまって成形や窯入れができない
といったようなことや うっかりへんなことやってしまった中から
偶然わかったものだ
普通にやっていたら絶対わからなかったことばかり
ミスすることが多く
諦めが悪い自分だからこそできたパンともいえる
自分にしかできえないパンなのかもしれない
むかしからわすれものをしたり物覚えが悪くて怒られてばかりだったけど
このうっかりは才能といってもいいのかもしれない

待てるかどうか
何かを良くしたいいうときにはいちばん大切なこと
自分が自分を待てるか
先生が生徒を待てるか
生徒が先生を待てるかどうか
親が子供を待てるか
出来ないからといってすぐやめさせてしまったり
諦めてしまったり
結果を急ぎすぎては何も生まれてこない
場爆弾を落として相手をひれ伏せさせても
憎しみは生じてきても
他に何も生まれてこない
子供が転んだからといって
起こしにいっていたら
子供はいつまでたっても起き上がる力をつけることができない
職人は本やパソコンで知識を得たとしても
実際の経験なしには自分のものにはできない

夜にランニングをするときの掛け声は
1 2  
1 2ではなくて
負けてたまるか
負けてたまるか
寒いし
腹減るし
冬は本当に負けそうになる
しばらく走ればハイになるから必要なくなるけどね

きょうのライ麦15%とライ麦30%の平焼き
そしてきのうの1917(山型の食パン)は素晴らしい
間違いなく
人生最高の出来
そしてこんなにうまいパンは
いままでの人生で食べたことがない
ここ数日抑えられないほどの成長度
そして超絶好調
いつまで続くかわからないけど
いまのうちにうかめるだけつかんでおこうと思う
やはり
悔しさは
自分にとっていちばんの生きる原動力だ

今年いちばん先に開いたのは
ピンクネコヤナギだった
蝋梅の蕾ももう爆発寸前なんだけど
なかなか
しぶとい

どんなときでも
ぼくはぼくのこころのまま歩いていくよ
ぼくはぼくのまま歩いていくよ
いつか消えて無くなるそのときまで

目の前に起こっている出来事は
当然のものなんかじゃなくて
すべてが奇跡のようなものだ
目の前に咲いているこの美しい花との出会い
パンを買いに来てくれるひとがひとりでもいてくれること
大好きなことが見つかったこと
からだがちょっとでも動いてくれること
お気に入りの椅子に座って本が読めること
当然なことだと思いがあるときは
自分の思い通りに事が進まないと
罵倒を上げていたのだけど
そう感じられるようになったらすべてのことに
感謝の気持ちが湧いてくる
生きていることの喜び
いつ
どんな一歩も
喜びの一歩
生きていることに感謝

パン作りでもスポーツでも何でもそうだと思うけど
うまくなりたい 上達したいと思いが芽生えて
そのためにはどうすればいいのか
自分で考え
自分から動けるようにならないと
一線は越えられない
やらされていると思ってやっているときは
ただのきついトレーニングや仕事だけでしかないけど
自分から動けるようになれば
きつくてもそれは喜びであり楽しさでもある
自分で考えことで対応力もできるし可能性も広がる

ランニング途中に寄った野球場に氷がはっている場所があったので
その上でシャドーボクシングをやってみた
重心を意識しないとしっかりしたパンチが撃てない
これはなかなかいい練習になった

右足出して
左足出して
右足出して
左足出して
考えていても
どうにもならないこともある
考えていても
意味のないこともある
右足出して
左足出して
ただそうするだけでいいときってあると思う

うまくいっていると思っているときは
落とし穴がある
うまくいっていないときは
これでいいのか?という疑問や不安があるから
よく観察し
注意してことに当たるけど
うまくいっていると思い込んでいるときは
あまりしっかりと見ていないし
注意力もなくなっている
おそらく自分の都合良くしか見ていない
見えていないし感じられないからから
ミスも多くなるし
ミスしてもなかなか気づかない
といってもうまくいっていないときもミスは多い
人間生きていればミスの連続だ
ミスから学びとり伸ばしつくられていくんだ
きのう寒さに対応できていないことに気がついたので
きょうはそのことを意識し注意して作った
どのパンもいまの自分の力のなかでは合格点が出せる出来
ミスすると悔しさがかけめくると同時に
伸ばせるところをみつけたうれしさもわいてくる
毎日同じように太陽が昇り沈んでいき
夜空に月が輝いていても
パン屋の成長は続いていく

何かのせいや誰かのせいにしていたら
伸びていかないし
前にも進めない
国会答弁を聴いていたらわかるだろう
いまの状況を恨んだりや環境のせいにしていても
なにも始まらない
大切なことは
ここからどうしていくかだ

ひさしぶりに
このひとのクリスマスアルバムを聴いたら
やっぱり可笑しかった
これぞわが道を行く
http://www.youtube.com/watch?v=u0EY3oum8js&feature=player_embedded#!

「テロには断固として立ち向かう」といって
武器を持って立ち向かっていくなら
それはテロと同じ次元だ
「子供の学力を世界トップレベルにする」
そんなことは大人が押し付けるもんじゃない
ひとにはそれぞれ歩きたい道がある

怖いのなら
その怖さにぶつかっていく
悲しいなら
その悲しみにぶつかっていく
苦しいなら
その苦しみにぶつかっていく
やりたいと思うなら
そのやりたいにぶつかっていく
いまが目の前にあるなら
そのいまにぶつかっていく
ひとの考えはいろいろだけど
ぼくにとってはこれが生きるということ
そう生きていくなかにこそ喜びがあると思っている

戦争とは
静かに生きたいと思って生きているひとたちが
一度も会ったこともない政治家やなにやらの
判断や意向によって
死んでいったり
同じような思いで生きている別の場所に住んでいるひとたちを殺すことだ
戦争とは
そのとき負ってしてしまった
病気やこころやからだのキズを背負ったままその後に人生を生きることだ
戦争とは
会ったこともないひとたちを殺すことだ
戦争とは
ひとの人生を断ち切ることだ
ひとりの人間が生きてきたことの重み
これからを生きようとするひとたちの思いの重さ
戦争とは自分の子供が死んでいくことだ
殺されていくショッカーたちにも家族がいるかもしれない
格さんや助さんたちに痛めつけられる下級武士たちにも夢はあるだろう
峰打ちだろうと当たり所が悪ければ死んでしまうんだ
トム クルーズに打ち落とされ死んでいった兵士にも
苦しみを乗り越えて生きたあの時があっただろう
アルジェリアの事件によって
憲法改正の方向に進むだろう
NHKなんかでもこの事件に対して
こんなのいいのかというという報道の仕方をしているもんな
男は武器なんて持たずに胸張って堂々と生きていればいいんだ

満たされない思いがあるとき
ひとに当たったり
ひとの邪魔をするのは
つまらない
こういうときは
きっと
突っ走っちゃた方がいいんだ
どうなるかなんて後のこと考えないで
まわりの評価や小言なんて気にせずに
自分の思いをおもいきり突っ走って
満たされる満たされないなんて関係ないところに
行ってしまえばいいんだ

昼間は春の日差しだったので
仕込みの合間に
庭いじり
庭を常緑樹で囲ってみた
ジンチョウゲ アオキ シャリンバイ キンバイカ ビバーナムティヌス 
シモツケ オタフクナンテン ヒイラギナンテン アセビ
よ~し だんだん森っぽくなってきたぞ~

星空にうっすらと雪雲がかかっていて
雪がふわふわと舞い降りてくる
今年は寒すぎる
店は隙間だらけなので
窯が冷めてくると
とても寒い
それでも夜の仕込があるので
23時頃には店に行かなければならない
今年はそれが苦痛で苦痛で
からだが拒否反応を示している
こんなのは初めてだ
早く暖かくなってくれ

がんばって
がんばって
できないのは
しかたがないもの
自分の場合
それでもやる
それがおもしろい
それが俺の人生
こころからやりたいと思うことは
できようができまいが
やれているだけで
おもしろい

正月ボケが抜けて
徐々にパンの調子も上がってきた
きょうもいいパンが焼けた
パンの出来は
数ヶ月前に比べたら雲泥の差
パンは作り手がたったひとつでも何かをつかんだところで
ガラッと変わってくることがある
パン屋をはじめた頃はこのぐらいのパン
1年くらい経てば作れるようになるだろうと考えていたけど
10数年もかかってしまった
こんなに長い間
自分の可能性を信じてパンを食べ続けてくれた方たちのお蔭で
なんとかここまでパン屋を続けてくることができた
可能性を信じて待つことの大切さを教えてもらった
まわりの人たちの可能性を信じることができれば
自分の可能性も信じることができる
自分の子供の可能性も信じることができる
逆にまわりのひとたちの可能性を信じることができなければ
自分の
そして子供の可能性を信じることはできないのではないだろうか
何かを形にしようと思えば
相当の時間が必要だ
それまで待ってやれるようになるには
なにが必要なのだろう
こころの余裕とこころの豊かさか
その余裕と豊かさはどうすれば手に入るのだろう
やはり苦しみの中からしか得ることはできないのだろうか
よくわからないけど
とにかくこれからも腕を磨いていく
待っていてくれるひとたちに
もっとうまいパンを食べてもらいたい

人間は数々の能力を秘めて生まれてくる
けれどその能力は使い鍛えることでしか引き出すことができない
考える力
判断する力
決断する力
危険を察知する力
感じる力
困難にぶつかったときそれを跳ね返そうとする力
味覚
手の感覚
からだを動かす力
そしてその能力を引き出して生きているとき
ぼくは最高の喜びを感じる
その喜びを
親が
学校の先生が奪ってどうするか
自分自身が捨て去ってどうするか

他の国々に爆弾をばら撒いて平気でいる大統領
自国の子供たちが銃で撃たれたことに涙する大統領
これが政治家というものだ
銃規制する前にやるべきことがあるだろう

国が助けてくれるなんて思っているのは
大間違いだ
国を維持するためには
弱いものは切り捨てられる
それが組織というものだ

足並みそろえてというのは
自分の頭を使わなくていいから楽だけど
国や企業 学校 管理する方としてみれば
コントロールしやすいんだ
いまのこの日本いつ戦争に参加しても
おかしくない状態だ

大切なことは
どの学校を出たかじゃなくて
何を得るかだろう

大田原市には立派な図書館がある
しかし活性化のために旧中心地に移転するらしい
大田原市に住み
大田原市をずっと見てきた市民には
そのことが意味あることにはどうしても思えない
そもそも図書館を利用していない方たちにはみえないことだ
大田原市どうなることか
こうなったら
個人が個人ががんばるしかないんじゃないか
まだまだ力はないけど
俺もがんばるぜ
めざせ!
最高のパン
俺の可能性を信じてみれや

店と庭はセットになるし
駅から店までの風景もセットになりうる
活性化だ活性化だといって
街並みを都会的なものにして騒いでいるけど
いまあるものの価値を認められないようなら
この街も人間ももう終わりだろう
この街から見る夕焼けの美しさ
市長
市議の人々
どう感じているか

雪の中を走るのは
やっぱりたのしい
きょうは公園や田んぼのなかを
犬といっしょに転がりまくった

ありがとう
ありがとうと
こころの中で唱えていれば
いい気分にはなってくるけど
その前にクソッタレという思いを
おもいきり吐き出してもいいのではないだろうか
人間そんなに単純にはできていないぜ

良いときも
悪いときも
いつだって
ぼくの人生
ここからだ
過去はどんなに悔やんでも
取り戻せない
過去を活かして
いまを最高のものとして
生きていく
自分の頭
自分のからだ
使えるのに使わなかったら
それが人生において最大の無駄使い
転んだって
起き上がれば
また動けるんだ

大昔から現在までずっと存在してきた
差別やいじめはなくなることがないだろう
差別することでひとはバランスをとっている
だいいちこの差別社会の中で育って
差別するなという方がおかしい
出来るものは受け入れ
出来ないものは排除する
入学試験しかり入社試験しかり
力の弱い人間おとなしい人間は
差別され排除される
そしてそういうものを見てきて排除されてきた人間には
学校で先生が言うような
みんな仲良く手をつなぎましょうなんて言葉は
受け入れられるはずもない

震災や領土問題 ミサイル発射
何かことが起こると
国はこれを利用する手はないと
国民に不安を煽ったりお涙頂戴で
国民感情を同調誘導させて
どさくさにまぎれて
自分たちのやってきたことの尻拭いや
ふざけた法案を通したり
メディアもなぜだかそれに同調して
国民感情を煽りたてる
原発事故から原爆のことを思い出して
平和へと向かうと思っていたけれど
なぜかまったく反対の方向に向かっている
これでいいのか
この国の政治に愛なんてあるのか

思いやりという言葉はなんだったのか

最近ライ麦15%ばかりで30%のパンは何ヶ月か作っていなかったのだけど
きょう久しぶりに作ってみた
ライ麦15%での経験でつかんだことを30%にも使ってみたら
うまくいった
食べごろはまだ先だけど
いま食べた限りかなりいい出来だと思う
きょうはいっぱい売れ残ったので
明日も販売するから食べてみてね
お客さんが来る日もあれば
来ない日もあるけど
毎日を一歩一歩
歩いていくだけだ
輝くも
輝かないも
自分次第だ

できない自分や
ダメな自分を隠すことはない
いま現在のそのまんまの姿を生きればいい
そのまんまの自分を見せればいい
堂々と胸を張って平気に歩いていこうぜ
素っ裸になってしまえれば
こんなに楽なことはない
どうせみんな死んでしまうんだ
あのひとも
このひとも
そして自分だって
そうすれば恥ずかしいこともみんな消え去ってしまうんだ
そもそも懸命に生きていれば
恥ずかしいことなんて何にもないんだ
一度きりの人生
弾けなければもったいないぜ
ひとはそのまんまの姿がいちばん美しい

ブーツを忘れていったお客様
ブーツが見つかりました

きょうから仕事始め
当日告知だったのに
多くのお客さんが来てくれた
きょうからやることはきのうからほぼ決まっていたのだけど
起きられないことや
酵母の調子が悪かったときのことなどを考えると
そう簡単には告知ができない
でもそれらの心配事は心配事だけで終わり
5:30パッチリ目が開き
パンも良い調子
昨年の12月後半からきょうまで
パン屋を始めて10数年の中では
いちばん良いパンが焼けている
仕事納めギリギリにも気づいたこともあって
ライ麦80%のパンが一段階進歩した
やはり自分で気づかなければダメなんだ
自分で気づくことなしには自分のものにはならない
体験なきところに
成長なし
うまくいったりうまくいかなかったりを繰り返しながら
体感し気づいていくんだ
良いパンにはなってきたけど
ピークはまだまだ先
50歳60歳70歳になってからだろう
それに対応できるように
体力面もその頃にピークを持っていかなければならない
人間ダメだと思ってしまった時点で本当にダメになってしまう
やると決意さえすればけっこうやれちゃうもんだ
まだまだやりたいことがいっぱいある
こんなところでくたばっちゃいられない

正月休みの5日間はあっという間に過ぎてしまった
そのほとんどの時間を部屋の掃除に割いた
本の数があまりに多すぎてなかなか捗らない
どうにもならないので
修復不可能だった箪笥を分解して棚を作った
自分は何かに使えるかもと
モノを捨てられないタイプだけど
自分の場合は結構それらを別の形で利用している方だと思う
ボロボロになった羽毛入りのコートは羽毛布団になり
昔住んでいた家から持ってきた桐の箪笥にはCDが並んでいる

正月休み初日は坂道ダッシュ
意識的にか無意識的にか
あまりのきつさに避けてきたのだけど
2年ぶりくらいにやってみた
現場に行き着くまでは10本の予定だったけど
ことの始めは気持ちが高ぶっていけない
着いたときには15本やることになっていた
この坂道 距離は100メートルちょっとしかないのだけど
勾配がかなりあり
一本目の元気なときでも最後の30mは足がバタバタ呼吸がゼイゼイになってしまう
五本目ではやくも足が怪しくなってきて
やっぱり10本にしようかとこころが揺れる
10本目を超えるともう走っているのか歩いているのかわからない状態だったけど
なんとかやり遂げた
時間にしたら1時間もかかっていないけど
終わったあとは一日を目一杯生きたくらいの充実感

Makoto Kubota presents『島の風、砂漠の風』
日時:2013年2月5日(火) OPEN18:30 START19:30 ~ 22:00
場所:代官山 ”晴れたら空に豆まいて”
出演:大工哲弘 常味裕司 with 久保田麻琴 & ロケット・マツ
料金:前売り¥3000 当日¥3500 (共に1ドリンク代別)
<紹介文>
響きのマエストロ達がお送りする”島の風、砂漠の風”。
演奏と音響/ミックス/BGM選曲 で久保田麻琴参加。
大工哲弘  http://www.youtube.com/watch?v=St9TOzM3YYg   (映像)
常味裕司  http://www.youtube.com/watch?v=tto9PrJenGU   (映像)

二日続けて同じ店のメンチカツを貰う機会があったので
どのパンに合うか試してみたら
いちばん合わないんじゃないかと思っていたライ麦80%のパンといっしょに
食べたときがいちばんおいしかった
ライ麦80%のパンはやはり偉大だ
それからサンドウィッチにはビールだとばかり思っていたけれど
コーヒーも合うんだということもはじめて知った

怖さや弱さがあるからこそ
それに飛び込んでいったときに
人生は光り輝くんだ
その飛び込む瞬間が
ぼくのいちばん好きな瞬間であり
いちばん生を感じられる瞬間でもある

最近パンが3日目4日目あるいは5日目の方が
味がしっくりとしておいしくなるような気がする
焼きあがり当日はもちろん
翌日でもまだ味が落ち着いていない
これはパンが良くなってきた証拠なのかもしれない
クリスマスに焼き上げたバターケーキのようなブリオッシュは
きょうあたりから食べごろだろう
はたしてどんな味になっているだろう

先週は休みに盛岡に行った
用事を済ませてから寿司でも食って帰ろうということになったのだけど
見事に今年三度目の食あたり
腐った野菜
腐ったご飯と続き
気をつけてはいたのだけど
寿司にやられてしまった
店に入って一発目に頼んだのが
貝だった
一発撃沈
今年は的中率が抜群だ
体調面では散々だった一年
これだけ体調を崩した年はいままでなかった
その分力があり余っている
先週も食あたりで3日
クリスマスの準備で4日
からだを動かすことができなかったので
こころではなく
細胞ひとつひとつが弾けたくてウズウズしている
これからいっぱい弾けさせてやる
パンでもそうだけど
底を見たからこそ
まだ上にいけるという可能性を
自分の中に見ることができた

きょうのパンはすごいよ
ライ麦40%にライ麦15%ライ麦30%ライ麦80%
ここに来てパンの調子がかなり良い
長年うまくいったりうまくいかなかったりを繰り返しながら得たさまざまな材料が
さまざまな条件に対応できる力を与えてくれていることが大きいのじゃないだろうか
今年中にここまで持ってこれるとは思っていなかったので不思議な気分だ
いつの間にか魔法が使えるようになったって感じ
いま間違いなく
自分のパン人生の中でいちばんのパンを焼いている
自分でもこんなでたらめなパン屋はないなと思いながらも
歯を食いしばってパンを作り続けるしかなかった
こんなところでは止まってはいられない
俺のパン人生はまだまだここからだ

今年は祝日でも月曜日は休んでいたのだけど
クリスマスなので久々の月曜日営業
お客さんが来てくれるか心配だったけど
たくさんのお客さんが来てくれホッとした
 ブリオッシュ
スコーン(初登場)
酵母を使ったバターケーキのようなパン(フランスのある地方で作られているブリオッシュ)
をクリスマス用に作ってみた
それからクリスマスなので食パンもいつもと違うものを作ろうと思い立ち
バターを入れて焼き上げてみた
10年ぶりのバター入りの食パンだったのでどれくらい入れるか思い出せなくて
かなり多く入れてしまった
(後で思い出したのだけど昔は今回の半分の量のバターしか入れていなかった)
もっと頻繁に作れればまだまだうまくできる余地はあるのを感じたけど
どうだっただろうか
パンの作り始めが築地の木村家ペストリーショップだったので
こういうパンやお菓子を作るのは嫌いじゃないのだけど
ひとりではやっぱりこなすことはできない
 東京から最近コーヒーにのめり込んでいる自称自転車乗りのT夫妻がお客さんたちに
コーヒーを淹れてくれた
さすがに手際が良く
あれだけのお客さんにしっかりいき渡っていた
コーヒー屋さんをやっているわけではないけど
大阪のおばちゃんにも負けていない厚かましさで
本職のひとだろうと誰だろうと
押しかけて行ってコーヒーを淹れまくっているだけのことはある
人生一歩踏み出したものが勝ちだ
怖さや弱さは人間誰しも持っているし
消すことはできないけど
怖くても弱くても
その怖さや弱さにエイ ヤァと踏み込んでいけるか
人生を楽しめるかどうかはそれにかかっているのだと思う
 今年は楽しいクリスマスだった
感謝

今年はブリオッシュがしっかりと膨らんでくれた
きのうの夜60分かけて手ごねして20時間くらい醗酵させて
今夜ようやくカマの中へ入った
これだけ手間隙かかったものなので
カマからその立派な姿をあらわしたときは本当にうれしかった
材料も高いんだ
バターやタマゴを問屋から買うとなると
ケース単位で買わなければならないので
スーパーに買いにいくのだけど
200グラムのバターが440円もするしタマゴもひとパック240円
儲けはあるのかな?
まあ 儲けがなくたって年に一回のことだからね
あしたはちょっとだけ販売して
本販売はあさってかな
雪が降らなければいいけど

きょうもライ麦40%は絶好調
きょうは全体的によく出来たと思う
最近作り始めたライ麦15%もだいぶわかってきたし
1917(山型食パン)もいい感じ
ライ麦30%の平焼きも安定性がでてきた
朝寝坊したけどやることはやるのだ
三連休初日
目を覚ましたら6:30なので驚いた
多くのパン屋やお菓子屋さんが徹夜でがんばっているときに
いつもより一時間も余計に寝てしまった
しかも熟睡最高に気持ちのいい目覚めだった
1時間遅れの仕込み開始だったけど
目一杯動いて
なんとか10分遅れでオープンできた
寝坊はしたけど
自分もきのうは店を閉めてからずっと仕込みをしていたんだ
スコーンと酵母で作るバターケーキそれとブリオッシュ
たまにこういうのを作るを作るのも楽しいや
久しぶりにカマから甘い香りが漂った

ライ麦40%のパン
きょうも絶好調
日々生涯最高の出来を更新している感じだ
ようやく長い長いトンネルから抜け出すことができるかもしれない
きつい日々だったけど
トンネルの中にいた時期のことは
パンの作り手としては
とてつもない財産だ
パンを作っていくならこれからも
何度となくトンネルをくぐらなければならないだろうけど
どんなことがあっても
自分を曲げることなく
懲りずに
自分の道を歩いていこう
人生を楽しむコツは
懲りないことだ
何かあるたびに
こころ入れ替えて方向転換なんてしていたら
面白いことには出会えない
そういうことだから
パンも懲りずに
買いに来てね~~
パンも懲りずに買いに行っていれば
いつかは
おいしいパンに出会えるかもしれないのだ

何か起こるたびに規制 規制
責任が自分のところに降りかかってこないように自己防衛なのかしらないけど
国民を子ども扱い

またしても
体調不良
きのうは何とか気合で乗り切ったのだけど
きょうはところどころで集中力が切れて
カマからパンを出し忘れるなどのミスが続いた
食欲もあまりなかったのだけど
蜜だらけのりんごを食べたら元気になった
ここ数日良いパンが焼けるようになってきたので
明日のパン焼きも楽しみだ
経験によって得たいろいろな材料が
ガッチッと音を立てて結びつき
いまぼくに何かを見せてくれている
近々ものすごいパンが焼けてしまう予感あり
まだ食べていないからわからないけど
きょうのパンもものすごいパンである可能性は充分ある
年末になってきてようやく調子が上がってきた
しばらく
なまけもののパン屋から目が離せないぜ!

良いパンができたときは
ほとんどは微生物の力
良くないパンができてしまったときは
作り手が悪い
良くできなかったのは
気持ちよく動きまわっている微生物の
邪魔してしまったからだ

ライ麦40%のパンは
一年前に作り方を変えてから
良いパンができたり
どうにもならないようなパンができたりで
全然安定しなかった
おまけに今年は粉の状態が最悪なのも重なって
作っていてかなりしんどかった
作り方を変える前は自分が作っているパンの中では
安定度がいちばん高いパンだった
だけど味に納得できなかったので
おもいきって作り方を変えた
思うようなパンが作れない日が続き
ぜんぜんわからなくなってしまい
もうパン屋続けられないんじゃないかと
弱気になってしまったこともあるけど
すこし光が見えてきた
行けると思う
いや行く


きょうのライ麦40%のパンは快心の焼き上がり
いままでにも同じくらいに焼き上げられたことはあったけど
そのときは偶然性の割合がかなり高かった
でもきょうはのパンはいままでの経験の上で
狙ってできたものだから
生涯いちばんのパンと言っていいかもしれない
きょうだけじゃなく
明日もあさってもこのくらいのパンが焼ければいいなあ
でも自分のパンはまだまだこれからよ
自分の中ではまだまだ行ける
更なるレベル アップ目指して
気合入れて生きていくぜ

店を終えて犬と散歩
一時間歩いて流れ星が6つ
8時の段階でこれだけ見えたのだから
夜遅くにはすばらしい天体ショーが見られるんじゃないだろうかな

きのう試してみてうまくいかなかったこと
何が悪いのか考えたり
昔の作り方や何やらを思い出していたら
生地を捏ねる上でとっても大切なことを忘れていたことに気がついた
それも昔失敗しながらつかんだことだったんだけど
醗酵に追い越されないようにと
はやく捏ねることばかりに気をとられて
いつの間にか忘れてしまっていた
きのう試してみたからこそ気がつくことができた
きのう試してみなかったらこれから先ずっと気がつかなかったかもしれない
動くことが引き金になって見えてくるもの
動いてみることの大切さ
わからないときこそ動いてみるべきなんだ
きょうそれを試してみたら
うまくいった
まだ一度だけなので
本当にそのためにうまくいったのかはわからないけど
もし違っていても
そのことが
大切なことは変わりはないので
ぼくはもうひとつ階段を上ることができるかもしれない

きょうはパン作りで試したいことがあったので
張り切ってやってみたんだけど
ひらめきはまったくかすりもせずに
撃沈
それでも「これは違う」という材料を
手に入れることができたので良しとしよう
こういうことは店が休みの日にやればいいのだろうけど
休みの日にはパンを捏ねる気にはどうしてもなれない
店に並べるパンは少なくなるけど
上達するには必要なことだから
ひらめきがあったら
これに懲りずにアタックしていこうと思う

今年二度目の積雪
今年の冬は早い段階から
空気が冷え冷えだ
今年の大田原は
重ね着なしではとても生きていけない
下はトレパンの上にウインドブレーカーを2枚
上はトレーナーの上にフリースのジャケットを2枚

このところ流れ星によく出くわす
きのうもランニングをしていると
南西の空に大きな流れ星
あっという間に遠くかなたに姿を消してしまう流れ星
願い事は短い言葉でテキパキと
たとえば「カネ」なんかだったら
流れている間に
5回は唱えられる

東京から5人組
いつも自転車でやってくるのだけど
きょうは車でやってきた
きのうは地震でお客さんがさっぱりで
パンがたくさん残っていたので
いっぱい買っていってもらえて助かった
あれだけのパンを車に積み込んだら
車の中にパンの匂いが充満してしてしまい
大変だったのじゃないだろうか

ライ麦細長いパンは小さいけど
3、4日経ってからの方がうまいと思う

すだれをやめて麻布にしようかなと思案中
むかし上半分だけを麻布で覆っていたことがあったけど
窓全体を覆ってしまったらおかしいだろうか

店 店まわりとすこしずつ
居心地の良い空間を作っていく

ようやく9月頃のからだに戻ってきた気がする
正月はバンバンからだをいじめてやろう

公園は自分でも作れるし
図書館だって自分で作れる
市や国に頼らなくても
自分で自分の作りたいものを自分が作りたいように
作っちゃえばいいんだ

子供たちの味覚や噛む力の未発達は
いまや悲惨な状態だ
この流れはもう止まらないだろうし
更に拡大していくのじゃないだろうか
味覚がでたらめな親に育てられれば
子供もそのでたらめな味覚を引き継ぐ可能性は高くなる
すっぱいのが苦手な親はすっぱい食べ物を作ったり買ったりはしない

文化や風習は一度崩れるとドミノ崩しのように
次々と崩れていき取り返しのつかないところまでいってしまう

ぼくたち人間がやってきたさまざまなこと
そのひとつひとつのひずみが
限界近くまで広がり
相互作用なんかも起こったりして
さまざまなところで爆発崩壊が始まっている
これはもう最後まで行くしかないだろう
人間のサガといおうか
人間の根の部分は変わらない
発明家は更なる発明を追求していくし
人間楽を覚えたらもうそこからはそう簡単に抜けられない
更なる楽を求めて日々を重ねる
企業は餌を求めて世界の隅々まで駆け巡り
もう餌なんてあらかたなくなってしまっても
始めてしまったことはやめられない
政治家は保身や名誉 欲望のために権力を利用する
ぼくだって自分のそこの部分は変えることはできない
破滅という形になるまで人間は進まなければならない

からだは動かしてやると
やっぱり喜びだす
細胞ひとつひとつが飛び跳ねながら踊っている
こころもやっぱり踊っている

ライ麦酵母完全復活
おめでとう!
土日はなかなかのパンができたと思う
売れ残ったパンをいくつか食べたら
恐ろしいほどうまかった

金曜日
ライ麦パンの醗酵がなかなか進まないから
ライ麦酵母はまだ回復途上なんだなと思っていたのだけど
できたパンを食べたら
すばらしくうまい
経験上
これだけ醗酵に時間がかかれば
酸味が強くなるはずなんだけど
パンはまだまだよくわからない

科学技術なんてものは
自然がフーッと息を吹きかければ
あっという間に吹き飛んでしまう
安全だと言われているコンクリートも鉄だって
何十年も経てば粉々だ

ライ麦酵母の回復がまだだったので
きょうは小麦酵母で作ったパンをすこしだけ作った
人間の都合よくはそうそう動いてくれない
そういう酵母たちと毎日付き合っているので
こっちは
酵母との関わりのときはもちろんそれ以外のときでも
すこしだけ
こころひろく
どっしりと構えられるようになった気がする

きのうきょうで40種近くの草花を植えただろうか
梅雨の時期から始まった植えたい病も
これでようやく落ち着いてきそうだ
植物を植える行為には中毒性があるんだなあと思っていたのだけど
よく考えたら興味があるものに出会うと
のめり込んでいってしまうのは自分の性格でいつものことだった
まだ小さくて目立たないけど
目を凝らすと
そこかしこに草花がいっぱい
http://www.youtube.com/watch?v=ArVd29wht_A
店の左側面とそれから駐車場を囲むように
何の花かは開いてからのお楽しみ
今年はアジサイも剪定したのですこしはきれいに咲くかなあ
来年は
どんなことになるのかとても楽しみ

朝起きて
酵母の具合を見ようと醗酵器を開けると
ものすごい熱気
慌てて酵母が入ったばんじゅうの蓋を開けると
酵母はドロドロ
きのうから醗酵器の調子がおかしかったので
もしかしたらとは思っていたのだけど
とりあえずきょうは店を開けられないので
店は休みにして
もうひと眠り
寒いのは苦手なのだ
酵母も死んではいなそうなので大丈夫そうだ
8:00頃起きて醗酵器をよく見てみたら
もしかしたら自分で直せるかもしれないと思って
ちょっとだけひと安心
ホッとしたところでとりあえず
庭いじり
お昼ご飯を食べてようやくとりかかれた
別に余裕があったわけではなくて
細かい作業になりそうだったったので
そういうのが好きではないから
なかなかとりかかれなかったんだ
ああでも
庭いじりをやりたい思いを抑えられなかったというのもあるかな
やってみたら不器用なりにも
何とか直すことができて
安堵した
なんだか知らないけど
もうだいぶ前から壊れていたところまで
直っていた
メーカーに頼まなくてよかった
頼んでいたら出張費や技術料もろもろで
6万円は取られてしまうんだから
あ~壊れてくれたおかけで
ゆっくりできた
やっぱり週休3日くらいじゃないとリフレッシュできない

きょうは半日かけて庭の整備をした
草花を大量に集めたので
それらを植えるところを作らなければならなかった
植えるところならいっぱいあるのだけど
パンを買いに来てくれたひとにも観て楽しんでもらえるところとなると
限られてくるからなかなか難しい
それならそんなに草花を集めなければいいのにと言われそうだけど
中途半端なことではぜったいにひとを喜ばせることはできない
金はあまり持っていないけど
どうせ使うならパンを買いにくれたひとと共有できるものに使いたい
服なんて穴ぼこだらけだけど
それでかまわない
来年は文字通り華やかなパン屋になるだろう
ちゃんと咲いてくれれば
あしたは筋肉痛かな
土や石を買うのにきのうきょうで家とホームセンター間をどれくらい往復したのだろう
15kgの土や石を自転車や駆け足で運ぶのはそうとうキツイ
たとえ軽石だろうと
15kg入りの軽石なら
15kgの重さがあるんだ
でもパン作っているより
土いじりや草をむしっている方が
仕事をしているなあという気分になれる

パン屋はへこたれている時間なんてない
明日はもうすぐそこだ
そのとき
そのときを全力投球していくしかないんだ
良くも悪くも期待を裏切りながら
明日も力いっぱいパンを焼く
でもその前にきょうはパーっと走りにいこう

よくパンを買いに来てくれるKさんから
ザワークラウトのつくり方を教わったので
早速作ってみた
といってもキャベツがなかったので
でか過ぎていつも使い道に困ってしまう白菜を使って
なかなか良い味になったので
きょうは生ハムといっしょにオープンサンド
まずい・・・・・
うま過ぎる
どんどん食が進んで
ひまわり入りの食パン半斤食べてしまった

きょうは一日からだを動かしてやった
ランニングの後に公園に行って
懸垂をやった
しばらく前に木の枝につかまってからだを持ち上げようとしたら
思いに反してからだがなかなか持ち上がらなかったことがあったので
これはまずいなと思ったのもあるのだけど
同時に技術の方だけではなく筋力やスタミナなど体力面でも
トレーニングの仕方しだいでまだまだ伸びしろがあるなとも思えたので
よし やるぞ~という気持ちが沸いてきてちょっと燃えている
あとは自分をぶっ壊してやるという気持ちにどれくらいなれるかだ
その気持ちに自分を持っていけるかどうかで成長具合も楽しさや喜びも
違ってくる
自分のからだを動かして遊ぶことが
ばくにとってはいちばんの遊び

木の椅子を置いてから
本を読む時間が増えた
この椅子に座るとこころがゆったりとする
身の回りにある物が
こんなにも自分へ影響を与えるんだな
物の持つ力
椅子はお客さんたちにも気に入ってもらえて
着席率が増えた

どうせ買うものなら
いま買っちゃえ
やりたいことがあるなら
できなくなる前に
いまやっちまえ

きょうは捏ねているときに
変なひねり方をしたのか
右の背筋を痛めたけど
周辺の筋肉がカバーしてくらたので問題なし
パンの方は絶好調
うっかりミスもなく
ここ最近(一ヶ月くらい)ではいちばんの出来ではないだろうか
1917のひまわり入りのカマ伸びはすごかった
切り口に惚れ惚れ
きょうはパンがすこし売れ残ったので
明日11月19日(月)
テーブルの上にパンを置いておくので
食べたい方は買いに来てください
お代は置いていってくれれば大丈夫です
(百円玉と五十円玉 まとめ買いの方は一万円札を用意してください)
朝6:00頃から開いています
もちろんいつもの通り割り引き価格です
なおつり銭の用意はありません

きょうは雨の中
思っていた以上にお客さんが来てくれた
いっぱい作っちゃっていたから助かった
きょうもなかなか良いパンが焼けたと思う
週末はうっかりミスが多くなるので
明日は気をつけて
あと一日
がんばって良いパンを焼こう!

人数が多くなるほど
人間としてではなく
数値で捉えなければならなくなる
人間じゃなく
数値だから切り捨てるのは平気だ
良いことだとは思えないけど
いまは効率化 効率化で
合併だ 統合だと
どんどん人間をひとまとめにしてしまう
合併や 統合で
街や建物は広くなったけど
俺たちは狭いゲージに押し込まれたニワトリたちと同じじゃないか

きょうは朝パンを作っているときから
ずっとハイ状態
こういうのはなんていうんだろう
生きてるハイかな
とにかく良い気分
パンもなかなか調子良し
あしたはもっと良いパン作るぞ~

公園を犬と散歩していると
街頭の明かりに照らされて
真っ赤に光る葉っぱがある
桜の葉も紅葉することをこの歳になって
はじめて知った
すばらしい赤
花が咲く頃しか
関心がなかったから気がつかなかった
普段目の前にあるのに見えていないものって
もっともっといっぱいあるのだろうな

つまずき
転びながらも
歩いていられる幸せ
熱中できることのある幸せ
自分を生きている幸せ

何かを追い求めようとするとき
自分に足りない部分があれば
それが必要となるところにでくわしたときには
そこでつまずくようになっている
そこでつまずくことによって
自分に足りないところがわかり
その足りない部分を考え工夫して
埋めていくことになる
それを何度も何度も繰り返しながら
すこしづつスムーズに進めるようになってくる
しかしだからといってつまずくことがなくなることは
決してない
  つまずき
  転んで
  おめでとう
  つまずいたことによって
  見えてくるもの
  足りないものがあるから
  つまずくんだ
  転ぶ必要があったから
  転んだんだ
  転ぶとガクッリくるけれど
  転ぶことと引き換えに
  足りなかった部分を手に入れ
  ぼくは大きくなっていく

きょうはここ最近では
かなり良いパンが焼けた
冬を捕まえたかな?

学生の男の子が
喚鐘 五鈷鈴 備長炭の風鈴と順番に鳴らし
3つを鳴らし終わったと思ったら
また同じ順番で鳴らしている
ぼくが小田原のお店に喚鐘や五鈷鈴 や風鈴を買いにいったときと
まったく同じ反応 同じ行動をとっているのが可笑しかった
手放したくないんだよね
これだけこれらの音色にこころ動かされている子ははじめて

季節の変わり目は
本当に難しい
気温が低くなったのを気にしすぎて
捏ね上げ温度を高くしすぎてしまっていた
捏ね上げ温度を高くしても
パンの出来があまり良くならないので
まだ低いのかとまた捏ね上げ温度を高めてしまうことを繰り返してしまい
温度を上げるたびに出来が悪くなっているので
ようやく捏ね上げ温度が高すぎたんだということに気づいて
捏ね上げ温度を下げてみたら
良い感じになってきた
作り方がすこしずつ変わっているので
前の年と同じ感覚でいてもうまくいかない
季節を追いかけ捕まえるのが
パン職人の仕事だ
駆け足で追いかけけて捕まえられるものなら簡単なんだけど
パンのこころは人間と同じでそう簡単なものではない

周りから見ればただの失敗かもしれないけど
当人にとってみればそれは前進なんだ
歩いていくなら
必ずうまくいかないときというのは何度でも何度でもやってくる
そしてつまずく度に
新しい材料を手に入れて
ひとつずつ大きくなっていく
その成長があるから面白くなってやめられなくなる
成長することが生き甲斐になる
人間はめんどくさくできている  

数値を見ると
わかったつもりになっちゃうけど
数値を見ただけでは見えないものがあるんだ
政治家や省庁 教育機関なんかは数値ばかり見て
ああだ こうだやっているけど
世の中には数値化できないものの方が圧倒的に多いし
数値化できないものにこそ大切なものはあるんだ

さびしいさびしいと思っていれば
世界はやっぱりさびしくなり
楽しい楽しいと思っていれば
世界はやっぱり楽しくなる

長い時間を生きてきて
残り時間もわずかになってきた
いま
勝つか
負けるか
うまくいくか
いかないかよりも
大切なものがあるということに
気がついた
それは
生きている中での一瞬一瞬
その一瞬間一瞬間に
自分のすべてを賭けてぶつかっていけるかどうか
決してやってはいけないことは
負けること
うまくいかないことを恐れ
自分がこころの底から望むことを
やらずに逃げてしまうこと
残りの人生
悔いを残すことなく
お腹いっぱい
胸いっぱい
こころいっぱい
満たしながら
送っていきたい

思い返してみると
かなり昔から
からだを動かすことで
心身の調整をしてきた気がする
心配事で胃が痛くなったときも
自分の空っぽの頭であれこれといくら考えたって
胃の痛みは飛んでいかないけど
走りにいったり
サンドバックを叩いたりと
からだを動かしはじめたとたん
胃の痛みなんてすぐに治まってしまう
そしてからだを動かしているうちに
気持ちがどんどん盛り上がっていき
結局いつも
「前進あるのみ」の結論に達して
心配事なんて薄れていってしまい
逆に目の前には希望というひかりがぶら下がっている

生きてやる
生きてやると気合を入れながら
生きたのが良かったのか
靴下を重ね履きしたのが良かったのか
今回は食欲が落ちずに栄養が取れたのが良かったのか
3日間滞在しただけで風邪は去っていってくれた

ようやく食あたりと風邪から立ち直って食欲が戻ってきたところで
また風邪を引いた
ものすごい冷え性なんだから
寒くなってきたらすぐに靴下を重ね履きすればいいんだけど
毎年重ね履き始めを誤ってしまう
誤ってしまうというより1年経って
重ね履きのことなんてすっかり忘れてる
いつも痛い目にあってから思い出すんだ
この前の風邪のときは寝ていてもまったく良くなる気配を感じなかったので
今回は気合で治す
この歳になると黙って寝ていても病気なんて治りやしないんだ
病気を退治する力が衰えてきているのだから
気合によって内からエネルギーを起こしてやり
退治する力を手助けしてやた方がいいんじゃないかと思うんだよね
まあ からだの声を聴きながらだろうね
きのうはランニングをした後もうすこし動くつもりだったのだけど
どうにも眠くてしかたがなかったので
店のベンチで横になったら一時間くらい眠っていた
それでいいんだと思う

自分を守ろうと思っているときほど
ぼくにとってぼくの命は
守らなければならないほど
価値のあるものではなくなっていて
傷つくことや
命のことなど考えることなく
チャレンジしているときほど
まだまだ生きたい
いまがずっと続いて欲しいと思う
ぼくにとっては
楽しむこと=チャレンジすること=生きること

園芸店に行くと
何年も売れずに残っていた鉢が
仕入れ当時の値段のまま売っていたりするのでありがたい
庭に植えてあるニシキギ500円や2mの利休梅2000円などは
売れ残りの中から見つけてきたものだ
店の脇にある最近植えた大きな蝋梅を見たことがあるひとは驚くかもしれないけど
あれも園芸店で3000円で買ってきたものだ
しばらく前にホームセンターで見かけた同じ種類の蝋梅は
あの1/3の大きさで3980円の値札がついていた

今年は梅雨時期からたくさんの木を植えた
あまりに多く植えたので
もうどの木が何の木なのかよくわからない状態だ
それも直感で植える場所を決めていったので
5年後10年後にどんな庭になっているのかまったく想像できない
まあそれも楽しいだろう
椿や蝋梅の蕾がだいぶ膨らんできた

5:30起床してランニング
こんなに早い時間に走るのは何年ぶりだろう
外はもう冬の空気だったけど
朝焼けがとても美しい
空のはユーラシア大陸のような大きい雲が広がっており
その雲がオレンジ色に染まりはじめ
朝なんだか夜なんだかわからない世界をつくっている
こんな美しい世界の中にいると気分が高まってくる
いつもの場所で久々のロングダッシュ

杉本テツさん
ぼくがこんな人間になりたいと思っている
理想のひとだ
http://gyao.yahoo.co.jp/p/00114/v12088/?sc_i=gym082

日本は
きちんと病が
大蔓延
なんだかとても息苦しいので
こんな世界から飛び出してやる
エイ

午前中これから自転車イベントに参加するため
山形に向かうという竹さん玉子さん夫妻たちが立ち寄ってくれた
相変わらず週末になると夫婦で遊びまくっている
整った環境じゃないと
子は育たないと思っている親が多いけど
子供ほったらかしで自分たちの好きなことをやって生きているこの夫婦を
見ているとそんなことはないんだということがよくわかる
子供たちは何もなければないで
自分の頭で考え判断し見つけ学んでいくもんなんだ
整った環境はその力や成長する機会を子供たちから奪ってしまいかねない
おふたりの娘さんはほったらかしにされてもなんのそので
自分の生きる道をちゃんと見つけ
たのしい毎日を送っているそうだ
良い子ね良い子ねの
親ばかは良くないけど
子供がある程度の年齢を過ぎてからは
馬鹿親で良いのではないだろうか
そういえばおふたりに
ブナの実はおいしいらしいから試しきてと言ってしまったけど
ブナの実じゃなくて別の実だったかな
でもまあ
熊が食べているのだから
食べても直ちに身体への影響ないだろう
帰ってくるまではもつんじゃないだろうか

夕方にはまた東京からの自転車乗りたちが6名やってきた
ノリさんたちだ
申し合わせたわけではないそうで
やっぱり
ノリとタマゴは引き合ってしまうのだろう
それにしても皆さんすごいエネルギーだ
毎週のようによくこんな遠出ができる
年齢じゃないんだな
こころの熱さだ
ことあるごとに「きみたちは21世紀を生きるんだ!」と言われながら育ったけど
俺らだけじゃなくてそう言っていた本人たちだって21世紀を生きるんだ

いま大好きなことは
大切に
大切に
将来の安定のために
大切なものを捨ててしまったら
経済的には安定したとしても
こころは安定してくれないだろう

なまけもののパン屋
いまが旬だぜ
なんでこんなにうまいんだ
苦しんだ分だけひとはでかくなる
苦しみぬいた男のパン
なまけもののパン屋
ライ麦パン
絶好調販売中!!
諦めない人間 しつこい人間は強いよ~
これからはスッポンのノリと呼んでくれ

1917(山型の食パン)のひまわりの種入りはうまいねえ
このパンはトーストせずにサンドウィッチにして食べた方がおいしいかな
ひまわりの種を食べると次の日が快調だよ
ライ麦15%入りのひまわり入りもおいしいよ
こっちはチーズとの相性が抜群だ

ぶつかりにいって
粉々に砕け散ったとしても
またそこから始めればいいんだ
転ぶことは恥ずかしいことではない
ゼロから始めるということも
新鮮な気持ちになれ
なかなかいいもんだ
ひとは去っていくかも知れないけど
支えてくれるひとは必ずいる
新しい出会いだってあるかもしれない
転ぶことを怖がるあまり
縮こまってしまって自分を出せなくなっているよりも
粉々に砕け散ってもいいから
全身全霊をかけて
おもいきりぶつかっていってやればいいんだ
すべてをなげうって飛び込んだとき
命の炎は最高潮に燃え上がり
太陽よりも明るく
太陽よりも暑く世界を照らす

冬は庭がさびしいので
冬でも葉を落とさない木を何本か植えてみた
ハクチョウゲ ヒメクチナシ メギ ヒメウヅキ シルバープリペットなどなど
もうこれで木は終わりだろう
あとは山野草を何種類か植えるだけ
これからどんな成長を見せてくれるだろうか
毎日の楽しみになりそうだ

こうなりたくないという恐怖心が
気持ちやからだを抑えてしまうのなら
そんなもの捨ててしまえばいいんだ
そうなったとしてもいいや
どうなってもいいやという気持ちになれば
踏み出していける
昔あった嫌な出来事だって
またそういう目に遭うなら
そうなれだ

下り調子のときは悪いことばかり見えてしまったり浮かんでくるけど
そんなときでも
いいことはいっぱいある
道端に美しい花が咲いていたり
バッタリ出くわしたひととの会話
大好きなことをやっているということ
幸福だと思えば何だって幸福になるし
不幸だと思えば何だって不幸になる
きょうは素敵なお客さんたちとの出会いに感謝

のりにのってるぜ~
ひとにはそう見えなくたって
自分がそう思い込めば
そうなんだ
ひとはみんな魔法使い
自分自身に対してはだれだって魔法を使えるんだ

店に入ってきた瞬間
「あ 風鈴だ!」と驚いていたけど
ぼくにはその驚きの方に驚きだ
風鈴を飾ってから
きょう入れて少なくとも
4回はパンを買いに来ているはずなのに
20個近くもぶら下がっている風鈴にも
チンチンいっている音にも
気づかないでいたなんて
見え方や聞こえ方というのは
本当にひとそれぞれなんだなあ
何が良のいか
何が悪のいか
それだって
ひとそれぞれ
そのひとの判断だ
良い暮らしというものがどういうものなのか
子育てはどうするべきなのか
どう生きるべきなのか
すべてのことに
正しい答えなんてない
こうしなければならないなんてものはなくて
なんでもありなんだ
どうしたっていいんだ

いい人間でもないし
できる人間でもないから
いい人間に見られる必要もないし
できる人間に見られる必要もない
着飾ることなく
自分自身をおもいきり生きて
そのままの自分を表現していく

上り調子のときも
下り調子のときも
やることはいっしょ
自分自身をおもいきり生きること
自分はからだも頭も不器用で
何をやるにも
うまくはできないけど
それなら自分にもできる
そしてそれしかできないから
思いきり行くだけだ
一瞬先にどんなことになるかなんてわからないけど
何もしないで砕けるよりも
ぼくは当たって砕けたい
力一杯体当たりして
死んじゃう前に
やりたいことは
どんどんやっておこうと思う
砕け散ってしてもいいから

言葉のマジック
環境税
響きはいいけど
環境のことなんて本気で考えていないひとたちがつくったのだから
これも大半はくだらない使われ方をするのだろう
金の流れは変わらない
政権が変わろうが何が変わろうが
政治家たちや官僚たちの根の部分は変わらない
金の流れだって変わらない
国家に寄りかかって生きようと思えば馬鹿を見るだけだ
国家に頼って生きようとしても
もうなのか
もともとなのかは
知らないけれど
この国にそんなちからはありません
自分たちの力で生きていくしかないんだ

学習塾の窓の向こうには
いっぱいの学生たち
その勉強は
本人にとって塾にまでいって学ぶほど
価値のあるものなのだろうか
興味のあるものなのだろうか
残された時間が無限でないことを知り
学校の勉強も体験してきたいまの自分には
本当にそれでいいのかと思えてしまうけど
塾で勉強している当人たちは
自分が何をしたいのか
どうしたいのか見えていないひとたちほとんどなのだろう
勉強することが進学するためや就職するための手段になっているようだけど
学校も会社も選考基準をもっと別なものに変えられないものだろうか

きのう きょうと
朝から夕方まで
思う存分
からだ動かした
いっぱい動かしてみて
からだを全然使っていなかったことに気づき
からだに申し訳ないと思った
使っていない筋肉があっちこっち
いっぱいだ

いい天気だ
休日の月曜日
きようも最高の一日にするぞ~

商売が苦手なひともいるし
ひとと話すのが苦手なひともいるし
料理が苦手なひともいる
からだやこころの調子が悪くて
気持ちが外に向かないひともいる
どんなにがんばっても
うまくできないひともいるし
どんなにがんばっても
うまくできないときもある

赤や青の尖がりがいっぱいぶら下がっている姿が好きで
ここ何年か毎年店の前に唐辛子を植えているのだけど
今年は暑かったからかいままででいちばんの豊作だった
今年は間違いなく人生でいちばん唐辛子を食べた
アフリカに住んでいたSさんによると
アフリカでも唐辛子がよく食べられていて
辛いものから甘いものまで
種類もいっぱいあって
あっちではものすごい辛い生の唐辛子をかじりながら
肉を食べるそうだ
唐辛子は話をしているだけで毛穴が開いてくる
(いろんな唐辛子の苗を販売しているお店)
http://www.rakuten.co.jp/cayenne/
それから辛くて我慢できないときは水を飲んじゃいけいそうだ
バターをたっぷりつけたパンを食べるのが効果的なんだって

せっかく店をやっているのだから
おもいきり楽しんじゃわなきゃもったいないね
どんな店にしたいかを考えてみたけど
思いつくのはただひとつだけ
来てくれたひとに楽しんでもらえる店
それだけでいい
それだけがぼくの望み
簡単なことではないけれど
そうできるように努力することが
ぼくの生き甲斐
なんだ
かんだと
あるけれど
やっぱり
生きていることは
すばらしいのだ
たのしいのだ
さあ 
きょうも
がんばっていきましょう

とんでもない困難な状況に置かれることになっても
その困難を乗り越えてやろうという気持ちが芽生えたときから
その現象そのものが生き甲斐になる
もしかしたら自分の前で起こるすべてのことは
楽しいことに成りうるものなのではないだろうか
なにごとも真剣に立ち向かっていきさえすれば
楽しいものなんだ
きっとそうだ
どれだけ目の前にあることと真剣に向き合えるかで
人生の楽しさは決まってくる
生きていることを楽しめるかどうかは
自分次第なんだ

何かを学ぼう
身につけようとしている人間にとっては
すべてが整っていて
すべてが揃っていることが
良い条件とはいえないのではないだろうか
学校や親たちの間ではそういう条件をつくってやろうという方へ
どんどん向かっているようだけど
障害や難しさがあってこそ
人間は力をつけていく
整っていない揃っていない条件の中でも
本当に興味あるものならば
勝手に自分で身に着けようとするし
学ぼうとする
自分の頭で考えて
知恵を出して
何とかしていくのじゃないだろうか
それに
そうじゃないと
身につかなし
学べない

子育てとは
自分の生きる姿を見せることだと思う
子は親を見て育つもの
子供に合わせてばかりいる必要はないし
何かを押し付ける必要もなくて
自分自身真剣に生きる
それだけでいいんじゃないだろうか
『子育て入門』とか読むよりも
これから子供を産むすべての親は
『がんばれ 元気』を読むべきだ

やっぱり朝のランニングは気持ちがいい
店がある日はしかたなく夜走るんだけど
なかなか気合が入らない
だから定休日の朝はとにかくうれしい
きょうはからだの調子もかなり良くなったので
中くらいの距離のダッシュと短いやつを何本かやった
ダッシュはきついのだけど
一本終わるとまたすぐに走りたくなる
一度強い刺激を与えてしまうと
「燃えろ 燃えろ 燃焼だ」と細胞たちが騒ぎ出す

自分は起用じゃないから
何をやるにも
出来るようになるには
時間がかかり
すぐには出来ないけど
やりたいと思うものなら
出来ないからといって止めてしまうことはなく
出来るようになるように
繰り返し繰り返しあるいは別の方法を試しながら
諦めることなくそれを追いかけていく
泥臭くはあるけど
求めるものを見つけたら
スッポンのようにへばりついて離れない
時間をかけて
時間をかけて
思いを
形にしていく
それがオレだ
さっきそれを自覚したら
怖いものなしになった
パッとすぐに出来てしまわないのが自分なんだ
アンダンテ
歩く早さで一歩一歩努力して生きるのが自分なんだ
背伸びをした状態では長くはいられない
しっかりご飯を食べて
しっかり運動をして
しっかり睡眠をとれば
いつか背は伸びる
そうすればいつまでも歩いていける
さあ きょうも張り切って1! 2! 3! 4だ!

きょうの夕食は
きのう(土曜日)焼いたひまわり入りの1917(山型の食パン)と
きょうの(日曜)焼いたひまわり入りのライ麦15%の細長いパンとで
サンドウィッチ
うひょ~
このうまさはすごいよ
いまかなり調子が良いので
来てくれれば
「こんなうまいパン食べたことがない」というような
いいパンに出会える可能性が高いよ
うそじゃないよ
好みの問題もあるけど
全種類食べれば可能性はより高くなるから
お金いっぱい持ってきてね

身近にあるものや
自分のからだが壊れはじめるときは
いつもからだからエネルギーがあふれ出てきたとき
いま脱皮の最中だ
こういう現象が起きているときは
自分がものすごい成長している
ひと皮むけたオレを見にきてくれ

久しぶりに流れ星を見た
一年くらい見ていなかった気がする
真下に落ちていく星だ
区切り区切りでこの星に出会っている気がする

パン屋を続けられていられるのは
パンを食べてくれたひとりひとりの支えがあったからこそ
だからどうすればうまいパンが作れるかを考え努力することをやめてはいけない
それがぼくにとっての報いであり責任
どこまで良いパンが出来るかはわからないし
ときには失敗もするだろうけど
ぼくにはそれしかできないから

秋になってすこしずつお客さんが戻ってきてくれた
今年の夏は良いパンが作れなかったこともあり
平日のお客さんの数は悲惨なものだった
売り上げも何千円の世界をさまよい
このまま続けられるのかという危機感を持ちながらの毎日だったけど
パンの出来も良い感じになってきたので
なんとか踏ん張りたい
いま出しているパンのほとんどが教科書通りに作っても
100%うまくいかないパンなので
つかむまで長い時間がかかっているけど
いま作っているパンに関してはいくらか掴むことが出来たと思う
失敗しても失敗しても難しいパンにこだわり続けたのは
しっかり出来たときはとてつもないパンが出来るからだ
器用じゃないし
飲み込みも遅いし
感覚も鈍い
感もきかない方だけど
とにかくこれからも作っていく
すこしでも良いパンが作れるように
自分にとっては生きることが作ることであり
作ることが生きることだから
どんな環境であろうと
どんな状況であろうと
人間は生きていかなければならないし
生きていくためには何かが必要なんだ
下手くそでも
うまくできなくても
ひとに受け入れられなくても
ぼくは作り続けなければならないんだ
でもきっとこれはぼくだけではなく
生を持ったひとりひとりが
自分にとっての大事なものをいくつかもっていて
それはスポーツかもしれないし
学問かもしれない
あるいは
家族かもしれないし
恋人かもしれない
もしかしたら自分かもしれないけど
その大事なもののために
あるいは生きるために
ときにはもがき
ときには笑いながら
懸命に死というゴールに向かって歩んでいるんだ
この世のすべてのひとに幸あれ
と言いたいところだけど
そうやって生きていること自体が
もうすでに幸福なんだ
”この世のすべてのひとよ幸福だね”

きょうは1917(山型の食パン)にひまわりの種を入れてみた
レーズン入りと胡桃入りと3種類やってきたけど
ひまわり入りがいちばんしっくりきた
自分がひまわり入りのパンが好きだということもあるかもしれないけど
生地ウマミを殺さずに生地とひまわりの味両方がお互いを立てている
きょうは特別うまく焼けたようで
粉と水と塩とひまわりだけの材料でこんなにうまい食べ物ができてしまう
パンの世界
醗酵の世界
いったいどこまで深いのだろう

ランニング再開2日目
空気が重い
苦しいけど
この空気の重さがあってくれるからこそ
それを跳ね返そうとがんばれるんだ
負けるものかと気合を入れてがんばれるんだ
そしてこの空気の重さがあってくれるからこそ
力がついてくれるんだ
空気の重さに感謝して
一歩一歩

蝋梅を植えた
2mくらいある株たちの立派な木だ
作業場のすぐ脇に植えたので
窓を開けるとその木が見える
隣の家の壁しか見えなかったいままでとは
気分がまったく違う
木一本で人間はこれだけ救われるんだね

ランニング再開
からだが出来てきて
今月にはジムにいけるかなと思っていたのだけど
体調を崩してほぼ一ヶ月ほとんどからだを動かせなかったので
また作り直しだ
気負わず
焦らず
前だけは向いて
やっていこう

『絆』ということばが
世の中にあふれているけど
これだけ氾濫させたのは
マスメディアや企業あるいは政治家たちなんだろうな
出所は市民の中からかもしれないけど
なんらかのために
マスメディアや企業あるいは政治家たちが濫発しているのだろう
『エコ』 『節電』 『復興』

利権のために
莫大な金を使って
必要のない
ダムを作り
山を壊し
川を壊し
海を壊してきたひとたちが
どの顔をして
環境税なんて言えるのだろうか
このまま政治家や官僚に頼って
生きていて本当にいいのだろうか
政治家や官僚の指示に従って
生きていて本当にいいのだろうか

きょうはがんばっていっぱいパンを作った
今週は水曜日木曜日がかなり悲惨な状況で
金曜日も出だしがあまり良くなくて
「あ~ きょうもダメか」とちょっと沈みかけていたら
18:00過ぎにバタバタとお客さんが来てくれ助かった
きょうは良い感じにお客さんが来てくれた
作ったパンが大量に売れ残ったときは本当にガクッとくる
出来の良いパンを作ったときは尚更だ
でも腐らずにいかに気持ちを切り替えるか
自分の場合
必要ならば店を休んじゃうこともある
気持ちを引きずっていてもろくなことはない
嫌な気持ちはくちゃくちゃに丸めてポイしちゃえばいいんだ
これからも自分にはパンを作り続けるしかないのだから
いかに良いパンを作れるようにするかを考え努力すること
それがパン屋をやっていることへの自分なりの責任の取り方
パン屋を始めてパンが売れない辛さや悲しみを知ってからは
何か買うときや食べるときはお客さんが入っているお店よりも
あまりお客さんが入っていないお店に行くようになった
自分の出来なさを知ってからは簡単にひとを批判できなくなった
点だけしか見ないで批判なんてできない
こんな辛さや悲しみや自分の出来なさを知ることができて
良かった
生きていくうえで絶対にわすれてはいけないことだと思う
『絆』
あなたの街のあなたのパン屋
なまけもののパン屋をお忘れなく
ちゃんちゃん!
福島の農家の人たちは口惜しいだろうな
その怒りを国や東電にぶつけたところで
作物の汚染は止まるわけでもないもんな
それでも生きていかなければならない

ここ三週間一日の半分以上寝ていたので
さすがにもう寝疲れてきたし飽きてきた
運動もできなかったのでとても悔しかったけど
ようやく良い方向に向かい始めた
さあ 飛び出すぞ!
いまから最高の人生を送ってやろう
いままでの人生の中でいちばん
楽しく
そして輝いて
真っ白になるまで燃え尽きるぜ!

からだが別の生物に乗り移られてしまった
だるいし頭もぽわーんとしている
きょうはパン作りを休んじゃおうかとも思ったのだけど
おとなしくしていると完全にからだをのっとられてしまうので
がんばって作ることにした
店を開けるとものすごい数のお客さん
喉をやられていたのでこれだけのお客さんを続けて対応するのは
きついなと思っていたら
東京から来ていたノリ・タマ・タケさんたちが
お客さんにコーヒーを淹れて配ってくれたので助かった
早めに完売したのでノリ・タマ・タケさんたちに
白河のコーヒー豆屋さんへ連れて行ってもらったのだけど
飲んだコーヒーの味よりも店主の強烈な印象の方が頭から離れなかった
あれだけ喋り捲るひとに会ったのははじめて
このひとは喉から舌にかけて
別の生物にのっとられてしまったんだなあと思いながら眺めていると
だんだん眠くなってくる
息継ぎもそこそこに一定のリズムでしゃべり続けているので
子守唄を聴いているようないい気持ちになって
ぽわーーとしていた頭が更にぽわーんとしてきて目蓋が重たくなってくる
それにしてもあの喋りはすごかった
ちょうど読んでいた本に
頭と胴体を真っ二つにされてもくねくねと動き続ける蛇のはなしがあって
その蛇と店主が重なってしまい
『生命力』という言葉が頭にぽかーんと浮かんできた
後で年齢が60を超えているのに
5ヶ月と4歳のふたりの子供がいるということを聞いたときは
驚くよりも「そうだろうな」と納得できた
店主のしゃべりも含めて不思議な空間のお店だった

目が覚めると6:00
いつもより30分遅く起床
いつもなら挽回できる時間だが
きょうは逆に焼き上がりが1時間近く遅れる
でも30分余計に眠れた分回復した気がする
閉店後下仁田ネギと黒ニンニクと唐辛子の味噌汁を作り
飲んで寝る
良い汗をかいた
最近は寝てばかり
すぐに眠くなってやりたいこともできなくなるので
酒をしばらくやめているのだけど
これじゃあ意味がない
運動はできないけど本は読めている
  野田知佑著『川の学校』
いまの小学校中学校とはまったく正反対のことをやる学校
年五回 とにかく遊ぶ
自分で判断し考え動く
子供たちにとっては人生を変えてしまう体験だろう
  猪谷六合雄著『雪に生きた80年』
『雪に生きる』続編
人生を楽しむってこういうことだろう
やりたいと思うことをとことんやる
小屋 服 スキーの板 ジャンプ台 無いものは自分で作ってしまい
戦時中でも好きなスキーを楽しむことを忘れていない
人生=遊び

きょうのパンも最高
怖いくらいにうまくいってしまう
何かが乗り移っているようだ
パンの方は絶好調なんだけど
体調の方がよくない
きょうは一日ずっとからだがだるかった
熱ぽいので風邪だと思う
調子が良いときにドーンといきたいのだけど
このところ波に乗れない
一日か二日作って
一日休みとていう感じで
作りたくても作れない日が続いている
あすも作れないかもしれないけど
きょう焼いたパンがすこし残っているので
店は開けられると思います
良いパンなので買いに来てね

盛岡の家具屋さんで買ったベンチの座り心地がとてもよく
最近はずっと座って本を読んでいる
この時間がなんだかとてもよいんだよね

きょうは山型の食パンの生地に胡桃を入れてみた
いつも食パンに使っている粉がいまないので
ちょっと遊び

フリーフォート狂であり写真家のYO-RIさんに
http://blog.livedoor.jp/ymp1/
アレ・メッレル・バンドの新作アルバムを頂いた
アレ・メッレルまたとてつもないアルバムを作った
数回聴いただけではぜんぜん掴み切れない
きっとあと何十回と聴いたとき
このアルバムの本当のすごさがわかる気がする
彼らは別次元に行ってしまったよ
来年の来日のときは店を休んででも必ず
観に行かなければ
(アレ・メッレル・バンド映像)
http://www.youtube.com/watch?v=fLnJjOvfiw4&feature=relmfu

http://www.youtube.com/watch?v=CngJPzvbvVY&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=8JwnKgigp7Y

きょうもうっかりミスで
ライ麦酵母の培養時に
ライ麦の酵母を入れ忘れてしまった
憶えている限りでは今年3度目だ
それなので急遽小麦酵母で作るパンの種類を増やし
レーズン入りの山型の食パン(new)や
ライ麦15%とライ麦30%の長細いパンなどを店に並べた
普段は15%と30%のパンを同じ日に作ることはないので
せっかくの機会だからと食べ比べをしてみた
15%の違いでこれだけ違うんだと
今更ながら驚いた
15%の方は硬めでさっぱりした味
ワインに例えるなら運動後にゴクゴクっと飲みたい味
30%の方は上品な味で
ワインに例えるなら食事といっしょにゆっくりと楽しみたい味
どちらもいい味自分好みの味だった
今週は良いパンを連発
この夏を乗り越えて
二皮も三皮もむけたのが自分でも感じられる
状態の良い粉さえあれば
このぐらいの味なら頻繁に出せるのではないだろうか
ここからさらに上に行くには
どうすればいいか
それはいままったく見えていないけど
続けていれば必ずつかまえられると思う
二皮三皮むけるには
それだけの痛みを伴う
楽して得たも得たつもりになっているものは
それだけのものでしかない
二皮三皮分の苦しみを経ること無しには
絶対に自分の血肉とはならない
パン作りにとって
大切なのは知識なんかではなく
感覚だからだ

一週間ほとんど食べられなかったのだけど
体調が良くなってくると共に
食欲も戻ってきた
パンの方もいい感じだし
またバリバリ行くぞ~
それにしてもこの急激な気温の下がり具合はなんだろう
そりゃあ
体調も崩してしまうぜ

寒くなってきたので
風鈴はもう終わりかな
今夏は店に20個くらいのいろんな種類の風鈴を吊るし
扇風機で風を送って
チリンチリンやっていたのだけど
これが想像していた以上に良くて
毎日気持ちのいい音を響かせてくれていた
これからしばらくは虫の声があるから
それでいいかな

きょうのライ麦30%の細長いパン(プレーン)は
もう最高にうまい
噛み締めると旨みがジュワーッと滲み出てきて
口いっぱいに広がって
やがてそれが体中をめぐり
脳天を突き抜けていく
ごくごくまれに
こんなパンができてしまうときがある
でもこういう日に限ってお客さんが来ないんだな

この一週間は
体調を崩してほとんど布団の中
おかしな味がするご飯を食べたのがいけなかったようだ
そしてもっといけなかったのは
その次の日いくらか体調がよくなったのだけど
お腹がすいてまたそのご飯を食べてしまったことだ
きつい一週間だったけど
おかしい味のするものは食べてはいけないということを
改めて確認できた

    夏の旅行 一日目  その1
前日に突然思いついて旅行に出かけることになった
行き先は盛岡
店に置くベンチや椅子を探しに
それが済んだら青森にも行くかどうか当日の朝まで迷った
青森に行くなら自転車を持っていくべきだろうけど
なにしろ突然の思いつきなので
準備がまったくできていない
雨具もないし自転車のチューブもない
迷いに迷ったけど
出かける一時間前に青森行きを決めた
いままでの経験で行くかどうか迷っているときは
行って間違いない
迷っているときは
行きたいという思いがこころの片隅にあるからだ

    夏の旅行 1日目   その2
青森に行くことは決めたけど
今回は自転車を持っていくのを止めた
準備ができていないという理由もあるけれど
祝日の出発なので電車が混雑していそうなのと
山を歩きたいなという思いもあったからだ
家から最寄の駅まで歩いていくつもりだったのだけど
ちょうどバスがやってきた
幸先良し

    夏の旅行  1日目   その3
盛岡の家具屋さんはすぐに見つかった
ここの家具を知ったのは東京に住んでいた頃だったかその後だったか
東京の表参道で偶然入ったお店にここの家具が置いてあったのだ
そしてその木の美しさに一目惚れ
その店にはちょくちょく行っていたのだけど
数年前店主のSさんが亡くなり無くなってしまった
自分より10歳くらいは年上だと思っていた店主が
自分と同じ歳だったことを知り
驚いたのと同時に時間の大切さを思った
いつかこの家具を使おうと思いながら
10数年ようやくそのときが来た
表参道のお店で買うことは叶わなかったけど
運命の家具との久しぶりのご対面
向こうもぼくを待っていてくれた
来週には店に置けると思う
盛岡の店のひとたちも温かいひとたちで
Sさんと重なった
この家具に魅せられるひとたちがそういうひとたちなのだろうか
それともこの家具といっしょにいるからそうなるのか

    夏の旅行   1日目     その4
青森に移動して
新青森駅から市街地まで5Kmを歩くが
暑い青森のくせして暑い
市場で遅い昼食(ホタテとイか刺し)をとり
街中をぶらぶらしてからホテルにチェックイン
シャワーで汗を流してから青森行きでいちばん楽しみにしていた
『山の寿司』へ
祝日だから休みかもと不安に思いながら5Kmの道のりを歩いて青森の卸売り市場へ
「関係者以外立ち入り禁止」の門をくぐって店のほうを見ると明かりがついてる
3000円のおまかせを頼むと
「きょうは最後のお客さんだから最上級のおもてなしをしちゃいますよ」と
本当に最上級のおもてなしで
次から次へとお寿司が出てくる
それといっしょにしゃべりも次から次へと飛び出してくるのだけど
それもまたおもてなしだ
3000円のおまかせはお寿司8つのはずなのだけど
赤貝
エンガワ
イカ
ホタテ
真鯛
大間の霜降り
大間のカマ
ヒラメ
アワビ
こはだ
甘エビ
特級イクラ
ウニ
玉子
筋子の手巻き寿司
大間マグロの手巻き寿司などなど
いったい何個食べたのだろう
わんこそば食べているみたいだった
寿司屋でおまかせコースを頼んで
お腹いっぱいで苦しくなったのははじめてだ
しかもこんなにうまい寿司を食べたのは
まちがいなくこのお店がはじめてだ
青森だからどこで食べてもうまいというわけではない
これでビール2杯を飲んで4200円
さすがにそれでは悪いのでお釣りは置いてきた
大満足もうこのまま栃木に帰ってもいいやと思った
お寿司が食べたくなったらまた来よう
行く前はお寿司を食べたら居酒屋にいこうとも考えていたのだけど
(帰りに走っているうちにお腹にすこし余裕が出てきた)
もうこころが満足してしまっているので
これ以上食べてもなんの喜びもないだろうからやめた
青森に行ったなら
奥入瀬に行かなくとも
白神山地に行かなくとも
この寿司屋だけには行くべきだ

     夏の旅2日目
朝は市場に行ってうにわさび漬け 子持ちヤリイカ ホヤの塩辛を白いご飯で食べる
ウ~酒が飲みたい
その後バスで蔦温泉へ行き周辺の沼めぐり
いちばん行きたかったのは赤沼
水深があたなら透明度は湖沼のなかでは日本一ではないかといわれているところ
(深さ18メートル透明度18メートル)
道に迷い迷い
ヤブをかき分けかき分けやってきたので
赤沼との初のご対面は達成感と感動があった
このすばらしい景色の中に人間がだれひとりいない
このすばらしい景色を独り占めだ
朝市場で買ったウニでうに丼をつくり
この風景を楽しみながら
(お箸がなかったので)手づかみで食べた
なんだか鞄に酒も入っていたので酒も飲んだ
帰りは来た道を引き返す自信がなかったので
蔦トンネルの手前に抜ける道を選んだ
大満足
もう一泊して奥入瀬渓流も歩いてこようかと考えてもいたのだけど
もうこれ以上こころの器にはなにも入りそうもないので
これで今回の旅を終わりにすることにした
谷地温泉まで走って温泉で疲れと汗を流したら
ちょうどバスの時間
あと10分遅れていたら次のバスは2時間後
最終の新幹線にも間に合わなかっただろう
那須塩原から家までのバスもぼくを待っていてくれた
今回の旅は順調すぎるほど順調だった
そしてこんなことは初めてで天気の崩れがまったくなかった

今年の夏は
とても
きつかったけど
よくここまで持ち直してこれたと思う
またここから
ひとつ
ひとつ
はじめればいい
自分のできなさ
苦しみ
悲しみ
大変さ
忘れないようにしようと思う
こころ広く
世の中が見られるように

きょうもきのうに続き
全体的に良いパンができた
光りが見えたところで
夏休み
粉の仕入れをすこしでも遅らせようという思いもあるのだけど

きのうの押しライ麦の食パンは
手ごたえありだったので
今朝食べてみたら
ちょっと強かった酸味も
まろやかに成り
良い感じ
粉がこのまま良い状態になってくれればいいな

早くパンが焼けたので
園芸店に行ってきた
前回行ったときに目をつけておいた
ニシキギを購入
かなりのお気に入り
何枚かの葉っぱがすでに赤くなっているんだけど
すばらしい赤色をしている
どこに植えようかな

きょうのライ麦40%のパンの姿かたちは
生涯ベスト3に入るすばらしい出来
荒々しさがたまらない
味の方もかなり良いはずだ
平焼きのモチモチ度も最高
すこし涼しくなってきて小麦粉の方も良い状態になってきた
新しく届いた袋を開け使ってみたところ
捏ね始めてからのまとまりの速さに驚いた
粉の状態が良いときの感覚なんて忘れていたよ
今年は悪い状態が長かったし
状態も特にひどかった
捏ね始まってすぐにグルテンが破壊されていくのだから
手に負えない
届いてすぐの粉の状態が悪いのだから
どうすることも出来ない
できるのは
クソッタレッとちゃぶ台ひっくり返すくらいだ
今夏もお客さんをかなり減らしただろう
来夏は焼き菓子屋さんにでもなろうかな
今夏は自身を無くしそうだった
粉の状態なんて関係なくて
自分の力不足だけのことじゃないか
いつまで経っても良いパンなんて作ることが出来ないんじゃないか
でも粉の状態が良くなってくるにつけて
光りが見えてきた
まっすぐ前を見られるようになってきた
「良い状態の粉さえあれば
いまのオレに怖いもんなし
このパンを食べなかったら後悔するぜ」
そんなことが明日も言えるといいけれど

最近ゴスペルにどっぷり浸かっているお客さんに
(アフリカ産まれアフリカ育ちの女子大生のお父さん)
ゴスペルのレクチャーを受けている
自分がイメージしていた世界とはだいぶ違っていて
かなり面白そうな世界
映像を観てもらうとわかると思うけど
垣根がないあらゆることの垣根がない
ひととひととの壁は全部取り払われ
そしてあらゆるものから
自分を解放している
http://www.youtube.com/watch?v=b8KnbjeCJJk
(最前列正面で帽子をかぶって歌っているのがお父さん
赤髪の女性が娘)
http://www.youtube.com/watch?v=TQn0MAUYGNk  (いわき市で行われたゴスペルフェスティバル)
(前列右から6番目のオレンジの服のメガネの方がお父さん)
「好きなことやって勝手に生きている」とお父さん
それで良いのだと思う
親が勝手に生きていれば
子供は自分で自分の道を見つけ出すものだし
親が楽しんで生きていれば
子供も自分だってと楽しいことを見つけて生きる
親が子供に合わせて生きていれば
子供は親の機嫌取り自分を押し殺して
親の喜ぶであろう道を歩くようになってしまうんじゃないか
ゴスペル
興味ある方はアジア学園にて毎週火曜日夜練習をしているそうです
『自分を殺してしまうことがいちばんの罪だ』ーイエス・キリスト

それをやれているということがどれだけ恵まれているか
それをやれていることの喜び
ずっとやっていると
いつの間にか
忘れているけど
そのことを思い出せれば
うまくいっていないときでも
また上を向いて歩ける
苦しいときでも
楽しむことを
忘れてはいけない
きょうは新しいパンにチャレンジしてみた
粉の状態が悪くて良いパンが作れないなら
いましっかり作れるパンを作ればいい
新しいパン
いけるかな?
きょうは全体的に良いパンに仕上がったと思う
そろそろ夏休みに入るので
なんとか光りを見つけて
休日を楽しみたい

今朝は素敵な夢を見ていたのに
途中で目が覚めてしまった
素敵な夢を見ているときに
目が覚めないようにする方法はないのだろうか

オクラがあったので
卵といっしょに炒めて
パンにのせて食べた
卵はライ麦のパンとの相性が良いので
他に食材があまりなくても
あってくれると大助かりだ
パンは良くなってきている
良し良し

きょうもトレーニングが午前中で終わったので
午後は本を読んで過ごすことにした
休日の一日
本だけでは物足りないので
近くの酒屋に酒を買い行き
秋田の『天の戸』の生酒があったので購入
これが大当たりで
思わず飲むペースが速まってしまい
数ページ読んだだけで
眠りの世界へと入ってしまい
そのまま一日が終わってしまった

きょうはトレーニングが午前中で終わったので
塩原の温泉街をサイクリング
思っていたほど時間もかからず塩原まで行くことができ
大変かなと思っていた上り坂もたいしたことはなかった
1500メートルのトンネルだけが恐怖だったけど
(車の出す音が新幹線が通り過ぎるとき並の音をなり響かせる)
途中途中に散歩ができる森林もあり
もちろん温泉もあるので一日を十分楽しめる場所だった

未熟さや経験不足からの不透明さが
技術的なことでカバーできるんじゃないかという希望を持たさせてくれていたけど
今年になってようやく粉の状態が悪いときはどんなにがんばっても
良いパンができないということを理解することができた
もうすこし硬い生地なら何とかなるかもしれないけど
自分のパンのように水分が多いと
生地が耐えられないようだ

パン生地や酵母はどんな状況のときでも
素直に自分の動きたいように動く
だから人間の勝手な都合を押し付けることはできない
素直に動くことがわかっていても
その動きをとらえられないのは
作り手であるぼくのこころがねじれているからだろう

きょう焼いたパンは
この夏学習したことを
活かすことができたと思う
まだまだ
伸び代は
無限大

人間はそれほど強くはないけど
それほど弱くはない
やるときはやるけど
逃げるときは逃げる
それでいいんだと思う
やれるときは
びしっとやって
ちょっと嫌だなと思うときは
一度逃げて
またはじめればいいんだ

苦しみや悲しみの中にいるときでも喜びはあり
喜びの中にいるときでも苦しみや悲しさはある
だからぼくは歩く
苦しくても
悲しくても
楽しくても
足を引きづりながらでも
這いつくばりながらでも
ぼくは歩く
休み休みでもいいんだ
自分のこころが導くままに
進んでいるなら
この苦しみが
この悲しみが
この楽しさが
ぼくが生きている証であり
ぼくの生きている喜びなんだ

もともと
この世には
なーんにもないんだ
やらなきゃならないものも
生まれてきた意味も
あるのは
ただ
自分だけ
だから何かを手放したとしても
何かを失ったとしても
きっと大丈夫
重荷を取り払ったって
縛り付けていた鎖を引きちぎったって
きっと大丈夫
背負い込んでしまった多くのものから
自分を解放してやれば
そこには
こころが残るのかな

きょうは良い夢をみた
いつもより30分起きるのが遅れた
16:30
パンは間に合った
得した気分

学校に行って勉強する
それは人間の勝手
仕事をして収入を得る
それは人間の勝手
自分の土地を作って家を建てる
それは人間の勝手
ピカソの絵が好き
それは人間の勝手
だからその逆の勝手だってある
学校に行かない勝手
仕事に行かない勝手
自分の土地を作らない勝手
ピカソの絵が嫌いな勝手
何が偉くて
何が偉くないのか
なにが良くて
何が悪いのか
それを判断するのも
人間の勝手
この世には
なーんにもないんだ
やらなきゃならないものも
生まれてきた意味も
あるのは
ただ
自分だけ

パンが良くなっていく
予感と言うか
確信と言うか
まだ自分はわかっていないなというところが見つかって
ひかりと元気が湧いてきた
心身ともの絶好調
このまま
突き抜けるぜ~

庭の植物がどんどん増えていっている
2、3年後植物が成長したとき
どんな庭になっているだろう
新たに植えた木は
ヤブ椿 白い椿 ナツメの木 唐カエデ メグスリノキ 大山レンゲなどなど 

パンを捏ねた前日に
残った酵母に粉と水を加え捏ねてやるのだけど
きのうもそうしたはずなのに
粉と水だけが混ぜられていて
酵母が混じっていなかった
先週はじめもまったく同じ現象が起こって
パンが焼けなかったのだけど
夏はこんな不思議な現象がよく起こる
今朝は歯ブラシに歯磨き粉をのせたはずなのに
シェービングジェルがのっていた
先日はスーパーのレジで500円玉を出したはずなのに
受け皿には1円玉がひとつ置いてあった

きょうも大きめのパン
ライ麦40% 60% 80%のパンが
良かった
久しぶりにうまいパンを食べた気がする
これからもこんなパンが毎日焼ければいいのだけど
パン作りはそんなに簡単なものではない
特に水分の多いパンはいまの自分の力では
運と感に力を借りなければならない
でも運と感と自分の力がうまく絡まってくれたときは
この世のものとは思えないようなデリシャスでデンジャラスなパンになる

1917(山型の食パン)は粉の状態がよくなく
どうにもならないので
その代わり別のパンを作ってみた
ライ麦15%のちびっこいパン
プレーン 
レーズンと胡桃
ひまわり
胡桃の4種類
作り始めてから3日間はなかなかうまく作れていて
チーズと食べたら最高にうまかった

ひさしぶりにライ麦80%のパンが勢い良く醗酵してくれた
7月に入る頃からおかしくなりだして
どんなに試行錯誤しても
どうにもならなくて
ほかのライ麦40%
ライ麦60%のパンも
試行錯誤で
すこしは改善するのだけど
納得いくものができなくて
あと何をすればいいのか
思いつかなくて
きょうは作るのをやめようかと
こころが揺れていたけど
作ってよかった
きょうは2種類の粉が同時に切れて
新しく届いた袋の粉に取り替えたんだ
粉が変わっただけでこれだけ変わるのは
この2ヶ月悩み続けたのはなんだったんだとちょっと悔しいけど
(状態の悪い粉はこの粉だろうと思っていた粉じゃなくて
状態が悪かったのは別の粉だった
届いてからそれほど時間が経っていない粉だったので
ここに来た時点で粉の状態はおかしかったことになる
こうなるとどうすることもできない
来夏は考えよう)
80%のパンだけじゃなく40%60%のパンもだいぶ良くなった
まだ一日だけだから偶然うまくいっただけかもしれないけど
光りは見えてきた
明日から張り切っていくぞ~と
行きたいところだけど
きょうはパンがいっぱい残って
明日はパンが作れない
もうすこし涼しくなってからかな
いや来年の夏からかな
それまでちょっとのんびりと
それにしても今年の夏はきつかった
小麦の方は毎夏悪くなるのだけど
ライ麦の状態がこれほど悪くなるのははじめてだった
こんなこともあるということを
頭に入れておかなければならない

ひとがどんな風に生きていようとも
自分を蔑む必要はないし
焦る必要もない
自分は自分のこころを生き
ひとはそのひとのこころを生きる
生きていれば
動けなくなることもあるし
落ち込むこともあるし
逃げ出してしまうことだってあるだろう
それは悪いことでもないし
恥ずべきものではない
それでいいんだ
自分のこころを無視することなく
いまの自分を否定することなく
こころのなかに受け入れてやって
自分のこころに正直に生きているなら
どんなときだって
堂々と胸を張っていればいいんだ

もともと人間には生まれてきた意味や使命なんてないんだし
他の動物といっしょで
生まれそして死んでいく
ただそれだけだ
自分を縛り付けることなんてしなくていい
もっと楽に生きればいいんだ
うまくいかないこともあるけど
それがどうした
自分の思いを正直に生きているなら
どんなときだって
堂々と胸を張っていればいいんだ

どんなときでも
空を見上げればぼくを見てくれているひとがいる
どんなときでも
空を見上げればぼくの話を黙って聴いてくれるひとがいる
さびしいときは
空を見上げて
苦しいときは
空を見上げて
うれしいときは
空を見上げて
右足
左足
大地を踏みしめ
今日という日を歩いていこう

ひとりでいると
寂しくなってくるけど
ひとりじゃなくなると
ひとりになりたくなる
人間のこころは単純じゃない
過ちを責めたとしても
ひとは誰でも
同じような過ちを犯しているもの
だからひとは
許しあうことでしか生きていけない
でもね
許そうとこころに決めたとしても
ときどき悔しさや怒りが
沸々と湧き出してきてしまうんだ

ひとは誰でも孤独を感じながら生きている
自分の思いを突き進もうというときは
尚更だ
だから大丈夫
また明日という一日に向かって足を踏み出そう
孤独と喜びは対であって
ひとは喜びと寂しさの中を生きている
喜んだり
寂しくなったりの連続だ
だから
ひとはときに喜びを持ってきて
ときに寂しさを持ってくる
のかな

欲がなくなった瞬間
満足は生まれ
欲が出た瞬間
満足は消える
満足を持続させるのは難しい
どんなに満たされても
ほとんどの場合ほんの一瞬で消えていってしまう
欲を捨てればいいのじゃないかというけれど
欲があってこそ満足も得られるのじゃないだろうか
欲張りすぎはよくないけど
ほんのちょっとの欲はあっていいのではないか
大切なことは自分に必要なものか必要ないものかを判断する力
自分に残された時間はそう長くはないので
いまぼくにある大切なものを
目一杯生きられればそれでいい
何かを手放さなければ
何かは得られない
世界を広げるよりも
いまぼくにとって大切なものを深く深く探って行きたい

子供に合わせすぎる親が多いこと
食べ物だって子供に合わせて
子供の嫌いなものは買わない
親はある程度勝手に生きていけばいいのではないか
子供は親を見て育つ
広い世界を見て育つ
世界を狭めてしまったら
子供は
かわいそうだ

ものごとに意味なんてない
それなのに必死になって意味をつけようとがんばるのは
それが生きていくための支えや原動力になってくれるからだろう
はじめから意味なんてないんだ
自分の思ったように
自分のやりたいように
生きればいいんだ
でもその結果
自分に降りかかってくるすべてのものは
自分で払い落としながら生きていかなければならない

ひとの中に入っていけないひともいる
そのひとには手を差し伸ばしてやる
そんなことが自然にできるような人間を
学校では育てていかなければならないんじゃないのだろうか
義務教育なんてものをやっているのなら

「ひとりじゃない」
「思いやり」
「絆」
ことばは虚しく響いて消えていく
不特定多数のひとにことばを届けたいなら
物語だろう
浜田真理子の歌を聴いてそう思った

まったく正反対のことをやっているように見えるふたりの音楽
それでもお互いが惹かれあうのは同じ何かを感じるからか
たのしいコンサートだった
浜田真理子  新曲は死んだウサギが飼い主に語りかけている歌  かな?
http://www.youtube.com/watch?v=qrNohpjW2e4

http://www.youtube.com/watch?v=pJFs714RcxE&feature=related
大友良英   こんどじっくり体感したい 
http://www.youtube.com/watch?v=cG8N2deKM8Y&feature=related

いじめをしたひとを
ボロクソ言って
排除して
いじめているマスコミや世間

小麦の酵母やっぱり弱っていた
日曜日の夕方ににいじってやったはずなのに
次の日にみたらいじっていなかった
最近こんな不思議なことばかり起こる
扇風機の電源を切ったはずなのに
朝起きるとまだ動いていたり
カマから取り出したはずのパンが
カマの中で真っ黒焦げになっていたり

京都の下加茂神社を特集している番組を観ていたら
何日か前の夢で見た風景がそっくりそのまま映し出されている
調べてみると末社の一言社だった
下鴨神社には一度行ったことがあるのだけど
早朝のランニング中にちょっと立ち寄っただけなので
見てはいないはずなんだけど

福島は東北といっても
秋田や青森とは違っていて
栃木とあまり変わらなく
親近感
ホッとできる

自転車で郡山へ向かう
4号線を進む予定だったけど
出だしの20分で迷ってしまい
そのおかげで空気の悪い4号線を通らずに
木々のトンネルをくぐりながら
白河まで行くことができた
でもよかったのはそこまでで
そこからは散々だった
郡山まで残り18KMのところでパンク
予備のチューブを持っていったので
取り替えようと思ったら古いチューブで劣化していたのか
穴ぼこだらけ
仕方ないのでパッチで修理しようと思ったら
ゴムのりが空っぽ
暑い中2KM先のホームセンターまで後輪を持ち上げながら
歩く破目に
この時点で精神的にかなり疲れていたのだけど
ようやく修理してホッとしてこいでいるとまたもパンク
早く到着したら駅前のスペースパークに行くのを楽しみにしていたのだけど
この時点で諦めた
タイヤを見るとさっき見過ごしたのか
それともいま刺さったものか
ぶっとい釘が根元まで突き刺さっている
4号線歩道に座り込んで修理
そして今度こそという気持ちこうでいると
また空気が抜けてくる
さすがにもう直す気力もないので
残り5KMを自転車を押しながら走った
(家に帰ってからタイヤを調べると内側に突起物)
コンサートが終わったらその日のうちに
自転車で帰ることも考えていたのだけど
駅近くのホテルにチェックイン
白河までは15:00には到着する予定だったのだけど
3時間余計にかかってしまった
シャワーを浴びてコンサート会場に向かうけど
それからも不運は続き
会場が見つからなく草履で一時間駆け回り
指は血だらけ
コンサートが終わってホテルに戻って寝ようとしたら
疲れ果てているのに陽を浴び続けた背中はほとんど焼けど状態で
痛くて眠れない
ホテルから駅まで
バス停から家まで重い自転車を担ぎながら炎天下の中歩き
ようやく帰還
酵母がダメになっていなければいいけど

封を切りたてのライ麦で作ってみたら
だいぶましなパンになった
ひとつのパンに何種類ものパンを使っているので
まだまだの部分もあるのだけど
つながりにくくなっていた小麦の方も封を切ったばかりのものを使ってみたら
ほんのすこしつながりが良くなった
今年は暑くなる前に粉をたくさん仕入れてしまったので
暑くなってからもそれらの粉を使い切れず
粉の状態は相当悪かったけど
その分パンとも相当向き合ったので
パン屋を始めてからの成長度は今夏がいちばんだろう
でもね
わかったことも多かったけど
深い深い暗闇も見えてしまった

秋田の大学に行っている女学生が
夏休みになって帰郷したのでと
パンを買いに来てくれた
なんと彼女は秋田から自転車で帰ってきたとのこと
橋の下などに泊まりながら
1日100KMくらい自転車をこいで
4泊で到着
途中危ないひとに出会っても
危ないひとが敬遠してくれるように
髪をまっかっかに染めていた
彼女は生まれたときから10数年アフリカに住んでいたのだけど
人間の性格やからだから湧き出してくるエネルギーは
遺伝なんかよりも育った環境に影響されるのかもしれない
冬はカンジキを履いて山を歩き回っているそうだし
卒業するまでに猟も学びたいとも言っている

ようやく頼んでおいた細引きのライ麦が届いた
これで変わってくれればいいのだけど
これでダメなら
今夏はお手上げかな

粉の状態の悪い場合は
技術では補えない部分も出でてくる
来年の夏はどうしようかな

そろそろ店を休みにして
旅にでも行きたいなという思いはあるのだけど
この時期は粉をどんどん使ってやらないと
劣化していくばかりなので
なかなか休めない

矢板のシャープで働くOさんが来ると
昔の癖で反射的に酒を出してしまう
Oさんは結婚して宇都宮に越してからは
車で来るようになったので
出す必要はなくなったのだが
出さなければ出さないで
機嫌が悪いのは昔と変わらない
きょうは寄ってくる蚊たちに
「蚊の野郎め~」とわめきながら
叩き潰して八つ当たりしていた
矢板工場縮小とのことで
Oさんはまた移動かな
なぜかこの店にはシャープで働くお客さんが多い
シャープは引越し貧乏なんじゃないかと思う
従業員を移動させたと思ったらまたすぐ戻して
そんなことばっかりやっていて
引越しの費用だって莫大なものだろう
引越しだけじゃなくて
そういう体質だから
これから金が入ってくる見込みなんてないのに
金はどんどん減っていく
大きくなればなるほど組織は盲目になってくる
大きくなればなるほど組織はひとりひとりの意思が働かなくなり
化け物となり独り歩きを始める
ひとの力でコントロール不可能になった化け物は
餌を食べながら巨大化していき
餌がなくなれば餌を求めて別の場所に移動していく
大きくなればなるほど餌の量は増えてくるのだけど
餌のありかはだんだんと減っていって
餌にはなかなかありつけなくなってくる
それでももう止まることはできない
大きくなったからだは多くの餌を求めている
わずかしか残っていない餌を求めて
歩き続けなければならない



今年はだいぶ神経を使ってパンを作るようになったので
一日の終わりにはかなり疲れている
(神経使っている割には
うまく作れないことが多いけど
神経使っていなかったら
もっとうまくいかない)
お盆期間中は
休まずやろうかなと考えていたのだけど
こころとからだが追いついていかない

1917(山型の食パン)は3日連続でまあまあパンらしくなった
夏に1917をどう作ればいいのかがすこしわかってきた気がする
といっても「最高」と言える1917は作れないと思うけど・・・
ちゃんとできれば「うまい」と言えるくらいにはなりそうだ
でもそれより何より夏は粉を劣化させないように気をつけること

今年はパン作りに苦戦している
といっても去年まではちゃんとできていないことがわからなかっただけかもしれないけど
でもしっかりと向き合っているから
それなりのものはつかめている
器用じゃないので時間はかかるけど
良い方には向かっている
いまは根っこを張っていくしかないんだ
いまだけじゃなく
これからもずっと
ずっと

きょうは久しぶりに1917(山型の食パン)を店に並べることができた
最高の出来とはさすがに言えないけれど
この粉でよくここまでのものが出来たと思う
といっても何がどうなってうまくできたのかわからないので
明日もうまくできるかは?だけど
出来なかったら
また挑戦すればいい
何度でも
何度でも

何かやろうという思いがあるなら
まずはなにより
動くことだ
お金が貯まったらとか
状況が良くなったらとか
時間ができたらなんて言っていたら
結局何もやれずに
人生は終わってしまうんだ
言葉にするのでもいい
世の中を見て回るのでもいい
一歩を踏み出すことだ
動き出せば
風が起こり
周囲を動かす
風は運だって運んでくる
何もなくたって
動き出せば
それが始まりだ
自分にはできないんじゃないか
無理なんではないかと思うなら
そのことについてのイメージを全部
頭の中から消し去って
どうすればできるようになるかを考えてみれば
きっと良いアイデアは浮かんでくる
やってみなきゃわからないことだっていっぱいある
何かやるには失敗は付き物だ
失敗なきところに成長なし
失敗を活かせればそれはとても大きな力となって
自分に返ってくるんだ
転んだら立ち上がって
また歩き出せばいいこと
堂々と歩いて
おもいきり転んでしりもちつけばいいんだ

きょうは暑いしからだも重いので
ゆっくり走ろうと思っていたのだけど
いつもロングダッシュをしている付近に来たとき
「久しぶりにやってみるかな」という気分になってきたので
1年ぶりくらいの2000メートダッシュ
ヨレヨレになりながらもなんとか走りきる
本気で体力を戻そうと思ったら
これくらいのダッシュを昔のようにバンバンやらないと無理だろう
いつの間にか練習量が落ちていてそれが普通になっていた

やっぱり粉の状態が良くない
40度を超えしかも高湿度の場所に数日置いておけば
悪くならない方がおかしいか
でも状態の悪さをどう補うかを
一生懸命考えて毎日パンを作ることは
たとえ売り物にならないパンばかりができたとしても
自分にとって
大きな力
大きな財産になる

うまくいっていないことが
わかるようになってきたことが成長の証
パンはどんなに外見が美しくできても
美味しくなくてはいけない
美味しくなくても
外見が美しくできることはあるから
外見だけではパンの良し悪しは判断できない
どうなったら良くないのか
どういうときが良くないのか
経験が教えてくれた
それでもまだまだ
わからないことだらけだから
これからも生地にまみれて
捏ね続けなければならない

東京の自転車野朗T夫妻はすこしはやめの夏休みで
一週間の旅
貧乏性なのか欲張りなのか
おそらく
せっかく青春18切符を使うのだから
いっぱい乗っていないともったいないという貧乏性的思いと
あそこにもあそこにもあそこにも行きたいという欲張った思いの両方の思いからだろう
一週間で大阪 香川 島根 広島 福岡などなどをまわるという
かなりぎゅうぎゅうのスケジュールでの電車と自転車を使った旅
もちろん目的は食べもの屋さんめぐり
朝飯のうどんを食べるだけのために香川に行くと言っているから
今回はかなり気合が入っているようだ
「旅にもコーヒーの道具持っていくのですか」と聞いたら
「持っていく なにかあったらまずいんで」と言っていた
はじめ何かあったときになぜコーヒーなんだと頭に?が浮かんだけど
おいしいコーヒーが飲めない事態が起きたときのことをいっているようだ
夫婦で相当コーヒーにのめり込んでいるようで
近頃はまずいコーヒーを出すお店に入ると
「これが美味しいコーヒーというものだよ」と店のひとにコーヒーを入れてやっているらしい
これだけ遠慮なしで生きられるようになったら人生楽しいんだろうな
でもきっと昔まだ貨幣が登場する前
売るひととお金を払うひととの垣根なんてない時代は
ひととの関係に遠慮というものがいまほどなくて
お互いが素直な思いと思い出ぶつかっていたのだろうな
思いやりというものもきっといまよりいっぱい感じられたのではないだろうか
T夫妻きっといま頃そば屋の座敷で
朝のコーヒーを飲んでいるころかな

ライ麦40%のナッツ入りの平焼きパンを久しぶりに食べたら
あまりのうまさにびっくり
ひとりで一枚平らげてしまった
徐々に調子が上がってきたかな
あとふたつどうしてもつかめないことがある
これさえつかめれば
来夏はいっぱい休めるのに

あまり機械に頼らないで
パンを作っているのは
パンのことをもっと知りたいからということもあるのだけど
それより何よりその方が断然おもしろいから

機械に頼っているときは
なぜだかわからないけど
たまたまうまくいっているということがけっこう多くて
その部分のことは理解する機会がなかなか得られないから
たまたまうまくいっていることなのに
わかっているつもりになっていて
ルンルルンルン♪という感じ
うまくいっているときというのは
ものごとがよく見えないときでもある
  機械に頼らないで
  パンを作ろうと思うと
  自分の感覚と運や勘を頼りに作ることになるので
  とても難しい
  難しいからうまくいかないことも多い
  うまくいかない部分については
  考えたり試してみたりするから
  その分わかることも多い
  なんでもそうだと思うけど
  うまくいかないことがないと
  わかる機会が訪れないんだ
  

酵母の調子を狂わせてしまうと
立て直すのに2.、3日かかってしまうことがあるから厄介だ
毎日毎日一日という限られた時間の中で
酵母の調子を最高潮にまでもっていかなければならない
パン作りではいちばん大切な作業であるけど
いちばん難しい作業でもある

できないなら
できないを通り越さなければ
できるようにはならない

いつかじゃなくて
いまやればいい
どこかでじゃなくて
ここでやればいい

久しぶりに都会に出た
駅を歩いていると
人々が海の中のマグロのように
「止まったら死んじゃうんだかんね」っていう感じで
勢いよく歩いている
ぼくはそこを横切って向こうの階段まで行きたいんだけど
なかなか横切れない
『思いやり』とか『絆』とかいう言葉があっちこっちで聞こえてくるのだけど
「こまったなあ」と立ち止まってきょりょきょろしていても
だれひとり止まって「どうぞ」と声をかけてくれるひとはいない
『思いやり』『絆』
いったいどの口が言っているのだろう
ずっとこの場所に住んでいると慣れてしまってというか
麻痺してしまってというか
なんとも思わなくなってしまうのだろうけど
たまに行ってこういう場面に遭遇すると
とんでもなく異様な光景にみえる
集団になるとひとはひとでなくなり
ひとをひととも思えなくなるところがあるのかもしれない
言葉も氾濫しだすとその言葉の持つ力を失い
別のものに変わってしまうときがある
どちらも催眠術をかけるには好都合だけど

ぜんぜんつながりがないひとのことを誇りに思うより
自分が自分自身を誇りに思えるような生き方をした方が
絶対思うのだけど
突然
日本人になったり
栃木県民になったり
活躍したひとと同じ国民だろうと
県民だろうと
だからどうしただ

ライ麦80%のパンの調子がおかしくなり2週間くらい
店に並べられなかったのだけど
きょうはパンらしいパンが焼けた
酵母つくりに問題があったよう
少しずつ問題をクリアしながら
夏に対応できるようになってきた
あとは山型の食パンか

今年初製氷機の電源を入れた
できるだけ機械に頼らないパン作りをしようと思いがあるので
今年は使うつもりがなかったのだけど
酵母を使う段階で酵母がだれてしまってどろどろになっているので
冷たい水で捏ねなければダメかなと思ったのだ
でも製氷機を洗いながら使わなくて済みそうな方法を思いついた
酵母はいつも朝使えるように夜寝る前にいじっている(酵母に粉と水を加え捏ね醗酵熟成させる)         のだけど
朝だれてしまった酵母を朝起きたらすぐもう一度いじってやって
2時間後くらいに使えるようにしてやれば何とかなるかもしれない
試してみる価値はある
機械に頼らないでやった方が
絶対パンのことをわかることができる
それはミキサーも冷蔵庫もドゥコンも使わずにやってきて
実証済み
突破口がなかなか見えてこなくて
悶々としていたけど
光が見えてくると人間
力がわいてくる
いまは見えなくたって
光りを見たいという思いがあれば
そんなに遠くないいつか必ず見ることができる
というより無理やり見ちゃえばいいんだ

今年は音楽を聴きに行くことはないかなと思っていたのだけど
近くにに浜田真理子が来るそうなので行ってみることにした
お盆休み明けだしそのまま旅行に出てもいいかな
  大友良英×浜田真理子 ギターとピアノ
  8月20日 18:30開場 19:30開演
  ヤマハコンサートサロン(ヤマハミュージック東北 郡山店内)
  http://www.youtube.com/watch?v=cBpq58W7_1s    (映像)
郡山は距離的には近いのだけど
最終電車がかなり早い時間に出てしまうので
日帰りは無理そう
東北は近くて遠いのだ
_
半田沼のお菓子屋さんは先週から始まったそうだ
営業は週一日
週3日しか営業しない黒磯のカレー屋さんといい
このお菓子屋さんといい
この辺りの人たちはみんな正真正銘のなまけものだ
なんだか「なまけもの」なんてドーンと看板出しているのがはずかしくなってきた
『ぎんのふえ』
住所 栃木県大田原市羽田581
営業時間11:00~16:00
営業日 土曜日  (第5土曜は休み)
ひとの顔って突然変わるときがある
妊娠した女性がの顔がきゅうに輝くように
きょうのぎんのふえのオーナーの顔は眩しかった

いままで積み上げてきたものを
すべて失ったとしても
ぼくにはいまがある
良い結果が出なかったとしても
ぼくにはいまがある

試作をしたいと思ったときに
すぐに試作に取り掛かればいいのだけどだけど
酵母が使えるようになるまでには丸一日かかるし
今度の休みの日には試作をするぞと思うのだけど
いざ 休みの日になってみると
その気力がないし
この暑い中休みの日まで窯の電源をONにしたくない

セロリとシンクウサイとニンニクとたまねぎの炊き込みご飯
考え抜いて選んだ材料じゃなくて
たまたまあったものを全部ぶち込んだだけなんだけど
けっこう良い味が出た

試したいことがあったので
やってみたら
どれもうまくいかなかった
店に並べるパンがないのは困ったけど
収穫はあったので試してみてよかった
暑い時期にしか試せないことなので
いまがんばって
なんとか今夏までに何かがつかめたら

暑くなってきて
また問題点が出てきた
まだまだパンのこと全然わかっていないけど
ひとつひとつ問題を解決しながら行くしかない
どこまでいっても
終わりのない道だけど
怖くても進んでいけば
そこにいまがある
いまが感じられるなら
きっとひとは生きていける
パンの世界のことだけじゃなくて
いまを感じたいから
ひとびとは這いつくばりながらも
懸命に生きている
どこまでいっても終わりもなく
どこまでいっても答えのない道だととわかっていても
わずかばかりでも何かを見つけつかみとりたくて
前に進んでいく
傷つくことも
苦しいことも
疲れることもあるけど
それでも歩いていく
生きるっていうことは
そういうことなのだろう

絶対勝たなければ成功しなければ
負けたくない失敗したくないという思いが強すぎると
自分の場合はどうしても守りに入ってしまう
そうなると何かやっていても面白さがなくなってしまうし
余計なところに力が入って思うように動けなくなる
それに広がりもなくなってしまうので自分を伸ばすこともできなくなる
人間攻めていっているときがいちばん面白いし
成長もできるときだ
でも失敗が許されない社会になってしまったこの国では
多くのひとが
失敗すればつま弾きにされるからと
失敗を恐れて
息苦しくて
生き苦しい
ビクビクビクビク生きている
でも実は負けたって
失敗したって
人間立派に生きていけるんだ
負けや失敗は人生の肥やしのようなものだ
負けたって失敗したって
立ち上がってまた歩き出せばよいことだ
そのたびに大きく広く育っていける
敷かれたレールの上を進んでいけばその先に成功があり幸福があるのか
そんなことが嘘っぱちだということはいまこの行き詰まった国を見ればわかるだろう
もうレールから逸れて生きていってもいいんじゃないのか
国や学校や企業も社会も
いままでやってきたことを否定することになったとしても
もう変わっていかなければならないんじゃないか
自分の行きたい道を
自分の足で
転んだり
這いつくばりながらも
自由気ままに歩いていこうぜ
つま弾きにされたっていいじゃないか
幸福や成功の判断基準なんて
他人の評価なんかじゃなくて
自分が満足できているかどうかなんだし
人生の喜びなんて先にあるものなんかじゃなくて
いまここにあるものなんだ



夏がやってきてしまった
すっかり忘れていたあのつらさが徐々に蘇ってきた
夜になっても作業場に
熱がよどんでいるし
自分の部屋も
モワッとして空気がぜんぜん動いていない
今夜は眠れるのかな

いままでつかめなかった部分がだいぶ解明されてきた
あとひとつ大きなわからない部分がある
その部分はどうしても解きたい
パン屋をやっている身としては
出来るだけ早く解きたいところだけど
でもたとえパン屋がダメになったとしても
一生かけてでもつかむつもりだ

本当に自分が望むものならば
周囲や状況がどうであろうと
納得いくまでとことんやればいいんだ
ダメなものは排除されていく世の中だけど
そんなことに負けてはいけない
成功することがすべてではないんだ
いかに自分の中に芽生えた情熱を
大切にして生きられているかどうか
こうじゃなくてはならないなんてことはない
世の中に渦巻いている空気や価値観なんて
グチャングチャンに踏み潰してやればいい
できなくたって
生きればいいんだ
情熱燃やして生きればいいんだ
自分をおもいきり生きていれば
どんな状況に落ちいようとも
こころはいつだってハッピーでいられる

トレ」ーニングを終えてから
また園芸屋さんへ行ってきた
カラタネオガタマ(バナナの香りがする木) 500円
夏ハゼ  1000円
枝垂れエンジュ  1800円→1000円
を購入   
(もともと安く売っているのにいつも上の方が枯れてしまったからとか
もう花が終わりだからと言って更に安くしてくれるんだけど
以前そういわれて植えた花が3ヶ月たったいまでも元気いっぱい咲いている)
だいぶくつろげる庭になってきたかな?
少なくとも戦闘的な気分になってしまうような庭ではないと思うので
休日の夕暮れ時
ナラの木の丸太にでも座って
ホッと一息二息していってください

基礎体力がガクッと落ちてしまった
なにをやってもすぐに疲れてしまう
ジムに行っても動けそうにないので
しばらくは自主練で土台をしっかり作ろうと思う
昔のように戻すだけじゃなくてそこに+αと欲ばってみる

今年は初めて梅に実がなったので
梅酒を作ってみた
材料がなかったので
飲みかけの芋焼酎と蜂蜜を使ったのだけど
飲んでみたら期待していた以上に
おいしいものになっていた
来年はもっと実が取れそうなので
他にもいろいろ作ってみたい
今年は柿も実りはじめたので秋がたのしみだ

最近頂き物が多く
きょうも宇都宮のKさんが
自ら育てた野菜で作った煮びたしなどをもってきてくれた
(さすがに酒飲みだけのことはあってみんな酒との相性が良かった)
「ビールをチビリチビリやりながら
食べるのにぴったりですよ」と言われたので
酒を買いに行かなくちゃと思っていたら
やっぱり宇都宮の酒好きのOさんが新婚旅行のお土産といって
タヒチのビールをもってきてくれた
(こっちに住んでいた頃は
毎回酒はどうしたと怖い目でにらまれるので
渋々酒を出していっしょに飲んでいたのだけど
宇都宮に移ってからは車で来るようになたのでホッとしている)
 おとといは『キッチンカンナ』のオーナーがスタッフが作ったと
スパイスの効いたカレークッキーをもってきてくれた
(スパイスをいろいろ変えていろんな種類のカレークッキーを作って
薬膳クッキーとして売るのも面白いかもしれない)
 それから花屋さんで働いているというお客さんから
梅もどきの鉢植えをいただき
(植物はすぐ枯らしてしまうので植物の頂き物は
ちょっと恐怖だ)
 むかし靴を作っていたというお客さんからは
皮で作ったなまけもののパン屋のネームプレートを頂いた
(店の中に飾ってあるのだけどこれかわいいと特に女性のお客さんから好評だ)
 岡本の『いなか』さんからは実家のおかし屋さんで作っているジャムを頂いた
(近々行ってみようと思っているのだけど行きつけるだろうか
岡本は迷路みたいで行く度に迷ってしまう)
 そのほかにもたくさんのかたからいろいろと頂いていて
ありがたく利用させてもらっている

ハンダ沼の方で
知り合いの女性がおかしやさんをはじめると言っていたけど
そろそろはじまったかな
店をはじめる前というのは
あれこれ想像したり
準備したりで
毎日がたのしくてしかたがない
自分も毎日がきょうからオープンだという気持ちで
やっていこう
店の中もすこしずつ動かしていく

ライ麦40%のパン引き続き良い感じ
レーズン入りのパンは作るのが得意でなかったのだけど
こっちも良い感じに作れている
ライ麦60%もここ数日良い姿に焼きあがっている
それからライ麦30%のひまわり入りの平焼きがひとつ残っていたので
食べてみたら自分好みの食感
モチモチだけど
ほどよい硬さで
しっとりもしている
酸味がもうちょっとあってもいい気もするけど
しばらく追求していこう

パン作りの調子がだんだん上がってきた
調子が上がってきたというより
力がついてきたといった方がいいのかもしれない
ここ数日でわからなかったことがここに来て次々にわかってきた
パン作りをやっていると何年かに一回くらいそんなときがやってくる
力がついてくるということは
それだけパンがうまく作れていなかったということでもあるのだけど
何かを追求していくということはそんなことなのだと思う
いま良い感じに出来ていると思っていても
数年後に思い返してみれば
全然ダメだったなと苦笑することになる
一年前の自分といまの自分はまったく違う
一週間前の自分といまの自分もまったく違う
成長したい
成長しようという思いがあれば
きっと人間は日々変化していくものなのだ
怖くても突き進んでいけば
守りに入らず攻めていけば
できないときは
同じことをやっていても
出来ないままだ
そこから抜け出したいなら
勇気を出していままでとは違うようにやってみることだ
パン作りはまだまだわからないことがいっぱいだ
でもわからなくて難しい世界だからこそ
おもしろいしやりがいがある
わからないということは
まだまだ伸びしろがあるということだ
これからの自分に
自分は大いに期待する

毎年夏になると1917(山型の食パン)は膨らんでくれず
全然ダメだったのだけど
今年のぼくはちょっと違う
酸味はすこし強くなることがあるけど
パンらしいパンになっている
暑さや湿気で
小麦の組織のどこかがおかしくなってしまっているのかなと思っていたけど
やり方によればまだまだうまいパンになってくれるかもしれない

どんな状況にあろうとも
やることはいっしょだ
結局自分が見つけた道を進むしかないんだ
苦しみや悲しみで立ち止まったとしても
やっぱりそれしかないんだ

ひとに評価されたからって
ぼくは笑っては死んでいけない
自分が満足できたかどうか
死ぬときもそうだけど
生きている一瞬一瞬も
それがすべて

自分の中に
成長させたいものも持っているけど
このままでいいんだというものだっていっぱいある
立派な人間になろうという思いもないし
良いひとに見られたいという思いもない
国や学校や企業にとっては
ひとつの価値観を押し付ければ
都合よくコントロールしやすくなるけど
ひとにはそれぞれ思いがあって
それを踏みねじろうという行為は
結局破滅という形で自分たちに返ってくるんだ
この空の下
いろんな思いが自由に飛び交っているからこそ
バランスがとれるのであるし
平和な世界でありうるんじゃないか

がんばったからといって
すべてが良い結果に繋がる訳ではないけど
結果がどうなろうとも
どんな悪い状況の中だろうとも
良いときも
悪いときも
一歩一歩足を前に出し
歩いていけば
それがパラダイス
歩ける喜び
生きてる喜び
立ち向かうときもあれば
逃げるときもある
それで良いと思う
短い人生
我慢できないことを
やることはない
学校で言われたような
立派な人間になんて
なれなくていい
こころのままに
いつまでも

きょうのパンはいい感じ
このところの暑さと湿気状態の悪い粉があって
ここ数日うまく出来ないパンがあったのだけど
きょうはなんとか状態の悪さを知恵や経験で補い
パンらしいパンが焼けた
きょうはかなりパンが残りそうだけど
充実感あり
あとは走って
サンドバック叩いて
更なる充実感で
気持ちよく眠ろう
楽しんで
生きましょう

きのうよりさらに暑い一日
こんなことごときに負けてられるかと
午前中に50Lくらいの汗を流した
やっぱり夏は汗を流した方が調子が良くなる
シャワーを浴びてさっぱりとしたところで
犬と散歩
森の入り口にいる老犬はいつもだったら
50M先でも犬を発見するとぐるぐる回りながら
吠えまくるのだが
きょうは暑過ぎてて動きたくなかったのだろう
近づいて目が合っても
目をそらして
見なかったことにしている
森の中は涼しくて
3~4度気温が下がった気がした
店の前の庭はとても狭いのだけど
森の中にいるような錯覚を起こさせる空間が作れればと思っている
いや
いまそう思った

きょうは今年いちばんの暑さじゃないだろうか
なにかうまいものでも食べてこの暑い一日を乗り切ろうと
どこの店に行こうかあれこれ考えていたのだけど
思い立ったら祝日で
きょうが海の日であることを思い出し
混んでいそうなのでやめた
祝日の月曜日に店を休むのは何年ぶりだろう
せっかく出かけようという気持ちになったので
近くの園芸屋さんを二軒回って
桔梗 利休梅 十和田アシなどを購入
庭の雰囲気がいくらか変わった

パンがうまくいかないのは
温度や湿度などの条件よりも
知識不足が原因であるほうが断然多い
まだまだ失敗不足
もっともっとパンを作って
パンのことをわかりたい

店に設置した
鳴り物の評判がかなりいい
お客さんに楽しんでもらえるように
もう少し店の中は変わっていく予定
パンがおいしくなっていくのがいちばんだけど
それはゆっくりゆっくりと
お客さんたちが
騙されたと思って
あと50年くらい
ここのパンを食べ続けてくれたらなあ
50年後
きっと
いや
たぶん後悔させることはないんじゃないかなあ

ライ麦40%のパンきょうも絶好調
作り方を変えてから
なかなか掴み切れないところがあって
出来に波があったのだけど
大切なところを掴むことが出来たようだ
パンのことは
うまく出来たときと
うまく出来なかったの違いを比べてみることで
初めてわかってやれる
たまたまうまくいっているときや
全然うまくいかなくて失敗ばかりのときは
勘違いや全然わかっていないときだ
きょうは押しライ麦の食パンが
捏ねているときから変な感じで
何でだ? ? ?だった
今年になって初めてのこと
掴んだと思っていたパンだったので
「ありゃりゃ」だったけど
そんなに難しい問題じゃない気がする
解明できればまた一段階ステップアップできそうなので
解明していくのが楽しみだ
見当はついているのだけど
はたして当たっているかな

暑くなってきたら
うまく対処できるか心配だったけど
暑くなってきてからのほうが
かえって良いパンができている
でもこれは暑さや寒さに関係なくて
すこし前にわかったことによるもののような気がする
ぼくにとってはかなり大きいなものを掴むことができた
これでいけるぞといいたいところだけど
次の日にはまた別の壁にぶつかっているなんてことは
パン作りにはよくあること
まあ でも
とにかく
明日も楽しんでパンを作っていこう

護りに入った時点で
人生やものごとはつまらないものになってしまう
就職に有利だから
良い大学に入ろうと思った瞬間
その人生は終わる
そのことに気づかないまでは
  正直でなくなった瞬間
  ものごとの意味はなくなる
  嘘をついた瞬間に
  成長は止まってしまうし
  そのとき出した言葉や行動は
  まったく意味のないもので
  時間だけが過ぎていく

受験や就職につまずいたとしても
仕事で何かミスったとしても
人間関係でうまくいかないことがあったとしても
そんなことはどうってことない
いまのこの瞬間の人生を最高にハッピーなものにしてしまえば
そんなものはすぐにどこかに吹き飛んでいってしまうんだ
人生はいつだってここからだ
現実なんていう言葉や妄想に
夢を潰されるな
やりたいことがあるなら
後先考えずに飛び込んでいけばいいんだ
現実なんてものは
後にも先にもなくて
いまこの瞬間自分が創り出していくものなのだから
人生なんてそんなに永いものじゃない
終わっちまう前に
楽しんじゃわなきゃ
もったいないぜ
自らが炎となって
燃え尽きなければ
笑って死んでいけないぜ

海の日は営業しようかどうか
気持ちが揺れていたのだけど
揺れてる間に
材料の注文をするのを忘れてしまい
材料が足りないので休まざるえなくなった
7月16日(月)海の日はお休みです

きのうはなかなか良いパンが焼けて
喜んでいたら
お客さんが全然来ず
きょうはすこしだけ焼いて
きのうの焼いたパンを中心に店に並べた
梅雨の時期は毎年お客さんが来ないのだけど
今年は良いパンがあまり焼けていなかったので
その影響もあるかな
でもオレもただじゃ転ばない
しっかりとつかんだものがあって
一段階二段階上に行けたと思う
いまにとどまることなく
パンはこれからどんどんうまくなっていくからね

価値観を押し付けることは
押し付けられた人間の翼をむしり取ってしまうことと同じことだ
翼をむしりとられた人間は好きなところに飛んでいくことも出来ないし
自分の中に芽生えたものを育てることも出来なくなる

ものごとはすべて
見る角度によって見え方が違ってくる
総理大臣や政治家の立場での見え方
会社や官僚の長の立場での見え方
親としての見え方
ひとは自分の都合の良いよう見ようとするところがあるし
自分の都合の良いように受けとろうとするところがある
自分に都合の悪いことは隠そうとするのも人間だ
総理大臣が言っていること
テレビが言っていること
学校の先生が言っていること
鵜呑みにしていたらバカを見るのは自分だ
いろんな方向からものごとを見て
自分でよく考え 
自分で判断して
自分で決断して
自分で動く
目の前の現実という言葉に誤魔化されることなく
もっと広く
もっと深く
ものごとを見ていくこと


店の斜め後ろにクソババァがいて
路上駐車だ
パン焼く匂いが臭いだ
空気銃で撃たれただの
中学生の頃からあらゆるところに通報されて
クソめんどくさい
葬式のときには外で待っているひとのために火を焚いていると
火事だと消防署に通報だぜ
苦情の電話が入ると
ばかばかしいことだろうと
嫌がらせの通報だろうと
警察は自分たちに責任が降りかかってこないように
わざと目立つようにパトカーを見せ付けながらやってくる
状況なんて知らないで
いまこの点しか見ていなくて
勝手なことを言う
「路上駐車をしないようにと大きな看板を作って
店の周りにいっぱい貼り付けた方がいいんじゃないですか」
「警察の指導により」と書いてだとよ
出たぜ政治家や警察 権力者たちお得意の責任回避
狭い日本にこれだけ車があれば
路上に車を止めないでどうやって成り立っていくんだ
文句があるならエコポイントだと車の消費を促している政府に言え
車を量産している企業に言え
警察は嫌いだし
信用もしていない
職務質問されるたびに不愉快な思いをすることになる
勝手にひとの鞄を開けていいのか
なんではじめてあったひとに靴がだいぶ汚れてるねなんて言われなければならないんだ
なんで夜中の零時過ぎに店にやってきて何時に店が始まるのか聞かれなければならないのか
なんでこの道は車が飛ばすから自転車で通らない方がいいですよなんて言われなければならないのか
何で勝手に鞄開けられてレシート見せてくださいなんて言われなければならないんだ
職務質問されるたびに今度パン買いに行きますからと言われるけど
パンを買いに来た警官はいままでひとりもいない
嘘つきは泥棒の始まりだと言うけれど
確かにその通りだ
クソババァも警官もオレの貴重な時間を奪うんじゃねえ
やってくるなら真正面からやってきやがれ
制服脱いで
人間として
一対一で向かってきやがれ

時間がないから出来ないと言うけれど
時間があれば本当にやるのか
本当にやりたいものだったら
3分だって
5分だって
時間を作ってやればいいんだ
それが出来ないのは
自分にとって
それだけのものでしかないからだ
あそこに行ってみたいなあ
あそこであれをたべてみたいなという思いはよく頭に浮かぶのだけど
それをあまり行動には移さないのは
ぼくにとってはそれがそれだけのことだから
日々の生活
パンを作ったりからだを動かしたりする喜びを
犠牲にするだけの価値があるとは思えないからだ
本当にやりたいものなら
すべてを放り出してでもやってしまうものだ

昨夜茹でたものだからネバネバしていても大丈夫だろうと食べたブロッコリーで
体調最悪
大量に食べたのが悪かったようだ
だけどこの失敗で本来ネバネバするはずがないのにネバネバしている野菜は
量をあまり食べない方がいいということを知ることができたので
これは今後の人生に活かすことが出来るだろう
人生日々勉強なのだ

音楽がかかっていない
鳥のさえずりや
虫の声が聞こえてくるような静かな店をやりたいなという思いが
かなり昔からあったのだけど
それにすこしだけ近づけたかな?
もしかしたらCDの音よりもっとうるさくなっていたりして
うるさいのがダメなひとは耳栓を持ってきたほうが良いかも

何かをやろうと思ったら
思いきりよくやっちゃった方が
良い結果に結びつくことが多かった気がする
中途半端にやればずっと中途半端

ぼくに明日が来るのかどうかなんてわからない
確かなのはいまがあるということだけ
やりたいことがあるなら
いま
このとき
これを逃したらもう機会はないかもしれない
瞬間瞬間
いまこの瞬間を大切に生きて
きょうを満足できる一日にすること
だからといって
焦ることなく
魂に寄り添いながら
瞬間瞬間を楽しんで歩いていく

いまはどこの学校に行っても
『関係者以外立ち入り禁止』の看板がぶら下がっている
囲いがあったら囲いを取り除くよう教えるのが
学校の役割だったはずじゃないのか
排除されたひとの居場所を作ってやるのが学校がとるべき姿なのじゃないだろうか
なんだか最近
いろんなことが
逆の方へ
逆の方へ
居心地が悪い方へ居心地が悪い方へ
向かってしまっている気がする

NHK昔は良い番組がいっぱいあった
『手仕事にっぽん』
http://www.youtube.com/watch?v=J_UgdGQXxYo      和ろうそく編映像
http://www.youtube.com/watch?v=gMN5I-WFyOM     奈良漆器編映像

庭いじりをしていたら
店の中もいじりたくなってきた
パンを売るだけの店なんかじゃなくて
居心地が良くて
楽しんでもらえるような空間を作りたい
店に置いてお客さんに楽しんでもらおうと思い
磬を買うつもりでまた小田原のお店に行ったのだけど
記憶していたより大きく
値札の○もひとつ多かったので今回は買えなかったけど
別の素敵なものを仕入れてきたので
今度店に来たときのお楽しみ・・・・・・・
夏にかけてまだすこしずつ店の中を変えていく予定
もう少し店が広ければもっとゆっくりしてもらえるのだけど
(畳があって縁側があってが自分の理想)
それはいまのところ無理なので
庭と店の中をいじって気持ちいい空間を作ってみようと思う

東京の自転車野朗T夫妻が
黒磯の『あいかけん』にカレーを食べに行くというので
いっしょに連れていってもらい
オープンから1年ようやく行くことが出来た
カレーは文句なくおいしかったのだけど
お酒が置いてなくて
夕飯をお茶か水で食べなければならないというのは苦痛だった
Tさんたちは手でカレーをつかみはしゃいでいる
「子供たちを連れてきて手ですくって食べさせたら喜ぶぞ」と言っていたけど
自分たちがいちばん楽しそうだ
食事を手で食べているインドでは熱々の食べ物を食べることはないんだろうな
カレーうどんとか湯豆腐だとか
それとも熱さに手が慣れているのかな
http://d.hatena.ne.jp/taketchi/20120630

きのう夜ランニングをしていると
車道と歩道の境のブロックにつまずいて大転倒して
右のひじと手のひらにかなり深い切り傷を作ってしまった
手はパンを捏ねるときに大切な場所なので気をつけてはいるのだけど
どうも大田原市の歩道とは相性が悪いみたいで
しょっちゅう転んだり田んぼや用水路に落ちたり
花壇に突っ込んだりと大変な目にあっている
このあたりはみんなどこに行くにも車で移動なので
道を設計するひとも歩くひとのことをあまり考えないのか
歩道がやたらと歩きにくいんだ
 きょうははじめ左手で捏ねてみたのだけど
 生地の硬さが全然つかめないので
 急遽指が通るよう穴を開けたビニール袋を右手にはめて捏ねた
 右手も左手も同じ手なのに
 神経や神経のつながっている場所が違うのか
 人間というものは
 使うのが本人であっても
 使いこなすのは本当に難しい
 でもそこが面白いところでもある
 なんでもすぐに出来てしまったら面白くもなんともない
 出来るようになるまでの過程が楽しいんだから

月曜日 火曜日と横浜だったので
店に飾りたいなと思っていた風鈴を買いに
近くの小田原まで足を伸ばした
台風が近づいているので大丈夫だろうかと心配だったけど
さっさと購入して
新幹線に飛び乗って逃げてしまえばどうにかなるだろうと
雨の中を走りながら店を見つけ出し入ってみた
店に入った瞬間
早く帰るのを諦めた
あまりにも惹かれる商品が多すぎる
風鈴以外にもいろんな形のシンバルやベル 鐘などが並んでいる
この店の風鈴の音はインターネットの動画サイトなどで聴いていたのだけど
生で聴くと比べ物にならないくらい良い音を鳴らしている
うれしくなって店のひとの話を聴きながら
他の商品の音を手当たり次第に鳴らしていると
残響がとんでもなく長く
美しい音を出す鐘があって
ひと音聴いただけでこころを持っていかれ思わず購入(さっそく店につるした)
新幹線は途中で止まってしまったけど
やっぱり何かを手に入れようとする場合直接その場所に足を運んだ方がいい
物語が生まれることで
その何かに価値が生じてくる
インターネットで買えば
とても便利だけどそれでおしまいだもん

いじった庭を見渡してみると
自分の性格がそのまま出ている
どれくらい大きくなるのかとか
花を咲かせるのかどうか
日なたに植えた方がいいのか日陰に植えた方がいいのか
そういう基本的な知識もないまま
(名前すら知らないんだから)
園芸店でピピピッときたものを買ってきて
まったく計算的なところもなく
「ここだ ここだ」と思いつきで植えているだけで
いまは問題なくいっているけど
一ヵ月後
二ヵ月後はきっと
めちゃくちゃになっちゃっているんだろうな
隅から隅まできちんときれいにという心もないので
いじったとことと
いじっていないところを境にしての対比が
くっきりしすぎで可笑しい
まさしくオレだ
こんな性格だから
なんとこいままで生きてこれたのかもしれない
苔は日なたに植えた方がいいということも
いまごろ気づいた
苔なんて普段気にしないと
目に付かないけど
気をつけてみていると
いろんなところでその姿を見ることが出来る
苔を気にしながら道路や山を歩いていると
苔がどんな場所を好むのかが
すこしずつわかってきた
説明書や本で知識を得るより
からだで感じて理解していく方が
自分には向いているし
無意識のうちにそっちの方を選び取っているところもあるのかもしれない



他の人がどんなに照らしてくれようと
世界は明るくならない
世界を光らせることが出来るのは
自分自身の明かりだけなんだ
ぼくが動けば
世界は動き出すし
ぼくが止まれば
世界も止まる
どんなに自分を光らせたくても
いつかは世界が止まる日がやってくる
それは思っているほど遠い日ではない
いまが永遠に続くことなんてなくて
いまは
いましかないんだ
いつ尽きるともわからない命
やりたいことがあるのなら
いまだよ
産まれてきたことの奇跡
生存していることの奇跡
生きていることの喜びをかみしめて
一瞬一瞬を生きていきたい
未来を心配して
いまを無駄にしてはいけない
いまがなければ未来はないし
いまがあっても未来はないかもしれないんだ
たしかなのは
いまがあるということ
たしかなのは
いまやっているということ

自分自身を光らせることができるのは
自分自身しかいないんだ
どんなさびれた商店街だろうと
客の来ない店だろうと
自分の納得いく生き方をしているひとは
光っているんだ
ぼくが光れば
世界も輝く
誰にだって世界を輝かせる力は備わっているんだ
ぼくが光り輝いた瞬間
世界はまぶしいくらいに輝きだす
ぼくの光が消えた瞬間
ぼくは闇の世界へ突き落とされる

大田原市の昔の中心地だった中央通りの拡張工事が進んでいる
両サイドにある店舗や住宅を壊し
新たに店舗や住宅を建てている
街の活性化ということが建前だけど
建物や道路は立派になっても
中身は変わっていないわけで
またお粗末な公共事業がひとつ
意味がないのは小学生だってわかるはずなのに・・・・・
いったいどれだけのお金が使われているのだろう
金がないない言ってるわりに
国はなんでこんなところに莫大な税金を投入しているのだろう
活性化活性化と流行り言葉のようにあっちでもこっちでも叫ばれているけど
ひとりひとりの人間と
ひとつひとつの商店が光らなければ
活性化なんてものは始まらないのに
そしてそれがすべてなのに

庭がすこしずつにぎやかになってきた
休みの日にまた苔を取りにいき
小さい花もちょっと植えてみた

パン作りを上達させたいと思うのなら
最初から最後までひとりで作るべきだと思う
パンのことはつながりの中でしか見えてこないからだ
材料の状態
捏ねているときの生地の状態
生地の硬さ
醗酵の状態
成形するときの生地の状態
焼成前の生地の状態
焼きあがったパンの状態

パンのこと
わからないことが多すぎる
というより
わかったことなんてほんのちょっと
だからパンはまだまだうまくなる

きのうはランニングの疲れがなかなか抜けなくて
ジムに行けなかった
ダッシュを始めたこともあるのだろうけど
20Kmそこそこでよれよれになってしまうのは悔しいことだ
きょうはランニングの後に風呂にゆっくり入ってから昼寝をしたので
疲れがだいぶ抜けてくれた
しかし風が強く
ジムに着いた時点で足腰ははガクガク
最近はサンドバックが二日連続でまともに叩けない
二日目は腕に力が入らなくなる
トレーニングの方法を変えるべきなのだろうか
ここで無理して叩いても
効果なんてほとんどなくて
逆に調子を崩してしまうのじゃなかろうか
疲れた筋肉は休ませて
別の筋肉を使ってやった方が良いのではないだろうか
年齢相応の練習をしていくべきじゃないだろうか
練習量を落とすわけでなく
練習の質を上げる
どうなるかはわからないけど
試してみるのもいいのじゃないか
まだまだ出来ない動きがいっぱいありすぎるので
ここで終わりにするわけにはいかないんだ

この世のすべての生命と同じように
産まれ生き死んでいく
ただそれだけだ
人間は特別な存在なんかじゃない
生まれてきた意味や使命なんてものは最初からないんだ
それが必要なら自分で作っていけばいい
だからこう生きなければならないなんて決まりはひとつもなくて
人間
どんな生き方をしてもいいんだ
何か情熱を傾けられるものがあったならそれにのめり込むのもありだし
一生酒を飲みながら暮らすのもありだ

刑務所に入ることだけが
罪を償うことではないだろう
刑務所に入ったからといって
罪を償えるわけではないだろう

自転車乗り改め
コーヒー飲みの夫婦にまた
コーヒーをご馳走になった
おふたりとも相変わらず休みの日を目一杯堪能している
どうやったら毎週毎週こんなに遊びまくれるのだろう
きょうは東京から雀野宮まで鈍行に乗ってきて
そこから食べ物屋を回りながら自転車で大田原に
コーヒー屋に変身してから鈍行で東京に帰っていった
明日は多摩の方に田植えに行くとのこと
月曜日から仕事のはずなのに体力は残っているのだろうか
http://d.hatena.ne.jp/taketchi/20120602

ゆったりとしたこころ
時間的なゆとりがないと
おいしいコーヒーは淹れられないだろう
それでもどこかに
せっかちなコーヒー屋さんなんているのだろうか

コーヒーの世界はかなり面白そう
はまってしまうひとが多いのもわかる
それなりの要因がある



きょうは1917(山型の食パン)をトーストしないで食べてみた
きのうと同じくチーズと生ハムをのせて食べてみたのだけど
なんだこのうまさは
なんだこのモチモチ感は
モチよりモチモチのパンなんてあっていいのだろうか



1917(山型の食パン)が半分残っていたので
久しぶりに食べてみた
軽くトーストしてチーズと生ハムをのせて食べたのだけど
なんだこのパリパリ感はクロワッサンじゃないんだから

きょうは庭に苔をはわせようと思って
店に買いに行ったのだけど
どこにも売っていなくて
自転車をこぎながらどうしようかと考えていたら
道端に苔が転がっていた
苔なんてそこらじゅうにあるんだった
なんでもかんでも金で解決することが身についてしまって
そんなことに気づかなかった
道路や裏山をちょっと歩いただけで
ポケットいっぱいの苔が集まった
3回くらいポケットをいっぱいにしただろうか
いい感じに苔を敷きつめることが出来た
根付いてくれればいいのだけど

喜連川から自転車での帰り雨に降られた
ちょうど雨宿りできそうな木があったので逃げ込んだのだけど
1時間に50ミリも降られたら
ふさふさの葉っぱの屋根も意味をなさない

ライチさんのカレーを久しぶりに食べた
スパイスはやっぱり偉大だ
いろんなスパイスを使えこなせたら楽しいだろうな
http://aikakendayori.blog101.fc2.com/
あいかけんは来月で一周年だそうで
めでたいけど
いったい何日間営業したのだろう
開いている日がほとんどないので
1年経ってもまだお店にはいけていない
自分は努力して怠けているところがあるけれど
彼女は天性の怠け者だ
栃木では美味しいカレーにありつくのが大変だ
shandi nivas caféの夫妻も子供が生まれたので
北海道に移住するらしい
shandi nivas caféのカレーを食べる機会がなかったので
いつか北海道まで食べに行くことにしよう

エラーをしたからといって
それで終わりではないんだ
エラーを恐れず
前へ踏み出していったのなら
たとえエラーしたとしても
その瞬間命は輝き
動き出すんだ
エラーを恐れて
動けなくなったときに
命もまた止まってしまうんだ

どんな状況のときでも
ぼくはぼくを生きる
ぼくにはそれしか出来ないから
こころから欲しているものならば
どんな厄介事が押し寄せてこようとも
それを貫き通さなければならない
もしそれを曲げるようなことがあるときは
もうぼくはぼくの生に価値を見出すことが出来ないだろう
まわりから泥水を引っかけられようが
罵声を浴びせられようが
無視をされようが
ぼくはぼくを歩き続ける
それならぼくにも出来るから

水木金曜日とまあまあのパンが出来た
偶然うまく出来ていたパンが
おかしく成りだしたのがここ数ヶ月
ああでもない
こうでもないと試してみたけど
なかなかうまくいかなかった
でもそのおかげで
そのパンのことをすこしわかってやることが出来て
いまではある程度狙って良いパンを仕上げることが出来るようになった
きょうはきのうの焼いたパンがだいぶ残っていたので
数種類しかパンを焼かなかったのだけど
これだけ時間的な余裕があれば
かなりの確立で良いパンを焼き上げることが出来るなと思った
数日前の自分だったらいくら時間があっても無理だったけど

きょうかかっていたCD
mozaik (アイルランドやらアメリカやらいろんな国)
http://www.youtube.com/watch?v=bAPepcWn5gg (映像)
http://www.youtube.com/watch?v=8uhM4GtNJR8 (映像)
http://www.youtube.com/watch?v=GrLr_PP4MME (映像)
ものすごいことをやっているのに
みんな力が抜けている
自分のパン作りもいつかこんなふうなれればいいな
ちなみにバンドの中心人物Donal Lunnyは自分を音楽の世界に引きずり込んだ
ひとだ
CD屋さんにあったアンケートに答えて当たったチケットで観にいった
Donal Lunny and Coolfinの映像
http://www.youtube.com/watch?v=8uhM4GtNJR8 (映像)

先週と同じ過ちを繰り返さないように
先週のミスでつかめたと思えたものを試してみた
勘違いなんかじゃなくて
本当につかめていたようで
良いパンに仕上がった
この前の失敗でつかんだものは
本当に大きなものだった
これであと10年くらいはパン屋が続けられそうだ
わかってみれば何てことないことだったと思えるのだけど
やっぱり段階を踏んでこなければ
気づくことが出来ないことだったのだろう
10年ちょっと毎日パンを作り続けて
やっとつかめたもの
パン作りは頭で考えるよりも
作って作って感覚をつかんでいかなければならないものなんだな

『大草原のみゆきちゃん』ただいまなまけもののパン屋内の図書館で大好評貸し出し中
マタギや熊を撃って生きているひとたちに惹かれた時期があって
そのとき読んだ『熊撃ち』という本
とても面白い本だったのだけど作者が
むかし観た『大草原のみゆきちゃん』というドキュメンタリー映像に
出ていたお父さんだということがわかり
もう一度そのドキュメンタリーを観てみたくなり購入したdvd
舞台は知床
小学校一年生になった女の子の一年を追いかけたドキュメンタリー
家から小学校まで道のり8km
クマと出遭ってもおかしくなくない山の中を
雨の日も雪の日もひとりで学校に通わせる父
雪に半分くらい埋まりながら
大きなランドセルを背負って学校へ向かうみゆきちゃん
この前お客さんに聞いて驚いたのだけど
いまは雨が降ると親が車で送り迎えをするだそうだ
その親たちや学校の先生そして子供たちがこのドキュメンタリーを観たら
どう感じるだろう
興味がある方は声を掛けてください

権力を得たものは
権力を自ら手放せなくなって
権力の座にしがみつく
でも権力の座にしがみつけばしかみつくほど
本人は腐っていくから手に負えない

旅にもジムにも
もっと気楽に行けるように
すぐに折りたためて
小さくなる折り畳みの自転車を買おうかと思った
そしたらやっぱりdahonだろうと調べていたら
dahonから巣立ったternというメーカーにぶち当たった
http://www.youtube.com/watch?v=TXpq9iI51kw
でも検討しているうちに小さくなるのとすぐに折りたためる以外は
いま持っている自分の自転車とかぶるような気もするので
しばらくはいまの自転車で行こうと思う
いまの自転車 khs p-20ra
http://www.khsjapan.com/product2012/product2012.html

写真でだけど
一目惚れした
家具がある
かなり根の張るものだけど
税金に持っていかれて
無駄に使われるのもバカバカしいので
買ってしまおうかなと思っている
きっとパンを買いにきたお客さんにも
喜んでもらえると思う

急に植物が恋しくなって
植物屋さんに行ってきた
買ってきてもいつもすぐに枯らしてしまうのだけど
枯らさないような余裕を持った暮らしをしようと決意して
いつもより多くの植物を買ってきた
店にも前の庭にも植物がちょっと増えているので
今度店に来るときにはちょっとだけ気に掛けてみてみてください

先週のスパーリングでも感じたのだけど
きょうのスパーリングでもパンチのスピードが全然なくなっている
パンチのスピードには自信があったのだけど
いまではパンチを出した拳にハエが止まったっとしても驚かないだろう
ジムで練習をすると課題がみつかるし出来ない悔しさも湧いてくる
それにプロとしてやっているひとプロを目指しているひと
そうでないひともジムに来ているいるひとはみんな
うまくなること 強くなることを目指して練習をしているのでので
行くとその気に感染させられてしまう
だからジムに行った後は気合が入り家でのトレーニングにも身が入ってくる
明日からスピード重視のトレーニングに切り替えて夏頃にはもう一度若い頃の
スピードを取り戻したい
そして出来ることなら若い頃のスピード上回るパンチを打てるようする
このところ自分に負けていた
日々のトレーニングで自分を壊してやろうというくらいの気持ちで望まないと
年齢の壁を超えられない
人間は変わろうという思いがあれば変われるものだということをボクシングを通して
知ることができた
ボクシングを始めて4年くらいは怖くて
相手と正面から打ち合うことが出来なかったのだけど
いまでは怖さを振り切って一歩前へ踏み出すことが出来るようになった
人間ひとのことを変えることはできないけど
自分のことなら変えられるんだ
変わりたいという意思があれば
すぐに諦めてしまうのは
自分の中に眠っている力を知らないからだ
始めからできるひとなんていない
磨くからこそ力は目を覚まし輝いていくんだ
石の上にも3年
それでもダメなら4年でも5年でも
石にかぶりついていればいいんだ

いま頭上まったく同じ場所から
蜘蛛が三匹続けて降りてきた
3匹目は子供の蜘蛛だった
何十年も生きてきてこんなことは初体験
何かいいことが起こる前兆だろ
普段からいいことは良く起こっているので
とてつもなくいいことが起こるのだろう

このところ完全な栄養失調なので
スーパーで麺類を買うときは
うどんやそうめんではなくそばを買うようにしている
そば屋のそばだったらそばつゆだけあれば充分だが
乾麺だとそうはいかない
工夫が必要になってくる
きょうは炒めたオイルサーディンと卵を絡めて食べた
この相性の良さを超えるそば乾麺を食べるときの組み合わせはないだろうと思えるほど
うまかった
ちなみにインスタントラーメンには炒めた茄子がとてもよく合う

組織は力のない個人の身を守るために生まれるものなのだけど
いつのまにか個人を犠牲にしてでも組織を守ることに必死になる
組織は平穏なときはうまく機能するけど
ちょっとでも歯車が狂えばどうすることも出来なくなる
組織に入っていれば安心だ安全だと
組織に寄りかかっているといつか痛い目に遭う
組織に寄りかかる前にまずは自分の生きる力を身につけることだ
小学校中学校高校大学と出てきて
本当にこんなこんな場所が必要だったのかといまは思う
学校に行っている間生き抜く力を教えてくれる場所なんてどこにもなかった

今日かかっていたCD
Karan Casey / Songlines (アイルランド)
http://www.youtube.com/watch?v=sJWRkCfq1K0 (映像)
http://www.youtube.com/watch?v=ctJiPEUTXAw&feature=related (映像2)
このひとの歌声を聴きたくて青春18切符を持って広島まで追いかけたことがある

今週はいくつか出来の悪いパンを作ってしまった
しかもそのパンを売ってしまったのでなおさらくやしい
醗酵の進みが早くなってきたので
他の作業と重ならないようにすることを意識しすぎて
先へ先へと焦ってしまったのが原因だ
もっと余裕を持って自身を持って堂々と構えていかなければ
この失敗で良いパンを作る上でとても大きなものを捕まえることが出来たけど
やっぱり悔しい
この悔しさは時間経過と自分が成長することでしか消えていってくれないものなので
いまはひたすら我慢して努力をしていくしかない

きょうかかっていたCD
Dolores Keane & John Faulkner / Broken hearted I'll wander(アイルランド)
http://www.youtube.com/watch?v=C_izA_a3z7w (映像
http://www.youtube.com/watch?v=ISqVCjLgKZY (映像)

人生はレールの上を最速で一直線に進むことはないんだ
速いだけが良いことではないし
完璧にやることだけが良いことではない
脱線したから見えてくることがある
停車したから出会えることがある
ゆっくり走るから余裕が生まれて楽しめるようになることがある
痛みや苦しみや悩みが
人生に深みや充実感を与えてくれる
失敗することや傷つくことから逃げることなく
やりたいことがあるなら勇気を出してやってみることだ
出来るか出来ないかは別にして
決意さえすればどんなことだってやりはじめることは出来るんだ
どんなに怖くても思い切ってエイ ヤァーと飛び込んでみれば
人生はいつだって動き出すんだ

これだけの税金を無駄に使ってきたことに対して
官僚のなかにも政治家なかにも
だれひとりとして
悪かったと思っているひとがいない
こんな状況では
「足りなかったら税金を上げればいいんだ」が繰り返されていくだけで
良い方向に進んでいくなんてことは絶対にありえない
それなのに税金をホイホイと納めていていいのだろうか

今日かかっていた曲  王心心 (中国 琵琶)
http://www.youtube.com/watch?v=iOsp0QRdgb8

きょうは全体的にまあまあのパンができた
一時醗酵から分割のタイミング
生地の固さ
焼き加減
いくらかわかってきたので
暖かくなってくるこれから
いちばん難しいのは
いかに他の作業とかぶらないように
生地の醗酵をコントロールするかということ
まだまだ経験が足りないので
いまはまだ感覚よりも勘に頼ることが多いけど
「きょうも良いパン作るぞ~」と
きょうも あしたも あさっても
捏ねて捏ねて捏ねまくるのだ
転んだ分は
しっかり掴まえてやる

暖かくなってきたからなのか
酒のせいか
こころが昂ぶってきた
「生きるぞ~ 目一杯生きるぞ~」」

狂言の生中継がyou tubeで観られるそうです
5月4日 14:00ころ~
茂山千五郎家
http://www.soja.gr.jp/schedule/item.php?id=3097

今週かかっていたCD
ゴールデンウィーク
軽いこころがさらに軽くなるように
自分の知る限り日本一ゆる~いひとの音楽をかけてみた
山内雄喜/Na Mele'O Hawai'i E 'Alani vol.2
http://www.youtube.com/watch?v=D__856Oup98 (映像)

一週間ぶりに
昼間の世界に飛び出すと
そとはもう一週間前とは別世界だった
花や新緑
麦や田んぼに張られた水が眩しすぎて
クラクラする
おとぎの世界へでも迷い込んでしまったみたいだ
突然思い立って佐久山の紅葉山公園へと足を向ける
思ったとおりもみじが陽の光を浴びて微笑んでいる
この季節のもみじがいちばん好きだ
傘を持ったおばあさんが散歩している
スキップするように歩いている後姿に
こころがほろりとする
すれ違いざま
「奈良さんですか?」と声をかけられドキリとする
「ああ~ どうも」と言いながら頭の中をグルグルかき回して
誰だったか思い出そうとしたけど思い出せない
しばらくして「奈良さんですか?」ではなくて
「マラソンですか」と言っていたことに気づいた
日本語は難しい
公園からの帰り際女性の歌声が聞こえてくる
さっきのおばあさんがブランコに座りながら
民謡なのか歌謡曲なのか昔の唄を歌っていた
その唄がズンズン胸に迫ってくる
何の唄なのか聞いておけばよかった
近いうちまたあの場所にいいってみよう

時間なんてものを作らなければ
時間に追われることなんてなかったのに

本を取り寄せると
送り主のことを
評価してくださいとメールが送られてくる
送り主は悪い評価をされては困ると
速攻本を送ってくる
評価評価評価
人の評価でしか
評価できない世界
ますます画一的な世界になってくるのだろうかと
暗い気持ちになってしまった
でも一方ではそういう世界が進んでいくだろうけど
もう一方ではそういう世界が窮屈でたまらなくなった人たちが
そんな世界から飛び出して別の世界を作っていくだろう

暑くなってきて
これからパン作りも難しくなってくる
昨年の失敗から
今年の夏は昨年のようなやり方では
だめだということがわかっているので
昨年よりは良いパンが作れる可能性は高いと思うのだけど
あの暑さにどう対応していけばいいのか
まだ見えてこない
まあ
何ごとも
やりながら捕まえていくしかないんだ

夏は醗酵の進みが早くなるから
このパンをいまカマに入れたいのだけど
あのパンもいま分割したいということが頻繁に起こってくる
そうならないように捏ね水の温度や生地を醗酵させる場所を調整したりするのだけど
そうそう人間の都合よく動いてはくれない
いくつかの作業が重なりそうになったとき
どう動くか
夏は判断や決断の連続だ
瞬時瞬時に判断して決断していかなければならない
とても大変だけど
その緊張感が
たまらなく楽しくもある

ゴールデンウィーク3日目
本日は1917の出来がいい
気象条件
自分の勘と感覚そして運
すべてがはまった
小麦の方も押しライ麦の方も
どちらもすごいモチモチ感
奇跡のパン
まだまだパンのことがわからなくて
うまいパンを連発して作ることは出来ないけど
自分の作り方ではまったときは
自分的にとてつもないパンができる
だからここのパン屋は
ちょいちょいと通っていると
ときたま
ガラクタの中から
とんでもないお宝が出てくるという
骨董品屋的パン屋だ
足しげく通ってくださいな

ゴールデンウィーク2日目の日曜日
麦ばたけの波おと40(ライ麦40%)の姿は
一週間前作った今年いちばんの美しさを越える出来ばえ
特にレーズン入りのパンの切り口は
過去最高の美しさではなかったか

自転車野朗夫婦は
福島三春に満開の滝桜を観に行って来たとのこと
ものすごい人で
車だと残り数kmのところからたどり着くまでに一時間近くかかったらしい
ふたりはさすがにしょっちゅう自転車で旅をしているだけのことはあって
渋滞を読んで郡山で自転車に乗り換えてスイスイと滝桜までの道のりを楽しんだそうだ
帰りに寄ってまたうまいコーヒーを淹れてくれた
http://www.coffeehunters.co.jp/top.html
最近は豆を買いにいったり
試飲会や講習会にいったり
コーヒー中心に動いているようだ
仕事用の鞄もコーヒーの道具入れに変わっている
それにしてもコーヒー豆によってこれだけ味が違うとは
「どっちのコーヒーが好き?」と尋ねられたけど
オレンジジュースとコーラくらい違うのでは答えられない
かなり面白そうな世界だ
先日ラジオに出演していたこの人の
http://www.faust-ag.jp/interview/interview009.php
http://eco.nikkeibp.co.jp/article/column/20090609/101588/
http://www.coffeehunters.co.jp/top.html
本を早速取り寄せてみた
面白そうな世界だけど
あそこまで手間をかけることは性格的に無理なので
絶対にはまることはないだろう

きょうの麦ばたけの波おと40(ライ麦40%)は
今年最高の姿
他のパンもまあまあ良い出来(姿は)
味もそんなに悪くないと思う
いまを摑まえた
ゴールデンウィーク
どうにかいま位の気温で来てくれればいいのだけど・・・
気温が高くなってくると
はたして対応できるか
いまは自身がない
でも 逃げはしない
いまを追いかけるだけだ
できないのは仕方がない
いま持っている自分の力以上のものは出せはしない
すこしづつ
すこしづつ
捕まえていくしかない

退職したら
旅行に行ったり
いろいろ楽しむぞと言っていた
お客さんが退職目の前に病気が見つかったらしい
将来に備えてとか
保険とか
そんなものはいらない
いまをおもいきり生きなくては
好きなことをおもいきりやって生きなくては
そう思った
いまを1000%生きてやる

今年5回目のジム行き
からだが重い
切れ無し
からだは正直
ここ一週間は腰に負担がかからないように抑えながらのトレーニング
おもいきり動きたい
本日は4人とグローブを交える
ボクシングは性格がそのままでるから面白い
グローブをつけて向き合えば
自分を覆い隠している余裕なんてなく
そのままの自分をさらけ出すしかなくなってしまう
その辺もボクシングを始めたひとがのめり込んでいってしまう理由のひとつかもしれない
社会に出てかぶってしまった仮面を脱ぎ捨てられるこころのありどころなのかもしれない
続けていれば社会のなかでだって仮面を脱ぎ捨てて生きられるようになる
ボクシングはいいよ
最高だよ

きょうかかっていたcd
Sandy denny / No More Sad Refrains (イングランド)
http://www.youtube.com/watch?v=0Rd_gMrmf6g (映像)

毎日同じ種類のパンを作り続けているのだけど
飽きるということはない
毎日気温や湿度 自分の状態といった条件は変わってくるから
それによって加える水の量や温度それに醗酵時間や焼き時間なんかも変わってくる
だから同じ種類のパンでも毎日違うパンを作っているようなもので
毎日が新鮮で
わくわく ドキドキの連続だ
パンのこともまだまだわからないことばかりだし
飽きることはないんだけど
遊びに行きたくなることはしょっちゅうだ

最近はグッスリと眠ることができるようになってきた
あしたは寝坊しないように起きなくてはなんて思ってしまうと
神経がか細いのでとたんに眠れなくなってしまうので
いまでは
寝坊しても良いやとおもいきり眠りに入っている
仕事でもそうだ
上手に作らなければとか
上手に立ち振るまわなければなんて思ってしまうと
こころもからだも縮こまってしまって
かえってうまくいかない
うまくいかなくてもいいやという気持ちでやった方が
思い切り良く動くことができるし
楽しい
うまく行かなかったらいかなかったで
しょうがない
それを活かしていけばいいんだ
http://www.youtube.com/watch?v=lYsI93hb9uQ    (ニッポン無責任時代予告編)
また映画を観たくなってきた
キチンとキチンとのニッポン
平均のように生きられれば
病気のひとも減るんじゃないか

まわりにはゴールデンウィークに海外に行くひとが多くて
みんなすでにほっぺたが緩んでいる
じぶんはもう海外に行くことはないかな
飛行機には乗らないで済むなら
乗らないで済ませたい
飛行機で旅行する夢を見ると
必ず飛行機が落ちる
そんな夢を
何度も何度も見ていると
とても飛行機には乗れなくなる

きょうかかっていたCD
al-Mahi&al-Bura'i /Chants sacres de Nubie et de Kordofan (スーダン)
http://www.youtube.com/watch?v=hmPi3PTtdJU&feature=related (映像)

きょうの麦ばたけの波おと40(ライ麦40%)のパンは
久しぶりに惚れ惚れする姿をしている
きょうのは偶然じゃなくて狙ってやったもの
ここ数ヶ月の経験(あまり良くできなかった)を参考に
「おりゃー」と作ったら
手ごたえあり
窯から出てきたときはうれしかった
パンが残らなかったので味の方はどんなだったかわからないけど
切り口を見る限り
そんなに悪い味になってはいないと思う

今年の桜は見事
腰に違和感があったので
今週はジムを休んで
自転車で大田原じゅうの桜を見て回った
黒羽や湯津上 野崎と回ってきたけど
なまけもののパン屋脇の公園にある桜がいちばん好きだった
しかもいちばん手前にある桜が好きなので
自分のいちばん近くにある桜が
いちばん好きな桜なんだ

今日かかっていたCD   能楽囃子体系
http://www.youtube.com/watch?v=FWBZERf9WM4 (映像)
http://www.youtube.com/watch?v=OU2tZ2J-MoA  (映像)
この8枚組のCDは本当にすばらしい
緊張感のある演奏なのに
目をつぶって聴いていると
こころがおだやかになってくる
日本人ならひとりに8枚だ

夏はパン作りが難しい
低温で醗酵できるような装置があれば別だけど
あっても無いような機械しかないパン屋にとっては
とにかく大変だ
でも難しいからこそ
挑んでみたい
そこには楽しさや歓びがいっぱい待っているはず
悪い条件の中でやればやるほど
うまくいかないという壁にぶつかるから
わかることも多い
夏が過ぎればまた一回りも二回りも大きくなった自分がいるはず
あの暑さと湿気は嫌だけど
今年の夏も突っ走るぜ

ボクシングで相手と殴りあうというのは
正直言ってとても怖い
でも瞬間瞬間に勇気を振り絞ってパンチを出していくときの瞬間の歓び
昔から勇気が出せなくて悔しい思いばかりしてきた自分にとって
ここは自分が自分になる場所
いちばん大切な場所
リングの上は恐怖と歓びを交互に繰り返す場所だけど
終わってしばらくすれば恐怖なんて忘れてしまうから最後は歓びだけしか残らない
人生はやったもの勝ちなんだ

日曜日と桜の満開日が重なってしまい
お客さんがまったく来ず
今年最大の残パン
翌日は定休日だったのだけど
急遽残ったパンを販売
営業時間内にひとりもお客さんが来なくて
「ありゃりゃ」と思っていたら
営業時間を過ぎてから
そして次の日にちょこちょことお客さんが来てくれたので
だいぶパンが減ってくれた
後は明日お客さんにおまけで配ればなくなってくれるだろう
このところパンが全然あまらなくて
自分の作ったパンが食べられなかったのだけど
久しぶりに食べたらしみじみとうまかった
いつもうまいそばやうまい米を食べると
こんなうまいものがあったらパンなんていらねえやと思ってしまうのだけど
きょうはこんなうまいパンがあったらそばも米もいらねえやと思った

きょうかかっていたCD
Music of Kyrgyzstan Folk Ensemble
(the world music libraru)
http://www.youtube.com/watch?v=TTQWoPiElM4 (映像)
このシリーズには「お~~ 素晴らしい」という一枚がちょこちょこある
このアルバムもその一枚

去年の夏は
全然ダメだったので
今年の夏は良いパンを作りたい
去年の失敗から学んだこともかなりあるので
すこしだけ光は見えている

華やかな舞台の上を歩くのではなく
叩きのめされ
壁にぶち当たりながらも
泥の中を這いつくばり
ボロボロになってもいいから
自分のこころに正直に
真っ裸で歩いていきたい
うまくいかなかろうが
転びまくろうが
見えている光を追い求めて
生きていく
無様さ
表面だけの格好なんて
どうでもいい
僕が欲しいのは
「生きているぞ~」とこころから思える充実感

人間は楽しもうと決意さえすれば
どんな状況だろうと楽しむことができるんだ
どんな一日だって
この短い生涯のなかの貴重な一日であることには変わりはない
塞ぎ込んでいるだけの一日なんてあまりにももったいない
だからといって焦ることは同じくらいにもったいない
楽しむことって
魂にどれだけ寄り添って生きられるかだと思う
焦っているときは
魂なのか自分なのか
どちらか
わからないけど
どちらかがどこかに行ってしまっているときだ

今年4回目のジム
一週間腰が痛くてほとんどトレーニングができなかったのに
動いてみると心拍機能が出来上がっていた
腰を痛める前にかなりハードに動いていたので
いつの間にか出来上がっていたのだろう
きのう長い距離自転車にのっていたからか
からだも軽い
これだけ動くのが楽なのも久しぶりな気がする
歳をとると怪我が多くなったり
疲れが取れにくくなってくるので
一度崩れると元に戻すのがとても大変になってくる
でもその困難さが生きていることに深みを与えてくれるんだけどね
からだが動くときと
動かないときの差はなんなんだろう
全然違う
人間のからだの
不思議さ
難しさ
そしてすごさ

先週に続き自転車野朗Tさんたちがやってきた
早速最近凝りだしたコーヒーを入れる道具を
テーブルの上に広げている
ひとに入れたくてしかたがないのだろう
お客さんにまで
「どうぞ どうぞ」と配っている
コーヒー入れながら
口やかましい店主のいるお店の話をいろいろしてくれたけど
店をはじめたら話している本人も
そうとうやかましい店主になりそうだ

観光シーズンが近づいてきたけど
いま あまりにも日常が楽しすぎるので
旅に出たいとか思わない
パンを作って
お客さんと会って
サンドバック打ったり
ランニングしたり
ジムに行ったり
とにかく毎日が楽しくてしかたがない
別に運が向いてきてるとか
何もかもうまくいっているからなんかじゃなくて
瞬間瞬間の出来事に
入り込んで
集中して
楽しんでいるからからだと思う
自分にできることは
歩いていくことだけだ
うまくいこうが
いかなかろうが
歩いていくだけだ

久々にパンが残ったけど
明日は土曜日だから捌けるだろう
きょうのライ麦20%はなかなかの味
腰はすこし痛いけど
絶好調だ

最近店でさわやかな音楽が流れていない
こんな音楽ばかりかけていていいのかな
今日かかっていたCD
Sheikh Ahmad  Al-Tuni / the sultan of all munshidin (エジプト)
http://www.youtube.com/watch?v=NbzJhGjAAfE

今週は腰痛が出てトレーニングがほとんどできなかった
練習量増やしたので疲れが出たのだろう
明日羽ばたくためのちょうど良い休養かな

今日かかっていたCD
The House Music  of Afghnistan (アフガニスタン)
http://www.youtube.com/watch?v=NZBlTuNVjdc  (映像)
アフガニスタンの音楽を聴いていると
いろんな国の音楽が入り混じっていて
いま自分はどこの国の音楽を聴いているのか混乱してしまうときがある
パキスタンの音楽や
イランの音楽
ギリシャの音楽
インドの音楽
ひとの行き来は
文化の行き来でもあるんだ
この辺りの国々音楽のすばらしさや面白さは
さまざまの国の文化が影響しあってそして高めあって
できたものなのだろう
そんなことを思っていると
シルクロードのことが知りたくなった
また本が増えてしまう

閉店後やってきた自転車野朗のTさんに
うまいコーヒーを入れてもらった
Tさんはこのところコーヒーにのめり込んでいて
自転車で出かけるときも自転車にコーヒーを入れる道具を積み込んでいるらしい
自転車ののめり込みようを見ていると
行き着く先はコーヒーショップのオーナーか

きょうかかっていたCD
Fanfare Ciocarlia / Radio Pascani
http://www.youtube.com/watch?v=8R6lEytvMLo&feature=related (映像)
http://www.youtube.com/watch?v=aPbOC3A-Z70&feature=related (映像)
ジプシーのブラスバンドはとにかく楽しい
別のバンドだけど今夏日本にやってくる
http://plankton.co.jp/home.html

今年3回目のジム
温かくなってきたことと練習量も増えたことで
からだの動きが変わってきた
でももうちょっと練習量に物足りなさを感じているので
しばらく酒を控えてトレーニングに集中できる環境を整えていこうと思う

店の中に小さな図書館を作りたくて
古本を買い漁った
自分の趣味だけで選んだので
変な本ばかりなんだけど
興味を持ってくれるひとも結構いて
なかなかの盛況ぶり
こういう形でパンを買ってくれたお客さんに
すこしでも還元していきたい
楽しみの還元だ

かなり強い雨のなか
小川町から15KMの道のりを歩いてパンを買いに来た女の子がいた
彼女はアフリカで生まれ育ち
いまは秋田の大学に通っているのだけど
あっちでもカンジキを履いて山の中を歩き回っているそうだ
夏休みには秋田からキャンプしながら自転車で帰ってこようと思っていると言っていた
まだ人間力が失われずにしっかりと残っている
この辺りのひとも高校くらいまでは雨にも雪にも負けずに
毎日徒歩や自転車で学校に通い強く生きているけど
高校を出たとたん自分を守ることに躍起になって
人間力を失ってしまう
人間は砕け 叩きのめされることでしか
前には進めないんだ
きょうは風が強くて寒いけど
負けずにジムに行って来ることにしよう

きょうは勘が冴えたのと運で
まあまあのパンが焼けた
暑くなってくるとひとりでのパン作りはやっはり難しくなってくる
これから更に気温が高くなってきたら
対処していけるだろうか
醗酵のスピードに追いついていけるだろうか
毎年やってくる春夏秋冬を経験するたびに
問題点を発見するのだけど
解決する前にいつも季節は去って行ってしまう

こころが広くなるということは
自分のすべてを受け入れるということではないだろうか
いまの自分を肯定するということではないだろうか
だから自分以外のひとのことも
許せるし受け入れられるんだ

ここしばらく
パンを作っていて
なかなかうまくいかなかったところがあった
毎日毎日「これでどうだ」と
「これならどうだ」と
頭ひねってみたのだけど
どうしてもへんてこりんなパンになってしまう
でもいままでの経験をあれこれ思い出してみて
ようやくうまくいかなかった理由がわかった
パン作りをはじめてすぐのときに
パンがうまく作れていたとしても
それはたまたまうまくいっているだけで
ぜんぜんパンを理解できてはいないと思う
他のこともそうだと思うけど
パン作りはうまくいかないことを経験して
はじめてわかることが出来るのであって
うまくいかないことを通過しないと
次にはいけないんだ
だからうまくいかなくなることを
そんなに恐れることはないのだと思う
うまいパンを作れるようになるうえで
大切なのは隠したり嘘をつくことなく
いまの自分をそのまま出すことだ
うまくいかないことを通過しないと
次にはいけないということがわかってから
自分のこころが広くなった気がする
ひとのやることに腹が立たなくなってきた
こころが広くなってきたら
楽しいことに
いっぱい出会えるようになってきた
まずいパン屋でも
懲りずに通い続ければ
うまいパンに出会えることがあるかもしれないのだ
こころを広く生きていこう!
チャンチャン

平日なのに東京から自転車野朗の夫婦がやってきた
何があったのか
今年は200kmのブルベを数回など自転車に乗りまくっているらしい
来月も300kmのブルベに出るんだけどただ走るんじゃ面白くないから
8インチの自転車で走ると言っていた
夫婦でピンク色の自転車とピンク色の衣装を揃え気合が入っている
今年のふたりはちょっと違うのだ
来月のブルベも8インチの自転車だけでは面白くないと
ピンクのふんどし一丁で走ってくれるんじゃないだろうか

今年2回目のジム
早めに家を出て岡本の『キッチン カンナ』で弁当と小豆のパイを買って
鬼怒川の土手で食べた
ちゃんと手を加えてやれば
食べ物ってこんなに美味しくなるんだということを思い出させてくれた
このところの自分の食事といえば
ちぎった白菜をかじりながらご飯を食べたり
納豆と豆腐をかけたご飯を急いでかきこんだりで
まともなものを食べていなかった
久しぶりのうまい食事はあっという間になくなってしまった
ジムへ行くとデビュー戦間近のSくんがいたのでスパーリング
Sくんとのスパーリングははじめてだったのだけど
手数の多さにびっくりした
4ラウンド手を出しっぱなし
一呼吸する間も与えてくれない
スタミナには自信があったのだけど
このひとには適わないわと思った
3ラウンド目に自分も気合入れなきゃと
出たのだけど気合が長続きするだけのからだがまだできていなかった
後で聞いた話ではSくんは高校時代自転車競技をやっていて
一年生のときにすでに三年生を寄せ付けない走りをしていたそうだ
去年の宇都宮マラソンでは10KMの部で実業団の選手たちに混じって5位に入賞したらしい
そりゃあ
たたものでない心臓のはずだぜ
でもスタミナだけは自分も負けるわけはいかないので
もっとハードな練習をと気合が入った
うまくいかないことや自分の力のなさを感じると
目の前に明かりが灯る
どうやってその壁を乗り越えればいいのか
考えたられたり努力できたり
生きることが楽しくなってくる
悔しいことや悲しいことは
気持ちしだいで希望のひかりに変えられるんだ
このジムにはいろんなタイプの選手がいるので
自分を高めていくにはとても良い環境だ
いろんなタイプの選手とグローブを交えれば
それだけ自分の欠点が浮き出てくることになる
欠点がわからないことには動きようがない
まだまだ強くなれる
残りの人生は
強くなることを最優先に考え
からだを動かしまくる
とにかくどんどん
やることだ
動くことだ
うまくことが運ばなくたって
つまずいて転んで泥だらけになろうとも
どんなときだって
人間は自分を思いきり生きるしかないんだ
それに自分を思いきり生きることだったら
こんな不器用な自分にだって
そしてきっと誰にだって
できる
人生楽しむことを忘れてしまったら
生きてはいけない

季節の変わり目
パン作り難しくなってきた
暖かくなってきたので
醗酵の進みも速くなり
からだと頭を付いていかせるのが大変
毎日クタクタだ

YO-RIさんこと森洋利さんの写真展が近々あります
http://blog.livedoor.jp/ymp1/       (ブログ)
「自然からのメッセージ」  森 洋利写真展 
             2012.3.12(月)-3.24(土)
カフェぶるぅ 
所沢市松葉町29-1 04-2985-5400
11:30~16:30 18:00~23:00(3.18休み)
https://twitter.com/#!/Cafeburuxu
西武新宿線 新所沢駅東口下車 徒歩5分
[期間内イベント]
♪3.16(金)19:30“ YO-RIのGood Music” 
ジャズピアノの名曲名演をご紹介します/選曲と案内:YO-RI
参加無料、要オーダー。ご予約はぶるぅ、または森まで

きょうかかっていたCD
Mapia Anamatepoy / onoy aranas kai onoy rhs (ギリシャ)
http://www.youtube.com/watch?v=6mpWap9qvtU&feature=related  (映像)
自分で作曲をしているというイギリスのお客さんが
「これどこの曲 面白いね 面白いね 」と感心していた
日本人より先にイギリス人がこの音楽に興味を示したのは以外だった
Mapia Anamatepoy がいまのすべてを注ぎ込んだアルバム
このアルバムを超えられる日がいつか来るだろうか
来て欲しい

宇都宮からのお客さんに
豆大福を頂いた
なぜぼくが豆大福を好きなことを知っているのか
いろんなひとからよく豆大福の差し入れがある
きょう頂いた豆大福は塩味の効いた生地で
餡子をくるりと巻いてある珍しいものだった
生地のモチモチ度がすごい
これだけモチモチした生地の大福ははじめて食べた
むかし宇都宮の中心地を歩いていたときに
急に饅頭が食べたくなりさまよったけど
饅頭が売っている店がなかなか見つけられなかったことがあった
よく探せば宇都宮にもおいしい饅頭屋さんがあるんだな
そういえばきのうはジムに行く前によった『きぬたや』で
饅頭を買ったら2つもおまけをしてくれたので
ジムの行き帰りで
8つも饅頭を食べてしまった

今年初めてのジムでの練習
腰を痛めたり
天気が悪かったり
寒さに負けたりで
2ヵ月半ぶりのジム
自転車に乗るのも今年初めてだったので
40数Kmの道のりですでに足の力を使い果たした
ジムに入るとアルティンが来ていたので
軽くグローブを交える
アルティングローブを交えるたびに強くなっている
オレが休んでいる間に試合をしたらしい
デビュー戦の結果は↓
http://www.youtube.com/watch?v=gBZHnt8EdqQ  (試合の模様)
スタミナに難があるけどそれさえ克服できれば
日本チャンピオンになるくらいの力はあるんじゃないかな
体重が同じくらいならスパーリングももっと楽しめるのだけど
さすがにあのパンチをまともにもらったら16オンスのグローブでも
立っている自信はない
きょうのジム行きでわかったことは
まだまだ練習が足りないということそして
練習すればまだまだ強くなれるという感触を得た
何人かとグラブを交えたことで
ようやく正月ボケが抜けて
魂が目覚めた

田んぼの雪はまだ解けずに残っており
美しい風景の中走るのは気持ちがいい
田んぼの中を走っていると用水路に出くわした
何とか飛び越えられるだろうと判断したのだけど
久々に川に転落
何でランニングや自転車に乗っているときに
川に落ちなければならないのかわからないけど
とにかくよく落ちてしまう
落ちたことがあまりに悔しかったので
道路でジャンプの練習をしてから
もう一度同じ場所に戻ってチャレンジしたら
飛び越えられた
悔しさは生きる原動力

きのうの麦ばたけの波おと80(ライ麦80%)と
麦ばたけの波おと40(ライ麦40%)を食べてみたら
このうまさやば過ぎる
この奇跡のようなパンは
自分の感覚だけでは一生かかっても作れないだろう
パン作りには作り手の未熟度によって大きさは変わってくるけど
偶然性の占める部分がかなり大きい
そこが難しいところでもあるけれど
面白いところでもある
いまの自分を超えたパンが出来上がるときがあるんだ

店を終えて犬といっしょに中学校のグランドに行ってきた
道路の雪は解けたけど
グラウンドの雪は解けずにそのまま残っていた
真っ白のグラウンドに光が反射して普段と比べてかなり明るい
ぼくと犬とでザクザク感を独占した
ダッシュを繰り返し幸せな夜だった

朝起きると雪が積もっていた
雪のことなんて頭になかったので驚いた
昨年は大雪や大雨の予報のときにパンを作らなくて
失敗したのできょうは普段通り作り始めたが
なかなか雪が降り止まず大量に売れ残るのを覚悟したけど
お昼過ぎになんとか止んでくれた
パンはかなり売れ残ったけど
明日は日曜日だから捌けるだろう

きょうのカンザスへ20(ライ麦20%)の焼き上がり姿は美しかった
容姿が良いからといってうまいとは限らないのだけど
(容姿が悪くてもうまいときもある)
美しく焼きあがるとうれしくなる
このライ麦20%のパンとライ麦10%のパンは水分量が特に難しくて
いまのところ5回作って3回か4回は売り物にならない
水分を少なくして作れば見た目だけはパンらしく作れるのだけど
自分には美味しいと感じられない
水を生地が耐えられるぎりぎりのところまで入ったときに
自分の中で美味しいと感じられるパンになる
油脂や卵を使わず
粉と水だけでこれだけ水分量の多いパンを作ろうとしているのだから
どのパンもどのパンも難しく
そう簡単に良いパンは作らせてもらえない
でも良くできたときのパンはとてつもないものになるので
これからもモチモチのパンを追求していく

きょうかかっていたCD
Samar Kand&Beynd   (中央アジア)
http://www.youtube.com/watch?v=j8gdz9tGCSY&feature=related  (映像)
あの辺りにはこういうすごいひとたちがごろごろいるのだろうな

このところ仕事やら何やらで
トレーニングの時間を取れなくなってしまうことが多かった
でもたとえ時間が10分しかなかったとしても
その時間をトレーニングに当てれば
満足感が得られるし
気持ちを集中してしっかりやれば
かなりの負荷をからだに与えてやれることがわかった
いまの環境をぼやいていてもストレスが溜まるだけで
状況は何も変わらない
環境を変えるのは難しいかもしれないけど
決意さえすれば自分自身は変えることができるんだ

ここしばらく麦ばたけの波おと60(ライ麦60%)の出来が
あまり良くなかったのだけど原因がわかった
売れ残ってしまうことが多いパンだけど
自分の中ではこのパンがここのエースだと思っている

プレーンなパンがだいぶ美味しくなってきたきた
胡桃やらレーズンやらが入っているパンよりも
いまはプレーンなパンの方が美味しいと感じられるんじゃないだろうか

ひとりでパン屋をやっていると
その他のことに使える時間がわずかしかない
その貴重な時間を大切に使わないと
悔いることになると
残り少ない人生であることに気づいてから
思うようになってきた
だからメールの返事はほとんど返さなくなったし
雑誌の取材やらもあんまり受けなくなった
削るものは削っていかないと
望んでいる生き方は遠のいていくばかりだ

きょうかかっていたCD
Women of Egypt 1924-1931  (エジプト)
http://www.youtube.com/watch?v=LUrb_xwRONo
1924~1931年頃に
活躍していたエジプトの女性たちの音を集めた
かなり楽しめるアルバム
きょうはふたりのお客さんが
「これはどこの曲」と反応した

自然と対等に生きてこそ
自然のすごさを知り尊敬できるようになる
それは人間に対しても同じで
同じ土俵に立ってこそ
そのひとの苦しみ悲しみ喜び
そのひとのやっていることの難しさを知ることができる

ぼくたちは機械や数字やコンピューターや金や組織の奴隷ではない
人間であるということを忘れてはならない

幸福とは過去でも未来でもない
いまだ

暖かくなってきて
すこし動くと汗が流れるようになってきた
そのためかからだの調子も上がってきた
腰にあった違和感もなくなってきたので
そろそろジムに行けそうだ

今日かかっていたCd
Umut Akyurek / Baska Soz Soylemem (トルコ)
曲が進むにつれて頭もからだもトルコになっていく
不思議なアルバム
http://www.youtube.com/watch?v=OzQCVdtCJ88&feature=related (映像)

カザフスタン ウズベキスタン キルギスタンなどなど
中央アジア周辺の音楽に吸い寄せられてしまった
数年前まではあまり好きではないなと感じていたのだけど
耳になじんでくると離れられなくなる
伸びのある歌声やドンブラなどの楽器の音色
どこまでも続く空と草原
歌声と音色が空を突き抜けて一直線に駆けていく
これくらいのエネルギーで挑んでいかないと
あのでかいでかい大自然に負けてしまうのだろう
人間は大自然にとうてい敵うことはないけれど
それがわかっていても挑んでいかなければならないんだ
自然と共に生きるとはそういうことだ
常に対等でなければならない
チェーンソーやパワーシャベルでちょちょいのちょいでいい気になるな
自分自身(人間)の持っている能力をフルに使って挑んでこそ
自然と一体になれるんだ
対等になれるんだ
そして対等であるからこそ
自然のすごさを知り
自然を尊敬することが出来るんだ
しばらくこの音楽にのめり込んで行こうと思う
もうCDもあまり買うことないだろうと思っていたけど
聴いてみたい音源がいっぱい出てきた
興味があるものに出会ったら
飛び込んでいった方がいいということがこの歳になってだんだんわかってきた
明日仕事があるからとか
レールを踏み外したくないからなんていっていたら
真の喜びや楽しみなんて永遠に得られない
ぼくたちは人間であるということを忘れてはならない
痛いことや苦しいことを避けようと
やりたいことをやらないで
いい子に見られようと自分を誤魔化したり
演じたりでは
笑って死んでいけない
ひとに笑われようが
バカにされようが
自分のやりたいことをやりぬいてこそ
「生きているぞ~」ってこころから叫べるんだ
うまく出来なかろうが
ひとに評価されなかろうが
ひとに何言われようが
そんなことはやりたいことをやっている歓びに比べたら
なんのことはない
http://www.youtube.com/watch?v=ZXqX891cuXo&NR=1&feature=endscreen (映像)
http://www.youtube.com/watch?v=ATBNKmC_SG0&feature=related (映像)

イランの伝統音楽について詳しく書かれているサイトを見つけた
かなり楽しめる 音も聴けるよ
http://japanese.irib.ir/index.php?option=com_content&view=category&id=54&Itemid=134

今日かかっていたCD
Kazakh music today (カザフスタン)
1000円で売ってなかったら買わなかったであろうアルバム
全然期待していなかったのだけどこれがものすごく良かった
この周辺の中央アジアやアゼルバイジャンやアラブ音楽などを
もう一度見直してみるきっかけになった
この辺りはすばらしい音楽のすばらしい演奏家の宝庫だ
例えばこんな人たち
Salamat Sadikova (キルギス)
http://www.youtube.com/watch?v=6S_vr2hNpMo (映像)
muhammad qadri dalal  (シリア)
http://www.youtube.com/watch?v=r9yzeY-uL3I&feature=related (映像)
Aicha Redouane (モロッコ)
http://www.youtube.com/watch?v=TdV-2jQ3D9c&feature=related  (映像)

傷ついたり苦しむことから
自分を守る努力ばかりしていたら
何にもできやしない
虚しさが募るだけだ
本当に守らなきゃいけないのは
そんなものじゃない
自分はどうしたいという
打算も見栄も嘘もない
純粋な思いだ

うまく出来なかったことを悔やんでいても
歳をとったとぼやいていても
いまの状況や環境を憾んでみても
何かが変わるわけではない
時間だけが過ぎていく
何かを始めるのに遅すぎるということはない
転んだなら
立ち上がって
また歩き出せばいい
やりたいことがあるなら
いまからはじめればいい
どんな状況だろうと
どんな環境だろうと
やるか
やらないか
問題はそれだけだ
人生はいつだって
ここからだ
勇気を出して一歩踏み出しさえしてみれば
いつだって胸はときめき踊りだす

今日かかっていたCD
常味裕司 /光輝く街
http://www.youtube.com/watch?v=-VgMZjczdz0&feature=related  (映像)
http://www.youtube.com/watch?v=VyZ5mUDxZus&feature=related   (映像)
数年前に奈良の東大寺で『無形文化遺産の未来』というイベントがあり
そこにアゼルバイジャンのAlim Qasimovが出演するというので
http://www.youtube.com/watch?v=FzsV7xLuOtc  (映像)
出かけたときに
ちょうど近くでライブをやっていたので聴きに行ったのが
常味さんとのはじめての出会いだった
頭の中がぐっちゃぐっちゃになってしまう音楽があの頃から
自分の中でしっくりとくるようになった

うまくなんて出来なくても
何歳になろうとも
やりたいことがあるなら
やればいいんだ
何かやるのに遅すぎるということはないし
下手なひとはやってはいけないなんてことは決まりはどこにもない
うまくできたかどうかなんてことじゃなく
ひとに認められたかどうかなんてことでもなく
短い人生
最後に満足できるかどうかは
人生楽しむことができたかどうかで決まるし
やりたいと思ったことをやることができたかどうかで決まるし
自分のこころを無視することなく
忠実に生きられたかということで決まるんだ

きょうかかっていたCD
Orchestra Baobab / A night at baobab (セネガル)
http://www.youtube.com/watch?v=aE6aCm41aPU
何年か前このひとたちが来日したとき
最前列で舞台にかじりついて観ていたのだけど
ライブ中は至福のときだった
曲と曲の間に話もなく
すばらし過ぎる曲がこれでもかもれでもかと
続けざまに投げかけられてくる
一曲一曲にものすごいエネルギーが込められていて
聴く方も大変なエネルギーがいり
スタンディングということもあり後半は聴いている方もフラフラだった
終わったときはもう何もしたくなかったのだけど
地方に住んでいる辛さ
余韻に浸りうっとりするなんてこともなく
最終の新幹線目指して猛ダッシュ

過去を引きずっていても
過去が変わることはないし
戻ってくることもない
結局いまを生きていくしかないのなら
嫌な出来事も
去っていったひとのことの
ぜんぶ忘れて
きょう
この瞬間を
おもいきり楽しんで
生きていこうぜ
いまを
作っていこうぜ

なんなんだ
この寒さは
夜のランニングはじめなんて
俺このまま凍りついて死んでしまうんじゃないかとちょっと怖くなる
この寒い中 カレー屋さん(shandi nivas cafe)夫婦は
毎週宇都宮二荒山神社前で開かれているマルシェに出店しているそうだ
太陽が沈んだ夕方5時~夜の9時まで
これはもう我慢大会だろう
自分も昼間だけど冬に外でパンを売っていた経験があるのだけど
冬じっと同じ場所に立っているのは本当に寒い
お客さんが来ないときなんてこころも冷えてくるから
尚更だ

人間はみんなひとりだ
孤独を感じないひとなんていない
だから心配しないで
何かで誤魔化すことなんてやめて
孤独といっしょに生きようぜ
孤独であるということは
自由であるということだ
怖くたって
からだ中に巻きついた重たいロープを断ち切って
自分の翼で飛び立ってみよう
行き先を決めるのはもちろん自分だ
自由であるということは
すべてが自分に跳ね返ってくるということ
そしてそれらをすべて受け入れなくてはいけないということ
一瞬先の世界は
しょう便ちびっちまいそうなくらい怖いけど
脳みそふっ飛んでしまうくらいの
歓びが待っていてくれるだろう

外に出ると空気がギンギンに冷えている
からだが凍りついて死んでしまうのではないかという恐怖に駆られたけど
エイヤァーと走りにいった
すこしずつからだが温まってきて
気持ちよくなってくる
やってよかったと走りながらこころはにっこり
からだを動かすことが何よりいちばん大好きな自分にとって
ランニングをしたりサンドバックを叩いたりしているときが
生きていることを感じられる唯一のときだ
寒くて寒くて走るのをやめて布団にもぐってしまうこともあったけど
自分を護ろうとしているときはやっぱり面白さがない
苦しみたくない
傷つきたくない
そういって自分のこころを無視して
やりたいことをやらなければ
虚しさを残して時間だけが過ぎていく
自分なんてぶっ壊してしまえという気持ちで
勇気を出して
自分のこころをおもいきりぶつけていけば
たとえ失敗したとしても
うまくいかなかったとしても
そこには必ず最高に楽しい時が待っていてくれる
苦しくても
痛くても
一歩一歩足を踏み出していれば
こころは満たされていく
自分がいちばん大好きなことは
やめてはいけないのだと思う
いつまでも いつまでも
大切にしていかなければならないのだと思う

青年海外協力隊員として
20年近くアフリカ(タンザニア マダガスカル エチオピア)で暮らしていたという方が
親指ピアノとCDを貸してくれた
アフリカのディスコではザイールの音楽がよくかかっているとのこと
そしてそれより何よりアフリカではレゲエの方が人気があるらしい
きょうかかっていたCD 
Franco&le tpok jazz /FRACO phonic (コンゴ)
http://www.youtube.com/watch?v=7hiHo98hh3c&feature=related (映像)

薬師寺の五重塔をはじめて自分の目で見たとき
こんなすごいものが作れてしまうなんて
人間の持っている能力ってすごいと思った
その能力を使うことなく終わってしまうなんてもったいない
オレもそろそろ本気出すかな
宮大工 西岡常一の遺言
映画 『鬼に訊け』
http://www.youtube.com/watch?v=fydWcQLpVtE (予告映像)
http://www.oninikike.com/    (ホームページ)

きょうかかっていたCD
JOSE ANTONIO MENDE
You Tubeの映像を観て10秒で好きになった歌手
ラテン音楽でもブラジル音楽には惹かれないのだけど
キューバ音楽にはググッときてしまう
http://www.youtube.com/watch?v=1_0T4AX5kOk   (映像)

経験すればするほど
難しさをからだで感じることが出来る
人生はすべてそう
だからひとは歳を重ねるほど
こころが広くなっていくのだろう

パン作り
冬の寒さに対応できるようになってきた
この冬のパンの出来はいまがピーク
季節が春に向かって行けば
また季節の後を追うことになる
ずっと季節と併走することはできないけど
年数を重ねれるほどピーク時を長く延ばすことが出来るようになると思う

ひとり黙々と走る時間が好きになってきた
いろいろとわかってきただろうか
歳をとって余裕が持てるようになったのか
ボクシングやパン作り ランニングなどをやることが
昔より楽しくなってきた

今年はパン作りでさっそく
「なるほど こういうことだったのか」という発見があった
かなり大きな発見をふたつ
続けていれば
上達がある
いまがダメでも諦めないこと

時期が来ないと見えてこないことがある
どんなに単純なことでも
どんなに簡単なことでも
ある時期が来ないと見えてこない
経験を積んでこそ見えてくるもの

最近すこし作る回数が減ってきたライ麦20%(カンザスへ20)に
冷えた無塩バターをたっぷりとのせ食べてみた
バターの偉大さ
うま過ぎる
油を食べるとウォッカみたいな強い酒が欲しくなる

ひとの目を気にして
やりたいことやらないで虚しくなるなんて
ただバカバカしいだけだ
いつだってぼくは満足できる道を歩いていく
胸張って歩いていく
自分のこころに従ってチャレンジしているなら
いつだって
どんな状況のときだって
胸張って歩いていける
失敗したときだって
うまくことが運ばないときだって
ひとにどんな評価されたって
胸張って歩いていける

ひとの目気にしていたら
いつまで経っても
場所を変えても
やること変えても
何も変わらない
ひとの目なんて
やっぱりグチャグチャに丸めてポイ
なによりまずそれが先だ

怖くても
その先を越えて行けるか行けないか
決意さえすれば
喜びはもうすぐそこだ

何歳になろうが
真の喜びを追い求めればいいんだ
我慢なんて
グチャグチャに丸めてポイだ

きょうかかっていたCD
liturgies musicales du pakistan
2曲目が強烈
http://www.youtube.com/watch?v=f8Gg8gBb7gY  ←うたっているのはこの人(映像)

モチモチの平焼き(レーズン)がひとつだけ余ったので
久しぶりに食べて見たら
きょうは最高の出来
1917もきょうはまあまあの出来だった

店が終えてランニングをしていると
乗用車の男性から呼び止められた
『アトラス』という斎場の場所を尋ねられた
その辺りには斎場が2ヵ所あって
どっちがアトラスだったか確信できなかったのだけど
たしかあっちだったよなという方を教えたら
だいたいいつものごとく逆だった
大丈夫だったかな
ご焼香前に気づいてくれていればいいのだけど
でもまあ仕方がない
オレに場所を聞いたのが間違えだったんだ

10年くらい経った頃
ようやくカマを使いこなせるようになった
使いこなせるようになってわかったのだけど
パンを焼くには(特にハード系の大きいパンを焼くには)
最低のカマだ
性能を信じれば間違いなく焦げてしまうし皮もパリッとさせることができない
どうすれば焦げずに焼けるか
どうすれば中の蒸気が抜けるか
苦しみ考え続けた10年だった
でも最低のカマだって工夫さえすればどうにかなる
それがわかることができたのは大きな収穫だ
作業場にある機械のほとんどはしっかり機能していないんだから
冷蔵庫は冷却機能を完全に失っているし
ホイロは湿度調整機能喪失しているし
ミキサーは回らない

きょうかかっていたCD
Mesut Cemil  / Early Recordings (トルコ)
http://www.youtube.com/watch?v=BbrjxgCp7Xg&feature=related
今夜の店のBGMにピッタリだった

隙間だらけの作業場なので
冬の朝は相当冷える
あんまり気温が低すぎると
パンがうまくいかないので
(昨年はこれでだいぶ失敗した)
夜10時頃から2時間ばかりカマの電源を入れている
良いパンを作ろうとすると
だんだん身動きが取れなくなってくる

今日かかっていたCD
Denis Cuniot / confidentiel klezmer
http://www.youtube.com/watch?v=jofyxu-F51s (映像)
クレズマー音楽ははじめて聴く曲でもクレズマーだとわかる
それは何か特徴があるからなんだろうけど
その特徴がなんなのかまだわからないし表現できない
もしかしたらそれがわからないから
聴いていて気持ちよくいられるのかもしれない

塩原温泉に湯めぐり手形なるものがあることを教えてもらった
http://www.siobara.or.jp/tegata.stm
それを持っていると最初の一軒目の温泉が無料になり
しかも1年間加入している25軒のホテル・旅館の入浴料が半額になるという
値段は900円
最初に入浴料金1000円のところに行ってしまえば元は取れてしまうという
恐ろしい手形だ

イカの三五八漬けを食べさせてもらった
三五八なんて言葉はじめて聞いたので
はじめはなんのことだかわからなかったのだけど
三(塩)・五(米麹)・八(米)の割合で混ぜ合わせてつくられる漬け床のことだそうだ
これが自分の好みの味でものすごくうまかった
こんなのがあったら酒が何本あっても足りないぜ

たまに甘いものが食べたくなったら
酒粕を買ってきて
酒粕に酒と蜂蜜をかけてから
すこし温めて軟らかくして
黄粉をかけて食べている
こういう野暮ったい食べ物が好き

正月に昔の使っていたパンの配合を書いたノートが出てきたので
10年ぶりくらいで蜂蜜と牛乳を使ったパン(プーのお気に入り)を作ってみた
生地を触った感覚や生地の硬さは覚えていなかったのだけど
昔と同じような味を出すことができた
今回もそうだしこの前のブリオッシュ(カリフォルニアの青い空)もそうなんだけど
作り方をまったく忘れてしまっていたので
昔作っていたパンをたまには作ってみようと思う

学生時代
東京築地の木村家ペストリーショップというパン屋でアルバイトをしていた
自分のパンを作りはじめてみて
先代の偉大さに気づいた
もう亡くなってしまったのだけど
あのひとのパンや菓子に対する発想力 センスには
これから死ぬまでパンを作り続けてもぜったい敵わない

パン作りは年数を重ねるほどに
難しいものだということがわかってくる
わかることも増えてくるのだけど
わからないことも増えてくる
なんだかわからないけどうまくいっちゃっている
始めはそんな感じでやっているんだけど
失敗して初めて分かっていなかったことに気づく
その後ようやく理解できるようになるんだけど
その繰り返しだ

この前うまく作ることができなかったので
軟らかめのブリオッシュにもう一度挑戦してみたけど
醗酵をとる時間がなくなってしまったので
ちょっとだけ醗酵させてクッキーにしてしまった
でも生地はかなり良くできていたと思う

きょうかかっていたCD
Om Kolthoum / Enta Omry (エジプト)
http://www.youtube.com/watch?v=hzRMbCuO_ts  (視聴できます)
このひとの曲は前奏がものすごく長いのだけど
この曲の前奏はそれだけで終わってしまっても満足できるくらいカッコイイ

きょうも何種類かのパンをダメにしてしまった
注意力のなさは死ぬまで治らないだろう
もっと注意できればミスももうちょっと少なくできるのだけどなあ
オープン時にパンの種類が少ないときは
だいたい注意力のなさから判断を誤りダメにしてしまったときだ
そのほとんどは微妙な判断が必要なときに
全然考えることなしに
「何とかなるさ」とそのまま進めてしまった結果だ
何とかしようと思わなければ
何とかはならないんだ
それは理解できたけど
それができるかどうかは別問題だ

自転車野朗の夫婦がやってきた
からだを見ると相変わらず食べているようだ
戦時中や戦争直後でもないのに
この夫婦は
起きている間は一日中食べることを考えている
しかも食べ物に飢えているからじゃなくて
1日に4食も5食も食べているというのに
このふたりは
宮沢賢治の雨ニモマケズも風ニモマケズもとはまったく逆の暮らしをしている
雨の日や風の日は間違っても自転車には乗らないし
隣の部屋の犬がギャンギャン吠えれば
すぐさま飛び出して
隣の部屋のドアを叩いて「うるせぇ~」と怒鳴るし
1日に玄米四合と味噌とちょっとの野菜だけなんて笑わせるなという感じだし
大晦日は食って寝る前に除夜の鐘に耳を傾けて
煩悩を祓ってもらいましょう
ぼくも宮沢賢治の雨ニモマケズも風ニモマケズのような生き方は
御免だけど

正月休みは酒を飲み始めたら
止まらなくなり
朝も夜もずっと飲んでいた
朝の日本酒はつくづくうまいと思った

正月は腰を痛める前に
考えていたほどのトレーニングはこなせなかったけど
体力が落ちているなりに満足いくトレーニングができた  

また懲りずにテレビの取材を受けてしまった
断っても断っても
「そこを何とか」と食い下がってくるので
地方TVの放送だけで見るひともいないだろうから
まあいいかと承諾したのだけど
放送終了3週間経ったいまも本当に何の反響もない
雑誌や新聞で取り上げられたときは
もう次の日から「読んだよ」というお客さんがやってくるのだけど
今回は3週間たったいまもひとりもそういうお客さんが現れない
金曜日の午後7時栃木TVでは観るひともいるまい
栃木TV以外でも三重滋賀埼玉千葉京都神奈川兵庫で放送されたそうだ

軟らかめのブリオッシュは2日目がとても美味しかった
思っていた味は出せなかったのだけど
面白い味になった
昔の味が思い出せないのだけど
近々もう一度挑戦してみようと思っている
捏ねるのに1時間
一時醗酵に13時間
最終醗酵に6時間
そうちょくちょく作る気にはなれないけど
たまに作るのは楽しいもんだ

固めのブリオッシュの方は思っていたような味を出せた
甘みがちょっと強い気もするので
今度作るときはもう少し砂糖の量を減らしてみてもよいかなと思っている
甘いなと感じる人はクリームチーズをのせて食べてください
今回は白い砂糖で作ったけど黒糖を使ってもまたちょっと違った美味しさになる

3連休最終日は朝仕込みを始めようと
ライ麦の酵母が入っている容器を明けたらびっくり
酵母に粉と水がかかった状態のままになっている
きのうの夜捏ねてやったつもりだったんだけど
捏ねられていなかった
粉と水までかけておいて捏ねるのを忘れて
醗酵室に入れてしまうなんて
普通のひとにはありえないことかもしれないけど
自分はこれで3度目だ
しばらく固まってしまったけど
あたふたしてもどうにもならないので
ライ麦酵母のパンは止めて
小麦酵母のパンだけを作った
ライ麦酵母のパンを作らない分時間ができたので
自転車でブラブラして酒屋で正月休みようの酒を買って帰ってきた
クリスマスサンタはいまぼくがいちばん望んでいたもの
『休息』と『酒』をプレゼントしてくれた

軟らかめのブリオッシュは
パンというより
軟らかめのクッキーのようになってしまった
でもそれはそれでうまかった

腰が痛くてトレーニングができないので
クリスマスも近いことだし
久しぶりにブリオッシュを仕込んでいる
もう何年も作っていないので
うまくできるかわからないけど
うまく作れたら24日に販売しようと思っている
軟らかめのブリオッシュと
硬めのブリオッシュ(バターケーキに近い)の2種類

インド料理屋「あいかけん」のライチさんは
店をはじめて半年もたっていないというのに
「2週間くらいインドに行ってきます」と言って
インドに旅立った
ちょうどチェンナイで『ミュージックシーズン』というイベントがあって
一ヶ月間インドのあっちこっちでコンサートが開かれているらしい
羨ましすぎるぜ

柿と牡蠣のイントネーションの違いがわからない
おそらく栃木の95%以上のひとはわかっていないと思う

どうすれば人の顔が憶えられるのだろう
お客さんの顔が全然憶えられない

今年は呪われているんじゃないかと思ってしまうくらい
次から次へと目の前に障害物が現れてきたけど
ひとつひとつ障害を乗り越えたりかわしたり
ぶつかって転倒しながら大きくなっていき
一年まえに比べたらひと回りもふた回りも大きくなった

懐中電灯のことを
きょうまでずっとかいちゅうでんとと言っていた

朝のランニングは短いダッシュをいっぱいやった
電柱から次の電柱へ全力で走ったら
次の電柱まではゆっくりと
まだまだ心臓は出来上がっていないけど
病気が治ってすぐの頃に比べたら
かなり回復している
 ジムでは軽くマスボクシング
やはりひとり
イメージだけでのトレーニングでは限界がある
生のパンチ
生の動きはやはり違う
きょうは生の動きを体感できたので
イメージをすこしだけ現実に近づけることができる
なかなかジムへは行くことができないので
これを繰り返していくしかない
 ジムの帰り自転車に鞄を取り付けていたら
腰に嫌な痛み
なんとか帰ることができたけど
明日は動けるだろうか
今年いっぱいもってくれればいいが

きのうは朝 計量しようと
はかりの電源を入れたら故障していた
びっくり
きょうはジムに行く途中自転車のライトをどこかで落としてしまった
近くのホームセンターで間に合わせで買ったそこのプライベートブランドの品なんだけど
自転車のライトには使わないでくださいと注意書きした方が良いくらいのライトだった
そのあと暗くなってきたのでライトが売っていそうな大きな店に入ったけど
自転車のライトが売っていなくて懐中電灯でまた間に合わせ
その懐中電灯がちょうど落としたライトのホルダーにぴったり合ったので
ホルダーにはめ込んで走っていたら突然落ちやがった
アスファルトにぶつかってバラバラ
今年はこんなことばっかりだ

練習がどんなもんだか思い出した
ここ数年「楽」を覚えてしまい
「楽」から抜け出せなくなっていた
ひとりトレーニングも楽しめるようになってきた
ひとりのときはある程度気合を入れてやらないと
楽しむことはできないんだ
1年後の自分はちょっと違うぞ
風邪で3週間寝込んで
体力があそこまで落ちていなければ
これから先もダラダラの練習を続けていたかもしれない

今日かかっていたCD
Groupa (スウェーデン)/ fjalar
http://www.youtube.com/watch?v=Wvlqjxx_HdQ&feature=related (映像)
久しぶりに聴いてみたらとても面白いアルバムだった
冬に寒い地方の音楽を聴くと気分がポカポカしてくるのはなぜだろう

腰 右腕の付け根 右手中指の爪と指の間を負傷
指以外は原因不明
パンを捏ね終わると
もうクタクタガクガクフラフラ

押しライ麦の食パンは焼かないで
サンドウィッチにして食べると美味しいと思っていたけど
トーストしてもいける

今日かかっていたCD
sagskara (スウェーデン) / apelgra
http://www.youtube.com/watch?v=_OXs5upHF48 (映像)

きょうはトレーニング休み
ジムから帰るときは熱が冷めず
「明日もからだを動かすぞ~」と思うのだけど
ジムに行った次の日はとてもからだを動かせる状態じゃなくなっている
特に久しぶりに行ったときは
きょうは店を終えてから
風呂に浸かって温まってから
本を読みながらゆっくりご飯を食べ
ひと眠り
もうちょっとゆっくりできるかなあと思っていたけど
思っていたより早く夜の仕込みの時間になってしまった
そのまま眠りにつければ最高なんだけど
バタン キューで眠れるには次の定休日まで待たなければならないのだ

3週間ぶりのジム
今年は全然ジムに行けなかったな
5ラウンド軽くグローブを交える
すこし走り込めるようになってきたので
もう少しうがけるかなと思っていたのだけど
2ラウンドの途中で息が上がってくる
だけどこのところずっと練習していたことが
すこしだけど出すことができた
手ごたえありだ
もっと練習すれば
まだまだ良くなる
できなかったことができるようになる喜び
これがあるからやめられない
 腰が重くなってきて
機敏な動きをするのがきつくなってきたので
これも克服しなければ次にはいけない
正月休みはからだ動かして動かして
へロヘロになるまで動かし続けるぞ
生きようという思いがあれば
いつまで経とうが
どんなことになろうが
終わりにはならない
うまくいっているときだって
うまくいかないときだって
いつだって
どんなときだって
ここからなんだ

人生で
どんな過ちを犯そうが
それは恥ずかしいことじゃない
いつだって胸を張って歩いていけばいいんだ

きょうかかっていたCD
Hossein Alizadeh&Djivan Gasparyan (イラン)
http://www.youtube.com/watch?v=XnsK8pFIH0o  (映像

いつも土日はカマだしやカマ入れを忘れてしまったり
水分を多くしすぎたりで一種類二種類パンをダメにしてしまうのだけど
きょうはすべてのパンを無事に焼き上げることができた
外に目をやると
今年いちばんの美しい夕焼け
坂を下りて山をバックに夕焼けを堪能したかったけど
お客さんが続けざまにやってくる
その分きょうは夜空を眺めた

きょうかかっていたCD 
Paddy Glackinn & Micheal o Domhnail (アイルランド)  / athchuait
http://www.youtube.com/watch?v=1T6jREgmQeg  (映像)
Micheal o Domhnailはアイルランドの男性歌手のなかでは
いちばん好きなのだけどMick Hanlyとのアルバムは買い逃してしまった

ちょっとだけダッシュができるようになった
まだまだからだが重いけど
これで細胞の一つ一つが起きだしてくれれば

午前中の仕込み時
いちばん大事なところ
いちばん気を使うところで
郵便屋が来やがった
「税金のかかる荷物なんですけど」と店に入ってきたが
とても対応なんかしている余裕がないので
不在票を書いてもらって帰ってもらったのだけど
そこで完全に集中力が切れしまった
感覚がつかめない
数回深呼吸をして何とか集中力を取り戻したけど
午前中の仕込みのときだけでも邪魔が入ることなく
集中できればうれしいのだけどそうもいかない
いままでは問屋さんが直接材料を配達してくれたのだけど
数年前からガソリンの高騰やもろもろの理由で
クロネコが材料を持ってくるようになってしまった
それも代金引換だから困ってしまう
ただでさえ人一倍集中力がないのに
仕込み中人が来てしまうと
どうにもならなくなってしまう



勝たなくたっていい
ただ
いま
この人生を
おもいきり
楽しみたいんだ
こころのままに生きてみたいんだ

できるか
できないか
うまいか
うまくないか
それだけですべてが決まってしまう世界
これから先ぼくはそんな世界の中で絶対に生きていかない
   ぼくだって
   キャッチャーミットに向かって
   おもいきり投げ込みたいんだ
   バッターボックスに入って
   おもいきりバットを振りたいんだ
   へたくそだけど
   野球がやりたいんだ

「がんばろう」って気合を入れるより
「たのしもう」って思ってことに当たった方が
力が湧いてくるような気がする

きょうかかっていたCD
Abida Parveen (パキスタン) / visl
http://www.youtube.com/watch?v=IH8BgubvXWM  (映像)

鳥のささ身でオープンサンド
きょうもしみじみパンがうまい
自分で手間隙かけて作ったパンだから
うまさも50%増しだ
それなので他のパン屋のパンなんて食べられないんだ

受け入れたくないような
苦しみや悲しみも
少しずつ日々の喜びが薄めてくれる
とにかく歩き出すことだ
一歩一歩足を前に出して
歩き出すことだ
落ち込んだまま
何もしないでじっと止まったままでいれば
すぐに
爺さん
婆さんだ
どんなに苦しくても
どんなに悲しくても
生きていれば
喜べる日がやってくる
自分の足を踏み出す勇気
弾けちまえ
楽しんじまえ
ほっぺグイッと上げて
一歩足を踏み出せば
また世界は動き出す



きょうは30分の寝坊
ラジオをつけたら地震があったとのこと
ちょうど自分が起きた時刻だから
地震があってくれたおかげで起きられたのかもしれない
いつもより30分遅いスタートだけど
1時間で追いついた
いつもはじめの一時間くらいは半分寝ながらの作業だから
ちょっと気合を入れればなんとかなってしまうんだ
ひさしぶりに一度も目を覚まさずに5時間眠り続けることができた

きょうかかっていたCD
iran / musique persane (イラン)
http://www.youtube.com/watch?v=FofEqAYdHWw
http://www.youtube.com/watch?v=i5pcwnwuDUw&feature=related

ぼくの人生に
失敗はつきものだ
でも失敗は文字のように
失うものでも
敗れることでもないんだ
失敗はぼくにとって
材料であり
生への起爆剤
実は自分失敗コレクターだったのだ
失敗する秘訣は
とにかく挑戦することだ

パンは野菜つくりと同じで
出来上がるまで
どう転ぶかわからないというところが面白い
だから自分を完全に超えているパンができるときもある
自分の頭の中にあるパンの知識を超えているパン
自分がいままで食べてきたパンを超えたパン
おととい焼いたパンがそうだった
「条件さえ良ければこれだけうまいパンができるのか」という驚きと感動
これがあるからパン作りはやめられない
きのうのライ麦30%の平焼きパンは過去最高のもちもち感
これも自分を超えたパンだ
自分を超えたパンといっても
何もしないで超えられる訳ではないんじゃないか
失敗に失敗を重ねたからこそ得られることだと思う
そんなすごいパンは
また作ろうと思ってすぐできる訳ではないけど
そのパンが目標になって
いつか追いついての繰り返し
自分は転ぶことででかくなっていく男









雨が降り出す前に
走りに出た
冷たい北風がぴゅーぴゅー吹いていたけど
湿った空気だったので咳が出ることなく
快調 快調
銀杏並木から黄色く輝く葉っぱが
ドバドバドバという勢いで
舞い落ちてくる
歩道は一面黄色の世界
ザバーーザバーーと波打っている

ここのパンをスライスしないで
齧りついて食べていたという女性(年齢不詳30代後半~40代か?)が現れた
「この前買ったときに入れてくれた薄くスライスされたパンを食べて
スライスした方が美味しいことに気づいたんですよ」だって
よくライ麦40%(麦ばたけの波おと)やライ麦80%のパンを
噛み切れたと思う
むかしうちの犬が大きいままのライ麦40%のパンを
歯茎から血を流しながら齧りついている姿を思い出してしまった

店を終えて
走りに行ってきた
まだ5KMを走るのがやっと
3週間の風邪引きで体力が落ちたのと
ここ何日か走ったことによる筋肉痛と疲れ
そして風邪は抜けていったのだけど
慢性化してしまった冬の咳で
走るのが本当にきつい
だからといって走るのという行為を止めてしまったら
人生はそうとうつまらないものになるだろう
苦しさや痛みを排除して生きようと思えば
それはそれなりの人生にしかならない
やりたいと思うことをやるときには
苦しみや痛みが伴うものなんだ

うまくいっているときも
うまくいっていないときも
隠すことなんてなくて
すべてをさらけ出して
そのままの自分を生きればいいんだ
フラフラ
ヨレヨレになりながらも生きる姿は
格好悪いいことじゃない
これから起こるであろう苦しいことも
感じるであろう痛みも覚悟の上で
やりたいことに飛び込んでいって
傷つき苦しみながら楽しんで生きていければ
人生はいつだって最高だ
楽しもうと思ったものだけが
人生を楽しむことができるんだ

格好を気にして
やりたいことをやらないことは格好悪いと思うけど
うまくできなくても
のたうちまわりながらでも
そのまんまの自分を生きている姿をみて
ぼくは格好いいなと思う

ライ麦10%のパンを食べた
このパンにも名前があって
カンザスへ10と言う
映画『オズの魔法使い』で主人公のドロシーの住んでいるのが
カンザスでそこからとった(本は未読)
『オズの魔法使い』を観てない方はぜひ観てね
幸福も度胸も考える力もひとを思う気持ちも
与えられるものなんかじゃなくて
自分の中にあるものなんだということを
思い起こさせてくれる映画だ
いつかどこかで
なんかじゃなくて
カンザスなんだ
いまここになければ
いつかどこかにだって
ありはしないんだ

久しぶりにライ麦30%の平焼き(ひまわり)を
食べたらいい味だった
パン生地は勝手に美味く育っていくんだ
不味くなってしまったときは
人間が余計なことをしてしまっているんだ
それはわかっているけど
パン生地の醗酵や熟成のことは
ちっともわかっていないから
余計なことをやっちゃうんだな

山型の食パンの端っこを切って
軽くトーストしクリームチーズをのっけて食べた
バリバリの皮がうまい
なまけもののパン屋の山食の皮はパリパリではなくて
バリバリなのだ
このパンの名前は那須だけの高さからとった
1917と書いてヒクイナと呼ぶのだけど
いつの頃からかわからないが
1917メートルから2メートル縮んでしまい
1915メートルになってしまったので
1917改めバリバリ野郎と呼ぼうかと思っている

うまくいこうが
いかなかろうが
やってみないことには
何もつかめない
喜びも
感動も
気づきも
満足も
やってみりゃいいんだ
うまくいこうが
いかなかろうが
人生なんて
泥の中を
這いつくばって
進んでいくように
生きなければ
真の喜びなんて得られない

からだは正直だ
体力が落ちれば
動いてくれない
パン作り
お客さんへの対応
ランニング
ひとつこなすごとに
ぐったりと疲れる
頭もいつもよりぼーっとしている
きょうはライ麦40%の平たいパンをカマから出し忘れて
真っ黒けにしてしまった
2ヶ月前もまったく同じことをやっているんだけど
カマから出した映像はしっかりとあるのに
パンはカマの中
これってどういうことなんだろう
一日終わると
疲れて
フラフラになってしまうけど
決して嫌な疲れではない


三週間ぶりのジム
スパーリングはさすがに動けず
何もできないまま終わった
体力が戻るには
今年いっぱいかかるかな
焦らずに
楽しむ
スパーリングで
底を見て
スイッチが入った
またひとまわりでかくなるのだ
面白くなってきたぞ

きょうのライ麦10%のパンは最高~
旨みがギューッと詰まっている
野菜たっぷりのスクランブルエッグをのせて食べる
ライ麦80%のひまわり入りのパンもなかなかだった
クリームチーズをたっぷり塗って八戸沖秋さばの超高級さば缶をのせ
マヨネーズをちょこっとたらして食べた
ここのパンはそのまま食べてしまったら
一枚食べるのがやっとだけど
パンにピッタリのものをのせて食べると
10枚くらいぺろっといけてしまう
こういうパンはいまどきなかなか流行らないけど
自分はこういうパンを作り続ける
やっぱりひと手間ふた手間かけて
食べた方が人生が豊かになるもん
手間を省くことが必ずしも時間を無駄にしないということとイコールにはならない
もしかしたら手間をかけることの方が時間を無駄にしないことと
イコールの関係になることが多いはずだよ

ようやく風邪が抜けた
3週間もかかったので
もしかしたら風邪ではなくて
いまちょっとした流行の
なにたら肺炎だったのかもしれない
面白いことに
病気が抜けていったら
鏡で見る自分の顔が変化したこと
「そういえば こういう顔だったな」と懐かしく
自分の顔を眺めた
病気のときのときの顔ってあるんだな

病気のときは
気持ちが沈んでいく
焦らず
ゆっくりと過ごしていこうと思う
きょうも楽しくいい一日だった

美しさも
醜さも
愛も
憎しみも
喜びも
悲しみも
ありとあらゆるものすべてのものが
ひとりの人間の中に存在している
どんな人間の中にも
だからきっと人間は許し合いながらじゃないと生きてはいけない
汚いものや
できの悪いものを
切り捨てるような生き方は
自分自身の存在を否定することでもあるのではないか

ひとはひとりひとり
どんなひとでも
苦しみや悲しみ
重い重い何かを背負いながら
生きている
それだけで
尊敬できる存在ではないか

午前中時間ができたので
ランニングに出かけた
2週間まったくからだを動かさなかったので
ちょっと走っただけで苦しくなったけど
走れる喜びの方が大きく
ゆっくりだけど気持ちよく走ることができた
まだ風邪もしっかり治っていないので
しばらくは激しいトレーニングはできそうもないけど
それでも充分こころは満たされる
足りない足りないと思いながらやっていれば
いつまで経っても
何をやっても
楽しむことはできないし
満たされることはない
たった一滴の喜びだって
こころに通せば
器いっぱいに膨れ上がってくれる
だけど
どれだけ多くの喜びが
目の前にあったとしても
こころに通さなければ
器は空っぽのままなんだ

きょうかかっていたCD  今年もこのCDが聴きたくなる季節がやってきた
Maria Kalaniemi / 東京コンサート
http://www.youtube.com/watch?v=Ap-lOUCV3Gk&NR=1 (映像)

病気のときこそ
こころをゆったりしないといけない
人生楽しもうぜ~
一番なんかになんてならなくたって
人生は楽し~い~よ~
のんびり行こうや

完全復調ではないけど
ようやく軽い運動ができるようになってきた
2週間
店が終わった
速攻布団に入って
一生懸命眠ったのだけど
寝る前と起きた後で
ぜんぜん症状が変わっていないのはきつかった
ウィルスもこれからより強力化して
人類に襲いかかってくるのじゃないか
そんな予感を持ってしまうくらい
今回の風邪は強烈だった
でもただでは転ばないのだ
よりいっそう自分のからだを追求して
人生最強のからだを作ってやる

失敗したとしても
自分の力を使ってやったのなら
それは生きる力になっていくんだ

間の大切さ
間の面白さ
答えや先を急ぐ
つまらなさ
もったいなさ

結果は止めた時点で発生するもの
止めるまではいつだって間なんだ
間はたえず変化をしつづけている

時間があれば
高い機械を買わなくたって
自分の力で間に合わすことができる
時間があれば新幹線に乗らなくたって
目的の場所に行き着くことができる
時間があれば金も必要なくなるから
仕事もせかせかしなくて済む
時間があれば見えなかったいろんなものが見えてくる
時間があればこころがいつでも自分に寄り添ってくれる
時間があれば自分が喜ぶ
そしてひとも喜ぶ

毎日のひととの出会い
それがあるから
毎日パンを作り続けることができた
店をやるにあたってひとつだけ心がけていることは
パンを買いに来てくれたひとに
喜んで帰ってもらうこと
なかなか難しいことだけど
不器用なりにがんばってやっている

経済市場も
もう行き着くところまで行き着いてしまったいまこそ
自分にとって豊かさとはなんなのかしっかりと見つめてみる
良い機会なんじゃないか
自分にとっての豊かさを見つけてしまえば
たとえ収入や仕事が減ったとしても
もう恐れることもない
喜びがいつでも付き添ってくれる
自分の大好きなことをやる喜び
工夫して生きる喜び
自分の頭やからだを使う喜び
ひとや自然とのつながりを感じながら生きる喜び
金だってそれほど必要じゃないこともわかってくるんじゃないか
子供を塾になんて行かせなくてもよくなるかもしれないし
大きな家なんて必要なくなるかもしれないし
家電や衣類買うものも少なくなってくるかもしれない

何かやるときに
評価されることや
好かれることを考えて
自分を殺してしまったのでは
自分が広がっていかないし
何の喜びも得られない
後悔山積みで死んでいくことになってしまう
力がなくたって
怖くたって
いまの自分をそのまま表現していくことでしか
ひとは生きていけないんだ

ひとを育てようとするとき
いちばん重要なことは
待てるかどうかだと思う
たとえば子供を育てる場合でも
世間体なんかを気にしたり
親の都合で
親が手を貸してしまったり
煽ってしまったり
自我を抑えつけてしまっては
子供は育っていけない
親が思っている以上に
子供には
自分の思いもあるし
自分で考え
乗り切る力も備わっているんだ
結果だけを求めたり
結果が出るのを急いでも
子供は苦しいだけだ
喜びの伴わない苦しみなんて
戦争の苦しみといっしょだ
育っている過程が大事であって
その過程(間)が子供にとっては
喜びであって
豊かさなんだ
育てる側にもこころの余裕や広さがなければならないだろう
でもどんな酷い環境の中でも
育っていく子は育っていくもんだ
人間の持っている力
よくわからないけど
それはそうとうにすごいものだ
結局育つかどうかはどんな環境にあろうと
自分が素敵な道をみつけられるかどうかにかかっているのかな

出来るか
出来ないかが
評価基準にしかならないような世界では生きたくない

自分が楽しもうと思えば楽しめるし
楽しもうと思わなければ楽しめない
楽しめるか楽しめないかは自分次第なんだ

ようやくパン作りものってきたのだけど
粉の注文をし忘れてしまった
祝日は問屋が休みだから
粉が届くのにはそうとうの時間がかかる
きょうはなんとか焼く量を少なくして対処したけど
明日の午前中までに粉が来ないと
かなりまずいことになりそうだ

明日への光を見たいなら
日常を楽しんでやると決意するだけでいい
何かに頼ったところで光なんて見えてこない
光は自分のこころの中にあるんだから
自分自身の目でみつける意思がなければ
見ることはできないし
自分の足で歩く意思がなければ
見ることも追いかけることもできない
たとえ誰かや何かの助けがあったとしても
自分で見つけ
自分の足で歩く意思がなければ
それ以上進むことはできないだろう

気持ちは自分で盛り上げていくしかないんだ
自分自身に対してなんだから
張ったりかましたって
大げさになったって
かまいやしない
どんな手を使ったって
とにかく
盛り上げてしまえばいいんだ
盛り上げさえしてしまえばあとは
気持ちが運んでくれる

死はいつでも
目の前でパックリと口を広げて待っている
きょうでも
あしたでも
いまこの瞬間でも
死んでしまう可能性はあるんだ
災害に遭って死んでしまうことだって
別に特別なことではないんだ
いつ自分に訪れるかはわからないけど
命尽きるそのときまで
力いっぱい燃焼させて生きてやる

人間も
木や
鳥や
岩といっしょ
この地球を構成している自然の一員
でもなぜ人間だけが縛られて生きているのだろう
そしてなぜ縛り付けられているにもかかわらず
これだけ他の自然を破壊することができるのだろうか
もしかすると縛り付けているものに何か要因があるのかもしれない

傷つくことを避けて
すました顔して
生きるより
傷ついき
もがき
悩みながらも
自分のやりたいように
飛び跳ね
駆け回りながら
生きていきたい

うまくなくたっていいんだ
いまの自分をそのまま表現できれば
それができれば
もうそれ以上望むべきものはない

ランニングを終えてから
何年かぶりに野崎街道沿いにある『胡桃亭』に行ってきた
蕎麦がきと鴨焼きで酒を飲んでから
もりそばを食べて外に出ると
最高の天気
そのまま氏家の本屋まで走ることにした
やっぱりそばはうまい
それに酒に合うのがいい

きょうは早めにジムに行くことにした
いつもの時間に家を出るともう途中
氏家辺りで暗くなってしまう
暗い中での自転車は神経を使うので
疲れるしあまり気持ちのいいものではない
車のライトの数々が襲いかかってくるようだ
冬のジム行きは暗いし寒いしで
出かける前にかなりの気合が必要になってくる
今シーズンは毎週行けるようにがんばってみよう
やっぱりボクシングが好きだ
これ以上の喜びを与えてくれるものは
いまのぼくにはない
だから
後悔しないように
しっかりとやっておきたい

きのう売れ残った
ライ麦40%のレーズンを食べた
これぞ奇跡
なんでこんなすごいパンができちゃったのだろう

Oum Kalthoum すごいな~
観客のこの盛り上がりはなんだろう
どんなことを歌っているのだろう
http://www.youtube.com/watch?v=tAiYscbRQBU  (映像)

「そうくるか」
「それなら これならはどうだ」
このところ毎日がパン生地とのぶつかり合いだ
パン生地とじゃれあいながら
日々パンを作っている
楽しむことを忘れたら
ぼくのパンは死んでしまうんだ

完璧に何かをこなすこともいいかもしれないけど
それよりかもっと
大切なものがある気がする
ボクシングの練習で
スパーリングをして
終わった後に満足感が残るのはどんなときかというと
技術的なことがうまくいったときも満足感は残るのだけど
それよりか
魂でぶつかっていけたときや
体力をすべて出し尽くしたとよというくらい
ぶつかっていけたといきには
エクスタシーを感じてしまう
パン作りもそうなのかな?

「完璧に完璧に」
そうしなければならない空気が
日本中を覆ってしまい
いまや人間を押しつぶしてしまう勢いだ
その空気に負けない唯一の手段は
「たのしむぞ~」と叫ぶこと

ここ数週間前から
パン作りでも生活面でも
肩の力が抜けた
24時間力が抜けて
こころがゆっくりで
いい気持ちだし
やることすべてが楽しくてしかたがない
寿命もすこし伸びたかもしれない
力が抜けているといったらこのひと Gabby Pahinui (ハワイ)
http://www.youtube.com/watch?v=TlFOtAfczXM&feature=related  (映像)

性格なのか
生まれ持った精神なのか
キチンと キチンとかキッチリ キッチリいうのが
ぼくにはどうしてもできない
人間には変われることと
変われないこととがあるけど
キチンとキチンとだけは
何十年経とうが何百年経とうが絶対変われないだろう
キチンとキッチリとがない分
バランスがとれて生きられているのだと思う
ぼくのパンにもそれが出ていると思う
アレ アレ?というときもあるけど
その代わりとんでもなくうまいときもある
そんなパン屋が一軒くらいあってもいいかもしれない

夜もすこしずつ距離を走れるようになってきた
やっぱりからだを動かすことが大好きだ
止めるときは死ぬときかな
ぼくが通っている宇都宮のボクシングジムには
ぼくより年上の方が何人かいる
なかでもパラグライダースクールの校長をやっている
Tさんは60歳を超えているはずなんだけど
スパーリングを見ていると
何でこんなにからだが軽いんだと羨ましく思ってしまうくらい
ふわり ふわりとリングの中を飛び回っている
ぼくもまだスタミナだけはジムの誰にも負けていないし
疲れがなかなか抜けないということがあるくらいで
体力も気力もまだまだ落ちていないから
がんばればあと20年はできるかもしれないと
Tさんを見ていて思うのである

きょうは県外からのお客さんが多かった
わかっているだけで
茨城からが3組
福島からが3組
埼玉からが1組
秋田からが1組

自分以外の
何かに期待すると
どうしても気持ちがはやってしまい
こころが「いま」から離れてしまう
期待をしないで
自分を生きることに集中するように
こころがけたというか
最近自然とそうなってきた
そうなるとこころもゆっくりになってきて
なんだか一瞬一瞬が楽しくてしかたがない
そしてそれが(あとちょっとした偶然が)
小麦の酵母のパン(ライ麦30%以下のパン)の
最大の課題だったことを解いてくれた
集中して見ること
待つこと
パン作りにとっては
大切なふたつの要素を身に着けて
いよいよ才能開花
かな?

きのう売れ残った山型の食パンを
軽くトーストして食べてみたら
あまりのうまさにびっくり
きょうは店に来たら
真っ先にきのうのパンのコーナーに行ってゲットだ

沖縄音楽のCDを聴こうとケースを開くと
ペルシア音楽ののCDが入っていた
久々に聴いてみたらすごくいい
購入した当時はピンとこなかったのか
あまり聴いていなかったのだけど
いまなっている音は
こころにズンズン迫ってくる
Fatemeh Parisa(イラン)
http://www.youtube.com/watch?v=M28z9asZYGc&feature=related (映像)
CDをかけているとさっそく引っかかってくる人がいた
車を使ってカレーの移動販売をしているSさんだ
ペルシアの古典音楽に引っかかってくるひとはいままでいなかったのだけど
さすがに世界中を旅しているだけにこういう音楽にも反応してくる
Sさんは夫婦で南インドのカレー屋さんをやっていて
店舗はまだないのだけど栃木県北部を中心に車を使って移動販売をしている
冬は寒いので週末イベントがあるときのみの営業になるそうだ
もう少し北の方でお店をやる計画もあるそうなので
いまのうちに食べておかないと
食べられなくなるかもしれません
見かけたら即ゲットしてください
店の名前は
shandi
nivas
cafe'
この辺りは個人で小さいお店をやっているひとが多い
それぞれのひとが一喜一憂しながら毎日自分の店を営んでいる
大型店ではけして味わえない
すてきな空気を味わいに来てくださいな

自分のこころを大切にできるひとは
他者のこころも大切にできる
自分の弱さやできなさを知っているひとは
他者にも弱さやできなさがあることを知っている
自分のすべてを認められれば
他者のすべても認めることができる

やるかどうかの判断基準は
やりたいかやりたくないか
できないからといってやらなければ
いつまで経ってもできやしない
人生なんてあっという間
後悔ないよう生きるだけだ

さあ きょうも新しい一日の始まりだ
過去のことも
明日のこと
全部忘れて
きょう一日をおもいきり楽しんじゃいましょう

疲れたのなら
堂々と胸張って休みましょう
後ろめたさ感じて我慢していたら
こころがパンクしてしまうぜ
仕事ができないときだってある
学校に行けないときだってある
仕事をしないひとや
学校に行かないひとはダメなひと
仕事をしてるひとや
学校に行っているひとは
偉いひと
そんなふうな空気がいつの頃からか知らないけど
存在してしまっているけど
偉いひとというのは
仕事をしていようがいまいが
学校に行っていようがいまいが
自分のこころを大切にしているひとのことをいうんだ

地球のことを考えたら
仕事なんてしない方が
よっぽどいいのかもしれない

ライ麦40%以上のパン(ライ麦の酵母)は作り方を変えてから
ようやく自分のものになってきた
作り方を変えようと思うと
野球の投球ホーム変えようとするときといっしょで
自分のものにするまでには半年や1年あるいは2年3年とかかってしまうけど
変える必要性を感じたならまたいつでも変えていくつもりだ
パンを作っている以上
よりうまいパンを作ることをやめてはいけない
それがいちばんのモチベーションになってくれる
微生物のことやら醗酵のことやら熟成のことやら
難しすぎて
どんなにがんばっても生きているうちにわかることができるのは
これっぽっちもないかもしれないけど
それでも立ち向かっていかなければならないんだ

電話で問い合わせがあった
「きょうかかっていたCDはなんですか」
パンのことじゃないんだけど
好きなアーティストに反応してもらえるとうれしいものだ
久しぶりに
きょうかかっていたCD
Sonny Chillingworht /endlessly
http://www.youtube.com/watch?v=Pt_7hfRL-gg  (映像)
このひとのギターから出てくる優しい音色が好きだ
甘くとろけてしまいそうな歌声もいい
http://dancingcat.com/artists/sonny_chillingworth/recordings_01.html#album2
(視聴)

ライ麦30%の平焼きも
イチローの生涯打率を超えるのは
もう時間の問題だ
先週辺りから
つかみかけている
寒くなって工場の室温が下がったときに
対応できるはまだわからないけど
もう一段階上に行けそうだ
他のパンも一回り大きくなってきた(実際の大きさじゃない)
だんだん調子が上がってきたぞ~

諦めずに
取り組んでいれば
必ず形になる
とにかく回数をこなすことだ
何度も何度も何度も何度もやっていれば
あるときパッと何かがつかめるときがある
ボクシングやパン作りを長年やってきて
そのことを知った
だからきょうもあしたも
パンを焼き続ける

思いには行動が伴う
だから
思って
思って
思って
思って
思いを成し遂げたい

奇跡は自分で起こすものだ
ただ待っていたって
奇跡なんて起こらない
思いがスパークしたとき
奇跡は起こるんだ

人生はいつだって
今からなんだ
上っているときだって
落ちているときだって

器用でなくてよかった
できないことを
できるようにする
それがぼくにとっては
いちばんの生きる原動力になるし
生きる喜びでもある
だから不器用であることが
人生をより楽しませてくれている

ここのパンは
どのパンもそのまま食べるのはやめてほしい
レーズンのパンだってここのパンは水分が多いので
レーズンがパン生地の水分を吸い取ってぐっちゃりしてしまうから
そのまま食べてもそんなにうまさを感じない
そこにクリームチーズをのせるだけでも何百倍にもパンが引き立っていく
何かといっしょに食べて美味しくなるように作っているので
手間はかかるけど
ほんのちっとでも自分の手を加えて欲しい
豊かさってそんなところにあるんじゃないか

パン屋を始めたからこそ
いろんなひとにめぐり合えた
それぞれのひとに
言葉ではなく
姿でたくさんのことを教わった
自分はダメだダメだといっているひとにだって
いろんなことを教わっている
人間て生きているだけで
それだけで価値がある

最近はライ麦40%以上のパン(ライ麦の酵母)がいい感じ
いいパンができる確立はイチローの生涯打率よりも高くなっている
これはパン屋にしかわからないと思うけど
かなりすごいこと
1種類2種類を少量作るなら
いいパンができる確立は高くなるけど
たくさんの種類大量のパンを作るとなると
(しかもひとりで)
捏ね 醗酵・熟成 焼きそれぞれの状態に注意を向けているのは集中力がいるし
醗酵の進み具合も日によって違うから
いまこの生地をここで分割したいんだけど
あの生地をカマに入れなくちゃならないなんてことも起こってくる
でもいまは失敗を重ねてすこしだけパンのことが見えてきたので
いいパンができる確立が高くなっている
野球のバッターは10回に3回打てばなかなかやるなあと思われるけど
パン作りだって野球と同じくらい難しいものなんだ
スランプだったる
微生物のこと 醗酵熟成のことなんてそんな簡単にわかるもんじゃないぜ
人間は自分たちの力ですべてを変えられると思っているけど
それは傲慢というものだ
自然界のことなんて人間は一生かかってもこれっぽっちもわからないだろう
ライ麦30%以下のパン(小麦の酵母)はどうしても
他のパン生地との兼ね合いがあるのでいいパンができる確立はすこし下がってしまう
特にライ麦30%の平焼きはいちばん難しいパンなのに
他のパンの作業と重なってしまうことが多いので
奇跡が起こったときでないと感動できるようなパンができない感じだ
でもそれも経験を重ねればすこしずついいパンができる確立は上げられていくと思う
この夏でちょっとだけ見えてきたものもあるから
いいパンができる確立もちょっとだけ上がったと思う
でもいま自分が思っているいいパンを
超えるいいパンを作り出していくことが
ぼくが本当に望んでいること
いつだって進化の過程
あと10年20年生きられるものなら
あしたの自分を見てみたい
どんなパンを焼いているのだろう
守りに入ることなく
どんどん攻めていく
それが人間という未完成な生き物の
境遇なんだろう
   ぼくはぼくのうたを歌う
   ぼくはぼくのうたを歌いたいから歌う
   生きている歓びを叫びたくて歌う
   ぼくはぼくのうたを作って
   ぼくの声でぼくのうたを歌う
自分の人生に立ち向かっていくこと
そう決意しなければ
人生は開かれてはいかない

ライ麦60%とライ麦40%のプレーンなパンがいい
このパンは売れ残ってしまう日が多いのだけど
最近完成度がかなり上がってきて
かなり
いやそうとう
うまい
地味なパンなんだけどあなどってはいけない

今年は雨が多すぎる
ぼくの作るパンは水分がかなり入っているので
湿度が高い日は
パン生地を寝かすときに使うキャンバス地に
パン生地がくっついてしまう

若いうちは
どんどん失敗をした方がいいと思っているから
これからもどんどん攻めていく
失敗を重ねないと見えてこないものがある
でもあと何十年たったとしても
ぼくは若いままだから
死ぬまで攻め続けて生きていくだろう

ここしばらく
山型の食パンに使う小麦の状態が良くなかったので
まだ袋には粉が残っていたのだけど
新しい袋を開けて使ってみたら
久しぶりにいい感じの山食ができた
悪い粉はどんなにがんばっても限界がある

パンもようやく調子が上がってきた
集中力さえあればオレもかなりのパン職人になれると思うんだけど
これから先集中力が下がっていくことはあっても
上がっていくことはないもんな

店を終えて
走りに行く
暗い中でのランニングはなかなか気分がのってこない
仕事の後で足は重いし
腹もすいてくるから
食べ物と酒で頭がいっぱいになってしまい
なかなか予定通りの時間走り通すことができない

きのうは秋田でここのパンを食べてくれていたひとが来てくれて
きょうは千葉から
そして宮城からもお客さんが来てくれた
それぞれの方が住んでいるところの空気を持ってきてくれて
楽しいひと時を過ごすことができた

最低のことは全部忘れて
きょうはいっしょに
最高だよ 
最高 最高 最高 最高だよ♪♪♪松田美緒

「ここは無理だ」っていう場所はあると思う
大学を出て初めて就職した会社は
一ヶ月経たずに退職した
変えられること
変えられないこと
我慢できること
我慢できないことってあるんだ
辞めなければ人生が動き出さないことってある
あの時辞めたからこそ
いまの自分がある

今年も
「やってしまったぜ」ということが
いっぱいあったけど
攻めた結果のことだから悔いなし

俺というものは
ひとが作り出すものなんかじゃない
俺は俺だ

那須町から自転車で女の子がやってきた
おもしろいひとで
「自転車始めようかと思っているんですよ」と言っていた翌週には
もう自転車を買っていて
「家からこのお店まで20Kmくらいあるんですけど自転車で来れますかね」と
訊ねてきたので
「大丈夫 大丈夫 楽勝ですよ」と答えたら
まもなく自転車でやってきた
「青森いいですね 行ってみたくなっちゃいました」と言っていた翌週には
青森行きを決めていて
来週行ってくるそうだ
こんなふうにやりたいと思ったことを
即行動に移して生きていたら
人生楽しくてしかたがないだろう
準備が完全に整ってからなんて言っていたら
いつまでたっても始められやしない
始める前に気持ちがどこかへ行ってしまうだろう
飛んでみろ
やりたいならいますぐ飛んでみろ
考えるのは飛んでからすればいい
転びながら学んで
整えていけばいいんだ
ということを
言葉ではなく姿で教えてもらった

ジャム爺とジャム婆の作ったジャムを食べた
みかん&レモンのジャムは
酸味と苦味と甘みのバランスがちょうど良く
飽きずに食べられそう
熟成梅のジャムは刺激的な酸味がぼく好み
酸味を出しすぎたかなというパンにつけて食べたら
ものすごくおいしくなった
そのまま食べるにはかなりきついパンだったのだけど
これはすごい
偉大なジャムだ
レモンガードは癖があるけど癖になる味
お茶に入れても飲んでもいいかも
レモンの入ったお酒も美味しかった
グイグイと行きたくなるけど
基がウォッカなので
コップ半分くらいでいい気分になってくる
そろそろオープン予定だそうです

アレ どうしたんだろう
明日までからだが痛いはずなのに
痛いところもどこにもない
きのう一日からだを休ませたら
きょうは絶好調だ
体力が戻ってきたのだろうか
それともからだが若返ってきたのだろうか

このところ新しいお客さんがよく来てくれる
この店のお客さんは
転勤でこっちに来ているひとの割合がかなり高く
どうやってこの店を見つけるのかはわからないけど
ある時パッと現れて
時が来くるとまた別の地域へと去っていく
そのひとたちからクニの話を聴くのがとても楽しい
まだ見ぬ世界へ空想を膨らませることができる
同じ地域のひとでも見え方や思いが違っているのも面白い

ボクシングでは
殴りあった後
「こいつ やるな」と尊敬する気持ちが湧いてくる
憎しみなんてものはこれっぽっちも湧いてこない
ボクシングを始めたばかりの相手とやったときも同じだ
そこがすごいところ
そういう気持ちになれるのは
おそらく自分の弱さ
自分のできなさを知っているからなのと
相手の頑張りがわかるからなのだろう

ジム行き帰りの自転車はもう寒くなってきた
2週間ぶりのジム
練習相手がいるというのはやはりいいもんだ
拳を交じえるときのスリルや判断や工夫 
最高に楽しい
きょうもいい汗をかいた
でも明日から3日間はからだ中が痛いんだな

きのうはパンがたくさん余ってしまったので
焼く種類と数を少なくしたんだけど
ライ麦40%のパンをミス
量を少なくしたことを忘れて
いつも通りの水を加えてしまって
修復不可能になってしまった
先週末もやっぱりライ麦40%のパンを
うっかりミスでダメにしてしまった
土曜日曜になってくると疲れてきて
集中力が落ちるので
ミスする確率が高くなってくるから気をつけないと
いつものことなんだけど
こんな日にはお客さんがいっぱい来る
ここ2週間お客さんがかなり少なかったのだけど
ミスしてパンの数が少ないときに
待ってましたとばかりに
ドバドバドバっとやってきた
でもこんなことにはめげずに
来週もひとりパンを焼くのだ

パンが焼けたと思ったら
もう夜だ
冬ももうすぐそこだ
夏ももう終わりかあ
そういえば今年はほとんど250円くらいのタンクトップで過ごしたなあ
最近は服もぜんぜん買わない
もういっぱいあるし
カッコイイ服で着飾るよりも
自分をもっと磨きたい
でもまだまだ人間磨けていないので
この前汚い格好で馬頭の温泉に行ったら
入浴を断られた

何十年生きようとも
恐怖というものはなくならないんだろう
恐怖が湧いてくる場面場面で
勇気を振り絞って
一歩踏み出すことができるかどうか
楽しい人生を送るかは
それに懸かっている
ぼくはとても臆病なんだけど
一息吐いて
怖さの中に飛び込んでいく瞬間が大好きだ

トレーニングウェアを着て立っている女性の
からだの美しさに
しばらく見とれてしまった
特に腰下の筋肉の盛り上がり方
はちきれそうな筋肉は
競走馬のそれとダブってしまった
訊いてみると
実業団で100mハードルをやっているとのこと
かなりのトレーニングを積まないと
これだけのからだにはなれない
トレーニング量だけでなく
年季も必要だ
ずいぶんと長い期間継続して厳しいトレーニング積み重ねてきたのだろう
頭が下がる
これだけのからだになるくらい
トレーニングを積んできたのなら
それなりの結果が出ているはず
あやつ
只者ではないぞ
ちょっと
いや
だいぶ刺激を受けた
俺もやるぞ~

ぼくにはこの道しかないから
この道を進む
大きな穴が開いていようと
大きな石が転がっていようと
ぼくにはこの道しかないから
この道を進む
時間がかかろうが
痛い目に遭おうが
ぼくにはこの道しかないから
この道を進む

朝 目が覚めると
ほっぺの体操
ほっぺをグイッグイッと上げてやる
パンを作っているときも
気がついたときはほっぺの体操
怒りが湧いてきたときも
ほっぺをグイッグイッと上げてやる
手を使って上げてやってもいいし
顔の筋肉を使ってグイグイやってもいい
効果があるから
騙されたと思って
やってみてね

どんなに結果が良かったとしても
自分の持っている力を出し切れなかったときは
悔しいもんだ
だから一瞬一瞬が勝負なのだ
結果だけを追えば
力が入ってしまったり
小細工をしてしまったりで
自分を出し切れない
一瞬一瞬を楽しみながら
自分をぶつけていく
勇気を振り絞って
その一瞬に飛び込んでいく

待つって行為は大切なことだけど
ときには待っているだけでは
いけないというときもある
自分から行かなければ
始まらないことってある

恵まれた環境
整った環境でも
ひとはしっかりと育っていくし
恵まれていない環境
整っていない環境だって
ひとはしっかりと育っていく
どっちがいいかなんてなくて
結局は
自分が自分の道をみつけられるかどうかではないか
大切なのは環境なんかじゃなくて
出会いなんじゃないだろうか

科学技術の発明は
ひとに幸福をもたらしもしたけど
不幸にもした
使い方なんだろうな
自分にとって必要なものなのか
必要でないものなのか
見極めて使うようにしないと
人間は人間でなくなってしまうだろう

自分を見つめていれば
ひとの批判なんてなかなかできない
もし批判をするのなら
そのひとととことん付き合う覚悟がなければならないと思う

このところ
いくつかのパンで
うまいパンを連発している
天才の片鱗を見た

3連休最終日
3連休だということを直前に知って
店を開けることを告知するのが遅くなったので
お客さんも来ないだろうなあと思っていたけど
思っていた以上に来てくれた
最近通販でパンを買ってくれていたひとたちがちょこちょこと来てくれるので
うれしい
きょうも素敵なお客さんたちが来てくれた
素敵なお客さんが多いというのが唯一
この店の自慢できるところ

パンは自然の摂理にそって
作ればうまいパンができるのはわかっていても
これだけ自然から遠ざかった生き方をしていると
自然の摂理なんてわからなくなっているから
本来ならなんでもないことなんだろうけど
いまの自分には難しすぎて
七転八倒の毎日

うまくいかないときやどん底まで落ち込んだとき
そこからだ
底から這い上がっていくときというのが
人間として生きている醍醐味だと思う
  観察していて面白いのも
  そういう状況にいるひとたちだ
  プロスポーツの世界なんかを見ていると
  よくわかるけど
  うまくいっているときというのは
  ひとが集まってくるけど
  うまくいかなくなったとき
  ひとはさーっとひいていく
  去っていくひとたちは
  いちばん面白いところを見逃してしまっているんだ
  這い上がろうともがき苦しんでいるひとたちからはえられることも多い
うまくいっていないときというのは
とても孤独だ
でもその孤独感があるからこそ
強くなれる
    
 

まだまだ思うようなパンはできないけど
誤魔化したり逃げることなく
いまの自分をさらけ出さなければ
次には行けない

陽が短くなってきた
真っ暗の中に虫の鳴き声
こんなときにCDの音はいらない
風の音も聞こえてきた

うわぁ
また三連休だ
はじめて知ったよ
月曜日は店どうしようかな

できない理由をあれこれ考えだしてしまったら
今度は思いついたできない理由を一つ一つ消して行っちゃえ
やりたいことが見つかったなら
やっちゃえばいいんだ
何か新しいこと始めるときは
不安だし
怖い
それにいままでよりも大変になりそうだから
なかなか一歩が踏み出せない
傷だってつきたくないもん
でもいままで生きてきて思うのだけど
失敗なんていくらでもしていいんじゃないか
傷だってどんどんつくべきなんじゃないか
しっかりとできるかできないかなんてことは
生きているうえでそれほど重要なことじゃない
大切なことは
やったかやらなかったかということ
失敗しようが
傷つこうが
困難な目に遭おうが
こころからやりたいと思うことを
始めてしまったら
そんなことは
なんでもないこと

効率主義に慣らされてしまったぼくたちは
ほんのわずかな時間待たされただけで
イライライライラ
あっちでも
こっちでも
イライライライラ
豊かになりたい
豊かになりたいと
遊ぶ時間も
好きなことも捨て
ぼくたちは
学校や塾に通い必死に勉強し
そして働いた
この先に豊かさが待っていると
一生懸命がんばったけど
どんなにがんばっても
豊かさは手に入れられなかった
でも子供たちだけは知っている
豊かさは先にあるものなんかじゃなくて
いまにしかないことを
待っているこの時間の中に豊かさがあることを
結果だけがすべてになってしまったこの世界で
子供たちだけが
虚しさなんて感じることなく
いまを
おもいきり生きている

定休日(月 火)に二日続けて晴天というのは久しぶりじゃないだろうか
午前中でトレーニングを終えて
自転車で
黒羽
馬頭方面へ
帰ってくると
きのう以上に
そして今朝以上に
からだ中が痛い


いま(10月)頃が
からだを動かすには
いちばん気持ちがいい時季だ
今朝のランニングは
ダッシュを多めにやった
やはりからだをぶっ壊すくらいの気持ちで
臨んだ方ががいいトレーニングができるし
充実感がある
それをわかっていても
毎日そんな気持ちでトレーニングを持続させることはできないけど
でもそれでいいのかな
緊張と緩和
 夕方はジムへ
青森秋田での坂道こぎで
からだが軽くなったおかげで
からだがよく動いてくれる
スパーリングも反応良く動いてくれた
ここ数年練習量が足りなすぎたことを実感
動かしてやらなければ
からだは動いてくれない
しばらくはボクシングに集中しようと思う
 Tさんたちも青森に行ってくればいいのに
青森は自転車乗りにとっては天国のようなところだ
景色はいいし
うまい食べ物もある
そして疲れたからだを癒してくれる温泉がある
行けば5kgは痩せられる
でもうまいものだらけだから
たぶんTさんたちは自転車なんて乗る暇なく
食べまくるだろうから
逆に10kgくらい太ってしまう可能性の方が大きいかな

すだれごしに
外を見ると
駐車場で何かをバクバク喰っている物体が
動物のよう(牛か何か)に見えたので
ドキっとしたけど
外に出てよく見てみると
東京の自転車乗りTさんたちだった

やりたいことがいっぱいありすぎて
やりたくないことなんてやっている暇がない
死によって
すべてが消えてしまってもかまわない
だけど生きている間は充実した日々を送りたい

あっちからも
こっちからも
変われ変われ変われって
迫ってくるけど
何でもかんでも変わりゃあいいっていうもんじゃないし
変わる必要がないものだってある
変わるも変わらないも
自分で決めることだし
自分の価値観だ

やりたいんだけど
まだ眠っていたい
入っていきたいんだけど
怖くて逃げ出したい
この道も歩きたいのだけど
あっちの道も歩きたい
やってみたいんだけど
うまくいできないとはずかしい
ひとりのこころの中に
いろんな思いが渦巻いている
相反するものとの格闘なんてしょっちゅうある
でも
きっと
いろんな思いがあるから
ぼくは生きられる
いろんな思いがあるから
バランスが取れている
   人間ひとりひとりを見てみても
   違っているから
   世の中はバランスが取れている
   選択幅がなくて
   みんな同じにしてしまったら
   疲れるし
   息苦しいし 
   退屈だし
   それに
   危険だ
   どの方向かに傾いていってしまって
   いつかは崩壊するだろう

誰かのこころのなかを変えようだとか
何かが変わらないかなと待っていても
変えられるもんじゃないし
変わるもんじゃない
そんなことして
時間を無駄にしているのだったら
自分が変わっちゃえばいいんだ

傷は完全に消え去ることはないけど
生きていれば
時間が傷口をすこしずつふさいでくれる
傷口がふさがってくればいまを生きられる
過去を引きずっていても何も始まらないし
どんなのあたふたとして動いても
もうどうにもならないことってある
いま目の前で起こっている出来事
いま現在の出会いを
大切に生きていくことで
未来はまた開いてくる

きのう顔をコツコツコツコツ叩かれたので
朝起きたら
鼻が真っ赤っか
肩周辺も筋肉痛でゴキゴキだ
足は何とか大丈夫そうだったので
店が終わってから
ゆっくり2時間くらい走ろうかと
走り出したら足もきていた
重い足を引っ張りあげながら
なんとか50分走ってきた
そういえばきょうも走り始めるときに
星が流れた
のっているときは
宇宙だって
ぼくのために動いてくれる
のっているっていうのは
平穏な毎日を送れているときのことをいうんじゃない
自分の人生に立ち向かおうと決意したとき
ひとはのっていけるんだ
荒波にもまれながらも
毎日充実した日々を送っている

ジャムおじさんとジャムおばさんが来た
今回もいっぱい頂いた
いろいろ試しているらしく
今回はレモンとウォッカを使ったお酒まで登場した
休みには車に乗って犬のさくらを連れて全国の農家を訪ね歩いているそうだ
近々工房を作る予定だそうだ? ? ? ? ?
近々みなさんも味わうことができるかもしれません ? ? ? ?
頂いても毎度
もったいなくてなかなか食べられない
感想は
忘れなかったら後ほど

一ヶ月ぶりにジムへ
マスボクシング10ラウンド
相手してくれたふたり
共に気合が入っていたのと若さ(勢い)とうまさで
楽をさせてもらえなかった
10ラウンド手を出しっぱなし
おかげで一か月分のさびが一日で取れた
先週の旅でいっぱい坂道を上っておいてよかった
才能あふれるふたり
うらやましいけど
ぼくは気持ちでがんばる
才能や技術がなくても
スタミナと気持ちがあれば
才能を打ち負かすことだってできるんだ
収穫ありのマスボクシング
ひとつつかめたことがあったのと
いくつかの克服できそうな課題が見つかった
やっぱりリングでいい汗を流すのは気持ちがいい
人生でいちばん好きな時間

ジムの帰り
大きな流れ星ひとつ
それから自転車のライトが壊れた
のっているときは
よく物が壊れる
壊しているのは自分が出しているエネルギーなのか
帰り道は大小合わせて10以上の上り坂があるのだけど
きょうはとても楽に上れた
この前の旅では自転車に乗っている時間の半分以上
坂道を上っていたのだけど
たった5日間でからだがこんなに違ってくるとは

ライ麦40%の平焼きをすこし厚めにしてみた
日がたってもおいしく食べられるように
焼き加減も調整完了

また好きなアーティストが来日する
リアム・オ・メンリィ 12月12日 東京 他
http://plankton.co.jp/liam/index.html
11月のマーティン・ヘイズ
でも今年は我慢して
パンとボクシングに集中しようと思う? ? ?
そして来年はもう一度青森に行ってこよう
今度は新緑の季節
今回の旅で青森の中でも
八甲田が好きなんだなということがわかったので
次回は八甲田をじっくりと探索してこよう
この辺りは開発の手が入りそうになったこともあったそうだけど
住民たちの反対によって開発されることなく
自然が残った日本では数少ない場所だ
ブナの木がこれだけ残っている場所は白神山地と
この辺りしかないんじゃないだろうか
白神山地は世界遺産になってしまったことによって
自然破壊が進んでしまったようだけど
この辺り特に南八甲田の辺りは山に整備された道がないので
荒らされることなく豊かな自然が残っている
八甲田付近は自然が残っているので水がとても豊富だ
あっちにもこっちにも美しい水がある
まだ自分は表面fだけしか見ていないけど
山の中に入れば飽きることのない世界が広がっているはずだ
山奥まで入っていく実力はないけど
ほんのちょっとでも山に触れてみたい
体力だけはつけておこう

パンの生地が乾燥しやすくなってきた
それから醗酵の進みもゆっくりになってきた
パンの生地は正直にしか生きられない
誤魔化そうと思っても
パン生地は誤魔化されてくれない



店に置いてくれと
チラシを持ってくるひとたちがときどきいる
観察していると
すぐにはけるチラシ
いつまでも残っているチラシがあって
だいたい持っていかれないチラシは
小さすぎるもの(大きさの問題ではなくて情報量が少なすぎるのが原因かもしれない)
大きすぎるもの(これは店に置くとかなり邪魔なのではけないときはすぐに撤去してしまう)
つまらなそうなイベントのチラシ
岡本の『キッチンカンナのチラシ』はあっという間になくなってしまう
大きさはパスポートくらいで
紙はわら半紙?だったか
4ページだったか6ページになっていて
スタッフや食材を卸しているひとが手書きでちょこちょこっと文章を書いている
チラシも作りゃあいいというものではなくて
考えて作らなければならないんだ

青森 秋田で上り坂をこぎまくっていたので
体重がここ数年でいちばん体重が落ちた
ふだんある程度絞って67kgくらいなんだけど
旅の途中に温泉の脱衣所で体重を量ってみると
65kgになっていた
帰ってきてからサンドバックを叩いてみると
からだが切れる切れる
ランニングをしてみても
一週間休んだから辛いだろうなと思っていたら
からだは軽いし
下半身はどっしりしているし
スタミナも旅行に行く前よりついているかもしれない
こんなトレーニング方法もあるんだなあ

 夏の旅のこと
  日曜日
青森へ出発
店を終えて自転車で那須塩原に向かう
休みに備えての準備で忙しい一日だった
出発直前にお客さんが来てしまい
電車に間に合うか不安があったけど
駅に着いてみるとまだだいぶ余裕があった
17:35出発
24:00ちょっと前に青森到着
東京からは新幹線一本で行けることになったけど
栃木からだと一、二度乗換えをしなければならない
しかも「はやぶさ」が登場してからは
はやぶさ通過待ちなんてことも出てきた
これが資本主義というものだ
  月曜日
目を覚ますと雨の音が聞こえる
お約束の雨
年に二回くらいしか旅に出ることはできないのだけど
旅に出るとかならず雨や風にぶつかる
それも半端ものでない雨風
天気予報を見てみると
大雨注意報が出ている
降水確率午後午前ともに100%
まだ小降りだったので
宿近くの古川市場に朝飯を食べに行く
http://www.acci.or.jp/nokkedon/
ここは観光客を引き寄せるのに成功して大変賑わっている市場
観光資源の豊富さでは青森は日本で最上位だろう
やる気さえあればいくらでもひとが呼べる
古川市場は少量から買えるからひとりにはうれしい
のっけ丼なるものもやっているけど
魚の味をしっかり味わいたいのでご飯なしでお皿に盛ってもらう
カンパチ イクラ ウニ 活けアワビ 煮アワビ サザエ シャコ
白魚 ホタテ もずく 
至福のとき
あとは酒さえあれば文句なし
市場を歩いていると
売るのがうまいひと
うまくないひとというのがいる
若いひとの方が売るのはうまい
だけど買った後は味気なさが残る
おばちゃんたちは売るのは下手だけど
おまけをしてくれたり
笑顔をお見せてくれたり
買った後に喜びを残してくれる
 宿に戻って自転車を組み立て出発しようとしたけれど
外はものすごい雨
しばらく躊躇していたけれど
治まりそうもないのでおもいきって飛び出した
雨粒がメガネに当たって視界がほとんど利かない
きょうは鯵ヶ沢で魚と焼きイカを食べて
日本海を下れるところまで下ってやろうという予定
青森は場所の行き先を示す標識がしっかり立っていることと
郊外に出ると道路が少なくなるので
方向音痴の自分でも道に迷うことがほとんどない
壁に衝突し後輪が外れるアクシデントに見舞われながらもなんとか
13:00近くに鯵の沢に到着
『地魚屋 たきわ』で焼き魚を食べる
http://gazoo.com/g-blog/AJIGASAWA_MURA008/index.aspx
本当はきょう食堂の方は休みのようだったようだった
土日くらいしか鯵ヶ沢に観光客が来ることはないのだろう
それに雨も降っているし
ひとの少ない場所で飲食店をやっているひとたちの苦労
店を開けたくても開けられないことがあるんだ
自転車で回っていると言ったら
店の奥さんが「ご苦労さん」と言って
途中で食べるようにすり身の揚げ物を渡してくれた
ひとり旅をしていると
ひとのちょっとした温かみが
こころに沁みる
ひとに接するとき打算的になってはいけない
商売でもそう
そのまんま
人間として
普通にぶつかっていけばいいだ
こころとこころのぶつかり合い
 焼きイカ街道でおっちゃんから焼きイカを二つ買う
青森のひとはむすっとしていて
第一印象は良くないのだけど
話してみると温かいひとが多い
躊躇していて出だしが遅れたので
出発前に考えていたよりかなり進みが遅い
十二湖入り口に着いたときはもう薄暗くなっていた
沸壷の池と青池は見ておきたかったので急いで回ってこようと
自転車を走らせたけど
上り坂でやがった
ヒィヒィ言いながら何とか上りきって
自転車を飛び降り
ブナの原生林の中を猛ダッシュ
沸壷の池 青池
自分の中にいままであった世界にはない世界が広がっていた
 リゾート白神に乗って秋田市まで移動
行きたかった居酒屋に向かったけどもう暖簾が下りていた
がっくり
別の居酒屋で地酒と共に真イカの刺身 〆鯖 ぶりカマの塩焼きを食べる
ぼくも期待して店に来てくれたひとに悪いので
休むときはできるだけ早くお知らせが出せるようにしなくてはと思った
    火曜
きょうは秋田市から田沢湖を通って宿泊予定地の乳頭温泉 鶴の湯まで行く予定
また雨だ
きのう大雨の中で自転車をこいだことで
もう怖いことなしになったけど
やはり雨の中での自転車乗りは疲れる
覚悟はしていたけど上り坂が続く
距離的にはたいした距離ではないのだけれど
平坦な道と上り道と下り道それからそのときの体調や気分によって
同じ5KMでもまったく違う
予定していたより2時間半も遅れて鶴の湯に到着
最後2kmの道が凄かった
まさに秘湯と呼ぶにふさわしい場所
期待感が膨らんでいく
 早速風呂に入る
大人気の広い露天風呂では会話は生まれないけど
小さな内風呂では知らないひと同士会話が始まる
 夕食がとてもうまかった
おかげで酒がうまい
名物の芋汁はどれくらい前からあったのだろう
できた頃から味は変わらないのだろうか
それとも進化し続けているのだろうか
 部屋は何もなくてシンプルだけどとても落ち着く
木と畳
ぼくはやはり日本人だ
広さもちょうどいい
洋式は広い方が落ち着くけど
和式は狭い方が落ち着くのではないか
こんな部屋で暮らしていたら
欲もそれほど出ないだろうし
悪いことも思い浮かばないんじゃないだろうか
  水曜
夜明け前に露天風呂に入りに行く
月曜日が満月だったので
天気がよければきょうもほぼ満月だったのだけど
月は見られなかった
でも夜明けと共にか輝いでいく乳白色の湯がとても美しかった
2時間近くお風呂に浸かって朝飯を食べて出発
 きょうはもう一度新幹線で青森まで戻り宿泊地黒石の青荷温泉へ
きのう必死になって上ってきた坂道を一気に下る
上りもあれば下りもあるのだ
空気を切ってずんずん下る
 12:00ちょっと前に青森駅に到着
市場でちょっと買い物して
卸売り市場の中にある『山の寿司』へ
3千円のコースをお願いしたら
大間の大トロと霜降り 八甲田のマツタケ ウニ ワラサなどなど
かっぱ巻きなど出てこないのがいい
東京で食べたら一万円だしても食べられないだろう
もちろん5万10万出したところで鮮度が違う
さっとつまんでさっと店を出て山をちょっと歩こうと思っていたけれど
大将の話が止まらない
山歩きは諦めて大将の話に耳を傾ける
せかせかしていてはおもしろいことがあっても逃してしまう
良い時間が過ごせた
 ひとりできた客を大切にしない店や宿があるけれど
ひとりのお客さんほど大切にした方がいいのではないか
ふたり以上で来たひとは喜びがあってもそこで喜び合って終わってしまうけど
ひとりの場合はうれしいことがあっても喜びを分かち合うひとがいないから
旅を終えてから他のひとに喜びを伝えて広めてくれる
八甲田をゼーゼー言いながらこぎ上がるともう16:00を過ぎていた
黒石まではずっと下りだから
すぐ着くだろうと余裕しゃくしゃくでいたのだけど
最後の6KMから急な上り坂が続いていやがった
暗闇の中を目を凝らしながら進み
ようやく本日の宿青荷温泉に到着
http://www.yo.rim.or.jp/~aoni/index.htm
 夕食の時間が18:00からだったらしく
宿のひとはなかなかやってこない客を心配していたようだ
夕食は小さなテーブルに知らないもの同士が
向き合って座って食べるようになっている
ひとりで来たひとは
ひとりで来たひとたちのかたまりの中で食べるよう配慮されている
自然と知らないひと同士会話が生まれて
食事もおいしくなってくる
ひとはみなさびしさで繋がっているんだ
ここには電気がないので
ランプの明かりのなかで過ごすことになる
風呂も部屋も真っ暗だ
   木曜
きょうは奥入瀬渓流を歩き八甲田をこぎ上り
今夜もう一泊する青荷温泉に帰る予定
はたして18:00までに帰ってこれるだろうか
まあ帰って来れなくてもいいや
おもいっきり楽しんでこよう
青荷温泉を脱出して国道102を進む
なんだか見覚えがあるなあと思ったら 
ここは昨年大雨の中を泣きそうになりながら走った道だ
延々と続く上り道
去年は泣きそうになったけど
今年は天気が良く
周りの景色を楽しみながら上ることができるので
苦しさも半減だ
左手に渓流右手にブナの林を眺めながら
突き進む
今回の旅でギアがあと二段も軽くなるんだということがわかったことと
頭が前輪を越えるくらい前傾姿勢になって立ちこぎをすれば
腰が痛まないことがわかったので上り坂も昨年ほど苦でなくなった
 御鼻部峠から奥入瀬渓流入り口までは長い下りが続く
長い下りは長いブレーキングと緊張感で想像以上に疲れてくる
昨年3Mの崖から奥入瀬渓流に自転車ごと落ちたのも
この坂を下り降りて気力と集中力を切らせてしまったことにも原因があると思う
きょうは渓流をじっくり見たいという思いはもちろんあったのだけど
昨年の事故現場をもう一度見ておきたかった
道路の向こう側の水を塩ビ管を通して流し込んでいる場所で
直径3Mくらいの水溜りになっている
奥入瀬渓流の脇を通る道路を下っているときに
後ろで聞こえた何かが落ちた物音に振り向いた瞬間
ハンドルを持っていかれ
3M近くある崖から落下
落ちる瞬間今回ばかりはもうダメだろうと思ったけれど
気がついたら水の中
頭を出そうとすると水が勢いよくぶつかってくる
流れに巻き込まれてしまったと思って
慌てて自転車をつかみ岸に上がってよくみると
頭にに当たっていたのは塩ビ管から落ちてきていた水だったという漫画みたいな
出来事だったけど
後になって思うとその出来事が旅を深いものにしてくれていた
ゆっくりと下っていったのだけど今回は残念ながら
見つけることができなかった
 八甲田を登っていくと蔦温泉に到着
http://www.thuta.co.jp/
まずは腹ごしらえ
きのこの煮込みを食べながらビールを飲み
カレーライスを頼む
いい味だ
今度青森に来ることがあったらここに泊まろう
若い女性従業員の対応も気持ちが良い
 蔦温泉の周りを囲むようにある
ブナ林を散策
http://www.city.towada.lg.jp/koutsuu/tsuta/tsutanuma.htm
蔦沼が期待以上に美しかった
 散策を終えて温泉に入る
この温泉は昨年奥入瀬に落ちたときに
寒さと崖を落ちた恐怖でぶるぶる震えながら
入った温泉
だからこの温泉とその後に入った
もうすこしこし上ったところにある酸ヶ湯温泉はぼくにとっては最高の温泉なのだ
脱衣所であった地元のおじちゃんもここがいちばん好きな温泉だと言っていた
温泉にお入って疲れも抜けた
快調に坂道を上る
初日に膝と足の付け根を痛め
今回の旅は続けられるのだろうかと不安に思ったけど
温泉に入ったら次の日痛みなんてどこかに吹っ飛んでいた
今回の旅で温泉の力というものを始めて知った
 昨年見逃してしまった睡蓮沼に到着
ここは良い
どうやらぼくは湿原が好きらしい
 国道394を通って青荷温泉に向かう途中に城ヶ倉大橋というのがある
ここからの眺めはちょっと恐怖だ
高いところが大の苦手なので
こんなもの作って落ちたらどうするんだよと罵りながら
なるべく中央線に寄って通り抜ける
 きょうは夕食の30分前に宿に到着
風呂で一息ついて食堂に向かう
そういえばきのうほど暗さを感じない
慣れるものなんだ
便利さに慣れてしまうと
そこから抜け出すのは大変だけど
やる気になりさえすれば抜け出すことはできるんじゃないだろうか
立ち止まることができるんじゃないだろうか
便利さなんて取っ払ってしまった方が豊かな人生を送れるんだ
きょうの夕食でも新たな出会いがあった
ものすごくいい顔をしているひと
ぜったい面白いひとに違いないと思ったけどその通りだった
渓流釣りが一にも二にも大好きで
仕事でどこかに出かけるときでも
釣りの道具は必ず持っていくそうだ
コンサルタントの仕事をしているそうだけど
(話を聞いていてSさんの釣師としての生き方と
コンサルタントの仕事とのギャップを感じてしまうけど)
両方をやることでバランスが取れているのだろう
それにやっているすべてのこと
釣もコンサルタントの仕事も酒もたべることも
くくりなんてなくてなくて同じ線上にあるのではないだろうか
すべてを楽しんでいる
 食事の後にSさんに誘われて
喫茶店でコーヒーをご馳走になっていたら
そこで談笑していた方たちとも自然と輪ができた
昔の日本はきっとこんな感じだったのではないか
いままで旅に出てもビジネスホテルにしか泊まらなかったから
こんな出会いは当然なかった
温泉宿はそういう世界がまだ残っている希少な場所
大切にしていかなければならない
だいぶ長く話していたので
もう23:00頃になっているだろうと壁にかかっている時計を見たら
まだ21:00だった
ここは時間がゆっくりと進む
いまの社会では
電気(明かり)があるから
夜が夜でなくなっていて
みんな遅くまで仕事に追われているけど
ここでは明かりがないから
夜がしっかり夜だ
暗い中ではそうできることも少ないので
せかせか生きることもなく
時間がゆっくり流れていく
そしてここでは
ひととひととの触れ合いがある
明治生まれのひとが書いたエッセーを読んでいると
あの時代はとても厳しい時代だったはずなのに
こころに余裕があった
楽しんで生きていた
豊かに生きていた
人間として生きていた
便利な世の中に向かっているのに
時間が無くなっているのはどういう訳だ
    金曜
きょうは歩く
酸ヶ湯から八甲田大岳そしてまた酸ヶ湯に
8km~9Kmのコースだから
たいして時間もかからずに帰ってこれるだろうと考えていたけど
山道の1Kmがこんなに長いものとは
ぼくはどうしても平坦な道をランニングするときの感覚で距離を測ってしまう
8~9KMなんてゆっくり走っても1時間かからない距離だ
即製で作ったリュックのひもが肩に食い込んでくる
腹が減った
眠い
連日の自転車こぎで足が重たい
頂上付近はものすごい風だ
途中で引き返そうかなと何度も思ったけど
そんなことしてしまったら
また来年登りに来なければならなくなるから
気力を振り絞って歩いた
酸ヶ湯に着くと速攻食堂に向かって
ビールをグビグビやりながらそばを食べた
このそばがなかなかうまい
もうちょっと別の季節に食べたらもっとうまいはず
 今夜は酸ヶ湯に宿泊
http://www.sukayu.jp/ 
チェックイン前に
旅館前にある湧き水を飲みに行くと
下山をし始めてすぐに逆方向から登ってきて一言二言交わした女性とばったり
地元の方とのこと
青森のひとはみんな自然に寄り添って生きている
山できのこや山菜を採り
川で岩魚や山女を釣り
山を歩いたり
スキーをしたり
温泉に入ったり
自然のすばらしさ 価値をを知っているから
自然を大切にする
だからこれだけの自然が残っているし育てられているのではないだろうか
 それから青森には美しいひとが多い
顔が整っているとかきれいだとかいうんじゃなくて
きりっとした
いい顔をしている
 酸ヶ湯はやっぱりいいお湯だった
   土曜日
雨が降りそうだけど
午前中は何とかもってくれそうだ
八甲田山をグルリと回って田代平湿原に向かう
途中ススキで覆いつくされた場所があった
青森はなんて豊かなところなんだろう
木があり
水があり
温泉があり
うまい食べ物がある
宝がそこらじゅうに落ちている
 花の盛りが過ぎているためか
時間が早いからなのか
田代平湿原にはひとが誰もいない
田代平湿原を独り占めだ
軽くランニングをしながら見て歩くと
入り口付近に青池(竜神池)があるのにはびっくり
それから別の池に温帯性睡蓮という直径3cmくらいのかわいらしい睡蓮が咲いていた
今回は気づくことや感じることがとても多い旅となった
そのまんま生きていけばいいんだ
感じるままに
変わることは変わるし
変わらないものは変わらない
変えるべきものは変えればいいし
変えるべきでないものは変えなければいい
自由でありたいなら
ひとも自由だということを忘れてはいけない
押し付けてはいけないんだ
他のエネルギーになんて頼ることなく
自分自身のエネルギーを使って生きていこう
そして原子炉になんて負けないくらい
輝きを放ってやる
駅前で寿司を食べて
市場で塩ウニを買って新幹線に乗り込む
酵母は生きているだろうか
17:35那須塩原駅に到着

今年はまだ行きたいコンサートがいくつかあるのだけど
都会にはしばらく行きたくないから
今年はもしかしたらもう音楽を聴きに行くことはないかもしれない
でも先月カウシキとアマジーグのコンサートを体感して
自分の人生から音楽を切り捨てることはできないなと思った
来年はどんな音楽と出会えるだろう

オーブンが壊れた
電源切っても
温度がどんどん上がっていく
これは恐怖だ
目の前で福島原発と同じことが起こっている
いったいどこまで上がっていくのだろう
今週は雨が降っても休まずにがんばって
来週の旅資金を稼ごうと思っていたのだけど
逆に修理費6万5千円持っていかれてしまった
電気機器は嫌いだ
できれば使わなくても済む暮らしをしたいと思っている
いますこしずつ周りから電気機器を減らしているところ
なんだかよくわからない原因で突然壊れて
複雑すぎて壊れても工夫して使う余地も自分の手で直すこともできないから
専門家に修理を頼めばショックで落ち込んでしまうくらいの金を持っていかれる
金を必要としない使わない生き方をしていこうと思ったら
電気機器は大敵なのだ
故障したのは三段あるうちの一段だけだったので
残りの二段でがんばって焼こうとしたのだけど
全種類の生地を捏ね終えたところで
故障の段 残り二段ともストップ
きょうは最低だ
6万5千円の内訳を見ると
技術料が6000円
まあこれはしょうがねえかと思ったけど
出張料4万円にびっくり
電話で6万5千円かかると聞いたときに
すでにガクッリとなっていたのだけど
これを見て更に沈んだ
東京からライトバンで来たのだけど
30分ちゃかちゃかっといじって帰って行こうとした
宿に泊まっていくわけでもなしに
これではあんまりだと思い追いかけて
他の悪いところを見てもらったのだけど
(ボタンを押しても電源のスイッチがなかなか入れられない
温度の設定も同じく  接触が悪い)
この部分は他の社に依頼して作っているところなので
直せないとのこと
単純な修理のような気がするけど
6000円も取れる技術で直して欲しかった
金額なんかよりもひとや企業のこころに気持ちが沈んだだ
しばらくガクッときていたのだけど
来てくれたお客さんたちと話しているうちに
こころが満たされていった
自分が望んでいるものをぼくはもう手に入れているじゃないか

東京からいつもの自転車乗りの夫婦
ここ何年自転車乗りと呼ぶほど自転車に乗っていないようだけど
一応自転車だけは持ってくる
そのおふたりとインド人のライチさんが本日初対面
http://aikakendayori.blog101.fc2.com/ 
ライチさんがカレーを持ってきてくれたので
奥のテーブルでカレーパーティに突入
きょう自転車乗りのふたりをみていて確信した
ふたりはすでに「わたくしたち人間辞めました」状態になっている
カレー食いながらどら焼き食べてるし
ここに来る前もふたりでカキ氷9杯も食べてきたという
ここのとこひとを誘わないのは
ひとを誘うとどうしても予定が狂い
食べようとしていたものすべてを
胃袋に納めることができないからとのこと
それから「岡本駅はダメだ エレベーターがないから階段を下りるのが大変」
なんて言ってやがる
20段にも満たない岡本駅の階段
おふたりと牧草をむしゃむしゃ食っている牛の姿とが重なってしまった

夜 
犬と散歩
台風がかなり近づいてきたようだ
強めの風が吹き抜けていく
この風が好きなんだ
さらさらさらっと皮膚に触れながら通り過ぎていく
その一瞬で昼間の緊張がパーッと解きほぐれ
ぼくは空を見上げる
雲の切れ間から
ふたつ
みっつと
ほしが光っていた

きょうは大雨だ大雨だと
ラジオから流れてくるので
きょうは店を休みにして試作品を作った
大雨になれば
お客さんは来ない
お客さんが来なければ
パンがいっぱい残る
食べ物屋をやっていて
どんなときがいちばんガクッと来るかというと
作ったものがいっぱい残ってしまったときだ
パンなんて日持ちするものではないので
残ってしまったらどうにもならない
だからパンが残ってしまう可能性が高い日は
どうしても気分がのってこない
きょうは気分がのってこなかったことと
新しいパンを作りたいなという思いもあったのと
新しい配合が頭に浮かんだこともあったので
予告もなしに休むことにした
試作の生地は4種類作ったのだけど
それぞれ面白い味がでた
すこし癖が強いので一般受けするかどうかはわからないけど
でも癖があるものの方がまた食べたくなってしまうということだってあるもんな
きょう作ったパンを食べてみて
なんとなくこれからの方向性が見えてきた
自分はスパッとしたパンよりも
モサっとしていてそれでいてしっとりしているパンの方が
好きなんだということを思い出した
今年のうちにはいままでのパンから新しいパンにガラッと変わると思う
昼間から夕方にかけては時々強い雨が降ることもあったけど
晴れ間も出たりラジオで叫んでいたほど大雨にはならなかった
きょうはものすごく多くのお客さんが来てしまった
駐車場に次から次へと車が入ってくる
大地震以降
金曜日としては最高数のお客さんだったのではないだろうか
きょう来ていただいたお客さん
ごめんなさい
明日は開けられると思います???
このホームページの『本日の営業』のページにて確認してください

パンがいっぱい残ってしまった次の日は
またきょうもパンが残ってしまうだろうなと
弱気になってしまう
きょうはお客さんが来なかったから
明日はいっぱい来るだろうと思えるくらいにはなかなかなれない
でもこういう自分も気に入っている

商売を始めてみて
わかったことは
自分は商売人ではないということ
小さい頃からの夢は
スポーツ選手になること
いまでもそれは変わっていないけど
スポーツ選手が終わったら
商売でもやろうかと
高校では商業の勉強をした(簿記の一級とかも持っている)し
大学では経営学の勉強だ
でも商売っ気がまったくないし
経営努力もほとんど0だ
サンドウィッチのレシピを店に貼り付けようと思ってから
ようやく重い腰を上げたのは3年後だったか5年後だったか
ようやく店に本から切り抜いたサンドウィッチのレシピが貼り付けられた
あと何年生きられるかなんてわからない
後3,4年の命だということもありうるし
もっと早いことだってあるかもしれない
うまくいけばあと10年は生きられるかもしれないし
間違ってあと20年くらい生きちゃうかもしれない
でもどっちにしろ後の人生なんてそう長くはない
残りわずかな人生
将来の保険のために金を貯めこむよりも
ぼくはぼくの思いを突き詰めていきたい
誰がなんと言おうが
ぼくは毎日を懸命に生きているから
満足だ

通販をやめたのは
店売りをしっかりやりたかったからという理由と
パン作りに集中したかったからという理由から
通販をやっていた頃は
完全に自分の能力範囲を超えていた
顔が見える範囲
それがぼくにとっての適正範囲だと思う
それを超えてしまえば
無理が生じて
いつか亀裂や歪みが出てくる
これは何にでも言えること
いまの日本や世界の亀裂や歪みは
それぞれの分野や個人が
自分たちの適正範囲を超えてしまったことで
起きていること

景気が良くなったからといって
本当に喜べるのか
こころの底から喜べるのか
景気が良くなろうが
悪かろうが
本当のの喜びは
そんなところに左右されないところにあるんじゃないか
ひとのことはよくわからないけど
少なくともぼくはそうだ

インドのカウシキの歌声を聴いていると
「これは沖縄の音楽?」ときょうはじめて来たお客さん
「? ? ? いえ  インドの音楽です」
「そう パンはインドで修行してきたの」
「? ? ?」

ジムでの練習を終えて帰ろうとしたら
自転車がパンク
家でパンクの修理をしたことはあるけど
路上では初めてだ
来月の青森行き前のいい体験となった
  昨夜の疲れがあまり残っていないので
二日連続のジム行きだと張り切って出発しようとすると
自転車がパンク
タイヤを調べるとホッチキスの針のようなものが刺さっていた
きょうのジム行きは断念
きのうしっかり調べていれば・・・・・・・
成長するって
失敗を積み重ねることであり
痛い目に遭うことであり
経験することなんだ
できないんじゃない
やらないからできるようにならないんだ
やらないからわからないんだ

障害を乗り越えて
何かを達成することだけが
『生きること』なんかではではなくて
障害を乗り越えれいるときも
『生きている』んだ
むしろそのときの方が
輝いているのかもしれない

きのうのカウシキに続き本日は東京の代官山でアルジェリアのアマジーグ
最新アルバムはミュージック・マガジン誌2010年ワールド部門ベスト・アルバムNo.1に
選ばれたそうだがぼくにはなんだか物足りないアルバムに感じられた
きょう始めてアマジーグのライブを観てその物足りなさが何なのかがわかった
観客の熱気がないんだ
観客の熱気と一体になったときこのひとの音楽は完成する
観客の熱気がなければアマジーグの熱も上がってこないんだ
きのうときょうのコンサートでもうお腹いっぱい
金曜日にも行きたいコンサートがあったけどもう入りそうもない
来月の旅行までに消化させないと
なんだか気分がのってこない
http://www.youtube.com/watch?v=1k0_Y-xn2Tc&feature=related (映像)
最前列正面で観ていたらジワリジワッリと
攻め込んできたアルジェリア人観客たちに囲まれてしまった
アルジェリア人たちのノリは凄い
最初から飛ばす飛ばす
間違った場所に来てしまったかなと思ったよ
「ちょっとごめんね」とひとのからだを押しのけてカメラで映像を取りまくったり
「子供ひとりだからいいでしょ」と言いながら強引に割り込ませてきて
「こどもきをつけてね」と言いながら踊り狂うお母さん
最後にはお母さんが割り込んできていたけど
邪魔くさいところもあったけど
そんなに憎めなかった
彼らがいたからライブが盛り上がったというのもあるかな

本日東京の浅草でカウシキ・チャクラバルティ・デシカンのコンサート
インド声楽のCDはよく聴いていたのだけど
実際に聴くのは初めて
インドの声楽良いぞ!
すごく良い!
CDではここまでの良さはわからない
でもこれはカウシキだったからかな?
ものすごく近い距離で聴いていたので
からだの動きや使い方がよく見えた
下腹や鼻の使い方が義太夫を語るときの太夫さんと同じだ
だから声が遠くまで通る
カウシキとの始めての出会いは
何かの映像でだった
神が宿っていると思った
一瞬でこころが持っていかれた
今回始めてみたカウシキは神ではなく母になっていた
神なんかではなく母になったカウシキの方が
今後大いに面白くでかくなっていくであろうと感じた
でもいまのカウシキの魅力はいまだけのもの
できることなら近いうちにもう一度観てみたい
http://www.youtube.com/watch?v=mXdwaGPJ970&feature=related (映像)
初めて買ったカウシキのCDは3枚組のはずなのに2枚しか入っていなかったっけ
インドだからしかたがねえかと諦めていたけど
入っていなかった一枚を聴いてみたくなった
でもまた買うのもバカらしいな

TINARIWENの新しいアルバム『TASSILI』は素晴らしすぎる
聴いているとみぞうちの辺りで
何かが沸々沸々と湧き出してくる
胸の辺りがモゾモゾモゾモゾしてきて
心の中を浄化してくれる
生きていられれば何十年も何百年も聴きつけられるであろうアルバムだ
http://www.youtube.com/watch?v=r0AyA6-rKf8&feature=related  (映像)
http://www.youtube.com/watch?v=EedEwLOUpsk&feature=related

きっちりきっちり
表面だけ整えようとしても
そこには
何の力も感じられないものがあるだけだ
何かを動かすものがあるなら
それは思いだ
こころのなかにある純粋な思いだ

このところ戦争関連の本を読んでいる
日本人の持つ残忍さに驚いてしまったけど
自分にもその血が流れている
自分の人生を振り返ってみると
確かにその血は流れているなと納得してしまう
気をつけないといけない
日本はもう戦争することないなんて思いは大きな間違い
ここのところの国や官僚を見ていても
やっていることは戦争時や戦争直後とまったく変わっていない

今年は岩木山に行けそうにないので
とうもろこしを送ってもらった(嶽きみ)
茹で立ては甘すぎてちょっときついなあと感じたけど
冷めたら程ほどの甘さになった
でも12本は多かった
実はちょっと手違いがあって
来週も嶽きみが届いてしまう
ここまできたら
鯵ヶ沢にも行けそうにないので
干しイカも送ってもらおうかな
http://www.youtube.com/watch?v=9ki53rejljA (鯵ヶ沢の焼きイカ映像)

9月の中頃に休みを取って
東北方面へ旅行することにした
昨年は移動するだけの旅になってしまったけど
今年は昨年自転車で通り過ぎたときに
もうすこし時間を取れたらなと思った
奥入瀬と八甲田山でのんびりしようと思っていたのだけど
乳頭温泉鶴の湯の宿が空いていたので思わず予約してしまった
後で調べてみたら奥入瀬まではかなり距離があるし
予約した日も出発日の月曜日じゃなくて火曜日だ
今回の旅もどうなることやら

阿波踊りを観ていて思ったことは
人間はあんなからだの動きをすることができるんだということ
ぼくはからだを動かすことが好きで毎日運動をしているけど
まだまだぜんぜん」からだを使いこなせていない
阿呆連 映像
http://www.youtube.com/watch?v=xW1VaqAidwI

きょうはからだがだるかったので店を休んだ
先週から休みなしでやっていたので疲れてしまったこともあるけれど
今回は湿度にやられた

ユーストリームで中継していた徳島の阿波踊りに見入ってしまった
阿波踊りは想像以上にすごかったし面白かったけど
この番組も面白かった
きちんきちんとしていないのがいい
いまの日本はきちんときちんとで
みんながんじがらめになっている
みんなきちんときちんとに慣れてしまっているので
きちんとではないものに出くわすと怒り出す
なんだかギスギスギスギス窮屈な世界だ
きちんときちんとになるように誤魔化したりして
帳尻を合わせなければならなくなる
その辺のところがこの頃ぼくは
面白く感じなくなっているし
物足りなくも感じてしまう

那須塩原のTさんがジェノバペーストとミニトマトを持ってきてくれたので
オープンサンドにして食べた
ジェノバペーストは胡桃パンとの相性が良かった

きのうはからだが火照って眠れなかったので
パンを捏ねながら眠ってしまった
きょうは自転車に乗った雷神様が雨雲を持って来てくれたので
今夜は涼しくなってくれるだろう


8月13日
なまけもののパン屋
何年目かに突入
きのうパンがうまくいかなかったので
きょうは気合が入った
きょうはいい感じ
きのうの失敗の原因もわかった

もう何年目だか忘れてしまったが
十何年目かの最後の日は
ライ麦40%入りのパンが全滅
自分らしい締まりのなさ
がんばって
もっとうまいパンをつくれ!ということか
思いつく原因は3つある
そのうちのどれが原因だったのか
それを知ることができたら
もう一段ステップアップができる

目覚めたら
またゼロから始めればいい
すっきりとした気持ちのいい朝を迎えよう
始めてやったあの日の歓びを思い出して
きょうも一日
力一杯輝いていこう

きょうはずっとシャドーボクシングをやっていた
からだが一瞬5年前の感覚を思い出してくれた

大きな組織になればなるほど
どうしたって
切捨ての社会になってしまう
「大きな組織に組み込まれているから安心だ」なんて言っている場合じゃない

政治家や官僚は
人間が人間としてみえていない
人間を人間として思っていない
ぼくは将棋の駒になんてなりたくない
人生は一回だけ
こころが腐ってしまったひとたちに振り回されるのはごめんこうむりたい
お願いだから余計なことはしないでくれ
顔も見たこともない多くのひとのために何かをやろうと思っても
人間そんなに大きな力は持っていないし
ひとはそれぞれだ
基本はいつだって
このひとのためになんだということをわすれてはいけない
頼るべきものは
国なんかじゃない
お隣のひとだ
そして自分だ

原爆によって苦しみ続けているひとたちがいる
日本人に拉致されて樺太に置き去りにされた朝鮮のひとたちは
まだ帰ることができないし
戦争孤児や
戦時中に朝鮮のひとと結婚したひとたち
戦争で大切なひとを奪われたひとたち
日本が戦争に負けても
これらのひとたちはまだ戦争を終えることができない
日本はこれらのひとたちに対してほとんど何もしてこなかったし
いまでもその気はない
これから福島の原子力発電所の事故による被害だって拡大していくだろう
病気や貧困や差別
政府や官僚が責任を取らないのはいまでも全然変わっていない
「平和な国に生まれてきてよかった」なんて言っているひとたちにだって
これから同じような苦しみに見舞われることだってあるんだ
日本は決して平和な国なんかじゃない

もう日本が戦争することなんてないのだろうと思っていたけれど
「わが国が有効に支配している。他国が侵略してきたら、
あらゆる犠牲を払ってでも自衛権を行使し、これを排除する」という
官房長官の言葉を聞いて
自分の思いが間違っていることを知った
長崎原爆の日の翌日のことだもん
日本が戦争の責任を回避してきたことが
この発言や
いまにつながっているんだろう
政治家や官僚にずっと
うけつながれてきたもの

民主主義だとか言っているけど
日本は民主主義なんかじゃないだろう

こころを突き進む
ぼくにはそんな生き方しかできないし
それでいいと思っている
その結果
どんなことになろうとも
それしかできないんだ
どんな困難なことが
起ころうが
乗り越えていけばいいんだ
器用ではないから
そう簡単に乗り越えることはできないけど
諦めなければ
乗り越えられることは経験で知っている

部屋を片付けていたら
『レ ミゼラブル  日本公演 』のCDがでてきたので
久しぶりに聴いてみた
本の方はあと5分の1のところで挫折してしまったけど
ミュージカルの方は10回は観ていると思う
場面場面の情景がはっきりと浮かび上がってくる
http://www.youtube.com/watch?v=3uZNoe2KOYE  (映像)
小学生のときこのミュージカルを紹介するテレビ番組を観て
観てみたいなと思い続けていたのだけど
高校を卒業して東京に出てから
有楽町を歩いているときに帝国劇場でこのミュージカルの看板を見つけ
当日券を買って観たのが最初だった
久しぶりにCDを聴いてみてこの作品はやはりものすごいものだったということが
わかった

今日かかっていたcd
『ぞめき』 弐   徳島阿波踊り  
http://www.ahora-tyo.com/html/zomeki/index.html

調整中のライ麦80%のパン
もう一歩のところまできた
パン生地に具(ナッツ 胡桃など)混ぜ込むと
具が水分を吸い取って
パサパサのパンになってしまうのだけど
もちもち感を出そうとして
水の量を増やしたら
今度は酵母の力では支えきれなくなってしまう
どうすれば良いのか
ずっと悩んでいたのだけど
ふっと頭に浮かんだことを試してみたら
いい感じになってきた
具の良を極端に減らして
水の量もその分減らしてみたんだけど
酵母も耐えられるし
パサパサ感もない
そして具を減らした分
ライ麦のうまさがしっかり感じられるようになった
でも微妙な生地の硬さを感じ取るのが難しそう
ちょっとでも水の量を間違えれば
全然違うものになってしまうだろう

突然昔作っていたパンを
作ってみたくなった
八チミツを使ったパンや
タマゴをいっぱい使ったパン
オートミールを使ったパン
雑穀を使ったパン
チーズを使ったパン
ジャガイモを使ったパン
ブリオッシュなどなど
手間隙かかるパンなので
毎日の作業には取り入れられないけど
いつのときも遊び心を忘れてはいけないと思う
いまの自分の力で
それらのパンが
どんなパンになるのか
興味がある

心身ともに絶好調
パンの方もいままでわからなかったことが
もう一歩で解決できそうだ
まったくの勘違いだった
何年も毎日毎日がんばってわからないのなら
逆のことをやってみることなんだ
勘違いに気づくことって難しい
知識を得れば得るほど
頭は固くなってしまうからだ

人類はいつか破滅する
それは止めることはできないけど
太陽の消滅や隕石の衝突なんかが原因でなければ
遅らせることはできるかもしれない
でもいまはもう
できることからはじめようなんて言っているレベルではなくて
破滅へのカウントダウンは
ぼくらの想像をはるかに超えるスピードで進んでいる
「できることからはじめよう」
そこを超えて
考えられるかどうか
行動できるかどうかだ
自分の頭で考え
自分のからだを使って生き
ひとを想い
ものごとへの感謝の気持ちを忘れない
人間が人間として生きる
そんな世界が創れれば
もしかしたら
破滅へのカウントダウンのスピードがすこしは緩んでくれるかもしれない
でもそれは
この世から戦争がなくならないことを見るだけでもわかるように
とんでもなく難しいこと
すべての人間がひとつの方向に向かうなんてことはできない
そして人間は良くも悪くも楽観的な生き物だ

復興のためには金が足りない
増税だと言っているわりには
いまだに
必要のないところに
新たな道路を作っている

これだけの原子力発電所が
日本中に
世界中に
あるということは
放射性物質による汚染は
増えることはあっても
減ることはない

きょうかかっていたCD 
ali farka toure & toumani diabate   (マリ)
http://www.youtube.com/watch?v=1PKdK_68r0A   (映像)

今年に入って
ジムでの練習が月2回のペースになってしまった
ジムへ行く間隔が開いてしまうと
目が相手のパンチのスピードについていけなくなっているし
からだも感覚を忘れてしまっているから
感覚を取り戻すだけで練習が終わってしまう感じだ
だからなかなか次のステップに進むことができない
その分家での練習の質を上げるしかないだろう
いま現在ぼくのなかに
ボクシング以上に面白いと思えるものは存在しないので
誘惑や弱さに負けることなく
からだがいつまで動いてくれるかわからないけど
そのときまで力いっぱい生きてみよう

きのう作ったパンも最高にうまかった
いまはノリノリだぜ~
これがいつまで続くかわからない
あす突然パンがわからなくなって
苦しみ悩むことになるかもしれない
でも
明日もしうまくないパンができようとも
それは一年前のうまくないパンとは別のものなのだ
段階を上っていっている中でのうまくないパンだから
一段階上のうまくないパンなのだ
いままで自分の作るパンは
三振かホームラン
まずいかうまいかのどちらかだったけど
いまはホームランの数はわからないけど
三振の数は減って
その分ヒットが打てるようになった
そしてホームランの飛距離がちょっと伸びたのではないかと思う
自己分析だから
勝手な見解だけれど
でもまだまだあと何百倍何千倍もうまいパンになる余地はあるし
まだまだうまいパンを作れる自信はある
そうするためには
いまの自分を叩き壊して
もっと自由になることだ

毎日
ちょっとした判断ミスがあるけれど
いまはそれが見えるし
修正もできる
ひとつのミスが即自分の力になっている
こういうときこそ
おもいきり
ぶつかっていくべきなのだろう
こういうときこそ
せっかくだから
はったりかまそうがかまわない
気持ちをどんどん盛り上げて突き進んでいくべきなのだと思う
パンだけじゃなく
生活全般で
ぶつかって行きたい
いまはそんな心境
当たって砕け散ろうが
そんなことはどうでもいい
とにかく
いま
ピカピカに
輝いて
おもいきり
生きたい
いまが人生でいちばんの成長期
いまが人生でいちばん
輝いているぜ

きょうは新しい生地を作ってみた
朝になって突然作りたくなった
食パンの生地に押しライ麦を混ぜたもの
バケットに近い生地
2種類を食パン型に入れて焼こうと思ったのだけど
型が足りなかったので
小さい型に入れて焼いてみたら
けっこうおもしろいパンになったと思う
具が入っていないシンプルなパンであいしいもの
探してみたい

フジロックに行ってくるというひとが
ぼくの周りにいっぱいいる
こんな狭い世界にこれだけ行くというひとがいるということは
いったいどれくらい多くのひとたちがフジロックに集まるのだろう
出演アーティストを見てみたら
なるほど
これは行きたくなるわ
MANU CHAO
tinariwen
Marc Ribot
Amadou & Mariam 
RonSexsmith
などなど

ライ麦80パーセントのパンは具の量を増やしたら
いい感じになってきたけれど
具の味がライ麦に勝ってしまっているかな?
パンはそれぞれいい感じになってきた
あとは
うっかりミスさえなくせればなあ
これがいちばんの問題かも

パンは日々進化している
うまいときもあるし
まずいときもあるけど
それらすべて含めて
進化の過程なんだ

ここ数ヶ月でパンの味が少しずつ変わってきた
 1917(山型の食パン)は全粒粉を入れたら
もちもち感が出てきた
昨年まで夏になるとまったく膨らませることができなかったのだけど
何が悪かったのか分かり
いまではおすすめのパンになった
 ライ麦30%の平焼きはここ数日ようやく生地の醗酵具合見極めができるようになり
もちもち感がUPした
水分が多いパンを作るのは難しい
でもしっかりと観察していれば
気づくことがあることに
最近気がついた
ライ麦40%と60%は基本的なことを思い出して
今週作り方を変えてみたら
見事なパンになった
きのうの40%のレーズンパンを食べてみたら
驚いた
 あとはライ麦80%がもうちょいのところまでいっているのだけど
しっとりさせるまで水を加えてしまうと
生地が耐え切れなくなってしまうようだ
具がいっぱい入っているナッツとオレンジのパンだけは
いい感じでできている
 いまちょっとした成長期に入っている
経験すること
観察することの大切さを理解することができた
うまくいかないことが
いっぱい集まって
いまのパンができた
いまの日本
うまくいかないとすぐ切り捨てられてしまうから
みんな
ビビッてしまって
無難な道を選んでしまいがちだけど
やっぱりそこに喜びのある世界は存在しない
これからも
生きて行こうと思う
パンの追求は死ぬまで終わらない

今日かかっていたCD
youssou n'dour / nothing's in vain
http://www.youtube.com/watch?v=uFxIBOVyKD4&feature=related (映像)

きのうは全滅覚悟で新しいやり方でパンを作ってみた
うまくいかないパンもあったけど
かなりのものはパンらしくなってくれた
きょう残ったパンを食べてみると
味が全然違っている
なかには奇跡のようなパンもあった
まだまだ調整が必要だけど
手応えあり

きょうかかっていたCD
maria del mar bonet / cavall de foc (スペイン)
http://www.youtube.com/watch?v=syXfAGbZbmQ&feature=related  (映像)

ここ数年いちばん大きな問題点だったことの
解決策がわかりかけてきた
解決できるなんて思いはまったくなかった
死ぬまでわかんねえんだろうなと諦めていたんだけど
なんかわかっちゃった
やっぱりやり続けることなんだ
もしかしたらこれでもうひとつのパンも
改善できるかもしれない
作る手順などが変わってくるきて
時間もすこしかかるようになるから
はたしてひとりで対応できるものか
このところずっとわからなかったことが
立て続けにわかるようになってきた
それもかなり大きくて重要だったことが

暑さは体力を奪い取る
宇都宮まで自転車で行くだけで
かなりの消耗だ
それでもきょうはなぜかからだが良く動いたので
スパーリングは1ラウンド目から張り切ってバンバン行ってしまったら
すぐに失速
やっぱり暑さは体力を奪い取る
でもヨレヨレ フラフラになりながらも
おりゃーーーとパンチを出す
なんか生きてるねと
喜びで溢れてくる

今日かかっていたCD
karan casey *john doyle / Exiles Return (アイルランド)
http://www.youtube.com/watch?v=0HmNg5qpZ_8 (映像)

外に一歩踏み出すと
こんな中で走ったら
死んでしまってもおかしくないと思えてしまうような日差が
からだに突き刺さる
それでも走り出してみると気分がいい
からだの隅々から汗が噴出し
それといっしょにからだに溜まっていた悪いものも
流れ落ちていく
せせらぎの音は体感温度を3度は下げてくれ
たまに吹き付ける風は
これ以上の幸せはないということを
思い出させてくれる
脂肪が燃焼してきた
夕方からのジムワークのことを考えて一瞬躊躇したけど
600メートルのダッシュ
先のことなんて考えないで
おりゃーっと突っ込んでいく
瞬間瞬間に完全燃焼する
それがやっぱり面白い

きょうも暑い中パンを作る
季節の変わり目は
気温や湿度に
すぐに対処することはできないので
毎日少しずつ調整をしながら
作っていく
今年は経験を積んできたこともあるのか
かなり早く暑さに対応できた
それに昨年まで気づかなかったことを
かなり多く見つけていまのパン作りに取り入れることができている
夏は条件が悪い分
がんばって作っていれば気がつくことがいっぱいある
夏はどんどん醗酵が進み
他のパン生地と釜入れや生地の分割のタイミングが重なってしまう危険があり
たいへんスリリングだ
そのスリルをこのところようやく楽しめるようになってきた
きょうの1917(山型の食パン)とライ麦30%の平焼きモチモチ感は凄かった
ライ麦15%の胡桃のパンもいい感じ

数日前に福島菊次郎というひとを偶然知った
http://www.youtube.com/watch?v=kqbdjD0rVJA (映像)
自らの戦争体験を契機に権力と戦い続けた写真家だ
最近の著作を読んでみようと探してみたら
3冊も出していやがった
もう本を置く場所がないぜと罵りながら注文した本が
きのう届いた
『写らなかった戦後』という本で
写真だけでは伝えられなかったことを
文章で綴ったものだ
写真家の書く文章がおもしろいのは
写真家は良く観察しているのと
良く勉強しているのと
そして良く考えているからだと思う
この本もまだ一冊目の途中なんだけどかなり面白い
戦争のこと原爆のこと原発のこと戦争責任のこと政府や行政のこと
数年前
数十年前のことを書いた文章なんだけど
いまに繋がっている
その頃から日本は何も変わっていないということだ(悪い意味)
表紙に使われている被爆者の涙をなめる犬の写真には
見入ってしまうものがある
映像を観ているとかなりの変わり者のように見えてしまうけど
本当の変わり者は権力のバカな行いに
我慢して生きているぼくたちなのかもしれない

パラグライダーを10数年続けているという
お客さんがいて
来るたびにパラグライダーの話を聞かせてくれる
きょうは
「いま飛ぶのが面白くてしかたがない
飛ぶ度に面白くなっていく」と真っ赤な顔をほころばせて語っていた
自然を読み取れるようになっていく喜び
つまり人間力を取り戻したり獲得する喜び
自分という人間の持っている能力を最大限に使って生きる喜び
パラグライダーをやったことがないからわからないけど
そんなものがあるのかなあと思った
人間であることを置き去りにして進む先には虚しさがあるだけだ
ぼくがスポーツをするのも人間力を高めていきたいから
人間であることを感じていたいから
それともうひとつ苦しいときや怖いときに
一歩を踏み出す瞬間の気持ちを味わいたいから

腰周りの肉がいつの間にか
無くなっている
まだ夏が始まったばかりだというのに大丈夫だろうか

今日かかっていたCD
amazigh / marchez noir (アルジェリア)  今夏 来日
http://www.youtube.com/watch?v=OSPiaNKWqbo&feature=related  (映像)

今朝のサンドウィッチは
1917(山型の食パン)を軽くトーストして
シンプルにカマンベールチーズと生ハムをはさむ
想像以上に結構いける
このところ1917には小麦の全粒粉をすこし混ぜて焼いている
ビールが飲みたくなったけど
昨夜全部飲んでしまったんだっけ
残念

今日かかっていたCD
various artists / rembetika  (ギリシャ)
http://www.youtube.com/watch?v=1QMFA75WPoE&feature=related  (映像)

きょうもサンドバックを目一杯叩いた
待っていたって
幸福なんてやってこない
自分を思い切り生きること
それが幸福なんだ

こうしたい
こうしようと思うようには
進んでいかない
必ず
思いもよらなかったことが
まっすぐ歩いていこうとするぼくの人生に
降りかかってくる
でも
きっと
それがあるから
世界は広がっていき
ぼくがぼくを超えられるんだ
命の炎が燃え上がるんだ

ギリシャのレべーティカのCDをかけていたら
お客さんが全然やってこないので
バリのガムランのCDをかけてみたら
お客さんがちょこちょこと来だした
そして岩手から帰ってきたTさんが
ガムランの音に飛びついてきたので
CDを貸してあげた
今度はアフリカのコラという楽器のCDをかけたら
埼玉から帰ってきたNさんがお店に入ってきた瞬間に
コラの音に飛びついたのでCDを貸してあげた
今夜は入れ食いかと思ったところで
閉店時間になってしまった

きょうはトレーニングを休みにしようと思っていたのだけど
50代のおじさんが二人並んでゼーゼー言いながら
自転車を一生懸命こいでいる姿を見て
やっぱりやることにした
この辺りは
いちばんからだが動く年齢(18~30歳前半)のひとたちは運動をしていなくて
幼稚園~高校生位のひとたちと50歳以上のひとたちが炎天下の中でも
なんのその
サッカーをしたり
ランニングをしたり
ゲートボールをしたりと
動きまわり
楽しんでいる

今日かかっていたCD
Sonny Chillingworth / endressly   (ハワイ)
http://www.youtube.com/watch?v=Pt_7hfRL-gg   (映像)

気づきは確実にあり
とてもゆっくりでわずかだけど
パンのことがわかってきている
失敗していることに気づくこと
それがいちばん大事
失敗に気づきさえすれば
それを克服するくらいの知恵は
けっこう持っているものだ

失敗に気づかない政治家ども
失敗を認めようとしない政治家ども
失敗を誤魔化そうとする政治家ども
国民を誤魔化して操ることはもうできなくなってきた
瞬時に情報が飛び交う中で誤魔化すことはできなくなってきたし
目先だけの政治はもう限界にきている

国に属している以上
苦しい目にあうのは
いつも金がないひとたち

もちもちしたパンを作りたいという思いがあるから
どうしても水を入れすぎてしまうことがある
でもやっぱり限度というものがある
その境がすこしだけわかってきた気がするけど
まだまだ時間はかかりそうだ

きょうはやけにお客さんが多いなと思っていたら
お客さんの中に福の神(Iさん)が混じっていた

今日かかっていたCD 
Palya Bea / egyszalenek justonevoice  (ハンガリー)
http://www.youtube.com/watch?v=_0t9_UMpT6k&feature=related (映像)

きょうは蛍を20匹近く見かけた
毎年数匹は見かけるところなんだけど
これだけ多くみかけたのは初めて
条件が良かったのか
それとも住みやすい環境になってきたのだろうか

今日かかっていたCD
Triakel / Ullkas minne (スウェーデン)
http://www.youtube.com/watch?v=4eEosaOIzxQ  (映像)

今年の最高気温を記録した日
作業場の換気扇が壊れやがった
室温は6月だというのに44℃まで上昇
明日は気温が上がるということなので
店が終わってから換気扇を買いに行った
換気扇の取り付けなんて自分ができるのかなと思ったけど
なんでもなかった
ついでに調子が悪くて
冬からとめていた製氷機を清掃して
コンセントを入れてみた
音がなっているので明日には氷ができているかもしれない
もしダメだったら今年は製氷機なしかな
冷蔵庫
製氷機に
CDラジカセ
換気扇
東芝製品ばかり壊れやがる

今日かかっていたCD
Mor Karbasi / The Beauty And Sea  (エルサレム)
http://www.youtube.com/watch?v=s-5yC_XbHV8   (映像)

大工さんの仕事を眺めていると
きっと昔の方がやりがいがあったんだろうなと思ってしまう
難しいことに立ち向かっていったり
難しいことを習得する
楽しみがあったのじゃないか
経済を潤すために効率重視で生きるか
生きる喜びを取るか
何かを得るには何かを捨てなければならない
どんなときでも何を取るかは自分で選ぶことができるんだ

きょうはジムに到着する前に
すでにフラフラになってしまった
ランニングと自転車で
こんなことになってしまうなんて情けない
こんなのは年齢的なものなんかじゃなくて
練習量
練習の質の問題
ようは気合なんだ
スパーリングはボロボロだった
もっと楽しまなければいけない
打たれてもいいから
思い切ってぶつかっていく
良くないのは
失敗することを恐れて
縮こまってしまうこと
ドカーンとぶつかっていって
いい汗かいて
気持ち良く帰ろう
悔しさはぼくにとって
いちばんの生きる原動力
うまくいかないときの方が
力が湧いてくる
自分にはボクシングとパンしかないんだから
これだけはしっかりがんばろう

『壁』という岡田昇さんの写真集がある
崖に這いつくばっているひとや
断崖から飛び降りるひと
60度を越える斜面をスキーで滑るひと
大自然を相手に生死を賭けて遊ぶクレイジーな奴らを
捕らえた写真集だ
きょうさくら市在住のカメラマンWさんがやって来て
店の本棚からその本を見つけ出し
「これおれだよ」と指差しているページには
雪の穂高を登るWさんがドカーンと写っていた
この写真集を見るひと見るひと
「こいつらアホだ」と叫ぶのだけど
こんな近くにアホのひとりがいたなんて

人間ドックを受けると偽って
来月スコットランドに行く
ゴルフ場従業員は
昼はゴルフの聖地セント・アンドリューズでゴルフ三昧
夜はシングルモルト三昧だぜと言っていた
こんな生活をしていれば病気になんてなりようがないから
人間ドックなんて受ける必要がないだろう

那須塩原市でカレー屋さんを始めたライチさんが
カレーを持ってきてくれた
ライチさんのカレーはとても優しい味だ
カレー屋さん特にインド人がやっているカレー屋さんは
男性の料理人が作っているところがほとんどだからか
力強いカレーがドーンと出てくるけど
もしかしたらインドの家庭で食べられているカレーは
ライチさんのカレーのように優しい味がするのかもしれない

このところ週末になるとミスを連発
釜からパンを出すのを忘れてしまったり
軽量ミス
おつりの間違いなどなど
一瞬意識がどこかに飛んでしまうんだ

いま新幹線が一日乗り放題で
一万円という企画をやっていると聞いて
これは出かけなければと思って調べてみたんだけど
栃木(那須塩原)からの出発だとあんまり甘みがない
普通に東京往復したって一万円だし
長野に行こうと思っても片道一万円だし
青森だって片道一万三千円だ
青森に行ってお昼を食べて温泉入って帰ってくるか

やる
とにかくやる
できようが
できまいが
やる
うまかろうが
うまくなかろうが
やる
笑われようが
笑われなかろうが
やる
何か言われようが
言われなかろうが
やる
やりたいならやる
それだけだ

風邪が治ってきたと思っていたら
また喉の辺りがおかしくなってきた
きょうは練習中止
このところ楽してばかり
楽は厭きる
ぼくがいちばん喜びを感じる瞬間は
苦しんで苦しんでもがきながら
その先にあるものを目指して
突き進んでいるときなんだ
楽ばっかりしていると
楽から抜け出せなくなってしまいそうで怖い
楽しているうちに気力も情熱も失って
ふにゃふにゃ人間になってしまうんじゃないか

人間が生きていこうとすれば
自然を破壊する必要がある
燃料や住居となる木を貰ったり
食料となる植物や動物を貰ったり
人間は人間の力だけでは生きてはいけない
さまざまなものに助けられながら
生かされているのだ
ぼくたちは生きていることへの感謝をわすれてしまった
ぼくたちは欲張りすぎた
必要以上に自然を破壊してしまったぼくらに
生きていく術は残されているのだろうか
自然界はまだぼくらを助けてくれるのだろうか

ぼくは
生きているだろうか
ぼくはぼくの頭を使って考えているだろうか
ぼくはぼくのからだをしっかりと使っているだろうか
ぼくはぼく以外の何かに生きる喜びを求めていないだろうか
こころは喜びにあふれているだろうか
虚しさはないだろうか

自然保護と叫ぶ前に
ぼくらは自然を知らなければならない

その中で生きている人たちのことを
わすれてはいけない
その中で生きる人たちの生活や思想を
奪ってはいけない

数年前
みんながみんな
外を歩くとき
マスクをしていたときがあったけど
そのとき
これは防護服を着なければ
外を歩けないときが来るかもしれないなと思ったけど
こんなに早くそのときがやってくるとは
もしかしたら
人類滅亡へのカウントダウンは
ぼくが思っているよりも
ずっと早いスピードでカウントされているのかもしれない
今回は津波で破壊された原発も
地震の揺れだけで大事故になりえる可能性だってかなり高いはずだ
自然の力は人間の想像力をはるかに超えたところにある
人間は欲張りすぎた
世界中いたるところ
無理だらけだ
その歪みはいつどんな形で出てきてもおかしくはない
人間は自然の力には到底かなわないけど
人間の科学技術によって作り出された
欲望いっぱい背負い込んだ怪物たちは
人間を滅ぼすくらいの力はじゅうぶん持っている

野菜への放射性物質の検査を
個人でやろうと思えば
一品の検査で7千円8千円くらいかかるという
とてもじゃないけど検査なんて出せないだろう
市場に出回っているものはすべて検査していますと
NHKのラジオで誰かが言っていたけど
ひとつひとつを検査するなんて事は不可能だし
国の出した基準なんてものを自分の基準になんてしていたら
命がいくつあっても足りないだろう
国は国で「大丈夫だ」と言っていなけりゃ
国や東電で補償できる範囲のことじゃないし
政府のへの怒りももっとすごいことになるだろうし
原発をこれだけ推し進めてきた以上
すぐに引っ込めることもできない
すこしの犠牲はしかたがないといったところだろう
農家や漁師はそういう理由もあって
補償してもらえないから
放射性物質がくっついていようが
野菜を売らなきゃ生きていけないし
魚を売らなきゃ生きていけない
どこもかしこも大変だ
ここまで手に負えないことになるということがわかっても
そしてひとの命を犠牲にしておいても
まだ原発を動かし続けるということは狂気の沙汰としかいいようがない
自分としては人間が汚しておいて
人間だけ逃げるというのは虫が良すぎるという思いがあるので
魚介類も野菜も食べるし牛乳も飲む
外にだって出かけるけど
日本中の誰もがが
「やってらんねえよ」という思いのなかで生きているのだろう

カレー研究者
ライチさん(那須塩原市在住 国籍不明)が
6月11日からカレーやさんをオープンさせるとのこと
営業日は金曜日と土曜日と日曜日のみ
この辺りはみんななまけものなので
どこのお店もこんな感じなのです
『あいかけん』
那須塩原市豊浦121-418
0287-64-2688
金曜 土曜  11:30~21:00
日曜      11:00~15:00
南インドのカレー屋さんです
うまいです

扁桃腺が腫れ上がり
なかなか寝付けない
きょうは店をを休もうか迷ったけど
何とか動けそうだったので
はじめてみたら
だんだんしんどくなってきた
頭が熱くなってきたので
熱を計ってみると
38.9度
自身の最高記録だ
パンは作り始めたら途中でやめることができないので
なんとか作りきったけど
かなりきつかった
明日はさすがに無理そうだ

朝ランニングに出ると調子があまり良くない
胸の辺りがムカムカする
調子が良くないのに速く走っていたら
更に調子が悪くなったので
早めに切り上げた
いつも店が休みの日は2時間くらい走るのだけど
そうするとこの頃はからだが回復するのに
5時間くらいかかってしまうのでその間はなかなか
外に出かけられないのだけど
きょうは40分しか走っていないので
ぴんぴんしている
すこし早めに家を出て
久しぶりに『キッチンカンナ』へ寄っていくことにした
外は太陽熱が想像以上に強くなっていた
皮膚がジリジリ焼けてあっという間に真っ赤になってしまった
初めての道を行ったので時間に間に合うか危うかったけど
何とか間に合い惣菜とケーキとご飯を買った
店でも食べられるのだけど
せっかく太陽が出ているので外で食べることにした
涼しそうなところを探しながら自転車をこいでいると
良さそうな神社があったので
軒下を借りてそこで食べることにした
手間隙かけた食べ物は生きる力を与えてくれる
きょうも一日がんばるぞ~と力が湧いてくる
そこはちょうど風の通り道だったらしく
気持ちの良い風が通り過ぎていく
あとは酒があれば言うことなしだったんだけど
練習があるので酒は我慢
食後は横になり本を読んだり
昼寝をしたりゆっくり過ごした
ジム入りはひとが集まる19時ごろなので
ちょっと本屋に寄って
また涼しさを求めて
今度は鬼怒川に出て昼寝をした
エアコンに頼らなくたって
探せば涼めるところはいっぱいあるんだなと感じた
きっと昔の人々の生活の中には
涼むための知恵がいっぱいあったのだろうな
ペパと久しぶりのスパーリング
ペパは自転車の鍵を忘れてきたらしく
宇都宮の駅から歩いきたので
スパーリングを始めたのが
練習開始から2時間後
さすがにちょっと疲れたし気持ちの張りもそんなに続くものではない
いまちょうど井上ひさしの『ムサシ』を読んでいるところで
巌流島の闘いを思い出した
武蔵が意識して遅れて行ったのなら
武蔵という奴ははそうとうずるい奴だ
スパーリング前半はペパのスピードについていけずだったけど
後半になって調子が上がってきたのと
間合いも自分の間合いになってきたので
パンチを出して出して出しまくった
攻撃の工夫や精神面課題はいっぱいあったけど
サンドバックでのトレーニングの成果が出ていたので
きょうのところはこれで良し
練習後の夜風
なんとも言えない瞬間だ

那須塩原の自転車野朗 Iさんと
東京の自転車野朗 T夫妻がやってきた
I さんが来るときはなぜかお客さんがいっぱいやってくる
きょうもこれだけお客さんが来たのは
地震以来はじめてだ
世の中には銭が向こうからやって来てしまうひとがいるんだ
I さんはわずか数年で一生遊んで暮らせうくらいのお金を稼いでしまって
いまでは毎日自転車に乗ってあっちに行ったりこっちに行ったり
いちばん最初の商売が学生時代に大学入試の日にサンドウィッチをいっぱい作って
校門の前で『合格サンド』だよ~と叫んで数千万円を売り上げたとのこと
一方 東京のT夫妻は毎回 どこからか蚊とブヨそれに雨雲を連れてくる
きょうもブヨに刺され「痛い痛い」と言いながら雨雲を連れてやってきやがった
ブヨは連れてきた本人が刺されるだけだからいいけど雨は困るのだ
ひとはそれぞれそういう何かを呼び寄せてしまうものを持っているのかもしれない

急に暑くなったので
からだと頭がついていけなかった
釜入れを忘れたり
微生物たちがずっと先に行ってしまったりで
店に出すパンが少なくなってしまった
夏にはあと10度も作業場の温度が高くなるというのに
いまからこれではどうなっちまうんだろう
今年の夏はよく休もみ
よく遊ぶことにしよう

サンドバックがだいぶ長い時間叩けるようになってきた
心拍機能とパワーはこのままいけば何とかなりそうだ
あとはからだの柔軟性とバネそして瞬発力
まずは雨でなかなか走ることができないこの梅雨を
どう乗り切るか
めざせ!人生最強のからだ

山の木を伐採して杉の木を植林したり
米を作れや作れやと推奨したり
ダムや原発
自分の地位や権力を守ることが最優先になっているから
経済を潤すことや経済的援助に一生懸命の政治家たち
だから目先の利益ばかり追いかけて
何十年先
何百年先のことを考えていない
そんな政治家たちを信じたり
寄りかかろうとしていれば
人生はめちゃくちゃだ
政治家が最優先にするべきことは
ひとひとりひとりの命や健康
そして
生きる喜びを守ることではないのかと自分は思うのだけれど
考え方はひとそれぞれだから
どうこう言う筋合いはないのだけど
国がどうしようとも
自分の芯の部分は変わらない
自分にとって大切なものは
何があろうと変わらない
どうするかは自分で決めるし
自分でやるべきことは
自分でやる

壁にぶち当たったときこそ
しっかりと向き合えば
見えてくるものがいっぱいある
自分で答えを見つけ出してこそ
生きているっていえるんだ
そしてそうすることなしに
力はついていかない

あんまり自分を抑えていると
自分が何をやりたいのか
わからなくなってしまう
囲いから抜け出したくなったなら
柵を蹴り破って外に飛び出せばいいんだ

小学校のとき
先生が
3人組になれ~
とか
5人組になれ~と言うと
みんなが相手を探して3人組になったり
5人組になったりするゲームがあった
何人かがあぶれることになるんだけど
あぶれるやつはだいたいいつも同じやつらで
ぼくもそのなかのひとりだった

小学生のときは
言いたいことが言い出せなくて
損してしまうやつだった
くそ~となってどうしよもないときは
脱走したり
腕力で解決したり
でもものすごい頑固
嫌のものは頑として拒んだ
それはいまでも変わらない
この頑固さは人間が生きていくうえで
とても大切なものだ
人間ひとりひとりの頑固さがなかったら
人類はあっという間に滅びていただろう

きょうは林の中を駆け土の感触を楽しみ
川原を駆けて日本の美しさを思った
ぼくは3日間も外で走れないと死んでしまうので
放射線が蔓延していようと
外で走らなければならない
そしてぼくのからだはほとんど牛乳でできているので
放射性物質が含まれていようと
牛乳を飲まなければ脱乳症状が出てくるので
ガブガブ飲まなければならない
魚だって
捕られて捨てられるんじゃ
何のために生まれてきたのかわからないから
おいしく食べる

みんなが同じ
考え方になる必要なんてないんだ
「みんながひとつになって」
というのはなんだか危険だ
昔みんながひとつになって(させられて?)
戦争に臨んだ
みんながひとつになって
経済発展を成し遂げた結果が・・・・・・
みんなと同じにしなくちゃいけないという教えというか
空気がひとの持っている判断する力を奪ったのではないか

国の「大丈夫」なんて言葉を信じて生きていたら
命がいくつあっても足りなくなるだろう

科学技術を駆使しても
自然には敵わない
こころを置き去りにしてまで
ぼくたちはどこへ行こうとしているのだろう
科学時術によって自らが作り出した怪物たちに翻ろうされながら

うまいパンは
技術書なんて眺めていても
できやしない
技術書に忠実に作っていても
パンをわかることはできないし
力は付かない
作って作って作りまくって
失敗して失敗して
自分の頭で考えて
自分の手のひらで感じて
自分のパンを作っていくしかないんだ
パン作りに一番大切なものは
一にも二にも感覚だ
パン作りにこうしなければいけないなんてものはない
どう作ったっていい
作ったパンがうまければ
あるいは
自分の目指しているパンだったら
あるいは
自分の頭の中にあるパンというものを超えるものだったら
結果を出すのを急ぎすぎてはいけない
何十年かけたとしても
わかることなんてほんのちょびっと
自分のパンは
一生かけてみつけていくもの

組織が大きくなればなるほど
組織はひとりひとりのことなんてかまっていられなくなる
いかに組織を維持するか
いかに自分の地位や存在を守るか
そんなことが優先されてくる
国だって同じ
ひとりひとりの命や健康なんて目を向けていられない

経済経済経済でやってきた結果
とんでもないことになっているのに
それでも経済経済経済
いったいその先に
何を見ているのだろう

人並みになろうとなんてしなくてもいい
普通になろとなんてしなくてもいい
大人になろうとなんてしなくてもいい
人並みっていったい何?
普通っていったい何?
大人っていったい何?
そんなもん誰も知らない
自分が自分であればいいんだ
ぜーんぶそのままさらけ出して平気に生きればいい
悲しくなったら悲しめばいいし
笑いたくなったら笑えばいい
駆け出したくなったら駆け出せばいい
歌いたくなったら歌えばいいんだ
怖かったら怖がればいい
やりたくなければやらなければいい
合わせたくなければ合わせなければいい
笑いたくないなら笑わなくていい
踊りだしたくなったら踊りだせばいい
こころしょんぼりしているなら
それもそれで良し
うまくなんてできなくてもいい
動けなくなったら休んじゃえばいい
無理して何かやる必要なんて全然ない
こころのままに
こころのままに
時にしか解決できないことがある
ひとが何を言おうと
ひとが何をしおうと
そんなものを越えたところで生きていれば
そんなものはなんでもないこと
ひとに悪く思われたくないからと
自分を偽っていても
何も始まらない
時間の無駄だ
そんなものを気にして
楽しめないのは
バカバカしい
こころの叫びにしたがって生きていけ
喜びあふれる世界
とにかく生きることを
やめないことだ
ひとと比べる必要なんてないし
競争する必要もない
焦らず力まず
いつだって自分のぺースで歩いていけばいいんだ

雨が続いている
この雨を人間の都合で
止めることはできない
そんな力を人間は持っていない
自然の前では
焦ったところで
何かが変わるわけではないし
力でねじ伏せようと思ったところで
跳ね返されるだけだ
にんげんはそのまんま生きていくしかないんだ
弱いなりに
大地を踏みしめ
歩いていくしかないんだ
ひとより金持ちになろうだの
ひとより高い地位につこうだの
ちっちゃいことだ

悲しみは
悲しみで
生きる力を与えてくれる
悔しさは
悔しさで
生きる力を与えてくれる
そして生きていれば
悲しみも
悔しさも
喜びに変わる

国の言う
「大丈夫」という言葉が
大丈夫でなかったということは
良くあることだ
有識者だって間違うことはあるしいろいろ都合もあるのだろう
国がどう言おうが
どうするか判断し決断するのは
自分自身なんだ

春が来た
庭を歩いていると
今年も新しい発見があった
毎年目のなかには入っていたはずなのに
なぜいままで気がつかなかったのだろう
そんな今更ながらということがいっぱいある
どんな小さなことでも
それを知るには
時期というものが必要なのだろう

これくらいの数値なら
影響はない
大丈夫だと言われると
外で遊びまわりましょう
どんどん食べましょうと
推奨しているように聞こえてしまうけど
放射性物質なんて取り入れないにこしたことはないのだろう

テレビ局にもいろいろ都合があるだろう
それに映っている人にもいろいろ都合があるだろう
学者にもいろいろ都合があるのだろう
世の中は
持ちつ持たれつ

透き通る歌声 可憐で美しく そして神秘的
インド古典の若き女性声楽家 カウシキ・チャクラバルティ・デシカン 初来日!!

2011年8月23日(火) 18:30開場 / 19:30開演
料金:前売4,800円 / 当日5,300円(全自由席)
チケット発売中
⇒ p3.org/aas
富山でも観ることができます
ワールドミュージック・フェスティバル「スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド2011」
http://blog.livedoor.jp/sukiyaki_cc/archives/52160414.html
かなり面白いメンバーが登場します

また青森に行ってきたんだというひとが現れた
もうぼくの頭の中はアワビやらイカやらヒラメやら魚介類で一杯だ
早く行きたい
自転車を持っていくのは重いし
山ばっかりだから
自転車をこぐのはきついけど
そんなことをひと蹴りしてしまえるくらいの
喜びがあそこにはある
それにその重さときつさが
旅を深いものにしてくれるんだ

困っているひとに何かしてあげたい
困っていそうなひとを見るとそう思う
でも自分のこころを満足させることを最優先に動けば
大きなお世話になってしまう
そっとしておいて欲しいと思っているひともいるだろうし
がんばれ がんばれとはやし立てられても
のんびりやりたいんだと思っているひとだっていることだろう
それから自分でできることまで奪われてしまったら
生きるぞ~というエネルギーが湧き起こって来なくなってしまうだろう

岡田昇さんの動いている姿をはじめて見た
この映像を観ていたら
人間て何歳になっても変わるとができないんだなと思った
大人と子供境なんてないんだ
http://www.youtube.com/watch?v=aXFKEdXSJdk
http://www.youtube.com/watch?v=1_cp4PDP92k&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=onH01VeF2go&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=3R-9R_7z6h4&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=0rKAHhyBcbk&feature=related

さばの缶詰を食べた
「八戸沖秋さば」
八戸沖で獲れたさばを厳選して缶詰にしたもので
半年間置かないとおいしくないとのこと
半年間待ってようやく食べてみた
わさびをつけて
口に運ぶと
トローッととろけて
これはすごい
もう少しおくともっとおいしくなっているかも
http://marugoto.exblog.jp/1621015/
青森凄い
今年はもう一度青森に行かなければ

一ヶ月ぶりにジムへ
からだはちょい重いが
心臓はできていた
からだもけっこう動く
もうちょっと気合入れて練習すれば
いけそうだ
この時期は自転車が気持ちいい
初めての道を試してみたら
素敵なところをいっぱい見つけた
みどりがこころをワクワクさせる

うまくいっていないときというのは
ひとを批判してしまうものだけど
ここが踏ん張りどころだ
ここで踏ん張れれば
でっかくなれる

地震が起きて
いろんなものを失って思った
何もいらない
過去も未来も
いまこの瞬間だけがあってくれればいい
いまこの瞬間を目一杯生きられているかどうか
大切なものは
それだけだ

今年は呼吸を深くするということを
意識して生活している
そうしたら
世界の動きがゆっくりになった
自分がこころの底から楽しめているときというのは
こころが自分に寄り添っているとき
焦っても
事が良い方向に進むわけでもないし
欲張っても
喜びがいっぱい得られるわけでも
大きくなるわけではないことが
わかってきた
のんびりいこうぜ

地震が起こってからか
地震の前からか
「ひとりじゃない」
という言葉が
そこいらじゅうで聞こえてくる
その度に
不特定多数のひとにかける言葉じゃねえだろと思ってしまう
言葉が流行り言葉となって
世の中に氾濫しだしたとき
その言葉の裏には何が隠されているのだろうか

いつだって
どんなときだって
決断するのは
自分なんだ
みんなが持っているからといって
自分に必要でないものを持つ必要はないし
みんながこう言っているからといって
自分もそれに合わせる必要はない
放射性物質で汚染された食べ物を
食べるか食べないかは
政府がなんと言おうと
決断するのは自分なんだ

ジムになかなか行けなくて
一ヶ月あいてしまった
でもその分家での練習量を上げてみたら
自分が動かしたいと思ったように
からだが動いてくれるようになってきた
ある程度のところまでからだが動くようになりたいなら
ある程度の量のトレーニングが必要なんだなということがわかった
しっかりと使ってやれば
からだは動くようになってくれるということがわかったので
ますますやる気が出てきた
夏までにはからだの錆を全部取り除いて
今年中に人生最強のからだに持って行きたい
からだを無駄に使うことを無駄使いというけれど
使えるところを使わないのもまた無駄使いというんだ

きょうかかってCD
Andy Irvine Paul Brady (アイルランド)
http://www.youtube.com/watch?v=0vez5v_hh2I  (映像)
http://www.youtube.com/watch?v=D1l8hSBqS3E   (映像)
http://www.youtube.com/watch?v=Ad8RVexRUoQ    (映像)

年齢なんて意味がない
何歳になろうと
やりたいと思うことを
やっていくだけだ
50歳になろうと
100歳になろうと
何も変わらない
いまのように
熱く
熱く
駆け回るんだ

山口出身のOさんは
なぜか東北に惹かれている
ゴールデンウィークも秋田と青森に行ってきたとのこと
話を聞いていたら自分もまた行きたくなってきた
青森はいままで行った旅の中で
いちばんしっくりしたところ
今年もう一度行ってみようかと思っている

近くのゴルフ場で働いているお客さん
ゴルフ場は毎日やっているので
あんまり休めないのだろうなと思っていたら
今度人間ドックに行くということにして
スコットランドに行こうと思っているんだと言っている
この店はなぜかこんなお客さんばかりだ

アイルランドのひと達によるチャリティーコンサートが観られるそうです
ものすごい豪華なメンバーです
アイルランド音楽に興味がある方
アイルランド音楽を聴いたことのない方
ぜひ聴いてみてください
5月11日午前4時~  生中継
http://www.livetrad.com/

ジムに行こうと思っていたんだけど
昼寝から目覚めたら
ちょっと行けそうにない時間になっていたので
走りに行った
田には水が張られ
麦は高く背を伸ばし
新緑は眩しすぎる
おとぎ話の世界にいるような
不思議な感覚
風が最高に気持ちよい
久しぶりに大きな切り株に行ってみた
石碑がごろりんと転がっていた
起こそうとしたけど重くビクともしない
切り株のいつもの場所に寝転んだ
子供の頃の感覚がよみがえってくる
いつまでも続いているこの時間
どこにでも飛んでいける羽
こころのままに
こころのままにと
声がした

きょうかかっていたCD
frifot / jarven (スウェーデン)
http://www.youtube.com/watch?v=jwM50lQ9So0&feature=related (映像)
http://www.youtube.com/watch?v=42n3ovctKMg (映像)

ゴールデンウィークは休みなしの十連チャン
旅の疲れも残っていてかなりしんどかった
最後の3日間は集中力が切れて
うっかりミスを連発
店に出すパンの種類が減ってしまった
でも初めてのお客さんにいっぱい出会うことができて楽しかった
といってもひとの顔をすぐに忘れてしまうところがあるので
本当に初めてだったかなんてわからないけど

きょうかかっていたDVD
浜田真理子 / mariko live
http://www.youtube.com/watch?v=f-8gGYeN68s (映像)

ゴールデンウィークは問屋さんが休みになるので
自分がゴールデンウィーク前に休みになることもあって
ゴールデンウィークの一週間前から作業場が材料だらけになってしまった
とても狭い作業場からようやく材料がなくなっていき
気持ちもすっきり

きょうかかっていCD
Miriam Backhouse / gypsy without a roado  (イングランド)
http://www.youtube.com/watch?v=tQP2e8_9etE&feature=related (映像)

馬頭町に住んでいる
ほほえみ仏のOさんが
もう途絶えてしまった日本各所の祭りのことを教えてくれた
何十年か前まで
いまでは考えられないような祭りが日本各地で行われていた
かなり興味深いはなし
いまならまだ文献など残っているかもしれない
ひとも生きているかもしれない

きょうかかっていたCD
Vishwa Mohan Bhatt /Mohan's Veena  (インド)
http://www.youtube.com/watch?v=HyBPtlOA8ZI&feature=related (映像)

旅から帰ってくると
花々や木々の緑で
庭がにぎやいでいた
桜が散ると春も終わりと感覚でいたけど
桜が散ってからが春本番なんだな
そんなことに今頃気づいた
京都で花を見てきて
すこし花に興味を持ったのかもしれない
興味があるかないかで
見える世界って全然違うんだなあ

旅のこと (愛知・京都)
     日曜日
仕事の合間に
旅の準備
前日までにやっておけばいいのに
いつもこうなる
昔から
前もって計画したり
準備することがどうしてもできない
閉店時間前に完売してくれたので
一本前の電車に乗れた
22:40名古屋に到着
     月曜日
きのうのホテルは一泊2400円
しかも朝食付
初日はインターネットカフェでの宿泊を考えていたので
安いところがあって助かった
日本は宿代 電車代が高すぎる
本日は三河湾に浮かぶ佐久島に行く予定
名古屋駅から名鉄に乗って西尾駅へ
そこからバスに乗って船乗り場へ行くのだけど
下調べなんてしていないので
当然乗り継ぎがうまくいかない
スムーズに行かないということも
旅を面白いものにしてくれる要因のひとつだと思う
待って
走って
待って
待って
ようやく船までたどり着き
揺られること20分
島に到着
船には思っていた以上にひとが乗っていたけど
船を下りて
それぞれがそれぞれの思う方向へ進んでいけば
ひとの姿を覆い隠してしまうくらいの
広さはある
島の宿泊施設は民宿が数件
見る限りきょうはどの民宿も宿泊客がひとりもいなそうだ
この島で一泊することも考えていたのだけど
予約しなくて良かった
島の中によそ者がひとりだけというのも怖い
何かあっても逃げられない
何件かある食堂もきょうはほとんど休みで
開いているのは2件だけだった
島には余計な誘惑というものがないので
自分のこころのままに過ごすことができる
走って歩いて昼寝してボーっとしてまた走る
海の水は透き通り
山には緑が一杯
言うことなし
自転車を持ち込んでいるひとたちもいた
舗装してある道もあるのでロードバイクでも楽しめるけど
舗装されていない山側の道もかなり面白いので
マウンテンバイクの方がより楽しめると思う
      火曜日
きのうは蒲郡のホテルに泊まった
ホテルのHPに出ている料理と実際の料理のギャップがおかしかった
あわびの焼き物が
大アサリの焼き物になり
伊勢海老料理は
身の付いていない殻だけ入った味噌汁
海の幸の蒸し物のはずのセイロのふたを開けると
ブロッコリーと豚肉とシュウマイが
自分の期待以上のものに出会ったとき感動や満足は生まれてくるもの
期待を下回れば不満が生まれるだけなのに
どうしてHPに誇張したものをのせ
それを見たひとの期待を膨らませるようなことをするのだろう
大きく膨らんでしまった期待を超えることはそう簡単なことではない
 朝は竹島までランニング
一周3500Mくらいの小さな島だけど
その小さい中にいっぱい詰まっている
葉のこすれる音
きらきらの海
鳥のさえずり
波のおとを聴きながらボーっとしたくなったら
また行こうと思う
 夜はいよいよマーティン・ヘイズとデニスのコンサート
http://www.youtube.com/watch?v=Kfyu67M8994 (映像)
会場がある名古屋の今池に3時間も早く着いてしまったので
時間を潰すところを探したのだけど一時間歩いても
そういうところがみつからない
参ったなーと歩いていると一度通り過ぎた書店の前に出た
古本屋と間違えてしまうような外観からは
期待が持てそうもないので素通りしていたのだけど
窓越しに見えた店員さんの後姿を見て
このひとはかなりの本好きだと直感が働いて中に入った
入った瞬間
「これはやばい」と思った
つげ義春の漫画が並び
井上ひさしが山積みされ
岩波文庫がぎっしり棚に詰め込まれ
5分の1くらい占めているんじゃないかと思えるほど民俗学関連の本
東京の大きな本屋でも見かけないような
沖縄の写真家の写真集なんかもある
店主の好みがこれだけ出ている本屋に入ったのは初めてだ
それほど大きくないお店なのに
楽しすぎて2時間なんて
あっという間だった
(ちくさ正文館書店)
『サリー!サリー!サリー!』(インド・ファッションをフィールドワーク) 杉本星子
『縄文の豊かさと限界』  今村啓爾
『井上ひさしの言葉を継ぐために』  以上三冊購入
 マーティン・ヘイズとデニスは凄すぎた
はじめの15分の演奏だけで
ここで終わっても満足 ありがとうございましたって感じになってしまいました
目をつぶると
宇宙空間に放り込まれ
ふわふわとさまよっているぼくがいます
でもまったく不安ではありません
彼らの織り成す音の波動がぼくを優しく包み込んでくれています
目を開くと2mとないところにふたりがいます
こんな至福のときがあっていいのでしょうか
  11月5日もう一度 ふたりが見られるそうだ チケット5月7日発売
     THE MUSIC PLANT ホームページ   http://www.mplant.com/
ブログを見る限り食べること以外
文化的なことゼロの東京の自転車野朗Tさんをも惹きつけさせてしまったのだから
すごい
http://d.hatena.ne.jp/taketchi/201104
           水曜日
きのうはマーティンとデニスを聴いた後に京都に移動
中学校の修学旅行以来の京都だ
旅行に出る前に見ていた京都の地図は
小さい道は略されており大きい道しかのっておらず
そんなこと知らずに
四条通りのすぐ隣が五条通りで
その距離も30mくらいしか離れておらず
京都ってそんなに狭くないじゃゃんと思い込んでいたまま京都に入ったので
暗闇の中予約していたホテルを探す段になってびびった
今回の旅もも相変わらず予約しておいたホテルを探すのに時間がかかった
三つのホテルを探すのに合計して150分は使ったと思う
 朝5:00にランニング
京都の朝は早い
ホテルを出るともうすでにひとがいっぱい歩いている
朝帰りのひとも多いけど
散歩しているひと
観光をしているひと
ランニングをしているひともいっぱいいる
鴨川に行ったらあまりのひとの多さに
時間がわからなくなってしまった
朝なんだか昼なんだか夕方なんだか
こんな感覚は初めて
京都には不思議な空気が流れている
女性のランナーが現れたので
引っ張ってもらおうと後を追いかけたら
なんだか速い
何とかついていこうとがんばっていたら
ハイになってしまったので
そのまま女性を追い越して
突っ走ってしまった
もう足はフラフラだ
福祉大の目の先生に教えてもらった下賀茂神社の饅頭屋さんに行ったら休みだった
目の先生は
栃木から日帰りで京路に行っちゃうくらい
京都が大好きで
京都に行くことを話すと
京都のことなら黙ってられねえぜと
地図を持ってきておすすめスポットを教えてくれた
ホテルに戻って朝飯を食べてから今度は西の方に向かった
こっちの方がひとも建物も少ないので気持ちが軽くなる
そのなかでも広沢池とその周辺は異質な空間
ランニングするならここ
常寂光寺は緑が眩しい
ここなら住んでもいい
滞在時間がいちばん長かった場所
天竜寺は住みたいとは思わないけど
見事な庭
帰りはさすがに歩けなくなったので
嵐電で帰ってくる
 夜はマーティン デニスのコンサート 2日目
京都の観客の方が盛り上がりがいいからだろうか
マーティン デニス昨日以上にのっている
楽しそうだ
凄いと思える演奏家は
みんなからだのどこにも余計な力が入っていないし
気負いというものがない
それでいてもの凄い音楽を吐き出す
隣の席にひとはマーティンのワークショップを受けたそうだ
話しているとDrakskipというバンドのメンバーだそうだ
http://www.youtube.com/watch?v=D0QUcSc7K0I&feature=related  (映像)
聞いたことがある名前だなあと思ったら
CDを持っていた
それも同じアルバム2枚も
近所に3日連続Drakskipのコンサートを
追いかけてしまうような不良主婦がいて
そのひとが同じアルバム5枚も買い込んで
そのうち2枚を置いていったのだ
バンドのメンバーは思っていた以上に若く4人とも25歳前後とのこと
それを聞いてなるほどと思った
その不良主婦は若い男が大好きで
CDを貸しても
女のひとや歳をとった男のひとのCDを貸しても
返ってくるときに全然反応がないのだけど
若い男のひとのCDのときはものすごい反応が返ってくる
きっと新しく出たCDも10枚くらい買っているんじゃないか
マーティン デニスの演奏が終わった後
バンドのリーダーに
「こんな凄い演奏を聴いてしまったら燃えてくるんじゃないですか」と聞いてみたら
「いや~もっと練習しなきゃとダメだなと思いますよ」と言っていた
フィドルとニッケルハルパを担当している榎本さんも
音楽が好きでたまらないといったといった感じだ
『Drakskip』
http://www.drakskip.net/menu.html  ホームページ
これからもっともっと楽しい音楽になっていくことだろう
オレもがんばるぞ~
傷つかないよう自分を守っていてもなにも動かない
守るべきものは心の叫びだ
そのためだったらどんなに傷ついたってかまわない
      木曜日
きのうコンサートが終わってから入ったインド料理屋
店主が愉快なひとで
店でかかっている映画のひと場面ひと場面を説明してくれるんだけど
片言なので全然わからない
説明している本人だけが笑っている
外に出ると旅に出るとお約束の雨
傘を持っていないというと店主が傘をくれた
帰りは道に迷い1時間以上雨の中をさまよった
 酵母も元気
朝はまた広沢池の方まで行ってきた
今回の旅は良く走った
月曜日15KM 火曜日20KM 水曜日30KM 木曜日30KM
そのほかにこの半分くらい歩いたので足はパンパン ガクガクになった
朝のランニングでもうお腹いっぱい
これ以上は入らない
大満足の旅だった

今日かかっていたCD
鈴木亜紀・中ムラサトコ / 鍵盤女
http://www.youtube.com/watch?v=n81gWIkMaqs  (映像)
http://www.youtube.com/watch?v=VGpn1uOnmaM

来週は愛知と京都だ
音楽聴くだけではもったいないので
ほかにもどこかに行ってみようと思ったのだけど
ダメだ~
ぜんぜん計画が立てられない
自分は何でこんなに計画を立てることが苦手なのだろう
もしかしたらこころの奥底で
計画を立てることを拒否しているのかもしれない
という訳で来週は木曜日まで休みになります
帰ってこられたら金曜日から営業いたします
酵母を持っての旅なので
帰るまでに酵母の調子を悪くしてしまったら
営業再開日は変化しますので
ホームページで確認してから来てください

ジムに行くときは
店がまだ開いていれば
鬼怒川の橋近くの『絹島屋』で饅頭を買う
生地も餡もしっとりしていて
自分好みの味なので
練習前のエネルギー補給と
練習後の腹ごしらえで
だいたいいつも6コくらいは食べてしまう
饅頭をそれだけ食べても
なんでもないのだから
ジムに行く日は
そうとうからだを使っているのだろう

ひとを恨んでも
動き出すものなんてなにもてない
恨んでいる限り
その場所からは一歩も抜け出すことはできないんだ
悔しい思いをするたびに
悲しい思いをするたびに
つぶやいていた
もっと楽しく生きてやる
この悔しさも
この悲しみも
どうでもよくなってしまうくらい
楽しい人生を送ってやろうって

ひとに何かを伝えたいものがあるなら
自分の生きている姿を見てもらえばいい
言葉で何かを言ってもそう受け入れてもらえるものではない
その姿を見てどう取るか
どうするかは
そのひとが決めること
こちらの思うように伝わらなかったとしても
それはそれでしかたがないことだ

自分で
感じ取ることで
自分の世界が広がっていく
自分で
感じることなくして
自分の世界は広がっていかない

結果がどうなるかなんて
わからないけど
どうなったとしても
やることはかわらない
苦しいときでも
悲しいときでも
のりにのっているときでも
やることは
かわらない
目一杯自分を生きること
楽しい時間を過ごせるように努力すること
結局それしかねえんだ
いつまでも
止まっていることなんてできない
ひとは歩かなければ
生きてはいけないんだ

今日かかっていたCD
plays COMPOSTELA / 星の栖家
http://ironbridge.exblog.jp/i79/
http://www.youtube.com/watch?v=ZSvSwoVGa8M  (映像)

ひとの問題に首を突っ込むのは
楽だけど
自分自身の問題に向き合うことは
苦しいことだよね
しかし変わるときというのは
痛みを伴うものだ
どんなに怖くても
入っていかなければならない
何かに寄りかかろうとしていたり
逃げていても
何も解決しない
何も始まらない
   考えるのは自分だ
    自分で考えていいんだよ
    きみは考え出す力を持っているんだ
    自分で考えなければならないんだ
探し物は自分自身で見つけるんだ
自分自身の力で見つけていいんだよ
きみは見つけだす力を持っているんだ
自分で見つけなければならないんだ
   決めるのは自分だ
   自分で決めていいんだ
   きみは決める力を持っているんだ
   自分で決めなければならないんだ
決めたなら
その道を歩けばいいんだ
それでいいんだ
   立ち上がって歩き出すのは自分だ
   自分で立ち上がって歩き出していいんだ
   きみは立ち上がり歩き出す力を持っているんだ
   自分で立ち上がり歩き出さなければならないんだ
   生きるのは自分なんだ
自分でやるから
自分の身になってくる
生きることが楽しくなってくる
だからひとがひとにしてやれることなんてそんなに多くはないのだと思う
それは親が子供にしてやれることも同じだ
余計なことをすれば
それなりの結果になるだけだ
そして
余計なことをされた相手は
いつか必ず
そのつけを払うことになってくる
   ・見守ること
   ・(離れていても)そばにいてやること
   ・「それでいいんだよ」と
    後ろでどっしり構えていてやること
ひとがひとにしてやれることなんてそんなものだ


夜のランニング
久しぶりにからだが軽い
ダッシュをやった
ようやく風を切って走れるようになった
毎日ランニングをしていても
スピードトレーニングを怠ると
速く走ろうと
どんなにがんばってもからだが動いてくれない
からだの機能は使わなければ
すぐに衰えていく
こまかいところも意識して
しっかり使ってやらないといけないんだなと思う

どうすればパンの底が
焦げないように焼けるのか
ずっと考えてきたのだけど
ようやく方法が見つかった
10年も使ってきたカマなのに
全然使いこなせていなかった
わかるまでに10年もかかったのは
しっかりと見ようとしなかったからだ
どんなものだって見ようとしなければ見えるはずがない
生地の熟成が足りないからかと考えたけどそうではないし
温度を10度以上下げても焦げてしまうし
焼き時間を短くしても焦げてしまう
カマの性能が悪いからしかたがねえやと半分諦めていたのだけど
あと半分の諦めの悪さが答えを見つけてくれた
性能が悪いなら
そこは工夫してどうにかするしかないんだ
焼いている途中にカマの操作を忘れなければ
焦がさずに焼けるはず
あとは焼成不足を気をつけること

桜が見頃だ
店から道路を挟んで二軒家を飛び越えると
大きな公園があって
そこにぼくの大好きな桜の木がある
その木のすぐそばに外灯があって
夜になると外灯のあかりがその木を照らしてくれる
夜はひとがいないので
その美しい世界を
独り占めという
贅沢な時を過ごすことができる
近くの方はぜひ
散歩がてら見に来てごらん
来るなら絶対 夜だよ
と思ったけど
昼間もいいんだわ

きょうかかっていたCD 
大工哲弘 / 大工哲弘 (沖縄)
http://www.youtube.com/watch?v=Qim5ZkWQn84  (映像)
http://www.youtube.com/watch?v=B4fl7n2DydU&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=jgBMuTvxL8Y

最近頂き物が増えてきた
もう8年くらい毎週買いに来てくれているKさんに
ソーセージを頂いた
娘さんの住んでいる丹波に行ったときに買ってきたそうだ
作り手は高校を卒業してすぐ
ドイツに渡り何年間かソーセージやハム作りを勉強し
帰国後実家の肉屋を潰してソーセージ屋を始めたらしい
ここのパンにピッタリのソーセージだった
肉の味がするソーセージ
こんなソーセージが売っているお店が近くにあってくれたら
パンももっとおいしく食べてもらえるのに
ライ麦パンはそれだけで食べてもおいしくなくて
何かと合わせることで
何百倍にも何千倍にもおいしくなるパンなんだ
もしバターをつける場合はぜったい塩の入っていないバーターを使ってね

福島の農家に手伝いへ行っていたSちゃんに
手作りの納豆をもらった
最近スーパーに行っても
納豆が手に入らないので
久しぶりの納豆だ
うまい納豆を作るなんて
そう簡単じゃないだろうと
あまり期待していなかったんだけど
塩を振って食べてみたら
びっくりするほどうまかった
ぼく好みの味
あるようでないまめの味がする納豆だ
ぼくの行っているスーパーには
この納豆以上のものはない
納豆メーカーどうした
もう少し寝かしてみたら
また違った味が楽しめただろう
今度来たとき
また持ってくるように行っておこう
納豆菌は強いから
パンの酵母に近づけけない方がいいよと言われるのだけど
ぼくの酵母はそんなに弱くない
納豆菌だって放射線だって弾き飛ばしてしまうんだ
作業場で毎日のように納豆ご飯食べていたからね

国を動かそうとするひとたちは
なぜかどこの国でも
権力を得ようとしたり
地位にしがみつこうとしたり
自分の存在を守るのに精一杯になって
国民ひとりひとりのことを考える余裕なんてなくて
権力や地位を得るためには
内戦だって起こすし
原発だって造らなきゃならない
ときには涙だって必要だ
約束忘れても
自己PRだけはわすれない
そんなひとたちを頼もしくは思えないけど
見ていると
ちょっと愉快になってくる

ひとを
うまくごまかして
コントロールするのは
スローガンのようなものをつくって
連呼するのがいちばんだ

何かというととスローガンを持ち出して
連呼する
スローガンは好きではない
ひとにコントロールされるのは嫌いなのだ
スローガンは危険だと思う
それにのらなければならない空気が
世の中に流れ出す
自分で考え
自分で判断して
自分で決断して
動く
それを忘れたとき
この世は本当に
終わりをむかえるだろう
非国民といわれようが
白い目を向けられようが
ひとりの純粋な思いは
いつの日か
希望の光となって
人々を照らすだろう

マーティン・ヘイズ&デニス・カヒルのコンサート
中止になるだろうと思っていたのだけど
やることになったそうだ
http://www.youtube.com/watch?v=GbNfKXt7hGc&feature=player_embedded  (映像)
4/23(土)東京 Star Pine's Cafe 
4/24(日)東京 Star Pine's Cafe
4/26(火)名古屋 TOKUZO
4/27(水)京都 磔磔
4/29(祝)札幌 ルーテルホール
http://www.mplant.com/

ひとりひとりを守るためにできた組織も
大きくなるにしたがって
ひとりひとりを犠牲にしてでも
組織を守るようになっていく
国という大きな組織に組み込まれてしまったいまこそ
自分自身で生き抜く力をつけておかなければならないのではないか
国という組織に寄りかかっている以上
いつの日か後悔しなければならない日がやってくるだろう

今日かかっていたCD
bazar bla / tripfolk (スウェーデン)
http://www.youtube.com/watch?v=TKZ-KLSST4I  (映像)

怖さはほおっておくと
どんどん膨らんでいってしまう
人間の想像力は
良い方にも持っていけるけど
悪い方にも持っていける
怖さから逃れる唯一の方法は
その怖さの中に入っていくことだ
地震の怖さから逃れるには
地震で死んでもいいやと腹をくくって布団に入ることしかないし
放射線の怖さから逃れるには
放射線いっぱい浴びてどうにかなったとしても
しかたねえやと開き直って生きるしかないし
パンチをもらう怖さから逃れるには
パンチをもらったっていいや
倒れたっていいやと
思い切ることしかない

ひさしぶりに東京の自転車乗りT夫妻がやってきた
東京に住んでいる多くのひとたちは
栃木はやばいでしょと思っているようだ
外国に住んでいる人たちが
日本やばいことになっている行きたくないと思っているのと同じで
遠くに離れているひとほど原発に近いところは
すごいことになっていると思っているようだ
那須にあるホテルは空室だらけで
ホテルでアルバイトをしていたひとは
あまりのお客さんの少なさに
しばらく休まされているそうだ
でも栃木に来てみるとわかると思うけど
みんな平気に生活している
地震のあった数日後には
小学生がいつも通りに歩いて登校していたし
暖かくなってくると外で裸になって
シャドーボクシングをやっているやつもいる
それでもきっと
栃木に住んでいるひとたちたちも
東北には行きたくないと思っているだろう

原発は政治家だけが作り出したものではないし
発明家だけが作り出したものではない
人間ひとりひとりの思いが作り出したものだ
いまの状況は
ひとりひとりがその核融合エネルギーによって動き回っている
ひとりひとりが鉄腕アトムになってしまったということだ
空飛ぶ水素爆弾
考えてみれば危ないこと極まりない

緊張感があるのとないとでは
面白さが違ってくる
だからといって
24時間緊張感もって生きていても
疲れてしまうし面白くもないだろう
緊張感を欲しだしたら
緊張感の持てる場所に行けばいい
緊張感を緩めたければ
緩められる場所に行けばいい
こころの言うとおりに
従っていれば
ストレスもそれほどたまることなく
生きられると思う
さあ サンドバック叩きにいくぞ~

数値化されたものを見せられると
納得させられやすいけど
物事が成り立つときの構成要素は
数値化できないものが多くを占めている
子供の人間としての成長度を数値化するなんてことはできないし
危険度を数値化することなんてできない 

失敗することを怖がっていれば
からだは縮こまってしまって
力を出し切れない
失敗してもいいやと開き直って
思い切りやってみる
そうやって生きていくことでしか
力はついていかない

ビールがうまい季節になってきた
桜の花も開きだして
自分のからだもほぐれやすくなってきた
エンジン全開だ

Aさんと Bさんは仲が悪い
AさんがCさんに
Bは嫌な奴なんだよと言えば
CさんはBさんは嫌な奴なんだと思ってしまう
BさんがDさんに
Aは嫌な奴なんだよと言えば
DさんはAさんは嫌な奴なんだと思ってしまう
でもこういうことは当事者にしかわからないことだから
その手の話は
話半分で聞いておいた方がいい
こんなことで
自分の世界を狭めてしまうのはもったいない

今日かかっていたCD
nainy diabate / nafa
http://www.youtube.com/watch?v=QvOd1oMULJw&feature=related  (映像)

今日かかっていたCD
Mediterranea/ Savina Yannatou (ギリシャ)
http://www.youtube.com/watch?v=EkHxIa4ZeBs&feature=related  (映像)

一ヶ月ぶりにジムに行った
久しぶりに自転車に乗ったので腰に来てしまった
きのうも宇都宮まで行ったのだけど
早めについてしまったので
街中の本屋に行って時間をつぶしていたら
暗くなってしまい
道に迷って
ジムにたどり着けなかった
きのうはものすごい強風が吹いていて
しかも本屋ででかい本ばかり買ってしまったので(総重量4000g)
家にたどり着くまでが本当に堪えた
頭が痛くなり気持ちも悪くなったくらいだ
その影響があったのだろう
でもジムに行ってみてよかった
家でひとりシャドーボクシングをしていても
気合が入らないし
ものすごい疲れる
相手と向き合うことで
自分の持っている力が最大限に引き出されることがわかった
いっぱい課題が見つかった
ここ何年か
自分の思い通りに
からだが動いてこうれたことがないので
課題がいろいろあるけれど
今年はまずそこのところを
いちばんの克服課題としようと思った
一ヶ月休んでいるうちに
みんなかなり
うまくなっていた
オレも負けられねーぜ

つかこうへいの『広島に原爆を落とす日』を読んだ
前に一度読んだことがあるのだけど
まったく内容を忘れていた
つかこうへいの小説はどれもはちゃめちゃなんだけど
人間の本質を捕らえた言葉が随所に出てくるので
けっこう考えさせられてしまう

今日かかってたCD
Gamelan of Central java  
--Classical Gendings--
http://www.youtube.com/watch?v=C2horRibeWE&feature=related (映像

誰かを愛するということは
世界中の人間を愛するということ
地球上にあるすべての生き物 
すべての物体を愛するということ

自分は何もしてあげられないと
肩身を狭くしたり
暗くなったり
することはないんじゃないか
被災地のひとを愛することと
すぐ隣にいるひとを愛することとで
何か違いがあるのかい

1億円の寄付も
10円の寄付も
思いに
違いはない

のんびりいこうや
学校ではひとに合わせるように言われたけど
自分のペースで歩いていけばいいんだ
ひとと同じじゃないことに不安を感じて
ひとの足跡を追っていっても
その先にあるのは
虚しさだけだ

どんなに悲しいことがあったって
ひとは歩いていかなければならないんだ
でもゆっくりでいいんだ
ゆっくりゆっくり歩いていけばいい
無理に悲しみを忘れようとする必要なんてない
ぼくは歩いていくよ
自分をおもいきり生きて
楽しい人生を送ること
それがぼくの
産んでくれたことへの感謝のしるし

悲しみに打ちひしがれているひとに
かけられる言葉なんてない
できるのは
いっしょにいてやることだけ

被災地のひとにだけじゃなくて
すぐとなりにいるひと
すぐ目の前にいるひとに
愛を与えることが
世界を救うんだ
世界を照らすんだ

子供は親が思っている以上に
力を持っている
考えることもできるし
転んだって自分で立ち上がることができる
固いパンだって食べられるし
酸味だってへっちゃらだ

教師の言うことが絶対じゃない
おかしいと思ったら
ぶつかっていけばいい
合わせたくなかったら
無理に合わせる必要なんてない
興味があったら
自分を押さえつけないで
そのまんま飛び込んでいくんだ
自分を誤魔化したり
隠していても
何も始まらない
そのまんまぶつかっていくことで
広がっていける
学校の勉強なんて
できなくていいんだ
知識を詰め込むよりも大切なことがあるんだ
いっぱい遊んで
考える力
判断する力
生きていくために必要な力を身につけておけば
いざというとき
自分の力で乗り越えていくことができるから
体感することでしか
わからないことがあるんだ
日本人が世界で活躍すると
「日本人として誇りに思う」というひとがいるけど
そんな人間には絶対なるな
自分自身が誇りになれ
自分自身が情熱燃やせ
せかせかせかせかしなくていい
ゆっくりと歩いていけばいい
こころはいつでも自分のなかに置いておけ
焦っていると思ったら
一呼吸
二呼吸
三呼吸

自分たちの生き方も
自分たちの安全も
行政やひと任せじゃなくて
ひとりひとりが
考えること
ひとりひとりが
生きる力を身につけること

組織に入れば他人任せになる
自分の周りほんの一部分しかわかっていなくて
全体が見渡せなくなる
大きな組織は
いずれ怪物に変わり
暴走し始める
そうなれば人間の力では
制御不可能だ
食べ物を食い尽くすか
病気になるか
結果はそれしかない

過去のオレは
いまのオレじゃない
いまのオレがいまのオレ
未来のオレは
いまのオレじゃない

猪谷六合雄というひとの『雪に生きる』という本と
坂本直行というひとの『原野から見た山』という本を読んでいる
明治生まれの人のなかに面白いひとが多いのは
自分の(人間の)持っている能力を最大限に利用して生きていたからだと思う
最近気がついたのだけど
ぼくの本棚にはそういうひとたちの本ばかりだ
そういうひとたちに惹かれていたんだなあと思うし
そういうふうに生きたいという願望もあるのだと思う
目覚めよ
ぼくの中に眠っている
野性よ

ひとを批判する前に
自分が変わることだ

夜は停電になったので
外に出てハンモックに揺られながら
昔の空はこんなだったんだなあと思いながら
星を眺めていた

   豊かさと安定を求めて
   学校が終われば塾にまで行って勉強して
   良い大学に入って
   良い会社に入った
   そして
   たしかに思っていた
   豊かさは手に入れた
   安定も手に入れた
   でも豊かさを手に入れるほどに
   自分も
   まわりも
   せかせか
   ぎすぎすしていくし
   仕事に束縛されて
   遊ぶ時間もなくなった
   安定は安定してるけど
   これじゃあ
   がんじがらめだ
   とにかく
   せかせか
   ぎすぎすの世界は疲れるよ
   時間にちょっとでも遅れようものなら
   罵声が飛んでくるから
   毎日時計の針に追い立てられながらの生活だ
   国の首相がこんなにも
   ころころ変わっているのはこの国だけだよ
   ちょっとでもミスをしようものなら
   「辞めろ」
   「辞めろ」だ
   いまの首相を見てみろ
   国民の目
   まわりの議員の目
   それからアメリカの目のはざ間で
   おどおどおどおどしちまってるよ
   「失敗してもいいから思い切ってやってみろ」って
   国民が見守ってやるくらいじゃねえと
   いい政治家は育たないよ
   人間てぇのは失敗から学ぶもんよ
いま本を2冊読んでいるんだけど
2冊とも偶然
明治生まれの人が書いたエッセイで
本を書かれたお二人とも
自分の頭
自分のからだ
使えるところをしっかり使って
人間らしく生きている
お二人が生きた時代は
かなり厳しい時代だったはずだけど
その時代の人たちは
せかせかも
ぎすぎすもなく
みんな
おおらかに生きている
誰かが失敗したり迷惑をかけても
「いいよ」「いいよ」の一言で許してしまうし
ちょっとでもひとが困っていれば手を差し伸べる
みんな貧乏だったけど
充実して生きていた
金や物がいくらあったって
自分がなければ虚しいだけだ
金や物がなくたって
自分さえありさえすれば
こころは豊かだ
このあたりで
ぼくたちも変わらなければ
先は見えている
収入が少なくなったとしても
その分人間らしく生きてみれば
こころは充実して
豊かだ
   周りを蹴落としたり
   犠牲にして
   そこまでして得たものに
   それほどまでの価値があったのだろうか
   いつまでも
   こんなことをしていたら先が見えている
厳しいときだからこそ
その時代に生きたひとたちには
おおらかさが必要だったのかもしれない
この厳しい時期にこそ
ぼくたちもおおらかさが必要だ
広いこころを持ち
どっしりと生きることが必要だ
いまが変われるときだと思うのけど
人間というものはそうそう変われるものでないかな
金や物
思っていたような豊かさを手に入れてみて
その虚しさに気がついても
そこから抜け出そうとするひとはほとんどいない
またいままで通り
せかせか
ぎすぎす生きている
ちょっとした勇気さえ出せば
人生変われるかもしれないのに
好きなことをやってるなかで
起こる苦しみと
好きなことをやらない苦しみは
まったく別のもの
苦しさのなかにも
愛しさを感じられる苦しみもあるんだ
     システムの中に身をおいていれば
     安全だと思っているかもしれないけど
     この世に絶対安全なんてことはありえないんだ
     むしろシステムが大きくなればなるほど
     トラブルが起こったときに
     どうにもならないという事態にもなる可能性も大きいのじゃないだろうか
     システムに頼る生き方じゃなくて
     生きる力を身につけられるような生きかた
     安全なんてものは
     自分自身で確保するものだ
     安全安心という言葉を信じて
     胡坐をかいていることの危険さに気がついて欲しい

自分の国を食い尽くしたら
食べるものを求めて
他の国へでかけけていく
その国を食べつくしたら
今度はまた別の国へ
全部の国を食べつくしてしまったら
もうそこで終わりになるしかない
先は見えているけど
企業としては進むしかないのだろうか
なんのために進むのだろうか
なんのためにひとは生きているのだろうか

にんげんの持っているエネルギー以上のものを
別のエネルギーで賄おうとした場合
そのエネルギーが大きければ大きいほど
なにか問題が生じた場合
人間の力ではどうにもならないことになることがある

自分を誤魔化して
何かをやっていても
何も身につかないし
何も得られない
時間を無駄にしているだけだ

原発反対と言う前に
自分たちが
電気に頼らない生き方をする方が先だ

機械音がない世界というものも
悪くないと思った

ああ言えば
ああ動き
こう言えば
こう動く
自分をなくしてしまい
判断力もなくしてしまった
ロボット化した人間たちが
右手では山の木を次々に引っこ抜き
左手では札束をかき集めている
みんながみんな同じように動くので
木はあっという間に抜き取られ
山々は丸裸
ロボットたちは
ときには
納豆を買いあさり
ときには
トラのマスクをかぶり
ときには
エコ家電を買いに走り
ときには
地球を守ろうと
自然保護運動を始めたり
ときには
肩の部分がとがった服を着て踊りまくり
ときには
テレビに前で可笑しな体操をやっている
ほかの国の人々は
このどう転がるかわからない
どうにでも転がってしまう
不気味な集団を
KAMIKAZEと呼び恐れていた

人間は自分の持っているエネルギー以上の力を使って
豊かさを手に入れようと
欲張って原発を作ったけど
ひとりの人間が発するエネルギーは
原発が作り出すエネルギーをも超えるんだ
電気や他のエネルギーになんて
寄りかかった生き方なんかじゃなくて
自分の命の炎を燃え上がらせれば
原子炉の炎なんかよりも
もっともっと明るく
世界を照らすことができるんだ
豊かさなんてどこからかもたらされるものなんかじゃなくて
自分の生き方次第なんだ
気合いなんだよ
気合い

ひとに批判されたって
もし自分が間違っていないと思うのだったら
自分をしっかり生きていると思うのだったら
自分を変えてはいけない
負けてはいけない
ひとに好かれようとなんて生きてはいけない
仲間はずれになることを恐れてはいけない

ひとを批判することは楽だ
でも批判されたひとも
そのひとなりに懸命にやっている
思い通りに行動に踏み切れないひともいるし
声を発せられないひともいる
それに思いだってひとそれぞれだろう
ひとを批判する前に
自分自身のことを考えてみれば
そう批判はできなくなるだろう
ひとにはそのひとなりの事情がある
批判するひとはそれを知らない
表面だけ見て批判するのは止めるべきだ
完璧な人間なんていない
みんながなりたい自分になろうと
もがき苦しんで
生きている
批判に耐えられる人もいるけれど
耐えられなくて死んでしまう人だっている
批判する前に自分が変わることだ


ウサギのぴょん太はいつも
悪者にされてしまう
自分を正当化するのに悪者が必要になるのだろう
自分の問題をごまかすために悪者が必要になるのだろう
ぴょん太には
なぜかいつもそういう役が回ってくる
自分に正直に
懸命に生きているのに
でもぴょん太はそれでいいと思っている
自分が悪者になるだけで
その子がその瞬間だけでも救われるのならと
きょうもひょこたんぴょこたん駆け回っている

ひとは誰でも
自分を懸命に生きている
どんな状況下だって
歯を食いしばって懸命に生きている
悲しみも苦しみもいっぱい背負い込んで
懸命に生きている
転んでも転んでも立ち上がって歩いている
ちゃんと出来ているか
出来ていないかとか
華があるか
ないかだとか
そんなことは
問題ではない
命燃やして
ドカーンと生きてやろう

テレビでは一日中
震災の情報が流れている
その情報によって
いまこの瞬間もかなり多くの人が動かされている
良くも悪くもマスメディアによってこの世界はかなりの部分動かされている
マスメディアが取り上げれば取り上げるほど
人々には注目される
テレビなどの報道を観て多くの人が困っている人
苦しんでいる人を助けたいと思っただろう
それは当然のことだと思うのだけど
いまこの瞬間
震災とは関係ないところで
マスメディアにも報道されることなく
誰にもに知られることなく関心もしめされることもなく苦しんでいる人もいる
すぐ目に前にも苦しんでいる人がいるかもしれない
自分の地域にプロスポーツチームができると
人々が群がって応援をする
でもすぐ近くには人知れず同じスポーツに情熱を注いでいる人もいる
試合に出て活躍している人もいる一方で
試合に出たくても出られない人もいる
でもみんな
プロのスポーツ選手以上に情熱を燃やしている
震災前にだって土砂崩れで家を失った人もいるし
「やってらんねーよ」と叫びながら自ら死んでいった人もいる
すぐ目の前にだって苦しんでいる人がいる
こころのなかで助けを求めている人がいる

きょうかかっていたCD
SAROD / AMJAD ALI KHAN (インド)
 http://www.youtube.com/watch?v=GXhOIuNfzuQ      (映像)

大地が揺れる
地球のエネルギーが背中から伝わってくる
怖さがあると同時に愛おしさも感じてしまう
ぼくたちは大地でもあり
海でもあり
宇宙でもあるんだ
そのことを忘れてはいけない
そして放射能によって汚された大地と海
人間だって汚れていくんだ
人間だけが助かることはできないし
自分たちで汚しておいて
自分たちだけ助かろうなんて
虫がよすぎる
生まれ育ったこの土地でドカーンと生きてやる

震災のあった日本に対して
こころが痛むと言いながら
リビアへの空爆
日本政府は空爆を支持
「リビアからの石油の輸出はないから日本には影響ない」だって
日本に影響ないなら他の国の街を燃やしていいのか
市民を殺していいのか
原子爆弾で人を殺そうが
もっと規模の小さい爆弾で人を殺そうが
命の重さは変わらないんだ
70年近くたっても何も変わっていない
世界はずっと変われないのだろうか
地震で街が崩壊するのも
爆弾で街が崩壊するのも
そこに暮らす人々の苦しみや悲しみはいっしょだ

地震の後
自分の部屋に行ってみると
本が散乱して
足の踏み場もない
すげえことになっちっまったよと
とりあえず本をよけて寝床だけを確保してみたら
地震前とあんまり変わっていなかった

ガソリン求める人たちの行列はすごいね
このあたりにガソリンスタンドなんてあったっけと
考えてしまうくらいのところまで
車がつながっている
ちょっと前にも
ガソリンで大変な目にあっているのに
まだ懲りないのだろうかと思ってしまう
良くも悪くも
喉もと過ぎればすぐに忘れてしまうのが人間なんだろう
便利さを知ってしまった人間は
もうそれを手放すことはできないのかもしれない
原発なんかもきっとこの先もずっと日本に建ち続けるだろうし
電気に頼りすぎの生活も変わることがないだろう
そういえばもんじゅ と ふげん 原発に自分の名前をつけられた菩薩が怒って
原子炉を爆発させようとするという小説があったっけ
たしかつかこうへいの『銀幕の果てに』だったと思う
詳しい内容を忘れてしまったのでもう一度読んでみよう

お城山(大田原城跡)に行ったら
グルグルとロープが張りめくらされ
立ち入り禁止の看板が立っていたので
どうしたのだろうと中に入ってみたら
ものすごい悲惨なことになっていた
上はかなり長い土手(一周300~350M)で囲まれているのだけど
その土手が一周すべて地割れしていた
土砂崩れしている場所もあるし
コンクリートでできた舞台も崩壊していた
隣の大田原神社でも鳥居や石碑が倒れていた
今年は花見が出来ないかもしれないな

今日かかっていたCD
CRUUANDO EL RIO /RADIO TARIFA  (スペイン
http://www.youtube.com/watch?v=pYUcr43cxSY&feature=related  (映像)

きょうはまあまあ
お客さんが来てくれた
地震の日からきのうまでの一週間の
売上合計が2万円だったので
どうなることやらと思っていたのだけど
まあ でもしばらくはどうにもなりそうにないんで
本を読んで
からだを鍛えて
のんびり行こう
先は長い
こういうときこそ気持ちをゆったり持たないと
すぐにへばってしまう
自分はすぐに怠けられちゃう体質だから
大丈夫だけど(どこまでも怠けられちゃう)
どうにもならないことは
どんなにあたふたしても
どうにもならない
受け入れるしかないんだ

きょうの山型の食パンは
食べてないから味はどうだかわからないけど
姿
焼き加減が最高
ピンと背筋が伸びて
張りのあるからだ
20歳のボクサーのからだだ

今日かかっていたCD
勧進帳 / 七世 芳村伊十郎
http://www.culta.com/japan/japan/nagauta/vzcg408.html   (視聴)

スーパーやコンビニには
パンがまったくないそうだけど
パン屋には大量のパンが残ってるぜ

きょうの計画停電予定では
9:20~13:00の停電予定だったけど
停電にならないことに賭けて
パンを作り始めたが
あえなく撃沈

パンの釜入れ直前
地面が揺れた
かなり大きな揺れだ
危険を感じて外に飛び出すと
家も庭の木も地面も空気もぐわんぐわん揺れている
空が灰色に濁っている
何が起こっているのか理解できなかった
いままでに体験したこともないし
自分の想像の世界を遥かに超えたことが起こっているので
これが地震だなんて理解することができなかった
理解のできないとんでもないことが目の前で繰り広げられている
特撮物やアニメで良くブラックホールに物体が吸い込まれていく場面を見たけど
その情景と重なってしまった
家も木もすべてがブラックホールに引っ張られぐにゃぐにゃに変形しながら
吸い込まれていこうとしている
その瞬間目の前にウルトラマンやバルタン星人が現れたとしても
それ以上の驚きはなかっただろう
そのくらい不思議な時間のなかにいた
まさかこんな大きな地震に出くわすとは思っていなかった
栃木県に住んでいるひとはぼくも含めて
ほとんどがそう思っていたに違いない
数週間前にニュージーランドで大きな地震があったのに
他人事としか見ていなかった
自分自身が痛い目にあわないことには
どんなことでも自分のこととして捉えることはなかなか難しい
地震なんて日本に住んでいれば誰にでも起こりえることだし
世界中で起こりうるありとあらゆることは
地球上のすべてのひとに起こりうることなんだ

自分の判断でしっかり生きていかなければならなない
「安全だから」という国やテレビや誰かの言葉を信じて
後から何かあっても誰も責任はとってくれないしとることはできない
時間や命やどんなことをしても戻ってくることはないんだ

    
今日かかっていたCD
Legends of Gypsy Flamenco  / VARIOUS ARTISTS  (スペイン)
 (映像)

3月になっていた
来月は名古屋と京都に行くんだっけ
ある音楽家の演奏を聴きたいという思いだけで
カレンダーなんて見ないで
名古屋 京都行きを決めたので
ゴールデンウィークの直前だったということに
いま頃気がついた
予定していたより一日早く帰ってこなければならないし
帰ってきてからすぐに店を開けられるように
パンの酵母も持っていかなければならないだろう
厄介ごとがいろいろあるけれど
きっとその方が豊かなものになるだろう

今日かかっていたCD
Na Mele ‘O Hawai`i E`Alani / 山内雄喜
http://www.youtube.com/watch?v=Vo4OZceZdbU  (映像)

ジムを出たところで
雨が強くなってきた
自転車には泥除けが付いていないので
上から
下から
水攻めに遭い
洋服はあっという間に
びじょびじょになってしまった
「最悪だぜ」と思っていたら
残り20KMのところになって
雨があられに変わってきて
ものすごい勢いで顔にぶつかってくる
家を出るときに「怪しい空だな」と思ったのだけど
天気予報を見たばかりに
雨具の用意をしなかった
天気予報を信じて痛い目に遭うくらいだったら
自分の勘や感覚を信じて痛い目にあった方が
納得がいくし
楽しいだろう
それにこれまでの経験では自分の勘の方が
天気予報よりも正確だった気がする

今日かかっていたCD
LIVE / Cristina branco  (ポルトガル)
http://www.youtube.com/watch?v=rooSvnRELlg (映像)

寒さが和らいできて
からだが動かせるようになってきた
きょうは重たいからだに鞭打って
短いダッシュを繰り返す
やはり最高の遊び道具は自分自身だ
自分自身の持っている能力を最大限に発揮して生きる
ぼくのからだを作っている細胞のひとつひとつが
喜びだし踊り始めた

今日かかっていたCD
classical vocal art of fersia / fatemer vaezi parisa  (イラン)
http://www.youtube.com/watch?v=sgUCOnC36zM&feature=related  (映像)

物を大切にしたり
食べ物となってくれる生き物たちを大切にするときと同じように
自分の命を大切にするというのなら
自分のからだ
自分の頭
使えるところは
しっかりと使い切るようにして
生きていくべきだと思う

今日かかっていたCD (スコットランド)
Handful of Earth / Dick Gaughan  
http://www.youtube.com/watch?v=tP15bKvUpdw&feature=related  (映像)

落ちてしまった体力を
取り戻すときの苦しみは
できれば味わいたくない
ものすごいきついんだわ
これが
今年はいい感じでいけそうだったのだけど
自分に負けてしまった
いままでの人生で
ここまで体力と気力が落ちてしまったのは
初めてだと思う
きょうは苦しいところで
なんとか
あと一歩を踏ん張ることができた
このまま勢いに乗って一気に持って行きたい
このまま夏まで突っ走るぜ~
できるかできないかは
自分の気持ち次第
仕事が忙しくて大変だったとか
用事が入ってしまったからなんていうことは
ただの言い訳に過ぎない
僕にとっていちばん大切なもの
しっかり面倒見てやろう
面倒を見られるのは自分だけなんだから

今日かかっていたCD  
LOVE’S DEEP OCEAN / ALIM QASIMOV  (アゼルバイジャン)
http://www.youtube.com/watch?v=ohKwO4cxad4  (映像)
 
平日はだいぶ落ち着いてきた
今年はゆっくりとやりたい
その分仕事以外のところでドカーンといこうと思う

大好きなミュージシャンたちの来日が決定しているけど
なんだかすべて行けそうにない
Omara Portuondo (キューバ 
http://www.youtube.com/watch?v=G-60J_HcPoI&feature=related  (映像)

Kaushiki Chakrabarty Desikan (インド)
http://www.youtube.com/watch?v=2dpItWPwOPc  (映像)
John Doyle (アイルランド)
http://www.youtube.com/watch?v=3ARjVMtcPJI&feature=related  (映像)

今日かかっていたCD
http://www.youtube.com/watch?v=aZDgfm88unE (映像)
能楽囃子体系 / 人間国宝の面々

きょうはとにかく眠かった
起きているときは
ずっと眠かった
寝ているときも
ずっと眠かった

新聞もテレビも
伝える側は
伝いたいようにしか
伝えない
伝えられる情報を
すべてを鵜呑みにして
わかったつもりになっていれば
真実を見失うことになる

打たれまくる覚悟をしなければ
越えてられない壁がある
怖さに向かっていく強いこころ
ズタズタになってもいいという強いこころ
「どうにでもなりやがれ」と身をさらけ出したとき
ぼくは求めていたものを手にすることができるだろう

今日かかっていたCD
abacabok /tartit (マリ)
http://www.youtube.com/watch?v=ha9PFfp_8Fs&feature=related (映像)

「ビビッて遠くから見ていただけでは野生の生きざまは決して見えてこない。
相手を徹底的に観察し、その生態を知り、行動を把握してこそ
野生のありのままの姿を垣間見ることができるのだ」
『ただ、単に野生を対象にして瞬間を切り撮り、勝手に描いたでっち上げたドラマからは
何も見えてこない。」ということが岡田昇さんの写真集『BEAR』の最後に書いてあった
「情報の数で勝負だ~」
必死になって情報を集めまくっているテレビや雑誌
たくさんの情報を集めなければならないから
取材の時間は限られるし
取材の時間が短いのに
まったく知識のないままの取材では
深みのないつまらないものにしか作れないだろう
それに知識がないのに
前もって
こんな形に持っていきたいと決めてかかっていれば
広がりもなくなってしまう
そんなテレビや雑誌に踊らされているぼくたちも
何も見ないまま生きているのだろう

今日かかっていたCD
A naight at club baobab /orchestra baobab(セネガル)
http://www.youtube.com/watch?v=aE6aCm41aPU  (映像)

本日寝坊
目覚まし時計はかけない(そもそも部屋に時計がない)で寝るので
疲れているときや
寝不足が続いているときは
ときたまやってしまう
お客さんが並ぶだろうにまずいぞと思ったけど
焦ってもしかたがない
今回は集中力で乗り切った
どんなときで楽しむことを忘れないこと

東京 武蔵境にある武蔵野スイングホールで
アレ・メッレル・バンドのコンサート
2年前 この会場で別の方のコンサートがあったときに
勘違いして隣の駅にある会場に行ってしまい
大あわて
全力疾走してギリギリ間に合ったことがあった
今回はしっかりと武蔵境駅で降りたのだけど
会場がなかなか見つからなくて
チケットの裏の地図によると駅のすぐ近くのはずなのだけれど
30分ぐらいさまよい歩いていただろうか
「スイングホールは北口だよ」と自転車置き場のおじさんに教えてもらい
今回もなんとか間に合った
開演40分前に駅に付いたので
駅を降りたときに目に付いた本屋で時間をつぶそうかと一瞬考えたのだけど
万が一のこともあるので先に場所を確認しておこうと
思い直すことができたのが良かった
2年前の教訓がしっかりと活きている
会場に着くと『音楽を聴く仲間の会』の森さんがいたので
「こんにちは」と挨拶すると全然別の人だった
(写真撮るひと 森さんのブログ たぶん今回のコンサートの写真もUPされるはず) 
    http://blog.livedoor.jp/ymp1/
休憩のときに同じく『音楽を聴く仲間の会』の山田さんらしきひとも見かけたのだけど
もしまた違う人だったら
これから先知り合いに会っても声がかけられなくなってしまうので
山田さんらしきひとが森さんらしきひとといっしょにいるときに挨拶することにした
(音楽を聴く仲間の会 HP 音楽を聴く仲間の会と
なまけもののパン屋店主との出会いも綴られています)  
   http://www.geocities.jp/otonakama/
妊娠していないお客さんに
「もう産まれるんですか」と聞いてしまった前科が
3回もあるのでこういうことは慎重にならないといけない
1度あることは2度だって3度だってあるのだ
アレ・メッレル・バンドはスウェーデン セネガル ギリシャの
ミュージシャンが集まった多国籍バンドなんだけど
国と国の境なんて感じさせない
いや感じさせるんだけど
感じさせない
それぞれが互いに合わせているのせはなくて
それぞれがそれぞれに己を出すことで
境を溶かし去ってしまったのだ
 演奏が始まった瞬間
もうアレ・メッレルの世界に引きずり込まれてしまった
アレ・メッレル
このひとは天才だと思う
演奏されていく一曲一曲すべてがすごい
すごいが続けば当たり前になってしまうのがもったいない気もするけれど
すごいのだからしかたがない  (アレ・メッレル・バンド映像)
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=iI6-RP6lknM
ますますアレ・メッレルが在籍するもうひとつのバンド
フリーフォートが観たくなった
来年あたり来てくれるかな  (フリーフォート映像)
http://www.youtube.com/user/OTONAKAMAI#p/a/u/1/jwM50lQ9So0

本日かかっていたCD
I can see the gates of heaven / marta sebestyen (ハンガリー)
http://www.youtube.com/watch?v=lL1Mb5owtPk&feature=related (映像)

きょう2週間たったし
もう落ち着いてくるだろうと
思っていたら今日もオープン前にお客さんが並んでいる
みなさん
のんびり行きましょう
明日はmusicの日
店は休み
知らずに来てしまうひとがいるだろうな

ジムの帰り道は
その日やったスパーリングの反省
見つかった課題をどう克服していくか
今度同じ相手とやるときにどう対処するか
暗闇で2時間半自転車をひたすらこぐだけなので
考える時間はいくらでもある
そういえばいま考える時間ってなくなっている気がする
インターネットがあったり
自分は持っていないけど携帯電話があったりと
考えるよりもすぐそこに答えらしきものがあってしまうので
それで答えを見つけたように思い込んでしまう
でもやっぱり自分の身体 頭を使わないと答えは見つからないのじゃないだろうか

ジムで久しぶりにアルバニア人のペパに出くわした
前に行っていたジムでいっしょで
よくスパーリングをやっていたのだけど
そのジムがなくなってしまい
ぼくは別のジムに移って練習をしていたのだけど
ある日ひょっこりとそのジムにペパが現れた
その日以来すれ違いで全然会えなかったのだけれど
4,5ヵ月ぶりに再開できた
二日後にプロテストを受けるらしい
一年半ぶりにグローブをつけて向き合った
かなりうまくなっていて
昔のイメージのまま行ったら
なかなかパンチが当てられずリズムが取れなかったけど
からだをもう一度鍛えなおせば何とかなりそうだ
やっぱり強い相手がいてくれると楽しくなってくる
最近トレーニングに身が入っていなかったので
これでまた一段と強くなれる
とりあえず基礎体力がかなり落ちているので
そこからだ
ペパに出会えたことに感謝
ボクシングに出会えたことに感謝
生まれてこれたことに感謝

夜のランニング
疲れてきたので
気分を変えようと気分を変えようと
いつもとに違う道に入っていった
車が一台やっと通れるくらいの暗くて細い道だ
すると向こうからタッタカタッタカと音を鳴らしながら
やってくる影がチラチラと見える
「こんなところを走っている人がいるんだ」と思って
お辞儀をしようとしたら犬だった
「うわぁー」と足をすくませた瞬間
黒いラブラドールが飛び掛ってきた
家で二匹の犬を飼っているが
基本的に他の家の犬は小さい頃から怖いのだ
それなのになぜかいつも犬たちはぼくの方にやってくる

通販がなくなったので
スーパーに行ったとき
ダンボールを集めてこなくてもいいのがうれしい

今日かかっていたCD
may mouday / keren tweed and tim alakotila
http://www.youtube.com/watch?v=v3vhGBpZKIA   (映像)

枠に収まっていれば
良い評価がもらえて
収まっていなければ
ダメの烙印
学校に行くと大人達が
ぼくを狭い狭い枠の中に無理やり詰め込めようとした
ぼくはなんとか逃げおおしたので
いまでも自分の翼で飛ぶことができているが
どれだけのヤツらが翼をもがれ
飛べなくなってしまったか
いまでもたくさんの
希望や喜び宝や才能は摘み取られ続けている

朝起きると 腹がすいていたので
仕込みをしながら
キッチンカンナのスタッフからプレゼントされた
塩味のビスケットと切干大根を食べた
食べていて思ったのは
これって子供のおやつにピッタリじゃんということ
パン屋をやっていると
味覚がおかしくなっている
とてつもなく多くのひとたちに
出会うことになる
味覚のおかしい子供はだいたい親も味覚がおかしくなっている
大きくなったからといって味覚は良くはなるわけではないんだ
スーパーで売っているスナック菓子やチョコレートばかり食べさせていたら
味覚なんておかしくなるのは当然だ
子供は食べやすいものと食べづらいものがあれば
食べやすいものを選ぶ
酸味や苦味があるもの硬いものを食べなくなるから
味覚は育たない
鍛えなければひとは育っていかない
険しい道を進んでひとは成長していくんだ
転んだ子供を「大丈夫?」と起こしてやっていては
子供は立ち方を覚えられない
できないからやらないではそれで終わりだ
やるから
できるようになるんだ

本日かかっていたCD
TURKESTAN /VARIOUS ARTISTS (カザフ)
http://www.youtube.com/watch?v=n693W7rF59A&playnext=1&list=PLB13863048DBB83E7

オープン15分前に
駐車場がいっぱいになっている
大丈夫かなあとちょっと恐ろしくなる
外で待たせておくのも悪いので
無理やり全員 店に入ってもらっら
店の室温が3度くらい上がった
大混雑の状態も
なんとかゆとりが持てるようになってきた
いつも通り
こころゆったり
のんびりと対応すればいいんだ
いつでもこころは自分の側に

本日かかっていたCD  
Classical Songs of Ryukyu Court /西江喜春(沖縄)
http://www.youtube.com/watch?v=UzQ4ou_8uFs&feature=related (映像)

たくさんのお客さんがやってくる
くたくたになるけれど
新しい出会いがある
広がる出会いだったらいいな

本日かかっていたCD
shaneh shah /nusrat fateh ali khan (パキスタン)http://www.youtube.com/watch?v=cXQz1yTSGA4


いつかに備えて
いまを無駄にしていたら
いまなんて永遠にやってこない
いまは
いまを生きている人にしかやってこないんだ

ここのところパンの発送は
肉体的にも精神的にもかなりきつくなっていた
気持ちもぜんぜん乗ってこなかったので
ずっと前から頼まれていたパンもいくつかは送れないままになっている
忙しすぎて本を読む時間がなくなっていたこともあり
今年はパンの発送を止めて本を読む時間を作ろうかと考えていたところだったので
今回は良い機会だったのかもしれない
パンの発送がなくなってだいぶ楽になった
仕事後の練習もきっちりこなせるようになった
仕事をしすぎていたみたいだ
このくらいがちょうどいい
 最近なんだかいろんなものが邪魔くさくなってきてしまって
自分の世界から次々と締め出している
情報垂れ流しのようになってしまっている雑誌やテレビ
電話線も引っこ抜いたら
こころが軽くなった
たくさんのものを背負い込んでいた
いろんなものを放り出していたら
だいぶ身軽になってきた
しばらくしたら本当に空を飛べるかもしれない

岡田昇さんがカムチャツカに行って
撮影してきたものをまとめた写真集
『BEAR』が届いた
岡田さんとの出会いは
と言っても実際にお会いしたことはないが
『カムチャツカ探検紀』という
『BEAR』の写真を撮りに行ったときのことを書いたエッセイだった
読み出した瞬間に岡田昇の世界に引きずり込まれてしまい
あまりの面白さにたしか3回くらい繰り返し読んだと思う
岡田さんはドカーンと自然を相手に写真を撮っていたひとで
10年位前に奥穂高岳付近に出かけたまま行方不明になり
いまはもういない
このひとの書いた何冊かのエッセイを読む限り
いつ死んでもおかしくないことをやり続けていたからね
ぼくはこのひとの生き方
命を投げ出して生きる(守りにはいらない)姿を
人間として
すごいと思った
そしてぼくはこのひと以上に
生きていこうとこころに誓った
『BEAR』を開くと扉の後ろ側に
岡田さん直筆のサインがあった
古本なので当時購入した別の方の名前も書いてあるけど
いまはじめて本物の岡田さんと出会えた気がした
『BEAR』それから
『カムチャツカ探検紀』
店に置いてあるので
読んでみてください

お店を始めてからずっと使っていたレーズンが
悪天候などが原因でしばらく手に入らなかったのだけど
きょうからまた使えるようになった
久しぶりに食べてみたら
代わりに使っていたレーズンとは
あきらかに違った
水分をたっぷり含んいるにもかかわらず
うまさを凝縮したレーズン
パンの味も堪能してみたいけど
しばらく無理かな

きっちり
きっちり
きっちり
きっちり
こんな異常な世界に
いつまでもコバンザメのようにへばりついていたら
病気になってしまうぜ

なんだ!
この間の抜けてしまった世界は
ドキドキして待つ楽しみ
胃がキリキリするような緊張感
ああだ こうだ考えたり想像する時間を持っていかないでくれ

うまくいくかどうかなんて
どうでもいい
やるかやらないか
それだけだと思う
それだけのことで
生きていて楽しいか楽しくないかなんてことは
決まってしまうのじゃないだろうか
イャーと飛び込み
ドスンとぶつかる
その繰り返しでいいんじゃないかと
ぼくは思う

「これからの夢はありますか」と聞かれることがあるけれど
これからもいまを続けていくだけだ
いま現在
すでにやりたいことをすべてやっているから
あとはそのなかでおのおののレベルを上げていったり
おのおのを楽しんでいくこと
やりたいことをすべてやっていると思えていることが
おそらく自分の強みになっている
やりたいことすべてやっていて
もう他に望むものもそうないから
カネカネカネの強迫観念もない
カネがないならないなりの生き方をしていけばいいのだし
なんとかなるさという思いがある
それから
やりたいことをすべてやっているという思いがあるから
ひとに何を言われようとも
へっちゃらだ
なんだってやっちまえる

いつか機会があればどこかに
本を読めてお茶が飲めるスペースを作りたいなあと思っていたけど
いつか
どこかで
じゃなくて
いま
ここで
やればいいんだと言うことに気がついた

自分は不器用で
生きるのもうまくないけど
こんな自分でも
自分をおもいきり生きることだけはできる
それだけだったら誰にだってできるんだ
さあ きょうも力一杯生きてみようぜ

どんなにお客さんが来ようと
根っこの部分は変わらない
いつもどおりサンドバック叩いて
ランニングをして
本を読んで眠ろう
パンの数もいつも通り
のんびりいきましょう

テレビの放映後
ものすごいことになってしまった
テレビをなめていた
自分は店があったのでテレビは観れなかったのだけど
放映が終わった直後に電話が鳴り出し
注文メールが一時間で何百という数入ってきた
きょうは店のオープン前にお客さんがずらりと並んでいて
どう見ても店に入りきれる数ではないので
どうしようか考えてしまった
ひとりでやっていてパンの数がそんなに作れないので
こんなに来られても困ってしまうけど
今朝も寝坊してしまったくらいだから
何とか乗り切っていけるだろう
とりあえずお客さんがゆっくりできる状態にはやく戻って欲しい
取材は雑誌なども含めて今回が最後にしようと思った
通販を中止にした分
確定申告に向かうことにしよう

人間でありたい
自分の頭を使って
自分の手を動かして
自分の足を動かして
自分のこころをドキドキさせて
人間であるだけで
楽しいじゃないか

「自分の頭 自分のからだをフル稼動させて生きる」
そこに人間としての喜びがあるのではないかと
勝手に思っているので
パンを食べるひとが
このパンをどう食べようかと考えたり
工夫をしたり
ひと手間ふた手間かけられる余地があるよう
作るパンはできるだけシンプルに作っている

買ってきたものをそのまま食べるよりも
すこしでも自分の手を加えてみた方が
絶対贅沢な時間を得ることができるはずだ

パン作りだけではないだろうけど
パン作りでも
何かうまくいかないことが起こって初めて
あることを理解することができるようになる
だからぼくはなるべく機械に頼らないで
パンを作るようにしている
条件が悪い方がうまくいかないことが多く起こるからだ
そんなことをやっているからお金なんて貯まらないけど
そんなものにはかえられないもっともっと大切なものを得ている

いまは2時間ちょっとしか店を開けていないけど
店をはじめた頃はかなり長い時間店を開けていた
たしか11:30から15:30まで
でもある日
友達とサイクリングに行こうということになったので
一時間くらい早めに店を閉めてサイクリングに出かけた
その頃はお客さんが全然いなかったのでそういうことができたのだと思う
出かけてみたら面白くて
こんなに楽しい時間があるのかと感動してしまったので
翌日からさっそく14:30までの営業となり
それから年々営業時間が短くなり
2時間15分の営業時間になっていた
もっと営業しているものだと思っていたのだけど
本当についこのあいだ2時間15分しかやっていないことに気がついて驚いた

オリンピックのゴールドメダリストや
ノーベル賞受賞者たちだけがすごいんじゃない
世界中のすべての人たちが大切な命を背負って
それぞれの思いを胸に力いっぱい生きている
そんなひとつひとつの輝きに出会いたくて
ぼくはパン屋をやっている

山があって
谷があって
平坦な道があるから生きるって楽しい
山だけでは楽しくないし
谷だけでも楽しくない
平坦な道だけでも楽しくない
苦しみだって
悲しみだって
もしなかったら
きっと生きているのか
死んでいるのかわからないくらい
つまらない毎日を送ることになってしまうだろう
苦しんでいるときや悲しんでいるときはなかなかわからないけど
苦しみも悲しみも喜びなんだ
だから
歩いていこう

冬は鳥たちの姿がよく見える
自分もあの鳥たちのように翼をはためかせ飛べるだろうか
とりあえず両手でも抱えきれなくなった荷物を
ほっぽり捨てることからだわな

久しぶりに映画『big wadnesday』を観た
サーフィンはやらないのだけど
なぜだかサーフィンを題材にした映画が好きだ
人との別れ
大切な人の死
時代の流れ
どうあがいても
どうにもならないものはどうにもならないもの
どんなに悲しくても 苦しくても
自分をおもいきり生きていくしかできないんだ
自分の道を歩いていくしかないんだ
人の助けなしでは生きていくことはできないけど
それだけでは生きていくことはできない
自分で踏ん張ることなしには
転んだら
自分で立ち上がらなければならないんだ

カチッ カチッ カチッ カチッ
時計の針が追い立てる
「早く早く」 「間に合わせろ」「時間を守れ」
現実と理想のはざまで
ぼくは
もがき
苦しむ
目覚めよ
ぼくの中で眠っている野獣
おまえはこのままずっと
このせまい囲いの中で生きていくつもりなのか

パン作りは難しい
先を見ればどこまでもどこまでも続いている
うまくいかないことばかりだけど
うまくいかないからこそ理解することができるんだ
うまいパンを作るには
うまくいかないことをどれだけ体験できたかだと思う
うまくいかないことは次のステップを踏むためには
絶対に通らなくてはならない道
安全策なんてとっていないで
上を上を目指して日々取り組んでいかなければならない

自分は臆病で
ボクシングを始めてから
何年かはスパーリングをやっても
怖くて打ち合うことができなかった
パンチを出すのって結構怖いのだ
パンチを出さないでガードを固めていれば
パンチをもらわなくてすむけど
パンチを出せばガードできなくなるので
相手のパンチをもらう確率が高くなるんだ
恐怖の壁をぶち壊せるようになりたくて
ずっとボクシングを続けてきた
いまでは恐怖のなかに飛び込んでいく
あの頭の中が真っ白になる瞬間が
ぼくのいちばん大好きな瞬間

伝統楽器は弾いている姿が見えないと
良さがなかなかわからない
日本の音楽もなかなかいいよ
伝統音楽デジタルライブラリー
http://www.senzoku-online.jp/traditional/

文楽や能 狂言 歌舞伎に興味あるなら
文化デジタルライブラリー
映像を使ってかなり詳しく説明してくれています
http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/index.html

風を食べて動く生物
http://www.youtube.com/watch?v=b694exl_oZo&feature=related  (映像)
日本科学未来館で企画展をやっているそうだ
http://www.miraikan.jst.go.jp/spevent/theojansen/

図書館で『人間は何を食べてきたか』という本を見つけた
NHKから出ていたので映像もあるのかなあと思ってインターネットで探してみたら
いくつか見つかった (ニコニコ動画でもいくつかあったよ)
DVDも出ていて全8巻
(ジブリから出ているのでレンタルショップへ行けばあるんじゃないかな)
タロイモやカレーとうもろこしやクジラ お茶やパンなどなど
それらの食べ物が世界にどのように広がっていき
どのように採取され
どのように食べられてきたのか
NHKの取材班が世界中を飛び回って取材してきた映像なんだけど
ものすごく面白い
http://av.watch.impress.co.jp/docs/20021125/buena2.htm

きょうも雪が降り始めた
3日連続の雪だ
この辺りではかなり珍しいこと
自転車に乗って山に行ってきた
きのう来たひとたちに感染させられたのではない
しっかりと太いタイヤの自転車で雪山を走ってきた
これが思った以上に面白い
ぐにゅ~~という雪を踏みしめる感触がいい
雪に埋もれながらこぐにはかなりの力を要するし
凸凹があってバランスをとるのが大変だけど
そこが面白い
自然に抵抗することとの面白さ
もしかして自然と一体になるということは
自然におとなしく寄り添うことなんかじゃなくて
自然に抵抗することなんじゃないだろうか
重力に抵抗するからこそ重力のことを知ることができる
空気に抵抗するからこそ空気のことを知ることができる

サイクリングウェアの男女が店の中に入ってきた
東京の自転車野朗T夫妻だ
まだ道路にきのう降った雪が残るなか
そして寒い寒いなか
自転車をこいできたのか
Tさんたちが連絡していたらしく
しばらくして那須塩原のIさんがやってきた
凍っている道路の上をタイヤの細いロードバイクでやってくるなんて
考えられないぜ
T夫妻はここから20KM離れた氏家駅まで走るかな(どうしようかなと考えていたようだけど
17:00頃になってまた雪が降り出したので
しばらく走って様子を見て走るかどうか決めると言って帰っていった
きょうは昼間も0度を上回ることがなかったので日陰に行ったらガリガリに凍っているだろう
この雪が降って暗いなか氏家まで行くとなると相当怖いだろう
『地獄経由天国行き』といったところか
天国に行っちゃったっておかしくない
でも堕落ぶりの目立つおふたりの最近の行動傾向から
99%いや
100%氏家には向かっていないから
まったく心配することはないのだけれども
3人が帰ってから
更にクレイジーな野郎がやってきた
この雪のなかタイヤの細い自転車でひとり山に入り
一日中山を下って遊んでいたらしい
ひとり雪のなか山に入り自転車に乗ってニヤ付いている姿
ビデオで隠し撮りして田舎の親御さんに見せたらどんなに悲しむことだろう

店にTパックと湯沸かし器を用意してから
初めてのお茶のお客さん
きょうは2組
予想外の雪に
与えられた休日
僕もゆっくりと一日を楽しめた
今年は通販を抑えて
すこし時間を作ろうと思う

店に本が増えました
変な本ばかりですが
お茶でも飲みながら
図書館代わりに使ってください

最近酒を飲むとすぐ眠くなってしまい
やろうとしたことが
何もできなくなってしまうので
酒を控えてお茶を飲むようにした
店にもTパック(50円)を置いてあるので
勝手に入れて飲んでください

自転車は寒い
「乗り始めは寒いけどこぎだしてしまえばすぐに温かくなる」と自転車に乗るひと達から
よく聞くけど自分の場合はなかなか温まらなくて
宇都宮のジムからの帰りなんて30KM走ってようやく温かくなってくる感じなので
この時期はいつも泣きそうになりながら自転車をこいでいる

ランニング中
突然思い立って
ロングダッシュをやった
このところスピード練習をやっていなかったので
心臓ができていないのはわかっていたけど
勇気を出して飛び出してみた
自分をぶっ壊してもいいというくらいの気持ちがなければ
なりたい自分にはなれない
守りに入っていたら
こころは悲しむ
今年の始まりだからビシッとやっておきたかった
ぶっ倒れてもいいから今年の一歩を踏み出したかった
内臓が口から飛び出しそう
心臓が破裂しそうだ
でもなんとか走り通せた
これがぼくにとっての祈りだ
祈りとは生きることだ
懸命に生きることだ
そう思った

こまっちゃクレズマ
http://www.youtube.com/watch?v=NPPBIhBRFe0
やぱり面白い
昨年は観に行けなかったけど
今年は観られるかな

これは行ってみたいけど日曜日だ 4月10日
大島保克 http://www.youtube.com/watch?v=UJOg4bLnpf0
島唄会2011 http://www.mandicompany.co.jp/hp2011/live/oshima/oshima.html
スペシャルゲスト
上原知子 http://www.youtube.com/watch?v=2-vQwfd4Dr8&feature=related

JR岡本駅近くの『キッチンカンナ』の社長からまたおいしそうなお惣菜並びにデザートを
頂いた
毎日白菜をちぎってバリバリかじりながら
ご飯を食べているものにとっては
おせち料理のような豪華な食べ物たち
うまい料理にはうまい酒が必要だ
スーパー酒を買いに走って
きょうはライ麦パンにのせてオープンサンドにして食べてみた
パンにはハムやチーズだけじゃない
にんじん ごぼう 白菜だってのせられる
もちろんうまく調理することが条件だけど
チーズとハムだけでは得られない満足がそこにある
デザートもうまい
泡盛との相性抜群
砂糖を使わずよくこんな味が出せるもんだ

丹波から空手をやっているという小学5年生がやってきたので
空手の型を見せてもらった
想像以上にすばらしかったので感動してしまった
そしてきりっとした表情がまた良かった
いまの世ではそう見ることができない表情をみた
自分も負けてられないぞと思った

沖縄の祭り「イザイホー」と「マユンガナシ」の映像を観た
科学映像館では面白く貴重な映像がいっぱい観られる(無料)
http://www.kagakueizo.org/2009/04/post-97.html
・祭りの準備からすべてを島民総出で行っている
 ひととのつながり
 共同体維持の役割もあったのだろう
 その中で知識と知恵を持っている年長者を尊ぶようになる
 良いか悪いかは別にして祭りがあることで
 バランスが取れた世界ができあがっていたことは間違いないだろう
・穀物やら幸福をもたらしてくれる神に感謝することがからだに染み込んでいるので
 物も大切にするしひとも大切にするし自分自身も大切にすることができる 
 沖縄は祭りが日常であり日常が祭りであって祭りの日だけが
 特別な日という訳ではないから
 日常においても神や年長者を敬ったり先祖とつながっているという思想が
 しっかり根付いている

いまは消滅してしまったが
沖縄久高島で12年ごとに行われるイザイホーという祭り
久高島で生まれ育った女性はある年齢になると全員神職者になることになっている
神職者になった女性は祖母霊を守護神として家を祀り
この祖母霊を背景に家の祭祀を行うことになる
その就任の儀式の貴重な映像
科学映像館
http://www.kagakueizo.org/category/gmst/

頼んでおいた本が届いた
比嘉 康雄というひとの書いた
日本人の魂の原郷 沖縄久高島
タイトルに惹かれて買ったのだけど
比嘉 康雄というひとのことは知らなかったし
実はその本を頼んだことも忘れていた
でもその本が届いたその日に
テレビでこのひと比嘉 康雄の特集をやっていた
写真をとるひとだった
琉球弧に残る神々のまつりを撮り続けたひと
もう亡くなってしまったけど
いま沖縄で写真展をやっているそうだ
http://www.museums.pref.okinawa.jp/art/topics/detail.jsp?id=572

キッチンカンナの社長に
お惣菜を頂いた
食材がほとんど丸のまま入った料理
こういうゴリゴリ噛み締めて食べる料理が大好きだ
消化器官もがんばらなきゃならんから
鍛えられるし

髪を切りに行く時間がなかったので
自分で切ったらやっぱりへんてこりんになってしまった

昔々アラン・ローマックスという米国人が
録音機材を担ぎながら
ハイチという国のいたるところに転がっている音楽を
拾い集めた
その音が最近CDになった
『 Alan Lomx in Haiti  』 Alan Lomx
米国のamazonでそのCDが視聴できるので
店で流していたら
(CD10枚のボックスなので視聴だけでも一時間かかる)
2組のお客さんが「どこのおんがくですか」と聞いてきた
こういう音楽に反応するひとがいるとは思っていなかったので驚いた
最近ボックスセットでの販売が多い
Fela Kutiのボックスセットなんてすごい
CD26枚、DVD1枚で11000~13000円で売っている
http://www.youtube.com/watch?v=h4AA6EuZe-k
CDではないのだけど古本屋で
筑摩文庫の『ノンフィクション全集 全24冊』8400円を見つけたので
買ってしまった

きょうは特別に風が強いからだといいのだが
店や作業場に立っていると地面がぐおんぐおん揺れている

全然満足いく練習量をこなせていないのに
先週今週のスパーリングはいい感じでできた
横の動きを意識したことで攻撃の幅が広がったことと
スピードのなさを補えたのが原因だと思う
ボクシングは正面からパンチを打ち込んでも
かなりの力差がない限りそう簡単にパンチを当てることができない
どうすればパンチが当てられるか
(外側を打って相手に外を意識させたりガードを空けさせておいて
内側を打つとか相手が見えにくい角度からパンチを打つとか)
パンチをもらわないようにするためには頭の位置をどこにもっていけば良いか
ボクシングはいっぱい頭を使わなければならないスポーツなんだけど
からだを動かしながら頭を使うのはかなり疲れることなので
最近頭を使うことを休んでいたけれど
やっぱり意識すること考えること感じることを怠っていたら
いまを越えていくことはできない

このところぼくの周りでは海外行きのひとが多い
パンを買いに来てくれるお客さんだけでも
インド行きが2組
フィリピン行きが1組
香港行きが1組
はなしを聞く度にぼくの旅への思いも増殖されていく
ぼくは海外よりも日本にいっぱい訪れたい場所があるけのだけど
これまではあまり日本を意識したことがなかったのだけど
日本を意識したいまもうすこし頻繁に日本を歩いてこようと思う

あっちで受ければ
俺たちもと
どこもかしこも
坂本竜馬だ
過去の人間を
引っ張り出してきて
なにが活性化なのだろう
いま命を与えられた
”オレ”が命いっぱい輝いてこそ
活性なんだ

どんなに命輝いたとしても
次の瞬間にはもうそれは過去
過去に浸っている暇はない
次の瞬間にどう命輝くか
きっとそうすることでしか
生きる力は与えてもらえない

きっと人生において
結果なんていうものは
さほど大切なものではない
だからできるかどうかなんてことは
どうでもいいこと
やるかやらないか
大切なことは
内容だ
勇気を振り絞って飛び込んでいけたかどうか

カザフスタンのDombra
2つの弦だけでこんなことができちゃう
http://www.youtube.com/watch?v=5zL6NxnpGtE&feature=related
こっちも負けちゃいない
http://www.youtube.com/watch?v=rgyQW8vp5cY&feature=related

このところ
パラグライダーを10年以上やっているという方から
パラグライダーの話をいっぱい聞いている
話を聞くまではパーッと飛び上がったら
スキーのジャンプや紙飛行機みたいに
スーッと落ちていくだけだと思っていたのだけど
全然そんなものじゃなかった
上昇気流さえ捕まえることができたら何時間でも飛んでいられるし
距離だって100KM以上を飛ぶことができる
高度3000メーターってもう鳥の領域だよ
うゎー素敵な世界だと思うけど
通天閣のエレベーターで足がガクガクしているのだから
ぼくには絶対味わうことができない世界だ

きょうはジムで目一杯動いた
帰りの自転車はかなりきつかったけど
充実感いっぱい
来年はこのくらいの練習量を毎日こなせるように持っていきたい
来年は今年以上に楽しいことが待っていそうだ
自分が楽しもうと思っているから本当にそうなっちゃうんだけどね
楽しもうと本気で思いさえすれば
だれだってどんなときだって
楽しむことができるんだ

時間がないと
お金がいっぱい必要になってくる
あれも これも
他の人や機械にやってもらわなければならないから
そしてその分のお金を得るために
また時間を失くしてしまう
時間があれば
たくさんのことが自分でできる
お金はそんなに必要ない
ぼくにとって豊かとは時間がいっぱいあること

現状を嘆いていて何かのせいにしていても
世界は暗闇のまま
なにも変わらない
自分が変われば
世界は変わって見えてくる

パン作りは気温の低下にようやく対応できるようになって
いまの季節に追いついたけど
これからすぐに寒くなるだろうから
また季節を追いかけなければならない

なんでもかんでも変わればいいものじゃない
変われること変われないことがあるし
変わる必要のあるもの変わる必要のないものがある
何かを変わろうとするなら
いま現在を否定することからはじめなければならない
自分の存在
そして自分の底に眠っている力は肯定して

強い風の中自転車のりたちがやってきた
きょうは女性中心の構成
きょうは風の中70~80KM走ったそうだ
自分の周りだけなのか
若い人たちより
ちょっと年齢の高い人たちの方が自転車をがんばっている
サイクリングウェアをびしっと決めているのも
年齢が高い人たち
がんばろう
おれたち若者たち

東京 根津でウードのコンサート
コンサート前に少し周辺を散歩したのだけど
あの辺りは面白いね
コンサートは古い教会で行われた
目立たない場所にあるのだけど
会場は超満員で立ち見が出るほど
演奏はいままでに行ったコンサートの中でも
上位に入るくらい素晴らしいものだった
3つのウードの音色が絡み合って弾け合って
ねっちょりとまとわりついてくる
そこにサックスと太鼓の音色が絡んでくれば至福のとき
12月1日(水) はなんと無料でこのすばらしいときを体感することができる
場所はエジプトアラブ共和国大使館
開始時間は早いけど2部だけでも満足できるはずだから遅れていっても大丈夫
関東地方に住んでいる方はぜひ行ってみてください
おすすめです
アラブ音楽コンサート エジプトアラブ共和国大使館(目黒区青葉台)
12月1日(水)
3人のウード演奏者  入場無料
http://www.egyptcesb.jp/egypt/Oud.jpg

宇都宮から大田原に帰ってきて夜空を見上げると
星がうじゃうじゃあった
宇都宮と大田原たった40km50kmしか離れていないのに
星の見え方がぜんぜん違う
久しぶりにジムに行ったら
一段と寒くなっている
冬になったら寒さをどう防ぐかが課題だった
自分はものすごい冷え性なので特に足先の寒さ対策が問題だったけど
ゴムの長靴を履くことで解決
靴下一枚では一生懸命こいでいないときは足先が冷えてしまったけど
靴下をもう一枚重ねて履くか
一生懸命こげば大丈夫そうだ
あとは首周りと耳周りをどうにすれば冬を乗り切れそうだ
でも冬のいちばんの大敵は寒さよりも風かもしれない

立派なしいたけを頂いたので
しいたけのお皿に日本酒を注いで
塩と鰹節を散らしてしばらく焼いてから
酢橘を絞って食べた

池上永一の「風車祭」を読んだ
かなりはちゃめちゃなんだけど
読み終わった後にこころ動かされた
現実的でないからこそ
現実的になってしまう
現実的でないからこそ
大切なことを浮きあがらせる
さっそく折口信夫やら谷川健一やら梅棹忠夫やら泉靖一やら宮本常一やら
民俗学関係の本を取り寄せてしまった
book offで買った105円の本がぼくの世界を大きく広げてくれた
ぼくを作ってくれるのは
ちょっとした出会いの
ちょっとした出会いが積み重なって
いまのぼくがある

過去はもうどうでもいいことになっていく
思いを馳せるのは
これから起こる瞬間瞬間のこと
目指したゴールにたどり着けなくたってもいい
興味あることに引き寄せられながら
あっちに行って
こっちに行って
抑え込んでも良いことなんて一度もなかった
どんな結果になっても納得できるように
攻め続けていきたい
明日のことなんて考えないで
自らゴーゴー渦巻く水の中に
飛び込んでいく
エイヤァと飛び込んでいく瞬間
命の炎が燃え上がる

パン作りは毎日が未知との闘いだ
経験が役に立つこともあるけれど
経験が邪魔をすることもある
でも経験はパン作りに絶対必要なこと
経験で得た知識は持ちながらも
水になってどこにでも入り込んでいけるようになっていなければならない

きょうはまあまあ良いパンができた
あと300年か400年生きられたら
かなりのパンができると思うのだが
いまは打席に立てば三振かぽてんヒットといったところ

バカバカしいことでも
命がパーッと燃え上がることだったら
どんどん飛び込んでいきたい
効率がいいことがすべて良い訳ではない
シンプルなことがすべて良い訳ではない

きょうは通販のパンが自転車では運べないくらいあったので
久々に台車を押してヤマト運輸まで猛ダッシュだ
受付締め切りまであと8分
いつも受付締め切りの1分前2分前に持ち込んでいて悪いので
台車の滑りが悪かったけど1秒でも早く着こうと懸命に走ったら5分前に着いた
このところ通販用のパンの準備がなかなかはかどらないので
最後の追い込みで力使い果たしてフラフラになる

気分がなかなか乗らないので
ジムは休み
ため込んでしまって
いっぱいいっぱいになってしまった
ぜんぶ吐き出せばいい
そのうちまたやりたい病にかかってしまうから
焦ることはない

アラブ音楽コンサート エジプトアラブ共和国大使館(目黒区青葉台)
12月1日
3人のウード演奏者  入場無料
http://www.egyptcesb.jp/egypt/Oud.jpg

生かされていること
それだけで
感謝
うまくことが運ばなくたって
人間関係うまくいっていなくたって
そんなこと
なんてことはない
欲張ってもしかたがない
感謝するということは
この命を
目一杯生きることだ

何かをやっているときに
別なことがやりたくなってきたら
たとえば本が読みたいと思ったら
やっていることをいったん中断して
本を思い切り読んでみた方がいいのかもしれない
もう十分と思えるくらい読めば
それまでやっていたことにも集中できるのではないか
どんなに好きなことでも一日中続けていれば
ストレスが溜まってくる
集中するためには
別なことをやることも大切なのではないか
最近自分にいまいちばん必要なものは集中力ではないかと思えてきたから
集中できる方法を自分なりにいろいろ試してみようと思う

秋なんてほとんどないまま
急に冬になった
パン作りの方ではなかなかそれに対処できずに大変だった
感覚というものは時間が経つとすぐに忘れてしまうものだ
記憶は時間と共に底の方に移ってしまい
時間が経つほどにそれを引っ張りあげてくるのは困難になってくる
ボクシングも1週間
間が開くともうスピードについていけなくなっている
でもやっているうちに感覚は戻ってきてスピードにも慣れてくる
目が慣れてくると面白いものでからだも勝手に反応するようになる
人間は脳みそ 神経 筋肉ありとあらゆるところが繋がってできていることがわかる
だからこそ人間だれしも可能性が秘められている
やりさえすればできることっていっぱいあるんだ
想像を超えた世界だってきっと見ることができるはず

ボクシングはいまちょっと成長止まり
成長しようという思いがなければ成長なんてできない
いまの状況にブツブツ文句を唱えていても
何も変わらない
自分が変わることでしか
抜け出すことはできない

「変化することを怖がってはいけない」
なんてことは
なくて
怖がってもいいけど
そこに飛び込んでいくことはやめてはいけない

どんな状況であろうと
楽しもうと思えさえすれば
楽しむことはできるんだ
楽しめるかどうか決めるのはどんなときだって自分自身なんだ

マーティン・ヘイズ(アイルランド フィドル)のチケットを頼んだ
http://www.mplant.com/martinhayes/tourinfo11.html
マーティン・ヘイズのことは昔から好きでCDも全部持っているのだけど
何度が来日しているのにいままで行く機会がなかった
今回はなぜだか観に行きたいという思いがものすごく強く沸いてきたのでその思いに
従うことのした
東京公演もあるのだけど曜日が合わないので観に行くのは名古屋と京都の公演
ちょっと考えてしまったけど
やるかどうかはやってから考えればいいんだ
やってみないことには何もわからない
自分自身でで可能性を縮めてしまったり
限界を作ってしまったり
自由を奪ってしまってはいけない
やってみること
やってみれば
答えや結果その他もろもろはすべて勝手についてくる
楽しむことさえ忘れなければ「やってよかった」と必ず思えるはずだ

コンサートが始まる時間場でしばらく時間があったので
メガネを作りに行った
メガネをかけ始めて3年
4つ目のメガネ
ひとつのメガネは山で落として
ひとつのメガネは川に落として
ひとつのメガネはフレームが折れ
物を大切にするこころがぼくには全然ないことに気がついた
物を大切に思ってみるのってちょっと楽しいかもしれないと同時に思った

上野の国立博物館に行ってきた
特別展として東大寺展が開かれていたけど
仏像には興味がないので
常設のものを観て回った
日本にあるすごいものをすべてかき集めてしまったのではないかと思えるくらい
すごいものがザック ザックとあった
想像していた以上に広かったことと惹かれるものがいっぱいあったので
観て回るのに5時間以上かかってしまった
特に惹かれたのは19世紀に作られたアイヌの衣装と熊送りのときに熊にかける耳あて
あまりのすごさに40分近く見入ってしまった
人間が作った世界中のものを見ていると
共通しているなと思えるものがいろいろあった
人と人とが出会って影響していったものもあるだろうけど
そういう出会いがなくても
人間の底には住む地域が違っても共通したものが多く存在しているのだろう

築地に2泊
築地の朝は早い
朝の7時にはもうとっくに動いている
学生時代アルバイトしていたパン屋も扉が開いていた
市場はいちばん活発な時間帯
食堂に入り刺身を食った
刺し身といっても新鮮なものをただ切って出せばいいものじゃないことがわかった
さばき方 切る厚さ 熟成度
八戸の市場で食べた刺身は新鮮すぎたんだ
生臭さはないけどうまさがない
うまい刺身には知識や経験 工夫そして努力が詰まっている
牛丼の吉野家の隣にある団子屋で草もちとキビ団子を購入
たぶんこの店の餡子とぼくが働いていたパン屋の餡子は
同じ製餡所で作られいる
そのパン屋の当時の社長は工夫好きで
餡子の配合も自分で考えて作ってもらっていた
蜜飴が入ったしっとりとした餡子はいまでもぼくがいちばん好きな餡子だ


先週はからだがだるくてジムに行けなかったので
久々のジム
からだが重い
スパーリングをすると「いま」がそのまま出るので
からだの状態がすぐにわかってしまう
ミット打ちをしているとジムに外国人が入ってきた
良く見ると前のジムでいっしょだった
アルバニア人のペッパーだった
一年ぶりの再会だ
前のジムは選手が減ってしまって
スパーリングの相手がいなくなったので
このジムに移ってきたとのこと
プロでやりたいという気持ちが強いらしく
しきりに「プロでやりたいです」と口にしている
前のジムではよくスパーリングをしていて
彼は目が良くスピードもあり何よりパンチ力が半端でなかった
ハンマーで殴られたらこんな感じなのかなと思えるようくらいのガツンとくるパンチ
ジャブで青あざをつけられてしまったのだからすごい
まだまだ下手くそな部分はあるけど
運動能力はかなり高いのでプロでやれば面白いと思う
帰りに体重どれくらいあるのか聞いてみたら
78Kgだって
オレより10Kgも重いじゃねえか
そりゃ青あざだってできるわ

雨に濡れない生活ずっとをしていると
雨に濡れることが一大事に思えてくる
久しぶりに雨に濡れてみたら
なんだか良い気持ちだ
パンツまでグチョグチョになるまで濡れてみたら
ずっと忘れていた喜びが湧き上がってきた
野性
水に濡れたぼくは少しずつ解けていき
土や空気と混ぜこぜになり
この地球と一体になる

きょうは通販のパンが7つ
台車にのせてヤマト運輸に持って行くには
ギリギリの時間だったので
電車に乗るときに自転車を入れる袋に詰め込んでみた
「さすがに入りきらねえだろうな」と思ったけど
ダンボール七つ入ってしまった
リュックになっているので
自転車に乗って持って行くことができた
自転車に乗っているときにはかなりかさばって邪魔な袋なんだけど
それを許してあげられるくらい別のことで役立ってくれている

生きることの難しさを知っているから
自分を懸命に生きているひとは
懸命に生きているひとのことを笑えない
ひとのことを笑うヤツは
笑わせておけばいい
ずっと笑い続けて
自分が死ぬときも
笑えるものなら笑ってみやがれ

東京の自転車野朗T夫妻がやってきた
今年は野菜が不作だったためか
食べ物を求めて東北地方にまで出没するようになってきた
きょうも福島まで行って来たそうだ
でもさすがに鈍行で東京から福島まではきつかったようで
疲れた顔をしていた
野菜が不作だろうがなんだろうが相変わらず食べているようで
からだ中がパンパンに膨れ上がっている
旦那さんは筋肉質のからだなので筋肉の上に脂肪がついてたからだは
どうみてもプロレスラーだ
昔チンピラが絡んできたときに
「俺を誰だと思ってるんだ!」と凄んでみせたら
チンピラが逃げていったそうだ
凄んだところを見せてもらったら実際怖かった
でももしチンピラに
「あれ 恐れ入りますがどちら様でしたっけ」と聞かれたら
どう答えていたのだろう
 先週やってきた栃木県北の自転車野朗Iさんの方は相変わらず
毎日のように坂道を上っている
自転車に乗り始めて3年
100Kg近くあった体重が70Kgを切るまでになってきたそうだ
栃木県北の自転車乗りは街に誘惑が少ないためか
都会の自転車乗りに比べてIさんのように坂道を上ったり
距離を走ったりと修行僧のように黙々とこなしているひとたちが多い

朝市などに自作のカレーを出しているライチさんが
ヨガ仲間を連れてパンを買いに来てくれた
これからみんなでカレーを作って
瞑想をするらしい
カレーが香るなかでの瞑想はかなり難しそうだ
ライチさんは来年には自分のお店を始めるそうだ
知り合いのカレー屋さんがしばらく休養に入るので
そのお店をそのまま使わせてもらえることになったとのこと
お店を始める前にしばらくインドに行ってくるそうだ
一年間ああだ こうだ想像しながら毎日を送ることになるんだろうな
楽しそうだ
きっと一年間カレーだけでご飯が何杯も食べられるような毎日が続くのだろうな
そういえばジャムじじいとジャムおばばもお店を始めることにしたとのこと
この前来たときにはまだ「やりたいなと思っている」だったので一歩前進
ここのパンにもピッタリなので楽しみにしていてください
と言ってもはじめるのは2年先だそうです
本人たちも楽しみだろうな
やっぱりふたりも二年間ジャムだけでご飯が何杯も食べられてしまうような日々が
続くだろう
自分らしく生きるということは
いまの自分をぶっ壊しながら生きていくということだ
それは生易しいことじゃないけれど
苦しむだけの価値は充分あるものだと思う



  

久しぶりに流れ星を見た
ゆっくりゆっくり落ちていく
きょうは満天の星であることに気がついた

青森から帰ってきてからしばらく
からだがぜんぜん動かなかった
ランニングに出てもすぐに疲れてしまうし
シャドーボクシングも10分と持たない
それでも調子が悪いなりに動いていたら
きのうあたりから少しずつ調子が上がってきた
人間のからだは365日毎日絶好調というわけにはいかない
少しずつ少しずつ上がっていってピークに達したら今度は少しずつ落ちていく
その繰り返しだ
きっと365日毎日絶好調のまま突っ走ったら
からだがぶっ壊れてしまうから
そんなふうなうまい仕組みになっているのだろう
自分自身の調子を把握しながら
その調子に合わせてやっていくことが大切なんだろう
 仕事でも疲れてきたなあと感じるようになってきたら
少し休むか仕事量を減らすかして調整しながらやっていかないと
きっといつか爆発してしまう
あわてない
あわてない
大丈夫
大丈夫

奥入瀬渓流に落ちて気がついた
雨風の中一日中自転車をこいで気がついた
泥だらけ
水浸しのからだでは格好なんてつけられない
自分を守ることに一生懸命になれば
素直な自分を出すことなんて一生できない
たまには雨に濡れてみよう
たまには土まみれ 汗まみれになってみよう
美しくなると言うことは
表面をきれいにすることなんかじゃなくて
こころの中の邪魔なものを洗い流すこと

機械は得意じゃないし
あまり好きではない
一球入魂みたいのが好きなので
スイッチ押すだけというのは
どうも馴染めない

便利なものが増えれば増えるほど
楽しみを持っていかれてしまう
からだを目一杯動かす喜び
頭を使って工夫する喜び
風やその地を感じる喜び
技術を高めていく喜び

便利な道具ができて
魚が容易に手に入るようになれば
漁師は魚に対する感謝を忘れて乱獲に走る
魚を見ないで機械ばかり見ていれば
いつまで経っても魚のことはわからない
金を出せば簡単に魚が手に入ってしまえば
やっぱり魚に対する感謝を忘れる
 大工が難しいことと向き合わなくなれば
大工の質は落ちていく
開いてて良かったなんて言って
 夜の暗闇を知らなければ
自然の怖さ偉大さを感じることが出来ない
生かされていることを忘れ
人間はどこに向かうのか
 
孤独は向き合うことでしか解決できない
何かでごまかしても虚しさが残るだけだ
苦しみは苦しむことでしか抜け出すことは出来ない
逃げていればいつまでも追いかけてくる
悲しみは生き続けることでしか薄れていかない
止まり続けている限り悲しみは大きく大きく膨らんでいく
ぶつかっていきさえすればすべては喜びになる
生きてる喜びドシーンと感じてみよう

洒落た店なんて
魅かれない
ひととひとが素直にぶつかり合えるところ

話したいと思ったら
携帯電話でピッポッパ
何か伝えたいと思ったらメールでパッピッポ
知りたいと思うこともパソコンでピッポッパ
待つことの喜びってあったはず
最近熟成期間がなくなってしまったから
味も素っ気もないものばかり

うまく文章にまとめる必要なんてないのかもしれない
経験したことがすべて自分の血になり肉となるように
いま書きたいと思うことを書けばいいんじゃないか
つながりなんてないと思うことだってきっと
つながっているはずだし
おりゃ~と書きなぐった方がなんだか力が宿りそうだ
ひとに読まれることを考えて
いやらしい文章を書く必要なんてない

きれいな文章書こうっていうのは
誤魔化しなのかもしれない
ひとに受けようなんて考えないで
自分をズドーンと出していきたい

こうすれば打たれないとわかっていても
打たれるリスクをしょってでも
試してみたくなることがある
安全な場所に居続けること退屈なんだ
それにそうしないと伸ばしていけない
成長することを望まない人生だってある
生き方は自分で決めるものだから
ぼくは伸ばしたいという気持ちがあるからそうする

決めることは進むことでもあるけれど
決めることで自分を縛ってしまうこともあるから
そんなときはハサミでチョッキンすればいい

動くこと
そこから何かが始まる
思っているだけ
見ているだけでは
時が進むだけだ
命が縮むだけだ

ひとに必要とされていないなんて考えている暇があるなら
そんなこと考える暇がないほど自分を生きてやれ
瞬間瞬間に自分をぶつけてやれ
ひとに必要とされていないなんて言ってしゅんとしてしまって
自分をないがしろにしている方がもっと悪いわ

やりたいことが見つからないなんて言葉をよく聞くけど
本当にそうなのだろうか
やりたいことをやっていないだけなんじゃないだろうか
目をそらしているだけなんじゃないだろうか
きれいな夕焼けが見えるなら立ち止まって眺める
本が読みたいと思ったら本を読む
温泉に入って心地良いなあと思ったらゆっくりする
森の中を少し歩きたいなあと思ったら森に行って歩く
眠りたいと思ったら寝る
ぼくにはやりたいことがいっぱいありすぎて
困ってしまう

使命を持って産まれてくる人間なんていない
産まれてきたことに意味なんてものはない
人間なんて決して特別な存在なんかじゃない
ぴょんぴょん野原を飛び回るウサギや
大空をくるくると飛び回る鷹たちと同じように
産まれてきて死んでいく
ただそれだけだ
だから生きているうちは
誰にだって
すべてを自分で判断して
生きたいように生きる自由がある
「ぼくはひとの為になることをして生きていこうときめました」
「ぼくはひとの為になることをして生きています」なんて話を聞いてしまうと
自分もそうしなければならないかなと思っちゃったりするけれど
そういう生き方をしたいひとはそう生きればいいのだし
そんな生き方したくないというひとはそんな生き方をする必要はないんだ
ひとに受けるようにと
ひとに合わせて生きていても虚しいだけだ
あんまりがんじがらめになって生きていても楽しくもないだろう
何者かになる必要なんてないべ
力抜いて
その瞬間瞬間の思いつきで生きていくのもありなんじゃねえか

自分が生きたいように生きる自由があるなら
ひとにも生きたいように生きる自由がある
ひとを信じるのは自由だけど
自分の思ったように動いてくれないとき
裏切られたと言うのはおかしいのではないだろうか
勝手に自分が信じただけのことで
相手にも生きたいように生きる自由があるのだから
とは言ってもだ
おれも人間だ

疲れて疲れて動けなくなったのなら
何もかもほっぽり出して
どこかへ行っちゃえばいい

青森に行った
本当は月曜日の朝に出かけるつもりでいたのだけれど
数日前に手に入れた25000:1の地図を眺めていたら
はやる気持ちを抑えきれずに
鞄に荷物を詰め込み
自転車に油をたっぷり注入し
宝の地図を握り締め
日曜日の夜に
店を閉めて飛び出した
日常をちょっと離れて
気分いっしん帰ってこよう
電車が八戸駅に着いたのは23:00
はじめての青森だ
まずは真っ暗の中をホテル探しから始まった
ホテルが繁華街は八戸駅周辺じゃなく
本八戸駅周辺らしい
駅前でコンビニのお兄ちゃんと
タクシーのおじさんが本八戸駅までの道を
ものすごく丁寧に教えてくれたのだけど
さっぱりわからない
一時間自転車でさまよってようやく見つけた
コンビニのお兄ちゃんとタクシーのおじさんが揃って
「わかりづらいよ わかりづらいよ」と言うので
ややこしいところにあるのだろうと
ややこしい道を選んで進んだのだけど
市役所の場所を案内する看板をたどって
大きな道を進んでいけばよかったようだ
     2日目は5:00にホテルを出て陸奥湊駅前市場へ
     ここはおそらく八戸でいちばん活気のある場所だろう
     おばちゃんたちが朝から元気だ
     青森に行くと決めてから頭の中は海産物でいっぱいだったので
     刺身を大量に買い込んだ
     市場内に買ったものを食べられる場所があり
     そこでご飯や味噌汁買って朝から豪勢な食事だ
     魚の味が普段栃木のスーパーで買って食べているものとは
     明らかに違う
     でもさすがに買いすぎた
     どさっと盛られた刺身が5皿
     最後はお茶といっしょに飲み込まなければ喉を通っていかなかった
     ものにはなんでも適量というものがある
     それを越えればおいしいものもおいしくなくなったり
     楽しいことも楽しくなくなったり 
     うまい具合にバランスが取れていたものがバランスが取れなくなったり
     欲張りすぎたらろくなことがない
     それにしてもこれだけ食べて1400円とは
     イカ200円 タコ200円 サンマ200円
     ヒラメ300円 エンガワ300円
     ご飯100円 味噌汁100円
      飯を食ったら八戸駅から電車に乗って蟹田駅へ
     そこから自転車で津軽半島を回って弘前まで走る予定
     輪行は今回が初めで
     自転車の分解 組み立て 袋への詰め込み 電車での置き場所
     不安なことはたくさんあったけど
     今回の旅でで何度もそれらをやる機会があったので
     だいぶスムーズに出来るようになった
     大事なことは経験することだ
     不安がって何もやらなければ
     何も動いていかない
     蟹田10:30発
     スタートするとすぐに海が見えてきた
     向こうに見えるのは下北半島か
     国道280をずっと進めばいいので方向音痴のぼくにも迷わない
     漁師のおじちゃんおばちゃんが網の修理や談笑をしている
     おじさんがひとり堤防に座って海を見ている
     道は広いし行きかう車もほとんどない
     気温20度
     気持ちがいい
     ここは自転車天国だ
     でも「あと10週くらいしてもいいなあ」と余裕ぶこいてるのも
     ここまでだった
     龍飛崎の手前から上り坂がはじまり
     どこまでも続いている
     額から汗が滴り落ちる
     力を出し搾ってペダルをこぐ
     底力というか
     最後の踏ん張り
     ボクシングをやっていても思うのだけど
     何をやるにもこれがいちばん大事なのではないだろうか
     気持ちが負けてしまったらその時点で終わりだ
     「やるぞ~」と決意した時点で怖さは喜びに変わり
     エネルギーが沸き起こってくる
     ようやくたどり着いた
     標高478m眺瞰台展望台
     喘いだ先には絶景が待っていた
     360度の大パノラマ
     八甲田山 権現崎、竜飛岬 北海道 日本海 陸奥湾
     水筒の水を飲み干してしまっていたので
     持って行ったレーズン入りのパン
     (ライ麦40パーセントか見ごたえのある平焼きパン)を取り出して
     食べたらからだを目一杯使った後ということもあったのかもしれないけど    
     最高にうまかった
     峠に来れば後は下るだけだ
     くねくねのきついカーブにバスも苦労している
     バスを追い越さないように何度か止まりながら下った
     小泊の道の駅でひとり車でドライブをしている弘前のお兄ちゃんから
     話しかけられた
     行く先々で自転車をこいでいる姿を見かけたので気になっていたそうだ
     ぼくも立ち止まる先々でこのお兄ちゃんがイカ焼きを食べたり
     アイスクリームを食べたりしている姿を見かけていた
     小泊から弘前までが思っていた以上に距離があった
     25000:1の地図ではすぐ隣の距離でも
     実際にはその25000倍した距離
     近くに思えていたものがぜんぜん近くないことがわかったときは
     精神的ダメージがかなり大きい
     自転車の旅には25000:1の地図は向かない
     でも遠くても
     ひとり旅だ
     のんびりいけばいい
     どこまで行くかも 進む早さも 行く場所も自分で決められる
     人生について考えることも出来る
     そしてやったことのすべてが自分の力となってくる
     こころ細さはあるけれどひとり旅の良いところだ
        ひとりで何かをやる
        ふたりで何かをやる
        大勢で何かをやる
        ひとりだからできること
        ふたりだから出来ること
        大勢だから出来ること
        ひとりではできないこと
        ふたりではできないこと
        大勢では出来ないこと
        ひとりだからこそ得られるもの
        ふたりだからこそ得られるもの
        大勢だからこそ得られるもの
     岩木山のシルエットが見えてくる
     美しくそして堂々とした姿
     人々がこの山を御神体と崇めてきたのもわかる
     21:00弘前着
3日目 弘前市内から岩木山へ
そこからもう一度弘前に戻って十和田湖へ
弘前初7:30
気温20度
数週間前まで40度を越えるなかで連日パンを焼いていたので
半分の気温の世界にいるのが不思議に思えてしまう
今年はとにかく暑かった
熱がからだから抜けていかない
夏は強いつもりでいたけれど
梅雨の時期から眠れなくなり
毎日がフラフラだった
9月に入ってからも
気温が下がらず
朝5:30すでに作業場は30度を越えている
温度だけなら何とかなったのだけど
ジメジメの重たい空気が
からだそしてこころ全体にのしかかってくる
さすがにこれ以上続くとやばそうだなと思っていたら
熱中症
ダメージが大きすぎてなかなか抜けきらなかったけど
この旅でなんとか回復できそうだ
弘前から岩木山までは約20KM
弘前も八戸も街中は交通量が多くごみごみしていたけど
ちょっと離れただけで空気の味がまったく違う
岩木山を上り始めると両側にりんご園が続く
赤いりんごが枝もたわわになっている
それぞれの農園が道端に無人販売所を設置しており
りんご4個100円 洋ナシ2個100円 野菜1袋100円などが売っている
りんごや洋ナシをかじりながら自転車をこいでいると
今度はとうもろこし屋が並んでいる
獄温泉で足湯に使っていると
そこを管理しているおじさんがやってきた
青森で生まれ青森で育ったそのひとは
「青森はいいところだよ」と言って笑った
自分が生まれ育った場所をそんなふうに言えるひとはそういないだろう
どうしても他と比較してしまって
自分のところに無いものは
良く見えてしまうものだ
自分のところにあるものは
見ていないで
帰りにゆでとうもろこしを食べてみた
ものすごい甘さ
「獄きみ」といって朝夕の寒暖の差と火山灰による水はけの良さが
その甘さを作り出すそうだ
本当に甘くて3本目になってくるとさすがにきつくなってくる
「獄きみアイスクリーム」もとうもろこしの味が広がっておいしかった
上あごと舌で押さえ込むとコーンスターチを手で握ったときのように
グニュッとなる
弘前を過ぎてしばらくすると雨が降ってくる
そしてまた上り坂が始まる
上っても上っても坂が続く
天国にでも連れて行ってくれるのか」と罵りながら上っていく
雨具の中は蒸し風呂状態だし視界も利かない
初めての山はてっぺんがわからない分
精神的にはかなりの負担になってくる
永遠に続くのかと思えた上り坂もやっとこ終わり
1011m御鼻部山展望台に到着
そこから奥入瀬の入り口までの10数kmは下り坂だ
ブナのトンネルのなかを
風を切って走る
最高に気持ちがいい
苦労した分喜びも大きい
十和田湖を一周してホテル到着16:30
温泉に入ってひと眠り
本を読んでまた温泉に入り
夜はゆったりくつろぐことが出来た
      4日目は十和田湖を半周して奥入瀬渓流 八甲田山を抜けて
      青森市三内丸山遺跡へ
      ホテルから奥入瀬まではまた十和田湖を半周しなければならない
      十和田湖一周約50kmだからけっこう大変だ
      ブナの林の中を少し散歩をして
      温泉に入ってから
      坂道をぐいぐい上って鼻部山展望台を目指す 十和田湖発7:30
      距離的には逆周りで行った方が近いし上りも少ないのだけど
      坂道をがんばって上ってしまえば後は奥入瀬まで下っていけるから
      景色の良いこっちの道を選んでみた
      からだがだいぶ上り坂に慣れたのか
      温泉に入って疲れが取れたのか
      きょうは上りがかなり楽に感じられる
      太陽が出ているのできのうとは景色が違って見える
      鼻部山展望台から下ってからも14kmの下りが続く奥入瀬渓流
      道路のすぐ脇を川が流れているので自転車でも十分楽しむことが出来る
      途中途中に滝も流れていて飽きることがない
      紅葉の季節はきっとひとだらけになるだろう
      渓流を眺めながら気持ち良く坂道を下っていると
      後ろでカラッカラッと何かが転がる音がした
      何か落としたかなと後ろを振り向いた瞬間
      ハンドルが持っていかれた
      立て直すことが出来ないまま
      國母もびっくり3mある垂直の崖を
      自転車に乗ったまま回転しながら
      落ちていく
      落ちながら
      これまでに大きな怪我をしたことはなかったのだけど
      今回ばかりはやばいなと思った
      落ちた瞬間はあっという間だった気もするし
      一瞬時間が止まった気もする
      次の瞬間水の中に落ちていた
      頭の上からごぼごぼと水が落ちてくる
      渦に巻き込まれたかと思って
      必死になって自転車を陸に持ち上げ
      自分も這い上がった
      からだを手探りしてみたけれど
      血が出ているところもなくたんこぶひとつと眼鏡をなくしただけで
      なんとか無事のようだ
      それでも寒さと恐怖でからだが震えてくる
      落ちたのが水の上だったから良かったようだ
      岩や石の上に落ちたらどうなっていたか
      落ちた場所は道路の反対側の崖から流れ落ちる水を通し入れているところで
      胸くらいまでの深さがある水の溜まり場だった
      頭から落ちてきていたのはその水だった
      直径は120~130cm
      その周りは石ころが転がっている砂地
      ひとの命なんて1cmや2cmの差でどうなるかわからない
      着替えるとだいぶ落ち着いてきた
      鞄に雨よけのカバーをつけたままにしておいたので助かった
      生きていれば一瞬先に何が起こるかわからない
      どんなに気をつけていても
      起こることは起こってしまう
      それを乗り越えていくことが人生だし
      そこに生きていく醍醐味がある
      奥入瀬渓流を抜け
      しばらく山道を登っていくと
      蔦温泉がある
      昔ながらの温泉宿だ
      誰もいない湯船で冷えたからだを温めた
      からだが温まってきたら
      生きていたことの喜びが沸き起こってくる
      ぼくにはまだまだやることがある
      雨に濡れ
      川に落ち
      温泉に入って
      水に入る度に真っ黒だった靴の汚れも落ちて
      真っ白になっていったけど
      こころも浄化されていった気がする
      もうカッコウつけることも
      抑えることもしないで
      泥だらけになろうが
      水浸しになろうが
      思ったままに生きていこう
      失うものがあるとしても
      身ひとつさえあればそれでいい
      かなり上の方まで上ってきた
      きょうは強風だ
      上の方に行くにしたがって風はもっと強くなる
      飛ばされそうになりながら
      踏ん張ってこぐ
      八甲田山の上の方は少しだけ紅葉が始まっていた
      標高1040m笠松峠ここからは青森市街近くまで20km近く下りが続く
      途中千人風呂で有名な酸ヶ湯温泉に寄って入浴
      ぼくのなかではいままでいった温泉の中でベスト1
      お湯が良いし空間が良い
      最高に気持ちいい気分になった後は
      これまた気持ちの良い下り坂が待っている
      14:30 三内丸山遺跡に到着
      縄文土器や土偶ペンダントや矢じり
      便利で安心で安定した世界に生きていては得られない
      喜びや力強さを感じる
      便利で安心で安全で安定していることが本当に良いことなのかと思ってしまう
      便利なものが揃っており容易に出来てしまう
      危険を感じることなく容易に欲しいものが手に入ってしまう
      そこに属してさえいればほぼ確実に収入があり生きていくことが出来てしまう
      困難な思い怖い思いをしてをして手に入れるからこそ
      相手に対して尊敬の念を持つことが出来て感謝する気持ちが生まれてくる
      その感謝の気持ちを忘れたらときひとはきっとおかしな方向に向かってしまう
      17:00青森駅到着
      もう一泊する予定だったけど行きたいところはぜんぶ回ってしまったので
      栃木に帰ることにした
      青森期待以上に良いところだった
      またいつか行くかもしれない
      今回はよくこいだ
      自分で作り出してしまっている限界という存在を
      頭の中から完全に取り去ってしまうことは出来なかったけど
      やっている瞬間だけは限界を消すことが出来ていたと思う

塩原で花を育てているという夫婦が
素敵な花を持ってやってきてくれた
花だけで生活していくことはまだできていないそうだけど
楽しそうにやっているみたいだ
頂いた花数本がこの暑さであっという間に
しなしなになってしまった
「もうダメかな」と思いながら茎をちょっと切って水を張ったボールに入れておいたみたら
数時間後には葉っぱも花もピーンッと元気になっていた
花にこんな力があるのなら
人間にだってそのくらいの力はあるはず
今夏はは夏負けしてしまったけど
これからどんどん盛り返していくぜ

大学の(目の)先生が久しぶりにやってきた
「外部のひとへの説明会などで夏休みの方が忙しいくらいですよ」とぼやいていた
この先生はいつかこの忙しさから解放されるときが来るのだろうかと
かわいそうに思ってしまうくらい本当に忙しそうだ
「これだけ働いているのだから給料上げて欲しいわ」と言っていたけど
お金を使う暇なんてあるのだろうか

夜になるとようやく涼しさが感じられるようになってきて
梅雨時から続いていた不眠症が解消されてきた
昨夜も涼しくなっていたので張り切ってごろんと横になったのだけどぶ~~~んと
蚊が一匹
でも大丈夫
夜の蚊撃退法を編み出したのだ
まず暑くてもタオルケットを首までかける
そうすると蚊はしかたなく顔の方にやってくる
顔の付近までやってきたのを感じたら
すかさずタオルケットを頭まですっぽりかぶってしまう
閉じ込められた蚊は「しまった~」と慌てるけど
こっちは慌てることなくタオルケットの上から
頭から顔とビシビシビシビシと手で叩いていけばいい
これで2回目だけど蚊は造作なく退治することが出来た
でも問題はその後で
蚊との戦いで気持ちが高ぶってしまい
2回ともほとんど眠ることが出来なかったんだ

夕方少年ふたりがやってきた
ひとりが飛行気乗り
もうひとりの方が自転車乗り
ふたりとも趣味が豊富で飛行気乗りの方は
飛行機のほかにヘリコプター バイオリン ラジコン 山登り ダイビングなども
やっていて年に2回は海外旅行にも行っているそうだ
自転車乗りの方はいまは自転車だけだけど
昔はグライダー オートバイ そしてかなり本格的に山登りをやっていたそうだ
キャンピングカーを持っていて日本中を走りまくっている
飛行気乗りと話していると昔話になって
中学高校とと陸上部で中長距離走をやっていたとのこと
「中長距離をやっていた奴は心臓悪くするか警察に捕まるかのどちらかだ」と言っていた
可笑しなこと言ってるなと思っていたけど自転車乗りも中学時代駅伝を
やっていたことを思い出しふたりを見ながら納得してしまった
この店にやってくるのは歳をとるにしたがって元気になっていくひとたちばかりだ
きょうは他にも鴨川に米を作りに行くと引っ越していったコーヒー屋さんが
蔵王の山頂で行われる音楽のイベントにコーヒーを売りに行くと言ってよってくれたし
福島の農家に住み込んで農業見習いをしているSちゃんも
福島でやる音楽イベントに団子を作って売りに行くと言っていた
みんな
くだらない空気やルールに縛られることなく
自由自在に飛び回っている

10年分の失敗も積もり積もれば
知識になる
自分の経験から得た知識だから
自分の血肉となって役立ってくれる
でもいつかその知識や経験も重たくなって
身動きが取れなくなってきたときは
いつだって得意の右ストレートで
粉々にくだいて
さよならだ

ピリオドを打つのは自分だ
やりたいという気持ちがあるのなら
たとえ形が変わったとしても
そのまま歩き続ければいい
下手くそでも
歳を取っていても
どんな状況だろうと
誰にでも
やりたいことを
やる権利はあるんだ
ピリオドは誰かによって打たれるものではない
やりたいという気持ちを持っている限り
歩み続けていけばいいんだ

その日に使い終わった酵母は次の活性化をさせるまで
冷蔵庫に放り込んでおけば
それで済んでしまうのだけど
それだとそこに隠れてしまうもっと深いことを知ることができない
ぼくが冷蔵庫を使わなくなったのはそんなことを考えたから
ではなくて
ただ単に冷蔵庫が壊れたからだ
修理代払うのもバカらしいし
なくてもなんとかなるだろうと考えたからだ
だけど
最近気がついたことなんだけど
パンの出来がいまいち良くないなと思う日が多くなったのは
その頃からだ
酵母を次の活性化まで室温に放置しておいたので
醗酵しすぎてしまい力が弱くなっていたんだ
そのことについ最近気がついて酵母をかわいがるようになってから
パンの出来がかなり変わってきた
冷蔵庫を使っていればそんなことにはならなかったんだけど
冷蔵庫を使わなかったからこそわかったことがたくさんあったし
冷蔵庫を使わなかったからこそ冷蔵庫を使うやり方で作るパンを超えられたのだと思う
 
きょうは各地から自転車のりたちが集まってきた
みなさん空の下
自分のからだを目一杯使って
やってきたので
子供のように
解放的な空気をからだから出し放っている
顔も「オロナミンC」のように元気ハツラツさわやかだ
店の前で談笑しているところに行ってみると
ゆるゆるの空気が流れていて
別世界になっている
「きょうは店が休みかな」と勘違いしてしまうお客さんもいたくらいだ
その輪の中にいるとぼくもいつの間にか
気持ちが緩んでしまい日曜の夜のような気分になってしまったので
その夜の仕込みと次の日の朝の仕込みは大変だった
浦島太郎が連れて行かれた竜宮城はもしかしたらあんな空気が
流れているところだったのかもしれない
きっとあのひとたちはこれから先も
歳をとらずに
ああやって自転車にのって
さまよい続けることになるのだろう

風邪にかかった
風邪は気合では治らないようだ
明日はパンが焼けるだろうか
お盆が過ぎたらすこし休むことにしよう
とにかく眠りたい
今年の夏は眠れないリズムが出来上がってしまい
ほとんど眠れなかった

きょうのパン(ライ麦30%以下小麦酵母のパン)は間違いなく
今年いちばんの出来
ライ麦40%以上のライ麦酵母のパンはまだ食べていないから
わからないけどそっちもなかなかのパンになっていると思う
きょうでパン屋を始めて10年
ぼくのなかでは特別なものがあったので
気合が入った
実は数日前に小麦酵母を醗酵させすぎて弱らせてしまったことがあった
いままで力の弱い酵母でパンを作たときは100%失敗していたんだけど
数日前は失敗した数々の経験を活かして全身全霊でパンにぶつかっていったら
見事にパンを復調させることが出来た
復調だけでなくかなりの味を出すことができた
きょうはそのときの経験を活かして
作ってみた
自然条件がうまい具合に整ったこともあったのだろうけど
ヒントらしきものもちょっと見えた気がする
ゆっくりだけど確実に力はついてきている
パンでもボクシングでも
自分は不器用だからひとが1年で出来ることも
10年も20年もかかってしまうけど
伸びたいという気持ちがある限り
ひとより遅くたって気にならない
何百回何千回それでもだめなら何万回でぶつかっていけばいい
このところボクシングの方でも
まったく下手くそで出来なかったことが
もしかしたら出来るかもしれないというというところまできている
伸びたいという気持ちを持って諦めずに続けていれば
到着できるかは別にして
目指している方向に確実に進んでいくことができるんだ

自分の目指している方向に進んでいる奴には敵わない
どんなに下手くそだろうが
どんなに見栄えがしなかろうが
どんなに笑われようと
どんなにバカにされようと
そのひとは最強だ
何もしないでひとを笑っている奴
何もしないでひとをバカにしている奴に敵う相手ではない

今週はスイカをもらいトマトをもらいそれからラー油をもらった
今年は食べ物をもらいすぎだ
もしかしたら今年胃袋に納めた食べ物は
自分で買った分よりももらった分の方が多いかもしれない

きょうは予想外にお客さんが来た
お盆休みに入ったのだろうか
通販が結構入っていたので
その準備をのんびりやろうかと思っていたのだけど
予定していた分はほとんど送れなかった
きょう送れなかった分
しばらくはちょっと大変になりそうだ

今週は2日続けてのジム
2日目に家に着いたときは
「すべて使い切った~」って感じ
バタンと倒れて深い眠りには入ることができればよかったのだけど
暑くてほとんど眠れず
きょうの仕込みは本当にきつかった
ジムでのスパーリングでは
先週の反省を少しだけ活かせた
まだまだ上げていける
そんな感触があった

高根沢から来た女性が自転車の試乗をした
乗り出してからしばらくして
「ブレーキどこですか~」って
彼女も驚いただろうけど
そんなこと聞かれるとは思っていなかったぼくも驚いた
下り坂や車が走ってきたときじゃなくて良かった
きょうの教訓
『自分にとっては当たり前のことでも
ひとにとっては当たり前でもなんでもないことがある』
その土地のひとにとっては当たり前でなんでもないことなのに
別の土地のひとにとっては魅力的に映るなんてこともあるし
店をやっているひとにとっては当たり前でも
お客さんにとっては当たり前ではないこともある
当たり前だと思っていることを
もう一度見直してみるべきなのかもしれない
当たり前と思っていたことが
とてもとても大切なものだったり
磨けば光るものだってあるかもしれない
自分の中からもきっとなにか良いものが見つかるのではないだろうか
それから自転車に乗りたい方はおっしゃってください
20インチの小さい自転車
ロードバイク
クロスバイク
タイヤの太い自転車があります
この周辺は気持ちの良い自転車コースがいっぱいあります
なんと! いまなら無料で自転車に乗ることができます
ガイドさんがいるときはやはり無料でガイドを受けることができます

いつも90分から120分ランニングをしている
いろんな用事が入ってしまい走れる時間が20分しか取れないとき
20分しか走れないならきょうはいいやと
走りたくない 楽をしたいという思いに負けてしまい走るのを止めてしまう自分
そんなとき10分でもいい
5分でもいい
走ることができる自分を作っていきたい
 
何かをやりたいと思う
それなのに次の瞬間
できない言い訳を考える
時間がないから
子供がいるから
でも本当は
やるのが大変そうだから
その
大変そうだからということを
越えない限り
人間としていつまでも広がってはいけない
やりたいという思いと
やりたくない
楽をしたいという思い
矛盾するふたつの思いがいつもぼくの中でせめぎ合っている
どちらを選べば楽しいのか
わかっているけど
なかなかそちらを選べない弱さ
残りのわずかの人生を考えれば
もう選択権はないはず

自転車のフロント部分につけるのに
ちょうど良いカバンが家にあった
ハンドルが少し握りづらくなるけど
それを差し引いても
荷物を背負い込んで走るよりは
ものすごく楽になった
それなので
きょうはジムの帰り道の一部の区間(30K)を飛ばしてみた
新しい自転車がだいぶ馴染んできた
それからここ何年か
練習量を増やしたり
激しい練習をすると
あっという間
1時間とか2時間でからだから余分な肉が無くなってしまう
きょうもお腹周りがすっきりさっぱり

夢を見ていたことや
目標にしていたこと
到達したときは本当に本当にうれしい
でもその達成感や満足感を持てるのもほんの一瞬
まばたきと共に消え去ってしまう
人間は過去の楽しい思い出や喜びでは生きていけない
いま
この生きている瞬間の満足感が
人間を生きさせる
そしてその満足感を得るために
人間は夢を見
目標を持つ

きょうはライ麦40%(くるみ)のパンにクリームチーズとアボガド鳥のささ身のオープンサンド
夜食にはこんなさっぱりしたサンドウィッチがうれしい

行きたいコンサートがちらほら出てきた
そういえば今年はまだ音楽を聴きに行っていなかった
行きたいけどジムにも行きたい
行きたいけど東京には出る気がしない
どうするべ

8月15日 8月24日
Debashish Bhattacharya  インド  スライドギター
http://www.youtube.com/watch?v=OOBPMIoadBo

9月22日
マリア・カラニエミ フィンランド  アコーディオン
http://www.mplant.com/

10月29日
ノルディック・トゥリー  フィンランド
http://www.mplant.com/koruna/nordiktree/

きょうもいろんなお客さんがパンを買いに来た
来るひと来るひといい顔をしてる
みんなしっかりと自分自身を生きている
そうなんだ
どんな状況であれ
やることは同じだ
自分自身を生きること
うまくできないで
みんなに批判されたり
そっぽを向かれようとも
まわりからちやほや
されているときだって
最高にのってるときだって
不運が続くときだって
納得できないことが起こったときだって
やることは同じだ
自分自身を懸命に生きること
そうやって懸命に生きられること自体が
喜びなんだ

ここ数日何種類かのパンで
「ん~」と唸ってしまうくらいうまいパンを連発している
夏にはうまいパンができないと考えていたけど
夏だからこそ出せる味があるんだ
窯から出たばかりのパンを食べて
味がわかれば
「きょうはこのパンが最高にうまいよ」と薦められるんだけど
天然の酵母を使ったパンとくにライ麦を使ったパンは
そうもいかない
その日の夜か次の日の朝
余分な水分が抜けるまでしっかりとした味がわからない
だからパンの反省をするのは売ってしまった後
その辺りは怖いところだ

もっとうまいパンが作れるようになって
プレーンなパンだけで勝負ができるようになったら
サンドウィッチ屋さんになるのもいいな

スパーリング2ラウンド
向き合った瞬間
? ?
自分より背が高い相手とやるのはものすご~く久しぶりなので
あれ どうやってたんだっけ?って感じで始まってしまった
結局2ラウンドでは思い出すことができずに終了
けっこう打たれたけど打たれて納得なのでショックはない
気持ちも乗ってこないまま終わってしまったので
打たれた割にはまったくダメージもない
自転車で家に帰るときにようやく思い出してきた
スパーリングをやるたびに忘れていたものをすこしづつ思い出している
きょうのスパーリングは最低だったけど
だめなところすべて出したおかげでかなりの部分を思い出した
できれば明日もジムに行って実践で試しながら
からだに思い出させていきたいのだけど
そうもできないので
とにかく思い出したことをイメージしながら反復練習だ
ジム行きがだんだん楽しくなってきた

ひとはうそをつくこともある
行動を見ればすぐにうそってわかってしまうのに
ひとのまえではうそをつく
自分自身の前でうそをつくことになると
もう最悪だけど
ひとにうそをついているひとは
いつかかならずそういうことになる
うそはうそを呼び寄せる

この夏に
いい体験をしたひとたちが
いい顔になってやってくる
きょうも素敵な出会いにありがとう

パン作りの方はだいぶのってきた
気温の高さにも対応できるようになってきたし
暑さにも慣れてきた
44℃の地獄風呂だって
慣れてしまえば岩盤浴にでも入っているようなもんだ
仕込みが終わる頃には頭がポワ~んとなり気持ちよくなっているくらいだ
1917(山型の食パン)もきのうに引き続き良いパンに焼きあがった
暑くジメジメで最悪の環境だからといってうまいパンができないというわけではない
その分酵母やパン生地を優しく扱ってやれば
かならずそれに答えてくれる
工夫と的確な判断でいくらでもうまいパンはできるんだ
明日から気分転換をかねて秋田にでも行ってこようと思っていたけど
いまは気分転換なんて必要ないくらいボクシングもパン作りもやりたくて仕方がない
それにまだ和歌山に行った余韻が残っているし
秋田はしばらくお預けだ
店を休むならその分ジムに行くことにしよう

パン作りでは
これからどうするのかという判断を
すべて自分ですることができる
だからその結果どんなことが起ころうとそれは自分の責任だ
自分で判断しての結果なのでどんなことになろうとそれは受け入れることができる
自分で判断して何かをやるといってもパン作りの場合
人間ができることなんて高が知れている
例えば夜寝る前の酵母いじりでは
酵母と足す粉の量の割合をどうするかとか
捏ね上げ温度をどうするかとか
どの場所で醗酵させるか
ぼくにできるのはそこまで
(ドゥコンはないし冷蔵庫も使っていない
ホイロはあるけど室温より温度をさげることができないので夏は使い物にならないから)
後は自然に酵母をゆだねるしかない
そういう部分ができるだけ残っている方が絶対パン作りは面白いと思う
山と同じだ
だから
なるべく
ぼくは機械に頼ることなくパンを作っていきたい

自分自身で判断して
その結果を受け入れる
その過程がひとを広く大きくさせてくれるのだと思う

T家の野菜をもらった
ぷりぷりのミニトマトをかじってみるとじゅるじゅるの汁と共に
甘さと酸味が口いっぱいに広がる
「生き返った~」
このトマトのようにバランスが取れたパンが作れるようになればいいなあ
早速ライ麦のパンでオープンサンドにしてみる
そのほかにもらった野菜はバジルにミントそれにしその葉
チーズやささ身が欲しいところだけど
ないのでトマトとそれぞれの葉っぱの組み合わせ
かえって野菜とライ麦パンの味が引き立って良いかもしれない
やっぱりライ麦パンはオープンサンドにしてこそのパンだ
食べ方さえわかればもっとライ麦好きのひとは増えるはず
酸味がダメというひとも何かを乗せて食べれば
酸味なんてほとんど感じなくなるんだけどな

スーパーで中学の同級生kとばったり
奥さんが子供を産んだばかりなので代わりに買い物に来たとのこと
買い物カゴを見ると甘いものばっかり
ペットボトル4本は全部甘い飲み物だし
そのほかにスナック菓子にチョコレート
パックに詰まった焼きそばなどなど
いっしょについてきた長女のくるみは俺のパンを「うぇ~」と吐き出したやつだ
子供の味覚の悪さはやっぱりほとんどが親の責任だと思う
「子供が食べないから」と言って
子供が嫌いなものを避けるひとがいるけど
食べるものまで子供に合わせる必要があるのだろうかと思ってしまう

1917(山型の食パン)がなかなかうまく膨らなく
ああかな
こうかな
これでどうだ~と
やっていて
もう少しというところまでは来たのだけど
そこから先がどうにもならなく
これは無理なんだろうと
半分諦めていたのだけど
きょう ちょっとやけっぱちになって
「エイ ヤー」とパンチを叩き込んでみたら
2ヶ月ぶりくらいに良い1917ができた
クソ暑く湿気もムンムンでパンを作るには最悪の条件だけど
条件が悪いなかで作った方がパンのことをたくさん知ることができる
ことがうまく運ばなくなったときこそ
人間の醍醐味
最高に人生を楽しめるとき
ひとにどう言われようが
ひとが離れていこうが
自分自身向かうべき方向に進んで生きていれば
こころが充実していれば
それでいいんだ
桃色人生
さあ~久しぶりにランニングだ
めざせ! 人生最強のからだ

心身ともに絶好調なんだけど
この暑さで頭だけが回らない
今朝ライ麦の酵母が入った容器のふたを開けてみて
びっくり
粉と水が入っているのに混ぜられていない
そこまで用意したのになぜ混ぜることをしなかったんだろう
ふたまで閉めてホイロにも入れてあるのに
梅雨に入ってからパンの方はこういったことが重なって
なかなか波に乗れない
だけど波に乗れなくたても
焦らなければ楽しいもんだ
パンを作れなかったりすれば
お金は入ってこないけど
こうやって毎日楽しめるということが
ぼくにとっては財産だ

郵便局ではいま
24時間荷物の受け取りができるらしいけど
心身削って
ボロボロになってまでそんなことやる
必要があるのだろうか
お菓子屋の過剰なまでの包装
しゃがみ込んで注文を受ける喫茶店
サービスってもっと
一対一でぶつかり合うことじゃないのか

いまのジムに行き始め2ヶ月がたった
もう8回くらい通っただろうか
小さい自転車もこの前みんなでこいだ50Kmと3回の宇都宮行きで
だいぶ慣れてきた
お尻が痛くなるのもトレパンの下に下着をはくことでほぼ解消
後は長い距離を荷物背負って走るのはちょっとしんどいので
そこのところを考えてみよう
きょうは裁判所の自転車野朗に教わった道で宇都宮に向かった
佐久山から喜連川の工業団地まではいつも通りで
ファミリーマートがある箱森新田の交差点まできたら右折して直進
4号線を越えてしばらく走ると宇都宮線の線路がある
そこを越えてすぐの道を左折して直進
小学校を過ぎてすぐの道を右折
コンビニを通り過ぎてすぐの道を左折して直進
しばらく進むと鬼怒川が現れる
氏家大橋を渡ったところでわからなくなったので
とりあえず新幹線の線路を目指しながら走る
線路に出たら後はほぼ線路に沿って走れば宇都宮の中心地だ
ジムに行くには遠回りになるけれど車通りの激しい道を通らずに
宇都宮まで行くことができた
のんびり行ったのに宇都宮中心地まで2時間かからなかった
ジムに行く方が遠いのか

相手のパンチを避ける感覚はまだまだだけど
攻撃の感覚は戻ってきた
先週2日連続で行ったことも大きいけど
練習の成果も出ていると思う
からだもだいぶできてきた
人生最強のからだももう少しだ
だけど越えたところで
満足じゃない
いっきに駆け抜けるぞ
そして子供の頃の目の輝きにはまだまだ及ばないけど
あの頃の目の輝きを越えてやる

ライ麦パンと味噌は相性がいい
ライ麦80パーセントのパンに野菜と味噌を和えたものをのせて食べたら
用意したパン6切れがあっという間に胃袋へ消えていった

ランニング開始
すでに外は熱気がムンムン
アスファルト地獄に入り込んでしまったよう
なんとか城址公園に逃げ込むと
土の上は体感温度がぜんぜん違う
川原の方に下りていくと小学生たちが
野球をやったりサッカーをやったり
いつの間にか「こんな暑いときに運動なんてやるものじゃないぜ」という
考えになってしまっていたけれど
子供の頃は毎日外で駆け回っていたんだ
暑さなんてぜんぜん平気だった
 夕方ジムに行こうと自転車をこぎ出したら
雨が降ってきた
Uターンして家に引き返す途中
自転車に乗った中学生たちが
合羽を着たりあるいはずぶぬれになりながら
一生懸命自転車をこいでいる
雨が降ろうが槍が降ろうが
中学生たちは毎日学校に通っているんだ
「わんぱくでもいい たくましく育って欲しい」なんて言ったら
子供たちに「お前もがんばれよ」と返されてしまうだろう
子供たちはすごいよ
大人が子供たちに向かってごちゃごちゃ言う資格なんてないんじゃないか
子供たちの方が良くわかっている
歳をとるにしたがって
自分を守ろう守ろうとするあまり
人生を楽しむための大切なものを忘れてしまっていたようだ
ぼくたちはあの頃宇宙と一体だった

1917(山型食パン)がまたうまくいかなくなった
先週はなんとか膨らんでくれたのだけど
今週はまったくダメ
さすがに40℃の高温にずっとさらされていれば
粉の状態も悪くなるかな
でもこの悪いコンディションのなかでも
それなりのパンを作れるようになることが
今夏の課題
毎日こうかな
ああかなと作っている
毎日のパン作りが楽しくてしかたがない

夏のパン作り
うまくいったら儲けもん
そんなふうに思ってやっていないと
こころがついていかなくなる
いいパンができるかどうかなんて考えなくていい
絶対成功させなくちゃなんて思わなくていい
そのとき
そのとき起こることに
対処していく
たのしみを味わいながら
いまに溶けていく

過去もこれからもなく
損も得もなく
自分を守ろうなんていうのもなく
何のためなんていうのもなく
いまというときに
パーッと飛び込んで
溶けていけばいい
ぼくはそのとき
宇宙そのものになる
ぼくは小鳥とだって話すことができるし
風の声だって聴き取ることができる
太陽の熱だってぜんぶ受け止めることもできるんだ
ぼくは海でもあり
おおきな欅の木でもあり
蓑虫にだってなれる

自転車でジムに行くようになって
足腰の筋肉がかなりついてきた
でも自転車でジムに着くころには
すでに足に来ているので
まだその筋力を発揮する機会がない

きのうは作業場の室温が今年最高の44℃
さすがにこれだけ高くなるとお手上げ
きょうも43℃まで上がったがきのうの経験を活かして作ってみたら
思っていた以上にいいパンができた

からだが回復したので
2日連続でジムに行ってきた
きのうのパラグライダーの先生だけじゃなく
このジムにはぼくより年上の方が何人もいる
精神的なものもだけど
技術的なこともまだまだそのひとたちに教わることがいっぱいある

雨ばっかりの梅雨が過ぎて
ようやく窓を全開にして眠れるようになった
寝不足ですでにバテ気味だったからだもすっかり回復
さあ 夏だ 俺の季節がやってきたぜ
朝のランニングに久しぶりに1500メートルダッシュを入れてみる
いままででいちばん楽に走れた
このところダッシュやサンドバックの連打を繰り返していたので
心臓ができていたみたいだ
 きょうは近所の自転車野朗たちといっしょにとこぐことになっているので
早めにランニングを切り上げてみんなを待ったのだけど
提案者の Iさんがなかなかやってこない
炎天下のなか佐久山に住んでいて共に主婦の自転車野朗たちふたりと待つことになる
この時点でかなりの消耗をしていたけどようやくやってきた Iさんの案内で
予定の9:30を大幅に遅れてスタート
Iさんの歴史案内を交えながらゆるゆると進む
Mさんはこの小さいからだのどこにこんなエネルギーがあるのだろうとびっくりしてしまうくらい
坂道だろうがどんな道だろうがたんたんと進んでいく
きょう初自転車乗りとなるMrs hawaiiは先週旅行で行ったハワイ旅行で買ってきた
hawaiiの文字が入ったパンツで
気分はハワイだったのだけど
さすがにこの炎天下といきなりのロードバイクでかなりの苦戦している
しかしとにかく暑い
水筒に入れてもっていった1Lの水は30分でなくなってしまった
木陰に入ったときのうれしさ
最後にむさぼるように食べたほんのちょっとの梅干
水や木 塩分のいありがたさ
ボタンひとつで快適な生活を送れる世界にいては絶対気づけないこと
人間は「自然」に生かされている
この「地球」生かされている
この「宇宙」に生かされている
 伊王野の道の駅で昼食
4人の中でぼくだけが大田原出身なのだけど
まったくどこを走っているのかわからない
それほど遠くに来たわけではないのに方向感覚がふにゃふにゃだ
ガイドのIさんが面白い場所に連れて行ってくれる
キャンディやバナナの用意もしてあるし
ああ見えてけっこうマメだ
話したくて仕方がない大好きな歴史も
あんなにうれしそうに話されると
いつの間にかこの場所の歴史に思いを馳せている自分がいる
50kからだを真っ赤にしながら4人ともこぎきった
どんなにゆっくりだったってひとこぎひとこぎしていけば
いつかは目的の場所にたどり着けるんだ
Mさんはまだまだ走りたそうにしている
Mrs hawaiiは消耗しきっているけど満足そう
子供がいるからできないなんてことはないんだ
子供も自由であるけれど
自分も自由だ
子供もひとりの人間だけど
自分もひとりの人間だ
 ひと休みしてジムに行くと
見覚えのある顔
前のジムでいっしょだったパラグライダースクールの校長先生だ
前のジムが移転になってすぐにこのジムに移ってきたらしい
本当に好きなんだなあ
もう60歳を越えているのだけどおやじファイトに出場しようとがんばっている
昨年はフランスに行ってパラグライダーでの前転を習得してきたそうだ
力をもらった

ひとは離れていく
その時期がきたら
どうあがいてもそれを止めることはできない
いつまでも去って行ったひととの関係性を求めていても
何にも始まらないんだ
いまの
この目の前の出会いを
大切にしていくこと
それがきっと生きていくということ

手作り味噌をもらった
その味噌を眺めながらでも
ご飯を一 二杯いけそうなくらい
おいしそうな味噌
作ったOさんは東京のレストラン向けに野菜を作る農園の立ち上げを助けるため
西伊豆からやってきた
ここに来る前にもいろんな場所を点々としてきたそうだ
最近ぼくの周りには定職につかなければならないとか
こうあらねばならないといった空気に縛られることなく
素直に生きているひとたちが多い
そのひとたちを見ていると
まだまだ自分も踏み込んでいけるなと思う

久しぶりに黒磯のMさんが来てくれた
Mさんは小さい頃からスポーツをやっていた方で
旦那さんも同じくスポーツマン
今度息子が3年生?になってサッカーを始めたので
毎日15分いっしょに走っているとのこと
息子と母親が毎日ランニングすることで
それぞれにいろんな良い影響があるだろうけど
その辺はぼくにはわからない
息子だけのことを見れば
小さい頃から毎日何かを続けるという行為はこれからに絶対活きてくる
ぼくも小さい頃からひとりで毎日ランニングをしていた
毎日続けていると力がついてきていることがわかってくるので
努力することが好きになるんだよね
このままいけば彼は絶対スポーツバカになってしまうだろうけど
スポーツ万歳だ
スポーツはいろんなことを教えてくれるし
スポーツとの取り組み方がそのひとの生き方そのものになってくる
ぼくもスポーツから人間守りに入った時点で
喪失感とそれに伴う無気力感が生じてくるということを教わった
人間は生きている限り24時間楽しむことを怠ってはいけない
week dayは嫌々仕事をして
その分仕事が休みの日にパーッと発散する
そんな生き方もあるだろうけど
それではやっぱりもったいない
仕事のときだっておもいきり楽しんでしまえばいいんだ
違うと思うことがあればおもいきりぶつかっていけばいいのだし
自分がこうしたいと思うならそうすればいいんだ
足並み揃えてイチニサン
なんてところからは何にも生まれてこない

季節の変わり目というものは
なかなかつかみ切れないものだけど
ようやく調子が出てきた
こんな夏もわかったことがいっぱいあった
酵母もだいぶ大事にできるようになった

レーズンが変わったから
そのまま
いままでと同じ作りをしていたら
やっぱりおいしくない
レーズンの量を増やしてみたり
あるいは
クルミの量を増やしてみたり
水の量を減らしてみたり
してみたけれど
やっぱりしっとり もちもちが俺のパン



パン作りはどう転ぶかわからないところがあるから面白い

興味があるなら
やってみればいい
失敗したら恥ずかしいから
そんなの生きてる意味がないだろ
失敗したって
やってみたなら
こころは満たされるんじゃねえの
自分にはできそうもないから
そんなのやってみなきゃわからないし
できなかったらできるまでやればいい
やらなかったら絶対悔いが残る
自分なんてどんどんぶっ壊していけばいい
なにが安定だ
なにが安心だ
そんなところに光りはない

ぼくは不器用だけど
何かをやるときには
そんなこと関係ない
おもいきりぶつかっていくだけだ
うまくできなければ
またぶつかっていけばいい
何度でも何度でも

目が悪くなってきて
パンチに対する反応が鈍くなってきた
だからといってそれで終わりじゃなくて
それならほかの方法で補えばいい
ガードを高く上げるのもよし
打たれない位置にからだを持っていくのもよし
相手が打ってくる前にどんどん打っていくのもよし
型になんてはまる必要はないし
方法はひとつだけじゃない

東京の自転車野朗 T夫妻と那須の自転車野朗 Iさんがやってきた
きょうは雨が降っていたのでどちらとも車で来たのだけど
しっかり自転車を積んできていた
しかもピカピカに磨かれている
ぼくにもそこまで自転車を好きになることができるだろうか
たぶんそこまでなることはできないけど
ぼくの楽しみ方は昔映像で観たアイルランドのバイオリンを弾くおじいさんに
似ているのだと思う
農作業を終えたおじいさんがまだ泥のついた手でバイオリンを弾き始める
その姿がいかにもうれしそう
ぼくの場合は自転車だけでなくボクシングもパンも本を読むのも音楽を聴くことも
そうなんだけどそれを体感できるだけでほとんど満足してしまうんだ
自分のからだを使うことができる喜び
だから本の題名や音楽の演者の名前なんてほとんど覚えることはない
ひとそれぞれいろんな楽しみ方がある
自分の楽しみ方で楽しめばいいんだ
 Tさんにこの前花壇に突っ込んで曲がってしまった自転車のホイルを直してもらった
ドラえもんの四次元ポケットのようにいろんな道具が次から次へと出てくる
自転車を直す手際を見ていると観ていると
何十年と自転車とともに暮らしてきたんだなということがわかる
 Iさんがパンを買いに来たお客さんに自転車乗りのレクチャーをしている
そのガイドぶりを見ているとこのひとは何かのガイドをするために産まれてきたのと違うだろうかと思ってしまう
山やバイク 飛行機 自転車 旅 歴史などなど いろんなことを経験してきたから
いろんなガイドが務まるだろう
T夫妻は相変わらず蚊に襲われまくっている
あれだけ蚊に刺される人間を見たことがい
相当うまい血なのだろう
半径500Mくらいにいる蚊たちが一斉に集まってくる
O型のひとの血は花の蜜の味に似ているというが本当だろうか
O型のひとがいると他の血液型の人は蚊に刺されることはないと思っていたけど
ぼくと同じA型のIさんもけっこう刺されている
もしかしたら血液型だけではなく年齢も関係あるのだろうか
ぼくは一度も刺されなかった

夏のパン作りは湿気で粉が水分を吸い込んしまったり
暑さで菌の活動が活発になりすぎたりと
悪い条件ばかりでかなり難しい
でも難しいからこそいまはどんどん経験しておきたい
それに難しいからこそスリルがあって面白いという面もあるんだ

ボクシングの基本は相手に自分のボクシングをさせないこと
でもときにはわざと相手の得意なパンチを誘っておいて
それに合わせてパンチを打ち込むということもする
得意なパンチを打ちにくるときというのは案外隙があるものだ
ボクシングなんてただ殴り合っているだけのように見えるけど
やっている本人たちの間では心理的な駆け引きや自分との戦いがあるんだ

相手と向き合った練習をすると
相手は僕の弱点を突いてきてくれるから
自分の弱点を知ることができる
頭で考えているだけでは自分のことを知ることができないんだ
行動が伴うことで自分が見えてくるんだ

頂いたしいたけに塩を振って酒蒸しにした
なんだかこのところ頂き物で生きている気がする
きのこは自分にとって最重要な食べ物ベスト10に入ってくる食べ物だ
いくらでも食べられる

先週は当たらなかった天気予報を信じて
ジム行きを見送った
今週も雨の確立50%けど
情熱が勝つ確立が60%あったので
出かけることにした
やっぱり相手と向き合うことなしに
感覚を掴むことは難しい
週2回は通いたいけど
なかなかそうも行かないので
とにかくイメージを大切に練習をやっていこう
すこしは違ってくるはず
帰りはほとんど道を間違えることなく
家にたどり着くことができた
帰りは途中から雨が降り出して
眼鏡がぬれて視界が悪かったけど
ここ何度かのミス
花壇に突っ込んだり
水溜りで滑って転んだりといった経験をしたので
慎重に運転した
人間は痛い目にあって
生きる実力をつけていくんだ
危険だから禁止と言って
川で泳ぐことやナイフを取り上げていたら
生き抜く力を身につけることができない
ジムの近くにおいしい和菓子屋さん「絹島屋菓子店」, を見つけた

手作りのカッテージチーズを頂いた
「いっしょに食べるとおいしいよ」とフェンネルも添えられていたのだけど
いっしょに食べてみると本当にうまい
見た目もきれいだ
こういう食べ方は男には思いつかない
ここのパンは塩っ気のないチーズの方が合うようにぼくは思う

1917(山型の食パン)は夏になるとかなり調子が悪くなっていた
技術的な問題かなとも思っていたのだけど
粉に問題があることがわかった
ブレンドの比率を変えてみると
いい感じに膨らんでくれた
いろんな粉を試してみたいけど
いまは醗酵の仕組みを知ること

週末は粉が足りなくなりそうだったけど
作る量を減らしてなんとか持たせた

生地を空気に触れさせる時間を長くしたので
すこし酸味が出せるようになった
一歩前進だけど
自分が出したい酸味はうまみと一体になった酸味
偶然そんな酸味を持ったパンができることがあるんだけど
それを狙って出せると思うのは人間の傲慢さかもしれない

「ゆとり教育反対」と目を吊り上げて叫ぶ教育ママたち
「学力向上」と唱える国会議員候補者
学校の勉強をやりたいと思うやつはやればいい
でもそれを決めるのは親でもないし教師でもないし候補者でもない
決めるのは自分だ
義務教育なんてさっさとやめてしまったほうがいいんだ
数学の点数にそれほど意味がある
数字にした時点ですべてが覆い隠してしまう
数字ばかりを追っていたらなんにも見えなくなる
大切なものって数字になんかに置き換えられるはずがない
それにできたかできないかなんてそれほど重要なことじゃない
瞬間瞬間をいかに充実して生きるかだ
数値化されたものでしか判断できないなんてこころが貧弱な証拠だ
学校という狭い世界に行っている時間を減らしたことで
ひとまわりもふたまわりも大きくなったやつらがどれだけいることか
経験や出会いがどれだけひとを大きくするか
興味がないことを嫌々やったところで時間が無駄なだけだ

今夜は16匹のホタルと出会った
来年も出会うことができるだろうか

福祉大の脇にある坂道を自転車で下っていると
見覚えのある顔とすれ違った
パン屋に置いてある野菜を作っているSくんだ
自転車の荷台にたくさんの荷物をくくりつけてエッチラホッチラ坂道を上っている
そういえば今度福祉大の前でカキ氷屋さんをはじめるって言っていたっけ
家に戻ってお金をポケットに放り込み大学にいってみた
Sくんが自転車にパラソルを立てぽつんと立っていた
きょうが初売りとのこと
僕がお客さん第一号だ
かき氷を食いながら通り過ぎていく大学生を観察していると
買いには来ないけど「なんだなんだ」と興味のありそうな顔をしている
梅雨が明けたらまた食べに行ってみよう

批判するのは簡単だ
表面だけを見ていればいくらでも批判はできる
深いところを見ていけばそうそう批判はできないし
自分のやっていることに当てはめてみれば
もっとできない

暇ができると反復横とび
ランニングはダッシュを中心に切り替え
パンチはスピード重視
からだの振りも早く
まだ2週間しか経っていないけど
すこしだけ変化が感じられる
何度も何度も何度も使っていれば人間のからだは
必ずそれに応えてくれる
パンもボクシングも諦めないこと
どうなりたいかを思い描いて
それを目指してとにかくやってやってやりまくること
まず目指すは小学生並みの身軽さ すばしっこさ

那須にある韓国料理の店『アサモ』に連れていってもらった
何年前かに一度食べに行ったことがあって
また行ってみたいなと思っていたのだけど
地図を見ても僕の頭では到底たどり着けそうもない複雑な地形にあるので
もう二度とあの料理を味わうことはできないだろうと思っていたからうれしくてワクワクした
何年かぶりに食べた料理はやっぱりうまかった
さっぱりしているので週に3回は食べられる
食べながらにしてからだが変化していくんじゃないかと思えるくらい
一粒一粒一滴一滴に魔法がかかっている
オーナーは生春巻きの皮のような透き通ってすべすべの肌をしている
韓国料理恐るべし
料理を食べながら飲んだ韓国の焼酎「眞露」は
それほど量を飲んでいないのに次の日かなりからだにきた
韓国焼酎恐るべし

パンがわからなくなったんじゃなくて
もうちょっと余裕を持って判断することだ
きょうはなかなかいいパンが焼けた
でも目指しているパンは
まだまだ
いまのパンの10000倍はうまいのだ

やばい
またパンがわからなくなった
やばいけど
これを乗り切れば
パンがもっと面白くなってくるはず
攻めるぞ~
どんどん攻めてやる
いまはそうするとき
ミスってもいい
もっと大きなもの大切なものが得られるはずだ
いまにガツンと体当たりしていくこと
いまはじき返す力がなくたって
ぶつかる度に力はついていく
こころがのっているいまだからどんどん攻めていこう

ロードバイクは乗る度に力が抜けるようになってきた
自転車に取り付けるコンピューターを貰ったり
ドリンクホルダーやカバンを揃えたりで
気をつけないと自転車野朗になってしまいそうだ

いまはランニングを15km~20kmすると
しばらく睡眠が必要だ
それからジムへ行って練習だから
月曜日は他のことがぜんぜんできない
できないことを割り切っているので
月曜日は一週間の中でいちばん
ゆっくりとした気持ちで一日を送ることができる

自転車の移動距離は問題なくなったけど
タイヤがパンクしたときのチューブの交換
自転車の分解 組み立て
そういったところはぜんぜんダメだ
これからひとつひとつ生きていくめの実力をつけていきたい

ジム3日目
行く途中に雨が降ってきた
栃木が誇る酒造場『四季桜』の軒下で雨宿り
酒が俺を呼んでいるぜ
自転車の移動距離に関してはもう問題なし
道を間違えることを入れて90KMちょっと
からだは完全に慣れた
夜 帰りに思い切り花壇に突っ込んだ
それだけが問題だ
花壇だけはやめて欲しい
これまでの人生でもう10回は突っ込んでいるだろう
ひとりで10回なのだから
今夜日本中でどれくらいのひとが
花壇に突っ込んでいることだろう
ジムは宇都宮の石井町というところにある
宇都宮からよく来てくれるお客さんが石井町に住んでいたことがわかった
石井町に住んでいてもボクシングジムがあることは知らなかったというくらい
目立たないジムだけど
良いジムだ
スパーリングの相手がいないという点はあるけれど
トレーナーがそれぞれの個性が活きるようにしっかりと向き合ってくれる
プロ アマ ストレス解消問わず栃木でボクシングをやろうと思うなら
このジムだと思う
軽く当てる程度でのスパーリング
背の低い選手
サースポー
どんどん前に出てくる選手
いろんな選手とできるから面白いし力になってくる
だいぶ目が慣れてきた
眼鏡に頼りすぎたせいか
視力が落ちているのが気になるが
どんどん調子が上がっていきそうだ

恐怖を跳ね返して
前に出ろ
打って
打って
打ちまくれ

今年は思い切って練習メニューを変えてみる
ほとんどの時間を苦手なことを克服する練習に当てようと思う
ジムに復帰してわかったことは
苦手だったことが歳をとって更に苦手になっていると言うこと
まず素早さがないパンチを打った後の引きの素早さ
踏み込んでパンチを打ったとに打たれない場所に移動する素早さ
からだを振ってパンチをよける素早さ
そしてパンチのスピード
ボクシングを始めたころはパンチのスピードだけには自身があったけど
いまはまったくダメ
ハエが止まってしまうはど遅い
でも意識して練習すれば何とかなりそうだ
いままではどうしても楽しようと言う気持ちに負けてしまい
苦手なことを避けてしまっていたけれど
強くなるには避けて通れないこと
下手くそだっても弾けること
思い切り楽しんですべてをさらけ出すこと
そうすればいつか自分のものになっている
ボクシングを始めて10年ちょっと僕はまっすぐ系のパンチ(ジャブ 右ストレート)が
打てなかった
苦手意識も持っていたけど
ある人に出会ってほんのちょっとコツを教えてもらってから
数ヶ月ジャブと右ストレートばかり練習していたら
いまではいちばんの得意のパンチになった
得意なことを練習するより苦手なことを練習する方が実は楽しいんだ
それは発達した脳みそを持って生まれた人間の嵯峨だろうか
いまこころは絶好調だ

弟の店
http://www.2-twoway.com/
に頼んでおいた自転車がようやくやってきた
はじめに乗った感じではちょっと窮屈に感じたけれど
那須の自転車野朗Iさんに調整してもらったらかなり乗りやすくなった
自転車はメーカー名がドーンと表示されているところが嫌いだったので
ステッカーを貼ってガラッと変えようと思っているのだけど
できるかな?
ブレーキの効きがいまいちな気がするけど
普段からブレーキが効かない自転車を乗っているから
その辺は大丈夫
自転車がいつのまにか5台になってしまった
5台とも乗った感じがまったく違うのが面白い
貰ったロードバイクがまだしっくり来ない
肩と首の後ろに力が入ってしまう
慣れが必要なのかサドルやハンドルの位置が悪いのか
自転車なんて簡単に考えていたけど
かなり難しいものだ

いつもいつも自分を抑えていたら
自分は消えていた
自分は何をやりたかったのか
自分はどうしたいのか
いつのまにか忘れてしまって
ぼくは機械と同じようにガッチャンガッチャン動いてる
こうと思ったとおり動いてみればいい
ごちゃごちゃ言われようが
変人扱されようが
そこにいまがあり
未来がある

今年は10年間ずっと使ってきたレーズンが使えなくなった
枝つきのまま乾燥させたレーズンで甘みがギューッと凝縮されていて
酸味もあり好きだったのだけど
長雨が原因で品質が低下して2ヶ月前から入ってこなくなった
自然の物を扱っていると人間の思い通りにはならないことがいっぱいあることがわかる
そして人間だっていつも完璧にとかいつも同じようにとか
できる方がおかしいんだとに気がつく

効率 効率でやっていれば
いつか人間はボロボロになっていく
人間は苦しんで苦しんで
悩んで悩んで
時間をかけて力をつけていくものなのだから

ひとを成長させることなんてできないんだ
成長させられるのは自分自身

世の中を変えよう
ひとのために生きよう
世の中にはそう思う人たちがいっぱいいるけど
まずは自分自身の問題と向き合うこと
そしてみんなで輪になってよりも先に
身近なひとと一対一で向き合うことだと思う

久しぶりに雨のなか自転車をこいだ
全身びしょぬれ
パンツまでグジュグジュ
でも地球との一体感

この春は野菜をいっぱい貰う
タケノコはステーキに
春菊はしゃぶしゃぶで
キャベツは味噌炒め
アスパラは塩を振ってオーブンへ放り込む
今年は元気に突っ走れそうだ

「ひとのためになることをして生きたい」
「ひとのためになることをして生きたい」
というひとたちでいっぱいだ
でも気をつけないと
ひとのためにならないことをやってしまうことになる
みんなそれぞれに一生懸命生きているからね
自分でできることは自分でやるということで
人間は生きる力をつけていくのだし
誇りをもつことができるのだと思う
だからそれを奪ってしまったら
きっと奪われた人間は弱まっていってしまうだろう

「自分は障害者だから」
「自分は障害者だから」
ことあるごとにその言葉を持ち出す青年がいた
でもそんなのちゃんちゃらおかしいぜ
障害者なんてことは医者が勝手に決めてけること
ぼくは目が悪くてひとの顔なんてぼやけてしか見えないし
からだは硬いし
口は悪いし
みんなで仲良く手を取り合ってなんてできないし
ひとの顔はおぼえられないし
やるべきことをすぐに忘れてしまうし
道は迷うし
外では神経がむき出しになって寝ることができない
もちろん自分を障害者だとは思っていない
これが自分だ
特別なことなんかじゃない
人間ひとりひとりみんな違う
この地球上に誰ひとりだって
自分とまったく同じ人間なんていやしない
ひとは誰だってその気さえあれば
世界でいちばん輝くことができるんだ

何かあるとすぐに
「国のせいだ」
「なんかのせいだ」
それはおかしい
生きていればどんなことだって起こりうるんだ
それを自覚しないで
何が自由だ

ジム 2日目
宇都宮までの道はかなり覚えてきた
通り道の近くに岡本駅があることがわかったので
『キッチンカンナ』によって弁当を買い公園で食べる
自転車はお腹が減る
次々にお腹に収まっていく
自転車を長い距離乗るのは週一日だけだけど
乗るたびに楽になっている
ランニングと自転車で足腰がどっしりしてきた感じ
ジムワークも先週より動けるようになっている
これからどんどん調子が上がってくるだろう
ボクシングは相手と向き合ってするスポーツだ
ひとりの練習では課題を見つけるのが難しい
きょうは課題をいっぱい見つけた
大収穫
課題があると練習にも身が入る
自分がこころから克服したいと思う課題だから
自分の身になっていく
学校で無理やり押し付けられて
めんどくさいと思いながらやる課題とは違う
きょうはのどが渇く一日
10リットル以上の水分をからだに入れた
火曜日には疲れが取れるように月曜日にジムに行くことにしているのだけど
きのうは雨で行けなかった
からだがもう少しできてくれば火曜日でも大丈夫そうだ
それから火曜日にジムに行くと水曜日の生地捏ねに合わせた時間に
酵母がいじれなくなるからどうしようかと考えていたけど
宇都宮に酵母を持っていくことで解決
困難だと思えることも情熱さえあれば何とかなるもんだ

きょうは閉店間際になって
お客さんがドッとやってきた
ハンモックに乗りたいと言う女性のお客さんがいたので
どうしようかなと思っていたところへ
那須の自転車野朗 Iさんがちょうどやってきたので
ハンモックのお客さんはIさんに任せた
お客さんが途切れたところで
ハンモックのところに行ってみると
ふたりはくつろいで話していた
初めて会ったふたりだけど
ハンモックにはこんな力があるんだ
彼女はそのあと Iさんのレクチャーを受けて
自転車にも乗っていた
「もっと太りたいですよね」とハンモックに寝そべりながら言っていた彼女は
自転車に乗ってみてから
「自転車に乗ればお腹がすいて
いっぱい食べられるようになって
太れるかな」とつぶやいていたので
東京の自転車野朗T夫妻の例を伝えたら
希望が沸いてきたようで
「自転車 手に入れてみようかな」と言っていた
きょう この場所で Iさんと出会ったことで本当にそうなって太ることができたら
すてきだな
出会いがひとを導き
出会いがひとをつくっていく
ぼくも東京のTさんに出会わなかったら
自転車を貰ったり
買ったりすることもなかっただろう
でも自転車まで影響されて同じもの(tikit)にしてしまったら
実演販売を見ていた思わず買ってしまった的で悔しいので
自転車は別のものにした
http://www.youtube.com/user/tikitikitikit#p/a/u/2/P07NRjv9r_o 
(tikit 映像)

ロードバイクを貰ってしまった
より速く走るために生まれてきた自転車
いかにも走りそうな姿を見ていると
走りたくてうずうずしてくる
最近自転車に乗る時間が増えてきていたのだけど
これで益々増えてしまいそうだ
でももう削るべき時間がなくなっているので
仕事の時間を減らすしかなくなってしまったぜ
実は近々
もう一台自転車が来てしまう(弟の店に頼んでおいた小型の自転車)
http://www.2-twoway.com/

やりたいことがあったら
やってしまうべきなんだ
準備がすべて整ってからなんていっていたら
ただ無駄な時間が過ぎていくだけだ
あぁ~もったいなや もったいやな
だいたいその準備なんてものの大部分は
こころの準備のこと
そんなものはやりだしてしまえば後からついてくるし
きっとすぐに動きを越えて行ってしまうだろう

ジムに行って来た
ぼくにとって4つ目となるジム
そしてまたはじまった
たぶんこれが僕にとっての最終章
やっぱりジムはいい
がんばっているひとたちの姿が
僕に力をくれる
ジムワークでは普段ひとりで練習しているときとは違った動きが出てくるので
初日はかなり疲れたけど
土台がしっかりできているのを感じられた
慣れて来れば行けるだろう
自転車での往復
特に夜の走行にはちょっと不安はあったけど
思い切って行って良かった
夜の道はポツリポツリと街灯があって思っていたほど暗くなかったし
練習後はハイになっているので帰りの方が行きより楽だった
あとは道を覚えるだけだけど次の日も仕事は休みなのでのんびり帰ってくればいい
いろいろ想像して不安になったり怖くなったりしているよりも
動いて慣れていくことだ
準備万端整えてからなんかじゃなくても動いてみることで
何とかできることがわかって楽になれるし
動いてみることでつまらないことをやっている時間なんて取れなくなるので身軽になれる
ジムワークは週一回だけど
その方がいい
昔は欲張って遠いところを毎日通うとしていたけど
移動に時間を取られ練習時間が取れなくなってしまったり
練習と長い移動時間と睡眠不足でからだと気持ちを消耗してしまったりで
後半は毎日通ってもまったく身にならなかった
週一なら他の日にもみっちり練習することができる
欲張れば欲張るほど生活は中身のないものになっていくけど
欲張るのをやめれば実がぎっしりと詰まった生活を送ることができる
ジムを替える度に僕は強くなっている
今度はどんな自分に出会えるだろう
楽しみな一年の始まりだぜ

酵母を使い終わった後でも
気温が高い日には酵母をいじってやらなければならない
休みの日も何度か酵母をいじってやらなければならない
それがなかなかできなかったけど
長く付き合っていると少しずつ情が沸いてくる
少しずつ少しずつ大切なものになってくる

西那須野方面をランニングをしていると
「那須野ヶ原に国会を」と書かれた看板を見つけた
久しぶりに見たその合言葉をみた気がする
何年か前にかなり盛り上がっていたのだけど
いつの間にピタリと消滅しまっていた
国会が来れば経済効果が見込めるという思いがあったのだろうけど
その恩恵を受けられるのは力があるものだけだ
街が大きくなれば金の臭いを嗅ぎつけて大きな企業がやってくる
望むものがあったりこうなりたいという思いがあるなら
なにかに頼ろうとするのではなく
自分自身が変わらなければならない
環境が変わったとしても
環境はまたすぐに変わていく
どんな環境のなかでも生きていける力をつけていくことが大切だ

長野に住み込みで農作業や動物の世話の手伝いに行っていた
Tさんが長野での仕事を終え帰ってきた
今度は夫婦でハワイへ旅行らしい
ゆるいゆるい生活から戻ってきたと思ったら
もっとゆるい国へ出かけていってしまう
一度緩めてしまったら
もう戻れなくなってしまうのかもしれない
もっとゆるく
もっとゆるく
きっとそれでいいのだ

夜のランニングは街中をグルグルしていたのだけど
気持ちがぜんぜん乗ってこないので
きょうは外れの方に走りにいってみた
夜は暗くて怖いかなと思っていたのだけど
そんなことはなかった
逆に暗闇の世界との一体感を味わうことができた
街中を走っているときとはぜんぜん違う
こころが広がっていく
ホタルがいた
ホタルは夏のものと思い込んでしまっていたけど
ホタルをいちばん見られる季節はこの時期なのかもしれない
昔のように田んぼ一面にホタルが舞っているということはなかったけど
点々といろんな場所で見ることができた

このところバイク乗りが多い
そのほとんどが女性だ
この時代
女性たちが
抑えていたものを一気に爆発させて
突っ走ろうとしている

中学のときの音楽の先生がやってきた
ぼくのことは覚えていなかったけどたしかにそうだった
小学校 中学校とぼくはとにかく楽器を弾くのが苦手で
鍵盤でも縦笛でも最初から最後まで弾けた曲がひとつもなかった
だから通信簿はいつでも5段階で2か3
でも中学校3年生のとき
楽器演奏の試験がなくて筆記試験だけの学期があった
ぼくはその筆記試験で音楽部の奴らも差し置いて
クラスで1番の点数を取った
当然 通信簿には5のハンコがバシンと押されているだろうと思っていたのだけど
通信簿を開いてみると押されていた数字は5じゃなくて4だった
ぼくは頭にきて「なんで5じゃないんですか」とその先生に詰め寄ったのだった
その女の先生は「授業中に先生のことからかったでしょ」と言っていた
当時はその答えにまったく納得いかなかったのだけど
先生もそうとう頭にきていたのだろう
いまなら教師をひとりの人間として見ることができる

黒磯の『こと葉』のオーナーがやってきた
彼女はおもしろい
好奇心が旺盛で
興味があることが見つかると
メモ帳を取り出して
次々と質問を浴びせてくる
きょうも何度かメモ帳が登場した
あまり行動的には見えないので
想像できないのだけど
昔はバンドを組んでいて
ベースをジャンジャン鳴らしていたらしい
「あのころはバンドが流行っていたから」と恥ずかしそうに言っていたけど
ベンチャーズの音が日本に入ってきてからもう何年経つのだろう
誰が見ても僕よりは若く見えるはず
好奇心はひとを若くする
ハンモックに豪く感激していたので
(メモもいろいろ取っていた)
『こと葉』にも近々ハンモックがぶら下がっているかもしれない

久しぶりに昔通っていた空手道場『正心会館』の前を通ったら
『正心鼓動』と名前を変え
よさこい道場として新たに生まれ変わっていた

月 火の定休日は天気が悪い日が多かったのだけど
ここに来て逆転
きょうもいい天気
こんなに天気がいいとやっぱり行動的になる
ランニング中に黒羽の御亭山行きを思いついたので
午前中でトレーニングを済ませて
自転車で御亭山に向かった
途中那珂川の橋を渡ると川にはびっしりと釣り人が
そうかきょうから6月だ
きのうやはり自転車で目の前に鬼怒川が流れる露天風呂に行ってきたのだけど
きのうで良かった
御亭山へ向かう道は川沿いを行く道も歩けど
ぼくは断然山沿いを行く道が好きだ
50年変わっていないだろうニッポンの田舎を感じることができる
道が狭いこともあってほとんど車は通らない
そのまま進めば菊池商店がありそこから30メートルも進めば御亭山登り口だ
御亭山は標高600mくらいでそれほど高くないのだけどてっぺんからの眺めは最高だ
この時期は田んぼの水と川の水そして緑が眩しい輝いている
低い山なんだけど昼に大量の刺身とビールを納めたばかりのお腹には
かなり堪えた
てっぺんの木陰で昼寝をして
来た道をいっきに下る
天気がいい日が続くので
このところ定休日の夜は足の中がジリジリジリジリ

天気がいい日は
庭にハンモックを吊るしてあるので
気がついたら遊んでいってください
ゆらゆらが思いの他気持ちよく
1時間や2時間眠っていくひともいます
使い方は
まず真ん中辺りに座ってから靴を抜いて
そのまま寝転んでください
ロープに対して真っすぐ寝るより
斜めか十字に寝ると気持ちが良いです
からだを動かしながら心地よい場所を探してみてください

乗り越えた
20年ずっと自分のなかに住み着いていたこん畜生を
夢の中
いつも逃げていた
この20年
何度も
何度もみた夢
この夢を見る度に
とても嫌な気分になった
でもきょう
越えられた
夢の中で乗り越えている自分がいた
もしかしたらぼくが追い求めていたものはこれだったのかもしれない
この20年ずっとこのこん畜生を
越えたい越えたいと闘っていたのかもしれない

久しぶりに出会った
中学時代に乗っていた自転車
Mr.sakai号
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/c_s_escargot/view/20100205/1265376678
そういえば学校の帰り道
気がつくと歩道から田んぼに落ちていたことがあった
高低差1メートルちょっと
でもMr.sakai号とぼくは倒れることもふらつくこともなく
そのままの姿勢で落ちていた
落ちた記憶がないのに落ちていた
あれはなんだったのだろう
瞬間移動?
それとも記憶喪失?

力が弱くなった酵母
明日は使えるようにと
焦って度もいじってしまうけど
酵母は人間の都合なんかよりもとてもゆっくり動いている
そしてしっかり
生きようとしているんだ
だから大切なことは
待つことだ
酵母が力を取り戻すまで焦らずに見守ることだ
余計な手出しをせずに信じて見守ることだ

前日の暑さで
酵母(小麦)の力が落ちてしまった
一度いじってやればよかったのだが
通販で送るパンがいっぱいあったので忙しく
いじるのを忘れてしまった
きょうは小麦酵母のパンは販売することができなかった
まだまだ愛情が足りない
それでも少しずつ愛情が芽生えてきた
この歳になって大切なものがもっと大切になってきた
パンも
ボクシングも
瞬間瞬間がとても大切なものに感じられるようになってきた
もうしばらくしてもっと愛情が芽生えればパンも違ったものになってくるはず
10年間パン屋をやって
最後の踏ん張りでなんとか10年間で掴もうと思っていたものが掴めたと思う
そしてこれからの10年
この10年もとても大切な10年だったけど
これからの10年も大切な10年
もしかしたら自分がいちばん
これからの自分に
期待しているのかもしれない

きょうも自転車で宇都宮に向かう
氏家までの道は上り下りが多く
トレーニングをしているみたいだ
自分にとって自転車はトレーニングをするためのものではなく
移動の手段なんだけどここを通っていればいつのまにか体力がついているかもしれない
氏家からはいつもと違う道を行ってみようとコースを変えてみたのだけど
いつもは遠くに見える山が自転車をこげばこぐほどに近づいてくる
「あれ~鬼怒川はふた手に分かれるのかな?
それとも川幅がそんなに広かったのかな?」と思いながらこいでいて
ようやく逆送していることに気づいた
なんで俺はいつも逆に走ってしまうんだろう?
しかも水溜りでタイヤをとられコントロール不可能になり転倒
「あ~あ びしょ濡れだぜ」と思った瞬間あごを強打
血が滴り落ちる
人生はむごい
でもこんなことで挫けていたら
一生喜びを捕まえることはできない
遠回りだったけど宇都宮にも着けたし
この青空の下
気持ちの良い一日を送ることができた
最高に気持ちよく楽しい一日だった

きのうは雨だったので
部屋の大掃除をするつもりでいたのだけど
やり始めて20分で眠くなってしまった
きょうも雨の予報だったので
明日やることにして眠ったんだけど
起きてみたら快晴
自転車に飛び乗って
ランニングをしてサンドバックを叩いたら
眠くなってしまった
人生はなかなか思った通りには行かないものだ

こころがやりたいと叫んでいるなら
いますぐやってみること
でもはじめてからは待つことが始まる
はじめからうまくいくことなんてない
だからうまくいくようになるまで待つ
やりながら待つ
待つことの大切さ
悩み苦しむことなくして
壁を乗り越えることはできないし
悩み苦しむことなくして
人生を充実させることはできない
壁があってくれるから生きることが面白いと思えるんだ

ランニングをしていると
畑仕事をしていた90歳のおじいさんから
「元気だね」と声をかけられたけど
元気なのはおまえだろ
90年も生きたら自分の年齢を憶えていられるのだろうか
僕なんていまの時点で自分の年齢がわからなくなっている
26歳だったか27歳だったかそれとも29歳だったっけ

空気の汚れた国道4号線をほとんど通ることなく
宇都宮に行くことができることがわかった
佐久山から氏家に出て氏家から4号線に出たらすぐに渡って
鬼怒川に行けば土手沿いにサイクリングロードがある
橋を渡ってしばらく行くとまたサイクリングロードが現れる
そこを走って県道123にぶつかる辺りにジムがあった
プレハブ小屋で正直ここに通うのかと躊躇してしまうくらいさびしい建物と場所
でもこの距離だったら
週一くらいなら通えそうだ
宇都宮の駅まで5KMくらいの距離なので
行きは自転車で帰りは電車で帰ってきてもいいし
小さい自転車が来るまでしばらくは自転車での往復になるかな

いつもロングダッシュをやっているコースがなぜか頭に浮かんできたので
久々にやってみた
心臓の錆がわき腹の肉とともに音を立てて崩れ落ちていく
このところ短いダッシュもあまりやっていなかったので
最後まで行けないかもしれないなあと思いながらやったのだけど
自分の想像以上に動くことができた
なぜだかわからないけど
このまま行ってしまおう
来週辺りジムに行ってみようかな

問題が起きると
新しいシステムや制度を作ろうとするけど
本当に必要なのはそんなものじゃなくて
こころとこころのぶつかり合いだ

きょうからときたま野菜を売ることになった
20代の若者が作ったうまそうな野菜だ
きょうはサヤエンドウとレッドマスタード
売れ残った野菜をいただいたので食べてみたら
レッドマスタードはサンドウィッチに使うとうまいのであります
少量の販売なので
見かけた即買いですよ

月曜日目を開くと
快晴
外で駆け回りたかったけど
きょうは東京で文楽だった
この前大阪で観たばかりだから
ワクワク感が全然ない
きょうの演目のあらすじもまったく知らないまま駅へ向かった
11時から20時まで10分 25分 30分 25分 10分の休憩のみ
いつお昼を食べるんだ
この前の大阪で一部と二部を続けて観る辛さは知っていたのだけど
大阪行きの前に今回のチケットを買っていたので仕方がない
二部の「新版歌祭文」は楽しかったのだけど
さすがに集中できなかった
勘十郎さんノリ二ノッテイル蓑助さんを食っちゃうんじゃないだろうかと思ったけど
蓑助さんはやはりすごかった
人形遣い 三味線 大夫それぞれで
このひといいなあと思えるひとを新たに見つけられた
文楽でいちばん好きなところは語り始める前の大夫さんの表情
そういえば東京の自転車野朗面食いおのりことNさんも観にいくといっていたけど
文楽の世界にイケ面はいたかな?

夜ランニングをしようと中学校に行くと
関係者以外立ち入り禁止という看板が立っている
「卒業生だから関係者でいいんだよな
卒業式のとき校長先生もいつでも遊びに来てくださいって言ってたし」
グラウンドで久しぶりに走ったんだけど
「なんだかつまらん世界だ」と暗い気持ちになった

世界中が身動きできなくなっている
二酸化炭素の排出を減らしたくても
いろいろな諸事情で減らすことができないし
政治家はあっちの言い分こっちの言い分で身動きができない
おまけに「早く結果を出せ!」と迫られるし
それで早く結果を出そうと変なことをすると「バカ野郎!」だし
いまの政治家は大変だ

もうそこらじゅうで爆発している
飽和状態
ひとつひとつたどっていけばきっとすべてが同じ根っこにぶつかるはずだ
人間ひとりひとりの思いが集まり
それが大きくなりすぎて
もう自人間自身ではではコントロールできなくなってしまった
そしてそれらが吐き出すカスはもう飽和状態
もう誤魔化しきれなくなって
あっちこっちで爆発が始まっている
自然界でも人間社会でも

新しいものが国を飛び越え次々とやってくる
やってくるものを何の抵抗もなしにすべて受け入れていたら
自分がだんだん消えていき
いつかそれらにからだを乗っ取られる
むなしいと感じたときにはもう遅い
それらをからだの外に追い出すのは並大抵のことではないのだぜ
やってくるものは名前を変えただけでほとんど同じもの
楽園といううたい文句で中毒者を一網打尽
   
  中毒から抜け出すには
  もがき苦しむことになるだろう
  そこから抜け出すことということは
  ずっと目をそらしてきた孤独と向き合うことなのだから
  でもね いまだからそう思えるけど
  その孤独のなかにこそ求めていたものがあるような気がする

買ってから使うことなくずっと部屋の隅に置いてあったギターを
ケースから取り出してみた
ものは使ってなんぼ
使われてなんぼ
ものは使うことで命が吹き込まれる
そしてその命を使うことで
それがぼくの命にもなる
命の循環
きょう使わないものは明日も使わない
ものはしまい込むものじゃなくて使うものだ
金だって使ってなんぼ
茶碗だって使ってなんぼ
本だって読んでなんぼ
からだだって使ってなんぼ
頭だって使ってなんぼ
知識だって使ってなんぼ
命だって使ってなんぼ

この時代に生きているとすごいことだなあと思ってしまうけど
かつては動物を捕ったり植物を採ったり
自然から恵みをわけてもらうことで生きていた時代があったんだ
一日に必要な分だけを自然から分けてもらう
一日が終わればすべてゼロになり
明日はまたゼロからの出発
絶対その時代の方が面白かっただろう
人間として力いっぱい生きられた時代
ひとに対しても動物や自然に対しても思い切りぶつかっていけた時代
明日のことなんて考えない
明日のために力を残しておこうなんて思うことなく
いま持っている力を出し尽きて生きる
きょう100%の力で生きられないなら
明日だって100%の力で生きられないんだ
   人間は誕生した瞬間から破滅への道を歩むことになっていたのだろう
   自然の中に包み込まれて生きてきた時代から
   農耕社会へとなり人間が自然をいじり破壊しコントロールしようとしはじめた
   所有することや 貯蔵することを覚えたけど
   その結果身動きが取れなくなった
   身動きが取れなくなれば逆に
   自分が作り出したものにコントロールされることになる
   そして産業の発展
   人間喪失
   むなしさ
   だけど一度密の味を覚えてしまったら
   そこから抜け出すのは簡単なことではない
   むなしさを知るのはずっと後になってから
   むなしさを知る人が増えたからといっても
   ひとは自分にはないものを求めるもの
   まだそのむなしさを知らない人たちが
   甘い蜜を求めて
   むなしい世界へと次々と飛び込んでくる

自分を守ろうとしているときは
やってくるものを
ねじれた形でしか受け取れなくなる
自分の作り出した恐怖に身動きができなくなって
逆にコントロールされている

エコ エコと叫びつつ
売れるときにどんどん売れと
休日返上でエコ製品を量産する家電メーカー
企業が生き残っていくにはそうするしかないのだけど
大きくなっていくほど身動きが取れなくなっていく

金儲けしてやろうとか打算的になった時点で面白くなくなる
遊びであることを忘れてはいけない
生きることとは遊ぶこと
遊ぶこととは生きること

楽しいところにはひとが集まってくる

自分の中にたくさんのエネルギーを抱えているのに
ぼくたちは他のエネルギーを消費しながら生きる
自分が持っているエネルギーでやっていけるところはやっていく
ぜったいその方が面白い
スポーツや音楽は見たり聴いたりすることも面白いけど
絶対自分でやった方が面白い
窓のない部屋で電気をつけて生活するより
外に飛び出して太陽の光を浴びる方が気持ちがいい
タクシーに乗って楽して移動するより
汗水たらして苦しい思いをして移動する方が喜びを感じられる
自分のからだ 頭を使う喜びをもう一度思い出してみたい

赤い自転車はサドルが高くできないので
きょうは白い自転車で走ってみた
椅子が高いだけで腰への負担がぜんぜん違う
乗り込んでいれば自転車用の筋力も上がってくるだろうし
100KM前後ならロードバイクである必要はないだろう

間違いなく今年いちばん長く感じた2週間だった
いい天気のなか仕事をしていたので
からだにずっと小言を吐かれっぱなしだった
それなのできょうは一日外の空気を吸うことにした
午前中はランニングとサンドバックと犬と散歩
飯を食ってしばらくハンモックで本を読んでから午後は
自転車で宇都宮を往復
夜は犬と散歩にダッシュと足腰強化のトレーニング最後にシャドー
運動バカにとってみれば夢のような一日だった
今夜はハンモックで寝てみることにしよう

結果を急がせる
間違えるとギャアギャア
そんな空気は追いやって妥協なんてすることなく
ゆっくり歩いていけばいい
追い求めているものは一生かかっても掴み切れないものなんだ
 
ひとが集まればできることもあるけど
ひとが集まることでできなくなることもある

橋から川をのぞいてみると小さい魚がいっぱい泳いでた
ずっと眺めていたら
遅刻をして先生にこっぴどく怒られた
でもね 先生 ぼくには学校に来るよりも魚を見ている方が大切だったんだよ

福原小学校の一年生になったばかりの
はやとがやってきたのだけどずっと泣いているので
ハンモックに乗せたら一秒もしないうちに泣き止んだ
そしてなんといままで怖くて怖くてしかたなかった犬を抱っこできるようにまでなった
なんなんだ 
ハンモック
はやてとはやてのおかあさんは顔も似ているけど中身もそっくり
好奇心旺盛で興味を持ったものにはすぐに飛びつく
面白いと思って行動に移るあいだに
「できるか できないかを考える」ということがまったく抜け落ちている
できるかできないかは後回し
とりあえずやってみる
人生の楽しみ方を産まれたときから持っている
いや産まれたときのままなくなることなく持っているんだ

「いちごでジャムが作れるんだ」と思ってしまったくらい
久しぶりにいちごジャムを食べた
一口食べて思い出した
懐かしいいちごジャムの記憶
King of jam
誰がなんと言おうと
その名にふさわしいジャムはいちごジャムだ
King of jamになりえるかどうかは甘さしだいだけど
今回ジャム爺ジャム婆に貰ったいちごジャムは
しっかりといちごの味を引き出していて
まさにKing of jamと呼ぶのにふさわしい味だった

矢板の市役所で働く自転車野朗30歳が
北海道から来ていた彼女を無理やり?自転車にまたがせてやってきた
「また 矢板に戻るのか」とため息をついていたけど
なんだか楽しそうだ

岡本の『キッチンカンナ』のサンデーズからおからの揚げ物を貰った
これだけで食べてしまうのはもったいないので
ビールを持ってきた
一日の終わりの
至福のとき
ビールのうまい季節がやってきた
うまいビールを飲むには
うまいおつまみが必要だ

運動量が減っている
ぎっくり腰をやってからだ
練習を抑えていたら
気持ちの方もストップがかかっていた

気がつくと作業場の温度計の針が40度を越えている
ライ麦30パーセント入ったパンは醗酵過多で全滅

三段式のカマを使っている
三段とも同じ温度に設定しても
同じ温度にはならない
同じ段でも奥と手前左側と右側では温度が違ってくる
いままでライ麦40%のレーズン入りのパンは真ん中の段で焼いていたのだけど
真ん中の段は上と下に挟まれているので三段の中ではいちばん温度が高く
焼けすぎてしまうことがあったので
きょうは一番下の段で焼いてみた
なかなか良い感じに焼けた
いままでやってきたことを変えるのは
こんなちょっとしたことでも勇気がいるけど
一歩踏み出してみなければ変えられないことがあるんだ

お客さんが途切れたので
ハンモックに寝転んで本を読んだ
あまりに心地良いので
きょうはこれ以上お客さんが来ないようにと願ってしまった

犬と散歩をしようと外の出た瞬間
星が炎を出しながら流れていった
10回くらい願い事を唱えられるくらいゆっくりとそして流れていった
願い事は唱えられなかったけど
「燃え尽きろ 燃え尽きろ」と声が聞こえた

ロードバイクを手に入れようと思っていたのだけれど
この前電車がない和歌山に行ってから
小さい自転車もいいかなと思えてきた
でも自転車野朗のTさんたちと同じ自転車tikitを買うのもしゃくなので
どうしようか考え中
でもまずはゴールデンウィーク働いてお金を作らなければ
そうだ6円貯金を始めよう
店で使っている紙袋の値段もたくさん積もっていけば
バカにならないなと思いながら考えていたのだけど
毎日6円ずつ貯金していけば
1000000日で6百万円貯まる
といことは
10000000日で6千万円
100000000日で6億円
うぉー 6億円もあったら一生遊んで暮らせるよ
1日6円だったらそんなに難しいことじゃない
みんなに教えてあげなくちゃ
人生楽しまなくちゃ損
気づいたもんが勝ちだ
いつまでもあると思うな命と自由だぜ

自分で旅行関係の仕事を起こしたいというお客さんが来た
もう少し早く着ていれば経営コンサルタント(那須)と旅の達人(東京)がいたから
無料相談が受けられたのに
ただ両者ともケチケチ人間なので貧乏旅行に限定されてしまうだろうけど
http://www.freeml.com/bl/7665038/125073/?sid=38f18f8aa4b32dff77bb06d7a54c8598

外の風景が一ヶ月前とは一変
田んぼには水が入り
植物たちも起きはじめ
にぎやかになってきた
きょうは春の光を浴びて
更にまぶしく輝いている
どこを見てもため息をついてしまう
午後は喜連川の露天風呂に行こうと自転車で向かうが
佐久山で方向転換
宇都宮に行く道がどんななのか見てみたくなった
きょうは風が強く半袖ではものすごく寒い
泣きそうになりながら宇都宮を目指した
歩道がちゃんとあって想像していたよりかなり良い道
ただ夜が暗そう
はじめて氏家の街に来た
春の光のせいもあるのかとても気持ちの良い空間が広がっている
やっぱり実際に見てみないとわからないものだ
想像はただの想像
商店街もいい
こんなにお店があるとは思わなかった
久しぶりに町の魚屋さんをみた
スーパーなどの大店舗に負けてこの辺りの魚屋さんはほとんど消えていった
でもこれからは小さいお店の時代だと思う
孤独が蔓延しているこの時代
その救世主は小さいお店の魅力ある男のひと女のひとだ
大きい会社は大きくなりすぎて身動きが取れなくなっている
大きい会社を維持していくためにはどうしても無理をしなければならない
そのひずみがいま出てきている

味噌としょうがでわらびのたたきにしてみた
ご飯にのせて食べてみるとうまい
中華面にものせてみた
やっぱりうまい
ならばパンにもとんせてみたら
やっぱりうまかった

きょうは茹でたコゴミとたまねぎにドレッシングをかけて食べた
いくらでも食べられる

岡本の『キッチンカンナ』では日曜日の営業も始めたらしい
新しく入ったスタッフ(サンデーズ)がいつもと違う日曜日だけのメニューで
愛情いっぱいに作ってくれるとのこと
いろいろ試みるのはおもしろいね
楽しもうとしているひとたちが集まれば
1+1=10にも20にもなる
この前宿泊したすさみ町の宿も
元々国民宿舎かなんかだったのを100万円くらいで買い取って始めたそうだ
県や市の運営では情熱やさまざまな制約などで維持していくのは難しいのだろう
老後を楽しむためにと始めた宿が自分もいっしょに楽しみたいと
集まってきたひとたちとの力であんなにすばらしい宿に生まれ変わった
楽しみたい
いいものにしたいと言う思いと工夫があれば
変わっていくし
楽しい空間はできてくる

東京の自転車野朗7人と那須の自転車野朗がやってきた
何でこれだけ毎週のように遠出ができるのだろう
きょうは100KMくらい自転車を乗って西那須野から
東京まで3時間近くかかる鈍行に乗って帰っていった
来月行きたいコンサートを見つけたんだけど
この前の紀伊半島行きで
しばらく電車は乗りたくない
たぶん自分は飢饉なんてあったらすぐに死んでしまう方だろう
自転車野朗たちのようにどんなことが起ころうとも生き延びられる人間になれたらと思う
そういえば今回東京の自転車野朗は7人中6人が女子だったけど
自転車に乗っているひとの比率は女性の方が高いのだろうか

近くのスーパーでも買い物袋の有料化が始まった
この買い物袋の値段って実は結構高いのだ
スーパーにとったらかなりの費用削減になるはず
店で使っている紙袋は一枚6円もする
一ヶ月に1000枚使えば6千円
10000枚使えば6万円
100000枚使えば60万円
1000000枚使えば600万円
「うぉー」

庭にコゴミが出てみた
むかし誰かに
「これ食べられるんだよ」と言われ
食べたら
「オェッ」
大きく育ちすぎていたようだ
それ以来食べたことがなかったのだけど
きのう小さいのをちぎって食べてみたらうまい
きょうも食べた
毎年店の前にわんさか出てくるので
しばらく楽しめそうだ

    日曜日
きょうの夜か明日の朝には旅行に出かける予定なのだけど
まだ何の準備もできていない
それどころかどこに行くかまだ決められないでいる
夕方になってようやく行き場所を三重と和歌山に絞り込んだ
宿を決めておかないとあっちで宿を探しがめんどくさくなり
毎回野宿でいいやということになってしまうので
今回はしっかり予約しておく
雨が降り出してきた
明日は本降りになるとのことなので
店を終えたら出かけることにする
旅行をするときにいちばん大変なことは
駅までの道のり
雨風の中自転車でえっちらこっちら
零時前名古屋に到着
漫画喫茶8時間パック1200円
すごいいまは足を伸ばして眠れるんだ
   月曜日
早朝から電車で三重へ向かう
三重について何も知らないのでとりあえず鳥羽というところで降りてみる
今回の旅のテーマは海沿いを走って魚をたらふく食って温泉でゆったり
外はものすごい雨と風
どうしてぼくが旅行をするときはいつも雨が降るのだろう
それもいつもただならぬ雨や雷や風
駅を出て15秒もしないうちに
駅の売店で買った傘(600円)が反り返り骨が数本折れた
350円の傘にすればよかった
台風並みの雨風に200メートルも進めず撤退
今回行くつもりはなかったけど海沿いは風が強そうだったので
伊勢神宮に行ってみた
まずは宇治山田の駅で降り外宮へ
森がワサワサ揺れている
熱い祈りをしている方が目立つ
そのほとんどが若い女性
神社でここまで真剣に祈っているひとを見るのははじめてだ
いったい何を祈っているのだろう
歩きながらすれ違う人の傘に目がいってしまう
どうしてぼくの傘だけ壊れているのだろう
外宮から内宮に向かおうとしたら
傘の骨が全部折れ曲がり使用不可能に
コンビニをみつけ合羽を買う
900円もしたのにボタンがすぐに外れてしまう
それでも傘よりはまし
内宮は雨なのにたくさんのひと
大きな木に耳を当ててみると
ジュルジュルジュルと水を吸い上げている音
内宮の周りを流れる五十鈴川が気に入った
周りの山から水蒸気がモワモワと上がっている
山の上に行けば海が見えるだろうか
上り道を探しながら歩いく
店が並ぶ通りから五十鈴川に架かる橋を渡って右に曲がっていくと
白い馬がいた
神馬休養所とある
狭い囲いの中で退屈そうに呆けた顔をしている
神馬も楽じゃねえやな
本当に退屈していたのだろう
20分くらいずっとぼくの姿を目で追っていた
いっぱい見つめ合ってじんばいったいになったので
いっしょに伊勢の街を走り回った
びしょ濡れなので店に入れずお昼は抜き
走りながら夕方4:00過ぎにようやく宿を見つけたけど
回りにはまったく店がない
夕食はホテルの食堂になりそうだ
腹がペコペコ
今朝から何も食べていない
持ってきていたパンを食べ
十四階にある大浴場へ
自慢の空中温泉は台風上陸
ものすごい風と雨が顔に突き刺さる
からだが温まってくるとその風も心地よくなってくる
部屋で本を読みながらウトウトしていたらもう零時
夕食を逃した
きのうの夜もパンだった
魚を食べるのは楽ではない
  火曜日
きょうは大阪で文楽
長い演目なので11:00~20:50までほとんど休憩なくのぎっしり
朝鶴橋でチヂミと春雨を買って近くの公園で食べる
今回の旅で初めての食事らしい食事
鶴橋から日本橋の文楽劇場まで走る
なんだか見覚えがない街並み
逆走していた
鶴橋日本橋間は今回3度目の走行なのに
今回の旅はまったく勘が冴えない
今里で電車に乗りギリギリ間に合った
稽古にすべてをかけているひとたちの世界
やっぱりいい
休憩の合間に何とか自転車野朗のTさんに教わった最中屋さんに行くことができた
http://hitoyoshi.ps.land.to/index.html
女性ひとりでやっているお店で
注文してから餡子を詰めてくれる
栃木から来たと言ったら
「もしかしてポン太さんから聞いたのですか」と
??だったけど
「ポン太さん 自転車に乗っている」と言うので
ようやく「ああ」と理解した
たぶんポタ(リング)とごっちゃになったのだろう
今夜は和歌山市に宿をとった
22:30ころ着いたのだけどお店がほとんど開いていない
宿のひとにまだ食べられる店はあるか聞いてみたら
「北口にならある」と言うので北口に行ってみるとチェン展開してるお店しかない
あきらめて南口に行ってみると個人でやっている小さなお店がいっぱいある
そのうちの一軒に勘を頼りに入ってみると大正解
今回初のお魚
宿から100メートルと離れていない場所
食べ物の嗜好はひとそれぞれ
自分の感じた方を選んだ方が後悔はしない
   水曜日
こっちは電車がないと聞いていたから
栃木と同じようなもんだろうと考えていたけど
甘かった
朝早めに宿を出て駅へ向かうと次の電車は2時間近く後
それまで海を見に行くことにしたのだけど
走れど走れど海は見えてこない
きのうに続き逆走だ
和歌山市の海はあきらめる
特急に乗って白浜へ
車窓からは
みかん畑

そこで生きる人々の姿
大阪から白浜まで特急で2時間
紀伊半島はデカイ
早速海沿いをランニング
観光シーズンじゃないのでひとが少ないのがいい
白浜の砂浜も独り占め
夏はきっとすごいことになっているのだろうな
ここは車で来るより
自転車をこいだりランニングしたり歩いて回る方が絶対面白い
素敵なところがいっぱいある
円月島 千畳敷 三段壁 有名どころもあるけれど
それらも素敵なところのほんの一部でしかない
今回は海沿いだけだったけど
山の方に行けばもっと面白いところに出会えるだろう
刺身もいっぱい食ったし
よく走った
大満足
3時前だけどきょうは宿で温泉に入ってゆっくりしようと思ったけど
1時間半の電車待ち
宿でゆっくりはさせてくれなかったけど
電車がないということがあっちもこっちもという欲張りを取り去ってくれ
気持ちをゆっくりさせてくれる
宿で飲もうと駅前の店で酒を買った
ビールかワインか10分くらい迷ったけど
ワインにする
店を出て一秒もしないうちにそのボトルを落とす
やっぱりビールにしておけばよかった
白浜から30分すさみ町
ワンマン電車には高校生がいっぱい
そのほとんどがこの周参見駅で降りた
白浜に比べたら何にもない街
電車の本数もなく何もないこの街で暮らす高校生
北海道の高校生 東京の高校生 和歌山の高校生 沖縄の高校生
同じ日本でも様々な高校生活がある
何もない分ここは時間に追われることもなくゆっくりできるし
時間もいっぱいできる
海を眺めて
ランニングをして
本を飲んで
魚を食べて
酒を飲んで
山を歩いて
昼寝をして
テレビやパソコン その他の機械類少しずつ自分の生活から切り離して行こうと思った
長い長い急な坂道を上ったところに宿があった
半径1KMのところには店どころか住宅もない
ゆっくりするにはこれ以上のところはない
いい宿だ
海が見渡せる露天風呂を独り占め
ご飯は期待以上のおいしさ
部屋からは漁火が
そしてなにより居心地の良さ
良い宿にしようという従業員たちの思いが伝わってくる
従業員ひとりひとりには背負い込んでいる苦しみやら悩みやら何やらがあるのだろうけど
ひとりひとりが良い宿にしたいという思いで働いている
そんな場所があることは彼らにとってとても恵まれていることなのではないだろうか
そしてぼくにもそんな場所がある
展望台を作ったり
足湯を作ったり
ハンモックを吊るしたりと
自分たちの方が楽しんでいるようだ
彼らの楽しさがきっとこの居心地の良さを作っているのだろう
自分にとって旅は
自分の日常から離れて
ぼくではないひと達や自然の日常に触れること
それらはぼくにいろんなことを気づかせてくれるし
自分が生きる場所を教えてくれる

福島の農家に手伝いに行っている
しずちゃんが家に荷物を取りに戻ったついでに来てくれた
昔からずっとお米を作ってみたいと言っていたので
今回ようやく念願かなっての農業留学となった
まだ行ってから2週間くらいしかたっていないのに
顔がまったく変わっていたので驚いた
重荷が取れたような安らかな顔をしていた
「化粧していなかったからじゃないの」と言うひともいたけど
そんなことない
と思う
ひとの顔は何かのきっかけでガラッと変わるんだ

佐久山の「きみの湯」に行ってきた
温泉に入るのも一年ぶりだろうか
温泉はまわりにいっぱいあるのだけど
自転車だと冬場は湯冷めしてしまうくらいの距離にあるので
いちばん入りたい季節になかなか入ることができない
温泉はいい
やっぱりいい
お湯が冷めないのがいい
この辺りも冬はかなり冷えるので
家のお風呂はからだが温まる前に冷めてしまう
ここのお湯はとてもやさしいお湯で
包み込まれているような感じになりリラックスできる
打ち湯は高いところから落ちてくるので
かなりの勢いがあり使いすぎたからだには最高だ
電気風呂もあるんだけど内臓を貫通するくらい電気がビリビリくる
大丈夫なのだろうかと思ってしまう
帰りは建物を出るとすぐに長い坂道があるので
暖かい時期はとても気持ちいい瞬間を味わえる

日曜日
きょうはものすごいお客さんの数にびっくり
そのなかに東京の自転車野朗のT夫妻も来ていたのだけど
Tさんたちが帰った後に埼玉から来ていたお客さんが
「いま自転車で来ていたひとは東京から来た方ですよね」と尋ねてきた
その方は埼玉でパン屋をやっていて
Tさんにパンを買ってもらったことがあるそうだ
Tさんたち実はかなり有名人なのだ
お客さんにもよくTさんたちのことを聞かれるし
この前も自転車好きの人が
「大田原でも自転車に乗っているがだんだん増えてきましたよ
この間も自転車に乗った集団とすれ違いました」と言っていたけど
この大田原を走っている自転車集団なんてあの人たちしかいないわけで
もう悪いこともできなくなってきましたなあ
この夫妻
似たもの同士で
ふたりとも
自転車が好き
食べることはもっと好き
酒は飲めないけど
甘いものには目がない
どんな場所でも眠れる
食事以外にはほとんどお金を使わない
旅をしたり食べ歩きをするには
最強のパートナーだ
だから
仲良くかはわからないけどいつもいっしょだ
血液型もいっしょのO型だから夏場はふたりで蚊に追われている
イニシャルもいっしょだったかな?
旅の移動はもっぱら自転車か高速バスそれから鈍行列車
寝るところはインターネットカフェか1500円の宿
神社仏閣はほとんど素通り
だけどベストパートナーゆえ
お腹が大きくなるのは必然
同じ趣味のひとと同じ趣味のひとがいっしょになれば大きな力が生まれる
食べることが好きなひとと食べることが好きなひとが出会えば
1+1=3にも4にもなってしまう
旦那さんの方はお腹周りがすこし気になり出した
のかな?
「先週200KM走ってすこしお腹が引っ込んだ」と言っていたので
「きょうは結構走ったのですか」と聞いてみたら
「今度400KM走るからきょうはいいんだ」と言っていた
なんだか1歩進んで3歩後退1歩進んで3歩後退の繰り返しじゃないか
3-1=2
計算では雪だるま式に2ずつ増えていくはずなんだけど
3-1が2になるのは小学校の算数の授業ぐらいで
人生では3-1が1にも-1にもなってしまう
今度あったときは見事に割れた腹筋が拝めるかもしれない
その逆になることだってあるけれど

しばらく前からパンのこね方を変えた
それは10年間パン屋をやってきたなかで
ベスト5に入る重要な出来事になった
長い間 目の前にあった壁をぶち破ることができた
まだまだ乗り越えるべき課題はいっぱいあるし
こね方を変えたことがうまいパンに直結するわけではないけど
別の段階に行く足がかりになると思う
何かを追求するということは
ガチガチに固まっている観念をぶち破っていくことでもあるのだと思う
課題を乗り越えて
満足して
しばらくすると否定して
また課題ができて
乗り越えていく
その繰り返し
それがずっとずっと続いていく
長い長い旅だけど
挑み甲斐のある道のりだ

ジャム爺
ジャム婆にまたたくさんのジャムをいただいた
今回のジャムは広島産グリーンレモンのマーマレード
奈良県産きんかん甘煮 金柑マーマレード
愛媛大三島産あまくさマーマレード はっさくマーマレード
きっとそれぞれ現地調達してきたのだろう
車で寝泊りしているので全国各地に別荘があるようなもの
楽しいだろうな
そんな暮らしをしているので
爺さん婆さんといっても
年齢よりかなり若く見える
ふたりともランドセルを背負えば
まだ子供料金で電車に乗れるのじゃないだろうか
実際あんな小学生いるもん
ぼくも歳をとって
パンジーと呼ばれるようになったら
各地を歩いて回ってみたい
いままでいただいたジャム爺ジャム婆のジャムのなかでいちばん
おいしいなと思ったのはいちばん最初にいただいたみかんのジャムと
シークヮサーのジャム

瞬間瞬間の自分を超えながらぼくは生きている
過去の自分はもういまの自分ではない
さまざまな障害や課題が現れてくるけど
ぼくはそれらを乗り越えられることを知っている

ひとをひとと思っていない経済世界
なんだかそれは戦争と同じだ
戦争の先に経済があるのか
経済の先に戦争があるのか
あまりに大きくなりすぎてコントロールできなくなってしまった欲望が空を漂っている
その欲望が起こす風に触れると
愛は狂気へと変わる
愛と狂気
きっと境なんてなくて
どちらも同じものからできている
戦争は愛を狂気へと変えてしまうけど
しばらくすれば狂気は愛へと変わる
戦争映画の中で戦闘機に乗った主人公があわやのところで
敵の戦闘機を撃墜する
主人公に感情移入していたぼくは「よし!」と自分の手を強く握る
味方側から見れば彼は英雄だけど
相手の人間にも人生があった
家族がいるし友達がいるし恋人もいる
夢もあった
戦争なんてやりたくないといちばん思っているのは闘っている本人
誰かの欲望によって将棋の駒のようになって死んでいく人間
戦争でひとを殺したことがあるほとんどの人間がその後苦しみ悩むことになるという事実は
争いの世の中にわずかに残る希望のひかりか
水戸黄門の「ひゃひゃひゃ 懲らしめておやりなさい」の一言で
痛い目にあわせられる下級武士たち
きっと彼らは代官や大名がやっている悪巧みを知らないまじめに主人に仕えるひとたち
いつもかわいそうにと思ってしまうけど
あれだけ方々で暴れまくっている黄門様御一行
全国で噂になっているだろう
下級武士の中にも彼らのファンがいるに違いない
「ひゃー うちにも来たよ!」
「おー 角さんだよ!」と興奮しているひともいたかもしれないし
あの時代に携帯電話があったなら携帯電話で写真を撮っているひとたちもいたかもしれない
それはさておき
たとえみね打ちだとしても打たれどころが悪ければ大怪我をしてしまうひともいるだろうし
死んでしまうことだってある
下級武士にだって人生はある
主人の欲望のために苦しい思いをさせられる下級武士たち
狂人の黄門様
経済の世界もこんなことばかりだ

『てんぷら たくみ』に行ってきた
主人のたくみは高校の同級生
ぼくが学生時代アルバイトをしていた築地のパン屋と
100Mと離れていない料亭で修行していた
いつの間にか3人の子供を作って
隣町の西那須野のでてんぷら屋を始めていた
ランチは700円だったか800円だったかの何種類かの定食と
すこしグレードアップしたセットがある
ぼくはいつも2000円の「たくみセット」を頼むのだけど
刺身とてんぷらにもう一品だったかもう二品だったかがついてくる
ごはんとお吸い物とデザートもつくので
いっしょにお酒を一 二杯飲めば大満足で帰ってこられる

百年に一度の経済危機とか言われているけど
言葉の裏に大事なことが隠されてしまうということがある
百年に一度の経済危機なんだからしかたがない
新聞やテレビ観ているとそんなニュアンスで使っている方が多くいたけど
近い未来に金が湧き出てくるような幻想をして
その幻想のまま多くのひとが動き
経済も動かしまっているのだから
いずれこんなことになるのは小学生だってわかるはず
エコという言葉
消費消費消費豊か豊か豊か便利便利便利!  
エコエコエコ!
僕にはなんだか同じ呪文に聞こえてくる
ふたつの出どころはおなじところのような気がしてならない
良い唱えか悪い唱えかは別にして
いまも昔もたくさんの人たちがそうした呪文に誘導されていくことにぼくは危機を感じる
安心安全という言葉もそこらじゅうで使われているけど
安心安全という場所に寄りかかっていることの方が危険な気がする
寄りかかるんじゃなくて大切なのは危険がやってきても
それを乗り切ることができるよう力を身につけておくことではないのか
川は危険だから近づくなじゃなくて
溺れないように泳ぎを身につけさせる
ナイフは危険だから取り上げるんじゃなくて
どうすれば怪我することなく使えるかを覚えさせる
安全 安心 という言葉に安心してしまう危険
危険を危険だと察知できなくなる危険

経済のシステムがおかしくなったのは
どこかに無理があったから
経済を回復させればいいという問題ではない
その根底にあるものを見つめてみること
経済が元のように回復することなんて大事なことじゃない
大事なのは人間が人間であり得る世界になること
人間が人間を人間とみなしていないなんておかしいすぎる

車で移動すれば
行こうとしているところにあっという間に着いてしまう
車を使わず自分の足を使えばあっという間には着けないけど
そこに時間が生まれる
言いたいことは電話やメールですぐ伝えることができるけど
会って話せばそこに時間が生まれる
汚れた服を洗濯機に入れれば何もしないで汚れを落としてくれるけど
自分の手で洗濯すれば
そこに時間が生まれる

無理があれば
必ず歪みはあらわれて来る

文楽の語りは昔の大阪の言葉が使われていて
言葉を聞き取ったり言葉の意味を理解することはかなり難しい
イランやトルコの音楽もいままで聞いていた音楽とは違う根底があるので
理解することは難しい
でも難しいからこそ
考え想像するという作業が生まれてきて
ぼくの中のどこかのスイッチを押してくれ
ぼくの世界を広げてくれる
なんでもかんでもわかりやすくするということがいいことなのだろうか
昔の大阪の言葉を現代の東京の言葉に変えてしまったら
きっと伝えることができないものがあるだろう


便利な機械が次々と登場する
その渦に飲み込まれていくかどうかは自分の勝手だ
そういうものに頼れば必ず何かを失う
ぼくはその失われていくものに価値を感じる
ぼくはぼくの持っている能力をできるだけ使って生きていきたい
自分のエネルギーを使って生きていきたい
ぼくはドキドキ ワクワクすることができる想像力を持っている
ゆっくりだけどどこまでも歩くことができる足を持っている
いい汗をかいたときに気持ちいいと感じられるこころを持っている
風や音や香りを感じることができる感覚を持っている
何でもかんでもすぐに答えや結果を求めてしまう味気なさ
こんなに便利な道具ができてもまだ急がなければならないおかしさ
肉体が衰えていきこころが消失していけば
そこにはもう喜びはない
機械のからだなんてぼくはいらない

時間を追いかける必要なんてない
ぼくの進む先には時間なんて存在しないのだから
ぼくの進む行く先には何もない真っ白な世界が広がっているだけ
宇宙が広がっていくようにぼくの世界もぼくが一歩進むごとに彩られていくんだ

カッコウをつけることことって
きっと怖さに屈することなく
目の前のことにぶつかっていくこと
傷つくことから身を守ることや
表面的に着飾ることじゃない
守るべきものはこころの思いそして情熱

三食腹いっぱい食べられて
寝る家もある
何が不景気だ
いま以上に金が手に入ったって
いま自分自身を生きていないなら
結局は同じこと
満たされることなんてない

戦争時に比べれば
現代の日本で自分の思いを曲げないで生きることはやさしいことのはずなんだけど
たくさんのものを抱え込んで飛びたてなくなったぼくたち
飛び立ちたいなら放り投げればいい
飛び立てないなら放り投げればいい
見栄も金も物も安定も
ゼロになってもいいという覚悟があれば
いつだって飛びたてる
評価なんてされなくたって
こころに従って歩いていけばいい
うまくいかなくたって
こころに従って歩いていけばいい
どんなことが起こっても
こころに従って歩いていけばいい
それが喜びに繋がっているのだし
喜びに繋がる道はそれ以外にないのだから
苦しくてもこころが選んだ道を歩いていけばいい
そのこと自体が喜びなのだから
自分がやるべきことはわかっている
からだを鍛え上げること
こころを広げていくこと
うまいパンを追求していくこと

花粉症のひとが本当に多い
もう30年近く泳ぎつつけているという
70歳近い女性がいるのだけれど
その方も花粉症で苦しんでいたのだけど
毎日泳いでいたらいつの間にか花粉症が治っちゃったらしい
顔のつやがものすごく良いいから
70歳くらいに見えるけど
本当は90歳とか100歳くらいなのかもしれない
塩素の力
恐るべし

ぎっくり腰やってしまった
前回は寝ている姿勢でもつらかったけど
今回は寝転んでいれば痛みがないのでかなり楽だ
パンの捏ね方を変えてから
ちょっとからだに疲れを感じていたのだけど
きょうはからだを動かしていると
あまりにも気持ちが良くて
あまりにもうれしくて
欲張りすぎてしまった
ランニングやら足腰強化のトレーニングの後
壁とキャッチボールをしていたら突然腰が下にずれていった
きょうはなんじゃもんじゃ通りを走ってしまった
この前走ったときは大丈夫だったので
大丈夫だろうと思ったのだけど
やっぱりあの通りには何かある
前回のぎっくり腰は6年くらい前
それ以降は今回を入れてあの通りは2回しか走っていない
前回のぎっくり腰のときだってあの通りは年に一回走るかどうかだったのだから
クソ~なんじゃもんじゃがなんぼのもんじゃい
負けてたまるか

福祉大の目の先生Kさんは
先々週の日帰り京都観光に続き先週も
日帰りで知り合いが出ている能を観に大阪に行ってきたらしい
まったくもって
日帰り野郎だ
でも急ぎ慌てることなく
楽しむことができるなら
日帰りだって悪くはないのだろう
ぼくもそのこころのありようを見習うことにしよう

矢板のSャ-プでテレビの設計をしている
雪上専門の自転車野朗はこのパン屋のお客さんのなかでは数少ない
頭を使って生きているひとだたのだけど
来月から三重の方に転勤になってしまう
テレビを作っているのに家にテレビがないというかなりねじれたひとけど
三重のリアス式海岸を観ればそのねじれも戻るかもしれない
三重に行ったらあまり雪の上を走ることができなくなるので
この三連休は自転車を車に積んで東北地方に行ってきたそうだ
相変わらず一人でで畦道を走ったり自転車を担いで山を登ったり
「ひゃっひゃっひゃっひゃ」と楽しんできたらしい

文楽の人形は
リアルに動かしてしまったら
面白くないし伝わってこない
人形だからできる動きがある
能の演者も速く動いてしまっては
面白くないし伝わってこない
狂言の登場人物も悲しい台詞を悲しそうに口にするだけでは
面白くないし伝わってこない
歌い手さんも歌に感情を込めすぎては
面白くないし伝わってこない
こちらが想像しながら観れるような余地を残しておいて欲しい

思い切りという言葉を何とはなしに使っていたけど
思い切るって思いを切ることなんだ
怖いという思いや
苦しいという思い
悲しいという思いを切る無の瞬間のことなんだ
思い切って飛べばその瞬間怖いという思いは消えるし
思い切って走ればその瞬間苦しさも消える
思い切って泣けばその瞬間悲しさも消える

怖くて怖くてしかたないけど
ニーッと
ほっぺを上げて
思い切って
向こう側の世界に飛び込む瞬間が好きだ

いつもひとや車がいないところいないところを走るのだけど
どこもかしこも道路工事
でもそのおかげでいつも走っているすぐ脇に素敵な道を見つけた
なつかしい昭和の世界が広がっている
その道を走っているとオオタカが群れていた
道端に寝転がると30~40メートル上空を20羽近くののオオタカが飛び回っている
餌を探しているようでもなし
オオタカは何のために飛んでいるのだろう
トレーニングをしているのだろうか
遊んでいるのだろうか
まあ何かをやるのに意味なんていらない
ぼくが走るように
オオタカたちも飛んでいる
無意味なことやりやがってと思われるかもしれないけど
自分がやることに価値があるかどうかは
ひとには決められない
自分がやることに価値があるかどうか決められるのは
自分だけだ

生きていくことは簡単だ
簡単だけど
楽ではない
楽ではないからいい
だからおもしろい
自分が何をするのも自由だ
もちろんひとが何をするのも自由だ
だからまわりにこころを振り回されることもある
でもそういうことを受け入れて生きていくしかないんだ

那須の自転車野朗と東京のフォアグラ野郎たちがいっしょにやってきた
「きょうは70キロくらい走った」というフォアグラ野朗たちに対して
那須の自転車野朗は「150キロ走った」と言う
フォワグラ野朗たちのお腹は先月見たときより明らかに大きくなっている
この走行距離の差がお腹を大きくしているのかなと思ったけど
70キロを自転車で走るってかなりのものだ
どうやったら70キロも走ってこんなお腹になるんだ
フォアグラ野朗Tsさんの腹ポタ日記を見てみるとすごい
http://www.freeml.com/bl/7665038/103066/?sid=513cd319c53c9f05b8d15d82c86c28ee
お昼を食べた後に「腹ごなしにすこし走ろう」と走り出すんだけど
腹ごなしになる前にもう次の食べ物屋さんに入っている
T夫妻
最後の晩餐には自分の肝臓と霜降り肉を食べることにしているという噂もあるけど
本当は生命保険代わりにどちらかが死んだら死んだ方の肝臓を売ることにしているらしい
お腹が大きくなりすぎて身動きが鈍くなり
転んで顔面を強打しても
自動車に衝突して救急車で運ばれても
夫は妻のため
妻は夫のために
食べ続ける
涙ぐましい夫婦愛の物語
http://www.geocities.jp/mummyt2c/ETC/MARSHMALLOW_MAN.htm
(フォワグラ野郎Tさんのイメージ写真)

自転車に繋げるようなリヤカーがあったらいいなと探していたのだけど
けっこうな値段がする
http://item.rakuten.co.jp/tohokogyo/a-90-60-65-bf/
http://www.konna.jp/shop/goods/A068.htm
自分で作るのもいいかな
トラック野郎のような絵を描いたピカピカに光るリヤカー
http://www.aoshima-bk.co.jp/kokuchi/ichibanboshi/index.htm

旅先で乗れるような自転車が欲しいなと思うのだけど
知らないとちではやっぱり自分の足で走りたくもなるので
自分の足で走りたくなったら背負うことができるような自転車があったらいいな

いままでは捏ねと成形で手一杯だけど
焼きのほうにも気が回るようになってきた
ボクシングでもそうだけどやっぱり基本は
相手をよく見ること
感じることだ

きょうはポカポカ
ランニング日和
気持ちの良い風も吹いている
からだを動かすとやっぱり元気になる
片岡のOさん
この店に来始めた頃は
疲れきった顔をしていたけど
2年くらい前からランニングを始めると
みるみる顔が変わってきた
来るたびに何キロ走れるようになったとうれしそうに報告していく
いまでは25キロ走れるようになったそうだ
何かの出会いがガラッとひとの人生を変えてしまうことがある
暗闇に光を与えてくれるときがある
一瞬先に何が起こるかわからない
だから生きるって面白い

近くの国際医療福祉大学の学生たちもよく来てくれる
県外からやってくる学生が多いので
3月はそのひとたちとはお別れだ
4年目にしてようやく顔を憶えかけてきただけにさびしいけど
これからも自分の人生を歩き続けようとしているひとたちの後姿を
見送っているとうれしい気持ちになってくる

梅が満開
団地の崖側には梅と桜の木が並んでいる
花の時期はその花を眺めながら犬と散歩をする
そこから山の向こうに落ちていく夕日をみるのも好きだ

大田原市長選の最終日
残り数分前になると
スピーカーからは
気分が高まっていって
ハイになっている候補者や鶯嬢たちの声が聞こえてくる
何ハイと言うのかは知らないけど
この国には選挙中毒になってしまったひとも大勢いるのだろうなと思った


3月に取り寄せたくるみの味が
明らかに変わった
まろやかな味になった
ここ数ヶ月のくるみは
収穫してすぐだったからなのか
収穫してから時間がたち過ぎて味が変化したからなのか
ものすごく刺激的な味がした
来たばかりのくるみを手でさわってみた感触では
やっぱり時間がたったくるみ立ったのかなあと感じた
ライ麦も時期によって味が違うのを気がつくひとはいるかな

西那須野町のTさんがやってくる
いまは旦那さんを置いて単身長野の玄の里というところに住み込んで
http://www.gennosato.com/
野菜を作ったり動物を飼ったり
料理をしたり建物建てたりしている
ちょくちょく帰ってきているのだけど
会うたびに若返っている気がする
きっと浦島太郎のような毎日を送っているのだろう
Tさんは何年か前に東北の牧場でも住み込みで働いていた
思い立ったらパッと出かけていけるって素敵だな
一年って行ってたけど「今度玄の里のみんなと松本に店を借りて
カフェを始める」そうだからきっと一年じゃ帰って来れないだろうな
ここのお客さんのなかには同じように旦那さんを置いて単身
遠くに出かけていき活動しているひとたちがほかのもけっこういる
馬頭町に住んでいる方は東京でアパート暮らしをしながらレストランで
料理を作っている
この方は料理が大好きでやはり数年まえ
秋田を飛び出しサンフランシスコの料理学校で料理を学んでいたそうだ
近所のSちゃんも今度旦那さんを置いて
福島の農家に住み込みで働きに行くそうだ
やりたいことはやっちゃったほうがいいんだろう
できない理由を見つけるよりも
だってみんないい顔してるもん
本当に扉を開けて店に入ってきた瞬間
「ウッ眩しい」っていう感じだもん

こころもからだも調子が上がってきた
パンを捏ねながら生きている悦びを感じる
うまい
まずいは別にして
悦びが詰まった
悦びのパン

なんだ
この雪は
天気予報では自身あり気に
晴れマークがついていたのに
ものすごい勢いで雪が舞い降りてくる
冬場だったらOUTだったけど
春のじっとり雪だったので助かった
この地に30年近く暮らしているけど
これほど雪の日が多い年は記憶にない
この辺りは栃木県の北の端なのだけど
那須や日光の山々がほとんどの雪を引き受けてくれるので
真冬でもあまり雪が降らないところなんだけど
今年は2月 3月にかけて
5~10cm積雪が何度あっただろう
もういままでの感覚で生きることはできなくなっているのだろうか
「この世に 変わらぬものはなし
時は流れ去り 情熱も夢も
あなたのこころも わたしのこころも
すこしすこし 変わる変わる」by浜田真理子
人間そして自分を見ていると
変わらない方がおかしいのかもしれない

つまずいても
また歩き出せばいい
ひとからいい評価をされたいだとか
安定した生活をしたいだとか
そんなことを望まなければ
生きることなんてそう難しいことじゃない
転んだって
へっちゃらだ
何度転んだっていいんだ
転んだって
立ち上がって
また歩き出せばいいんだ
何度だって
何度だって
自分のこころが選んだ道を歩いていくだけだ
転ばないことなんて不可能だし
転んだ先にしか見えないものがある

山をあるく
ひとりであるく
見渡す限り誰もいない
動物の気配だけを感じる
ここではぼくを縛り付けるものは一切ない
ここで寝転んだっていいのだし
この崖を登ったっていいのだ
何をするのもぼくの自由だ
自分の選択がどんな結果をもたらすかなんてわからないし
この一瞬先何が起こるかわからないけど
いまこの瞬間ぼくは自由でいる
数秒後にぼくはこの崖から落ちて死んでいることだってあるし
落石にあい怪我をして動けなくなることだってある
もしぼくがここで死んだとしても
誰にも見られることなく死んでいくんだ
そう考えると
自由ってとても孤独なものなのかもしれない
   山を歩いていると
   さまざまな恐怖が襲いかかってくる  
   動物たちに対する恐怖
   崖を落ちていくことなどへの恐怖
   ひとりでいることの恐怖
   それらの恐怖が山歩きを
   山を歩くという行為だけに留めずに
   濃く深く広くしてくれる
   その濃さ深さ広さを求めて
   ひとは山へと向かう
   恐怖は排除するものではなく
   乗り越えていくものだ

やさしさとむごさ
つよさとよわさ
生命力と脆さ
生と死
それぞれに境なんてなく
べちゃべちゃ
ぐにゃぐにゃになって生きている
きっとそれらを越えたところには
宇宙があるのだろう

課題だったことが
克服できそうなところにきている
できなかったことや
わからなかったことが
パパパパッと
できちゃったり
わかっちゃったりするときがある
そんなときは必ず
それをやっているときに
こころ全体でそれを楽しめているときだ
それをやるのが苦痛に思えているときには
もしかしてと思うことがあっても
こころもからだも動けないから試せない

このところ久しぶりのお客さんが多い
春になり気持ちがうきうきしてきたのか
季節の変わり目は
気持ちを切り替えやすい
春 夏 秋 冬そして朝と夜
区切りがあると
焦ってしまうこともあるけれど
区切りがあるから人間はやっていけるのだと思う

試したいことが
いろいろ出てきた
ひとに食べてもらえるパンを作るには
10年はかかるだろうなと思っていたけど
もうすぐ10年
すこしはましなパンが作れるようになるかな

ここから走って20分くらいのところにある国際医療大学で
作業療法の勉強をしていたKさんが去年6年間の大学生活を終え
「来年から神主の学校に行く」と宣言して三重の大学に行ったのが去年
そのKさん(女性)がひさしぶりにやってきた
来年から京都の神社で働くとのこと
現在の神社産業では契約制をとっているところがあって
3年契約で年棒+高層マンション一室の破格の待遇で契約したらしい
契約金 トレード 戦力外通告 ドラフト スカウト なんかもあったりして
いまは渡りの神主なんていうのがいっぱいいるのかな
「3年後はイギリスに行きたい」と夢を語って帰っていった

このところたぶん妊娠しているであろうお客さんが多い
過去2度ほどまったく妊娠なんてしていないお客さんに
「もう産まれるのですか?」と聞いてしう失敗をしているので
確かめられないけどここ1ヶ月でも6,7人のたぶん妊婦であろう方が来ている
ひそかにここのパンを食べたら無事に元気な子供がむまれるとうわさをしていたからだろうか
でも本当にたくさんのお母さんが産まれたての元気な赤ちゃんといっしょに
パンを買いにいてくれるのでうれしい
元気な男が作った元気な種からできたパンを食べれば
元気な赤ちゃんができてもおかしくないのだ

きょうは走りに出てすぐに
ハイになってしまったので
そのままロングダッシュ
朝飯を食べたばかりなの腹がちょっときつい
気持ち良さと吐き出してしまいそうなほどの苦しさ
自分のやりたいことをやりたい続けたいという思いと
苦しい思いはしたくない苦しさから逃れたいという思いの
せめぎ合い
こころにはいつでも相反する思いが宿っている
苦しい思いをしたとしても
自分がこころからやりたいと思う方を選択したときには
いつでもその苦しさ以上の喜びが待っている
いつもの場所でふきのとうを採って
お昼に味噌汁に入れて食べた

宇都宮のパン屋で働いている方が来てくれた
「何時頃に店に入るんですか」と聞いたら
「3:30」だって
1時間前に起きるとして2:30起床
パン屋さんはえらいのだ

パンの皮の部分をぱりっと焼き上げる方法がようやくわかった
いままではぱりっと焼けたり
ぐにゃっと焼けたり
どうしてだろうと思っていたけど
わかってみればなんでもないこと
頭が固くなっていると
動けないし
気づけない
機械を使うなら
機械の癖もつかんでおかなければならない

このところ
『妹背山帰女庭訓』のCDばかり聴いている
先代の綱大夫と山城山城少掾が山の段を語っているものなのだが
かっこよすぎる
何百枚も持っているCDの中から一枚あげろといわれたら
このCDを出すかもしれない
来月は大阪で『妹背山帰女庭訓』がある
住大夫さんが語るのもきっと最後になるので
ぜひ聴いておきたい

矢板の自転車野朗からnina simoneのCDを借りた
http://www.youtube.com/watch?v=h8tuTSi6Sck&feature=related
男性よりも男性的な声であり
女性の色気も持っている
浄瑠璃を聴いているようだった

もしきょうで人生終わりだということがわかったのなら
自分はどうやってその一日を過ごすだろうと考えてみた
やっぱりぼくは走りに行くだろう
だからきょうも走りに行った
先週に続き黒羽 『御亭山』
どうやら坂道中毒になってしまったらしい
黒羽はやっぱりいい
何がいいって立ちションができるのがいい
大田原は立ちションができない
家と家の間隔があまり離れていないし
こんなところに車は走ってこないだろうと思うところにも
車が走ってきてすれ違うことになる
そこにいくと黒羽は家と家との間が50Mはあいているし
車も走っていない
 きょうはお金も持ってきたので山に行く前に
きのうお客さんからものすごくうまいと聞いた
北原さんの大福を買うために大田原の道の駅に寄ってみた
うまそうな野菜が並んでいる
この道の駅は毎年10%くらいずつ売り上げを伸ばしているらしい
大福があったけど大ぶりのうえ5つも入っている
ランニング中に食べるのはきつそうだったので
草もち3つ入りと桜餅3つ入りを購入
おとうさんが作ったこしひかりで作ったお餅
北原さんは行動のひと
思い立ったらやっちゃうひとで
最近も小さい子供二人を連れてだんなさんとトルコに旅行に行ったり
ギターを始めたり
そんな姿にいつもぼくは刺激を受けている
おとうさんは佐久山で野菜を作っていて
その野菜がとてもうまい
佐久山でも直売所をはじめたらしいから今度行ってみよう
先週と同じところから上ろうと考えていたのだけど
途中に走れそうな山道があったので入ってみた
沢に沿った道でちょっとうれしくなる
沢に左側は雑木林
右側は杉林
花粉症のひとにはきついかもしれない
それにしてもよくこんなにもの杉の木を植えたものだ
感心してしまくらいの杉景色
しばらく進むと煙突から煙が出ている小屋があり
脇で蒔き屋のおじさんが薪を割っていた
その先にもずっと道が続いている
急にビールが飲みたくなってきた
気持ちの良い道を走ると
良い汗をかく
良い汗をかけば
ビールが飲みたくなる
黄金の方程式だ
でも両方のポケットに入っているのは
さっき買ったまんじゅうだけ
どこに出るのかわからなかったけど
「すべての道は御亭山に通じる」とひたすら上ると
本当に御亭山にでた
良い道を見つけた
頂上でひさしぶりにゆっくりした
眺めがよく静かで
ぼくのお気に入りの場所
からだが冷えてきたので
餅を食って走り始めた
上ってくるときに見つけておいた
道を下る
土の上を走れるのがうれしい
自転車で下ったら楽しいだろう道が続く
ぼくが自転車で下れば20回くらい転んで
10回くらい谷に落ちるだろうけど
乗りこなしているひとだったら
ジャンプ台なんかもあってかなり楽しめるだろう
終点は黒羽高校の裏だった
気持ちが良かったのでもう一度上った
下りでひとふたりが上ってきたので驚いた
前を歩いているひとも地図を見ながら歩いていたので
通り過ぎるときものすごく驚かしてしまった
しばらく進むと
「パン屋さん?」と声が聞こえたのでまたびっくり
小学校中学校の同級生のお母さんだった」
往復で45分 30分くらいしかかかってないような気がしたけど
やっぱり山は時を忘れさせてくれる
酒屋があったので吸い寄せられるようになかに入ってしまう
外に出ると40メートルの距離に酒屋が3件も並んでいた
どうやら酒に呼ばれていたようだ
もう5時間近く走っている
さすがに足が重くなってきたので
ロッキーのテーマ曲を頭の中に流してがんばった
映画音楽は成りきれてしまうからいい
思いや知識 やお金なんかといっしょでエネルギーも
内に取り入れているときにはまだ自分のものにはならなくて
外に出すときにはじめて自分の血となり肉となっていく
よーし バリバリ動くぞ~

うまくできない自分をさらけ出さなければ
見えてこないということ
先にいけないということ
そんなことがようやくわかった
さらけ出さなければ何が悪いのか
何ができない原因なのか見えてこない
うまくいっているように思えているときは
なにも見えてこない
うまくいっているように思えているだけで
実際はわかったつもりになっているだけだということも
見たいと思うなら
とにかくなまのままの自分で体験
体感すること

同じことを同じようにやっていれば飽きる
飽きたら
変化を与えるか
気分転換をするか
気持ちの持ちようを変えるしか方法はない
飽きたままやっていたら
無気力になる

スポーツをやっているとわかるのだけど
体調を一定に保つことは不可能なことだ
上がっていったり下がっていったりの繰り返し
パンを作っている毎日でもそれは同じことだと思う
そこにこころの問題や気象条件などもろもろが加わってくるのだから
パン作りは難しい
きょうのパン
あしたのパン
きのうのパン
それぞれまったく別の作品
でもそれぞれのパンの
そのなかにいまが詰まっている


走るとこ走るとこ
道路工事
便性を高めるためと書かれた看板
自分の首を絞めているんじゃなければいいが

逃げて楽になろうと思っても
けして楽にはなれない
乗り越えることでしか
楽にはなれない
逃げて得ようとしている楽と
乗り越えることで得られる質とでは
楽の質が違う
質というより
前者は楽という言葉を使ってはいけないものだと思う

ひとりひとりがいろんなことを抱え
それと闘いながら生きている
ひとりひとり
みんなが尊敬できるひと
30数年生きて来たなかで
たくさんの痛みを感じて
自分のできなさを知って
自分の弱さを知って
年を重ねるごとにこころは広がっていると思う
許せなかったことも
いまでは許せる
年寄りが多くなっていくなかで
この世界は許せる社会になってくるのだろうか
もっと生きやすい社会になってくるのだろうか
でもまあ許されなくても
自分は自分を生きていく
それでいいのかな

通っていた中学では男子はみな坊主頭にさせられた
地域の人にアンケートをとってそう決めたとのこと
その中学では忘れ物をするとおみやげやで
よく売っている『渇』と書かれた木の板で思いきり
尻を叩く教師がいた
いま思い出すと
そんなことに従っていた自分が悔しい
だからといってその悔しさを過去の自分にぶつけることなんてできない
悔しさはこれからの自分に活かすしか使い道なんてない
これから先 納得がいかないことは
蹴っ飛ばして ぶん殴って また蹴っ飛ばして
グチョングチョンにして放り投げてやるんだ

パン作りは
フィギュアスケートなんかと同じで
毎回毎回同じような結果は得られない
きょうは良いパンができたなとか
きょうは生地が固かったかなとか
きょうのパンは口どけがいいなとか
きょうは酸味が足りないなとか
思うようなパンができることはなかなかない
自分の力出し切ってのそれだから
それがいまの自分の力なので仕方がないのだが
うまくいかなかったときはやっぱり悔しい
でもその悔しさが
次の段へ上がる後押しをしてくれる

時計の針の動きに合わせてあせる必要なし
自分が動くとき時も動きだす
ひとに合わせて苦しむ必要なし
自分が動くとき物語は始まる
仕事をするひとは良いひと仕事をしないひとはダメなひと
学校に行くひとは良いひとでいかないひとはダメなひと
そんなくそったれの価値観に合わせる必要なし
自分のこころが感じたとき
価値観は生まれる


正直ここ数年パンに対する情熱
それから生きるということへの情熱がちょっと消えかかっていたのだけど
ここ数日ちょっと違う
こころから
うまいパンが作りたいと思えるようになってきた
パンを始めたころのようにパンと向き合いたくなってきた
そして生きるということへの情熱も
この世のすべてが変わっていく
思いも情熱も
でも何かに出会って
それにはじめに感じたことは
きっとそのひとのこころの底から感じたものなのだと思う
情熱が戻ってきた喜びが
レベルアUPしている喜びが
うまいパンを作れるかもしれないという思いを
うまいパンを作れるという確信に変えた
最高に楽しい人生を送れるということを確信させてくれた
何かが見えてきそうな予感がある
自分を抑えすぎていると情熱も冷めてくる
自分の大切な思いも忘れてしまう
もう自分を良く見せようとする必要なんてない
だから守りに入る必要もない
だからひとに合わせる必要もなし
自分の力を思い切りだすことに集中すればいい
自分のこころのままに表現すること
ようやく本人が自分の舞台に帰ってきた
守りなんて入らず
攻めていく
どんどん攻めていく
風のように
そして山のように

裁判所で働いているいつも自転車を乗ってくる男性が
もうひとり自転車乗りを連れてきた
仕事帰りのようでふたりともネクタイ姿にズボンの裾はチェーンに
絡まないようにバンドで止めている
やっぱり裁判所に勤めているようで
「裁判所では自転車がはやっているんですか」と聞いてみたら
裁判所でチームを組んでレースにも出ているらしい
西那須野に住んでいるSちゃんも自転車で来たし
Kさんも自転車を買うといっていたし
県北も自転車乗りがじわじわと増えている
みんな機械に囲まれた楽々生活に飽きてきて
自分のからだを動かしたくなってきたのかもしれない
ちょうどこの店はサイクリングついでに寄るにはいい場所にある
もうすこし街から離れれば20分くらいの距離に
温泉があったり滝があったり大きな切り株があったり
眺めの良い丘があったり
何にもないようにみえるけど素敵なところがいっぱいある
  滝(パン屋の前の道を下って左に曲がるそのまままっすぐ進み
ライスラインにぶつかったら左に曲がり30Mくらい進むと
野球場入り口という看板がありそこを入っていくとある
野球場もコケで覆われていて走ったり犬を遊ばせるには良いところ)
  大きな切り株(なまけものからライスラインに出たら右に曲がって進むと
少し大きめの道路があってさらに進むと次に狭い道があるそこを
右に曲がって入っていくとすぐ右手に公民館があってさらに進むと
田んぼの中に鳥居が立っているそこを入っていくとある)
  眺めの良い丘(『ふれあいの丘』脇の道を直進モノレールの線路下をくぐって
坂道を上り下るすぐの道を左に曲がる園芸屋?の大きな看板があったら
右斜め前を見ると草がきれいに刈ってある斜面がある
立ち入り禁止の看板をくぐってそこを上っていくとある
3箇所とも晴れた日に行くと気持ちが良い

歳をとったからこそ
きつい練習を
こなしていかなければと思う
歳をとったからといって
楽なことばかり選択していれば
衰えていくだけだ
何歳になろうと
刺激は必要なのだと思う


小春日和のライ麦10% 15%のパンを食べてみた
このところライ麦の多いパンばかり食べていたので
ライ麦が少ないパンを食べるのは久しぶりだたのだけど
酸味が程よく出ていてすごくうまかった
ここ数日ほんのちょっとだけど捏ね方を変えているので
もしかしたらその結果なのかもしれない
最低でもこのくらいの味が毎日出せればと思うのだけど
なかなかそうもいかない
気温や湿度が違ってくれば
また違う作り方をしなければならないし
素材だって季節によって状態が違ってくる
自分自身の調子を整えるのもよくできてないのに
パン屋はパン生地の調子も見なければならないのだから難しい
プレーンなパン一本で勝負するには
まだまだ力が足りないし
わからないことばかりだけど
ほんのわずかずつ
着実に
レベルアップしている

坂道ダッシュや重心を低くして歩いたり
つま先走り シコとスケートを合わせたようなトレーニング
最近ランニングにいろんな動きを取り入れている
下半身を重点的に鍛えているのだけど
このところ立つ姿勢が楽になった気がする
足腰はランニングさえしていれば鍛えられると
ずっと思っていたのだけれど
ランニングだけでは不十分だったということが
何十年もスポーツをやっているのに
いまはじめてわかった

今年の初めにパソコンが壊れ
パソコンに書いておいたものがかなり消えてしまった
日々感じたことをチョコチョコと書いてきたものなのだけど
消えずに残ったものをあったので読んでみた
パン屋を始めてから
拾い集めてきたそれらのカケラ
全部自分の一部になっていた

きょうは御亭山までかけてきた
5KM続く上り坂は想像以上にきつかった
そして下りの5KMもガタガタのからだには想像以上にきつかった
山を降りての帰路もやっぱり想像以上にきつかった
でも想像以上の苦しさを乗り越えることは
やり遂げたという充実感を与えてくれる
今回は水道が見つけられなかったというのが
いちばんきつかった
お金を持っていくのを忘れたので
途中で買い求めることもできずの口の中とのどがカラカラだった
なんとか大田原の道の駅にたどり着き
氷を貰ったのと肥料にするため畑に投げ捨てられていたデコポンを見つけ
それをむさぼり食ったことでしのぎきれた
帰ってからこの苦しみの穴埋めをしようと
食べて飲んでしたのだけどあのあのデコポンにかなうものはなかった

京都に日帰りで行ってしまうひとがいることを知った
仕事じゃなくて遊びにだ
行きは前日の夜に神奈川まで行っているらしいのだけど
帰りは大田原まで帰ってくる
近くの国際医療大学で目の先生をしているのだけど
あの大学は学生もものすごく勉強させられるのだけど
先生も大忙しだ
一年中仕事や学会でスケジュールがぎっしりで
遊ぶ暇がほとんどない
最初はあの大学の先生はみんな早死にするんじゃないかと思ったのだけど
なぜだかみなさんとても若々しい顔をしている
「朝から出かけば10時間は京都にいられる」
この店に来るのはなぜかこんなクレージーな方ばかりなのだけど
みなさん人生を楽しんで生きている
目の先生はものすごく京都が好きとのこと
わずかな時間だけでもいいからその場所に身をおきたくて
遠くから出かけていく
そんな場所を自分に持っている
素敵なことだ

2KMくらいの距離のところに
良い坂道がある
そこで一年ぶりくらいに坂道ダッシュをしてみた
オリンピックを観ていたらなんだかやりたくなってしまった
100mちょっとの坂道なんだけど
走るにはかなり傾斜がきつく
だいたい30mくらいで足が重くなり
50mくらいまでいくと今度は心臓が暴れだす
残り25mは口パクパクの
バタバタだ
昔は15本くらいできたのだけど
きょうは3本目くらいでバタバタ度が上がってしまった
それでもなんとか10本やり遂げた
バタバタ
バタバタ
いつも
バタバタ
バタバタをやめると
沈んでいってしまうので
いつもバタバタを求めて生きている
もがき苦しむ道を選んでる

守りに入ってメダルをとっても
何も面白くない
目的はメダルなんかじゃなくて
楽しむことだ
欲しいのは
形なんかじゃゃなくて
瞬間だけだ
攻めて攻めて攻めて
試してみないことには
開いていかない
広がらない

最初に作った看板は
材木やから貰ってきたもう半分腐っている大きな木に
ノミで一生懸命名前を彫ったもの
その看板は
雨風にさらされてボロボロに崩れていった
次の看板は木の板に『ぱんや』とミズナラの木の皮を貼り付けたもの
それは草木に囲まれてまったく目立たなくぽつんと置いてあるので
ないに等しい
その次は作ってない
なかなか作る気持ちが沸いてこない
名前が長すぎるのだ
『なまけもののパン屋』
一球入魂は
九文字も続けられない
最近は看板なんて無くてもいいかとも思っている
迷子になって来てもらうのもいいだろう
いまの日本は効率性効率性効率性効率性効率性
効率効率効率だ
だれもが
何でもかんでも
何事も無くスムーズに物事を進めていこうとしている
でも効率性を求めれば求めるほど
ぼくには何か大切なものが吸い取られていっているように感じていた
その大事なものって魂だと思う
魂て何だって説明はできないけど
抜き取られているものはたしかに魂だと思う
物事がすべて思ったとおりに運んでしまったって
面白くもなんともない
そういうことは記憶にだって残らない
物事をやっているときに起こる
思わぬこと
突然障害物が現れたり
美しい風景に出会ったり
それが面白いのだし
それがきっと生きているって言うことだと思う
『魂を手放さないで生きる』
そんなことを目指してこれからもやっていこうと思う

ひととの出会いが
いまの自分をガラッと変えてしまうときがある
ずっとずっと続いていた真っ暗闇の世界に
光を与えてくれる出会いもあるし
その逆もある
一瞬先に何があるかわからない
それがあるから生きるって
面白いんだ

海の中を悠々と泳ぐイルカ
先のことなんて何も考えていない
ただそのときそのときを目一杯楽しんでいる
だからたくさんの発見がある
たくさんの刺激がある
たくさんのこととの出会いがある
たくさんのものとの出会いがある
たくさんの自分との出会いがある
そしてたくさんの生きる力を得てこの海を生きていく

イルカのルイは子供のころからだが弱かった
病気を繰り返していたのでほとんどの時間
ひとりで過ごさなければならなかった
だからみんなとも遊べず
広い広い海の世界のこともほとんど知らなかった
少しからだが良くなってみんなと泳ぐようになると
ルイはみんなの話すことについていけなかった
みんなの知っていることを知らなかった
喋ることや行動がちょっとみんなとずれていた
ルイはみんなから変わりもの呼ばわりされた
ルイは自分が劣っていると思い悩むようになった
ルイはみんなと同じようになりたいと頑張った
息をするのも忘れるぐらい頑張った
ルイは世に出るのが遅れたため
世を生き抜く技というものをまだ身につけていなかった
自分自身を覆い隠すということをしてなかったんだ
だからイルカはいろんなことを憶えていた
お腹の中にいたころのことも産まれ出る瞬間のことも
産まれたときから備わっていたもののことも
でもそんな素晴らしい宝物を持っていることをルイは気づいていなかった
とても純粋なルイはみんなと同じようになりたいと
いつもいつもフラフラになるまでがんばった
そしていつしかルイは群れのリーダーになっていた
ルイはとても責任感が強かった
からだが弱かったころいつもいつみんなに助けられた
だから自分もみんなを助けけたいと思った
私がやらなければ
誰かのためにと
がんばった
仲間が喜ぶとルイも嬉しかった
みんながルイを頼った
頼られてくるとなんとかしてあげねばと思った
早くなんとかしてあげたいと焦った
でもがんばりすぎたずっとずっとがんばりすぎた
ルイは動けなくなった
苦しくて苦しくてもう動けなかった
そして知った
みんなそれぞれが生きていく力をもっていることを
自分がいなくてもみんな生きていることを
みんなはルイが自分のためにがんばってくれていたことを知っていた
みんなルイが好きだった
だからルイが動けなくなるとみんながイルカを助けてくれた
共に笑い共に悲しみ共に苦しんで過ごした
ルイは思い出した
みんなで作り上げていくことの楽しさを
ルイは劣ってなんかなかった
みんながルイを大好きだった
ルイはいっぱいいっぱい気がついた
みんなが気づかせてくれた
比べる必要なんてないことを
みんなが同じになる必要がないことを
みんなそれぞれに素晴らしいということを
何かしてあげることなんてないことを
自分の姿を見せていけばいいということを
イルカはようやく力を抜いて泳ぐ方法を知った
いまではのんびりと仲間と一緒に泳いでる
とても優しい顔をして

ぼくの名前はトゥイッピー
人間がつけた名前だけど
ぼくは水族館で飼われているイルカだった
ぼくはいつも人間たちに怒鳴られていた
毎日「こうしろああしろ」と指示され
毎日「それじゃダメだお前にはできない」と否定され
毎日毎日
ぼくは人間世界の価値観を押しつけられてきたてきた
ぼくは人間の顔色ばかり窺うようになっていた
「ダメだダメだ」と言われ続けたぼくは自分をダメな奴だと思いこんでしまい
いつの間にか何もできないダメな自分を自分で作り上げてしまっていた
ぼくはひとの期待に応えようと一生懸命がんばった
でもそれがとてもとても苦しかった
とてもとても負担だった
何もできない駄目なぼくには
何かをやりたいと思っても怖くて行動に踏み切る勇気がなかった
自分を殺して生きている毎日
ぼくはしだいに顔色が悪くなり
肌もガサガサ
食欲もなくなり
衰弱していった
ぼくはこんな自分が嫌で嫌で仕方がない
情けなかった
とうとうぼくはもうそんな自分に耐えられなくなって
思いっきりジャンプした
高く高くジャンプした
柵の向こうに広がっている
大きな大きな海へ向かって
どこまでもどこまでも広がっている海
すべてが自分の責任
ぼくはなにをやってもいいんだ
ぼくは自由なんだ
ぼくは水族館のなかでは仲間たちの誰よりも高くは飛べなかったけど
飛ぶことは好きだったんだ
自分で考え自分のやりたいように行動するうれしさ
生きる力が湧いてくる
夢がどんどんどんどん湧いてくる
抑え込まれるのはコリゴリだ
思い切って行動を起こすようになると
自分が思っているほど世界には不可能なことなんてないことに気づいた
自分の思いこみで自分を作っていたことの気づいた
自分で線を引いていたことに気がづいた
周りのヤツらにどう思われるだろうなんてこと考えなくていいことに気づいた
周りをよく見渡してみるとみんな自分が生きるので精一杯で
ほかのことなんて見ていないことに気づいたんだ
それでいいって気づいたんだ
自分が思い切り生きればいいんだって
うまくなんてやらなくていい
体験するたのしさやうれしさ
それを感じたい
ゆっくりと息を吐き出せば自然に空気は入ってくる
ぼくはここにいる

子供のころ
ぼくは昆虫たちの近所にお住んでいた
目の前に蟻が歩き
バッタが飛び跳ねていた
学校を出て大人になると
ぼくは遠い場所に引っ越した
昆虫たちを見かけることはなくなった
住むところが無くなっていなくなったのだろうと思っていた
でも生きることに疲れはて
何もかもがどうでもよくなってしまったとき
寝転んだ草むらに君たちはいた
君たちはいなくなったんじゃなくて
ぼくが見ていなかっただけだったんだ
ぼくは距離以上に遠くの場所に行っていた
時間のこと
金のこと
ひとに自分を認めさせようということで頭が覆われ
他のものは見ていなかった
君たちはいつでもそこにいる
感じようとしさえすれば
ぼくはいつでも君たちのそばに行くことができるんだ

からだがとても久しぶりに
自分のからだへと戻った
ここ数年自分が思うスピードと
実際に動くスピードとのギャップが大きかったけど
ようやくお互いが合わさった
「絶好調~」だとかとか
「うひょー楽しいぜ」だとか言ってれば
調子は上がっていく
こころなんて
からだなんて
にんげんなんて
そんなものだ
複雑そうに見えるけど
単純なんだ

四月の文楽公演を大阪に観にいく予定なんだけど
今度はどこに泊まろうか
移動のことだけを考えれば
大阪に泊まるのがいちばん楽なんだけど
大阪はひとが多い
ひとが多いところはなかなか走る気が起こらない
自分の土地に対する価値基準は走れるかどうか
走って気持ちの良いところは良いところ
走りたいと思えないところは悪いところ
最近とにかく人ごみを歩くのがとても疲れる
ひとの価値観は
本当にひとそれぞれ
たとえば京都や奈良に向かうひとたちのなかにも
食べることなんてどうでも良くて
仏像に会いに行きたいというひともいれば
お寺なんて興味はないし拝観料を払うのがもったいない
とにかくうまいものを食べるんだというひともいる
どれが良い
どれが悪いなんてなくて
それぞれのひとがそれぞれの価値観で生きている
それでいいんだと思う
価値観はひとがとやかく言って作るものではなくて
自分自身で感じて
作っていくものなんだ

ペトロは関西人だったというお話?
『イエスの生涯』 文楽
http://www.youtube.com/watch?v=I7vtV-7z4eY

越路太夫さんのインタビュー
亡くなる前に知っておきたかった
住太夫さんも85歳しっかり観ておかなければ
4月はまた大阪に行ってこようと思う
http://www.youtube.com/watch?v=9z9Z_ZEqHOQ&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=1RW88TI8f7A&feature=related
http://www.ntj.jac.go.jp/bunraku/index.html

パンを作っている合間合間にも
からだを動かしておこうと思う
動いていれば
次もすぐに動ける
そのかわり寝るときは
目いっぱい寝る

ひとりの人間のなかには
矢印が
あっちに向いたり
そっちに向いたり
そんなふうにしてバランスをとろうとするけれど
やってみると
やっぱりひとつの方向に向かっていっているときの方がおもしろいし
ひとつの方向に向かっているときの方が実はバランスが取れている
欲張れば
いつまでたっても満たされることはない
欲張らなければ満たされる
からだが動かせるだけで俺はいいやと思うのだけど
それでも欲張りそうになったり
焦ってしまいそうなときがある
そんな時に
ひと呼吸
ふた呼吸できるようになれたらいいいな

組織は組織の一員をを守るためにある
でも組織を作っているのは人間だから
批判の矛先が向かってきそうになれば
怖くいからそれから逃れるために
一員を切り捨てる
そんなことがあることを知っているべきだと思う

大田原は2月に入ってから3度目の大雪
今回はどのくらい積もってしまうのだろう
きょうは東京の自転車野郎と栃木の自転車野郎が
店に顔をそろえた
矢板の自転車野郎は雪が降ると
夜 近くの坂に行き
ひとり自転車に乗って遊んでいるという
暗い自転車生活を送っている30歳
那須の自転車野朗は
修験者であったのにその後仕事で一発当てて
ベンツやスポーツカー グライダーを乗り回していたという
宮沢賢治が大好きな50代
東京の自転車野朗たちと栃木の自転車野朗たち
見事に体系が違うのでおかしかった
戦前と戦後の日本人といった感じだ
自転車に乗っているときは食べないという栃木のふたり
矢板の方は食べて乗るとおなかが痛くなるとのことで
那須の方はデートのときにコーヒーを自動車のディーラーに飲みにいって
女の子に怒られたという飲み食いには金をかけたくないひと
だからふたりともかなりほっそりとしている
一方東京の方はこんな感じだ
http://www.b-shoku.jp/modules/wordpress/?author=5048
http://d.hatena.ne.jp/taketchi/archive
これだけ違うと同じ自転車野朗と呼ぶのはどうかと思うので
これからは東京方をフォワグラ野郎と呼ぶことにした

自分はいろいろと襲ってくるであろう怖さから逃げるために
生きているのではないか
そう思えてしまうときがあった
怖くなかろうが
怖かろうが
攻めていく自分でいたい

突然雪が降ってきた
もうパンを作り出していたので
止んでくれと願ったけど
勢いは増していくばかり
パンは作り出したら途中で止めることができないのがつらい
店を開けるころには5センチくらい積もっていた
店は坂の上にあるのできょうはお客さんが来ないだろうと思っていたけど
思った以上に来てくれた
だけどやっぱりパンは大量に余ったので
次の日はパンを作るのをやめて
余ったパンを安く売ることにした
時間ができたので
せっかくだから宇都宮市でやっている
文楽鑑賞講座に行ってきた
鹿沼市に人形浄瑠璃をやっている奈佐原文楽座という一座があるらしく
その方たちが実演してくれた『生写朝顔日記』
人形浄瑠璃の人形は頭と右手を担当する人(主遣い)と
左手を担当する人(左遣い)それと足を担当する人(足遣い)の
3人で操るのだけど主遣いの人が足使いの人(人形遣いは足遣いから始まり
左遣いそして主遣いと段階を踏んでいく)に「はい、立つ」「はい、左に回る」
と指示する声が聞こえたり
女の人の手のはずなのに物を受け取るときにガバーッと
男の人の大きい手が出てきたりと現実に引き戻されてしまうところもあった
のだけど期待した以上に良かった
1800年くらいから一座はあったらしいのだけど
浄瑠璃を語る人が何年か前に亡くなってそれからは
CDの語りと三味線に合わせて演じているとのこと
なんとか踏ん張って生き残ってほしい

冬が自分を思い出したかのように
今月になってから雪を降らせている
やっぱり冬はこうじゃなくち
登録しておくと無料でオーロラ中継が観られます
http://aulive.net/
スーパーリアル動画中継へ行って
disconnectをクリック

この時期になると
クルミの味がちょっときつくなる
ようやく冬の温度に調子が合ってきて
いい生地ができるようになってきたのに
クルミの使用を抑えればいいのかな

久々にアイリッシュのCDを掛けた
2年ぶりくらいだろうか
このところなぜかアイリッシュを聴きたい気分になれなかった
2年ぶりにかけたCDはチーフタンズのKEVIN CONNEFF
『the week before easter』
http://www.youtube.com/watch?v=8LoR1BSLKLs
うぅ~沁みる~
KEVIN CONNEFFは亡くなったMicheal O'Domhniall に並んで
好きな
男性ボーカリスト
http://www.youtube.com/watch?v=al9-3mW6zw8&feature=related
KEVIN CONNEFFを聴いていると最近アイルランドや北欧の音楽に
はまっているNさんがCDを2枚もくれた
え~2枚も貰っていいのとうれしくなったけど
よく見たら2枚とも同じCDじゃん
「私 手元に2枚あるから2枚あげるよ」だって
4枚も同じCD買うなよ
Drakskip 『北向く風見鶏』
http://www.drakskip.net/menu.html
気合のこもったCDだ
若い男の子好きのNさんありがとう

ほしかったCDや本はあらかた買ってしまったので
今年は埋もれているCDや本を楽しんでいこうと思う
CDなんて買った覚えのないジャケットがいっぱい出てきた
あるものをちゃんと聴き込まなければもったいない
新しいのを買ったところで同じような運命になるだけなんだから

サンドバックが打てるように
上半身の筋肉も少しずつ戻ってきた
歳をとったかなと思っていたけど
寝不足で疲れていただけだったみたいだ
眠れるようになったらからだの疲れも残らなくなった
まだまだからだは若い若い
きょうも店を終えたらサンドバック一本勝負だ
犬小屋にしか置き場所がなかったのでかなり狭い場所での
ワンツー ワンツーだけど
殴る対象があると気合の入りがぜんぜん違う
コブシに伝わってくる衝撃がたまらなくうれしい
サンドバックが打てるようになったことで
他の練習も楽しくなってきた

このところ自転車でパンを買いに来るお客さんが多い
栃木の自転車野郎たちは食べている暇があったら
その分ペダルをこぐというひとたちばかりで
やせているひとが多い
最近まで引き締まったからだをした自転車乗りを見たことがなかったので
自転車こいでもやせねえんだなと思っていたけど
那須に住んでいる自転車野郎なんて半年で30kg絞れたそうだ

このところ毎日筋肉痛だ
こんなに使っていない筋肉があったんだ
でも使っているうちに
筋肉が作られていっているのがわかる
からだもあっという間に引き締まってきた
それなのに頭のなかはどうして成長しないのだろう
毎日通販のパンと取り置きのパンと店舗へのパンの補充
パンの説明と会計で頭の中は知恵の輪をやっているような状態なのに

鳥が風と遊んでいる
あっちに行ってこっちに行って
人間の子供が遊んでる
あっちに行ってこっちに行って
人間の大人も遊んでる
小麦粉捏ねて走り回って人をたたいて

こう見てもらいたいからこうする
こうおもわれたいからこうする
これほどくだらない生き方なし
これほど無駄な生き方なし
われわが道を進むのみ
おのれの目で見
おのれの肌で感じ
おのれの頭で感じ
おのれのこころで思い
こころは宇宙のようにひろがり行く
自分を否定する必要なし
自分を証明する必要もなし
この自分が自分であり
いまの自分が自分である
自分以上のものなんてだせやしない
自分が自分のことをわかっているなら
ひとの評価なんてくそ食らえ
守るべきものはもっともっと別のもの
自分を受け入れれば
ひとを否定する必要なし
ひとを憎む必要なし
自分もhappy
みんなもhappy
それがいちばん

ひとに言われたことを気にして
やりたいことをせずに後悔しても
誰も責任なんて取ってくれない
ひとは自分以外のひとに起こったことに対して
責任を取ることなんてできないのだから
金を貰ったからといって
時間は戻ってこない
ひとに何を言われたとしても
自分で選択したこと
その結果起こったことについては
自分で責任を背負って生きていかなければならない
ひとに言われたとおりにしたのだから
自分には責任がない
あいつのせいだと言ったって
できなかったという事実は消えやしない
悔やみたくないのなら
自分がこころからやりたいと思うことを
やる
それしかない

物事をどう取るかなんて
自分次第だ
悪いほうに悪いほうに考えてしまえば
怖くなって動かなくなってしまう
スイスイ スーララッタ
スラスラ スイスイスイだ
どうにだってなる
楽しみたいと思うなら
一歩踏み出す
それだけだ

悪いことが起こると
また次も同じことが起こるだろうと思ってしまう
それはきっと
また同じように傷つくことを避けるための生きる技なんだろうけど
でも日々があっという間に過ぎていく中で
自分を抑え込んでいたんじゃあまりにももったいない
楽しまなかったらあまりにももったいない
やりたいと思う気持ちがあるのなら懲りずに
何度でもやってみればいいんだ
何度傷つこうがやりたいことは
やらないよりはやったほうが絶対楽しい
生きる技なんて楽しくないなら意味がない
物語は自分自身で作っていくしかないんだ
物語はどんな風にでもつくっていけるんだ
明日はいつでもきょうとはまったく違う世界が待っている

楽しくなければ続かない
楽しくなければ伸びていかない
歩いて歩いて
休んで
また歩き出して
また休んで
また歩く
上へ上へと目指しているし
結果が出るのはうれしいけど
それだけじゃなくて
歩いていられることが
うれしいいんだ

ベルトの穴がひとつずれた
このままでは終わってしまうと思った
きょうは下半身の強化
スピードスケート選手の太ももとふくらはぎを見て
まだまだ自分の練習が足りなかったことを知ったと同時に
まだまだ能力を上げることができることを知った
ある程度まで行ったら
練習内容を変えていかなければならないのだろう
同じことだけをやっているだけでは限界がある
できなかったことをできるようにする
使っていなかったところ使うようにする
やっていなかったことをやってみる
毎日違う内容のトレーニングを取り入れてみることにする
あまり深く考えないで
いろんな動きを取り入れていけばいい
野球のバットを振るのだって
ひざを抱えて高く飛び上がることだって
きっと繋がっていくだろうから
まだまだ終われない
生きてやる

きょうは予想外に多くのお客さんが来てくれた
きのうはお客さんが4人だけだった
きょうも少ないだろうと思い込んでいて
心構えができていなかった
からだも頭もこころも反応してくれないのでとても疲れた
そして店が終わるころ
あるはずのないレーズンのパンがひとつかごの上に置いてある
? ? ?
さらに疲れがドッと押し寄せてくる
またやちまった
一秒か二秒前のことを忘れてしまうのは病気だろうか
たぶん黄色い大きな布袋の方だと思います
ごめんなさい
今度来たとき言ってください
先週は通販で送った伝票に間違った部屋番号を書いてしまい
ものすごく近くまで行ったのだけど届けられず
今年はまだ一ヶ月たっていないのに
すでに書き出したらキリがないくらい
この手のことをやってしまっている
ひとつのドジは
その何日か前にか数時間前に起こったことの
流れで起こることが多いことがわかった
ドジることも学習になる
パン作りで変なパンができてしまったときと同じで
起こってみると視野が広がる

起きてみないとわからないこと
同じことばかりやっていたら見えないこと
何かがどうしてもわからないときは
いつもと違うことをやってみる
いつもと違う結果が起こることで見えてくることがある

曇り空の日が続いた寒い寒いある日
太陽のありがたさを知る
病気でからだがだるく動くのがしんどいとき
からだが動くことのありがたさを知る
当たり前に感じていたことが
当たり前ではなかったこと
ずっとずっと支え続けてくれていたこと
感謝しなければならないこと
きっともっともっといっぱいある

パン作りを教えてほしいというひとたちが
ちょくちょく来るのだけど
パン作りは教えられるものではない
感覚的なものは伝えられないし
自分の捏ね方だって
教わったものなんかじゃなくて
どう捏ねれば
どのくらい捏ねれば
いい具合につなげることができるか
コシを出すことができるかなど
考えながら
自分が感じたように捏ねているだけで
捏ね方に正しいやり方なんてものはなくて
いまだって毎日が
ああだろうか
こうだろうかの連続だ
ぼくのやっている捏ね方は
ぼくの捏ね方であって
捏ね方は何度も何度もパンを作ることによって
自分で自分自身の捏ね方を見つけ出さなければならない
醗酵温度も捏ね上げ温度も
水の量も酵母の量も同じだ
感じたまま作ればいいんだ
感じたまま作るしかないんだ

削り落としていけば
きっと飛べるだろう
そのときの自分にとって必要な
最小限な荷物だけを背負って
大空を自由に飛びまわるんだ
風の吹くまま
気の向くまま

自分がやりたいことをやって生きたいように
ひとだってそう思っている
裏切られたと思うことがあっても
相手は自分のやりたいように生きているだけだ
だれにだってそんな自由がある

やってみりゃあ
できちゃうもんだ
使い方を忘れているだけで
ひとはみんな魔法をつかえるんだ
守ろうとすることやめて
やってみる
それだけのことで
ぼくのこころは
ドクドクドクドク
音を立てて
動き出す

生まれてから
いままでやってきたことのすべてが
ぼくの血となり
肉となり
こころとなって
ぼくの中で育っている
なんでもやってみりゃいい
やったことのすべてが
つながって
ぼくにぼくのうたをうたわせる

欲張れば
いまはどこかに飛んでいってしまう
焦っても
いまはどこかに飛んでいってしまう
安定なんていらないから
落っこちてもいいから
持っているもの失ってもいいから
いまをつかんでいたい

考えるだけは
もうやめだ
動いて
動いて
感じるもの
そっちの方が
いまぼくがほしいもの
やってみなけりゃ
わからない
見てみなければ
わからない

いまやる
先に延ばせば延ばすほど
できなくなっていく
やりたいことが出てきたら
いまやる
先に延ばさない
先に延ばせば延ばすほど
こころはしぼんでいく
先に延ばせば延ばすほど
邪魔なものが入り込んでくる

どの筋肉を使っているのか
どうすれば力がいちばん伝わるのか
力の抜け具合
重心の移動のしかた
などなどなど
意識して動けるようになってきた
おもしろい
動くことがおもしろくなってきた
人間のからだもおもしろい
もっと
もっと
からだを
感じたい

『能楽師』という映画を観た
関根祥人の動きがすごかった
これが能楽師の動きなのかと驚いて観ていたけど
最後の方で関根祥人が大学生に混じって
サッカーをやっている様子が出てきた
やっぱり能だけ舞っていてもあの動きはできない
やったことのすべてがつながっちゃうんだなあ
いま
にんげんのからだ
にんげんの持っている能力に
とても興味がある

歳をとる共に
しゃがむ姿勢が苦しくなってきた
つらい姿勢は
そのままほったらかしにしておけば
衰えていくだけだけど
鍛えればどうにかなる
スピードスケートの練習を見ていて気がついたこと
ということは
毎日毎日
同じ動きを繰り返す練習は
肉体的には楽であるということでもある
普段使っていない筋肉を使ってみたら
ほんのちょっとしか使っていないのに
次の日は筋肉痛
いいことに気がついた
nhk
ありがとう

ガクッとなって
歩き出し
ガクッとなって
歩き出し
その繰り返しだけど
確実に強くなっている自分がそこにいる
確実に成長している自分がそこにいる
逆境が逆境じゃなくなっていく感じ

生き方は
自分じゃない誰かが決めるものでもないし
占い師なんかが決めるものでもない
自分で決めるんだ
怖くても
自分で決めて
自分で責任を取っていかなければならない
ひとは自分以外のひとに対して
これっぽっちだって
責任をとることなんてできない
自分で決めたことならば
それでいいんだ
それでいいんだ
どんなことが起ころうとも
それでいいんだ
それでいいんだ
それしかないんだ

恵まれてる恵まれていないかどうかなんて
考え方次第

楽しみたいなら
自分で楽しみを作っていかなければならない
だれも楽しみは持ってきちゃくれない
それが自由ということ


一年の始まり
なんだか
いろいろあるけれど
ただいま
こころは絶好調

なかなか気合が入らなかったトレーニングも
サンドバックが打てるようになって
違ってきた

パンつくりを
極めていこうということは
感覚を鍛えていくということ

今年は早々作業場の時計が壊れ
はかりと計算機の調子が悪くなり
パソコンが壊れた
そして頼んでおいた材料がやってこず
お客さんがいっぱいやってくる三連休前に材料がなくなった
きょうは時間ぎりぎりにようやく終えた通販の段ボウルに
運んでもらった車にいっしょに積んであった灯油が少しついてしまい
集積所で大急ぎで別の段ボウルに詰め替え
そして自分のドジな数々
今年もいろいろありそうだけど
楽しみな一年のはじまりだ

落ちてもいい
落ちてもいいから
このいまを
目一杯生きる
そして落ちたとしても
やはり
いまを
目一杯生きる
いつだって
0から歩き出せばいいんだ

久しぶりにロンサムストリングを聴きに行く
http://www.linkclub.or.jp/~skri/lonesome.html
メンバーはおじさんばかりなんだけど
若い女性客が目立つ
後半ははじめて聴く曲ばかり
次のアルバムが楽しみだ
2週続けて最終に乗れず
朝帰り
きょうは長野までスピードスケートを観に行こうと考えていたのだけど
ロンサムまでに帰って来れそうもないのでやめた
岡崎朋美はすごい
自分もまだまだやれると思ったのだけど
15歳高木美帆はなんなんだ
あれだけ練習して作った太ももとおしりたちは意味をなさないのか

東京から自転車野朗たちがやってきた
10名近くの自転車乗りたちが栃木のまちを走り抜けていくのだから
見たひとたちは何事だろうと思っただろう
一日でこれだけ長い距離を移動して次の日仕事なんだからすごい
自分なんてこのところ新幹線で東京を往復しただけで次の日は動けない

3連休  火曜日から東京パルコ劇場で浜田真理子towdays
http://hamadamariko.eplus2.jp/
今回は3連休翌日から店が開けられるようにと
酵母を持っていた
寒いだろうからとカイロを入れた保冷バックに酵母を入れていったのだけど
夜酵母を見てみると発酵しすぎてドロドロになっている
カイロはバックの外側から当てたほうがいいようだ
東京に着いた日ちょうど午前中に90年前の文楽映像の上映会があったので
観に行ってきた
豊竹古靱太夫 鶴沢清六 吉田栄三 吉田文五郎
本の世界でしか知らなかった人たちが動いていた
浜田真理子コンサート初日
このひとが歌いだすと
ことばがずんずん迫ってくる
ライブにはcdでは体感できない世界がある
2日目の最後に歌った『聖歌』には電流が走った
せっかく東京に出てきたのだからと
夜は新宿pit innにこまっちゃクレズマを聴きに行くことにする
http://www.k3.dion.ne.jp/~u-shi/koma_index.html
開演まで時間があったので近くの沖縄料理のお店『かりゆし』に入ってみる
看板に惹かれて入ってみたのだけどいいお店だった 
海ぶどう そうめんチャンプル アーサー汁
シンプルな料理なんだけどどれもからだに沁みてくる 
「お酒大丈夫ですか」と空のグラスを見て聞いてきたので
「大丈夫です ごちそうさま」と言ったのだけど
「お待ちどうさま」ともう一杯出てきたのは可笑しかった
沖縄で「大丈夫か」は
お酒は足りてますか?という意味ではなくて
お酒はまだ飲めるか?という意味なのかもしれない
泡盛3杯も飲んでいい気分で『pit inn』に
ここでもお酒が出てきてさらにいい気分
こまっちゃクレズマ
スゴ過ぎる
カッコ良すぎる
楽し過ぎる
こんなすごいもの体感しているときに
途中で帰れるような強い意志をぼくは持っていない
終わったときは那須塩原行きの最終新幹線は東京駅を出発するとこだった
ドロドロになった酵母は何度もいじってやってなんとか立ち直ったのだけど
結局翌日のクリスマスは店が開けられなかった

今年はここというときに
うまくいかずということが多かった
でも
どうでもいいときにうまくいかなかったとしても
忘れてしまうだけだけど
ここというときにうまくいかないとガクッときて
そのことと向き合うことができるから
それは自分の身となってくれた
成長させるには舞台に踏むことがいちばんなのだと思った


段々距離を走れるようになってきた
体力はかなり落ちていた
ひとりの練習はなかなか気合が入らずたいへんだけど
きょうもバシバシ走ってこよう
練習するのは未来のためなんかじゃなくて
いまを生きたいから走るんだ
いまを喜びたいから練習するんだ

足りてる
足りてる
求めれば切がないし
不満だけが膨らんで見えなくなってしまうけど
喜びっていっぱいある
    うまくことが運ばないときや
    裏切られたと思うときは
    被害意識が先行し勝ちだけど
    自分自身にも要因はある
    目に見えないだけで
    そこにあるものっていっぱいある
きょうは自転車で遠出
行けないだろうと思っていた場所まで行ってみてから
距離に対する感覚が変わってきた
自分で勝手に限界ラインを引いてしまっているだけで
やってみれば結構出来ちゃうもんだ
出来ても出来なくてもやってみようじゃんか
やってみなけりゃ見えないことっていっぱいある
    そこにいなくたって
    そこを見ている
    


寝不足解消
頭すっきり
ここ何年かずっと寝不足が続いていた
パンを捏ねる時間帯がなぜだかいつも眠くなる
パンを捏ねながらコックリコックリ
足はフラフラでおっととっと
何度壁に頭をぶつけたことだろう
宇都宮への移動時間がなくなって
眠りの時間が取れるようになった
意識が飛んでしまうことがなくなり
まぶたも軽い
生まれ変わったみたいだ
窯から出てくるパンも元気いっぱい

ジムが遠くに移転になり
しばらく自主練をすることになった
3週間がたって
ようやく練習モードになってきた
店が休みの日は一日中からだを動かしていてもたのしい
まだまだ軽めの練習内容だけど
焦らないで徐々に徐々に上げていけばいい

からだが動かなくなる日は必ずくる
そのこに気づいたら
もっともっとからだを動かしておきたくなった
おもいっきりからだを使っておきたくなった
  好きなら
  やればいい
  へたくそだって
  やればいい
  続けることなんてそんなに難しいことじゃない
  やめさえしなければいいんだから
いま最高に楽しい
お金をもっと稼いだとしても
物がもっとあったとしても
どんなことがあろうとも
いま以上に楽しめるなんてことはないだろうし
たとえこれ以上の楽しみがあったとしても
そんなものはもう必要ない
このいまを大切に
これからも生きていく

行く場所や時間を決めてしまうと
どうしても先のことを考えてしまって急いでしまう
これからの人生
たとえ目的の場所に着けなくても
時間に間に合わなくても
道草を楽しみながら歩いていきたい

傷は一生背負って生きていかなければならない
そんな痛みや
悔しさや怒りや喜び
いろんなものを持ったままひとは生きていく
自分の中で解決できないものがあったとしても
生きていくことができるんだ
モグラタタキみたいにいろんなものが頭を出したり引っ込めたりするけど
歩いて行けばいいんだ
歩いて行っていいんだ
歩いていくしかないんだ

ジャム爺 ジャム婆からジャムをいっぱい貰った
いっぱい貰ったけど
もったいなくてなかなかふたが開けられない
http://sakuraconfiture.blog61.fc2.com/

天気が良かったので
自転車で馬頭のえほん美術館に行ってきた
http://ehonnooka.com/
休館日だったけど広い敷地内を散歩した
とんぼ広場 くさっぱら広場
昼寝にはもってこいの場所がいっぱいある
目を開けると10羽以上のオオタカがクルクルクルクル回っていた

不安定な道を歩くからこそ
ぼくは力をつけていく
転んでしりもちをつくからこそ
見えてくるものがある
大好きなこと
思い切りやってみよう
何かをやるのに理由なんていらない
やりたければやるだけだ
大好きなことが
あるなら
もうなにもいらないじゃん

たくさんのひとと出会い
たくさんのひとのがんばっている姿を見て
ぼくもがんばっていこうと
がんばりパワーが沸いてくる

来月からジムが鹿沼に移転するので
きょうでぼくの協栄鹿沼ジムは終了
笹崎ジム 渡嘉敷ジム 協栄鹿沼ジム
4つ目のジムが見つかるまで
しばらく自主練だ
練習時間が取れなくなっていたので
ジムと家との3時間の移動時間を練習時間に当てられるというのは
ぼくにとって大きい
毎日ジムに通っても練習時間が足りなく
体力が落ちていた
新しいジムがみつかっても
ジムへは店の定休日2日だけ通って
後は自宅で自主練にしようと思う
サンドバックを買って
あとはランニングやシャドー
そのほかにスピードや柔軟性をつける練習
反応よく動けるようになる練習
ジムへは自転車へ通うのもいい
自分の持っている能力をできるだけ使って生きる
金も使わないで生きられるなら
こころを潰してしまうような仕事のしかたをしなくて済む
なまけもののまま
生きていける
ぼくのまま生きていける

パンの作り方を変えて初めての冬
ちょっと問題が発生した
いままで通りやっていたら
小麦酵母の調子がおかしい
土曜日に続き日曜日も小麦酵母のパンがほとんど全滅
もしかしてと思いついたことを試してみたら
いい感じ
ひとつひとつ経験して
通らなければならない道を
一段一段のぼっていくしかないんだ
楽しみながらやっていこう
奈良と大阪に行ってきたら
また肩の力が抜けた
自分のペースで生きていこう
その結果お客さんが離れていってもしょがない

旅から戻り
ジムに行くと棚やらテーブルがなくている
なんだなんだと聞いてみると
来週からジムを鹿沼へ移転するらしい
勘弁してくれよ

21:20 宇都宮駅前発 高速バス
7:00 大阪難波着
今年二回目の大阪 奈良だ
栃木から来るにはかなり遠いので
もう来ることはないだろうと思っていたら
自分のちょっとしたミスで
二ヵ月後にまた来ることになってしまった
 文楽が始まで時間があったので
奈良法隆寺へ向かう
昨日旅のお供にとお客さんに貰った柿をかじりながら歩く
なんか有名なうたがあったような
柿食いね 柿食いねえと 法隆寺
だったっけ
奈良で好きな場所のひとつ東大門から中門にかけての道や広場
制服を着た中学生たちが歩いている
毎日この道を通って学校に行けるなんてうらやましい
伽藍に入ると8時の鐘がなっている
振音がこころに入り込んでくる
 大阪に戻り鶴橋をすこし歩いて国立文楽劇場がある日本橋へ
大阪も奈良も暑い
コートを着ていったけど来ていられないほどだ
劇場に入ると平日なのに結構なひと
若いひとの姿もちょこちょこと見かける
文楽素晴らしい
住大夫の声
どこから出ているのだろう
バスで眠れなかったのでおもしろいのだけど
途中うつらうつらしてしまう
その度に住大夫さんに喝を入れられた
ずっと住太郎さんを観ていたかったけど
正面ではこれまた素晴らしい人形遣いたちが動いている
うまい人形遣いが動かすと
人形たちの見せる仕草が
人間が演じるよりリアルに感じられる
でもそれは人形遣いだけの力ではなく
三味線があって
語りがあってこそのこと
そして人形の表情が動かないぶん
そこに自分の生きてきた道と自分の想像を
映し出すことができるからなのかもしれない
文楽と自分がとけて交りあって心地よくなってきたところで
終わってしまった
きっとまた観に行くことになるだろう
伝統とは
原石を
それに係わるおのおのが
磨き上げ広げて行くことなのだろう
だからただあるだけでは駄目なのだ
あるだけでは死んでしまう
稽古して稽古して
自分を磨き上げて
高めていこうとする姿に惹かれるのは
そこから僕自身が刺激を貰いたいからだ
文楽を観るのはおもしろい
でもいちばんおもしろいのは演じている本人だろう
そのおすそ分けを貰って
それを生きていく力に変えて
今度は自分が自分自身を演じていく番だ
 夜は通天閣に行ってみる
でかい
思っていたより三倍はでかいのでおどろいた
思わずエレベーターに乗ってしまったけど
高所恐怖症だった
なかなか進まないエレベーターに足がすくむ
ビリケンをさわってすぐに降りた
串揚げとどて焼きを食べた
昼に食べたカレーもそうだけどすべてが
何ていうか
大阪の味だ
 今回は奈良で2泊
JR奈良駅近くに宿をとった
2日目は奈良駅から少しだけ南に下ってみることにする
楽しみでパンを作るときより早く起き出し駅へ向かうけど
まだ電車が動いてなかった
まずは室生寺へ
すこしずつ明かりが差してきて
外の風景が見えるようになってきた
山が現れその斜面に転々と家が建っている
走りたくなってきた
今回の旅のおもな目的は文楽を観ることと走ること
このところ体力が落ちているのを感じていたので
思い切り走りたかった
室生口大野駅から室生寺まで7KM
走り出すときれいな空気がからだ中にいきわたる
途中自然散歩道があったので入ってみると
想像していたよりかなりハードな道が続いていて
うれしくなる
山を抜けると室生村があった
室生村はゆっくりとしかなりえない空間だ
おもしろい杉の木がある龍穴神社 階段いっぱいの室生寺
とてもいいところだった
こんなところだったら何Kでも走れる
帰りは下り坂が続く
電車に乗って長谷寺
それから二上山を駆け上る
そして山を背景に二つの塔が建つ當麻寺
お金を払って電車に乗って
お金を払ってお寺を観てというリズムに疲れたので
西ノ京で降りて駆ける
時間がないから
めんどくさいから
お金で何でも解決しようとしている自分に疲れる
機械を使って自分の能力以上のことをしている自分に疲れる
システムの中に飲み込まれている自分に疲れる
自分の持っている能力の中で生きて生きたい
自分の持っている能力を全快にして生きたい
人間の喜びの根源がそこにある
薬師寺 唐招提寺
中に入らなくても感じればいい
秋篠寺まで走ろうと思ったけど道がわからずたどり着けなかった
雨が降ってくる
呼ばれている割には前回も今回も雨
でもそれは人間の勝手すぎる都合
恵みの雨だ
宿に戻ってシャワーを浴びて大阪へ
ウード演奏者の常味裕司さんのコンサート
http://www.oud.jp/
前半はトルコの曲
後半はエジプトの曲
喜びも悲しみも怒りも悔しさも
すべてが混じりあった音
頭の中がごちゃごちゃになり
脳みそが宇宙へ飛び出して行く
うっとりする時間
場所は北浜の『チャクラ』
場所がみつからず諦めかけていたけど
信号待ちをしている男性に聞いてみると
その男性は知らなかったのだけど
隣にいた男性が「ぼくもそこにいくところです」と連れて行ってくれた
急に決まったコンサートだったのでお客さんは6人
その中のひとりと遇然出会えた奇跡
常味さんの名前を始めて聞いたのはパンを買い来たお客さんが
「いま隣の市でウードのコンサートを観てきたんだ」と常味さんの
名前を教えてくれた
そのときは「へー」で終わってしまい名前も忘れていたんだけど
その後イランの音楽がおもしろく感じられるようになってきて
その周辺の音楽を紹介している人たちのブログを見ていると
ちょくちょく常見さんの名前が出てきて思い出した
いつか聴いてみたいなと思っていたのだけど
ちょうど大阪に来ていた
シルクロードの終着点奈良に来ているときに
ウードの音色が聴けたのはうれしかった
いろんな出会いや出来事が絡み合って出会えたきょう
感謝 感謝
 3日目 雨
走れないので散歩をする
でかいでかい平城宮 
美しい秋篠寺の苔庭(恵みの雨)
大阪の国立民族学博物館は残念休みだった
夕方栃木に戻り
酵母をいじり一泊
宮城県角田市に向かう
紅葉を観ながら行きたかったので
各駅停車に乗る
本をいっぱい持っていったのだけど
窓の外の風景に見とれて一ページも読めなかった
4時間かかったけどそんなに長く感じられなかった
浜田真理子のコンサート
http://www.beyondo.net/mariko/
行こうかどうか迷ったけど
行ってみた
お客さんがいっぱいいたのには驚いたけど
狭い会場なのでそのぶんものすごく近い距離で
浜田真理子の声を聴くことができた
迷ったときは行ったほうがいい
行けない理由を見つけ出していくより
行かなければならない理由を見つけていけばいい
浜田真理子の歌う姿が自分の大切なことを思い出させてくれる
浜田真理子の歌が自分の大切な人たちを思い出させてくれる
浜田真理子を聴くと元気になれる
角田で一泊
朝は小雨本降りになる前に
白石蔵王の駅まで走る
途中高蔵寺にも寄ってしっかり観光もした
長い長い5日間
いろいろ感じた5日間

その一瞬はその一瞬しかない
うまくいかなかったからといっても
後戻りはできない
人生は一発勝負の連続だ
だからおもしろいし
だから輝ける
決意して
飛び込んでいくその刹那
そのなかでぼくたちは力をつけていく
  きのうのラジオの取材で感じたことだ
  自分ひとりでは限界があるけど
  出会いが何かを教えてくれ
  ぼくを広げてくれる
限られた時間や字数 空間のなかで
何かを引き出そうとした場合
欲張ってすべてを出そうと思えば
窮屈になってしまうし
たぶん受けてにはなにもうったえられない
それはきっと受け手に想像させる余地を残していないからだと思う
想像したり考える機会を奪ってはいけない
答えがズバッとあるから見えるというものでもない
想像するから考えるからそれが自分のものになってくる
それにひとによって答えは違う
いやそもそも答えなんてない
人生はすべてが想像だ
ぼくたちは想像のなかを生きている
想像することでしか自分の世界は作れない
ある一部分を見せるだけでも
そこからひろがっていき
いろんなものが見えてくる
それが想像力だ
そのままずばりを見てもなにもわからないのに
ちょっとした仕草をみて
そのままがみえてくることもあるし
現実を見せるより物語の方が方が
こころを揺り動かせてくれることもある
ぼくが来週行く予定の奈良では平城遷都1300年祭に向けて
平城宮跡に大極殿正殿を復原したりしているけど
きっと実際に復原された建物を見るより
昔と同じところに残っている礎石なんかを見たほうが
太古の昔を自分のなかで感じることができるのではないだろうか 
 能の世界では舞台の中にすべてがそろっているわけではない
能のおもしろさは受け手がそのそろっていない部分を
想像することができるという点にあるのだと思う
ボクシングでも指導者が手取り足取り教えても
選手は強くならない
自分で考え想像して練習することなしに
身になってこない

ひとつのりんごがある
そのりんごから世界を広げていくことで
詩ができる
その詩はりんごの詩であるけれど
同時に自分自身について語った詩でもある

「日本人として誇りに思う」
そんなこと言う前に
自分が精一杯生きようぜ

からだがまったく動かない
からだは正直だ
この前の5連休あたりから
なかなかリズムにのれない
自分のからだなのかと思ってしまうくらい
言うことを聞いてくれないぞ
この歳になると
練習を休んだり
楽をすると
一気に体力は落ちていく
来週の休みは
からだのメンテナンスだ
走って走って走りまくるぞ

技術に逃げるんじゃなくて
こころでぶつかっていける自分でいたい

ものごとは
やればやるだけ
おもしろくなってくる
それはやればやっただけ
いろんなことが見えてくるからだと思う
わからなかったことがあるときふっと見えてくることもあるけど
自分の弱点
自分ができないところや
自分ががわからないところといった課題もいっぱい見えてくる
見えてくるものが増えれば増えるだけ
おもしろさは増していく
わからなかったことやできなかったことが見えてきたときもうれしいけど
課題を見つけたときも
それを乗り越えていけるという喜びがわいてくる

変わる変わる
世界は変わる
変わるからぼくも成長できる

仕方ねえや
で済ますしかないことっていっぱいある
どんなにあがいてもどうにもできないものはどうにもできない
ひとのこころ
パンのこころ
自分のこころ
きょうも仕方ねえやと
いつもどおりに自分を生きていく

ああしなければならない
こうしなければならない
ちゃんとしなければならないで
がんじがらめ
ああしなくてもいい
こうしなくてもいい
ちゃんとしなくてもいい
そんな世界
豊かな世界
愉快な世界

欲張っているときには
もうそこに自分はいない
こころはふわふわどこか遠くをさまよっいている
目の前にあるものが見えなくなる
楽しいはずのものも楽しくなくなる
必要な分だけあれば
もうそれ以上いらない
大切なものはもうすでに自分手のなかにある
自分の人生ってけっこう素敵じゃん
欲張るのをやめたら見えてきたこと

今週は材料の注文を出すのが遅れてしまった
火曜日頃注文出せば間に合うだろうと思っていたのだけど
火曜日は祝日で問屋が休みだった
その日の日付もわかってないで生きてるのに
次の週に祝日があることなんてわかるわけねえや
今年は祝日が多すぎるぜ
あと二日材料はもつだろうか

ラジオの取材で振付け師の池田さんがやってきた
ひとりタクシーに乗りやってきて
すべてひとりでこなしていく
前もってきちんと勉強し
準備している
本業の振り付けもすごいけど
リポーターとしても素晴らしい
決められた時間の中で
対象となるもののなかから
何かを引き出し
光らせていく
振り付けの仕事と
どこかかぶるところがあるのかもしれない
18年もラジオのひとコーナーを担当することができるってすごいことだと思う
これだけ長く続けてこられたのには
それだけの理由がある
会ってみてその理由がほんのちょっとだけわかった

社会に合わせていたら疲れてしまう
自分のまんま
ぶつかっていかなければ
自分を広げていくことができないね
疲れたときには休めばいい
こころが何かを教えてくれるから
見えなくなっていたものが見えてくるから
疲れたら休めばいい
こころのつぶやきが聞こえるまで
生産性を上げることだけがいいことじゃないし
それだけが人生じゃない
ありのまんま
そのまんま
うそをつかずに
歩いていこう
ありのまんま
そのまんま
なんにも気にすることなく
ぼくの声で
ぼくのうたを歌っていこう

ライ麦のいっぱい入っているパンは
塩っ気のあるチーズをのせてたべるより
塩っ気のないクリームチーズや
カッテ
—ジチーズをのせて食べるのが好きだ
そこに生ハムをのせるだけでも大満足の食事になる

「これはドイツパンですか」とよく聞かれるけど
分類することはできないから困ってしまう
しいていうなら『俺のパン』だ

店を休んで
何日か出かけることもあるけど
帰ってくると
酵母の力が弱っているから
酵母を活発化させるために
少し時間が必要になってくる
それなので帰ってきてもすぐには店を開けられない
だから休みが長くなってしまうのでなかなか休めない
なんてことはなくて
休もうと自分で決めればいつだって休めるんだ
できない理由なんてみつけだす前に
飛び込んでいけばいいんだ

季節の変わり目は
パンを作るのが難しい
だけどその時期には
いろいろなことに気づく
パンを作っておもしろいのは
毎日毎日条件が違ってくるので
毎回毎回考えて作らなければならないこと
同じ配合のパンでも
出来るパンは毎日違う
同じパンを作ろうという思いはない
自分が変わればパンも変わる
ぼくは瞬間瞬間に生まれ変わる
ぼくはいまを生きている

ぼくにとって
音楽は生きていくのにバランスをとってくれるものであり
ぼくを作り上げてくれるもののひとつでもある
だからなくてわならない大切なもの

ミスしたり
うまくいかなかったりすると
ガクッと来るし
苦しくなるであろうところ
フラフラになるであろうところに
入っていくには勇気がいるけど
それでも
攻め続けていこうと思う

何でもかんでも
数値化して
それを判断の基準としようとするけど
大切なものは
数値化できない部分にある

歳を取ればとるほど
練習をしなければならない
練習しなければ
すぐに落ちていき
それはすぐにからだの動きに現れてくる

興味あるものあったら
ドバッと
入っていき
うぉりゃーと
駆け回る
そんなふうに
明日のことなんて
考えないで
素っ裸で
生きていきたいと思う

駅に早めに着いたので
待合室で本を読んで待つ
電車の時間を間違えていた
下りの電車が来たのだと思っていたけど
上りの電車だった
家に帰って20:30少し布団に入る
24:00ころ酵母をいじってやらねばならないのだけど
起きると4:00
今年は祝日が多すぎてリズムが狂って疲れてしまった
仕方がないのできのう作ったパンを店に出し無人販売にして
東京に能楽を観に行く
おもしろそうな演目だったのだけど
当日券を観て日にちを間違えていたことに気づく
18日だと思っていたのだけど
きょうはもう25日だった
観ていた公演は
まったく違う演目だし
流派も違うものだった
でもいい自分の計画を超えたところにおもしろさがある
広がりがあるのだ
この前『こと葉』の主がパンを買いに来たのだけど
このひとは自分以上に抜けてるなと思ったが
自分もその領域に入ってきてしまったようだ
能はまだまだわからないことだらけだけど
生で観てみて見えない部分に厳しい稽古があるのだろうなと思った
自分もまだまだがんばらなければ
能楽や文楽古典芸能の世界では
芸が身についたりわかってくるのは60を過ぎてからだと言われている
ジムに行くと自分はかなりの高齢だけど
まだまだ青い
ボクシングだって60を過ぎてからだ
60代をピークに持っていけるようにやっていこう
そして好きである限り
ふらふら
ぼろぼろになっても
続けて生きたい


思いの力のすごさ
思っていればいつかはできてしまう
それは思いには行動が伴うからだ
それが思いの力の正体だ

シルバーウィークの頃から咳がでだした
3年前に気管支炎をやってから
寒くなると咳がでるようになってしまった
去年は症状がまったくでなかったので完治したかなと思っていたけど
自分の場合ストレスがたまるとどうも具合が悪くなるらしい
去年はストレスを減らすことに成功したけど
社会の中で生きていると
気をつけておかなければ
いつの間にか社会の空気に飲み込まれてしまう
気がつくと店のオープン予定時間までに
パンを間に合わせようとしている自分がいた
あわてたり焦れば
ミスという形でパン作りに出てくる
あわてたり焦れば
ぼくはそこにはない
おもしろさがない
虚無感
こころを時計の針の動きに合わせることはできない
パン生地を人間の都合に合わせることはできない
去年を思い出して
また弛めてみた
咳が止まった
からだが楽になった
こころがよろこんだ
パンもよろこんだ
息を吐いて
肩の力抜いて
のんびりやろうや
一歩一歩あるいていくしかないのだから

教えるということは難かしいことだ
自分の考えを押し付けることで
そのひとの芽を摘み取ってしまうことだってあるのだから

いま見える風景がいまの自分
いま聴こえる音楽がいまの自分
いまみえるひとがいまの自分
目の前にあるものすべてがいまの自分

いい音楽は
自分のこころに刺激を与えてくれるもの
だからいい音楽というものは人によって違う
それにひとは瞬間瞬間に変わっていくものだから
いい音楽もそのたびに変わっていくのだと思う

苦労しないように
苦労しないように
ひとは求めてしまうけど
苦労ないところに広がりはなし
自分で苦労を選択して歩いていく
怖くても
歩いていく
ニーッとほっぺを上げて入っていく
怖さは入っていくことでしか克服できない
苦しみは乗り越えることでしか消えていかない
ものごとはこなすことで見えてくる
自分のできないところも
自分の欠点も
いろいろやってみることだ
自己を確認しなくては自分のものにはなっていかない
ぶち壊して
ぶち壊して
探し物を見つけながら生きていく
ものごとは触れてみなければわからない

あの人が言っていたから
みんなが言っているから
TVでやっていたから
そんなんじゃなくて
判断は
自分ですればいいし
しなければならない
判断できるちからをもっているんだ


欲張らなければ
ものごとが見えてくる

目の前のことをたいせつにすること
それがすべて

文楽の開演時間も間違えていることに気づいた
14:30に始まると思っていたのだけど
それは終了予定時刻で始まるのは11:00だった
新幹線の始発で行っても間に合わない
自転車野朗の長老たちは
高速バスや大阪のドヤ
まったく平気だよ 疲れないよと言っていたけど
この人たちとは神経の作りが違っているので
真に受けると痛い目に合うから聞き流していたのだけど
高速バスで行くしか方法がなくなってしまった
怖さは入っていくことでしか克服できない
苦しみは乗り越えることでしか消えていかない
こなしていけば慣れてしまうのかもしれない

このところ古いものに惹かれる
昔のひとにはパワーがあった
それを超えるくらいぼくも生きてやる

持っている洋服は
穴が開いたり
真っ黒だったり
ほとんどが15年20年前に買ったものだ
それでも問題なく生きていける
自分を磨けば
飾りはいらない

古本屋で
ほしかった本を
いっぱい手に入れた
探していればどこかで見つかるもんだ
本に答えは書いていないけど
自己を確認させてくれるし
やる気をくれる
探し物は自分を生きる中で見つけていけばいい
自分のいまは自分で作り出すことができる
自分のいまは時分で作り出さなければならない
楽しむも楽しまないも自分次第だ

世界のいろいな音楽を聴いていると
日本のことが知りたくなった
いろんな国の音楽を聴いているけど
その国のことはまったく知らないことに気づいた
いまはいろんな情報が入ってくるけど
それはかなり一面的なものや
一方的なものであってそれだけをみていては大切なものが見えてこない
見る人は自分の見たいように見るし
聞きたいように聞く
自分の物差しでしか判断することができない
ひとが情報を流すときは受け取る側が喜びそうなものだけを流すこともあるし
損得勘定をして流すこともある
そこに触れてそこに暮らしていなければわからないものだらけだ
日本に暮らしていて日本のことを知ろうとしない自分
触れてみるとものすごい世界がそこにあった
気がついてよかった

できないことをできるようにする
新しいことをやってみる
そこで発見があって
広がっていける
脳が以上に発達してしまった人間にとっては
それが生きがいになる

動かなければこころが
沈む

自分をだいせつに生きる
そると
同時に自分以外のものもたいせつになる
自分が自由になるということは
同時に人も自由になることだ

自分が変わることで
パンも変わる
探し物を見つけるたびにぼくのパンは変わっていく
自分を広げていくことは
ぼくの永遠の課題なんだ

伝統芸能の世界に生きるひとたちに惹かれた
厳しい稽古
能楽や文楽には型があるけど
そのなかにも自由がある
その部分おもしろい
その部分に人間味を見ることができる
型があっても自分の考えで動かなければならない
それぞれの演者の考えがぶつかり合って
演者の考えを超えた世界が広がっていく
まったく駄目なもののときもあるし
奇跡が起こるときもある
そこがまたおもしろい

自分の想像を超えたところにおもしろさがある
自分の思いを越えたところにおもしろさがある
自分の計画を超えたところにおもしろさがある

竹本住大夫
はじめて聴いたときは
声が悪くてあまりピーンと来なかったけど
聴いているうちに好きになっていった
声とは別のなにかがある
住大夫の思いがこころを響かせた
http://www2.ntj.jac.go.jp/unesco/bunraku/jp/video.html

文楽に惹かれたのは吉田簑助の操る人形の動きを観てから
http://www2.ntj.jac.go.jp/unesco/bunraku/jp/video.html


流れになかなか乗れないときというのは
ガクッとなって次の波を見ていないときだ
ガクッとなることはたいせつだ
そのときしか見えてこないものがある
結局ひとはどんな状況であれ
歩き出さなければならないのだから
探し物が見つかったらすぐに次の波に乗れるように
波を見続けていた方がいいと思う
こなしながら力をつけていく
なにかを極めようと思えば
ひとは一生では足りないくらい
学ぶことがいっぱいある

このところぼくを惹きつけてくるものは
シルクロード
ぼくのからだに結びついている一本の糸を引き寄せると
シルクロードがやってきた

寝るときは布団に入りながら
緊張感が感じられる音楽を聴く
能楽の囃子だったり
イランの古典音楽だったり
聞き終わった後にフッとリラックスできる

文楽を観てみたいと思った
あの人形の動き
浄瑠璃もたのしい
三味線もすごい
でも人形を見ればいいのか
太夫を見ればいいのか
三味線を見ればいいのか
こまっちゃいそうだ
やりたいと思ったらすぐやるべし
やりたいと思ったときがはじめるときだ
さっそくチケットを取った
う、。。。。。。。。。
国立文楽劇場って大阪ジャンか
思わぬところの先には
思わぬことが待っている
行ってみよう
楽しくなりそうだ
決まったことをやるだけでは
決まったことしか起こらないけど
行き当たりばったりはぼくの世界を広げてくれる
思わぬ出来事が人生を楽しくする
今年2回目の大阪行きだ
教訓 チケットを買う前にやる場所は調べておこう

現状に不満が出てくるときは
緊張しているとき
緊張が続いて疲れてしまったとき
そんなときは緩めてやるしかないと思う
ハッーと息はいて肩の力抜いて

止まってしまうと
なかなか
動けなくなるけど
動いていれば
次もすぐに
のっていける

中にいるときは見えないけれど
外から眺めると見えてくるもの
いまは見えないけど
時間が経つと見えてくるもの

必要以上のお金があっても
ぼくには使い道がない
それよりぼくは楽しみたい

怖さはある
それは当りまえ
その怖さとどう付き合うか

作っているものにとっては
自分の作っているもの
目指しているものが絶対だ

明日台風が来たら店を休みにしようと思っていたけど
関東地方にもっとも接近するのは朝からお昼頃とのこと
この店はオープンが16:00ころだから
かすりもしねーや

近所のSちゃんに青唐辛子の醤油漬けをもらった
押しライ麦を使ったパンに乗せて食べたらうまかった
お客さんにも配ったらみんな感激していた
押しライ麦のパンもようやく水の量が決まってきた

埼玉に住んでいて
いま毎週大田原の実家に帰って来ているNさん
来週家のすぐ近くでスウェーデンのダンスパーティと演奏会があるんだと言っていたのでノルディック ノーツのHPを
http://homepage3.nifty.com/nordic-notes/
見てみたけど情報が載っていなかったので
検索をかけてみた
なんだ 森さんのブログに書いてあるじゃん
http://blog.livedoor.jp/ymp1/archives/cat_50013144.html
日本はすごい
どこの国の音楽だって聴けてしまう
Nさんはまだスウェーデンの音楽は聴いたことがないというのに
宇都宮の新星堂で1000円で買った
マリア&カリーナ『エングラー~天使の想い』のCDを店でかけていたら
入ってきた瞬間にこれもしかしたらスウェーデンの音楽?と
当ててしまったすごいひと
生で触れてどんなことを感じるだろう

冷蔵庫に入っていたレタス キャベツ ソウセイジを
小春日和(ライ10パーセント)にはさみ ケチャップ からしを
かけて食べた
おっ!これってホットドックじゃん
ホットドックの癖にうまいじゃん

あっという間にできたものは
あっという間に消えていく

しばらく楽をしたら
からだが楽をしちまいやがる

毎日の生活の中で
当たり前と思えていることっていっぱいある
でも当たり前と思っているときは感謝の気持ちを忘れているとき
当たり前と思っているものの中に
自然の織りなす奇跡
ひとの悲しみや辛みや思いが詰まっている

大好きなことをやるために
いままではあれもこれもの欲求を努力して抑えていたけど
いまではあれもこれもの欲求が湧いてこない
大好きでやってきたものが年々おもしろくなってきてしまったから
もっともっと大好きになったから
あれもこれもの欲求に魅力を感じなくなってきた
魅力を感じたとしても
もうぼくには時間もなくなってきたし
あれもこれもやれる体力も残っていない
欲張っているときは
自分のやっていることに
足りなさを感じていたけど
欲張ってみなければ
オレっていい人生送ってる
素晴らしい人生を送っている
あれもこれもっていっぱい求めたけど
この歳になると
求めているもののほとんどが
いまの自分に必要ないものだということが
わかってくる
もうこれ以上に大好きになれるものは出てこないという確信がある
あとはとにかくやるだけだ
simple and open
ひとのすごさが ひとの生きている姿がぼくに奮起の歌を歌って
ぼくに力を与えてくれる 
風や植物たちがぼくに子守唄を歌って
ぼくの疲れを抜き取ってくれる 
もっとうまくなりたい もっと強くなりたい もっとわかりたいという思いが
ぼくにぼくの歌を歌わせて
ぼくを突き動かしてくれる

ひとは日々殻を破って生きている
過去のオレは過去のオレ
いまのオレがいまのオレ

ジャム爺とジャム婆がやってきて
ジャムを置いていった
今回はいっぱいある
シークヮーサーのジャム
ブルーベリーのジャム
バレンシアオレンジのジャム
すもものジャム
酸味がありジューシーなジャムはライ麦パンにピッタリだ
パンに染込んだジャムが噛み締めると
口いっぱいに広がっていく
これから日光の山を歩いてくるといっていたから
ジャムの材料でも探しに行ったのだろうか
ふたりの手にかかれば何でもジャムになってしまう
にんにくとぶどうのジャム
岩魚とサルナシのジャム
近い将来
皆さんも食べられる日が来ると思いますよ

5連休初日
4:10起床
3:30に起きるつもりできのうは22:00に寝たけど
起きられなかった
よく寝たので
頭がすっきり
目もしょぼしょぼしない
疲れもとれた
やっぱり睡眠は大切だ
睡眠不足が続いていたので
こんなに良い状態なのは何年ぶりだろう
連休初日はいつもそんなにお客さんが来ないのだけど
なんだかいっぱいパンが作りたい気分なのでいっぱい作ってしまった
 頼んでおいた材料がやってこない
問屋が5連休に入ってしまったので
きょう来なければ到着が6日後ということになる
あしたの材料もないのにどうしようかとドキドキする
午前指定なので12時までに来ないときょうの配達はないということ
諦めかけていたところ12時10前に黒猫のトラックが横付け
体中の力が抜ける
 2:30から近くのお寺で牧岡奈美のコンサート
時間に間に合うようにと早く起きたのに
山形の食パンだけがなかなか発酵してくれない
自転車のタイヤに空気を入れ
チェーンに油を差しすこしでも早くつけるように準備をしておく
2:30ぴったりに焼きあがり
自転車に飛び乗ってひとや車を掻き分けて会場へ
500円払って中に入るとまだ唄は始まってなかった
お客さんはほとんどすべて60歳以上のひとたちで
若いひとがまったくいなかった
1部は島唄
素晴らしい声をしている
息が途切れることなくどこまでも伸びていく
うらごえが響き渡る
波音を聴きながら大空の下で聴いてみたい
2部はカラオケ大会化してしまい一気に盛り上がっていた気分が
下がってしまったけど
来て良かった
途中で抜け出さないといけないかなと思っていたけど
向こうも新幹線の時間があるとのことで早く終わる
急いで店に戻るとなまけもののパン屋に来るひとしか
使っていないんじゃないのかという噂のある
西那須野町観光協会の自転車がとめてある
川崎市のHさんだ
道に迷い迷いようやく到着したらしい
帰りも逆の方向に帰っていった気がしたけど
無事西那須野駅に到着しただろうか
疲れた一日だったビールを飲んで眠る
最後にランニング
長い長い一日だった

頭がボーっとする
足がガクガクする
ジムへ行って汗を流し
にんにくとしょうがととうがらしをバクバク食って
酒を飲む
体がポカポカしてきた
いい感じだ
いまのぼくを止められるものは
何もない
どんな壁にぶつかろうが
どんなに無様に見られようが
関係ない
ぼくは突き進む
ぼくの思う道を

極めようとした人たち
極めようとしている人たちの
姿を感じたい
それがいまのぼくを支える力となってくれる
ぼくを突き進ませるエネルギーとなってくれる

才能あるなしなんて関係ない
いかに自分自身と戦うかだ

昔はいろんな誘惑に負けてしまっていたけど
いまはいまの自分に必要ないものがわかってきた
もう自分にはこれしかないというものがわかってきたら
脅迫観念がなくなった
残りの人生を考えたら
もうわずか
怖がるものなんてない
もう他になにもいらない
最後に思い切りぶつけていく

街中旧中心地を走っていると
あるお店に島唄コンサートと書かれた
小さいポスターが貼られてあった
へーッと思って見に行くと
奄美の牧岡奈美じゃないですか
一度生で聴いてみたいと思っていた
きのう貸していた彼女のCD「シツルシマ」が返ってきたところだ
会場の龍泉寺もポスターを見る前に鐘を叩いてきたところじゃん
普段行くことなんてないのにきょうは走っていたらそこに出てしまった
導かれているのだろうか
当日早めに焼きあがったら一、二曲でもきけたらいいな
9月19日(土) 14:30~
会場  大田原市 龍泉寺(光真寺隣)
なまけもののパン屋から自転車で10分かからないところです
チケット500円
http://www.youtube.com/watch?v=xHzyCop684Y&feature=related
(奄美ナイト六本木島唄楽園ライブより)
お近くの方は行って損なし

去年は風邪なんて全く寄り付かなかったのに
今年は風邪がまとわり着いてくる
まだ本風邪までは行っていないけど
薄着で出かけてしまうところがあるので
気をつけないといけない

ビートルズのリマスター版アルバムが発売された日
頼んでおいたCD『能楽囃子体系』がやってきた
ちょうどぼくが生まれた年に録音された能楽囃子
最強のマスターリングアルバム8枚組
34人の演者のうち半分近くが人間国宝
このアルバムはすごい
ビートルズにも負けてない素晴らしいアルバム
でもこのCDの本当の素晴らしさは何千回何万回と聴くことによって
わかってくるのだろうな
良いと思ったものには
飛び込んでいく
ずっとそうだったのだと思う
飛び込んでいったからこそいまのぼくがある
飛び込んでいったものが
飛び込んでいったことが
ぼくの生きるを作っていく
僕自身をつくっている

楽しみはもうすでに自分のすぐ目の前に
充分すぎるほど漂っている
あっちもこっちも
あれもこれもと目移りしていたけど
欲張ったところで自分のなかに取り入れられる楽しみは限られている
欲張れば欲張った分だけ
その付けが回ってくる
飽和状態になればはみ出された楽しみは悪魔となって
ぼくをそそのかし
ぼくを操る
ぼくの中にあった楽しみももっていってしまう
ぼくは自分にとって本当に大切なものを見失う
悪魔はどんどん力をつけていき
ぼくだけでは飽きたらず
ほかのものにも手を下す
ぼくが弱り
地球が弱り
世界が弱る

先週は塩の量を間違えたり
おつりを間違えたり
自分の駄目さにガクッと来るけど
それでも生きていくしかない
続けていくしかない
それなら暗い気持ちでやっているより
楽しんでやっていこう

いまは行動したい
言葉なんかではなく
とにかく行動したい
動きたい
感じたい
いま自分の生き方はとてもシンプルになっている
必要ないもののことは頭に浮かんでこない
どうでもいいやということが増えてきた気がする

久びさに山に行きたくなった
免許を持っていないので
電車で行かなければならないのだが
電車で行けば始発に乗ったとしても
山に着くのは8時とか8時30分
いまの時期では明るいうちに山を降りてくることはできない
それが山に行こうとするときのネックになっていたのだけど
自転車で行けばいいということに気がついた
なんでいままで気がつかなかったんだろう
なんだなんだ
出発は4時
目指すはもちろん日光女峰山
そして朝の4時
起きられなかった
目覚めは7時30分
犬を散歩し酵母をいじって
出発は8時過ぎ
それでも乗換えや向こうに行ってからの足にことを考えれば
電車で行くより早く着くだろうと自転車で行くことにする
矢板に着くと看板に日光市街まで28KMと書いてある
楽勝じゃんと思っていたら
日光の入り口今市市街までが28kmということだったらしく
東照宮などがある所まではさらに10km
上り坂が続いたこともあり
これにはかなり堪えた
山に着く前に食糧を買い込む
いつも山に入ってすぐにか
入る前に食べつくしてしまうので
今回は大量に買う
10時30分には着くだろうと考えていたけど
山に着いたのは11時
夕方までに帰って来れそうもないので
山歩きからランニングに切り替える
先週はランニングがあまりできなかったので丁度いい
二荒山神社の辺りから山のかなり上の方まで続いている
舗装された道を駆け上る
おにぎりと水が重い
道が途切れたところで山に入る
さっそく猿のお出迎え
下を見ると予想以上に高いところまで上ってきたことがわかった
普段使うことができない能力を使うことができる
やっぱり山はいい
進む道進む道
岩壁に阻まれなかなか上に行けない
雲竜滝が真正面に見えるところでおにぎりを食べる
水がなくなったので沢に降りられるところを見つけてすべり降りる
水面に顔をつけて水を飲む
うますぎる
上に進むにはこの沢を登っていくしかなさそうだ
時間がわからないのできょうは降りることにする
舗装された道に出てまた駆け下りる
下っても下ってもまだ坂が終わらない
よくこんなところを上ってきたなと思う
もう足がいっぱいいっぱいなところで
出発地点に到着
午後4時
今回は一回転して沢に落ちたくらいで
あまり痛い思いをすることなく
楽しく遊ぶことができた
帰りの自転車は下りが続いたので
かなり楽だった
途中船場亭でうなぎを食いちぎる
川霧温泉にも寄っていこうかと思ったけど
このまま帰ればジムの時間に間に合いそうだったので
寄らずに帰ることにしたけど
さすがにきょうは行けなかった

奈良の闇に響いた
大鼓と掛け声の音が忘れられなくて
思わず能楽囃子のCD8枚組を頼んでしまった
店ではしばらく「ホーッ」とか「ヨーッ」とか「カーン」とかの音が
響き渡っているかもしれない

いま人生が最高に楽しい
いまだけじゃない
これからもずっとそうだ
楽しめるかどうかは
自分で決められるのだから
どんな状況であれ自分で決められるんだ

きょうはいつもの1917(山形食パン)と
バゲットに近い1917の2種類を作ってみた
良い膨らみだったので
どんな味だか食べたかったけど
全部売れてしまった

暑くなってきたら
パンの出来がよくなってきた
変なの
うまくいかなかったたくさんの経験が
いまぼくの力となっている
去年はボロボロだったけど
それがいまはぼくの力となっている
続けてきたからこそのこと
きのうのライ麦60を食べた
いい舌触り
この前気づいたことが
大きく出来に影響している

スパーリング
きのうのスパーリングは連休明けでまったく動かなかったから
きょうはきのうの疲れも残ってるしもっと動かないだろうなと思っていたけど
動いた
きのうは人間のからだは思った通りには動かないものだなと思ったけど
きっと調整していけば思ったように動くようになるのだろう
楽しすぎる
どうしても肩に力が入ってしまうので
きょうは左手を下げてみた
スピードが出る
いい感じ
しばらくこれで練習してみよう

このところ連日鼻を打たれて
鼻が痛い
この痛みを乗り越えて
花を咲かせてみせようぞ

夕方河川敷を駆ける
風が気持ちいい
自転車野朗たちが言っていたように
空も風ももう秋だ
からだを動かせる喜びを噛み締めて
一歩一歩踏み出していく
苦しみが喜びに変わる
もうほかにはいらない
一歩一歩がぼくの力になっていく
自転車野朗たちは相変わらず食べている
きょうはカキ氷を3店舗も回って食べてきたとのこと
http://d.hatena.ne.jp/taketchi/200904
最近食べるばっかりであまり自転車に乗っていない
ここには始めてきた頃はいまの2倍くらい乗っていた
だからいまでは今市から乗ってきただけで
驚いてやらなければならない

佐久山花火大会
このあたりからでも
かなりしっかり観られることがわかった
今年はランニングしながらの鑑賞

店を始めて10年目に入った翌日
自分にとってはものすごいことに気づく
かなりのパンを駄目にしたけど
いきなり10歩くらい進んでしまった
気づいてみればなんてことはないのだけど
そんなもんだ
パンを作った数だけ欠けらは埋まっていく
作る回数が増えればうまくいかない経験も増えるからだ

ぼくはぼくをつくっていく
ぼくはいまでもぼくだけど
瞬間瞬間にぼくは別の新しいぼくになっていく
瞬間瞬間に生きていることを感じたいからぼくはボクシングをやっている
生きていくためにぼくはボクシングをやっている
やるほどにおもしろくなっていく
くやしいことがあるたびにおもしろくなっていく
それは何年たっても
何十年たっても変わらない
だからいまが一番おもしろい
段々ほかのものがいらなくなってきた

帰ってきて早々スパーリング
先週に続き金田ジムから出稽古
かぜぎみだったけどスパーリングをしたら治ってしまった
先週よりちょっと良くなった
すこしずつ 技術 こころ 体力 を修正していけばいい
押し合いをすると腕の力が入らなくな
相手の体重の方が重いからしかたないで済ませることもできるけど
そうすればそこで終わってしまう
しかたないで済ませなければならないことはいっぱいあるけど
がんばればどうにかなるものもいっぱいある
ひとの気持ちや意思なんてどうにもできないけど
自分のことだったら変えられることはいっぱいある
相撲トレーニングだ
まだまだ強くなってやる

ひとにどんな態度をとられようが
どんな状況であろうが
やるべきことはいっしょ
自分自身を生きること

髭を剃るとしゃきっとするけど
夏はしゃきっとしたくない気分なので
あまり髭を剃らない

新幹線の指定席券を買った
お盆前だし悠々行けると思っていたけど
もう大きな会社は夏休みに入っているという
指定席券を買ったからには
電車の時間までに駅に行かなければならない
朝早い電車なので前日までに旅の準備しておかなければならない
計画立てたり
準備することが苦手なので気が重い
ジムから帰ったらすぐに明日準備をして早く眠ろうと考えていたけど
大雨で電車止まる
30分駅で待って
振り替え輸送の新幹線で那須塩原駅へ
そこから自転車が置いてある西那須野駅まで走ることに
12:20帰宅
2:00睡眠
5:15出発
今回持ってきた本はいまの自分にぴったり
旅の間中読む
10:15大阪到着
大阪の街をブラブラする
暑い
奈良 薬師寺へ
駅を出ると人がいないのにびっくりする
入り口でおばさんが拝観券とお食事券くれた
そのお食事券でご飯を食べていると別のおばさんが
お茶を入れてくれた
奈良公園へ
ブラブラしたけど
このあたりはあまり好きになれなかった
東大寺でイベント
東大寺の僧侶による声明から始まり
能楽
アゼルバイジャンの古典音楽
中国の昆劇と続いていく
このあたりは高い建物がないので空が広い
その空を
僧侶
野村万作
アリム・カシモフ
張継青たちの声が突き抜けていく
最高
来てよかった
観にいきたいなと行っていた人も
栃木から子連れでやってきていた
スーパー銭湯に泊まるといっていたけど
泊まれただろうか
行きも帰りも青春18切符すごい
奈良の宿が取れなかったので大阪 難波へ
ものすごい人の数
なんだこれは
きつねうどんを食べる
甘い
さっき奈良で食べたうどんは薄味で美味しかったのにと
がっかりしたけどきつねうどんとはこういう食べ物なのかもしれない
ぐっすり眠ろうと思ったけど本を読みはじめたら眠れなくなる
寝不足のままランニング
朝帰りのひとの多いこと
大阪城をグルグルしていたらホテルの方角がわからなくなる
雨が本降り
ずぶ濡れのまま2時間走る
奈良 法隆寺へ
まずは腹ごしらえ
塩うどんの旗を見つける
またまたうどんだ
うまい
うまい
何杯でも食べられる
たしか屋号は「志むら」
法隆寺の中に入る
中門の柱の美しさにいきなりガツーン
回廊を歩く気持ちいいのでぐるぐる回る
5周位してしまった
塔もすごい
よく観て歩くと
作られた時代や修復された時代によって
作り方が違っていておもしろい
飛鳥時代のものは無理のない作り方
無理のかからない作り方
だからこれだけ永く存在,しているのだろう
法輪寺にも行ったけどもうお腹いっぱいだ
もう入らない
ホテルに帰って本を読むことにする
難波地下街の立ち飲みのお店で軽く飲む
最終日は雨
強くなりそうなので早めに帰ることにする
那須塩原の手前で持っていた本がちょうど読み終わる
おもいきって行ってよかった

また鬼怒川の『船場亭』に行ってきた
一度行って道を覚えたので
この前行ったときよりも近く感じた
今回は鹿刺しと
うなぎをまるまる串にさして塩焼きにしたうなぎまむし焼きを食べた
鹿刺しはこんなにうまいものなのかとびっくりした
うなぎも炭でじっくり焼かれているのでホクホクしてうまかった
帰りは太陽が出てきてかなり暑くなりのどがカラカラ
中国茶のお店『メイクイ』で冷たいお茶をガブガブ飲む
店には店主のお友達で今週大田原で開かれる「与一祭り」で
蕎麦屋を出店するという福島の女性佐藤さんが来ていた
その佐藤さんが外で祭りのときに使う看板を作っていると
男性が現れて「このあたりになまけもののパン屋さんはありませんか」と
尋ねられた
男性の名前も佐藤さんと言い
益子でパン屋さんをやっているとのこと
しばらくいっしょにお茶を飲む
こんなことがあるんだね

宇都宮にある別のジムの選手が出稽古にやってきた
一週間前から言われていたけど
練習不足であったため
とにかくダッシュを繰り返した
相手はブンブン振ってくるファイター
まだ若く勢いがある
相手と同じように打ち合い押し合いしていたら
さすがにバテタ
軌道修正する前に力尽きた
練習不足
スタミナ不足
スパーリング不足
技術不足
これがいまの自分の力
悔しいけど力は出し切った
悔しさがあるのは
まだ力がつけられるという確信があるから
悔しさはぼくにやる気というエネルギーを与えてくれる
もっともっと動きたい

週末から奈良に行くことにした
土日だし遠いし交通費も高いし
行くかどうかなかなか決められなかったけど
宇都宮から大阪京都まで高速バスが出ていることを知り
行くことに決めた
でも行くと決めてから
考えが変わって決め手になった高速バスをやめて
新幹線で行くことにした
バスに10時間はさすがにつらそうだ
どこでも眠れる人間ならいいけれど
絶対眠れないからね
奈良に行く一番の目的であるはイベント
アゼルバイジャンの古典音楽
京劇
狂言とかなり渋いlineupとなっているので寝不足でいくと
居眠りしてしまう恐れがある
予定は2泊
奈良はいっぱい見るところはあるけれど
今回は薬師寺と法隆寺
それとイベントがある東大寺周辺をゆっくり見て歩こうと思う
http://www.toukae.jp/event.html
こんなのもやっているので時間があれば行ってみようと思う

夏はニンニクだ
毎日バクバク食っている
食べる年と食べない年では
体調がぜんぜん違ってくる
ニンニクを毎日食べれば
夏のだるさなんて吹っ飛んでしまう

怖さといっしょのところに喜びがある
怖さの向こうに喜びがある
そして
怖さに飛び込んでいける喜び
打たれてもいい
思い切って飛び込んでいく
たとえ倒されたとしても
ボコボコにされたとしても
気持ちだけは絶対負けない
打って打って打ちまくってやる
楽しみだ
楽しみだ
恐怖のなかへ飛び込んでいける機会
強くなれる機会
ぼくがぼくになれる瞬間
楽しんでこよう
スカッと爽やかオロナミンC
そんな顔でリングから降りられるように

これからも
楽しみまくって生きてやる
どんな邪魔が入ろうとも
ぼくには通用しない
苦しみも悲しみも
乗り越えようと思った瞬間
楽しみに変わる
ぼくは乗り越えようと思える力を持っている
どんなものがやってこようとぼくは僕自身を生きる

ひとりだからこそ感じられる楽しみがある
ふたりだからこ感じられる楽しみがある
たくさんだからこ感じられる楽しみがある
ひとりだからこそできる生きかたがある
ふたりだからこそできる生きかたがある
たくさんだからこそできる生きかたがある

いい指導者の条件は
そのひとの持っている力を信じること
そして待てること
これは指導するひとと
指導されるひととの関係だけでなくて
あらゆる関係で言えることだと思う

連休や雨降りで
トレーニングがあまりできない日が続いている
スパーリング
いくら頭で思い描いても
練習しなければ
からだは動かない

戦争が起きて
特攻隊に行って来いといわれても
そんな命令には絶対従えないし
部活の先輩に理不尽なことを
されそうになれば
その相手をぶちのめすだろう
法律だろうがなんだろうが
納得できないものには従わない
なんでもかんでも受けいれりゃあいいって言うものではない
傷つくことから身を守るなんてことは
もうどうだっていいことだけど
自分がやろうとしている思いを邪魔するやつにはとことん抵抗する
だって自分の大切な思いを最後まで守れるのは自分しかいないのだから
自分が守るのをやめてしまえば
残るのはむなしさだけ

「いまオレは生きてるぞ~」って思えているなら
もうなにもいらない
何が降りかかってこようとも
問題じゃない

次のことを考えちゃうと
焦っちゃって
集中できなくなるから
楽しくない
一日の中で
やろうと思っていたものが
ひとつでもできたらもうけもの
いまやっていることができれば
きょうはそれだけで終わっていいやと思えれば
いまを最高に楽しいものにできる

思わぬハプニングには
思わぬ発見がある
自分の想像を超えた
自分の限界を超えた
発見がある

別れや
孤独
なんだったんだと思うような理不尽なことも
どんなことが起きようとも
歩いていかなければならない
前が見えない暗闇でも
いつか必ず夜が明けて
また朝が来る

夏は一年間生きる中で狂ってしまったリズムを
緩めて元に戻すとき

ボクシングをやっていると
からだが動くときと動かないときの差がよくわかる
日によって驚くほどの差がある
パン作りのときはなかなか感じられないけど
きっとそれはあるのだろう

酵母はしっかり面倒を見てやらないと
ヨレヨレになってしまう
すぐに立ちなおせることもあれば
なかなか立ちなおせることができないときがある
無理になおそうと思っても絶対無理で
酵母の都合に合わせなければならない
酵母をしっかりさせることができれていれば80%は
パンが出来たも同然だ
酵母の状態がいつもと違うなというときは
「何とかなるかもしれない」と作っても
何とかなることはまずありえない
酵母は使っていないとき
冷蔵庫に入れておけばいい状態が保てるけど
それでは酵母のことをわかってやることができない
良い条件にあるときはあるときはその裏にあるものが見えなくなる
冷蔵庫を頼らなければ酵母がどのくらいの温度でどのくらいの時間耐えられるのか
酵母のちからが弱くなったときどうすれば立ちなおせることができるのか
条件が良いときでは見えないいろんなことを見ることができる
条件が悪いところに身を置いたほうが
わかることがいっぱいある
力をつけることができる
思わぬ発見がある
自分はまだまだ力不足
学ぶべきことはいっぱいある
条件の悪いところで腕を磨く必要がある

ジャム爺が今回持ってきてくれたジャムは
「青島みかん」
粒粒がいっぱい入っていてとてもジューシー
ライ麦80パーセントのパンと食べるとうますぎてうれしくなる
ジャム爺は近々ジャムやさんをはじめるそうなので
多くのひとの笑顔を作ってくれるだろう
ジャム爺は車で寝起きをしているひとなので
店舗を持たないで
車の中に調理器具を積んで
行く先々で材料を仕入れながら
旅するジャムやさん
になるのかな

自転車野郎のTさんに
自転車のライトを3つももらった
これで夜も楽しめる
なんだかTさんに引きずり込まれている気もするけど
きょうは自転車野郎たちがたくさん集まって
湯津上温泉のキャビンでお泊り会
もう夏だね
夏休みだねえ

ボクシングをやって
パン作りをやって
わかったことは
何事もそうそう簡単にはできやしないということ
自分のできなさを知っているから
ひとのことをどうこう言うことはできない

表現することで
前へ進める


初めてのスパーリングは
怖くて顔が上げられない
ほとんどのひとは横を向いたり
下を向いたり
目をつぶったり
何十回
何百回スパーリングやっても
怖さをある
怖さを無くす方法はひとつしかない
怖さに飛び込んでいくことだ
決意して飛び込んでいけば
その瞬間怖さは消える
 安心安全と叫んでいるうちは
きっと毎日が不安で不安でたまらないのではないか
安心でもなく安全でもない世界に
飛び込んでいく決意さえすれば
人生はもっと豊かになるはず
学ぶこと喜びももいっぱいはず
 きっと楽しいことも同じで
楽しいことは向こうからやってくるものなんかではなくて
自分自身で飛び込んでいくものなんだと思う

今週は材料の注文を出すのを忘れた
いつも定休日の月曜日に注文を出すのだけど
休みの日は仕事のこと忘れてまっさらになればいい
注文を出すのを忘れてしまうくらいが自分にはちょうどいい
それにちょっとボーッとしたかったから
明日は休みにしよう

久しぶりに早朝のランニング
朝の空気を忘れてた
最高に気持ちいい
車が走っていないのがうれしい
気持ちいついでに
自転車にまたがって
鬼怒川にあるやな『船場亭』に行ってきた
自転車でけっこう遠くまで行けることがわかったので
行動範囲が広がった
きょうは荷物がなかったので
だいぶ楽だった
塩屋町に入ると自転車専用の広い道路があったので
気持ちよく進めた
船場亭は考えていたよりだいぶ手前にあったので
予定よりかなり早い時間についてしまったけど
ここは10時からやっているのがうれしい
11:00とか11:30とか食べ物やさんは開くのが遅すぎる
カサゴのから揚げと
鮎の刺身を頼んで川を眺めながら食べる
川魚を食べるなら絶対ここ
一年中営業しているので調理がうまい
酒が美味しくなる
生ビールを飲んで気持ちよくなったところで
1KM先にある『川霧温泉』に向かう
はじめていくところだったけど
即気に入った
お湯良し
眺め良しの露天風呂
開放的な気分になれる
この時期は目の前の鬼怒川で釣りをしている人がいるけど
それが大丈夫なひとには最高の温泉になると思う

何か
何かと
探してしまうけど
もう自分は満たされている
ボクシングをやって
パンを作って
音楽を聴いて
本を読んで
酒を飲んで
昼寝をして
外に出て駆け回り
ひとに出会い
望むべきものなんてもう見つからない
大切なものがこんなにあり
しかもそれを全部やっているのだから
やっていることすべてが終わりのない世界
学ぶべきことが
理解すべきことが
克服すべきことが
まだまだいっぱいある
とても恵まれていると思う
何か
何かはもういい
いまを続けていくだけ

知らなければ
いらない
知らないから
欲しいと思うことはない

自分の身に起こっていること
受け入れさえすれば乗り越えていける
それでもどうしても
受け入れられないものだってある
そんなものは忘れることだ
蹴散らしちゃえばいい

ぼくにはぼくの生き方があり
あなたにはあなたの生き方がある
生き方を決めるのは自分自身
だれにもひとの生き方をどうこう言ったり
自分の生き方をひとに押し付ける権利はない

からだは動かないけど
こころの調子は上がってきた

スパーリング
からだが動かない
完全に練習不足
からだは正直すぎる
悔しいけど
続けるしかない
練習をしっかり積んで
克服していくしかない
焦っても
すぐに調子が戻ってくるわけではないので
じっくりやっていくけど
炎がともった

うまくことが運ばなくたって
焦ることない
いまのうちに世界を広げておけばいいし
力をつけておけばいい
うまい具合にいっているときは
流れにのっているというだけ
うまくことが運んでいるときも
うまくことが運ばないときも
やっていることはいっしょ
どちらも大切な自分の一日に変わりはない

なにが邪魔しにこようと
ぼくはやる
ぼくはぼくを生きる
ぼくはぼくの世界を生きる
自分のこころのままに生きてしまえば
病気やひとが邪魔しにこようと
邪魔されることはない
どんな状況だろうと
やってしまえばいいこと
うまくいこうがいかまいが
やっているということが
ぼくが求めるもの

いいパンを作っていこうと思えば
からだで感じるしかない
たくさんたくさん経験して
からだで覚えていく
毎日状況は違うので
毎日が未知の世界
覚えることはいっぱいある
終わりのない世界だ
わかってきたと思えてきても
すぐにわからないことが襲ってくる
それをひとつずう解決しながら
力をつけていくことになる

最近はいろんなことが
「仕方ねえや」で済ませることができるようになった
どんなに考えても
「仕方ねえや」で済ませてしまう以外ないことばかりだから
それで仕方がない

夏はできればパン屋をやりたくない
とにかくこの暑さは
パン屋にとってはいいことがない
暑いから発酵が進むのが早くなって
ひとりでは追いつかなくなってしまうときもあるし
味だってゆっくり発酵を取った方が美味しい
それに暑いとカビが生えやすい
ぼくのパンはめちゃくちゃ水分の多いパンなので
冬は長持ちするけど夏はあっという間にカビが生える
特に切り口は水分がたまってしまうので気をつけないといけない
(冷凍してしまうか毎日切り口を切ってください ば食べられます)
作るほうは設備と技術と工夫である程度カバーできるけど
ここには設備がないから技術と工夫で何とかしなければならないけど
あの暑さでは限度というものがある
だから夏に僕ができることは作る量を減らすこと



夏はちょこちょこ休むので
ホームページで確認ください


また人間に生まれてきたいかと聞かれたら
もうぜったい嫌だと答えるだろう
もうこんなに走りたくないもの
こんなにサンドバック叩きたくないものと答えるだろう
だったら今度生まれてきたときは
運動なんかしないでもっと楽に生きればいいだろと言われたら
運動しない人生はもっと嫌だと答える

パン作りは料理を作るように途中で味見ができない
視覚と 触覚 嗅覚と記憶が大切になってくるけど
かなり微妙な違いでわからないときもあるし
生地や酵母の状態がいつもと違うけど
できてみるといい味だったということや
修正が聞く場合もある
だからできてすぐ味見が出来ればいいんだけど
天然酵母で作ったパンやライ麦を使ったパンは
水分が多いためかなり時間がたって味が落ち着いてから出ないと
食べてもよくわからない
売ってしまってから
きょうのはまずかったなと気づくこともしばしばで
そんなときはかなり落ち込むけど
それがいまの自分の力
どんなにがんばってもい持っている力以上のものは出せない
苦しいけど
次の日もパンを作らなければならない
ぼくにできることはもっとうまいパンを作ることだけ
これが生きると言うことだと思う
でもどうせなら開き直って
楽しんでやっていこうと思う

このところ
雨が降ると出かけなくなった
昔は雨が降っても
雪が降っても合羽を着て自転車で学校に通っていたんだけど
梅雨に入ると宇都宮のジムになかなか行けなくなる
また昔のように戻ろうと思う
もう自分にはそんなに時間がない
雨ごときで休んでいられない
雨が降って一番の厄介ごとは
合羽の処理だけど
半袖半ズボンの合羽にすれば
持ち運びも邪魔にならず
すむだろう


どんなに遠く思えるところでも
そこを目指して進んでいれば
いつか着くことができる
ゆっくりでも
寄り道しても
前に進めばいつか着くことができる

想像は想像でしかなく現実ではない
想像した以上に苦しいこともあるけど
想像したほど苦しくないことだってたくさんある
やってみること
経験してみること
できないと決め付けてやらなければ永遠にできないけど
やってみればできるかもしれないし
けっこうできちゃうもの
人間の持っている能力
自分の持っている能力は
考えている以上にすごいもの
やることで経験することでその能力を引き出したり
高めていったりすることができる

抑えさせているものは
想像力と苦しみたくないという思い
できない姿をさらけ出したくない
困難が待ち受けていそうだからと悪いことばかり考えてしまう
想像力を逆の方向にもっていけばワクワクしてくる
可能性を広げてくれるのも
想像力

苦しいことに飛び込んで行こうと決意すれば
苦しみは喜びに変わる
苦しみがなければ変われないことだってある

うまいジャムを作る人がいる
名前や場所はないしょだけど
その人の作るジャム以上のものには
そうそうめぐり会えない
きょうはうめのジャムと夏みかんとレモンのジャム
酸味が強いのが特徴で
そんじょそこらのパンでは太刀打ちできない
パンが負けてしまう
いつかこのジャムに負けないくらいのパンを作りたい

からだが活性化され
ひさしぶりにからだが軽い

宇都宮で学生や会社帰りのサラリーマンと一緒に自転車をこいでいると
ちょっと宇都宮市民になった気分

自転車野郎のTさんに
自転車をいじってもらった
20年近く前からある家においてある自転車で
一度自転車やさんに持っていって直してもらったのだけど
オンボロでとにかく乗りづらい
西那須野の駅に行くだけでも疲れてしまうくらいだ
そんな自転車がTさんがちょこちょこっといじっただけで
まったく別の乗り物に変わってしまった
錆び付いて動かなかったサドルがあがっていて
ハンドルの角度がちょっと変わっていた
たったそれだけでこの自転車に乗るのが楽しくなった
楽しくなったついでに翌日宇都宮までこいでみることにした
宇都宮まではここから45KMくらい
自転車でこれだけの距離を移動するのは初めて
いままでちょっとしり込みしていたけど
「これでなら行ける気がするんだ」と
なにかの映画で使われていたセリフをこころの中でつぶやいて
ちょっと成りきって
ちょっと気取って思い切ってこぎだしてみた
夜は植え込みに2度突っ込んだけど
それは想定内のことで
想像していたよりかなり楽だった
ランニング20km
自転車90km
それとジムワーク
帰ってくるとご飯がうまかった
ぐっすり眠れそうな感じがあったけどからだが活性化されて
ほとんど眠れなかった

続けていれば
いろんなことがわかってくる
10年後の自分のパンを見てみたい

シタールのコンサートに誘われた
ちょうどコンサートの日に
音楽好きのお客さんがふたり続けざまに来たので
誘ってみたら行きたいと言うので
急遽5人で行くことになった
4人でパン屋を出発してもうひとりは会場近くで待ち合わせ
開演は7時からだというのに7時30分に待ち合わせというのもすごいけど
まったく別の場所を示している会場の地図が2枚あるというのもすごい
当然会場はなかなか見つからず8時過ぎにようやく見つかったけど
コンサートをやっている気配がまるでない
それどころかひとの気配がまったくない
しかたないので隣町にカレーを食べに行くことにした
まったく知らなかったひと同士が同じ車に乗ってカレーを食べに行く
音楽を聴くという目的を成し遂げることなく
なんだかそれがおかしかったけど
誘った身とすればこれでカレーがまずかったら申し訳ないなと心配してたけど
急遽用意してもらった2種類のカレーは申し分なく
うまかった
楽しい一日にすることができた
カタカナの屋号だったので憶えられなかったけど
黒磯駅から1KM位にあるカレー屋さんです
まだ始めて半年くらいのお店だそうです

スパーリングがあまりにも調子良かったので
疲れているのに調子に乗って
練習をやりすぎてしまった
寝不足もあり
オーバーワークでしばらくからだがだるく
軽い運動しかできなかった
いきなりギアをあげすぎた
ジム復帰2日目にいきなりスパーリング
さすがにからだが重く切れもなかったけど
スタミナは落ちてない
これなら何とかなりそうだ

ひとの生きる姿が
ぼくに力をくれることがある
ひとの生きる姿が
ぼくの進む道を教えてくれることがある
ひとのやさしさが
ぼくに力をくれることがある
ひとのやさしさが
ぼくを進むべき方向へと押し出してくれることがある

ひとのことなんて
わかるものではない
わかったつもりになっていると
なにか大事なことを見失うことになる

美原で走った後に
中国茶のお店『中国茶 メイクイ』に行ってきた
栃木県大田原市末広2-10-5  水曜日休
外は日差しが強くのどが渇いていたので
炭酸水入りの冷たいお茶をぐぃぐぃ飲んだ
普段運動しているときは水道の水や
自販機の飲料水を飲むことがほとんどなので
運動中にこんなにうまいお茶を飲めるなんて
とても贅沢
お茶請けの手作りお菓子も美味しくてばくばく食べてしまう
台湾で買ってきたというドライフルーツは酸味があって最高にうまい
とてもゆったりできる店
大田原にはこういったお店がなかなかないので貴重なお店だ
パン屋は開くのが遅いので
ここでのんびりおいしいお茶を飲んでから来るのもいいですね
お勧めのお店です

納豆 卵かけご飯 大根おろしには醤油だと思っていたけど
塩も美味しい


久しぶりに作ったライ麦40パーセントのパン
食べてみたらなかなかうまい
ライ麦40はお店を始めたときから作っていたパン
変化を求めて1年か2年前からライ麦25に変えていたのだけど
もう一度ライ麦40に変えてみようと思う
ライ麦25を作っていて気づいたことが
新たなライ麦40を生んでくれた

パン屋を始める前は
もっとたくさんの種類のパンを作ろうと思っていたけど
はじめてみるとひとりではそんなにたくさん作れないことがわかった
パン屋を始める前は
ものすごい自信があったのだけど
パン屋を続ければ続けるほど
パン作りが難しいということがわかった
パン屋を始める前は
のんびりとやろうとおもっていたけど
最近なんだか働きすぎだ

きょうは昔作っていたパンをいくつか作ってみた
たまに昔のパンを作りたくなるときがある
レシピ帳を読み返してみるといろいろ作ってる
種類をたくさん作ろうと思うとどうしても
手間のかかるパンは外れていくことになる
けっこういいパンがあるんだけどなあ
作るパンを一日3種類くらいにして
日替わりでやっていけばいろんなパンが作れるのになあ
なかなかそれも難しいので
ヒマをみてちょこちょこいつもと違うパンも作っていこうと思う

そろそろ梅雨に入っただろうか
運動中毒はなかなか練習を休めないので
梅雨はからだを休めるいい機会だ
庭のアジサイが開きだした
今年はどんな姿を見せてくれるだろう

うまくいかないときとうまくいくときというのは対になっているのだと思う
うまくいかないことがあるからそこで気づき理解でき
パッ-と開くことができる

いまは調子が行けど
これから先もずっと調子がいいことなんてありえない
でも調子が落ちてきたとしても怖くはない
調子がいいときも悪いときも
やることはいっしょ

一日の中に
素敵なことはいっぱいある
この世は奇跡でいっぱいだ
そのことを感じられる毎日を送りたい

なまけもののパン屋の前にある坂道を
30メートルほど下ところにローズロードがある
左に折れて次の坂道までの間にいっぱいのバラが咲いている

できないことは隠したがるけど
できないことほどおもしろい
やってみなはれ
恥かいてみなはれ

力をつけたいなら
強くなりたいなら
さらけ出すこと
できない自分をさらけ出すこと
できなくてもやってみること
隠すことも誤魔化すこともなくやってみること
何度も何度もやってみること
変なことになったとしてもやってみること
自分自身で勝負しなければ
自分を出さなければ
始まらない

さらけ出せるということが強いということなのかもしれない

ひとつのことだけをやっているときはなかなか見えないけど
いろんなことをやっているといろんな側面からものごとが見られるので
見えやすくなる

接近戦のとき
左アッパーが効果的だということがわかった
中間距離でも左アッパーから右ストレートのコンビネーション
左アッパーが使えるようになって
ボクシングの幅が広がった
ジャブも 左アッパーも右ストレートも
不得意なパンチだったけど
いまではどれも自分の必殺パンチ

眠い
だるい
痛い
きょうは軽く動いてあがろうとジムへ向かう
ちょっと腹がすいたので
きょうは選手の計量で会長がいないし
スパーリングはないだろうと
電車に乗る前にビーフンを食べた
ジムについた瞬間
会長とバッタリ
挨拶より先に
スパーリングを言い渡される
眠い
だるい
痛いけど
怖いくらいに感じてしまう
パンチも当たるし
相手のパンチもほとんどもらわない
スタミナもついてきた
眠い
だるい
痛いけど
絶好調

いつの間にかスタミナがついていた
たぶん人生最強の心臓
スパーリングで一ラウンドフルに手を出していても
30秒のインターバルで戻ってしまう
1500mのダッシュもほとんど苦しみがない
時間が作れなくて走っている距離はここ10年で一番短いのだけど
ダッシュとサンドバックの連打を毎日繰り返していたら
こんなからだになっていた
なんでもかんでもがむしゃらにやればいいのではないのかもしれない

知りたいことがあって
昔買ったパンの技術書を読み返してみたけど
なんだかパッとしない
知りたいことは書いてなかった
やはり経験して自分で感じなければわからない
ボクシングも同じで
アドバイスをもらってなるほどと思うのだけど
繰り返して繰り返してからだで感じて
はじめてわかってくる

歳を取ればとるほど
ボクシングがおもしろくなっている
パンも同じだと思う
このところ試したいこともたくさん出てきた
パンに対する熱さが戻ってきた感じだ
何かやっていると
情熱が薄れてくるときがあるけど
本当のおもしろさを知りたいなら
きっとそこからだ
そこから続けられるかどうか
表面的なものにしか漬かっていなければ
表面的なおもしろさしかわからない
何かをやろうとすれば
それに伴う苦しさがついてくるけど
それを乗り越えられるだけのおもしろさを知るには
何年も何年もかかる
いまボクシングも
パンもすごくおもしろい
それは感じられるようになってきたからだ
昔に比べるとすごくよく見えてくる
だからもっともっと続けたい
もっともっと見てみたい
もっともっと感じてみたい
からだはだるくて痛いけど
寝不足で頭はボーっとしているけど
ただいま絶好調

こころが外へ外へと向かっている
こころが外の光を
外の空気を求めている
読む本も変わってきた
ひと夏の冒険的なものや旅の本
今年はどんな夏が待っているのだろう


きょうは風の気持ちいい一日だった
日差しが強いけど日陰に入るとたまらない
ランニングしていてもうれしくなって
自転車に乗っていてもうれしくなって

朝 目が覚めると
きょうこそはジムを休もうと思う
でも夕方になるとジムでスパーリングをしている
毎朝目覚めると
寝不足だし
体が痛いしだるいけど
やっぱりこれがぼくの生きる原動力


今週は若手の成長株21歳とスパーリング
この前の試合は八回戦に上がって最初の試合だったのだけど
負けてしまったのでスパーリングもおもいきり気合が入っている
ハードすぎるぜ
でも楽しくなってきた

久しぶりに黒磯の『こと葉』にご飯を食べに行くことになった
何度も行っているのにいつも迷ってしまう
黒礒のブリジストンがわかれば簡単に行けちゃうんだけど
そこまでがいつもわからなくなる
いっしょに行ったひとも僕以上に方向音痴で
黒礒の市街地を通り越して福島の方まで行ってしまったときは
きょうはたどり着けないだろうと諦めた
ふたりで「あっちじゃない?」
でも「あっちじゃない?」と言いながら車を走らせていると
ふたりの「あっち」が交差してこと葉に着いてしまった
ひとりの「あっち」では絶対たどり着かないけど
それぞれのでたらめな「あっち」が偶然良いところで交差して
目的地に出てしまったようだ
人生ではこんなことがよくある
あきらめたらいかんね
昼間のこと葉もいいけど
夜のこと葉もふぉんわりしていていい雰囲気
思わず注文しすぎてしまい
お腹がパンパンになってしまった

自分に起こった出来事を
たどっていくと
すべてが自分の選んだ行動が原因ということではないけれど
自分の選んだ行動のひとつひとつは
すべて自分に返ってくる

ひととの関係性なんてちょっとしたことで
切れてしまうことがある
はかないことだけど
それが人生


きょうはのんびりの一日
大きな切り株で昼寝をして
関係者以外立ち入り禁止の看板を抜けて
丘に登ってご飯を食べる
いい眺めだ
こんないい場所を知ってしまったら
もう無関係ではいられない
それから馬頭方面に行ってぶらぶらして帰ってきた
空を見るともう夏の空だ
気分はもう夏休み


逃げていては
なにも始まらない
問題が目の前にあるときは
ぶつかって行くことでしか
こころは満足しない
逃げたり
何かに寄りかかったり
何かのせいにしていたら
こころは広がっていかない
世界は自分で切り開いていくものだ

今年は音楽のCDをいっぱい買った
そして素晴らしい音楽にいっぱい出会った
突き詰めていくと
こんなすごいことができてしまうんだ
自分はまだまだぜんぜん努力が足りない

ボクシング
またきょうカケラを見つけた
毎日毎日同じことやっているのに
きょう見つけた
カケラはいつも突然舞い降りてくる
きっと毎日毎日同じことを繰り返し
しっかりとした土台ができたときに
カケラは降りてきてくれるのだと思う
努力や体験そして継続なしにカケラを見つけることはできない
ボクシングは技術的なカケラを見つけたときの喜びもあるけど
精神的な弱さに打ち勝ったときにも同じくらいの喜びがある
苦しいくて苦しくてしょうがないときそこからもう一歩踏み出すことって
ものすごく怖い
そのまま倒れてしまうのではないか
もっと苦しくなるのではないか
そんなことが頭をよぎる
パンチを出すときもかなりの勇気がいる
特に右ストレートや左アッパー
パンチを出すときは無防備に近い状態になるから
相手のパンチをもらう確立も多くなる
そんな怖さを振り切ってもう一歩踏み込んでいけたときの
喜びはもしかしたら技術的なカケラを見つけたときよりも大きいかもしれない

パンのことはまだまだまったくわからない
毎日毎日パンを作っていると
あるとき突然
こういうことだったのかと気づくときがある
そんなかけらをひとつ見つけるたびに
すこしづついいパンになっていく
そのかけらが見つからない場合は
どんなに嫌でも
その姿のままで歩いていかなければならない
それがかけらを見つける唯一の方法だからだ
でもね
いつかそういう姿で歩いていられることに
誇りを持てるときがくる
あと3年か4年後にはかなりいいパンになっていると思うよ
なんかちょっと手ごたえがあるんだよね
でもきっと4年後にもそんなこと言ってるんだろうな
パン作りは自分で放棄しない限り
かけら探しは続いていくんだから

空は真っ青
風が強いけど
その風が心地いい
強い日差しを和らげてくれる
コスモスが見頃だ
ピカピカに輝いている
緑も深くなっている
田んぼではひばりがピーピーピーピー
川に行くとホトトギスがホーホケキョ
自然は何ヶ月かおきにガラッ姿をと変える
同じ場所を走っているのに
走るたびに別世界に入り込んでしまったような気分になる

うちの二匹の犬たちがさかんに吠えている
行ってみると子ガラスが落ちていた
犬たちにどんなに吠えられても無表情
身動きすらしないのが可笑しい
その一方で子ガラスの親たちは犬たちを威嚇したり
自分たちに犬の気を引きつけようと
飛び回っている
強い風で巣から落ちるのか
飛ぶ訓練のときにうまく飛べずに落ちるのか
毎年この時期になると子ガラスが庭に落ちてる
もしかしたら威嚇していた親ガラスは
一年か二年前庭に落ちてた子ガラスだったかもしれないね

このところ
パンを送ろうとすると
メールの名前や住所が文字化けしてたりで
送れなかったり
きょうは注文ファックスあと数行(住所と名前のところで
インクリボンが切れたり
機械に頼っているとこんなことばかりだ
いつか機械に頼らないでいいような時期が来るだろうか
まだまだぼくは欲がありすぎるようだ

待つこと
欲張り過ぎない
ひとつひとつコツコツと
いまの僕の課題

岡本の『キッチンカンナ』に行ってきた
暑くなってきてようやく気持ちが外に向かうようになってきた
ここにはじめて行ったのは3年前だったか4年前だっただろうか
道に迷ってしまいなかなかたどり着けなかったのを憶えている
あの頃はかなりしょっぱい味付けだったけど
いまはホッとできる味になってきた
ぼくもゆくゆくはこんなホッとできるパンを作れるようになりたいと思う
ベサメムーチョ~  気分が高まってくるようなたべものや
シェー         刺激的なたべものや
メラメラメラ 怨み晴らさでおくべきか  気持ちが暗くなるたべもの
いろいろあるけど毎日飽きずに食べられるのはやっぱり
ホッとするたべもの
ここはこの頃器も凝りだして
食べる楽しみをもうひとつ+してくれている
あまり外食をしないので栃木のたべものやさんを
それほど知っているわけではないのだけど
ぼくの一押しのお店だ

生まれ育った街の道
もう全部知っているだろうと思っていたけど
まだ通ったことがなかった道が何本かあることに気づいた
だいたい飲み屋や古い家が連なった
ひとひとりふたりが通れるくらいの細い道ばかりだったから
きっと無意識に避けていたのだろう
ランニングをしていても
ものすごく開放されて気持ちよく走れるところと
なんだか元気がなくなっちゃうところがある
自転車野郎のTさんも自転車で走っていると
その場所に来るといつも足が冷たくなるということがあるらしい
そこに何かあるのか
それとも自分の想像力なのか
それはきっと人間には解明することができないだろう
そういえばTさんは何か(ゆうれい)出てきても
自転車だったら一生懸命走れば逃げ切れるかもしれないけど
ランニングじゃ逃げられないからねと言っていたが
自転車のスピードに負けてしまうようなゆうれいだったら
親しみがもてていいだろうね
「ちぇっ  逃げられちまったぜ」とか言ってね
ぼくはぎっくり腰をやったときに走った道だけは
避けて走っている
そこに何かあるのかないのかはわからないけど
運動できなくなるのは懲り懲りだからね
その通りの名前も『なんじゃもんじゃ通り』なんていう名前だからね

一ヶ月ぶりにジム
肩の調子良好
一日目かなり疲れたけどなかなかの動き
翌日朝筋肉痛
二日目早くもスパーリングをさせられる
動かねえだろうなと思っていたけど
始まってみるとからだが勝手に動いてくれる
走っていたことといままでの貯金のおかげだろう
左アッパーを外しても
その後右ストレートにつながることがわかった
当たっても当たらなくても踏み出してみることで開けてくる

自転車野郎のT夫妻に烏山の『とっちゃん家』へ連れて行ってもらう
すごい場所にある
夜だからかもしれないけど
なまけもののパン屋なんかよりも何倍も見つけるのはが難しそうだ
席に着くと早速前菜が運ばれてきた
何種類もの山菜とちたけスープ
ものすごく贅沢
スーパーなんかで買えばものすごく高いものばかりだけど
高いものだらけだから贅沢なのではなくて
これらのものがすぐその辺で集められることと
集めるという行為や時間のこと
店に入ってから三時間オーナーのとっちゃんは
しゃべりっぱなし
すごいパワーだ
むかし何年間かホテルでパンを作っていたことがあって
パン屋もやってみたかったと言っていたけど
150歳まで生きるとしてまだまだ80年もできる
おもしろそうなパン屋になりそうだからぜひやってほしい
たいらひとしのようなとっちゃんの半生を聴いて
やっぱり踏み出すことって大切なんだなと思った
踏み出すことで開けてきて
運も回ってくる
踏み出せば何とかなっちゃうもんだ
むかし発電所として使われていた建物と1000坪近くある土地を
100万ちょっとで手に入れちゃうんだぜ

自転車野郎のT夫妻は栃木に何度も来ているので
栃木弁にも通じていて聴き取れない言葉を何度か約してもらった
このごろずっと車で来ていて
自転車に乗っている姿を見ていないなあと思っていたら
自転車が突然走行不能になってしまったらしい
自転車に乗らないで食べてばかりいるので罰が当たったのか
体重が増えすぎて自転車が乗車拒絶をしているのか
直るまで3ヶ月かかるらしい
いままで自転車をこぐのと食べる量ある程度バランスがとれていたから
良かったけど早くも巨大化しているいま
あと3ヶ月
現代社会でこれから起きはじめるであろう文明依存と
それに伴う健康の問題を目にするチャンスです
これだけ食べる人たちもそういないからね
みなさんお見逃しなく


ただ練習をこなしていっるだけではうまくはならない
言われたことだけやっていてもうまくならない
一線を越えられるようになるのは
自分で考えるようになってから
おもしろくなるのもやっぱりそれから

今年のゴールデンウィークは長くてちょっとハードだったけど
こんなときにしか会えないひとたち
日頃から買いに来てくれるひとたち
たくさんのたのしい出会いがあり
とても良い時間を過ごすことができた
昨年はたくさんの通販と開店前から待っているひとたちで
毎日が苦痛で苦痛でノイローゼ寸前だったけど
今年は注文をずらしてくれたのと
お客さんがゆっくり来てくれたので楽しめる余裕ができたのだと思う
感謝 ありがとう
パン屋をやっていると悔しいこと悲しいこと苦しいこと
いろいろあるけどすぐに楽しいことがそんなことを吹き飛ばしてくれる
  苦しみも
  悲しみも
  生きていればいつの日か
  楽しいことが吹き飛ばしてくれる
  喜びが生まれ
  ぼくはまた元気になって歩いていける
  そんなことを繰り返しながら
  僕は歳をとっていく
  何歳になっても
  何歳になっても
  ぼくはそれを繰り返す
  ぼくがぼくに正直である限り

太鼓の音は直接こころに響いてくる
頭を通さず直接こころに響いてくる
イランのインターネットラジオ
イラン(ペルシア)の古典音楽が一日中聴ける
http://www.radiodarvish.com/Radio_Darvish/Home.html
取っ付きにくい音楽だけど耳のトレーニングにはもってこい
気がつくとこころが空っぽになっている

しばらくジムを休んで
肉体改造
ダッシュを繰り返す
走っていてもずっとゆっくり走っていたのでは
ゆっくりのからだになってしまう
理想は距離も走って
早くも走るだけど
とりあえずいまの自分に必要なのはスピード
ボクシングだけは最後までやり抜く

このところ僕の周りでは
空手をやっているというひとが多い
そのほとんどが女性
子供と一緒にやっているという方が多い
なぜいま空手?
僕も半年くらいだけど小学生のときに空手をやっていた
ぼくが空手を始めた理由はこの
http://www.youtube.com/watch?v=A14ZzKZYDAc
映画を観たから

パン作りにはやはり経験
経験を積んで見えてくるものがある
アクシデントがおこったときは
経験が助けてくれるときもある
もちろん自然相手だから
経験が役に立たないこともあるけれど
経験をすればするほど
アクシデントを乗り切る確立は増えてくる
そして経験すれば経験するほど
人間にはできないことはない
何だってできるという傲慢さが消えていく

問屋に確認してみた
材料はあしたで切れる
明日までに届かないと
4連休を前に最悪の展開
届かなかったらどうするか
作れるパンだけを作ろうか
それともこのまま夏休みに入ってしまおうか
きのうはドキドキで眠れなかった
と書ければいいのだけど
坂道ダッシュや階段ダッシュをいっぱいやったので
布団に入った瞬間眠りに落ちた
自分もこのところだいぶ力が抜けてきたようだ
確認の電話を入れると
確認してから折り返し電話をするとのこと
前みたいに確認に2時間くらい時間がかかるのかなと思っていると
今回はすぐに電話がかかってきた
「明日届くように手配したそうです」と聞いた瞬間
膝が折れた
40キロ走りきったときと同じくらい
うれしかったそして
ホッとした
前回はパソコンへの入力漏れ
今回は送るのを忘れたようだ
大きい会社だけど
僕みたい人がいっぱいいるらしい
こんな会社がいっぱいあれば世の中もっと愉快になる
ドキドキドキドキの綱渡りの日々
やっぱり生きるってこれだよ
安心安全なんて言っている場合じゃない
みんな腑抜けになっちまうぜ
自分の身は自分で守れるように
実力をつけなければいけないなと思った

こんなに天気がいいのに
このごろ夜しか走れない
お城山に登ってみた
大田原の街中は
数年前より光が増えている

ゴールデンウィーク
気合を入れて13連チャンにしたのはいいけど
頼んでおいた材料がなかなかこなくてドキドキだ
連休中余裕を持っていられるように
たくさん材料を注文したのだけど
いちばん重要な材料だけが届かない
これがないとライ麦の酵母を使ったパンのすべてと
平焼きパンができなくなる
これだけ材料がそろったけど
これじゃあ
ぜんぜん意味がない
きょうは水曜日
確認しようと思ったけど
いつできたのか昭和の日で
問屋が休み
残りは
あしたとあさって

久しぶりに佐久山の大けや木に会いに行ってきた
ランニングしているときにたまたま見つけた木
なぜだか突然その木のことが頭に浮かんだ
そういえばあの木葉っぱをつけていたっけ
記憶が曖昧だったので
まだ生きているのか確認するため
ランニングの行き先を変更して会いに行ってきた
その木は佐久山のメインストリートからほんのちょっと
入ったところにあるのにまったく目立たない
たぶん大田原市民でも知っている人は少ないのではないか
推定樹齢800年
高さはないけどとにかく太い
何年ぶりのご対面だろう
佐久山自体いつ行ってもひっそりしているんだけど
その場所はさらにひっそりとしている
忘れ去られた木
でも木は元気だった
ところどころ補修されていて
ターミネーターのようになっているけど
わんさか葉っぱをつけていた
生物が生きようとする力ってすごい
ただ生きるために
黙々黙々と水を吸い上げ
光を浴びる木
きっと余計なものがないほど
その力は強力なものなのだろう
この周辺には素敵な場所がいっぱいある
沢蟹がいる滝があったり
一面苔で覆われた野球場があったり
ものすごい大きな切り株があったり
一年中気持ち良い風が吹いている丘があったり
ものすごくいい場所なんだけど
どの場所もいつ行ってもひとがいないから
ボーっとするには最適の場所だ
ランニングはこういうところが見つけられるからおもしろい

良い波に乗るのを待っているだけの日々というのも
なんだかつまらないものに思えてきた
良い波に乗っているときも
乗っていないときも
ぼくにはとても大切な時間
生きている時間
良い波に乗ることだけが目的ではない
やる前にはできるかできないかということが
ぼくの頭の中を大きく占めているけど
終わってみればできたかできなかったかということは
そこまで重要なことではなくなっていて
自分にとって本当に重要だったことはやっているということ
自分の力を出し切れたかどうかということだったことに気づく
できなかったのならまたチャレンジすればいいんだ
結果は結果それほど重要なものではない
それよりもそこからどうするかの方がきっと重要
だって結果を喜んでいるより
練習して練習して次へと変化し進んでいく方が楽しいもの
生きていれば
良い波に乗れることもあるし
良い波に乗れないときもある
それでいいじゃん
良い波に乗っているときと
乗っていないときでは
見えるものが違ってくる
やるべきことは待つことではなくて
続けること
生きることを続けること
日々の生を続けること
そのときの条件の中で
できることをやればいい
良い波に乗っているときも
乗っていないときも
ぼくにはとても大切な時間
生きている時間
どんな荒波がやってこようと
ぼくがぼくを生きている限り
ぼくを邪魔することはできない
なにものもぼくを邪魔することはできない
これからもぼくはぼくを生きる
いつも
どんなときも
ぼくはぼくを生きる
そして生きていれば
良い波に乗れることもあるし
良い波に乗れないときもある
それでいいじゃん

なまけもののパンは
そのまま食べるより
できれば薄く切ったパンのうえに
いろいろのせてオープンサンドにして食べてください
チーズだけではさびしすぎるから
お豆のペーストやら
ドライトマトやら
どさっといっぱいのせてみてください

パン屋さんをやりたいんだというひとが
なぜか最近よくやってくる
それもみんなひとりでやろうと思っていると言う
きょうは山形の蔵王に住んでいて
そこでパン屋をやろうと思っているという老け顔のお兄さんが
やってきた
30歳といっていたが
たぶんウソだ
でも楽しそうなお兄さんで
きっと楽しいパン屋さんができるだろう
ひとりでパン屋をやるのはかなり大変だと思う
まじめにやりすぎれば肉体的にも精神的にも
ボロボロになる
息が抜ける場所を作っておかないと
長くは続けていけない
疲れたら休むようにするとか
オープン時間厳守にすることはないとか
資金面でもかなり大変だと思う
材料費は売り値の30パーセントくらいと言われているけど
材料って結構高い
なまけもののパン屋ではほとんどのパンが40パーセントを超えていると思う
動力を使うなら電気代もかなりかかるし
お店なんて借りれば10万円前後はかかってしまう
車なんて乗っていたら
いったい月にどれくらい稼げばいいのだろう
自分は実家でやっているので土地代はかからないし
車も乗らないので
ひとりで店を借りてパン屋をやっている人を見ると
いったいこの人はどんな一日を送っているのだろうと思ってしまう
大変だけど
一ヶ月でも
二ヶ月でも
パン屋をやることができたら面白いだろうね

荷物を持っていくと宅急便のお姉ちゃんに
「お、早い」と言われた
持っていったのは
最終の集荷時間10分前
ちくしょうめ

誰でも
悩みや傷
弱さやさびしさを抱えている
それらの底の部分でみんなが繋がれる
みんながわかってくれる
だからきっと大丈夫
そのままの自分で歩いていこう

手作りのお焼きをもらった
いつかこういう素朴な食べ物に負けないような
パンを作りたい

どんなに楽しそうに生きていているよう見えていても
一度できた傷はふさがることはないんじゃないか
それでも生きていくために前を向く
どんなに深い傷だって
裸になれば身軽になって歩いていける
ぶざまに見られようが
馬鹿にされようが
その姿は
いちばん素晴らしい
いちばんうつくしい
裸になって何が悪い

たとえお客さんがいなくなったとしても
そのままの自分を生きていく
生きるってそういうことだ

きちっときちっとしなければならないと思っていれば
不安になってくる
そのストレスで
眠れなくなったり
病気になったり
ストレスはある程度必要なものだと思うけど
必要以上のストレスはなくしていきたい
大切なのは自分の力を出し切れるようにすること

うまくことが運ばないときや
こころが沈んでいるとき
気持ちが乗ってこないときはあたふたせずに
パンを焼いて
ご飯を食べて
軽くからだを動かして
普段の生活やできることをこなしながら
流れがくるのを待つ
どっしり構えて待つ
流れはいつか必ずやってくる
いままでもそしてこれからも

右肩に違和感があったので
しばらくジムを休んでこっちでランニング
大田原市内の人がパンを送ってくれとの注文
走って10分ちょっとの距離だったので
宅急便で送るのもバカバカしいので
ランニングついでに飛脚便
お客さんの顔が見られたのでたのしかった
きょうも風が強い
週末に通販の注文がいっぱい入っていたことを思い出し
スーパーとコンビニを回ってダンボール集め
なんかオレってがんばってるじゃんと思う
ひとを見た目や名前で判断してはいけない
もうすぐゴールデンウィーク
去年はここで気張りすぎて調子を崩してしまったから
今年はサマータイムで行こうと思う
サマータイムっていつもより一時間時計の針を早めるらしいけど
夏こそゆったりと構えていきたいものだ
ということでこれから夏にかけてはお店が開く時間が
遅くなることがあるかもしれません
休みの日も増えるかもしれません

冬からは春先にかけては
気持ちが外に向かわなくなる
今年はまだほとんど外食もなしだし
ライブもなしだ
一年中外に向かいっぱなしの
この人たちはすごいと思う
http://d.hatena.ne.jp/taketchi/?of=7
http://www.b-shoku.jp/modules/wordpress/?author=5048

なんだかいつもと違うなと思っていたら
めがねかけるのを忘れていた
夜の自転車
気がつくと
まわりがぜんぜん見えていない
いつの間にか車のライトが目の前にあったり
段差に気がつかなかったり
めがねをかけていなかった頃は
目が見えない分
全神経を集中して自転車に乗っていたけど
メガネをかけるようになってから
集中力 緊張感がなくなっていたようだ
何かに頼るということは
そういうことだ

桜が一気に咲いた
あと2,3日で満開になるだろう
今年は東京や宇都宮ともそれほど時間差がなく見ごろになった
家が建って店からは見えなくなってしまったけれどど
「なまけもののパン屋前公園」は花見の穴場だ
みんな城址公園のほうに行ってしまうけど
ぼくはこっちのほうが好きだ
それからこの団地の崖がわでも
見事な桜を見ることができる

悔いを残さないように
目一杯練習して
悔いを残さないように
思い切ってぶつかっていきたい
やったかやらなかったか
どんな理由があるにせよ
最後に残るのはそれだ
結果や格好や人の評価なんて
蹴っ飛ばしてやれ
やった喜びはそんなものを楽勝に
凌駕する

思いを超えたところに
そこはある
苦しいけど
最高に気持ちい
周りは止まっているのか
それとも目に入っていないのか
見えるのは一点のみ

こころが沈んでいるときは
待つしかない
いつか必ず欠けらが見つかる
それまでじっとじっと我慢して
待つしかない

当たり前に思っていたこと
本当は当たり前でもなんでもない
たくさんのひとに助けられ
支えられ
とてもとても恵まれて
ぼくがいる

店を出て
なまけもの坂を下ると
麦畑が広がっている
今年はさらに菜の花が増えたぴたいで
麦畑なのか菜の花畑なのかわからなくなっている
昼間見るのもいいけれど
夜月明かりに照らされた畑も美しい

いまは試合前の選手とスパーリングをしている
試合まで2週間を切って気合が入ってきた
減量もしているというのにあれだけ動けるのは
気合と気力だろう
そんな気合でこられたらこっちだって
気合を入れないわけにはいかない
毎日毎日若者たちに力をもらって
ぼくは生き延びている
それにしても二十歳前後の若者たちが
チャンピオンになる夢や勝つという目標はあだろうけど
試合や練習での瞬間瞬間はそんなことどこかに飛んでいて
何の目的もなく火花を散らし打たれても打たれても
前だけを見て光だけを求めて闘っている姿は美しい
  戦う者の歌が聞こえるか、鼓動があのドラムと響き合えば、
  新たに熱い命が始まる
  若者達の歌が聞こえるか、光求め高まる歌の声が
  世に苦しみの炎消えないが、どんな闇夜もやがて朝が
  皆、聞こえるかドラムの響きが!彼ら夢見た明日が来るよ!
  

行きたいライブは数あれど
からだはひとつ
東京の夏音楽祭
http://www.arion-edo.org/home/
横浜本牧JAZZ祭
http://ameblo.jp/honmoku-jazz
今年はどんな演者たちが集まるのだろう
http://8011web.com/chottoinfo/2009/02/5ohtasan.php


どんなにフラフラになろうが
明日のことなんて考えないで
いまこのときをビシッとバシッと駆け抜けたい
明日は明日の風が吹く
きょうはきょうの風しか吹かない
いまこのときの感情を大切にして歩んでいきたい
暴れたいなら暴れればいい
泣きたいのなら泣けばいい
休みたいなら休めばいい
歌いたいなら歌えばいい
踊りたいなら踊ればいい


最高に気持ちいい天気
やれるときにやれることをやらないのは
それだけで罰だ
こんな日に外に出ないと罰が当たる
黒羽まで走る
黒羽はやっぱりいい
なんだかいい
とてもいい
呼吸がゆっくりになっている
いつの間にか時間が過ぎている
郵便配達を自転車でやっているのもうれしくなる

数日前に開きだしたなと喜んでいた桜の花が
きょうにはもうほとんど開いている
こぶしの花も満開だ
こんなにこぶしの木が植わっていたのかとびっくりするくらい
いたるところにこぶしの花
たんぼにも水が張られだした
かえるの声
せみの声

もうあっという間に夏がやってくる

こんなに苦しいことばかり起こるなら
僕は苦しみを極めてやろう
こんなに悲しいことばかり起こるなら
僕は悲しみを極めてやろう
いつかきっとそのことが
僕の生きる力になり
僕の生きる喜びになる

暖かくなってきて面白そうなライブも始まってきた
スライドギターのBob Brozman 
http://www.tab-guitar-school.co.jp/BobBrozman2009/BobBrozman2009.html
http://www.youtube.com/watch?v=FuzfgagmrBk&feature=related  (映像)
http://www.youtube.com/watch?v=7U77xup6RFw&feature=related  (映像)
http://www.youtube.com/watch?v=uLuFjK0BWs8   (映像) 

まだ若い男性のお客さんに
真顔で「このパン包丁で切れますか」と聞かれたのが
可笑しかった
http://www.tab-guitar-school.co.jp/BobBrozman2009/BobBrozman2009.html
http://www.youtube.com/watch?v=FuzfgagmrBk&feature=related  (映像)
http://www.youtube.com/watch?v=7U77xup6RFw&feature=related  (映像)

久しぶりにいい動きができた記念に
きょうもダッシュをやる
自分には才能のかけらもないけど
それは練習でカバーすればいいこと

なまけもののパン屋の一日は5時30分から始まる
(目覚ましをかけないから多少バラつきはあるけど
だいたいこれくらいにははじめられる)
店を開けるのが遅いからもっと遅くから仕込みをはじめているのだろうと
思われているけれどひとりでこれだけのパンを手捏ねで作ろうと思えば
これくらいかかってしまう
まずは8時40分くらいまで小麦酵母のパンを捏ねる
それからナッツやレーズンの計量をして
9時頃から30~40分間ダッュをやって
12時頃まで今度はライ麦酵母のパンの捏ねと成形
20~25分くらい休憩 ご飯を食べる
それからライ麦酵母のパンの焼成
小麦酵母のパンの分割成形と続き
15分でシャワーと髭剃り着替えをして
店の掃除
小麦の酵母のパンをカマに入れて
16時05分店を開ける
捏ねる生地は8種類
手捏ねはかなりきつい
生地を叩きつける作業はサンドバックを叩きつける動きに似ている
使う筋肉も似ていると思う
疲れ方も似ていてワンツーの連打を1分間続けるのと同じくらい
サンドバックがパンを捏ねのトレーニングになって
パン捏ねがボクシングのトレーニングになっている
販売と通販も自分でやっているので目一杯作って2万円後半くらい
店の営業時間は平日は2時間土日は2時間30分
その間に接客と通販の準備
通販は1,2個だったらなんてことないんだけど
6個も7個もある日はかなり大変だ
店売りとのバランスを考えて
個々に送るパンのバランスも考えなければならない
ひとつの種類を多くは作れないから
分けていく作業がかなり難しい
金額も違うし
店のパンを補充しているうちにパンがなくなってしまうこともある
接客もしなければならない
だいたいいつも通販の準備が終わるのは最終集荷時間のギリギリ
7時5分から10分前
台車を押してダッュでヤマト運輸に駆け込んでホット一息
店に帰ってジム行きの準備をして西那須野駅までランニング
電車に乗って宇都宮まで45分
ジムワークを1時間15分~20分やって
帰宅途中スーパーによってダンボール集め
23時30分帰還
めしと仕込み
24時30分くらい睡眠
お疲れさん

これから起こることは誰にもわからない
だから失敗だの成功だの
そんなものは存在しない
ただどこまでも続きがあるだけ
やったことのすべてが
起こったことのすべてが
ぼくの大切な大切な命
パンつくりも同じ
ボクシングも同じ
だからもしひとがひとにできることがなにかあるとしたら
それは
見守ること
待つこと
そんなもんしかないんじゃないか
人生は
自分の足で自分のこころで歩きながら
少しずつ少しずつかけらを見つけていく旅
変化しながら一歩一歩進んでいく

世界中が
不景気になって
いままであった金はどこに行ったのだろう
その金がどこかに流れ込んでいるようには見えないけど・・・・
金なんてもともとどこにもなかったのだろうね
まさにimagine
You may say I'm a dreamer 
But I'm not the only one 
I hope someday you'll join us 
And the world will live as one 

このところ電車の時間に間に合わなくて
なかなかジムに行けなかったからダッシュをしまくった
このままでいるとジムに行けないことがストレスになってしまうだろうから
これでもかというくらいダッシュダッシュを繰り返した
そのおかげでからだが切れてきた
きょうのスパーリングはいつ以来だか忘れてしまっているくらい
久々ににからだが動いた
それからきょうは2年ぶりくらいだろうかやはりひさしぶりに
左アッパーが決まった
昔はけっこう得意でよく打っていたパンチなんだけど
このところぜんぜんわからなくなってしまって
この2年間で一発も当たっていなかったんじゃないかな
でもきょうの左アッパーはタイミングバッチリ手ごたえバッチリで
十何年のボクシング人生で間違いなく一番の左アッパーだった
こんなことがあるからボクシングはやめられない
最高に気持ちよかった
最高に気持ちよかったあのパンチを追い求めておぼれてしまわないように
もっともっと左アッパーに磨きをかけよう
年を取るにつれて楽をしようと腰が重くなって
それとともにスピードが鈍っていた
スピード練習をすればまだまだスピードはついてくるということがわかった
からだは正直だストレスがたまれば病気になるし
早い遅いはあるけれど鍛えれば鍛えただけからだはそれに応えてくれる
毎日毎日走り続けてきた成果がいまようやくでてきた
足腰が強くなってきたのでどんな体勢からでも
パンチが打てるようになっている
パンチ力も付いてきた
パンチは足腰で打つものだということがようやくわかった

季節季節で好きなパンが違ってくる
いまのお気に入りは
麦ばたけの波おと80(ひまわり)ライ麦 (80パーセントのパン
温まっているオーブンにほんのちょっと入れて
あら熱を取ってから食べると食べるたびに感動してしまう

うまくいっているのか
いっていないのか
わからない
なんかいまそんなことはどうだっていい
おもいきり楽しんでいる自分がいる

いままで相手と距離をとったボクシングをしてきたけど
一段上に行くためにしばらくインファイトをすることにした
距離をとっているときはパンチをもらわないようにもらわないように
という思いが強かったけど
攻めるボクシングをしていると不思議なもので
パンチをもらいたくないなあという気持ちが薄れていく
相手のパンチがあんまり怖くない
だからといってパンチをもらっていいわけではないので
パンチをもらわないで攻めていけるように練習だ

このところ気がつくと360円の値札がなぜだかいつも
別のパンの所に行っている
なんだか自分の意思をもっているみたいだ
いつか動いているところを見てみたい

東京の自転車野郎たち本日は雨のため
車でやってくる
車で来たこともあってか
途中買い込んできたもので車の中はいっぱいだ
たぶんほとんどが食べるもので
店に来るとパンを食べ
佐久山で買ったコロッケとメンチカツを食べ
きょうのコロッケのデザートにはといいながら
茨城で買ってきたシュークリームとロールケーキを食べている
これから夕飯を食べに行くはずなんだけど大丈夫なのかと心配していると
きょうの昼は焼きそばくらいしか食べていないからとみんな平気な顔
もう夕方の6:30だぜ
http://d.hatena.ne.jp/taketchi/?of=7
http://www.b-shoku.jp/modules/wordpress/?author=5048

最近いろんな国の音楽を聞いている
いままで聴いたことがなかった国の音楽も
いっぱいあって驚きや喜びの連続だ
いまとても惹かれるのはイラン(ペルシア)とその周辺の音楽
http://www.youtube.com/watch?v=-JShTduztlw&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=OHtuaIN2EhE
とにかく美しい
音楽は近隣の国の影響を受けながら発展していく
奴隷や宗教などで国を追われたり
飢饉などで移住せざるおえなかったり
植民地にされたり
昔から国を越えての行き来があり
交わりがあった
音楽はその国の歴史だ
音楽を聴いていてわかるのは
閉ざされた世界のものというのはそれほど面白くないということ
外から入ってきたり外への放出があってこそ
広がって輝いていくんだということ

ひとを批判することってできないなあと思う
ひとにはそれぞれ事情がある
その事情をぼくは知らない
ぼくの世界と
ひとの世界
ぼくの世界の基準で
ひとの世界ははかれない

わすれものが多い
むかしから多い
小学校のときは
忘れ物をした罰に
毎日のように漢字を書かされたけど
いまでも忘れ物は治っていない
ちなみに漢字も覚えていない
いまでも通販のパンを送るのを忘れたり
メールの返事を返すことを忘れたりしている
まあメールで自分を縛りたくないから
メールの返事は遅いし
時間がたって返事を返すのを忘れちゃったりするのだけど
それでいいと思う
変えられるもの
変えられないもの
変える必要があるもの
変える必要がないもの
そんなものがある

物も返事も答えも
何でもかんでも
すぐにそろってしまう世界
それが当たり前なことになっているけど
きちんときちんとが当たり前になっているけど
きちんときちんとが度を超しているんじゃないのか
みんな病気になってるぜ
きちんときちんとの感染病だ
きちんとじゃない世界でも
楽しめる自分でいたい
スポーツでも
失敗してはいけないという空気を作ってしまえば
選手は縮こまってしまい力を発揮できない
のびのびできなきゃ楽しくない
人生は結果じゃないぜ
生き続けることだ
自分を生き続けることだ

今年も畑にばら撒いておいたライ麦が
顔を出してきた
今年は菊芋も埋めてあるし
庭から集めてきた小さな木たちも植えてあるので
夏はちょっとにぎやかになりそうだ

本が更にたまってきた
読みたい本はいっぱいあるけど
ぼくは読むのがとても遅い
小学校のときよく教科書を黙読させられたのだけど
「はい、読み終わった人てをあげて」という先生の声に
みんな「は~い」と手を上げるのだけど
ぼくだけいつも手を上げられなかった
そのときぼくはまだ半分も読み終わっていないんだよね
中学校や高校校のときの国語のテストでは
絶対文章を読んで次の問いに答えなさいなんていうのがあるんだけど
文章読み終わったらもう10分くらいしか残っていないんだから
でもいまは時間を気にする必要がないから
遅くても楽しく読むことが出来る
時間を制限するってなにごともよくないなぜ

ランニングから帰ったら
庭に花が咲いていた
大根の花
水仙
外の世界のにぎやかさ
ぽかぽかの日差し
うまい食べ物
春が目の前に迫ってくると
そわそわ
わくわくしてくる
それはきっと寒い寒い冬を生き抜いたからこそ
四季があるからぼくはいつでも退屈なし

このところスパーリングがガタガタだ
なんだかわからないけど調子が狂ってる
でも叩かれたほうが燃えてくるね
おかげでいま自分に必要なもの
そのためにはどうしたらいいか
よくわかった
必要なものがものすごいいっぱいあるのだけど
それらはみんなつながっている気がする
だからちょっと何かがつかめれば
ドドドドってできてしまうのじゃないかと思っている
あとは練習あるのみ
ぶざまな姿をさらしたって
目一杯ぶつかっていくのはとても気持ちがいい

何ヶ月構えに比べると
ガソリンの値段がドカーンと下がった
よかったよかった
だろうけど
それで済ませてしまうのが人間の特性なのだろう
石油なんてもう底をつきかけているのだから
いつまでも頼っていたら
もっと悲惨な状況が待ち受けている
だからといって石油に変わる何かをみつけても
結局は同じこと
変えるべきものってなんだろう
経済だって
収入が減ったっていいじゃないか
いままでや過去のような景気に戻そうとがんばったって
それは無理なこと
そうしようとすればするほどもっと悲惨なことになっていく
変えるべきことってなんだろう
わかっていることは
政府が変えたり
何か大きな力が変えることではないということ
いまがいい機会であり
きっと最後の機会

執着することをやめたら
待つことができるようになった
待つことができるということは
自分のままでいられるということ

去年のテーマは力を抜くことだった
ひととの関係
安定
執着することをやめれば
ゆるゆるになれることがわかった
今年のテーマは
いろいろあって
荒れていたこころを落ち着かせること

九州のお土産に
ジャムをもらった
今回のジャムは梨
なんだってジャムになっちゃうんだな
原材料は梨 キビ砂糖 カボス
素朴で温かい味
こういう食べ物大好きだ

暖かくなってきて
からだの調子もさらに上がってきた
縮こまっていた筋肉や神経がよく動く
外の世界は眩しいくらいに輝いていて
ランニングの足どりも軽くなる
保育園の前を通ると
卒園式の練習か
あんなことこんなこと あったでしょ♪ときこえてきて
思わずウルルンとなってしまった
きょうは坂道ダッシュ10本だ
なんだこの苦しさは
口の中から内臓が飛び出しそうだ
そういえば小学生の頃から走っていたから
もう30年くらい走り続けたことになるんだなあ
30年あんなことこんなこと いろいろあった
30年走り続けてわかったことは
オレの人生これからだ
ということ

岡本の「キッチンカンナ」御一行がやってきた
このひとたちの出しているエネルギーはすごい
店の中の空気がぐるぐるぐるぐる回りだした
ぼくもちょっとその空気に感化された
最近休みになるとジムとランニング以外の時間は
ほとんど寝ていたけど
もう少し起きている時間を増やして
ストレッチや散歩 ボール投げ
もうすこしからだを動かす時間を作った方が
コンディションも良くなってくると思う
それから本を読む時間や音楽を聴く時間も作れば
気持ちももう少しすっくりしてくると思う
少しずつ 少しずつ
徐々に徐々に
一歩 一歩はじめてみよう
打たれまくって打たれまくって
何かつかんでやる
いまとは別の環境に自分を持っていくこと
おもいきって飛び込んでやる
いろんなこと試してみる
守ろうとしているもの
おもいきって投げ出してやれ

この1 2週間なんだか気合が入らなかった
やっはりエネルギーは外に出さなければ
湧き出てこない

わかったと思ってやっていると
いつのまにかわからなくなっている
それを繰り返しながら
少しずつ成長していく

思い切って試してみよう
成長への第一歩はそこからだ

やったらできるようになるかもしれないけど
やらなかったら絶対できない
おもいきって飛び込んでいこうぜ
怖さと苦しみといっしょに
楽しさがついてくる
喜びがついてくる

やっぱり街中を走るより
川沿いの土手を走ったり
山の方を走ったほうが
気持ちがいい
3月になって大田原じゅうの梅の花が開いた
暖かくなってきたので
久しぶりにロングダッシュ
やっぱりきついんだけど
むかしよりも後半の粘りが出ている
よぉーし来週は坂道ダッシュだ
めざせ 人生最強のからだ

人生といっしょで
パンつくりにも正解なんてものはない
だったらいまの自分をおもいきりぶつけていくだけだ

ひとのことをとやかく言うより
自分を生きる
自分が生きる
自分をつくる

ひとが集まれば
何かができることもあるけど
できないことだってある


Frifotの3枚目のアルバムをようやく手に入れた
http://www.youtube.com/watch?v=jwM50lQ9So0 (映像)
ものすごくいい
音楽ってここまですごいものになってしまうんだ

音楽を聴きにいって鳥肌が立ったときが2度ある
一度目はMaighread Ni Dhomhnaill
Triona Ni Dhomhnaill

Micheal O’Dhomhnaillの兄弟が三人で歌いだしたとき
http://www.youtube.com/watch?v=ZVFgx2RtsFo&feature=related
 (映像)
http://www.youtube.com/watch?v=lennqfjT5YA&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=UQCcmY00fuM&feature=related
それにしてもこのときのメンバーはすごかったそのほかのメンバーは
Cathal Hayden
Laoise
 Kelly
Mairtin O’Connorだって
二度目はaltanのMairéad Ní Mhaonaigh
http://www.youtube.com/watch?v=kHKPn5NRt2s&feature=related
 (映像) 
とPaul Bradyがいっしょに歌いだしたとき
http://www.youtube.com/watch?v=cBGkhPx529g&feature=related

先週後半からジムにいけない日がちょっと続いて
なんだか重い
表現するということは
からだや頭の中にあるものを外に出し切ることなんだろうな
新しいものが入ってくるように
だから表現するとすっきりする
外に出さないでいると中にあるものは腐りだし
からだも頭も腐らせてしまうんだ

昨日に続き
外国のひととスパーリング
外国のひときのうより調子がよさそうで
きのうよりパンチが伸びてくる
シュミレーション通りにはなかなかいかないもんだ
久しぶりに青たんをもらってしまった
でも段々イメージはできてきた
あとは何度も何度もやってからだでつかんでいくしかない
さあ どうこの壁を乗り越えていこうかな
このくらいの壁乗り越えられないようでは
十何年もやってきたおれのボクシングに
申し訳が立たないぜ

毎日電車に乗っているのに
うがいも手洗いもやっていないのに
今年は風邪をひかない
今年の風邪はぼくには利かないらしい
楽しめているから免疫力が増したのかな

国会議員が酔っ払って会見した件
こういうことがあると国民総出で非難するけど
ひとりの人間がこれだけのひとたちに非難される重圧ってどんなんだろう
こころはそれに耐えられるのだろうか
酒を飲むことでしかバランスをとることができない状態だったのだろうに
こういうときこそ愛が必要なんじゃないのかと思うのだけど
非難する資格がひとりひとりに本当にあるのだろうか
正義を振りかざして相手を追いつめてもきっと
なにも変わらないだろう

外国のひとが来ていたので
スパーリング
パンチが重い
鉄球で殴られているようだった
パンチも早いし
目もいい
同じひととばっかりやっていると深くはなることができるけど
広がるのは難しい
いろんなタイプのひとと対峙することで広がっていける
早速帰りの電車の中でシュミレーション
わからないことが出てきた
課題ができたというのが
わかることの第一歩

チームワークは
ひとに合わせたり
自分に合わせさせるものではなくて
自分を出すこと
相手の自分を引き出してやること
それぞれが輝き出し
そしてひとつになる
それぞれは輝きを増していき
広がっていく
ひとつも輝きを増していき
広がっていく

ボクシングで勝つためには
相手に自分のボクシングをさせないということが鉄則だけど
自分のボクシングだけをやっていても
なかなか見えてこない
あえて危険に身をさらして相手のボクシングのなかに入っていくことで
見えてくるものがある
スパーリングは試合ではないので
打たれることを恐れないで
どんどんいろんなことを試していきたい
最近わかることが多くてスパーリング中に
うれいそうな顔をしている自分がいる
打たれてた痛みやくやしさよりも
わかることのうれしさのほうが大きいんだよね

カクテイシンコクなるものがあるので
きょうはジムに行けねえかなと思っていたけど
時間が来たらやっぱり行った
スパーリング
いろいろ収穫があった
頭で考えているだけでは限界がある
自分の身を持って体験することでしかわからないことがある
何でもやってみること

金柑のジャムをもらった
すごい
本当に金柑の味がするんだよ
金柑のジャムなんてはじめて食べたからびっくりした
柑橘系のジャムはやっぱりライ麦のパンにぴったり
そのまま塗ってもいいし
無塩バターを塗った上にジャムを塗るとケーキを食べているようだ

きょうは自転車でパンを買いにくるお客さんが多かった
日差しが変わりもう春だ
犬との散歩も気がつくとTシャツ姿
梅の花が咲いていた

どんなに力が抜けるようになったといっても
仕事のときはどこかで緊張している
だから月曜日火曜日が仕事休みのぼくにとって
日曜日の夜のランニングがいちばんリラックスできるランニング

犬と散歩をしていると風に乗って
中学校のグランドで野球をやっている少年たちの声が聞こえてくる
風はこの声をどこまで運ぶのだろうか
    街中を自転車で走っているときなどに
    香りの記憶が突然ふっとよみがえるときがある
    たとえばプラモデル作りに熱中していたときの香り
    それはプラモデルの入っていた箱の香りなのか
    プラモデルを買っていたお店の香りなのか
    プラモデルを買いにいく途中に嗅いだ街の香りなのか
    それとも自分で勝手に作っていた香りなのか
    思い出せないけど
    その香りが突然頭の中に現れると同時に
    昔にことを思い出す
    夢中になっていたことであったり
    場所であったり
    それはもしかして風が運んできたあのときの声




物語ばかり買っている日
エッセイばかり買っている日
対談集ばかり買っている日
ルポタージュばかり買っている日
古本屋に本を買いにいくと
その日に選ぶ本はほとんど同じジャンルになっている
きっと分析すればいま自分のこころが何を求めているのか
わかるようになるんじゃないかな

電車で読む本がなかったので
途中でブックオフに寄って本を買うことにした
100円コーナーに行くと新しい本がいっぱい入っていた
読みたい本がいっぱいあって思わず単行本を4冊買ってしまった
駅の行き帰りのランニングはぶっ倒れそうだった
ブックオフの100円コーナーに通うようになって
読んでいない本が300冊くらいたまってしまった
この本屋の100円コーナーには惹かれる本がいっぱい現れる
これからもどんどん増えてしまうんだろうな

朝起きると
あ~きょうは練習休もうと思うのだけど
練習に行く時間になるとなぜか
からだの痛みもだるさもなくなっていて
平気になっている
そのおかげで冬だというのに
ズボンがゆるゆるになってしまった
これだけ気持ちよく練習ができると
パン作りも気持ちよくやれる


まだ禁酒まではいっていないけど
酒の量がだんだん減ってきた
ビールを我慢しようとすると
炭酸が飲みたくなる
そんなときはサントリーのプレミアムソーダ105円

どんなにさびしくても
うまくいかない日がどんなに続いても
自分を一歩一歩生きていくだけ
焦らずに
ひとつひとつ歩いていこう

10キロも軽い選手とスパーリング
ライトフライに選手だから動きが速い
背と腕の長さがぜんぜん違うから
距離をとっていればいいんだけど
どんなものだろうと思って距離を縮めてみた
自分も接近戦は嫌いじゃないんだけど
これは無理だ
回転速いし
パンチが下からくるから
きょうはまったくついていけなかった
ひさびさにいいパンチを続けざまにもらってしまった
2ラウンドしかできなかったのでものすごい消化不良だけど
このスピードに対処できるようになったら
ボクシングにかなりの幅ができる
乗り越えるものが具体的に出てくると
なんだかものすごくワクワクしてくる
早くやりて~
いまならそう難しいことではないと思う
からだがそう感じた

薄暗闇に日光の山々のシルエットが
ポツンポツンと現れた
明日もいい日になるだろう

すっきりとした答えを求めちゃうけど
この世の中は複雑なものであふれている
割り切れる答えなんてそうそうあるものではない

無発酵の平たいパンがものすごく食べたくなるときがある
パンを考え出すときはまず第一にあの素朴さを思う
冷蔵庫に酒粕があったので生地に練りこんで焼いてみた
酒粕パンなんて流行ったときがあったけど
やっぱりこれが一番
ニラを入れたり
納豆入れたり
味噌を塗ったり
食べるたびにこのパンはやっぱりすごいなと思う

頭が休眠状態に入った
パンを作っていても
次の作業がなかなか思い出せないから
一つ一つ思い出しながらの作業になる
からだはすべて繋がっているんだね
頭なんてぜんぜん使っていないのに
からだが疲れると頭も回らなくなる

欠点は嫌われ者だけど
人生を振り返ってみると
欠点はぼくにとって生きる起爆剤であったし
欠点はぼくにたくさんのことを教えてくれた
欠点があったからぼくは生きてこれた
欠点はぼくの財産だ
すべてのものは多面性を持っていて
見る角度を変えれば
違った面を見せてくれる
使い方を変えれば
別の働きをしてくれる

にんげんのこころって
普段はとっても弱っちいけど
決意さえすれば
いかなるものにも耐えられる強いこころに生まれ変わる

夢中になればなっただけそれは何かを教えてくれる

悩んで悩んで悩んでもどうにもならないんなら
好きなようにやってみたらいいんだ
たとえ砕け散ったとしても
そこからなにかが始まるから

悩んで悩んで悩み続けても何にも動かないんだよね
そんなに悩んでいるなら好きなように
やってみたらいいんだ
どんなに苦しいことを背負うことになっても
いつかは歩き出さなければならない
誰かが代わりにその苦しみを背負い込むことなんてできないし
誰かがその苦しみを取り除く答えを教えることもできない
自分で考え
自分で答えを見つけだし
自分の足で歩いていかなければならないんだ
だれでもがその力を持っている
なにかに寄りかかれば
寄りかかった分だけどこかが衰えていく
世の中にある人間の作り出したすべてのものは完全ではない
すべてがハッタリだといってもいいのかもしれない
ハッタリでもいい
いまの自分の力を出し切ること
それ以上のことはできないのだから
やろうと決めて動き出しさえすれば
力は後からついてくる

ひとはひとに対する要求が大きい
完璧を求める
ひとはひとに対して期待を持ちすぎる
そんな要求や期待に対してぼくは縮んでしまう
こころもぎゅっと押しつぶされて
疲れてしまう
ひとに対する要求や期待や自分に対する欲求が大きすぎると
それに応えようとするとき
無理が生じてくる
ちいさな亀裂はやがで必ず大崩壊をもたらす
地球の環境も経済もこのまま崩れていくしかないだろう
人間はいつか滅びていく
そのとき人間は何を思うのだろう
大切なもののことを思い出すだろうか

電車に乗ったら眠くなった
読んでいた本を6,7回落としただろうか
ドンと誰かに肩をたたかれた
終点だった
乗り込んできたひとが寝ていたぼくを起こしてくれたようだ
そうとう疲れていたんだろう
きょうあったうれしかったこと

ぼくは自分のためだけには生きられない
ぼくはひとのためだけにも生きられない
ぼくは複雑なのだ

孤独であるということは
自由であるということだ
何をしてもいいんだということだ
冬山にひとり入っていくことだって
アイスクリームを食べることだって
なんでも自分で決めていいんだ
その結果
山でひとり死んでいくことだって
ぶよぶよのからだになってしまうことだってあるけど
それが自由というものだ

生きていれば
どんなことでも起こりうる
想像できないようなことだって
想像を超えたことだって
それは誰の身にも起こりうる平等なことだ
自由であるということは
そのことを覚悟することでもある
どんな抵抗があろうとも自分で決めることができるけど
どんなことが起こってもやっぱり自分の責任で決めなければならない
けして生やさしいものではないのだけど
抵抗があるから自由は面白い
危うさがあるから自由に惹かれるのだと思う

安全安心を得るのなら
それなりのリスクを背負い込まなければならない
安全安心とリスクを背負い込むということは対になっている
安心安全をひと任せにするということは
リスクもひとに背負わせるということだ
そこに自由はない
そしてそこに安全も安心もない

パソコンの調子が悪いとき
送ったメールがちゃんと届いているか
不安になっていたけど
メールをやるなら届かないことも覚悟の上で
やらなくてはいけないんだろう

自分が食べ物やさんを選ぶ基準を考えてみた
味や店の雰囲気は二の次
店のひとを好きかかどうか

ボクシングは
いまが一番練習してる
いまが一番やっていてたのしい
いまが一番すきだ
いまが一番強い
もうチョット先には
そのもうチョット先が一番強いときになっている

ボクシングは16,7年やってようやく
見えてきた
パンももう何年かやっていれば
見えてくることがあるんだろうか

もうすぐ9年くらいになるのだろうか
ずいぶん長いことやってきたなあ
これだけパン屋をやっていると
ひとの優しさを感じずにはいられない
優しさはひとを変えてくれる

自分は幼稚園の頃からずっと強情な人
だったなといま気がついた

今年はからだの冷えがすごい
去年はだいぶ良くなってきたなと思っていたんだけど
今年はあっという間に足が冷たくなってしまう
小さい頃は冬でも半袖半ズボンで過ごしていたんだけどな
いつのまにか寒がりになっていた
ひょっとすると半袖半ズボンが冷え性になった大きな原因かもと
最近思っている

冬はいいパンができることが多い
もちろんうまくできないときもあるけど
いいパンができたときは自分で感動してしまう
素晴らしい味だ

同じ選手と何度も何度もスパーリングをやっていると
相手の性格はもちろん
その日の体調や疲れ具合いなんかもすぐにわかってしまう
もしかしたら恋人や夫婦なんかより分かり合っているかもしれないな

疲れているのか
腕に力が入らない
パンでもボクシングでも生活面でも
ゆるめること力を抜くことが課題なんだけど
やろうと思ってもなかなかできるものではない
力を抜くってこんな感じなんだね

きょうはなんだか朝起きるとからだが冷えて
動かない
ストーブでからだを温めながらの仕込み
このまま動くようになりそうもないので
仕込みの量を減らしてこのペースで作ることにした
生地をよ~く見ながら捏ねてみた
いままであんまり生地を見ていなかったことに気がついた
感じようと思わなければ感じられない
見ようと思わなければ見えない
ゆっくり動くと時計の動きもゆっくりになるのかなと思ったけど
時計はものすごく早いペースで動いている

自分に自分の世界があるように
ひとにもそのひとの世界がある
ひとの世界に入っていくことは勝手だけど
自分の世界に無理やりひとを引きずり込んではいけない
難しいことだけど
自分が自由でありたいなら
頭においておかなければならないことだと思う

評価するっていうことは
自分の部屋に閉じ込めてしまうということなんだな
自分の目では見えないものがあることは認識しておかないとな

はじめてヒップホップのCDを買った
なんか勢いがつくなあ

小学校と中学校のときの成績表が出てきた
教師たちそろいもそろって
よくもこんなにひどい評価を子供に与えたものだ
まあ当時からそんなくだらない評価はどうでもよかったけど

アホと言われたっていいじゃんか
偽ったり逃げたりそんな無駄な時間を使っていても
自分が苦しくなるだけだ
後悔するだけだ
そこからはなにも生まれてこないし
なにも始まらない
へたくそでもいいじゃないか
間違えたっていいじゃないか
たとえ離れていかれたとしても
いまの自分を出して
胸を張って歩いていこう

うまくいかなかったらまたやればいい
それでもできなかったら
またやればいい
何度でも何度でも
それがぼくの時間

ボクシングでは
相手によって相手の
この位置に行けば打たれることはない
安全だ安心だという場所がある
でもそこがいつまでも安全であるわけではない
相手も練習して弱点を克服すれば
そこは最も危険な場所にもなりうる
状況は刻々と変化している
あぐらをかいて笑ってなんていられない

2歳の男の子
ゼンマイ仕掛けの
水色の小さな車がお気に入り
来るたびに夢中になって遊んでる
ある日ぼくが男の子の目の前でその車の2つの後輪を指でつまんで
手の中でぐるぐる回すという技を披露したら
男の子もやりたくなったようで
一生懸命やるんだけど
なにせ手が小さいのでなかなかうまくいかない
それでも諦めずに来るたびに何度も何度もチャレンジしている
そして何週間目だろうかにとうとう男の子の小さな手の中で
車がグルグルまわった
「できた」
「できた」
覚えたての言葉で満面の笑み
からだ中が喜んでいた
罰が当たるかもしれないけど
ぼくには観音様より輝いて見えた
その姿をぼくは一生忘れない
とても大切なこと
教えてもらった

このところスパーリングをやる機会が多い
結構うれしい
いつに間にか心臓ができていた
久しぶりに病気も怪我もなく練習を続けられたからだろう
いまでも練習量はジムで一番だから練習続けられたら
これくらいにはなるんだ
そういえば2年前はこのくらいスタミナがあったよな
本当に怪我と病気の2年間だった
出そうと思えばいくらでもパンチが出せるので
調子に乗って出して出して出しまくった
課題だったところもどんどん出していった
最高に気持ちがいい
自分は器用じゃないから頭で考えてもわからない
からだで覚えこむしかない
サンドバックを何発も何発も何発も打ちまくって
スパーリングでもうまくいかなくても課題のところを
何度も何度も繰り出してからだでつかんでいく
スパーリングを調子に乗りすぎてしまうと
興奮状態がさめなくてその後の練習も
勢いがついてしまう
帰りのランニングもあれだけ動いた後なのに早い早い
走りながらまだまだおれってすげぇじゃんとか思ってしまうんだけど
明日の朝はからだ中が痛くて痛くてしかたがねえんだよな
でもこれを繰り返していればもっともっとすごくなっちゃうよ
まだまだ負けてたまるか
若いやつと目一杯やり合うとと2,3歳若くなるよ
スパーリングの相手のわがジム期待の星もまだまだ伸びるよ
楽しみだ
これだけ何かに熱中するってことは初めてだ
こんな時期もあっていい
仕事が休みの日もどこにも行かなくていい
ランニングとジムワークだけやって後は眠って疲れを取る
成長期は眠るのも仕事のうちだ
もうそんなに先も長くない
やっておかないと後悔する
できても後25年
がんばるぞ~

自由も自由じゃないことも
幸福も幸福じゃないことも
元は同じもの
こういうものは
使い方次第でどうにでもなる

自由ってどんなことなんだ
宇宙のようにどこまでもどこまでも広がっている
終わりのない世界そして抵抗のない世界を
飛び回ることなのか
そうだとすればぼくたちは永遠に自由にはなれない
思うがままに野原を駆け回り空高く飛び上がるには
重力に打ち勝たなければならない
それなら自由って抵抗することなのか
ひとは暗がりから自由になるために
暗がりに抵抗して電気を作った
ひとは疲れるからだから自由になるために
疲れることに抵抗して機械を作った
しかし電気を作って機械を作って自由になったら
無気力になった
自由って良いものではないのか
走りたいもっと高く飛び上がりたい
こころがそう叫ぶ
ぼくは走る
ぼくは飛ぶ
いつまでもぼくは重力に抵抗し続ける
抵抗するものがあるからがんばるエネルギーが沸いてくる
抵抗するから成長する喜びや生きている喜びがが生まれる
抵抗するってことは良いことがいっぱいある
やっぱり自由って抵抗することなのか
自由って何なんだ
自由ってなんだか考えているということは
ぼくははいま自由ではないから自由についてかんがえているのだろうか
それとも何かに負けないために
自由というものを確認する必要があったからなのか
考えるって面白いね
考えていけば必ず矛盾にぶつかる
自由であろうとするために束縛されてしまうこともある
自由になるために必要だと思っていた電気や機械
それを使うためにはお金がいる
お金を作るためには束縛されなければならない
それを自由と呼べるだろうか
脱線するけど
お金が関わると変な現象ばかり起こるね
お金って何だろう
お金を求めてひとは働く
お金をもっと得たいと思ってひとはもっと働く
でも人がお金を求めれば求めるほど
物価は上がっていく
働いても働いてもなんだか同じこと
それなら余計なものがなければ
お金が必要なくなると考えるけど
余計なものを余計なものと決めるそのひと自身
ひとにとっては余計なものでも
別のひとにとっては必要なものかもしれない
だからどんなに物にあふれていようとこの世に余計なものなんてない
どんなことだろうと
考えるのも決めるのも自分自身
だからみんなみんなが同じ方向に進むなんてありえない
ひとりひとりが自分の行きたい方向にいけばいい
それを誰もとめることはできないし
変えることはできない
自由って何か考えてもわからないのは当然だ
この世界にはいろんなものでごちゃ混ぜだ
自由って何かも自分自身で決めればいい
そんなもの決めなくてもいいんだけどね
なにもかもひとそれぞれ
みんな違うということだ
この世で方程式なんて成り立たない
自分が自分自身をプロデュースしていく
それがいまのところぼくの考える自由かな
考えてもわからないことっていっぱいある
それでいい
だってこの世はごっちゃ混ぜ

ぼくはからだの調子が悪くなったのは
時間が区切られるようになってから
1時間 
1日 
1年
それまで無限の世界を飛びまわっていたぼくの分身たちは
突然せまい器に閉じ込められた
息苦しくなった分身たちは飛ぶことができなくなり死んでしまった
時間を区切ったものたちの思惑通りになったのか
それとも誤算だったのか
ぼくはいまでは一本のネジ

1日 1年と区切られると
未来を考え不安になる
瞬間瞬間瞬間瞬間・・・・・・・・・・・・・・・・

ひとりでいてはわからないことがある
ふたりでいてはわからないものがある
大勢でいてはわからないことがある
ひとりでいるからわかることがある
ふたりでいるからわかることがある
大勢でいるからわかるものがある

200年300年前の家々は
自然と共に暮らしているひとたちの知恵と工夫が
いっぱい詰まっていた
そして家での暮らしも自然と共にあった
風が通り抜け
虫が草を這う音が聞こえ
夜になれば暗くなる
ひとびとは自然の流れの中で生きていた
当時は電気なんてなかったから
暗くなればちょっと夜なべをすることはあっても
眠ってしまったのだろう
物にあふれたいまの世界を生きてしまったぼくたちには
そんな生活耐えられないだろうけど
当時はそれが当然の暮らしだった
そんな中で生きたひとたちどんなひとたちだったのだろう
その世界にはどんな空気が流れていたのだろう
ちょっと羨ましいけど
変わっていくんだ
みんなみんな
変わっていくんだ
   この世に 変わらぬものはなし
   時は流れ去り 情熱も夢も
   あなたのこころも わたしのこころも
   すこし すこし 変わる変わる
   変わりながら あなたとともに 生きる
    (浜田真理子)

いま成長期
いろんなことがいっせいに花開いた
ボクシングもパンも人間も
別々のことをやっているようだけど
本当はみんないっしょ
表面が違うだけ
いままで積み重ねてきたものが開いた
形はまだまだだけめちゃくちゃだけど
蕾が膨らみちょっとだけ開きだした
その蕾が次々に全開になっていくことが確信できている
ボクシングはとにかくいま相手も自分もよく見えている
相手がどう来るのか自分がどう動けばいいのか
技術面でもできなかったことがひょいっとできるようになっている
パンも問題点が見えてきて
問題もちょっとずつ解決できている
ゆっくりだけど着実に段階を上がっている
   待っていればいつか時が来る
   待つことは続けることだ
   自分自身を続けることだ
   いつか時が来れば積み上げてきたものが花開くだろう
   起きたことはもうどうすることもできない
   時は戻ってこないけど
   その時を経験に変えることはできる
   経験は宝だ
   経験はいつか何かに変わっていく
   いままでの苦しみやいままでの悲しみがいま何かに変わる
   いろいろあったからタフになれた
   いろいろあるけど自分にはどうすることもできないことがある
   いちいち挫けていられない
   次ぎ行ってみよう~
   次
   それでいい
   1回やって考え込むより
   2回3回10回100回こなした方が
   絶対よく見える
   からだから飛び出していく真っ赤な炎を追いかけていこうぜ
   2回3回10回100回
   結果なんてこだわることはない
   自分自身を出していくこと
   いまの自分を出していくこと
   どうにもならないことはどうにもならないけど
   自分自身を生きていれば
   別の形でどうにかなっていくから
   完成なんてない
   失敗なんてない
   死ぬまで過程
   何でもやってみればいい
   いい人に見せなくたっていい 
   頭のいい人に見せなくたっていい
   できる人に見せなくたっていい
   偽りのないいまの自分を出していこうぜ
   生きるということは瞬間瞬間
   瞬間瞬間にいまの自分をどんどんぶつけていけば
   風が吹き出す
   さあ 冒険の始まりだ
   どんなことがぼくを待っているのだろう
   見上げれば空が広がっている
   いまなら飛べそうだ
   生きろ
   生きていこう
   瞬間瞬間に生きる喜びを噛み締めながら
   まずはあの山を越えて

孤独を何かでごまかしたり
孤独から逃げていていても
残るのはむなしさ
孤独といっしょに生きていれば
いつか孤独が何かに変わる

温度計で捏ね水を測ったり
捏ね上げ温度を測ったりすれば
もう少しパンの出来も安定するのだろうけど
やっぱりぼくは自分の感覚を育てていきたい
それがぼく
ボクシングも人間のりもぜんぶそういうやり方でやってきた
これからも

近頃運動をしていないというひとへ
ちょっと100メートルを全力で走ってみてごらん
その場でできるだけ高く10回連続でジャンプしてみてごらん
びっくりするから
くれぐれも準備運動を忘れずに

ランニングを始めたというお客さんが
何人かいる
ぼくの知っている範囲のひとはみんな1年2年と続いているそうだ
ここまでくれば挫折はないだろう
みんなもうランニング中毒だ
一線を越えるまでは苦しいけど
それを超えてしまえばもうジャンキーの仲間入りだ
ようこそ喜びと苦しみ エゴと思いやりの世界へ
みんな走る距離を着実に伸ばしている
そしてなんだかみんな元気になっている
からだを動かすことと元気は繋がっているのだと思う
歩くことでも続けていればきっと元気になっていくよ

すべてはつながっている
だから何かが崩れればすべてが崩れていく

少年は走ることが好きだった
二本の足で毎日毎日クタクタになるまで駆け回った
いっぱいの星が空を埋めつくし
月が飛ばされやしないかと少年が心配してしまうほど
強い風が吹いている日のこと
いつものように少年が学校の裏山を駆けていると
暗闇にヒュルルンルンと人影が現れた
背丈は少年とそう変わらなかった
「安ちゃん」
暗闇に現れた人影がうれしそうな声で安夫の名前を呼んだ
「又三郎け」
「うんん、寒太郎だよ」
                続く

ひとの姿に力をもらうことがある
ひとのことばに力をもらうことがある
おとなからも
こどもからも

きょうもお客さんがパンを買いに来てくれた
感謝
晴れた日は
爽やかな顔でやってくる
休みの日は
ホッとした顔でやってくる
カップルは
ふにゃけた(ふやけるの砕けた言い方)顔でやってくる

警察に職務質問されているひとがいた
ぼくもなんどもやられたことがあるけど
本当に気分が悪くなる
きっと職務質問をやられて
その理不尽さに
どうにもならないいきどおりを感じて
ひとを刺しちゃうひとや
火をつけちゃうひともいるだろうな
パトカーおまわりが拡声器をつかって
叫んでる
「そこの車でそこで止まっているんじゃない」
「そこの車曲がるならウインカーをだしなさい」
おまわり刺しちゃう人もいるだろうな
交番に消火器持って行っちゃう人もいるだろうな

愛があってもどうしようもない力に引っ張られてしまうこともある
人間を生きるって難しい

ひとの痛みは想像することはできても
わかることはできない
だから当然痛みを分かち合うことなんてできない
だったらぼくはどうすればいいのか
ぼくになにができるのか
できることはいっしょにいてやることだけだ
相手が望んでいればだけど
そしてぼくにそれだけの愛があればだけど

ぼくは奇麗ごとばっかり言っている
いまの自分は奇麗ごとだけで生きていける環境にいるから
奇麗ごとで生きていけてるけど
この環境から外れたら
奇麗ごとだけで生きていける実力を持っていない
でもそれでもぼくは決意する

2日間休んでジムに行くと
精力があふれ出している
元気満々
スパーリングをやった後も
まだ動きたい動きたいとからだが催促する
でも残念ながら電車の時間

めずらしく病気も怪我もなく順調すぎるので
張り切りすぎて腰に張り
鍼でも刺せば治りそうだけど
自分で指圧
いつもはそれで治ってしまうのだけど
今回は駄目みたいだ
休みがないのも困ったもんだ
休む気になれば休めるんだけど休めないのは
スポーツ人間のさが
都合よく2日連続で雨が降ったので
トレーニングを休むことができた
やっぱり痛みがあるときは
思い切って休んだほうが治りが早い

ボクシングをやっていてわかること
からだは自分の思うとおりになかなか動いてくれないということ

アホウドリが飛んでいく
安心安全叫びながら
あぐらをかいているひとがいる
アホ―アホー
その場所がいちばん危ないんだよ
アホウドリが飛んでいく
今年は餌が少ないな
アホウドリが飛んでいく
変わる 変わる いまは変わる
アホウドリよいつかお前らもいなくなるのか
いつか僕たちもいなくなるのか
そんなことはわからない
わからないけど
いまを
いまの自分を生きていこう

きのうはランニングハイになった
きょうは考えるハイになった
思いがどんどん浮かんでくる

ギンギラに輝いていたシステムもやがて年をとり力が衰えてくる
餌を食べ過ぎて大きくなりすぎたシステムは
大きくなりすぎたからだを支えるだけの栄養を自分の力で
手に入れることが難しくなってきたので
生きていくために
体質改善をはかることにした
余分な肉をそぎ落とし
より栄養の多い餌を食べ始める
そぎ落とされた肉たちの
悲痛の叫びがむなしく響く

システムの中に入ると安心できる
そんな餌をぶら下げてシステムはやってくる
ガブリ ガブリ ガブリ
沢山の人間が餌に釣られて集まってくる
ガブリ ガブリ ガブリ
集まってきた人間を
ガブリ ガブリ ガブリ
殺されていく人間たち
システムの血となり肉となり
ガブリ ガブリ ガブリ
どんどん大きくなっていくシステム
ガブリ ガブリ ガブリ

ここ数年でどれだけの機械が壊れただろう
ミキサー パソコン 冷蔵庫 CDラジカセ
なければないでやっていけるけど
あればあるで寄りかかってしまうものたち
自分の持っている力以上のことをやろうとすれば
必要になってくるけど
その分壊れてしまったらどうにもならなくなってしまう
ただいま日本中全国にきかい頼りすぎるな警報が発令されています
ご注意ください

どんなことが起こっても
ひと呼吸ふた呼吸
宇宙の呼吸に身を任せ
あるがままを受け入れてみる
こころはいつも静か
待つことは
いまあるものを大切にすること
いまあることを大切にすること
いまを大切にすること
待つことは
ひとや生きもののまわりに
新鮮な空気を送ること
優しい空気を送ること
喜びの空気が循環すること

知識にがんじがらめになって
広がることができなくなるより
ぼくは自分のこのからだで
ぶつかってくるものを受け止めながら
考え悩み苦しみ楽しみ
自分自身をつくっていきたい
教科書通の右ストレートでなくていい
自分なりの右ストレートを見つけたい

ひとは何のために生まれてきたのか
そんなことは知らないけど
ぼくが何のために生まれてきたのかはわかる
ぼくはボクシングををやるために生まれてきた
情熱って冷めていくものだけど
ボクシングだけはこれだけやってもまだ冷めていかない
それどころか年々温度が上がっていっている
あれだけ好きだった野球も肩を壊したり
チームメイトとの関係で遠ざかっていったけど
ボクシングはぴったり自分に合っていたのだろうね
試合をやるわけではないけど
ぼくはぼくなりの楽しみ方で楽しんでいる
ジムにはプロを目指してやっているやつ
実際にプロのリングで上を目指してやっているやつ
ダイエット目的のひと
なんだかからだを動かしたいぜというひと
50歳後半になって試合に出ようとしているひと
ストレス解消を目的としたひと
ボクシングを観るのが好きなひと
教えるのが好きなひと
いろんなひとがいて
それぞれがそれぞれの楽しみ方で楽しんでいる
   ひと付き合いが苦手なら
   ひとのなかに入ることのない人生を送ることだってありだし
   学校に行きたくないのなら
   学校に行かないという人生を送ることもありだし
   仕事をやりたくないのなら仕事をやらないという人生を送ることもありだ
   短い人生
   無理して嫌なことを
   克服しようとすることもないんじゃないのか
   世の中に流れている空気に屈することなく
   自分なりの楽しみ方で楽しんで生きていけばいい
   すべては自分で決めること

パン生地が膨らんでいく
毎日パンを作っていると
なんでもないことになってしまうけど
これってすごいこと
奇跡と呼んでいいことが
毎日目の前で行われている
人間が生きていられるのも
これもやっぱり奇跡
奇跡的なバランスがこの世界をつくっている
だからちょっとでもそのバランスが狂えば
あとででそのひづみが出てくる
パンを作ることが難しいのはあたりまえだ

メガネをかけるようになって目がさらに悪くなった
レンズに頼ってしまうと目を使わなくなる
いままで目の焦点をあわせようと苦労してきたけど
いまはほとんどそれがない
ボクシングをやっているときはメガネもコンタクトもつけられない
相手のパンチが見えにくくなったと感じた時期もあったけど
パンチが見えにくかったのは
パンチを目だけで追おうとしていたから
相手の動きはからだ全体で感じるもの
視力じゃなくて集中力

一つ一つのパンチをサンドバックめがけて
力いっぱい叩きつける
自分のパンチを見つけるときにまずやること
何千回 何万回と同じパンチをサンドバックに打ち続ける
野球の遠投と同じでホームが固まってくるし
筋肉も付いてくる
そして一番大事なところは
どうすれば最高に強いパンチを打つことができるかを
つかむことができる
最高に強いパンチを打つには
ただ力任せに打てばいいというわけではない
まったく逆でいかに力を抜いて打てるかだ
当たる瞬間に100の力がだせるように
それまではとにかく力を抜く
なんでもそうだよね
人間は100の力でずっと走り続けることはできない

どんなに頑張ったって
どうにもならないことがある
それは仕方が
ひととの関係もどんなに
がんばって維持しようと思っても
壊れるときは壊れる
壊れないときは壊れない
結果なんてものはどうなったって仕方がない
自分を素直に出していくこと

このところ休みの日は寝てばかりだ
朝ランニングに行ったらご飯を食べて
お風呂に入って布団の中へ
夕方起きてジムへ行って
帰ってきたら酵母をいじって
再び布団の中へ
明日の休みはどこかでおいしいものでも
食べてこようと思って寝るんだけど
当日になると疲れていて出かける気力が湧いてこない
でもたくさん寝るとやっぱり体力が回復する
休みの日のジムでの練習はからだが軽い軽い

何かを必要としているひとがいるなら
それを持っているひとがそのひとにそれを分けてあげればいい
奪い合いじゃなくて
分かち合い
奪うのをやめたとき
たくさんのものが見えてきた
微笑みかけてくれる小さな黄色い花
励ましてくれる冷たいけど力強い風
優しく抱きしめてくれるモワモワの雪雲

会えなくたって
願っていてくれるひとがいる
祈っているひとがいる
思っていてくれるひとがいる
見守ってくれているひとがいる
会えなくたって
願うことができる
祈ることができる
思うことができる
見守ることができる
空を見上げればぼくを見ていてくれるひとがいる

この世でいちばん偉大な生き物は
文句なく鮭だ
味付けなんてしなくてもあれだけ深い味わいの
食べ物があるだろうか
スモークしたサーモンがあったので
ひまわりが入ったライ麦80%のパンでオープンサンド
思ったとおり
ぴったんこ

成長期に入った
やればやっただけちからがついている
一歩足を前に進めるたびに
新しい血が流れ出し
新しい肉を作り出している

変えるべきこと
変える必要のないこと
変えられること
変えられないこと

状況が悪いときは
待つこと
状況が変わるのを
待つこと
自分が変わるのを
待つこと
結果はどうなろうとかまわない
いまこの瞬間を大切にすること

S夫妻手製のキムチをもらったので
パンにはさんで食べた
硬い方の平焼きパンにも合ったけど
モチモチの方の平焼きパンにもぴったんこ
レーズンの入ったのしかなかったんだけど
レーズンの甘みがキムチの旨味をさらに引き出してくれていた

材料が足りなくなったり
パソコンの調子がおかしくなったり
今年も早々にいろんなことがやってくる
僕自身はこころもからだも絶好調で
何年かぶりに怪我も病気もない1月を過している
調子が良いのは待つことができるようになったからだと思う
イライラしたり
焦ったり
急いだりはとストレスになる
待つことはこころ静かであること
宇宙の呼吸に身を任せること

自転車野郎たち今年は健全に自転車を乗っているらしく
きょうは朝一番の電車に乗って大田原の羽田沼でハクチョウを
見てからお昼を食べに益子まで約60KM
夕方また大田原に来るまでに100KM近くは走ったとのこと
それでまた電車で東京まで帰っていくんだからすごい
身体を目一杯使うことで眠っていた野性が目覚めるのかな
現代のひとが失ってしまった距離感覚を持っているそれにタフだ

ぼくは歩くのがものすごく遅い
ぼくは行動に移るのがものすごく遅い
ぼくは頭の回転がものすごく遅い
学校に行くようになると全員同じ速さ同じ動きで歩かされる
だからこの国はみんなと歩調をあわせることは良いことで
歩調をあわせないことは悪いことという空気が充満している
1 2 1 2
左 右 左 右
効率性
打算性
正確性
こころが機械になっていく
1 2 1 2
左 右 左  右

パンを作っていて思うこと
感覚を記憶するのは難しい
とくに柔らかい生地の硬さを記憶することは困難だ
硬い生地の硬さは神経に強くぶつかってくる分
記憶しやすいのだけど
柔らかい生地の硬さは神経にちょこっと触れるだけなので
なかなか記憶に残ってくれない
毎日生地をいじっているのにいまだにわからない

店を休んだ日
店の中にたくさんの空のダンボールが詰まれていた
うれしかった
このところ通販用のダンボールを集める時間がなかなかとれない
こんなふうにぼくは多くのひとに支えられている

ひとのミスには怒るけど
自分のミスには怒れない
自分も同じミスをするのだけど
自分のミスは棚上げで
ひとのミスを怒ってしまう

悲しくて悲しくてやりきれないときもあった
胸がギュウギュウ締め付けられるときもあった
さびしくてさびしくてどうしよもなくさびしいときもあった
そんななかでもパンを作った
ときにはうまくつくれないときもあったし
店を休んでしまうこともあったけど
ぐにゃぐにゃになりながらも
パンを作り続けている自分を褒めてやりたい
これからもはちゃめちゃ人生たのしんでいくぜ

きのうの最終発酵がいつもより60分遅れたパン
こういうパンはだいたい失敗パンなんだけど
食べてみたらめちゃくちゃうまい
ここ何年でいちばんいい味だった
これだからパンがわからなくなる

今年は待つ機会が多い
材料が足りなくなり店を休んで
送られてくるのを待ったり
パン生地の発酵がものすごく遅くて
発酵が進むまで店を開けずに待ったり
待つこと待てること
なんだか大切なことのような気がした
何がどう大切なのかわからないけど
そんな気がした

それに耐えられるひともいるし
耐えられないひとだっている
人間の種類はひとの数だけある

むかしからひとのペースに合わせたり
ひとの価値観に合わせるのが苦手だった
ひとに合わせられるひともいるし
合わせられないひとだっている
それでいいんじゃんか

練習3日目で2日連続のスパーリング
それでもきのうのスパーリングで体が軽くなっていて
まあまあの動き
昨日今日のスパーリングで
何かがつかめかけている

米粉をもらったので
試しに作ってみる
まだ特性がつかめていないけど
あんまり興味が湧いてこないかな

今年しょっぱなから材料が足りなくなる
かなりのパンに使っているものなので
ちょっと痛い
指先も痛めていて捏ねるときに激痛が走るので
きょうは休むことにした
明日はある材料でできるものを
すこしだけでも作ってみようか

今年初のスパーリング
今年はまだ2回目の練習だったので
2ラウンドで勘弁してもらう
我がジムのホープとお手合わせ
やっぱりスリル満点
休みの間もランニングはしていたので
それなりの動き
やっぱりボクシングは最高だ

このところこの時期になると咳が出てくるのだけど
今年はほとんど咳が出ない
腰も痛まないし
ストレスがかなり減ったからだと思う
ここ何年振り返ってみると
自分はストレスの塊だった
しっかり時間を守る
しっかり働く
などなど
しっかりしっかりはストレスのもとになる
意識することでだいぶそれらを緩められるようになってきた
この頃だいぶなまけものが板についてきた
仕事の作業が遅れているときでも焦らなくなった
作業が遅れているからといって焦ったところで
作業が速くなることはないということがわかってからは
遅れているという事実を受け入れて
その時間も大切に生きることにした
さいわいこの店はなまけものの店のオーナーや
なまけものの学生 なまけものの自転車のりなど
なまけもののお客さんしかやってこないから
焼き上がりが遅くなってもわかってもらえる
もう時間を追うことも時間に追われることもやめにしたい
もうこの歳になってきたし残りを生を考えると
抑えることも守ることももういいだろう
ゆっくり生きて生きたい
ぜんぶ吐き出して生きたい
ときにはやってしまったことに対して
仕方ないで済ませることもありだと思う
仕方のない理由があるなら仕方がない
やってしまったことが原因でこころが病んでしまい
ボロボロになったり死んでしまうよりは仕方がないで済ませてしまって
生きる方をぼくは選ぶ
仕方がないだけで済ませてしまうべきでないこともいっぱいあるけれど
仕方がないだけで済ませていいものもいっぱいある
楽しそうなことがあったら
後先のことなんて考えることなく
損得考えることなく
頭が真っ白になって
そこに飛び込んでいける自分でいたい
たとえ後先のことを考えてしまったとしても
楽しいほうに飛び込んでいける自分でいたい
はちゃめちゃでもいい
楽しんで生きようや
アホでもいい楽しんで生きようや

どこかにいけばそこがここになる
iいつかになればそのときがいまになる

over the rainbow
虹の向こうにも素晴らしいことはあるだろうけど
この場所にも素晴らしいことはたくさんある
考える力や勇気 ひとを思うこころ  
誰かや何かが与えてくれるかもしれないけど
自分の中にだって眠っているんだ
カンザスへ30好評発売中

駅から家に向って走る
走り始めはじめは足が半分凍っているのだけど
そのうちにからだがポカポカしてきて
終いには汗が流れている
もうその頃にはまわりが氷点下であることを忘れている
僕は別の世界に行っている
ぼくにとってはいまのその場所が事実
氷点下であるという事実はそのときのぼくにとって
事実ではなくなっている
そのときのぼくの状態が事実をつくっていく
ひとの数だけ事実はある
だからひととひとが分かり合えるなんてこと
そうそうあるもんじゃないんじゃないか
なんでもかんでもわかろうとしたり
「なるほど」とわかったつもりになったり
でもやっぱりわからないことってあると思う
わからないことがあってもいいと思う
テレビのワイドショーのようにわかったようなこと言って
ぜんぜんわかっていないなんてことはいっぱいあると思う

何年か前は仕込みの合間に
ちょくちょく喜連川まで走って帰ってくるということをやっていたのに
いまでは走って5分の距離にあるスーパーにも行くことができない
喜連川まで往復30KM近くあるんだけど一体どうやって
そんな時間を作っていたのだろう
自分でやっていたことなのに謎だ

時が経てば嫌だと思っていたことも
当然のこととしてやっている自分がみえた
組織に染まっていく自分の姿
そんなことに耐えられないので
ぼくはそこから抜け出した
まわりからは落ちこぼれの烙印を押されたけど
あれから何年もの月日が流れ
僕は思う
ぼくの選択は間違っていなかったと
僕はぼくを誇りに思う
自分のこころを大切にできたことを
楽しみ方はひとそれぞれ
自分自身の楽しみ方をすればいいんだ

イケイケのときも
うまくいっていないときも
いつも誰かが支えてくれている
ひとりぼっちと感じるときも
必ず誰かが見ていてくれる
それがあるから
生きていける

不公平に見えても
やっぱり公平なんだ
だれにでもそうなる危険性はあるのだから
何にもしないで過すということは
何をするのも自由だということでもある
ものごとに境目なんてものは存在しないのかもしれない

なんでもかんでも
きちんとやらなければならない
ぼくらはみんなきちんと病だ
でもぼくらは生きてる限り未熟のまんま
きちんとなんてできないよ
なにがほんとで
なにが正しいのか
そんなことだれにもわからない

不景気は問屋さんにまで及んでいるようで
いままで車で配達してくれていた材料
今年から宅急便で送るとのこと
一万円以下の場合は送料こっち持ちで
しかも代金は荷物と引き換えにヤマト運輸にその場で現金払い
ひとりなので現金のやり取りも面倒だけど
きっと材料が間に合わないことも出てくるだろう
厳しい日々が続くけど
なんでもかんでも便利に運ぶことが当然になってしまっていることの
方がおかしいんだ
ぼくらはみんなきちんと病だ

パン屋を始めて何年経ったのだろう
ずいぶん長い時間が経ったので忘れてしまった
自分の年齢も最近わからなくなってしまうときがある
34歳なのか35歳なのか36歳なのか
オレはいま何歳だ?
なまけもの屋に続く黄色いレンガ
願いを思いながら歩くと
願いが叶うかもしれないと言われている
お試しあれ

正月はとても静かで
ランニングが気持ち良い
おまけに空気もきれいで山もよく見える
こんな人口の少ない町でも普段は
車の音で騒がしくなっていたんだなあ

このところ自転車野朗のブログ(食いしん坊バンザイ)
http://d.hatena.ne.jp/taketchi/20090103 を見て
どこそこ行ってきたよというお客さんが続出している
東京に住んでいるのにちょくちょく栃木まで
食べ物を求めてやってくるのでいまでは栃木のひとより
栃木が詳しいんじゃないだろうか
栃木県民を影で操っている悪いやつらだ
自転車を一応持ってくるのだけど最近は
「自転車をこぐひまがあったら食べるのだ」といって
自転車は飾りになっている

星がきれいだったので
ダッシュの合間にグランドに寝転がってみた
空を見上げているときに
普段と違う思いが浮かんでくるのは
やはりこのでかさのせいだろう
小さくなっているこころのなかには収まりきらない思いが
ふたを破ってあふれ出す
空には大きな白い雲
雲が動いているのか
星が動いているのか
地面では風に押されて枯葉がガラガラ転がっている
人間なんていてもいなくても関係なく
ここにも
そこにも
あっちにも
動があり
音がある

「きょうから雑貨屋を始めるの
まだ店舗もなく商品もないけど
自分の中ではきょうからスタートなの」
クリスマスの日にパンを買いに来てくれたお客さんが言っていた
なんかいいなあ
自分もきょうからはじめてみよう
自分の好きな音楽を提供したり
いろんなことひとに教えてもらったり
音楽を聴きに行ったり
山に行ったり
パン屋もその一部
なんだかいまやっていることと変わっていないな
分かち合いの世界

ひとりでのお店は
気楽なときもあり
孤独なときもあり
悲しいときもあり
うれしいときもあり
くやしいときもあり
いろんな感情が渦まくけど
こういうこと全部含めて楽しい
きっとこのなかの何かがかけてしまったら
ちょっと味気ないものになってしまうんだろうな

パンの課題もかなりのところ克服できてきた
だんだんとのってきたぜ
週休2日に慣れてしまったので
最後の1週間休みなしはきついぜ
前は3ヶ月4ヶ月休みなしでやっていたのに
人間楽をすると前のように戻るのは大変だわさ
でも怪我や病気で何ヶ月かボクシングを休んだとき
やっぱり元に戻すのは大変なんだけど
やればできちゃうもんだ
戻しているときは嫌で嫌でしょうがないんだけど
からだが戻ってみるとうれしいもので
やっぱりやってよかったと思う
さあ 残すとこあと5日
ノリノリのノリヒサくんおいしいパンを作りましょうか

何度も出かけたコンサート
今年はもう終わりだろうと思っていたのだけど
時間が空いたので日光在住のアーティスト
AKIRAさんのコンサートに行ってきた
宇都宮なので楽でいいなと思っていたけど
結局今回もコンサートが終わってから
雪の中30分走ることになるし
電車も最終だった
AKIRAさんあれだけ声量があると
聴いていて気持ちが良いもんだね
http://jp.youtube.com/watch?v=Hkdpn8dXedk  (映像)

店にはガラスのコップや皿がいっぱい置いてある
店にやってくる2~4歳の子どもの多くが
やっぱり店に置いてある小さな金属の棒でガラスをたたき出す
からだのそこに眠っていたものが暴れだす
音楽や踊りを持っていない民族はいないのじゃないのか
太古の昔から人間のからだの中に眠っている熱き血汐

「200メートル先を右折です」
「間もなく目的地です」
完全に操られてる
使っていればこれも当たり前のものになってしまうのだろう
ぼくは道具や機械を使いこなすことによって
大きな力を手に入れた
いまでは自分の力以上のことができてしまう
遠く離れたひとに瞬時に意思を伝えることができるし
空だって飛べる
でもぼくは100メートルを
10秒で走ることのできた自分の足を失った
時が来るまで辛抱して待つということができなくなった
動物達と対等に付き合えなくなった
いったいぼくはどこに向おうとしているのだろう



パン作り
今年はまったく見えなくなった
だけど見えなくなったとに気づいたということは
しっかり見えているということなのかもしれない
わからないということがどこか見えてきたし
そのわからないところがどこなのかというのも見えてきた
そしてそのわからなかったところもほんの少しだけ見えてきた
まだまだ良いパンができるという光も見えてきた
冷めかけた情熱の火が戻ってくるということもあるんだね
少しずつ少しずつ戻ってきたよ
一歩一歩
こつこつ
こつこつ
歩いていればいつか通ることになる道がある
その道を通れるようになるまで
一歩一歩
こつこつ
こつこつ
歩いていこう
楽しいときの一歩も
苦しいときの一歩も
うまくいっているときの一歩も
うまくいかないときの一歩も
みんな同じ一歩
一歩一歩が死ぬまで続き
一歩一歩が自分になる
どんなことが起ころうとそれがいまの自分のちから
どんなことが起きていてもそれがいまの自分の現状
それを受け入れられればどうにでもなる
焦っても仕方がない
一歩一歩段階を踏んでいかなければ
理解できないことがある
一歩一歩段階を踏んでいかなければ
修得できないことがある
急ぐなまわれ
急ぐなまわれ
一歩一歩
こつこつ
こつこつ

通らなければならない道がある
通らなければわからないことがある
コツコツコツコツ歩んでいくしかないんだね
失敗することや試練がやってくることや傷つくことを
恐れすぎる必要なんてないんだね
この道はいつか来る道~
ああ そうだよ♪
自分の道を歩んでいれば
失敗や試練や傷つくことは後からついてくる
何かやるのに理由なんていらない
ごちゃごちゃいってねえで
楽しんじゃえばいいんだ
歩んでいけばいいんだ

大きな木々
小さな木々
枝を見るともう蕾をつけている
こんなに寒いときでも
モクモクいのちの炎を燃やしている
葉っぱを落としても木々は生きている
一年中生きている
生きるために生きている
ぼくも生きるために生きてやれ
生きるために遊んでやれ
遊ぶために生きてやれ
遊ぶために遊ぶんでやれ

時間のことを気にすると
こころが時間に囚われてしまう
金のことを気にすると
こころを金に囚われてしまう
ひとの評価を気にすると
こころがひとの評価に囚われてしまう
でも囚われさせているのは自分自身
この世界には
時計ではかれるような時間を必要としない時間がある
金なんかでは買えない喜びがある
ひとの評価なんて何の意味もなさないことがある

ぼくはからだを動かさないでいると
死んじゃうんだろうな
ダッシュ サンドバックの連打
目一杯からだを動かしているときは
どんどんどんどん力が湧き出てくる
からだを動かしていないときは
動かすのに使うはずの力が枯れてしまって
からだのなかに残ってしまうのかな
パンにも集中できるようになってきたよ
やりたいこと思い切りやっちゃった方が
別のことにも集中できるみたいだ
もう抑えるのはやめてもいいんじゃないか
何十年も抑えてきたじゃないか
一年ぶりの絶好調
走って走って走りまくってやる
チーターみたいになりたいんだ
あんなゴムまりのように動けたらおもしろいだろうな





そういえば流れ星を見たのは久しぶりだ
駅へ向うのに走っていると
夜空に大きな光
なんだろうと眺めているとオーロラのように広がりながら
ゆっくりゆっくり流れていく
願いごとを唱えるのを待っていてくれているように
ゆっくりゆっくり流れていく
何年か前に真下に堕ちていった流れ星を見たところと
まったく同じ場所

ようやく調子が上がってきた
やっぱり自分はからだを目一杯動かすのがいいみたいだ
からだを目一杯動かすことが自分にとっての精神安定剤だ

今年はあれもこれも
盛りだくさん
いろいろやってきた
同じ場所にいては見えないものが
見る場所をかえることでいろいろと見えてきた

自転車野朗たち
クリスマス前だから
クリスマス用のピカピカデコレーションをつけた自転車で
登場するだろうと思っていたら
大人6人地味にママチャリでやってきた
いつもかっこいい自転車に乗っている姿を見ているので
大人6人ママチャリで並んで走る姿はちょっと可笑しい
雨が降っていたので電車で来て西那須野駅にある
観光協会で自転車を借りてやってきたとのこと
自転車は西那須野の観光に使用することという条件があるので
管理人にこんなに暗くにどこに行くのかときかれたときに
このあたりの神社めぐりと答えたらしいが
西那須野の神社に夜参拝しておもしろいような神社はひとつもないし
しかも電灯なんてないから真っ暗だ
わら人形でも打ちに行くのだろうか
相変わらずうまそうなもの食べている
http://d.hatena.ne.jp/taketchi/20080119

欲張っているときは
素晴らしいことが素晴らしいと感じなくなっている自分がいる
あたりまえなことのひとつひとつが素晴らしいことなのに
素晴らしいことを素晴らしいと感じられる眼さえあれば
きっと
ここじゃないどこかにだって
ここにだって
いつかにだって
いまにだって
素晴らしいことはある
生きているとすぐに目は曇ってきちゃうんだけどね
そこがにんげんのおもしろいところでもある
目を曇らせてしまうのもにんげんだけど
鏡となって
目の曇りを教えてくれるのも
取り除く手伝いをしてくれるのもにんげん
ごちゃごちゃでむずかしいけど
やっぱりにんげんは素晴らしくおもしろい

本日は横浜上大岡でダーヴィッシュのコンサート
http://jp.youtube.com/watch?v=ZC614ENBIA4&feature=related
早めに東京に着いたので久しぶりに映画館
「うん、何」を観る
映画全体としては?マークがつくけど
作り手の伝えたいことがしっかり伝わってきた
生きるって素晴らしい
ときに映画はそんなことを思い出させてくれる
きょうは電車で読んだ2冊の本とこの映画
それぞれにひとの死が出てきた
ひとの死にぶつかると
欲張って生きている自分に気づく
大切なものの影がちらっと見える
0になることを怖がっていた自分
すぐにわすれちゃうんだけどね
0になったっていいじゃんか
もっともっと大切なものがある
ダーヴィッシュのコンサート
ちょっぴり歳をとって
ちょっぴり太ったキャシィと酔いどれ男たち
もう何十年音楽をやってきたのだろう
これはアイルランドのMozaik を観たときも感じたのだけど
力が抜けすぎているくらい抜けている
キャシィの歌はやっぱりすごかった
浜田真理子もそうだけど
歌の神様が乗り移らなければあんな声は出せないぜ

パンがいっぱい余ったとき
いままではガクッとしていたけど
いまならお客さんと楽しい時間を過ごせたなら
たとえお客さんがひとりでもいい一日だったと思える

世界は平等になんかできてはいない
餌が得られなくて死んでしまう熊
山火事で焼かれてしまう鳥たち
それは山でちっちゃな石ころが転がり落ちるのと同じくらい自然なこと
にんげんの世界だってそれは同じこと

今年はなかなかパン作りがうまくいかない
でも今年たまたま調子が悪いということなんかじゃなかったんだよね
わかったつもりになっていたけど
まったくわかっていなかった
ただそれだけのこと
でもうまくいかなったぶん
わかったこともいくつかあった
これが生きるということだ
コツコツと歩んでいくしかないんだ

人間やることなくなゃうじゃんというくらい
便利なものが増えてきた
それを利用するかしないかは自分の判断
便利になったらなったでそれによって失うものも必ず出てくる
ぼくは失うものの方に価値を感じてしまうことが多いから
出てくるもの出てくるものになかなか手が出せない
たとえば携帯電話
いつどこでも連絡が取れて便利だけど
ぼくは待つことがけっこう好きだ
ひとと待ち合わせをして待っているときに
これから会えるんだというワクワク感と
来ないんじゃないかという不安感が
混じったあのなんともいえない時間
それに会えないときにそれぞれが生きた時間というものも大切にしたい
なんでもかんでもすぐに知ってしまうということは
なんにも見ていない
なんにもわかっていないことでもある
そんな危険なことでもある気がする
わかったつもりになるけど本当はなにもわかっていない
繋がっているようだけど本当は繋がっていない携帯電話

木から落ちた葉っぱが地面いっぱい
焼き芋の季節だ
すき焼き 甘酒 キムチ鍋
冬はさびしさを感じる季節でもあるけど
ぽかぽかの温かい食べ物のことを考えられるので
豊かな気分にもなれる
北欧の音楽がとても暖かいのは
そんなことも関係があるのかな
室内もストーブでぽかぽかだしね

どんなに遅く帰った夜も
どんなに疲れて帰った夜も
ほっと一息一本の缶ビール
今年は前半に肋骨を折ったりしたけれど
夏以降は風をひいたくらいで
ぜんぜん乗れなかったけど
トレーニングを続けることができた
そしてここにきてようやく気持ちが乗ってきた
ハードな練習になってきてからだも動くようになってきた
からだが動くようになってきたら
気持ちも高まってきた
来年は刺身うを食べるとき意外は酒を断って
ボクシングをやってやってやりまくるぞ~

大切なことってそんなに遠くにあるものじゃなく
とてもとても身近なところにある気がする

こころを潰してまで
やらなければならないことなんて
この世にそうそうあるもんではない
人間の生きられる時間なんてそう長くない
人間ひとりが使える力なんてわずかなもの
欲張ったってしょうがない
大切なことを・・・

今年はしょっぱなから
力が抜けてしまうようなことがあり
すべての情熱が冷めていった
バカバカしくくだらないことであったのだけど
一年中それを引きずってしまっていた
こころに負った傷はどんなにばかばかしく
くだらないことで負った傷でも
きっと一生背負っていかなければならないものになる
思い出して苦しくなることもあるだろうけど
その傷はひとを思うこころを作ってくれる財産
傷ついていようとなかろうとやることはいっしょだ
いまこの人生をおもいきり楽しむこと

久しぶりに朝ランニングをした
ひんやりとした空気に顔が引き締まる
すっかりこの感触を忘れていた
走っているうちに
太陽が出てきて
すこしずつ固まった顔やからだを溶かしてくれる
朝のランニング
昼のランニング
夜のランニング
それぞれまったく違った空気がある
そしてそれぞれにそれぞれの喜びがある

つま先走り&もも上げで
かなりの距離を走れるようになった
からだは使ってやればかならずそれに応えてくれる
10年かかるかもしれないし
50年かかるかもしれないけど
気がつくといつかぱっと花が咲いている

庭を歩いていると
夏には気がつかなかった
ナラの木の葉っぱがちょこんちょこん出ていた
もうかなり成長しているものもあり
夏の間覆っていた草で見えなかったようだ
どんぐりコロコロ
転がって
この土地も
いつかまた森へとかえっていくのだろう

楽しみは自分で作るもの
日々の生活でも
ここじゃないどこかに行っても
身近なところのことでも
自分で楽しもうとすれば楽しくなる
大変そうに思えることでも
やってみればやってよかったと思えることのほうが多いし
へたくそでも才能がなくたって
好きならやればいい
へたくそはやっちゃいけない
才能がないやつはやっちゃいけないなんて決まりはないんだから

ランニングをしながら
ひとの家の庭を眺めている
古い柿の木があったり
大きなケヤキの木があったり
災難がないように南天が植えられてあったり
ほとんどどの家の庭にも植物が植えられている
みんな植物を欲しているんだな
人間はきっと植物と共生しながらじゃないと
バランスを取って生きることができないのだろう

小学生や中学生の頃の音楽の時間にやった
リコーダーや鍵盤ハーモニカ
最初から最後まで弾けた曲なんてひとつもなかった
興味がなかったのでつまらなかったし
弾けなかったから苦手意識があるけど
これからは楽しい音楽をやっていこう

音楽が聴けて
本が読めて
パンが作くれて
ボクシングがやれて
ランニングができて
たくさんの素敵なひととの出会いがあって
美しい山々や星空を眺めることができて
毎日こんなにご褒美をもらってる

横浜 神奈川県民ホール 浜田真理子コンサート
山下公園前のホール
クリスマス直前横浜の街はキラキラキラキラ
ひとは多いけど東京とは違う空気
なんだか広島の中心地に似ている
開始時間を2時間も勘違いしていたけど
一ヶ月前のコンサートで会場を間違えたことがあったので
新幹線を降りるときに確認
無事開始時間前に会場に入れた
こじんまりしたホールでピアノの弾き語りにはちょうど良い広さ
座席もみやすいように配置されている
舞台の上にピアノが一台ドーンと置いてある
ワクワクしてくる
一年ぶりの浜田真理子
観客はひとりできているの率がかなり多い
おじさん おねえちゃん おにいちゃん
年齢層はちょっと高めだけどいろんなひとたち
それぞれが浜田真理子のどれらかの歌に
自分の人生を重ねているのだろう
髪を切って輝きを増した浜田真理子
ピアノの音が響く
一年でこんなにも変わるのか
それともぼくが変わったのか
研ぎ澄まされたピアノの音と歌声
http://jp.youtube.com/watch?v=s780baSMVpE
歌えることの喜びがからだ全体からあふれ出している
良いホールだ浜田真理子の声がそのまま飛び込んでくる
四度目の浜田真理子
今回がベスト
CDではピンと来なかった曲が
生で聴くとこころに染込んでくる
失恋や死など悲しい歌ばかりなんだけど
なぜか聴くと元気が出てくる
曲数は少なかったけど
選曲もよく大満足のコンサートだった
休憩中に山下公園で飲んだ地ビールもおいしかった

パンは難しい
パンを作っている限り
これからも迷いやわからなさの連続だろう

苦しくて苦しくてしかたがないときでも
こころの奥底では
生きようとしている
生き抜こうとしている
それはそれは素晴らしいことだと思う
そして死が目の前に迫っているときでも
それを受け入れてこころ静かに死んでいける
そんなのも素晴らしいと思う
ふたつのことは反対のことのように見えるけど
いっしょのことのようにも思える
あ~人生

どんなに不幸せそうに見えても
それだけじゃない
そのなかに喜びもあるし
感動もある
そしてなにより生きている

不調から絶好調へ
そしてまた調子が落ちて
人間のこころとからだは
コロコロ
コロコロ

ハードなトレーニングをしているときの方が
からだがよく動く
疲れてからだはフラフラなんだけど
からだのなかは沸々と煮えたぎり
血ができ肉ができていく

結果や記録や評価じゃない
いかに自分の力を出し切ったか
いかに自分の思いを大切にできたか

夜 モッ君と金ちゃんとガッちゃんが
笑顔で訪ねてきた
三人とも最高に輝いていた

パンもボクシングも
うまくできなかったときはおもいっきり落ち込む
でも落ち込んでばかりはいられない
もっともっとうまくなるしかない
どうやればうまくできるのか考える
うまくいかないのには理由があるのだけど
どうしてなのかわかるときもあるし
わからないときもある
それでもいっぱいいっぱい考えていると
なんだかうまくできるような気がしてくる
モリモリモリモリ力が湧いてくる
足りないということがわかるから
ぼくのなかに可能性が生まれてくる
今年はパンもボクシングも調子が上がってこなかった
スランプと言ってもいいくらいだったけど
こんな状態でも続けてきたので
わからなかったことがわかったり
できなかったことができるようになったり
そんなこともあった
ひとはやり直せる
新たな出発ができる
すこしずつがんばっていこう
コツコツ コツコツ
i一歩一歩歩いていこう

佐久山の城址公園へもみじをみにいく
今年は昼間に行ってきた
ライトアップされたもみじもいいけれど
お日様の陽を浴びたもみじもいいもんだ
冬の優しい光を浴びてそよそよと揺れるもみじ
おもわず甘酒を買ってしまう
ここの甘酒は毎年まずいということを忘れてた

ジムに行こうとすると雨が降り出す
しばらくして雨が止んだので
出かけようとするとまた降り出す
もう電車の時間に間に合いそうにないので
諦めて雨が止んだときに走りに行く準備をしていると
また降り出した
久しぶりに自宅でシャドーボクシング
ジムに行きたくても行けなかった6年間を思い出す
大きな花が咲かなくたっていい
きれいな花が咲かなくたっていい
ぼくは広く広く根を伸ばして
ぼくの花を咲かせるよ

木々たちがいっせいに葉を落とし始めた
この時期のイチョウは見事なまでに輝いている
紅葉だけじゃなく
黄葉という字もあるということをはじめて知った
紅葉した葉がヒラヒラと落ちていき
一本の切れたくもの巣に引っかかり
またヒラリヒラリと踊ってる

休み明けいきなりスパーリング
まだ鼻が治っていないので呼吸が苦しい
すばやく動き回ることはできなかったけど
ジャブが早くなっていた
足りないことがいっぱいありすぎる
その分まだまだ楽しめそう
山口君世界戦決定
3回も世界に挑戦できるってすごい恵まれている
今度こそベルトを取って欲しい
今回はいままででいちばんチャンスがありそうだ
12月23日(土) 両国国技館
WBC 世界フライ級タイトルマッチ
チャンピオン 内藤大助 VS 挑戦者 山口慎吾

きょうは春にでもなってしまったようなポカポカ陽気
外ではたくさんの小さな虫たちが「間違いちまったぜ」と言いながら
舞っていた
温かかったのは昼間だけで夕方には冷えだしてきた
あの生まれたばかりの虫たちはどうするのだろう
「勘弁してくれよ」と言いながら寒い冬を生きていくのだろうか

今月になりガクッと気温が下がり
例年のように風邪を引いた
喉の痛みはマフラーをしてのダッシュでとれたので
あとはしょうが入りの温かいスープを飲んでひたすら寝た
いっぱい寝たのでいっぱい夢を見た

過去ばっかり見ているのは
とても疲れるね
ぼくにはいまという宝物がある
どんなにつらいことがあったとしても
未来に明かりが見えなくなっても
ぼくにはいまという宝物がある

失敗が許されない世界って
とても疲れるね
重圧重圧で
息がすえなくなってしまうんじゃないか
たとえ失敗して降格させられたとしても
たとえ失敗してノックアウトさせられたとしても
たとえ失敗してひとが離れていったとしても
いいじゃないか
ぼくは失敗を恐れて守りに入ってしまう自分を恐れたい
失敗をしてもいいからその瞬間に賭ける
そのときの充実感をぼくは忘れたくない
結果ばかりが求められる世界はつまらない
なぜそんなに結果を急ぐの
歩んでいる過程が
大切なんじゃないの
生きるってことじゃないの
人生は楽しむためにあるんだよ

自分は誰かになりうることはできない
受け継がれてきた命
そしてぼくが生まれた
いま布団の中で目を覚まし
天上の白い壁を眺めているのは
誰でもない
このぼくだ
ダメな人間だと思っていようとも
精一杯生きていくしかないんだ
そう ただそれだけだ
その結果どんなことが起ころうとも
どんなことになろうとも
やはり精一杯生きていくだけなのだ

鈴木亜紀さんの歌がが聴きたくなったので
http://suzukiaki.com/discography/index.html  (視聴)
東京下北沢での
鈴木亜紀 中ムラサトコ エミ・オレオノーラ
3名の鍵盤女たちによるコンサート
気がつくと東京に4週連続のコンサート通い
今年は夏からずっとこんな感じ
はじめのころはせっかく東京に行くのだからと
よくばってあっちこっち行く計画を立てていたのだけど
そうなるとこころが時間を追っかけて
どこかへ行ってしまい
疲れるしあんまり楽しくもないので
そういうのはやめた
コンサートだけで十分
コンサートを目一杯楽しめばいい
自分がとても恵まれていることに気づいてから
一日ひとつのことでもできれば儲けもんだと思うようになった
欲は持っても欲張るな
これがしばらくのぼくの課題だ
きょうはランニングと犬と散歩 土いじりをしてから風呂へ入って
のんびりと出発
下北沢の街ははひとがいっぱい
探せばきっとおもしろいお店がいっぱいあるのだろう
コンサートはまず鈴木亜紀さんから
このひとはやっぱりいい
年に一度は鈴木亜紀
歌もいいのだけど歌っている姿
演奏している姿がこれまたいい
おれもやるぞ~と思えてくる
鈴木亜紀聴くならぜったい生
たまにしか観に行けないのだけど
鈴木さんも中ムラさんもエミさんも
それぞれが年々スケールアップしている
好きという思いで続けていれば
10年後か20年後か30年後か
わからないけどいつか必ず花が咲くんだ
好きな花嫌いな花が聴くひとそれぞれにあるから
売れるか売れないかは仕方のないことだけど
楽しくて素敵な夜だった
ありがとう
今年の予定コンサートもあと二回となった
今年は夏からずっと音楽に浸っていた
もうすでにおなかいっぱいになっている
満たされている
来年は音楽を聴きに行くこともそうないだろうと
思っているのだけど
にんげんは過去どんなに満たされていた時期があろうと
いまが満たされていなければ満足ができないものだ
だから来年はどんなことになるのかわからないけど
あまり抑えつけることなくやっていこうと思う

日光の田母沢川
今年は去年に比べたら推量が少ない
それでも水は去年と同じように
はだしの足を5秒と入れていられないくらい冷たかった
ご飯を食べてから山に登りたかったけど
去年の山登りで
「14時以降に山を登り始めるのはやめよう」という教訓を得ていたので
諦めた
登山者カードを見てみるとみんな4時30分とか5時に出発している
そりゃあ10時間もあとに登ってりぁあ途中で夜になるわな

矢板に住んでいる音楽好きのお客さんと
佐野に住んでいる音楽好きのお客さんが
店でいっしょになった
ふたりとも目を開いて驚きの表情をしている
すこし前におなじ食べ物やさん(胡桃亭)でお昼を食べていたとのこと
このふたりは今年のフジロックにも朝霧ジャムにも行っているので
そのことを指摘するとまたまた驚き
話に花を咲かせていた
この店ではこんなことがよく起こる



なんの目的もなく
損得も考えることもなく
後先のことも考えることもなく
ただそうしたいから
ただ楽しそうだから
ただ好きだから
そうする
いちばん純粋な生がそこにある
いまを楽しむってそういうことだと思う



渋谷オーチャードホールで
Zakir Hussain's Masters of Percussionのコンサート
圧倒的に女性のお客さんが多い
http://jp.youtube.com/watch?v=AB95ZBQ5kjo&feature=related
弦楽器2人と打楽器8人
ザキール・フセインだけじゃなく
インドやその周辺から名人達が集まった
その演奏はすごいそして愉快だ
演奏を聴いて気持ちよくなることなんてできないくらい
見入ってしまう
理解ができる範囲を超えてしまう技にただ笑うしかない
人間には努力をすればあれだけのことができてしまう可能性だけは
あるんだな
2人の弦楽器奏者がシタールとサーランギの音色を響き渡らせ
8人の打楽器奏者がそれぞれの打楽器を叩きまくる
やっぱりいちばん気持ちが良さそうなのはのは演奏自身だ
おれもサンドバックが叩きたくなってきた
最後はみんな立ち上がって拍手喝さい
今年は良いライブばかりに当たっている
でもさすがにこうしょっちゅう東京や横浜に来ていると
疲れてくるぜ

連日の続く狂ったような豪雨
経済システムの崩壊
人類はこのまま滅んでいくかもしれないし
そうならないかもしれないけど
ぼくたちにんげんには自分たちがやってきたことを
身をもって受け止めていく責任がある
ひとは個であって個でない
どんなにひとりで生きていこうとおもっていても
なんらかの影響を受けてしまうもの
人間は人間であるだけでなく地球上に生きる生き物の一部でもある
地球上に生きる生き物は地球に生きる生き物であるだけでなく
地球の一部である
地球は地球であるだけでなく宇宙の一部でもある
意識的であろうとなかろうと
すべてはすべてに影響を与えながら生きている
でも地球から見たら人間なんていなくなっても
他の生き物が生きていればいいんだよね

どんなに正しいことを言われようと
抑えられないときがある
そのときはあたまもこころもコントロールできない
宙に浮かんで吸い寄せられている
でもいつかその熱も冷めて
自分にとってなにが大切なのかを思い出す

ひとと比べているとき
ぼくは
とても恵まれていることに気づかなかった
人の目を気にしているとき
ぼくはぼくではなかった
ぼくはぼく以外のナニモノでもない
ぼくはぼくを生きているんだ
だれがなにを言ってこようが
ぼく意外誰もぼくを生きられない
これからもぼくはぼくを生きていく
ぼくは走ることがことがすきだから
ぼくはパンを作ることがすきだから
ぼくは音楽がすきだから
ぼくは風が好きだから
ぼくはぼくがすきだから

仕事を終え
真っ暗な夜道を歩いていると
あっちこっちで虫たちが歌っている
目を閉じると
小さくなったぼくは
大きな草をよけながらあっちへこっちへ
歩いてる
虫たちの世界に迷い込んだようだ
ぼくは目をつむり耳を澄ます
一匹の声だけを聴く
次に別の一匹の声を聴く
それからまた別の一匹の声を聴く
こんなにじっくりと一匹一匹の歌声を聴くのははじめてだ
涙が出てくる
悲しくて泣いているんじゃない
さびしくて泣いてるんじゃない
こんなにシンプルな世界があったのかと
こころが震えているんだ

そうでなくてはならない
そうでなくてはならない
そうでなければならない
そうでなければならないことは
いっぱいあるけれど
そうであらねばならないは
すべてぶっ壊すことができる
そうでなければならないことはそうでなければならないかもしれないけど
そうでなくてたっていいんだ
だからいまぼくの頭の中にある考えだって
すべてぶっ壊せる
  ぼくは成長したいと思う
  でも人間は成長しなければならないものだと決めつけてしまう権利は
  誰にもない
  成長を求めない生き方だってある
学校に行かなければならない
仕事をしなければならない
そう思わされているけれど
ひとにはそれぞれの価値観がある
  寄りかかることなく自分の足で歩いていかなければならないよと
  言われている 
  そういう生き方のほうがぼくは楽しくて好きだけど
  苦しくて苦しくてどうしようもなくなったときは
  寄りかかることがあってもいいのかもしれない 
  幸運を呼ぶブレスレットやマニュアルそれにクスリなんかではなく
  ひとの愛や地球や宇宙の愛に寄りかかることで
  踏み出すことができるってこともあるんじゃないのか
ものごとには意味がなくてはならない
そう思っているひとはたくさんいるけど
そんなこともないんじゃないか
生きることの意味だって
あったってなくたっていいのだろう
宇宙から見れば人間のやっていることなんてなんの意味もないのだから
なにもやらなくてもあるだけでいい
人間は生きているだけでひとを幸福にさせられるのだから
  自由であるということは
  周りにいるひとも自由であるということだ
  自分とは違った考え方を認めることで
  ぼくは解き放たれる

スイングホールでソフィア・カールソンのコンサート
http://jp.youtube.com/watch?v=lVWIh44uK7w
三鷹の駅で降りて歩いて15分
早く着いたので余裕しゃくしゃく近くのパスタやさんで
パスタを食べ白ワインを飲んでいたんだけど
会場の文化会館に行ってみるとシーンとしている
ひとの気配というものがぜんぜんないんだよね
日にちを間違えてしまったのか
それとも時間を間違えてしまったのか
ドキドキしたけどチケットを見るとどっちとも合っている
中に入ってみるとやっぱり誰もいない
文化会館の中にあるものと思い込んでいたけど
もう少し先だったかなと地図をよく見てみたら吹っ飛んだ
武蔵境駅の近くにスイングホールという建物があるじゃないの
受付の男性にいまの時間を聞くと開演まであと23分
外に飛び出し
またきょうもきのうと同じ20分走だ
野性の勘 三鷹の駅に戻って電車に乗るコースじゃなくて
直接会場に向うことにした
ほろ酔い気分は吹っ飛んだけど
かわりにかなり飛ばしたのでランニングハイ
武蔵境はどの辺だろうと看板があったので見てみると
吉祥寺方面に走っていることに気がついた
3分間逆送してきたことになる
頼むぜ 野性の勘
途中丁寧に道順を教えてくれるひとがいたので
ギリギリ間に合った
毎日走っていることがこんなところで役に立つ
ソフィア・カールソン 
http://jp.youtube.com/watch?v=E9lBh61v2Ag&feature=related
思ってたよりもかなり小柄な女性
隣にいるベーシストが大きいひとだったので
うしろ姿やはだしで駆け回る姿は
小学生にも見えちゃうんだけど
聴かせるぜ
天性の身体能力と歌うことが大好きという思いと
歌うことを楽しむ気持ちがぶつかり合って
奇跡の花が咲いた
このひとはすごいよ
そうそう聴く機会はないかもしれないけど
聴けるチャンスがあったら観にいった方がいいよ
CDで聴くより生で聴いた方がずっと良いというのは
ほとんどの音楽でそうなのだけど
どうしてだろうスウェーデンの音楽はそれがとても大きい
生で聴くとこころにズンズンやってくる
きょうは1年前にフリーフォート http://blog.goo.ne.jp/frifot 
の素晴らしいコンサートを開いてくれた
森さん 山田さん ayakoさんにも会えたし
遠くからでも行った甲斐があった
那須塩原の駅に着くと思った通り
自転車の空気がぬけていた

ようやく右ストーレートとジャブが打てるようになった
ボクシングを始めてもう17年くらい経つのかな
練習はかなりしたほうだと思う
パン屋を始めてからは
金がなかったり時間がなかったりで
6年間くらいはジムに行けず
ひとりで練習していたけど
その他は怪我や病気をのぞいて
毎日ジムに行っていた
ランニングもいっぱいした
これだけ練習をしたのに
ようやくいまになって打てるようになったよ
右ストレートもジャブも基本のパンチなのにね
人生そんなに急がなくていいんだな
来年はギターを始めようと思う
ゆっくりゆっくり
じいちゃんになってからも楽しめるように
そんなこと言っていて早く死んじゃうかもしれないけど
でもそれはそれでいいんだ
たとえ早く死んでしまったとしても
の声で
踊ろう自分